2016年11月10日

アダム・スミス『国富論』を読む(1/13)

(1)「統制経済」だと批判される「アベノミクス」

 2012年末に発足した安倍政権は、日本経済の再生を掲げていわゆる「アベノミクス」を進めてきました。しかし、政権発足から4年近くたった現在でも、世論調査では7〜8割の人々が景気の回復を実感していない、と答えています。こうした状況に対して、安倍首相は「アベノミクス」はまだまだ「道半ば」なのだと主張しています。

 この「道半ば」という捉え方を強く印象付けたのが、先日、日本銀行(以下、日銀)が行った「総括的な検証」なるものでした。日銀は、9月21日の政策決定会合において、2013年4月以来、3年半に及ぶ「量的・質的金融緩和」(いわゆる異次元金融緩和)についての「総括的な検証」を行い、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」と称する「金融緩和強化のための新しい枠組み」を決定したのでした。

 そもそもこの異次元金融緩和なるものは、2013年1月22日、政府(安倍政権)と日銀(当時の総裁は白川方明氏)との共同声明で、「物価安定の目標を消費者物価の前年比上昇率で2%とする」「上記の物価安定の目標の下、金融緩和を推進し、これをできるだけ早期に実現する」とされたことが出発点になっています。こうして、「アベノミクス」の「第一の矢」として、大胆な金融政策(金融緩和)が位置づけられたわけです。同年4月4日、日銀が「量的・質的金融緩和」の導入を正式に決定した際には(総裁は黒田東彦氏に交代していました)、この物価安定目標を「2年程度の期間」で達成する、と宣言されました。

 そもそも金融緩和というのは、民間金融機関の保有している諸々の金融資産を日銀が買い取り(いわゆる「買いオペ」)、その代金をそれぞれの金融機関が日銀に開設している預金口座(この口座にあるお金が日銀当座預金)に振り込む、という方法で行われています。逆に、日銀の保有する金融資産を民間金融機関に売り(いわゆる「売りオペ」)、その代金を日銀当座預金から引き落とすのが金融引き締めの方法です。こうして民間金融機関への資金供給をコントロールすることで、民間金融機関どうしの短期の資金貸借にかかる金利(とりわけ1日で満期を迎える「無担保コール翌日物金利」)を操作しようというのが、いわゆる「伝統的」な金融政策でした。しかし、「非伝統的」といわれる「量的・質的金融緩和」においては、金利ではなく、民間金融機関からの資産の買取そのものの量と質が焦点となります。民間金融機関から多様な質の金融資産を大量に買い取って、「マネタリーベース」(日銀が市場に供給するお金の量、具体的には、実際に流通している現金すなわち紙幣〔日銀券〕と硬貨に、日銀当座預金残高を加えたもの)を2年間で2倍に拡大しようというのが、2013年4月に導入された日銀の「量的・質的金融緩和」の方針でした。「量的」というのは、まさにマネタリーベースの量そのものを操作目標にするということであり、「質的」というのは、そのために日銀が買い取る資産の質も多様なものにするということ、ハッキリいえば、短期の国債に加えてよりリスクの高い長期国債(国債は満期までの期間が長いほど価格変動リスクが大きくなります)や上場投資信託(ETF)なども積極的に購入していこうということです。こうした異次元金融緩和のもとで、民間金融機関の日銀当座預金の残高は、2013年4月には61.9兆円だったのが、2016年9月末には300.1兆円と、およそ4倍以上も増えたのでした。

 しかし、決定的に重要なのは、世間に実際に流通しているお金、いわゆる「マネーストック」(現金+預金)です。実は、マネーストックの代表的な指標であるM3(*)は、2013年4月の1147.3兆円から2016年9月の1263.4兆円まで、ほとんど増えていないのです(1.1倍)。マネタリーベースは激増したもののマネーストックはほとんど増えていないというのは、要するに、日銀が民間金融機関に対して膨大な資金を供給したにもかかわらず、それは日銀当座預金として積み上げられたままで(これは「ブタ積み」と呼ばれています)、一般企業や個人への貸し出しにはほとんどまわっていない、ということを意味します。

 このため、日銀の「量的・質的金融緩和」は、実際の物価の動向にはほとんど影響を与えませんでした。日銀は、2015年4月以降、目標時期の先送りを繰り返し(**)、2016年1月には、日銀当座預金の一部にマイナス0.1%の金利を付すという「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」の導入にまで踏み込んだのですが、直近の統計(2016年7月)でみても、消費者物価の前年比上昇率は0.5%にとどまっています。期待された通りの成果を挙げていなからこその、「総括的な検証」だったわけです。そこでは、物価上昇率2%という目標が達成できなかった理由として、@2014年夏以降の原油価格の下落と消費税率の引き上げ後の需要の弱さ、A2015年夏以降の新興国経済の減速とそれを受けた世界的な金融市場の不安定化、という「逆風」が指摘されました。しかし、これらは日銀の政策でどうにかできる問題ではなく、そもそも金融緩和で物価上昇を実現しようと考えたこと自体が間違いだったのではないか、という疑問が浮かんできます。

