2017年02月22日

本来の科学的な教育とは何か(5/5)

(5)教育の事実を創り、その事実を論理化する作業が求められる

 近年、科学的根拠に基づいた教育(エビデンス・ベースト・エデュケーション)が大きく取り上げられるようになっていることを踏まえて、本稿では教育学の構築という観点からこの動きをどのように評価することができるのかを明らかにしてきました。

 ここで、これまでの流れを振り返ってみましょう。

 まず科学的な実践とはどういうものかという点について、薄井先生の著作をもとに見てきました。そもそも科学的とは、対象のもっている性質を見抜いて行動するということでした。看護実践で言えば、目の前の患者に対してどうすることが看護になるのかを押さえて、そのするべきことを患者の性質に合わせて行っていくのが科学的な看護実践だということでした。その具体的なイメージを描くために、薄井先生が相談を受けた奥さんの事例を紹介しました。なぜ奥さんが問題行動を起こすのかを踏まえて、それにどう対応すればいいのかを予測して実践に取り組むのが科学的な実践だということでした。このような科学的な看護実践によって、対象(患者)を望ましい方向に変化させる可能性が高まるのであり、(看護の)事実を創り出されるのだということでした。ここから科学を構築するためには、そうした事実を共通する性質を論理として掬い取っていく必要があるのだということでした。

 続いて、科学的な根拠に基づいた教育(エビデンス・ベースド・エデュケーション)とはどのようなものかを、中室牧子『学力の経済学』を参考にしながら見ていきました。これは「どういう教育が成功する子どもを育てるのかという問いについて、その原因と結果、すなわち因果関係を明らかにすること」、つまり「Aという教育的な働きかけをしたら、Bという子どもの結果が生まれた」という因果関係を明らかにしようとするものだということでした。そうした因果関係を明らかにするために、ランダム化比較試験などを行い、ある教育政策や教育方法の効果を測定するのだということでした。こうして明らかにされた知見として、「インプットにご褒美をあげることが学力テストの結果の向上につながる」「子供のもともとの能力(=頭のよさ)をほめると、子どもたちは意欲を失い、成績が低下する」「男の子なら父親が、女の子なら母親がかかわるとよい」などがあり、このような知見を集めること、またこうした知見に基づいて教育を行うことが、が科学的な根拠に基づく教育だということでした。ただ、実験が難しいことや、明らかになった因果関係の内部構造がわからないことなどの問題点もあるということでした。

 最後に、科学的な根拠に基づいた教育というのは、どのように評価することができるのかを見てきました。現在の学校現場では、ときには条件次第であったり、効果が疑問視されたりするものが学校の統一ルールとして定められ、様々な弊害がもたらされているということを確認した上で、その正しいとされている方法は本当に正しいのかを問う動きとして「科学的な根拠に基づく教育」という考え方が生まれてきているのであり、その点はしっかりと評価する必要があるということでした。では、科学的な根拠に基づく教育の研究・実践を積み重ねていけば、教育学の体系化につなげることができるかと言えば、そうではないということでした。そもそも科学の構築のためには、まずは事実を創り出すこと、その上でそれらの事実の共通性を論理として把握していくことが必要だということでした。この方向性と、科学的な根拠に基づく教育の方向性がどう違うのかを薄井先生が受けた相談の事例で明らかにしました。結局、科学的な根拠に基づいた教育は「こうしたらこうなった」という事実をたくさん集めようとするものにすぎず、またその事実もあくまでも目に見えるものに限られており、目に見えない人間の認識は捨象されてしまっているということでした。このような限界があることを、教育学の構築を図っていくためには、しっかりと押さえておかないといけないということでした。

 薄井先生は、どうすれば看護学を創ることができるのかを悩んだ挙げ句、認識論を学んでいた三浦つとむさんを訪ねたエピソードを紹介しておられます。

「『科学的看護論』を書いていた時、思いあぐねてある著者、学生時代から書物(『認識と言語の理論』勁草書房)を通して認識論を学んでいた三浦つとむ氏を思い切って訪ね、なぜ人間の精神についての科学が遅れているのでしょう、とお尋ねしたことがありました。

 すると氏は、『科学的抽象ということの意味が理解されていないからですよ』と、いとも簡単に言われました。この言葉をずっと暖めつづけていましたが、いくつかのプロセスレコードの抽象化を試みた結果、これで人間の精神と精神の関わりを、浮きぼりにしていくことができるという確信が湧いてきたのです。

 そこで、いろいろなレベルの対応で実験を重ね、学生たちにもプロセスレコードを通して解説したり、プロセスレコードを起こして、看護過程を客観視させる学習を組み込んできたのです。現在では、科学的抽象ということの意味は、『個々の現象のカタチを捨てて内容をすくい上げること』だということを学生たち自身が自覚できるようになってきています。」(薄井坦子『科学的な看護実践とは何か』(下)、現代社、1988年、p.157)


 ここで三浦つとむさんは、科学的抽象ということの意味が理解されていないから、精神についての科学が遅れているのだと指摘しておられます。この指摘が現在においても当てはまるのだと言えるでしょう。

 以上を踏まえて、教育学の構築に向かって、今後、実践現場においてどのような取り組みをしていく必要があるのかを考えてみましょう。まずは教育と呼べる事実を創り出すことが求められます。そもそも教育とは社会的個人としての人間の育成です。では「目の前の子どもに対して社会的個人として育てるとはどういうことなのか」「この教材で何を教えれば社会的個人として育てたということになるのか」ということを念頭において子どもと関わったり、授業を行ったりして、子どもを成長させていかなければなりません。

 その上で、その教育の事実はどういうものであったのかを論理的に把握する必要があります。自分がどのようなことを考えて子どもに働きかけたのか、それに対して子どもはどのような反応をしたのか。そういった教育の過程を事実として明らかにすること(看護学で言えばプロセスレコードを書くこと)、そしてそれは結局どういう過程であったと言えるのかを問うていくこと、こうした作業を積み重ねていく必要があると言えるでしょう。また、他の人の教育実践を見るときも、そのような形で分析していく必要があります。

 最後に、なぜ教育学を構築する必要があるのかを確認しておきたいと思います。これはいろいろな理由を挙げることができるのですが、その1つが専門家としての主体性を保つため、と言えます。「そもそも教育とはこうだから、こうするのだ」という形で自分の判断・行為の根拠を説けるということです。科学的な根拠に基づく教育でも、同じようなことが主張されていますが、実はここには大きな違いがあるのです。科学的な根拠に基づく教育の場合、「こうするといいという事例が多いからこうする。何でそうするといいのかはわからないけど。」ということなのです。これでは専門家として自信をもって仕事をしていくことは到底できません。統計的に「こうするといい」と言われていても、目の前の子どもに対してそれをするのはいいとは限らないからです。そうではなくて、そもそも人間とは何かを踏まえて教育とは何かを明らかにし、そこから目の前の子どもへの働きかけすべてについて、その根拠を説けるようにするものが本当の教育学なのです。そうした教育学を構築するために、今後も研鑽に励んでいきたいと思います。
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 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言