2016年11月21日

アダム・スミス『国富論』を読む(12/13)

(12)スミスは強者の利益のために経済が歪められることに反対した

 本稿は、“経済学の祖”と呼ばれるアダム・スミスの主著『国富論』を、彼の哲学体系の全体像を念頭に置きながら、概観していこうとするものでした。ここで、本稿で紹介してきた『国富論』の内容について、簡単に振り返っておきましょう。

 スミスは、「序論および本書の構想」において、国の富とは国民が日々の生活において消費するモノ(必需品+便益品)にほかならず、その源泉は国民自身の労働である、と宣言し、この国民の労働のあり方を研究対象として据えることを明らかにしていました。

 「第1篇 労働の生産力における改善の要因と、生産物が各階級に分配されていく際の自然な秩序について」においては、まず、人間の交換性向(これは共感の能力に関連するものであることが示唆されています)にもとづく分業こそ生産力発展の要因であるとことが力説され、分業の発展により商品交換が広く行われるようになったことで貨幣が成立したこと、商品の交換価値の真の尺度は労働であること、商品の価格(交換価値)は労働の賃金、資本の利潤、土地の地代によって構成され、国民の収入の源泉は結局この3つに還元されること、賃金、利潤、地代の自然水準を過不足なく払えるのが商品の自然価格であり、市場価格はこの自然価格を中心にして変動していることが明らかにされていました。次いでスミスは、商品の自然価格を構成する賃金、利潤、地代の自然水準そのものの変動について検討し、労働者の利害、資本家の利害、地主の利害が社会全体の利害とどう関係するかを考察していました。スミスによれば、労働者が得る賃金と地主が得る地代は、分業の発展による社会全体の富の増大と一致して増えていくのですが、資本家が得る利潤は、豊かな国(資本が過剰な国)では低く、貧しい国(資本が過小な国)では高く、急速に衰退している国(資本が急速に減少しつつある国)で最も高くなるので、資本家階級の利害は社会全体の利害と食い違うのだ、と指摘していました。

 「第2篇 資本の性質、蓄積、用途について」においては、資本の蓄積が分業の発展を規定することが確認され、生産的労働(商品という具体的な形で価値を残す労働。農業労働、手工業労働など)と不生産的労働(価値は生み出すもののそのまま消えてしまう労働。家事使用人、役者・音楽家、役人など)とが区別された上で、生産量を増やすためには収入を浪費せずに倹約して生産的労働者を雇用するための資本を蓄積していく必要のあることが論じられていました。スミスは、資本の用途として、農漁業・鉱山業、製造業、卸売業、小売業(国内取引、国内消費用物資の輸入、中継貿易)を挙げ、最も多くの生産的労働を維持する農業から出発して、国内産業の順調の発展の末に、国内の生産的労働を全て維持してもなお余るほどの資本が蓄積されてはじめて、中継貿易に資本が投下されるようになっていくのが自然な流れだ、と強調していました。

 「第3篇 国によって豊かさへの道筋が異なることについて」では、ローマ帝国崩壊後のヨーロッパの歴史において、豊かさへの自然な道筋がなぜ歪められてしまったのか、より具体的には、農業よりも中継貿易に資本を投下する方が有利だというような不自然な状況がなぜつくられてしまったのか、という問題が立てられ、社会の混乱状況において、領地の安全確保を最優先して土地の分割を禁じる仕組みがつくられたことによって土地の改良が阻まれてしまったこと、国王が封建領主との権力闘争のなかで、商人や職人などの都市住民を優遇する政策をとるようになったことなどが、指摘されていました。

 「第4篇 政治経済学の諸体系(systems)について」では、豊かさへの自然な道筋が歪められてしまった思想的・理論的な根拠として、主として重商主義の主張が批判的に検討されていました。スミスは、富とは金銀であり鉱山のない国は貿易黒字によって金銀を入手するしかない、という考え方が確立した結果、輸入をできる限り減らして輸出をできる限り増やすことが経済政策の大目標となったことを指摘していました。その上で、輸入規制として2つ(国内生産できる商品の輸入を規制すること、貿易赤字の相手国からの輸入を全商品にわたって規制すること)、輸出奨励として4つ(戻し税、輸出奨励金、通商条約、植民地建設)の手段を挙げ、それぞれについて、産業の年間生産物に如何なる影響を与えるか、という観点から検討していました。有名な「見えざる手」という言葉は、第一の輸入規制(国内生産できる商品の輸入の規制)を批判する文脈のなかで登場するものでした。本稿では、「見えざる手」は、国民が消費する生活必需品と便益品の生産量(社会の全収入)を最大にするような資本と労働の配分を実現してくれるからこそ尊重されるのであって、市場における自由な競争それ自体が自己目的化されていたわけではないことを強調しました。この第4篇におけるスミスの結論は、ある種の産業を特別に奨励したり抑制したりしようとして、資本と労働の自然な配分を歪めてしまうならば、年間生産物の真の価値は多かれ少なかれ減ってしまうことになる、というものでした。この第4篇の最後の部分で、スミスは、特定産業を優遇したり抑制したりする一切の制度が完全に廃止されたならば、明瞭で簡潔な「自然的自由の体系(system of natural liberty)」が実現する、としつつ、それでもなお政府には果たすべき役割が存在することを指摘していました。

