2016年11月15日

アダム・スミス『国富論』を読む(6/13)

(6)ローマ帝国崩壊後、豊かさへの自然な道筋はどう歪められたか

 本稿は、“経済学の祖”と呼ばれるアダム・スミスの主著『国富論』を、彼の哲学体系の全体像を念頭に置きながら、概観していこうとするものです。

 前回までの3回にわたっては、「第1篇 労働の生産力における改善の要因と、生産物が各階級に分配されていく際の自然な秩序について」および「第2篇 資本の性質、蓄積、用途について」をみてきました。国民の労働こそ国民の消費する全てを産み出す源泉であることを確認したスミスは、第1篇において、労働の生産性を向上させてきたのが分業にほかならなかったこと、分業の発展のなかで、商品の価格は賃金・利潤・地代という3つの部分から構成されるようになり、これが国民の諸階層の収入の源泉となることを論じていました。また、第2篇においては、資本の蓄積が分業の発展を規定すること、生産量を増やすためには収入を浪費せずに倹約して生産的労働者を雇用するための資本を蓄積していく必要があることなどを論じていました。

 しかし、実際には、ヨーロッパのどの国でも、農業が資本の他の用途より利潤率が高いという状況にはないことをスミスは認めます。それでは、資本をすぐ近くにある肥沃な土地に投下するより、はるか遠くのアジアやアメリカに投下する方が有利になってしまったのはなぜなのでしょうか。この問題を考察するのが、「第3篇 国によって豊かさへの道筋が異なることについて」と「第4篇 政治経済学(political economy)の諸体系(systems)について」です。今回は、このうち、第3篇の内容を簡単に紹介することにしましょう。

 スミスはまず、国が豊かさへと向う自然な道筋について確認します。スミスは、どんな文明社会でも、最大の取引は都市と農村の間のものだが、都市は物質を再生産することができないから、都市は究極的には全ての富を農村から得ていることになる、と指摘します。だからこそ、農村がまず発展して次に都市が発展するというのが自然の流れなのだ、というのがスミスの主張です。どんな人でも、利潤率が同じであれば、貿易業よりも製造業、製造業よりも農業に自分の資本を投下するだろう、とスミスはいいます。貿易業より製造業、製造業よりも農業の方が、監督しやすく、安全だからです。物事の自然な順序に従うなら、資本の大部分がまず農業に向けられ、次に製造業に向けられ、最後に貿易に向けられるはずです。しかし、ヨーロッパでは必ずしもそうはなっていないのは先にみたとおりです。

 では、物事の自然な流れはなぜ歪められたのでしょうか。スミスは、西ローマ帝国崩壊後の歴史を辿りながら、農業の発展がなぜ順調に進まなかったのか考察しています。スミスはまず、ゲルマン民族の侵入で西ローマ帝国が崩壊した後、ほとんどの土地が大地主に私有されるようになったが、秩序未確立のこの時代、大地主はみな領主であり、小国の国王のような存在であった、と指摘します。領地の安全(領民に与えられる保護の度合い)は領地の大きさに左右されたから、長子相続と限嗣相続法(相続した不動産の処分を禁止する)によって、土地の分割が行われないようにしたのだ、とスミスは説きます。興味深いのは、一旦つくられた法律は、その法律を合理的なものにしていた状況が変わってしまった後も、長く効力を持ち続けることがある、と指摘されることです。秩序が確立したヨーロッパの現状では、小さな私有地でも安全に保てるようになっているのに、家系の誇りという観点から、長子相続と限嗣相続がいまだに行われている、というのです。しかし、大地主が土地の開発と改良で大きな成果を挙げることは滅多にない、とスミスはいいます。土地の改良で利益を上げるには、細かな配慮が必要なのですが、大資産家の息子として育った者には、まずその能力はないからです。また、大地主の土地を耕作する農民は、半ば奴隷のような存在で、自分の利益のために耕作していたわけではありませんから、強制しない限り、自分の生活を支えるのに最低限必要である以上には働こうとしなかった、という事情もあります。

