2016年11月14日

アダム・スミス『国富論』を読む(5/13)

(5)資本の配分と労働の配分

 前回は、「第1篇 労働の生産力における改善の要因と、生産物が各階級に分配されていく際の自然な秩序について」の後半部分、すなわち、生産物が各階級に分配されていく際の自然な秩序について論じられている部分についてみていきました。ここでは、商品の自然価格を構成する賃金、利潤、地代の自然水準そのものの変動について検討された上で、労働者の利害、資本家の利害、地主の利害が社会全体の利害とどう関係するかが考察されていました。スミスによれば、賃金と地代は、分業の発展による社会全体の富の増大と一致して増えていくのですが、利潤は、豊かな国(資本が過剰な国)では低く、貧しい国(資本が過小な国)では高く、急速に衰退している国(資本が急速に減少しつつある国)で最も高くなります。したがって、資本家階級の利害は社会全体の利害と食い違うのであり、資本家階級が商業に対する新しい法律や規則を提案した場合には十分に注意しなければならない、とスミスは主張していたのでした。

 さて、今回は、「第2篇 資本の性質、蓄積、用途について」をみていくことにしましょう。冒頭、スミスは、未開社会にまでさかのぼって、資本の起源を確認しようとしています。すなわち、分業のない未開社会では、全ての人が自分の必要とするモノを自分の労働で確保していたものの、分業が確立して他人が生産したものを自分の生産物を売って得た対価で購入しなければならなくなると、自分の生産物が完成して売れるまでの間、自分の生活を支え、仕事に使う原材料と道具を確保しておかなければならなくなったのだ、というわけです。

 以上のように資本の起源を確認したスミスは、個々人が所有する資財、あるいは社会全体の資財が自然にどのような部分に分かれるか、論じていきます。スミスによれば、何ヶ月、何年もの生活を維持できるだけの資材を蓄えた人は、そのかなりの部分を使って収入を得ようとし、残りの部分で収入が入ってくるまでの生活を支えようとします。スミスは、前者を資本と呼びます。資本から収入を得る方法として、スミスは次の2つを挙げます。第一は、財貨を生産・加工するか、購入して転売することで利益を獲得する方法です。これは、財貨の交換の流れによってのみ利益を生み出すことができるから、流動資本と名づけるのが適当だ、とスミスはいいます。第二は、土地の改良、事業に役立つ機械や道具の購入など、所有者を変えないままで収入が得られるもので、こうした資本は固定資本と名づけるのが適切だ、とスミスはいいます。

 個々の資本家がもつ資本について以上のように確認したスミスは、国の総資財もまた、当然ながら3つの部分に分かれる、とします。第一は直接の消費に充てられる部分(まだ消費されていない食料・衣料・家具、賃貸住宅)であり、収入や利益を生み出しません。第二は固定資本であり、流通せず所有者が変わらないまま、収入と利益を生みます。固定資本としては、@機械や道具、A利益を生む建物、B土地の改良、C教育によって獲得された個人の能力が挙げられています。第三は流動資本であり、所有者が変わることで収入と利益を生みます。流動資本としては、@貨幣、A肉屋、穀物商、牧場主、農業経営者らが所有する食料品の在庫、B衣料、家具、建物の原材料、C完成品のうちまだ販売されていないもの、が挙げられています。スミスは、直接の消費にあてる資財を維持し増やすことが固定資本と流動資本の唯一の目的であって、国民が豊かなのか貧しいのかは、固定資本と流動資本によって、直接の消費用の資材を豊富に供給できるか否かに左右される、と力説しています。

 続いてスミスは、貨幣を社会全体の総資本のうちの特殊な部分として位置づけた上で、その性質や機能について検討していきます。スミスは、国民の総収入(交換価値の観点から見れば、個々の商品の価格と同じく労賃、利潤、地代に3分される)から固定資本および流動資本の維持費を控除したものが純収入(直接の消費にあてても資本を食いつぶさない部分)である、とします。そして、流動資本(貨幣、食料、材料、完成品)のうち、貨幣以外は全て直接の消費にあてられるから、社会の純収入の一部になる、といいます。貨幣は社会全体の収入を各人に分配する手段にすぎず、それ自体は収入の一部にはならない、というわけです。

 こうした観点からスミスは、金貨・銀貨を紙幣に置き換えることによって遊休資本(当面の支払い用に現金で用意しておかなければならない部分)を生産資本に転化することができる、と強調します。金貨・銀貨が紙幣に置き換えられると、社会全体の流動資本で供給できる原材料、機械、生活必需品の総量は、以前にこれらの購入に使われていた金銀の価値だけ増加できるのです。このように紙幣の効用を説くスミスですが、同時に、紙幣についての適切な管理を怠るならば大惨事になりかねないことを強調しています。スミスは、貨幣というのは幹線道路のようなもので、幹線道路は牧草や穀物を運ぶがそれ自体としては牧草も穀物も作ることはできない、金貨・銀貨を紙幣に置き換えるのは幹線道路を空中につくるようなもので、その分だけ牧草地や穀物畑に転換できるが、「紙幣の力で空中を飛ぶようになると、金貨と銀貨という堅固な道を歩んでいる場合と比べて、国の商業や産業は盛んになるだろうが、全く安全だとはいえなくなることは認識しておくべきだ」というのです。具体的な対策として、スミスは、少額の銀行券(=約束手形)の発行を禁止するよう提言しています。少額の銀行券の発行が認められるようになると、資力の乏しい人間まで銀行業に参入してきて、金貨・銀貨との交換が確実ではない銀行券が大量に発行されて大混乱に陥ってしまうから、というわけです。スミスは次のように述べています。

