2017年04月30日

ヘーゲル『哲学史』を読む(2/13)

(2)ヘーゲルは哲学をどのようなものと捉え、その歴史をどのように描いたか

 前回は、我が研究会が一昨年および昨年の2年間をかけて進めてきたヘーゲル『哲学史』の学びを意味あるものとして次の課題へとつなげていくためには、本ブログに毎月掲載してきた「例会報告」を単なる「例会報告」のままに放置しておくのではなく、ある月の「例会報告」からその翌月の「例会報告」へ、さらにその次の月の「例会報告」へ……という流れを、あらためてアタマのなかで振り返ってしっかりと反省することにより、ひとつにつながった大きな流れとしてまとめ直していく作業が絶対に必要になってくるのだということを確認しました。これはより具体的にいえば、「例会報告」の羅列というレベルで記録が残されている『哲学史』の集団的な学びの過程について、改めて1本の論文としてまとめなおすことにより、主体的に自分のもの(実力)にしていく努力がもとめられているのだ、ということにほかなりません。

 さて、ヘーゲル『哲学史』に関する毎月の「例会報告」の羅列でしかないものを、『哲学史』の全体像を描き出すひとつの論稿にまでまとめあげていくためには、まず、ヘーゲルが哲学なるものをどのように捉えていたのか、哲学の歴史的な発展過程をどのようなものとして捉えていたのか、ヘーゲル哲学の全体像から確認しておく必要があるでしょう。それでは、ヘーゲルの哲学とは、一体どのようなものだったのでしょうか。我々が2012年の毎月の例会で取り上げたシュテーリヒ『西洋科学史』(現代教養文庫)では、以下のようにまとめられていました。

「ヘーゲルにとって、世界過程の全体は、世界精神が自己を展開していく一個の経過なのだ。これには三つの本質的な段階が区別される。
 第一段階においては、世界精神が“即自有”の状態にある。こうしたものとしてそれを考察することは、論理学の課題である。だから論理学は思惟規則の総括ではなく、純粋で無時空的な状態にある世界精神そのもの論理なのだ。
 第二段階では、世界精神そのものが空間と時間とに結びつけられた自然へと自己を“外化”する。自然哲学は、こうした、つまり、“他在”の状態においての世界精神を取り扱う。
 第三段階で、世界精神は自己自身に立ち戻る。つまり、いまや“即自の、かつ対自の有”という状態にあることになる。そうしたものとして世界精神を考察するのは、精神の哲学である。
 精神の哲学がさらに三段階に分かれる。主観的精神論は、個別的人間、自己意識をもつ個人の生を扱う。主観的精神論を越えて一段と高められたものが、客観的精神論である。これは、家族や社会や国家や歴史の大規模な超個人的“客体的”秩序関連を問題にする。“絶対的精神”すなわち芸術とか哲学とか宗教とかいう形態をとったとき初めて、精神は自己自身と自己の自由とを完全に意識するにいたる。」(シュテーリヒ『西洋科学史 X』現代教養文庫、p.6)


 ここからも分かるとおり、ヘーゲルの構築した壮大な哲学体系は、世界観(この物質的な世界は永遠の昔から物質的に統一されていたのか、それともある時点で精神的な存在によって創造されたのか、というこの世界のあり方の根本にかかわる観方)としては観念論(精神こそ根本的な永遠的な存在であって、物質と呼ばれるものはその産物であるとする世界観)にもとづいたものでした。つまり、ヘーゲルにおいては、この世界全体の歴史的発展のあらゆる過程が、絶対精神なるものが自己を展開していく一連の過程として捉えられていたのです。絶対精神は、純粋で時間にも空間にも制約されていない状態(この段階を考察するのが論理学)から、空間と時間に結びつけられた自然へと自己を“外化”し(この段階を考察するのが自然哲学)、そこからさらに自己自身に立ち戻っていき、最終的に、宗教、芸術、哲学として「自己自身と自己の自由とを完全に意識する」のです。こうして世界全体の歴史的発展過程の大きな円環が閉じることになります(この段階を考察するのが精神哲学)。

 先の引用文には、「自己」という言葉が何度もでてきましたが、この「自己」について、『南郷継正 武道哲学 著作・講義全集 第一巻』の「読者への挨拶」では、以下のように説かれています。

「ここで「自己」とは絶対精神が自らを転化・発展させていくばあいのあらゆる状態における別名でもあるのであり、また絶対精神が自分を宇宙の本質から、自然から社会・精神へと生成発展させていく途中の経過、すなわち、まず絶対精神は「自己」を転生させて自然と化するのであるが、この絶対精神としての「自己」が、「自己」を絶対精神の発展形態である自然へと「自己」として転生していくのであり、その「自己」が転生した自然もまた絶対精神としての「自己」なのである。すべての始まりも、その途上のすべてが「自己」であり、そして原点の自分自身としての絶対精神へと復帰するばあいも「自己」なのであり、復帰した後の状態も「自己」(ただし、このばあいは完成された絶対精神としての「自己」)なのである。
 以上を簡単にいえば、絶対精神は絶対精神から生まれ出て、大本の絶対精神に戻るのであるが、これを含めてのすべての過程が、「自己」のその時点での存在形態・運動形態でもあり、原点も途中も、戻ったものもすべて「自己」なのであり、「自己」の運動であり、自己としての絶対精神の運動なのである。それゆえ「円」とは簡単にいえば、この過程が出発点からラセン状の円環を描きながら変転していって、ラセン的な円環上で元の出発点へ戻って完成することであるが、ヘーゲルはこれを要して一言で「円」といっているのである。」(『南郷継正 武道哲学 著作・講義全集 第一巻』現代社、pp.57-58)


 つまり、ヘーゲルの体系においては、全てのものに絶対精神(=自己)の発展過程として一本の筋が貫かれているのであって、ヘーゲルが何を説くにしても、それは全て(“他在”としての自然も含めて)この世界全体の本質たる絶対精神(=自己)のそれなりの現象形態として! なのだということをしっかりと押さえておく必要があるのです。

 このことを踏まえて、ヘーゲルの描く哲学史とは何か、端的にいうならば、自己自身を発見しようとして立ち向かった思想の2500年の労作だということになります。少し言葉を換えていうならば、この世界の本質たる絶対精神が、自然から精神へと復帰してきたところ(古代ギリシャ)から、自己の何たるかを明確に自覚していくまでの苦闘の過程こそが哲学史にほかならない、というのがヘーゲルの捉え方なのです。

 ヘーゲルは、哲学の目的は、唯一の真理が全ての他のもの(自然の全法則、生命と意識との全現象)の流れ出る源泉であると認識することである、といいます。世界の究極的な本質が、この世界のあらゆる具体的なものに対して貫かれていることを把握しきることが哲学の目的だ、ということです。この世界の本質は精神的なものであるというヘーゲルの立場からは、唯一の真理がただ単純な、空虚な思想ではなく、それ自身において規定された思想であることを認識することが大切だ、ということになります。ヘーゲルによれば、それ自身において規定された真なるものは、発展しようという衝動をもつのであり、哲学はこの発展の自己認識です。ヘーゲルによれば、精神の行動は自己を知ろうとする行動にほかなりません。自己を自己自身に外的なものとして定立することによって、精神は実存するものとなります。精神は外界においては個々人の意識として実存するほかなく、純粋な哲学は、外界(時間)のなかでは、個々人(1人1人の哲学者)の意識の活動という形をとって進展していきます。しかし、精神は単に個人的な意識の活動としてあるものではなく、それ自身普遍的な精神であることを忘れてはならない、とヘーゲルは力説します。ヘーゲルの描く哲学史は、個人の思惟を通過し、個々の意識のうちに示される前進ではなく、世界史を舞台とする普遍的精神の前進なのです。換言すれば、個々の哲学者をあくまでも絶対精神のそれなりの現象形態としてみようとするものであり、哲学史の流れにおける発展の主体は、あくまでも絶対精神自身であると捉えようとするものです。

 さて、ヘーゲルは、哲学史を大きくギリシャ哲学(古代哲学)とゲルマン哲学(近代哲学)という2つの時期に区分した上で、ギリシャ哲学は思想を理念にまで発展させ、ゲルマン哲学は思想を精神として把捉したのだ、と述べています。これがどのようなことを意味しているのか、次回以降、具体的にみていくことにしましょう。
posted by kyoto.dialectic at 06:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界歴史・日本歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月29日

ヘーゲル『哲学史』を読む(1/13)

(1)学問の構築のためには哲学史の学びが必須である

 昨年来、アメリカでのトランプ政権の誕生、イギリスのEU離脱など、世界中で、これまでの常識を覆すような衝撃的な出来事が相次いでいます。お隣の韓国では、朴槿恵大統領が汚職事件で罷免されて逮捕され、大統領選挙が行われることになりました。フィリピンにおける“親中・反米”的なドゥテルテ政権の登場などと合わせて、東アジアの地政学的な状況も劇的に変化しています。こうしたなかで、日本でもいわゆる「森友学園」問題によって、“安倍一強”と呼ばれてきた政治状況が変化する兆しが見えつつあるといってよいかもしれません。国際政治も国内政治もまさに激動のときを迎えています。

 こうした政治の問題には、貧困と格差の拡大、緊縮政策による民衆の生活苦、難民や移民の安い労働力としての流入といった経済の問題が密接に絡んでいることはいうまでもありません。こうした問題が、排外的なナショナリズムの高揚、地域紛争やテロの頻発といった事態を引き起こしているのです。地球環境やエネルギーの問題も忘れるわけにはいきません。自然と人間との相互浸透の関係の持続可能性そのものが危うくなっている事態もあるのです。

 このように、私たちが生きる現代の世界は、数多くの問題を抱えています。どれひとつとってみても、私たちの平穏な生活の持続を根本から脅かしかねない難しい問題であるといわなければなりません。政治的な面においても経済的な面においても、これまで人類社会の安定的な発展を支えてきた枠組みが、大きな歴史的限界にぶつかりつつあるのではないか――否応なしにそのような疑問が浮かんできます。端的にいえば、人類はいま大きな歴史的岐路――諸々の難問をこじらせて滅亡への道を歩んでいくか、それとも諸々の難問を解決して新たな社会の発展を可能にしていくのか――に立たされているといってもよいでしょう。

 こうした諸々の難問に対して、解決の道筋を示していく役割を担わされているのが学問であることはいうまでもないでしょう。現代は、あらゆる領域において、問題解決の方向性を確固として指示してくれる学問の構築が切実に求められている時代であるといってよいのです。

 それでは、こうした学問の構築のためには、どのような取り組みが必要なのでしょうか。そのために必須の取り組みのひとつとして、学問の歴史を学ぶことが挙げられなければなりません。学問とはそもそも、人間(社会)が、現実世界から突き付けられた諸々の問題を何とか解決していくために、世界のあり方を誤りなく把握したいと願うところから生成してきたものなのです。古代ギリシャ以来の学問の歴史とは、端的にいえば、現実世界に対峙する人間が、現実世界が突き付けてくる諸々の問題を的確に解決していくための確固たる指針を獲得していこうという苦闘の歴史であったといえます。現代に生きる我々の学問への要求も、こうした苦闘の歴史の延長線上にあるものにほかなりません。したがって、次のようなことがいえるのです。

「およそ自分の専門分野で何らかの学問的な発展をしたいと思う人にとっては、自分の専門分野が歴史的にどう生成し、どう発展してきて現在にまで至ったのか、ということをふまえることなしには、自分の専門分野を学問的に発展させることは不可能であり、そうした意味から諸学問の原点であるところの古代ギリシャに学ぶ意義がある。」(悠希真理「古代ギリシャ哲学、その学び方への招待(1)」『学城』第1号、p.92)


 この引用文で書かれている通り、政治学、経済学、教育学、言語学といった諸々の学問の原点は古代ギリシャの哲学にあります。ここで注意する必要があるのは、古代ギリシャの学者たちは、政治、経済、教育、言語などと世界を諸々の部分に分けて探究していていたのではなく、人間が対峙する世界をまるごと捉えようとしていたということです。このように世界をまるごと捉えようとする営みから生まれてきたのが、哲学にほかなりません。政治学、経済学、教育学、言語学など、世界のそれぞれなりの部分を扱う理論体系を個別科学と呼びますが、これらはあくまでも、世界全体をまるごと把握しきろうとする哲学を土台として、そこから分化してきたものなのです。ですから、個別科学が歴史的にどう生成し、どう発展して現在にまで至ったのかをまともに把握するためには、何よりもまず哲学の歴史を学ばなければならないのです。

 以上のような思いもあって、我々京都弁証法認識論研究会は、2015年から2016年の2年間を費やして、哲学の歴史を描いた著作としては最高峰のものであるといってよいヘーゲル『哲学史』(岩波全集版)に取り組んできました。この取り組みは、2013年のヘーゲル『歴史哲学』、2014年のシュヴェーグラー『西洋哲学史』の学びを踏まえつつ、ヘーゲルが描く哲学史の流れを理解することはもちろんのこと、それを唯物論的に捉え返すことで唯物論哲学の創出に向けた一歩を確実に進めていくことを課題としたものでした。

 本ブログの読者のみなさんならすでにご承知のとおり、我々は、毎月の例会が終了した後に、例会の場でなされた討論について振り返ってまとめなおし、『哲学史』の扱った範囲についての要約、例会に提示されたレジュメ、参加した各メンバーの感想と合わせて、「例会報告」として本ブログで紹介するようにしてきました。このような討論過程の振り返りは、弁証法創出に向けてのプラトンの実力向上過程について次のように説かれていることを、我々自身が目的意識的に実践していこうとするものでもありました。

「『国家』第一巻にも見られるように、初期から中期対話篇になってくると、単に答えが出ないところで終わるにとどまらずに、答えが出なければ再度議論をやり直し、というくり返しが見られるようになってくる。そうしてさらには、その長い対話の流れを頭の中で振り返って、反省するもう一人の自分が、プラトンの中に出てくるのである。」(悠季真理「古代ギリシャ哲学、その学び方への招待(7)」『学城』第8号、p.82)


 ようするに、ただ単に議論してそれで終わり、ということではなく、その議論の流れをアタマのなかで振り返って反省するという過程をもつことによってこそ、プラトンは弁証法(対象を学問的に把握する方法)の創出へ向かう実力を養成することができたのだ、ということです。
 このことを踏まえて我々は、毎月の例会において議論した内容について、ただ単に議論したままに放置しておくのではなく、その流れをアタマのなかで振り返って反省する過程をしっかりともっていくために、本ブログに「例会報告」を掲載していくことを自らに課したのでした。実際に例会の場でなされる議論は、きわめて錯綜したものになることもしばしばでしたが、それをより高い視点から整理しなおし、一応は論理的に筋の通った流れが感じられるようなものへとまとめあげていくことを目指して、「例会報告」を書き続けてきたわけです。

 しかし、こうした「例会報告」のそれぞれは、基本的に各月で扱われた範囲に焦点が当てられたまとめにすぎない、という大きな限界があります。しかも、この『哲学史』には2年間もの長い時間をかけたので、なおさらです。個々の「例会報告」をただ単に羅列しただけでは、ヘーゲル『哲学史』の全体像をハッキリと浮かび上がらせることはできないでしょう。だからこそ、ヘーゲル『哲学史』の全体像をハッキリと浮かび上がらせるためには、こうした「例会報告」を単なる「例会報告」のままに放置しておくのではなく、ある月の「例会報告」からその翌月の「例会報告」へ、さらにその次の月の「例会報告」へ……という流れを、あらためてアタマのなかで振り返ってしっかりと反省することにより、ひとつにつながった大きな流れとしてまとめ直していく、という作業が絶対に必要になってくるのです。本稿はこの作業を行おうとするものにほかなりません。
posted by kyoto.dialectic at 06:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界歴史・日本歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月28日

掲載予告:ヘーゲル『哲学史』を読む(全13回)

 我々京都弁証法認識論研究会は、一昨年および昨年の毎月の例会において、ヘーゲル『哲学史』を読みすすめてきました。本ブログの読者のみなさんならすでにご承知のとおり、我々は、毎月の例会が終了したあとに、例会の場でなされた討論について振り返ってまとめなおし、『哲学史』の扱った範囲についての要約、例会に提示されたレジュメ、参加した各メンバーの感想と合わせて、「例会報告」として本ブログで紹介するようにしてきました。

 しかし、こうした「例会報告」のそれぞれは、基本的に各月で扱われた範囲に焦点があてられたまとめにすぎない、という大きな限界があります。それだけに、だからこそ、ヘーゲル『哲学史』の全体像をハッキリと浮かび上がらせるためには、こうした「例会報告」を単なる「例会報告」のままに放置しておくのではなく、ある月の「例会報告」からその翌月の「例会報告」へ、さらにその次の月の「例会報告」へ……という流れを、あらためてアタマのなかで振り返ってしっかりと反省することにより、ひとつにつながった大きな流れとしてまとめ直していく、という作業が絶対に必要になってくるのです。

 本稿は、一昨年および昨年の2年間にわたって、ヘーゲル『哲学史』の内容にかかわってなされた要約、例会への報告、例会で提示された論点をめぐってなされた討論などをしっかりと振り返りつつ、ひとつの流れをもった論稿にまとめ直したものです。ヘーゲル『哲学史』の内容をできるかぎり分かりやすく説いていくようにしたいと考えていますので、ご期待ください。

 以下、本稿の目次(予定)です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ヘーゲル『哲学史』を読む

はじめに
(1)学問の構築のためには哲学史の学びが必須である
(2)ヘーゲルは哲学史をどのようなものとして描いたか

1、自然的形態をもつ抽象的な思想から規定された理念まで
(3)タレスからアナクサゴラスまで――自然的形態をもつ抽象的思想から非物質的な力としてのヌースの登場まで
(4)ソフィスト派とソクラテス――個人を尺度とした問いかけから真・善・美という普遍的基準の登場まで
(5)プラトンとアリストテレス――超感覚的世界への意識の高まりから宇宙の全部分の概念的な把握へ

2、理念の観念世界への発展と主観性の登場
(6)独断論と懐疑論――具体的な理念の登場と学問の特殊な体系への分岐
(7)新プラトン派――感覚世界の滅却と理念の観念世界としての形成
(8)中世の哲学――観念世界と現実世界の宥和という課題の登場

3、自己を知る理念による思惟と存在の宥和へ
(9)近代哲学の黎明、デカルトからライプニッツまで――思惟と存在との対立を形而上学的に統一する試み
(10)18世紀の哲学の諸形態――健全な常識や自然な意識を原理とする
(11)カント、フィヒテ、シェリング――思惟と存在の統一の概念的な把握へ

おわりに
(12)ヘーゲルの描く哲学史とは精神が自己を知る過程であった
(13)唯物論の立場からの哲学史の構築に向けて
posted by kyoto.dialectic at 06:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界歴史・日本歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月27日

