2016年11月30日

2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語(8/10)

(8)論点2:シェリングの哲学とはどのようなものか

 前回は,フィヒテの哲学に関する論点1について,どのような討論がなされたのかを紹介しました。

 今回は,シェリングの哲学に関わる論点について,どのような討論がなされ,どのような(一応の)結論に到達したのかを説きたいと思います。論点は以下でした。

【論点再掲】

2.シェリングの哲学とはどのようなものか
 ヘーゲルは,シェリングの哲学のどのような点を評価し,シェリングはフィヒテの哲学をどのように発展させたと説いているのか。また,どのような点に欠陥をみているのか。シェリングの哲学とヘーゲルの哲学との共通点と相違点を挙げるとすればどうなるか。両者の決定的な相違は何であろうか。
 唯物論の立場からすると,シェリングの哲学はどのように評価できるのか。



 この論点についてはまず,シェリング哲学はフィヒテ哲学をどのように発展させたとされるかについて話し合いました。この点については,概ね,皆同じような理解でした。すなわち,フィヒテのいう自我と非我に共通する根本的な存在として神を措定し,その神(主観=客観)を生き生きとした運動として把握することによって,絶対者の自己運動による世界(あらゆる具体的なもの)の創造という把握に向かって大きく前進したということです。もう少し詳しくいうと,哲学の課題は,主観と客観の統一であり,絶対者を世界の全てを生み出す活動として把握することでありました。しかし,フィヒテにおいては,主観性(自我)から全てが生み出されるとしつつも,主観の側から客観の側への道を十分には明らかにすることができませんでした。いってみれば結論だけ示したようなものでした。これに対してシェリングは,ヤコービの直接知(叡智的直観)を援用しつつ,主観的なものと客観的なものの統一を強く押し出しました。この主観的なものと客観的なものの統一が神であり,神は主観的なものと客観的なものとの具体的な統一として,生き生きとした運動を内に含むものとされているのでした。ここに関して,シェリングが神を生き生きとした運動として把握したのか,それができたのはヘーゲルではないのかという指摘がありましたが,確かにヘーゲルは,シェリングのいう神は生き生きとした存在である矛盾をはらんだ存在として説いていることをテキストで確認しました。要するに,生き生きとした運動として把握したものの,それが中途半端で,ヘーゲルの絶対精神のようには説けなかったということで,皆が同意しました。また,不十分であっても,主観=客観としての神を措定できたのは,それまでの自然科学の成果を踏まえて自然哲学を研鑽したという点が影響しているのではないかという点も確認しました。

 次に,ヘーゲルの指摘するシェリング哲学の欠陥とは何かについて,討論しました。ある会員は,ヘーゲルは,主観的なものと客観的なものとの無差別ということ(理性の概念)が絶対的に前提とされるだけで,これが真理であるという証明が全くなされていないことを,シェリング哲学の欠陥として挙げていると指摘しました。ここに関してチューターは同意したうえで,「シェリングは哲学者でありながら悲しいことに,論理ということが全くもって分からなかったのだ」(南郷継正『武道哲学講義 第3巻』p.129)という指摘を紹介し,シェリングには論理的考察や論の展開がなかったと補足しました。これらについては,皆が同意しました。別の会員は,ヘーゲルの立場からすれば,シェリングが措定した絶対者というものは,非常に抽象的でそれ自身から次々に概念を展開して,世界の全てを説明し切るようなものではなく,運動性のない静的なものだったと指摘しました。これも,証明のプロセスがないという意味では,先の見解と同様であろうということになりました。

 さらに,シェリングとヘーゲルの共通点と相違点というテーマに移りました。この点については,皆が程同じような見解でした。すなわち,共通点は,主観(自我)も客観(自然)も同一であるということを強調した点であり,一方から他方への移行を説いた点であるということでした。他方,相違点はその説き方にありました。すなわち,シェリングが形式主義に陥り,必然性を欠いた表面的な説き方になっていたのに対して,ヘーゲルは概念の自己運動として,その内的必然性を一貫した展開として説き切った,ということです。端的にいうと,シェリング哲学には弁証法性がなく,ヘーゲル哲学の根本概念である絶対精神は弁証法そのものという違いが決定的ということです。シェリングが結論だけ提示して「分かれ!」というだけだったのに対して,ヘーゲルの場合はその過程を絶対精神の自己運動として論理的に説いたのだという指摘もなされました。ここにも関連して,シェリングにおいては,絶対者が把握できるかどうかは個人的な才能にもとづく偶然的な事柄だとされてしまったのに対して,ヘーゲルにおいては,まともに思惟する人間であれば誰でも必然的に絶対者を把握することができるはずだ,という観点が強く打ち出されることになったという見解も出されました。これらには皆が同意し,異論は出されませんでした。

 最後に,シェリング哲学の唯物論の立場からの評価について議論しました。この点についてある会員は,シェリングが啓蒙思想の合理主義に反対して,美的感情を重視するロマン主義の芸術家とも親交をもったという点が重要だとした上で,そうして芸術に関わる中で,人間が創り出すリズムと,自然の中で見られるリズム(具体的にはどういうものかよくわからないのではあるが)が一致することに気づき,そこから両者の根源は何かと考察していくようになったということではないかと指摘しました。しかし,報告レジュメへのコメントにもあったように,ロマン主義の芸術家とも親交をもったのは,シェリングの特殊性ではないため,この主張の根拠はやや薄いのではないかという反論がありました。これには,この見解を出した会員も納得しました。別の会員は,過去の様々な哲学者を出発点として,ゼロから学び続けるシェリングの姿勢は,それなりに評価に値するものであるといえるとしながらも,学の出発点において学問の世界地図を描いておかなければシェリングのように右往左往してしまうと指摘しました。チューターは,後半については同意できたものの,前半部分については,「過去の文化遺産を如何に継承し発展させていけるか学問の大きな課題」なのは,観念論哲学でも同じなのではないだろうかと疑問を呈しました。それに対してこの会員は,観念論では文化遺産という言い方はしないのではないかと反論しましたが,その明確な根拠は示せませんでした。

 別の会員は,フランス革命後の混乱によって,フランス革命への憧れということが薄れてきていた時代の雰囲気が反映して,社会的な現実からの乖離を深めて自然へと向かい,かつ,観念的な色彩が濃くなったのではないかと指摘しました。これには皆が同意しました。またチューターは,フィヒテの場合と同じく,シェリングにおいても,先行の哲学者に「自分の他人化」レベルで二重化したことを指摘しました。すなわち,シェリングも,「フィヒテ哲学のひきうつし」「フィヒテそのまま」として出発したのであり,「フィヒテの原理や表現の影響は,ことばづかいにもおよんでいる」といわれるくらい,フィヒテに対して二重化したのであり,「自分の他人化」レベルで二重化できたのである,このように当時の最先端の社会的認識であるフィヒテの哲学をしっかりと反映して,自分の認識を形成していった点が大切である,と指摘しました。これには皆も同意しました。さらに,シェリングの哲学は,当時の自然科学の著しい発展を反映したものであり,自然を弁証法的に把握しようという意図をもったこと自体は,唯物論の立場からも評価に値するという見解も出されました。これにも異論は出ませんでした。

 以上,今回は論点2についての討論過程を紹介してきました。


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2016年11月29日

2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語(7/10)

(7)論点1:フィヒテの哲学とはどのようなものか

 前回は,今回扱った範囲の大切な点を改めてまとめた後,例会で扱った論点を提示しました。今回からは,論点に対して,どのような討論がなされたのかを紹介していきます。


 今回は,フィヒテの哲学についての論点です。以下にもう一度提示しておきます。

【論点再掲】

1.フィヒテの哲学とはどのようなものか
 ヘーゲルは,フィヒテの哲学について,「カント哲学の完成であり,特にその首尾一貫した展開である」(p.129)としているが,これはどういうことか。カントの哲学をどのように発展させたものだと捉えているのか。また,どのような点にフィヒテの哲学の欠陥を見出しているのか。
 ヘーゲルは,フィヒテのいわゆる自我をどのようなものとして捉えているのか。デカルトの思考(自我)とはどう異なるのか。フィヒテの自我なるものは,カントとヘーゲルをどのように媒介しているといえるのであろうか。
 フィヒテ哲学を唯物論の立場から評価するとどのようなことがいえるか。



 この論点についてはまず,フィヒテ哲学がカント哲学の完成であるとはどういうことかについて議論しました。この点については,皆がほぼ同様の見解でした。すなわち,フィヒテはカントの二元論を克服しようと試みた,ということでした。カントの二元論とは,直接的には,物自体の世界と現象の世界との二元論ですが,より根本的にいえば,思惟(主観)と存在(客観)との間に絶対的な壁を設けてしまって,両者の統一がありえなくなってしまったということです。フィヒテはカントの二元論という難点を自我一元論として克服しようとしたのであり,カントのように,世界を2つに分離するのではなくて,1つのもの,つまり自我から全てを説こうとしたこと,それも筋を通して説き切ろうとしたということでした。

 ここで一人の会員から,ヘーゲル哲学もいってみればカント哲学を完成させたといえるわけであるが,フィヒテとヘーゲルは何が違うのか,という疑問が呈されました。フィヒテは自我を,ヘーゲルは絶対精神を,それぞれ根本的な原理だと説いたのであるが,両者は何が違うのか,ということです。これに対して別の会員は,フィヒテはカントの枠を超えておらず,カントがいおうとしていえなかったことをしっかりと主張したに過ぎないのに対して,ヘーゲルはそういうカントの枠組みを超えているのだ,と説明しました。この説明には,疑問を呈した会員も納得しました。

 次に,ヘーゲルの指摘するフィヒテ哲学の欠陥についての議論に移りました。この問題については,ある会員は,ヘーゲルにすれば,普遍者は個別的な主観を超えた存在であるが,フィヒテはそこまでの絶対的な理念を打ち立てられておらず,全てのものを統一する理念を把握していないと指摘し,別の会員は,理性は概念と現実の総合であるにもかかわらず,フィヒテはもっぱら主観的な面に終始して終始対立につきまとわれてしまったのであり,対象を概念的に把握しきることで,思惟と存在とを完全に一致させて両者の対立を解消させる,ということはできなかったのだと説きました。これを踏まえてもう一人の会員は,対立する両者の一方が根本的だと考えたにすぎなかった点がフィヒテの限界だと言えると指摘しました。チューターはこれらを,要するに,自我一元論という形で概念と現実の統一を果たそうと試みた,その枠組み・狙い自体はよかったのだが,それを実際になして,学問を構築することはできなかった,ということであろうとまとめました。これに対して異論は出ませんでした。

 続いて,フィヒテのいわゆる自我をヘーゲルはどう評価するかという問題の検討に入りました。チューターはフィヒテの自我について,直接に存在し,それだけで確実な存在であるとし,デカルトの自我とは狙いと要求が違うのだと説きました。すなわち,フィヒテは,自我に他の観念を付け加えるのではなく(外から経験的なものを全く取り入れるのではなく),全く一要素だけから演繹されるような哲学を目指していたということでした。さらに,カントにあっては,物自体は客観的に存在しているが,われわれには認識できないものとされていたが,フィヒテは,そういった物自体を否定して,物自体をも自我が創り出したものとしてとらえることこそが哲学の狙いであり,実現できなかったとはいえ,それに向けて第一歩を歩みだしたのだと述べました。別の会員は,自我の活動により非我が生み出され,非我が自我の活動を妨げるという相互浸透を指摘したうえで,人間が対象に働きかけ,また対象によって人間が創られるという労働・疎外というイメージがここで創られたのではないか,そしてそれが,ヘーゲルによって,絶対精神が自然へと転化し,また絶対精神に立ち戻ってくるという円環運動として捉えられたのだろうと主張しました。別の会員は,ヘーゲルは,フィヒテのいわゆる自我について,これこそが純粋思惟,カントのいわゆるア・プリオリな総合判断であり,概念的に把握された現実(自己意識のうちに取り戻された他在)であるとしたうえで,宇宙の全内容が自我から顕現する,といった説明からすれば,自我とはヘーゲルのいわゆる絶対精神とほぼ同じものだといってよさそうであるという見解を提示しました。同じような内容を,それぞれなりに説いているということで,チューターは,要するに,フィヒテの自我はヘーゲルの絶対精神につながる枠組みを提供したのであり,その枠組みにしたがって,絶対精神の自己運動として実際にその中身をしっかり説いたのがヘーゲルであるとまとめました。これには,皆が同意しました。

 ここで一会員が,カントのいうア・プリオリな総合判断というのがいまいち理解できないと述べました。そこで,教科書レベルで確認しました。その内容は以下です。

 総合判断とは,主語を分析したら述語の内容が出てくるというのではなくて,主語に新しい内容を付け加えるような判断のことである。また,ア・プリオリなというのは経験的ではないということであり,経験を超えてという意味である。だから例えば,「三角形の内角の和は二直角である」や「2プラス3は5である」といった判断はア・プリオリな総合判断である。ともに,主語のどこをどう分析しても述語は出てこないし,これらは単なる経験的な判断ではなく,経験を超えて通用する判断だからである。

 この説明を受けて,別の会員は,絶対精神は,(そのうちに萌芽的に内容を把持しているとはいえ)次々に新しいものを生み出していくのであり,それも必然的な発展として生み出していくのであるから,これはカントの言葉でいうとア・プリオリな総合判断だといえるのである,と説明しました。これには皆が納得しました。

 最後に,フィヒテ哲学の唯物論の立場からの評価について討論しました。これについてはいろいろな観点から見解が出されました。まず,なぜフィヒテが自我を根源においたのかを考察するならば,ナポレオン軍によってドイツが占領されていたことが関わっているのではないかという見解が出されました。しかし,これについてはチューターが,ナポレオンがベルリンを占領したのは1806年であるのに対して,フィヒテの自我を根源においた哲学はそれより以前に説かれているため,因果関係が逆ではないかと指摘しました。これについては,この見解を出した会員も納得しました。続いて,別の会員は,全てを自我という自分自身の本質的な要素から説き切ろうとした姿勢は大きく評価できるとして,主体性の重要性を指摘したことがフィヒテ哲学の大きな成果だと説きました。この見解についてチューターは,これは,あえて唯物論の立場からの評価といえるだろうかと疑問を呈しました。すると,この見解を提示した会員は,自我から説くのということは,唯物論の立場からは本来的には許容されないが,自分の問題意識から説く,主体性から説くという意味では,唯物論の立場からも評価できるという意味であると補足しました。これにはチューターも納得しました。さらに社会的な背景について,フィヒテが自我を根源において,この世界の全てを自我の活動として把握しようとしたことは,世界に主体的に働きかけていきたいという人間の欲求(18世紀末から19世紀初頭にかけてのドイツ・ブルジョアジーの欲求)を反映したものであるという見解も出されました。また,別の会員は,フィヒテが当初はカントと間違われるほど「自分の他人化」をなして,当時の最先端の社会的認識たるカント哲学をしっかり反映し,自分のものにした点が重要だと指摘しました。これらについては皆が同意しました。

 さらに,フィヒテ哲学の内容に関して,三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』(講談社現代新書)の内容を確認したいという意見も出されました。同書では,「自分自身の二重化」という項で,次のように説かれています。

「……マルクスは,ここからさらにすすんで,ドイツ観念論が逆立ちさせた「理智的に自分自身を二重化する」(マルクス『経済学手稿』)事実をとりあげて,どうしてこの二重化が発生するか,その現実的な根拠をあきらかにしました。「人間は,鏡を持って生れてくるのでもなく,また,我は我なりというフィヒテ的哲学者として生れてくるのでもないから,人間はまず,他の人間という鏡に自分を映して見る」(マルクス『資本論』)というのです。この皮肉なフィヒテ批判のなかに,観念的な自分が,フィヒテ流の「我」が,現実の自分以前から存在していたものでないこと,人間が現実の世界を鏡とすることによって発生するものであることが指摘されています。」(p.148)


 この内容に関して,一会員は,哲学というものは観念的な自己をいわば神的な立場(全世界の創造主の立場)において世界全体を見渡すことによってこそ成立するものであるが,それはまずは,観念論哲学として,すなわち,この観念的な自己こそ本当の自分(絶対精神)であり,身体をもった自分はそこから派生してきた仮の姿にすぎないとみなすことによって成し遂げられたのだ,これに対して唯物論の立場からは,神的な立場に立つ観念的な自己は,あくまでの現実の自己から派生したフィクションであるといわなければならないが,神的な立場に立った観念的な自己が世界全体に筋を通して把握しきるという意味では,唯物論哲学も観念論哲学と共通した構造をもたなければならないのだ,と説明しました。これについては,皆が納得しました。

 以上で論点1に関わる討論を終了しました。

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2016年11月28日

2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語(6/10)

