2017年01月31日

2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史、』ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』(3/10)

(3)シュヴェーグラー『西洋哲学史』におけるカント『純粋理性批判』 要約A

 前回は、シュヴェーグラー『西洋哲学史』でカントが取り上げられている部分の前半を要約したものを紹介しました。ここでは、カントの生涯が紹介された後、認識の2つの主要な要素である感性(受容性)と悟性(自発性)とをカントが詳しく調べたこと、感性的直観に備わっている主観的な形式が空間と時間であって、われわれは物をありのままに認識するのではなくて、時間と空間という主観的媒質を通して物がわれわれに現象する姿を認識するにすぎないことが説かれていました。

 今回は、シュヴェーグラー『西洋哲学史』でカントが取り上げられている部分の後半の要約を紹介しましょう。ここでは、純粋悟性概念の12のカテゴリーが説明された後、二律背反とはどのようなことかについて説かれていきます。

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シュヴェーグラー『西洋哲学史』より「第39章 カント」(承前)

B 先験的分析論
 人間の精神は感性の受容的な態度にのみ満足するものではない。それは、対象を概念によって思考し悟性の形式のうちで把握しようとすることによって、受け入れられた対象に自己の自発的活動をも加えるのである。このようなア・プリオリな概念あるいは思考形式の研究が先験的分析論の対象である。
 分析論の最初の課題は、純粋な悟性概念を見出すことである。悟性の諸原理は判断から導き出されるべきである。カントは普通の論理学が示す判断の4つの種類から、悟性の根本概念すなわちカテゴリーを導いた。

 量(全体性、数多性、単一性)
 質(実在性、否定性、制限性)
 関係(実体性と内属性、原因性と依存性、相互性あるいは相互作用)
 様相(可能性と不可能性、存在性と非存在性、必然性と偶然性)

 その他のカテゴリーはこれら12のカテゴリーの結合から導きだされる。これらの概念はア・プリオリであるから、必然的かつ普遍的な妥当性を持っている。しかし、それらは自身では空虚な形式であって、直観を通してのみ内容をあたえられるのである。
 感性的対象への悟性の適用は直接にはおこなわれない。両者のあいだには、言わば両者の性質をあわせもった(一方では純粋、他方では感性的)第三のものが介在しなければならない。このような性質をもつものは、2つの純粋直観、空間と時間のみであり、とくに時間である。先験的な時間規定は一方ではア・プリオリであるからカテゴリーと同質であり、他方には現象するものはすべて時間のうちにのみ表象されうるから現象する対象とも同質である。この意味でカントは先験的な時間規定を先験的図式と呼び、悟性によるその使用を純粋悟性の先験的図式性と呼んでいる。図式は自発的に内官を図式的に規定する構想力の産物である。
 カテゴリーのそれぞれにたいして先験的な時間規定を求めると、(1)量の普遍的図式としての時間系列あるいは数、(2)質の図式としての時間の内容、(3)関係の図式としての時間の順序、(4)様相の図式としての時間の総括――が見出される。各々のカテゴリーおよびその図式とともに、現象を悟性の普遍妥当的な形式のもとにもたらす特殊な仕方が与えられている。したがって各々のカテゴリーから悟性認識の諸原則(普遍的な綜合判断)が生まれる。
 これら概念および原則は、経験しうる対象としての物にのみ適用しうるのであって、物自体に適用することは許されない。ア・プリオリな概念および原則は、人間の経験をはなれては構想力および悟性が表象をもてあそぶものにすぎない。しかし、人はここで避けがたい錯覚におちいる。すなわち、カテゴリーは感性に基づくものではなくて、起源から言えばア・プリオリなものであるから、その適用から言っても感性を越えているかのように思われるのである。物自体はけっして可能的な経験のうちに与えられず、われわれの認識はあくまで現象に限られている。現象の世界と物自体の世界を混同したことが、これまでの形而上学におけるあらゆる混乱と誤謬と争いの源だったのである。

C 先験的弁証論
 このほかになお、あきらかに経験の範囲を越えるという使命をもち、したがって「超験的」と呼ぶことにできる概念がある。これらの概念こそこれまでの形而上学の根本概念および原則となってきたものである。これらが誤って生みだす客観的な学問および認識という見せかけを破壊することが、先験的論理学の第二部門である先験的弁証論の課題である。
 悟性が概念から原則をつくるのにたいして、理性は理念から原理(悟性の原則の最高の基礎づけ)をつくる。理性は対象と直接に関係せず、悟性とその諸判断とのみ関係するから、その活動はあくまで内在的でなければならない。もしそれが最高の理性的統一をたんに先験的な意味に理解せず、認識の現実的な対象にまで高めようとするならば、それは悟性の概念を無制約的なものの認識に適用することによって、超験的となる。カテゴリーのこのような超経験的な誤った使用から、純粋悟性を経験を越えて拡大しうるかのような幻想をもってわれわれを欺くところの先験的仮象が生まれる。理性の思弁的理念には、心理学的理念、宇宙論的理念、神学的理念の3つがあるが、先験的仮象は、それぞれにおいて異なった現れ方をする。
 心理学的理念における純粋理性の誤謬推理。思考する不滅の実体としての魂という(伝統的)合理的心理学の命題は、カントによればまったくの虚偽である。これらの命題の根拠となった「我思う」は直観でもなければ概念でもなく、単なる心の作用である。
 宇宙論の二律背反。宇宙論的理念を完全に集めるには、4つのカテゴリーを導きの糸にする必要がある。世界の量にかんしては空間と時間について、質にかんしては物質の分割性について確定されなければならず、関係については原因の完全な系列が見出されなければならず、様相については偶然的なものの依存性の絶対的完全性が理解されなければならない。ところが、理性がこれらの問題を決定しようとすると、4つのすべての点について、相反する主張が同じ妥当性をもって証明されるのである。(1)定立:世界は時間のうちに始まりをもち、空間的にも限られている。反定立:世界は時間的始まりをもたず、空間的限界をもたない。(2)定立:世界の全ては単純なものから成り立つ。反定立:単純なものはなく全て合成されている。(3)定立:世界には自由による原因がある。反定立:いかなる自由もなく全ては自然法則である。(4)定立:世界には絶対的に必然的な存在であるような何かが実在する。反定立:世界の原因として絶対に必然的な存在というものは全く存在しない。これら宇宙論的諸理念の弁証法的な争いから、この争いがすべて無価値であるという帰結がおのずから生まれるのである。 
 純粋理性の理想あるいは神の理念。カントは、理性がいかにしてもっとも実在的な存在という理念に到達するかを示し、それからこのもっとも実在的な存在の実在を証明しようとする旧形而上学の努力に反対して、神の存在にかんするこれまでの論証(存在論的証明、宇宙論的証明、自然神学的証明)にたいする批判をおこなっている。最高の存在者という理想は、理性の規制的原理にすぎず、人間の全認識の究極および頂点をなしてはいるが、その客観的な実在性は明確に証明もされず、といってもちろん反駁もできない一概念にすぎない。
 理性の諸理念に客観的な意味がないとすれば、それらは何のためにわれわれのうちに存在しているのか。それらは構成的でないにせよ規制的原理なのである。われわれの心の諸能力を整理するには、心というものが存在する「かのように」取扱うのがうまくゆく。宇宙論的理念は叡智的原因は排除しないで原因の系列が無限である「かのように」世界を考察するように指示を与える。神学的理念は、世界という複合体の全体を、秩序ある統一という見地のもとに見るために役立つ。理性の諸理念は、規制的原理としてわれわれの経験に秩序を与え、それを或る種の仮定的統一にもたらす役目はもっているのである。
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2017年01月30日

2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』(2/10)

(2)シュヴェーグラー『西洋哲学史』におけるカント『純粋理性批判』 要約@

 前回は、京都弁証法認識論研究会の1月例会の場において、報告担当者から提示されたレジュメ、およびそのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介しました。今回から4回に渡って、シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』においてカント『純粋理性批判』が取り上げられている部分の要約を紹介していくことにします。

 今回は、シュヴェーグラー『西洋哲学史』でカントが取り上げられている部分の要約を紹介します。カントの生涯と先験的感性論が説かれています。

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シュヴェーグラー『西洋哲学史』より「第39章 カント」

 イマヌエル・カントは、1724年4月22日、プロイセンのケーニヒスベルクに、正直な馬具匠の父と信仰篤くものわかりのよい母との間に生まれた。大学での専攻は神学であったが、主として哲学と数学と物理学を研究し、1747年(23歳)のとき、『活力の真の測定にかんする考察』という論文をもって著作生活をはじめた。1755年ケーニヒスベルク大学の私講師となり、論理学、形而上学、物理学、数学の講義をし、後にはさらに倫理学、人類学、自然地理学の講義もした。この時代のかれはだいたいヴォルフ学派の立場に立っていたが、しかしはやくから独断論にたいして疑いを述べている。かれは一度も故郷の州から出たことはなかったが、旅行記を読むことによって、とくにその地理学の講義が示しているように、世界について非常に詳しい知識をえていた。かれはルソーの著作をすべて読んでおり、『エミール』が出たときは毎日かかさなかった散歩を2、3日やめたほどであった。カントは、1804年2月12日、80歳で死んだ。
 劃期的な主著『純粋理性批判』が出版されたのはようやく1781年のことであった。カントはその批判的立場の内面的な起源を主としてヒュームに帰している。「デーヴィッド・ヒュームの警告こそ、数年前はじめてわたしの独断のまどろみをやぶって、思弁的哲学の分野におけるわたしの諸研究にまったく別の方向を与えたものである」(『プロレゴメナ』序言)。ヒュームの警告とは、原因と結果との必然的結合の問題にかんするこれまでの理解にたいしてヒュームがくわえた批判的反駁である。『純粋理性批判』を閉じるにあたってカントは言っている――「これまでは、ヴォルフのように独断論的にふるまうか、あるいはヒュームのように懐疑的にふるまうか、いずれかを人は選ばなければならなかった。……批判の道こそ、まだ開かれていない唯一の道である。」
 かれは自分が哲学においてつくりだした変革を、天文学においてコペルニクスによってひき起こされた革命と比較している。「これまでは、われわれの認識はすべて対象に従わなければならないと想定されていた。しかし対象にかんしてア・プリオリな概念をもってなんらかの――それによってわれわれの認識が拡張されるような――決定をしようとする企ては、このような想定のもとではすべて失敗してしまった。したがって対象がわれわれの認識に従わなければならないと想定したら、形而上学の問題がもっとうまく解決されはしないかどうか、やってみようではないか。……コペルニクスの最初の思想についても事情はこれと同じであって……」この言葉のうちには主観的観念論の原理がもっとも明白かつ意識的に語られている。
 カントはわれわれのあらゆる心的能力は、それ以上共通の根源にさかのぼることのできない3つのもの、認識、感情、意欲に還元されると言っている。第一の能力が3つのすべてにたいする原理、指導的な法則を含んでいる。認識能力が認識作用そのものを含んでいるかぎり、それは理論的理性であり、欲求と行為の諸原理を含んでいるかぎり、それは実践的理性であり、最後にそれが快不快の感情の原理を含んでいるかぎり、判断力の能力である。かくしてカントの哲学は(批判の面からすれば)3つの批判にわかれる。(1)(純粋)理論理性の批判、(2)実践理性の批判、(3)判断力の批判がそれである。

1、純粋理性の批判

 純粋理性の批判とは、われわれが純粋理性によってもっている全所有物の組織的に排列された目録である、とカントは言っている。これらの所有物はどんなものであろうか。認識の成立にわれわれがもたらすものは何であろうか。カントはこれを見出すために、われわれの認識の2つの主要な要因、すなわち感性(受容性)と悟性(自発性)をくまなく調べる。第一に、われわれの感性または直観能力のア・プリオリな所有物は何であろうか(先験的感性論)。第二に、われわれの悟性のア・プリオリな所有物は何であろうか(先験的論理学の第1門、先験的分析論)。

A 先験的感性論
 われわれの感性的認識のア・プリオリな原理、感性的直観に本源的に具わっている形式は、空間と時間である。感覚の質料に属するあらゆるものを捨象しても、外官のすべての質料がそのうちに排列される普遍的な形式である空間が残り、内官の質料に属するあらゆるものを捨象しても、心の動きを容れていた時間が残る。空間および時間は外官および内官の最高の形式である。これらの形式がア・プリオリに人間の心にあることを、これらの概念の性質から直接に証明するのが形而上学的究明であり、これらの概念をア・プリオリなものと前提しなければ、疑うことのできない妥当性をもっている或る種の科学(純粋数学)がまったく不可能となることを示すことによって間接的に証明するのが先験的究明である。
 われわれ人間は、時間と空間を普遍的直観としてもつ感性をつうじてのみ直観、すなわち直接に認識することができる。ところで、空間と時間という直観は客観的な関係ではなくて、主観的な形式にすぎないから、われわれの直観にはすべて主観的なものがまじっている。すなわち、われわれは物をありのままに認識するのではなくて、時間と空間という主観的媒質を通して物がわれわれに現象する姿を認識するにすぎない。これが、われわれは物自体(Ding an sich)をではなく現象(Erscheinung)を認識するにすぎない、というカントの命題の意味である。かれの言うところによれば、かれは時間、空間の先験的観念性を主張しはするが、その経験的実在性を否定するものではない。すなわち、われわれの外部に物が実在するということは、われわれ自身およびわれわれの内的状態が存在しているのと同じ程度に確かなのであって、ただそれらは、空間と時間とから独立してそれ自らがあるとおりに現れるのではないと言うだけである。
 現象の背後にかくれている物自体について、カントは批判の第1版では、自我と物自体とが同一の思考的な実体であることはありえないことではない、と言っている。カントが憶測としてもらしたこの思想こそ、ヘーゲルまでの哲学の発展の源となった物である。しかしカントはその第2版では右の文章を削除している。
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2017年01月29日

2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』(1/10)

目次

(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント
(2)シュヴェーグラー『西洋哲学史』におけるカント『純粋理性批判』 要約@
(3)シュヴェーグラー『西洋哲学史』におけるカント『純粋理性批判』 要約A
(4)ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』 要約@
(5)ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』 要約A
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1:カント『純粋理性批判』の構成はどのようなものか
(8)論点2:カントは『純粋理性批判』で何を説いたか
(9)論点3:カント『純粋理性批判』は哲学史上、どのように位置づけられるか
(10)参加者の感想の紹介

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(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント

 我々京都弁証法認識論研究会は、昨年までの2年間にわたるヘーゲル『哲学史』の学びを踏まえて、今年からはカント『純粋理性批判』に挑戦していきます。哲学の流れの概要を一般教養レベルで押さえた上で、二律背反と物自体論を中心とするカント哲学の構造を明らかにし、自己がこの世界とどのように対峙していくのかをしっかりと押さえていこうというわけです。

 1月例会では、『純粋理性批判』を読み進めていくにあたって、これまでこの例会で扱ったシュヴェーグラー『西洋哲学史』及びヘーゲル『哲学史』において、『純粋理性批判』がどのように取り上げられていたのかを確認しました。今回の例会報告では、まず例会で報告されたレジュメを紹介したあと、扱った範囲の要約を4回に分けて掲載し、ついで、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に、この例会を受けての参加者の感想を紹介します。

 今回はまず、報告担当者から提示されたレジュメ、およびそのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介することにしましょう。

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京都弁証法認識論研究会 2017年1月例会
カント『純粋理性批判』を読んでいくにあたって

はじめに
 我々がカント『純粋理性批判』を読んでいくのは、いうまでもなく、自分自身の学問的実力(世界の全てを論理的・体系的に把握する力)を創っていくための取り組みの一環として、である。そのためには、「個体発生は系統発生を繰返す」の観点から、哲学の歴史を自分自身が辿り返すために『純粋理性批判』を読んでいくのだ、という姿勢が欠かせない。『純粋理性批判』を、あくまでも哲学の歴史の大きな流れのなかに位置付け、人類の認識の発展史においてどのような問題を解決し、どのような問題を後世に残したのかをつかんでいく必要がある。今回は、カント『純粋理性批判』の哲学上の位置づけを考える上で踏まえるべきものとして、南郷継正の著作における『純粋理性批判』に関する記述を確認しておきたい。

1.「二律背反」「物自体論」とはどういうものか
 南郷継正は、「新版 武道と弁証法の理論」(『全集第十二巻』所収)の「論理学基本用語五十」で、「二律背反」「物自体論」を取り上げて解説している。

「(四七)二律背反とは何か。カントが『純粋理性批判』で空間は無限であると証明できると説いているが、また、空間は有限であるとも証明できる。このように、あることを証明するのに、一方ではAと証明でき、他方では非Aと証明できるといった具合に、正反対のことが同一のことでしっかりと間違いなく証明できることを、二律背反というのである。……
 弁証法ではこれを対立物の統一として解決できるのであるが、カントは背反している二律を統一できるほどの実力の形成が今一歩及ばず、結果として物自体の性質は主観としての認識が決定するのだと「物自体論」でもって、説くことになってしまったのである。」(『武道哲学講義 著作・講義全集 第十二巻』p.112)
「(四八)物自体論とは何か。カントは……二律背反の先にある解決に悩んだあげく、二律が相反するのは、対象の性質のゆえではなく対象に性質がないがゆえとして論理の問題として自分の観念たる認識、すなわち頭脳活動の実力に解決を求めてしまったのである。……」(同、p.113)

 また、『武道哲学講義(第二巻)』の「第二部 『学問としての弁証法の復権』――弁証法の学的復活を願って――」の「第三章 学問としての弁証法の学びに必須の認識論」の「第二説 歴史上の哲学者による認識論の究明」では、カント『純粋理性批判』からヘーゲルへの発展について次のように説いている。

