2016年11月17日

アダム・スミス『国富論』を読む(8/13)

(8)国民と国をどのように豊かにするか――経済政策の考え方A

 前回は、まず「第4篇 政治経済学の諸体系(systems)について」の最初の部分、いわゆる重商主義の基本的な考え方が批判的に検討されている個所をみました。スミスは、富とは金銀であるとする考え方と、鉱山をもたない国は貿易収支の黒字によってしか金銀を入手できないとする考え方が確立した結果、輸入をできる限り減らして輸出をできる限り増やすことが経済政策の大目標となったのだとして、輸入規制として2つ(国内生産できる商品の輸入を規制すること、貿易赤字の相手国からの輸入を全商品にわたって規制すること)、輸出奨励として4つ(戻し税、輸出奨励金、通商条約、植民地建設)を挙げていました。スミスは、これら6つの手段について、産業の年間生産物に如何なる影響を与えるか、という観点から検討しているのでした。前回は、これら6つの手段のうち、輸入規制の2つの手段についてのスミスの批判を簡単に紹介しました。今回は、輸出奨励の4つの手段についてのスミスの批判を簡単に紹介した上で、重商主義と並ぶ政治経済学の体系(system)として取り上げられている重農主義についての批判的検討についても、簡単に紹介しておくことにしましょう。

 輸出奨励の第一は、戻し税です。これは、商人が商品を輸出する際、国内産業の生産物に課されている税金の一部または全部を還付するものです。戻し税によっても、還付対象の税金が課されていなかった場合より、輸出量が増えるわけではありません。本来ならある業種で使われるはずの資本の一部が、税金のために他の業種に振り向けられるのを防ぐだけです。資本の自然な配分を歪めるわけではないのだから、輸出奨励策のなかでは最も妥当なものだ、というのがスミスの評価です。

 輸出奨励の第二は、輸出奨励金です。これは、自国製品を外国市場で競争相手と同じかもっと安い価格で販売できるようにしようというものですが、国の貿易を自然の動きに任せた場合よりはるかに不利な方向に歪めてしまうものだ、とスミスは厳しく批判します。輸出奨励金は、重商主義の政策一般にいえる問題点として、国内の労働の一部を、自然に任せた場合に向う用途よりも利益が少ない用途に振り向けるよう強制してしまいます。さらに、輸出奨励金に特殊な問題点として、損失を被る用途にすら国内の労働を振り向けるように強制してしまうのです。そもそも奨励金がなければ成り立たないような貿易は必ず損失を被る貿易なのだ、とスミスは断じています。

 輸出奨励の第三は、通商条約です。2国間の通商条約によって、相手国が輸入を禁止している品目で他国より優遇されれば、優遇された側の国の商工業者は利益を得ることができます。スミスはこのことは否定しませんが、優遇した側の国は、特定国を優遇したことで、全ての国に自由競争を認めた場合と比べて、外国商品を高く買わなければならなくなることに注意を促しています。さらにスミスは、通商条約が以上とは全く違う原理にもとづいて有利だとされる場合があることを指摘します。ここでスミスが挙げるのは、1703年にイングランドとポルトガルの間で締結された「メンシェン条約」です。これは、ポルトガルがイングランド毛織物業の輸入を受け入れる代わりに、イングランドはポルトガル産ワインをフランス産ワインより低い関税率で輸入する、というものでした。この条約によって、ポルトガルからイングランドへのワインの輸入が増えた以上に、イギリスからポルトガルへの毛織物の輸出が増え、その対価として、ブラジルの金山から産出された金が大量にイングランドへ流れ込んでいくことになりました。しかし、スミスは、輸入された金のうちイギリスで食器か硬貨を増やすのに使われるのはごくわずかでしかなく、残りは国外に送られて、何らかの消費財と交換されるはずだと指摘します。その上で、同じ消費財をイギリス産の商品で直接に購入すれば、まずイギリス商品でポルトガルの金を買い次に金で同じ消費財を購入するよりも、イギリスにとって有利ではないか、と提起するのです。ともかく金を流入させればよい、という重商主義的な観念がここでも厳しく批判されているわけです。

 輸出奨励策の第四は、植民地です。スミスは、植民地貿易の独占(外国資本の排除)で、植民地貿易の利益が高くなれば、他の分野で使われてきた資本の一部が植民地貿易に引き付けられ、自然に任された場合よりもはるかに高い比率で植民地貿易に強制的に振り向けられ、その結果、産業の各部門間で自然に保たれるはずの均衡が、全く崩れてしまう、と指摘します。スミスは、イギリスの産業が多数の小規模場市場のそれぞれに適応するのではなく、アメリカ植民地というひとつの大市場に適応させられている現状について、身体にたとえながら批判的に検討しています。すなわち、器官の一部が肥大化しすぎたために、各器官の釣り合いがとれていれば避けられる危険な病気にかかりやすくなり、不健康になっているようなものだ、というわけです。自然なものより無理に太くした血管があり、国内の商工業が自然な比率を超えて大量にそこを流れるように強制されているので、その大血管の流れが少しでも止まれば、国全体がきわめて危険な混乱状態に陥る可能性が高くなっている、とスミスは指摘します。細い血管の一部が詰まっても、血流が太い血管に簡単に流れるので、危険な状態にはなりませんが、太い血管が詰まってしまえば、その直接の結果として痙攣か脳卒中か死かが避けられないでしょう。植民地貿易の独占を定めた法律を少しずつ段階的に緩和していき、最終的には大部分を自由にすることが、将来にわたってこの危険をなくす唯一の方法である、とスミスは提起しています。

