2016年12月31日

2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ(10/10)

(10)参加者の感想の紹介

 前回までは3回にわたって、論点に関してどのような討論がなされ、どのような(一応の)結論が導き出されたのかについて報告してきました。

 さて、本例会報告の最終回である今回は、参加者のメンバーそれぞれの感想を掲載したいと思います。

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 今回の例会では、2年間かけて扱ってきたヘーゲル『哲学史』のまとめを行った。ヘーゲルが哲学史をどのようなものとして描いていたのか、それは「生命の歴史」とどのような共通点があるのか、我々が唯物論の立場から哲学史を説くにはどのような視点が必要か、などについて議論することになっていた。

 今回は、論点への見解が全く書けずに、他のメンバーの見解をもとにして、担当になっていた報告レジュメを執筆することになってしまった点は、非常に心残りではあるが、何とか他のメンバーについていくことを最重要課題として取り組んだ。

 こうした中でまとめてみると、やはり「生命の歴史」が生命と地球環境との壮絶ともいえる相互浸透の過程であることに比較すれば、ヘーゲルの「絶対精神」は、もともとゴールが定められていて、そこに向っていわば自動的に発展していくという説き方になっている感は否めないと思った。全てを絶対精神として説くという点では、非常に筋が通っているといえるのであるが、なぜ絶対精神はそのように発展していったのかという必然性に関しては、完全に説き切れてはいない、これがヘーゲルの『哲学史』の評価ではないかと思ったのである。

 これはやはり、世界観レベルの問題が大きくからんでのことであろう。つまり、全てが絶対世親だと説くヘーゲルにとっては、唯物論の立場から説く認識と自然的・社会的外界との相互浸透過程が十分な形では説き切れないのであって、ここが曖昧なまま絶対精神がなぜかしら発展していくと説かざるを得ないのではないかと思った。

 我々の課題としては、生命の歴史の延長としての人類の歴史の中の、認識の最高形態がどのような過程を経て発展していったのかを、当初は自然的外界を、後には社会的外界を中心とした相互浸透関係を丁寧に解き明かしながら説いていく必要があるだろう。そのためには、まだまだ十分に解明できたというわけではないヘーゲル『哲学史』の論理構造を深めていく努力をしつつ、世界歴史の流れを論理的に措定し、生き生きとした事実レベルで説けるような研鑽を積んでいく必要があるだろう。

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 ヘーゲル『哲学史』の全体について、結語におけるヘーゲル自身の要約を念頭に置く形で議論したが、ヘーゲルの文言そのものをもっと丁寧に押さえていくべきでなかったか、という反省はある。吉本隆明の「実体の世界」「学問の世界」という構図を念頭において、我々なりには何となく筋を通して把握できたという感じはあるのだが、ヘーゲルのアタマのなかにあったイメージとはズレてしまっているのではないか、自己流の解釈に陥っているのではないか、という恐れもないではない。とはいえ、ヘーゲルが哲学史のゴールとして描いていたであろうイメージについては、この2年間の議論を通じて、かなり鮮明にすることができたという手ごたえはある。

 来年の4月には、この2年間のヘーゲル『哲学史』の学びの成果を統括するものとすて、「ヘーゲル『哲学史』を読む」と題した論稿を掲載する予定である。私個人としては、今回の例会の議論を念頭に置きつつも、それに過度に縛られないようにして、ヘーゲル『哲学史』の全体を、来年1〜3月で読み直していく計画を立てたい。

 また、唯物論の立場から筋の通った(ヘーゲルを超える)哲学史を書き上げる、という我々自身の課題も忘れてはならない。そのためにも、南郷学派の先生方が出されている哲学・論理学についての成果にこれまで以上に真摯に学びながら、世界歴史の学びもしっかりとやっていきたい。

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 今回の例会では、ヘーゲル『哲学史』の総まとめができた。中でも、南郷学派が措定した「生命の歴史」と重ね合せてみる試みがよかった。生命の歴史も哲学の歴史も大きく分けると2部構成になっており、第1部から第2部への移行は比較的安定した場所から激変・激動する場所への変更を伴っていたということが見えてきたのが一番の収穫であった。
生命の歴史でいうと水中から陸へであり、哲学の歴史でいうとギリシア・ローマ世界からヨーロッパ世界へという場所の変更であるが、このような場所の変更がものごとの発展にとっては必然性であることは、唯物論の立場からでしかきちんと筋を通して解けないことを確認できた。

 また、哲学の歴史を吉本隆明の言葉であるとされる「実体の世界」と「学問の世界」という観点から大きく整理できたことも、今回の例会の成果の一つである。この吉本の言葉のおかげで、哲学史の理解が深まった。どういうことかというと、もともと人類の頭の中で、この二つの世界が分離していたわけではなく、当初は未分化な状態であった。これが分かれ始めたのがパルメニデスの段階であり、学問の芽生えといえる段階であった。これが完全に分離したのがアナクサゴラスのからプラトンにかけての段階であるが、この段階ではまだ実体の世界と学問の世界が並べられただけであり、両者のつながりがはっきりとはしていなかった。両方の世界を一致させようと努力して、現象レベルでそれなりの一致を見い出したのがアリストテレスといえるのであり、続くヘレニズムの時代には、社会が不安定になっていく中で自己意識が芽生えてきて、ストア派とエピクロス派が心の安寧を求めて真理とは何かを追求し、実体の世界と学問の世界が個人の意識の中で表象レベルで一致することで満足していたのである。それに対してスケプシス派は、具体的な個人の自己意識から独立した客観的な世界そのものを否定してしまった。つまり、実体の世界の否定である。そしてギリシア哲学の完成形態といえる新プラトン主義においては、自己の内部にある抽象的で無内容な主観的世界(学問の世界)を、具体的に規定された世界、すなわち叡智的世界として構成し直そうとし、そのために、世界の全ては一者(=神)からの流出なのであり、あらゆる存在は精神的なものであるとしたのであった。

 近代になると、個人的・具体的な意識とは独立しているとされていた叡智界(学問の世界)と、具体的な個人の眼前に広がっている自然(実体の世界)の両方を、自分自身の意識の中に取り戻すことが課題として浮上してきた。個人の視点から世界を眺めて客観と主観というように分けていたのを、もっと俯瞰した視点から、物質と精神というようにして眺められるようになってきたのである。デカルトにおいては、人間は精神的存在であると自覚されるようになり、精神と物質の統一(宥和)という課題が明確になった。すなわち、学問の世界と実体の世界をぴったり一致させることが哲学の課題であることが自覚されるようになったのである。ここからスピノザやライプニッツがこの一致のために努力していったがうまくいかなかった。ドイツ観念論のカントに至っては、人間の精神(認識)について研究し、いってみれば実体の世界は保留して(物自体は認識できないとして)、学問の世界をきちんと描こうとした。フィヒテはこれを引き継ぎ、自我からすべてを説こうとしたし、シェリングは、自然を研鑽したうえで、自我(学問の世界)と自然(実体の世界)に共通するものがあるはずだとして絶対的な「神」を措定した。この絶対的な「神」が実は自己運動する絶対精神なのだとして、人間精神の展開として全世界を説ききったのがヘーゲルであり、ここにおいて一応、自己=世界という図式が完成し、学問の世界と実体の世界がぴったりと一致したといえるレベルにまで到達したのであった。

 大雑把にいえば以上のような内容が確認できた例会であった。まだまだ、ヘーゲルのいわんとしていることと一致しているのかどうか、あやしい点もあるが、今後もくり返し学んでいくことによって、深めていきたい。

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 今回の例会はかなり重たい論点が挙がっていたが、この2年間の学びをしっかりと振り返る形で議論ができたのがよかったと思う。チューターも務めたが、それなりにしっかりとそれぞれの見解を整理し、進行していくことができたのではないかと思っている。

 今回の例会の中でヘーゲルの哲学史を自分の視点から神的な視点(第三者の視点)へという過程として捉える見解が出ていて検討したが、これは学級をどう見るかという点でも当てはまりそうだと思った。例えば、学級で何か問題が起こったとする。そのときに、いつも特定の子どもが問題を起こすことに気づいたとき、教師は「この子が根本的な原因だな」というような理解をする。これは教師が教師としての視点から学級を眺めている状態である。しかし、第三者として眺めてみると、実は教師の働きかけに対する反発としてその子が悪いことをしているということがある。たとえば、全然認めてくれなくて叱ってばかりとかそういうものに対して、ふてくされていて、いろんな問題を起こすということである。そうやって見てみると、学級の状況(客観・客体)は結局教師(主観・主体)が創りだしたものだということになり、それが教師にはね返ってきているだけなのだということになる(ここでは悪い場合を挙げたが、よい場合でも同じことが言えるだろう)。このように学級も絶対精神の自己運動として捉えることができるのではないか、などと思った。

 あと、観念論の立場からの哲学史と、唯物論の立場からの哲学史の違いという点について、論点を作成する中で、また見解を整理する中で理解を深めることができたのがよかった。端的には、哲学の発展の必然性を外界との相互浸透という観点から見るかどうかが最も大きな違いだということである。確かにこのような視点がなければ、ヘーゲルの哲学史についても、どうしてヘーゲル自身が説いているような8つの段階を辿って発展していくのかが説けないなということを議論の中で感じた。

 まだまだ十分に消化できたとは言えないが、とりあえずヘーゲルの大著をしっかりと読み通せたことは自信になった。来年からはカント『純粋理性批判』を扱うが、この2年間で培った実力をひっさげて取り組んでいきたい。

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2016年12月30日

2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ(9/10)

(9)論点3 唯物論の立場から哲学史を説く目的と方法とは何か。

 前回は、ヘーゲル『哲学史』を生命の歴史から見ていくとどうなるかという点について、どのような議論を行い、どのような(一応の)結論に至ったのかを確認しました。これについては、両者とも大きくは2部構成になっていることと、発展の終末局面において急激な発展をしていることが取り上げられました。2部構成になっていることについては、外界との相互浸透ということが関わっているのだろうが、ヘーゲル自身はその点を自覚できていないから、2部構成になっている必然性を捉えられてはいないだろうということでした。

 さて今回は、唯物論の立場から哲学史を説くにはどうすればよいかについての議論を紹介します。論点は以下のようなものでした。

【論点再掲】
 観念論の立場から説く哲学史と唯物論の立場から説く哲学史は何が同じで何が異なるのか。とりわけ哲学と社会の関係について、両者の立場の捉え方はどのように異なるのか。唯物論の立場から哲学史を説く必要性は何か。唯物論の立場から哲学史を説くために必要な作業は何か。


 この論点については、時間が大きく不足したために、あらかじめ各メンバーが出した見解を簡単に整理し、確認するのみに留まりました。

 まず観念論の立場から説く哲学史と、唯物論の立場から説く哲学史の共通点については、「ひとつの精神(認識)が発展してきたものだと捉える点では同じである」「精神の発展を描いているという点では・・・同じだと言える」という見解、さらに「人間がこの世界全体を自分自身のこととして体系的に筋を通して把握しきるに至る過程である」「自分自身を知ることと世界全体を知ることとは同じことであり、世界全体を自分自身のこととして分かること」という見解が出されました。精神の発展を捉えようとするのが哲学史ですが、自分自身はその精神の発展の先にいるのだという観点からすれば、これは結局自分自身を知ることとも言えます。このような形で提示された見解を整理しました。

 では、両者の差異は何かについては、まず観念論哲学と唯物論哲学の違いについて、あるメンバーが前回の例会での議論を踏まえて「観念的な自己をいわば神の立場に立たせて、世界全体を(その歴史性をも含めて)眺め渡すという過程において、これはフィクションであると自覚しているのが唯物論の哲学で、実際にその通りなのだ、自分はもともと神と同じものなのだ(自己=絶対精神)と思い込んでしまうのが観念論の哲学である」という見解を出しました。

 その上で、観念論の立場から説く哲学史と、唯物論の立場から説く哲学史の違いについては、「観念論の立場では、精神は精神として発展すると捉えるのに対して、唯物論の立場では、精神は、自然的・社会的外界との相互浸透によって発展すると捉える」「観念論の立場では、物質の(いわば見せかけの)運動の背後にある精神の運動を見てとるという形になる。一方、唯物論の立場では、精神はあくまでも物質の発展形態として捉えるのであるから、物質とのかかわりの中で精神の発展を捉える」「観念論の立場から説く哲学史は、精神はもともと神的なものとして存在していたのであり、自らの力で、本来の自己のあり方へとたち返っていくのだ、ということになるのに対して、唯物論の立場から説く哲学史では、客観的な世界の反映を原基形態として人間の頭脳において成立した精神が、人間が社会的労働を通じて客観的な世界(自然、社会)と主体的に関わっていく(問題にぶつかり解決しようと苦闘を積み重ねていく)なかで、世界の現象、構造、本質についての体系的な像を形成していくことになる」という見解が出されました。

 結局、観念論の立場では精神が自らの力によって発展すると捉えるのであり、唯物論の立場では精神が物質的な外界(自然・社会)との相互浸透によって発展していくということで、ほぼ共通した見解であることを確認しました。

 哲学と社会の関係については、「観念論ではその精神(哲学)の現れとして社会が存在すると考えるのに対して、その精神が社会を統括しているのと捉えるのが唯物論だと言える」という見解が出されましたが、唯物論の立場では確かに精神=哲学とも言えるが、観念論の立場ではすべてが精神であり、哲学はその一形態であるから、精神と哲学を同一視することはできないのではないかという疑問が提示されました。一方、別のメンバーの出した見解は「観念論の立場においては哲学も社会も世界精神の現れであるが、哲学はその最高の成果としてあるのに対して、唯物論の立場においては社会(複数の人間が協同によって自然に働きかけ、また相互に働きかけ合いながら、生活を生産していく集団)のなかで、自然および社会と人間の認識との相互浸透を通じて、次第に形成されていくものだ」というものでした。ここでは観念論の立場では哲学も社会も精神の現れとして捉えられており、こちらの方が妥当ではないかということになりました。

 唯物論の立場から哲学史を説く必要性(なぜ観念論の立場ではなく唯物論の立場から説く必要があるのか)については、「対立物との統一においてこそ、真の発展の必然性が捉えられる」「唯物論の立場でなければ、精神と自然・社会との相互浸透の関係の捉え方が甘くなってしまい、精神の発展の構造がまともに捉えられなくなってしまうから」という見解が出されており、要するに外界との相互浸透という視点をもってこそ精神の発展の構造(必然性)がしっかり捉えられるのだという点で同様だということを確認しました。

 唯物論の立場から哲学史を説くために必要な作業については、「サルから人間に至る過程でどのように認識が誕生したのかという点からきちんと筋を通すこと」、「アリストテレスが現象論、カントが構造論、ヘーゲルが本質論という把握がなされているが、それがどういうことかを把握すること」「人類(精神)と世界との相互浸透という観点から、世界歴史の流れを把握すること」「(自らが)専門分野における学問の構築過程を辿ること」などの意見が提示されました。

 以上で、12月例会の議論を終えました。
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2016年12月29日

2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ(8/10)

(8)論点2 生命の歴史とはどのようなものか

 前回は、ヘーゲル『哲学史』全体に関わる論点について、どのような議論を行い、どのような(一応の)結論になったのかを紹介しました。端的には古代ギリシャにおいて、現実の世界と観念の世界が未分化な状態から明確に分離され、両者の一致ということが課題となったのでした。しかし、それが果たすことができないなかで現実の世界が否定され、新プラトン派において、自己の内部にある抽象的で無内容な主観的世界を、具体的に規定された世界―叡智的世界―として構成しなおそうとしたのでした。近代においては、具体的な意識とは別個のものとして広がっている叡智界(=「観念の世界」)、および、具体的な個人の眼前に広がっている自然(=「現実の世界」)の両方を、自分自身の意識のなかに取り戻そうとする試みが始められ、それがヘーゲルにおいて果たされたのだということでした。

 さて今回は、このヘーゲル『哲学史』を生命の歴史から見ていくとどうなるかという点についての議論を紹介します。論点は以下のようなものでした。

【論点再掲】
 生命の歴史は、結局、何を目指した過程と言えるか。その過程において、単細胞段階、カイメン段階、クラゲ段階、魚類段階、両生類段階、哺乳類段階(哺乳類→サル→ヒト)は、どのような役割を担う段階として位置づけられているか。それにヘーゲルの哲学史を対応させると、どのようなことが言えるか。


 まずこの論点の文言に関わって、「何を目指した過程と言えるか」というと生命体が意志をもって発展していったようになり、このままでは観念論になってしまうのではないかという指摘が出されました。生命体はあくまでも結果として人間まで発展していくことになったのであり、生命の歴史はその結果から過程を捉え返そうとしたものだということを押さえておかないといけないということでした。これは全員が納得しました。

 その上で生命の歴史が何を目指したものなのかについては、「『自由(自在)』を目指した過程」「地球環境に生命体がしっかりと対応できるようになっていく過程」「地球から分離した生命体が、母体たる地球(および月、太陽など)と相互浸透しながら、主体的な自由を獲得していく過程」など、ほぼ共通した見解が出されました。

 さらにその過程は魚類段階までとそれ以降で大きく2つに区分できるという捉え方も共通しており、「魚類段階は、水中での運動体としての完成であり、それ以前の段階は、魚類に至るための実力を培う段階として位置付けられるとともに、魚類段階で創出された統括器官・運動器官・代謝器官という形態がスタート地点となって、地上での運動性が徐々に獲得されていく」「統括する存在が創られる過程とそれが使われる過程という2つに区分することができる」「水中での発展(a〜d)という第1部と、陸上での発展(e〜f)という第2部に分けられる」「生命体は、水中で培った実力を引っさげて陸上に進出」などの見解が出されました。

 その上で、ヘーゲル哲学史との対応関係について確認をしました。その際の注意点として、メンバーの一人が「『生命の歴史』では、運動・変化・発展の論理が説かれているのであるが、運動・変化・発展の一般性と、『生命の歴史』に特殊な運動・変化・発展の論理(特殊性)をしっかりと区別しなければならない」という指摘を行いました。何となくイメージとして似ているからといって対応させていくのではなく、そこにはどんな運動・変化・発展の論理があるのか、それは一般的な論理なのか生命の歴史のみに当てはまる特殊な論理なのかを考えなければならないということです。これは全員が納得しました。

 具体的な対応関係については、メンバーの一人が、古代ギリシャ哲学という第1部と、近代哲学(ゲルマン哲学)という第2部に分け、「第1部では、精神は、自己意識をもつようになり、『現実の世界』を『観念の世界』に解消した上で、その『観念の世界』を、具体的に規定された内容のある叡智界として完成させる。第2部では、『観念の世界』と対立する『現実の世界』が厳然としてあることを(改めて)確認した上で、思惟(「観念の世界」)=存在(「現実の世界」)という宥和が実現される」という見解を提示しました。

 これに対して、別のメンバーが「確かに2部にわかれる点は共通しているが、それは偶然ではないのか。偶然ではないとすれば、そこにどんな必然性があるのか」という疑問を提示しました。

 この問題については、まずそもそもヘーゲルの哲学史の2部構成とはどういう段階からどういう段階へと発展したのかを検討しました。これについては、ヘーゲルの哲学史においては、現実の世界と観念の世界の2つを重ね合わせるということが大きな課題となっていたわけですが、その重ね合わせ方の違いなのではないかという見解が出されました。つまり、新プラトン派までは表象レベルであったのに対して、近代哲学においてはこれが概念レベルで行われるようになったということでした。