「カントの学問的な評価として本当に存在するものは、「二律背反」と、「物自体論」なのだと、諸氏が私の読者であるなら分かってほしいものである。ここをしっかりと分かることが、カントの真髄を理解できるかどうかの分かれ道となるからである。
 諸氏には『純粋理性批判』の学習はとても難解だと思うが、これは本書で説いている弁証法の成立過程に諸氏がしっかりと学んでいれば、次第にカントの理論の中身が分かってくることになっていく。
 カント以上の大哲学者たるヘーゲルは、カントのここをしっかりと弁証法的レベルで学びとって理解しきれたからこそ、彼ヘーゲルは学問上の実力が見事に培えたのだと断言しておこう。……
また、ここを単なる「理論上の」二律背反としただけで、そこを理解する能力のなかった人は、二律背反を学問的哲学的、弁証法的に説明しきれず、ましてやこの二律背反と物自体論の含む立体構造を体系として解ききることはなかったのである。でもさすがにヘーゲルはそれを成し遂げたのだともいえるのであるが、肝心の点で大失策をしてしまったと、ここでは説いておこう。」(『武道哲学講義(第二巻)』、p.179)

2.ヘーゲルの「大失策」とは何か
 この「大失策」については、「ヘーゲル」の「物自体論」理解、およびそれをふまえた「三浦つとむ」の「物自体論」解説が引用された上で、次のように述べられている。

「学的レベルで説けば、カントの「物自体論」なるものは、本質論レベルでの概念であることを、お二方は分かることがなかったということである。それだけに、お二方はここを現象レベルで捉え返して、このような解説をなしてしまうとの愚を犯すことになったのである。
 「論理学」の本質論と「論理学」の現象論とはレベルが大きく異なるのであり、「現象論」は「構造論」を経てようやくに「本質論」へと転成していけるのであり、「現象論レベル」への物自体と二律背反は、「構造論レベル」の物自体と二律背反でないことくらい、お二方には分かるべきだったのである。
 まして本質論レベルでは、二律背反は存在しない(できない)し、物自体の本質論というものを概念化することなしには、本当の二律背反の概念も成立できないのである。」(『武道哲学講義(第二巻)』p.185)

 さらに、このことに関わって『全集第二巻』の「あとがき」では、次のように述べられている。

「カントの『物自体』論、『二律背反』論は本当はその成立過程の論理構造こそが大事であるのに、すなわちここは学問レベル、論理学レベル、哲学レベルでその構造の成立過程をとらえ返さなければならないのに、『物自体』論を事実レベルにおとしめて批判したヘーゲル(『大論理学』〔先験的観念論の物自体論〕)も含めて、そこをなすことをしなかったばかりに、多くの学者たちは哲学者カントの実力をずいぶんと低くみてしまったものだなあ」(『武道哲学講義 著作・講義全集 第二巻』、p.366)

 また、『全集第十二巻』では次のように述べられている。

「カントの「物自体」論は、これは本質論であり、けっして構造論でもなければましてや現象論や実体論でもない。なのにどうしてヘーゲルほどの人物が、事実的批判! レベルなのであろうか。これはまったくもって現象論がようやくである。では、ヘーゲルはどうすべきだったのか。解答は簡単である。カントの「物自体」はカントにとっての本質論なのであるから、ヘーゲルは自らの本質論である「絶対精神」の過程的構造ないし構造の過程を把持して、そのレベルで批判すべきだったのである」(『武道哲学講義 著作・講義全集 第十二巻』、p.87)

3.報告者からの若干のコメント
 カントにおいて学問的に重要なのは「二律背反」と「物自体論」であり、ここが分かっていなければカントの真髄は理解できない、という指摘を、『純粋理性批判』を読み進めていく上での大前提として、改めてしっかりと確認しておくべきであろう。また、カントの理論の中身を分かるためには、『武道哲学講義(第二巻)』などで説かれている「弁証法の成立過程」をしっかりと学んでおかなければならない、という指摘もしっかりと受け止めておかなければならない。古代ギリシャ以来の弁証法の生成発展の歴史の流れのなかで、カントの「二律背反」「物自体論」がどのような位置を占めるのか、その立体構造の成立過程をしっかりとつかむことが必要であろう。そのようにしてこそ、「現象論レベル」の物自体と二律背反と「構造論レベル」の物自体と二律背反とはどういうものか、また、カントの「物自体」はカントにとっての本質論であるとはどういうことか、などの問題が解けてくるのではないだろうか。

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 以上の報告に対しては、概ね肯定的な評価が述べられました。南郷先生がカント哲学に関わって説いておられる部分を引用してあるので、今後の学びの指針とすることができるとか、もう一度南郷先生著作をしっかりと読み返してみることで、カントがどのようなことを哲学史上で成し遂げ、何が課題として残ったのかを把握しておく必要があるとか、南郷先生の指摘に従って、『純粋理性批判』を理解するために弁証法の歴史を徹底して学ぶ必要があるとかいったコメントがありました。
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2017年01月28日

一会員による『学城』第4号の感想(13/13)

(13)我々はどのような研究活動を行っていくのか

 本稿は『学城』第4号の感想を認めることによって、特に全体を貫くテーマとして設定した「一般論を掲げての学びの重要性」という観点から、この第4号の中身を主体的に自分の実力とすることを目的として、これまで第4号に掲載されている11本の論文を取り上げ、その要約を行い、学ぶべき点を明かにしてきたものである。

 ここでこれまでの流れを、「一般論を掲げての学びの重要性」という点に絞って、大きく振り返っておきたいと思う。

 まず、連載第2回に取り上げた加納論文では、「一般論を掲げての学びの重要性」が総論的に説かれていた。すなわち、まずは自らの専門とする対象の一般論を措定するまでの学びとして、先学の業績をしっかりと自らの実力と化しつつ、その歴史的な流れを論理的に把握するとともに、さらに広く、哲学史の流れを押さえること、一般教養を深く学ぶことが必要だとされていた。そうした過程を経て一般論を措定した後は、その一般論から対象的事実を説いていく必要があるということであった。

 こうした「一般論を掲げての学び」が学問構築過程において必須であることも説かれていた。連載第5回に取り上げたP江論文では、「一般論を掲げての学び」が学問構築過程での鍵であり、こうした学びを経て、当初仮説的に掲げた一般論が本質論へと昇華することが説かれていた。連載第6回に扱った本田・P江論文では、一般論を磨き上げておくことによって、他者の提唱する学説の成否が即座に判断できることが説かれていた。また、連載第8回に取り上げた小田論文でも、「一般論を掲げての学び」が学問構築一般論であり、対象の構造を深めていくことになっていくことが述べられていた。

 連載第9回の志垣論文では、自らの対象とする分野をより広い一般論から考察していくことの重要性が説かれていた。すなわち、障害とは何かを問うにはそもそも人間とは何かから問い、障害児教育を問題にする際にはそもそも教育一般論を土台にすべきことが説かれていたのであった。つまり、ある対象に関する「一般論」はそれだけで独立してあるのではなくて、諸々の対象の構造に見合った形で「一般論」も立体的な構造をなしているということである。

 では、どのような学問をするにしても必須の「一般論」にはどのようなものがあるのか。連載第3回第4回の悠季論文、連載第7回の諸星・悠季論文では、認識一般論の重要性が指摘されていた。具体的には、認識一般論を媒介として、古代ギリシャのタレスの認識に関する具体的な事実が論理的に説かれていたり、ギリシャが文化のレベルをアップさせていった過程が展開されていたり、ヒポクラテスの時代の医療が一般的に措定されて、それが事実レベルで説かれていたりしたのであった。連載第10回の横田論文では、住宅などの人間に関わる問題を説くためには、「生命の歴史」をしっかりと踏まえる必要があることが説かれていた。連載第12回で取り上げた南郷論文では、こうしたことを踏まえて、「人間とは何か」を「国家とは何か」を押さえつつ把握することが重要だとされていたのであった。

 連載第11回で扱った井上先生の小説では、「一般論」の理解を深めるために、宗教における「悟り」ということに絡めて「一般論」が展開されていた。すなわち、「悟り」とは主客合一の境地であり、学問でいえば「一般論」に到達したことを意味するということであった。

 以上、これまで説いてきた中身の重要な点を振り返っておいた。端的にまとめると、学問構築過程においては、何よりもまず、一般論を掲げての学びが重要であって、そのためには、個別科学史を哲学史をふまえる形で研鑽しつつ、一般教養レベルの学びを深めていく必要があるのであって、こうした過程を経て仮説的にでも一般論を掲げたならば、そこから対象的事実に問いかけ、対象の構造をしっかりと把握しつつ、一般論を本質論へと高めていく必要がある、これが学問構築過程であるということであった。さらに、こうした学びの過程においては、認識とは何か、「生命の歴史」はどのようなものか、人間とはどういう存在かという本質的な問題については深く学んでおく必要があるということであった。

 連載第1回に述べたように、今回取り上げた『学城』第4号はそれまでの「弁証法編」という文言が消え、いわば弁証法が当たり前の実力を身に着けた上での学びの過程が説かれていたのであった。しかし、ここでよく考えておくべきことは、これは何も、もう弁証法の学びを卒業したとして、弁証法の学びを全くしなくてよいということでは決してないということである。

 我々京都弁証法認識論研究会においても、20年になろうという歩みにおいて、あるいは新規会員が入会してきたことをきっかけとして、あるいは基本的な概念がまだまだ不明確であることが判明したことによって、弁証法の基本書である三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』に立ち返っての学びを繰り返し実践してきたのである。つまり、今回取り上げた『学城』第4号への学びにおいても、弁証法を全く度外視しての学びということはあり得ないのであって、弁証法の学びを土台としつつ、さらに「一般論を掲げての学び」を実践していくということでなければならないのである。

 こうした基本はしっかりと押さえつつ、さらに認識論や「生命の歴史」をしっかりと踏まえつつ、「人間とは何か」に関する諸々の学びを実践していくことを土台として、また深い一般教養の学びに取り組みながら、それぞれの個別科学史、その背景にある哲学史を深めていくこと、そうしてそれぞれの分野での一般論をまずは措定して、そこから対象の構造を深めていくことを目指して、今後も我々京都弁証法認識論研究会は今後も活動していく予定である。具体的には、弁証法については常に『弁証法はどういう科学か』に立ち返って学び続け、認識論については海保静子『育児の認識学』、南郷継正『なんごうつぐまさが説く 看護学科・心理学科学生への“夢”講義』に徹底的に学び、「生命の歴史」については本田克也・加藤幸信・浅野昌充・神庭純子『看護のための「いのちの歴史」の物語』を土台にして学び続け、「人間とは何か」を分かるために「歴史を題材とした時代小説」「人間の心を主題にしている小説」「社会派とされている推理小説」(『なんごうつぐまさが説く 看護学科・心理学科学生への“夢”講義(1)』p.106)をしっかりと学んでいき、さらに哲学の流れの理解を深めていくことを研究会共通の土台とする。その上に、個別科学史の研鑽及び一般論の措定、さらにはその一般論から対象とする専門分野の構造を把握していくことを大きな目標として活動していく予定である。本ブログのタイトル部分にも掲げてある通り、「日本復興」のための学問の道を歩み続けていく覚悟を述べて、本稿を終えることにする。

(了)
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2017年01月27日

一会員による『学城』第4号の感想(12/13)

(12)学問構築のためには「人間とは何か」、「国家とは何か」を学ぶ必要がある

 今回取り上げるのは、南郷継正先生による「学問への道」に関する講義である。ここでは、弁証法の学びの重要性について説かれていく。

 以下、本論文の著者名・タイトル・目次を掲載する(本論文にはリード文はない)。

南郷継正
東京大学学生に語る「学問への道」(2)
―平成16年、夏期東京大学合宿講義―

 〈目 次〉
第1章 真の東京大学の復権に向かって、何をいかに学ぶべきか
 第1節 弁証法と武道空手の学びの同一性について
 第2節 農学とは何か―歴史における農業のおこり
 第3節 武術の歴史上の登場について
(以上、『学城』第3号 収録)
 第4節 論理的な頭脳を創るための学びを説く
 第5節 日本のリーダーとなるために
第2章 東大生に贈る、見事な頭脳になるための「学問としての弁証法」
 第1節 学問一般としての哲学を説く
 第2節 弁証法とは何か
 第3節 人間の頭脳は創り創られた実力によって活動範囲が確定される
 (以下次号)
 第4節 東大生として創り創られてきたことの欠陥
 第5節 頭脳を創りかえるためには
第3章 質問に答える
 第1節 組織について学ぶことの意義
 第2節 アリストテレスとヘーゲルを学ぶ理由
 第3節 人間体を武道空手体に創りかえるとは
 第4節 法は社会によって創られる
 第5節 社会にはそれを統括する指導者が必要である
第4章 弁証法・認識論・論理学とはなにか
 第1節 一流の人間になるためになすべきこと
 第2節 今の大学教育に欠けたるもの
 第3節 弁証法とはなにか、どう学べばよいのか
 第4節 認識論とはなにか
 第5節 論理学とはなにか

 本論文ではまず、論理的な頭脳ができない理由が説かれる。1つは、脳が頭脳として働くための運動不足のため、2つ目は、一般教養の知識が決定的に不足しているためだとされる。そして、一般教養の体系的な勉強が弁証法の学びのための基本であること、一般教養として修得した知識を体系性を持って並びかえられるための実力としての論理学の学びも必要であることが説かれる。次に、日本のリーダーとなって、自らの意志で日本を創るためには、「人間とは何か」、「国家とは何か」を知り、武道空手を修業して第一級の人生を歩めるための体力・精神力を培う必要があると述べられる。また、世界一を目指すためには、「学問としての弁証法」と「武道としての空手」をともに学ぶ必要があると説かれる。論の展開はここから哲学と科学に移っていく。科学は哲学から分かれたものであって、逆に東京大学全体の講座を集合させ、それを統括したものが哲学であると説かれる。そして弁証法に関しては、学問が弁証法的な努力の末に創出されたものであり、古代ギリシャ、カント、ヘーゲルの学問を学ぶためには、弁証法の真の実態を知らなければ不可能であると述べられる。最後に、人間はすべてにおいて人間として育てられるべく育てられないと、決して人間にはなれないということをしっかりとおさえて、頭脳(実体)と頭脳活動(機能)を向上できるようにしていく必要があると説かれる。

 本論文についてまず感じたことは、今まであまり意識していなかったのだが、この講義の内容ではなくて雰囲気が、非常に格調高いということである。もちろん、内容が伴ってこその講義であるが、実際に当時、南郷先生が東京大学の学生に向って説いておられた風景がはっきりと頭の中に浮かんでくるような、圧倒的な存在感を持った文章であることが、まずもって非常に印象的であった。さらに内容についても、細かいところからいえば、サル(猿類)からヒト(人類)への過程において、農業の創出、労働による手足の駆使が如何なる役割を果たしたのか、記憶力と思考力が如何なる関係にあるのか、一般教養の学びは如何にあるべきか、空気中の窒素の役割は何か、肺の役割は何か、といった諸々の問題に触れられていることが分かってくる。もちろん、これらの問題に関しては、その全てがこの短い講義の中で説き切られているわけではないのであるが、自分もそうした問題を単に知識として知っているだけではなくて、論理的に筋を通して考えられる頭脳の実力を手に入れたい! 何としてもそうした実力をつけて日本の真の指導者になりたい! と思わせるような感動的な展開となっているのである。

 さて、本稿全体を貫くテーマとして設定した「一般論を掲げての学びの重要性」ということに関わって、本論文から学ぶべきことを考えてみよう。それは、何といっても、「人間とは何か」という一般論をしっかりと把握してかかる必要があるということである。そもそも学問とは、人間が創出するものであり、人間が直面する諸々の問題を解決して、よりよい生活を享受するために創出するものである以上、その学問を生み出す主体であり、学問の成果を享受する客体であるところの「人間とは何か」という問題については、どの分野の学問であってもしっかりと押さえておくべき事柄になるのである。

 では、その「人間とは何か」である。本論文では以下のように説かれている。

「人間は創られて人間となり、創って人間となる」(p.196)

 この規定は、人間と他の動物とを分かつ決定的な要因が内に含まれているものであり、人間に関わる問題を説く際には、必ず踏まえなければならない人間一般論である。つまり、人間は他の動物のように、放っておいても育っていくというものではなくて、教育如何によって人間になれるのであるし、いわゆる個性というものも、生得的なものはほとんどなく、大半は生まれてからのしつけや教育によって創られてきたものであるということであるし、人間の認識を問題にするにしても、人間の言語を問題にするにしても、経済にしてももちろん教育に関しても、全て人間に関する問題を説こうとするならば、必ずこの人間一般論を押さえて、ここから説いていく必要があるということである。例えば、筆者の専門分野たる言語に関しても、人間は創り創られて人間となるということの過程における言語の役割をしっかりと考察することから研究をスタートさせていく必要があるのである。そもそもなぜ言語を人間が生み出したのか、その原点から問うていく必要があるのである。

 本論文ではさらに、この「人間とは何か」に加え、「国家とは何か」を知る必要がある、それはまともな人間社会のリーダー、統括者となるために必須の事柄であるとされていることも注目に値する。すなわち、人間の問題を考える際には、個別に人間を取り出し、人間だけを視野に研究を進めるというやり方では駄目であって、必ず社会的個人としての人間、国家の成員としての人間という視点で研究を進める必要があるということが示唆されているのである。人間は、社会から断絶されては生きていけないし、その社会とは、国家という枠組みを持って初めて成立可能なものだからである。故に、「人間とは何か」、「国家とは何か」という原点をしっかりと学びつつ、それぞれの個別科学の発展にまい進していく必要があるのである。

 以上をしっかりと踏まえて、何度も何度もこの論文に学び続けていくとともに、言語学の新たな地平を切り開いていく決意を述べておきたいと思う。
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2017年01月26日