(6)改めての要約と論点の提示

 前回までの4回は,今回扱ったヘーゲル『哲学史』の最後の部分の要約を掲載してきました。ここで,その中で大切なポイントを改めてまとめておきたいと思います。

 初めに,ヘーゲルがフィヒテの哲学について説いている部分を見ました。ヘーゲルは,フィヒテの哲学をカントの哲学を完成させたものだとして,高く評価していました。どういうことかというと,カントは,哲学全体を体系として統一することはできませんでしたが,フィヒテは自我を絶対的な原理として,そこから首尾一貫した表現を与えようとしたのだ,ということでした。ヘーゲルは,自我とは概念が直接に現実となり,現実が直接に概念となったものであり,カントのいうところの真のアプリオリな総合判断であると説いていました。そして,哲学は最高の原則から出発して,すべての内容をそこから必然的に演繹してくる学問でなければならないという考え方を表明したという意味で,フィヒテの哲学は抜きん出た価値を持つのだと説いていました。

 自我の後には,非我についての説明に移行していきました。非我とは自我に対置される存在であり,客観一般であるとされていました。そして,これはわたしに対立する対象であり,わたしを否定するものであるから,この他なるものを「非我」と名付けたのは筋の通った表現法であるとしていました。しかし,フィヒテにおいては非我がそれ自体で無条件に存在するとされており,そうである以上,非我が絶対の自己意識へと帰っていくプロセスを説くことができないとヘーゲルは批判しており,そこにフィヒテの哲学の限界があるとされていました。ヘーゲルは,結局フィヒテの哲学も,カントの哲学と同じように,理論理性においては自我と非我の対立がつきまとい,実践理性においては感覚と理性の対立が現れると説いていたのでした。

 次にヘーゲルは,以上のようなフィヒテ哲学において,思惟と延長の統一の形式そのものが主観性として取り出され,主観性からすべての内容が出てくるとされていましたが,今やその一面性から解き放たれて,客観性や実体性と統一することが必要であると説いた上で,シェリング哲学へと移っていきました。ヘーゲルによると,シェリングの哲学は自然哲学と先験哲学の2つから成っており,ともに主観と客観がもともと同一のものであるという前提がありました。その上で,客観を第一のものとし,自然を知性化しようとするものが自然哲学であるのに対して,主観を第一のものとし,主観と一致するような客観がどのようにしてあらわれるかを明らかにしようとするものが先験哲学であるとされていました。

 ヘーゲルは,このようなシェリング哲学について,概念や理性の形式を自然に適用した点が功績だと説いていました。他方,シェリング哲学においては,主観と客観の無差別が前提とされており,それが真理であることが証明されていない点が欠陥であると指摘されていました。シェリング哲学においては,主観と客観の無差別は,知的に直観されるべきものであったため,天才的な技量を持つものでなければ哲学することが不可能となってしまうのでした。ヘーゲルはこれを批判して,本来の哲学は誰にでも開かれているものであると主張していました。その上で,ヘーゲルは,主観は客観へと転化するものであり,客観も客観にとどまりえず,主観となっていくものであることを示さなければならないと説いていました。

 最後にヘーゲルは,結語の部分で,哲学の現在の立場は理念の二つの側面たる自然と精神の同一性が必然的であるのを認識することにあると説いていました。そして,哲学の発展は一つの哲学の発展であるとした上で,これまでの哲学の発展段階を,以下のような8つに整理していました。

1.与えられた対象から出発してそれを理念に転化した「ある」(存在)の段階
2.抽象的思考であるヌースが全体を貫く実在として知られるようになるイデアの段階(プラトン)
3.概念的思考が宇宙のすべての形態に精神をふきこむ段階(アリストテレス)
4.概念が主観としてあらわれ,主客の抽象的な分離が生じる段階(ストア派から懐疑主義)
5.すべての実在のうちに理念を見るが,その理念が自己を知らない段階(新プラトン主義)
(近代の課題:理念を精神として,自己を知る理念として,とらえること)
6.自己意識が自分が意識であると考える段階(デカルトからライプニッツ)
7.自己意識が他とも否定的な関係を結ぶ段階(フィヒテ)
8.自己意識が純粋な思考と存在を一体化したものとして認識する知的直観の段階

 以上が,今回の範囲の大切な部分のまとめとなります。

 11月例会では,このような内容について,3つの論点に沿って議論していきました。以下に3つの論点を提示しておきます。


1.フィヒテの哲学とはどのようなものか
 ヘーゲルは,フィヒテの哲学について,「カント哲学の完成であり,特にその首尾一貫した展開である」(p.129)としているが,これはどういうことか。カントの哲学をどのように発展させたものだと捉えているのか。また,どのような点にフィヒテの哲学の欠陥を見出しているのか。
 ヘーゲルは,フィヒテのいわゆる自我をどのようなものとして捉えているのか。デカルトの思考(自我)とはどう異なるのか。フィヒテの自我なるものは,カントとヘーゲルをどのように媒介しているといえるのであろうか。
 フィヒテ哲学を唯物論の立場から評価するとどのようなことがいえるか。



2.シェリングの哲学とはどのようなものか
 ヘーゲルは,シェリングの哲学のどのような点を評価し,シェリングはフィヒテの哲学をどのように発展させたと説いているのか。また,どのような点に欠陥をみているのか。シェリングの哲学とヘーゲルの哲学との共通点と相違点を挙げるとすればどうなるか。両者の決定的な相違は何であろうか。
 唯物論の立場からすると,シェリングの哲学はどのように評価できるのか。



3.ヘーゲルは哲学史をどのようなものとして描いたか
 ヘーゲルは,「結語」において,哲学史の全体を概観しようとしているが,ヘーゲルの考える哲学とはそもそもどういうものであったか。哲学の完成とはどのような状態であり,どのような過程を経てその完成へと至るものだとされているか。
 ヘーゲル哲学について特に再度深く検討すべき事柄(次回例会の論点)はどのようなことか。
 我々が唯物論の立場から哲学の歴史の流れを描くとすれば,ヘーゲル哲学史の何を継承し,何を批判していかなければならないのか。



 次回以降の例会報告では,これらの論点についてどのような討論がなされ,どのような(一応の)結論に達したのかを紹介していきたいと思います。


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2016年11月27日

2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語(5/10)

(5)ヘーゲル『哲学史』結語 要約

 前回は,シェリングの哲学のうち,同一性の哲学について論じられている部分の要約を紹介しました。シェリングは主観と客観の同一性ということを証明する必要があることを感じ様々に試みたものの,結局,形式的な形にしかなっていないということでした。

 今回はいよいよヘーゲル『哲学史』の最終部分である結語の要約を紹介します。ここでは,哲学とは何か,哲学史とは何かを踏まえて,これまでの哲学史の大きな流れが8つの段階として示されています。

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E 結語

〔哲学の現在の立場〕
 哲学の現在の立場は,理念がその必然性において認識されること,言い換えれば,理念の分離の両側面である自然と精神の各々が理念の総体を現わすものとして,単に自体において同一なばかりでなく自己自身からこの唯一の同一性を生み出すものとされ,さらにそれによってこの同一性が必然的なものとして認識されることである。哲学の究極の目的と関心は,思想や概念を現実と宥和させることにある。我々は自己自身を把握する思想が立ち現れてくるのをみてきたが,思想は自己を自己内において具体的なものとすることこそを求めたのである。思想の最初の活動は形式的であるが,アリストテレスになってはじめて,ヌースが思惟の思惟であるということを口にするようになる。その結果として現われて来るのは,自己の許に安らい,同時に自己のなかに宇宙を包括し,宇宙を叡智界と変じる思想である。概念的把握において精神的宇宙と自然的宇宙とはただひとつの調和する宇宙となって相互に透徹し合う。その宇宙は,自ら自己のなかに逃れ,その各側面において絶対者を展開して総体となし,まさにそのことによって,その統一のうち思想のうちにおいて自己を意識する。哲学は,芸術や宗教やそれらの引き起こす感覚に対して,真の弁神論である。それは精神の宥和,しかもその自由と豊かな現実性において自己を捉えた精神の宥和である。

〔哲学史とは何であったか〕
 ここまで到達した世界精神の歩みの各段階は,諸々の真実な哲学体系のうちその独自の形を現わしている。最後の哲学がそれら諸々の形式の総体であることによって,およそ何ものも失われたものはなく,一切の原理は保持されている。この具体的理念は,ほとんど2500年間を通じて,自己自らを客観化し,自己を認識しようとした精神の真摯なる労苦の結果である。この長きにわたって,精神の概念は,その具体的な全発展,外的な存立やその豊かさを自己のなかに担いつつ,自己を徹底的に形成しさらに進展させて,自己のうちから自ら現われ出ることをもとめる。ただ精神のみが前進なのだから,精神は常に前進する。自己を認識する作業こそ,精神の生命であり,精神そのものである。哲学史は精神がその歴史においてこのことを欲したという事実の曇りなき洞察である。哲学史は世界史の核心である。この内的思惟における人間精神のこの労作は,現実のあらゆる段階と平行する。それゆえ,如何なる哲学といえどもその時代を超えない。思想規定がこのような重大さをもつということ,それは哲学史の領域には属さないそれ以上の認識である。この概念こそ,世界の精神の最も単純な啓示であり,それがいっそう具体的な形態をとったとき,それが歴史にほかならないのである。
 第一に,精神が現在勝ち得たところのものを過小評価することはできない。古きものは尊ぶべきであるが,最高のものは現在以外にはない。第二に,諸々の哲学は,偶然的なものではなく,精神的な理性的な前進であり,必然的に前進しつつある一哲学,自己自らを知る神の示現である。第三に,それぞれが新しい原理を打ち立てるのであるから,あら探しなどではなく,その原理をこそ認識すべきである。

〔全哲学史を概観する〕
 全哲学史を概観し,それぞれ一定の理念を現わす主要要素の必然的段階を総括する。何らの悟性に到達しない東洋の主観性の陶酔の後に,思想の光がギリシャに昇った。
 (1)古代人の哲学は,絶対的理念を思惟した。その理念の実現または現実は,現存の現在の世界を概念的に把握し,即自且対自的にあるがままの世界を考察する点に成立したのであった。この哲学は理念自身から出発しないで,所与としての対象的なものから出発し,これを理念へと変ずる。パルメニデスの有。
 (2)抽象的思想。ヌースは主観的思惟としてではなく普遍的本質として知られた。プラトンの普遍的なるもの。
 (3)アリストテレスにおいて概念が現われる。それは自由にして何ものにもとらわれず,宇宙のあらゆる形態を透徹し精神化する概念的思惟としてである。
 (4)主観としての概念。その独立化や自己内存在,抽象的分離等は,ストア派,エピクロス派,スケプシス主義となる。すなわち,自由な具体的形式ではなく,抽象的な,自己内において形式的な普遍性である。
 (5)総体性の思想。新プラトン派における具体的理念としての叡智界。この原理は一切の実在性を尽した観念性一般であるが,自己自らを知る理念ではない。しかしついに主観性・個体性の原理がそのなかに入り,神が精神として自己意識内において現実的となった。
 (6)近代の事業は,この理念を精神として自己自らを知る理念として捉える点にある。知る理念から自らを知る理念に至るためには,理念がその絶対的分裂の意識に到達するという無限の対立が必要である。精神が対象的本質を思惟することによって哲学は世界の叡智性を完成し,この精神界を自然――精神の最初の創造――と同様現在と現実の彼岸にある対象として生んだ。精神の仕事は,この彼岸を現実に自己意識に連れもどすことである。このことは自己意識が自己自身を思惟し,絶対者を自己自身を思惟する自己意識として認識する点に成し遂げられる。上の分裂を超えて,デカルトにおいて純粋思惟が現われた。自己意識は第一に自己を意識として考える。そのなかに一切の対象的現実が含まれ,またその現実と他の現実との積極的な直観的な関係が含まれる。思惟と存在とはスピノザにおいて対立すると同時に同一である。彼には実体的直観なるものがあるが,認識は実体に対しては外的である。ここに思惟の主観性を止揚するために,思惟そのものから出発する宥和の原理がある。例えば,ライプニッツの表象する単子において,そのことが行われた。
 (7)第二に意識はそれが自己意識であることを思惟する点で対自的になるが,他者に対する否定的関係においても対自的である。それがカントにおける思惟の批判として,またフィヒテにおける具体的なものへの衝動としての無限の主観性である。絶対的な純粋な無限の形式は自己意識,自我として表明される。
 (8)この電光は,精神的実体のなかに閃き,絶対的内容と絶対的形式とは同一となる。実体は自己内において認識と同一である。こうして自己意識はその積極的関係をその消極的関係として,その消極的関係を積極的関係として認識する。あるいはこの対立した活動を同一として,換言すれば,純粋思惟または存在を自己同一として,さらにこの自己同一を分裂として認識する。これが知的直観であるが,それが事実知的であるためには,絶対的に認識するものでなければならない。
 知的直観が認識されるのは,第一に,相対立するものは相互に分離されるにもかかわらず,一切の外的現実が内的現実として認識されることによる。もしそれがその本質上あるがままに認識されるなら,それは存続するものとしでてはなく,推移の運動であることが示される。各個物の本質が規定性であり,自己の反対であるというこの意識のなかにその反対との統一が概念的に把握されて現われてくる。第二に,この統一自身がその本質において認識される。この同一性としての本質は等しくその反対に移りゆくこと,あるいは自己を実現し,自ら他となることである。かくてその対立がそれ自身によって現われてくる。第三に,対立について,それが絶対者のなかにはないことをいわなければならない。絶対者は本質的存在であり,永遠なものである。しかし,こう考えれば,それはそれ自身抽象であり,単に一面的であり,対立は単に観念的なものとして捉えられるにすぎない。しかし,事実は,対立こそ,絶対者の運動の本質的要素たる形式にほかならない。純粋思惟は,主観的なものと客観的なものとの対立に進む。対立の真の宥和は,この対立はその絶対的尖端に押し詰められ,自己自身を解消し,対立するものが同一である(永遠の生命は永遠に対立を生じて永遠に宥和する)ことの洞察にある。統一において対立を,対立において統一を知ること,これこそ絶対知である。学とはこの統一をその全発展において自己自身を通じて知ることにほかならない。
 以上が今や時代一般の要求であり,哲学の要求でもある。世界に新たなる時代が現出したのである。一切の疎遠な対象的存在を自己から捨て去って,ついに自己を絶対的精神として捉え,自己に対象的となるものを自己から生み出し,それに対して安らうとともに,それを自己の力のなかにしっかりと保つことが,いまや世界精神に成功したようにみえる。有限的自己意識と絶対的自己意識との闘いは終わる。有限的自己意識は有限的であることを止めた。それによって,絶対的自己意識は,以前はもたなかった現実性を勝ち得たのである。精神は自己を自然とし国家として産み出す。自然は精神が精神としてでなく自ら他者となる精神の無自覚な活動である。国家において歴史の行為や生活において,また芸術において,精神は確かに意識的な仕方で自己を生みだし,その現実の様々な類別を知りもする。しかし,精神が絶対精神として自己自らを自覚するのは,ただ学においてのみである。この知のみが,すなわち精神のみが精神の真の存在である。以上が現代の立場であり,精神形成の系列は,今のところ,以上をもって完結しているのである。
 ここにおいてこの哲学史もまた完結したのである。

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2016年11月26日

2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語(4/10)

(4)ヘーゲル『哲学史』シェリング 同一性の哲学 要約

 前回は,シェリングの哲学の自然哲学と先験哲学について論じられている部分の要約を紹介しました。シェリングは主観と客観の同一性ということを指摘し,それを2つの側面から示すものとして先験哲学と自然哲学を打ち立てたのですが,結局,主観と客観の同一性は同一性を証明することができておらず,知的直観によって把握できると説くのみであったということでした。

