2017年03月07日

システムズアプローチを弁証法から説く(3/5)

(3)ジョイニングでは相手に合わせた変化が求められる

 前回は,システムズアプローチのものの見方である円環的思考法とコンテクスト重視の見方を取り上げ,両者ともに弁証法的なものの見方といえるのであり,そのように対象の弁証法性をしっかりと把握できるからこそ,対象の性質に見合った介入ができ,その介入が成功するのだということを説きました。

 今回は,システムズアプローチの代表的・典型的技法の一つである「ジョイニング」を取り上げて,これを弁証法の観点から説いていきたいと思います。

 まず,ジョイニングについての一般的な説明を引用しておきます。

「ジョイニング(Joining)とは,構造的家族療法の創始者であるアメリカのS・ミニューチン先生の言い出した用語で,平たく言えば,お仲間にさせていただくことといった意味です。よくラポール(Rapport)と混同されることがありますが,後者は信頼関係そのものを意味し,かつ,なにかしらこころの深いところで起きているものといったイメージを彷彿させますが,前者はむしろ信頼関係に至るプロセスとそのための手段を意味しているようですし,なにかしら表面的で意図的操作的なイメージを彷彿とさせるものです。」(東豊『セラピスト入門』p.41)


 要するに,ジョイニングとはお仲間に入れていただくということであり,システムに参加する,とけ込むことだといってもいいでしょう。

 東豊は,このジョイニングを非常に重視しています。その重要性について,次のように説いています。

「私は,家族療法を学びにくるひとにはいつも「ジョイニングがすべて」と強調して語っているし,実際,ジョイニングが上手になってもらえないと,それ以上のことは指導できそうもない。はっきり言って,ジョイニングのセンスがないとよい家族療法家にはなれないと思う(それどころか,どのようなタイプの援助者にもなれないと思っている)。」(東豊『家族療法の秘訣』p.169)


 ここでは,ジョイニングがすべてであり,ジョイニングができないと,他の指導は無意味になるし,ジョイニングのセンスがないと援助者にはなれないと説かれています。

 ここで「家族療法」という言葉が出てきているので,一言,注意事項を述べておきます。ここでの家族療法とは,これまで説いているシステムズアプローチとほぼ同義です。システムズアプローチでは,家族システムを扱うことが多く,できるだけ関わっている家族全員に来談していただき,その家族集団と面接をしていくことになります。ですから,システムズアプローチによる心理療法は,だいたい家族療法になるのです。ただし,システムズアプローチによる個人面接ということも場合によっては可能ですし,家族療法といえば必ずシステムズアプローチになるかといえば,そうともいえず,精神分析的なアプローチによる家族療法というものも存在しています。しかしここでは,ごく大雑把に家族療法=システムズアプローチととらえていただいてけっこうです。

 システムズアプローチでは,セラピストはまず,家族システムの一員として受け入れてもらう必要があります。そのシステムのお仲間に入れていただかないかぎり,介入のしようがないのです。そういう意味では,ジョイニングはシステムズアプローチのすべてであり,第一に習得すべき技法だといえるでしょう。それだけではなく,ジョイニングはラポール(信頼関係)構築に至るプロセスでもありますので,どのようなタイプの心理療法を行なうにせよ,必要不可欠な技法であるともいえるでしょう。

 では,セラピストは具体的に,どのような「操作」をすることによって,ジョイニングを実現するのでしょうか。それについては,以下の4つのテクニックが挙げられています。

「1 相手のムードや雰囲気(家族であるなら家風といったようなもの)に合わせること。
2 相手の動きに合わせること。
3 相手の話の内容に合わせること。
4 相手のルールに合わせること。」(東豊『セラピスト入門』p.48)


 すなわち,ジョイニング(お仲間にさせていただくこと)を実現するためには,相手のムードや雰囲気,動き,話の内容,ルールに合わせなければならない,ということです。ムードや雰囲気に合わせるというのは,カッコ書きで「家風」とあるように,そのシステム(小社会)が表現によってそれとなく醸し出している社会的認識に合わせる,ということです。動きに合わせるということは,足を組むことや顎に手を添えること,姿勢を正すこと等といった,文字通り,相手の認識の表現たる動き(非言語表現)に合わせるということです。話の内容に合わせるとは,これまた相手の認識の表現たる言語表現に合わせるということです。ルールに合わせるというのは,相手の持っている社会的認識たる規範(意志の対象化されたもの)に合わせるということです。

 要するにジョイニングとは,お仲間にさせていただくために,言語表現・非言語表現を媒介として,当該のシステムの諸々の社会的認識を見極め,セラピスト自身もその社会的認識を有しているものとしてふるまうことである,といえるでしょう。あるシステムAと,別のシステムBとでは,それぞれが把持している社会的認識は全く別物ですから,セラピストはそれぞれの社会的認識をしっかりと把握して,自分もそれに合わせて変化していく必要があるのです。つまり,セラピストは,当該システムの多様性・変化性を見抜き,それに合わせてこちらも変化していくという弁証法的な運動・変化が求められるのです。