小中一貫教育を問う(5/5)

(5)国家の発展のためには個々の人間を市民として育てることが必要である

 義務教育学校が法制化され、小中一貫教育が進められる中で、本稿ではその是非について考えてきました。

 ここでこれまでの流れを振り返ってみましょう。

 第一に、思春期とは何かを踏まえて、そもそもなぜ小学校と中学校という形で学校がわかれているのかを考察しました。そもそも思春期とは子どもから大人へと脱皮していく時期であり、認識に焦点を当てれば、親や教師の指示にただ従う受動的な状態から、自分のアタマを使って考えて行動し始める時期だということでした。したがって、小学校では子どもとして教育するのに対して、中学校では大人の準備としての教育がなされるのであり、その中学校での教育がうまくいくためには、小学校での認識をすべて捨て去らないといけないということでした。そのためには、小学校の環境から大きく切り離して、新たな環境での教育が不可欠になるのであり、これが”change of the place, change of the brain”ということの1つの具体的なあり方だということでした。以上を踏まえると、小中一貫教育で小学校と中学校の建物が併設する場合、中学校に上がっても小学校のときの認識を捨て去ることが困難となり、教育上大きなマイナスになるのだということでした。

 第二に、現在、小中一貫教育が推し進められている理由について、果たしてそれが妥当と言えるものかどうかについて検討しました。とりわけ子どもの発達が早期化しているから5−4制や4−3−2制が導入するという見解について取り上げました。まず小学校と中学校ではそれぞれ教育内容が大きく異なっているのですが、あくまでも小学校での教育が土台として身についていてこそ、中学校での教育を吸収していくことができるのだということを説きました。そしてそのような土台を形成するための内容を6年かけて学ばせることが戦後70年をかけて定まってきているのだということでした。このように6年間の小学校と3年間の中学校という学校制度とともに、それに合わせる形で教育内容も定められているにも関わらず、学校制度のみを動かしたのでは教育内容の区切れとずれてしまうという問題が生じるということでした。例えば5−4制の学校制度に教育内容の区切れを合わせれば、5年間で小学校の内容を消化しないといけないことになり、無理が生じてくるということでした。その他、中一ギャップと言われる問題にしても、大部分の子どもが抱えているというような問題ではない以上、一般性のある問題ととらえるのはおかしいし、その子ども、その学校、その地域の特殊な要因によるものとして改善を図るようにしていかなければならないということでした。

 第三に、なぜ教育上はマイナスだと考えられる小中一貫教育が進められているのかを別の観点から探っていくようにしました。小中一貫教育が推し進められる大きなきっかけになった教育再生実行会議の第5次提言を読み返してみると、少子・高齢化やグローバル化の中で、日本の存在基盤である人材の質と量を確保するために見直す必要があるという枠組みの中で6−3−3−4制の学制の見直しが提言されていたのでした。つまり、高齢者が増えて社会保障費が増えていて、財源が大きく圧迫されているという現状において、少子化によって児童数・生徒数の少ない学校への経済的な支援がこれまでのようにできなくなっているからそこを改めること、もう1つは、世界にシェアをもつような大企業が求めるような人材を育てるための仕組みを整えること、この2つに応えるものとして小中一貫教育が出てきているのだということでした。同じような指摘を山本由美氏も「小中一貫教育の動向 導入のねらいと問題点 どのように取り組んでいけばよいか」において行っていることを踏まえて、小中一貫教育の推進というのは、国家の立場からすれば、結局、過疎地における財政負担を軽減させ、その余った分を都市部における(企業が求める)エリート育成の充実に活用するという構図を合理化するためのものだということを指摘しました。

 以上、小中一貫教育の推進の是非について見てきました。結論を言えば、教育学の観点からすれば非だということになるのですが、一部のエリートを育てるための教育財源を確保するという意図の下で進められているのだということでした。

 その背後には、そうしたエリートが大企業において活躍することが国家の発展につながるのだという考え方があるのだと言えるでしょう。エリートが大企業において活躍するとは、簡単に言えば、新しいアイデアを出して、その企業の利益を生み出すということです。そうした利益が国内に行きわたり、国家全体としての発展につながるということです。

 しかし、果たしてそうなのでしょうか。財務省の法人企業統計によると、企業の内部留保は2016年3月末時点で366兆円となり、安倍政権が発足した2012年2月に比べると、
34%増えていることになります。一方で、2016年1〜3月期に企業が従業員に支払った給与は28兆円であり、これは前年同月比でほぼ横ばい、政権発足時の12年10〜12月期と比べると3%減少しています。つまり、企業の利益は拡大しながらも、それが国家全体に行きわたってはいないということです。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/list/201606/CK2016060502000129.html

 従業員の給料が上昇しないということは、国内消費が伸び悩むということですから、これは結局大企業にとってもプラスにはならないことになります。

 さらに言えば、そもそも経済的な豊かさが、直接に国家としての発展だと言えるのかという問題があります。仮に企業の利益も増加し、労働者の給料も上昇したとしても、例えば長時間働かなければならず、余暇を楽しむ余裕がないような環境であれば、果たしてそれは豊かな生活だと言えるのか、過労死が頻発するような国家が豊かな国家だと言えるのかという問題です。

 本当の国家の発展とは、一定の経済的な豊かさは土台としながらも、個々の人間が個人として尊重され、自分の夢や希望を叶えていけるような国家の実現に向けて、現状の国家が抱えている様々な問題を1つずつ解決していくことだと言えるでしょう。そのためには個々の人間がそれぞれの所属する社会で感じる問題に対して、その解決に向けて取り組んでいくことが求められます。そのような市民として個々の人間を育てることこそ、教育が求められる役割だと言えるでしょう。

 そのような教育を実現する上で羅針盤となる教育学の構築こそが自分が果たすべき課題であることを再確認して、本稿を終えたいと思います。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月26日

小中一貫教育を問う(4/5)

(4)小中一貫教育推進の背後には経済的な背景が存在している

 前回は、小中一貫教育を推進する理由について、その妥当性を検討してきました。そもそも小学校と中学校とは学校のみならず教育内容も大きく区切られており、このように学校の在り方に応じる形で教育内容も区分されているからこそ、子どもはしっかりと教育内容を身につけていくことができるのであり、6−3制を単純に動かせばよいという話ではなく、それをやると別の問題が生じてくるということでした。そもそも理由として挙げられている「中一ギャップ」は、その子、その学校、その地域に特殊な問題であるから、学校制度という一般性にメスを入れて解決しようとするのはおかしいと指摘したのでした。

 以上の流れからすれば、小中一貫教育は教育上マイナスであると筆者は考えていますし、問題への対応としてもおかしいものだと思います。しかし、それにも関わらずなぜこれが進められているのでしょうか。今回はその点について考えてみたいと思います。

 小中一貫教育が推し進められる大きなきっかけになったのは、2014年7月3日にだされた教育再生実行会議の第5次提言でした。ここでどのように書かれているのかを改めてみてみたいと思います。

 まず冒頭において、次のように書かれています。

「日本を支え担う人材は、戦後約70年にわたり、6−3−3−4制の学制の下で育成されてきましたが、子供や社会の状況は大きく変化しています。現在の学制の原型が導入された当時と比べて発達の早期化が見られるほか、自己肯定感の低さ、小1プロブレム1、中1ギャップ2などの課題が指摘されています。また、グローバル化への対応やイノベーションの創出を活性化する観点から、英語教育の抜本的充実や理数教育の強化、ICT教育の充実が求められています。さらに、産業構造の変化や技術革新が進む中、質の高い職業人の育成も求められます。

 こうした課題への対応として、現在の学制の枠内で、地方公共団体や大学等における様々な工夫や取組が行われていますが、少子・高齢化やグローバル化への対応は、日本が直面する大きな課題であり、一人一人の能力の伸長と意欲ある全ての人が社会参画できる環境の構築は、国家戦略として取り組む必要があります。今、まさに日本の存立基盤である人材の質と量を将来にわたって充実・確保していくことができるかどうかの岐路に立っており、現在の学制が、これからの日本に見合うものとなっているかを見直すときであると言えます。」


 簡単に言えば、日本を支え担う人材は6−3−3−4制の学制の下で育成されてきたが、少子・高齢化やグローバル化の中で、日本の存在基盤である人材の質と量を確保するために見直す必要があるということです。このように、小中一貫教育は、少子・高齢化とグローバル化という2つに対応するという大きな枠組みの中で位置付けられているわけです。

 少子・高齢化に対応するというのは、要するに限られた財源の使い道を検討しなければならないということになるでしょう。高齢者が増えて社会保障費が増えていて、財源が大きく圧迫されているという現状において、少子化によって児童数・生徒数の少ない学校への経済的な支援がこれまでのようにできなくなっているから、そこを改めなければならないということです。

 実際、「(2)小中一貫教育を制度化するなど学校段階間の連携、一貫教育を推進する」において、次のように書かれています。

「学校が地域社会の核として存在感を発揮しつつ、教育効果を高めていく観点から、国は、学校規模の適正化に向けて指針を示すとともに、地域の実情を適切に踏まえた学校統廃合に対し、教職員配置や施設整備などの財政的な支援において十分な配慮を行う。国及び地方公共団体は、学校統廃合によって生じた財源の活用等によって教育環境の充実に努める。」


 つまり、学校の統廃合によって生じた財源を教育環境の充実に活用するということです。このように財源を生み出す統廃合を進めるために、小中一貫教育が主張されているのだと言えるでしょう。

 もう1つのグローバル化に対応するというのは、要するに世界にシェアをもつような大企業が求めるような人材を育てるための仕組みを整えるということになるでしょう。例えば、教育再生実行会議の第5次提言が出された直後の7月29日において、下村博文氏は「子供の発達や学習者の意欲・能力等に応じた柔軟かつ効果的な教育システムの構築について(諮問)」において、「新たな社会的価値・経済的価値を生むイノベーションを創出し、国際的な労働市場で活躍できる人材の育成や多様な価値観を受容し、共生していくことができる人材の育成が求められて」いるという認識のもとで、小中一貫教育の制度化の推進について述べています。小中一貫教育を進める学校においては、独自のカリキュラムを編成することが可能ですから、例えば本稿の冒頭の記事で紹介したような小学校1年生からの英語教育なども可能になります。このように、大企業が求める人材を育成するための内容を早期から教えていこうという意図のもとで小中一貫教育が進められているのだと考えられます。

 和光大学教授である山本由美氏は「小中一貫教育の動向 導入のねらいと問題点 どのように取り組んでいけばよいか」において、次のように述べています。

file:///C:/Users/ortho/Downloads/74-22_26%20(2).pdf

「小中一貫校には以下の3つの制度的目的があると考える。
・統廃合を促進する。
・初等教育段階から公立学校を複線化して、エリート校・非エリート校化を進める。
・教育課程の規制緩和によりカリキュラムを自由にできる。国策や企業の要求を先取りした教育課程の実現が可能になる。」


 ここでは3つ挙げられていますが、1つ目が教育財源に関わるものであり、2つ目と3つ目が大企業が求める人材の育成に関わるものと整理することができるでしょう。さらに、小中一貫教育の実態として、次のように指摘しています。

「一貫校には大きく分けて2つのタイプがあり、都市部中心の中〜大規模校と過疎地の小規模校に分けられる。前者には千人規模の学校が約10校ある反面、児童生徒数200人以下の学校(当然学級数は9学級以下)が全体の3分の1を占め、全校で29名という小規模校すらある。その中には地域に学校を存続させるために小規模な小・中を統合したケースも多い。自治体住民が、小中一貫化か地域から学校をなくすか、という究極の選択を強いられたケースも複数ある。」


 つまり、都市部の中〜大規模校と過疎地の小規模校に分かれているのであり、過疎地の小規模校は地域に学校を何とか存続させるために実施したケースが複数存在するということです。

 過疎地の小規模校においては、確かにその地方自治体としては分散されていた教育財源をその一校に集中することができますから、教育環境の充実に資することもできるでしょう。一方、国としてはその地方自治体への財政負担を減らすことができ、その余った分を他にまわすことができます。

 結局、小中一貫教育の推進というのは、国家の立場からすれば、過疎地における財政負担を軽減させ、その余った分を都市部における(企業が求める)エリート育成の充実に活用するという構図を合理化するためのものなのではないかと考えられるのです。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月25日

小中一貫教育を問う(3/5)

(3)小中一貫教育推進で叫ばれている問題は制度の問題ではない

 前回は、なぜ小学校と中学校という形で義務教育が分離しているのかという問題について、思春期とは何かを踏まえて説きました。端的には、思春期とは大人になりにいく時期であり、小学生が受動的な子どもの時期であるのに対して、中学生というのは自立的な大人に向けた準備の時期だということでした。この大人になるための時期を歩んでいくためには、小学校のときの認識を捨てなければならないのであり、そのために小学校と中学校は大きくわかれているのだということでした。

 以上を踏まえて、今回は小中一貫教育を推し進めている理由について、果たしてそれが妥当なのかどうかを見ていきましょう。

 小中一貫教育が推し進められている理由の1つに、子どもの発達が早期化しているということが挙げられていました。体の成長や思春期の到来の時期が、6−3制が導入された昭和20年代前半と比較すると、2年程度早まっているということでした。そこで、6−3制ではなくて、5−4制や、4−3−2制が導入されているのでした。果たしてこのような制度は妥当なのでしょうか。

 このような制度は通常、小学校と中学校が一体となっている場合、あるいは併設している場合にのみ可能です。その意味では(2)で述べたように、小学校での認識を捨てられないので妥当ではないということが言えますが、それを抜きにして考えても適切な区分けではないと言えます。

 この問題を考える上でまず押さえておかなければならないことは、小学校段階から中学校段階へ移るためには、小学生としての教育を受けて小学生としてしっかり育っておくことが必要になるということです。その土台の上に中学校の教育が上書きされていく形で子どもは発展していくのです。そのような土台としての小学校の教育内容、それに乗っかる形になる中学校の教育内容が、戦後70年の年月をかけて、現在のような形にまとめられているわけです。

 具体的に言えば、小学校の算数では、全体としては日常生活と結びつくような内容を学びます。ところが中学校になると、文字式や負の数などが出てきて一気に抽象度が上がります。そもそも教科名も「数学」に変わります。国語にしても、小学校では「ごんぎつね」や「大造じいさんとがん」などの児童文学であったものが、中学校では「坊ちゃん」(夏目漱石)や「道程」(高村光太郎)などの大人向けの文学も入ってきます。社会科でも、小学校の歴史は人物を中心とした歴史ですが、中学校になれば通史を学ぶようになります。このように小学校と中学校では教育内容も大きく異なっています。

 学校そのものとともに、教育内容も区分けされていることによって、”Chage of the place”が成り立っているわけですが、あくまでも小学校の段階の内容をしっかりと身につけているからこそ、中学校の内容を習得していくことができるのです。そして、その小学校の内容は6年をかけて習得するように整理されているわけです。

 以上を踏まえて、例えば5−4制にした場合にはどんな問題が起こるかを考えてみましょう。6−3制の場合は、学校の区切りと教育内容の区切りがしっかり一致しているわけですが、それを5−4制で実現しようとすると、小学校6年間の内容を5年間で学ばなければならないということになります。そうすると、どうしても小学校段階での実力形成が不十分になり、中学校での発展が大きく阻害されることになってしまいます。

 一方、教育内容はそのままにして学校制度のみを5−4制にした場合、6年生は中学校の中にいるにも関わらず、学んでいる内容は小学校の延長線上ということになります。これでは小学校の認識を捨て去ることができません。さらに7年生(本来の中学1年生)になったとき、小学校の延長線上の認識のまま、小学校の内容とは大きく異なる中学校の内容を学ぶことになってしまいます。そうすると、突然の大きなハードルにつまずいてしまう子どもが多く出てしまうことが予想されます。たとえ話で言えば、これまでと同じような感覚で階段を上っていたら、突然段差が激しくなるところがあってつまずいてしまうのと同じです。

 これが6−3制ならば、小学校から中学校へという建物そのものの移り変わりもあるからこそ、「あぁ、これから大きく変わるんだな」という心づもりもできて、突然高くなっている段差もしっかり乗り越えていくことができるのです。

 以上の内容で、冒頭で紹介した小中一貫教育を推進する理由に対してはおおむね答えたことにはなりますが、一応「中一ギャップ」の問題だけ取り上げておきましょう。これは小学校から中学校へという急激な変化が「生徒に精神的・身体的負担を与えており、生徒指導上の問題や学習指導上の課題が生じている」という認識のもと、段階的な移行が望ましいとして5−4−3制などの形で小中一貫教育を推進しようとするものでした。

 ここで問わなければならないのは、ではその課題はどの程度の子どもにおいて生じているのかという問題です。もし大部分の子どもにおいて生じているのであるならば、一般性のある問題として把握することが妥当であり、制度改革を検討することが必要になるでしょう。

 しかし、決してそういうわけではなく、多くの生徒は何とか中学校生活を送ることができているものの、一定数の生徒においてそうした課題が見られるというものでしょう。したがって、この中一ギャップという問題は特殊性として捉えなければなりません。つまり、その子ども、その小学校、その中学校、その地域が抱える何らかの特殊な要因によって現象してくるものだということです。したがって、その特殊な要因にこそメスを入れるべきものでしょう。

 以上、小中一貫教育を推進する理由として挙げられているものについて検討してきました。小学校の内容と中学校の内容は大きく異なっているものの、小学校の内容を土台としてしっかり定着させてこそ中学校の内容を習得していくことができるのであり、その土台の形成を6年かけて行うように整理されてきたものが現在の教育課程なのだということでした。このように、学校の区切りと教育内容の区切りが一致しているため、容易に動かすことはできないのであり、動かせば別の問題が生じてくるということでした。そもそも小中一貫教育を進める理由として挙げられている「中一ギャップ」は一般性のある問題ではないのだから、学校制度という一般性をいじって解決しようとする発想そのものが間違っているということを指摘しました。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月24日

小中一貫教育を問う(2/5)

(2)小学校と中学校の分化は必然である

 本稿は、義務教育学校の成立が法的に認められるほど小中一貫教育が進められている現状において、その是非について問うものです。今回は、そもそもなぜ小学校と中学校という形で学校がわかれているのかについて考えてみたいと思います。

 現在のような6−3制が成立したのは、敗戦後のことです。この6−3制は米国教育使節団報告書の中で望ましい学校体系として記されており、戦後の教育は六・三制であるということが教育改革の標語となるほど大きなものでした。そして、1947年、学校教育法において六・三制が定められたのです。つまり、義務教育として、小学校6年間と中学校3年間が位置づけられたのです。

