2017年02月02日

2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』(5/10)

(5)ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』 要約A

 前回は、ヘーゲル『哲学史』でカントが取り上げられている部分の前半の要約を紹介しました。そこでは、認識する前に認識能力を研究しなければならないというカントの主張に対して、ヘーゲルがそれはできない相談だと非難していたこと、しかし認識を考察の対象としたことはカントの偉大な成果だと述べられていたことを紹介しました。

 今回はヘーゲル『哲学史』でカントが取り上げられている部分の後半の要約を紹介します。ここでは、理論的理性が感性、悟性、理性という3つの主要段階に分けて説かれています。

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ヘーゲル『哲学史』より「第3部 近代の哲学/第3篇 最近のドイツ哲学」

B カント(承前)

1〔理論的理性〕
 
 カントは純粋理性批判において、理論的意識の主要段階を叙述する。第一の能力は感性一般、第二は悟性、第三が理性である。以上は、概念からの発展として必然性をもって進行するものではなく、全く経験的にとりあげられたものである。

a、感性
 先験的なものの出発点は、感性におけるアプリオリなもの、感性の形式である。この感性についての論定を、カントは先験的感性論と呼ぶ。カントによれば、直観とは感性によって我々に与えられた対象の認識であり、感性とは外的なものとしての表象によって触発される能力にほかならない。直観には色や硬さや怒りや愛や快等々あらゆる種類の内容が見出されるが、こうした材料のなかにありながらそれとは別のものとして、空間と時間の規定が含まれる。空間と時間は純粋直観すなわち抽象的直観であり、その直観のなかにおいて我々は個々の感覚の内容を、あるときは時間のなかで前後に流れるものとして、あるときは空間のなかに並立するものとして、我々の外に置くのである。カントは、外的な物自体は時間空間を欠いており、それらが意識によって経験されることの制約として時間空間が加わるのだ、というように考える。そうであるならば、一体どうして、心はほかならぬ時間空間という形式的制約をもつのであろうか。しかし、時間空間の本来の性質は何かということは、カント哲学は全く問題にしないのである。

b、悟性
 感性は受動性であるが、思惟一般は自発性であるとカントはいう。悟性は感性から経験的な材料とアプリオリな材料(時間と空間)を得て思惟する。感性と悟性の双方が働いたときのみ、認識が姿を現わす。先験的論理学は、悟性がアプリオリにそれ自身においてもつ概念を掲げる。思想のもつ形式は多様を統一にもたらす総合的機能である。この統一は、先験的統覚たる自我・自己意識の純粋統覚作用であり、自我はあらゆる我々の表象に随伴するとされる。生硬な言い方だが、偉大で重大な認識である。
 自我が、表象一般の経験的材料を結合するのは、普遍的思惟規定たる範疇の先験的な本性である。カントによれば、12の根本範疇があり、これが3元をなす4つの組に分かたれる。@量の範疇…単一性・雑多性・総体性。A質の範疇…実在性・否定性・制限性。B関係の範疇…実体と偶有性・原因と結果・相互作用。C様態の範疇…可能性・現実性・必然性。カントが、第一の範疇は積極的であり、第二は第一を否定するもので、第三は両者の総合だといっているのは、概念の偉大なる本能である。しかし、カントは、これらの範疇を経験的にとりあげるだけで、統一からこれらの差別を必然性をもって発展させることには思い至らない。
 これら範疇はそれだけでは空虚であり、知覚や感情等々の与えられた多様な材料と結合してはじめて意味をもつ。感情または直観に属する知覚の材料はその個別性と直接性の規定のままに放置されず、むしろ私はそれに対して働きかけてそれを範疇によって結合し、普遍的類や自然法則等々に高めるのである。経験のなかにこれら2つの構成部分を見出すことは正当であるが、カントはこれに結び付けて、経験は単に現象を捉えるにすぎない、としてしまう。
 純粋悟性概念が如何にして現象に適用され得るかの可能性を示すのが、先験的判断力である。純粋直観を範疇にしたがって規定し、経験への移り行きをなすのは、純粋悟性の図式論であり、先験的構想力である。これによって先に絶対的に対立するとされた純粋感性と純粋悟性とが今や合一される。そこには直観的悟性あるいは悟性的直観が含まれるのだが、カントはそうは考えず、この思想をまとめ上げることはしない。