 今回は,シェリングの哲学のうち,同一性の哲学について論じられている部分の要約を紹介します。

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 シェリングは主観的なものと客観的なものの同一たる絶対者の理念をもって始めたが,やがてこの理念を証明しようという要求が現われてきた。それは『思弁物理学雑誌』『新思弁的物理学雑誌』において試みられた。しかし,シェリングの証明は極度に形式的に進められており,したがってそれは証明されるべきものをいつも前提していることになる。
 『思弁物理学雑誌』でシェリングは,主観的なものと客観的なものとの絶対的同一から出発することで,スピノザ的実体,単一の絶対者を再び呼び覚ました。ここで彼はスピノザと同様,幾何学的方法を用いた(まず公理,次いで証明を行う諸命題,さらに系等々)が,この方法は哲学に対して何ら真実な適用性をもたない。シェリングは,この場合ある種の区別の形式を前提し,これをポテンツ(力,可能性)と呼んだ。これに次ぐシェリングの主要形式は,カントによって再び記憶に呼び覚まされた三元の形式,第一,第二,第三のポテンツである。
 フィヒテが自我即自我をもって始めるように,シェリングは「理性は主観と客観との絶対的無差別である」という絶対者の命題もしくは定義として表現された絶対的直観をもって始める。一と多の対立も,一切の対立と同様,そのなかでは消滅してしまう。次いでシェリングは,主観が反省につきまとわれてはならないことを要望する。それは悟性規定であり,それは感性的知覚と同様,感性的事物の相互分離を含む。
 こうして対立が形式や本質の上から絶対者に現れはする。しかし,それは単に相対的な,または非本質的な対立として規定される。主観と客観との質的相違は考えられないから,量的相違のみがありうる。この量的相違は顕勢的形式(一切の有限性の根拠)だとシェリングはいう。各一定のポテンツの段階は主観的なものと客観的なものとの一定の量的相違を示す。個々の存在は主権性と客観性との量的相違によって措定される。しかし,これは不十分である。量的相違は真実の区別ではなく,全く外的な関係であり,主観的なものと客観的なものとの優勢もまた決して思想規定ではなく,単に感性的な規定にすぎないのである。
 〔第一のポテンツ〕 絶対者の最初の量的相違または最初の相対的総体が物質だという点にある。第一次元:最初の前提たる相対的総体性(A=B)によって相対的同一性がある。第二次元:相対的な同一性を前提とする相対的な二重性。相対的な同一性と二重性とは,相対的総体性のなかに潜勢的に含まれている。第三の次元:相対立する二者の解消。AとBとの実在性の直接的な根拠となる絶対的同一性は重力である。それぞれ優勢を占めるAまたはBは,前者が牽引力,後者が膨張力である。牽引力と膨張力の量的措定は無限に進み,その平衡は全体においては存在するが,個々のものにおいては存在しない。
 〔第二のポテンツ〕 この同一性自身が存在するものとして措定される光。同じ同一性が,発現する両極性の形式下におかれると凝集力となる。凝集力は,自体性または自我性の物質内における印象であり,それによって物質はまず特殊的なものとして普遍的同一性から出て,形式の領域に自己を高める。惑星や金属その他の物質は,動的凝集力の形式において,一方では収縮力が他方では膨張力がそれぞれ優勢となる特殊な凝集関係を現わす一系列を形成する。
 〔第三のポテンツ〕 全ポテンツの相対的総体が措定されること(光と重力の結合たる全生産物)で重力は絶対的同一の単なるあり方の形式に引き下げられる。これが有機体である。
 シェリングは,全宇宙の構成を与えようとして,あまりにも多くの詳細な点にまでわたって自説を述べたが,その叙述を完成するには至らず,前提した図式によって外的に構成するという形式主義を混ぜた。シェリングは,我々の認識が自然をそのように考察する,というカント的な言葉を,自然はそのように形づくられている,というふうに変える。彼は自然のなかに精神を摘出するというカントの手掛けた仕事を,とりわけ観念的なもののなかに成立すると同一の図式・同一のリズムを対象的事物のなかにも認識するというような自然考察に再び着手したのであった。自然は総じて精神を対象的なあり方に投射したものであるという点から叙述されるのである。

 シェリングは,その形式の未完成と弁証法を欠くためにどれにも満足できず様々な形式のなかを彷徨したため,『新思弁的物理学雑誌』が提供する「私の哲学体系の再述」においては別の形式を選んだ。主観性と客観性との平衡の代わりに,本質と形式,普遍的なものと特殊的なもの,有限なものと無限なもの,積極的なものと消極的なものの同一を語り,絶対的無差別をこの形式あるいは他の形式のなかに規定する。差別は単に観念的な対立にすぎず,それらは絶対者においては端的に一である。形式としてのこの統一は知的直観であり,それは思惟と存在とを絶対的に等しいものとおき,また絶対者を形式的に表現することによって,同時にその本質の表現ともなるのである。一切と各個との真実の絶対性は,それがそれ自身普遍的なものと特殊的なものとして認識されることにあるのではなく,普遍的なものがそういう規定性にありながら,それ自身普遍的なものと特殊的なものとの統一として(同じように特殊的なものも両者の統一として)認識されるという点に成立するのである。特殊的なものの規定性はただそれの観念的契機にすぎず,むしろそれが絶対者のなかにあることこそその真実態である。これら3つの契機,すなわち,本質(無限なもの)を形式(有限なもの)へ造り入れることと形式を本質へ造り入れること――これら2つは相対的統一である――および第三者たる絶対的統一は,各個物のなかで再び繰り返される。したがって,本質を形式へとまた普遍的なものを特殊的なものへと造り入れたものとしての実在的側面を現わす自然は,それ自身再びこの3つの統一を備え,観念的側面もまた同様である。こうして各ポテンツはそれだけで再び絶対的となる。すなわち全体の三重構造を各個においても同様に反復し,それによって一切の事物の同一を示すとともに,これらの事物が全ての同一の統一を表現するようにこれらの事物をその絶対的本質において考察すること,これが宇宙の学的構成の一般的理念にほかならない。



 自然が精神および絶対者たる神に対してもつ関係を,シェリングは後期の叙述においてはじめて,次のように示した。すなわち,彼は神の本質を――無限の直観としての神がさらに自己自身を根拠とするかぎり――自然として規定し,叡智や思惟はただ存在と対置されることによってのみあるがゆえに,この自然を神における否定的要素であるとしたのである。
 シェリングの体系は,我々が考察しなければならない哲学のもつ最後の興味ある真実の形態である。第一にシェリングにあっては,彼が真実体を具体的なものとして,主観的なものと客観的なものとの統一として捉えたというその理念自身が挙げられねばならない。シェリング哲学の主要な点は,深い思弁的内容を問題にしていることである。それは,哲学の全歴史の上で問題にとなってきた内容である。自由に独立に存在するが,抽象的でなく自己内で具体的である思惟は,自らを自らのなかで叡智的現実的世界として捉える。これが自然の真理であり,自然自体である。シェリングの第二に偉大な点は,自然のなかで精神の諸形式を指摘したことである。電気,磁気等々は,彼にとっては理念の外的なあり方にすぎない。欠点となるところは,この理念一般,ならびにそれが観念界と自然界とに区別される点や,さらにはこれらの諸規定の総体が概念によってそれ自身のなかに必然的として示され発展させられていないことである。シェリングはこの面を把握しなかったので,思惟を見失ってしまった。こうして芸術品こそ理念が精神にたいしてある唯一最高のあり方となった。しかし,理念の最高のあり方はむしろ理念自身の境位にあり,思惟や概念的に把握された理念こそ芸術品より一層高次なものなのである。理念は真理であり,一切の真実体は理念である。そして理念を世界へ組織することが必然的な開示であり啓示であるとして証明されねばならない。これに反して,シェリングにあっては,形式はむしろ外的な図式となり,方法はこの図式の外的対象への依存となる。この外的に整えられた図式こそ弁証法的信仰の代わりに現われるものであり,それによって自然哲学は特に不信をかったのである。

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2016年11月25日

2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語(3/10)

(3)ヘーゲル『哲学史』シェリング 自然哲学と先験哲学 要約
 
 前回はフィヒテの哲学について論じられている部分の要約を紹介しました。そこでは,カントが物自体と自我という二元論に陥ってしまっていたのに対して,フィヒテが自我を根源において体系的に説いたということ,その自我とはカントのいうアプリオリな総合判断であることなどが説かれていました。しかし,フィヒテの哲学にも結局,自我と非我の対立がつきまとってしまったということでした。

 今回からシェリングの哲学について論じられている部分の要約を紹介します。その中でも自然哲学と先験哲学についての部分を今回は見ていきます。

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D シェリング

 フィヒテ哲学を越えて最も重大なあるいは哲学的見地からして唯一の意味ある一歩を踏み出したのはシェリングである。シェリングの哲学は,フィヒテ哲学と同様,神の認識を否定したカント哲学から出発しながら,神の認識へと移っていった。同時に,ヤコービの思惟と存在の統一の原理を根底におく。彼における具体的統一は,有限的なものも無限なものも,主観的観念も客観性もともに真実体ではなく,2つの真理ならざるものが相互に独立に離在しながら結合するのも真理ならざるものの結合でしかないとされる。具体的統一はただそれが過程であり,ひとつの定立(命題)のなかの生き生きとした運動であるというふうにしてのみ捉えられるにすぎない。こうした不可分性は,まさにただ神のなかのみにある。
 シェリングが登場したとき,哲学一般の要求は次のようなものであった。デカルトにおいては,思惟と延長が神のなかに合一され,スピノザにおいてはそれらが不動の実体として合一されていた。その後,形式が一部は諸科学において,一部はカント哲学において形成されていく。そして最後に,フィヒテ哲学において,形式そのものだけが主観性として現われ,この主観性から一切の規定が発展するとされたのであった。こうして時代の要求は,無限の形式たるこの主観性が,その一面性から自由となって客観性,客体性と合一することにある。あるいはスピノザ的実体が不動のものとしてでなく,叡智者として,自己内において必然性をもって活動する形式として,把握されるべきなのである。したがって,それは自然の創造者であり,しかもまたそれと同様,知や認識でもある。求められているのは,無限の形式を備えた総体性であり,これこそシェリング哲学において現われるものにほかならない。



 シェリングは,初期の著述『先験的観念論の体系』において,先験哲学と自然哲学とを学の両面として考えた。一切の知は客観と主観の一致に基づくが,両者の絶対的一致はただ神のみにおいてあり,その他の一切のものは主観と客観の不一致の要素を含んでいる。客観的なものの総体が自然,主観的なものの総体が自我または叡智であるが,一切の知が相互に前提し合い要求し合う2つの極をもつとすれば,2つの基礎学が存在しなければならず,一方の極から出発すれば必ず他方の極に向わずにいられなくなる,というのである。客観的なものを始元とし,自然から叡智的なものに至るのが自然哲学であり,主観的なものを始元とし,主観的なものから客観的なものを成立させるのが先験哲学である。

a 自我は主観と客観が直接に一となる点であり,自我即自我,主観即客観である。それが自己意識の作用であり,そのなかで私は私にとって対象となる。自我は自己自らが客観となる生産にほかならない。かくしてシェリングはフィヒテ哲学を引き合いに出しつつ,ヤコービのように直接知(叡智的直観)を原理とする。この叡智的直観の内容は,絶対者,神,即自且対自的存在であり,自己内において自己を媒介するものとして,主観的なものと客観的なものとの無差別として現わされるものである。
 しかし,絶対者を具体的なものとして知るこの知の形式の点で,さらに詳しくいえば,主観的なものと客観的なものとの統一の形式の点で,特に哲学はシェリング哲学となって日常の表象的意識やその反省の仕方から離れてしまったのであった。具体的なものは,その本性上,等しく思弁的である。シェリングにおいて思弁的形式が再び台頭して,哲学は再び独自の原理たる理性的思惟自体が思惟の形式を得たのである。

b 主観と客観の区別が入ってくると,自我と他者の関係が生じてくる。自我が自己を非我によって制限されたものとして措定することで,自我は自己を自己自身に対して措定する。自我のそれ自身への関係と無限の衝撃への関係は不可分離である。また,自我はそれが制限されないものである限りにおいてのみ制限されているが,この限界は,それを越えて行き渡るために必要不可欠である。この矛盾は,たとえ自我が非我を常に制限しても,依然として残る。

c 制限する活動によっても制限される活動によっても,自我は自己意識に到達しない。自己意識の自我を成立させるものは,両者から合成された第三の活動である。それはただ相対的同一性という本質的関係にとどまり,区別は依然としていつもそのなかに残ったままである。自我の自己内への方向と外への方向との争いが,無限の過程において解かれるというのは,単に外見上のことにとどまる。それが完結されるためには,内的および外的自然の全体がそのあらゆる細かな点まで叙述されなければならないのであるが,ただ主たる区画が掲げられるにすぎない。合一を直接自己内に含むこの第三者は,特殊性がうちに含まれている思想である。それはカントの直観的悟性,叡智的直観,または直観的叡智である。シェリングは特に矛盾の絶対的統一を知的直観と呼ぶ。ここでは自我は他者に対して一面的に対立しているのではない。それは無意識的なものと意識的なものとの一致であるが,しかしその一致の根底が自我自身のなかに存するといったようなものではないのである。
 客観的なものからは分離が措定され,別のものが対立させられるのだが,原理はこの対立の解消なのであるから,全哲学は絶対的同一者として非客観的な原理から出発しなければならない。絶対的同一者は,それ自身,主観的なものでも客観的なものでもないのだが,それは直接的な直観において客観として現わされる。知的直観の客観的となったものが芸術にほかならない。芸術において,同一不二の直観のなかにおいて自我はそれ自身を意識し,また無意識となる。こうして客観的となった知的直観はとりもなおさず客観的な感性的直観である。しかし,概念の客観性はこれとは別であり,それは洞察された必然性である。
 こうして,哲学の内容に対しても主観的な哲学的思索に対しても一つの原理が前提されるが,一面においては人は知的直観をもって終止するように要求されるとともに,他面においては,この原理がやはり確証を得なければならず,それがいまや芸術品において行われるのである。そこでは,感性的表象が叡智性と一つになっており,感性的存在はただ精神性の表現にすぎないのであるから,これは理性の客観化の最高のあり方である。主観が到達する最高の客観性,客観的なものと主観的なものとの最高の同一性こそ,シェリングが構想力と名づけるものにほかならない。哲学的思索はほかならぬ芸術の独創性と考えられるのである。しかし,芸術も構想力も決して最高のものではない。理念や精神は芸術が芸術の理念を表現するような仕方では真に表現されえないのだから,これは直観の一つのあり方にすぎず,こうした感覚的なあり方のために芸術品は決して精神にふさわしくあることはできない。構想力や芸術によっては,主観的なものと客観的なものの絶対的同一性にはならない。そのためには,理性的な思弁的思惟が必要なのだが,君は知的直観をもっていないのだ,といわれてしまう。
 シェリング哲学の欠陥は,主観的なものと客観的なものとの無差別点,言い換えるなら,理性の概念が絶対的に前提され,これが真理であると証明されることなしに終わる点にある。主観的なものと客観的なものとの同一が真理であるという証明は,各々が独立にその論理的規定において,すなわちその本質的規定において追究されるようにしてのみ行われるべきである。それによって,やがて主観的なものは自らを変じて客観的なものとなり,客観的なものもまたそのままに止まらず,自らは主観的なものとするという結果が生じるに違いない。同じように,有限的なものそのものについて,それが矛盾を内に含み自らを無限なものとすることが示されねばならない。そうしてこそ,有限なものと無限なものとの合一が得られる。こうした発展の結果を単に結果として捉えるのは一面的である。それは過程であって媒介を自己の内に含んでいる。この媒介そのものは再び止揚され,直接的なものとして措定される。おそらくシェリングはこうした考え方を一般には持っていただろうが,これを一定の論理的な仕方で遂行することはなかった。彼にあってそれは,知的直観のみによって証明される直接的真理にとどまったのである。

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2016年11月24日

2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語(2/10)

(2)ヘーゲル『哲学史』フィヒテ 要約

 前回は,京都弁証法認識論研究会の11月例会において,報告担当者から提示されたレジュメ,およびそれに対して他メンバーからなされたコメントを紹介しました。今回から4回にわたって,ヘーゲル『哲学史』の要約を紹介していくことにします。

 今回は,フィヒテの哲学について論じられている部分の要約です。ここでは,フィヒテが自我を原理としてカントの哲学を完成させたのだということが説かれています。

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C フィヒテ

 フィヒテの哲学はカント哲学の完成であり,その首尾一貫した展開である。これらの哲学とシェリングのそれ以外に,何ら哲学と称するに足るべきものはない。
 フィヒテの哲学と称されるものについては,厳密に終始一貫して進行しながらもあまり知られていない本格的な思弁哲学と,公衆向けに行われたベルリンでの講義(『至福の生活について』など)のような通俗哲学とを区別しなければならない。哲学史において取り扱われるものにあっては,内容そのものが思弁的に発展させねばならないが,それはただ彼の初期の哲学的書目においてのみそうなのである。