 疑問を出したメンバーはこの見解に対して、「なぜそのような発展がなされるのか、そこに2部構成になる必然性はあるのか」とさらなる疑問を提示しました。これについては、やはり生命の歴史と同じように環境の変化が関わっているのではないかという見解が出されました。生命の歴史では海のような(相対的に)安定した環境から、陸のような(相対的に)変化の激しい環境へと移り変わっています。ヘーゲルの哲学史においても、海(地中海)の近くの限られた世界から、ヨーロッパ内陸を中心としたヨーロッパ世界全土という環境の変化が存在するのではないかということでした。ただし、ヘーゲルは環境との相互浸透が説けていないから、ヘーゲル自身は2部構成になる必然性は見えていないのではないかということでした。この見解には全員が納得しました。

 また、メンバーの一人は生命の歴史において、哺乳類が四足哺乳類からサルへ、さらにヒトへと発展していることと、ヘーゲルの哲学史においてドイツ観念論がカントからフィヒテ、シェリングを経てヘーゲルへと発展していることが非常に似ているという見解を出しました。つまり、発展の終末局面において、急激な発展をしていくという点は共通しているのではないかということでした。これについて、別のメンバーは、確かに発展が進むにつれて複雑な構造をもつようになると、外界との相互浸透もより複雑になって加速度的に発展が進むということが言えそうだと発言しました。

 一応、以上のような結論に至って、この論点についての議論を終えました。
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2016年12月28日

2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ(7/10)

(7)論点1 ヘーゲルの哲学史とはどのようなものか

 前回は、今回扱った内容を再度まとめ直した後、例会で扱った3つの論点を紹介しました。

 今回からは、それぞれの論点に対してどのような討論がなされ、どのような(一応の)結論が出されたのかのプロセスを紹介していきます。

 まずはヘーゲル『哲学史』全体に関わる論点です。以下に再掲します。

【論点再掲】
 ヘーゲルの哲学史は、何を目指した過程と言えるか。その過程において、「結語」に示している8つの段階は、どのような役割を担う段階として位置づけられているか。


(注)ヘーゲルは哲学史を大きく8つの段階に区分しています。
@与えられた対象から出発してそれを理念に転化した「ある」(存在)の段階
A抽象的思考であるヌースが全体を貫く実在として知られるようになるイデアの段階(プラトン)
B概念的思考が宇宙のすべての形態に精神をふきこむ段階(アリストテレス)
C概念が主観としてあらわれ、主客の抽象的な分離が生じる段階(ストア派から懐疑主義)
Dすべての実在のうちに理念を見るが、その理念が自己を知らない段階(新プラトン主義)
(近代の課題:理念を精神として、自己を知る理念として、とらえること)
E自己意識が自分が意識であると考える段階(デカルトからライプニッツ)
F自己意識が他とも否定的な関係を結ぶ段階(フィヒテ)
G自己意識が純粋な思考と存在を一体化したものとして認識する知的直観の段階

 この論点については、まずヘーゲルの哲学史が何を目指した過程と言えるかを確認しました。これについては、おおむね同じような見解が出されました。つまり、この全世界が自己自身の展開なのだという把握こそ「世界=自己」という意識をもつこと、自らが絶対精神であると自覚するということであり、ヘーゲルの哲学史はこの過程を描いたのだということです。それは世界全体を論理的に把握することであり、吉本隆明流に言えば、学問の世界と実体の世界が重なり合うレベルで一致するということであるということです。ここで一人のメンバーから、ヘーゲルの言う「自由とはどういうものかを確認しておいた方がいいのではないか」という意見が出されました。そこで、チューターの方から「自由とは、自分に由るということであり、すべては自分から生まれてきているということである」と解説しました。また、別のメンバーは「自由とは他に依存しないということであり、他のものがないということ、つまり、すべては自分自身なのだということである」と解説しました。つまり、「世界=自己」という把握をすることが直接に自由なのだということです。

 この過程を@〜DとE〜Gという2つにわけている点はみな共通していました。メンバーの一人は「@〜Dは、絶対精神があくまでの自己の視点から世界を眺めていた段階であり、E以降は神的な視点から、自己(意識)と物質世界を対象化しうる視点から、精神と物質を眺めてその統一を目指した段階だ」という見解を提示しました。これについて、別のメンバーから、「言いたいことはわかるけれども、ヘーゲルにおいてはすべては絶対精神なのであり、神的な立場の神というのも絶対精神なのであり、この神的な視点というのも絶対精神としての自己の視点なのではないか。そういう意味で自己の視点と神的な視点という形で対比した表現はあまり適切ではないと思う」という見解が出されました。そして、「あえて言えば、個別的人間の視点と神的な視点という対比になるのではないか」ということでした。これについては見解を提示したメンバーも納得しました。

 一方、チューターは「@〜Dを自分自身こそが絶対的実在なのではないかという予見が生まれる段階」「E〜Gは自らが絶対的実在であること(絶対精神であること)を確信する過程」という見解を出し、別のメンバーは「人間と神とは同じものであるという啓示が、イエス・キリストの降誕と受難によって与えられるが、これはイエス・キリストという特殊な人間についてのものと捉えられ、人間一般というレベルではまだ把握されなかった」という見解を出していました。両者の関係について、チューターは前者を詳しくしたものが後者だと整理していたのですが、それに対して異論が出されました。つまり、チューターの見解では予見から確信へということでいわば濃淡の違いであるのに対して、もう一人のメンバーの見解では個別から普遍という違いになっており、両者は異なっているということでした。これについてはチューターも納得しました。さらにどちらの見解の方が妥当かという点については、やはりイエス個人が神(絶対精神)だと捉えられていたものが、人間一般に拡大したのだと捉える方が妥当だろうということになりました。

 その上でチューターは、最初に出されていた見解(自己の視点から神的な立場の視点へ)という見解と、この見解(個別から普遍へ)との関係はどうなるのかと問題提起し、次のように解説しました。最初は自分の立場にしか立てていないわけですから、目の前のイエスが神だということしかわかりません。しかし、やがて神的な立場(第三者の立場)に立てるようになると、自分も含めて、人間一般が神(絶対精神)であることがわかったということです。この整理については、他のメンバーも納得しました。

 続いて、各段階の意義について具体的に見ていきました。まず@については、世界の本質が探究されるようになった段階ということで見解が共通していました。しかし、吉本隆明のいう「実体の世界」と「学問の世界」という観点から、あるメンバーは「『学問の世界』を描いたはじめと言えるだろう」としているのに対して、別のメンバーは「『現実の世界』をあるがままに眺め、『現実の世界』のなかに絶対的な本質を見い出そうとするものであった」としており、この段階では「学問の世界」はまだ誕生してきていないという見解を出していました。この点について議論を重ねた結果、結論としては次のようになりました。当初はこの「実体の世界」も「学問の世界」も混然一体として存在していたのであり、それが@の段階だということです。エレア派が「すべては一だ」と唱えたあたりから少しずつ「学問の世界」の姿が見え始めてきたが、明確に「実体の世界」から分離したのはアナクサゴラスやプラトンの段階であろうということになりました。このように未分化なものが分化するということは発展の一般的なあり方だと言えるだろうということでした。

 次のAについては、ほぼ共通した見解が出されていました。つまり、この世界の本質が物質的な現実の世界とは別のところ(精神的な存在)に見出さなければならないことが明らかになってきたということです。アナクサゴラスのヌースやプラトンのイデアがそれですが、ただしこの段階では学問の世界と実体の世界が並びたてられるだけで、両者のつながりが明確になっていなかったのでした。

 この課題を克服しようとしたのがBのアリストテレスだという点も共通していました。ここで、チューターは「イデアから現実の世界が生まれ、その現実の世界がイデアに引っ張られるような形で運動すると説いた」という見解を出していましたが、これについて「イデアに引っ張られるというのはいいとしても、イデアから現実の世界が生まれるということをアリストテレスは説いていたのか」という疑問が出されました。また「この見解だと円環運動のイメージになるが、アリストテレスは一直線というイメージだったように思う」という意見も出されました。これについて別のメンバーが「神から現実の世界が生まれるとは言っているようなので、その神をイデアだと捉えればこういう解釈も成り立ちうるだろうが、まだアリストテレスの段階ではこのように筋の通った把握はなされていなかったのではないか」と発言しました。チューターはこれらの意見に同意し、アリストテレスは学問の世界と実体の世界を重ね合わせようとしていたのだということを確認しました。このアリストテレスの限界について、別のメンバーは、「この能動的ヌースというのは、『現実の世界』の具体的な内容とは別個の主体(能動的ヌースにとって、具体的な内容は外から与えられるもの)と捉えられていたし、具体的な個人の意識とも重ねられていなかった」と指摘していましたが、これは全員が納得しました。

 Cについては、「表象レベルで一致することをもって満足するストア派とエピクロス派に対して、そもそも両者は一致などしないのだ、真理なんてものはないのだとする懐疑主義」という見解と、「エピクロス派やストア派は、表象レベルの認識において『現実の世界』と『観念の世界』の一致を見いだして満足しようとしたが、最終的に、スケプシス主義〔懐疑主義〕において、具体的な個人の自己意識から独立した客観的な世界そのものが否定されてしまう」という見解が出されましたが、両者はほぼ共通しており、要するに「現実の世界」と「観念の世界」をどのような形で一致させるか(真理とは何か)が問題とされたものの、結局、真理など存在しないのだとして、「現実の世界」が廃棄されてしまったということを確認しました。

 Dについても各自が見解を出しましたが、あるメンバーが出した「自己の内部にある抽象的で無内容な主観的世界を、具体的に規定された世界―叡智的世界―として構成しなおそうとした。そのために、世界の全ては一者(=神)からの流出なのであり、あらゆる存在は精神的なものであるとされた」という見解がすべてを包摂しているだろうということになりました。新プラトン派は、「太陽が全世界を覆っている」というような表象レベルで観念の世界を説いたのだということでした。

 これについて、あるメンバーから疑問が出されました。新プラトン派が表象レベルで説明したということと、ストア派やエピクロス派が表象を真理の基準だとしたこととは何が違うのかということでした。これについて、別のメンバーは、そもそも表象ということが出てくる根源が違うと発言しました。ストア派やエピクロス派では、「現実の世界」と「観念の世界」の一致をどこに見出すかという問題意識の中で表象こそその一致の具体的なあり方だと主張したのあるが、新プラトン派では、そもそも「現実の世界」は否定されてしまって、観念の世界を抽象的無内容とせず具体性をもったものとして説こうとする中で表象レベルの説明が出てきている、ということでした。これについては疑問を出したメンバーも納得しました。ただ、このギリシャ哲学のレベルは全体としてみれば表象レベルだったということが言えるのではないかと発言しました。これについては他のメンバーも同意しました。

 続いて、Eについては、「近代に至って、具体的な理念として捉えられた世界の全体(新プラトン派で打ち立てられた叡智界)を、具体的な個人としての意識から、自分自身のものとして捉えていこうとする。具体的な意識とは別個のものとして広がっている叡智界(=「観念の世界」)、および、具体的な個人の眼前に広がっている自然(=「現実の世界」)の両方を、自分自身の意識のなかに取り戻そうとするのである」「それ以前は主観と客観という形で分けていたものを、それらを対象化して精神と物質という世界の二大存在として眺めうる神的視点に立てるようになった」などの見解が出されましたが、これらはほぼ同様の見解であることを確認しました。また、その近代の哲学の出発点であるデカルトについて、「自己を思考する自己意識こそが絶対的な実在だと考えた」「人間は精神であるという自覚は、まずデカルトにおいて芽生えた」という見解が出されましたが、これも妥当だろうということを確認しました。

 この自己意識からすべてを説こうとしたのがFのフィヒテの段階であり、それが果たされ、当初掲げた自由が実現するのがGの段階であるという点もほぼ共通した見解でした。

 こうして各段階についての確認を行ってきたわけですが、全体としてこれまでの議論で出てきた見解を整理するにとどまっており、ヘーゲルが実際に書いている言葉から遊離してしまった感があった点についての反省がなされました。ただ、実際問題として、ヘーゲルの文言に忠実に沿って検討していくのはかなり難しいものがあっただろうという見解も出されました。またいずれ我々が哲学史を書くときには、再度ヘーゲル『哲学史』を読み返していくことにしようという意見も出されました。

 以上で論点1についての議論を終了しました。
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2016年12月27日

2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ(6/10)

(6)改めての要約と論点の提示

 ここまで、ヘーゲル『哲学史』全体の要約を紹介しました。ここで改めて重要なポイントについてふり返っておきたいと思います。

 そもそも哲学とは、ヘーゲルによれば「普遍的内容として、あらゆる存在であるような思想である」ということでした。そしてその哲学の始まりは古代ギリシャにあり、哲学史は、思想を理念にまで発展させたギリシャ哲学と、思想を精神として把捉したゲルマン哲学という大きく2つに区分できるということでした。

 古代ギリシャ第1期において、世界の本質(絶対的実在)が探究されるようになったのでした。当初は水や空気など現実の物質的な世界に存在するものがその本質だと考えられていましたが、徐々に現実の物質的な世界とは別のところに本質は存在するのではないかと考えられるようになり、精神的なものがこの世界を動かしているのではないかと主張されるようになったのでした。プラトンのイデアはその精神的なものを捉えたものだったのですが、そこには主体性の原理が欠けており、物質的なものと精神的なものが並び立っている状態だったのでした。それを克服しようとしたのがアリストテレスであり、ここで古代ギリシャ第1期は終了することとなります。

 古代ギリシャ第2期は、独断論と懐疑論の時代です。ここでは真理とは何かが問われ、それに対して諸々の解答を与えたのですが、結局、全ての外的な存在、特定の内容や固定観念や真理が否定されたのでした。

 続く古代ギリシャ第3期は、新プラトン派です。新プラトン派において、絶対的な実在は自己意識と無縁のものではなく、自己意識と直接に関わらないような実在は存在しない、という理念ないし原理が世界精神の一般原理となったのでした。そして、この新プラトン派において、自己意識が絶対的実在であり、絶対的実在が自己意識であるという知が生まれたのですが、この自己意識はひとりの人間(イエス)という生身の存在でしかなかったのでした。

 ここからギリシャ哲学とゲルマン哲学の過渡期にあたる中世の哲学に入ります。中世のスコラ哲学では、真理は現実の土台をなしておらず、生活の全般が2つの部分に分裂し、精神の国と世俗の国が対立していたのでしたが、やがて教会が世俗化していくとともに、世俗の権力そのものも精神化されて、学問は目の前の材料を扱うようになり、世俗的なものがそれなりに価値を認められ、主観的自由に基づいて捉えることができると見なされるようになったのでした。

 こうして近代の哲学の幕開けとなります。デカルトを出発点として、理性を自立的な出発点とし、自己意識が真理の本質的契機であることを自覚している哲学がスタートすることとなったのです。そこでは存在と思惟の統一ということが大きな課題となり、これに応えようとして諸々の哲学が生まれてきたのであり、その最終段階としてドイツ哲学(ドイツ観念論)が位置づけられています。カントにおいて物自体と自我という対立が明確になり、フィヒテは自我一元論を唱えようとしたものの克服することはできなかったのでした。この流れを受け継いだシェリングは、「理性は主観と客観との絶対的無差別である」という命題を知的直観によって示したものの、それを証明することはできなかったのだということでした。

 2016年12月例会の場では、おおよそ以上のような内容に関わっての報告を受けて、参加したメンバーから諸々の意見・論点が提起され、議論がたたかわされました。これから、その内容を大きく3つの論点に沿って整理した上で、紹介していくことにします。今回はその3つの論点を紹介し、次回以降、討論の具体的な内容を紹介していくことにします。

論点1 ヘーゲルの哲学史とはどのようなものか
 ヘーゲルの哲学史は、何を目指した過程と言えるか。その過程において、「結語」に示している8つの段階は、どのような役割を担う段階として位置づけられているか。

論点2 生命の歴史とはどのようなものか
 生命の歴史は、結局、何を目指した過程と言えるか。その過程において、単細胞段階、カイメン段階、クラゲ段階、魚類段階、両生類段階、哺乳類段階(哺乳類→サル→ヒト)は、どのような役割を担う段階として位置づけられているか。それにヘーゲルの哲学史を対応させると、どのようなことが言えるか。

論点3 唯物論の立場から哲学史を説く目的と方法とは何か。
 観念論の立場から説く哲学史と唯物論の立場から説く哲学史は何が同じで何が異なるのか。とりわけ哲学と社会の関係について、両者の立場の捉え方はどのように異なるのか。唯物論の立場から哲学史を説く必要性は何か。唯物論の立場から哲学史を説くために必要な作業は何か。

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2016年12月26日

2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ(5/10)

(5)ヘーゲル『哲学史』要約C 近代の哲学

 前回はギリシャ哲学第2期、第3期、および中世の哲学の部分の要約を紹介しました。古代ギリシャ第2期において真理とは何かが問われ、全ての外的な存在、特定の内容や固定観念や真理が否定されたのでした。そして第3期の新プラトン派において、絶対的な実在は自己意識と無縁のものではなく、自己意識と直接に関わらないような実在は存在しない、という理念ないし原理が世界精神の一般原理となったのでした。
 中世のスコラ哲学では、真理は現実の土台をなしておらず、生活の全般が2つの部分に分裂し、精神の国と世俗の国が対立していたのでしたが、やがて教会が世俗化していくとともに、世俗の権力そのものも精神化されて、学問は目の前の材料を扱うようになり、世俗的なものがそれなりに価値を認められ、主観的自由に基づいて捉えることができると見なされるようになったのでした。

 今回はデカルトを出発点として始まる近代の哲学の部分の要約です。
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第3部 近代の哲学

序論

 宗教改革とともに第3期が始まる。人間は自分自身を信頼し、自分の思惟そのものを、自分の知覚を、自分の内と外の感覚的自然を信頼するようになる。近代の哲学は、古代の哲学が到達した原理から、すなわち、現実の自己意識(現実に存在する精神)という立場から出発する。近代の哲学は思惟の世界と存在する宇宙を分離する中世の立場を超えて、この2つの領域を対立するものと捉え、その対立を克服しようとする。したがって、主要な関心事は、対象の真理とは何かを思惟することではなく、前提された客観の意識化にほかならぬ主客の統一過程を思惟することである。統一を概念的に捉えるには2つの道がある。ひとつは経験を土台とする方向、もうひとつは内面的な思考から出発する方向である。だから、対立の解決という点からして、哲学は2つの主要な形式――実在論的な哲学の形式と観念論的な哲学の形式――に分かれる。換言すれば、思考の客観的な内容を知覚から引き出してくる哲学と、思考の自立性から出発して真理へ向かう哲学とに分かれるのである。しかし、この2つの方向はやがて合流するものである。

1、近代哲学の黎明

 精神がその認識内容のうちをあたかも自己の領土内さながらに動いており、その占有した領土が具体的存在として現われて来る。この領土は経験と帰納法を出発点とするベーコンにおいては、有限な自然的な現世的存在として規定され、神(三位一体の汎神論)を出発点とするベーメにおいては、内的な神秘的な、また神的なキリスト教的な存在および生活として規定される。

