2016年11月26日

2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語(4/10)

(4)ヘーゲル『哲学史』シェリング 同一性の哲学 要約

 前回は,シェリングの哲学の自然哲学と先験哲学について論じられている部分の要約を紹介しました。シェリングは主観と客観の同一性ということを指摘し,それを2つの側面から示すものとして先験哲学と自然哲学を打ち立てたのですが,結局,主観と客観の同一性は同一性を証明することができておらず,知的直観によって把握できると説くのみであったということでした。

 今回は,シェリングの哲学のうち,同一性の哲学について論じられている部分の要約を紹介します。

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 シェリングは主観的なものと客観的なものの同一たる絶対者の理念をもって始めたが,やがてこの理念を証明しようという要求が現われてきた。それは『思弁物理学雑誌』『新思弁的物理学雑誌』において試みられた。しかし,シェリングの証明は極度に形式的に進められており,したがってそれは証明されるべきものをいつも前提していることになる。
 『思弁物理学雑誌』でシェリングは,主観的なものと客観的なものとの絶対的同一から出発することで,スピノザ的実体,単一の絶対者を再び呼び覚ました。ここで彼はスピノザと同様,幾何学的方法を用いた(まず公理,次いで証明を行う諸命題,さらに系等々)が,この方法は哲学に対して何ら真実な適用性をもたない。シェリングは,この場合ある種の区別の形式を前提し,これをポテンツ(力,可能性)と呼んだ。これに次ぐシェリングの主要形式は,カントによって再び記憶に呼び覚まされた三元の形式,第一,第二,第三のポテンツである。
 フィヒテが自我即自我をもって始めるように,シェリングは「理性は主観と客観との絶対的無差別である」という絶対者の命題もしくは定義として表現された絶対的直観をもって始める。一と多の対立も,一切の対立と同様,そのなかでは消滅してしまう。次いでシェリングは,主観が反省につきまとわれてはならないことを要望する。それは悟性規定であり,それは感性的知覚と同様,感性的事物の相互分離を含む。
 こうして対立が形式や本質の上から絶対者に現れはする。しかし,それは単に相対的な,または非本質的な対立として規定される。主観と客観との質的相違は考えられないから,量的相違のみがありうる。この量的相違は顕勢的形式(一切の有限性の根拠)だとシェリングはいう。各一定のポテンツの段階は主観的なものと客観的なものとの一定の量的相違を示す。個々の存在は主権性と客観性との量的相違によって措定される。しかし,これは不十分である。量的相違は真実の区別ではなく,全く外的な関係であり,主観的なものと客観的なものとの優勢もまた決して思想規定ではなく,単に感性的な規定にすぎないのである。
 〔第一のポテンツ〕 絶対者の最初の量的相違または最初の相対的総体が物質だという点にある。第一次元:最初の前提たる相対的総体性(A=B)によって相対的同一性がある。第二次元:相対的な同一性を前提とする相対的な二重性。相対的な同一性と二重性とは,相対的総体性のなかに潜勢的に含まれている。第三の次元:相対立する二者の解消。AとBとの実在性の直接的な根拠となる絶対的同一性は重力である。それぞれ優勢を占めるAまたはBは,前者が牽引力,後者が膨張力である。牽引力と膨張力の量的措定は無限に進み,その平衡は全体においては存在するが,個々のものにおいては存在しない。
 〔第二のポテンツ〕 この同一性自身が存在するものとして措定される光。同じ同一性が,発現する両極性の形式下におかれると凝集力となる。凝集力は,自体性または自我性の物質内における印象であり,それによって物質はまず特殊的なものとして普遍的同一性から出て,形式の領域に自己を高める。惑星や金属その他の物質は,動的凝集力の形式において,一方では収縮力が他方では膨張力がそれぞれ優勢となる特殊な凝集関係を現わす一系列を形成する。
 〔第三のポテンツ〕 全ポテンツの相対的総体が措定されること(光と重力の結合たる全生産物)で重力は絶対的同一の単なるあり方の形式に引き下げられる。これが有機体である。
 シェリングは,全宇宙の構成を与えようとして,あまりにも多くの詳細な点にまでわたって自説を述べたが,その叙述を完成するには至らず,前提した図式によって外的に構成するという形式主義を混ぜた。シェリングは,我々の認識が自然をそのように考察する,というカント的な言葉を,自然はそのように形づくられている,というふうに変える。彼は自然のなかに精神を摘出するというカントの手掛けた仕事を,とりわけ観念的なもののなかに成立すると同一の図式・同一のリズムを対象的事物のなかにも認識するというような自然考察に再び着手したのであった。自然は総じて精神を対象的なあり方に投射したものであるという点から叙述されるのである。