一会員による『学城』第4号の感想(11/13)

(11)「悟り」と一般論との共通性とはどのようなものか

 今回取り上げるのは、井上真紀先生による小説である。前号の続きとして、今回も「悟りへの道を考える」ための内容が展開されている。

 以下、本小説の著者名・タイトルである。(本小説にリード文はない。)

井上真紀
青頭巾―『雨月物語』より(下)
―悟りへの道を考える(2)

 本小説のあらすじは以下の通りである。

 夜になり雨が降り出した。座禅を組んだ西庵のもとに、昼間の青年僧が歩み寄る。昼と違い、髪は肩まで届き、髭におおわれ、血走った眼だけが光っている。西庵を探し出そうとしているようであるが、本尊の真ん前に鎮座しているのに目に映らないらしい。西庵が呼びかけやっと気づいた住職は、自分と白菊丸との寺に土足で入り込んだ西庵に我慢ならず飛びかかるが、西庵はその鼻面を杖で撲りつけ、白菊丸に住職を救ってくれと言われてここにやってきたことを話し、静かに語り始めた。―紀清(西庵の俗名)は主人の奥方に歌を披露し褒められた上、御簾の隙間から白い横顔をちらりと見て以来、恋に落ちてしまった。22の紀清には妻子もいたが、恋慕がつのるばかりであった。その後幾度か、人のいないときに声をかけられ会ううちに、ますます思いは募る。そしてとうとうある夜、奥方腹心の侍女に連れられて、紀清は邸奥の寝所へ引き入れられた。その一夜、ついに願いがかなったが、その後奥方は手のひらを返したように、邸の奥に引きこもり、紀清に姿を見せることがなくなってしまった。そのため余計に心が乱れた紀清は、いつか手引きをしてくれた侍女をつかまえ、その情熱を訴えると、老境の侍女は「奥方様は、『あこぎの浦ぞ』とおっしゃっておれらます」とそっけなく告げた。さらに今までこっそりと何人の殿方を通わせたことかと紀清をさげすむ。それでも思慕の念が激しさを増した紀清は、自殺や心中を考えるが、とうとう23歳で出家し、自分の心を歌にして吐き出し続けた。風の便りにあの奥方も40代の若さで亡くなったことを聞いたりもして、あるときふと気づいた。あの人はここにいる、月も花も雨水もすべてあの人の変わり身だということに。―話を終えた西庵は住職に声をかけるが、そこには誰もいない。翌朝、本堂の中に住職が身に着けていた青い頭巾が落ちていたのを拾って寺を後にした西庵は、あの夜、枕元に現れた稚児に礼を言われた。稚児は畜生の身に生まれ変わると言い残して消えていったのである。

 この小説に関して考えてみたいことは、副題にもある「悟り」についてである。

 まず、「悟り」とはどういうことかを考察してみたい。この小説は非常に捉えどころがなく、「悟り」の手がかりがないようにも思えるが、読んでいくと少し気になる表現がいくつか出てくることに気が付いてくる。それは、住職が目の前にいるはずの西庵を見つけられない、あるいは見失うという場面が描かれている部分である。

「座禅を組んだ西庵は、昼間の姿勢のまま、彫像のように身動き1つしていない。端然とし得て静謐なる様は、埃に覆われたこの堂の本尊と同じ有様である。」(p.153)

 昼間の姿とは違った、まるで鬼か怪物かにでもなってしまったかのような住職が初めて登場する場面の西庵の描写である。この西庵を住職は目の前にいるにもかかわらず見つけられないのである。

 もう1つの場面は、住職が、自らが喰ってしまった白菊丸と一心同体だと主張するのに対して、西庵が「白菊丸は、そなたと共にはおらぬよ」と反論したことに激高して、西庵に飛びかかる場面である。

「西庵は、その刹那、すうと眼を閉じて、心をある境地に集中させた。」(p.156)

 そうすると飛びかかった住職は、途端に目標を見失ってしまうのである。

 こうした住職が西庵を見失う場面の描写に加え、西庵が出家して最後に辿りついた境地についての以下の説明を合わせることで、「悟り」とはどういうことかが見えてくるのである。

「そしてあるとき、ふと気付いた。自分はあの人を手に入れられないと苦しんで悲しんでいたけれど、そうではないではないか。あの人はここにいる。自分とともに、ここに存在している。自分が歌を詠もうと眺める月も、桜の花も、天からしたたる雨水も、すべてあの人の変わり身だ。眼を閉じれば、静かになった自分の心に寄り添って、いや、自分自身を包み込むようにしてあの人が存在するのを感じられる。」(p.161)

 つまり、先の描写とこの引用部分を合わせて考えるならば、「悟り」とは主客合一、自分も相手も、全ての自然も何もかも、結局は自分自身と同じものだと知ることだということになろう。自分が思慕した奥方は、奥方としての姿であるのではなくて、そこにもここにも様々な形で自分の前にいるのであるし、さらにそれらは自分を包んで自分と一体化しているのだという境地こそが「悟り」であり、だからこそ上の場面では住職が西庵と他のものとの区別がつかずに、西庵を見失うことにもなってしまったのである。

 では次に、この「悟り」ということと、本稿のテーマである「一般論を掲げての学びの重要性」ということとのつながりはどのようなものか、この問題を考えておきたい。答えを端的にいえば、それは「一」ということになる。どういうことかというと、「悟り」の境地においては、自分も自分以外のものも全ては一体化しており、区別し難く結びついていたのであるが、これは全ては「一」ということである。一方、学問における「一般論」に関しても、これは自らの対象とするものの全てをここから問い、全てをここに収斂させるべき「一」であって、哲学でいえば、世界の森羅万象の本質、根本原理、ヘーゲルのいう「絶対精神」である。だから、「悟り」の境地に達したということは、学問の世界でいえば「一般論」を措定し得たということであり、この物語に即していえば、西庵が出家してから諸国を巡り、寺社を訪ね、参禅し、歌を詠み続けた末に到達した主客合一の境地というのは、学問を志し、大志・情熱を持って論理能力を磨くとともに、自らの対象とする学的世界に格闘レベルで関わる中で、遂に到達できた「一般論」であるといえるのである。さらにいえば、この物語で西庵は、主客合一の境地に達してからも研鑽し続けているように、そしてその境地を語るという実践を続けているように、我々も学問の世界において、仮説的に捉えた「一般論」を高く掲げて、そこから自らの専門分野の対象に問いかけ、深めていった構造を世に問うていくという実践が必要になってくるのである。ここを端的にいえば、「一般論」を措定してからがスタートであって、ここから学問の道が始まるのだということである。

 我々京都弁証法認識論研究会は、長年の研鑽をふまえて、やっと今スタート地点に立ったという認識を踏まえて、今年1年を大きく飛躍の年と位置付け、研究会の機関誌の発行を目指して歩んでいることは、今年の年頭論文「年頭言:機関誌の発刊を目指して」で説いた通りである。全てを自らの問題として考察し続けていくことで、自らの学問を創出していく決意を改めて述べておくこととしたい。
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2017年01月25日

一会員による『学城』第4号の感想(10/13)

(10)人間に関する問題を説くには「生命の歴史」を踏まえる必要がある

 今回取り上げるのは、横田政夫先生によるバリアフリー住宅についての論文である。そもそも人間にとって住宅とは何かという本質的な問題からバリアフリー住宅が問われていく。

 いつものように、まずは本論文の著者名・タイトル・リード文・目次を示しておく。

横田政夫
「バリアフリー住宅」は転ばぬ先の杖か
―人間にとって「住宅」とは何か―

 本稿では、「バリアフリー住宅」を、若く健康な時期から導入することが、いかなる結果を招くことになるかを、人間にとっての住宅とは何かをふまえながら論じていく。

 〈目 次〉
一、「バリアフリー住宅」とは
 (1) 「バリアフリー住宅」は一般的にどうとらえられているか
 (2) 「反バリアフリー住宅」をつくった芸術家
 (3) 「バリアフリー住宅」は本当に転ばぬ先の杖か
二、そもそも住宅とは何かから「バリアフリー住宅」を問う
 (1) 人間にとって「住宅とは何か」
 (2) 住宅一般から、「従来の住宅」と「バリアフリー住宅」とを考える
 (3) 住宅一般からみると「バリアフリー住宅」は身体を必要以上に衰えさせることにつながる

 本論文ではまず、バリアフリー化が高齢者の健康を維持する上で効果があるかどうかについては、人間とは何かをしっかりとふまえて考える必要があると説かれた後、一般的な見解として、高齢者にとっても安全で快適で使いやすく住み続けられる住宅をバリアフリー住宅というということが紹介される。また、こうした見解ときわめて対極的な考え方として、「反バリアフリー住宅」、すなわち床が傾き凸凹しており、球形や円筒の部屋があるユニークな住宅をつくった芸術家が取り上げられる。彼は、五感を懸命に駆使した生活をすれば体が活性化し新しい自分が生れてくると主張するが、横田先生はこの住宅について、通常の住宅としては失格であると断じるのである。そして、確かに体が不自由になってしまった高齢者にとっては「バリアフリー住宅」は必要であるが、まだ健康で働きざかりの内から「バリアフリー住宅」を導入することはかえって自立を妨げると説かれる。そのことを理解してもらうためとして横田先生は、そもそも人間にとって住宅とは何かを問う必要があるとして、「住宅とは、人生レベルでの生命と身体の一般性を、しっかりと維持できるように、その一般性を過程的に把持可能な形式で囲った生活の実体的枠組み」だと説かれる。そして、この住宅一般論を踏まえて「バリアフリー住宅」が人々の生活の再生産がうまくいくような住宅であるか検討しなければならないと述べられる。そこで昔の段差ばかりの家に住みながらも、かくしゃくとして生活をしている方が取り上げられ、そうした人たちは食事・睡眠に加え、必ず手足を使った運動をしているし、脳が運動体をしっかりと統括しているのだと説かれる。そして結論として、「バリアフリー住宅」では手足の運動をさほど必要としないことから、バリアフリーで生きるに必要なレベルでしか手足や脳を使わないため、結果として脳や体全体を衰えさせるのだと述べられる。

 この論文についても、まず取り上げるのは、『学城』第4号全体を貫くテーマとして設定した「一般論を掲げての学びの重要性」についてである。そもそもタイトルにも「人間にとって「住宅」とは何か」とあるように、「バリアフリー住宅」という特殊な問題を論じるについても、住宅一般論をしっかりと把持して説いていく必要があることが示されているのである。また、こうした問題を論じるにあたって、「人間とは何かをしっかりとふまえて考える必要があろう」(p.139)と述べられている通り、住宅一般論すらも人間一般論から導き出されているのである。これは前回確認したように、ある対象についての一般論を措定するためには、より広い対象についての一般論を踏まえる必要があるということであり、住宅という問題について考えるのなら、その住宅に住む人間とは何かという問題についてもしっかりと踏まえておく必要があるということである。

 こうしたことを踏まえて、横田先生が措定された住宅一般論がまた多くの学ぶべき事柄を備えたものとなっている。横田先生が措定された住宅一般論は、「住宅とは、人生レベルでの生命と身体の一般性を、しっかりと維持できるように、その一般性を過程的に把持可能な形式で囲った生活の実体的枠組み」であるというものであるが、この規定には、生命が単細胞生物から人間にまで進化してきた歴史の論理である「生命の歴史」が内実として含まれているのである。どういうことかというと、この一般論にある「その一般性を過程的に把持」することとはどういうことかについて、横田先生は、「生命体を誕生させた地球が、その「いのち」の発展の最高段階である人間にまで発展させた、その地球との関係性の一般的性質を把持する、ということである」(p.144)と説いておられるのである。つまり、住宅という人間の住まいに関する問題を考えるにしても、その人間とはどういう存在であるのかということを生命誕生時から連綿と続いてきた地球環境と生命との相互浸透過程を射程に入れつつ捉えておられるということである。そして、ここで述べられている生命体と地球との「関係性の一般的性質」については、具体的に、「住宅の中が、十分な陽光でそそがれていること、そして陽光にあたった水分を含む新鮮な空気がいつも入ってくること、動植物が育まれる大地に接していること、そして、その大地から湧き出す水を取り入れることができる、といったような、生物を育む自然の、その一般的な性質」(p.145)だと述べておられる。このように、住宅一般論について考える際に、「生命の歴史」をも土台として含んだような規定をサラッと説いておられるという見事な展開となっているのである。

 もう1つ、この論文から学ぶべきことは、人間の労働とはどのようなものかということについてである。横田先生は、先に提示した住宅一般論を踏まえられていない典型例として、「地上200メートル、300メートルといった超高層マンション(オフィスも含めて)」(同上)を挙げつつ、次のように説いておられる。

「人間はどのような住宅を創るかによって、その住宅のあり方に規定される形で、生活する人間自身をも創り創られもするということである。…人間が、何か対象に働きかければ、必ず何かを創りだすことになり、その結果、それに見合った自分が創りだされることになり、ましてやそれを住宅として日常的に使うとなれば、その生活そのものによって観念的にも肉体的にも、自分自身が規定されるばかりか、別の人格すら誕生されてくるということである。」(pp.146-147)

 ここで説かれていることは、一般的には、労働によって人間が創りだしたものは、逆に人間自身を規定してくるのであって、それが住宅といった日常的に使うものであればあるほど、精神的にも物質的にも人間のあり方をより大きく規定してくるものとなるということである。例としては、高層ビルに住む子供たちは、外に出る機会も少なく、野山を駆け巡るといった運動が少ない分、手足を自然とのかかわりの中で運動形態に置くことも少なく、そういう貧弱な手足を統括するレベルでしか脳も育たないことを挙げておられる。労働と疎外の関係といった弁証法的な把握もサラリと展開しておられて、非常に納得感のある展開となっている。人間の労働とは何かというイメージを大きく膨らませ、言語の謎に迫っていく上でも重要な展開だと感じた次第である。
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2017年01月24日

一会員による『学城』第4号の感想(9/13)

(9)一般論を措定するためにはより広い対象についての一般論を踏まえる必要がある

 今回取り上げるのは、志垣司先生による障害児教育に関する論文である。ここでは、教育実践の指針となる障害一般論、障害児教育一般論が展開される。

 いつものように、まずは本論文の著者名・タイトル・リード文・目次を示しておく。

志垣司
障害児教育の科学的な実践理論を問う

 我が国の障害児教育は特別支援教育と改称され一見順調に発展しているかに見える。しかしその内実を問えばいまだ教育実践の指針となる科学的な実践方法論はなく、日々の実践は手探りの混迷状態にある。本稿では、人間一般をふまえた実践方法の理論の必要性を説く。

 〈目 次〉
はじめに
一、障害児教育とは
 (1)障害とは何かを人間一般から問う
 (2)障害児教育とは何かを教育一般から問う
二、科学的実践方法論の構築と確立に向けて
 ―私の専門分野は障害児教育全体の中のどこに位置づけられるのか
 (1)「自立活動」とは何か
 (2)「自立活動」の目標と内容とは
 (3)「自立活動」の担当者とは
 (4)「自立活動」(教育)と「機能訓練」(医療)とは
今回のまとめ

 本論文ではまず、障害児教育の現場では思いつきレベルや他分野からの借り物の実践が積み上げられるのみという厳しい現実が紹介され、それが人間一般・教育一般から障害を問うことがなく、認識を見てとり育てる術をもつことができないためだとされる。そして、学習指導要領の障害児教育の定義や国連や厚生労働省による障害の規定が確認され、これらは全て現象的な把握に過ぎず、教育のための指針は出てこないと断じられる。そこで、「人間とは何か」や「教育とは何か」という一般論から、障害や障害児教育の概念規定がなされていく。すなわち、「障害を負うとは、実体及び機能上の不可逆的な変化によって、そのままでは環境との相互浸透ができにくくなることである」し、「障害児教育とは、成長過程における障害による認識(=像)のゆがみを最小にするように環境を整えながら、文化遺産の継承を可能な限り大きくさせていくことにある」というのである。さらに、実践方法論とは何かが問われ、これは実践の事実の共通性を論理化し理論化したものであると説かれる。ここで志垣先生の専門分野である「自立活動」について説かれる。「自立活動」とは、普通教育の基礎・基盤を培うために、直接に障害に関わる指導領域として位置づけられるものであり、自らの障害に関わって子ども自身の主体的な改善・克服のための認識形成をめざして健康の保持、心理的な安定等を図るものだとされているが、その中身は何もないという現実だという。しかも「自立活動」の担当者の養成も十分ではなく、だからこそ志垣先生は自らの責任でその中身を創り上げていくしかなかったと説かれる。最後に、「自立活動」と「機能訓練」の違いが説かれる。すなわち、両者は同じ運動をさせていくという共通点があるものの、前者は教育であり、その目的が認識に働きかけつつ子どもたちを育てていくことにあるのに対して、後者は医療であり、健康を守ることを目的に運動の獲得を目指すものだと述べられる。

 この論文に関してまず取り上げるべきことは、『学城』第4号全体を貫くテーマとして定めた「一般論を掲げての学びの重要性」に関わって、その一般論というものは単独で存在するのではなくて、諸々の対象に関する一般論が立体的に絡み合っているのだということについてである。どういうことかというと、本論文では「障害とは何か」の障害一般論を導き出すにあたって、「人間とは何か」という人間一般論を踏まえておられるし、「障害児教育とは何か」という一般論を説くためにも、そもそも「教育とは何か」という教育一般論を踏まえておられるというように、自らの専門的対象に関わっての一般論を措定するに際して、より広い観点から自らの専門的対象を取り上げて、そのより広い観点をしっかりと内に含む形でその中の特殊領域である自らの専門分野の一般論を構築しておられるのである。このことを具体的に見ていこう。

