2016年12月28日

2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ(7/10)

(7)論点1 ヘーゲルの哲学史とはどのようなものか

 前回は、今回扱った内容を再度まとめ直した後、例会で扱った3つの論点を紹介しました。

 今回からは、それぞれの論点に対してどのような討論がなされ、どのような(一応の)結論が出されたのかのプロセスを紹介していきます。

 まずはヘーゲル『哲学史』全体に関わる論点です。以下に再掲します。

【論点再掲】
 ヘーゲルの哲学史は、何を目指した過程と言えるか。その過程において、「結語」に示している8つの段階は、どのような役割を担う段階として位置づけられているか。


(注)ヘーゲルは哲学史を大きく8つの段階に区分しています。
@与えられた対象から出発してそれを理念に転化した「ある」(存在)の段階
A抽象的思考であるヌースが全体を貫く実在として知られるようになるイデアの段階(プラトン)
B概念的思考が宇宙のすべての形態に精神をふきこむ段階(アリストテレス)
C概念が主観としてあらわれ、主客の抽象的な分離が生じる段階(ストア派から懐疑主義)
Dすべての実在のうちに理念を見るが、その理念が自己を知らない段階(新プラトン主義)
(近代の課題:理念を精神として、自己を知る理念として、とらえること)
E自己意識が自分が意識であると考える段階(デカルトからライプニッツ)
F自己意識が他とも否定的な関係を結ぶ段階(フィヒテ)
G自己意識が純粋な思考と存在を一体化したものとして認識する知的直観の段階

 この論点については、まずヘーゲルの哲学史が何を目指した過程と言えるかを確認しました。これについては、おおむね同じような見解が出されました。つまり、この全世界が自己自身の展開なのだという把握こそ「世界=自己」という意識をもつこと、自らが絶対精神であると自覚するということであり、ヘーゲルの哲学史はこの過程を描いたのだということです。それは世界全体を論理的に把握することであり、吉本隆明流に言えば、学問の世界と実体の世界が重なり合うレベルで一致するということであるということです。ここで一人のメンバーから、ヘーゲルの言う「自由とはどういうものかを確認しておいた方がいいのではないか」という意見が出されました。そこで、チューターの方から「自由とは、自分に由るということであり、すべては自分から生まれてきているということである」と解説しました。また、別のメンバーは「自由とは他に依存しないということであり、他のものがないということ、つまり、すべては自分自身なのだということである」と解説しました。つまり、「世界=自己」という把握をすることが直接に自由なのだということです。

 この過程を@〜DとE〜Gという2つにわけている点はみな共通していました。メンバーの一人は「@〜Dは、絶対精神があくまでの自己の視点から世界を眺めていた段階であり、E以降は神的な視点から、自己(意識)と物質世界を対象化しうる視点から、精神と物質を眺めてその統一を目指した段階だ」という見解を提示しました。これについて、別のメンバーから、「言いたいことはわかるけれども、ヘーゲルにおいてはすべては絶対精神なのであり、神的な立場の神というのも絶対精神なのであり、この神的な視点というのも絶対精神としての自己の視点なのではないか。そういう意味で自己の視点と神的な視点という形で対比した表現はあまり適切ではないと思う」という見解が出されました。そして、「あえて言えば、個別的人間の視点と神的な視点という対比になるのではないか」ということでした。これについては見解を提示したメンバーも納得しました。

 一方、チューターは「@〜Dを自分自身こそが絶対的実在なのではないかという予見が生まれる段階」「E〜Gは自らが絶対的実在であること(絶対精神であること)を確信する過程」という見解を出し、別のメンバーは「人間と神とは同じものであるという啓示が、イエス・キリストの降誕と受難によって与えられるが、これはイエス・キリストという特殊な人間についてのものと捉えられ、人間一般というレベルではまだ把握されなかった」という見解を出していました。両者の関係について、チューターは前者を詳しくしたものが後者だと整理していたのですが、それに対して異論が出されました。つまり、チューターの見解では予見から確信へということでいわば濃淡の違いであるのに対して、もう一人のメンバーの見解では個別から普遍という違いになっており、両者は異なっているということでした。これについてはチューターも納得しました。さらにどちらの見解の方が妥当かという点については、やはりイエス個人が神(絶対精神)だと捉えられていたものが、人間一般に拡大したのだと捉える方が妥当だろうということになりました。

 その上でチューターは、最初に出されていた見解(自己の視点から神的な立場の視点へ)という見解と、この見解(個別から普遍へ)との関係はどうなるのかと問題提起し、次のように解説しました。最初は自分の立場にしか立てていないわけですから、目の前のイエスが神だということしかわかりません。しかし、やがて神的な立場(第三者の立場)に立てるようになると、自分も含めて、人間一般が神(絶対精神)であることがわかったということです。この整理については、他のメンバーも納得しました。

 続いて、各段階の意義について具体的に見ていきました。まず@については、世界の本質が探究されるようになった段階ということで見解が共通していました。しかし、吉本隆明のいう「実体の世界」と「学問の世界」という観点から、あるメンバーは「『学問の世界』を描いたはじめと言えるだろう」としているのに対して、別のメンバーは「『現実の世界』をあるがままに眺め、『現実の世界』のなかに絶対的な本質を見い出そうとするものであった」としており、この段階では「学問の世界」はまだ誕生してきていないという見解を出していました。この点について議論を重ねた結果、結論としては次のようになりました。当初はこの「実体の世界」も「学問の世界」も混然一体として存在していたのであり、それが@の段階だということです。エレア派が「すべては一だ」と唱えたあたりから少しずつ「学問の世界」の姿が見え始めてきたが、明確に「実体の世界」から分離したのはアナクサゴラスやプラトンの段階であろうということになりました。このように未分化なものが分化するということは発展の一般的なあり方だと言えるだろうということでした。