2、思惟する悟性の時期

 デカルトとともに、新プラトン学派以来はじめて、本格的な哲学が登場する。それは、理性を自立的な出発点とし、自己意識が真理の本質的契機であることを自覚している哲学である。しかし、神の規定、現象する多の世界観はいまだ思惟から必然的に発するものとして示されるには至らず、そこにあるのは、イメージや観察や経験によって与えられる内容についての思惟にすぎない。
 一方には形而上学(抽象的な思惟そのもの)があり、他方に特殊な学問(経験に由来する思惟の内容)がある。思惟に妥当する諸規定は思惟そのものから取り出されるべきだというア・プリオリな思惟と、我々は経験からはじめ、推理し思惟しなければならない、という規定との対立がある。これこそ、合理論と経験論との対立であるが、その対立はとことんまで突き詰められるものではない。というのも、内在的な思惟のみに価値を認める哲学が、思惟の必然性に依拠して首尾一貫した方法的発展の道筋をたどるのではなく、内外の経験からも内容を得てくることがあって、形而上学的側面に経験的な方法が入り混じるからである。

(1)悟性形而上学

 形而上学は実体への傾向にほかならないから、二元論に反対して、ひとつの統一、ひとつの思惟を確立しようとする。しかし、形而上学それ自身の内部には、実体を重んじる立場と個体を重んじる立場との対立がある。第一は、無邪気で無批判な形而上学であり、存在と思惟の統一を立てるデカルトとスピノザである。第二は、経験の形而上学的な理念を考察しつつ対立そのものを扱うロックである。第三にライプニッツの単子に至ってはじめてそれ自身世界観の総体となるのである。

(2)過渡期

 カント哲学に至るまで思惟は凋落の一途を辿る。上述の形而上学に対立して、いわゆる一般的な通俗哲学、すなわち反省的経験論と呼ばれ得るものが台頭する。これまで現れた諸々の矛盾、その作為的な技巧性――神の助力、予定調和、最善の世界、等々――対置されたのは、教養ある人間の胸裏に感じられ直観され崇められたものを内容とした、精神に内在する確固たる根本原理である。これらの具体的な諸原理は、ただ彼岸の神のなかにのみ解決を見出すのとは違って、人が一般に健全なる人間悟性(良識)と呼んできたものから見い出された現世的な宥和であり自立性であり、また合理的に納得のいく拠りどころにほかならない。しかし、生まれながらの知や直接的な感情を標準とする人は、宗教や倫理的事象・法律的事象が人間の胸裏に内容として見出されるときには、これが教養や教育のお陰であり、教養や教育によってはじめてこのような根本命題が自然な感情とされてきたのだという事実に気づかないのである。気づかないままに、このような自然な感情や健全な人間悟性が原理とされているのだから、原理の多くが理にかなったものであるのは当然である。このようなものが、18世紀における哲学である。
 ヒュームは懐疑論者であり、一切の普遍的なるものを否定する。これに対立してスコットランド学派は、普遍的命題や真理を掲げはするが、それはあくまでも思惟によってするのではない。それゆえ、いまや確固たる立場がとられるにしても、それは経験的なものそれ自身のうちに求められることになる。フランス人は現実のなかに普遍的なるものを見出すが、その内容は思惟によって得られるのではなく、生物や自然や物質が原理とされる。

3、最近のドイツ哲学

 カント、フィヒテ、シェリングの哲学こそは、精神が最近のドイツにおいて思想の形式をとって遂行した革命を記録し、かつ表明するものにほかならない。これらの哲学的思索が継起する順序のなかには、同時に思惟そのものがとった進行過程が含まれている。最近のドイツ哲学の課題は、哲学一般の根本理念たる思惟と存在との統一をいまやそれ自体として対象とし、かつこれを概念的に捉える、すなわち、その最深の必然性たる概念を捉えことである。
 全てのものがそれに対して存在すべきものは、つまるところ人間であり自己意識であって、しかもその人間とは全ての人間一般としてのそれにほかならない――こういうことを抽象的な形で意識にのぼらせたのがカント哲学である。それは、自己意識に自体的なものの一切の要素を取り戻すことを要求しながら、しかもこの自体的なものをなお自己と区別することによって、みずからは依然として対立から抜けきれないでいる観念論である。カント哲学は、単純な思惟を自己自身に区別を備えたものと解しはするが、一切の実在がまさにこの区別によって成立することを未だ解するに至らず、自己意識の個別性を克服する術も知らず、理性を描くことには巧みを究めるものの、その描き方は、真理それ自身を再び失うような没思想的な経験的な仕方でしかないのである。カント哲学は、知り得るものは真実体でなくただ現象のみであるというにすぎない。
 カント哲学の欠陥、すなわち全体系に思弁的統一を欠く原因となった没思想的な不整合を止揚したのがフィヒテであった。フィヒテは自我を絶対的原理として掲げ、宇宙の全内容をこの自我(自己自身の直接的確実性)からの所産として叙述しようとした。しかし、彼はこうした概念のみを掲げたのであって、この概念を自己自身からする学の実現へともっていくことはできなかった。
 フィヒテ哲学を越えて最も重大なあるいは哲学的見地からして唯一の意味ある一歩を踏み出したのはシェリングである。シェリングは「理性は主観と客観との絶対的無差別である」という絶対者の命題もしくは定義として表現された絶対的直観をもって始める。しかし、彼にあってそれは、知的直観のみによって証明される直接的真理にとどまった。主観的なものと客観的なものとの同一が真理であるという証明は、各々が独立にその論理的規定において、すなわちその本質的規定において追究されるようにしてのみ行われるべきである。それによって、やがて主観的なものは自らを変じて客観的なものとなり、客観的なものもまたそのままに止まらず、自らは主観的なものとするという結果が生じるに違いない。同じように、有限的なものそのものについて、それが矛盾を内に含み自らを無限なものとすることが示されねばならない。そうしてこそ、有限なものと無限なものとの合一が得られる。
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2016年12月25日

2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ(4/10)

(4)ヘーゲル『哲学史』要約B ギリシャ哲学第2期、第3期、中世の哲学

 前回は、ギリシャ哲学の第1期、タレスからアリストテレスまでの要約を紹介しました。タレスにおいて世界の本質が探究されるようになったのですが、物質的なものの中にはそうした存在はないと気づき、精神的な存在が求められるようになったのでした。それをイデアという形で打ち出したがプラトンでしたが、プラトンにおいては主体性の原理が欠けていたのでした。その限界を克服しようとしたのがアリストテレスだったのでした。

 今回からギリシャ哲学第2期、第3期、および中世の哲学の部分の要約です。

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2、独断論(Dogmatismus)と懐疑論(Skeptizismus)

 ギリシャ哲学の第2期においては、普遍的なものから特殊なものの総体を展開するという思想がまだ存在しないために、普遍的なものを特殊なものに適用することが支配的である。しかし、特殊的なものの真理をひとつの原理にもとづいて認識するという体系化への要求はあり、これが独断主義を生みだした。真理とは思惟と存在の一致だとされるから、それらが一致しているかどうかを判定する規準ないし原理が問われた。しかし、この問いは形式的かつ独断的にしか解決されず、すぐさま懐疑主義による弁証法〔反駁〕が現われる。

3、新プラトン派

 ギリシャ哲学の第3期は、キリスト教と密接に関連する。第2期の終わりでは、自己意識が自分の内面に返り、無限の主観性によって、全ての外的な存在、特定の内容や固定観念や真理が否定された。哲学は、思考する自己意識が自己を絶対者だと自覚する段階にまで到達した。次の段階は、内部に様々な差異を捉えて、真理を叡智界として形成することである。絶対的な実在は自己意識と無縁のものではなく、自己意識と直接に関わらないような実在は存在しない、という理念ないし原理が世界精神の一般原理となる。精神はここからさらに、主観性を抜け出して再び客観的なものへと向う。この客観性は個々の外的対象とか義務ないし個別的道徳といった客観性ではなく、精神と真理のうちにある絶対的な客観性である。それは一方では神への帰還であり、他方では神が人間に現れるという啓示の関係である。自己意識が絶対的実在であり、絶対的実在が自己意識であるという知が、いまや世界精神である。しかし、この知は直観されているだけで、自覚されていない(思想として捉えられていない)。自己意識はひとりの人間(イエス)という生身の存在でしかなく、特定の時代に特定の場所に住んだひとりの人間が絶対的精神なのであって、自己意識の概念が絶対精神となっているわけではない。

第2部 中世の哲学

 第1期の哲学は、異教のうちにあったが、第2期以後はキリスト教世界に位置を占める。キリスト教においては、神とは何かが啓示され、神の本性と人間の本性との一致が意識に明らかになる。新プラトン派には、内的必然性の形式が欠けていたが、三位一体にしか真理がないことが、意識されなければならない。キリスト教の原理を真理として認識するためには、精神の理念の真理が具体的な精神として認識されねばならなかった。

1、アラビアの哲学

 西洋で、これまでローマ帝国の支配していた地域がゲルマン民族の所有に帰し、その征服が確固たる形を整えるに至るころ、東洋ではイスラム教という新たな宗教が現われた。外的な権力支配という点でも、精神の開化という点でも、急速に完成の域に達したイスラム教は、多種多様な芸術と並んで、独自性があるとはいえないにせよ、哲学も大いに花を咲かせた。

2、 スコラ哲学

 スコラ哲学は600年に及び、教父哲学を合わせると1000年になる。キリスト教の内部にあっては、人間のうちに真理と絶対精神の意識が目覚めることが絶対的に要求される。しかし、万人が真理を知るためには、真理は、物事を素朴にイメージする感覚的意識にとって存在する対象として、人間のもとにやってこなければならない。神の本性と人間の本性との一致を直接に意識させるのがキリストその人であった。人間は生まれつき悪であり、自然的なものを乗り越えることではじめて精神となり、真理に到達する。自然態のこの放棄はキリストの苦しみと死、復活と昇天のうちに直観される。キリストの事件は、精神の概念ないし理念そのもので、世界史はいまや、このように直接に真理を知るほどの完成度に達したのである。
 スコラ哲学者は、キリスト教会の教義を形而上学的な根拠の上に打ち建てようとした。その際、教義の根拠と反対根拠が対比され、神学は学問的体系の形で叙述されることになった。12世紀末から13世紀にかけて、西洋の神学者たちはアリストテレスの著作とその注釈書を広く知るようになり、それらの書物が大いに利用され、注釈を施され、議論の対象となった。アリストテレスの論理学によって、明敏な問答法的思考が養われ、分析の形式は極端に精緻化された。なお触れておかなければならないのは、普遍と個別との形而上学的な対立が、何世紀にもわたってスコラ哲学を悩まし、ここから実在論者と唯名論者の論争を生んだことである。
 スコラ派の全体は、分析的思考の支配する全く粗野な哲学であり、現実の素材や内容が欠けている。そこにあるのは形式のみで、空虚な分析的思考が、カテゴリーや分析的概念を根拠もなく結びつけるだけである。真理は現実の土台をなしておらず、生活の全般が2つの部分に分裂し、精神の国と世俗の国が対立する。学問そのものも土台がなく、思考を内面的に統一する内的絆である自我がなかった。

3、学問の復興

 教会が世俗化していくとともに、世俗の権力そのものも精神化されていく。学問は目の前の材料を扱うようになる。時代精神は、こうした転回点に立って観念世界を放棄し、いまや此岸の世界に目を向ける。世俗的なものがそれなりに価値を認められ、主観的自由に基づいて捉えることができると見なされるようになった。精神は集中力を取り戻し、自らの手中にある理性に目を向ける。この再生は芸術と学問の復興となって現われる。精神は真の意味で世界と宥和する。道徳や法を探し求めていた人は、彼岸ではなく、自己の内面と外部の自然に赴く。自然観察において、精神は自然のうちに精神が働いているのを予感する。精神は天国を引き下ろし、宗教的な意味づけを剥ぎ取ることで、有限な現在へ目を向けるのである。精神は、超感覚世界のうちにも、直接の自然のうちにも、自分が現実の自己意識として存在することを発見しよう、認識しようという欲求を感じるに至る。
 精神がこのように自己に目覚めたとき、古代の芸術と学問の掘り起こしが行われる。これは神と対立する人間に関心が向けられ、人間の作品に価値が認められた、ということである。精神の現実そのものに神々しいものが見出されたのである。
 一方で、古代哲学の穏やかな登場と並んで、認識と知と学問への激しく力強い衝動が登場した。この時代には、暴力や破滅をものともせず、思想や心情や現実の状況にのめりこむような個人(カルダーノ、ブルーノなど)が登場したのである。
 大きな曲がり角をなしたのは、ルターの宗教改革である。人間は彼岸から精神の現在へと呼び戻され、大地とその肉体たる人間の徳や共同体、自身の心や良心が価値あるものだとみなされる。認識の面でも人間は、彼岸の権威から解き放たれて、自分自身に返ってくる。理性は完全無欠の普遍性を持つ神のごときものと認識される。いまや宗教的なものが人間の精神のうちに位置付けられ、人間の精神のうちで救済の秩序の全過程が進行していかねばならぬことが認識され、精神の救済は精神自身を主体とする事柄で、精神はかつて救済の秩序の核心をその手に握っていた司祭の仲介なしに、自分の良心と関係し、直接に神と関係するのである。聖霊は人間の心のうちに住み、そのなかにあって人間に働きかけねばならないのである。宗教改革の原理は、精神の内面性、自由性、自己への帰還という点にあった。自由とは他なるものと見えたものが自分自身へと返っていく精神の生命活動である。精神がその本質からして内面的に自由であり、自分自身のもとにある、というのは精神の根本定義である。次に精神が認識へと向かい、精神的な具体性を求めて周囲を見渡し、内容へと足を踏み入れると、精神は自分の所有物を相手としつつあくまでも自分を守り通し、自分の世界を生きようとする。その動きは具体的であり、精神は具体的存在となる。
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2016年12月24日

2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ(3/10)

(3)ヘーゲル『哲学史』要約A ギリシャ哲学第1期

 前回は、ヘーゲル『哲学史』の総論部分の要約を紹介しました。ヘーゲルは「哲学とは、普遍的内容として、あらゆる存在であるような思想である」と規定した上で、特殊諸科学や宗教との違いについて論じていたのでした。また哲学史は、思想を理念にまで発展させたギリシャ哲学と、思想を精神として把捉したゲルマン哲学という大きく2つに区分できると主張していたのでした。

 今回はギリシャ哲学の第1期、タレスからアリストテレスまでの要約です。

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第1部 ギリシャの哲学

 ギリシャ哲学は、3つの主要な時期に区分される。第一はタレスからアリストテレスまで。自然的または感性的形態をもつ全く抽象的な思想から出発し、規定された理念にまで進む。第二はローマの世界におけるギリシャ哲学。具体的な理念が対立の形をとって展開し、一面的な原理が世界観の全体を貫くことになる。第三は新プラトン哲学。対立がひとつの理想世界、思想世界、神的世界のなかに退却する。そこには総体性にまで発展した理念があるが、無限的な対自有としての主観性は欠けている。

1、タレスからアリストテレスまで

(1)タレスからアナクサゴラスまで

 タレスらイオニア派の人々は、根源本質を物質の相(水や空気など)においてみた。これは貧弱な抽象的思想だが、あらゆるもののなかに普遍的実体を把捉したこと、この実体は形態なく感性的表象を伴わないものであるとしたことは功績である。しかし、こうした対象を概念としては示しきれなかった(反省された水や空気は非物質的〔意識の本質〕でもあることを知らなかった)ため、普遍的なものを特殊な形態として表すしかなかったし、運動の原理(絶対者の自己自身への帰還)を探究しきれなかった。
 実在哲学から知性の哲学〔観念の哲学〕への推移の役目をしたのが、ピュタゴラス派である。ピュタゴラス派は、絶対的なものを自然的な形態において立てるのではなく、普遍的で観念的な諸規定たる数一般を原理として掲げた。しかし、それらは全く独断的な方法でのみ確定されたものでしかなく、非弁証法的な静止した諸規定であった。
 自然哲学においては運動が客観的な運動として捉えられ、ピュタゴラス派もまたこれらの概念にほとんど反省を加えることをせず、その本質たる数をただ流動的に使用したにとどまる。ところが、エレア派においては、変化がその抽象の極において無と見られることによって、対象的な運動が主観的なものに移され(意識の側面におかれ)、同時に本質は不動なものとなる。ここに弁証法、即ち概念における思惟の純粋な運動の始まりがある。エレア派の完成者たるゼノンにおいては、単純な思想が単独に自己を主張するのではなく、敵地における闘いを敢行する。しかし、この弁証法の結果は否定的なものであって、対象が矛盾によって空なものになるだけで、肯定的なものはまだ現れてこない。
 主観の運動としてのゼノンの弁証法に対して、ヘラクレイトスは絶対者そのものを弁証法の過程と解し、「有と非有とは同一のものである、すべてのものは有るとともに無い」とした。さらにこの原理の意味を徹底して「万有は流転する」と表現し、さらに「恒常なものはただ一者のみで、この一者から他の全ては形成される」と主張した。この普遍的原理の立ち入った規定は生成にほかならず、運動こそが原理であるとされたのである。
 エレア派は有を立てて非有はないとし、ヘラクレイトスはただ有と非有との転換として生成のみがあるとした。レウキッポスおよびデモクリトスは、両者の各々にそれぞれ固有の位置を与え、肯定的なものとしての原子と否定的なものとしての空虚を立てた。エムペドクレスは、火・風・水・土という4つの自然元素を実在的原理とし、友愛と憎悪を観念的原理としつつ、運動を混合的統一に総合する。
 エムペドクレスの綜合においては、対立はまだ綜合から離れて独立にあったが、アナクサゴラスは、ヌース(理性)こそが世界とあらゆる秩序の原因であるとした。ここでは思想は純粋な、自分自身における自由な過程として、自分自身を規定する普遍的なものとされる。一方でアナクサゴラスは、ヌースに対してホモイオメレー(物質)を立ててしまい、両者を思弁的に統一することができなかった。イオニア出身のアナクサゴラスがアテナイに移り住んだことで、哲学はアテナイに移っていく。

(2)ソフィスト派からソクラテス派まで

 アナクサゴラスのヌースは、全く形式的な、それ自身を規定する働きでしかなく、抽象的、無内容なものであり、一切の存在者と個物をおのが内へ沈み込ませるような絶対的な力(単一な否定者)である。単純な概念を思想として一般に世間的諸対象に当てはめ、その単純な概念をあらゆる人間的な状況に浸透させたのが、ソフィスト派である。絶対的かつ唯一の本質として自覚した概念が、その否定的な力をあらゆる真理、諸法則、諸原則に向け、普通の観念にとって固定したものが思想のなかで融解させられる。ソフィスト派は、自由な思惟的な反省の必然的な歩みによって、現に行われている習俗と宗教への信頼と素朴な信仰をのりこえさせずにはいなかった。他方しかし、思惟のうちにまだどのような確固たる原理も見出されていなかったのであり、無規定のままに残ったところは恣意によってのみ満たされることができた。
 ソクラテスにおいて思惟の主観性はもっと詳しく規定され、もっと突っ込んだ形で意識されるに至った。ソクラテスが意識において展開したところの肯定的なものは、意識から知によってもたらし出されるかぎりでの善にほかならず、イデアと呼ばれる永遠な、客観的に普遍的なものにほかならず、目的であるからこそ同時に善でもあるところの真なるものにほかならない。この点でソクラテスは、人間は万物の尺度という命題に特殊な諸目的を含めたソフィスト派に対立している。しかし、ソクラテスにはまだ、常に目的そのものとして根底に横たわるところの善の発明はなされていない。ソクラテスの善は、アナクサゴラスのヌースほど抽象的ではないが、まだ具体的に展開された形で描き出されてはいないのである。
 ソクラテスの原理が不明確で抽象的であったことから、ソクラテスの哲学の特殊な側面のひとつを完成し固持する形で、種々様々な学派と原理が登場した。こうしたなかで、本質に対する自覚的思惟の関係についての問いが登場する。本質は単純な即自的存在であり、真なるものは思惟された本質である。本質は、生成、原子、ヌース、尺度などといわれている場合、対象的なあり方(対象的なものと思惟との単純な一体性)であるが、知において自己意識は一方に自らを対自的存在として立て、もう一方に存在を立てて、この区別を意識してそこから両者の一体性へと戻りこむ。成果であるこの一体性が知られたものが真なるものである。この時期から、思惟の存在への関係、または普遍的なものの個的なものへの関係が定立され、哲学の対象としての意識の矛盾というものが意識されるようになるのがみられる。