 まず、志垣先生は障害の概念規定をするに際して、「本質的にいって、人間はすべてにわたって教育されてはじめて〈人間〉となりうる」存在であるという南郷継正先生の「人間一般」の規定を確認しておられる。そしてこの規定は「人間とは何か」を教育から見たものだとして、さらに環境との関わりで捉え返して、「人間は生まれてこのかた、環境とのやり取りをしながら育ち、また育てられていく存在である」(p.127)と述べておられる。しかも、この「環境とのやり取り」について、他の動物とは違い、「人間は認識によって環境に働きかけ、環境を変え、変えたその環境に適応し、さらに環境と自分を変えていくという限りの無い環境との相互浸透的な労働をして発展してきたのであり、そのように育って人間となる存在としてある」(pp.127-128)と説いておられる。こうしたことを確認した上で、「障害を負うとは、実体及び機能上の不可逆的な変化によって、そのままでは環境との相互浸透ができにくくなることである」(p.128)という障害の概念規定を展開しておられるのである。この概念規定には、先に踏まえられた人間一般論が見事な基盤として溶け込んでいて、人間一般を捉えた上での障害の規定であることがよく分かる内容になっている。

 さらにいえば、この規定は、国連や厚生労働省が行っている「先天的であると否とを問わず、その身体的又は精神的能力の不全のために、通常の個人的及び(又は)社会生活の必要性を、全部又は一部、自分自身では確保することができない、すべての人間」(p.126)などという障害者の規定に比べると、実践の指針となる内容が含まれていることが分かる。すなわち、後者の規定においては、人の手助けが必要なことくらいしか分からないのであるが、前者の規定においては、環境との相互浸透のあり方に注意しつつ、その障害を負った方の認識を整えていく必要があるという教育方針が導き出されるのである。

 以上のように、「障害とは何か」という一般論を措定するにしても、そもそも障害を負うのは人間であるから、「人間とは何か」という一般論を踏まえて措定すべきであるというアタマの働かせ方を学ぶ必要があるし、そうした過程で措定された一般論の力も確認する必要がある。筆者の専門分野でいえば、「言語とは何か」を措定するためには、より広い観点から言語とを捉えて、「表現とは何か」という問題から検討していく必要がある、そうしてこそ、本当に役立つ言語一般論を創出することができるのだ、ということになるだろう。

 もう1つ取り上げたいのは、隣接する領域との連関と区別をしっかりといていくことも、学問構築過程においては非常に重要になってくるということである。この論文では、「自立活動」という障害児教育の中核に関して、それが「機能訓練」という医療とどのように関わり、どのように違っているのか、詳しく展開されている。詳細は措くとして、教育の目的は認識に働きかけることで子どもを育てていくことであるが、医療の目的は健康を守ることであるという違いが強調されている。これも筆者の専門分野である言語について、例えば絵画との違いは何か、音楽との違いは何か、筋を通して展開できてこそ、言語の特徴がより深く把握できていくことになるであろうから、こうした課題にも取り組んでいく必要があると感じた次第である。
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2017年01月23日

一会員による『学城』第4号の感想(8/13)

(8)一般論を掲げての学びを通して対象の構造を深めていく

 今回取り上げるのは、小田康友先生による日本近代医学教育史に関する論文である。今回は18世紀末のフランスの医学教育改革について説いていかれる。

 いつものように、まずは本論文の著者名・タイトル・リード文・目次を示しておく。

小田康友
日本近代医学教育百五十年の歴史を問う(3)
─医学教育論序説─

 医学教育近代化の過程的構造をより深く把握するため、今回は、18世紀末・フランスの医学教育改革に焦点を当てる。西洋の医学教育近代化の結節点を問えば、実践的医学教育のための貴重な遺産が次々と浮上する。

 〈目 次〉
はじめに―西欧の医学教育近代化の結節点を問う
一、革命前・フランスの医学教育と医療
 (1) 「大学医学部」教育の零落
 (2) 中世の医術と教育
 (3) 医学教育の改革を促したもの
二、18世紀末・フランスの医学教育改革とその歴史的意義
 (1) 改革の指針
  A 「手先の技術と理論的教訓との統一」
  B 病院における教育と研究
  C 医学教育者の専門化
 (2) 衛生(健康)学校の教育の内容と方法
  A カリキュラム概観
  B 継続的かつ段階的な実践教育―徒弟制教育からの継承
  C 臨床講義に見る教育の構造の深化
  D 全的な文化遺産の習得、中でも病理解剖を重視した教育と研究
三、フランスの医学教育改革の残した桎梏

 本論文ではまず、今回は18世紀末のフランスの教育改革に焦点が当てられることが述べられる。中世においては、大学教育や資格試験があったとはいえ、医術は徒弟制度によって経験的に習得していくものであり、革命前のフランスの情況も同じようなものであったという。しかし、医療の対象となる患者層の拡大、植民地拡大のための戦争等による軍医の不足など、量・質ともに従来を大きく超える医師への社会的要請が生じ、社会そのものの大転換がなされたフランスにおいて改革が行われたと述べられる。すなわち、医術に関わる文化遺産をあくまで全体として、内科と外科、知識と術を統一して、母国語であるフランス語で教育することになり、病人や貧困者の収容所であった病院が医療施設として整備され、教育・研究を行うという制度が取り入れられ、多くの症例が研究され、さらに、医学教育に携わる人には教育に専念できる環境が提供されたと説かれている。また、衛生学校のカリキュラムが概観され、病院での実践が初年度より3年間を通じて設定され、継続的・段階的に実践経験を積みつつ、文化遺産を習得していく内容となっていることが述べられる。そして、この教育改革の意義について、段階的な現場教育の方法が徒弟制教育から受け継がれていること、臨床講義では教授自らが病床にて模範的実践を示すだけでなく、その実践を行うに至った「医師としてのアタマのはたらき」をきちんと教育したことが挙げられる。最後に、こうした教育改革には、実践と並行して講義が行われるため、知識の習得についてもいきいきとした像を描きながら学べるし、その必要性も理解しながら学べるという見事な遺産が含まれている一方、重大な欠陥も潜んでいたと述べられるのである。

 この論文については、何といっても、「一般性として浮上させた「医学教育とは何か」をものさしに、歴史的事実を問い、学ぶべき貴重な文化遺産を明らかにしていくとともに、「医学教育とは何か」の構造を深めていくことになる」(p.106)と説かれている中身をしっかりと把握することが必要になってくるだろう。

 まず押さえておくべきことは、ここで説かれていることが学問構築の一般論であるということである。学問を構築しようとすれば、まずは対象とする事物・事象の一般性を把握した論理である一般論を仮説的にでも高く掲げ、この一般論から事実に問いかけ、対象とする事物・事象の構造をしっかりと把握していくことが必要になってくるのであった。小田先生の場合には、「医学教育」が対象であって、その構造を深めていくために、「医学教育とは何か」という一般論を掲げて、歴史的事実に問いかけ、学びを深めていっておられるということである。

 では、「医学教育とは何か」の一般論とはどのようなものであろうか。これは前号で説かれていた。すなわち、「科学的医学体系に導かれた医術教育」こそが医学教育の一般論であって、その中身は、まずは医学が科学的に体系化される必要があるし、その科学を現実の対象に適用するための理論である「技術論」と、それを学ぶ・教育するための理論である「上達論」の構築も必要になってくるということであった。

 次に、この「医学教育とは何か」の一般論でもって、18世紀末にフランスで行われた「実践的教育に論理の光を当てて見る」(p.122)ことで浮上してくる「見事なる内容」(同上)とはどのようなものかが問われなければならない。それは以下の通りであると説かれる。

「@病院での継続的・段階的実践と並行して講義を行い、時代の文化遺産の最先端を全的かつ系統的に習得させたこと、Aなかでも観察と経験を重視し、病床での患者の観察と死後の病理解剖所見をつきあわせることによって、病気を理解する教育・研究を徹底したこと、B臨床講義を通して、実践の模範を示すばかりでなく、そのような実践の根拠となるアタマのはたらきを示し教育したこと、という点である。」(p.123)

 これらをさらに端的にまとめれば、事実と論理ののぼりおりを重視しつつ、診断と治療を実践する際の過程的構造を教育したことが18世紀末のフランスの教育改革から学ぶべき遺産だということだろう。

 ここで注意すべきは、一般論を「ものさし」にして歴史的事実に問いかけるとき、そこから浮上してきた「現代日本の医学教育改革が学ぶべき、多くの遺産」(p.123)は、同時に「医学教育」の構造を深めるものでもあるということである。ここで明らかにされた「遺産」は、科学的医学体系をアタマの中に描くに際して、事実と論理ののぼりおりを通して学んでいくことが重要であることを示しているし、実際の診断と治療の技術を習得しようとする際には、結果のみではなくて、そうした診断や治療をした過程的構造をしっかりとしたものとして確立しなければならないことも示している。

 この「医学教育」を例として説かれた学問構築過程を、筆者の専門分野である言語でもしっかりと辿りかえしていくことこそ、この論文に学ぶことになるのだと肝に銘じて研鑽を積んでいかなければならない。
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2017年01月22日

一会員による『学城』第4号の感想(7/13)

(7)人類の認識の発展過程を一般的に押さえておくことの重要性

 今回取り上げるのは、諸星史文先生と悠季真理先生による医学の歴史に関する論文である。この論文では、ヒポクラテスのいう「フュシス」(自然)とはどのようなものかが説かれていく。

 本論文の著者名・タイトル・リード文・目次は以下の通りである。

諸星史文
悠季真理
学問形成のために問う医学の歴史(4)
―医学史とは何か―

 本稿では、ヒポクラテスの特徴の1つとされるいわゆる「自然の治癒力」を取り上げ、ヒポクラテスが説いた本当の中身は何であったか、そしてそれは医学史の中でどのようなレベルといえるかを、原典に基づいて明らかにする。

 〈目 次〉
はじめに
一、「自然の治癒力」を取り上げる理由
二、ヒポクラテスの「フュシス」(自然)についての現代の見解
三、古代ギリシャにおける「フュシス」(自然)とは何か
四、ヒポクラテスの説く「フュシス」とは何か
五、人間の「フュシス」としての「四体液」
六、ヒポクラテスの「フュシス」は現象レベルである
七、ヒポクラテスと現代の「フュシス」に関する視点の違い
おわりに

 本論文ではまず、今回はヒポクラテスの「自然の治癒力」がどのようなものか、それは本来医学史上どのようなレベルのものかを論じることが述べられる。そして、「自然の治癒力」が現代ではどのような意味で用いられるかが確認される。すなわち、現代では、「生体に本来(自然に)備わっている、病気を治癒させる力」という意味で用いられるというのである。では、ヒポクラテスの説く「自然の治癒力」も同様の意味を持っていたのかについて、具体的に検討される。まず、アリストテレスを引用しながら、当時のギリシャ世界における「フュシス」(自然)について、それは生成してきたその元のものとか生成してきたものの持つ性質のことなどを指していたことが確認される。次にそれを踏まえて、ヒポクラテスは、人間の「フュシス」は食べものや飲みものといった諸々の「フュシス」と密接な関係にあるため、まずは人間が取り入れる外界の「フュシス」をよく知らなければならないと説いていることが紹介される。さらにそうした諸々の外界の「フュシス」を取り入れて生きている人間の「フュシス」についてヒポクラテスは、四体液のあり方によって、体が健康になったり病気になったりすると考えていて、季節のあり方に即して変化する人間の体の「フュシス」をバランスのとれた状態にすることが医師の仕事だと考えていたことが述べられる。こうした検討を踏まえて、ヒポクラテスの説く「フュシス」は単に現象を記載しそれを考察した現象レベルであること、しかしそれでも常に外界とのつながりの中で人間が健康に生きられるあり方を考えていた点が優れていることが説かれていく。

 この論文に関して、まず押さえておかなければならないことは、「人類の認識の発展過程」(p.100)はどのようなものかということについてである。本論文では、ヒポクラテスの説く「フュシス」なるものに関して、「現在の大半の医学史研究者は、ヒポクラテスは、「人体に生来そなわっている、病気を治癒し健康を保つ調整機能」を考えていた、すなわち「自然の治癒力」を考えていたと当然のごとくに述べている」(p.88)のに対して、諸星先生らはヒポクラテスにはそうした体の仕組みについて論理的に説く実力などはなく、せいぜい、季節のあり方に即して人間の体のあり方がどのように変化し、どのような病気になりやすいのかという事実を現象的に記載しているだけであると説いておられることが対比的に紹介されている。つまり、「現在の大半の医学史研究者」はヒポクラテスの実力を、現代のレベルに匹敵するものとして把握しているのに対して、諸星先生らはそうではなくて、ヒポクラテスは現代のような論理的な像など描けるはずもなく、事実を事実として見てとり、その意味を考えられるというレベル(これはこれで当時の最高峰に近い認識の実力ではあるが)に過ぎなかったと捉えておられるのである。

 ここで問題になってくるのが、「人類の認識の発展過程」である。どういうことかというと、唯物論の立場に立つ認識論においては、認識は外界の反映を原基形態として生成発展していくものであり、サルから進化した人類が、徐々に単なる反映像のみならず、独自に創造した像をも描けるようになっていく中で、対象の共通性を把握した抽象的な像を描いて具体的な像との間の立体的な関係について把握できていくようになっていったという一般的な流れがあるのであって、歴史的にいきなり高度な抽象的な像が描けたはずなどないのだということである。ヒポクラテスの時代は、漸くにして現象論段階の像が描き始められたアリストテレスの時代よりも半世紀も早い時代であって、こうした人類の赤ん坊の時代に、「人体に生来そなわっている、病気を治癒し健康を保つ調整機能」などが把握できたはずがないということである。「人類の認識の発展過程」を一般的にでも押さえておくことができたなら、「現在の大半の医学史研究者」のような見解になるはずがないのであって、逆にいえば、「現在の大半の医学史研究者」がこうした「人類の認識の発展過程」の一般論を理解していないということでもあるのである。

 もう1つ、この論文で確認しておくべきことは、ヒポクラテスの時代にどのような医療が行われたのかについて、上記の「人類の認識の発展過程」を踏まえて一般的に措定されて、それが事実レベルで説かれていることの重要性である。p.95からは「例えば、戦場で体に槍が刺されば、おびただしい血が流れ出し、寒い時期に風邪を引けば、粘液状の鼻水が出たり、熱病にかかると黒ずんだ液状のものを吐いたり、…といった、数多くの病人・ケガ人の事実を診ていく中で、人間の体の中には、血液がある、粘液がある、胆汁がある、胆汁には黄色いものや黒ずんだものがある…ということが分かっていったのである」と説かれ、さらに、「直接目に見える事実をふまえて、そこから目に見えない体の中の状態について推測するようになっていった」こと、「病気になるときというのは、体液の何かが多すぎたり、少なすぎたりするときのようだそしてそれらのバランスが取れてくれば、病気が治癒して回復し、健康になるのだ、と健康な状態、病気の状態というものを、少しずつ一般的に考えられるようになっていった」ことが説かれている。こうした記述は、まるでヒポクラテスの治療をその場で観察していたかのような具体的なものであり、非常に分かりやすいし、しかも論理的に「人類の認識の発展過程」が踏まえられているということで説得力があるといえるだろう。文献も残っていないような過去の出来事については、こうした論理的かつ具体的な展開ができる実力をつけていく必要があると感じた。
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2017年01月21日

一会員による『学城』第4号の感想(6/13)

(6)一般論は血肉化するレベルで鍛えておく必要がある

 今回は、本田克也先生、P江千史先生によるウィルヒョウ『細胞病理学』を扱った論文を取りあげる。ここでは、現代の大学における研究至上主義の問題点が説かれていく。

 以下に、本論文の著者名・タイトル・リード文・目次を提示する。

本田克也
P江千史
ウィルヒョウ『細胞病理学』なるものを問う(中)
─研究至上主義は学問への道を断つ─

 前回概観したウィルヒョウの『細胞病理学』において、彼が提示した説の全体像を明らかにし、その説を貫く根本的な欠陥を、事実的、論理的に指摘した。そしてその考え方が、現代にもうけつがれていることを示した。

 〈目 次〉
 (1) なぜ今ウィルヒョウを問うのか
 (2) 『細胞病理学』が示すウィルヒョウの見解の全体像
 (3) ウィルヒョウ『細胞病理学』の最大の欠陥とは何か

 本論文では、まず、本来「学問の府」であるべき大学において、学問の追究ではなく事実の発見のための単なる研究しか行われていないのはなぜかを論じることが本論文の目的であることが確認された後、ウィルヒョウが創り上げようとした「細胞病理学」なるものが学問と称しうるほどの中身を含んでいるかの評価をすることは誤りであると述べられる。そして、ウィルヒョウの最大の業績が、細胞は細胞分裂によってしか新生しないという新事実を発見したところにあり、彼の最大の欠陥については、以下に論じていくとされる。まず、『細胞病理学』が示すウィルヒョウの見解の全体像が示される。すなわちウィルヒョウはこの著作において、「総ての細胞は細胞から」を掲げ、従前支配的であった体液病理説と神経病理説を批判しつつ、「細胞こそ、健康状態及び病的状態を通じて、一切の生命現象の真の究極的有形単位であり、一切の生命の活動の発源地である」という「細胞病理説」を打ち立て、合わせて、「総ての動物は生命ある単位体の一個の総和である」という生命体観を示した、というのである。その上で、ウィルヒョウの「細胞病理説」の最大の欠陥は、彼が「総ての動物は生命ある単位体の一個の総和である」、より明確には「一切の高級なる生物体は、総て細胞の逐次集合されて成ったもの」である、と考えていたことだと説かれる。しかしこの細胞総和説なるものはまったくの誤りであり、この説を信奉すればその人の研究生活に致命的な欠陥となると述べられる。それは、生命体はあくまで全体が1つとして統括されることによって生きているからだと説かれる。それにもかかわらず、ウィルヒョウの「細胞病理説」は現代に至るまで高い評価を得て、脈々と受け継がれているというのである。