 「第5篇 主権者あるいは公共社会(the Sovereign or Commonwealth)の収入について」では、「自然的自由の体系」においてなお政府が果すべき役割について、また、政府がそうした役割を果すために必要となる資金の調達のあり方について、論じられていました。スミスが、政府の義務としてあげていたのは、簡単には、国防、司法制度の確立、公共施設・機関の建設・維持の3つでした。本稿では、国家の外側からの攻撃に抗して「自然的自由の体系」の枠組みを守るためのものが国防であり、国家の内側からの攻撃に抗して「自然的自由の体系」の枠組みを守るためのものが司法制度であると整理して、国防と司法制度によって社会の中身がしっかりと守られていてこそ、分業と交換を通じた豊かさの実現が可能になるのだ、という国家観・社会観をスミスが抱いていたことを指摘しました。これに対して、政府の第三の義務たる公共土木事業および公共施設の建設・維持は、「自然的自由の体系」の中身に関わっていこうとするものである、と位置づけました。スミスは政府の果すべき義務について検討した結論として、国防費のように社会全体の利益のために支出される経費は、社会全体の負担によって、すなわち、全ての国民が各人の能力に応じて負担する形で賄うのが適切であること、司法の経費、道路などの建設・維持費、教育機関・宗教団体の経費など、社会の一部が直接に利益を受けることになる経費は、利益を受ける人が負担する形で賄う方が適切であることを確認していました(もっとも、後者の諸経費にも、社会全体の利益につながる面がある以上、社会全体の負担で賄おうとすることが必ずしも不適切ではないとも指摘されていました)。スミスは、社会全体の負担で国の経費を賄うための国民の収入への課税、国防費を中心に国の経費の膨張を賄うための富裕な商工業者からの借入について論じていました。税金については、公平、確実、便宜、最小徴税費の4つの原則が立てられた上で、どのような課税が望ましいのか検討されていました。そのなかで注目されるのは、負担能力の大きい人間がより大きな負担(収入に比例する以上の負担)を行うことは必ずしも不合理ではない、として、応能負担の原則が強く示唆されていたことでした。また、公債については、その起源から巨額の債務が累積するまでの過程が歴史的に辿られつつ、イギリスが抱える巨額の債務をまともに解消するためには、財政収入を増やすか財政支出を減らすしか方法はなく、そのためには、アメリカ植民地を合邦する(植民地住民に本土の国民と同等の政治的権利を与えつつ、同等の税負担を課す)かアメリカ植民地を独立させる(植民地防衛のための巨額の費用負担をなくす)しかない、と提言されていたのでした。

 以上、本稿で紹介してきた『国富論』の内容について、簡単に振り返ってみました。

 改めて確認しておきたいのは、スミスが決して硬直した自由放任主義者ではなかったことです。本稿の連載第5回では、銀行券(紙幣)の発行に関わって、スミスが、少数の個人による自由の行使によって社会全体が危険に晒されかねない場合、そうした自由は制限されなければならない、と断固として主張していたことをみました。また、本稿の連載第8回では、重農主義における自由放任主義(レッセ・フェール)に対するスミスの批判的コメントに触れて、スミスにおける「見えざる手」の主張が決して硬直したものでではなかったことを確認しました。今回の振り返りのなかでも触れたとおり、「見えざる手」は、国民が消費する生活必需品と便益品の生産量(社会の全収入)を最大にするような資本と労働の配分を実現してくれるからこそ尊重されるのであって、市場における自由な競争それ自体が自己目的化されていたわけではありません。『国富論』をまともに理解する上では、ここが決定的に重要です。スミスが目指していたのは、全ての国民(その大きな部分を占めるのが下層の労働者です)が、そこそこの物質的な豊かさを保障され、人間らしく生きることができる社会状態にほかなりません(スミスが、人間に本来備わっている知的能力を育てるための基礎教育は、たとえ国が何の利益を受けないにしてもやるべきだ、と主張していたことを想起して下さい)。『国富論』の全体を読み通してみれば、特権的な大商人や大製造業者の利益のために経済の自然なあり方が歪められて、下層の労働者が痛めつけられている状況に対して、スミスが激しい怒りを燃やしていたことがよく分かります。スミスが「見えざる手」に任せるべきことを主張したのは、強者の利益のために歪められてしまった経済の自然なあり方を回復することこそが、下層労働者を含む国民全ての利益になると信じたからにほかならないのです。
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 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言