 では、中世ヨーロッパの都市はどのような状況にあったのでしょうか。都市の住民はもともと卑しい身分とされ、商品をもって集落や市を渡り歩いていました。当時、市に商品を持ち込んで店を出す際には税金が課せられていましたが、課税特権をもつ国王や大領主は、個々の商人にこれらの税金を免除し、その見返りとして人頭税を支払わせるようになります。やがて、国王は、都市の住民自身に徴税を請負わせるようになり、これによって都市住民は官吏の横暴から解放されるようになったのでした。都市住民は、市長を選んで議会をもち、自治のために条例を制定し、自衛のために一種の軍隊として組織する権利を得ました。国王がこのような特権を認めたのは、領土の全体で力の弱い臣下を大領主による圧迫から保護できるほどの力をもっていなかったからだ、とスミスは指摘しています。領主は都市住民を見下し、都市住民が豊かになれば容赦なく収奪しましたから、都市住民は当然、領主を憎み恐れていました。国王も都市住民を見下していたが、憎み恐れる理由はありませんでした。このため、両者の利害が一致して、都市住民は国王を支持し、国王は領主と対立する都市住民を支持したのだ、とスミスは説明しています。都市の力が強くなると、国王が決められた徴税請負額を超える税金を課す場合には、都市の同意を得なければならなくなりました。ここに都市の代表が議会に出るようになった起源がある、とスミスはいいます。こうして、農村で農民があらゆる種類の暴虐に晒されている一方で、都市では個人が自由と安全を保障されるようになったのだ、とスミスは説明しています。

 当時のヨーロッパでは、土地の生産物をもっと文明の発達した国の製品と交換する取引が、商業の中心になっていました。貿易によって、高級で進んだ製品に対する嗜好が持ち込まれて一般化すると、商人は運送にかかる費用を節約するために、同じ種類の製造業を自国に確立しようと努めるようになりました。これが起源になって、遠く離れた市場向けの製造業が生れたのですが、その道筋には2つの種類がある、とスミスはいいます。ひとつは、資本の乱暴な作用によって、一部の商人や事業主が外国の製造業をまねて同種の製造業を始めるものです。もうひとつは、ある素朴な家内工業が徐々に発達して遠隔市場向けの製造業が自然に生れてくるものです。スミスは、こうした製造業の自然な発達が、農業の発達を前提としていることを強調しています。

 スミスは、農業の発達が製造業の発達をもたらしたことを指摘する一方、製造業の発達は農業の発達にも寄与した、といいます。スミスは以下の3つの点を指摘します。第一に、土地生産物を販売できる大市場が近くに生れたことで、土地の耕作と改良が促進されたこと、第二に、富を獲得した都市の住民が土地を購入して地主となって土地を上手く開発したこと、第三に、商工業の発達で秩序と善政が確立して個人の自由と安全が守られるようになり、農村も領主に隷属していた状態から抜け出せるようになったことです。この第三の点について、スミスは、以下のように詳述しています。

 貿易が行われず、高級品をつくる製造業もない国では、領主は所有地の生産物のうち、農民の生活に必要な量を超える部分を、多くの家来や従者を養うために使うほかありませんでした。こうして、もっぱら領主の好意に依存して生活している家来や従者に対して、領主は絶対的な権威をもつことになったのだ、とスミスはいいます。しかし、貿易と製造業は、領地で余った生産物の全てを領主自身が消費する方法を提供することになりました。領主は、例えば、ダイヤモンドを散りばめたバックルなど、何の役にも立たない詰まらないものに目が眩んで、1000人を1年間養える食料を手放し、それとともに1000人を養うことで得られる力と権威を手放すようになった、とスミスは指摘しています。大地主は、所有地の改良の現状で可能な水準以上に地代収入を増やしたいと望むようになりましたが、借地人がそこまでの地代引き上げに同意できるのは、土地をさらに改良するのに必要な資本を回収し、利益を確保できるようになるまでの期間にわたって借地権が保障されるときだけです。これが長期借地契約の起源になった、とスミスは説きます。こうして借地人が事実上独立し、家来もいなくなることで、大地主の政治的な力は失われ、都市と同様に農村にも政府の支配が浸透することになったのだ、というわけです。

 スミスは、社会を良くするこうした変化は、社会のためという意図を全くもたない2つの階層によってもたらされたのだ、と指摘しています。大地主は子どもじみた虚栄心を満たそうとしただけだし、商人と手工業者も、自分の利害だけを考えて、稼げるときに稼ごうとして行動しただけだ、というのです。ここには、「見えざる手」という言葉こそ直接には使われていないものの、人々の利己的な行動が社会全体の利益へと自然に導かれていくのだ、というスミスの社会観がよく表れているといえるでしょう。

 スミスは第3篇での議論を総括して、ヨーロッパにおける都市の商業と製造業の発達は農村の開発と耕作が進んだ結果ではなく、その原因であったこと、こうした順序は物事の自然な道筋とは異なるので、遅くて不確実にならざるを得なかったことを確認しています。スミスは、ある国が商業と製造業によって獲得した資本は、その一部が土地の耕作と改良に投じられて具体化するまで、極めて不完全で不確かであることを指摘します。スミスは、もっぱら商業に依存する富は、戦争や政治によるごく普通の変化でも簡単に枯渇してしまうのであり、農業の進歩という着実な基盤があってこそ富は長続きするのだ、と力説するのです。
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 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言