2016年12月02日

2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語(10/10)

(10)参加者の感想の紹介

 前回までの3回にわたって,ヘーゲル『哲学史』の最後の部分を扱った例会で,3つの論点についてどのような討論を行い,どのような(一応の)結論に到達したのかを見てきました。

 本例会報告の最終回である今回は,いつものように参加者の感想を紹介したいと思います。

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 今回はレジュメ担当にあたっており,論点への見解の作成段階や,レジュメの作成段階において,フィヒテ・シェリング・ヘーゲルの流れを自分なりに生命の歴史や,学問の構築過程に当てはめながら見ていったつもりであったが,例会での議論をとおして,無理やりなものになってしまっていたということがわかった。生命の歴史や学問の構築過程を見ていく場合,そこに潜む発展の論理構造をしっかりと見抜いた上で,その構造が同じだということを指摘しないといけない。ともすれば現象的な類似性で当てはめを行ってしまうのであるが,それではダメなのだということを改めて確認できたのはよかった。

 また,当初,フィヒテがカント哲学の完成とはどういうことか(カント哲学の完成はヘーゲルではないのか),フィヒテとシェリングはどう違うのか,という点があまり明確ではなかったのだが,ここがある程度わかるようになったのもよかった。カントは自我と物自体という二元論に陥っていたが,それをカントの枠組みにそってしっかりと整理しきったのがフィヒテだということである。それをもって,フィヒテはカント哲学の完成者だと評価されているのである。一方,ヘーゲルはそういうレベルではなく,そもそもそういう枠組みからして異なるのだということであった。たとえ話でいえば,論争において,何を言っているのかわからないものをわかるように整理したのがフィヒテであり,その内容に足りないものを補ってより高度な論を展開したのがヘーゲルということになるだろう。

 具体的にいうと,フィヒテは自我ということを根本において,そこからすべてを説こうとしたということである。しかし,フィヒテは自我と非我という対立を克服することができなかったのであった。それに対してシェリングは,(フィヒテの言葉を使うなら)自我と非我の共通性・同一性というものを指摘し,対立を克服できる可能性を示したということがフィヒテからの発展だと言える。これがフィヒテとシェリングの違いであるが,もう少し言うと,シェリングは自我(主観)と非我(客観)の同一性を結論として示しただけでその証明がないから,そこを絶対精神の自己運動という観点から示したのがヘーゲルだということになる。こういった形でフィヒテ・シェリング・ヘーゲルという流れを大まかに確認することができたのはよかった。

 なお,シェリングとヘーゲルの違いに関わって,シェリングのように結論だけを示して「わかれ!」というのでは,天才的な人しか哲学ができないではないかとヘーゲルは批判しているが,ここにはヘーゲルの人間観ということが現れているように思った。就任演説にあるように,ヘーゲルにとって人間は精神であるから,誰でも哲学ができるはずなのである。そういう観点からして,シェリングはおかしいと思ったのだろう。

 いよいよ次回はヘーゲルの哲学史の流れを把握し直すとともに,唯物論の立場に立った哲学史の構築に向けての議論を行う。例会に向けての準備作業は非常に膨大なものになりそうであるが,これまでの学びを総動員して,実りのある例会にしたい。

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 今回の例会では,ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリングの範囲,つまり『哲学史』の最後の部分を扱った。正直にいうと,フィヒテやシェリングの哲学説について説かれている部分はあまりはっきりとは分からなかったのだが,最後の最後に「結語」として説かれている部分は非常に印象的で,格調の高い文章になっていて,ヘーゲルの学的実力もさることながら,人間としての高みが感じられるものであった。

 さて,今回の例会に向けては,何とか論点を提示し,何とかそれへの見解を書くことはできたのだが,他会員と比べると,質的にも量的にも圧倒的に劣った見解しか書けなかった。前回のカントを扱った例会でもそうであったが,ヘーゲル『哲学史』を扱える論理能力,さらにレベルを下げていえば基本的な哲学の知識が全く足りていないのだと思う。それでも,前回は論点への見解が全く書けなかったので,今回は何とか,論点に対してズバリと答えを書くことだけは何とかしようと思い,少し分かりそうな部分はもう少し加筆するというやり方を行ったのであった。

 例会を通じて,自分の何とか分かった範囲の理解はそう間違ってはいないことが確認できた。しかし,やはり理解し切ったというレベルには程遠いし,唯物論の立場からそれぞれの哲学説を評価するという課題については,相変わらずまともに答えることができない部分があった。何としてもヘーゲルの哲学の把握をものにしなければ,自分の学の確立などあり得ないのだという強い気持ちを持って取り組む必要があると思う。

 次回はいよいよ『哲学史』のまとめである。例会報告を中心に『哲学史』の流れをしっかりと頭に描き切るとともに,「いのちの歴史」の論理構造がどのように哲学の歴史や世界歴史に貫かれているのかという点をしっかりと自分なりに自分の頭脳で筋を通して見解を書いていきたい。また,ここを踏まえて,唯物論の立場から『哲学史』を執筆する際の基本的な視点についても考察を深めておきたい。