 なお、同じ中学校といっても、戦前の中学校(旧制中学)とは大きく異なっています。旧制中学は義務教育ではありません。尋常小学校を卒業したのち、一部のもののみが進学するいわばエリートのための学校だったのです。したがって、現在の小学校・中学校というのは、かつての尋常小学校が拡大し、発展したものと位置づけることができるでしょう。

 では、なぜ6−3制となったのでしょうか。米国教育使節団報告の要旨では、以下のように書かれています。

http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317998.htm

「課税で維持し、男女共学制を採り、かつ授業料無徴収の学校における義務教育の引上げをなし、修業年限を九か年に延長、換言すれば生徒が十六歳に達するまで教育を施す年限延長改革案をわれわれは提案する。さらに、生徒は最初の六か年は現在と同様小学校において、次の三か年は、現在小学校の卒業児童を入学資格とする各種の学校の合併改変によって創設されるべき「初級中等学校」において、修学することをわれわれは提案する。」


 結局、6−3制を提案するというのみで、その根拠については書かれていません。したがって、その根拠については論理的に考えていく必要があるでしょう。

 小学生から中学生への過程を考えたときに、思春期という大きな結節点があることがわかります。したがって、思春期とは何かを踏まえて小学生と中学生の違いをおさえておく必要があります。

 思春期に関わって、南郷先生は次のように説いておられます。

「中学生(思春期)の五感器官に関わる論理構造は端的には以下のごとくであった。中学生は思春期とあって子供から大人への脱皮期間であり、準備期間である。それだけに、その実体の成長が子供時代と大きく変ってくる面がある。実体的には大人としての体へと変化することであるが、そのことによって、認識と実体とが相互浸透的な過激的変化をとげながらの大人へ向けての成長が、急速的となっていく。」(『武道と認識の理論U』三一書房、1991年、p.195)


「この思春期は大人へなりにいく最初の重大な時期であり、その個としての人間にとっては初体験期であり、かつ、最初にして最後の重大時期である。体が大人になった高校生では、絶対に味わうべくもない思春期である。これは単に、認識の思春期にとどまらず、実体の思春期であり、実体の思春期にとどまらない認識の思春期である。」(『武道と認識の理論V』三一書房、1995年、p.127)


 つまり、思春期というのは子どもから大人へと脱皮していく期間であるということです。とりわけ中学生の時期は実体と認識の両方の側面においてそうなのだということです。

 認識の側面に焦点を当てて、少しわかりやすく言えば、大人としての自立に向けた本格的な準備期間ということができるでしょう。小学校においてはまだまだ子どもであり、親や教師の指示に従って動いていたのに対して、中学校からは大人として自分で考えて行動するということを行い始めるということです。

 その構造の1つとして、論理能力の向上ということが挙げられます。例えば、中学生ぐらいになると、教師の指導に対して、「先生は言っていることとやっていることが違う」「なんで俺だけ怒られないといけないのか」などの不満を言うようになります。これは「先生の言っていること」と「先生のやっていること」という2つ、あるいは「自分に対する先生の対応」と「他の人に対する先生の対応」という2つをしっかりつなげて理解する能力(論理能力)がついてきたということです。これは別の側面から言えば、教師が言ったことだから従うというのではなく、「有言実行」「人間は平等である」などの価値観に基づいて自分のアタマで判断するようになってきているということでもあります。

 このように小学生というのは子どもであり受動的であるのに対して、中学生というのは大人(の準備段階)であり能動的なのです。ちなみに、学校教育法では小学生は「児童」、中学生からは「生徒」(「徒」とは「弟子」という意味です)と定められていますが、これはなかなか見事な把握だと言えるでしょう。

 すると、次の問題は受動的な子どもの段階であった小学生から、大人の準備段階である中学生への移行はどうあるべきか、ということになります。ここに関わって、現在ではいわゆる中一ギャップと呼ばれる現象が生まれているから段階的である方がよいとして、小中一貫教育が進められているわけですが、端的には、ここは急激な変化でなければならないということになります。つまり、環境を一気に変えてしまって、小学校のときの認識を捨て去ってしまわなければならない、ということです。

 少し具体的に説きましょう。中学校というのは大人として自立するための本格的な準備期間ですから、小学校に比べればそれなりの厳しさというものが当然存在しています。そのときに、小学校のときの認識をひきずっていたのでは、まともに中学校での教育を消化していくことができなくなる、ということです。例えば、「小学校のときはよかった。小学校の先生はいっぱい面倒を見てくれた」などと考えていたのでは、中学校という環境をしっかりと反映することができなくなるでしょう。小学校を思い浮かべて、そこへ逃避しようとする認識を創ってはいけないということです。

 ここはサリバンがヘレン・ケラーを教育するために、つたみどりの家で生活するようにしたことと同一の論理が存在しています。ヘレンはそれまで家庭内において暴君として存在していたのでした。その家庭内の認識のままではまったくサリバンの教育がヘレンに入っていかないため、家庭という環境から切り離して、つたみどりの家で生活することにしたのです。こうしてこれまでの環境から切り離すことで認識をいわば白紙状態にし、これまでとは違う新たな教育が入る余地を生み出していったのです。これは南郷先生が説いておられる”change of the place, change of the brain”ということの1つの具体的なあり方でもあります。

 以上を踏まえれば、小学校と中学校はしっかりと分化していなければならないということになります。小学校と中学校が隣接しているような場合、中学生になった子どもはどうしても自分がそれまでにいた小学校の校舎も、また自分たちと一緒に活動した在校生の子どもも見ることになり、小学校の時の認識を捨てがたくなります。それは中学校という環境としっかり相互浸透をしていく上で、大きなマイナス要因となるのです。以上が小学校と中学校が分離している必然性(の1つ)ということができるでしょう。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月23日

小中一貫教育を問う(1/5)

○目次
(1)小中一貫教育が推進されている
(2)小学校と中学校の分化は必然である
(3)小中一貫教育推進で叫ばれている問題は制度の問題ではない
(4)小中一貫教育推進の背後には経済的な背景が存在している
(5)国家の発展のためには個々の人間を市民として育てることが必要である

・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)小中一貫教育が推進されている

 2017年3月23日、産経ニュースから次のような記事が出されました。

http://www.sankei.com/region/news/170323/rgn1703230040-n1.html

三重県内初の義務教育学校 小中一貫、津に来月開校

 県内初の小中一貫の義務教育学校「津市立みさとの丘学園」が4月6日、同市美里町三郷で開校する。少子化を受け地域の市立長野、高宮、辰水の3小学校と美里中学校が統合しスタート。小中の9年間を4年、2年、3年で区切り、進学時に不登校などが増える「中1ギャップ」を軽減、ゆとりのある教育を進めるほか、英語教育も重視し、校歌に英語の歌詞を加えた。前葉泰幸市長は「良い見本となるよう教育を充実させたい」としている。

 3小学校の統合を検討してきた同地区では、平成28年4月の学校教育法の一部改正で、小中学校の教育を一貫して行う「義務教育学校」の設置が認められたため、美里中を加えて同学園としてスタートさせることになった。

 学園は、現美里中校舎を約9億円で増築。開校時の児童生徒は約290人で、前期課程(小学校)は約200人、後期課程(中学校)は約90人の見込み。

 学習内容では、小学1年から9年間をかけじっくりと英語教育を実施。校歌の3番をすべて英語の歌詞にするなど、ユニークな試みも取り入れる。県によると、「県内で英語の校歌は初めてでないか」という。

 学園発足に伴い旧小中学校の閉校式が25日に各校で行われる。学園開校式は4月6日に体育館で開かれ、その後始業式。7日に入学式が予定されている。


 来年度から三重県で初めて、小中学校の教育を一貫して行う「義務教育学校」が開校することになり、そこでは小学1年から9年間かけて英語教育を行うなど、ユニークな試みが取り入れられるということです。

 この義務教育学校とは、2016年4月の学校教育法改正によって導入されたものです。これまで学校として定められていたのは幼稚園、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学及び高等専門学校でしたが、ここに小学校と中学校を一体化させた義務教育学校が加えられるようになったのです。

 小中一貫教育は2000年に広島県呉市で最初に導入されました。研究開発学校指定を受け、小中一貫教育の研究が進められるようになったのです。その後、この呉市を参考にしつつ、東京都品川区や京都市などにおいても、教育特区を用いて、小中一貫教育の事例を作っていったのでした。こうした研究開発学校での試みを受けて、中央教育審議会では、2005年の答申「新しい時代の義務教育を創造する」において、「研究開発学校や構造改革特別区域などにおける小中一貫教育などの取組の成果を踏まえつつ、例えば、設置者の判断で9年制の義務教育学校を設置することの可能性やカリキュラム区分の弾力化など、学校種間の連携・接続を改善するための仕組みについて種々の観点に配慮しつつ十分に検討する必要がある」と述べられるようになりました。

 その後、2008年7月1日に閣議決定された「教育振興基本計画」では、「総合的な学力向上策の実施」という項目において、「6−3−3−4制の弾力化に関し,小中一貫教育やいわゆる飛び級を含め,幼児教育と小学校との連携など,各学校段階間の円滑な連携・接続等のための取組について検討する」とされました。
 さらに、2014年、総理の私的諮問機関として設けられた「教育再生実行会議」の第5次提言において、「いじめや不登校が中学校第1学年で急増するなど教育上の様々な課題との関係が指摘されて」いることから、「国は、小学校段階から中学校段階までの教育を一貫して行うことができる小中一貫教育学校(仮称)を制度化し、9年間の中で教育課程の区分を4−3−2や5−4のように弾力的に設定するなど柔軟かつ効果的な教育を行うことができるようにする」ことが提言され、この提言に沿って文部科学省はその実現に向けて中央教育審議会における具体化の検討を行うようになりました。こうして2016年4月、義務教育学校の開設が可能となる改正学校教育法が施行されたのです。

 義務教育学校が最も明確な小中一貫教育のあり方なのですが、小中一貫教育のあり方そのものは大きく2つにわかれます。1つは義務教育学校のように、1つの学校の中に1人の校長がおり、1つの教職員組織が存在するというあり方です。もう1つは、組織上独立した小学校と中学校が義務教育学校に準じる形で一貫した教育を施す形態(小中一貫型小・中学校)です。さらに細かくわけると、小中一貫型小・中学校にも、小学校と中学校で設置者が同じ場合(併設型小学校・中学校)と、設置者が異なる場合(連携型小学校・中学校)が存在します。

 2016年に文科省から出された「小中一貫した教育過程の編成・実施に関する手引き」では、小中一貫教育が進められる背景・理由として

(1)義務教育の目的・目標の創設
(2)教育内容や学習活動の量的・質的充実
(3)発達の早期化等に関わる現象
(4)いわゆる「中1ギャップ」

の4つが挙げられています。(1)については、簡単に言えば、義務教育の目的・目標を達成するために小学校と中学校の連携がこれまでの答申や学習指導要領で重要視されるようになってきたということです。(2)については、「教育内容や学習活動の量的・質的充実に対応して、小学校と中学校の教員が連携して、例えば、小学校高学年での専門的な指導の充実や、児童生徒のつまずきやすい学習内容についての長期的な視点に立ったきめ細やかな指導などの学習指導の工夫に取り組むことの重要性が増してきた」としています。(3)に関しては、体の成長や思春期の到来の時期が、6−3制が導入された昭和20年代前半と比較すると、2年程度早まっていることや、小学校高学年から自己肯定感や自尊感情が下がること、また学習面でのつまずきが顕在化することなどを指摘しています。そして、「おおむね小学校4〜5年生頃に児童生徒にとっての発達上の段差が存在しているのではないか」という見解を紹介し、4−3−2や5−4などの形で区切りを柔軟にすることを主張しています。(4)については、小学校と中学校での違いがあり、その違いによって生徒に精神的・身体的負担を与えており、生徒指導上の問題や学習指導上の課題が生じているという認識のもと、小学校と中学校の「接続をより円滑なものとするために、『意図的な移行期間』を儲ける教育過程を編成」する取り組みが広まっているとしています。

 大きく言えば、子どもの発達が早まっているということと、小学校と中学校とのギャップによって学習上あるいは生徒指導上の問題が起こっているということを踏まえて、小中一貫教育が進められているということです。小中一貫教育によって、ここで挙げられているような問題の解消が期待されています。

 しかし、小中一貫教育には批判の声もあります。例えば、「小6がリーダーの役割を果たせない」「小・中接続部が成長の切れ目として機能しない」といった指摘が一貫校の現場の教師から上がっています。

 果たして小中一貫教育は教育制度として妥当なものなのでしょうか。本稿ではこの点について論じたいと思います。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月22日

重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想(5/5)

(5)弁証法・労働論・技術論は重層構造をなしている

 本稿は,『“夢”講義(2)』から重層的な弁証法をしっかりと学び取ることを第一の目的として,その他,本書で説かれている労働と疎外,それに技術論も取り上げて,理解を深めていくために認めてきた。ここで,これまでの内容を振り返っておきたい。

 まず,「プロローグ――まえがきに代えて――」を引用しながら,本書で説かれている内容を確認した。本書ではアタマとココロの見事な使いかたの基本となる学び=弁証法の学びを中心にすえて説いてあった。また,三浦つとむさんの弁証法は単層レベルなので,学問の問題を解くためには不十分であり,重層構造で成り立っている学問の対象を説くための重層的な弁証法をしっかりと説いているのが本書であるとも説かれていた。

 連載の第2回では,本稿の第一の目的たる弁証法そのものを取り上げた。本書の第1編では,初めに,「弁証法とは,自然・社会・精神の一般的な運動とか発展の法則」であるとして,弁証法でいう自然とは何か,社会とは何か,精神とは何かが説かれていた。弁証法でいう自然とは,地球上の人間社会を除いた全歴史の実体のことであり,小さくは地球全体の発展過程を含んでの,大きくは宇宙そのものの発展を内に秘めての自然としての流れそのものとされていた。筆者は,弁証法でいう自然というとらえ方に驚き,その壮大さに感心したのであった。また,弁証法でいう自然概念には,当然ながら,変化・発展が内に含まれているのであった。弁証法でいう社会とは,サルが人間に進化してからの時代的流れのすべてをうちに含んで発展してきている社会の歴史性そのものであり,弁証法で説く精神とは,人類の歴史を創造するのに寄与してきたモロモロの先達たちの英知の集大成をアウフヘーベンしたものであり,人類の時代として生成発展するモノだとされていた。特に,精神に関わっては,「個々の誰かのモノをいうのではなく,「英知のすべての集大成の昇華」したモノ」と捉えられており,ここは重要だと感じた。南郷先生は全学問を網羅したからこそ,このような弁証法で説く自然・社会・精神の概念化が可能であったのだし,われわれも弁証法を学ぶ際にはせめて中学の全教科の内容を自分の実力とする努力とともにやっていかねばならないことも確認した。もう一つ,弁証法と弁証術の違いが説かれていることも重要だと感じた。弁証法の対象は世界全体(森羅万象)であり,古代ギリシャの学者たちは全学的研究を行っていたと説かれていた。そして,古代ギリシャの学問形成過程にこそ,弁証法の起源があると説かれていたのである。古代ギリシャの学問形成過程で,個々人の限界を突破するために,他人の認識との相互浸透を図ること,すなわち交流かつ議論することがなされ,「この一連の議論の,討論の,論争の過程を一つの流れの過程として,すなわち過程的構造としてとらえかえしたものが「ディアレクティク」,すなわち弁証法といわれるものだった」ということである。ここから,方法としての弁証術も,法則としての弁証法も,ともに世界全体に関わるものであり,前者があってこその後者の誕生ということができるであるから,われわれも個体発生においてこの過程を辿り返す必要があると説いておいた。

 連載の第3回では,本書で夢に関わって説かれている「労働」概念について,特に労働と疎外の関係について検討した。南郷先生は,労働とは,人間が目的的に対象に観念的・実体的にはたらきかけて,対象を目的的に人間化するべく創りかえることであり,かつ,そのことによって目的とした対象が目的的に人間化することによって,人間が目的のレベルで創りかえられることにあると規定されていた。ここで大切なポイントは,労働とは目的をもって対象にはたらきかける行為であるという点と,労働とは「自然の人間化・人間の自然化」のことであるという点であると指摘した。二つ目の点は,働かきかけられた側の変化と,働きかけた側の変化を統一して捉えており,人間と自然の相互浸透をきちんと捉えているからして,非常に弁証法的な捉え方であろう。また,南郷先生は,疎外とは,(学問レベルから説けば)人間が労働を対象化すると,その人間自らが労働を対象化したモノによって,その人間自体が規定されてしまうことと規定されていた。労働することによって労働した側の人間にも変化が生じるのであり,この側面をとらえて「疎外」というのであった。南郷先生は「ここでいう人間とは人類一般からなる人間一般であり,簡単には,社会的存在としての人間そのもののこと」を指しており,「ここでまちがってはならないことは,必ず人間一般であって,個としての人ではない」と指摘されていた。これは,大きな視点で,サルから人間への発展の流れをふまえた上で人間をとらえるべきであるという指摘であろう。さらに,人類一般としての人間が行った労働が,結局は人類一般としての人間を規定することになるのだ,というような含意があるのではないかとも指摘しておいた。たとえば,原爆を開発した人間と,原爆で被害を受けた広島や長崎の人間は別人であるが,大きな観点から見れば,人間が創ったモノによって,人間自体が規定=規制されたということができるのである。こういう捉え方が「人間一般」ということではないかということであった。また,幼児の遊びを労働として捉えておられるのも,両親・保育士と幼児を別々の人間として区別するような観点ではなく,双方を人間一般として捉えているからこそではないかと説いておいた。これは,弁証法でいう「精神とは個々の誰かのモノをいうのではなく,「英知のすべての集大成の昇華」したモノ」であると説かれていたのを髣髴とさせる弁証法的な捉え方であると感じた。最後に,同じ人間一般の目的的な行為を,その目的性・過程性に重点を置いて捉えると「労働」となり,その結果に重点を置いて捉えると「疎外」となるという解説について,対立物を統一した弁証法的な捉え方であるとしておいた。