 この論文でまず押さえておくべきことは、生物とはどのようなものかという点に関してである。そもそもこの論文は、日本弁証法論理学研究会が措定した「生命の歴史」の探求過程において、ウィルヒョウの業績を検討する中で明らかになってきたものを展開したものだと思われる。次の一節は、『看護のための「いのちの歴史」の物語』の「あとがき」にある文章である。

「私たちの研究はたしかに当初は「生物の歴史」を学問的に問いなおそうとして、始まったものでしたが、「単細胞の誕生」や「ウイルスの実体」などが理論的に問題になってきて、歴史上一流とされている研究者たち、たとえばリンネ、ダーウィン、ヘッケル、オパーリン、ハーヴェイ、ウィルヒョウなどなどの業績のほとんどを再検討する流れの中で、彼ら学者・研究者の長所・短所が浮きぼりにされるにつれて、どうしても、大哲学者であるカントやヘーゲル、そして大生物学者であったヘッケルが行ったのと同様に、自分たちの専門を学問化するために、宇宙の誕生からの研究を積む必要に迫られることになりました。
 それで宇宙の誕生から太陽系の誕生、そしてその生成発展の研究の過程を経ることによって、ようやくにして「いのち」とは何かの謎が解けてきたのです。」(p.268)

 このように、本田先生らは「生物の歴史」を探求されていく中で、「いのち」とはどのようなものかという解明がなされていったということである。そして、その結果として、「生命体は、あくまでも全体が1つとして統括(体系化)されることによって生きているのであり、それ以外では生きられようもないのである」(p.81)という生命体観とでもいうべきものが出てきたのである。

 これはいわば生命体の一般論とでも呼びうるもので、本稿のテーマである「一般論を掲げての学びの重要性」に絡めていえば、自分の専門とする対象に関する一般論が強固に出来上がっているならば、そこから問いかけることによって、誤った学説に出会った場合、即座に違和感を覚えることを証明しているように思われる。すなわち、本田先生らにとっては、「生命体は、あくまでも全体が1つとして統括(体系化)されることによって生きているのであり、それ以外では生きられようもないのである」という生命体の一般論があるからこそ、「総ての動物は生命ある単位体の一個の総和である」、あるいは「一切の高級なる生物体は、総て細胞の逐次集合されて成ったもの」である、などというウィルヒョウの学説を見ると、即座に反応して、「そんなバカな!」となるのだろうと思われる。

 ここから我々が学ぶべきことは、学の対象についての一般論を磨き上げることによって、自分以外の者が提唱する学説の成否が即座に判断できるようになるのだということである。逆にいえば、ある学説の成否を即座に判断できるほどにまで、自らの一般論を鍛えておく必要があるということでもあると思う。いわば一般論が自らの感覚器官となって対象を反映するが如くに、そのレベルにまで血肉化しておく必要があるのである。

 もう1つ、この論文から学ぶべきことは、学問構築過程において、如何なる作業が必要になってくるのかということについてである。この論文でも、ウィルヒョウの学説について、どちらかといえば否定的な取り扱いにはなっている。しかし、それにしてもこの論文を読み進めていくと、本田先生らがウィルヒョウの業績について、しっかりと学び切った上でこうした論文を執筆しておられることがよく分かるのである。先に引用した『看護のための「いのちの歴史」の物語』の文章の中にもある通り、「ウィルヒョウなどなどの業績のほとんどを再検討」したからこそ、本当に正しい意味での生命体観を打ち立て、あるいは「生命の歴史」を措定するといった偉業が成し遂げられたのであろう。筆者の専門分野でいえば、言語研究史上に名を残している研究者について、その業績のほとんどを再検討していく必要がある、そうした過程で、彼らの業績をしっかりと言語研究史上に位置づけて、どのような評価が可能か、どのような点に課題を残すことになったのか、筋を通して説ける実力が必要になってくるということである。言語の一般論を鍛え上げていくためにも、プラトン、アリストテレスといった古代ギリシャの言語研究から、中世、近世のロック、ポール・ロワイヤル文法、さらに18世紀の言語起源論、19世紀の比較言語学、20世紀の構造主義言語論や変形生成文法の流れをしっかりと押さえておく必要がある。
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2017年01月20日

一会員による『学城』第4号の感想(5/13)

(5)一般論を掲げての学びは学問を構築する上での鍵である

 今回は、P江千史先生による「医学原論」講義を取りあげる。医学体系における現象論とは如何なるものかについて、病態論を取り上げて説かれていく。

 以下に、本論文の著者名・タイトル・リード文・目次を提示する。

P江千史
「医学原論」講義(第四回)
─時代が求める医学の復権─

 医学体系における現象論とは何かを、「病態論」をとりあげて論じた。また『ヒポクラテス全集』と「現代医学書」を比較し、両者ともに現象論にも至らず、さらに後者は学問的には前者に劣ってさえいることを説いた。

 〈第四講 目次〉
 (1) 第三講の要旨
 (2) 医学体系における現象論の位置づけ
 (3) 現象論構築に必要な医療の発展過程
 (4) 医療の発展は人体の内部構造への分けいりによって
 (5) ヒポクラテスの時代から現代への医療の発展過程
 (6) 『ヒポクラテス全集』と「現代の医学書」を比較する
 (7) 学問への萌芽形態をもつ『ヒポクラテス全集』
 (8) 「病態論」の構造とは
 (9) 「病態論」構築に必須の研鑽とは

 本論文ではまず、前回までの要旨として、科学的医学体系の本質論と構造論が提示された後、現象論について論じられる。現象論とは、現われている〔象=形〕から論理を導きだし理論化したものであって、構造論の内部に、その基礎として位置づけられるものだとされる。そして、その現象論とは何かを理解するためとして、医療の発展過程、特に『ヒポクラテス全集』の中身が確認される。そして、現代の医学書は、人間の体の実体的構造、機能的構造が明らかにされてきた歴史を踏まえて、事実の整序のされ方は『ヒポクラテス全集』などとは比較にならないくらい見事であるものの、学問としての医学の観点からすれば、両者とも現象論にも達していないという点で変わりがないと断じられる。なぜなら、両者とも記載されている内容は全て事実レベルであって、確かに外から眺めて把握することができた事実に加え、体の内部の構造に入りこみ、ようやくに現象させつかみとってきた事実も含まれているとはいえ、現代の医学書も現象的事実を並べただけで、それらの現象を論じた理論にはなっていないからだと説かれていく。それどころか、把握し得た事実から共通性を導きだし、一般性レベルへと登っていこうとする学問への志向性を見れば、現代の医学書の方が劣っているとさえいえることが指摘される。こうした説明の上で、科学的医学体系の現象論が病態論を例に展開される。すなわち、科学的医学体系の構造論である病態論は、その内部に一般論、構造論、現象論を持つのであって、あらゆる病気という病気の事実と格闘レベルで関わることで、ようやくにして病気の一般論が措定できると述べられる。さらに、そのためには、弁証法の研鑽が必須であることも説かれるのである。

 この論文に関わっては、まず、学問を構築する過程において、一般論を掲げることにどのような意味があるのかについて説かれている部分を引用したい。以下では、病態論を構築する過程が説かれている。

「病気という病気から、それぞれの共通な性質を導きだし、それを一般化しながら(一般化する過程を経て)病気の現象論をおよそ構築する一方で、それらの病気のすべてを貫く、病気とは何かの一般論を仮説的に掲げ、その一般論から、それぞれの病気の構造に分け入り、またその分けいった構造から、それらの一般性を導きだしという作業を、気が遠くなるほどくり返すことによって(図2におけるのぼりおりの矢印はこの過程を示している)、はじめて「病態論」の一般的構造論を浮上させることができ、さらに当初掲げた、病気の仮説的一般論を、究極的に病気の本質論へと昇華させることができるのである。」(p.73)

 ここでは、対象とするあらゆる事実に関わりながらその対象とするものの現象論を構築しつつ、例え仮説的にではあっても、その対象全てを貫く(と思われる)一般論をまずは掲げ、その一般論から対象の構造へと分け入っていく必要がある、そしてこうした過程で把握した対象の構造からまたその一般性を導きだす、といった作業をひたすらに繰り返していく中で、対象とするものの構造論が把握できていくのであって、さらに当初掲げた仮説的一般論が本質論へと発展していくのだ、ということが説かれている。一般論に焦点を当ててまとめるとすれば、学問を創出していくに際して、一般論を掲げることが如何に重要かが説かれているといえるだろう。

 上記の引用文は、学問構築過程を説いたものとして、しっかりと押さえておく必要があるため、筆者の専門分野である言語に変換して、以下に書き記しておくこととする。

「あらゆる言語という言語から、それぞれの共通な性質を導きだし、それを一般化しながら(一般化する過程を経て)言語の現象論をおよそ構築する一方で、それらの言語のすべてを貫く、言語とは何かの一般論を仮説的に掲げ、その一般論から、それぞれの言語の構造に分け入り、またその分けいった構造から、それらの一般性を導きだしという作業を、気が遠くなるほどくり返すことによって、はじめて言語学の一般的構造論を浮上させることができ、さらに当初掲げた、言語の仮説的一般論を、究極的に言語の本質論へと昇華させることができるのである。」

 さて、この論文ではほかにも、非常に重要なことが説かれている。1つには、「医療としての発展史」(p.62)が具体的に説かれる部分で、「そもそも地球上で、サルから進化したヒトが、人間へと発展していく過程で、単なる本能的集団だったものが、本能レベルではない認識に基礎をおく「オキテ」という不文律に基づく原始共同体と呼ばれる集団生活を営みはじめた当初より、病人は存在した」(pp.62-63)という説き初めになっていることである。どういうことかというと、第1に、人間に関わる歴史を説く際には、常に「生命の歴史」を踏まえて、その延長線上の存在として人間を把握してかかる必要があることが徹底されていることを学び取る必要があるし、第2に、サルまでの段階では生命体は「本能的集団」であったものが、人間に至って「オキテ」に基づく集団生活を開始したことが説かれていて、これは言語の起源及びその本質的な役割に大きく関わる内容だからである。どちらも、言語の謎を解明する上で、筆者がしっかりと説いていかなければならない内容だと思う。

 もう1つは、対象的事実全てを貫く一般論を仮説的にでも掲げるためには、弁証法の学びが必須であると説かれていることである。いくら現代の医学教育をまじめに学び、命がけで医療実践を行っていったとしても、弁証法なしでは病気の一般性すら導き出すことができないとされている。しかも「学問への道を歩けるための基礎的弁証法の研鑽に十年の歳月を要し」(pp.72-73)たとあるから、筆者も言語学を創出するためには、言語の事実という事実に格闘レベルで関わるとともに、三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』や南郷継正『南郷継正 武道哲学 著作・講義全集 第2巻』などを繰り返し学び、学問としての弁証法を研鑽し続ける覚悟と実践とを持つ必要があると、改めて心したことであった。
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2017年01月19日

一会員による『学城』第4号の感想(4/13)

(4)一般論から事実に問いかける重要性

 今回も引き続き悠季真理先生の論文を取り上げる。ここでは、古代ギリシャのポリス社会が如何にして誕生していったのか、その過程性や諸民族との浸透関係が中心に説かれていく。

 以下、本論文の著者名・タイトル・リード文・目次を掲げておく。

悠季真理
古代ギリシャ哲学、その学び方への招待(4)
―ポリス社会が誕生するまでのギリシャ小史―

 前回の続きで、本稿では古代ギリシャの社会が諸民族との浸透の中で発展していった過程を論じる。とりわけ植民活動の過程で、ギリシャ人が先人たちの文化をいかに継承していったのか、そこからやがて独自の文化を発展させる基盤がどのように築かれていったのかを辿る。

 〈目 次〉
 はじめに
一、オリエントからギリシャへ、そしてさらにギリシャ内での場所の移動による文化の発展
二、キュクラデス諸島を中心とした文明
三、クレタ島を中心とした文化の発展
四、クレタからミュケナイへ
(以上は前号)
五、北方からの新たな部族の移動
六、植民活動の拡大と、その中でのフェニキア人との出会い
七、フェニキア人の成り立ち
八、ギリシャはフェニキアから何を学んだか
九、ギリシャ人は、さらにどのような植民活動の過程を辿ったか
おわりに

 本論文では、まず、紀元前1200年から400年にわたるいわゆる「暗黒時代」が取り上げられる。この時期は、北方から部族が流れてきた時代であって、考古史料や文書史料が少ない時代であるが、人類の社会的認識の発展史である「学問としての世界歴史」を礎石として、その時代時代の社会的認識を論理的に措定すれば、その時代の歴史像を構成することが可能であると説かれる。そしてこの時期は、諸民族の共同体のダイナミックな再構築の時代であり、ギリシャ文化の礎石が創られていく重要な時代だと強調される。さらに、この「暗黒時代」の後期には、ギリシャ人がフェニキア人との強烈な出会いをし、フェニキアから大きな文化的影響を受けることになると説かれる。フェニキア人は、エジプトやメソポタミアという当時の先進文化を、そうした国家間での重要な品々の売買に携わる中で見事に学んでいき、かつ、航海術に長けた民族との相互浸透を通じて、地中海世界に君臨する存在となっていったというのである。ギリシャ人は、こうしたフェニキア人から、地中海を支配する術(航海、略奪、交易の方法)や文字を含んだフェニキア文化一般を学んだと説かれる。さらにギリシャ人は、未知の情況に対応すべく、フェニキア以上に大きく発展していくことになると述べられる。そして最後に、これまで説かれてきた歴史は、ポリスという共同体を成り立たせ、かつそれを維持し発展させていくための知恵を把持することができるようになるための土台を創っていく大いなる過程であったと説かれるのである。

 この論文に関してもまずは、本稿のテーマである「一般論を掲げての学びの重要性」について考えてみよう。前回取り上げた論文では、「認識とは対象の頭脳における反映であり像である」という認識の一般論が、言外に掲げられ、それに従って論理が展開されていったことを見た。具体的には、ギリシャ人がフェニキア人に目的意識的に学んでいった現実的な理由として、この認識一般論が念頭に置かれていたいということであった。

 今回の論文では、このギリシャ人がフェニキア人から学び、さらにフェニキア以上に発展していくことが説かれている。その必然性について、認識一般論がまたもや使われているのである。

「ギリシャ人は、フェニキア人と同じような外界を反映しつつも、同じではない外界をも反映するようになっていくのである。
 …同じ植民活動とはいっても、フェニキアとギリシャとでは、植民していった地域が異なり、それだけに彼らにとっての外界も異なっていくことになるのである。…そういう中で、…フェニキアから取り入れた言葉だけでは充分に表現できないような何らかの認識が、徐々に形成されていったのである。」(p.55)

 ここでは、ギリシャ人がフェニキア人から学んだ中身でもって現実の諸々の問題に対応していった過程において、それだけでは対応しきれない現実に突き当たったとき、ギリシャ人の中に新たな認識が芽生えてきた、つまりフェニキア人を凌駕するような認識の発展があったことが、外界の反映という認識の原基形態をもとに説かれているのである。

 以下の個所でも同様の展開となっている。

「ギリシャは、当初はオリエントに近いエーゲ海域の島々(キュクラデス諸島など)でオリエントの文化を吸収していき、…そうして、ミュケナイまでに培われた、共同体を守り存続させるための諸々の術を、さらに北方から移動してきた諸民族との混交や、フェニキアとの接触などによって、大幅にレベルアップさせていった。…さらに新たな地へと植民活動を進めていく過程で、かつて遭遇することのなかった諸々の新たな試練に立ち向かうことになり、それに何とか対処する方法を模索していくことになる。」(p.57)

 ここでは、より広い視点で、ギリシャが文化のレベルをアップさせていった過程が、認識一般論をもとに展開されているのである。すなわち、諸々の文化を吸収していった過程において、ギリシャ人がそれらの外界を反映することで認識をレベルアップさせていき、さらに新たな地へと植民活動を進めていく中で、未知の問題にぶつかり、それらを解決していこうとしていく過程で、さらなる認識のレベルアップを勝ち取っていったということである。

 以上のような論理展開からは、論理的に筋を通す実力が必須であることとともに、一般論を掲げての学びが如何に重要かが伺われるのである。すなわち、一般的には「暗黒時代」として、その歴史的過程が闇に包まれているような時代であっても、一般論から分かっている事実に問いかけていくことによって、筋を通した形で論理的に歴史の流れを措定し、それを事実レベルで説いていくことが可能となっていくことが示されているのである。

 このことは、次のようなことを示唆しているように思われる。すなわち、筆者の専門分野である言語について考えてみれば、言語が歴史的にどのように創出されたのかというような問題は、当然、事実的には確認しようがない問題であるけれども、言語とは何か、人間とはどういう存在かという言語一般論、人間一般論をしっかりと創出し、そこから事実に問いかけていくことによって、言語が創出された当時の人間のあり方について、論理的に措定できていくし、そこを事実レベルで説いていくことも可能となっていく、ということである。逆にいえば、こうしたことが可能となるようなものでなければ、本当の意味での学問としての言語一般論、人間一般論ということはできないということになろう。

 言語創生の謎を解明するためにも、言語一般論を具体的なイメージとともに創出していく必要があると感じた次第である。
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2017年01月18日

一会員による『学城』第4号の感想(3/13)

(3)一般論から具体的事実を説いていくことの重要性

 今回取り上げるのは、悠季真理先生による古代ギリシャの学問に関する論文である。通常の哲学史では哲学の始まりとされるタレスが取り上げられ、タレスの真の実力が如何なるものかが、タレスが見たであろう当時のミレトスのあり方の解明を通じて説かれていく。