1,本来のフィヒテ哲学

 フィヒテこそ,カント哲学の欠陥,すなわち全体系に思弁的統一を欠く原因となった没思想的な不整合を止揚した当の人にほかならなかった。フィヒテの心を捉えた絶対的形式こそ絶対的対自存在,絶対的否定性であり,個別性の概念,現実性の概念である。フィヒテは自我を絶対的原理として掲げ,宇宙の全内容をこの自我(自己自身の直接的確実性)からの所産として叙述しようとした。それゆえ,フィヒテに従えば,理性は自己自身内において概念と現実の総合であるのだが,彼はこの原理を再び一面的に振り分けてしまった。すなわち,徹頭徹尾主観的で,対立につきまとわれており,この原理の実現は有限性のままの進行であり,先行するものへの回顧である。さらにまた叙述の形式には常に経験的自我を目にしているという不都合,不手際があり,それが内容にそぐわず,観点を狂わすのである。
 自我とは自己自身において相対立するものを自ら差別することである。自我が自己を思惟の単純性から区別し,またこの他者を区別する手段も,同様自我にとって直接的であり,自我と等しいかまたは区別されない。かくて自我は純粋思惟,あるいはカントがすでに名付けたように真のアプリオリな総合判断である。この原理は概念的に把握された現実である。なぜなら他在を自己意識のうちに取り戻すことこそ概念的把握にほかならないからである。この側面からすれば,概念の概念は,概念的に把握されるもののなかにおいて自己意識が自己自身の確実性をもつということによって見出される。この絶対的概念,あるいは即自且対自的に存在する無限性こそは,学において発展させられ,その差別が宇宙の一切の差別として自己から顕現する当のものであり,宇宙は依然としてその差別のなかにおいて同様の絶対性のまま,自己のうちに反省するものでなければならないのである。
 フィヒテはこうした概念のみを掲げたのであって,この概念を自己自身からする学の実現へともっていくことはできなかった。フィヒテにおいては,この概念が概念として固定され,ただそれが実現されない概念として実在に対立する限りで絶対性をもっていたからである。フィヒテ哲学は,およそ哲学は一切の規定が唯一最高の原則からして必然的に演繹される学でなければならないということを確立した点で,大きな長所をもっている。彼は学の規定を自我から構成する仕事を遂行しようとしたことで一歩前進したのであった。
 カントが認識を樹立したように,フィヒテは知を樹立する。フィヒテは哲学が知の理説であるというように哲学の課題を言い表す。哲学的認識の目的は意識の本性としての知を知ることである。それゆえ,フィヒテはかれの哲学を智識学と名づけたのである。

a〔自我と非我〕
 彼が出発点としたのは,カントに存在した自己意識の先験的統一である。知の単純な根底となるのは私自身の確実性である。フィヒテはデカルトの「我思う,ゆえに我あり」を想起するが,自我はフィヒテによれば,範疇や理念の源泉であり,しかも一切の表象や思想は思惟によって総合された多様だからである。デカルトにあっては自我に次いでは,我々がただ我々のなかにのみ見出すその他の思想,すなわち神や自然等々のものが現われて来るが,フィヒテにあっては何ら経験的なものを外部から取り入れることなく,全く一丸となった哲学が企てられる。
 フィヒテは自我を学の全体が導出されるべき3つの根本命題に分析する。
 α 第一の原則はA=A(自我=自我)である。これは抽象的な無規定的な同一性であって,自我の自己確実性が何らの対象性も有せず,区別される内容の形式をもっていない。
 β 第二の原則は「自我は自我に対して非我を対置する」。非我は対象一般であり,自我の否定者であるから,非我というのは筋の通った表現である。
 γ 第三の原則は,「自我も非我も,ともに自我によって,自我のうちに,相互に制限し合うものとして,すなわち,一方の実在性が他方の実在性を止揚するものとして,措定される」。自我が非我によって制限されれば理論理性・叡智の定立であり,非我が自我によって制限されれば実践理性・意志の定立である。

b〔理論理性〕
 自我は自己を非我によって制限されたものとして措定するが,しかし私はこの制限を私の制限作用とする。したがって,それは私のなかにあり,自我のこの受動性はそれ自身自我の活動である。事実こうして対象において自我に対して現われる実在性は全て自我の規定にほかならない。ここで,他在が絶対的自己意識に立ち戻ることが期待されるが,他在が無制約的に,すなわち自体的にみられることで,この還帰は成立しない。自我が他者を規定するにしても,この統一は有限的であり,自己意識と他者の意識との交代の絶えざる進行にすぎない。

c〔実践理性〕
 自我は非我を規定するものとして自らを措定する。今や自我はそれを越える彼岸を規定することで自己自身のもとにあるというふうにして,対立は解消されることになる。こうして自我は無限の活動となり,自我即自我として絶対的自我となる。しかし,それは抽象的なものでしかない。有限な精神は必然的に絶対的なものを自己の外に措定しなければならない(物自体),しかもそれがただ有限な精神にとってのみある(必然的本体である)ことを認めなければならない。自我は絶対的概念であるが,まだ思惟の統一には到達せず,非我を概念的に把握していない。

〔フィヒテ哲学の欠陥〕
 フィヒテ哲学の欠陥の第一は,普遍的な絶対的な自己意識に対立して,個別的な現実的な自己意識の意味を離されていないことである。
 第二に,主観と客観あるいは自我と非我との完成した実在的統一としての理性の理念に到達していない。統一はカントにおけるのと同様,信仰のなかに合一を求める思想として立てられているにすぎず,フィヒテもまた信仰をもって終わるのである。
 第三に,自我が一方に固定されているがゆえに,この極限たる自我から学の内容の一切の進行が出発する。そしてフィヒテ哲学の演繹,すなわち認識なるものはその内容上からも形式上からも,ある規定性から他の規定性に進むだけで決して統一に帰着することがない。絶対者を内に含まない有限性の系列を通じての進行にほかならないのである。そこには絶対的考察も絶対的内容もともに欠けている。

2,改造されたフィヒテの体系〔略〕

3,フィヒテ哲学と関連する主要形式〔略〕

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2016年11月23日

2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語(1/10)

(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント
(2)ヘーゲル『哲学史』フィヒテ 要約
(3)ヘーゲル『哲学史』シェリング 自然哲学と先験哲学 要約
(4)ヘーゲル『哲学史』シェリング 同一性の哲学 要約
(5)ヘーゲル『哲学史』結語 要約
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1:フィヒテの哲学とはどのようなものか
(8)論点2:シェリングの哲学とはどのようなものか
(9)論点3:ヘーゲルは哲学史をどのようなものとして描いたか
(10)参加者の感想の紹介

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(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント

 我々京都弁証法認識論研究会は,昨年および今年の2年間を費やして,ヘーゲル『哲学史』の学びに取り組んでいます。3年前のヘーゲル『歴史哲学』,一昨年のシュヴェーグラー『西洋哲学史』の学びを踏まえて,この『哲学史』を通読することにより,ヘーゲルが描く哲学史の流れを理解することはもちろんのこと,それを唯物論的に捉え返すことで唯物論哲学の創出に向けた一歩を確実に進めていくことを課題としています。

 11月例会では,ヘーゲル『哲学史』の最後の部分であるフィヒテとシェリングの哲学を扱いました。彼らがカントの哲学をいかにして発展させ,それがヘーゲル哲学にどのようにつながっていったのかを中心に検討しました。また,最後の結語の部分も今回の範囲でした。ここでは,ヘーゲルの考える哲学が端的に説かれており,これまでの流れも整理されていました。

 今回の例会報告では,まず例会で報告されたレジュメを紹介したあと,扱った範囲の要約を4回に分けて掲載し,ついで,参加者から提起された論点について,どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に,この例会を受けての参加者の感想を紹介します。

 今回はまず,報告担当者から提示されたレジュメ,およびそのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介することにしましょう。

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京都弁証法認識論研究会12月例会

ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング

1.フィヒテの哲学とはどのようなものか

 ヘーゲルはフィヒテの哲学をカントの哲学を完成させたものだとしている。カントの哲学は体系全体が哲学的に統一されることがなかったが,フィヒテは自我を絶対的な原理として,そこから首尾一貫した表現を与えるものだとして評価しているのである。自我とは概念が直接に現実となり,現実が直接に概念となったものであり,真の先天的総合判断だと解説した上で,「哲学は最高の原則から出発して,すべての内容をそこから必然的に演繹してくる学問でなければならない」という考えをうちたてた点で,フィヒテの哲学はぬきんでた価値をもつという。
 この自我は自我に非我を対置するというフィヒテの原則を紹介した上で,非我とは,客観一般であり,わたしに対立する対象であり,わたしを否定するものだとヘーゲルは解説している。ヘーゲルは,この他なるものを非我と名付けたのは筋のとおった表現法だと評価するものの,フィヒテにおいては,他なる存在がそれ自体で無条件に存在するとされている以上,他なる存在が絶対の自己意識へとかえっていくさまを示すことができないとして,フィヒテの哲学の限界を指摘している。そして,カントと同じように,理論理性においては自我と非我の対立がフィヒテにつきまとい,実践理性においては感覚と理性との対立が現れているとしている。

<報告者コメント>
 ヘーゲルはフィヒテが自我ということを最高の原理として掲げたことを高く評価しているようであるが,これは学問の構築過程からすれば,学問体系における一般論を掲げたということ,しかもその一般論の中身も妥当だと評価しているということになりそうである。
 しかし,結局,自我と非我の対立があって統一して説くことができなかったとしている。これは,まともな一般論を掲げたものの,それをもってして現実の世界を説いていくことができなかったということであろう。唯物論的にいえば,事実と論理ののぼりおりができなかったということであり,ヘーゲル流にいえば,絶対精神が円環を閉じることができなかったということになるだろう。


2.シェリングの哲学とはどのようなものか

 ヘーゲルは,フィヒテの哲学において,思考と延長の統一の形式そのものが主観性としてとりだされ,主観性からすべての内容が出てくるとされたが,今はその一面性から解きはなって,客観性や実体性と統一することが必要だとした上で,シェリングの哲学の解説に入っている。
 ヘーゲルによれば,シェリングの哲学は自然哲学と先験哲学の2つから成っている。主観と客観がもともと同一のものであるという前提のもと,客観を第一のものとし,自然を知性化しようとするものが自然哲学である。一方,主観を第一のものとし,主観と一致するような客観がどのようにしてあらわれるかを明らかにしようとするものが先験哲学である。
 こうしたシェリングの哲学に対して,ヘーゲルは,概念や理性の形式を自然に適用した点が功績だとしている(別の個所では「自然のうちに概念や概念形式を導入した」「観念世界に生じるのとおなじ図式やリズムを対象世界のうちに認識しようとした」とも書いているが,ほぼ同じような意味であろう)。
 一方,シェリングの哲学の欠陥として,ヘーゲルは,主観と客観の無差別が前提とされ,それが真理であることが証明されず,「知的に直観せよ」と要求されるところにあると指摘している。これでは哲学は天才的な技量を必要とするものとなり,幸運児にしか許されないものになると批判し,主観が客観へと転化するものであり,客観も客観にとどまりえず,主観となっていくものであることを示さなければならないとしている。

<報告者コメント>
 シェリングは主観と客観が同一のものであるとしている。学問の構築過程からすれば,一般論として掬い上げた性質が,現実の様々な事実にも存在していることを確認したということになるだろう。フィヒテが自我を原理として掲げたものの,そこから説くことができなかったことを比べると,これは一歩前進していると言えるだろう。なお,「観念世界に生じるのとおなじ図式やリズムを対象世界のうちに認識しようとした」とあるが,その背景にはシェリングがロマン主義の芸術家と親交をもっていたことも関わっているだろう。
 ただし,シェリングにおいては主観と客観の無差別が前提とされていて,それが真理であることが証明されていないとしている。これは事実から一気に一般論にのぼってしまう,あるいは一般論から一気に事実におりてしまうということではないか。例えば,認識は対象の反映であり,像であるというのが認識一般論である。コップを思い浮かべて,それが現実の対象の反映(をもとにして創られた像)だと言われれば,それはある程度納得できるだろうが,仮に自由や権利など抽象的な概念がいきなり対象の反映だと言われても納得できないだろう。そのような抽象的な概念が対象の反映からどのように生成・発展して生まれてくるのかを説かなければならない。こうした過程がとんでしまっているのがシェリングだということではないだろうか。


3.ヘーゲルの『哲学史』を振り返る

 ヘーゲルはシェリングの哲学についての解説を終えた後,「哲学の現在の立場は理念の二つの側面たる自然と精神の同一性が必然的であるのを認識することにある」としている。そして,ここに至るまでの過程を以下の8つの段階として示している。
1.与えられた対象から出発してそれを理念に転化した「ある」(存在)の段階
2.抽象的思考であるヌースが全体を貫く実在として知られるようになるイデアの段階(プラトン)
3.概念的思考が宇宙のすべての形態に精神をふきこむ段階(アリストテレス)
4.概念が主観としてあらわれ,主客の抽象的な分離が生じる段階(ストア派から懐疑主義)
5.すべての実在のうちに理念を見るが,その理念が自己を知らない段階(新プラトン主義)
(近代の課題:理念を精神として,自己を知る理念として,とらえること)
6.自己意識が自分が意識であると考える段階(デカルトからライプニッツ)
7.自己意識が他とも否定的な関係を結ぶ段階(フィヒテ)
8.自己意識が純粋な思考と存在を一体化したものとして認識する知的直観の段階
 その上で,この哲学史をとおして示したかったものは,「後の哲学は必ず前の哲学を前提にして生まれる」ということであったとしている。

<報告者コメント>
 ヘーゲルは,絶対精神の自己運動として全世界を捉え,人間が絶対精神としての自覚を深める過程として哲学史を描いたわけであるが,絶対精神という観点で現代にいたるまでの過程を説ききったという実力をまずはしっかり受け止める必要があるだろう。この間,様々な哲学者が出てきたが,基本的にはその哲学者の著書をヘーゲルは読んでいるであろうし,まずそれだけで大変な労力であるし,ましてそれを自らの哲学の中に組み込んでいくなど,とんでもない実力だと言えるだろう。唯物論の立場からヘーゲルを上回る哲学を構築するなど,本当に並大抵のことではないということをわかった上で取り組んでいく必要がある。
 その上でなすべき作業としては,このヘーゲルが説いた哲学史の過程からしっかり運動・変化の一般性を読み取っていくことであろう。生命の歴史や人類の歴史,個体発生の過程,学問構築の過程,上達論,それぞれの専門分野における学問史などに重ね合わせながら,そこから運動・変化の一般性を導き出していくことが,唯物論の立場から哲学史を構築する際の指針を獲得するという意味で必要だろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 この報告に対して,まず,シェリングについての報告者コメントがよく分からないという指摘がありました。「シェリングは主観と客観が同一のものであるとしている。学問の構築過程からすれば,一般論として掬い上げた性質が,現実の様々な事実にも存在していることを確認したということになるだろう」という部分についてです。レジュメ報告者からは,ヘーゲル哲学を学問構築の一般論として読もうとしたとして補足の説明がありましたが,つまり,事実から論理を導き出したことがすなわち主観と客観の同一であるということでした。この結論自体も当てはめ的な感じがするが,何よりも論理の飛躍があり,今のような説明がなければ,読者としてはつながりがよく分からないという指摘がありました。

 また,フィヒテについてのコメントも,フィヒテが自我を最高の原理として掲げたことは,学問体系における一般論を掲げたということだと説かれているが,これは,哲学という特殊性を無視した主張になってしまっているという指摘がありました。また,唯物論の立場と観念論の立場は違うのであって,フィヒテは現実から抽象して,全ては自我である,というように唯物論的な手続きを経て結論したわけではないのであるから,単純に自我を最高の原理として掲げたことを一般論の構築といってしまうのはどうなのか,という指摘もなされました。

 さらに,シェリングについての「ロマン主義の芸術家と親交をもっていた」ことに関して,そういう影響もなくはないだろうが,これはシェリングに特殊な事情というよりも,ドイツ観念論一般にいえることなのではないか,「図式」という言葉などは直接的にはカントの『判断力批判』を受け継いでいるのではないか,という意見も出ました。

 これらの指摘や意見について,レジュメ報告者は同意しました。

 では,次回以降4回は,今回扱った範囲の要約を掲載していきたいと思います。

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2016年11月22日

アダム・スミス『国富論』を読む(13/13)

(13)国民の富の持続的再生産という観点が必須である

 前回は、本稿で紹介してきた『国富論』の内容について、簡単に振り返ってみました。その内容を、スミスの哲学体系の全体に位置づけ、法学体系の一部を構成するものであるであることを意識しつつ、より端的にまとめなおしてみましょう(以下は、本ブログ掲載の「アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う」を下敷きにしたものです)。