 以上、重商主義が国を豊かにするための手段として提唱している輸入規制と輸出奨励について、スミスがどのように批判しているのか、簡単に紹介してきました。端的には、物事の自然な流れに任せたときに達成されるであろう資本と労働の諸産業部門への配分を人為的に歪めてしまうことで、多かれ少なかれ、国民が消費する生活必需品と便益品の生産量(社会の全収入)を減らすことになってしまう、というわけです。スミスは、消費こそ全ての生産の唯一の目的であり、生産者の利益は消費者の利益をはかるために必要な範囲内でのみ配慮されるべきであるにもかかわらず、重商主義においては消費者の利益はほぼ常に生産者の利益のために犠牲にされている、と厳しく批判しています。さらに「重商主義の政策によって主として奨励されているのは、富者と権力者の利益となる産業である。貧者や困窮者の利益となる産業は、無視されるか抑圧されることが多い」(第4篇、第8章)とも断じています。こうした箇所からも、スミスの最大の関心が、豊かな国民生活の実現にあったことを確認することができます。

 さて、政治経済学の体系(system)として、重商主義と並んで取り上げられているのが、重農主義です。この重農主義は、フランスにおいて、いわゆるコルベルティズム(14世紀の財務総監コルベール以来の重商主義政策)によって、都市の産業を奨励するために農業が抑圧されてきたことに反対して唱えられたものです(*)。この重農主義について、スミスは、曲がった竿を真っ直ぐにしようとして逆方向に曲げすぎたようなものだ、と評しています。コルベールの政策が都市産業を重視して農業を軽視したのは確かだが、重農主義が都市を軽視しすぎたこともまた確かだ、というのです。

 重農主義者たちは、国内を生産的階級(農民)、非生産的階級(手工業者)、土地所有者の3つの階級に分けた上で、これら3階級の全てが最大限の繁栄を達成できるようにするには、完全な正義、完全な自由、完全な平等を確立することこそが秘訣である、と主張しました。スミスは、重農主義の提唱者たるフランソワ・ケネーが医師であったことに着目しています。ある種の医学理論では、人体の健康を保つためには、食事と運動を厳格な規則に基づいて管理しなければならず、この規則にわずかでも反すると、その程度にしたがって病気や不調が生じると考えられています。医師であったケネーは、社会についても人体と同じように考えて、完全な自由と正義という厳格な規則に従わなければ繁栄しないと思ったのではないか、というのです。しかし、スミスは、人体が健全な状態であれば、まだ知られていない仕組みによって、食事と運動の面で不健康な生活を送っても、その悪影響を防いだり是正したりできるようになっているのと同じように、社会の場合には各人が自分の生活をよくするために努力し続ける自然な動きが健全性を維持する仕組みになっていて、ある程度片寄っていて抑圧的でもある経済政策の悪影響を多くの点で防いだり是正したりできるのだ、と主張するのです。重農主義における自由放任主義(レッセ・フェール)に対するこうしたコメントからしても、スミスにおける「見えざる手」の主張が決して硬直したものでではなかったことを確認することができるでしょう。

 それはさておき、スミスが重農主義の最大の誤りとして指摘するのは、商工業を全く非生産的なものとしたことです。スミスは、年間に消費されてしまうものの価値が商工業において年々再生産されていることだけでも「非生産的」という表現は全く不適切だし、そもそも商工業労働者の労働が社会の真の収入を増やさないと考えることはできないのだ、と主張します。とはいえスミスは、国の富が貨幣という消費できないものの豊富さにあるのではなく、その社会の労働で年間に再生産される消費財にあると主張している点で、そしてまた完全な自由の確立こそが年間の再生産を最大限に増やす上で効果のある唯一の方法だと主張している点で、重農主義の主張は全く正しいものである、という評価を与えています。

 以上、前回と今回の2回にわたって、政治経済学の諸体系に対するスミスの批判的検討の内容を、ごく簡単に紹介してきました。ある種の産業を特別に奨励したり抑制したりしようとして、資本と労働の自然な配分を歪めてしまうならば、年間生産物の真の価値は多かれ少なかれ減ってしまうことになる――これが、政治経済学の諸体系についての検討を踏まえたスミスの結論であるといえます。

(*)重農主義についての詳しい説明は、本稿では割愛します。本ブログに掲載した「ケネー『経済表』を読む」を参照してください。
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 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言