 本論文の著者名・タイトル・リード文・目次は以下のとおりである。

悠季真理
古代ギリシャの学問とは何か(4)

 本稿では前回に続き、タレスがオリエントの文化をどのように学んでいたのかを紹介し、アリストテレスやヘーゲルの考察も検討しながら、タレスの真の実力が学問的にみて実際はいかなるレベルであったのかを論じる。

 〈目 次〉
はじめに
一、これまでの「哲学史」におけるタレスの評価
二、タレスの実力を知るために
三、タレスの生きた時代、オリエントとの関係
四、オリエントとは
五、従来の哲学史におけるオリエントとギリシャの関係についての理解とは
六、タレスと関わりのある地、イオニアとエジプト
七、オリエント文化の学びはギリシャ時代全体を通じて
(以上前回)
八、オリエントとギリシャの実力の違いとは
九、タレスの出自とギリシャ人によるフェニキア文化の学び
十、タレスの実力とは
 (1) ミレトスの賢人=知者としてのタレス
 (2) リュディア王の軍事顧問としてのタレス
 (3) 日食の予言とそれが可能になったカルデアでの学び
 (4) リュディア王クロイソスの同盟要請の拒否
 (5) エジプトでのタレス ピラミッドの高さを測る
 (6) タレスが考えたとされる幾何の定理とは
 (7) 知者タレスの実践は、単に「知的好奇心を発揮したもの」ではない
十一、アリストテレスは“知者”たちをどう捉えていたか
十二、「自然万有の根本物質は水である」について
 (1) ヘーゲルの理解の是非
 (2) 「すべてのもののはじめは水である」とは

 本論文では初めに、エジプトをはじめとするオリエントに比べれば、ギリシャは文化的に非常に幼かったことが、鉄器の開発、戦術、暦法などを例にとって説かれていく。そこでギリシャ人は、植民活動に必要な知識を商品の仕入れ先や文字なども含めて、特にフェニキア人から主体的に学び取ったのだと説明される。こうした時代情況を踏まえて、タレスの実力について説かれていく。タレスは、ポリスの維持、存続のために尽力した賢人の一人であり、大国である隣国リュディアとの友好関係を維持するために、リュディア王に仕え軍事顧問として活躍したこと、天文を究明し海上交通の安全に寄与したこと、ペルシャとも友好関係を築いたこと、三角形の合同定理の1つを見出したことなどが紹介され、これらはポリスの維持・存続のためにどうしても避けられない問題を何とか解決しようとしてなされたことだと強調される。そして、アリストテレスは、タレス個人を取り上げて明確に「フィロソフィアの祖」だとは述べていないこと、彼ら知者たちは意識的に万物の根源なるものについて考えたわけではないと述べていることが説かれる。さらに、タレスの「もとのものは水」であるという規定をヘーゲルが「絶対精神」の萌芽形態として把握していることについて、タレスのレベルは本質レベルではなく現象論的段階への端緒につくかつかないかというレベルだとされる。

 この論文でまず学ぶべきは、タレスが述べたとされる「すべてのもののはじめは水である」というのはどういうことかが解説されている部分である。悠季先生はこの問題について、「いかなる人間の認識といえども、その人が外界とした対象の反映の、限りない積み重ねによって出来上がるものである」(p.40)という一般論をまず掲げ、ここからミレトスに生きたタレスの認識がどのような外界によって形成されていったのかが説かれていくのである。すなわち、人口の急激な増加による食糧不足を賄うため、あるいは陶器を作る燃料のため、ミレトスの側を流れる河の流域の豊かな森林が伐採され耕作地に変えられたり木材が運び出されたりした結果、この河は上流から大量の土砂を下流に流し、ミレトスの良港を埋めつくしてしまった、また海運都市ミレトスにとっては、船による海路交通はごく普通の生活手段であったが、やはり海は危険に満ちており、人間が容易に制御できない自然の怖さが存在したというのである。こうした外界を反映し続けたタレスには、国家にとって最も重きをなしていたものが「水」だったというのである。だからこそ、ミレトスの指導者的立場にいたタレスは、ポリスを維持、存続させるためには「水」を制御することが非常に重要だとして、上記のようなことを述べたのである。

 ここでは、認識の一般論(論理)を用いて、タレスに関する具体的な事実に下りて行って、そうしてタレスの言とされるものの内実が明らかにされている。一般論を掲げることによって、論の展開が非常に説得的であるし、タレスの生きた時代の事実が具体的に示されてもいるので、非常に分かりやすい展開にもなっている。一般論を掲げての学びの過程では、こうした認識の「のぼりおり」がとても重要であることを学ぶとともに、論文として自らが掴んだ論理を展開する上でも、こうした抽象と具体との「のぼりおり」が読者にとって説得的で分かりやすい展開になることを学んだのであった。

 この論文ではもう1つ、「いかなる人間の認識といえども、その人が外界とした対象の反映の、限りない積み重ねによって出来上がるものである」こと、より簡潔にいえば「認識とは対象の頭脳における反映であり像である」(海保静子『育児の認識学』p.324)ことを念頭において論が展開されている部分がある。それは、「ギリシャ人がフェニキア人からきわめて多くのことを学びとっていった」「現実的な理由」(p.28)に関する記述である。悠季先生はこの理由に関して、端的には「植民活動に伴っての外界の大きな変化である」(同上)と述べ、さらに具体的には次のように説いておられる。

「広く地中海域全体へと飛翔するような形で植民活動を広げていったことに伴い、それまでの外界(エーゲ海や東地中海という限定された地域)とは大きく世界が変貌することになり、これまでにギリシャ人たちが獲得してきた知見(それまでのギリシャ人が学んできたオリエントの文化は、その地理的な条件から規定された内陸中心の文化である!)では、到底対処することができないような事柄に関しての問題が、次から次へと発生していくことになったからである。」(pp.28-29)

 この箇所では、「認識とは対象の頭脳における反映であり像である」というようなことが明確に述べられているわけではないが、ギリシャ人が活動範囲を拡大していく中で、これまでとは大きく異なった外界の対象を反映するようになり、その対象に関わる問題を解決するために、目的意識的にフェニキア人に学ぶようになっていったことが述べられている。一般論を念頭にでも掲げているからこそ、ギリシャ人の発展過程をこのように筋を通して解明できるのであろう。こうした頭の働かせ方にも大きく学んでいく必要がある。

 さて、この論文に関しては最後に少しだけでも触れておきたいことがある。それはギリシャがオリエントから学んだものは、個々の知見、知識を個別的に学んでいったというわけではないことが強調されていることである。ギリシャはオリエントから、個々の知見や知識はもちろん、「国家を国家として成り立たせている根本的な精神を含めて、そのすべてを学」(p.25)んだのであり、「えり好みすることなく丸ごと学び続けた」(同上)というのである。これは我々が、歴史上の偉人の業績に学ぶ際にも注意すべき事柄ではないかと思う。その偉人が生きた社会情況から切り離して論理だけを学ぶという姿勢では駄目であって、合わせて、その偉人の生き方も含めてすべてを学ぶという姿勢が重要だという教訓として受け止めるべきであろう。
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2017年01月17日

一会員による『学城』第4号の感想(2/13)

(2)全ての学びを一般論に収斂させ、全ての事実を一般論から説く

 今回から、『学城』第4号に掲載されている各論文について、順次その感想を述べていきたい。

 初めに取り上げるのは、加納哲邦先生の国家論論文である。この論文では、滝村隆一の国家とは何かの論理的把握が概観され、加納先生の国家の概念規定が述べられる。

 本論文の著者名・タイトル・リード文・目次は以下である。なお、『学城』誌上では、目次はなく、本文に項番のみ振られているため、その項番に私なりにタイトルを付して目次とした。

加納哲邦
学的国家論への序章(最終回)
―国家とは何かを問う―

 「序章」の最後として、滝村隆一氏『マルクス主義国家論』における国家の把握のおよその全貌と国家の本質を簡潔にまとめ、ヘーゲルの国家とは何かにふれてから、最後に筆者の国家の概念規定について解説する。

 〈目 次〉
 (1) マルクス主義国家論者は誰もヘーゲルの「絶対精神」の構造を理解できなかった
 (2) 滝村の説く広義の国家の2つの見方
 (3) 滝村は国家の本質を政治的支配だと捉えた
 (4) ヘーゲル『法の哲学』は国家論を説いたものではない
 (5) 「国家とは社会の実存形態である」とはどういうことか

 本論文ではまず、マルクス主義国家論を論じる誰もが、ヘーゲルから大きな影響を受けているにもかかわらず、ヘーゲルの学問の中身を受け継いでいないと説かれる。具体的には、「絶対精神」の運動形態、学問レベルでの弁証法性を誰も理解できなかったというのである。このことを踏まえて、滝村隆一の国家の把握が広義の国家を中心に詳述される。滝村は広義の国家を2つの見方で構成されたもの、つまり内部体制的な政治的諸関係と他国との関係における対外的な側面との2つの見方で構成されたものだとしたというのである。さらに滝村が国家の本質について、政治的支配であり政治の実存形態だとしたことが紹介される。そして、こうした滝村の規定に対して、国家の本質を述べたものだといえるのかという疑問が呈されるのである。続いてヘーゲル『法の哲学』における国家に関する記述が取り上げられ、これは国家を説いたものではなくて、国法学を説いたものであることが述べられる。そして最後に、筆者の国家の概念規定である「国家とは社会の実存形態である」に関して説明されていく。すなわち、人類は共同体としてしか生存できないこと、その共同体=社会は国家としてのみ実存できることが、国家が国家内でも他国家との関係でも社会の治安・秩序を守り続けている実態を踏まえて説かれていくのである。

 この論文に関してまず取り上げたいのは、本稿のテーマである「一般論を掲げての学びの重要性」へと至る道筋についてである。どういうことかというと、一般論を措定し、それを掲げて学んでいくということは確かに重要かもしれないが、まずは一般論を掲げることができるだけの実力をつけるための学びの過程が必要であって、この流れ、道筋がどのようなものかをしっかりと確認しておく必要があるのではないかということである。

 この観点で本論文を読んでみると、次のようなことが明らかになるのではないかと思う。すなわち、まずは自らの対象とする専門分野の先学の個々の業績を自分の実力と化すよう研鑽する過程が必要であって、この過程を経た上で、その対象とする個別科学が如何なる過程で発展してきているのか、その必然性を論理的に把握するとともに、現時点での最高峰の成果について、「一」から全てを説き切れているのかを考察しつつ、その「一」を措定すべく対象と格闘するレベルで関わっていくことである。この論文でいえば、国家の一般論を措定するためには、ヘーゲルから滝村までの国家論の内実を深く研鑽するとともに、それぞれの論者の国家論において何が解明され何が課題として残されたのかを大きな流れとして把握し、その上で、それぞれの国家の規定が国家の本質から説き切られたものかどうかを検討しつつ、現実の国家に関わるあらゆる問題に取り組みながら国家の一般論を措定すべく研究を重ねていくということである。この論文を読んでいくと、加納先生がこうした学びの道筋を辿ってこられたことがよく分かるような展開になっていることに気づくはずである。

 さらに重要なことは、こうした研鑽過程が可能となるためには、ヘーゲルの著作を中心とした哲学一般の学びの過程を重ねておく必要があり、加えて哲学一般の学びのためには、一般教養レベルの学びが必須であるということである。全ての個別科学は、哲学から分離独立したものである以上、全体を把握することなしには部分は正しく掴みとれないものであるし、世界全体の理解のためには、一般教養レベルの学びが必要不可欠だからである。

 我々京都弁証法認識論研究会は、以上の観点に立って、ヘーゲル『歴史哲学』、『哲学史』を共通の課題として学んできたし、今年からはカント『純粋理性批判』にも挑戦していくことになっている。部分たる個別科学を確立するためには、全体たる哲学の学びが必須であるとの観点に立って、経済学、認識論、教育学、言語学と、それぞれの専門分野は異なるものの、哲学的研鑽については共同作業での学びを実践してきているのである。さらに、それぞれの個別科学において、先学がどのような業績を残してきたのかについて、個別科学史として、論理的に個別科学の発展過程を辿っていく努力も合わせて行ってきているところである。このような学びを経て、それなりに個別科学における一般論が措定できていくのである。

 さて、ここまで述べた「一般論を掲げての学びの重要性」へと至る道筋での学びを押さえた上で、では一旦一般論を掲げることができたなら、その後如何なる学びを行っていく必要があるだろうか。この答えに関しても、本論文では実践的に解答が与えられているのである。

 加納先生は、国家の概念規定である「国家とは社会の実存形態である」という一般論を提示した後で、p.18で「我々は、なぜ安全に社会生活を送ることができるのだろうか」と問い、その答えとして、それは「社会が国家によって、社会の治安・秩序が守られているからこそなのである」と説かれているのである。より具体的には、「例えば、家にいきなり暴漢が襲ってきて、家財を略奪されたり、大切な家族を殺されたり、暴行されたりすることがない」、「道で強盗に会わない」、「店で売っている食べ物に毒が入っていないだろうという前提で暮らせる」、こうしたことは、「社会がまさに国家として実存しているからに他ならない」のであって、「具体的には、国家の法に従わない者は警察に捕まり裁かれるからこそ、我々は安全に社会の中で暮らしていけるのである」と説かれているのである。

 ここから学ぶべきことは、自らの専門分野の対象について一般論を掲げたならば、あらゆる具体的事実がこの一般論から説けるかどうかしっかりと吟味してみるということである。諸々の学びを経て措定した一般論であっても、対象とする専門分野の事実が偏っていたために、あらゆる事実を説くことができないような一般論の規定になってしまっている可能性もあるから、一度掲げた一般論からあらゆる事実が本当に説けるのかという検証過程を持つ必要があるのである。こうした事実と論理(一般論)の「のぼりおり」の過程を通じて、先に掲げた一般論を精査していくのである。あるいは加納先生のように、一般論の確かさを論述において実証していくのである。

 以上、本論文からは、一般論を掲げる実力を把持するための学びの過程と、一般論を掲げての学びの過程とが如何なるものかを学ぶ必要があることを説いた。端的には、事実から一般論へ、一般論から事実への「のぼりおり」が学問構築において非常に重要だということであった。
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2017年01月16日

一会員による『学城』第4号の感想(1/13)

《目 次》(予定)

(1)「一般論を掲げての学びの重要性」が『学城』第4号の全体を貫くキーワードである
(2)全ての学びを一般論に収斂させ、全ての事実を一般論から説く
(3)一般論から具体的事実を説いていくことの重要性
(4)一般論から事実に問いかける重要性
(5)一般論を掲げての学びは学問を構築する上での鍵である
(6)一般論は血肉化するレベルで鍛えておく必要がある
(7)人類の認識の発展過程を一般的に押さえておくことの重要性
(8)一般論を掲げての学びを通して対象の構造を深めていく
(9)一般論を措定するためにはより広い対象についての一般論を踏まえる必要がある
(10)人間に関する問題を説くには「生命の歴史」を踏まえる必要がある
(11)「悟り」と一般論との共通性とはどのようなものか
(12)学問構築のためには「人間とは何か」、「国家とは何か」を学ぶ必要がある
(13)我々はどのような研究活動を行っていくのか


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(1)「一般論を掲げての学びの重要性」が『学城』第4号の全体を貫くキーワードである

 本稿は、日本弁証法論理学研究会編集の学術誌『学城』を読み、その感想を認めることによって、学問を自力で創出していく土台となる学問力を創り上げていくことを目的として執筆する小論である。

 これまで、2011年9月28日から『学城』第8号の感想を本ブログに掲載して以来、第9号、第10号、第11号、原点に立ち返って第1号、最新号に戻って第12号、ここからジグザグに第2号、第13号、第3号とそれぞれ感想を執筆してきた。本来であれば、ここでまた最新号に戻っての感想論文となるところだが、本稿を執筆している2016年10月現在、第14号は発刊されていない。そこで今回は、第4号を取り上げ、じっくりと読んでいくこととする。

 第4号の大きな特徴として、第3号までは表紙に記載されていた「弁証法編」という文言がなくなっていることが挙げられる。どうしてこのことが「大きな特徴」といえるかといえば、それは「編集後記」に記載されている以下の中身に関わる。

「前号までの『学城』の表紙に「学問への道」とあり、その下に小さく「弁証法編」と書かれていたことは、前号までの読者の方々は当然に目にされているはずである。その文字が今号から消えることになる。
 …真の学者やまともに学問を追求する人たちにとっては、自分の専門分野を学問化するには「弁証法の学び」というより、「弁証法を駆使できる能力」は必須なのである。
 …だが『学城』も第4号ともなれば、もっと上の段階を目指すべき時にきている。そこで「弁証法はもはや常識」として次のレベルへと昇っていくことにした。」(pp.213-214)

 さらっと説かれているが、ここでは凄まじいレベルのことが説かれている。つまり、第4号から「弁証法編」という文字が消えたのは、学問体系を構築するために必須の弁証法が重要ではないという意味では決してなくて、「弁証法がもはや常識」であるというレベルに達したからである、ということである。「弁証法を駆使できる能力」を手にしたのだから、学問の体系化に向けて、次の段階に進んでいくという宣言の意味を込めて、「弁証法編」という文字を削ったのだということである。それゆえ、第4号からは一段と高いレベルの論理展開を含む論文が掲載されているものとして、読者に大きな覚悟が求められているのである。これが第4号の「大きな特徴」なのである。

 ここで問題にしなければならないことは、では「次のレベルへと昇っていく」という場合の「次のレベル」とは具体的にどのようなことであるのかということである。この問題を考える際に参考になるのは、「巻頭言」で説かれている以下の文章である。

「学問レベルの論文というものは、まず第一に問題にされるべきことは、その論理性にある。」(p.1)