 第1篇では、共感(想像上の立場の交換)の原理とつながる交換性向論を基礎に、お互いの所有物を自由に交換しあうことを可能にするような条件――所有権という具体的形態をとった正義――が確立された商業社会において、分業の発展によって国民の富が増大していくことが説かれていました。第2篇では、どの産業部門への資本投下がどの程度まで富の増大に寄与するのか検討された結果、国民の富の増大に最も寄与するのは農業であり、次いで国内製造業、国内商業、外国貿易と続くことが示唆されていました。ここで大きな役割を果すのが、慎慮の徳――『道徳感情論』において、自分の将来の幸福のために現在の欲求を抑える徳として説かれた徳――です。資本所有者が慎慮の徳を備えていれば、それぞれの部門において予想される利潤が極端に異ならない限り、投資の安全性や確実性を考慮して、外国貿易より国内商業、国内商業より製造業、製造業より農業に、自分の資本を投下するはずです。その結果、国民の富を最大化するような形で社会的総資本の配分が達成されていくのです。このように、『道徳感情論』をふまえた法学体系の一部として『国富論』を捉えた場合、第1篇においては正義の徳が、第2篇においては慎慮の徳が、大きな役割を果たしていると指摘できます。お互いの財産(所有物)を不当に侵害しないという正義の枠組みのなかで、個々の経済主体(資本所有者)が慎慮の徳にしたがって行動するならば、おのずから国民の富は増大していく――これが、『国富論』の第1篇および第2篇の主張です。

 しかし、スミスが眼にしていた現実の社会のあり方は、そのような理想(理論的に描かれた商品交換社会)とは少なからず距離がありました。現実の社会のあり方を批判的に分析することで、理想的な状態の実現を阻んでいる諸要因を摘出したのが、第3篇と第4篇です。第3篇では、西ローマ帝国の崩壊以来のヨーロッパ経済史が批判的に検討され、農業→製造業→国内商業→外国貿易という産業の自然な発展の順序が(国家権力の恣意的な介入によって)往々にして逆転させられてしまっていたたことが論じられます。第4篇では、このような国家権力による恣意的な介入の根拠となった重商主義が厳しく批判されます。そして結論として、特定産業を優遇したり抑制したりする一切の制度を完全に廃止することで、明瞭で簡潔な「自然的自由の体系(system of natural liberty)」を実現させるべきことを主張するのです。

 しかし、スミスは、「自然的自由の体系」が実現された社会において政府は無用となる、と考えていたわけではありません。第5篇において、政府のなすべき仕事について(経費論)、政府の仕事に必要な財源の調達について(租税論・公債論)、市場の自然で自由な動きとの関連を意識した財政論として議論されていくのです。ここでスミスが、政府のやるべき仕事としてあげているのは、国防、司法、公共事業の3つです。このうち、国防は国家の存立そのものに関わるものとして富裕に先だって重要なものであるとされ、司法は正義の制度的枠組みを守るものとしてその重要性が強調されています。また、政府がやらなければならない公共事業として教育が論じられ、文明社会の二面性――商業社会が生活習慣を洗練していくという積極面と、分業の発展が労働者階級の視野を狭くし知的能力を失わせていくという消極面――を視野に入れつつ、国民の徳を陶冶していくための基礎的な教育の重要性が強調されていくのです。

 以上、法学体系の一部としての『国富論』という観点から、その構成を概観してみました。端的には、第1篇と第2篇が自然的自由の体系の基礎となる市場(経済社会)についての論をなし、第5篇が自然的自由の体系を上から統括する政府についての論をなす一方、第3篇が現実の経済社会のあり方についての批判、第4篇が現実の経済社会のあり方を規定した政府の政策およびそれに影響を与えた重商主義への批判をなす、とまとめることができます。

『国富論』全体像.jpg

 こうした『国富論』の内容に関わって、前回、決定的に重要なこととして確認したのは、スミスが実現を目指していたのは、全ての国民(その大きな部分を占めるのが下層の労働者)がそこそこの物質的な豊かさを保障され、人間らしく生きていくことのできる社会状態にほかならなかった、ということでした。スミスのいわゆる「見えざる手」は、国民が消費する生活必需品と便益品の生産量(社会の全収入)を最大にするような資本と労働の配分を実現してくれるからこそ尊重されるのであって、市場における自由な競争それ自体が自己目的化されていたわけではありません。スミスが「見えざる手」を主張したのは、ハッキリいえば、経済的な強者(特権的な大商人や製造業者)の利害によって経済の自然なあり方が歪められてしまったために、経済的な弱者(下層労働者など)が痛めつけられている、という現状を打開しようとしたからにほかならないのです。ここでいう経済の自然なあり方とは、国民が年々に消費する生活必需品と便益品が、きちんと持続的に再生産されていけるように、資本と労働が適切に配分されていく状態のことです。スミスが「見えざる手」に任せるべきことを主張したのは、強者の利益のために歪められてしまった経済の自然なあり方を回復することこそが、下層労働者を含む国民全ての利益になると信じたからにほかならないのです。こうしたスミスの信念の根底には、「宇宙は一般法則に支配され、それ自身およびそのなかにいる全ての種の保存と繁栄という一般的な目的を目指して運動するまとまった体系である」(「古代の自然学の歴史」)という把握がありました。この世界(宇宙)全体は、本来的に調和的なものとして存在しているのであって、人為的にその動きをかき乱さなければ、おのずから望ましい状態が実現されていくはずだ、という信念があったのです。こうした文脈から切り離して、「見えざる手」という言葉をもっぱら市場の自動調節機能を賛美するものとして流布するのは、スミスの真意を曲解するものといわなければなりません。

 本稿の第1回では、アダム・スミスという名前、あるいは「見えざる手」という言葉を持ち出しながらの「アベノミクス」批判が行われていることをみました。しかし、本稿を読んでこられた読者の皆さんなら、わざわざアダム・スミスという名前を出して「アベノミクス」を批判するのに、単に「統制経済だ!」「社会主義的な経済政策だ!」「市場原理に反する!」というレベルにとどまってしまうのであれば、それはあまりに浅薄である、と感じられるのではないでしょうか。せっかくアダム・スミスという名前を持ち出すのであれば、最低でも、経済的な強者の利益のために経済の自然なあり方が歪められてしまっていないか、そのために経済的弱者が痛めつけられるような結果になっていないか、という問いかけをもつべきでしょう。そのような問題意識から「アベノミクス」を批判的に検討してみるならば、外国貿易で儲けようという一握りの巨大企業の利益ばかりが優先されているのではないか(円安誘導策、TPPなど)、国民が消費する必需品や便益品を持続的に再生産できるような資本と労働の配分ということとは無関係に、ともかくお金(カネ)の量を増やせば何とかなるという考え方にとりつかれてしまっているのではないか(異次元金融緩和)、といった疑惑が浮かんでこざるを得ません。要するに、「アベノミクス」は決して「社会主義的な経済政策」などではなく、スミスが厳しい批判の対象とした重商主義そのものなのではないか、ということにもなってくるのです。

 『国富論』を踏まえた「アベノミクス」批判という問題を、もう少し突っ込んで考えてみましょう。

 「アベノミクス」の最優先課題はデフレ脱却であるとされますが、そのためには何よりも賃上げ(個人消費の回復による需要の伸び)が必要ではないか、ということは広く指摘されています。安倍首相自身、経済界に対して繰り返し賃上げを要求してきました。しかし、賃上げが必要であるにしても、それが“官製賃上げ”と揶揄されるような形で実現されるのは、果たして社会にとって健全なことなのでしょうか。ここで想起すべきなのは、スミスが重農主義批判(第4篇、第9章)において、全ての人が自分の生活をよくしようと努力し続ける自然な動きこそ社会の健全性を維持する原理である、と述べていたことです(本稿の連載第8回を参照)。「見えざる手」は、自分の生活を少しでもよくしようという各個人の努力を媒介として機能するものだとされていたわけです。これを敷衍するならば、賃上げというものは、労働者が自分たちの力によって闘い取るという形で実現しなければ社会は健全なものにはならない、と指摘することができます。「安倍首相が企業に強く要請してくれたから賃上げが実現した。感謝しなければ!」ということではダメなのです(ここには、独裁者への個人崇拝につながりかねない危険な要素が含まれています)。根本的な問題は、1980年代以降、世界的な規模で押し進められてきた新自由主義的な政策・イデオロギー攻撃によって、労働者階級の闘争力が著しく奪われてきたことです(デヴィッド・ハーヴェイ『新自由主義』〔2007年、作品社〕がこの問題を詳しく論じています)。そもそも、第二次世界大戦後の資本主義経済の高度成長は、労働者階級が自分たちの生活をよくしようとして賃上げと労働条件の改善を勝ち取ってきたからこそ実現したという側面があります。現在、世界的な規模で経済が停滞状況にあるのは、資本家階級がみずからの利益を確保しようとして無理矢理に労働者階級の闘争力を奪ってきたからだ、ということは否定できないのです。「アベノミクス」における“官製賃上げ”は、大資本家の私的な利益のために社会の健全性を維持する仕組み(ここでは労働者階級の闘争力)が破壊されてしまった結果にほかなりません。日本社会を健全なものにするためには、労働者みずからが自分の権利のために闘うという雰囲気を取り戻す必要がある――『国富論』を踏まえた「アベノミクス」批判としては、以上のようなこともいえるのです。

 もちろん、スミスが、資本と労働の配分を基本的に市場における自由競争に任せてしまおうとしたことについては、批判的に検討される余地があります。これは、利己的でありながら共感の能力をもつ人間どうしの関わり合いのなかで(各人の胸中に「公平な観察者」が創出されることを媒介にして)、おのずから望ましい秩序が形成されていくはずだというスミスの社会観、さらにいえば、「宇宙は一般法則に支配され、それ自身およびそのなかにいる全ての種の保存と繁栄という一般的な目的を目指して運動するまとまった体系である」というスミスの宇宙(世界)観の是非にまで踏み込んで検討されるべき問題だといえるでしょう。この問題についての踏み込んだ考察は今後の課題とすることを確認して、本稿は終えることにします。
 
(了)
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2016年11月21日

アダム・スミス『国富論』を読む(12/13)

(12)スミスは強者の利益のために経済が歪められることに反対した

 本稿は、“経済学の祖”と呼ばれるアダム・スミスの主著『国富論』を、彼の哲学体系の全体像を念頭に置きながら、概観していこうとするものでした。ここで、本稿で紹介してきた『国富論』の内容について、簡単に振り返っておきましょう。

 スミスは、「序論および本書の構想」において、国の富とは国民が日々の生活において消費するモノ(必需品+便益品)にほかならず、その源泉は国民自身の労働である、と宣言し、この国民の労働のあり方を研究対象として据えることを明らかにしていました。

 「第1篇 労働の生産力における改善の要因と、生産物が各階級に分配されていく際の自然な秩序について」においては、まず、人間の交換性向(これは共感の能力に関連するものであることが示唆されています)にもとづく分業こそ生産力発展の要因であるとことが力説され、分業の発展により商品交換が広く行われるようになったことで貨幣が成立したこと、商品の交換価値の真の尺度は労働であること、商品の価格(交換価値)は労働の賃金、資本の利潤、土地の地代によって構成され、国民の収入の源泉は結局この3つに還元されること、賃金、利潤、地代の自然水準を過不足なく払えるのが商品の自然価格であり、市場価格はこの自然価格を中心にして変動していることが明らかにされていました。次いでスミスは、商品の自然価格を構成する賃金、利潤、地代の自然水準そのものの変動について検討し、労働者の利害、資本家の利害、地主の利害が社会全体の利害とどう関係するかを考察していました。スミスによれば、労働者が得る賃金と地主が得る地代は、分業の発展による社会全体の富の増大と一致して増えていくのですが、資本家が得る利潤は、豊かな国(資本が過剰な国)では低く、貧しい国(資本が過小な国)では高く、急速に衰退している国(資本が急速に減少しつつある国)で最も高くなるので、資本家階級の利害は社会全体の利害と食い違うのだ、と指摘していました。

 「第2篇 資本の性質、蓄積、用途について」においては、資本の蓄積が分業の発展を規定することが確認され、生産的労働(商品という具体的な形で価値を残す労働。農業労働、手工業労働など)と不生産的労働(価値は生み出すもののそのまま消えてしまう労働。家事使用人、役者・音楽家、役人など)とが区別された上で、生産量を増やすためには収入を浪費せずに倹約して生産的労働者を雇用するための資本を蓄積していく必要のあることが論じられていました。スミスは、資本の用途として、農漁業・鉱山業、製造業、卸売業、小売業(国内取引、国内消費用物資の輸入、中継貿易)を挙げ、最も多くの生産的労働を維持する農業から出発して、国内産業の順調の発展の末に、国内の生産的労働を全て維持してもなお余るほどの資本が蓄積されてはじめて、中継貿易に資本が投下されるようになっていくのが自然な流れだ、と強調していました。

 「第3篇 国によって豊かさへの道筋が異なることについて」では、ローマ帝国崩壊後のヨーロッパの歴史において、豊かさへの自然な道筋がなぜ歪められてしまったのか、より具体的には、農業よりも中継貿易に資本を投下する方が有利だというような不自然な状況がなぜつくられてしまったのか、という問題が立てられ、社会の混乱状況において、領地の安全確保を最優先して土地の分割を禁じる仕組みがつくられたことによって土地の改良が阻まれてしまったこと、国王が封建領主との権力闘争のなかで、商人や職人などの都市住民を優遇する政策をとるようになったことなどが、指摘されていました。

 「第4篇 政治経済学の諸体系(systems)について」では、豊かさへの自然な道筋が歪められてしまった思想的・理論的な根拠として、主として重商主義の主張が批判的に検討されていました。スミスは、富とは金銀であり鉱山のない国は貿易黒字によって金銀を入手するしかない、という考え方が確立した結果、輸入をできる限り減らして輸出をできる限り増やすことが経済政策の大目標となったことを指摘していました。その上で、輸入規制として2つ(国内生産できる商品の輸入を規制すること、貿易赤字の相手国からの輸入を全商品にわたって規制すること)、輸出奨励として4つ(戻し税、輸出奨励金、通商条約、植民地建設)の手段を挙げ、それぞれについて、産業の年間生産物に如何なる影響を与えるか、という観点から検討していました。有名な「見えざる手」という言葉は、第一の輸入規制(国内生産できる商品の輸入の規制)を批判する文脈のなかで登場するものでした。本稿では、「見えざる手」は、国民が消費する生活必需品と便益品の生産量(社会の全収入)を最大にするような資本と労働の配分を実現してくれるからこそ尊重されるのであって、市場における自由な競争それ自体が自己目的化されていたわけではないことを強調しました。この第4篇におけるスミスの結論は、ある種の産業を特別に奨励したり抑制したりしようとして、資本と労働の自然な配分を歪めてしまうならば、年間生産物の真の価値は多かれ少なかれ減ってしまうことになる、というものでした。この第4篇の最後の部分で、スミスは、特定産業を優遇したり抑制したりする一切の制度が完全に廃止されたならば、明瞭で簡潔な「自然的自由の体系(system of natural liberty)」が実現する、としつつ、それでもなお政府には果たすべき役割が存在することを指摘していました。

 「第5篇 主権者あるいは公共社会(the Sovereign or Commonwealth)の収入について」では、「自然的自由の体系」においてなお政府が果すべき役割について、また、政府がそうした役割を果すために必要となる資金の調達のあり方について、論じられていました。スミスが、政府の義務としてあげていたのは、簡単には、国防、司法制度の確立、公共施設・機関の建設・維持の3つでした。本稿では、国家の外側からの攻撃に抗して「自然的自由の体系」の枠組みを守るためのものが国防であり、国家の内側からの攻撃に抗して「自然的自由の体系」の枠組みを守るためのものが司法制度であると整理して、国防と司法制度によって社会の中身がしっかりと守られていてこそ、分業と交換を通じた豊かさの実現が可能になるのだ、という国家観・社会観をスミスが抱いていたことを指摘しました。これに対して、政府の第三の義務たる公共土木事業および公共施設の建設・維持は、「自然的自由の体系」の中身に関わっていこうとするものである、と位置づけました。スミスは政府の果すべき義務について検討した結論として、国防費のように社会全体の利益のために支出される経費は、社会全体の負担によって、すなわち、全ての国民が各人の能力に応じて負担する形で賄うのが適切であること、司法の経費、道路などの建設・維持費、教育機関・宗教団体の経費など、社会の一部が直接に利益を受けることになる経費は、利益を受ける人が負担する形で賄う方が適切であることを確認していました(もっとも、後者の諸経費にも、社会全体の利益につながる面がある以上、社会全体の負担で賄おうとすることが必ずしも不適切ではないとも指摘されていました)。スミスは、社会全体の負担で国の経費を賄うための国民の収入への課税、国防費を中心に国の経費の膨張を賄うための富裕な商工業者からの借入について論じていました。税金については、公平、確実、便宜、最小徴税費の4つの原則が立てられた上で、どのような課税が望ましいのか検討されていました。そのなかで注目されるのは、負担能力の大きい人間がより大きな負担(収入に比例する以上の負担)を行うことは必ずしも不合理ではない、として、応能負担の原則が強く示唆されていたことでした。また、公債については、その起源から巨額の債務が累積するまでの過程が歴史的に辿られつつ、イギリスが抱える巨額の債務をまともに解消するためには、財政収入を増やすか財政支出を減らすしか方法はなく、そのためには、アメリカ植民地を合邦する(植民地住民に本土の国民と同等の政治的権利を与えつつ、同等の税負担を課す)かアメリカ植民地を独立させる(植民地防衛のための巨額の費用負担をなくす)しかない、と提言されていたのでした。

 以上、本稿で紹介してきた『国富論』の内容について、簡単に振り返ってみました。

 改めて確認しておきたいのは、スミスが決して硬直した自由放任主義者ではなかったことです。本稿の連載第5回では、銀行券(紙幣)の発行に関わって、スミスが、少数の個人による自由の行使によって社会全体が危険に晒されかねない場合、そうした自由は制限されなければならない、と断固として主張していたことをみました。また、本稿の連載第8回では、重農主義における自由放任主義(レッセ・フェール)に対するスミスの批判的コメントに触れて、スミスにおける「見えざる手」の主張が決して硬直したものでではなかったことを確認しました。今回の振り返りのなかでも触れたとおり、「見えざる手」は、国民が消費する生活必需品と便益品の生産量(社会の全収入)を最大にするような資本と労働の配分を実現してくれるからこそ尊重されるのであって、市場における自由な競争それ自体が自己目的化されていたわけではありません。『国富論』をまともに理解する上では、ここが決定的に重要です。スミスが目指していたのは、全ての国民(その大きな部分を占めるのが下層の労働者です)が、そこそこの物質的な豊かさを保障され、人間らしく生きることができる社会状態にほかなりません(スミスが、人間に本来備わっている知的能力を育てるための基礎教育は、たとえ国が何の利益を受けないにしてもやるべきだ、と主張していたことを想起して下さい)。『国富論』の全体を読み通してみれば、特権的な大商人や大製造業者の利益のために経済の自然なあり方が歪められて、下層の労働者が痛めつけられている状況に対して、スミスが激しい怒りを燃やしていたことがよく分かります。スミスが「見えざる手」に任せるべきことを主張したのは、強者の利益のために歪められてしまった経済の自然なあり方を回復することこそが、下層労働者を含む国民全ての利益になると信じたからにほかならないのです。
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2016年11月20日

アダム・スミス『国富論』を読む(11/13)

(11)政府の経費はどのように調達されるべきか

 前々回と前回の2回にわたっては、政府が果たすべき役割についてのスミスの議論を紹介しました。今回は、政府の仕事に必要となる経費の調達についてのスミスの議論を、大きく租税論と公債論とに分けて紹介することにしましょう。

 まず、スミスの租税論です。スミスは、国民の収入が最終的に土地の地代、資本の利潤、労働の賃金の3つの源泉に由来するものであることを確認した上で、税金は全て最終的にはこの3つのうちから支払われることになる、と指摘します。スミスは、地代への課税、利潤への課税、賃金への課税を順番に検討していくわけですが、こうした具体的な検討を行うための前提として、税金一般に通用する4つの原則(いわゆるスミスの租税四原則)を確認しています。@国民は各人の能力に応じて、つまり各人が国の保護の下で得ている収入に比例して税金を負担すべき、という公平の原則、A税金は恣意的であってはならず、支払時期、方法、額の全てを明確で分かりやすいものにすべき、という確実の原則、B税金の支払時期と方法が納税者にとって便利なものであるべき、という便宜の原則、C国民から徴収する額と国庫に入る額との差が最小になるよう設計すべき(徴税のために人手や手間のかかりすぎないようにすべき)、という最小徴税費の原則です。スミスはこの4原則を踏まえつつ、地代への課税、利潤への課税、賃金への課税について、それぞれ社会全体の富の生産にどのような影響を与えるのか、という観点から具体的な検討を加えています。

 スミスは、地代への課税方法としては、地代が変われば税額も変動する仕組み(農業が発達すれば高くなり、衰退すれば低くなる仕組み)がもっとも公平だとする重農主義派の主張に賛意を示しつつ、地主と借地人が共同で借地契約を登記するよう義務づければ、(検地という手間と経費をかけなくても)借地契約の全条件が登記簿によって十分に明らかになるだろう、と提言しています。このほかスミスは、土地の生産物への課税が、実際には地代に転嫁されてしまうことを指摘しています。地代は、農業経営者が資本を回収し平均的な利潤を確保した上で、残った部分から支払われます。農業経営者が土地生産物への税金を支払いながら、農業経営を変わらずに続けていくためは、地代部分を減らすしかなくなる、というわけです。また、家賃(家屋賃料+敷地地代)については、土地の地代に似ているものの、地代が生産的な土地の利用に対して支払われるのに対して、家賃は非生産的なものの利用に対して支払われるという基本的な違いがある、と指摘しています。借家人は、借家とは無関係な別の収入(賃金か利潤か地代)から家賃を支払わねばならないという点で、他の消費財に課される税金と同じ性格をもっている、というわけです。興味深いのは、スミスがここで、課税の公平さという問題に言及していることです。スミスは、生活費に占める家賃の割合は、豊かな人ほど高く貧しい人ほど低くなるので、家賃に対する税金の負担は一般に金持ちほど重くなるが、このような不公平は不合理とはいえない、とします。金持ちが収入に比例する以上の比率で財政に貢献するのは不合理なことではない、というのがスミスの主張なのです。

 スミスは、利潤への課税については、最終的に商人(資本所有者)の負担になることはない、と指摘します。消費者が、商人の納付する税金を商品価格の一部として支払わなければならなくなるからです。

 スミスは、賃金への課税についても、実際に労働者が支払っているとはいえない、と指摘します。賃金は労働への需要と食料品の価格で決まりますから、賃金への課税は税率より少し高い率で賃金を引き上げます(労働者の生存に週10シリングの賃金が必要である場合、そこに20%の賃金税をかけるなら、税込12シリングの賃金支払いだけでは税引後に10シリングを残せませんから、12シリング6ペンス〔1シリング=12ペンス〕まで上昇する必要があります)。賃金への課税は、雇用主の賃金支払い額を増やすわけですが、製造業労働者の賃金上昇分が製品価格に上乗せされれば、それは消費者の負担になりますし、農業労働者の賃金上昇分が地代の減少によって賄われれば、それは地主の負担になります。ただし、賃金への課税によって労働の需要は減少するのが普通なので、課税に見合って賃金が上昇するとは限らない、ともスミスは指摘しています。

 ここまでは、特定の種類の収入に課すことを意図した税金が取り上げられていましたが、スミスは収入の種類と無関係に課すことを意図した税金として、人頭税と消費財に対する税を挙げています。人頭税については、その人の資産や収入に比例するように課税しようとしても、各人の状況は刻々と変化するので、恣意的で不確実なものにならざるをえない、とされます(人頭税へのこのような評価は、各々の経済主体の所得を税務当局が的確に把捉することができず、公正な所得課税が不可能であった当時の条件に規定されたものだといえます)。スミスは、国民の収入に直接に課税する方法を編み出せなかったために、収入にほぼ比例すると考えられた支出に間接的に課税する方法、より具体的には、支出の対象となる消費財に課税する方法が使われるようになった、といいます。あえて現代の用語でいうならば、所得税の導入が技術的に困難であったために次善の策として消費税が導入されるようになった、ということです(*)。

 消費財は、生活必需品と奢侈品に分けられます(スミスは、必需品のなかに、生存するために最低限必要なものだけでなく、その社会の習慣からして恥ずかしくないだけの体裁を整えるのに必要なモノ全てを含めています)。生活必需品への課税は賃金を上昇させますから、その結果は賃金への課税と同じになる、とスミスはいいます。すなわち、製造業労働者の賃金上昇分が製品価格に上乗せされて消費者の負担になるか、農業労働者の賃金上昇分が地代の減少によって賄われて地主の負担になるか、です。スミスはまた、生活必需品の価格が上昇してもそれに見合った賃金の上昇がなければ、貧困層が子どもを育てるのが難しくなり、有用な労働力を供給する能力が低下する、とも指摘しています。一方、奢侈品(luxuries)への課税は、賃金を上昇させることはないし、貧困層の子育てを困難にすることもない、とスミスはいいます(税金によって倹約を強いられた結果、かえって子どもを育てやすくなるかもしれない、とすらいいます)。スミスによれば、奢侈品に対する税金は、課税商品の消費者によって最終的に負担され、他に転嫁されることはありません。

 以上、スミスの租税論を紹介してきましたが、スミスが推奨するのは、地代の変動に応じた地代税および奢侈品への課税だといえます。前者は、工夫次第で4つの原則を大体において満たすことができますし、後者は、最小徴税費の原則については難があるものの(多数の税務職員が必要になる、特定産業を抑制してしまう、税逃れ対策のための手間と経費がかかる等々)、残りの3つの原則はよく満たしています。

 次いで、スミスの公債論です。商業や製造業の発展した国では、政府(統治者)は、自国内の大土地所有者と同じく(本稿の連載第6回を参照)、収入の大部分を奢侈品に費やすようになり、平時に節約しなくなるので、いざ戦争になると(戦時の国防費は平時の3、4倍!)借入に頼るしかなくなる、とスミスはいいます。スミスは、政府に借金を余儀なくさせる商工業の発達が、一方で、国民のなかに貸付の能力と意志を生み出すことを指摘します。商工業の発展で資本の回転が速くなることで、膨大な資金を政府に貸し付ける能力を備えた人々が存在することになりますし、政府は貸手から有利な条件で借入を行おうとするので、政府の債務証書は当初の払込額よりも高く市場で売ることができ、政府に貸し付けることで自分の資本を増やしていくことも可能になるのです。こうした借入は、当初は信用(担保なし)で行われましたが、やがて、より多額の資金を調達すべく、特定の財源を担保としての借入が行われるようになりました。その方法としては、見込債務と永久債務がありました。前者は、担保を短期間(1年か数年)に限って提供し、その財源で元本と利子を期間内に十分に返済できるとされたものです。後者は、担保を無期限に提供し、担保で払えるのは利子だけであり元本をいつ返済するかは政府次第だとされたものです。見込債務だけであれば、財政収入の使い方が縛られるのは数年だけですむのですが、見込債務が乱発された結果、17世紀末以来、永久債務への依存が深まりました。永久債務を累積させたのは、戦争でした。戦争は財政支出を激増させますが、政府はそれに合わせて税収を増加させることを嫌がるし、またできもしない、とスミスは指摘します。嫌がるというのは、突然の増税で国民感情を害して戦争政策への支持を失うことを恐れるからですし、できないというのは、どういう増税で必要な収入を賄うのが適切なのかが分からない、ということです。だからこそ政府は、安易に借入に頼るようになりました。特に永久債務であれば、最小限の増税で最大限の資金を調達できます。従来からの財政収入に戦時の増税を加えたもので、経常経費と戦時に起債された公債の利子を支払ってなお余剰があれば、それは公債償還のための減債基金に繰り入れられるのですが、この減債基金は公債の全てを償還するには不十分だし、むしろ他の目的に流用されがちである、とスミスは指摘しています。

 公債による国(イギリス)の破滅は何としても防がなくてはならない、というスミスは、公債償却の正道は、財政収入を大きく増やすか財政支出を大きく減らすかどちらかしかない、といいます。そして、前者のためには、イギリス国内だけの税制改革では間に合わず、アメリカ植民地なども含めて同一税制を適用するしかないし、後者のためには、アメリカ植民地などを独立させて、植民地防衛のための巨額の費用負担を節減するしかない、と提起するのです。端的には、アメリカ植民地と合邦するか、アメリカ植民地の独立を認めるか、です。『国富論』は、「大英帝国のどの領土にせよ、帝国全体を支えるために貢献させられないというのであれば、戦時にそれら領土を防衛する経費、平時に行政的・軍事的制度を一部であれ支える経費を負担するのを止めて、グレート・ブリテン〔イギリス〕がおかれている全く平凡な状況に合わせて、将来への展望と計画を調整すべきときである」という一文で締め括られます。この『国富論』が出版されたのが1776年3月9日ですが、それから約4ヶ月後の7月4日にはアメリカ独立宣言が出されることになったのでした。

(*)各人が負担能力に応じて税を負担すべき、というスミスの原則からすれば所得税が、しかも、金持ちが収入に比例する以上の比率で財政に貢献するのは不合理なことではない、というスミスの主張を踏まえれば累進的な所得税が、最も望ましい税のあり方だということになるはずです。しかし、当時においては、公正な所得課税など非現実的なものである、とみられていたわけです。イギリスで所得税が初めて導入されることになるのは、スミスの死後の1799年のことです(もちろんイギリスが世界初です)。
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2016年11月19日

アダム・スミス『国富論』を読む(10/13)

(10)政府のなすべき仕事――公共事業について

 前回および今回は、「自然的自由の体系」を主張するスミスが、それでもなお政府の果たすべき義務が存在する、とするのはどのようなことであるのか、みてきています。前回は、政府の義務として、国防および司法制度の確立が挙げられていることをみました。これらはいずれも、「自然的自由の体系」を成り立たせるための枠組みを維持するためのものであったといえるでしょう。すなわち、国家の外側からの攻撃に抗してこの枠組みを守るためのものが国防であり、国家の内側からの攻撃に抗してこの枠組みを守るためのものが司法制度です。国防と司法制度によって社会の中身がしっかりと守られていてこそ、分業と交換を通じた豊かさの実現が可能になるのだ、という国家観・社会観をスミスが抱いていたことが分かります。

 さて、今回は、スミスが挙げる政府の第三の義務についてみていくことにしましょう。これは端的には、公共土木事業および公共施設の建設・維持です。もう少し詳しくいえば、社会全体にとっては有用でありながら、利益を生み出さないために個人では建設・維持できない機関や施設を建設・維持することです。国防および司法制度が「自然的自由の体系」の枠組みに関わるものであるとすれば、この第三の義務は、その中身に関わっていくものだといえるでしょう。スミスは、政府が建設・維持すべき公共機関として大きく3つ、社会の商業活動を促進するためのもの、青少年教育のためのもの、生涯教育(宗教教育)のためのものを挙げています。

 社会の商業活動を促進するための公的施設・機関は、さらに社会の商業活動全般に関わるものと、特定の部門のみに関わるものとに分けられています。

 商業活動全般に関わるものとしては、道路、橋、運河、港などがありますが、これらの施設の建設・維持の費用は、それを利用する馬車や船から少額の通行料を取れば賄える、とスミスはいいます。通行料は運送業者が支払うものの、最終的には商品の価格に上乗せされて消費者が負担することになります。しかし、運送費はその公共施設のために大幅に低下するので、通行料を払っても商品は公共施設を使わない場合より安く消費者に販売できるだろう、というのがスミスの主張です。また、これら施設の建設・維持費を、それを利用する馬車や船に負担させることは、これらの施設を商業に本当に必要なところだけに建設するようにする効果がある、とも指摘しています。

 商業活動の特定部門に関わる施設や機関としては、未開民族との交易を行う際、現地人の攻撃から商品を守るために倉庫を要塞化することなどが挙げられます。スミスは、こうした特別の経費は、その部門に小幅な税金をかけて賄うべきだと主張しても不当ではないが、商人の会社は、議会を巧みに説得して、政府の義務のうちこの部分を果たす責任とそれに不可欠な権限の全てを引き受けるようになった、と指摘します(東インド会社などが半ば行政機関化していたことをイメージして下さい)。こうした会社は、加入した各人がみずからの資本を使ってみずからのリスクで営業する場合には組合会社と呼ばれ、株主から拠出された資本で営業し、株主が出資比率にしたがって全体の利益か損失を分け合う場合には株式会社と呼ばれました。スミスは、何人かの商人が協力し、自分たちのリスクと経費で、はるか遠方にある未開の国との貿易を切り拓こうとした場合、株式会社の設立を認め、成功した場合にある年数にわたって貿易の独占権を与えるのは不当ではない、と認めます。しかし、決められた期間がたてば独占は必ず終了させるべきだ、と主張します。要塞や守備隊が必要だと判断されれば、政府が引き継ぎ対価を会社に支払いつつ、貿易そのものは全ての国民に開放すべきだ、というのです。独占を恒久化すれば、自由貿易が許されていればはるかに安くなるであろう商品が高い価格で売られ続け、収益性が高い適切な事業から多数の国民が排除されることになるからです。また、スミスは、株式会社が排他的特権なしでも成功を収められるのは、全く決まりきった作業で業務を遂行できるものだけだとして、銀行業、保険業(火災保険、海上保険、戦時拿捕保険)、水路・運河の建設・維持の事業、大都市への給水事業を挙げています。しかし、株式会社で上手く経営できる可能性があるというだけで株式会社を設立するのは適切ではない、とも指摘しています。株式会社が完全に適正だといえるためには、業務の規則と方法を厳密に決められること以外に、@通常の事業の大部分と比べて社会にとって大きく役立つ事業であること、A株式でなければ集められないほど大きな資本を必要とするものであること、の2点の条件を満たさなければならない、というのです(前述の4つの事業は以上の条件を満たす、とされています)。

 政府が建設・維持すべき公共機関の第二は、青少年教育のためのものです。スミスは、青少年教育のための機関も、学生が教師に支払う授業料という自然な収入で十分に経費を賄うことができる、とします。そうしてこそ、教師の努力や能力の向上が促されるのであって、一般財政収入などを投入することは教育機関の目的達成の妨げになりかねない、とスミスは主張します(もっとも、こうしたスミスの主張は、主として、大きな資産をもった上流階級の子弟の教育を念頭に置いたものであることに注意が必要です)。では、政府は国民の教育に関与すべきではないのか、という問題を提起したスミスは、産業が発達した文明社会においては、政府は庶民の教育に対して積極的に関与する必要がある、と主張します。スミスによれば、分業の進展によって労働者の仕事がごく小数の単純作業に限定されるようになると、労働者は仕事の上で難しい問題にぶつかることがなくなり、問題解決のために理解力を活かしたり工夫を凝らしたりする機会を失ってしまいます。その結果、私生活でぶつかるごく普通の義務についてすら適切な判断を下せなくなりますし、ましてや、自国がぶつかっている大きくて複雑な問題については、全く判断できなくなってしまいます。スミスは、人間に本来備わっている知的能力が適切に使われていないのは、人間として基本的な部分を欠いた卑しむべき状態である、といいます。そして、下層階級の教育によって国がたとえ何の利益を得られないとしても、下層階級を全く無教育な状態に放置しないよう、政府は真剣に配慮すべきだ、と主張するのです。こうした主張からは、全ての人間に人間らしいあり方(知的能力の活用)が保障されるべきだ、というスミスの人間観を窺うことができます。もっともスミスは、下層階級の教育が国にとっても利益となるとも指摘しています。民衆が無知な場合、狂信や迷信によって社会が大混乱に陥ることがあるが、教育が進めばこうしたことは起こりにくくなる、というわけです。また、国民が早まった判断や気まぐれな判断を下す傾向を持たなくなることは政府の安定性にも資する、とも述べています。スミスは、全国民に読み書き計算という基礎的教育を義務付けるのに大した費用はかからない、と指摘した上で、教会区や地域ごとに小さな学校をつくり、下層労働者の親でも負担できるほど少額の授業料をとって、教師の報酬に不足する分は政府が支給すればよい、と提言するのです。

 政府が建設・維持すべき公共機関の第三は、生涯教育のためのもの、具体的には宗教教育のための機関です(宗教施設が公共機関だとされることには、現代日本の感覚からは違和感がありますが、政教分離の原則が必ずしも確立されていなかった時代の議論であることを踏まえておく必要があります)。スミスは、宗教上の教師について、信者の寄付のみに頼っている場合の方が、他の収入源がある場合より、はるかに熱心で勤勉である可能性が高い、と指摘します。このため、聖職者が聖職給に安住してしまう国教の教団より、信者の寄付に頼る新興の教団の方が、大衆的な人気を獲得し、改宗者を獲得する力に優れている、というのです。ちなみに、スミスは、新興教団が庶民の間で人気を博する根拠を、階級社会における2種類の道徳観、すなわち、厳格で禁欲的な考え方と自由な考え方ということにも関連させて解いています。下層労働者はわずか1週間、軽率に浪費しただけでも破滅し、自暴自棄になって極悪の犯罪を犯すまでになることがありますが、上流階級は何年にもわたって浮かれ騒いでも破滅するとは限りません。したがって、庶民の間では厳格で禁欲的な考え方が主流になり、上流階級の間では自由な考え方が主流となります。庶民のなかから始まる新興教団は、厳格な道徳観を採用し、それを徹底して純化することで、庶民の敬意を集めるわけです。問題は、国教の教団が必要とする経費をどう賄うか、です。スミスは、国教の教団の収入は、教団の所有地(荘園)から得る部分を除けば、国の一般収入の一部門なのであり、例えば十分の一税(教団の所有地のみならず、あらゆる土地の収穫の10分の1を納めさせるもの)は政府の収入をその分だけ減らして、国家の防衛力を弱体化させてしまう、と指摘します。しかし、スミスは、そもそも教団はそれほど大きな収入は必要ないはずだ、として、スコットランド国教会やスイスのプロテスタント教会が、教会所有地などからのわずかな収入で、牧師にまずまずの生活を保障しながら教会の全経費を賄っている例を紹介しています。スミスは、どのような職務でも、それが立派に遂行されるためには、給与や報酬が職務の性格に見合っている必要がある、といいます。聖職者の収入が多すぎると、雄興と社交と享楽に時間を費やすようになってしまい、聖職者にふさわしい人格ではないと庶民に見られるようになって、義務を果たすのに不可欠な権威や重みがなくなってしまう、とスミスは指摘しています。

 以上、前回と今回の2回にわたって、政府が果たすべき義務についてのスミスの議論の内容を、ごく簡単に紹介してきました。スミスは結論として、国防費のように社会全体の利益のために支出される経費は、社会全体の負担によって、すなわち、全ての国民が各人の能力に応じて負担する形で賄うのが適切であること、司法の経費、道路などの建設・維持費、教育機関・宗教団体の経費など、社会の一部が直接に利益を受けることになる経費は、利益を受ける人が負担する形で賄う方が適切であることを確認しています。もっとも、後者の諸経費にも、社会全体の利益につながる面がある以上、社会全体の負担で賄おうとすることが必ずしも不適切ではないとも指摘されています。

 社会全体の負担によって国の経費を賄うためには、国有の土地あるいは資本からの収入によるか、国民の収入に課税するかしなければなりません。さらに、国防費を中心に国の経費が膨張していくなかで、政府が富裕な商工業者から借り入れを行うようにもなっていきます。第5篇後半の2つの章では、これらの問題が議論されて、『国富論』の全体が締め括られることになります。次回は、スミスの租税論・公債論の要点を紹介することにしましょう。
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2016年11月18日

アダム・スミス『国富論』を読む(9/13)

(9)政府のなすべき仕事――国防と司法制度の確立について

 本稿は、“経済学の祖”と呼ばれるアダム・スミスの主著『国富論』を、彼の哲学体系の全体像を念頭に置きながら、概観していこうとするものです。

 前回までの3回にわたっては、「第3篇 国によって豊かさへの道筋が異なることについて」および「第4篇 政治経済学の諸体系(systems)について」をみてきました。第3篇では、ローマ帝国崩壊後のヨーロッパの歴史において豊かさへの自然な道筋がなぜ歪められてしまったのか、という問題が論じられ、第4篇では、自然な道筋を歪めるような政策の根拠となった政治経済学の諸体系、より具体的には、重商主義と重農主義とが、批判的に検討されていたのでした。ある種の産業を特別に奨励したり抑制したりしようとして、資本と労働の自然な配分を歪めてしまうならば、年間生産物の真の価値は多かれ少なかれ減ってしまうことになる――これが第4篇におけるスミスの結論でした。

 この第4篇の最後の部分で、スミスは以下のように述べています。

それゆえに、〔特定産業を〕優遇したりあるいは抑制したりする一切の制度が完全に廃止されたならば、明瞭で簡潔な自然的自由の体系(system of natural liberty)がおのずからできあがってくることになる。どんな人でも、正義の法を犯さないかぎり、自分の利益を自分のやり方で追求する完全な自由をもつようになり、自分の勤労(industry)と資本の双方をもって、他のどんな人や他のどんな階級とでも競争(competition)する完全な自由をもつようになるのである。(第4篇、第9章)


 ここで注目しなければならないのは、このような「自然的自由の体系」が実現された社会においてもなお政府の果たすべき役割が存在する、とされていることです。スミスは、政府が配慮すべき義務として、3つのことを挙げています。第一は、自国を他国の暴力と侵略から守ること、第二は、社会の各成員を他の成員の不正や抑圧から守ること、第三は、公共土木事業を行ったり公共施設を建設・維持したりすることです。政府がこうした義務を果すためには必ず一定の経費が必要になり、それをどうやって賄うかが問題になります。この問題を扱うのが、「第5篇 主権者あるいは公共社会(the Sovereign or Commonwealth)の収入について」にほかなりません(sovereign は「主権者」と訳されることが多いですが、統治者とも訳しうるものであり、ここでは基本的に政府〔行政のみならず立法、司法をも含む広義の政府〕と同義と見なしても問題ありませんから、以下、基本的には「政府」とします)。この第5篇では、政府のなすべき仕事について(経費論)、政府の仕事に必要な財源の調達について(租税論・公債論)、市場の自然で自由な動きとの関連を意識した財政論として議論されていくことになります。今回と次回は、このうち、政府のなすべき仕事について論じられている部分についてみていくことにしましょう(*)。

 スミスが挙げる政府の第一の義務は、他国の暴力と侵略から自国を守ること、端的には国防です。この義務を果たすためには軍事力が不可欠となるわけですが、そのための経費のあり方は、社会の発展段階によって大きく異なってきた、とスミスは説いています。

 狩猟民族や遊牧民族の場合は、戦闘の場面が日常生活から切り離されていませんでしたから、兵士を育成するための独自の取り組みも、戦場で戦う兵士の生活を支えるための経費の負担も、とりたてて必要ではありませんでした。農業中心の社会においても、戦闘が農閑期に集中して行われる以上は、兵士たちは自分で自分の生活を支えることができましたから、社会が特別の経費を負担する必要はありませんでした。

 しかし、より発展した社会においては、大きく2つの要因によって、戦場で戦う兵士が自分で生活を支えることができなくなった、とスミスはいいます。第一の要因は製造業の発達です。手工業者は仕事場を離れれば収入を失ってしまいますから、もし兵士として戦場に行くのであれば、その間の生活を国に維持してもらうほかなくなります。第二の要因は、戦争技術の発展です。戦争技術が高度化すると、戦争は1回の戦闘で決着をつけるようなものではなくなり、ほとんど1年の全体を覆ってしまうほど長期にわたるものになってしまいました。こうなると、たとえ農民出身の兵士であっても、自分の生活は自分で支えられます、というわけにはいかなくなります。加えて、戦争技術をいっそう発展させるためには、分業が不可欠であり、軍務を他の職業から分離し独立した職業にしなければならなくなった、という事情もありました。スミスは以上のように常備軍の起源を解いています。

 当時(18世紀後半)、軍隊は民兵組織(いざというとき国民一般が武器を取って戦うもの)であるべきで、常備軍は自由を抑圧する危険なものだ、と警戒される傾向もありました。しかし、分業の効用という観点から常備軍成立の必然性を説いたスミスは、軍指導部と政府の意志(利害関心)が一致している限りは、常備軍が自由を抑圧する危険はない、と述べます。それどころか、規律の保たれた常備軍によって政府(統治者)の安全が確保されてこそ、国民に放埓ともいえるほどの自由を許容することができるのであるから、常備軍は自由を確立する上で有利な条件となるのだ、とまで述べています。政府は常備軍の圧倒的な武力を背景にしてこそ、制定した法律を国内の隅々にまで適用することができるのであり、常備軍がなければありえなかった正規の統治を維持できるようになるのだ、というわけです。

 以上のように、スミスは、国防のために政府(統治者)が負担しなければならない経費が、社会の発展とともに増大してきたことを説いています。具体的には、高価な武器弾薬の購入、職業軍人を訓練し生活を維持するための経費などですが、近代の戦争においては、こうした経費を負担できる国の方が明らかに有利ですから、貧しい未開国よりも豊かな文明国の方が優位に立つようになりました。古代では豊かな文明国が貧しい未開の国の攻撃から自国を防衛するのが難しかったが近代では逆になった、とするスミスは、このことが文明の永続と拡大にとって明らかに有利な条件となっている、とも述べています。いかにも啓蒙の時代(文明の進歩が素直に信じられていた時代)たる18世紀らしい主張だとはいえるでしょう。

 さて、スミスが挙げる政府の第二の義務は、社会の他の構成員による不正と抑圧から社会の全構成員を守ること、つまり厳正な司法制度の確立です。国防が、国家の外側からの攻撃に対して国民生活を守ろうとするものであるのに対して、司法は国家の内側からの攻撃に対して国民生活を守ろうとするものである、ということができるでしょう。スミスは、この司法のための経費も、社会の発展段階によって大きく異なることを説いています。

 狩猟民族には、財産というものがありませんから、司法制度はそもそも必要ありませんでした。しかし、遊牧民族の段階で富の不平等が現われると、貧乏人の妬みによる攻撃から金持ちの財産を守るために、政府および司法制度が必要とされるようになったのだ、とスミスは説きます(こうしたスミスの論は、私有財産と階級の発生と関わらせて国家権力の生成を解いたマルクス主義の先駆ともいえそうです)。

 ここで問題になるのは、こうした司法制度を支える経費です。スミスは、政府(統治者)にとって司法制度は、その経費が負担になるどころか、有利な判決を得ようとする当事者たちの贈り物などによって、重要な収入源となってきたことを指摘します。しかし、収入の確保を優先するような仕組みでは、裁判の腐敗は避けられません。そのため、やがて贈り物の授受が禁止され、判事には決まった収入が保証されるようになってきました。とはいえ、司法制度の運用に必要な経費は、全ての判事への給与の支払いを含めても、政府の全経費のごく小さな部分を占めるにすぎません。したがって、司法の全費用を裁判手数料で賄うことも容易であろう、とスミスはいいます。

 同時にスミスは、他の財源から判事に固定給を支払う場合も含めて、行政権を任された人たちが、そうした財源を管理する責任を負うべきではない、とも指摘しています。スミスは、司法権と行政権の分離が、単に社会の発展によって業務が増えたことに対応するためのものだったのはなく、政治的な思惑によって裁判が捻じ曲げられることを避けるためであったことに注意を促すのです。公平な裁判こそが個人の自由の基礎であり、個人が安全だと実感できる根拠である、と力説するスミスは、全ての国民が自分の権利を完全に保障されていると感じられるようにするには、司法は行政から分離するだけでなく、行政から最大限に独立していることが必要である、と力説するのです。スミスによれば、判事は行政当局の気まぐれによって解任できるようになっていてはなりませんし、判事に定期的に支払われる給与は、行政当局の好意によってはもちろん、行政当局の財政手腕によってすら左右されてはならないのです。行政と司法の分離、司法の行政からの独立という問題について、スミスが非常に厳格に考えていたことが分かります。「自然的自由の体系」を成り立たせるための大前提として、正義の法による支配が決定的に重視されていたのだ、ということができるでしょう。

(*)この第5篇の第1章は、政府のなすべき仕事を経費という観点から論じようとするものですが、例えば、国防費を論じるにあたっては国防のあり方そのものが社会の歴史的な発展段階のなかで問題にされる、という形で展開されています。論の展開を追うことを優先して本稿では省きましたが、古代ギリシャ・ローマにおける学問・教育のあり方、中世における学問・教育(大学)のあり方、キリスト教会の歴史について等々、非常に面白い議論が展開されています。その面白さは、ぜひ直接に『国富論』の文章に触れて味わってみて下さい。『国富論』の第5篇は脱線が非常に多いともいえますが、現実世界においては諸々の要素が絡み合って存在しているわけで、財政論としてスッキリと整理(純化)されきっていないからこその含み(味わい深さ)がある――リカード以降の経済学では削ぎ落されてしまう豊かさがある――ともいえるでしょう。
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2016年11月17日

アダム・スミス『国富論』を読む(8/13)

(8)国民と国をどのように豊かにするか――経済政策の考え方A

 前回は、まず「第4篇 政治経済学の諸体系(systems)について」の最初の部分、いわゆる重商主義の基本的な考え方が批判的に検討されている個所をみました。スミスは、富とは金銀であるとする考え方と、鉱山をもたない国は貿易収支の黒字によってしか金銀を入手できないとする考え方が確立した結果、輸入をできる限り減らして輸出をできる限り増やすことが経済政策の大目標となったのだとして、輸入規制として2つ(国内生産できる商品の輸入を規制すること、貿易赤字の相手国からの輸入を全商品にわたって規制すること)、輸出奨励として4つ(戻し税、輸出奨励金、通商条約、植民地建設)を挙げていました。スミスは、これら6つの手段について、産業の年間生産物に如何なる影響を与えるか、という観点から検討しているのでした。前回は、これら6つの手段のうち、輸入規制の2つの手段についてのスミスの批判を簡単に紹介しました。今回は、輸出奨励の4つの手段についてのスミスの批判を簡単に紹介した上で、重商主義と並ぶ政治経済学の体系(system)として取り上げられている重農主義についての批判的検討についても、簡単に紹介しておくことにしましょう。