 連載の第4回では,本書で説かれている技術論を取り上げて考察した。技とは動物が関わるモノではなく,本来は人間のみが関わるモノ,関われるモノであるとしたうえで,技とは人間の認識のなせるワザであり,認識が関わって技となると説かれていた。ここから,認識のない動物は,全てを本能が統括しているのであり,技などなくても問題なく生きていくことが可能であるが,本能が薄れた人間の場合は,認識が技を創出していくのであり,この技こそ,薄れた本能を補うようなものであると位置づけられるのかもしれないと指摘しておいた。その後,「始めチョロチョロ,中パッパ」という歌の文句で有名なご飯の炊き方も技であると指摘され,「物のこと」が技になるのは,それに関わった認識のオカゲであることが強調され,認識が「物のこと」を技化すると説かれていた。また,「技化」については,認識がなにかに関わって対象を自家薬籠中のものと化すものであるとされていた。たとえば包丁の使いかたを技化する場合,食材の押さえ方や包丁のおろし方などをしっかり認識したうえで,手を駆使できるようにならないといけないし,正しい使いかたをくり返すことによって,意識せずともきちんと切れるようになる=技化する,ということだと説いておいた。この後,南郷先生は,「物のこと」ばかりではなく,「認識のこと」も認識が関わって初めて技化されると説かれていた。「認識のこと」とはたとえば,相手の心を読む術(技)とか,心を教育する術(技)とかのことである。看護師や心理士は,経験のないことでも分かる能力をもつことが必要なのであり,それは努力・訓練で培うものであり,そのような,相手の心を読みとる術,相手の心を動かせる術,相手の心を変えてやれる術なども技というのであると説かれていた。たとえば,うつ状態のクライエントの心を読みとる術も一つの技であり,鬱々としたクライエントの認識を治療的な方向へと運動・変化させるのも,心理士としての重要な介入技法なのであると指摘しておいた。このように,相手の心というような「認識のこと」についても,技化ということが可能なのであり,特に看護師や心理士にとっては,「認識のこと」についての技というものが非常に重要になってくるとまとめておいた。

 以上,本稿で取り上げた弁証法,労働・疎外論,技術論について振り返った。これらはすべて,南郷先生が現在までの学問の発展の流れを一身にくり返したうえで,独自に発展させられた分野であると思う。南郷先生は,三浦つとむさんの弁証法は単層弁証法であると批判されていた。これは,主として自然を対象として引き出された弁証法であり,自然から生まれた社会,そして社会の中に誕生した精神をも含む重層構造を把持する世界全体を解明するには不十分だということであった。南郷先生は,自然・社会・精神が重層構造をなし,相互浸透しながら相互に規定しあっている世界の全体を解明され,その重層構造を踏まえた弁証法を創出されたのである。すなわち,自然の弁証法を解明され,社会の弁証法を解明され,精神の弁証法を解明された上で,これらを統一的に捉え返されたのであろう。これが重層弁証法ということになるのだと思う。。

 以上を踏まえて,本稿で取り上げた弁証法,労働・疎外論,技術論の関係を眺めてみると,次のようなことがいえるのではないか。すなわち,弁証法よりも労働・疎外論,労働・疎外論よりも技術論の方が特殊で狭い領域になっており,労働・疎外論は弁証法の基盤の上に創られ,技術論は労働・疎外論の基盤の上に創られているということである。もう少し詳しく説いてみたい。

 弁証法とは,先にも再確認したように,自然・社会・精神の一般的な運動とか発展の法則のことである。その中で,自然の弁証法といえば,端的にいうと「生命の歴史」のことであろう。それは,地球とそこから誕生した生命体の相互浸透的発展の流れを論理化したものといえる。その相互浸透のあり方が,生命体が人間に至ると,特殊性を帯びるようになる,つまり,それまで生命体は環境に対して受動的だったのに,人間の段階に至ると環境に対して能動的に働きかけるようになる。それが労働・疎外ということである。すなわち,生命体と地球の相互浸透の中で,人間と地球との関わりに関して取り上げたものが労働・疎外論ということになるであろう。換言すれば,全世界の一般的な運動・発展の中から,人間が自然や他の人間などに働きかける,その働きかけに領域を絞ってみて,その中で働きかけられた対象がどのように運動・発展するのか,働きかけた人間はどのように運動・発展するのかということを概念化すると,労働・疎外ということになるのではないか。

 さらに,技化というのは,疎外の特殊なあり方ということができるように思う。どういうことか。疎外とは人間自らが労働を対象化したモノによって,その人間自体が規定されてしまうことであったが,その疎外の中で,認識が何かに関わって対象を自家薬籠中のものと化した場合,それを「技化」というのではないだろうか。目的を持った人間の行為が労働であったが,その労働の結果,人間は何らかの規定を受ける。それが疎外である。この疎外を,人間の上達という観点から捉えた場合,それを技化というのではないだろうか。

 要するに,自然・社会・精神の一般的な運動の特殊性として労働とか疎外とか呼ばれるものがあり,その疎外の特殊性として技化と呼ばれるものがあるのではないか。そうして,技というものを考えるに際して,単に技自体から考えるのではなく,もう少し広く,人間の労働・疎外一般から考えるのでもなく,もっと広く,自然・社会・精神の一般的な運動・発展の法則である弁証法レベルから考えていくということが,南郷継正先生の真骨頂なのではないか。このような三層構造=重層構造をしっかりと捉えられる実力こそ,南郷先生の説かれる重層弁証法の実力ということなのではないかと,今回,本稿を執筆する過程で思わされたことであった。

 いずれにせよ,夢を説くに際して,世界全体の一般的な運動の法則を当然に前提にしたうえで,人間の目的的な行為である労働=疎外をも踏まえて説かれていくのである。このように,より大きな視点から,その生成発展をしっかり把握したうえでそのものを説いていくという説き方こそ,弁証法的な説き方であり,本書で典型的に示されている説き方であろうと思う。こういった説き方からも弁証法をしっかりと学んでいきたいと考えている。

(了)
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 弁証法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月21日

重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想(4/5)

(4)「技とは何か」を考える

 前回は,『“夢”講義(2)』で説かれている労働と疎外について,そして両者の関係について,見た。人間は,労働することによって,働きかけた対象を変化させるだけではなく,疎外される,すなわち,働きかけた対象から規定されもする,ということを確認したのであった。

 今回は,本書で説かれている技術論を取り上げて考察したい。

 本書では,最後の第5編で技術論が取り上げられている。第5編の目次を以下に引用する。

「【 第5編 】 看護への夢を実現するために

第1章 看護に重要なこととはなにか

 第1節 すべてを看護の問題として
 第2節 観念的二重化の実力が看護の見事な実力となる

第2章 「看護技術論」の柱を説く

 第1節 そもそも技とはなにか
 第2節 看護技術は実体・認識への技である」


 ここでは,聖隷クリストファー大学で南郷先生の技術論が重要視されてきているという話をきっかけに,技術論への導入がなされている。そして,観念的二重化の実力の重要性が,『“夢”講義(1)』で説かれた内容の要約として,再度説かれていく。その後,「そもそも技とはなにか」ということが本格的に説かれていくのである。

 第5編第2章では,技とは動物が関わるモノではなく,本来は人間のみが関わるモノ,関われるモノであるとしたうえで,次のように説かれている。

「そうしますと,次には以下のような思いが浮かんでくるでしょう。

「人間だけが……というと,これは人間と動物との違い,すなわち人間と動物との分水嶺だということだ。なんだ,わかったぞ! 人間だけのモノといえば,脳のはたらき,すなわち認識のことだろう。そうだ,そうだ,技とは認識のなせるワザだったのか。認識が関わって技となるのだ,認識が関わったモノが技となって現象してくるのだ。簡単には,技は認識が創るモノ! なのだ」と。

 そのとおりです。そうなのです。「技は,技能は,技術は認識がなにかに関わって創出されたなにかなのだ」ということなのです。」(pp.224-225)


 すなわち,技とは人間の認識のなせるワザであり,認識が関わって技となるということである。

 逆にいうと,認識のない動物は,全てを本能が統括しているのであり,技などなくても問題なく生きていくことが可能であるということであろう。しかし,本能が薄れた人間の場合は,認識が技を創出していくのであり,この技こそ,薄れた本能を補うようなものであると位置づけられるのかもしれない。

 その後,「始めチョロチョロ,中パッパ」という歌の文句で有名なご飯の炊き方も技であると指摘され,次のように説かれている。

「たしかに,御飯がおいしく炊けるのも,包丁が見事に切れるようになるのも,「物のこと」です。でも,この「物のこと」を技といえるレベルに仕上げたのは「モノ」ではなく,人間の認識なのです。「物のこと」が立派になるのは,「物のこと」が技になるのは,それに関わった認識のオカゲなのです。認識の関わりなくして「物のこと」は技にはならないのです。

 認識が「物のこと」を技化(この「技化」という言語表現は弁証法の量質転化の法則を応用して,量質転化ではダメで量質転化化でなければならない,そうでなければ,弁証法は技にはならないとして,私が独自に創造した,技の創りかたの概念化であるものです)するのです。」(pp.227-228)


 ここでも,「物のこと」が技になるのは,それに関わった認識のオカゲであることが強調され,認識が「物のこと」を技化すると説かれている。「技化」については,後の部分で「技化は認識がなにかに関わって対象を自家薬籠中のものと化すものである」(p.231)と説かれている。したがって,認識こそが「物のこと」を自家薬籠中のものと化すのだ,ということになるだろう。

 具体例で考えてみたい。ご飯の炊き方や包丁の使いかたは,米やお釜,包丁や食材などといった「物のこと」に関わる。これが技といえるほど立派になるためには,認識の関わりが必要だということである。「始めチョロチョロ,中パッパ」というように,初めは弱火で炊き始めて,しばらくしてから強火で一気に沸騰させるのがよい炊き方であるということをしっかりと認識していないと,そして認識したとおりにタイミングを見計らって火加減を調整できないと,技と呼べるほどに立派なご飯の炊き方はできない。包丁の使いかたも,食材の押さえ方や包丁のおろし方などをしっかり認識したうえで,手を駆使できるようにならないといけないし,正しい使いかたをくり返すことによって,意識せずともきちんと切れるようになる=技化する,ということであろう。

 南郷先生はこの後,技といっても「物のこと」に限らないとして,次のように説かれている。 

「「物のこと」とは認識が関わって初めて「技のこと」になるのですが,これと同じように「認識のこと」も認識が関わって初めて「技のこと」,すなわち「技化」されていくのです。」(p.229)


 すなわち,「物のこと」ばかりではなく,「認識のこと」も認識が関わって初めて技化されるということである。

 では,「認識のこと」が技化するとはどういうことか。南郷先生は,庄司和晃氏がことわざのことを「言(葉)の技」と比喩されていたことを紹介し,言葉の大本である認識をも,技化することが可能だと説かれている。そして,「相手の心を読む術(技)とか,心を教育する術(技)とか」(p.229)の例を挙げておられる。その後,次のように説いておられる。

「すなわち,経験したことのない事柄でも,本能がしっかりとはたらく動物にはわかることが可能なのですが,本能のはたらきがほとんどない人間にはなかなかわかることができないのだ,だからこそ,経験のないことでもわかる能力をもつことが必要なのだ,その能力は先天的なものではけっしてなく,自分の努力で訓練で培うことがどうしても必要なのだ,そしてそれこそがその努力(訓練)で培うものが相手の心を読みとる術であり,相手の心を動かせる術であり,相手の心を変えてやれる術なのだ,そしてこの実力をも「技というのだ」ということです。」(p.230)


 ここでは,経験のないことでも分かる能力をもつことが必要なのであり,それは努力・訓練で培うものであり,そのような,相手の心を読みとる術,相手の心を動かせる術,相手の心を変えてやれる術なども技というのである,ということが説かれている。

 これらはまさに看護師や心理士にとって必要な能力であり,技化すべき実力だといえるだろう。これも具体例で考えてみたい。たとえば,筆者のような心理士のところに,うつ状態のクライエントが来談されたとする。そのクライエントの心を読みとる術も一つの技である。これは観念的二重化の実力ということになるだろう。この実力が,技といえるほど立派になるためには,認識が関わる必要があるのである。また,クライエントの心を動かすのも変えてやるのも,ひとつの技である。鬱々としたクライエントの認識を治療的な方向へと運動・変化させるのは,心理士としての大切な技なのである。これも技になるためには,認識の関わりが必要だということである。

 このように,相手の心というような「認識のこと」についても,技化ということが可能なのであり,特に看護師や心理士にとっては,「認識のこと」についての技というものが非常に重要になってくるといえるだろう。

 以上,今回は,本書で説かれている南郷先生の技術論について考察してきた。

posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 弁証法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月20日

重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想(3/5)

(3)労働と疎外の関係を問う

 前回は,南郷継正『“夢”講義(2)』で初学者向けに説かれている弁証法の内容を確認した。南郷先生は,自身の恩師である三浦つとむさんの弁証法に不足しているところを「重層弁証法」として説かれていたのであるが,そこで重要なのは,弁証法でいう自然・社会・精神の概念化と古代ギリシャの弁証術の意義であるとして,その中身を紹介したのであった。

 今回は,本書で夢に関わって説かれている「労働」概念について,特に労働と疎外の関係について見ていきたい。

 南郷先生は,人間が夢を見ることができるようになっていった過程を説く流れのなかで,看護学科学生から出された「労働」というイメージがつかめないという質問に答える形で,労働についてやさしく説いていかれる。まずは学問レベルで説かれる「労働とは」の部分を引用する。 

「労働とは,人間が目的的に対象に観念的・実体的にはたらきかけて,対象を目的的に人間化するべく創りかえることであり,かつ,そのことによって目的とした対象が目的的に人間化することによって,人間が目的のレベルで創りかえられることにある」(p.80)


 ここで大切なポイントは,第一に,労働とは目的をもって対象に働きかける行為である,という点である。あとの部分でも,人間の行為の中で「なにか目的をもってなんらかの対象にはたらきかけて,なんらかのモノ(このモノは実体のみならず,認識をも含みます)を創りだしていく,いける行為を学問的・理論的には「労働」と称するのです」(p.88)と説かれている。

 第二に大切だと思われるポイントは,「『弁証法はどういう科学か』(前出)では,ここを簡単に「自然の人間化・人間の自然化」として説いてあります」(p.80)とあるように,労働とは「自然の人間化・人間の自然化」のことであるという点である。先に見たように,労働とは目的をもって対象に働きかける行為であるから,働きかけられた対象が変化する,すなわち自然が目的に見合ったものとして人間化する,ということはイメージできる。しかし,労働が「人間の自然化」でもあるといわれると,ピンとこない読者もいるのではないか。先の引用文でも「人間が目的のレベルで創りかえられる」とあるが,このことが,特に弁証法の初学者はよく分からないのではないかと思われる。それでも,労働という目的を持った働きかけによって,働きかけた側も変化するというのである。

 これは,非常に弁証法的な労働の捉え方だと思う。働かきかけられた側の変化と,働きかけた側の変化を統一して捉えているからであるし,自然の人間化と人間の自然化というように,人間と自然の相互浸透をきちんと捉えているからである。

 この労働の人間の自然化の側面をより広く捉えた捉え方が「疎外」ではないか。南郷先生は,疎外について次のように規定しておられる。

「疎外とは,(学問レベルから説けば)人間が労働を対象化すると,その人間自らが労働を対象化したモノによって,その人間自体が規定されてしまうこと」(p.81)


 すなわち,疎外とは,労働にともなって,働きかけた対象によってその人間自体が規定されることである。働きかける対象が自然であれば,これは人間の自然化ということになるであろう。ともかく,労働することによって労働した側の人間にも変化が生じるのであり,この側面をとらえて「疎外」というわけである。

 ここで注意を要するのは,南郷先生が「ここでいう人間とは人類一般からなる人間一般であり,簡単には,社会的存在としての人間そのもののこと」を指しており,「ここでまちがってはならないことは,必ず人間一般であって,個としての人ではない」(p.81)と指摘されている点であろう。ここでいう人間とは人間一般のことであるとは,どういうことか。

 まずいえそうなことは,大きな視点で人間をとらえるべきであり,もう少し具体的にいうと,サルから人間への発展の流れを踏まえるべきである,ということであろう。すなわち,生命の歴史を踏まえたうえで,人間の労働=疎外を問題にしない限り,労働=疎外とは何かということは明らかにならない,ということではないか。実際,本書でも,生命の歴史から夢を見る実力への過程が説かれた後で,「労働とは何か」が問われている。個としての人間という,目の前に存在する一人の人間を問題にするのではなく,もっと広い視野から,人間に至る過程をも射程に入れて,弁証法的に,サルまでの生命の歴史をも内に秘めた存在として,人間を見ていくべきであり,そうしてこそ,労働=疎外の謎も解ける,ということではないか。

 もう一ついえそうなこととしては,ある特定の人間が行った労働によって,その労働を行った人間自体が規定されるというのではなく,もっと大きな観点から,人類一般としての人間が行った労働が,結局は人類一般としての人間を規定することになるのだ,というような含意があるのではないか,ということである。どうしてそのように考えられるのかというと,南郷先生は次のように説かれているからである。

「もう一度くり返しておきますが,疎外とは結果として人間が(あるいは人間性=精神が)規定ないし規制されることであり,端的にいえば,人間が人間として社会的に労働した(させられた)結果,自分たち人間の精神が創出した(させられた)資本なり工場なり原爆なりによって,人間のありかた,育ちかた,はたらきかた,生活のしかた,教育のされかたが規定=規制されてくることをいうのです。」(p.85)


 ここで説かれている原爆の例が分かりやすい。原爆を開発した人間と,原爆で被害を受けた広島や長崎の人間は別人である。しかし,大きな観点から見れば,人間が創ったモノによって,人間自体が規定=規制されたということができるのである。こういう捉え方が「人間一般」ということではないか。

 また,「幼児の遊びも,目的を持った両親とか保育士の教育の一環としてあるのなら,しっかりとした労働となります」(pp.88-89)とも説かれている。これも,両親・保育士と幼児を別々の人間として区別するような観点ではなく,もっと大きな観点から,双方を人間一般として捉えるならば,目的をもってある行為を行うことによって,人間一般が学習して,変化・発展していく,ということもできるように思う。先の引用文に,「人間が人間として社会的に労働した(させられた)結果,自分たち人間の精神が創出した(させられた)」と,「させられた」という言葉がカッコ書きで挿入されているが,これはたとえば,個々の具体的な幼児が労働=遊びをさせられたといっても,それは,人間一般という観点から見れば,自分が教育的な目的をもって労働したのであり,その労働によって人間が人間となっていくための社会的な学習を行った,というようなことを意味しているのではないか。

 このような人間の捉え方は,非常に弁証法的であるといえる。なぜなら,前回見たように,弁証法でいう「精神とは個々の誰かのモノをいうのではなく,「英知のすべての集大成の昇華」したモノ」であると説かれていたように,個々の人間を問題にするのではなく,個々の人間をひっくるめて一括りにして,人間一般として捉えることこそが,弁証法的な人間の捉え方だからである。今問題にしている労働とか疎外とかいうことも,個々の人間を問題にするというよりも,そういった個々の人間をひっくるめて一括りにしたところの,人間一般を問題にしている概念なのである。

 以上見てきたように,人間一般のなす目的を持った行為が労働であり,疎外なのであるが,この両者の関係は,端的に次のようにまとめられている。 

「労働も疎外も,人間一般の同じ行為のことを説明しているからです。ただ,労働はその行為の目的性・過程性に重点を置いて説いてあるのにたいし,疎外は結果に重点を置いた言葉なのです。したがって,双方の言葉を直接的同一性レベルで用いることが可能になる努力をしてください。」(p.86)


