2017年02月15日

認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想(3/5)

(3)認識と言語の関係を問う

 前回は,『“夢”講義(1)』で説かれている認識論の基本を確認した。認識論とは,「アタマとココロのはたらきを立派にするための学問」という主体的な性格をもつものであり,学問体系としての認識学とは,五感情像たる認識をその原点から弁証法的に,そして唯物論的に説ききるものであった。

 今回は,「第2編 看護に必要な「認識と言語の理論」」と「第3編 学問的に説く「認識と言語の理論」」で説かれている認識と言語の関係について検討したい。

 ここではまず,看護においては相手の立場に立つことが必要だと論じられ,しかし,相手の立場に立つことは非常に困難であることが説かれる。その中で,『あしながおじさん』の主人公であるジルーシャが取りあげられている。ジルーシャは想像力豊な少女であったが,普通の家の中に入ったことがないので,普通の家の中へは空想であっても入っていけないのであった。それと同様に,看護学科の学生も,自分が経験したことのない普通ではない人の心を思いやること=病んでいる人の立場に立つことは難しいのである,と説かれている。

 ではどうすればよいかというと,心理学などに頼るのではなく,「看護とは」が分かって初めて相手の立場に立てるとして,「病む人の心や気持ちというものは,その病む人と関わることによってだけ,少しまた少しとしだいに大きくわかっていくことができる」(p.103)と説かれている。さらに,「看護とは」の全体像をしっかりと描くためには通常の人間の全体像が描けている必要があり,そのためには社会と歴史の学びが大事であるとして,歴史を題材とした時代小説,人間の心を主題にしている小説,社会派とされている推理小説の三つを挙げ,時代の心とか社会の心とか人間の心といったものを学び続けることが推奨されている。

 この後,コミュニケーション論が展開される。ここからが今回の中心主題である。コニュニケーションとは心を分かり合うことであり,相手の立場に立っての観念的二重化=自分の観念の相手的観念化であるとして,それが可能となるためには,その時代における社会一般の中の人の心というレベルで心とか気持ちがわからなければならないとされている。したがって,そのようなコミュニケーションの過程を学ぶためには,やはり,時代の心,社会の心,人の心が分かるようになるよう,ふさわしいしっかりとした小説を読むことが大切だと説かれている。

 さらにそれだけではなく,コミュニケーションが可能となるためには,コミュニケーションは何よりもまず言葉を介してなすものであるから,言葉(言語)とは何かを明確にしなければならないとして,三浦つとむ『認識と言語の理論T』の大事なところが引用される。そしてその中で最も大事なところを要約して,次の二つにまとめられている。

@言葉というものは,人間と人間との精神的な交通を行なうタメのものである
A認識の成立から表現(言葉)にいたる過程的構造の解明が大事である(p.120)

 この2つを順に見ていきたい。

 まず,@である。「言葉というものは,人間と人間との精神的な交通を行なうタメのものである」というのはどういうことか。これは,ごく単純に考えれば,自分の認識を相手に伝え,相手の認識を自分が理解するためにこそ,言葉が存在する,ということであろう。しかし,南郷先生は,言語の起源から問題にされている。すなわち,猿から人間へと発展する中で,いかにして言語が誕生したのか,その必然性を説いておられるのである。結論部分では,次のように説かれている。

「結論的にいいますと,言葉すなわち言語は,人類の労働の誕生を原点として誕生したのだ,ということです。すなわち,人類の文化の重層化を次世代に教育するため,あるいは,遺産として残す(伝える)ほどの文化の積み重ねを人類の労働が果たしたことが,言葉・言語の誕生をうながしたのだということです。」(p.124)


 ここでは,文化と呼べるほどの労働が生まれて,それを次世代に伝えるためにこそ,言語が誕生したのだと説かれている。身振り・手振りだけでは伝えられないほどに,文化遺産が重層化・複雑化していったため,それをきちんと次世代に教育できるようにするために,言語が誕生したということである。

 このように,何を問題にするにしても,その起源から解明しようとし,実際に解明されているところが南郷先生の凄いところである。起源を問題にするというのは,原点からの生成発展を説こうということであるから,弁証法的な考え方であるといえる。さらに,世界は物質的に統一されており,物質一般から特殊な物質は誕生するという唯物論的な世界観をしっかりと把持し続けているからこそ,特殊な物質といえる言語の誕生について説けるのであるから,唯物論的な考え方に貫かれているともいえる。したがって,われわれとしては,南郷先生は凄いといっているだけではダメであり,われわれもしっかりと,このような弁証法的・唯物論的なアタマの働かせ方を徹底して訓練していき,技化していかなければならない。そのためにこそ,『“夢”講義』に学んでいるのである。

 次にAである。「認識の成立から表現(言葉)にいたる過程的構造の解明が大事である」とはどういうことか。

 まず,南郷先生は,人間の認識と動物の認識との違いを説かれている。動物の認識=像は,本能が創り出すものであるが,人間の認識は本能を失った分,一人では生きていけないのであり,必ず社会的にのみ,自分を生かし,活かすことが可能となると説かれている。どれほど個性的だと思っている認識であっても,人間の認識はすべて社会的であり,社会性を帯びているとした後,次のように説かれている。

「これは端的には,私たち人間の認識は,本能が創ったモノではなく,私たち人間の住んでいる社会の社会的認識が社会性をもって,個々バラバラになろうとする私たちの認識の創造を常に社会的にしようと努力しているからなのです。」(p.137)