 ところが日銀は、この「総括的な検証」を踏まえつつ、2%という「物価安定の目標」をあくまで下ろさず、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」を導入することを決定したのです。これは、短期の金利のみならず長期の金利までも操作してしまおう、という前代未聞の政策です。具体的には、短期金利をマイナス0.1%に維持する一方、長期金利(残存期間10年の国債の利回り)を0%程度に誘導しようというのです。通常、短期の金利は低く、長期の金利は高くなります。縦軸に金利、横軸に期間をとったイールドカーブと呼ばれる曲線は右上がりとなるわけです。しかし、この間、日銀が長期国債を積極的に購入し続けたことで、長期の金利が下りすぎて、本来は右上がりであるはずのイールドカーブが平坦になってしまっていました。こうなると、保険や年金の運用が難しくなるといった副作用が出てきますから、イールドカーブがきちんと右上がりになるように、短期金利のみならず長期金利までも操作対象にしようというのが、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」なのです。

 長期金利を操作するということについて、「日本経済新聞」の連載「日本国債 見えざる手を冒す(1)」(2016年10月6日付朝刊)では、以下のように述べられています。

長期金利は経済の力強さや財政の健全さを示すその国の体温計。人々のインフレ予想や財政リスクに左右される。「長期金利を操ろうなんて傲慢だ」。日銀内にも不安を残したまま「官製固定相場」が走り始めた。
 日本国債の利回りである長期金利。「神の見えざる手」が決める市場の均衡に逆らう試みはいつか限界を迎える。


 「見えざる手」に逆らってまで長期金利を操ろうというのは傲慢であり、いつか限界を迎えるだろう、と警告を発するのです。この「見えざる手」という言葉が、もともとはアダム・スミスの『国富論』に登場するものであることはいうまでもないでしょう。

 本来は自由であるべき経済活動に介入して無理やり何らかの結果を出そうとする――これは、大胆な金融政策という「第一の矢」に限らず、「アベノミクス」全般にいえる特徴ではないか、とみる向きもあります。「毎日新聞」(2015年10月30日付夕刊)の「続報真相 アベノミクスは統制経済か」は「本来、企業活動は自由なはずだが、2年連続で経済界に賃上げを要請した「官製春闘」に続き、設備投資を促したり、携帯電話の料金引き下げを求めたりしているのだ。アベノミクスとは「統制経済」なのか」として、識者の声を紹介しています。例えば、以下のような具合です。

エコノミストの田代秀敏さんは介入は短絡的な発想だと批判する。「企業が国内の設備投資になぜ消極的なのかを考えるべきです。人口が減り、人手不足も深刻な中、生産設備は増やせないし、生産拠点を成長する海外から縮む国内へ再び戻すのも難しい。経済活動への政府の介入は、民間が受け入れない限り必ず失敗する、というのがアダム・スミスの『国富論』以来の経済学の成果なのです。市場機構は万能ではないが、市場原理に反する政策は手ひどい結果を招く」  
アベノミクスの問題点を指摘している早稲田大ファイナンス総合研究所顧問の野口悠紀雄さんは、安倍政権の経済政策を「社会主義的な経済政策」と見ている。そして「旧ソ連がどうなったかを振り返れば分かるように、そのような経済政策は企業の効率性を阻害し、結果的に国を貧しくするだけ。誤った政策です」と手厳しく批判する。
 しかも重大な介入はまだあるという。「日銀の独立性を尊重せずに金融緩和を進め、為替レートを政治的に動かして円安状態をつくり出したり、公的資金の年金資金を株式市場に投入し、株価を支えたりしていることも経済活動への介入で、いずれも間違っています」と、野口さんは顔をしかめるのだ。


 このように、いわゆる「アベノミクス」については、本来は自由であるべき経済活動にことさら介入する「統制経済」的な手法なのではないか、という批判が少なからずなされているのです。安直に経済活動への政府の介入を行う「アベノミクス」は、アダム・スミスの『国富論』以来の経済学の成果を踏まえていない、というわけです。

(*)M3=現金+預金通貨(当座預金、普通預金などの要求払い預金)+準通貨(定期預金や外貨預金など)+譲渡性預金。

(**)日銀は、2016年11月1日に公表した「展望レポート」(経済と物価の最新の見通し)で、実に5回目となる目標先送りを行い、「平成30年度ごろになる可能性が高い」として、黒田総裁の現在の任期(2018年〔平成30年〕4月8日まで)中には物価目標の達成は困難だという見通しを示すに至りました。
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 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言