 ここも非常に弁証法的である。というのは,人間一般の同じ行為を,目的性・過程性と結果という対立物の統一として捉えているからである。すなわち,人間の目的的な行為を,その目的性・過程性に重点を置いて捉えると「労働」となり,その結果に重点を置いて捉えると「疎外」となる,ということである。さらに,マルクス主義の影響で,「疎外」といえば,悪い側面のみが強調されてきたが,ヘーゲルが説くように,よい側面も当然にあるとして,疎外のよい側面と悪い側面を統一して説いておられるのも,非常に弁証法的であると感じた。

 以上,今回は,本書で説かれている労働と疎外について見てきた。

posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 弁証法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月19日

重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想(2/5)

(2)「弁証法とは何か」を確認する

 本稿は,南郷継正『“夢”講義(2)』を読み込み,学んだ内容を言語化しようとすることによって,学びの質を深める目的で執筆している論考である。『“夢”講義(2)』は「弁証法の学び編」とされているだけに,南郷先生が創造された重層弁証法を学び取ることを,特に第一の目的とするものである。

 今回は,その第一の目的たる弁証法そのものを取り上げたい。

 本書は,前回の最後に引用した目次を見ていただければ明らかなように,第1編が「初学者に説く「弁証法とはなにか」」となっており,弁証法とは何かや弁証法の学び方が初学者向けに説かれている。

 初めに,「弁証法とは,自然・社会・精神の一般的な運動とか発展の法則」(p.29)であるとして,弁証法でいう自然とは何か,社会とは何か,精神とは何かが説かれていく。順に,ポイントとなる部分を引用する。

「ここの弁証法でいう自然とは,まず小さくは地球全体の発展過程を含んでの,大きくは宇宙そのものの発展を内に秘めての自然としての流れそのものです。簡単には,地球上の人間社会を除いた全歴史の実体と思ってください。」(pp.29-30)


 すなわち,弁証法でいう自然とは,地球上の人間社会を除いた全歴史の実体のことであり,小さくは地球全体の発展過程を含んでの,大きくは宇宙そのものの発展を内に秘めての自然としての流れそのものということである。

 ここだけ読んでも,いくつもの像が筆者の頭に浮かんでくる。まず,そもそも「弁証法でいう自然」なる捉え方があったのか! という驚きである。同じ「自然」といっても,どのような観点で取り上げるのかによって,その中身は全く異なってくる,ということであろう。別言すれば,誰かが「自然」という言語表現を用いていても,どのような認識=像を表現したものであるかは,表現者の実力や観点次第で変化する,ということであろう。

 次に,その壮大さである。小さくても地球全体の発展過程を含んでいるのであり,大きくは宇宙そのものの発展を内に秘めての概念であるという。南郷学派を学んできているわれわれからすると,いわれてみれば当たり前なのであるが,弁証法の初学者からすれば,一般に「自然」という言葉からイメージするものとは,そのスケールが格段に違うだろう。

 最後に,「自然としての流れそのもの」とか「全歴史の実体」とかとあるように,この「自然」という概念には変化・発展のプロセスが含まれているということである。「弁証法でいう」自然なのであるから,当然といえば当然なのであるが,この「自然」概念は,単に今ある自然ということではなく,また単にかつてあった自然ということでもなく,歴史性を背負ったものとしての自然なのである。

 では次に,弁証法でいう社会と弁証法でいう精神についても,説かれているところを引用してみよう。

「では社会とはなんでしょう。これは人間の生成発展してきた社会の歴史性そのものです。サルが人間に進化してからの時代的流れのすべてをうちに含んで発展してきている,そしてこれからもまだ発展しようとも,あるいは世界大戦とやらで滅亡しようともしている現在の社会の状態そのものです。」(p.30)


「弁証法で説く精神とは,人間が人類として発展・発達してきた流れのなかで,その人類の歴史を創造するのに寄与してきたモロモロの政治家・経済家(企業家・実業家・財界人等々を含んだうえでのすべて経済に関わった人々)・文化人・軍人・作家・芸術家の英知の集大成をアウフヘーベン(より見事なモノとして措定する)したモノをいいます。

 ですから,ここで精神とは個々の誰かのモノをいうのではなく,「英知のすべての集大成の昇華」したモノなのです。そして,この精神は人類の時代として生成発展するモノなのです。ですから,すべての時代の発展的集大成的アウフヘーベンとして考えられているのです。」(p.31)


 ここでは,弁証法でいう社会とは,サルが人間に進化してからの時代的流れのすべてをうちに含んで発展してきている社会の歴史性そのものであり,弁証法で説く精神とは,人類の歴史を創造するのに寄与してきたモロモロの先達たちの英知の集大成をアウフヘーベンしたものであり,人類の時代として生成発展するモノだとされている。

 ここでも,先に自然概念で記したような驚きや壮大さを感じるし,これらの概念も歴史性を含んだものであることが分かる。特に,精神に関わっては,「個々の誰かのモノをいうのではなく,「英知のすべての集大成の昇華」したモノ」という点は非常に重要な指摘だと感じた。弁証法でいう精神を,このように捉ええた人間が,これまでにいたであろうか。

 以上を踏まえるなら,全世界というのは,まずは自然の生成発展があり,その中で社会が誕生して生成発展し,さらにその中で精神が誕生して生成発展するという大きな流れがあり,これら全てを射程に入れ,そこから一般的な運動・発展の法則を導き出したものが弁証法である,ということがいえるだろう。

 南郷先生が,「私の説く弁証法は,社会科学,精神科学,自然科学のすべてを修得したレベルでなされている」(p.49)と豪語されているのも,上記のような自然・社会・精神の概念化がなされたことでも分かると思う。このようにすべての学問を網羅しないと弁証法は分からないのであるし,だからこそ,「弁証法を学ぶばあいには,……せめて中学の全教科の内容を自分の実力とする努力とともにやってください,直接的同一性のレベルで学んでください」(p.50)という助言がなされているのであろう。

 もう一つ,弁証法に関わって本書で重要だと感じたのは,弁証法と弁証術の違いである。今まで説いた,弁証法で説くところの自然・社会・精神の概念化を果たしたというだけでも,三浦つとむさんの弁証法に不足していたものを大きく補ったということになると思うが,もう一つ,弁証法の生成発展の歴史を踏まえて,弁証法と弁証術を区別された点も,南郷先生ならではであり,三浦さんの弁証法に欠けたるものであったと感じた。

 南郷先生は,弁証法の対象は世界全体(森羅万象)であるとし,古代ギリシャの学者たちは全学的研究を行っていたと説かれている。そして,古代ギリシャの学問形成過程にこそ,弁証法の起源があると説かれているのである。これはどういうことか。

 古代ギリシャの学者は,自分の感覚器官を駆使して,自然や社会の現象形態・出来事をしっかりと観察しながら究明しようと努力していたが,それは個々人の能力の及ぶところではなかった。そこで,他人の認識との相互浸透を図ること,すなわち交流かつ議論によって,個々人の限界を突破していったということである。「この一連の議論の,討論の,論争の過程を一つの流れの過程として,すなわち過程的構造としてとらえかえしたものが「ディアレクティク」,すなわち弁証法といわれるものだった」(p.42)と南郷先生は説かれている。このディアレクティクが,エンゲルスが創った法則としての弁証法に対して,方法としての弁証術だったのである。

 ここで大切なのは,弁証法(弁証術)は古代ギリシャの学者たちの全学的研究の流れの中で,学問形成過程で,誕生したものであるということであろう。要するに,学問形成のためには弁証法(弁証術)が必須だったということである。その弁証法(弁証術)という名の学的社会的認識が,哲学の発展の流れの中で生成発展していき,カントからヘーゲルに至る過程で大きく発展して,ヘーゲルの哲学に含まれていた弁証法を,エンゲルスが法則として取り出したということであろう。

 そうなると,方法としての弁証術も,法則としての弁証法も,ともに世界全体に関わるものであり,前者があってこその後者の誕生ということができるであろう。こういった人類の認識の大きな発展の流れは,個体発生においてもくり返す必要があり,われわれも弁証法をしっかりと身につけたかったら,古代ギリシャの方法としての弁証術をも,しっかり研鑽していくことが大切だ,ということになろう。

 このような方法としての弁証術の意義について,三浦つとむさんは(少なくともあまり明確には)説かれていないと思う。方法としての弁証術をもそのプロセスとして内に含んでいるところの弁証法ということが,重層弁証法といわれるゆえんの一つではないかと感じた次第である。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 弁証法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月18日

重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想(1/5)

目次

(1)「弁証法の学び編」を読む
(2)「弁証法とは何か」を確認する
(3)労働と疎外の関係を問う
(4)「技とは何か」を考える
(5)弁証法・労働論・技術論は重層構造をなしている

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

(1)「弁証法の学び編」を読む

 本稿は,南郷継正『なんごうつぐまさが説く 看護学科・心理学科学生への“夢”講義(2)』(現代社,以下,『“夢”講義(2)』とする)にしっかりと学び,その学びの成果を認める論考である。

 本年は,『“夢”講義』全6巻を研究会として組織的に学び,その成果を言語化しようとすることによって,より学びの質を深めていく年にしたいと,年頭言で宣言しておいた。本稿は,2月に掲載した『“夢”講義(1)』の感想に続く第2弾である。

 では,『“夢”講義(2)』にはどのような内容が説かれているのか。ここに関わって,「プロローグ――まえがきに代えて――」では,次のように説かれている。

「そこをふまえて,すなわち第二巻である本書は第一巻の認識論の学習をふまえて,そのあなたの「アタマとココロ」の見事な使いかたの基本となる学びを中心にすえて,説いてあります。

 では「見事な使いかたの基本となる学び」とはなんでしょうか。読者のみなさんには,およその推測はついているはずです。端的にいえば,それは弁証法の学びです。」(p.16)


 すなわち,本書ではアタマとココロの見事な使いかたの基本となる学び=弁証法の学びを中心にすえて説いてあるということである。

 ここで確認しておくべきことは,そもそも『“夢”講義』は,読者のアタマをよくするためにこそ説かれているということである。第一巻では,アタマとココロのはたらきを立派にするための学問である認識論の基本が説かれ,それを踏まえて第二巻では,アタマとココロの見事な使いかたの基本となる学び=弁証法の学びが説かれていくということである。したがって,本書をなんらかの客体の研究書として,第三者的に読んでいては意味がない。そうではなくて,自らの主体の問題として,自分のアタマをよくするためにはどうすればいいのかという観点を把持しながら,主体的に読み込んでいく必要があるのである。

 「プロローグ――まえがきに代えて――」では続いて,三浦つとむさんの『認識と言語の理論(第一部)』が引用され,これが夢の問題に取り組むヒントになったと説かれている。そのうえで,読者に不足しているのは弁証法の学びであるとして,三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』は本当に基本の書なので,学問レベルの問題,特に“夢”の問題には歯が立たないと断言されている。そのうえで,次のように説かれていくのである。

「私は読者のみなさんにしっかりとした実力をつけてほしいと願っているので,恩師の著作に不足するところを,この『“夢”講義』でも説(解)いてきています。それで第一巻は「認識論入門」ということになっており,本第二巻は,そこを深める実力養成のための学問,すなわち「弁証法の学び編」となっているのです。

 恩師の著作の「弁証法」と「認識論」はいってみれば単層レベルの単純なものでしかありません。学問レベルの問題を解くには,単層弁証法や単層認識論であってはなりません。必ず重層構造のものが要求されます。

 それはなぜかというと,学問の対象である,自然も社会も精神もすべて重層構造で成り立っているからです。(中略)

 本書は“夢”を説きながらも,そこに必須の重層的な弁証法への学びがしっかりと説かれていくことになっています。」(pp.22-23)


 ここでは,三浦つとむさんの弁証法は単層レベルなので,学問の問題を解くためには不十分であり,重層構造で成り立っている学問の対象を説くための重層的な弁証法をしっかりと説いているのが本書である旨,説かれている。

 そこで本稿では,本書から重層的な弁証法をしっかりと学び取ることを第一の目的として,その他,本書で説かれている重要な内容も取り上げて,理解を深めていきたいと思う。連載の第2回では弁証法を直接取り上げ,第3回では労働と疎外を取り上げる。労働と疎外は,人間を理解するうえで欠くことのできない概念であり,かつ,われわれが執筆しようとしている「新・社会とはどういうものか」においても核となる概念になるはずである。そこで,しっかりとこの概念を理解しておきたい。連載の第4回では,技術論を取り上げる予定である。技術論は,南郷継正先生の先駆的な業績であるし,これまた人間を理解するうえでは非常に大切なポイントとなってくるからである。

 では次回以降,上記の計画にしたがって説いていくこととする。今回の最後に,『“夢”講義(2)』の目次を掲載しておく。



なんごうつぐまさが説く
看護学科・心理学科学生への“夢”講義(2)


【 第1編 】 初学者に説く「弁証法とはなにか」

第1章 「弁証法とはなにか」を弁証法的に説く

 第1節 弁証法とはなにか
 第2節 弁証法の対象は世界全体(森羅万象)である
 第3節 弁証法の起源は古代ギリシャの学問形成過程にある
 第4節 弁証法という名は歴史的な意味をもっている
 第5節 弁証法と弁証術の違いを説く

第2章 弁証法の学びかたを説く

 第1節 弁証法に必要な自然・社会・精神の学び
 第2節 弁証法の具体的な学びかた

【 第2編 】 弁証法的に説く「夢とはなにか」

第1章 「いのちの歴史」から説く夢をみる実力への過程

 第1節 頭脳活動の本体は脳全体である
 第2節 再び,看護学生からの手紙について
 第3節 「夢とはなにか」の問いかたを問う
 第4節 魚類から両生類への脳の実体としての実力の発展
 第5節 サル(猿類)における問いかけ的認識の芽ばえ
 第6節 夢は睡眠中に脳が勝手に描いている像である

第2章 夢にかかわって「労働とはなにか」を問う

 第1節 労働の結果は哲学用語「疎外」として説かれている
 第2節 人間は労働することによって必ず「疎外」される存在である
 第3節 労働とは目的をもって対象にはたらきかける行為である

第3章 夢へといたる認識の発展過程を説く

 第1節 夢は脳が勝手に描いている認識=像の一つである
 第2節 認識=像形成の原点は外界と五感器官にある
 第3節 認識=像は脳のなかで創りかえられる
 第4節 人間は教育されて外界を勝手気ままに描く実力をつける

【 第3編 】 看護の事例から「夢とはなにか」を説く

第1章 看護にかかわっての「痛みとはなにか」を説く

 第1節 再び,夢にうなされる事例を説く
 第2節 痛みは神経の重要なはたらきの一つである
 第3節 運動させなければ治らない神経の痛みがある
 第4節 患者の痛みを見事にやわらげた看護の技とは

第2章 神経と夢のかかわりを説く

 第1節 神経のはたらきが夢を描かせる事例
 第2節 看護の視点から,夢にうなされる事例を読み解く

【 第4編 】 学問的に説く「夢とはなにか」序論

第1章 夢を学問的に解明するとは

 第1節 唯物論の立場からしか夢は解明できない
 第2節 赤ちゃんの夜泣きの構造と夢にうなされる構造
 第3節 人間にとって夢は必然性である
 第4節 問いかけ的認識の誕生が夢の大本である
 第5節 人間の神経のはたらきは昼間と夜間とで異なる
 第6節 学問書は体系的に説かなければならない
 第7節 夢に関する学問的でない書物の一例

第2章 夢にかかわる人間の生理構造を説く

 第1節 人間は労働によって特殊な生理構造をもつにいたる
 第2節 過程的構造の解明に弁証法は必須である
 第3節 人間は立つことにより脳のはたらきに変化が生じる
 第4節 人間は労働により質的に違った像を形成するにいたる
 第5節 人間にとっての睡眠とはなにか
 第6節 呼吸とはなにかから解く「睡眠時無呼吸症候群」

【 第5編 】 看護への夢を実現するために

第1章 看護に重要なこととはなにか

 第1節 すべてを看護の問題として
 第2節 観念的二重化の実力が看護の見事な実力となる

第2章 「看護技術論」の柱を説く

 第1節 そもそも技とはなにか
 第2節 看護技術は実体・認識への技である


posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 弁証法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月17日

斉藤喜博から何を学ぶべきか(5/5)

(5)現在求められるべき「主体的」とは、国家が抱える問題について自分の考えを主張できることである

 本校では、学習指導要領の改定案が出され「主体的・対話的で深い学び」ということがキーワードとなる中で、斎藤喜博から何を学ぶべきかを明らかにするべく、日本の教育実践の歴史において有名な斎藤喜博を取り上げてきました。

 ここでこれまでの流れを振り返っておきましょう。

 第一に、島小ではどのような実践を行っていたのかを見てみました。そこで取り上げたのは「想像説明」と「○○ちゃん式まちがい」というもので、そこでは、問題に対してそれぞれの子どもが自分の計算過程を出し、なぜそのような計算過程になったのかを他の子どもが想像して答えるという実践が行われていたのでした。出された計算過程が間違っていた場合も、どうして間違ったのかが検討され、どうすればよかったのかが話し合われていました。これは「主体的・対話的で深い学び」の具体的なあり方であり、そうやって自分の考えを積極的に出すこと、そして友だちの意見を聞くことによって自分が成長するのだということを体験させていたのでした。また、想像説明を行った子どもの側からすれば、観念的二重化の力や論理的な能力を高めることにつながるのだ、ということを説いてきました。そして、斎藤が、子どもは授業によってこそ力がつくのであり、その授業次第で子どもの力を大きく伸ばしていくことができるのだということです。そのような子どもの可能性、教育の可能性を実践をとおして証明してみせたことに大きな意義があると主張しました。

 第二に、島小での授業記録の特徴について取り上げました。斎藤は教授学をつくるためには、無数の事実をつくることをまずは大事にしないといけないとして、その事実である授業記録については、@教師自身の行為と、A(教師の)内面に生起したことがらと、B子どもに生起したことがらの3つを叙述していたのですが、これは教育における事実とは何かを踏まえると評価できることを説きました。そもそも教育の過程は、教師の認識と表現、そして子どもの認識と表現のやりとりであり、その中で起こったことはすべて教育の事実なのであり、したがってその中で教師が何らかの認識を抱いたのであれば、それも扱うべき事実なのだということでした。このような意味で、教師の認識を授業記録の中に組み込んだのは正当ではあるものの、教育の過程についての把握が十分になされていなかったため、曖昧な部分も存在していることを指摘しました。

