2016年12月25日

2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ(4/10)

(4)ヘーゲル『哲学史』要約B ギリシャ哲学第2期、第3期、中世の哲学

 前回は、ギリシャ哲学の第1期、タレスからアリストテレスまでの要約を紹介しました。タレスにおいて世界の本質が探究されるようになったのですが、物質的なものの中にはそうした存在はないと気づき、精神的な存在が求められるようになったのでした。それをイデアという形で打ち出したがプラトンでしたが、プラトンにおいては主体性の原理が欠けていたのでした。その限界を克服しようとしたのがアリストテレスだったのでした。

 今回からギリシャ哲学第2期、第3期、および中世の哲学の部分の要約です。

・・・・・・・・・・・・・・・・

2、独断論(Dogmatismus)と懐疑論(Skeptizismus)

 ギリシャ哲学の第2期においては、普遍的なものから特殊なものの総体を展開するという思想がまだ存在しないために、普遍的なものを特殊なものに適用することが支配的である。しかし、特殊的なものの真理をひとつの原理にもとづいて認識するという体系化への要求はあり、これが独断主義を生みだした。真理とは思惟と存在の一致だとされるから、それらが一致しているかどうかを判定する規準ないし原理が問われた。しかし、この問いは形式的かつ独断的にしか解決されず、すぐさま懐疑主義による弁証法〔反駁〕が現われる。

3、新プラトン派

 ギリシャ哲学の第3期は、キリスト教と密接に関連する。第2期の終わりでは、自己意識が自分の内面に返り、無限の主観性によって、全ての外的な存在、特定の内容や固定観念や真理が否定された。哲学は、思考する自己意識が自己を絶対者だと自覚する段階にまで到達した。次の段階は、内部に様々な差異を捉えて、真理を叡智界として形成することである。絶対的な実在は自己意識と無縁のものではなく、自己意識と直接に関わらないような実在は存在しない、という理念ないし原理が世界精神の一般原理となる。精神はここからさらに、主観性を抜け出して再び客観的なものへと向う。この客観性は個々の外的対象とか義務ないし個別的道徳といった客観性ではなく、精神と真理のうちにある絶対的な客観性である。それは一方では神への帰還であり、他方では神が人間に現れるという啓示の関係である。自己意識が絶対的実在であり、絶対的実在が自己意識であるという知が、いまや世界精神である。しかし、この知は直観されているだけで、自覚されていない(思想として捉えられていない)。自己意識はひとりの人間(イエス)という生身の存在でしかなく、特定の時代に特定の場所に住んだひとりの人間が絶対的精神なのであって、自己意識の概念が絶対精神となっているわけではない。

第2部 中世の哲学

 第1期の哲学は、異教のうちにあったが、第2期以後はキリスト教世界に位置を占める。キリスト教においては、神とは何かが啓示され、神の本性と人間の本性との一致が意識に明らかになる。新プラトン派には、内的必然性の形式が欠けていたが、三位一体にしか真理がないことが、意識されなければならない。キリスト教の原理を真理として認識するためには、精神の理念の真理が具体的な精神として認識されねばならなかった。

1、アラビアの哲学

 西洋で、これまでローマ帝国の支配していた地域がゲルマン民族の所有に帰し、その征服が確固たる形を整えるに至るころ、東洋ではイスラム教という新たな宗教が現われた。外的な権力支配という点でも、精神の開化という点でも、急速に完成の域に達したイスラム教は、多種多様な芸術と並んで、独自性があるとはいえないにせよ、哲学も大いに花を咲かせた。