 一般に,ある対象をコントロールしたり思い通りに変化させたりしたい場合,まずはその対象の性質を見抜き,それに合わせてこちらが動いていくことが必要となります。たとえば,ガラスのコップを扱うときと,ゴムボールを扱うときとでは,われわれは全く違ったふるまい方をするはずです。ゴムボールであれば,ぞんざいに扱って,そのへんの床にぽいっと投げておくこともありますが,ガラスのコップに対しては,そのような扱い方はせずに,置きたいときには,丁寧に置く場所まで手で運んで,静かに置くはずです。これは,われわれがガラスのコップの性質を見抜いているからであり,ゴムボールのようにぽいっと投げてしまえば,たちまち割れてしまうことを知っているからです。だからこそ,ガラスという対象の性質に見合った形で,こちらは動いていくわけです。これが対象をコントロールするということでしょう。ですから,ガラスの性質をまだまだ理解できていない子どもは,ガラスのコップもゴムボールのように扱って,割ってしまうことになるのです。これでは対象をコントロールできているとはいえません。

 システムズアプローチで家族システムを扱う場合も,論理的には全く同様のことがいえるのです。セラピストは,何か悪循環に陥っている家族システムをコントロールし,思い通りに変化させたいわけですが,そのためには,それぞれの家族システムの性質=社会的認識をしっかりと見極め,それに合わせてこちらが動いていく必要があるのです。

 このジョイニングがそのまま変化につながることもあります。そのような例として,東豊は次のようなケースを紹介しています。

「長い長い母親の陳述の後,やっとセラピストは男の子に話しかけるチャンスを得た。「それで君はどんなふうに考えてるの?」 セラピストの問いかけに男の子はうつむき始めた。すかさず隣の母親が割って入った。「それはつらいと思います,というのも……」

 セラピストは母親の方に身体を向けて,再び母親の話に熱心に耳を傾けた。長い陳述の後,セラピストは丁寧に母親の許可を仰いだ。「お母さん,この子に直接聞きたいことができたのですが,聞いてもよろしいでしょうか」

 母親はもちろん聞いてやってくださいと,セラピストに頼んだ。「それで君はつらいときはどうしているの?」 男の子はまたうつむき始めた。短い沈黙の後,再び母親が割って入った。「ふさぎこんじゃうね,ね? いつも暗い顔をしているんですよ,というのも……」

 セラピストはまたしても母親の方に少し大げさに身体を向けて,母親の話に熱心に耳を傾けた。しかし今度は前よりも短めにそれをさえぎった。そして,これ以上低くできないくらいに腰の低い態度で,頭を深々と下げ,母親の許可を仰いだ。「お母さん,誠に申し訳ありません。またこの子に直接聞いてみたいことができたのですが,聞いてもよろしいでしょうか」

 母親は手を口に当て,プッと吹き出した。「ああ,すみません。私,でしゃばりで……」

 セラピストは「母親はみんなそうですよ」と軽く受けてから,男の子の方を向いた。

 「それで君はどうなったらいいと考えているの」

 男の子はやっぱりうつむき始めたが,今度は母親が口をはさまない。

 しばらくの沈黙の後,彼は顔を上げた。そして「まわりのことが気にならなくなればいい」と,ボソッと答えたのである。」(pp.63-64)


 このケースでは,母親が主導権を握っているというこの家族システムのルールにジョイニングして,馬鹿ていねいに母親に許可をとることをくり返すことによって,ジョイニングしています。同時に,このようなジョイニングによって,母親は自分の「でしゃばり」に気づき,口をはさまないようになったために,今までにはなかった息子の見解が表明されたということです。このように,ジョイニング自体が変化をもたらすための大きな介入技法にもなり得るのです。

 このケースに関わって,ジョイニングの弁証法的側面を,あと2つ,指摘しておきたいと思います。まず第一に,「問題」と思われるようなものでも,システムズアプローチにおいてはそれも「資源」であるととらえて,活用していくという点です。子どもの代わりに母親が答えるというのは,一般的には「問題」であるととらえられがちですが,これすらも「資源」として活用して,たとえば先の引用のような介入を行うわけです。「問題」でもあれば「資源」でもあるという形で,対立物の統一として捉える点で,非常に弁証法的な発想だといえるでしょう。

 第二に,ジョイニングに際しては,システムの構成員の一部に肩入れするようなことはしてはならないという点に関わります。複数を相手に面接をしていると,「あちら立てればこちら立たず」ということになりがちですが,一人の話だけを長々と聞きすぎないとか,味方に引き込もうとする言動は無視するとか,システムのルールをアセスメントしてそれにまずは従うとかしながら,システム全体にジョイニングしていくことが求められます。弁証法的にいうならば,非敵対的矛盾を実現するとともに解決するようなポジショニングを常に意識する必要がある,といえるでしょう。微妙なかじ取りが要求されますし,バランスが難しいとはいえますが,この微妙なバランス感覚は,臨床のなかで培っていく必要があるといえるでしょう。

 以上今回は,システムズアプローチの代表的な技法のひとつであるジョイニングを取り上げ,これを弁証法の観点から論じました。

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 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言