 第三に、斎藤が島小へと至る過程について見てきました。斎藤は師範学校を卒業した後、最初に赴任した玉村小学校で、どの先生も対等の立場で自信をもって自分の実践に専念していたことに驚き、その雰囲気を作っていた宮川校長から大きな影響を受けていたのでした。その後、宮川校長の代わりに来た校長は形式的なことにこだわる人であったために、様々な形で職員と対立することになったのでした。特に「教育によって子どもを変え時代を変えていくのが教師のつとめだ」「法律は人がつくるものだ。悪い法律なら人間の力で変えていかなければならないのだ」という職員の考え方と、「教師は法律によってきめられたことだけをやっていればよい。それ以外のことはしてはいけない」という校長の考え方が大きく対立したのでした。そして盧溝橋事件も起こり、戦争の雰囲気が感じられるようになってくると、「国家より個人が先にたつ」という斎藤の考え方は校長をはじめ職員からも国賊だとして非難されるようになったのでした。やがて戦争が終わり、教員組合が作られると、斎藤はその活動に文化部長として専念するようになります。自分の明確な考えをもたず、周囲の動向を見て動く組合の教員を様々に目にしつつも、組合は民主主義の時代に民主主義を実現し、民主主義教育をつくりだそうとするものであり、教師の解放に大きく役だったのだと肯定的に評価していたのでした。結局、斎藤は、一人一人が個人として尊重され、一人一人が自分の意志で自由に行動し、発言できることこそ理想的なあり方だと考え、教師としてそのような生き方を貫いたのであり、また子どもにもそのような主体的なあり方を身につけさせていたのだということでした。

 現在の社会状況を眺めたときに、以上の流れから「主体的」ということでもっとも掬い取らねばならないのは、「法律は人がつくるものだ。悪い法律なら人間の力で変えていかなければならないのだ」という部分でしょう。いかに法律と言えども、それをつくるのは人間です。その法律をつくる人間がしっかり国民のことを考えているかどうかはわからないし、仮に考えていたとしても、結果として出来上がった法律が国民のためになるものかどうかはわかりません。そういった点を意識し、問題があればその問題をしっかりと見抜いて、自分の考えを主張していけるということこそ、今求められている主体的なあり方だと言えるでしょう。そのような主体的な人間を育てることによってこそ、民主主義というものは成り立つのです。これこそ斎藤喜博が島小で目指したものだったと言えるでしょう。 

 現在、連日森友学園の問題が取り上げられています。その森友学園が経営する塚本幼稚園で、園児たちが「安倍首相がんばれ。安倍首相がんばれ。安保法制通過よかったです」と声を挙げさせられている姿が報道されていました。これが、斎藤喜博が目指した民主主義教育なのでしょうか。斎藤喜博が育てようとした主体的なあり方なのでしょうか。そもそも教育基本法には政治教育として、「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない」と定められています。これには反しないのでしょうか。国会で答弁を求められた安倍首相は、「責任を持つ大阪府が判断すべきことだ」としています。もし大阪が可とすれば、国はそれを追認するのでしょうか。

 一方で、自民党は昨年の7月「学校教育における政治的中立性についての実態調査」として、「『安保法制は廃止にすべき』(もともとは『子供たちを戦場に送るな』と記載されていました)と主張し中立性を逸脱した教育を行う先生方がいる」として、その具体的な情報が記入できる密告フォームをHPに作成していました。反対を主張することが中立性を損なうというのであれば、当然、賛成を主張することも中立性を損なうでしょう。

 いずれにせよ、国家とは何なのか、法とは何なのか、教育の政治的中立とは何なのかなどといった問題が大きく浮上してきていることは間違いありません。このような問題に対してしっかり自分のアタマで考え抜けるようにすること、そして自分の判断に基づいて主張できるようにすること、これこそが現在求められている主体的なあり方にほかなりません。そのような国民が育ってこそ、本当の意味で民主主義が成立するのです。このようなことを、斎藤喜博の島小での実践は現代の我々に訴えかけているのだと言えるでしょう。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月16日

斉藤喜博から何を学ぶべきか(4/5)

(4)斎藤喜博は戦前戦後をとおして主体的なあり方を求めた

 前回は、斎藤喜博が教授学をつくるためには授業の事実をたくさんつくる必要があると主張していることを踏まえて、その授業の事実をどのような形で記録しているかを見てきました。そこでは教師の言動や子どもの言動のみならず教師の認識を含めており、教育における事実とは何かを踏まえれば、これは評価できるものだということでした。ただし、そこまで明確なとらえ方ができておらず、曖昧になっているということも指摘しました。

 今回はこのような島小の実践が生まれる背景として、斎藤はどのような過程を歩んできたのかを見ていきたいと思います。

 斎藤は師範学校を卒業したあと、いくつかの小中学校を経て、組合の役員として働き、その後、島小の校長として働くようになりますが、最初に赴任した玉村小学校にて、宮川静一郎校長から大きな影響を受けています。赴任したときの学校の印象を次のように書いています。

「この学校で私が、いいなあと思ったことは、一人ひとりの先生たちがみな、自信を持ち喜びをもって、のびのびと自分の実践をつくり出していることだった。そのころはどこの学校でも職員室には月給じゅんに名札がさがっていた。下駄箱なども月給じゅんになっていた。しかしこの学校にはそういうものが少しもなく、どの先生もみな人間としても教師として平等だった。資格とか形式とかでなく、一人ひとりの人間を尊重し、その人間の実践を尊重していたのだった。だから教員免許状がないために代用教員という名称になっていた人たちも何人かいたが、そういう人たちもみなどうどうとした実践者だった。資格とか月給とかが、おたがいの意識のなかに少しもないのだった。どこまでも実践を中心にして生きていたのだった。だから一人ひとりが大きくみえ、どうどうとした風格を持っていたのだった。
 逆にいえばこの人たちは、形式的な資格をとることよりも、自分の力を毎日毎日の実践に打ち込むことを喜びとし生き甲斐としていたわけである。(中略)そういうふんいきをつくっていたのはみな宮川校長であった。」(斎藤喜博「可能性に生きる」『斎藤喜博全集12』p.105)


 つまり、どの先生も対等の立場で自信をもって自分の実践に専念していたということです。そして、そのような雰囲気を作っているのが宮川校長だったということです。この宮川校長は形式的なことは排除し、外部からの視察や苦情などはすべて処理をして、先生は自分の実践に打ち込めるようにしていたということです。これが斎藤の原点となります。

 ところが、この宮川校長が去ったあと、やってきた猪熊校長はこれと正反対で、事なかれ主義で、形式的なことにのみこだわり、外部に向かって気をつかっていたということです。そこで猪熊校長と職員たちはことあるごとに対立するようになります。

 ある年、全校教育反省会という名目で公開で研究会を開くことになったときのことです。職員たちは宮川校長がいなくても玉村の教育を守り、発展させていくという決意で準備に臨んでいました。そして、授業案を作成し、そこに「時代革新の熱意を日々の教育の上に認めている」と書いたのです。すると、校長は、この「時代革新」を共産主義だと捉え、こんなものを他校からの参観者がいる中で配布したことに激怒し、職員と議論になったのでした。

「ここでもまた職員と校長との間で長い議論がはじまった。『教育によって子どもを変え時代を変えていくのが教師のつとめだ』というのが職員側の主張だったが、校長は、『そういう考え方はふとどきだ。教師は法律によってきめられたことだけをやっていればよい。それ以外のことはしてはいけない』と強く主張した。
 校長がそういう主張をしたとき、東山清澄は、すっくと立ち上がって、『法律は人がつくるものだ。悪い法律なら人間の力で変えていかなければならないのだ。自分たちが実践してみてどうしても子どもたちのためにならないと考えたらそれをやらなければならない。法律のとおりにやっているだけがよいことではない』と、強い口調でいった。校長はこの言葉をきくと、身体をふるわせて怒り出し、『そういう教師は教師としての資格がないのだ』といった。そして三月末の委員人事異動で東山清澄を遠くの学校へ転任させてしまった。」(同上書、p.133)


 「教師は法律に定められたことだけをしていればよい」という校長の主張に対して、「その法律をつくるのは人間であり、もし悪い法律なら変えていかなければならないから、法律のとおりにやっているだけがよいことではない」と主張した教師は、左遷させられてしまったということです。

 しかし、国が「国体の本義」というパンフレットを作るようになり、盧溝橋事件も勃発するような緊迫した状況になると、徐々に国家に従うべきだという考え方が職員の中でも強くなっていきます。

 職員の研修発表会で、斎藤が「自己完成の教育」という発表をし、「子どもたちが喜び勇んで自分を成長させ自分たちを一日一日と完成させていこうとして懸命に努力するように導くこと」を主張すると、当時の校長であった大浦校長や職員から批判をされたのでした。

「大浦校長は、『自己完成というのは自分だけを大切にする考え方になるが、斎藤先生は国家と個人とはどちらが先になると考えていますか』という質問を出してきた。私はすぐに『個人があって国家はあるのだと考える。国家があって個人があるのではない。国家は個人のためにあるのであり、また、すぐれた個人があってはじめて国家もよくなるのだ。教育においても個人が先に立つのであり、全体が先にたつのではない。また、すぐれた個人ができて全体もよくなるのだし、その結果として全体からのよい影響を受けて個人もさらによくなるのだ』ということをいった。
 すると大浦校長は『斎藤先生は、国家より個人が先にたつという発言をとり消しませんか。もしとり消さないのなら、そういう教師は教壇から追放すべきだ』といった。だが私は、『とり消しません』といった。すると今までだまってきいていた一人の若い男の教師が、『それなら国賊だ』と、ぽつりといってだまった。この若い男の教師も真面目な教師であり誠実な人だった。それまで一緒に仕事もしていた。だがこの教師も、心からそう思って、反射的に『国賊だ』という言葉が出たのだった。」(同上書、pp.167-168)


 このように、戦争のために個人が犠牲になって当然だという考え方が出てくる中で、斎藤はあくまでも個人の尊重ということを貫いたのでした。しかし、そのことにより、周囲からは国賊という扱いを受けることにもなったのです。

 やがて戦争が終わり、教員組合をつくる動きが出始めると、戦前は国家が個人より先に立つと主張していた校長たちが常任理事になったのでした。それに関して、斎藤は「そういう傾向をおもしろくないと思っていた。今まで戦争に便乗していた校長たちが、すぐに組合の役員になりたがるのもおかしいし、またそういう校長たちばかりを無批判に役員に選んでしまうのもおかしいと思った」(同上書、p.220)と書いています。

 しかし、やがて共産党や労働組合に対する目が厳しくなり、事件のたびに疑いをかけられ検挙されるようになると、こうした校長たちはつぎつぎと組合を脱退していくようになりました。組合は個人で入るものであるにも関わらず、一人では心細く、連名で脱退届を出したりもしたのです。

 その後、斎藤は組合の文化部長となり、県教組で専従として働くようになります。そこでも様々な問題を目の当たりにしましたが、「それはどこまでも個人の人間の問題なのであり、組織の運動方法のあやまりなのであって、決して組織そのものの悪さではない」(同上書、p.332)として、教員組合の成果を次のように述べています。

「基本には民主主義の時代に民主主義を実現し、民主主義教育を創り出そうとして組合に結集していった。(中略)
 いちばん大きな成果は、何といっても教師が解放されたことだった。戦前までは教師には何一つ自由はなかった。ただ兵隊と同じように、そのときどきの政府の命令によって、機械のように動かされ委縮していたのが教師だったが、組合ができてからの教師は、自由にのびのびとなっていき、行動も発言も自分の意志でするようになっていった。戦前の教師のような暗さも重さもなくなり、人間としての教師になっていった。はじめて人間教師が生まれてきたのだし、組合という組織を通じて、個人としての意思や教師としての意思を公にするようにもなっていった。
 そういうことから必然的に、教育の実践も、一人の教師としての責任において、自分の意志で自分の実践をするようになっていった。また、自分たちの実践や教育での主張を、組合という組織をとおして公に訴えようともするようになっていった。」(同上書、pp.330-331)


 つまり、組合に集まった教師は民主主義教育を創り出そうとしたのであり、組合によって教師が解放され、自分の意志で実践したり発言したりできるようになったのだということです。

 このように見てくると、斎藤喜博が何を目指してどのように生きてきたのかがわかります。端的に言えば、主体性の確立ということになるでしょう。一人一人が個人として尊重され、一人一人が自分の意志で自由に行動し、発言できることこそ理想的なあり方だと考えたのです。軍国主義の色合いが強くなり、様々な困難に直面する中においても、自らはそのような主体的な生き方を貫き、戦後は教師が主体的に活動できるように組合の活動にも尽力したのです。

 そして、このような主体的なあり方こそ、斎藤喜博が抱いていた教育理念だったとも言えるでしょう。そして(2)や(3)の授業記録で見たように、たとえ間違っていようとも自分の意見を全体の場に出すこと(そして他者との対話をとおして修正していくこと)、全体の意見に流されずに自分が正しいと判断した意見を出すこと、そのようなことが島小の授業では実現されていたのです。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月15日

斉藤喜博から何を学ぶべきか(3/5)

(3)斎藤喜博は教育の過程における教師の認識も拾い上げた

 前回は、斎藤喜博が校長を務めた島小でどのような授業が行われたのかを見てきました。斎藤はこのような実践を積み重ねるのみならず、そのような積み重ねの中から「授業の理論であり、授業の方法の原則である教授学をつくり出すこと」(斎藤喜博「教育学のすすめ」『斎藤喜博全集6』p.496)が必要であると考えたのでした。先の「定石」というものも、そういう問題意識の中から出てきたものです。後年、教授学研究の会を結成するに至っています。

 このような教授学を創るためには、経験的な事実を無数につくり出さなくてはならないと主張しています。

「そういう仕事(注:教授学をつくる仕事)をするためには、どこまでも事実を大事にし、たった一つの事実をつかまえるために、一年も二年もかかるという、底なしの海に石を投げこんでいくような徒労とも思われる努力をしつづけていかなければならないのである。いま早急に形式的に体系をつくったり、固定的な型をつくったり、簡単に科学化しようとしたりしてはならないのである。」(同上書、p.497)


 そもそも科学とは事実から論理を導き出して体系化したものですから、教授学を創るためには事実を大事にしなければならないという斎藤の主張は正当なものだと言えるでしょう。

 ここで言われている事実とは、とりわけ授業によって子どもが変容した事実ということになります。この事実をとらえるためには、実際に授業を見るか、その授業者が書いた授業記録を読むかのどちらかになります。この授業記録の書き方という点で島小の授業記録には特徴的なものがありますので、今回はこの点について見ていきたいと思います。

 宮城教育大学において斎藤とともに研究した横須賀薫氏は、島小の授業記録の特徴について、次のように解説しています。

「これらに載っている授業記録はすべて担当した教師自身の手によって書かれている。自身の行為(発問、朗読、指示など)と内面に生起したことがらと教室の子どもに生起したことがらを叙述するスタイルをとっている。(中略)それは主観的とか文学的とか言われるもので、教育研究の中で遅れたスタイルと考えられている。しかし、時代的限界をもっていたにせよ、こうした記録の方法は、授業とは子どもの発言と行為を通しての子ども同士の交流であること、そして、それを実現するものは教師の具体的働きかけの適否と実践的決断力とであることを主張するものである。」(横須賀薫『斎藤喜博 人と仕事』p.58)


 つまり、島小の授業記録は@教師自身の行為と、A(教師の)内面に生起したことがらと、B子どもに生起したことがらの3つを叙述しているということです。これは遅れたスタイルだとされていますが、これはその後、テープレコーダーなどの登場により、教師の言動と子どもの言動を録音してそれを再現するのが科学的に正しい記録の仕方だと考えられるようになったことを踏まえてのものです。

 少し具体的に見てみましょう。船戸先生の5年生国語「がん(現在は『大造じいさんとがん』)」の授業記録です。狩人である大造じいさんと、残雪と名付けられたがんの物語です。この授業では、最後、捕まえた残雪を大造じいさんが放す場面を扱っています。

(教材文)
「ある晴れた春の朝でした。
 じいさんは、おりのふたをいっぱいにあけてやりました。残雪は、あの長い首をかたむけて、とつぜんにひろがった世界におどろいていたようでありました。
 バシッ
 こころよいはねの音一つ。一直線に空に飛び上がりました。美しくさいたすものの花が、そのはねにふれて、雪のように清らかに、はらはらと散りました。
 大造じいさんは、花の下に立って、残雪が北へ北へと飛び去って行くのを、ほれぼれとした顔つきで見まもっていました。いつまでも、いつまでも見まもっていました。」


(授業記録)
「『美しくさいたすももの花が、そのはねにふれて、雪のように清らかに、はらはらと散りました』
 この文章をとり出して、この一見美しそうな文章が、実は内容のない、つけたしの部分であることを、発見させたいとも思ったからである。
 私が『美しくさいた・・・』と読み出すと、安夫が、小さい声で、『感じが出ていていいね』とつぶやいた。するとそれにつられて、いく人かの男の子が、
『うん春げでいいな』
『たのしげだ』
『かなしげな感じもするよ』
『けしきがよさげだ』
とつぎつぎに、つぶやきが起こった。そして、いかにも気持ちよさそうに、
『清らかに、はらはらと散りました』
と私の読み終わったあとに重ねて、読みつづける子もいた。
 そんな大ぜいのなかで、
『うそのようだ。わざとつくったようだ。おかしい。文がよすぎる』
という鋭いつぶやきがあがった。俊文である。なにかそれは、みんなのつぶやきが不思議でたまらない、というふうでもあった。
 私は、この考え、この感じとりを、大事にしたいと思った。俊文は、物語をはじめて読んだときは、
『ここのところがいちばんいい、気にいった』
といって喜んでいたことなど、すっかり忘れているようである。いやそれは、忘れたのではなくて、この授業のつみかさねのなかで、そういうふうに考えが変わってきたのかもしれない。しかし、そういっているのは俊文一人なのである。あとのたくさんの子どもたちは、『感じが出ていていい』という意見なのである。この大ぜいの考えを、うまく、ひっくり返していかなければならないのだ。
 俊文の反対に対して、安夫が、
『これは、文章をよくするために、こう書いたんだ』
といった。さっきは、ばくぜんと、『感じが出ていていい』といっていたのに、こんどは、理由をつけてきたわけである。私は、安夫に、思わず、
『文章がよくなっている?』
と、きいた。いってしまってから、今ここでこんなことをいっても、安夫にも、他の子どもたちみんなにもわかるはずがないと思った。またあとで、このことばをもう一度、いってみようと思いなおした。
 私は、前から、ここにきたら『ここでは、今なにが、目にうつっているのか』という質問をして、その場面をはっきり、子どもたちのなかに浮かび出させようと思っていたのだ。
 しかし、そんな質問はしなくてもいいことになってしまった。それは、私にかわって、健ちゃんの疑問が出されたからだ。
『先生、このすももの花は、空のほうに咲いていたんかい』
いかにも、腑におちないという顔つきで、健ちゃんは、ぽそりという。
『うん、そういえばそうだ』
という表情が教室のあちこちで浮かべられる。そのなかから、安夫、明夫が、
『このすももの木は、ううんと、でっかく空にとどくほどなのかね』
『花びらが、残雪の羽にくっついて、空まで上がっていって、それで散ってきたのかね』
と首をかしげながらいった。この子どもたちは、一直線に空に飛び上がった残雪の姿が頭にやきついたことで、その空のずっと下にあるすももの花の描写が、へんだということに気がついたのだ。」(斎藤喜博「島小の授業」『斎藤喜博全集 別巻1』pp.451-454)