(3)プラトンとアリストテレス

 プラトンは、本質は意識のうちにあるというソクラテスの原理を、絶対的なものは思想のうちにあり、一切の実在性は思想である、という本当の意味でつかんだ。プラトン哲学の特有の使命は、人間のうちなる感性的世界の表象を超感性的世界の意識から区別することである。プラトンのいわゆるイデアとは、絶対的客観的に存在するものとして、本質として、唯一の真実在として理解されるような普遍のことである。人間の精神は、それ自身、本質的なものを内に蔵するのであって、神的なものを知るためにはそれを自己自身から展開し、意識へもたらせねばならない。プラトンは、こうした認識への形成は、単なる学びではなく想起にほかならぬ、といった。これは、個的意識が即自的にその内容を既に所有していたという見方であり、学知の出現を個的なもの、表象と混同するものではあるが、感性的意識を通じて真なるものが与えられるという考え方に反対し、内容はただ思想によってのみ満たされるとしたのは、プラトンの偉大な教説である。内容とは、思惟の働きによってのみつかまれうる普遍的なものであり、絶対的イデアの分化したものである。それによって絶対的イデアは、それ自身の内でひとつの学問的体系に組織化される。この内容は、プラトンにおいて、論理哲学、自然哲学、精神哲学という3つの部分に分かれ始める。プラトンの偉大さは、イデアを立ち入って規定したことである。しかし、プラトンにおいては、被規定性と普遍性(正、美、善、真)とが別のものとされてしまう。規定されたイデアが弁証法的な運動の成果として登場するのではなく、直接に受け入れられた前提として現われるのである。
 プラトンの理念には生き生きとした活動の原理、主体性の原理が欠けていたが、アリストテレスは、理念の諸契機の関係を詳細に捉え、これら諸規定相互の関係を主体的な活動一般として把握しようとする。アリストテレスでは、可能態(デュナミス)は抽象的な普遍的なもの一般であり、現実態(エネルゲイア)つまり形式がはじめて活動であり、実現するものであって、自己を自己と関係づける否定性である。質料はたんに可能性であり、形相がそれに現実性を与えるが、形相も質料ないし可能性なしにはありえない。現実態が具体的な主体性であり、可能性が客観的なものである。また、真に主体的なものは可能態をうちに含み、真に客観的なものは活動性を自己の内に含む。プラトンの場合、肯定的原理である理念(イデア)はたんに抽象的に自己自身と等しいものであったが、アリストテレスの場合、それは否定性の契機(他在、すなわち対立を揚棄するものであり、対立を自己の内に連れもどすもの)である。この否定性は変化としてでも無としてでもなく、区別し規定する働きとして現われるのである。アリストテレスは実在する宇宙の全領域と全側面に深く突きすすみ、それらの豊かさと多様さとを概念的に把捉した。だが、彼の哲学は、概念によって体系化されていく全体ではなく、諸部分は経験的にとり上げられ同列に置き並べられているにすぎない。アリストテレスにとって大事なのは、様々な規定を対立の統一に還元することではなく、むしろ反対にそれぞれのものをそれの規定においてしっかりと捉えることであった。アリストテレス哲学の欠点は、論理の諸形式によって多様な現象が概念にまで高められてはいるが、その後一連の特定された概念がばらばらになっていて、統一つまりそれらを絶対的に合一する概念が表明されていないという点にある。それは後世の人がしなければならない仕事である。なくてはならないのは概念の統一(絶対的な本質)である。それは何よりもまず自己意識と意識との統一として、純粋な思考としてあらわれる。
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2016年12月23日

2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ(2/10)

(2)ヘーゲル『哲学史』要約@ 総論

 前回は、例会の冒頭で提示されたレジュメを紹介し、そのレジュメにかかわった出されたコメントを紹介しました。

 さて今回から4回にわたって、ヘーゲル『哲学史』全体の要約を掲載していきます。今回は、「哲学とは何か」「哲学史とは何か」といった総論部分の要約です。

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哲学史講義

序論

 哲学の歴史を講ずるには、その対象となる哲学を明確に定めておかねばならないが、それはただ暫定的な始点としてであり、本質的には全歴史の論述の結果が哲学の概念となる。思想は自分を生み出すことによってのみ自分を発見し、自分を発見することによってのみ現実的に存在する。この諸々の産出こそ哲学にほかならない。哲学史は、自分自身を発見しようとして立ち向かった思想の2500年の労作なのである。
 
A 哲学史の概念

 哲学の目的は、唯一の真理が全ての他のもの(自然の全法則、生命と意識との全現象)の流れ出る源泉であると認識することである。それゆえ、唯一の真理がただ単純な、空虚な思想ではなく、それ自身において規定された思想であることを認識することが大切である。それ自身において規定された真なるものは、発展しようという衝動をもつ。哲学は、それ自身この発展の認識である。しかも概念的思惟として自身が、この思惟的発展なのである。哲学的理念の発展における進行は、他者になることでなく、むしろ自分のなかに入っていくことであり、自分を自分のなかに深めることである。
 精神の行動は自分を知ろうとする行動である。自分を自分自身に外的なもの〔知る対象〕として定立することによって、精神は自分を定有とする。純粋な哲学は、思惟をエレメントとしながら、時間のなかで進展する実存として立ち現われる。この思惟なるエレメントは、個別的な意識の活動という形をとる。しかし、精神は単に個別的な有限的な意識としてあるのではなく、それ自身において普遍的な、具体的な精神である。精神の思惟的な自己把捉の進展は、個別的意識の形成の沃野を足場にして世界史のなかで自分を演出する普遍精神として現われる。

B 哲学の他の領域に対する関係

 哲学史は、民族と時代の一般的性格、一般的状況の頂点を叙述する。こうした本質的な関連は、2つの側面から考察せねばならない。第一は、関連の本来歴史的な側面であり、第二は、内容〔事柄〕そのものの関連の面、即ち哲学の宗教などとの関連の面である。
 一般に哲学が生ずるためには、民族の精神的文化のある程度の段階が必要である。民族が一般にその具体的生活(最初の自然生活の無頓着な無感覚性)を抜け去り、身分の分離と区別が生じ、民族が没落に近づくとき、精神は、現実的世界に対立して思想の国を形成するために思想の世界に逃避する。哲学は、実在世界の滅亡の宥和(現実における宥和ではなく、観念的世界における宥和)である。哲学の特定の形態は、民族の特定の形態とときを同じくする。哲学は民族の精神的文化の多様な側面のひとつの形式であり、最高の花である。哲学は内容上その時代を超越しないにしても、形式上は超越する。哲学は、その時代の実体的精神であるものの思惟として、また知識として、実体的精神を自分の対象とするものだからである。
 認識と思惟とは哲学のエレメントであるとともに、特殊諸科学のエレメントでもある。しかし特殊諸科学の諸対象は、まず有限的対象であり、また現象である点で、哲学とは異なる。全く普遍的な対象を内容とする点では、哲学は芸術と、特に宗教と一致する。しかし、芸術や宗教は、最高の理念を感覚的な、直観的な、表象的な意識によって捉えるものである。即且対自的に〔絶対的に〕普遍的な内容がはじめて哲学に所属するようになるための形式は思惟の形式であり、普遍的なものそのものの形式である。哲学は本質を認識するものだという場合、本質とはあるものそのものの本質であって、そのあるものに外面的なものでないということが大事である。私の精神の本質は、私の精神そのもののなかにあるのであって、その外にはない。個人的精神においては、この本質的なもの〔神的精神〕の現象にすぎないところの、非常にたくさんの実存がある。しかし外面的な実存に囲繞された個体的なものは、この本質とは区別されねばならない。宗教もまた、この本質について知ろうとする態度ではある。しかし、宗教が想像の所産としてであれ、歴史的存在としてであれ、意識の対象として表象するものを、哲学は思惟し、概念するのである。この両形式は互いに差異するものであり、またそれゆえに対立するものとなり、さらに矛盾するものとなりうる。宗教は哲学と共通の内容をもつが、形式だけがちがっている。概念の形式が宗教の内容を把捉しうるところまで完成することが大切である。哲学が宗教に打ち勝つのではなく、それと宥和せねばならない。宗教は表象を元にするものであり、哲学(概念とか普遍的な思惟諸規定)を理解することはできないが、哲学はこの内容の概念的思惟として、宗教を理解することができる点において優っている。
 我々は哲学の概念を「哲学とは、普遍的内容として、あらゆる存在であるような思想である」と定義した。哲学の本来の始まりは、自由な思想が単に絶対者を思惟し、絶対者の理念を把捉するところにおかれねばならない。この哲学の始元は同時にある民族の具体的形態である。政治的自由と思想の自由との一般的関連のために、哲学はただ自由な憲政が敷かれるところにのみ歴史に現われる。精神が哲学を始めるには、精神はその自然的意欲と素材への沈没の状態とから離脱しなければならなかった。東洋にあっては思惟がまだ自立的に自由でないために、意志もまだ普遍的なものとして捉えられていない。精神は東洋から昇り始めるとはいえ、そこでは主観は人格としてはなく、客観的な実体的なもののなかに没入しているから、如何なる哲学的認識もありえない。自己意識の自由はギリシャ民族において初めて現われる。だから哲学はギリシャに始まる。

C 哲学史の区分

 一般的には、哲学史は元来、ギリシャ哲学とゲルマン哲学とのただ2つの時期に区別すべきである。ギリシャの世界は思想を理念にまで発展させた。これに対してキリスト教的ゲルマン世界は、思想を精神として把捉した。
 第1期における発展は、無規定的で直接的な普遍者、神、存在という実体的規定が、深く自分に入り込んで自分を意識していくことである。第二の段階は、このように展開された諸規定が、主観性の面において、観念的な具体的統一へと総合されることである。思惟が自分を把捉して、その思惟的活動性が根底となるところの主観的全体性が始まる(アナクサゴラスのヌース、より深くはソクラテス)。第三の段階は、この最初の抽象的な全体性が、活動的、規定的、区別的な諸規定によって実現されることで、自分自身をハッキリ区別された規定として打ち立てることである。ここに、区別の両者(例えば、ストア派とエピクロス派)の各々が全体性の体系に高められるという現象が生ずる。第四の段階は、理念の統一である(フィロン、プロティノス)。そこでは、これら全ての区別が全体性としてあると同時に概念の唯一の具体的統一のなかに消される。こうしてギリシャの世界は、アレクサンドリアの哲学(新プラトン派)において理念まで達し、その役割を終えた。
 ギリシャ哲学の終結は思想と至福の完全な王国であるが、この世界には概念の本質的契機である個別性そのものが欠けているため、非現実的なものにとどまっている。これが現実的なものになるためには、理念の両側面〔普遍と個別〕の同一性のなかで、自立的な全体性がさらに否定的なものとして定立されることが必要であった。精神が自分にとって対象であるもの(精神自身)を全体性として知るととともに、精神それ自身が全体性である場合、精神は真に精神としてある――この原理はキリスト教世界において出現した。この意味で近代の原理においては、主観はそれ自身で自由となり、人間は人間として自由になる。人間が精神であること、また神が精神であることが知られる。精神は自分を2つに分化するが、この区分を直ちに止揚し、区別のなかで自立的に、また自分の許にあることになる。世界の事業は一般に、自分をこの精神と宥和し、そこで自分を認識することであるが、この事業こそゲルマン世界に委ねられているのである。宗教はこの原理の直観であり、信仰である。キリスト教のなかに興った哲学の根底には、2つの全体性、実体の二重化〔主観的理念と実体的な具体的理念〕がある。この原理の発展と完成(この原理が思想の意識となって来ること)が、近代哲学の課題である。この両側面の対立を最も一般的な意味にとれば、思惟と存在、個性と実体性との対立であり、ここでは主観の自由は主観そのもののなかで再び必然性に対立することになる。またそれは主観と客観との対立であり、精神が有限的なものとして自然に対立しているかぎり、精神と自然との対立である。
 ギリシャの哲学は、まだ存在と思惟との対立を考慮に入れず、思惟はまた存在でもあるという無意識的な前提から出発するのだから、単純である。近代においては相対立する両側面はともに全体性としてたがいに根本的に関係しあうものとされる。この2つの対立は理性と信仰との対立という形式をとる。哲学史の出発点は、神が直接的な、まだ発展しない普遍者と解されるところにあり、哲学史の目標は、あの2500年の、そのかぎり緩慢な世界精神の労力によって絶対者を精神として把捉することであり、その目標は我々の時代にあるのである。
 結局、ギリシャ哲学とゲルマン哲学という2つの哲学があるのだが、後者はさらに、哲学が本格的に哲学として現われた時代と、近代に対する形成、準備の時期とが区別されねばならない。だから哲学史は、ギリシャ哲学(思想がその根本規定をなす)、中世哲学(本質と形式的反省との対立に分かれる)、近代哲学(概念を根底にもつ)の3期に分けられる。
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2016年12月22日

2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ(1/10)

<目次>
(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント
(2)ヘーゲル『哲学史』要約@ 総論
(3)ヘーゲル『哲学史』要約A ギリシャ哲学第1期
(4)ヘーゲル『哲学史』要約B ギリシャ哲学第2期、第3期、中世の哲学
(5)ヘーゲル『哲学史』要約C 近代の哲学
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1 ヘーゲルの哲学史とはどのようなものか
(8)論点2 生命の歴史とはどのようなものか
(9)論点3 唯物論の立場から哲学史を説く目的と方法とは何か。
(10)参加者の感想の紹介

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(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント

 我々京都弁証法認識論研究会は、昨年および今年の2年間を費やして、ヘーゲル『哲学史』の学びに取り組んでいます。3年前のヘーゲル『歴史哲学』、一昨年のシュヴェーグラー『西洋哲学史』の学びを踏まえて、この『哲学史』を通読することにより、ヘーゲルが描く哲学史の流れを理解することはもちろんのこと、それを唯物論的に捉え返すことで唯物論哲学の創出に向けた一歩を確実に進めていくことを課題としています。

 12月例会では、これまで読んできた『哲学史』全体を振り返りました。今回の例会報告では、まず例会で報告されたレジュメを紹介したあと、扱った範囲の要約を4回に分けて掲載し、ついで、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に、この例会を受けての参加者の感想を紹介します。

 今回はまず、報告担当者から提示されたレジュメ、およびそのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介することにしましょう。

ヘーゲル『哲学史』全体のまとめ

【1】ヘーゲルの説く哲学史とは
 ヘーゲルによれば、世界の全ての事物・事象は絶対精神のそれなりの現れだということになり、当然、哲学の歴史に関しても、絶対精神が自己を展開していく過程の一部として、筋を通して把握されるべきものだということになる。

 もう少し具体的にいえば、一度自然に外化した絶対精神は、古代ギリシャにおいて自然から分離し、再び精神的な存在となったのである。この精神に復帰した絶対精神は、対象的世界のあり方を眺めつつ、その中に世界の本質(原理)を見出そうとした(パルメニデスの存在)。しかし、世界の本質(原理)というものは、感性的で物質的に把握できるものではないということがそれとなく分かってきて、物質的な世界の背後に潜む何かが想定されたのである(プラトンの普遍者)。さらにその何かは、物質的なあり方との統一として把握された(アリストテレスの概念)。

 このころまでは、世界の本質(原理)は物質的なものではない何かというくらいの把握であったが、それが人間自らの主観としての概念、表象レベルで対象を把握した概念として徐々に把握されてきた(ストア学派、エピクロス学派、懐疑派の主観)。さらに、その主観としての概念以外に実在などというものは存在しないのだという形で世界の本質(原理)が把握されるようになっていった(新プラトン学派の具体的理念)。

 ここまでは、世界の本質(原理)が明確に自分自身を知る理念だというようには捉えられていないのだが、近代になると、世界の本質(原理)を自分自身を思惟する自己意識として認識するようになっていく(デカルトの純粋思惟)。そうして、思惟と存在とが対立させられるとともに同一のものだという把握が試みられるようになっていき(スピノザの神)、思惟の主観性が止揚されていく(ライプニッツの表象する単子)。

 次に、自己意識が他者に対する否定的関係においても対自的である(カントの思惟の批判)として、世界の本質(原理)が自我として表明される(フィヒテの自我)。さらに実体が自己内において認識と同一であるという把握がなされ(シェリングの知的直観)、最終的には世界の本質(原理)が絶対精神であるというヘーゲルの把握に至るのである。

【2】生命の歴史とは
 生命の歴史とは、端的にいえば、地球環境から相対的に独立した代謝という運動が、あたかも自由を目指して発展していくかのように展開していく過程であるといえる。唯物論的にいえば、地球環境とそこから分離した生命との相互浸透の発展過程の論理を説いたものが生命の歴史ということになる。具体的には以下である。

 まず、代謝運動が明確に地球環境から区別される(細胞膜の誕生)ことによって、地球環境の変化に影響されながらも影響を受けない(自己を維持できる)という構造が創られる(単細胞段階)。次に、自らが生みだした水に流されないとともに逆らわないという運動(固着)が発展していく(カイメン段階)。この運動をさらに全身運動にまで発展させることで、より量を増した水中での浮遊運動が可能となっていく(クラゲ段階)。さらに、水量の増加が海流と呼べるほどのものを創出したことに対応し、激流の中を泳ぎ切ることが可能な運動器官(柔軟性と硬質性との統一)、それらに適切に栄養を与えることができる代謝器官、さらに両者を統一して生命体を維持する統括器官が分化していく(魚類段階)。

 生命は、この段階までに水中での完成形態となるのであるが、さらに増していった水量によって地球表面が覆いつくされていくと、内にこもった熱を発散させるべく、地震や火山の爆発が頻発し、海であったところが陸となり、陸が海となるなどする中で、生命が陸上に進出していくことになっていくのである。

 水中での自由自在な動きを陸上にも適用すべく、必死で訓練する時期(両生類段階)を経て、陸上での自由自在な運動形態を勝ち得るようになっていく(哺乳類段階)。さらに、燃え盛る大地を必死で逃げ回る中で、動物と共に上陸していた草本レベルの植物に登っては落ち、登っては落ちし続けることで、植物が木本レベルの大樹に発展していくとともに、動物も樹に自由自在に上り下りできる運動器官、代謝器官、統括器官を創っていくことになる(哺乳類段階中のサルの段階)。

 さらに樹上での生活が生命のエサ(食)を変化させ、統括器官たる脳細胞をいわば内から揺さぶっていくとともに、自身の乗っている枝も対象も揺れていることによる脳細胞への物理的な揺さぶりが加わることで、感覚器官による全き反映像ではない、いわゆるもどき像が形成されていくことになり、ここを大本として、やがては目的像を意図的に描いて地球環境へ働きかけること(労働)によって自らの自由を獲得できる段階に到達したのである(哺乳類中の人間の段階)。