私人たちに、銀行家の発行した約束手形を金額の如何によらず受領する意志があるのに、それを抑制するとか、あるいは銀行家仲間の全てに、これらの手形を引き受ける意志があるのに、銀行家にこのような少額の約束手形の発行を抑制するとかいうのは、自然的な自由を明白に侵害する行為であり、法律は本来、この自由を侵害するのではなく、自由を守るためのものではないかという意見もあるだろう。確かに、こうした規制は、ある点では自然的な自由を侵害するものだといえる。しかし、少数の個人による自然的な自由の行使が社会全体の安全を危険に晒しかねない場合には、どの国の政府の法律でも自由に制限を加えているし、加えるべきである。最も専制的な政府であっても、最も自由な政府であっても、この点については変わりない。火災の拡大を防ぐために防火壁を作るよう義務づけるのは、自然的な自由を侵害する行為であるが、ここで提案した銀行業務に関する規制も、自然的な自由の侵害という点で全く同じ種類のものである。(第2篇、第2章)


 ここでスミスは、少数の個人による自由の行使が、社会全体を危険に晒しかねないのであれば、そうした自由は制限されなければならない、と断固として主張しているわけです。これは、アダム・スミスを自由放任主義者とみなすような俗説に対して、鋭く対置させるべき文章だといえるでしょう。

 さて、スミスは続いて、資本をその所有者自身が使用する場合の問題として、その資本によって雇用される労働の性格を考察しています。ここで、労働が生産的労働と不生産的労働とに2大別されます。すなわち、商品という具体的な形をとって同量の労働を購入できる価値を残す生産的労働(農業、製造業など)と、価値は産み出すもののそのまま消えてしまう不生産的労働(家事使用人、役者、音楽家、国王、裁判官、軍人など)です。生産的労働(者)は、年間生産物のうち、資本の回収にあてられる部分によって維持され、不生産的労働(者)は収入(主として地代と利潤、ごく一部は賃金)によって維持されます。年間生産物のうち、生産的労働の維持に使われる部分が多ければ多いほど、国の富は増えていきます。生産的労働の維持にあてられる資本を増やすには、収入を浪費するのではなく、倹約して収入の一部を貯蓄して資本に転化させていく必要があります。浪費と無謀な経営は資本を食いつぶしていきますが、倹約と堅実な経営は資本を増やして、生産的労働を増やし、結果として国富の増大につながっていく、というわけです(*)。

 続いてスミスは、資本が他人に貸し出される場合の問題として、利子付きで貸し出される資本、すなわち金融資本の問題を論じています。面白いのは、スミスが、融資は貨幣の形で行われるけれども本当は年間生産物の一部を入手する権利を譲渡しているのだ、と説いていることです。現象の背後にある構造を見てとろうとしているのは、金銀を直接に富とみなした重商主義的な観念からの大きな前進であるといえます。これとも関わって、利子率の変動は、あくまでも利潤率の上下に連動するもので、貨幣材料となる金銀の量の増減とは直接の関係はないと説明されているのも重要なポイントだといえるでしょう(スミスはここで、利子率の変動についての優れた考察として、ヒュームの『政治経済論集』を挙げています)。

 第2篇の最後では、資本の用途が国の労働量と年間生産物に直接に与える影響について、考察されています。スミスは、資本の用途として、農漁業・鉱山業、製造業、卸売業、小売業の4つを挙げます。小売業はさらに、国内取引、国内消費用物資の輸入、中継貿易に3分割されます。スミスは、同量の資本で雇用する生産的労働の量、付加される価値の大きさは、これらのそれぞれの用途によって大きく異なっていることを論じているのですが、結論的には、最も多く生産的労働を維持し、最も大きな価値を付加するのは農業に投下された資本であり、農業こそが国の繁栄に最も貢献するのだ、としています。反対に、最も国の繁栄に貢献することが少ないのが小売業、そのなかでも中継貿易である、とされます。ただし、物事の自然な成り行きとして、国内産業の順調な発展の末に、国内の生産的労働を全て維持してもなお余るほどの資本が蓄積されたならば、それが中継貿易に投下されるのは当然である、とされています。

 全体として、この第2篇の議論は、スミスが、国民経済の全体を視野に入れて、それも生成発展していくものとしてのイメージをしっかりと描いた上で論を展開していることがよく分かるものとなっています。

(*)興味深いのは、スミスが、人間の認識の問題として、浪費への衝動は一時的なものであるのに対し、生活をよりよいものにしていきたいという欲求は恒常的なもの(胎内から墓場まで!)であり、そのためには倹約による貯蓄が唯一の方法なのだから、大部分の人の人生を平均してみれば、倹約しようという欲求の方が圧倒的に強い、と論じていることです。同様に、無謀な経営については、破産は最も大きく屈辱的な災難だから大部分の人は破産を避けるために十分に注意する、と指摘しています。結局、民間人の浪費とか無謀な経営が国家経済を危うくするようなことはまずない、というのです。一方でスミスは、政府の浪費や無謀な政策が国家の存続を危うくすることはありうる、としています。とはいえ、現代のように高度に発展した資本主義では、スミスの時代とは比較にならないほど巨大化した個別資本の無謀な経営で国家経済が危機に晒されるという事態が起きている(金融化が決定的な要因でしょう)ことに注意が必要です。

 なお、倹約(貯蓄)と投資を同一視するようなスミスの議論は、ケインズの議論を踏まえていうならば、貯蓄されたものが全て投資に回される、ということを暗黙のうちに前提としたものだといえます。貨幣には価値貯蔵機能があるので、貯蓄されたものが必ずしも投資に回るとは限らないというのが、ケインズのいわゆる貨幣の一般理論です。
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 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言