 シェリングは,その形式の未完成と弁証法を欠くためにどれにも満足できず様々な形式のなかを彷徨したため,『新思弁的物理学雑誌』が提供する「私の哲学体系の再述」においては別の形式を選んだ。主観性と客観性との平衡の代わりに,本質と形式,普遍的なものと特殊的なもの,有限なものと無限なもの,積極的なものと消極的なものの同一を語り,絶対的無差別をこの形式あるいは他の形式のなかに規定する。差別は単に観念的な対立にすぎず,それらは絶対者においては端的に一である。形式としてのこの統一は知的直観であり,それは思惟と存在とを絶対的に等しいものとおき,また絶対者を形式的に表現することによって,同時にその本質の表現ともなるのである。一切と各個との真実の絶対性は,それがそれ自身普遍的なものと特殊的なものとして認識されることにあるのではなく,普遍的なものがそういう規定性にありながら,それ自身普遍的なものと特殊的なものとの統一として(同じように特殊的なものも両者の統一として)認識されるという点に成立するのである。特殊的なものの規定性はただそれの観念的契機にすぎず,むしろそれが絶対者のなかにあることこそその真実態である。これら3つの契機,すなわち,本質(無限なもの)を形式(有限なもの)へ造り入れることと形式を本質へ造り入れること――これら2つは相対的統一である――および第三者たる絶対的統一は,各個物のなかで再び繰り返される。したがって,本質を形式へとまた普遍的なものを特殊的なものへと造り入れたものとしての実在的側面を現わす自然は,それ自身再びこの3つの統一を備え,観念的側面もまた同様である。こうして各ポテンツはそれだけで再び絶対的となる。すなわち全体の三重構造を各個においても同様に反復し,それによって一切の事物の同一を示すとともに,これらの事物が全ての同一の統一を表現するようにこれらの事物をその絶対的本質において考察すること,これが宇宙の学的構成の一般的理念にほかならない。



 自然が精神および絶対者たる神に対してもつ関係を,シェリングは後期の叙述においてはじめて,次のように示した。すなわち,彼は神の本質を――無限の直観としての神がさらに自己自身を根拠とするかぎり――自然として規定し,叡智や思惟はただ存在と対置されることによってのみあるがゆえに,この自然を神における否定的要素であるとしたのである。
 シェリングの体系は,我々が考察しなければならない哲学のもつ最後の興味ある真実の形態である。第一にシェリングにあっては,彼が真実体を具体的なものとして,主観的なものと客観的なものとの統一として捉えたというその理念自身が挙げられねばならない。シェリング哲学の主要な点は,深い思弁的内容を問題にしていることである。それは,哲学の全歴史の上で問題にとなってきた内容である。自由に独立に存在するが,抽象的でなく自己内で具体的である思惟は,自らを自らのなかで叡智的現実的世界として捉える。これが自然の真理であり,自然自体である。シェリングの第二に偉大な点は,自然のなかで精神の諸形式を指摘したことである。電気,磁気等々は,彼にとっては理念の外的なあり方にすぎない。欠点となるところは,この理念一般,ならびにそれが観念界と自然界とに区別される点や,さらにはこれらの諸規定の総体が概念によってそれ自身のなかに必然的として示され発展させられていないことである。シェリングはこの面を把握しなかったので,思惟を見失ってしまった。こうして芸術品こそ理念が精神にたいしてある唯一最高のあり方となった。しかし,理念の最高のあり方はむしろ理念自身の境位にあり,思惟や概念的に把握された理念こそ芸術品より一層高次なものなのである。理念は真理であり,一切の真実体は理念である。そして理念を世界へ組織することが必然的な開示であり啓示であるとして証明されねばならない。これに反して,シェリングにあっては,形式はむしろ外的な図式となり,方法はこの図式の外的対象への依存となる。この外的に整えられた図式こそ弁証法的信仰の代わりに現われるものであり,それによって自然哲学は特に不信をかったのである。

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 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言