2、 スコラ哲学

 スコラ哲学は600年に及び、教父哲学を合わせると1000年になる。キリスト教の内部にあっては、人間のうちに真理と絶対精神の意識が目覚めることが絶対的に要求される。しかし、万人が真理を知るためには、真理は、物事を素朴にイメージする感覚的意識にとって存在する対象として、人間のもとにやってこなければならない。神の本性と人間の本性との一致を直接に意識させるのがキリストその人であった。人間は生まれつき悪であり、自然的なものを乗り越えることではじめて精神となり、真理に到達する。自然態のこの放棄はキリストの苦しみと死、復活と昇天のうちに直観される。キリストの事件は、精神の概念ないし理念そのもので、世界史はいまや、このように直接に真理を知るほどの完成度に達したのである。
 スコラ哲学者は、キリスト教会の教義を形而上学的な根拠の上に打ち建てようとした。その際、教義の根拠と反対根拠が対比され、神学は学問的体系の形で叙述されることになった。12世紀末から13世紀にかけて、西洋の神学者たちはアリストテレスの著作とその注釈書を広く知るようになり、それらの書物が大いに利用され、注釈を施され、議論の対象となった。アリストテレスの論理学によって、明敏な問答法的思考が養われ、分析の形式は極端に精緻化された。なお触れておかなければならないのは、普遍と個別との形而上学的な対立が、何世紀にもわたってスコラ哲学を悩まし、ここから実在論者と唯名論者の論争を生んだことである。
 スコラ派の全体は、分析的思考の支配する全く粗野な哲学であり、現実の素材や内容が欠けている。そこにあるのは形式のみで、空虚な分析的思考が、カテゴリーや分析的概念を根拠もなく結びつけるだけである。真理は現実の土台をなしておらず、生活の全般が2つの部分に分裂し、精神の国と世俗の国が対立する。学問そのものも土台がなく、思考を内面的に統一する内的絆である自我がなかった。

3、学問の復興

 教会が世俗化していくとともに、世俗の権力そのものも精神化されていく。学問は目の前の材料を扱うようになる。時代精神は、こうした転回点に立って観念世界を放棄し、いまや此岸の世界に目を向ける。世俗的なものがそれなりに価値を認められ、主観的自由に基づいて捉えることができると見なされるようになった。精神は集中力を取り戻し、自らの手中にある理性に目を向ける。この再生は芸術と学問の復興となって現われる。精神は真の意味で世界と宥和する。道徳や法を探し求めていた人は、彼岸ではなく、自己の内面と外部の自然に赴く。自然観察において、精神は自然のうちに精神が働いているのを予感する。精神は天国を引き下ろし、宗教的な意味づけを剥ぎ取ることで、有限な現在へ目を向けるのである。精神は、超感覚世界のうちにも、直接の自然のうちにも、自分が現実の自己意識として存在することを発見しよう、認識しようという欲求を感じるに至る。
 精神がこのように自己に目覚めたとき、古代の芸術と学問の掘り起こしが行われる。これは神と対立する人間に関心が向けられ、人間の作品に価値が認められた、ということである。精神の現実そのものに神々しいものが見出されたのである。
 一方で、古代哲学の穏やかな登場と並んで、認識と知と学問への激しく力強い衝動が登場した。この時代には、暴力や破滅をものともせず、思想や心情や現実の状況にのめりこむような個人(カルダーノ、ブルーノなど)が登場したのである。
 大きな曲がり角をなしたのは、ルターの宗教改革である。人間は彼岸から精神の現在へと呼び戻され、大地とその肉体たる人間の徳や共同体、自身の心や良心が価値あるものだとみなされる。認識の面でも人間は、彼岸の権威から解き放たれて、自分自身に返ってくる。理性は完全無欠の普遍性を持つ神のごときものと認識される。いまや宗教的なものが人間の精神のうちに位置付けられ、人間の精神のうちで救済の秩序の全過程が進行していかねばならぬことが認識され、精神の救済は精神自身を主体とする事柄で、精神はかつて救済の秩序の核心をその手に握っていた司祭の仲介なしに、自分の良心と関係し、直接に神と関係するのである。聖霊は人間の心のうちに住み、そのなかにあって人間に働きかけねばならないのである。宗教改革の原理は、精神の内面性、自由性、自己への帰還という点にあった。自由とは他なるものと見えたものが自分自身へと返っていく精神の生命活動である。精神がその本質からして内面的に自由であり、自分自身のもとにある、というのは精神の根本定義である。次に精神が認識へと向かい、精神的な具体性を求めて周囲を見渡し、内容へと足を踏み入れると、精神は自分の所有物を相手としつつあくまでも自分を守り通し、自分の世界を生きようとする。その動きは具体的であり、精神は具体的存在となる。
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 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言