 すなわち,社会的認識が,個々バラバラになろうとする私たちの認識の創造を常に社会的にしようと努力しているということである。

 これはどういうことであろうか。われわれ人間は,本能が薄れている分,認識の形成は非常に個性的にならざるをえない。ひとりひとり,生まれた瞬間の外界が違うし,それ以降の外界も,大きく,あるいは小さく,違っている。また,外界を受け取る感覚器官の実力も,5つの感覚器官のバランスも,人それぞれであり,決して同じではない。そうなると,感覚器官を媒介として形成される認識=像は,同じ対象を見ていたとしても,決して同じにはなりえない。個々バラバラな認識が蓄積されていくのであるから,これまでの蓄積した像でもって対象に問いかけ,対象を反映するとなると,ますます違ったように反映していくことになる。このように,人間の認識は,放っておいたのでは,個々バラバラになっていくのであり,そのままでは社会の維持が不可能になってしまうのである。

 そこで,「私たち人間の住んでいる社会の社会的認識が社会性をもって,個々バラバラになろうとする私たちの認識の創造を常に社会的にしようと努力して」いくことになるのである。ここの部分を,南郷先生はくり返し,言葉を変えながら諄々と説いておられると思う。たとえば,社会的に生きる力を身につけるためにシキタリに従う能力を培う必要がある(p.134)とか,外界の反映を社会関係的な反映として行わせるのが母親の仕事である(p.144)とか,社会関係の中で言葉を覚えさせ使わせ,言葉を使うことによって社会的なルールを覚えさせる必要がある(p.146)とかである。

 そして,その極めつけともいえるのが,「個別像を共通像にするために言語は必要である」と題された節で説かれている内容であろう。ここでは,人間の認識は個性的な像として存在しており,人によって異なっているが,それを異なったままにしておくわけにはいかないとした後,次のように説かれている。

「そこで当然にそれを共通の像にしていく作業(教育・学習)が必要となります。

 ここに言語の必然性の一つがあるのです。しかもこの作業(教育・学習)は頭のなかから始めるわけにはいきません。なぜなら,頭のなかの像を外へだすことは不可能だからです。そこで,外から頭のなかへ,なるべく共通の像を送りこむことによってのみ,この作業(教育・学習)をしっかりと果たすことが可能になるわけです。」(pp.158-159)


 ここは当初,非常に難解で,どういうことかよく分からなかった。しかし,研究会の会員と討論したり,今見てきたように本書の大きな流れを確認して,その中に位置づけたりすることによって,ここで説かれていることの内容が見えてきたのであった。それは以下である。

 くり返し説かれているように,人間の認識は,個性的な像として存在している。個々の人間が描いている像は個別像なのである。しかし,そのままでは社会が維持できない。したがって,個別像を共通像にしていく必要があるのである。ここでいう「共通像」というのが一つのポイントである。これは,ある社会の成員が共通してもっているところの認識であるから社会的認識のことであり,本書で説かれていたことを踏まえるならば,言語によって伝えられる文化遺産である,といってもいいだろう。

 言語は,精神的な交通のためのものであった。すなわち,自分の認識を相手に伝え,相手の認識を自分も描くためのものである。そうすると,言語は,共通な像を描くためのものである,ということもできるわけである。そして言語の起源として説かれていた内容は,言語は,重層化した文化遺産を次世代に伝えるためにこそ,誕生させられたのだということであった。すなわち,世代を超えて,共通の像を描くためにこそ,言語の誕生が促されたのである。これまでの世代が獲得してきた,社会の成員が共通してもっていなければならない認識を伝えるためにこそ,言語が成立したのである。

 このような内容を踏まえるならば,「個別像を共通像にするために言語は必要である」ということの中身も,先の引用文の中身も,素直に理解することができる。すなわち,人によって異なった認識を,共通の像にしていく作業(教育・学習)のためには,言語によって(言語を媒介として)文化遺産を頭のなかに送り込むことが必要だ,ということである。

 南郷先生は,この教育・学習という作業をしっかりと行えるための条件,認識=像の形成がうまくいくための条件として,次の三つをあげておられる。

「一つは,外界を反映させる作業(教育・学習)を可能なかぎり,実物の外界を反映させることです。たとえば,船を反映させようと試みるときに,なるべく模型やビデオなどではなく,実際の船をしっかりとみせることです。

 二つは,ここを行なうときにきちんとした言語とともに,つまり文字と発音をしっかりと覚えさせながら船を反映させて,認識=像を形成させることです。

 三つは,なるべく集団的・小社会的に(つまり,個人的にではなく)行なうことです。」(p.159)


 すなわち,実物をきちんとした言語とともに集団的・小社会的に反映させていく,ということである。

 これは,今まで説かれていたことの総まとめといえるだろう。われわれは,たとえば育児をする際にも,子どもにこの三つの条件がしっかりそろった形で教育していかなければならない。また,弁証法の学習も同じである。たとえば,量質転化であれば,実際に自分で量質転化を起こしてみる。相手に起こさせてみる。それをしっかりと反映しなければならないし,『弁証法はどういう科学か』の定義に重ね合わせながら,集団的に学んでいく必要がある。個人的に学ぶと,どうしても自分勝手な解釈になりがちであり,文化遺産としての共通の像をきちんと描くことができないからである。

 以上,今回は認識と言語の関係について見てきた。端的にまとめておくと,認識の表現が言語であるというだけではなく,言語はこれまでの世代が獲得してきた文化遺産を次世代に伝えるためにこそ誕生したのであり,そのことによって個々バラバラな認識が,共通の像として整えられていくのであった。
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 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言