2016年11月11日

アダム・スミス『国富論』を読む(2/13)

(2)スミスは自由放任を主張したのか

 前回は、いわゆる「アベノミクス」について、本来は自由であるべき経済活動にことさらに介入する「統制経済」的な手法であり、「見えざる手」の重要性を説いたアダム・スミス『国富論』以来の経済学の成果を踏まえていないものだ、という批判がなされていることをみました。

 しかし、これらは、“経済学の祖”であるアダム・スミスの名前を持ち出してまで「アベノミクス」を批判するにしては、いささか物足りない感がするのは否めません。せっかく“経済学の祖”の名前を持ち出すのであれば、もう少し深く突っ込んだ批判はできないものなのでしょうか。

 確かに、アダム・スミスの「見えざる手」という言葉は、現在においては、市場が自動的に最適な資源配分を達成する機能、簡単にいえば市場原理の別名として、広く使われているものです。もう少し具体的には、アダム・スミスは、各個人の利己的な行動が「見えざる手」によって社会全体の利益へと導かれていくことを主張し、政府が経済活動に恣意的に介入することに反対したのだ、というわけです。

 アダム・スミスといえば、まずこの「見えざる手」という言葉があげられるほどに、アダム・スミスの名前は市場原理と一体のものとして語られてきた歴史があります。とりわけ、1980年代以降、いわゆる新自由主義的な経済政策が全地球規模で推進されていくようになるなかで、さらに市場の機能を否定したソ連・東欧の計画経済が次々と破綻し、中国やベトナムなども市場原理を導入する経済改革を進めていくなかで、スミスは、市場の調整機能の素晴らしさを解明した偉大な経済学者として、あたかも自由な市場経済の守護神であるかのように、大きく持ち上げられていくことになったのでした。「統制経済」だとして「アベノミクス」を批判する際にアダム・スミスの名前が持ち出されるのも、こうした背景があってのことにほかなりません。 

 一方で、新自由主義的な経済政策の推進の果てに世界経済がたどり着いたサブプライム問題やリーマン・ショックが、市場の機能に対する人々の信頼を大きく損ねることになったことも見逃すわけにはいきません。個々の経済主体の利己的な行動は、社会全体の利益を増進するどころか、破滅的な結果を招きかねないものなのではないか――このような強い疑念が巻き起こされることになったのです。

 こうした情況は、アダム・スミスの評価について再検討を迫るものとなったといえます。スミスが市場万能主義の守護神として非難されるようになっていく一方で、こうしたスミス批判の流れに抵抗するような形で、これまで「見えざる手」という論理で利己心を容認した経済学者として一面的に捉えられてきたスミスの、いわば“知られざる側面”として、道徳の重要性を説いた倫理学者としての側面(利己心の自由放任を主張していたわけではなかった!)が強調されていくようになり、これが次第に大きく注目を集めるようになっていったわけです。より具体的にいえば、ここ数年来、『国富論』と並ぶスミスの主著である『道徳感情論』に世界的に大きな注目が集まり、『道徳感情論』を取り上げた諸々の本が出版されて話題になっているという状況があります。この日本でも『道徳感情論』そのものについて、新しい翻訳が2つ出ましたし(高哲男訳〔講談社学術文庫、2013年6月〕、村井章子・北川知子訳〔2014年4月〕)、最近では例えば『スミス先生の道徳の授業――アダム・スミスが経済学よりも伝えたかったこと』(ラス・ロバーツ著、村井章子訳、日本経済新聞出版社、2016年2月)といった本が話題になりました。

 しかし、スミスの『道徳感情論』に着目するのはよいとしても、利己心の原理を説いた『国富論』を共感の原理を説いた『道徳感情論』で補うのだ、といった把握にとどまるのであれば、それは決定的に不充分であるといえるでしょう。全く別の原理を説いた2つの著作を統一的に把握するということではなく、スミスが構築しようとした哲学体系の全体像を念頭に置きつつ、『国富論』も『道徳感情論』も、同じ根っこから伸びてきた2つの幹として、捉えていかなければならないのです。そのような観点から、『国富論』そのものについて、単に利己心の原理を説き、市場の調節機能の素晴らしさを賞賛しただけのものなのか、検討していく必要もあるでしょう。

