2016年11月22日

アダム・スミス『国富論』を読む(13/13)

(13)国民の富の持続的再生産という観点が必須である

 前回は、本稿で紹介してきた『国富論』の内容について、簡単に振り返ってみました。その内容を、スミスの哲学体系の全体に位置づけ、法学体系の一部を構成するものであるであることを意識しつつ、より端的にまとめなおしてみましょう(以下は、本ブログ掲載の「アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う」を下敷きにしたものです)。

 第1篇では、共感(想像上の立場の交換)の原理とつながる交換性向論を基礎に、お互いの所有物を自由に交換しあうことを可能にするような条件――所有権という具体的形態をとった正義――が確立された商業社会において、分業の発展によって国民の富が増大していくことが説かれていました。第2篇では、どの産業部門への資本投下がどの程度まで富の増大に寄与するのか検討された結果、国民の富の増大に最も寄与するのは農業であり、次いで国内製造業、国内商業、外国貿易と続くことが示唆されていました。ここで大きな役割を果すのが、慎慮の徳――『道徳感情論』において、自分の将来の幸福のために現在の欲求を抑える徳として説かれた徳――です。資本所有者が慎慮の徳を備えていれば、それぞれの部門において予想される利潤が極端に異ならない限り、投資の安全性や確実性を考慮して、外国貿易より国内商業、国内商業より製造業、製造業より農業に、自分の資本を投下するはずです。その結果、国民の富を最大化するような形で社会的総資本の配分が達成されていくのです。このように、『道徳感情論』をふまえた法学体系の一部として『国富論』を捉えた場合、第1篇においては正義の徳が、第2篇においては慎慮の徳が、大きな役割を果たしていると指摘できます。お互いの財産(所有物)を不当に侵害しないという正義の枠組みのなかで、個々の経済主体(資本所有者)が慎慮の徳にしたがって行動するならば、おのずから国民の富は増大していく――これが、『国富論』の第1篇および第2篇の主張です。

 しかし、スミスが眼にしていた現実の社会のあり方は、そのような理想(理論的に描かれた商品交換社会)とは少なからず距離がありました。現実の社会のあり方を批判的に分析することで、理想的な状態の実現を阻んでいる諸要因を摘出したのが、第3篇と第4篇です。第3篇では、西ローマ帝国の崩壊以来のヨーロッパ経済史が批判的に検討され、農業→製造業→国内商業→外国貿易という産業の自然な発展の順序が(国家権力の恣意的な介入によって)往々にして逆転させられてしまっていたたことが論じられます。第4篇では、このような国家権力による恣意的な介入の根拠となった重商主義が厳しく批判されます。そして結論として、特定産業を優遇したり抑制したりする一切の制度を完全に廃止することで、明瞭で簡潔な「自然的自由の体系(system of natural liberty)」を実現させるべきことを主張するのです。

 しかし、スミスは、「自然的自由の体系」が実現された社会において政府は無用となる、と考えていたわけではありません。第5篇において、政府のなすべき仕事について(経費論)、政府の仕事に必要な財源の調達について(租税論・公債論)、市場の自然で自由な動きとの関連を意識した財政論として議論されていくのです。ここでスミスが、政府のやるべき仕事としてあげているのは、国防、司法、公共事業の3つです。このうち、国防は国家の存立そのものに関わるものとして富裕に先だって重要なものであるとされ、司法は正義の制度的枠組みを守るものとしてその重要性が強調されています。また、政府がやらなければならない公共事業として教育が論じられ、文明社会の二面性――商業社会が生活習慣を洗練していくという積極面と、分業の発展が労働者階級の視野を狭くし知的能力を失わせていくという消極面――を視野に入れつつ、国民の徳を陶冶していくための基礎的な教育の重要性が強調されていくのです。

 以上、法学体系の一部としての『国富論』という観点から、その構成を概観してみました。端的には、第1篇と第2篇が自然的自由の体系の基礎となる市場(経済社会)についての論をなし、第5篇が自然的自由の体系を上から統括する政府についての論をなす一方、第3篇が現実の経済社会のあり方についての批判、第4篇が現実の経済社会のあり方を規定した政府の政策およびそれに影響を与えた重商主義への批判をなす、とまとめることができます。

『国富論』全体像.jpg

 こうした『国富論』の内容に関わって、前回、決定的に重要なこととして確認したのは、スミスが実現を目指していたのは、全ての国民(その大きな部分を占めるのが下層の労働者)がそこそこの物質的な豊かさを保障され、人間らしく生きていくことのできる社会状態にほかならなかった、ということでした。スミスのいわゆる「見えざる手」は、国民が消費する生活必需品と便益品の生産量(社会の全収入)を最大にするような資本と労働の配分を実現してくれるからこそ尊重されるのであって、市場における自由な競争それ自体が自己目的化されていたわけではありません。スミスが「見えざる手」を主張したのは、ハッキリいえば、経済的な強者(特権的な大商人や製造業者)の利害によって経済の自然なあり方が歪められてしまったために、経済的な弱者(下層労働者など)が痛めつけられている、という現状を打開しようとしたからにほかならないのです。ここでいう経済の自然なあり方とは、国民が年々に消費する生活必需品と便益品が、きちんと持続的に再生産されていけるように、資本と労働が適切に配分されていく状態のことです。スミスが「見えざる手」に任せるべきことを主張したのは、強者の利益のために歪められてしまった経済の自然なあり方を回復することこそが、下層労働者を含む国民全ての利益になると信じたからにほかならないのです。こうしたスミスの信念の根底には、「宇宙は一般法則に支配され、それ自身およびそのなかにいる全ての種の保存と繁栄という一般的な目的を目指して運動するまとまった体系である」(「古代の自然学の歴史」)という把握がありました。この世界(宇宙)全体は、本来的に調和的なものとして存在しているのであって、人為的にその動きをかき乱さなければ、おのずから望ましい状態が実現されていくはずだ、という信念があったのです。こうした文脈から切り離して、「見えざる手」という言葉をもっぱら市場の自動調節機能を賛美するものとして流布するのは、スミスの真意を曲解するものといわなければなりません。