 次のAについては、ほぼ共通した見解が出されていました。つまり、この世界の本質が物質的な現実の世界とは別のところ(精神的な存在)に見出さなければならないことが明らかになってきたということです。アナクサゴラスのヌースやプラトンのイデアがそれですが、ただしこの段階では学問の世界と実体の世界が並びたてられるだけで、両者のつながりが明確になっていなかったのでした。

 この課題を克服しようとしたのがBのアリストテレスだという点も共通していました。ここで、チューターは「イデアから現実の世界が生まれ、その現実の世界がイデアに引っ張られるような形で運動すると説いた」という見解を出していましたが、これについて「イデアに引っ張られるというのはいいとしても、イデアから現実の世界が生まれるということをアリストテレスは説いていたのか」という疑問が出されました。また「この見解だと円環運動のイメージになるが、アリストテレスは一直線というイメージだったように思う」という意見も出されました。これについて別のメンバーが「神から現実の世界が生まれるとは言っているようなので、その神をイデアだと捉えればこういう解釈も成り立ちうるだろうが、まだアリストテレスの段階ではこのように筋の通った把握はなされていなかったのではないか」と発言しました。チューターはこれらの意見に同意し、アリストテレスは学問の世界と実体の世界を重ね合わせようとしていたのだということを確認しました。このアリストテレスの限界について、別のメンバーは、「この能動的ヌースというのは、『現実の世界』の具体的な内容とは別個の主体(能動的ヌースにとって、具体的な内容は外から与えられるもの)と捉えられていたし、具体的な個人の意識とも重ねられていなかった」と指摘していましたが、これは全員が納得しました。

 Cについては、「表象レベルで一致することをもって満足するストア派とエピクロス派に対して、そもそも両者は一致などしないのだ、真理なんてものはないのだとする懐疑主義」という見解と、「エピクロス派やストア派は、表象レベルの認識において『現実の世界』と『観念の世界』の一致を見いだして満足しようとしたが、最終的に、スケプシス主義〔懐疑主義〕において、具体的な個人の自己意識から独立した客観的な世界そのものが否定されてしまう」という見解が出されましたが、両者はほぼ共通しており、要するに「現実の世界」と「観念の世界」をどのような形で一致させるか(真理とは何か)が問題とされたものの、結局、真理など存在しないのだとして、「現実の世界」が廃棄されてしまったということを確認しました。

 Dについても各自が見解を出しましたが、あるメンバーが出した「自己の内部にある抽象的で無内容な主観的世界を、具体的に規定された世界―叡智的世界―として構成しなおそうとした。そのために、世界の全ては一者(=神)からの流出なのであり、あらゆる存在は精神的なものであるとされた」という見解がすべてを包摂しているだろうということになりました。新プラトン派は、「太陽が全世界を覆っている」というような表象レベルで観念の世界を説いたのだということでした。

 これについて、あるメンバーから疑問が出されました。新プラトン派が表象レベルで説明したということと、ストア派やエピクロス派が表象を真理の基準だとしたこととは何が違うのかということでした。これについて、別のメンバーは、そもそも表象ということが出てくる根源が違うと発言しました。ストア派やエピクロス派では、「現実の世界」と「観念の世界」の一致をどこに見出すかという問題意識の中で表象こそその一致の具体的なあり方だと主張したのあるが、新プラトン派では、そもそも「現実の世界」は否定されてしまって、観念の世界を抽象的無内容とせず具体性をもったものとして説こうとする中で表象レベルの説明が出てきている、ということでした。これについては疑問を出したメンバーも納得しました。ただ、このギリシャ哲学のレベルは全体としてみれば表象レベルだったということが言えるのではないかと発言しました。これについては他のメンバーも同意しました。

 続いて、Eについては、「近代に至って、具体的な理念として捉えられた世界の全体(新プラトン派で打ち立てられた叡智界)を、具体的な個人としての意識から、自分自身のものとして捉えていこうとする。具体的な意識とは別個のものとして広がっている叡智界(=「観念の世界」)、および、具体的な個人の眼前に広がっている自然(=「現実の世界」)の両方を、自分自身の意識のなかに取り戻そうとするのである」「それ以前は主観と客観という形で分けていたものを、それらを対象化して精神と物質という世界の二大存在として眺めうる神的視点に立てるようになった」などの見解が出されましたが、これらはほぼ同様の見解であることを確認しました。また、その近代の哲学の出発点であるデカルトについて、「自己を思考する自己意識こそが絶対的な実在だと考えた」「人間は精神であるという自覚は、まずデカルトにおいて芽生えた」という見解が出されましたが、これも妥当だろうということを確認しました。

 この自己意識からすべてを説こうとしたのがFのフィヒテの段階であり、それが果たされ、当初掲げた自由が実現するのがGの段階であるという点もほぼ共通した見解でした。

 こうして各段階についての確認を行ってきたわけですが、全体としてこれまでの議論で出てきた見解を整理するにとどまっており、ヘーゲルが実際に書いている言葉から遊離してしまった感があった点についての反省がなされました。ただ、実際問題として、ヘーゲルの文言に忠実に沿って検討していくのはかなり難しいものがあっただろうという見解も出されました。またいずれ我々が哲学史を書くときには、再度ヘーゲル『哲学史』を読み返していくことにしようという意見も出されました。

 以上で論点1についての議論を終了しました。
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 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言