2016年12月31日

2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ(10/10)

(10)参加者の感想の紹介

 前回までは3回にわたって、論点に関してどのような討論がなされ、どのような(一応の)結論が導き出されたのかについて報告してきました。

 さて、本例会報告の最終回である今回は、参加者のメンバーそれぞれの感想を掲載したいと思います。

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 今回の例会では、2年間かけて扱ってきたヘーゲル『哲学史』のまとめを行った。ヘーゲルが哲学史をどのようなものとして描いていたのか、それは「生命の歴史」とどのような共通点があるのか、我々が唯物論の立場から哲学史を説くにはどのような視点が必要か、などについて議論することになっていた。

 今回は、論点への見解が全く書けずに、他のメンバーの見解をもとにして、担当になっていた報告レジュメを執筆することになってしまった点は、非常に心残りではあるが、何とか他のメンバーについていくことを最重要課題として取り組んだ。

 こうした中でまとめてみると、やはり「生命の歴史」が生命と地球環境との壮絶ともいえる相互浸透の過程であることに比較すれば、ヘーゲルの「絶対精神」は、もともとゴールが定められていて、そこに向っていわば自動的に発展していくという説き方になっている感は否めないと思った。全てを絶対精神として説くという点では、非常に筋が通っているといえるのであるが、なぜ絶対精神はそのように発展していったのかという必然性に関しては、完全に説き切れてはいない、これがヘーゲルの『哲学史』の評価ではないかと思ったのである。

 これはやはり、世界観レベルの問題が大きくからんでのことであろう。つまり、全てが絶対世親だと説くヘーゲルにとっては、唯物論の立場から説く認識と自然的・社会的外界との相互浸透過程が十分な形では説き切れないのであって、ここが曖昧なまま絶対精神がなぜかしら発展していくと説かざるを得ないのではないかと思った。

 我々の課題としては、生命の歴史の延長としての人類の歴史の中の、認識の最高形態がどのような過程を経て発展していったのかを、当初は自然的外界を、後には社会的外界を中心とした相互浸透関係を丁寧に解き明かしながら説いていく必要があるだろう。そのためには、まだまだ十分に解明できたというわけではないヘーゲル『哲学史』の論理構造を深めていく努力をしつつ、世界歴史の流れを論理的に措定し、生き生きとした事実レベルで説けるような研鑽を積んでいく必要があるだろう。

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 ヘーゲル『哲学史』の全体について、結語におけるヘーゲル自身の要約を念頭に置く形で議論したが、ヘーゲルの文言そのものをもっと丁寧に押さえていくべきでなかったか、という反省はある。吉本隆明の「実体の世界」「学問の世界」という構図を念頭において、我々なりには何となく筋を通して把握できたという感じはあるのだが、ヘーゲルのアタマのなかにあったイメージとはズレてしまっているのではないか、自己流の解釈に陥っているのではないか、という恐れもないではない。とはいえ、ヘーゲルが哲学史のゴールとして描いていたであろうイメージについては、この2年間の議論を通じて、かなり鮮明にすることができたという手ごたえはある。

 来年の4月には、この2年間のヘーゲル『哲学史』の学びの成果を統括するものとすて、「ヘーゲル『哲学史』を読む」と題した論稿を掲載する予定である。私個人としては、今回の例会の議論を念頭に置きつつも、それに過度に縛られないようにして、ヘーゲル『哲学史』の全体を、来年1〜3月で読み直していく計画を立てたい。

 また、唯物論の立場から筋の通った(ヘーゲルを超える)哲学史を書き上げる、という我々自身の課題も忘れてはならない。そのためにも、南郷学派の先生方が出されている哲学・論理学についての成果にこれまで以上に真摯に学びながら、世界歴史の学びもしっかりとやっていきたい。

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 今回の例会では、ヘーゲル『哲学史』の総まとめができた。中でも、南郷学派が措定した「生命の歴史」と重ね合せてみる試みがよかった。生命の歴史も哲学の歴史も大きく分けると2部構成になっており、第1部から第2部への移行は比較的安定した場所から激変・激動する場所への変更を伴っていたということが見えてきたのが一番の収穫であった。
生命の歴史でいうと水中から陸へであり、哲学の歴史でいうとギリシア・ローマ世界からヨーロッパ世界へという場所の変更であるが、このような場所の変更がものごとの発展にとっては必然性であることは、唯物論の立場からでしかきちんと筋を通して解けないことを確認できた。