【3】唯物論の立場から説く哲学史とは
 ヘーゲルの説く哲学史を概観し、そこに生命の歴史の流れを重ねてみると、生命の歴史において決定的な役割を果たした地球環境に当たるものが、ヘーゲルの哲学史では何なのか、ハッキリしないことがまず指摘されよう。生命は地球環境とつながりながら、地球環境の変化に対応すべく、自らを変化させていくとともに、そのことによってまた地球環境を変化させていくという相互浸透の過程において発展してきたのである。しかしヘーゲルの説く哲学史においては、もともとあるとされる絶対精神が自ら完成していく過程が描かれているのみで、発展の契機に触れられていない。そもそも絶対精神は、一度自然に外化し、再び精神に復帰することで、全てが自分自身だという把握を深めていって完成する、そういうものだ! とされているからである。唯物論の立場に立てば、確かに哲学史は人間の精神の発展史であることは間違いなのだが、その精神なるものが如何なる自然的・社会的外界を反映することによって発展していったのかという相互浸透の過程を見逃すわけにはいかないだろう。生命と地球環境との相互浸透が生命の歴史を形作っていったように、人間の精神と自然的・社会的外界との相互浸透が哲学の歴史を創っていったのだという観点が、唯物論の立場から哲学史を説く場合には必須になってくる。簡単にいえば、人類はいかなる問題にぶつかり、それを如何に解決しようとしてきたのかという流れを押さえておく必要があるのである。

 とはいえ、ヘーゲルが観念論の立場から説いた哲学史が、唯物論の立場から説く哲学史にとって何の関係もない、何の意味もないものかというと、そうでは決してないだろう。ヘーゲルの哲学史が、哲学の発展の必然性を完全に説き切れたとはいえないにしても、世界の全ての事物・事象に一定の筋を通すべく、絶対精神の自己運動という形で哲学史を説いたことは、観念論の立場からすれば哲学の完成まであと一歩と評価することができるものである。問題は、我々が唯物論の立場から、観念的な自己分裂としてヘーゲル哲学史を捉えておいて、そこから現実の自己に復帰することが必要だということである。精神の論理に反映された物質の論理を捉え返す必要があるといえるかもしれないし、より比喩的にいえば、魚類が水中で獲得した実力を人間が陸上という別世界で完成させて自由を獲得したように、ヘーゲルが観念論の世界で獲得した実力を、我々が唯物論の世界で完成させ、学問による真の自由を実現していく必要があるともいえるかもしれない。


 このレジュメに対して、大筋ではよいものの、細かい部分を見ていくとひっかかる表現があるということで、2点指摘がなされました。

 1つは、「地球環境の変化に影響されながらも影響を受けない(自己を維持できる)という構造が創られる(単細胞段階)」という部分に関わってです。影響されながらも影響を受けないとあるが、影響は受けるのではないか。そもそも『いのちの歴史の物語』では、こうした表現は使われていなかったのではないか、ということでした。そこで確認してみると、「地球そのものと区切られるとともに、それでも地球とつながって」(p.96)という表現が使われていました。影響を受けた結果、このような構造ができたと捉えた方が正確であろうし、また『いのちの歴史の物語』でこの表現が使われている以上、現時点ではそれをなぞる方がよいのではないかということでした。

 もう1つは、「草本レベルの植物に登っては落ち、登っては落ちし続けることで、植物が木本レベルの大樹に発展していくとともに、動物も樹に自由自在に上り下りできる運動器官、代謝器官、統括器官を創っていくことになる(哺乳類段階中のサルの段階)」という部分で、「登っては落ち、登っては落ち」という表現がひっかかるということでした。これだと、登ってスッテンコロリンと落ちるイメージが描かれるのだが、そうではないのではないかということでした。実際に、『いのちの歴史の物語』で確認してみると、「むりやり登りかけては降り、登りかけては降りする過程」(p.196)と書かれていました。これだと登ろうとしたけど登れなかったというイメージも含まれるが、「登っては落ち、登っては落ち」ではそういうイメージが抜け落ちてしまうのではないかということでした。

 もちろんレジュメの表現が絶対的に間違っているというわけではないものの、自分の描いているイメージを相手に正確に伝えるためにはどういう言語表現がいいのかという観点で言えば、『いのちの歴史の物語』で使われているものをそのまま使う方がよいのではないかということでした。これについてはレジュメ報告者も納得しました。
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2016年12月21日

近代教育学の成立過程を概観する(13/13)

(13)人間と教育の可能性への信頼こそ教員に必須である

 本稿は、教師に対して様々な資質が求められている現在、近代教育学の成立過程を概観することをとおして、教師として最も身につけるべき資質とは何かということを来年度から教壇に立つ方々に説くものです。

 前回、近代教育学の成立過程とは、まさに学問構築の過程なのだということを説きました。つまり、コメニウス・ロック・ルソーによって形成された「どんな人間でも教育されれば成長する」という人間観・教育観を自らの信念として教育に取り組んだのがペスタロッチであり、そうしてその信念の正しさを実証するなかで、人間はどのように成長するのか、そこにどのように働きかけていけばよいのかということを明らかにしていったのだとういうことでした。

 以上を踏まえれば、教師として最も身につけるべき資質は何かはすでに明らかでしょう。端的には「どんな人間でも教育されれば成長する」という人間観・教育観にほかなりません。これを自らの信念として血肉化することこそ、教師として最も求められるものなのです。こうした人間観・教育観をまずは信念として掲げて、それを実証していく過程が必要なのです。これこそが教育学の歴史を辿り返すということなのです。

 このように説くと、「人間が教育で成長するなんて当たり前ではないか。ことさらに強調するようなものではないのではないか」と思う方もおられるかもしれません。しかし、そうではありません。ペスタロッチがどのような子どもを相手に教育したのかを思い出してください。ペスタロッチは身体的な問題を抱えた子ども、経済的に問題を抱えた子ども、愛着形成に問題を抱えた子ども、社会へ不信感を抱いた子どもなどを自らの対象としていたのでした。そういった課題を抱えた子どもを目の前にして、「どんな人間でも教育されれば成長する」という人間観を信念として把持できるのかという問題なのです。

 もう少し現代の学校教育のイメージで説明するならば、何度教えてもなかなか学習内容が入っていかない子、友だちに対して嫌がらせをしてばかりで何度言っても改まらない子、授業中に私語・立ち歩きを繰り返し、教師に対して「死ね!」と暴言を吐いてくる子、こちらが働きかけても全く応答がない子、そのような子どもたちを自分が担任として関わることになったときに、その信念を貫き通せるかということなのです。

 ここに関わって、教育の事例ではありませんが、重い障害をもって生まれた子どもが、看護士などの働きかけによって変化したという事例を紹介したいと思います。谷清『重い障害を生きるということ』(岩波新書、2011年)に出ている水頭無脳症のかつお君の事例です。担当医であった著者は、呼吸困難や体温の急激な変化に対応して、何とか生命をとりとめることに力を注いでいましたが、脳の障害のため、教育的な働きかけをしても何の意味もないと考えていたのでした。その一方で、看護士らが積極的に関わることにより、このかつお君が笑うようになったのです。その場面の看護記録です。

「かっちゃんは暖かいところ、明るいところが大好きで、その暖かく明るい感触は体全体で感じられるときに、よく笑ってくれ、もっとも笑顔が多く見られたのが日光浴と風呂に入っているときだったと思う。外に出て、日差しのなかに入ると、太陽のほうに向くひまわりみたいに頭を上へ上へもちあげて、明るい空をじっと見つめているようだった。こんなときは顔がしだいにゆるんで、口を大きくあけ『アー』と笑いだしてくることが多かった。(中略)とくに湯ぶねの中で体をユラリユラリと揺らされるのが大好きで、体をリラックスさせ口もポッカリあけて、やっぱり『アーアー』とうれしそうに上機嫌」(pp.49-50)


 看護師の報告を受けた当初、看護師にそう見えただけだと著者は考えていました。しかし、著者も実際にその場面を見ることになったのです。その時の心境を以下のように綴っています。

「その子に、看護師たちは果敢にやさしくいどんでいたのであった。根気のいる長期間の計画であった。わたしは、それで納得できるのだったらやったらよいと思い、何も言わなかったし、どのような細やかな変化がおこっているかの関心よりは、もっぱら高体温や低体温、呼吸困難、栄養補給などの対応に追われていた。

 『笑った』という報告を受け、なごんだ顔を見ることによって、ほんとうに驚いた。いわゆる笑いではない、しかしその顔は『楽になったよ、気持ちがいいよ、ありがとう』と言っていた。

 脳の形成がなくても、脳が破壊されていても、本人が気持ちよく感じる状態は可能なのだ。看護師と介護者のとりくみは、彼のからだに『快』を生み出した。」(pp.51-52)


 ここには人間のもつ可能性を信じて働きかけていくことの重要性が生き生きと描かれていると言えるでしょう。こうした事例をとおして自らの人間観・教育観を鍛えていくこと、そして現場に立ってからは自らの体験をとおして磨き上げていくことが必要なのです。そうした人間観・教育観があるからこそ、愛情をもって相手に関わり続けることができるのです。

 こうして子どもを成長させることができれば、子どもも自らの変化に気づき、自分がもっている可能性に気づくようになります。そうすれば、子どもはより前向きな将来を描くことができるようになります。こうして個々の人間が自らの人生を豊かに生きていくことは、当然、社会全体の維持・発展につながると言えるでしょう。

 教師自身がまっとうな人間観・教育観をもつこと、その人間観・教育観に基づいて働きかけることにより、子ども自身に自らがもっている人間としての可能性に気づかせること、これこそが教師に最も求められているものです。ここを根本に据えて、来年度からの実践に向けて学びを進めていただければと思います。
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2016年12月20日

近代教育学の成立過程を概観する(12/13)

(12)近代教育学の成立過程は近代的な人間観・教育観が仮説から科学へと移行する過程であった

 本稿は、教師に対して様々な資質が求められている現在において、近代教育学の成立過程を概観して、教師として最も身につけるべき資質とは何なのかということを来年度から教壇に立つ方々に説くものです。ここで、これまでの流れを振り返っておきましょう。

 まず、宗教改革をとおして人間観がどのように変化したのか、それを受けてコメニウスやロックはどのような人間観・教育観をもっていたのかということを見てきました。中世ヨーロッパは階層的な身分秩序が成立していた社会であり、そうした身分秩序をカトリック教会がイデオロギーとして正当化していたのでした。こうした社会において、各人はカトリック教会の教えに従い、与えられた階級の人間として生きていくことが正しいのだとされていたのでした。しかし、経済の発展とともに階層的な身分秩序が崩れていくと、カトリック教会の権威も揺らいでいき、ルターによる宗教改革が起こったのでした。そこでは、人間は司祭と民衆などといった区別は存在せず平等なのであり、各人が聖書を読んで自らの確信に基づいて生きていくべきだとされたのでした。このルター派はカトリック教会と激しく対立することになりますが、その争いの中心地で生まれ育ったのがコメニウスでした。戦乱で祖国を追われたコメニウスは、平和な社会の実現のために教育に尽力したのでした。その教育の方法論をまとめたものが『大教授学』であり、そこで彼は、人間は神のもとに平等であり、どんな人間であっても教育によって成長する可能性があるのだと主張したのでした。このようなコメニウスの人間観・教育観を受け継ぎ、国家を運営する立場に立ったのがロックでした。ロックは、2度の革命による新政府樹立の後、その政策の相談役として、イギリス社会の維持・発展に携わり、その中で教育についても言及していたのでした。ロックは紳士の教育と貧民の教育という形で2つにわけ、紳士に関しては自らの欲望を押さえて理性に従って行動できるようにすることが重要であり、そのためには教師自身が理性的な存在であること、子どもに対して教師の愛情を感じさせることが重要だと主張したのでした。一方、貧民に対しては教育を与えて自立させることが国家の富を増やすことにつながるのだと主張したのでした。確かに紳士の教育と貧民の教育はその中身が異なっているのですが、貧民に対しても教育を与えることが社会の維持・発展につながるのだという観点を打ち出した点がロックの意義だと言えるのでした。

 これに対して、すべての人間に対して、土台として同じ教育を与えるべきだと主張したのがルソーでした。ルソーが生きた当時の社会においては、階級間の移り変わりが激しく、富裕層が貧民に陥ってしまったり、貧民が豊かになったりすることがあったのでした。つまり、経済的な立場の違いというのは、一時的・相対的なものにすぎないということが目に見えるようになってきたのです。こうした中では、例えば富裕層の子どもが様々なダンスや社交辞令などを学んだとしても、貧民に陥ってしまったなら、何の役にもちません。そこでどんな経済的な立場に立つことになろうとも生きていけるようにすること、そのための人間としての土台を形成することが重要であり、それこそが教育だと主張したのでした。こうした主張の背後には、仮に立場の違いは見えていても、その現象にとらわれず、人間はすべて平等なのだという考え方が存在していると言えるでしょう。では、その土台とは何かと言えば、自らが主体的に目的像を描いて、その実現に向けて行動できること(自由)だということであり、社会においてそれを行えるようにするためには、人民の決議が一般意志であるかどうかを国民がしっかり判断しないといけないということでした。そのために、知的な能力を身につけさせることが重要だと主張していたのでした。さらに、そのような人間を育てる上で教師がどうあるべきかを「サヴォイアの叙任司祭」の例から確認しました。端的には、教師はどんな姿を見せている子どもに対しても、人間の可能性や教育の可能性を信頼して働きかけていくこと、そのことによって子ども自身が「認められた」という感覚になるようにすること、また、教師自身が自らの教育目的を体現した存在となり、子どもからの尊敬が得られるようにすること、こうしたことが教師としては重要なのだということでした。

 このようなルソーの提言を実際に行ったのがペスタロッチでした。ペスタロッチは幼少期の体験を原点として社会の改革による貧民の救済ということを志し、シュタンツ孤児院での実践、ブルクドルフやイヴェルドンでの実践と、貧民の子弟の自立ということを目指して尽力したのでした。特にシュタンツの実践では、荒れた子どもや体が不自由な子ども、経済的に苦しい子どもなど多様な子どもがいる中で、現象にとらわれず人間として誰もがもっている可能性を信じて、愛情を注ぎ続けた結果、子どもが大きく変化するようになったのでした。仮に自分たちの生活が苦しくなろうとも、他の孤児たちが自分たちの孤児院に来ることを望むようになったのでした。その背後には、自分たちがペスタロッチの教えを受けて大きく変わったということ、だから自分たちと同じような境遇の子どもにも同様の体験をしてほしいという思いがあるのだということ、さらにそのように考える根底には、人間は教育を受ければ成長する可能性をもっているのだという人間観が子どもの中に培われているということを説いてきました。さらに、ペスタロッチは決して学力が高くないこうした貧民の子どもを相手にする中で、どのように教えればよいのかという点についての考察を深めていったのでした。まず直観、つまり現実の反映こそをもっとも重視したのでした。しかし、教えたい内容に対して、どんな事実を子どもに提示するかは考えなければならず、単に現実であればいいという問題ではないのだということでした。こうした考え方は後のヘルバルトにおいても「美的表現」という言葉で継承されているのでした。直観によって成立した認識は明確、明瞭、明晰と発展していくのでしたが、このような段階の捉え方はヘルバルトの四段階教授法(明瞭、連合、系統、方法)に非常に類似しており、ここもペスタロッチからヘルバルトへ受け継がれた点だということでした。

 このようにしてみてくると、近代教育学の成立過程とは、キリスト教を背景として「どんな人間でも教育によって成長する」という人間観・教育観が芽生え、さらに教育の中身も共通にすべきだという形で人間観・教育観が発展し、その正しさが実証される過程であったと言えるでしょう。同時に「どのように人間は成長するのか」「どう働きかければよいのか」という人間と教育の中身(構造)を解明していく過程でもあったのだということがわかります。

 さて、ここで科学がどのようにして成立するのかを三浦つとむさんの著作から見てみましょう。

「自然科学でも、社会科学でも、想像し予想するかたちの理論、いわゆる仮説をつくります。『今年のダービーではどの馬が勝つかな』とか『クリスマスのプレゼントに何をくれるだろう』とか、個別的なありかたを想像し予想するのではなく、『こういう種類の化合物はこういう性質を持つだろう』といった普遍的な法則性を理論として予想するのが仮説です。勝馬の予想でもプレゼントの予想でも、はずれるかもしれぬと承知しているので、絶対に正しいなどとは思っていません。一着と予想したのが二着になったり、ウイスキーと予想したのがブランデーだったりすれば、当らずといえでも遠からずだったということになります。科学の仮説も同じで、絶対に正しいなどとは思わず、ある程度訂正しなければならないだろうとか、まとはずれではなかろうかとか、はじめからはずれることを考えに入れているのです。実験や実践の結果、事実によってその正しさが証明されれば、その部分は仮説から科学に移行します。まとはずれだったことが証明されれば、また別の仮説を考えるわけです。」(三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』講談社、1968年、p.124)


 つまり、普遍的な法則性を理論として予想するのが仮説であり、実験や実践の結果、事実によってその正しさが証明されれば、その部分は仮説から科学に移行するのだということです。

 この観点から近代教育学の成立過程を見てみましょう。コメニウス・ロックにおいて「どんな人間であっても教育によって成長する」という近代的な人間観・教育観が生まれたのでした。これは人間すべてに貫かれている普遍的な法則性を予測したものです。しかし、これはあくまでもキリスト教の理念に基づいて出てきたものであり、事実によって示されたものではありません。したがって、これは仮説だということになります。その後、ルソーによって、すべての人間に共通の教育を与えるべきだと考えられるようになりました。これは「どんな人間であっても教育によって成長する」という人間観・教育観をより発展させたものだと言えますが、ルソーは教育者として実践したわけではありません。その意味で、これも仮説にすぎないと言えます。この人間観・教育観を受け継いで、実際に貧民の教育に携わったのがペスタロッチであり、その結果、この人間観・教育観が正しかったことが事実によって示されたのでした。ここにおいて近代的な人間観・教育観が仮説から科学へと移行したのであり、これこそ近代教育学の成立過程だったのだと言えるでしょう。
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2016年12月19日

近代教育学の成立過程を概観する(11/13)

(11)ペスタロッチは直観こそ認識の基礎であると主張した

 前回は、シュタンツ孤児院におけるペスタロッチの実践について見てきました。そこでペスタロッチは、「どんな人間も教育によって成長する」というコメニウス以来の人間観・教育観をもっており、現象にまどわされることなく、その子どもがもつ人間としての可能性に目を向けたのでした。そうして愛情をもって関わった結果、子どもたちは自らがもつ人間としての可能性を自覚するにいたったということでした。

 しかし、ペスタロッチはこうした教育は本来は母親がやるべきだと考えていました。そこで、母親であっても教育ができるように教育の方法を明らかにしたいという問題意識を抱いていました。そうした中で出てきたのが「メトーデ」であり、それが手紙の形式でまとめられたのが『ゲルトルート教育法』(『ゲルトルートはいかにしてその子を教えるか』)です。このメトーデの実際については、国の内外から教育関係者が参観に来るような状況だったのでした。