 次回は報告レジュメの担当になっているので,ヘーゲル『哲学史』の大きな流れを必然性を持って流れているものとしてしっかりとまとめるとともに,それに対して筋の通ったコメントができるよう,早め早めに準備しておくことにしよう。

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 今回はヘーゲルの一歩手前のフィヒテとシェリングの哲学を扱った。細かなところを突っ込みはじめるときりがないが,カントからヘーゲルに至る大まかな流れは掴めたように思う。

 個人的に一番印象的だったのは,フィヒテの初めての論文がカントのものだと間違えられたということは知っていたが,シェリングも「フィヒテ哲学のひきうつし」「フィヒテそのまま」として出発し,「フィヒテの原理や表現の影響は,ことばづかいにもおよんでいる」と説かれるほど,フィヒテに二重化していたということである。カント,フィヒテ,シェリングは,同じ国の人間だったということもあり,文体レベルまで先人を徹底的にまねして,自分の他人化レベルで先人の認識を受け取っていったということであろう。これはちょうど,南郷継正先生が三浦つとむさんに徹底的に二重化し,当初の著作などは,まるで三浦つとむさんが書いた武道論であるかのように現象しているのとまったく同じ論理構造であろう。あるいは,南郷先生の弟子筋の論文は,まるっきり,南郷先生の文体そのままという印象があり,例えば『医学の復権』などは,南郷先生が書かれた医学論文であるかのように現象しているといってもいいのではないか。そういったこととまったく同じことが,ドイツ観念論の発展の歴史の中で見られたのだと思った次第である。

 もちろん,文体さえまねればそれで相手の認識が受け取れる,などということをいいたいのではない。自然と同じ文体になるくらいに必死に先人に二重化し,その認識を受け取ったうえでないと,発展などありえないのであり,逆にいうと,何らかの発展があったからには,必ず,その先人の認識の段階を経過しているということなのである。これが発展の必然性ということであろう。すなわち,必ず前段階を自己の実力と化すことなしには,それ以上の発展はないのである。これはさらに先人の先人,さらにその先人といった形で,どんどん遡っていけるものであり,究極的には,人類誕生の段階から,古代ギリシャの哲学誕生の段階から,人間の認識の系統発生の流れをしっかりと辿り返すことなしには,人類の社会的認識を発展させることなどできないのだ,ということになるだろう。

 さて,今回はチューターとして例会に臨んだが,時間の関係で,当日議論すべき点と,確認程度に済ます点を,明確には分別できなかった点が反省点である。もちろん,ある程度は区分けしていたものの,議論すべき点は,何を議論すべきなのか,明確に細かな論点までは設定できていなかったし,本当に流していいところも明確ではなかったために,議論が中途半端になってしまい,時間がオーバーしてしまった。やはりチューターたるもの,議論の流れを支配できるように,しっかりと事前準備に時間をかけて,当日の議論を活発に促すとともに,個々の会員の貴重な時間を必要以上に使わないように配慮すべきであると痛感した。今後はしっかりとチューターとしての役割を果たしていかなければならないと決意した次第である。

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 今回の例会のなかでは,フィヒテの「自我(我)」(Ich)について,三浦つとむが『弁証法はどういう科学か』(講談社現代新書)で言及している個所について確認しておきたい,という意見を出した。三浦は「観念論者は,……想像の世界のなかの自分こそ,本源的な自分であり,人間を人間として自覚させる「純粋な」自分であり,現実の自分を創造する「我」(Ich)であるなどと説明したのでした」(p.146)と説いている。また,「この観念的な自分は,必ずしも現実の自分と似た存在ではなく,人間以外の存在にも,あるいは「神」にもなれます」(p.141)とも説いている。現実の自分と観念的な自分(「自我」=神)との関係を転倒させた,という観点から捉えるならば,カントからヘーゲルへのドイツ観念論哲学の発展過程が非常によく分かるのではないか,と思わされた。「ドイツ古典哲学の発展は,観念的な自己分裂のあり方についての解釈の発展という面からも,検討されなければならない」(三浦つとむ『認識と言語の理論 第一部』p.26)との提起を真剣に受け止めて,考えていかなければならない。

 さらにいえば,このような「観念的な自己分裂」という観点からの三浦の解説が手掛かりとなって,哲学というものが――観念論であろうと唯物論であろうと――把持していなければならない構造が非常に明確に浮き彫りになってきたことも,大きな収穫であった。哲学というものは,世界全体(宇宙の生成から現代までの歴史性をも含む)に体系的に筋を通して把握したものであるが,そのためには,観念的な自己をいわば神の立場に立たせて,世界全体を(その歴史性をも含めて)眺め渡すという過程が絶対に必須になってくるのである。唯物論の立場からすれば,これはもちろんフィクションなのだが,そうではなくて,自分はもともと神と同じものなのだ(自己=絶対精神)と本気で思いこんでしまったところに,ヘーゲルの観念論哲学が成立している訳なのである。しかし,これは決して笑うべきことではなく,そういう観念論の立場で,自分は精神だからこそ絶対なのだ! と真剣に信じて努力し続けたからこその(「就任演説」参照)成果だったことをきちんとみるべきものであろう。

(了)

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 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言