「端的に論理とは、自らが究明したい専門的対象の事実という事実に横たわる性質の共通性を導きだして後、そこを一般性レベルで把持できたものを最低限として成立可能なものである。それだけに、論文を書くためには、少なくとも対象的事実の共通性をまずは導きだし、そこを一般性として把持できるだけの実力を必要とする。」(同上)

 ここでは、学問レベルの論文においては、何よりも論理性が問題にされなければならないこと、論理とは、自分の専門的対象の事実の共通性を一般性レベルで把持できたものが最低ラインであること、こうした対象的事実の共通性を一般性として把持できる実力が論文執筆=学問への道には必要であることが説かれている。

 以上の「巻頭言」の内容を踏まえるならば、「編集後記」において「次のレベル」とされている中身は、自分の専門的対象の事実の共通性を一般性レベルで把持できる実力、つまり自分の専門分野の対象の一般論を措定できる実力ということになるのではないか。「弁証法を駆使できる能力」を踏まえて、次の段階では、対象たる事物・事象の一般論を高く掲げ、そこから対象的事実に問いかけ続けることで、対象の構造を把握していく必要があるということが示唆されているのではないか。

 ここで、「一般論」とはどのようなものか、P江千文『看護学と医学(上)』の内容を参考に確認しておきたい。「一般論」とは、簡単にいえば、専門的対象を一言で言い表したものである。例えば、看護の「一般論」といえば、「看護とは、生命力の消耗を最小にするよう、生活過程を整えることである」ということになるように、専門的対象をズバリと概念規定したものである。こうした「一般論」を措定するためには、専門的対象に関わるあらゆる具体的な事実という事実の共通性を把握する必要がある。ここで注意すべきことは、その共通性を把握した論理を「一般論」として掲げるにしても、この「一般論」はあくまでも仮説的なものだということである。なぜなら、本当の「一般論」、すなわち本質論と呼べるレベルの論理を把握するためには、「一般論」から対象的事実に向って問い続けけることで、対象の構造を把握し、こうした過程と重ねる形で、「一般論」をヨリ高めていく必要があるからである。簡単にまとめるならば、対象とする事物・事象の共通性をまずは仮説的一般論として措定し、これを導きの糸として対象的事実に問いかけ、一般論をヨリ構造に踏み込んだ形で修正していく必要があるということである(詳しくは上述の著作をしっかりと学んでほしい)。

 第4号においては、こうした学問への道が全編にわたって説かれているのではないか、全編にわたって学問の構築過程の「次のレベル」が展開されているのではないか、こうした観点から、第4号を学んでいく必要があるのではないか、これが本稿の問題意識である。

 以上を踏まえて本稿では、第4号の各論文において「一般論を掲げての学びの重要性」が隠れたテーマとして説かれているという観点から、それぞれの論文から学ぶべきことを執筆していきたいと思う。もちろん、それ以外の事柄についても、特に筆者の専門分野たる言語の問題を中心に、学問を創出するための過程の学びを行うべく、しっかりと執筆していきたいと思う。

 では最後に、『学城』第4号の全体の目次を以下にお示ししておく。

学城  第4号


◎加納哲邦  学的国家論への序章(最終回)
      ―国家とは何かを問う

◎悠季真理  古代ギリシャの学問とは何か(4)

◎悠季真理  古代ギリシャ哲学、その学び方への招待(4)
      ―ポリス社会が誕生するまでのギリシャ小史

◎瀬江千史  「医学原論」 講義 (4)
      ―時代が求める医学の復権

◎本田克也  ウィルヒョウ 『細胞病理学』 なるものを問う(中)
 瀬江千史 ―研究至上主義は学問への道を断つ

◎諸星史文  学問形成のために問う医学の歴史(4)
 悠季真理 ―医学史とは何か

◎小田康友  日本近代医学教育百五十年の歴史を問う(3)
      ―医学教育論序説

◎志垣 司  障害児教育の科学的な実践理論を問う

◎横田政夫  「バリアフリー住宅」は転ばぬ先の杖か
      ―人間にとって「住宅」とは何か

◎井上真紀  青頭巾 ― 『雨月物語』 より(下)
      ―悟りへの道を考える(2)

◎田熊叢雪  現代武道を問う 〔T〕 ―居合とは何か(4)

◎南郷継正  東京大学学生に語る 「学問への道」(2)
      ―平成十六年、夏期東京大学合宿講義

◎南郷継正  欧州版 『武道の理論』
 悠季真理 ―科学的武道論への招待(U)

◎悠季真理  編集後記

 次回以降、順次各論文の感想を認めていくが、その際、この第4号全体を貫く「一般論を掲げての学びの重要性」というテーマを常に念頭において、論を展開していくこととする。なお、連載回数の都合により、本稿では田熊叢雪「現代武道を問う〔T〕 ―居合とは何か(4)」及び南郷継正、悠季真理「欧州版『武道の理論』 ―科学的武道論への招待(U)」を取り上げることができないことを予めご了承いただきたい。
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2017年01月15日

『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想(5/5)

(5)論理と共に教育者としての生き様を学ばなければならない

 本稿では、志垣司・北嶋淳『障害児教育の方法論を問う』を取り上げ、そこにどのような意義があり、何を学ぶべきかについて、教師として、また教育学を構築しようとする者として感じたことをまとめてきました。

 ここで、これまでの流れを振り返ってみましょう。

 最初に、お二人の先生が障害児教育に対してどんな問題意識を抱き、障害児教育はどうあるべきだと考えたのかを見ました。「現象的なニーズの把握の細分化と、それらに応じた専門的な働きかけの連続が、かえって障害による成長の歪みを大きくしていく事実さえ、数多く見うけられる」という現状に対して問題意識を抱いておらえるのでした。これは通常学級の例で言えば、算数が苦手な子に対して、無理矢理算数をやらせてできるようになったとしても、算数が大嫌いになったとしたら果たして教育と言えるのかどうかと同じ問題なのだということを説きました。そこでそもそも教育とは何か、医療である機能訓練とは何が違うのかが問われ、両者は目的が違うのであり、歩くことで言えば、医療は歩くことそのものが目的であるのに対して、教育では子供の主体性と目的意識が社会性と共に培われるようにすることが目的だということが説かれていたのでした。したがって、教育の場合は何かができるようになったという現象の背後にある認識にこそ目を向けなければならないのであり、このことを明確にしたことが本書の意義なのだということでした。

 続いて、お二人が定められた障害一般論および障害児教育一般論にはどのような意味があるのかを見てきました。障害とされる状態が大きく改善していった事実と、そもそも人間は「社会的関係の中で、かつ社会性を持つべく育てられて、はじめて人間として成長できる」という南郷先生の人間一般論を踏まえて、「障害には何らかの原因によってもたらされた回復不能の問題と、本人あるいは周りによって『つくりつくられたもの』としての問題の二重構造があり、たとえ障害の本体は消せないとしても、障害を組み込んで学習してしまった結果、つくりつくられた部分に対しては、教育として働きかけることができるし、そのように教育していくことで『障害』として現象しているものを変えていくことができるのだ」(p.87)という障害の二重構造を明らかにされたのでした。さらに、「障害を負うとは、実体及び機能上の不可逆的な変化によって、そのままでは環境との相互浸透ができにくくなることである」から、「成長過程における障害による認識(=像)の歪みを最小にするように環境を整えながら、文化遺産の継承を可能な限り大きくさせていくこと」こそ障害児教育であると定められたのでした。これはどんなに重い障害であっても教育できる可能性があることを示す一般論であり、そうした障害児と関わる親や教師に大きな励ましを与えるものなのだということでした。

 最後に、本書が「理論的方法論の構築過程をたどれる」ものとして執筆されていることを踏まえて、そもそも理論化の過程とはどのようなものか、とりわけ一般論を掲げて構造に分け入るとはどういうことかについて具体的なイメージを描くようにしました。構造という言葉は、もともと建物から来ていて、「外の壁などをひっぺがしてでてくるそのものを成り立たせている大事な柱、骨組み」のことを言うという南郷先生の説明を踏まえて、家(障害児教育)についての認識がどのように深まっていくのかを考えてみました。まず一般論を掲げるとは、家(障害児教育)とはこういうものと定めることであり、自分の研究する対象を明確にすることだということでした。その上で、自分の研究対象に入っている個々の家(個々の障害児教育)を1つ1つ見ていき、その骨組みがどうなっているかを調べることが構造に分け入るということであり、そうやって1つ1つの骨組みを明らかにして、それらを論理的に整理する過程が構造論を構築する過程だということでした。

 本稿を終えるに当たって、この理論化への過程とはどういうものであったのかを別の角度から考えてみたいと思います。

 本書を読んでいて、筆者が非常にひっかかった表現は、「『それは障害ゆえだよ』という答えが返ってくるかもしれません」というものです。この種の表現が本書の中でたびたび、ある意味くどいほど登場してきます。これは何故なのだろうと考えるに、恐らくは障害のある子を見て「なぜこの子は健常児と違うのだろう」と問うお二人に対して、周囲からたびたび投げかけられた言葉だったのではないでしょうか。そして、この言葉こそ、障害に対する(場合によっては親も含めた)世間の考え方(社会的認識)を表したものだったのだろうと思います。それに対して、「決してそうではないのだ!そう考えたらどうしようもないではないか!」と反発し、そのことを事実として、理論として示したものが本書だと言えるでしょう。

 それを踏まえるならば、お二人が歩んで来られた障害児教育の理論化の過程は、障害に対する社会的認識への闘いの過程であったとも言えるでしょう。

 では、なぜそうした過程を歩むことができたのか、その根本的な原動力は何なのかと言えば、「目の前の子どもを何としてでも変えたい!」という教育者としての愛情だと言えるでしょう。そして、その愛情を裏付けるものこそ「人間は育てられて人間となる」という人間一般論にほかなりません。「人間は育てられて人間になるんだから、今の状態も育てられた部分があるはずだ!それに、こちらの育て方次第で育てたように育っていくはずだ!」という思いを抱いて実践に取り組まれたのだろうと思います。

 恐らくは、その過程において、どうしても子どもを変えていくことができず、自らの無力感に襲われるとともに、当初掲げた人間一般論に対する疑問が生じるような場面もあったのだろうと思います。そうした中でも信念として掲げ続けて実践に取り組んだ結果、当初は信念として抱くしかなかったものが、徐々に確信へと変わっていくとともに、その過程で明らかになった障害児教育の論理を駆使すれば、より見事に実践を導いていくことがわかってきたのでしょう。だからこそ、「あとがき」で以下のように書いておられるのでしょう。

「学問の力は本当にすごいと感じる日々である。しかし、その奥を訪ねる時、そこから真に学ぶことは『負けないこと』『諦めないこと』『人間は変わり得る存在である』という人間としての『精神』の力であると思っている。それこそが、目の前の障害児、育てていく母親、そして自分達の人生に必要とされることであり、そして勇気を与えてくれるものだと思っている。」(p.217)


 ここで言われる「学問の力」とは、人間の可能性(ここは障害児本人の可能性とそれに働きかける教育者の可能性の2つがあると言えるでしょう)を最大限に引き出す力、現実化する力のことであり、そもそもそうやって引き出される可能性を人間はもっているのだ、そういう人間としての精神の力を信じること、またその力を発揮させてくれる学問を身につけることが大切なのだということです。この言葉は、「人間は精神であるから,最高者にふさわしく自分自身を尊敬してよいし、また尊敬すべきである。」と説いたヘーゲルのハイデルベルク大学の就任演説を彷彿させるものがあります。

 障害児に対する社会的認識との闘いの過程を歩んでこられたことに思いを馳せたとき、この言葉のもつ重みを感じずにはいられません。お二人が提示された論理とともに、その教育者としての生き様をしっかりと継承して、今後の自らの研鑽に励んでいきたいと思います。そして、すべての子どもがその可能性を現実のものにできるような教育学の構築を果たしたいと思います。
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2017年01月14日

『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想(4/5)

(4)理論化の過程を示した

 前回は、『障害児教育の方法論を問う』から学ぶべき意義として、障害児教育の理論的な可能性を示したという点を取り上げました。障害の二重構造および障害を負うとはどういうことかを明らかにしたことは、障害児教育が可能であることを示すとともに、障害児教育に携わる親や教師に大きな励ましを与えるものになったのだということでした。

 本書はこのように障害児教育の論理が明らかにされているのみならず、そもそも理論化への道はどのようなものなのかを示すものでもあるとされています。例えば、あとがきでは次のように書いておられます。

「本書をまとめる過程で気づかされたことがある。それは、(筆者注:『学城』での)連載の過程が、実は学問(=理論的方法論)の構築過程になっていたということである。そこで、読者の方々が本書を読み進めていくことで、理論的方法論の構築過程をたどれるものにしたいとの思いが膨らんできたのであった。」(p.215)


 「理論的な方法論の構築過程をたどれるものにしたい」ということで本書を執筆されたということです。実際、目次を見ると、4つの実践が「一般論を導きだすまで」と「一般論を立ててから」の2つにわけられています。

 一般論を定立する過程については(3)で簡単に触れました。つまり南郷先生が明らかにした「人間とは何か」「教育とは何か」を踏まえて、目の前の障害児と関わる中で、障害を負うとはどういうことか、障害児教育とは何かを明らかにしたということです。今回はこの一般論を立ててからの過程について見ていきたいと思います。ここでは、「一般論を立ててから」で紹介されている「母親へ働きかけた事例」を取り上げたいと思います。これは「仮説的に立てた一般論から、よりその構造に入っていこうとした」(p.132)ものだとされていますので、一般論から構造に入っていくとはどういうことかについて、具体的なイメージを描くようにしたいと思います。

 ここでは母子集中訓練会に来たT君(脳性麻痺で全盲、知的障害もあわせ持つ小学五年生)と、その母親への働きかけが紹介されています。T君は1年前に盲学校に転校し、転居もしたのですが、それ以来、掴まって歩いていたのに立たなくなったり、喋らなくなったりしたということでした。さらに自分の髪を自分でむしったり、傷がつくほど肘を噛んだりするようになったということでした。困り果てている母親に「引っ越して転校したからではないか」と話したところ、「そんなことは分かっていますよ!」と切り返され、取り付く島もなかったので、T君に二重化してもらうために母親に盲体験をしてもらったのでした。周囲がわからない不安を母親に体験してもらった後、環境が変わったことについて説明を受けていなかったT君はまさにそのような不安を抱いてきたことを伝えるとともに、話をしたり触れてもらったりすることで、周りを確かめられる安心感を得られるという話をして、具体的な関わり方を母親に説明したところ、数ヶ月後、T君は元に戻ったということです。

 この事例について、次のように解説がなされています。

「この事例は、私達が立てた障害児教育の一般論、すなわち『障害児教育とは、成長過程における障害による認識(=像)の歪みを最小にするように環境を整えながら、文化遺産の継承を可能な限り大きくさせていくことである』の中の、『成長期における障害による像の歪み』とは何かを問い、また、『認識(=像)の歪みを最小にするように環境を整える』とはどうすることなのかを問いかけることによって、一般論の中身に入って、その構造を明らかにしようとして説いていったものである。(中略)
すなわち、人間の一般性としての認識の成長過程をT君の育ちの過程に重ね、『像の歪み』がどのように進んでいったのかを辿っていったのである。それによって、T君の像が歪んでいく過程的な構造が捉えられ、T君の今の姿になっている訳を明らかにすることができたのである。
 さらに、そうして明らかになったT君のあり方に対して、その『認識(=像)の歪みを最小にするように環境を整える』手段が考えられたのである。まず『環境を整えていく』とはどうすることかが問われた時、母親の困惑した姿が飛び込んでくると同時に、障害児の最大の環境としての母親を整えていくことが必要であると判断されたのである。」(pp.155-156)


 つまり、障害児教育とは何かの一般論のうち「成長期における障害による像の歪み」とは何かを問い、T君の「像の歪み」がどのように進んでいったのかを明らかにするとともに、この場合において「認識(=像)の歪みを最小にするように環境を整える」とはどうすることなのかを問うことで、母親の困惑した姿が飛び込んで来て、母親を整えていくことが必要だと判断したということです。これが一般論から構造に入っていくということだということです。

 ここで、そもそも構造とは何かを確認しておきましょう。

「現象を否定して中身に入るばあい、その中身を構造という。構造という言葉は建物からきている。家でいえば柱がだいたい構造である。外の壁などをひっぺがしてでてくるそのものを成り立たせている大事な柱、骨組みが構造である」(南郷継正『武道と弁証法の理論』三一書房、1998年、p.73)


 つまり、家の場合でいう柱のように、そのものを成り立たせている大事な柱、骨組みが構造だということです。

 この骨組みはそれぞれの家によって当然異なります。Aという家にはaという骨組みがあり、Bという家にはbという骨組みがあり・・・という形で、です。一般論から構造に入っていくとは、個々の家を取り上げて、その骨組みが具体的にどのようなものかを明らかにすることだと言えるでしょう。

 この事例で言えば、「T君への障害児教育」という個別の家(事実)があって(もっともこの事例はお二人の先生が創り出したものですが)、その家(事実)を成り立たせている「成長期における障害による像の歪み」「認識(=像)の歪みを最小にするように環境を整える」という骨組みは具体的にどういうものなのかを明らかにしたということになります。

 こうして個々の家(個々の障害児教育の事実)の骨組みをたくさん見ていけば、家の骨組みがもっている共通性というものが見えてきます。「家の骨組みにはこういう種類のものとこういう種類のものがある」という具合に、です。これが構造論を打ち立てる過程ということのイメージだと言えるでしょう。