 ペスタロッチと言えば、直観教授という言葉が有名です。例えば、ペスタロッチの解説において「教育補法としては自発性に基づく直観的認識を基礎とする。直観教授においては個体を確実に知覚させ、形の観念を得させ、語によって明瞭に表出させなければならないとした」(森秀夫『教育史 西洋・日本』学芸図書、2005年)とされています。この直観教授をキーワードに、ペスタロッチが教育方法についてどんな問題意識を抱いていたのか、どんなことを主張したのか、それが後世にどうつながったのかをペスタロッチ、前原寿・石橋哲成訳『ゲルトルート教育法・シュタンツ便り』(玉川大学出版部、1987年)を中心にして見ていきましょう(以下、ページ数のみの場合はこの書のページ数を表します)。

 ペスタロッチは、ヨーロッパの民衆教育に関わって、「この大陸はみずからの個々の学術の輝かしい王冠をいただいて、預言者の像のように、雲にそびえてい」るが、「しかしその反面、この黄金の王冠の基礎たるべき民衆教育は、いたるところでこの巨像の足のように、このうえなくみじめで、いたってもろく、ひどくくだらない泥土にもすぎない」と指摘しています。「最上層の優越と最下層の悲惨とのあいだの、人間らしい精神をぶちこわすこの不均衡は、あるいはむしろヨーロッパ大陸の文化のこの衝撃的な不均衡を生みだした発端は、印刷術の発明」である(pp.261-262)とした上で、次のように述べています。

「印刷術がヨーロッパ大陸の人々の五官を限りなくせばめ、とくに直観のいっそう普遍的な道具である目を、新しい認識のための偶像化された宝物である文字と書物とに局限してしまわざるをえなかったがゆえに、印刷術が私たちの認識のこのいっそう普遍的な道具を、たんなる文字の目にしてしまい、私たち自身をたんなる書物の人間にしてしまわざるをえなかった」(p.262)


 つまり、印刷術が流行したことで文字と書物に捉われ、現実の事物・事象を体験しなくなったということです。そうした問題点を踏まえて、ペスタロッチは「直観をあらゆる認識の絶対的な基礎」(p.260)だと主張したのです。

 認識論の観点からいえば、認識は五感情像であり、視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚という5つの感覚器官から対象を反映させることによって成立します。ところが、印刷術が発展したことによって、主に視覚を中心とした像しか描けていないということです。だから、すべての感覚を駆使して対象を反映させなければならないというのです。そのことをペスタロッチは「直観教授」という言葉で表しているのだと言えるでしょう。

 ただし、生の対象をそのまま与えればいいのではないとペスタロッチは主張しています。

「土地を自然にゆだねると、雑草やあざみが茂るし、人類の陶冶を自然にゆだねると、人類の直観は自然によってかみ乱されるほかありません。直観の混乱はあなたの理解力のためにも、あなたの子どもの理解力のためにも、初歩の教授にとって必要な秩序を与えてはくれないのです。だから樹木や野草を学ばせるために、私たちが子どもを連れてゆかねばならない場所は、けっして森や野原ではありません。そこでは樹木や野草は、あらゆる種属の本質を直観させたり、対象の最初の印象によってその部門の一般的な知識をえさせたりするのに、もっともふさわしい順序で並んではいないのです。あなたの子どもを、最短の道をたどって教授の目標である明晰な概念をえさせるためには、あなたはせめて慎重にあらゆる認識部門にわたって、その対象が属している部門のもっとも本質的な特徴をはっきりしかも顕著に備えており、しかもそのためにとりわけ、みずからの本質とその移ろいやすい性質とを区別して子どもに認識させるにふさわしいいろんな対象を、まず最初に子どもに提示してやらねばなりません。」(p.284)


 つまり、森や野原で樹木や野草を学ぼうと思っても、ふさわしい順番に並んでいないため混乱を招いてしまうから、明晰な概念をえさせるためには、本質的な特徴をはっきりしかも顕著に備えていてわかりやすいものを提示すべきだ、ということです。弁証法的にいえば、生の対象であるとともに生の対象ではないもの(意図的に再構成したもの)が必要だということです。

 これは具体的に考えてみればわかるでしょう。例えば、小学校3年生の理科で植物について学びます。植物には根・茎・葉があるということがその学習内容になります。多くの場合、ホウセンカやマリーゴールドの栽培をとおしてそのことを学びます。それは、根・茎・葉があるということがわかりやすいからです。とにかく実際の植物を見せればいいのだと言って、子どもに自由に植物を観察させたのでは、そういう特徴がわかりにくいものを観察し、誤った理解に至ることにもなりかねません。だから、まずはその特徴が典型的に現れているものを提示することになります。

 ペスタロッチに学んだヘルバルトも、同じような内容を「世界の美的表現」という言葉で表現しています。

「彼がほんとうに自由になるか、ならないか、またどの程度まで自由となるかどうか、いいかえれば、彼が何よりもまず利己主義の打算に専心するか、それとも自分を取り巻く世界の美的理解に専心するかどうか、それはこれまで心理的偶然に左右されていた。しかし、この偶然は偶然のままにとどまっていてはならない。教師は、もし自分が正しく適切に着手するなら、心の自由な態度が世知にたけた悪がしこさによってではなく、純粋な実践的思慮によって法則を受け入れるように、世界の美的表現によって、子どもによる世界の美的理解を早い時期から強くじゅうぶんに決定することができる、と前提してかかる勇気をもつべきである。世界のこのような表現―いざというときには、不つごうな環境から与えられる悪い印象をぬぐい去るため、既知の全世界、既知のあらゆる時代の表現―これこそ、当然に、教育の中心任務と呼ぶことができるだろう。」(ヘルバルト「教育の中心任務としての世界の美的表現について」『世界教育学名著選14』明治図書、1973年、p.26)


 ヘルバルトの場合、道徳的な観点から説いている印象が強いですし、この文章も独特の読みにくさがありますが、要するに、自然成長性に任せておいたのでは、正しい理解に至るかどうかは偶然に左右されることになるから、教師が世界を意図的に再構成して子どもに与えなければならないということだと言えるでしょう。これはまさにペスタロッチの考え方を受け継いだものだと言えるでしょう(この論文が『よく吟味され、かつ科学的によく推敲されたペスタロッチーの直観のABCの理念』というヘルバルトの著作の第二版の付録として加えられていることも示唆的です)。

 直観教授によって得た認識がどのように発展していくのかについて、ペスタロッチは次のように述べています。

「ある対象の単位(数)・形ならびに名称(語)を知ることによって、その対象についての私の認識は明確な認識となり、その対象の他のあらゆる特性を認識することによって、私の認識はしだいに私のうちで明瞭な認識となり、さらにその対象のあらゆる特徴の相互関係を知ることによって、私の認識は明晰な認識となる」(p.201)


 図式化すると、以下のようになるでしょう。
(曖昧・混乱)
   ↓ ← 数・形・語の把握
明確な認識
   ↓ ← 特性の把握
明瞭な認識
   ↓ ← 特徴の相互関係の把握
明晰な認識


 このうち、直観と呼ばれるのは「曖昧・混乱」の状態から「明確な認識」に至る過程のことです。例えば、マリーゴールドを見せて、その形を把握し、マリーゴールドだと知るのが明確な認識の段階です。それは植物としての特性として、根・茎・葉をもっているということを理解するのが明瞭な認識の段階です。さらに、根は植物の体を支えて養分を取り入れ蓄えること、一方、葉は光合成によって養分を作ること、茎はその養分をとおすこと、こういったそれぞれの役割やそのつながりを把握するのが明晰な認識ということになるでしょう。

 このように説いてくると、ヘルバルトの「明瞭・連合・系統・方法」という四段階教授説が思い浮かんでくる人もいるはずです。私は以前、「ヘルバルト『一般教育学』を読む」において、この四段階教授説について次のように解説しました。

まずある1つの対象への専心から、その対象を把握することが「明瞭」です。そこから別の対象への専心へと移り変わるとき、先の対象と新しい対象とのつながりが見えてくることになります。これが「連合」です。さらに、これらの把握をより体系的に捉え返し、そこに完全な秩序が得られる場合、それを「系統」と呼びます。その系統の前進が「方法」です。つまり、系統に基づいて対象に働きかけ、新たな知識を系統の中に位置づけるとともに、その系統の一貫性を確認するということです。

 これを小学3年生の理科の学習で見てみましょう。植物についての学習(単元)では、ホウセンカやマリーゴールドなどを育てて、植物には葉・茎・根があることや、芽が出て花が咲き種ができるという過程を理解します。最初はホウセンカやマリーゴールドを育てて、観察をします。これが明瞭です。続いて、両者の共通点について検討をします。これが「連合」です。そうした検討を踏まえて、教師が植物についての一般的な知識を説明することになります。これが「系統」です。これを踏まえて、他の植物ではどうなのかを追求していくことになります。これが「方法」です。

 少し内容的にズレがあるものの、ほぼ同じことを説いており、ここにもペスタロッチからヘルバルトへの継承の跡が見られると言えるでしょう。そして、これは現代の教育方法にも生かされているものです。

 ペスタロッチはおそらく貧民の学力の低い子どもたちを相手にしたからこそ、どのように教えればいいのかを強烈な問題意識として抱くようになり、その認識の発展過程について究明するようになったのでしょう。こうして浮き彫りにされた方法論がヘルバルトに受け継がれ、現代の教育課程でも生かされているのです。
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2016年12月18日

近代教育学の成立過程を概観する(10/13)

(10)ペスタロッチは信念をもって実践に取り組み成果を挙げた

 前回は、ペスタロッチがどのような生涯を送ったのかを確認しました。ペスタロッチは、農民の苦悩と悲惨な姿を目の当たりにし、その自立に向けた取り組みを生涯の課題として掲げたのでした。そして、数々の挫折を味わいながらも、シュタンツ孤児院にて貧民の子どもを相手に教育を行い、さらに、ブルクドルフ、イヴェルドンでの実践をとおして、教育方法として「メトーデ」を開発したのでした。そのペスタロッチの学園には多数の参観者が国の内外からやってくるという状況だったのでした。

 では、その実践とはどのようなものだったのでしょうか。今回は『シュタンツだより』をとおして見てみたいと思います。この『シュタンツだより』は、シュタンツの孤児院でのペスタロッチの実践の成果を文部大臣シュッタプァーに手紙として送ったものです。ペスタロッチの入門書とされています。

 前回紹介したように、シュタンツでは武力抗争が起こり、多くの孤児や浮浪児を生み出していました。こうした子どもを救済するために新政権は孤児院を設立することを決め、その院長としてペスタロッチが選ばれることとなったのでした。孤児院には50人ほどの子どもが集まって一緒に生活し、それをペスタロッチが一人でみることとなったのです。一体どんな子どもが集まったのでしょうか。

「子供の大部分は入学当時、人間性を極度に侮蔑すればその結果多くはきっとそうならずにはおれないような憐れな姿をしていた。入学してきたときはほとんど歩けないように根の張った疥癬をかいている者も多かったし、腫物が潰れた頭をしている者も多かったし、毒虫のたかった襤褸を着ている者も多かったし、痩せ細った骸骨のようになり、顔は黄色で、頬はこけ、苦悶に満ちた眼をして、邪推と心配とでしわくちゃになった額をしている者も多かったし、破廉恥きわまるあつかましさで乞食をしたり、偽善の振る舞いをしたり、またどんな詐欺にも慣れているといった者も少しはあった。」(ペスタロッチ、長田新訳『シュタンツだより』岩波文庫、p.49)


 つまり、身体的な問題を抱えた子ども、経済的に問題を抱えた子ども、愛着形成に問題を抱えた子ども、社会へ不信感を抱いた子どもなどだったのです。もしここで挙がっているような子どもがクラスにいたら、クラスで最も目をかけないといけない子どもになるでしょう。それがほとんどという状態だったわけです。
 しかし、ペスタロッチはこうした子どもたちにも限りない力があるのだと主張して、次のように書いています。

「わたしにはほとんど何の不安の感も懐かせなかった。というのは最も憐れな最も見離された子供にも神の与え給う人間性の諸力をわたしは信じているので、この人間性が無教育と粗野とそして混乱との泥土の間にあっても、最も美しい素質と能力とを発展させるということを、ただに今までの経験がすでに久しくわたしに教えていただけではなくて、わたしはわたしの子供の場合にも、無教育ではあるが、この生き生きとした本性の力がいたるところに発露するのをみた。」(同上書、pp.50-51)


 つまり、どんな人間に対しても、人間がもつべき力を神が与えているのだから、何の不安も懐かなかったということです。現代においても、例えば身体障害の方などを見ると、その外見から「えっ!」「うわっ」と思う方はいるはずです。まさかそこで「人間ではない」とまでは思わないでしょうが、当時においてはそういった存在は人間としてみなされないのが通常でした。ペスタロッチはそういった現象にひきずられず、そこに潜む人間としての一般性を見抜けるだけの(コメニウス以来の)人間観・教育観をもっていたのだということです。

 もちろん、そこには壮絶な戦いと言えるレベルの教育があったはずです。みなさんは、サリバンによるヘレン・ケラーの教育を知っているでしょうか。あそこでは甘やかされて育ったヘレンが自分勝手な振る舞いをするのに対して、サリバンがヘレンと対峙し、文字通り格闘レベルで関わっていく姿が見られます。これをペスタロッチは何十人もの相手に行っていたのだということです。そう考えれば、ペスタロッチの信念の強固さというものがイメージできるはずです。

 こうした教育の結果、子どもたちは大きく変わっていきます。当時、子どもたちの親は、革命政府がよこしたペスタロッチを何も信用しておらず、ペスタロッチを非難し、子供を連れ帰ることもざらにあったようです。ところが、ペスタロッチの教育を受けた子どもたちはペスタロッチを信頼し始め、やがてペスタロッチを非難する親をたしなめるまでに至ったのです。自分たちの成長を自覚しているからこそ、それをもたらしてくれたペスタロッチに対して信頼を抱いているのだと言えるでしょう。

 どうしてこのような信頼を得ることができたのか。それについて、ペスタロッチは次のように語っています。

「子供の気持や考え方を左右するものは、教師の個々の行為ないしはたまさか行う行為ではない。汝に対する彼等の感情を断然左右するものは、毎日毎時繰返されて、しかも彼らの眼の前で働いている汝の心情状態の真相の程度であり、また彼ら自身に対しての汝の懐く愛情もしくは嫌悪の情の程度である。」(同上書、pp.75-76)


 つまり、教師が子どもに対して何をしたかではなく、教師が子どもに対してどういう思いをもっているか、その思いがどの程度のものなのか、本気なのかどうか、ということが重要だということです。こうしてペスタロッチからの愛情を注がれた子どもたちは、他者への愛情を注ぐようになっていきます。

「アルトドルフが丸焼けになったので、わたしは子供たちをわたしの周囲に呼び集めて言った。『アルトドルフは丸焼けになった。多分今ごろは100人もの子供が家もなく、食べ物もなく、着物もなくているだろう。お前たちは慈悲深いお上へお願いして、これらの子供を20人ばかりわたしたちの家に修養するようにしないか』『いいですとも、いいですとも』と言った感激の様子を、わたしは今も眼のあたりに見る思いがする。そこでわたしは言った。『しかし子供たちよ、お前たちが熱心に望んでいることをよく考えてご覧。わたしたちの家には思うほどのお金はないし、これらの貧しい子供のために今まで以上にお金の工面ができるかどうかも怪しいものだ。それでお前たちはこれらの子供がきたために、自分たちのお稽古には今まで以上に骨が折れ、食べ物は今までよりもずっと減らし、その上お前たちの着物も分けてやらなければならないような羽目になるかも知れない。だから彼らが困っているからといって、これらのすべてのことをお前たちがいかに喜んで心から納得しているかのような振りをして、うっかりこれらの子供が来ればいいなど言ってはならない』わたしは力をこめてできるだけ強くそう言った。わたしは自分の言ったことを彼ら自身に繰返させた。それは彼らの申し出の結果がどんなことになるかということを、明瞭に彼らが理解しているかどうかはっきりさせるためだった。しかし彼らは頑として心を翻さず、しかも繰返して言うのだった。『そうです、そうです、たといわたしたちの食べ物はもっと悪くなり、仕事はもっとふえ、着物は分けてやらなければならなくなっても、彼らが来れば嬉しい』」(同上書、pp.71-72)


 子どもたちは、たとえ自分たちが貧しい思いをすることになっても、アルトドルフの子どもがここに来ることを望んでいるのです。他者に対する非常に深い思いやりが込められています。

 このように、シュタンツの子どもたちは、ペスタロッチの教育を受けて他者への愛情を注げるまでに成長したのでした。そして、自分自身がその成長を自覚しているからこそ、ペスタロッチに深い信頼を抱くようになったのだということになるでしょう。ペスタロッチが「どんな人間も教育によって成長する」という人間観・教育観を抱いて、子どもに愛情を注ぎ続けた結果、子どもたちも自分たちがもつ人間としての可能性を自覚することができたのです。
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2016年12月17日

近代教育学の成立過程を概観する(9/13)

(9)ペスタロッチは民衆教育に力を注いだ

 本稿は、教員の資質能力が様々に求められている現在において、今後新たに教壇に立つ方々が身につけるべき資質能力とは何かということを明らかにするべく、近代教育学の成立過程を概観するものです。

 まずコメニウスからロックまでの流れを見てきました。中世ヨーロッパではカトリック教会の教えに従い、それぞれの身分に応じた生き方をしていくことが正しいあり方だとされていたのでした。それがルターの宗教改革をきっかけに崩れ、人間は神のもとに平等であり、自らの確信に基づいて行動すべきだとされたのでした。この人間観を受け継いだコメニウスは、どんな人間であっても教育によって成長する可能性があるのだと主張しました。そして、そのための教育方法について、コメニウス自身は自らのアタマを働かせて導き出したのでした。このコメニウスの人間観・教育観を受け継ぎ、ロックは紳士、貧民に対する教育が社会の維持発展につながると主張しました。紳士に対しては理性的存在として育てること、そのために教師が理性的存在であること、子どもに愛情を感じさせることが重要だとしました。ただし、貧民に対しては経済的な自立のための教育しか考えられていませんでした。

 そうした中で貧民層に目を向けたのがルソーでした。経済的な境が薄らぎ、子どもが将来どんな小社会で生きていくかわからない中では、どんな社会でも生きていけるように人間としての土台を形成することが教育だと主張しました。その土台とは、自らの目的像を主体的に描いて行動することであり、社会においてそれが実現できるように一般意志を判断する能力を育てることが重要だとしたのでした。そして、このような人間を育てるために、教師はその教育目的を体現した存在として子どもの尊敬を得ること、またどんな姿を現していても、その奥にある可能性を信じて子どもの存在を認めることが重要だとしたのでした。

 このように中世からコメニウス・ロック・ルソーと流れる人間観・教育観を受け継ぎ、そこで論じられた教師像を体現した存在こそが、これから扱うペスタロッチです。ペスタロッチについては本稿で初めて扱うので、その生涯について少し詳しく確認したいと思います。

 ペスタロッチは、1746年、スイスのチューリッヒで生まれました。幼い頃に父親が亡くなってしまったので、祖父が父親としての役割を果たしていました。祖父は村の牧師として定期的に教区の貧しい家を訪問し、宗教的、家庭的な面で指導を行っていましたが、ペスタロッチは幼い頃からしばしばこの祖父についていき貧民の状況について目の辺りにしていました。彼らの苦悩とその悲惨な姿が原点となって、彼らの解放のために生涯を捧げることをペスタロッチは決意したのです。