 本ブログでは、これまで一連の論稿を通じて、スミスが構想した哲学体系の全体像を明らかにしようと試みてきました。大きくいえば、スミスは、自然について人類が歴史的に成し遂げてきた究明の成果をしっかりと学んだ上で、想像上の立場(境遇)の交換によって成立する共感を、社会と精神(学問・芸術一般)におけるバラバラの諸現象を結合していくための原理として位置づけ、歴史的に発展してきた社会および精神(学問・芸術)について体系的に筋を通して把握することを志していたわけです。スミスは、具体的な社会問題を解くにしても、この世界(宇宙)全体には一般的な法則性が貫かれている――宇宙は一般法則に支配され、それ自身およびそのなかにいる全ての種の保存と繁栄という一般的な目的を目指して運動するまとまった体系である――という観点から、全体のなかの部分としての位置づけを明確にしながら解いていこうという姿勢をもっていたのでした(*)。もう少し具体的なレベルでいえば、『国富論』が『法と統治の一般的諸原理と歴史』とでも題されるべき未完の大著の一部でしかなかったことも明らかにしてきました。ハッキリいえば、現代の私たちがイメージするような経済学の本としてではなく、法学の本の一部分として構想されていたものが、『国富論』として結実したのでした。

 こうした観点を踏まえて『国富論』を読み込んでいくならば、その印象は大きく異なってくるはずです。確かに、スミスの『国富論』には、政府による経済への恣意的な介入に対する批判がみられます。同時に強調されなければならないのは、スミスの『国富論』は決して国家(政府)を考察対象から除外しようとはしていなかったということです。『国富論』において、スミスは、政府の経済への恣意的な介入が排されたとしても、政府がなすべき仕事はなお存在するとして、国防、司法、公共事業の3つをあげているのです。

 さらにいえば、政府による経済への恣意的な介入の排除という主張自体も、さらに深く突っ込んで検討される余地があります。スミスにおいては、目的はあくまでも、社会全体の利益の実現であったことを見失ってはなりません。その目的を達成する手段として、政府の恣意的な介入の排除が主張されているにすぎないのです。それでは、スミスが「見えざる手」によって実現されるとした社会全体の利益とは何だったのでしょうか。また、目的達成の手段として、政府による恣意的介入の排除が主張されなければならなかった歴史的条件とはどういうものだったのでしょうか。これらの問題について、突っ込んで検討していく必要があるでしょう。

 そのような検討を踏まえれば、「アベノミクス」をアダム・スミスの名前を出して批判するにしても、単に「統制経済だ!」「社会主義的な経済政策だ!」「市場原理に反する!」というレベルにとどまらない、もっと深く突っ込んだ批判が可能になってくるはずです。

 1776年に初版が出版された『国富論』(正式なタイトルは『国の富の本質と原因に関する研究』、原題:An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations)の冒頭には、「序論および本書の構成」と題された文章が置かれ、以下のように書き始められています。

国民の年々の労働こそ、生活の必需品または便益品(conveniencies)として、その国民が消費する全てのものを本来的に産み出す源泉である。消費される必需品や便益品は、国内の労働の直接の生産物か、そうした生産物によって国外から購入したものである。


 国(nation)の富とは金銀などではなく、国民が日々の生活において消費するモノ(必需品+便益品)であり、その源泉は国民自身の労働にほかならない、というわけです。要するに、国民の労働のあり方こそが『国富論』の研究対象として設定されているのだ、ともいえるでしょう。スミスは、以下のような5つの篇によって、国の富の本質と原因に関する研究を進めていきます。

第1篇 労働の生産力における改善の要因と、生産物が各階級に分配されていく際の自然な秩序について
第2篇 資本の性質、蓄積、用途について
第3篇 国によって豊かさへの道筋が異なることについて
第4篇 政治経済学の諸体系について
第5篇 主権者または国家の収入について


 本稿では、アダム・スミスの哲学体系の全体像を念頭に置きながら、こうした『国富論』の全体像について、概観していきたいと考えています(**)。

(*)本ブログに2013年9月2日から掲載した「アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う」を参照して下さい。

(**)『国富論』の原文は例えば以下で読むことができます。本稿における『国富論』からの引用文は、筆者が訳したものですが、大河内一男監訳(中公文庫)および山岡洋一訳(日本経済新聞出版社)を大いに参考にしました。
http://www.econlib.org/library/Smith/smWNCover.html
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 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言