 また、哲学の歴史を吉本隆明の言葉であるとされる「実体の世界」と「学問の世界」という観点から大きく整理できたことも、今回の例会の成果の一つである。この吉本の言葉のおかげで、哲学史の理解が深まった。どういうことかというと、もともと人類の頭の中で、この二つの世界が分離していたわけではなく、当初は未分化な状態であった。これが分かれ始めたのがパルメニデスの段階であり、学問の芽生えといえる段階であった。これが完全に分離したのがアナクサゴラスのからプラトンにかけての段階であるが、この段階ではまだ実体の世界と学問の世界が並べられただけであり、両者のつながりがはっきりとはしていなかった。両方の世界を一致させようと努力して、現象レベルでそれなりの一致を見い出したのがアリストテレスといえるのであり、続くヘレニズムの時代には、社会が不安定になっていく中で自己意識が芽生えてきて、ストア派とエピクロス派が心の安寧を求めて真理とは何かを追求し、実体の世界と学問の世界が個人の意識の中で表象レベルで一致することで満足していたのである。それに対してスケプシス派は、具体的な個人の自己意識から独立した客観的な世界そのものを否定してしまった。つまり、実体の世界の否定である。そしてギリシア哲学の完成形態といえる新プラトン主義においては、自己の内部にある抽象的で無内容な主観的世界(学問の世界)を、具体的に規定された世界、すなわち叡智的世界として構成し直そうとし、そのために、世界の全ては一者(=神)からの流出なのであり、あらゆる存在は精神的なものであるとしたのであった。

 近代になると、個人的・具体的な意識とは独立しているとされていた叡智界(学問の世界)と、具体的な個人の眼前に広がっている自然(実体の世界)の両方を、自分自身の意識の中に取り戻すことが課題として浮上してきた。個人の視点から世界を眺めて客観と主観というように分けていたのを、もっと俯瞰した視点から、物質と精神というようにして眺められるようになってきたのである。デカルトにおいては、人間は精神的存在であると自覚されるようになり、精神と物質の統一(宥和)という課題が明確になった。すなわち、学問の世界と実体の世界をぴったり一致させることが哲学の課題であることが自覚されるようになったのである。ここからスピノザやライプニッツがこの一致のために努力していったがうまくいかなかった。ドイツ観念論のカントに至っては、人間の精神(認識)について研究し、いってみれば実体の世界は保留して(物自体は認識できないとして)、学問の世界をきちんと描こうとした。フィヒテはこれを引き継ぎ、自我からすべてを説こうとしたし、シェリングは、自然を研鑽したうえで、自我(学問の世界)と自然(実体の世界)に共通するものがあるはずだとして絶対的な「神」を措定した。この絶対的な「神」が実は自己運動する絶対精神なのだとして、人間精神の展開として全世界を説ききったのがヘーゲルであり、ここにおいて一応、自己=世界という図式が完成し、学問の世界と実体の世界がぴったりと一致したといえるレベルにまで到達したのであった。

 大雑把にいえば以上のような内容が確認できた例会であった。まだまだ、ヘーゲルのいわんとしていることと一致しているのかどうか、あやしい点もあるが、今後もくり返し学んでいくことによって、深めていきたい。

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 今回の例会はかなり重たい論点が挙がっていたが、この2年間の学びをしっかりと振り返る形で議論ができたのがよかったと思う。チューターも務めたが、それなりにしっかりとそれぞれの見解を整理し、進行していくことができたのではないかと思っている。

 今回の例会の中でヘーゲルの哲学史を自分の視点から神的な視点(第三者の視点)へという過程として捉える見解が出ていて検討したが、これは学級をどう見るかという点でも当てはまりそうだと思った。例えば、学級で何か問題が起こったとする。そのときに、いつも特定の子どもが問題を起こすことに気づいたとき、教師は「この子が根本的な原因だな」というような理解をする。これは教師が教師としての視点から学級を眺めている状態である。しかし、第三者として眺めてみると、実は教師の働きかけに対する反発としてその子が悪いことをしているということがある。たとえば、全然認めてくれなくて叱ってばかりとかそういうものに対して、ふてくされていて、いろんな問題を起こすということである。そうやって見てみると、学級の状況(客観・客体)は結局教師(主観・主体)が創りだしたものだということになり、それが教師にはね返ってきているだけなのだということになる(ここでは悪い場合を挙げたが、よい場合でも同じことが言えるだろう)。このように学級も絶対精神の自己運動として捉えることができるのではないか、などと思った。

 あと、観念論の立場からの哲学史と、唯物論の立場からの哲学史の違いという点について、論点を作成する中で、また見解を整理する中で理解を深めることができたのがよかった。端的には、哲学の発展の必然性を外界との相互浸透という観点から見るかどうかが最も大きな違いだということである。確かにこのような視点がなければ、ヘーゲルの哲学史についても、どうしてヘーゲル自身が説いているような8つの段階を辿って発展していくのかが説けないなということを議論の中で感じた。

 まだまだ十分に消化できたとは言えないが、とりあえずヘーゲルの大著をしっかりと読み通せたことは自信になった。来年からはカント『純粋理性批判』を扱うが、この2年間で培った実力をひっさげて取り組んでいきたい。

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 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
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 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
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 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
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 ・道徳思想の歴史を概観する
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 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
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 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言