 ペスタロッチは当時の市民としては最良の教育を受けましたが、暗記中心の学校教育は興味をひかず、優等生ではありませんでした。ただし、1762年に刊行された『エミール』からは大きな影響を受け(彼は自分の子どもに「ヨハン・ヤコブ(フランス語でジャン・ジャック)」と命名するほどルソーの信奉者でした)、ルソーの思想に基づいた理想主義的改革を志すようになりました。政治結社ゲルベ・ヘルヴェーチア協会に所属し、そこで、当時の政治問題などについて論じあったのです。やがて社会改革を実践する組織として「非圧迫者の擁護及び不正の懲罰のための連盟(愛国者団)」が結成され、ペスタロッチはその一員となりますが、当局の弾圧を受け、ペスタロッチも厳しく尋問されることになりました。

 こうした体験からペスタロッチは、夢想的な社会改革ではなく、現実的な社会改革を志すようになり、ノイホーフで農業経営家としての生涯を歩むことにしました。そこには自然を重視したルソーの影響が見られます。

 しかし、農場経営もうまくいかなかったため、貧民学校を開くことにしました。当時、貧民の子どもは大きな農家にひきとられてこき使われたり、乞食の手先として使われたりしていました。また、当時スイスでも盛んになってきていた工場生産の労働力として縛り付けられている者もいました。こうした子どもたちを救おうとしたのです。貧民が幸福に過ごせるようになるためには、単に施しを与えるだけでは不十分であり、貧民自身が自立して人間らしい生活をしていけるようにならないといけない。そのために必要な能力や手段を身につけられるように教育することが重要なのだと考えていたのです。

 しかし、この貧民学校も経営が成り立たなくなりました。以後、ペスタロッチは文筆家として生計を立てることになります。その中で発表した『隠者の夕暮』『リーンハルトとゲルトルート』において教育によって国家を改造すべきだと主張し、文筆家、教育者として非常に有名になりました。

 この頃、フランス革命の影響を受けて、その革命政府の力でスイスでも革命が起こり、新政権が樹立していました。しかし反政府運動はまだまだ活発でした。特に反革命運動の拠点であったウンターヴァルデン州のシュタンツでは武力抗争が起こり、多くの孤児や浮浪児を生み出していたのです。こうした子どもを救済するために新政権は孤児院を設立することを決め、その院長としてペスタロッチが選ばれることとなりました。

 孤児院には50人の子どもが集められ、そこには歩けない子、衰弱して骸骨のようにやせている子、愛情がなく邪推深い子、詐欺を常習とする子などもいましたが、ペスタロッチは1人でその子達と生活を共にし、必死で関わる中で、子どもたちを変容させていきます。しかし、戦争の激化に伴って、このシュタンツ孤児院は病院として使われることとなり、孤児院は閉鎖されることとなりました。ここでの成果をまとめたものが『シュタンツ便り』です。

 シュタンツを離れたペスタロッチは政府からブルクドルフへの赴任を勧告されました。そこで一教師として働く中で、ペスタロッチの方法が認められるようになり、ブルクドルフ城内で学園を開くようになります。そこでのペスタロッチの教授法は「メトーデ」と呼ばれ、『ゲルトルート児童教育法』(『ゲルトルートはいかにしてその子を教えるか』とも訳されます)にまとめられました。

 しかし、革命政府による中央集権国家の建設という試みが挫折し、スイスは再び連邦主義政府に戻ることとなりました。この影響を受けて、ペスタロッチの学園は革命政府から資金援助を受けることができなくなりました。そうしたときに、イヴェルドン市が学園を引き受ける用意があると言明したため、ペスタロッチはイヴェルドンに移ることとしたのです。イヴェルドンでのペスタロッチの学園は国際的な名声を獲得し、ヨーロッパの各地から多くの教師が「メトーデ」を学び、教師としての腕を磨くために見学にやってきました。この中にはヘルバルトやフレーベルなどもいました。

 このイヴェルドンの学園を支えたのが、ヨハネス=ニーデラーとヨゼフ=シュミットです。しかし、両者は根本的な理念において対立していました。ニーデラーは「メトーデ」の理論としての完成に力を入れるべきだと考えていましたが、シュミットは「メトーデ」の具体化によって一層の教育成果をあげるべきだと主張したのです。この2人の対立が学園内に亀裂を生み、学園は衰退していくこととなりました。こうしてペスタロッチは学園を離れてノイホーフに戻り、そこで1827年、死去しました。

 このように見てくると、ペスタロッチは社会の改革ということを志し、貧民の子弟の自立ということを目指してその実践に尽力した姿がわかるでしょう。次回はその実践のありようについて、具体的に見ていきたいと思います。
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2016年12月16日

近代教育学の成立過程を概観する(8/13)

(8)ルソーは子どもへの愛情と子どもからの尊敬が教師には必要だと考えた

 前回は、ルソーの人間観・社会観について見てきました。ルソーによれば、人間は自然状態においては自由に生きていたけれども、個々人の共通利害に基づいて社会を構成するのでした。この共通利害に基づく意志(一般意志)は個々人の意志でもあるため、それに従うことは自らの意志に従うことであり、このような形で社会における自由が保障されるのだということでした。ところが、人民の決議による意志は必ずしも一般意志になるとは限らないから、あざむかれないように人民の判断力、その前提となる知的能力を育てないといけないということでした。こうして個々人が自らの欲求が実現できるようにすることが重要であり、そのような社会こそ理想だと考えていたのでした。

 このような人間を育てる上で、教師はどうあるべきなのでしょうか。この点について、ルソーの『エミール』で紹介されている「サヴォワの助任司祭の信仰告白」を見ていきたいと思います。これは、カルヴァン教徒として生きていたが罪を犯して逃亡者になり、荒れてしまった青年に対して、サヴォワの助任司祭が自らの信仰について説いて、宗教に目覚めさせる話です。実はこの青年とはルソー自身のことであり、自らの実体験を語ることで、エミールに対して宗教教育を行おうとしているのです。このサヴォワの助任司祭のあり方から、教師としてどうあるべきかを読みとっていきたいと思います。

 助任司祭がこの青年(ルソー)を観察したところ、「恵まれない境遇のために青年の心はすでに傷ついていること、侮辱され軽蔑されてかれは勇気をうしなっていること、かれの誇らしい気持ちは、にがい恨みに変わってい」ることに気づきました(『エミール』(中)、p.112)。端的には、この青年はその不幸な体験・経験から、人間に対して、社会に対して、非常に強い反発の気持ちを抱いていたのだということです。

 そこで、助任司祭は「青年の言うことに耳をかたむけ、思いのままにしゃべらせてお」き、「どんなことにも関心を示」すようにしました(同上書、p.114)。つまり、青年が何かを話したときに、それを決して否定しない、いったんは受け入れるように心がけたのでした。そういう姿勢を教師が示しているからこそ、青年は安心して話をすることができて、その結果、青年は「なにも告白するつもりはなしになにもかも告白してしまった」のでした(同上)。

 一言で言えば、助任司祭は青年の存在を認めるようにしたのだと言えるでしょう。この青年は様々な不幸な体験・経験、つまり自分自身が認められていないという体験・経験をすることによって、人間に対して、社会に対して、非常に強い反発の気持ちを抱いていたのでした。だから、まずはその青年を認めるようにする、その1つのあり方として青年の言うことに関心をもって耳を傾けるようにしたのです。

 その背後には、「本当はこの青年は勇気をもっているのだ。誇らしい気持ちをもっているのだ。だからこそ、適切に働き掛ければ、よい方向へと変わっていくはずだ」というような認識があります。つまり、現象としては悪くなっていても、その中には可能性という善が潜んでいるのであり、教育すればそれが出てくるようになるのだと考えていたのです。このように人間や教育に対する信頼を助任司祭は抱いていたのだと言えるでしょう。だからこそ、青年は助任司祭に対して、なにもかも告白してしまうことになったのです。

 この助任司祭については、もう1つ取り上げるべき点があります。サヴォワの助任司祭に心を開いた青年ルソーは、この助任司祭に対して次のように述べています。

「わたしがなによりも心をうたれたのは、わたしの尊敬すべき師の私生活には、いつわりのない美徳、弱さをともなわない人間愛、いつもまっすぐで単純な言葉、そして、いつもそこに一致した行動がみられることだった。」(同上書、p.116)

「だれも見ていないところでも、公衆の面前におけると同じように規則正しくかれが聖職者としての務めを果たしていることがわかった・・・」(同上書、pp.117)


 つまり、司祭は美徳や人間愛に満ちており、様々な言葉をルソーに投げかけているけれども、ルソーに話した言葉を何よりも自分自身がしっかりと実践しているということです。しかも、それはルソーや他の人がいる前だけではなく、誰もいない場面でもそうであったということです。つまり、司祭は言動が一致していたということです。そうした司祭の姿に青年ルソーは心をうたれたと述べているのです。

 現代の例で言うならば、自分の意見をしっかり発表しましょうと子どもに言い、自分も職員会議でしっかりと発言する。そうじを丁寧にするように子どもに言い、自分も教室や自分の部屋を掃除する。毎日コツコツ勉強することが大事だと子どもに言い、自分も毎日本を読んだり文章を書いたりする。あいさつをしましょうと子どもに言い、自分も出会った人に対してしっかりあいさつをする。このような姿が司祭には見られたということです。

 教師は「このような人間に育ってほしい」という思いをもって子どもに対して働きかけます。その育って欲しいと思う人間像こそが教育目的ですが、司祭自身がその教育目的を体現した存在であったということです。だからこそ青年は司祭に対して尊敬の念を抱き、信頼するようになったということです。

 以上をまとめるならば、教師はどんな姿を見せている子どもに対しても、人間の可能性や教育の可能性を信頼して働きかけていくこと、そのことによって子ども自身が「認められた」という感覚になるようにすること、また、教師自身が自らの教育目的を体現した存在となり、子どもからの尊敬が得られるようにすること、こうしたことが教師としては重要だということになるでしょう。そしてこれはロックの教師論、つまり教師は子どもに愛情を感じさせなければならないということ、教師自身が理性的な存在でなければならないということをしっかりと受け継いだものだと言えるでしょう。
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2016年12月15日

近代教育学の成立過程を概観する(7/13)

(7)ルソーは主体性こそ人間の土台だと考えた

 前回は、ルソーが教育をどのように捉えていたのかを確認しました。現実の社会において階級の入れかわりが起こるようになってきたことを踏まえて、ルソーは、どんな小社会で生きていくことになったとしても、生きていけるようにすること、人間としての土台を形成することが教育だと主張したのでした。

 では、その人間としての土台とは何なのでしょうか。そうした人間を育てることと社会の維持・発展とはどのようにつながっているのでしょうか。今回はこの点についてみていきたいと思います。そのために、まずはルソーの社会観から確認していきましょう。

 ルソーによれば、社会が構成される以前の自然状態にあっては、それぞれの個人が自由に独立して生きていました(自然的自由)。つまり、自らが「こうしたい」という意志を意図的に描いて、その意志の実現に従って行動することができていた、ということです。

 しかし、自然状態においては、生存することを妨げるもろもろの障害が存在します。例えば、個人の力では大型動物と戦って食料を確保するということもできません。そこで、人々は集合することによって、その障害を乗り越えていこうとしました。こうして、個々人の共通した利害に基づいて社会を形成するのだとルソーは説いています。この共通利害のことを「一般意志」と呼んでいます。

 この一般意志には個々人の意志(共通の意志)が含まれていますから、その一般意志に従うことは、自らの意志に従うことになります。こうして、一見社会のルールに縛られる(自分以外のものに縛られる)というように見えて、実は自分自身の意志に従うというあり方が実現することになります。これを自然的自由と区別して、「市民的自由」と呼んでいます。

 この一般意志を明確にするために人民による決議が必要だと主張しているのですが、ルソーは、その決議が必ずしも公共の利益を目指したものになるとは限らないと指摘しています。

「一般意志は、つねに正しく、つねに公けの利益を目ざす、ということが出てくる。しかし、人民の決議が、つねに同一の正しさをもつ、ということにはならない。人は、つねに自分の幸福をのぞむものだが、つねに幸福を見わけることができるわけではない。人民は、腐敗させられることは決してないが、ときには欺かれることがある。そして、人民が悪いことをのぞむように見えるのは、そのような場合だけである。

 全体意志と一般意志のあいだには、時にはかなり相違があるものである。後者は、共通の利益だけをこころがける。前者は、私の利益をこころがける。それは、特殊意志の総和であるにすぎない。」(ルソー、桑原武夫・前川貞次郎訳『社会契約論』岩波書店、1954年、pp.46-47)


 つまり、人民の決議によって出ていた意志(国家意志)は、つねに公の利益を目指す一般意志になるとは限らず、特殊な利益を目指す全体意志になることもあるのだということです。これは現実に、国民のためと言いつつも、その実、大企業の優遇でしかない法律が存在していることを踏まえれば、よくわかるでしょう。
 したがって、人民の決議によって出てきた意志が一般意志になるようにするには、人民が欺かれないようにすることが重要だということになります。欺かれないだけの判断力、そして、その土台となる知的能力をもった人間を育てることこそ、人間としての土台形成として重要だとルソーは考えていたのです。つまり、自分の力でしっかり考えられる人間(主体的な人間)を育てることが教育だとしたのです。

 こうした考え方は、ルソーが説く教育方法にも現れています。その1つは、子どもの必要性ということを重視している点です。例えば、子どもに文字を教えるときには、文字を学びたいという欲求を子どもたちに起こさせることが重要だとルソーは主張しています。家族や親戚、友だちなどから招待状が送られてきたけれども、その案内の内容が読めなくて、結局参加することができなかったというような体験をさせることによって、文字が読めるようになることの必要性を実感し、自分から文字を学ぼうとするようにすることが大事だというのです。

 もう1つは、教師の子どもへの働きかけとして発問(問いを発すること)を重視している点です。例えば、太陽が(見かけ上)どのように運動しているのかを子ども(エミール)につかませるために、ルソーは「わたしは、きのうの夕方、太陽があすこに沈んだこと、そしてけさはあすこに昇ったことを考えている。どうしてそういうことが起こるのだろう。」(『エミール(上)』p.292)という問いを出しています。エミールが何か質問してきても、それに対して答えず、別の話をしてしまいます。こうしておけば、エミールは自分でこの問題について考えるだろうと言うのです。

「子どもが注意ぶかくなるようにするためには、そして、なにか感覚的な真理がはっきりとわかるようにするには、かれがそれを発見するまでのいく日かのあいだ、それがかれを不安にしておくことがどうしても必要だ。」(同上書、p.293)


 つまり、何らかの真理がわかるようにするためには、それがわからなくて不安になっている状態が必要だというのです。これは、「どうして太陽は西に沈んだのに東から昇ってくるのかを知りたい」という思いをしっかりと抱かせることが重要だという主張として捉え返すことができるでしょう。
 このように、ルソーは、子どもたちが自分で考えるということを教育において重視しているのです。これがルソーが育てるべきだと考えた人間としての土台だと言えるでしょう。
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2016年12月14日

近代教育学の成立過程を概観する(6/13)

(6)ルソーはどんな社会でも生きていけるようにするのが教育だと説いた

 本稿は、教員の資質能力が様々に求められている現在において、今後新たに教壇に立つ方々が身につけるべき資質能力とは何かということを明らかにするべく、近代教育学の成立過程を概観するものです。前回まででコメニウスからロックまでの流れを見てきました。そもそも中世ヨーロッパでは階層的な身分秩序が成立しており、それをイデオロギーとして裏付けるのがカトリック教会だったのでした。ところが経済の発展とともに階層的な身分秩序が崩れていくと、カトリック教会の権威も揺らいでいく中で、ルターはすべての個人が聖書を読んで自らの確信に基づいて生きていくべきだと主張したのでした。このルター派が広がるとやがて旧教との対立が激しくなりました。その中心地で生まれ育ったコメニウスは、平和な世界を願って教育の重要性を主張しました。コメニウスは神のもとに人間は平等であり、どんな人間であっても教育によって成長する可能性があるのだと主張したのでした。そして、コメニウス自身は自らのアタマを働かせて様々な分野の事例から教育の方法を導き出していったのでした。一方、ロックは、2度の革命による新政府樹立の後、その政策の相談役として、イギリス社会の維持・発展に携わり、その中で教育についても言及していたのでした。紳士の教育に関しては、自らの欲望を押さえて理性に従って行動できるようにすることが重要だとし、そのためには教師自身が理性的な存在でなければならないと主張しました。一方、貧民に対しては教育を与えて自立させることが国家の富を増やすことにつながるのだと主張したのでした。

 このような流れを受け継いで、次に登場するのがルソーです。ルソーは政治思想家として、また教育に関わっては『エミール』の執筆者として大変有名ですが、彼はどのようなことを論じたのでしょうか。まずはその前提として、ルソーが生きた社会はどのようなものだったのかを見てみましょう。

 ルソーが生きた18世紀のフランス社会はアンシャン=レジームとよばれる階層社会で、3つの身分に分かれていました。第一身分の聖職者、第二身分の貴族、第三身分の平民です。聖職者や貴族は免税や農民への貢租徴収権など多くの特権をもっていました。一方、第三身分はそうした税に苦しめられていました。経済的な発展の中で、それぞれの身分の中にも貧富の差は入り交じり、第三身分にも金融業者や上層市民、商工業や資本主義的農業経営にたずさわる中産市民、農民や手工業者などの民衆への分化が起こっていましたが、こうした第三身分の経済的上昇に対抗して、貴族達はますます特権的地位を擁護しようとしていました。つまり、第一・第二身分と第三身分という大きな社会的な格差が存在していたのです。こうした格差に対する反発はやがてフランス革命につながっていきます。

 そもそも人間はもともと平等であるはずなのに、なぜこのような不平等が生まれてしまうのかということが、ルソーが抱いた問題意識でした。それに対してルソーは、様々な社会制度などによって、自然の状態が歪められているからだと考えました。そうした観点から教育のあり方についても論じていくのです。ルソーは次のように述べています。

「自然の秩序のもとでは、人間はみな平等であって、その共通の天職は人間であることだ。だから、そのために十分に教育された人は、人間に関係のあることならできないはずはない。わたしの生徒を、将来、軍人にしようと、僧侶にしようと、法律家にしようと、それはわたしにはどうでもいいことだ。両親の身分にふさわしいことをするまえに、人間として生活をするように自然は命じている。生きること、それがわたしの生徒に教えたいと思っている職業だ。」(ルソー、今野一雄訳『エミール(上)』岩波文庫、1964年、p.31)


 つまり、人間はみな平等であって、どんな職業人であろうと、人間として生きていることには変わりがないのだから、人間として生きていけるようにすることが必要だということです。それこそがすべての人間に与えるべき教育だと主張しているのです。

 ここはロックの教育論に対する批判として読むこともできるでしょう。ロックは紳士に対する教育と貧民に対する教育を区別して論じていたのでした。しかし、そうではなくて、どちらに対してもそもそも人間として生きていく上で土台となる教育を与えなければならないと主張しているのです。

 ロックとルソーでこのような違いが生まれた理由として、1つにはその立場の違いということ、さらには時代の変化ということが挙げられるでしょう。ロックが生きた時代は、中産階級として勢力を伸ばしてきたジェントリやヨーマンが新しい政府を築いて、ここから新しい社会を創り出そうとしていく時代でした。ロックはジェントリ階級の立場に立って、この社会をいかに維持・発展させていくかという問題に取り組んだのです。そこには貧民も存在していましたが、そこに国家としての支援を与えつつも、その現状をどう維持していくかということこそが問題だったのであり、ジェントリやヨーマンの人間が没落したり、貧民が大きく力をもったりするということは基本的に想定されていなかったのです。