c、理性
 カントは悟性から出発して同じく心理学的に理性に向って進んでいく。理性はカントによれば、原理から認識する能力、すなわち、概念によって特殊的なるものを普遍的なもののうちに認識する能力である。悟性は有限的な関係における思惟であり、理性は制約されぬものを対象とする思惟であって、理性の産物は理念だとされるが、カントにおいてそれは抽象的な普遍的なるもの、規定されぬものにすぎない。
 この制約されぬものを具体的に把握することに真の困難がある。ここでカントは、理性は無限的なるものを認識しようとしつつそれを果たしえない、という。その第一の理由は、無限的なものは感性的知覚の世界には与えられない、ということである。しかし、そもそも無限的なものを感性的に知覚しようというのが誤りである。第二の理由は、理性が範疇という思惟形式以外のものをもたない、ということである。範疇は客観的規定を与えるが、それ自体においては主観的なものであり、ただ現象に適用され得るこれら範疇を無限的なものの規定に用いるならば、誤った推理と矛盾(二律背反)のなかに巻き込まれてしまう――これがカント哲学の重要な規定である。
 制約されぬものには、形式論理学の3つの理性推理――断言的・仮言的・選言的――にしたがって、3つの種類がある。第一は思惟する主観、第二は一切の現象の総体、すなわち世界、第三は思惟され得る一切のものの可能性の最高の制約を含むもの、すなわち神である。
(α)先験的主観の統一という必然的な理性理念が物としていいあらわされる点に、推理の誤謬が生じる。自我は自己自身のなかで持続的であるが、ただ意識のなかだけでそうなのであって、意識の外においてではない。我々が思惟するものについて表象をもつのは、外的経験によってではなく、単に自己意識によってである。自我が主観的であることは分かっても、我々が自己意識を超えてそれを実体であるというならば、我々は我々に正当に許された範囲以上に出ることになる。したがって、私は主観に何らの実在性をも与えることはできない。カントが自我について、感性的存在をもつ心的事物や死んだ持続体でないと主張するのは正当である。しかし、カントはこれと正反対の点、すなわち、この普遍的なるもの、または自己思惟としての自我が、彼が対象的あり方として望む真の現実性を自己自身に備えているということを主張しない。彼は、実在性とは感性的実在であるというような考え方を抜け切れていないのである。
(β)二律背反、すなわち制約されぬものの理念を世界に適用し、世界が諸制約の完全な総体であると叙述するときに生ずる矛盾。現象は有限であり、世界は制限されたものの連関であるが、もしこの理性の内容が思惟されて制約されぬもののうちに包括されると、有限と無限という相互に矛盾する2つの規定が生じる。カントは4つの矛盾を指摘するが、本当はあらゆる概念のなかに二律背反があるのである。
 (αα)二律背反の第一。「定立 世界は時間において始めと終わりがあり、また限られた空間内にある。反定立、世界は時間において始めも終わりもなく、また空間においても限りがない」。カントは両方とも充分に証明され得るという。
 (ββ)第二の二律背反。定立は「合成された実体はいずれも単一な部分からなる」、反定立は「単一なるものは存在せず」。
 (γγ)第三の二律背反は自由と必然性の対立である。
 (δδ)第四の二律背反。一方において、総体が完結するのは出発点として自由というものがあるか、世界の原因として絶対的必然的存在があるかいずれであるが、いずれにしても当然に進行は中断される。しかし他方において、自由に対しては原因結果の制約による進行の必然性が対立し、必然的存在に対しては一切が偶然であるということが対立する。すなわち「世界には端的に必然的な存在がある」、その逆は「世界の部分としても、世界の外にも端的に必然的な存在は存在しない」。
 これらの矛盾の必然性こそ、カントが我々に意識させた興味ある側面である。しかし、彼はこれら二律背反を、先験的観念論に独特な意味においてしか解かず、物自体はこのように矛盾するものではなく、この矛盾はその源をただ我々の思惟のなかにもっている、としてしまう。
(γ)カントは次いで神の理念に達する。これをカントは、たんに一切の可能性の総体にすぎない理念と区別して理性の理想体と呼ぶが、これは存在する理念である。カントはここで神の実在の証明を考察し、この理想体に実在性が与えられるか否かを問うている。カントが固く執って譲らない規定は、概念から存在をひねり出すことは決してできないということである。しかしカントは、理性だけでは悟性認識の方法的組織化への形式的統一をもつにすぎない、というところから一歩もふみ出さなかった。理性または表象としての自我と外的事物は、両者とも相互に端的に他者として相対し、そしてそれがカントによれば究極の立場なのである。
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 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言