2016年11月24日

2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語(2/10)

(2)ヘーゲル『哲学史』フィヒテ 要約

 前回は,京都弁証法認識論研究会の11月例会において,報告担当者から提示されたレジュメ,およびそれに対して他メンバーからなされたコメントを紹介しました。今回から4回にわたって,ヘーゲル『哲学史』の要約を紹介していくことにします。

 今回は,フィヒテの哲学について論じられている部分の要約です。ここでは,フィヒテが自我を原理としてカントの哲学を完成させたのだということが説かれています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

C フィヒテ

 フィヒテの哲学はカント哲学の完成であり,その首尾一貫した展開である。これらの哲学とシェリングのそれ以外に,何ら哲学と称するに足るべきものはない。
 フィヒテの哲学と称されるものについては,厳密に終始一貫して進行しながらもあまり知られていない本格的な思弁哲学と,公衆向けに行われたベルリンでの講義(『至福の生活について』など)のような通俗哲学とを区別しなければならない。哲学史において取り扱われるものにあっては,内容そのものが思弁的に発展させねばならないが,それはただ彼の初期の哲学的書目においてのみそうなのである。

1,本来のフィヒテ哲学

 フィヒテこそ,カント哲学の欠陥,すなわち全体系に思弁的統一を欠く原因となった没思想的な不整合を止揚した当の人にほかならなかった。フィヒテの心を捉えた絶対的形式こそ絶対的対自存在,絶対的否定性であり,個別性の概念,現実性の概念である。フィヒテは自我を絶対的原理として掲げ,宇宙の全内容をこの自我(自己自身の直接的確実性)からの所産として叙述しようとした。それゆえ,フィヒテに従えば,理性は自己自身内において概念と現実の総合であるのだが,彼はこの原理を再び一面的に振り分けてしまった。すなわち,徹頭徹尾主観的で,対立につきまとわれており,この原理の実現は有限性のままの進行であり,先行するものへの回顧である。さらにまた叙述の形式には常に経験的自我を目にしているという不都合,不手際があり,それが内容にそぐわず,観点を狂わすのである。
 自我とは自己自身において相対立するものを自ら差別することである。自我が自己を思惟の単純性から区別し,またこの他者を区別する手段も,同様自我にとって直接的であり,自我と等しいかまたは区別されない。かくて自我は純粋思惟,あるいはカントがすでに名付けたように真のアプリオリな総合判断である。この原理は概念的に把握された現実である。なぜなら他在を自己意識のうちに取り戻すことこそ概念的把握にほかならないからである。この側面からすれば,概念の概念は,概念的に把握されるもののなかにおいて自己意識が自己自身の確実性をもつということによって見出される。この絶対的概念,あるいは即自且対自的に存在する無限性こそは,学において発展させられ,その差別が宇宙の一切の差別として自己から顕現する当のものであり,宇宙は依然としてその差別のなかにおいて同様の絶対性のまま,自己のうちに反省するものでなければならないのである。
 フィヒテはこうした概念のみを掲げたのであって,この概念を自己自身からする学の実現へともっていくことはできなかった。フィヒテにおいては,この概念が概念として固定され,ただそれが実現されない概念として実在に対立する限りで絶対性をもっていたからである。フィヒテ哲学は,およそ哲学は一切の規定が唯一最高の原則からして必然的に演繹される学でなければならないということを確立した点で,大きな長所をもっている。彼は学の規定を自我から構成する仕事を遂行しようとしたことで一歩前進したのであった。
 カントが認識を樹立したように,フィヒテは知を樹立する。フィヒテは哲学が知の理説であるというように哲学の課題を言い表す。哲学的認識の目的は意識の本性としての知を知ることである。それゆえ,フィヒテはかれの哲学を智識学と名づけたのである。

a〔自我と非我〕
 彼が出発点としたのは,カントに存在した自己意識の先験的統一である。知の単純な根底となるのは私自身の確実性である。フィヒテはデカルトの「我思う,ゆえに我あり」を想起するが,自我はフィヒテによれば,範疇や理念の源泉であり,しかも一切の表象や思想は思惟によって総合された多様だからである。デカルトにあっては自我に次いでは,我々がただ我々のなかにのみ見出すその他の思想,すなわち神や自然等々のものが現われて来るが,フィヒテにあっては何ら経験的なものを外部から取り入れることなく,全く一丸となった哲学が企てられる。
 フィヒテは自我を学の全体が導出されるべき3つの根本命題に分析する。
 α 第一の原則はA=A(自我=自我)である。これは抽象的な無規定的な同一性であって,自我の自己確実性が何らの対象性も有せず,区別される内容の形式をもっていない。
 β 第二の原則は「自我は自我に対して非我を対置する」。非我は対象一般であり,自我の否定者であるから,非我というのは筋の通った表現である。
 γ 第三の原則は,「自我も非我も,ともに自我によって,自我のうちに,相互に制限し合うものとして,すなわち,一方の実在性が他方の実在性を止揚するものとして,措定される」。自我が非我によって制限されれば理論理性・叡智の定立であり,非我が自我によって制限されれば実践理性・意志の定立である。

b〔理論理性〕
 自我は自己を非我によって制限されたものとして措定するが,しかし私はこの制限を私の制限作用とする。したがって,それは私のなかにあり,自我のこの受動性はそれ自身自我の活動である。事実こうして対象において自我に対して現われる実在性は全て自我の規定にほかならない。ここで,他在が絶対的自己意識に立ち戻ることが期待されるが,他在が無制約的に,すなわち自体的にみられることで,この還帰は成立しない。自我が他者を規定するにしても,この統一は有限的であり,自己意識と他者の意識との交代の絶えざる進行にすぎない。

c〔実践理性〕
 自我は非我を規定するものとして自らを措定する。今や自我はそれを越える彼岸を規定することで自己自身のもとにあるというふうにして,対立は解消されることになる。こうして自我は無限の活動となり,自我即自我として絶対的自我となる。しかし,それは抽象的なものでしかない。有限な精神は必然的に絶対的なものを自己の外に措定しなければならない(物自体),しかもそれがただ有限な精神にとってのみある(必然的本体である)ことを認めなければならない。自我は絶対的概念であるが,まだ思惟の統一には到達せず,非我を概念的に把握していない。

〔フィヒテ哲学の欠陥〕
 フィヒテ哲学の欠陥の第一は,普遍的な絶対的な自己意識に対立して,個別的な現実的な自己意識の意味を離されていないことである。
 第二に,主観と客観あるいは自我と非我との完成した実在的統一としての理性の理念に到達していない。統一はカントにおけるのと同様,信仰のなかに合一を求める思想として立てられているにすぎず,フィヒテもまた信仰をもって終わるのである。
 第三に,自我が一方に固定されているがゆえに,この極限たる自我から学の内容の一切の進行が出発する。そしてフィヒテ哲学の演繹,すなわち認識なるものはその内容上からも形式上からも,ある規定性から他の規定性に進むだけで決して統一に帰着することがない。絶対者を内に含まない有限性の系列を通じての進行にほかならないのである。そこには絶対的考察も絶対的内容もともに欠けている。

2,改造されたフィヒテの体系〔略〕

3,フィヒテ哲学と関連する主要形式〔略〕

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 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言