 これに対して、ルソーは当時のフランスに代表されるような社会的な格差を一般民衆の立場から眺めていました。一般民衆の苦しい生活を目の当たりにしたルソーは、同じ人間であるはずなのに、このように境遇の違いがあっていいはずがないという問題意識を強烈に抱いていたのです。また、フランス革命が近づいている当時において、何らかのきっかけにおいて経済的な力をもっていた人間が没落したり、逆に経済的に弱かった人間が大きな力をもつようになったりすることもあったのでした。例えば、音楽的な素養や社交など、富裕層に必要な教育を与えたのに、貧民に没落してしまって何の役にも立たなくなったということも出てきたということです。そこで、どんな生活を送ることになっても生きていける人間としての土台を教育において形成しなければならないという認識が芽生えてきたのです。

 コメニウスにおいては、キリスト教の理念に基づいて人間や教育の可能性が考えられていたのですが、ルソーにおいては、コメニウスの人間観・教育観を受け継ぎつつも、階級が移り変わるという現実社会のあり方を踏まえて、将来どのような小社会に所属することになっても生きていけるようにしなければならないと考え、富裕層であろうと貧民であろうと人間として共通した土台を形成することこそ教育だと主張したのでした。「すべての人間に共通した教育を与えるべきだ」という教育観は、現在では当たり前になっている統一学校制度が成立する前提だと言えます。このルソーにおいて、近代的な人間観・教育観が一歩発展したのだと言えるでしょう。
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2016年12月13日

近代教育学の成立過程を概観する(5/13)

(5)ロックは紳士と貧民ともに教育を与えることを主張した

 前回は、コメニウスがどのような問題意識を抱いて『大教授学』を執筆したのか、またそこではどのような内容を説いたのかということを見てきました。ルター派(新教)とカトリック(旧教)の対立の中心地において、ルター派の牧師として生きたコメニウスは、この世界に平和が訪れることを願って教育の重要性を主張したのでした。さらに、性別、能力の有無、障害の有無などに関係なく、本当にすべての人間が教育によって成長する可能性があるのだとした上で、どのように教育すればよいのかという方法を『大教授学』で書いたのだということでした。そこで述べられている方法は教育以外の様々な分野で見られる事実から導き出したものであるということ、これは科学的な考え方であり、さらに言えば自分のアタマを働かせて生きていこうとするものだということでした。このように、コメニウスの人間観・教育観、さらにはその生き方は、ルターの主張を受け継いだものだということでした。

 では、このようなコメニウスの成果はロックにおいてどのように受け継がれることになったのでしょうか。今回はこの点について見ていきましょう。

 まずロックが生きた17世紀のイギリスがどのような社会であったのかを確認しましょう。この時代は、ピューリタン革命(1640)、名誉革命(1688)という二度の革命が起こった時期であり、まさに中世から近代へと移り変わる時代でした。生産力の向上に伴い商品交換が発達すると、地方地主であったジェントリ(郷紳)が大きな経済力をもつようになりました。また、領地に縛られていた農民の中にも、経済力を蓄えて領主の支配から逃れ、独立自営農民(ヨーマン)として農業を経営するようになりました。彼等は土地を囲い込んで毛織物工業にも力を注ぐようになり、経済的に大きな力をもつとともに、さらに議会派を構成し、政治的な発言力も強めていきました。やがて、議会を無視して税を課したり、営利や蓄財を認めるカルヴァン派を抑圧して国教を押しつけたりする国王と対立するようになり、2度の革命が起こったのです。こうして、新政府において政治活動を担った裕福な人々はジェントルマン(紳士)と呼ばれます。

 ジェントリ階級の人間として生まれたロックは、反体制派であったシャフツベリ伯爵の秘書兼侍医として日々を過ごし、新政府の樹立後は政治や経済にかかわる政策についての相談役として見解を述べるようになります。このように、ロックは新政府を担う人物として、いかにしてイギリス社会を維持・発展させていくべきかという問題に取り組むこととなったのです。そうした問題意識のもと教育のあり方についても言及し、ジェントルマン(紳士)の教育に関しては『教育に関する考察』で、貧民の教育に関しては、救貧法改正についての提案(1697年に貿易植民委員会が政府へ提出した報告書(ロックによる原案作成)に含まれるもの)にその思想が現れています。

 では、ロックはどのようなことを主張しているのでしょうか。『教育に関する考察』の冒頭において、ロックは次のように述べています。

「自分の生まれつきの才能で、ゆりかごのいる幼児の時代から、まっ直ぐに、いわゆる卓抜な人物になって行き、この彼等の仕合わせな素質の特権によって、世人を驚かすことを行なうことができるということを、わたくしは認めます。しかし、こんな人たちの例はほんのわずかで、われわれが出逢う万人の中で、十人の中九人までは、良くも悪くも、有用にも無用にも、教育によってなるものだと言って差し支えないと思われます。教育こそ、人間の間に大きな相違をもたらすものです。われわれの敏感な幼年時代に与えられた、わずかの、言いかえればほとんど感じられないくらいの印象が、非常に重大な、また長続きする影響を与えるのです。」(ロック、服部知文訳『教育に関する考察』岩波書店、1967年、p.14)


 つまり、人間の様々な違いは基本的には教育によってもたらされるということです。したがって、どのような教育を与えるかがその後に非常に大きな影響を与えるのだと主張しています。そもそも人間の精神はもともと何の観念ももっていないのだとロックは考えていました(精神白紙説)。もともと人間に違いはないのであり、その違いを生み出すのが教育だということです。

 このように教育の及ぼす力を主張し、人間の可能性(および危険性)に目を向けている点は、コメニウスの人間観・教育観を受け継いだものだと言えるでしょう。その教育によって、理性的な人間(自らの欲望を抑えて、正しいことを判断して行動できる存在)へと育てることが紳士の教育だと主張したのです。

 さらに、そのような人間を育てる上で教師自身が理性的な存在でなければならないと主張しています。

「家庭教師が自分の感情を放任しておいて、感情の抑制を語ることは、まったく無駄であるし、また自分自身には容認しておいて、どんなに悪癖、不作法をも、自分の生徒に改めさせようと努力しても無駄です。悪い手本はかならず、良い規則よりもっとよく従われるものです。」(同上書、p.123)


 つまり、教師が感情的であれば、いかに感情の抑制を子どもに語ったところで無駄だということです。そういう悪い手本は必ず真似されてしまうということです。これは逆に言うと、教師自身が理性的であるからこそ、それをモデルとして、子どもは自分の感情をコントロールするようになるのだということでもあります。
 もう少し言えば、教師自身が子どもの理性となって、子どもをコントロールするようにしなければならないのだということが言えるでしょう。まだまだ理性が育っていない子どもに代わって、教師が理性の役割を果たさなければならないということです。これは、教師の言うことを子どもがしっかり聞くように関係を創らなければならないということでもあります。そのためには、教師の愛情を子どもに感じさせなければならないと主張しています。それができれば子どもは教師を信頼するけれども、逆に教師からの評判を失ったと感じれば、一切教師の言うことを聞かなくなるというのです。

 一方、貧民に関しては、能力的に働けない者や、働けるけれども働く場所がない者、働けるのに怠けて働かない者がいることを踏まえて、働けない者は養老院などに入れて生活の面倒をみる一方、働けるものには働く場所を与えたり、技術の訓練をしたりして働かせることを提案しています。そうすれば、救貧のための負担が軽くなるだけでなく、貧民を働かせることによって国が豊かになるから一石二鳥だと考えられたのです。また、貧民の子どもについても、労働学校に入れて教育すれば、自分の生活費と教育費ぐらいは自分でかせぐことができるようになると主張しています。

 このように見てみると、紳士に対する教育と貧民に対する教育は明らかに性質が異なっており、人間は平等だというコメニウスの人間観から後退したようにも感じられます。しかし、当時の社会では、経済的な格差が明確に存在しており、それぞれがどのような人生を過ごしていくかが明確に異なっていたのでした。そのような社会において、すべての人間に教育を与えなければならないというコメニウスが掲げた理念を現実化した場合には、このような形をとらざるを得なかったのだと言えるでしょう。しかし、その前提として貧民も教育によって成長していくのであり、貧民に教育を与えることが社会の維持・発展につながるのだという人間観・教育観・社会観が存在していることを見逃すわけにはいきません。つまり、コメニウスの掲げたいわば理念としての人間観・教育観を国家の統治者として現実化を試みた点にロックの意義があるのです。
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2016年12月12日

近代教育学の成立過程を概観する(4/13)

(4)コメニウスはどんな人間も教育によって成長する可能性があると説いた

 前回は、コメニウス以前の中世ヨーロッパの社会はどのようなものであったのか、またどのような人間観があったのかを見てきました。端的には階層的な身分秩序とカトリック教会のイデオロギーに基づいて、人間は階級によって異なる存在だと考えられており、それぞれの階級に従った生き方をするべきだと考えられていたのでしたが、カトリック教会の権威が失われる中で、人間は神のもとに平等であり、一人ひとりが聖書の内容を理解して、自分の確信に従って生きていくべきだと考えられるようになったということでした。

 こうした人間観をコメニウスはどのように受け継いだのでしょうか。今回はこの点について見ていきたいと思います。まずコメニウスが生きた社会がどのようなものだったのかを確認してみましょう。

 前回、ルターが宗教改革を行ったことを紹介しましたが、ルター派(新教)が徐々に勢力を伸ばしていくと、カトリック(旧教)との争いがいよいよ激しくなっていきました。この対立の中心地だったのが、コメニウスが生まれたボヘミア(チェコ・スロヴァキア)だったのです。ここは、プロテスタント運動の先駆者であるフスの出生地であり、フスの流れをひく新教徒の教団「ボヘミア同胞教団」が成立していました。しかし、この地を支配したハプスブルグ家は旧教の立場に立っており、両者の対立が生じており、それがやがて三十年戦争へとつながっていったのです。コメニウスが生きた時代・社会はそのようなものだったのです。

 コメニウスはボヘミア同胞教団の信徒の家に生まれ、大学でラトケやヴィーヴェスについて学んだ後、ボヘミア同胞教団所属の学校教師として働き、また結婚もして平和な生活を送っていました。しかし、三十年戦争が起こると、仕事を追われ、逃避生活に入るようになります。その中で妻を失い、さらにボヘミア同胞教団は禁止され、コメニウスを含めた教団員は祖国を追われることとなりました。こうした絶望の日々を送る中で、コメニウスは、祖国の回復と平和な世界の実現を強烈な問題意識として抱くようになり、その手段として教育の改善が必要だと考え、有名な『大教授学』を執筆したのです。コメニウスはその冒頭において、次のように書いています。

「この我々の教授学の目指す全目的は(中略)キリスト教社会が在来のように暗黒、混乱、軋轢の場所とならずして、それによって却ってより多くの光明と秩序と平和と休息とを得るような教授法を探求し発見することに存している。」(コメニウス、稲富栄次郎訳『大教授学』明治図書、1956年、p.14)


 つまり、現在のように混乱したキリスト教社会ではなく、平和なキリスト教社会を築くことを目的としているということです。そのための教授法を探求した結果をこの『大教授学』で書いているということです。
 では、そこでは具体的にどのようなことを説いているのでしょうか。人間観という観点から注目すべきは、以下の文章です。

「神は一視同仁で、個人個人に対して何等の依怙贔屓もしないことを表明している。それ故に若しも我々が、或人間には精神の教育を施し、他の人間にはこれを許さないということになれば、我々は生来我々自身と同じ素質を持った人間に対して侮辱を加えることになるばかりでなく、神そのものをも冒涜することになるのである。」(同上書、p.92)


 つまり、神は個人個人に対して平等であるから、我々もある人間に対しては教育を行い、ある人間に対しては教育を行わないということは人間に対する侮蔑であり、神の冒涜だというのです。中世ヨーロッパでは、まともな教育を受けられるのは一部の特権階級だけであり、農奴などには教育が行われませんでした。そうした中で、人間は神のもとに平等であるというルターの人間観を引き継ぎ、それに基づいてすべての人間に教育を与えることを主張しているのです。さらに、その「すべての人間」というのは性別や素質の有無を問わず、さらには障害のある子どもも含めて、本当にすべての人間だと述べているのです。

「人の素質が、遅鈍であり、薄弱であればある程、このような生まれつきの動物的な愚鈍、愚昧から解放されるために、より多くの援助を必要とする。のみならず、およそ世に、教育によって之を改善することができない程、その智力の薄弱なるものはないのである。」(同上書、p.93)


 つまり、いかに素質がなかろうと教育すれば改善するのだというのです。ここには人間の可能性に対する信頼、教育の力に対する信頼があふれていると言えるでしょう。このような人間観・教育観をコメニウスは抱いていたのです。

 国民全員を対象とした公教育は近代において始まりましたが、公教育が始まる前提として「どんな人間でも教育を与えれば成長する」という人間観・教育観がなければなりません。こうした近代的な人間観・教育観がここで芽生えたのだと言えるでしょう。

 このような人間観・教育観に基づけば、子どもが成長しないのは教師の働きかけが悪いからだということになります。では、どのように働きかければよいのかということについての原則が、この『大教授学』では述べられています。例えば、「自然はその働きを営むに当り、決して混乱することなく、その前進に当っては、或一点から次の一点へと、整然と進行を続ける」「自然はその統べての形成を普遍的なるものから初めて、特殊的なるものにおいて終る」「自然は材料を入念に選択して(すべての不潔なものや非本質的なものを)除去することから出発する」「自然は容易なることから困難なることへと進歩する」などが挙げられています。普遍的なものから特殊へと進むことや、簡単なことから難しいことへと進むことなど、現在でも生かされているような原則が掲げられており、ここでもコメニウスの偉大さが感じられます。

 ただ、ここで押さえておきたいことは、これらの具体的な原理・原則そのものではなく、その原理・原則をコメニウスがどのように導き出してきているのかということです。例えば、コメニウスは「一度に複数のことを教えるのではなく、1つ1つ順番に教えていった方がいい」ということを主張しているのですが、「大工が家を建てるときにはまずは基礎工事してから壁を作るのであって、両者を同時にしたりしない」「画家は1つの絵を描き上げてから別の絵を描くのであって、複数の絵を同時に描いたりしない」など、教育以外の分野の例を挙げて、それは教育においても当てはまるのだとして、自分の主張を納得させようとしています。これはほとんどの原則がこのような説き方になっており、『大教授学』の特徴だと言えます。これは非常に素朴ながらも、事実に基づいて考えるという科学的なあり方にほかなりません。もう少し言えば、権威にすがるのではなく、自らのアタマを使って考えるということであり、これこそまさにルターが主張した生き方だと言えるでしょう。

 このようにコメニウスはルター派の牧師として、人間は神のもとに平等であるという人間観を受け継ぎ、いかなる人間であっても教育によって成長するという人間観・教育観を打ちだし、また、権威に従うのではなく自分のアタマで考えるという生き方を体現したのです。
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 ・2010年5月例会の報告
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 ・教育学構築につながる教育実践とは
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 ・2011年3月例会報告:南郷継正『武道哲学講義V』読書会
 ・新人教師に説く「子ども同士のトラブルにどう対応するか」
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 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論4不破哲三氏のエンゲルス批判について
 ・2011年11月例会報告:悠季真理「古代ギリシャの学問とは何か」読書会
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 ・バッハ「マタイ受難曲」の構造を解く
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 ・『弁証法はどういう科学か』の要約をどのように行っているか
 ・一会員による『綜合看護』2012年1号の感想
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 ・2012年3月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第1章〜第4章
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 ・科学者列伝:西欧中世編
 ・アダム・スミス『道徳感情論』を読む
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 ・一会員による『新・頭脳の科学(下巻)』の感想
 ・消費税増税実施の是非を問う
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 ・科学者列伝:18世紀の科学編
 ・一会員による『綜合看護』2012年3号の感想
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 ・国家の生成発展の過程を問う――滝村隆一『マルクス主義国家論』から学ぶ
 ・三浦つとむの言語過程説から言語の本質を問う
 ・2012年10月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
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 ・古代から17世紀までの科学の歴史――シュテーリヒ『西洋科学史』要約で概観する
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 ・2012年12月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章後半
 ・科学者列伝:19世紀の精神科学編
 ・年頭言:混迷の時代が求める学問の確立をめざして
 ・科学はどのように発展してきたのか
 ・一会員による『学城』第9号の感想
 ・一会員による『綜合看護』2012年4号の感想
 ・2013年1月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』を読む前提としての世界歴史の全体像
 ・歴史観の歴史を問う
 ・2013年2月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』をどのように読んでいくべきか
 ・『三浦つとむ意志論集』を読む
 ・言語学の構築に向けてどのように研究を進めるのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年1号の感想
 ・改訂版・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・2013年3月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(前半)を読む
 ・3年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・2013年4月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(後半)を読む
 ・新自由主義における「自由」を問う
 ・2013年5月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第一部 東洋の世界(前半)を読む
 ・三浦つとむ「マルクス・レーニン主義に関する本質的な質問」から学ぶ
 ・言語は歴史的にどのように創出されたのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年2号の感想
 ・ヒュームの提起した問題にカント、スミスはどのように答えたか
 ・2013年6月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』東洋の世界(後半)を読む
 ・一会員による2013年上半期の振り返り
 ・認知療法における問いの意義を問う
 ・カント歴史哲学へのアダム・スミスの影響を考える
 ・2013年7月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』ギリシアの世界を読む
 ・2013年8月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第三部 ローマの世界を読む
 ・アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年3号の感想
 ・初任者に説く学級経営の基本
 ・カウンセリング上達過程における事例検討の意義
 ・文法家列伝:古代ギリシャ編
 ・ヒューム『政治論集』抄訳
 ・2013年9月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第四部 ゲルマンの世界を読む
 ・言語過程説から言語学史を問う
 ・2013年10月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』「第4部 ゲルマンの世界」第2篇を読む
 ・戦後日本の学力論の流れを概観する
 ・一会員による『育児の生理学』の感想
 ・文法家列伝:古代ローマ・中世編
 ・2013年11月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第4部 ゲルマンの世界 第3篇を読む
 ・古代ギリシャ経済の歴史を概観する
 ・2013年12月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』のまとめ
 ・ヘルバルト教育学の全体像を概観する
 ・年頭言:歴史を切り拓く学問の創出を目指して
 ・歴史的な岐路に立つ世界と日本を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年4号の感想
 ・一会員による2013年の振り返りと2014年の展望
 ・ヘーゲル『歴史哲学』を読む
 ・2014年1月例会報告:学問(哲学)の歴史の全体像について
 ・一会員による『学城』第10号の感想
 ・世界歴史の流れを概観する
 ・現代の言語道具説批判――言語規範とは何か
 ・2014年2月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章
 ・ヘルバルト『一般教育学』を読む
 ・新大学生へ説く「大学で何をどのように学んでいくべきか」
 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』学習会を振り返る
 ・『育児の認識学』は三浦認識論をいかに発展させたか――一会員による『育児の認識学』の感想
 ・2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章
 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
 ・文法家列伝:『ポール・ロワイヤル文法』編
 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
 ・道徳教育の観点から見る古代ギリシャの教育と教育思想
 ・古代ギリシャの経済思想を問う
 ・半年間の育児を振り返る
 ・2014年6月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章
 ・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
 ・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
 ・アダム・スミス「天文学史」を読む
 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
 ・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
 ・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
 ・夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて