2016年11月08日

専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想(5/5)

(5)大志・論理能力・人間観の育成こそが求められる

 本稿は,薄井坦子先生の『科学的な看護実践とは何か(下)』を取り上げ,専門家教育には何が必要かを考えていく論考であった。ここで,これまでの流れをふり返っておきたい。

 初めに,薄井先生の生き方や姿勢から学ぶべき点を考察した。本書全体を通して,薄井先生の責任感の強さが印象に残り,目の前の苦しんでいる患者さんを何とかしたいという強烈な情熱が感じられること,そのような責任感や情熱がなければまともな看護は決してできないのだということを説いた。薄井先生は,人間には人の苦しみが分かる能力があるからこそ,苦しんでいる人をそのまま放っておけないのだと説かれていた。このような共感や感情の問題を無視してしまっては,本書で批判されている客観主義的傾向におちいってしまい,看護に不可欠な人間の認識や関係性をきちんと論理化・理論化できなくなってしまうことも確認した。苦しんでいる人を見て,自分の力で何とか苦しみを取り除いてあげたいという強烈な情熱や責任感があれば,どうすればいいかを必死で考え,工夫を重ねていく,その延長線上に看護学という科学的な理論が生まれてくるのであり,看護学とは現実の問題を解決するためにこそ生まれてきたのだと説いた。そしてこれは看護に限ったことではなく,あらゆる学問や科学は,人類が何とか問題を解決したいと思い,壁にぶつかった時に,必死の努力で対象を明らかにして創られてきたものであり,それによって問題が解決するからこそ,意義があるものなのであった。すなわち,学問や化学を創る際には,その出発点として,何とか問題を解決したいという情熱や責任感が必要なのであり,そのことを薄井先生の生き方や姿勢から学ぶべきであるということであった。薄井先生は,相手が何を求めているのかを常に意識できるようにならない限り,自分は看護師であると自分を許すことはできないと強い表現をされており,どれだけ相手を見つめられるか,どれだけ相手の状態に考慮できるかは,学歴ではなく生き方によって決まると説かれていた。このような先生の生き方や姿勢は,聴衆や学生に自然と伝わるはずであり,教育者たるもの,言葉ではなく生き方や姿勢で情熱や責任感を伝えるべきだと説いておいた。

 次に,認識ののぼりおりについて検討した。まず,初めの講演の冒頭部分の論の展開を丁寧に検討して,事実が提示され,その後,のぼって抽象的な認識が表現され,またそれを説明するための事実におりて,再びのぼってその事実から引き出された論理が提示された後に,本題の看護の問題へとつなげていくという展開であった。このようにのぼりおりがくり返されているからこそ,聴衆にとっては非常に説得的で分かりやすいものとなっているのであった。取り上げた冒頭の部分だけではなく,本書は全編これのぼりおりの典型例でありお手本であり,「例えば」といって具体例におりたり,「要するに」という形で抽象的な認識にのぼったりすることがいたるところで見られるのであった。大学で学生に教えておられるときもおそらくこのようにのぼりおりを駆使されているのであろう。教育者がのぼりおりを技化することの必須性を説いた。本書ではさらに,学生や看護師が認識ののぼりおりができるように訓練することが大切だということが,形を変えてくり返し説かれているのであった。たとえば,認識には,現象的認識,表象的認識,抽象的認識(本質を押さえた認識)の三段階があるということを,庄司和晃氏の図を援用しながら説明し,自らの実践の中から「看護とは」を本質レベルの認識として掴み取ってこなければならないと説かれていたり,自己の認識を鍛えるためには,よい書物をじっくりと精読し,一つの表現でも,認識の三つの段階を全部出してのぼりおりするのがよいと説かれていたりした。さらに,認識ののぼり(抽象化)も大切だと説かれており,言葉や知識で教えるのではなく,生の材料を提示して,そこからのぼれるように,科学的抽象ができるように,訓練することが必要だと説かれていた。また,自分自身の実践を客観視して,その実践の事実から,科学的抽象によって意味(論理)を取り出し一般化する訓練も必要であり,このようなことを丁寧に示せば,専門家ではなくてもその専門的実践の意味がきちんと分かるのだと説かれていた。

 最後に,科学的な人間観が実践の前提であることを説いた。まず,ここでいう「人間観」とは,おおよそ人間とはこのような存在であるという大まかな見方のことであり,「人間論」という場合のような抽象的・本質的な認識ではなく,表象的なレベルの認識であることを説明した。このような人間論を取り上げたのは,特定の人間観に基づいて看護がなされるからであり,どのような人間観をもっているかによって,実践の質が変わってくるからであった。例えばということで,本書で紹介され解説されている,医師が母乳で育てることの指導をしているテレビ番組を取り上げた。医師は母乳は必ず出るが,ミルクを飲ませるとでなくなるので,ミルクを買わないようにという行動レベルの助言を与えていた。これに対して薄井先生は,行動レベルの助言ではなく,認識に働きかけて,ミルクを飲ませると母乳が出なくなる理由を丁寧に伝えるべきだと説いておられた。ここで,両者の人間観の違いを検討した。すなわち,医師の人間観には,人間は認識を持っており,認識にしたがって行動するという側面が抜け落ちているのに対して,薄井先生の人間観は,人間は実体だけではなく認識をも持ち,社会関係の中で創り創られる存在である,また,人間は行動の前には必ず認識=像を描いてから行動する存在であるというものであると説いた。このような違いがあったために,医師は認識を無視してしまい,実体レベル・行動レベルの助言しかできなかったのに対して,薄井先生は行動に先行する認識に働きかけることができたのだと説いた。また,『狼に育てられた子』や肢体不自由児施設の歴史についての解説の部分から,人間観が狭いと特殊な人間を動物と見なしたり,殺してしまえと主張したりするようになるのであり,人間観が広いと,特殊な人間を特殊性において位置づけることができ,それでも人間だからということで大切にできるようになるのだということを見た。ことほどさように,人間観やその広さは,その人間の言動を規定してくるのだから,専門家教育の過程で,現実の人間に見合った科学的な人間観を教育していかなければならないと説いた。

