2016年12月26日

2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ(5/10)

(5)ヘーゲル『哲学史』要約C 近代の哲学

 前回はギリシャ哲学第2期、第3期、および中世の哲学の部分の要約を紹介しました。古代ギリシャ第2期において真理とは何かが問われ、全ての外的な存在、特定の内容や固定観念や真理が否定されたのでした。そして第3期の新プラトン派において、絶対的な実在は自己意識と無縁のものではなく、自己意識と直接に関わらないような実在は存在しない、という理念ないし原理が世界精神の一般原理となったのでした。
 中世のスコラ哲学では、真理は現実の土台をなしておらず、生活の全般が2つの部分に分裂し、精神の国と世俗の国が対立していたのでしたが、やがて教会が世俗化していくとともに、世俗の権力そのものも精神化されて、学問は目の前の材料を扱うようになり、世俗的なものがそれなりに価値を認められ、主観的自由に基づいて捉えることができると見なされるようになったのでした。

 今回はデカルトを出発点として始まる近代の哲学の部分の要約です。
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第3部 近代の哲学

序論

 宗教改革とともに第3期が始まる。人間は自分自身を信頼し、自分の思惟そのものを、自分の知覚を、自分の内と外の感覚的自然を信頼するようになる。近代の哲学は、古代の哲学が到達した原理から、すなわち、現実の自己意識(現実に存在する精神)という立場から出発する。近代の哲学は思惟の世界と存在する宇宙を分離する中世の立場を超えて、この2つの領域を対立するものと捉え、その対立を克服しようとする。したがって、主要な関心事は、対象の真理とは何かを思惟することではなく、前提された客観の意識化にほかならぬ主客の統一過程を思惟することである。統一を概念的に捉えるには2つの道がある。ひとつは経験を土台とする方向、もうひとつは内面的な思考から出発する方向である。だから、対立の解決という点からして、哲学は2つの主要な形式――実在論的な哲学の形式と観念論的な哲学の形式――に分かれる。換言すれば、思考の客観的な内容を知覚から引き出してくる哲学と、思考の自立性から出発して真理へ向かう哲学とに分かれるのである。しかし、この2つの方向はやがて合流するものである。

1、近代哲学の黎明

 精神がその認識内容のうちをあたかも自己の領土内さながらに動いており、その占有した領土が具体的存在として現われて来る。この領土は経験と帰納法を出発点とするベーコンにおいては、有限な自然的な現世的存在として規定され、神(三位一体の汎神論)を出発点とするベーメにおいては、内的な神秘的な、また神的なキリスト教的な存在および生活として規定される。

2、思惟する悟性の時期

 デカルトとともに、新プラトン学派以来はじめて、本格的な哲学が登場する。それは、理性を自立的な出発点とし、自己意識が真理の本質的契機であることを自覚している哲学である。しかし、神の規定、現象する多の世界観はいまだ思惟から必然的に発するものとして示されるには至らず、そこにあるのは、イメージや観察や経験によって与えられる内容についての思惟にすぎない。
 一方には形而上学(抽象的な思惟そのもの)があり、他方に特殊な学問(経験に由来する思惟の内容)がある。思惟に妥当する諸規定は思惟そのものから取り出されるべきだというア・プリオリな思惟と、我々は経験からはじめ、推理し思惟しなければならない、という規定との対立がある。これこそ、合理論と経験論との対立であるが、その対立はとことんまで突き詰められるものではない。というのも、内在的な思惟のみに価値を認める哲学が、思惟の必然性に依拠して首尾一貫した方法的発展の道筋をたどるのではなく、内外の経験からも内容を得てくることがあって、形而上学的側面に経験的な方法が入り混じるからである。

(1)悟性形而上学

 形而上学は実体への傾向にほかならないから、二元論に反対して、ひとつの統一、ひとつの思惟を確立しようとする。しかし、形而上学それ自身の内部には、実体を重んじる立場と個体を重んじる立場との対立がある。第一は、無邪気で無批判な形而上学であり、存在と思惟の統一を立てるデカルトとスピノザである。第二は、経験の形而上学的な理念を考察しつつ対立そのものを扱うロックである。第三にライプニッツの単子に至ってはじめてそれ自身世界観の総体となるのである。