 ここまで見たところで、最後に一般論を立てる過程も含めて、理論化の過程をイメージしてみましょう。

 そもそも一般論を立てるというのは、家とはこういうものだと定めることにより、例えば「人間の住む住宅は家だが、いくら車中で生活していても車は家ではない」などのように線引きをするということです。つまり、「自分自身が研究の対象とするものはここからここまでですよ」としっかり決めるということです。その上で、その中に入っているもの1つ1つに目を向けて、それぞれの骨組み(=構造)を明らかにしていくことこそが構造に踏み込むということです。「この家はこういう骨組みだった」「あの家はこういう骨組みだった」ということを確認していくということです。こういう作業を積み重ねることで、その骨組みの共通性が浮かび上がってくるのであり、これをしっかりと論理的に整理する過程こそ構造論を打ち立てる過程なのだと言えます。こうして「家とはこういうもの」という認識を深めていく過程こそが、理論化の過程だと言えるでしょう。
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2017年01月13日

『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想(3/5)

(3)障害児教育の可能性を理論的に明らかにした

 前回は、『障害児教育の方法論を問う』の意義として、教育が見るべき対象を明確にした点を取り上げました。つまり、「何かができるようになった」という現象に着目するのではなくて、そのことをとおして、どのような認識が形成されたのか、果たして前向きな目的像が描けるようになったのかこそが問われなければならないということを明らかにしたのだ、ということでした。

 『障害児教育の方法論を問う』では、こうした障害児教育の一般的な概説を踏まえて、4つの実践が紹介されていますが、今回は、その中でも視知覚異常と言われている子どもへの実践を取り上げ、そこから導き出された論理にはどのような意味があるのかを見ていきたいと思います。

 ここで取り上げられている子どもは、小学三年生の男の子です。脳性麻痺で自力での歩行はできないけれども、座ることはできて、日常生活で手を使うことには不自由がないということです。さらに知的にも大きな問題はないけれども、斜めの線を書くことができず、お手本を見ながら「4」と「め」という文字を書いても判読不能なものになってしまうということでした。こうした視知覚異常について、医療では、視覚野へ情報を送る手前の伝達路やネットワークに傷があるために起こるものだとされているということです。しかし、この子どもに対して指導を行った結果、わずか2ヶ月で書く文字が大きく改善したということです。

 その理由について、人間の一般的な育ちと、視知覚異常の子どもの育ちを重ね合わせる形で説かれています。つまり、一般的には「寝る、寝返りを打つ、座る、そして這っていくという、新たな大いなる変化を伴った運動=労働過程を通して、より対象の実質が反映していくと共に、それがどう反映するかということによって、赤ちゃんの五感器官は当然のこととして、反映された認識に、より厚みが出てくることになる」(p.81)ものの、視知覚異常の子どもは、運動に障害を負っていることによる「遊べない体と共に『訓練・訓練』で遊びの時間がないという二重構造によって、五体を使って外界を把握していく経験を十分に積むことができなかったのであり、そのために外界をしっかりと反映できず、対象とうまく関われないでいる」(pp.82-83)ということです。したがって、五体を使っての対象と関わるように指導をしたのであり、その結果、「斜め」ということがどういう感覚なのかをつかむことができて、大きな改善が見られたのだということです。

 このように障害とされる状態が大きく改善していった事実と、そもそも人間は「社会的関係の中で、かつ社会性を持つべく育てられて、はじめて人間として成長できる」という南郷先生の人間一般論を踏まえて、障害の二重構造という論理を明らかにされたのです。

「障害には何らかの原因によってもたらされた回復不能の問題と、本人あるいは周りによって『つくりつくられたもの』としての問題の二重構造があり、たとえ障害の本体は消せないとしても、障害を組み込んで学習してしまった結果、つくりつくられた部分に対しては、教育として働きかけることができるし、そのように教育していくことで『障害』として現象しているものを変えていくことができるのだ」(p.87)


 この言葉だけを見れば、「そんなの当たり前だよ」と思う方もいるかもしれません。しかし、この把握の大事性はいかに強調してもしすぎることはないものです。

 例えば、先の視知覚異常の子どもが改善した事例に対して、「障害が軽かったのだ」という見方もできますが、そうした考え方とは根本的に違うことがわかるでしょうか。

 「障害が軽かったから改善した」という捉え方であれば、逆に言うと、「障害が重ければ改善しない」ということになるのです。そうすると、重い障害の場合は何をやって無駄だということになります。ここに障害児教育が成立する余地はありません。一方で、いかに重い障害の状態があっても、そこにはもともとの障害によるものと、つくりつくられたものがあると捉えるならば、つくりつくられたものについては働きかけていけるということになります。したがって、どんなに重度の障害であっても障害児教育は可能なのだということになるのです。

 しかもこれはあくまでも障害に関わる一般的な構造です。一般的というのは、どんな障害をもつ子にも当てはまるということです。このことは、障害をもつ子ども(特に重い障害であればあるほど)に関わる親や教師にとって、この上ない励みになるものだと言えるでしょう。

 また、別の角度から言えば、幼い頃に自分の子どもが障害をもっていることを医師から告げられたとしても、親としては決して諦める必要も、落ち込む必要もないのだということになります。10ヶ月の妊娠期間を経て、ようやくにして生まれた子どもが障害をもっていると告げられた親の心境を想像してみてください。「これからどうなってしまうんだろう」「もう治らないのだろうか」「この子は一生苦しんで生きていくのだろうか」そんな思いが押し寄せてきて、絶望のあまり心中をはかるということもあるのです。しかし「決してそうではないのだ」「障害があっても、育て方次第でその子はしっかりと育っていくのだ」ということを示しているのです。

 そのことを裏付けるように、本書では「障害を負う」とはどういうことかが次のように説かれています。

「障害を負うとは、実体及び機能上の不可逆的な変化によって、そのままでは環境との相互浸透ができにくくなることである。」(p.41)


 環境と相互浸透をするとは、例えば、目の前におもちゃを示されたら、そのおもちゃをしっかりと反映させ、結果として「さわりたい」などの像を描いて行動するということです。あるいは、親や教師が言ったことを理解するということ、などです。こうしたことを積み重ねて人間は成長していくのですが、ここで着目してもらいたいのは、「そのままでは・・・できにくくなる」という部分です。「できない」ではないのです。どんなに障害をもっていても、環境との相互浸透をすることは可能なのです。それこそが人間の一般性だからです。しかし、それが健常児に比べればできにくいということです。ということは、そのことを踏まえて、健常児の場合より意識的に環境との相互浸透を質・量ともに充実させれば、十分に育つということを示しているのです。

 環境との相互浸透を図れるようにする媒介を設定すること、それによって文化遺産の継承という教育の目的が果たせるようにすることが障害児教育だとして、障害児教育一般論を次のように措定しておられます。

「障害児教育とは、成長過程における障害による認識(=像)の歪みを最小にするように環境を整えながら、文化遺産の継承を可能な限り大きくさせていくことである」(p.52)


 このように障害の一般論・障害児教育の一般論を措定し、障害児教育の可能性を理論的に示すとともに、そのことによって障害をもつ子どもと関わる親や教師に対して大きな励ましを与えたことこそ、本書の大きな意義なのです。
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2017年01月12日

『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想(2/5)

(2)教育が見るべき対象を明らかにした

 本稿は、志垣司・北嶋淳『障害児教育の方法論を問う―人間一般から説く科学的障害児教育』(現代社)を取り上げ、そこにどんな意義があり、何を学ぶべきかについて、筆者が感じたことをまとめていくものです。

 今回は、著者であるお二人が、現状の障害児教育のどのような点に問題点を感じられたのか、それを踏まえて障害児教育はどうあるべきだと考えられたのかを見ていきたいと思います。

 現在の日本において、障害児教育は特別支援教育として行われています。これは、障害のある児童・生徒の一人ひとりの教育的ニーズに応じた働きかけを行おうというものです。かつては、障害種別の教育が行われていました。例えば、視覚障害があれば盲学校で、聴覚障害があれば聾学校で、という形で障害に応じた特別の場で指導が行われていたのです。これを特殊教育と言います。こうした学校を特別支援学校として一本化し、また通常の学校に在籍している軽度発達障がいの子どもも射程に入れて、通常学級とは別に特別支援学級での教育を可能としようとするのが特別支援教育です。障害の重度化・多様化に対応するべく、このような変化が起こってきているのです。

 しかし、こうした理念の実現と現実の目の前の子どもたちの育て方や教育との間には大きな隔たりがあるとして、次のように指摘しておられます。

「確かに、専門性の向上として研修を積み、その結果、個々の障害の理解に習熟し、個々の教育的なニーズに対応した障害の軽減化をはかっていく働きかけがなされ、その結果それらが改善されたとしても、それで教育ができた、つまりその子供がしっかり育っていくことができたと言えるのだろうか。(中略)現場の事実でいえば、むしろ、現象的なニーズの把握の細分化と、それらに応じた専門的な働きかけの連続が、かえって障害による成長の歪みを大きくしていく事実さえ、数多く見うけられるのである。」(p.27)


 つまり、専門的な研修によって、個々の障害に対応した軽減化はなされるようになったが、それがむしろ成長の歪みを大きくしているという事実がある中で、それで果たして教育したと言えるのかいうことです。

 たとえば、脳性麻痺の子どもの場合、異様な姿勢をとったり、健常児のような運動を行えなかったり、ということがあります。そうした状態を少しでも通常と同じようになるように、医師や理学療法士などから研修を受けていて、専門的な働きかけによって改善の様子は見られるけれども、それが果たして教育したことになるのかと問うておられるのです。

 少しイメージが湧きにくいと思いますので、通常の学校の場合で考えてみましょう。ここに算数がすごく苦手な子どもがいたとします。その子が何とか算数ができるようにしたいと思い、担任の先生は休み時間や放課後に1対1で教えていたとします。しかし、友達と遊びたいと思っていたこの子にとっては、そうした時間を奪われることは苦痛で仕方がありませんでした。こうした取り組みが1年間続けられた結果、算数の成績自体は大きく改善したものの、クラスの友達との関係があまりつくれなかったし、いやいややらされた算数も大嫌いになりました。さて、果たしてこれは教育したと言えるのでしょうか。このように考えれば、お二人の問題意識にも共感することができるのではないでしょうか。

 そこで、「ではいったい教育とは何なのか」「障害の程度を軽減させるための取り組み(運動機能を回復させるための機能訓練)とは何が違うのか」ということが次に問題とされています。

「そもそも『機能訓練』は、『健康を守る』治療のための医療技術である。それはあくまでも、障害を持つ個人の運動機能を向上させるためのものである。これに対して教育活動は、広く文化遺産の伝承であり、社会的適応性と社会を発展させる力の形成をはかるためのものである。つまり、肢体不自由児に対して同じ運動をさせていくのでも『機能訓練』と『自立活動』(注:教育活動の1つ)では目的が違うのである。目的が違うということは、教えるべき中身が違うということである。それでは、どう違うのだろうか。」(p.60)


「たとえば、歩くこと一つをとっても、医療は歩かせることそのものが目標になるのに対して、教育は文化遺産を継承させる、すなわち社会に適応し、さらに社会を発展させる認識の形成が目的であればこそ、『あそこへ行きたい、あの人のところへ行きたい、あれを見たい、あるいは周りの人に褒めてもらいたい』などと、子供の主体性と目的意識が社会性と共に培われるように歩かせなくてはならないのであるから、歩く練習を通して、そうした認識が形成されていくようにしなくてはならないのである。」(p.61)

 つまり、医療と教育は目的が違うのであり、歩くことで言えば、医療は歩くことそのものが目的であるのに対して、教育では子供の主体性と目的意識が社会性と共に培われるようにすることが目的だということです。簡単に言えば、教育の場合は「もっと歩きたい!」という目的像を描かせることこそ目的にしなければならないということです。

 そもそも人間が動物と異なるゆえんは、動物が本能によって統括されているのに対して、人間は自らが描いた認識によって統括されているという点にあります。つまり、外界との関わりの中で「ああしたい」「こうしたい」という目的像を描いて、それを実現するために行動するということです。これは日常生活を振り返ってもらえればよくわかると思います。たとえば、少し太ってきたことに気づいて「やせよう!」と思いダイエットに取り組むとか、英語をペラペラと話している人を見て、「あんなふうに話せるようになりたいな」と思って英語の学習に熱心に取り組むなどです。

 こうしたレベルであれば、単に個人的な問題にすぎませんが、たとえば病気に苦しむ人々を見て「何とか改善したい」と思って治療法の開発に取り組むとか、貧しい生活を送る人々の現状を知って「何とか人間らしい生活ができるようにしたい」と思って政治的な解決を図っていこうとするなどになれば、大きく社会の維持・発展に関わってくると言えるでしょう。このように、現実にはまだ存在しないよりよい状況を思い描き、それを実現していくという取り組みの積み重ねによって人間は歴史を創ってきたのですから、社会の維持・発展につながるような目的像を描けるようにすることこそ、教育の大きな役割だということになります。その前提として「もっとこうしたい」「もっとよりよくしたい」という前向きな目的像を描けるようにするのが必要だということになります。

 本書を執筆されたお二人の先生は、立川博氏を障害児教育の世界における恩師として挙げておられます。その立川氏は、次のように説いています。

「幸せになるってことは何なのだ。欲求を見いだして、そしてそれを実現して喜びを味わう。そういうことの積み重ねによってこの人生を楽しんでいく、それが幸せなのです。
 とするならば、今言ったように、脳性まひ児に対して、訓練が、単なる動作の向上を図るだけではなくて、その向上をもとにしてその子ども自身が変わっていく。そしてその子どもの中にある欲求の広がりがどんどん出てくる。そしてそれを実現しようとする努力が子どもの自主性の中から開発されてくる。引き出されてくる。つまりその子どもが人間としてもっているもの、隠されていて今までみんなからも認められなかったし、本人自身もそれを出すことができなかった、その子どもの中に潜在するところの広がりが、どんどん引き出されていく。そうしてその欲求の満足によってこの世の中で楽しく暮らす。これは幸せと言ったらおかしいでしょうか。この子どもたちの人間的な変容と言ったらおかしいでしょうか。」(立川博『教育としての静的弛緩誘導法』御茶の水書房、2003年、pp.107-108)


 つまり、脳性麻痺の子どもに対して、単なる動作の向上を測るだけではなく、その向上をもとにして、子ども自身の中に新たな欲求がどんどん引き出され、それを満足させていくことこそが幸せになるということなのであり、そうなることこそが人間的な変容なのだということです。これは志垣・北嶋両先生が抱いておられた問題意識と全く同じだと言ってよいでしょう。

 志垣・北嶋両先生は、こうした立川氏の問題意識をしっかりと受け継ぎ、南郷学派の文化遺産をもとにして理論的に捉え返したのだと言えるでしょう。つまり、何かができるようになったという現象にのみ着目するのではなく、その背後にどのような認識が形成されたのか、果たして前向きな目的像が描けるようになったのかこそ教育では問わなければならないのだということです。

 このように、教育が見るべき対象を明確にしたことが、本書の大きな意義の1つだと言えるでしょう。
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 ・歴史観の歴史を問う
 ・2013年2月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』をどのように読んでいくべきか
 ・『三浦つとむ意志論集』を読む
 ・言語学の構築に向けてどのように研究を進めるのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年1号の感想
 ・改訂版・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・2013年3月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(前半)を読む
 ・3年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・2013年4月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(後半)を読む
 ・新自由主義における「自由」を問う
 ・2013年5月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第一部 東洋の世界(前半)を読む
 ・三浦つとむ「マルクス・レーニン主義に関する本質的な質問」から学ぶ
 ・言語は歴史的にどのように創出されたのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年2号の感想
 ・ヒュームの提起した問題にカント、スミスはどのように答えたか
 ・2013年6月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』東洋の世界(後半)を読む
 ・一会員による2013年上半期の振り返り
 ・認知療法における問いの意義を問う
 ・カント歴史哲学へのアダム・スミスの影響を考える
 ・2013年7月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』ギリシアの世界を読む
 ・2013年8月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第三部 ローマの世界を読む
 ・アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年3号の感想
 ・初任者に説く学級経営の基本
 ・カウンセリング上達過程における事例検討の意義
 ・文法家列伝:古代ギリシャ編
 ・ヒューム『政治論集』抄訳
 ・2013年9月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第四部 ゲルマンの世界を読む
 ・言語過程説から言語学史を問う
 ・2013年10月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』「第4部 ゲルマンの世界」第2篇を読む
 ・戦後日本の学力論の流れを概観する
 ・一会員による『育児の生理学』の感想
 ・文法家列伝:古代ローマ・中世編
 ・2013年11月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第4部 ゲルマンの世界 第3篇を読む
 ・古代ギリシャ経済の歴史を概観する
 ・2013年12月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』のまとめ
 ・ヘルバルト教育学の全体像を概観する
 ・年頭言:歴史を切り拓く学問の創出を目指して
 ・歴史的な岐路に立つ世界と日本を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年4号の感想
 ・一会員による2013年の振り返りと2014年の展望
 ・ヘーゲル『歴史哲学』を読む
 ・2014年1月例会報告:学問(哲学)の歴史の全体像について
 ・一会員による『学城』第10号の感想
 ・世界歴史の流れを概観する
 ・現代の言語道具説批判――言語規範とは何か
 ・2014年2月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章
 ・ヘルバルト『一般教育学』を読む
 ・新大学生へ説く「大学で何をどのように学んでいくべきか」
 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』学習会を振り返る
 ・『育児の認識学』は三浦認識論をいかに発展させたか――一会員による『育児の認識学』の感想
 ・2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章
 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
 ・文法家列伝:『ポール・ロワイヤル文法』編
 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
 ・道徳教育の観点から見る古代ギリシャの教育と教育思想
 ・古代ギリシャの経済思想を問う
 ・半年間の育児を振り返る
 ・2014年6月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章
 ・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
 ・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
 ・アダム・スミス「天文学史」を読む
 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
 ・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
 ・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
 ・夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史