 本稿の第1回では、アダム・スミスという名前、あるいは「見えざる手」という言葉を持ち出しながらの「アベノミクス」批判が行われていることをみました。しかし、本稿を読んでこられた読者の皆さんなら、わざわざアダム・スミスという名前を出して「アベノミクス」を批判するのに、単に「統制経済だ!」「社会主義的な経済政策だ!」「市場原理に反する!」というレベルにとどまってしまうのであれば、それはあまりに浅薄である、と感じられるのではないでしょうか。せっかくアダム・スミスという名前を持ち出すのであれば、最低でも、経済的な強者の利益のために経済の自然なあり方が歪められてしまっていないか、そのために経済的弱者が痛めつけられるような結果になっていないか、という問いかけをもつべきでしょう。そのような問題意識から「アベノミクス」を批判的に検討してみるならば、外国貿易で儲けようという一握りの巨大企業の利益ばかりが優先されているのではないか(円安誘導策、TPPなど)、国民が消費する必需品や便益品を持続的に再生産できるような資本と労働の配分ということとは無関係に、ともかくお金(カネ)の量を増やせば何とかなるという考え方にとりつかれてしまっているのではないか(異次元金融緩和)、といった疑惑が浮かんでこざるを得ません。要するに、「アベノミクス」は決して「社会主義的な経済政策」などではなく、スミスが厳しい批判の対象とした重商主義そのものなのではないか、ということにもなってくるのです。

 『国富論』を踏まえた「アベノミクス」批判という問題を、もう少し突っ込んで考えてみましょう。

 「アベノミクス」の最優先課題はデフレ脱却であるとされますが、そのためには何よりも賃上げ(個人消費の回復による需要の伸び)が必要ではないか、ということは広く指摘されています。安倍首相自身、経済界に対して繰り返し賃上げを要求してきました。しかし、賃上げが必要であるにしても、それが“官製賃上げ”と揶揄されるような形で実現されるのは、果たして社会にとって健全なことなのでしょうか。ここで想起すべきなのは、スミスが重農主義批判(第4篇、第9章)において、全ての人が自分の生活をよくしようと努力し続ける自然な動きこそ社会の健全性を維持する原理である、と述べていたことです(本稿の連載第8回を参照)。「見えざる手」は、自分の生活を少しでもよくしようという各個人の努力を媒介として機能するものだとされていたわけです。これを敷衍するならば、賃上げというものは、労働者が自分たちの力によって闘い取るという形で実現しなければ社会は健全なものにはならない、と指摘することができます。「安倍首相が企業に強く要請してくれたから賃上げが実現した。感謝しなければ!」ということではダメなのです(ここには、独裁者への個人崇拝につながりかねない危険な要素が含まれています)。根本的な問題は、1980年代以降、世界的な規模で押し進められてきた新自由主義的な政策・イデオロギー攻撃によって、労働者階級の闘争力が著しく奪われてきたことです(デヴィッド・ハーヴェイ『新自由主義』〔2007年、作品社〕がこの問題を詳しく論じています)。そもそも、第二次世界大戦後の資本主義経済の高度成長は、労働者階級が自分たちの生活をよくしようとして賃上げと労働条件の改善を勝ち取ってきたからこそ実現したという側面があります。現在、世界的な規模で経済が停滞状況にあるのは、資本家階級がみずからの利益を確保しようとして無理矢理に労働者階級の闘争力を奪ってきたからだ、ということは否定できないのです。「アベノミクス」における“官製賃上げ”は、大資本家の私的な利益のために社会の健全性を維持する仕組み(ここでは労働者階級の闘争力)が破壊されてしまった結果にほかなりません。日本社会を健全なものにするためには、労働者みずからが自分の権利のために闘うという雰囲気を取り戻す必要がある――『国富論』を踏まえた「アベノミクス」批判としては、以上のようなこともいえるのです。

 もちろん、スミスが、資本と労働の配分を基本的に市場における自由競争に任せてしまおうとしたことについては、批判的に検討される余地があります。これは、利己的でありながら共感の能力をもつ人間どうしの関わり合いのなかで(各人の胸中に「公平な観察者」が創出されることを媒介にして)、おのずから望ましい秩序が形成されていくはずだというスミスの社会観、さらにいえば、「宇宙は一般法則に支配され、それ自身およびそのなかにいる全ての種の保存と繁栄という一般的な目的を目指して運動するまとまった体系である」というスミスの宇宙(世界)観の是非にまで踏み込んで検討されるべき問題だといえるでしょう。この問題についての踏み込んだ考察は今後の課題とすることを確認して、本稿は終えることにします。
 
(了)
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 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言