(2)過渡期

 カント哲学に至るまで思惟は凋落の一途を辿る。上述の形而上学に対立して、いわゆる一般的な通俗哲学、すなわち反省的経験論と呼ばれ得るものが台頭する。これまで現れた諸々の矛盾、その作為的な技巧性――神の助力、予定調和、最善の世界、等々――対置されたのは、教養ある人間の胸裏に感じられ直観され崇められたものを内容とした、精神に内在する確固たる根本原理である。これらの具体的な諸原理は、ただ彼岸の神のなかにのみ解決を見出すのとは違って、人が一般に健全なる人間悟性(良識)と呼んできたものから見い出された現世的な宥和であり自立性であり、また合理的に納得のいく拠りどころにほかならない。しかし、生まれながらの知や直接的な感情を標準とする人は、宗教や倫理的事象・法律的事象が人間の胸裏に内容として見出されるときには、これが教養や教育のお陰であり、教養や教育によってはじめてこのような根本命題が自然な感情とされてきたのだという事実に気づかないのである。気づかないままに、このような自然な感情や健全な人間悟性が原理とされているのだから、原理の多くが理にかなったものであるのは当然である。このようなものが、18世紀における哲学である。
 ヒュームは懐疑論者であり、一切の普遍的なるものを否定する。これに対立してスコットランド学派は、普遍的命題や真理を掲げはするが、それはあくまでも思惟によってするのではない。それゆえ、いまや確固たる立場がとられるにしても、それは経験的なものそれ自身のうちに求められることになる。フランス人は現実のなかに普遍的なるものを見出すが、その内容は思惟によって得られるのではなく、生物や自然や物質が原理とされる。

3、最近のドイツ哲学

 カント、フィヒテ、シェリングの哲学こそは、精神が最近のドイツにおいて思想の形式をとって遂行した革命を記録し、かつ表明するものにほかならない。これらの哲学的思索が継起する順序のなかには、同時に思惟そのものがとった進行過程が含まれている。最近のドイツ哲学の課題は、哲学一般の根本理念たる思惟と存在との統一をいまやそれ自体として対象とし、かつこれを概念的に捉える、すなわち、その最深の必然性たる概念を捉えことである。
 全てのものがそれに対して存在すべきものは、つまるところ人間であり自己意識であって、しかもその人間とは全ての人間一般としてのそれにほかならない――こういうことを抽象的な形で意識にのぼらせたのがカント哲学である。それは、自己意識に自体的なものの一切の要素を取り戻すことを要求しながら、しかもこの自体的なものをなお自己と区別することによって、みずからは依然として対立から抜けきれないでいる観念論である。カント哲学は、単純な思惟を自己自身に区別を備えたものと解しはするが、一切の実在がまさにこの区別によって成立することを未だ解するに至らず、自己意識の個別性を克服する術も知らず、理性を描くことには巧みを究めるものの、その描き方は、真理それ自身を再び失うような没思想的な経験的な仕方でしかないのである。カント哲学は、知り得るものは真実体でなくただ現象のみであるというにすぎない。
 カント哲学の欠陥、すなわち全体系に思弁的統一を欠く原因となった没思想的な不整合を止揚したのがフィヒテであった。フィヒテは自我を絶対的原理として掲げ、宇宙の全内容をこの自我(自己自身の直接的確実性)からの所産として叙述しようとした。しかし、彼はこうした概念のみを掲げたのであって、この概念を自己自身からする学の実現へともっていくことはできなかった。
 フィヒテ哲学を越えて最も重大なあるいは哲学的見地からして唯一の意味ある一歩を踏み出したのはシェリングである。シェリングは「理性は主観と客観との絶対的無差別である」という絶対者の命題もしくは定義として表現された絶対的直観をもって始める。しかし、彼にあってそれは、知的直観のみによって証明される直接的真理にとどまった。主観的なものと客観的なものとの同一が真理であるという証明は、各々が独立にその論理的規定において、すなわちその本質的規定において追究されるようにしてのみ行われるべきである。それによって、やがて主観的なものは自らを変じて客観的なものとなり、客観的なものもまたそのままに止まらず、自らは主観的なものとするという結果が生じるに違いない。同じように、有限的なものそのものについて、それが矛盾を内に含み自らを無限なものとすることが示されねばならない。そうしてこそ、有限なものと無限なものとの合一が得られる。
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 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言