 授業としてみた場合には、多くの子どもが問題となっている文を良いと評価している中で、俊文一人が反対意見を提出しています。周囲に流されることなく、自分が正しいと判断した見解を主張できることは非常に主体的なあり方であり、そのような子どもが育っているという点は評価すべきでしょう。

 さて、この記録の中には船戸先生の言動や子どもの言動に加えて、船戸先生の考えも書かれています。全体として物語のような印象があり、こうした点をとらえて、「主観的」「文学的」と批判されたということです。

 しかし、ここで考えてみなければならないことは、教育における事実とは一体何なのかという問題です。そもそも教育とは、教師と子どものコミュニケーションだと言えます。その過程を見てみると、教師に何らかの伝えたい認識があり、それを表現します。子どもはそれを受け取って、何らかの認識を描き、その認識を何らかの形で表現します。その子どもの表現を再び教師が受け取って・・・という流れが存在しています。図式化すると、以下のようになります。

@教師の認識→A教師の表現→B子どもの体験→C子どもの認識
C’子どもの認識→B’子どもの表現→A’教師の体験→@’教師の認識


このように、@からC、C’から@’という過程が繰り返されるのが教育です。

 この過程において、「実際にあること、あったこと」こそ教育の事実にほかなりません。それは決して、第三者から客観的に観察されうるAやBに限らないのです。この授業記録では、俊文が「うそのようだ。わざとつくったようだ。おかしい。文がよすぎる」と発言したことを受けて、船戸先生は「この考え、この感じとりを、大事にしたい」と思っていますが、これは実際にそう思ったことなのだから、事実に違いないのです。

 薄井先生は、看護研究においてプロセスレコードで看護の過程を記録することを重視しておられますが、そのプロセスレコードは「患者の言動」「看護師の認識」「看護師の言動」という3つを書くようになっています。この島小の授業記録も、このプロセスレコードと似た構成になっていると言えるでしょう。

 ただし、島小の授業記録では、そうした観点が明確にはとらえられておらず、記述に曖昧さが感じられます。例えば、安夫に対して『文章がよくなっている?』と聞いた後で、「前から、ここにきたら『ここでは、今なにが、目にうつっているのか』という質問をして、その場面をはっきり、子どもたちのなかに浮かび出させようと思っていたのだ」と書いていますが、これは授業を行っているときの船戸先生の認識ではなく、授業を終えて、授業記録を書いているときの船戸先生の認識です。教育の過程で出てきた事実ではありません。また、「この子どもたちは、一直線に空に飛び上がった残雪の姿が頭にやきついたことで、その空のずっと下にあるすももの花の描写が、へんだということに気がついたのだ。」と書かれていますが、これはあくまでも船戸先生の認識です。それにも関わらず、子どもの認識であるかのように書かれています。

 このような曖昧さがあるとは言え、そもそも科学とは事実から導き出した論理を体系化したものであるという一般論を踏まえるならば、授業の事実を重視したこと、そして、その事実の中に教師の認識を含めたことは、教育学の構築という観点からすれば評価できるものだと言えるでしょう。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月14日

斉藤喜博から何を学ぶべきか(2/5)

(2)斎藤喜博は教育と子どもの可能性を実践をとおして証明してみせた

 本稿は日本の戦後教育実践において有名な斎藤喜博を取り上げて、そこから何を学ぶべきかを明らかにしようとするものです。今回は斎藤が校長を務めた島小ではどのような授業が行われたのかを見ていきましょう。

 島小では様々な実践をする中で、ほかの教師にも使える教育技術を見出していこうとしました。そのような教育技術を「定石」と呼んでいます。その定石として代表的なものが「想像説明」と「○○ちゃん式まちがい」です。クラスの誰かの考えを取り上げて、なぜそのような考えをしたのかを想像して説明するのが「想像説明」であり、その考えがとりわけ間違いであった場合は、「○○ちゃん式まちがい」としてクラスの財産にするというものです。この定石を創った船戸咲子先生の実践を見てみましょう。4年生の算数の問題です。

1本3円50銭のエンピツを、正さんたちの組のお友だちが一本ずつ買ったら、代金はいくらになるでしょう。正さんたちの組の人数は、40人です。


 立式をして答えを出します。模範解答的に書くと「3.5×40=140」であり、答えは「140円」です。船戸先生は、5人の子どもに自分の考え方(計算の仕方)を小黒板で発表させました。その5つはどれも異なったものでした。そして、「○○ちゃんはどういうふうに考えて、こういう計算をしたのか」ということを他の子どもに考えさせました。

 発表した一人の二郎は、次のような考えでした。これを他の子が想像説明します。

40÷2=20
3×40=120
120+20=140


「好也が『ハイ』と手をあげて説明をしました。
『はじめの40は人数です。40を2で割ったのは、50銭は1円の半分だから、みんなが1円ずつ払うと40円で、その半分だから2で割って、40÷2=20、20円です。
 その次は、3円50銭を3円と50銭にわけて、50銭のほうは上で計算しちゃったから、あと残りの3円が40人分で、3×40=120、120円です。それを合わせると、120+20=140、140円です。だから、答えは140円です。』(中略)
「そうだ。ぼくも好也ちゃんと同じに考えた。」(中略)
『二郎ちゃん、今の好也ちゃんの説明でいい?』
と船戸さんは二郎にききました。二郎はさっきよりもっと嬉しそうな笑顔になって『うん』とこっくりしました。(中略)
『あっ、想像説明があたった!』
と、船戸さんが嬉しそうにいいました。すると子どもたちも、
『当たった、当たった!』
と、はしゃいでいいました。」(「未来につながる学力」『斎藤喜博全集 別巻1』国土社、1969年、p.246-248)


 このように二郎がなぜそのような計算をしたのかを考えるのが想像説明です。また、別の一人、久子は次のように書いており、間違えていました。

50×40=2000
3×40=120
120+2000=2120


「『久子ちゃんのは少しおかしいよ』
『うんそうだ、おかしい』
という声が教室中から起こりました。
『すこしおかしかったら、みんなでなおして、久子ちゃんのやり方を生かしてやってください』
 船戸さんはこういいました。久子は計算をまちがったのです。でも、そのまちがいをみんなの共通の問題として考え合うことによって、そのまちがった計算が生きるだけではなしに、久子自身もこの学習のなかで生きることになるのです。
『50×40=2000というのは銭だと思います。それから3×40=120というのは単位は円です。それなのに、それをごっちゃまぜにして120+2000=2120としちゃったから、久子ちゃんはまちがったのだと思います』
『先生、まちがいにくっつけて想像してやってもいいですか』
『まちがいにくっつけるって?』
『まちがいをちゃんとなおして、つぎたして想像説明するんです』
『ああ、そういうのね。いいですよ』
『50×40というのは50銭を円の単位で表すと0.5円だから、これは0.5×40=20で20円です。それから3×40=120で、120円です。合わせると120+20=140で140円です』
『そうです』
『それなら剛之ちゃん(注:発表した一人)のとおなじだ。3.5を3と0.5にわけてやったんだね。』
『そうです』
『ああ、そうだ。私は銭と円を区別しなかったんだ!』」(同上書、pp.253-254)


 ここでは直接に「○○ちゃん式まちがい」という名前はつけられていませんが、例えば、このように単位を無視してしまうことを「久子ちゃん式まちがい」などと名付けてクラスで共有するのです。

 これを読むと、「果たして子どもは嫌じゃないのか?」という疑問が浮かぶのではないでしょうか。自分の間違いを全体の場に出されて、それを周囲から批判されるのですから、普通は心地よいものではないでしょう。

 もちろんそのような側面はあります。しかし、最初に教師は「すこしおかしかったら、みんなでなおして、久子ちゃんのやり方を生かしてやってください」と話していますし、間違えた子どもは実際「ああ、そうだ。私は銭と円を区別しなかったんだ!」と発言しています。このようにして、自分の考えを積極的に出すこと、そして友だちの意見を聞くこと、それが自分の成長につながるのだということを体験させているのです。

 また、想像説明を行った子どもの側からすれば、これは他の子どもの立場に立って考えるわけですから、観念的二重化の力を高めているとも言えます。そもそもこのように計算過程を説明すること自体が論理的な能力を鍛えるものだとも言えるでしょう。

 そもそも主体的・対話的で深い学びとは「学ぶことに興味や関心を持ち、習得した概念や考え方を活用し、見出した問いに対して自分の考えを形成したり、また他人の考え方を手掛かりにして、自分の考えを広げ深めたりすること」でした。ここでは、なぜ間違った計算をしたのかという問いに対して、想像説明という形で自分の考えを形成したり、またその想像説明を聞いて、自分がどうして間違ったのかについて理解を深めたりする姿が見られます。また、そのプロセスを意欲的に進めていることもわかります。これは学習指導要領の改定案で掲げられている「主体的・対話的で深い学び」だと言えるでしょう。

 このような島小での実践に対して、「基礎学力が落ちている」という批判もあったようですが、斎藤はそうではないことを事実として示すために、県立教育研究所に頼んで算数と国語の標準学力テストを実施しています。その結果によれば、「算数がとくにすぐれており、六大都市の成績をはるかに上まわるものだった。国語もまた中都市平均並み」(同上書p.23)ということだったようです。さらにその特徴を見ると、「学力の平均点が全校も、各学級もすぐれているばかりでなく、各学級の得点分布の山が、普通の標準よりも上の方に移っている」(同上)ということでした。

 斎藤は次のように述べています。

「校長が悪いからとか、仲間が悪いからとか、設備がないとか、学級定員が多すぎるからとか、子どもが悪いとか、そういうことばを教師はいま、禁句にする必要がある。」(p.5)


「ほんとうに子どもが悪いのではない。子どもが悪くなるのは、教師とか教師の指導法とかに、どこか問題があるのだ。」(p.9)


「子どもがよくなるということは、教師の人間全体の力とか、魅力とか、学力とかいうものによってである。また、それらがもとになっての指導方法によってである。そしてとくに大きな力を持つのは、子どもたちが学校生活のなかで、ほとんど大部分の時間を使っており、またその時間こそ、教育の最も本質的な仕事の場面である教科の授業によってである。だから、授業の確かな教師は、みなそれによって子どもをよくしていっている。」(p.12)


 つまり、教育がうまくできない(=子どもが伸びない)のは、子どもが悪いのではなくて教師自身の授業が悪いのであり、現に授業の確かな教師は授業によって子どもをよくしていっているということです。これは結局、子どもは授業次第でその力を大きく伸ばしていくことができるのだということになるでしょう。このような斉藤の主張の背後には、「子どもは可能性をもった存在であり、教育(授業)によってその可能性を大きく伸ばすことができるのだ」という人間観・教育観があることがうかがえます。だからこそ、子どもが伸びなければ、それは教師の実力不足であり、教師の責任なのだというのです。

 このように教育(授業)や子どもがもつ力に対しての大いなる信頼を抱き、その力を実践をとおして証明してみせたことが斎藤喜博の大きな意義だと言えるでしょう。
posted by kyoto.dialectic at 05:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月13日

斉藤喜博から何を学ぶべきか(1/5)

○目次
(1)「主体的・共同的で深い学び」が求められている
(2)斎藤喜博は教育と子どもの可能性を実践をとおして証明してみせた
(3)斎藤喜博は教育の過程における教師の認識も拾い上げた
(4)斎藤喜博は戦前戦後をとおして主体的なあり方を求めた
(5)現在求められるべき「主体的」とは、国家が抱える問題について自分の考えを主張できることである
・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)「主体的・共同的で深い学び」が求められている

 2017年2月14日、文科省が次期学習指導要領等の改定案を公開しました。小学校学習指導要領の総則では、「学校の教育活動を進めるに当たっては,各学校において,第3の1に示す主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善を通して,創意工夫を生かした特色ある教育活動を展開する中で,次の(1)から(3)までに掲げる内容の実現を図り,児童に生きる力を育むことを目指すものとする」と書かれており、「主体的・対話的で深い学び」ということが大きなキーワードになっていることがわかります。これまで「アクティブ・ラーニング」という言葉がよく使われていましたが、それが「主体的・対話的で深い学び」という言葉として表現されたということになります。

 では、「主体的・対話的で深い学び」とは一体何なのでしょうか。2016年5月 9日の教育課程部会高等学校部会の資料では次のように書かれています。

【深い学び】
学ぶことに興味や関心を持ち、自己のキャリア形成の方向性と関連付けながら、見通しを持って粘り強く取り組み、自己の学習活動を振り返って次につなげる「主体的な学び」が実現できているか。

【対話的な学び】
子供同士の協働、教職員や地域の人との対話、先哲の考え方を手掛かりに考えること等を通じ、自己の考えを広げ深める「対話的な学び」が実現できているか。

【主体的な学び】
各教科等で習得した概念や考え方を活用した「見方・考え方」を働かせ、問いを見いだして解決したり、自己の考えを形成し表したり、思いを基に構想、創造したりすることに向かう「深い学び」が実現できているか。


 3つの関連が非常にややこしく、そもそも日本語としておかしい部分もあるのですが、ここで書かれていることを簡単にまとめるならば、「学ぶことに興味や関心を持ち、習得した概念や考え方を活用し、見出した問いに対して自分の考えを形成したり、また他人の考え方を手掛かりにして、自分の考えを広げ深めたりすること」ということになるでしょう。そして、このようなあり方こそ、「主体的」ということになるでしょう。

 「幼稚園教育要領、小・中学校学習指導要領等の改訂のポイント」では、このような学びを実現するために「我が国のこれまでの教育実践の蓄積に基づく授業改善の活性化により、子供たちの知識の理解の質の向上を図り、これからの時代に求められる資質・能力を育んでいくことが重要」だとしています。

 「我が国のこれまでの教育実践」を振り返ると、有名な人物が数多く存在しています。例えば、芦田恵之助、大村はま、東井義雄、遠山啓、庄司和晃、向山洋一、岸本浩史、有田和正などです。こうした中で本稿で取り上げるのは斎藤喜博(1911-1981)です。斎藤喜博と言えば、戦後、群馬県佐波郡島村の島小学校(島小)の校長として数々の教育実践を創り上げたことで有名です。全国から参観者が殺到し、多くの教師に多大なる影響を与えました。島小を参観した大江健三郎氏は、「未来につながる教室」として次のように書いています。

「島小学校で最初にぼくがみたクラスは小学一年生で、その日お誕生日の二人の子供が他の子供たちにお祝いをうけていた。(中略)その一年生たちの顔にみなぎるものの、なんと感動的だったことだろう。眼がキラキラしている、頬に集中力があふれている、というようなこともある。しかしもっと内的に、その農民ジュニアたちの顔は感動的なのだ。おそらくそれは、解放された顔、自分自身を解放してくれる場所と人とを見つけて、そこに生きている自分に信頼をもった顔ということができるだろう。
 ぼくは村の国民学校で解放されていなかった、と思う。また教室は教師を鵜匠とし、子供たちを鵜とした鵜飼のようなもので、子供ひとりひとりと教師とのあいだに束縛とにたつながりはあっても子供同士の横の自由なつながりはなかった。その二つが両立するなど思ってもみることはできなかったものだ。横のつながりを子供仲間でつけること、それはひそひそ内緒話をすることにすぎなかった。それはむしろ教室の敵だった。
 教室のなかでの解放感、子供どうしの横のつながりが、先生との縦のつながりをさまたげるどころか、かえってそれをおしすすめるという感覚、それだけでも、もし島小学校が日本の戦後の初等教育一般につうずるものなら、ぼくは戦争中の国民学校教育に怯えて暗い教室生活をおくったものとして、戦後の新教育の小学生たちを祝福したいのである。」(斎藤喜博「可能性に生きる」『斎藤喜博全集14巻』1971年、国土社、p.342所収)


 ここでは、自分に自信をもった子どもたちが、お互いのつながりと教師とのつながりを推し進めながら学習している様子が描かれています。斎藤は一教師として教えていたときに、子どもに「読み方学習指針」と題した文章を渡しているのですが、そこにも次のように書かれています。

「以上のような学習でいつでも大切なことは自分の頭をたのみ、自分の力に自信を持って、自分の力で、どこまでもしらべていこうとする気持です。そうすればあなた方の学習はあなた方の力でいつでも先へ進めていけるはずです。」(同上書、p.140)


 あくまでも自分の力でわからないところを解決していこうとすることが大事であり、自分の力を信じて取り組んでいけば、先へ進めるようになるのだということです。その中でいくら考えてもわからない事項があったときに、友だちと力を合わせて学習をしたり、先生に教えを受けたりするのだとも書いています。

 このような考え方は、学習指導要領等の改定案において「主体的・対話的で深い学び」として表現されている内容を含んでいると言えるでしょう。また、大江健三郎氏の感想からうかがえるように、そのような学びが実際に行われていたのです。

 そこで本稿では、島小ではどのような授業が行われたのか、どのようにして授業研究を行ったのか、また島小の実践に至るまでに斎藤はどのような道を歩んできたのか、という3つの問いを扱うことをとおして、斎藤喜博の歴史的な意義を明らかにしつつ、そこから何を学ぶべきかを考えてみたいと思います。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月12日

2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言(10/10)

(10)参加者の感想の紹介

 前回まで3回にわたって、本例会で議論した内容を紹介してきました。

 本例会報告の最後に、参加した会員の感想を掲載したいと思います。感想は以下です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 今回の例会では、カント『純粋理性批判』の「緒言」を扱った。ここでは、ア・プリオリな認識と経験的認識、分析的判断と綜合的判断が対比的に取り上げられており、本書のテーマとして、「ア・プリオリな綜合判断はどうして可能であるか」という問いが提起されている。

 全体として、これまでよりも時間をかけて読み込んだためもあると思うが、とても分かりやすい展開であったと思う。カントがア・プリオリな認識とは、一切の経験に絶対に関わりなく成立する認識であると考えていたこと、経験判断であれば必ず綜合的判断になるが、綜合的判断でかつア・プリオリな判断が問題になると考えていたこと、ヒュームは「ア・プリオリな綜合判断はどうして可能であるか」という問いに最も近づいた哲学者であるが、彼は因果律の問題だけを取り上げていたこと、またア・プリオリな綜合判断は不可能だとしてしまったことの2点が欠点であると述べていることなどがよく分かった。