 以上の内容を,専門家教育には何が必要かという観点に絞って再度まとめ直してみよう。まず,専門家が壁にぶつかり,問題を何とか解決しようとするのは,強烈な情熱や責任感がある故であり,それがあってこそ,その壁を乗り越えるための武器となる科学的な理論体系が構築できる可能性が生じてくるのだということである。そして専門的な科学を教育する者は,自身がその生き方や姿勢によって,学生に情熱や責任感を伝えていかなければならないのである。次に,高度に抽象化された理論を教育していく際には,必ず認識ののぼりおりを駆使して説得的に分かりやすく説明しなければならない。また学生に自身も,認識ののぼりおりができるように訓練していく必要がある。最後に,人間観が実践を規定しているのであるから,現実の人間に見合った科学的な人間観を教育していく必要があるし,人間についての幅広い学習によって,人間観を広げていかなければ,特殊な人間を大切にできないようになってしまい,とても対人援助の専門家としてはふさわしい実践ができなくなる。要するに,専門家教育には教育者の情熱と責任感,それに教育者・学生双方の認識ののぼりおり,そして科学的で幅広い人間観の教育が必要であるということである。教育者の情熱と責任感は学生の大志を育むためにこそ必要であるし,認識ののぼりおりは,結局,論理能力の養成ということになろう。したがって,結局専門家教育においては,大志・論理能力・(まっとうな)人間観の育成が必要不可欠である,ということがいえるだろう。

 最後に,以上の内容を自分自身の問題としてとらえ返し,どのようなことをしていく必要があるかを考えてみたい。

 まず大志の育成ということに関しては,強烈な情熱や責任感を持った先達に学んでいくことが必要であろう。歴史上の偉人についての伝記を読んだり,偉大な哲学者や科学者の生涯を学んだりする取り組みも,もっと力を入れてやっていきたい。また,心理臨床の世界にも,強烈な情熱や責任感を持って教育に取り組んでおられる先生がいる。そういった先生の著作を読んだり,研修会に参加したりして,先生の情熱や責任感を自分の中に浸透させ,自分が把持しているものの,時とともに薄らいでしまいがちな志を,大志と呼べるレベルにまで目的意識的に,くり返しくり返し育て直していくことが大切だと思う。くり返し自分の原点に戻って,そもそも自分は何の目的で何を成し遂げたいのかということを確認し,それに向かって着実に研鑽し続けることができるように,自らを奮い立たせていくことが,学問への道や学問の道といった困難極まる道程を歩ききるためには,ぜひとも必要だろう。

 次に論理能力の育成である。これについては,本稿でも説いたように,自分の生の対応を折に触れて振り返り,客観視して,そこからのぼる訓練,そこから論理を導き出し一般化していく訓練とともに,導き出した一般論を具体化して別の事例に適用していく実践を重ねるべきであろう。簡単にいうと,もっと事例検討を行っていくべきだということである。その際,薄井先生の事例検討集である『ナイチンゲール看護論の科学的実践』(1)〜(5)も非常に参考になりそうである。学習図書として設定しておきたい。生の対応ということであれば,専門的な実践だけではなく,家庭生活での家族間の交流や,職場での上司・部下とのやり取りも,もちろん,検討に値すべき生の材料である。たとえば子どもとの交流を通して,子ども側に,そして自分の側にどのような認識の発展があったといえるのか,これをしっかりと考察していくことも,のぼる訓練となるだろう。同様に,職場で部下にどのように働きかえれば教育的な効果があがるのか,今まで学んできた教育の一般論を具体化して使ってみる,これはおりる訓練になるだろう。

 最後に,まっとうな人間観の育成である。人間には無限の可能性がある,専門の領域に限ってもう少し具体化すると,人間には自然治癒力があり,回復不可能とも思われていた人が回復することもできる,というような人間観を,いろいろな小説や伝記,歴史の学びや心理臨床の事例集や事例検討によって,あるいは,自らの実践でもって証明していくことによって,しっかりと育てていくことが大切だと考えている。そうしないと,この人は治らない,この人には限界があるということで,介入をあきらめてしまうことにもなりかねない。そして何よりも,認識に働きかける心理臨床家としては,認識についての研究を深め,科学的な認識論を構築して,それを踏まえた人間観を把持していくことが大切であろう。

 以上のことを課題として取り組むことを決意して,本稿を閉じたい。

(了)
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 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言