 次回は「先験的感性論」で時間・空間の問題を扱うことになるが、今回以上に周到に準備をして、不明な点をできるだけ少なくしておくとともに、不明な点は何が不明であるのかをはっきりさせておくことで、例会での取り組みを実のあるもの賭すべく取り組んでいきたい。報告レジュメの担当でもあるので、この執筆もしっかりとしたものを目指したい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 今回の例会の範囲は「緒言」であり、ここでは「分析的」「総合的」「ア・プリオリ」など非常に重要で基礎的な概念が取り扱われているが、比較的易しく読み進めていくことができた。以前から「ア・プリオリな総合判断はいかにして可能か」ということがこの『純粋理性批判』を貫くテーマだということは聞いていたが、この問いがどういう意味なのかが全くわからなかった。しかし、今回の議論をとおして理解を深めることができたと感じている。とりわけ、それぞれの概念の関係を図として表すとどうなるかを検討できた点がよかったと思う。

 今回の例会ではレジュメ担当ということで、「分析的」と「総合的」、「ア・プリオリ」と「ア・ポステリオリ」という語の歴史的な経緯についても『カント事典』を使って調べたが、こうした言葉も徐々に徐々にその意味が明確化されてきて、カントにおいて一応はっきりとした区別をつけられるようになったのだということを感じた。学問を構築する上で、概念規定ということが極めて重要なのだということを感じた。

 次回は時間と空間について扱っている部分が対象となるが、しっかり読み込んで例会に臨みたいと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 今回扱った緒言では、『純粋理性批判』の課題が「ア・プリオリな綜合的判断はどうして可能であるか」という問いに答えることであると、明確に規定されている。しかもこの問いは、これまでの形而上学の歴史全体をアウフヘーベンしたものであり、この問いにしっかりと答えることによって、形而上学が確実な学として構築される土台がつくられるのだとカントは考えていたということも非常に印象的だった。カントを理解するためにも、これまでの哲学の歴史をしっかり復習しながら、『純粋理性批判』を読み進めていかなければならないとも思った。

 また、他の会員が指摘していたことであるが、特に今回の範囲に関しては、カントの主張自体を理解することは、それほど困難とは感じなかった。しかし、重要なのはカントの主張を理解することだけではなく、カントが扱った問題をヘーゲルならばどのように解くか、そして、われわれ唯物論者はどのように解くべきか、ということをしっかりと考え続け、答えを出していくことであろう。単にカントがどのように考えたかということを云々するだけでは、大学にいるカント研究者と変わらないということになってしまう。カントが取り組んだ問題に、自らもしっかり取り組んでいくのだという決意をもって、主体的に読み込んでいく必要があるのだということを、しっかりと再確認できたと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 3月例会論点への見解については、緒言の要約を仕上げてから、と思っていたのだが、時間的な余裕がなく、要約作業が中途半端なまま、見解の作成にかかってしまった。そのこともあって、見解作成の過程では、あまり深く突っ込んだ考察はできなかったな、というのが率直なところである。

 緒言の文章そのものは、『純粋理性批判』の問題意識や全体像が漠然とでも押さえられているならば、それほど難解なものではないと感じた。例会での議論を通じて、カントが使っている基本的な概念などについて、研究会としての共通認識を作ることができたのはよかったと思う。

 しかしながら、ヘーゲルならばこうしたカントの捉え方をどのように批判するのだろうか、とか、唯物論者たる我々はカントの捉え方をどのように批判する(間違いを正して正当な論として仕上げる)べきなのか、というところまでは、十分に討論を深め切れなかったきらいがある。

 そもそもそういう角度できちんと論点提起できなかったのも反省すべきであるが、今後の例会のなかでは、きちんとそういう角度からも議論を深めていけるようにしたい。


(了)

posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 例会報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月11日

2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言(9/10)

(9)論点3:純粋理性批判とはどういうものか?

 前回は、分析的判断と綜合的判断に関わる論点を扱い、そこでの討論プロセスを紹介しました。

 今回は、純粋理性批判の本来の課題とされる「ア・プリオリな綜合的判断はどうして可能であるか」という問いに関わる論点を取り上げ、どのような議論・討論がなされたのかを紹介します。論点は以下のようなものでした。

【論点再掲】

3.純粋理性批判とはどういうものか?

 カントは純粋理性批判の本来の課題は「ア・プリオリな綜合的判断はどうして可能であるか」という形の問いに含まれている、と述べているが、このような問いの提起の意義を、哲学史上にどのように位置づけているのか。このような問いの提起に関わって、カントは、デイヴィッド・ヒュームの議論の意義と限界をどのように見ているのか。また、人間の認識の2つの根幹であるとされている感性と悟性とはどのようなものだとされているか。



 この論点に関しては、まず、カントは「ア・プリオリな綜合的判断はどうして可能であるか」という問いの提起の意義を、哲学史上にどのように位置づけているのかに絞って議論しました。

 ある会員は、多くの研究を1つの課題にまとめることができ、自分のなすべき当面の仕事を自分で正確に規定できるし、この仕事を検討しようとする人にとっても企図が成功したがどうかという判断が容易になることがその意義だと主張しました。別の会員は、形而上学に関わる主張の真偽を判定し、形而上学を構築していくための基準をつくるという意義があるのだと述べました。チューターは、その問いを解決することが対象のア・プリオリな理論的認識を含むような全ての学の基礎を確立することになるだという点に触れました。もう一人の会員は、この問いは形而上学史上の諸々の問題をひとつに収斂させたものであるという点が大切であり、いわば形而上学の本質論に相当するものなのだと説きました。チューターはおおよそ言わんとしていることは似通っているとして、次のようにまとめました。すなわち、まず大切なのが、「ア・プリオリな綜合的判断はどうして可能であるか」という問いは、形而上学史上の諸々の問題をひとつに収斂させたものであるという点にあるということ、またそれゆえに、この問いの解決は、形而上学を含む、対象のア・プリオリな理論的認識を含むような全ての学の基礎となるのであり、形而上学の本質論に相当するものということでした。これに対して皆は同意しました。

 次にこの問いに関わって、カントはヒュームの意義をどのように見ていたのかについて検討しました。これについては皆ほぼ同様の意見でした。すなわち、ヒュームは、この課題の解決に最も近づいた哲学者であり、因果律の問題を取り上げることによって、綜合的命判断を議論の俎上に載せた点が高く評価されている、ということでした。なお、ここで一会員から、ヒュームは自我を認めていないので、「綜合的判断」というのではなく、「綜合的命題」というのが正しいのではないかという指摘がありました。確かに、カントもヒュームの見解を述べているところでは「判断」と言わずに「命題」と書いていることを確認して、おそらくそうだろうということになりました。

 ヒュームの限界については、次のような見解が出されました。すなわち、「ア・プリオリな綜合的判断はどうして可能であるか」という課題を全般的に十分明確に考えたわけではなく、また結論としても誤っていた(因果律はただ習慣による主観的な観念に過ぎないと考えていた)ため、一切の純粋哲学を破壊してしまった点が限界である、ヒューム自身がそのような問いを意識していたわけではない点がヒュームの限界である、ヒュームが「ア・プリオリな綜合的判断はどうして可能であるか」という問いが普遍的なものであることを理解せずに、総合判断を因果律だけにとどめて検討した点と、それがア・プリオリには全く不可能であるとしてしまった点の2点がヒュームの限界である、など。これらはほぼ同様の見解であり、綜合的判断の問題に挑んだものの、その位置づけが明確であったわけでもないし、取り上げた範囲も狭く、最終的な結論も間違っていた、ということでしょう。

 最後に、人間の認識の2つの根幹であるとされている感性と悟性について議論しました。共通ではあるが、しかし我々には知られない唯一の根から生じた認識の二つの根幹であり、感性によって我々に対象が与えられ、また悟性によってこの対象が考えられるということで、基本的な見解の一致を見ました。これに加えて、ある会員は、認識の受動性と能動性が感性と悟性という形で取り上げられていると指摘しました。また、別の2人の会員は、感性はロック以来のイギリス経験論の流れを含むものであり、悟性はデカルト以来の大陸合理論の流れを含むものであり、カントはこの2つの流れを合流させようとしたのだという点にも触れました。これらの見解は、他の会員の同意を得ました。

 さらに一会員は、感性と悟性が「共通ではあるがしかし我々には知られない唯一の根から生じた」(p.82)と指摘されている点を踏まえて、これはカントの二元論的発想を超える可能性を含むものであるといえるだろうと指摘しました。皆はそれに納得しました。その上で、とはいえ、カントはこの「唯一の根」について「我々には知られない」と簡単に片づけてしまうことで、この問題の本格的な究明を放棄してしまった、ということになるのかもしれないという見解も出されました。確かに、カントはこの問題に積極的に取り組まなかったのだろうということで、一応の結論としました。

 以上で、論点3についての議論は終了しました。

posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 例会報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

<講義一覧>

 ・2010年5月例会の報告
 ・2010年6月例会の報告
 ・日本酒を楽しめる店の条件
 ・交響曲の歴史を社会的認識から問う
 ・初心者に説く日本酒を見る視点
 ・『寄席芸人伝』に見る教育論
 ・初学者に説く経済学の歴史の物語
 ・奥村宏『経済学は死んだのか』から考える経済学再生への道
 ・『秘密諜報員ベートーヴェン』から何を学ぶか
 ・時代を拓いた教師を評価する(1)――有田和正氏のユーモア教育の分析
 ・2010年7月例会報告
 ・弁証法から説く消費税増税不可避論の誤り
 ・佐村河内守『交響曲第一番』
 ・観念的二重化への道
 ・このブログの目的とは――毎日更新50日目を迎えて
 ・山登りの効用
 ・21世紀に誕生した真に交響曲の名に値する大交響曲――佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」全曲初演
 ・2010年8月例会報告
 ・各種の日本酒を体系的に説く
 ・「菅・小沢対決」の歴史的な意義を問う
 ・『もしドラ』をいかに読むべきか
 ・現代日本における「国家戦略」の不在を問う
 ・『寄席芸人伝』に学ぶ教師の実力養成の視点
 ・弁証法の学び方の具体を説く
 ・日本歴史の流れにおける荘園の存在意義を問う
 ・わかるとはどういうことか
 ・奥村宏『徹底検証 日本の財界』を手がかりに問う「財界とは何か」
 ・「小沢失脚」謀略を問う
 ・2010年11月例会報告
 ・男前はなぜ得か
 ・平安貴族の政権担当者としての実力を問う
 ・教育学構築につながる教育実践とは
 ・2010年12月例会報告
 ・「法人税5%減税」方針決定の過程的構造を解く
 ・ベートーヴェン「第九」の歴史的位置を問う
 ・年頭言:主体性確立のために「弁証法・認識論」の学びを
 ・法人税減税の必要性を問う
 ・2011年1月例会報告
 ・武士はどのように成立したか
 ・われわれはどのように論文を書いているか
 ・三浦つとむ生誕100年に寄せて
 ・2011年2月例会報告:南郷継正『武道哲学講義U』読書会
 ・TPPは日本に何をもたらすのか
 ・東日本大震災から国家における経済のあり方を問う
 ・『弁証法はどういう科学か』誤植の訂正について
 ・2011年3月例会報告:南郷継正『武道哲学講義V』読書会
 ・新人教師に説く「子ども同士のトラブルにどう対応するか」
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』誤植一覧
 ・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・新大学生に説く「文献・何をいかに読むべきか」
 ・2011年4月例会報告:南郷継正『武道哲学講義W』読書会
 ・三浦つとむ弁証法の歴史的意義を問う
 ・新人教師に説く学級経営の意義と方法
 ・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・横須賀壽子さんにお会いして
 ・続・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・学びにおける目的意識の重要性
 ・ブログ毎日更新1周年を迎えてその意義を問う
 ・2011年5・6月例会報告:南郷継正「武道哲学講義〔X〕」読書会
 ・心理療法における外在化の意義を問う
 ・佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」CD発売
 ・新人教師としての一年間を実践記録で振り返る
 ・2011年7月例会報告:近藤成美「マルクス『国家論』の原点を問う」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む
 ・2011年8月例会報告:加納哲邦「学的国家論への序章」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論1三浦つとむの哲学不要論をめぐって
 ・一会員による『学城』第8号の感想
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論2 マルクス『経済学批判』「序言」をめぐって
 ・2011年9月例会報告:加藤幸信論文・村田洋一論文読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論3 マルクス「唯物論的歴史観」なるものの評価について
 ・三浦つとむさん宅を訪問して
 ・TPP―-オバマ大統領の歓心を買うために交渉参加するのか
 ・続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2011年10月例会報告:滋賀地酒の祭典参加
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論4不破哲三氏のエンゲルス批判について
 ・2011年11月例会報告:悠季真理「古代ギリシャの学問とは何か」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論5ケインズ経済学の歴史的意義について
 ・一会員による『綜合看護』2011年4号の感想
 ・『美味しんぼ』から何を学ぶべきか
 ・2011年12月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学、その学び方への招待」読書会
 ・年頭言:「大和魂」創出を志して、2012年に何をなすべきか
 ・消費税はどういう税金か
 ・心理療法におけるリフレーミングとは何か
 ・2012年1月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学,その学び方への招待」読書会
 ・バッハ「マタイ受難曲」の構造を解く
 ・2012年2月例会報告:科学史の全体像について
 ・『弁証法はどういう科学か』の要約をどのように行っているか
 ・一会員による『綜合看護』2012年1号の感想
 ・橋下教育基本条例案を問う
 ・吉本隆明さん逝去に寄せて
 ・2012年3月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第1章〜第4章
 ・科学者列伝:古代ギリシャ編
 ・2年目教師としての一年間を実践記録で振り返る
 ・2012年4月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第5章〜第6章
 ・科学者列伝:ヘレニズム・ローマ・イスラム編
 ・簡約版・消費税はどういう税金か
 ・一会員による『新・頭脳の科学(上巻)』の感想
 ・新人教師のもつ若さの意義を説く
 ・2012年5月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第7章
 ・科学者列伝:西欧中世編
 ・アダム・スミス『道徳感情論』を読む
 ・2012年6月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第8章
 ・科学者列伝:近代科学の開始編
 ・ブログ更新2周年にあたって
 ・古代ギリシアにおける学問の誕生を問う
 ・一会員による『綜合看護』2012年2号の感想
 ・クセノフォン『オイコノミコス』を読む
 ・2012年7月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第9章
 ・科学者列伝:17世紀の科学編
 ・一会員による『新・頭脳の科学(下巻)』の感想
 ・消費税増税実施の是非を問う
 ・原田メソッドの教育学的意味を問う
 ・2012年8月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第10章
 ・科学者列伝:18世紀の科学編
 ・一会員による『綜合看護』2012年3号の感想
 ・経済学を誕生させた経済の発展とはどういうものだったのか
 ・2012年9月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・人類の歴史における論理的認識の創出・使用の過程を問う
 ・長縄跳びの取り組み
 ・国家の生成発展の過程を問う――滝村隆一『マルクス主義国家論』から学ぶ
 ・三浦つとむの言語過程説から言語の本質を問う
 ・2012年10月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・科学者列伝:19世紀の自然科学編
 ・古代から17世紀までの科学の歴史――シュテーリヒ『西洋科学史』要約で概観する
 ・2012年11月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章前半
 ・2012年12月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章後半
 ・科学者列伝:19世紀の精神科学編
 ・年頭言:混迷の時代が求める学問の確立をめざして
 ・科学はどのように発展してきたのか
 ・一会員による『学城』第9号の感想
 ・一会員による『綜合看護』2012年4号の感想
 ・2013年1月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』を読む前提としての世界歴史の全体像
 ・歴史観の歴史を問う
 ・2013年2月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』をどのように読んでいくべきか
 ・『三浦つとむ意志論集』を読む
 ・言語学の構築に向けてどのように研究を進めるのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年1号の感想
 ・改訂版・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・2013年3月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(前半)を読む
 ・3年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・2013年4月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(後半)を読む
 ・新自由主義における「自由」を問う
 ・2013年5月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第一部 東洋の世界(前半)を読む
 ・三浦つとむ「マルクス・レーニン主義に関する本質的な質問」から学ぶ
 ・言語は歴史的にどのように創出されたのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年2号の感想
 ・ヒュームの提起した問題にカント、スミスはどのように答えたか
 ・2013年6月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』東洋の世界(後半)を読む
 ・一会員による2013年上半期の振り返り
 ・認知療法における問いの意義を問う
 ・カント歴史哲学へのアダム・スミスの影響を考える
 ・2013年7月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』ギリシアの世界を読む
 ・2013年8月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第三部 ローマの世界を読む
 ・アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年3号の感想
 ・初任者に説く学級経営の基本
 ・カウンセリング上達過程における事例検討の意義
 ・文法家列伝:古代ギリシャ編
 ・ヒューム『政治論集』抄訳
 ・2013年9月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第四部 ゲルマンの世界を読む
 ・言語過程説から言語学史を問う
 ・2013年10月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』「第4部 ゲルマンの世界」第2篇を読む
 ・戦後日本の学力論の流れを概観する
 ・一会員による『育児の生理学』の感想
 ・文法家列伝:古代ローマ・中世編
 ・2013年11月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第4部 ゲルマンの世界 第3篇を読む
 ・古代ギリシャ経済の歴史を概観する
 ・2013年12月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』のまとめ
 ・ヘルバルト教育学の全体像を概観する
 ・年頭言:歴史を切り拓く学問の創出を目指して
 ・歴史的な岐路に立つ世界と日本を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年4号の感想
 ・一会員による2013年の振り返りと2014年の展望
 ・ヘーゲル『歴史哲学』を読む
 ・2014年1月例会報告:学問(哲学)の歴史の全体像について
 ・一会員による『学城』第10号の感想
 ・世界歴史の流れを概観する
 ・現代の言語道具説批判――言語規範とは何か
 ・2014年2月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章
 ・ヘルバルト『一般教育学』を読む
 ・新大学生へ説く「大学で何をどのように学んでいくべきか」
 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』学習会を振り返る
 ・『育児の認識学』は三浦認識論をいかに発展させたか――一会員による『育児の認識学』の感想
 ・2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章
 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
 ・文法家列伝:『ポール・ロワイヤル文法』編
 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
 ・道徳教育の観点から見る古代ギリシャの教育と教育思想
 ・古代ギリシャの経済思想を問う
 ・半年間の育児を振り返る
 ・2014年6月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章
 ・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
 ・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
 ・アダム・スミス「天文学史」を読む
 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
 ・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
 ・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
 ・夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史