 輸出奨励の第一は、戻し税です。これは、商人が商品を輸出する際、国内産業の生産物に課されている税金の一部または全部を還付するものです。戻し税によっても、還付対象の税金が課されていなかった場合より、輸出量が増えるわけではありません。本来ならある業種で使われるはずの資本の一部が、税金のために他の業種に振り向けられるのを防ぐだけです。資本の自然な配分を歪めるわけではないのだから、輸出奨励策のなかでは最も妥当なものだ、というのがスミスの評価です。

 輸出奨励の第二は、輸出奨励金です。これは、自国製品を外国市場で競争相手と同じかもっと安い価格で販売できるようにしようというものですが、国の貿易を自然の動きに任せた場合よりはるかに不利な方向に歪めてしまうものだ、とスミスは厳しく批判します。輸出奨励金は、重商主義の政策一般にいえる問題点として、国内の労働の一部を、自然に任せた場合に向う用途よりも利益が少ない用途に振り向けるよう強制してしまいます。さらに、輸出奨励金に特殊な問題点として、損失を被る用途にすら国内の労働を振り向けるように強制してしまうのです。そもそも奨励金がなければ成り立たないような貿易は必ず損失を被る貿易なのだ、とスミスは断じています。

 輸出奨励の第三は、通商条約です。2国間の通商条約によって、相手国が輸入を禁止している品目で他国より優遇されれば、優遇された側の国の商工業者は利益を得ることができます。スミスはこのことは否定しませんが、優遇した側の国は、特定国を優遇したことで、全ての国に自由競争を認めた場合と比べて、外国商品を高く買わなければならなくなることに注意を促しています。さらにスミスは、通商条約が以上とは全く違う原理にもとづいて有利だとされる場合があることを指摘します。ここでスミスが挙げるのは、1703年にイングランドとポルトガルの間で締結された「メンシェン条約」です。これは、ポルトガルがイングランド毛織物業の輸入を受け入れる代わりに、イングランドはポルトガル産ワインをフランス産ワインより低い関税率で輸入する、というものでした。この条約によって、ポルトガルからイングランドへのワインの輸入が増えた以上に、イギリスからポルトガルへの毛織物の輸出が増え、その対価として、ブラジルの金山から産出された金が大量にイングランドへ流れ込んでいくことになりました。しかし、スミスは、輸入された金のうちイギリスで食器か硬貨を増やすのに使われるのはごくわずかでしかなく、残りは国外に送られて、何らかの消費財と交換されるはずだと指摘します。その上で、同じ消費財をイギリス産の商品で直接に購入すれば、まずイギリス商品でポルトガルの金を買い次に金で同じ消費財を購入するよりも、イギリスにとって有利ではないか、と提起するのです。ともかく金を流入させればよい、という重商主義的な観念がここでも厳しく批判されているわけです。

 輸出奨励策の第四は、植民地です。スミスは、植民地貿易の独占(外国資本の排除)で、植民地貿易の利益が高くなれば、他の分野で使われてきた資本の一部が植民地貿易に引き付けられ、自然に任された場合よりもはるかに高い比率で植民地貿易に強制的に振り向けられ、その結果、産業の各部門間で自然に保たれるはずの均衡が、全く崩れてしまう、と指摘します。スミスは、イギリスの産業が多数の小規模場市場のそれぞれに適応するのではなく、アメリカ植民地というひとつの大市場に適応させられている現状について、身体にたとえながら批判的に検討しています。すなわち、器官の一部が肥大化しすぎたために、各器官の釣り合いがとれていれば避けられる危険な病気にかかりやすくなり、不健康になっているようなものだ、というわけです。自然なものより無理に太くした血管があり、国内の商工業が自然な比率を超えて大量にそこを流れるように強制されているので、その大血管の流れが少しでも止まれば、国全体がきわめて危険な混乱状態に陥る可能性が高くなっている、とスミスは指摘します。細い血管の一部が詰まっても、血流が太い血管に簡単に流れるので、危険な状態にはなりませんが、太い血管が詰まってしまえば、その直接の結果として痙攣か脳卒中か死かが避けられないでしょう。植民地貿易の独占を定めた法律を少しずつ段階的に緩和していき、最終的には大部分を自由にすることが、将来にわたってこの危険をなくす唯一の方法である、とスミスは提起しています。

 以上、重商主義が国を豊かにするための手段として提唱している輸入規制と輸出奨励について、スミスがどのように批判しているのか、簡単に紹介してきました。端的には、物事の自然な流れに任せたときに達成されるであろう資本と労働の諸産業部門への配分を人為的に歪めてしまうことで、多かれ少なかれ、国民が消費する生活必需品と便益品の生産量(社会の全収入)を減らすことになってしまう、というわけです。スミスは、消費こそ全ての生産の唯一の目的であり、生産者の利益は消費者の利益をはかるために必要な範囲内でのみ配慮されるべきであるにもかかわらず、重商主義においては消費者の利益はほぼ常に生産者の利益のために犠牲にされている、と厳しく批判しています。さらに「重商主義の政策によって主として奨励されているのは、富者と権力者の利益となる産業である。貧者や困窮者の利益となる産業は、無視されるか抑圧されることが多い」(第4篇、第8章)とも断じています。こうした箇所からも、スミスの最大の関心が、豊かな国民生活の実現にあったことを確認することができます。

 さて、政治経済学の体系(system)として、重商主義と並んで取り上げられているのが、重農主義です。この重農主義は、フランスにおいて、いわゆるコルベルティズム(14世紀の財務総監コルベール以来の重商主義政策)によって、都市の産業を奨励するために農業が抑圧されてきたことに反対して唱えられたものです(*)。この重農主義について、スミスは、曲がった竿を真っ直ぐにしようとして逆方向に曲げすぎたようなものだ、と評しています。コルベールの政策が都市産業を重視して農業を軽視したのは確かだが、重農主義が都市を軽視しすぎたこともまた確かだ、というのです。

 重農主義者たちは、国内を生産的階級(農民)、非生産的階級(手工業者)、土地所有者の3つの階級に分けた上で、これら3階級の全てが最大限の繁栄を達成できるようにするには、完全な正義、完全な自由、完全な平等を確立することこそが秘訣である、と主張しました。スミスは、重農主義の提唱者たるフランソワ・ケネーが医師であったことに着目しています。ある種の医学理論では、人体の健康を保つためには、食事と運動を厳格な規則に基づいて管理しなければならず、この規則にわずかでも反すると、その程度にしたがって病気や不調が生じると考えられています。医師であったケネーは、社会についても人体と同じように考えて、完全な自由と正義という厳格な規則に従わなければ繁栄しないと思ったのではないか、というのです。しかし、スミスは、人体が健全な状態であれば、まだ知られていない仕組みによって、食事と運動の面で不健康な生活を送っても、その悪影響を防いだり是正したりできるようになっているのと同じように、社会の場合には各人が自分の生活をよくするために努力し続ける自然な動きが健全性を維持する仕組みになっていて、ある程度片寄っていて抑圧的でもある経済政策の悪影響を多くの点で防いだり是正したりできるのだ、と主張するのです。重農主義における自由放任主義(レッセ・フェール)に対するこうしたコメントからしても、スミスにおける「見えざる手」の主張が決して硬直したものでではなかったことを確認することができるでしょう。

 それはさておき、スミスが重農主義の最大の誤りとして指摘するのは、商工業を全く非生産的なものとしたことです。スミスは、年間に消費されてしまうものの価値が商工業において年々再生産されていることだけでも「非生産的」という表現は全く不適切だし、そもそも商工業労働者の労働が社会の真の収入を増やさないと考えることはできないのだ、と主張します。とはいえスミスは、国の富が貨幣という消費できないものの豊富さにあるのではなく、その社会の労働で年間に再生産される消費財にあると主張している点で、そしてまた完全な自由の確立こそが年間の再生産を最大限に増やす上で効果のある唯一の方法だと主張している点で、重農主義の主張は全く正しいものである、という評価を与えています。

 以上、前回と今回の2回にわたって、政治経済学の諸体系に対するスミスの批判的検討の内容を、ごく簡単に紹介してきました。ある種の産業を特別に奨励したり抑制したりしようとして、資本と労働の自然な配分を歪めてしまうならば、年間生産物の真の価値は多かれ少なかれ減ってしまうことになる――これが、政治経済学の諸体系についての検討を踏まえたスミスの結論であるといえます。

(*)重農主義についての詳しい説明は、本稿では割愛します。本ブログに掲載した「ケネー『経済表』を読む」を参照してください。
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2016年11月16日

アダム・スミス『国富論』を読む(7/13)

(7)国民と国をどのように豊かにするか――経済政策の考え方@

 前回は、「第3篇 国によって豊かさへの道筋が異なることについて」をみました。ここでは、ローマ帝国崩壊後のヨーロッパの歴史において、豊かさへの自然な道筋がなぜ歪められてしまったのか、より具体的には、農業よりも中継貿易に資本を投下する方が有利だというような状況がなぜつくられたのか、という問題が立てられ、社会の混乱状況において、領地の安全確保を最優先して土地の分割を禁じる仕組みがつくられたことが土地の改良を阻んでしまったこと、国王が封建領主との権力闘争のなかで、商人や職人などの都市住民を優遇する政策をとるようになったことなどが、指摘されていました。

 さて、今回と次回の2回にわたっては、「第4篇 政治経済学の諸体系(systems)について」の内容を簡単に紹介していくことにしましょう。ここでは、豊かさへの自然な道筋が歪められてしまった思想的・理論的な根拠とはどういうものであったのかが論じられていくことになります。

 第4篇の冒頭で、スミスは、経済政策を扱う政治経済学(political economy)について、政治家や立法者のための学の一部門としてみたとき2つの目的をもっている、といいます。第一は、国民がみずからの力で、収入と生活必需品を豊富に確保できるようにすること、第二は、国が公共サービスを提供するのに必要な歳入を確保できるようにすることです。要するに、国民と国が豊かになるようにすることが、政治経済学の目的である、というわけです。このように確認したスミスは、時代あるいは国によって豊かさへの道が異なることから、経済政策の2つの考え方が生れた、といいます。ひとつは商業中心の考え方、いわゆる重商主義であり、もうひとつは農業中心の考え方、いわゆる重農主義です。第4篇では、これらの経済政策についての考え方が、批判的に検討されていくわけですが、分量としては、重商主義についての批判が圧倒的です。これは、その内容に問題が多かったということもさることながら、当時のイギリス社会の現実において、決定的な影響力をもっていたのが重商主義的な考え方であったから、という事情によるものです。

 スミスは、重商主義について、その基本的な考え方がどのようなものであるかを突っ込んで検討した上で、そのような考え方に基づいて採用されている実際の諸政策を詳細に批判していっています。

 それでは、重商主義の根本にあるものは何かといえば、それは端的には、富とは貨幣、つまり金とか銀のことである、という通俗的な見方にほかなりません。スミスは、こうした見方について、貨幣が取引手段と価値尺度という2つの機能を合わせもつことから自然に生じてきたものだ、とその起源を解いています。貨幣はどんなものとも交換できる機能をもっているし、それ自体として価値の大きさを表現する機能をもっていることから、あたかも貨幣こそが富そのものであると誤解されるようになってしまったのだ、というわけです。

 スミスは、豊かな国とはお金(カネ)がたくさんある国だと考えられてきたため、ヨーロッパの全ての国が金銀を国内に蓄積しようと、金銀の輸出を禁止するなどの政策を採用してきたものの、ほとんど効果はなかった、と指摘します。その上で、商業が盛んになるにつれ、金銀の輸出禁止が貿易の障害になることが明らかになったことで、各国政府は金銀の輸出そのものは禁止しようとはしなくなり、貿易黒字で国外から金銀を流入させようということになったことを説明しています。

 しかし、スミスは、金銀の流入や蓄積を目標とすること自体を批判します。貿易が自由でありさえすれば、金や銀は必ず必要な量だけ流入してくるものだ、と力説するのです。金や銀は容積の割には価値が高いので、どんな商品よりも簡単に、価格の安い地域から高い地域へと輸送できるからです。スミスは、国の富を増やすために金銀を必要量以上に輸入しようとしたり、国内に止めておこうとしたりするのは、各家庭の御馳走を増やすために、必要量以上の鍋釜をもつよう義務づけるのと同じくらい馬鹿げたことである、といいます。必要以上に増えた金銀は、輸送は簡単だし、使われないまま置いておくことの損失が大きいので、どんな法律で禁止したとしても、すぐに国外に送られるのを防ぐことはできないのです。

 こうしたスミスの批判の根底にあるのは、富とは国民の労働によって生産された生活必需品や便益品である、という捉え方にほかなりません。スミスは、人が貨幣を欲しがるのは貨幣自体を求めているのではなく、貨幣で買えるものを求めているからだ、という決定的な指摘を行っています。スミスは、ある国の土地と労働の生産物のうち、近隣の国から金や銀を買うために振り向けられるのはごく小さな部分にすぎず、はるかに大きな部分が国内で取引され消費されるのだし、国内で余って国外に送られる生産物も、その大部分が外国の財貨を買うためにあてられていることを指摘します。さらにいえば、そもそも仮に貨幣となる金や銀が不足したからといって、物々交換とか信用とか紙幣で代用すれば問題ないではないか、ともいうのです。

 スミスは、富とは金銀であるとする考え方と、鉱山をもたない国は貿易収支の黒字によってしか、つまり輸入総額よりも輸出総額を多くすることによってしか金銀を入手できないとする考え方が確立すると、その必然的な結果として、国内消費用の外国商品の輸入をできる限り減らすとともに、国内産業の生産物の輸出をできる限り増やすことが経済政策の大目標となったのだ、と説きます。国を豊かにする方法は、輸入の規制と輸出の奨励の2つとなったわけです。

 このうち、輸入規制には2つの種類があります。第一は、国内で生産できる商品の国内消費用の輸入を、どの国からのものでも規制することであり、第二は、2国間の貿易収支が自国に不利になっていると見られた国からの輸入を、ほぼ全ての商品にわたって規制することです。一方の輸出奨励には、戻し税、輸出奨励金、通商条約、植民地建設があります。スミスによれば、いわゆる重商主義というものは、この2種類の輸入規制と4種類の輸出奨励を主要手段として、貿易収支を黒字にし、国内の金銀量を増やすよう提案する政策体系(system)にほかなりません。スミスは、これら6つの手段について、産業の年間生産物に如何なる影響を与えるか、という観点から検討しています。

 輸入規制の第一は、国内で生産できる商品の輸入規制です。スミスは、こうした規制は、社会の労働と資本のうち、その産業に振り向けられる部分の比率を、自然に任せたときよりも高くしてしまう、といいます。そもそも人はみな、自分の資本を最も有利な形で使おうとしているわけですが、その際に考えるのは自分の利益だけであって、社会全体の利益ではありません。しかし、それぞれの産業部門において予想される利潤率が極端に異ならないのであれば、投資の安全性や確実性を考慮して、外国貿易より国内商業、国内商業より製造業、製造業より農業に、自分の資本を投下するのが自然ですから、結果的に国内の労働を支えるために資本を使うことになり、社会の年間の総収入(年間総生産物の交換価値)が多くなるように努力することになるのです。このようにスミスは、各人は自分の利益だけを考えて行動しながらも、「見えざる手」に導かれて、自分が全く意図していなかった目的(社会全体にとっての利益)を達成することになるのだ、と説明します。ここからスミスは、ある特定の産業に資本を投下するよう促す輸入規制は、有害無益なものになる、と断じるのです。一方でスミスは、外国商品に負担を課すのが適切な場合もあることを認めています。第一は、国防に必要な産業(造船業、海運業など)を保護するための規制です。第二は、国内産業と外国産業が同じ条件で競争できるよう、国内で税金が課せられている国内産業の商品と同様の外国商品に、同じように税金をかけることです。また、スミスは、外国が高関税や輸入禁止措置で自国の製造業製品の輸出を制約した場合、同様の高関税や輸入禁止措置で報復措置をとるのが当然であり、相手国が撤回する見込みがない以上は継続すべきであること、長い期間にわたって中断されてきた自由な輸入を回復するにあたっては、特定産業への打撃によって多数の労働者の雇用が奪われることのないよう、慎重に事を運ぶべきであることを強調しています。こうした個所からも、スミスの最大の関心が、国民の多数を占める労働者の生活の改善という点にあったことを確認することができるでしょう。スミスのいわゆる「見えざる手」は、国民が消費する生活必需品と便益品の生産量(社会の全収入)を最大にするような資本と労働の配分を実現してくれるからこそ、尊重されなければならないのであり、市場における自由な競争それ自体が自己目的化されていたわけではないのです。

 輸入規制の第二は、貿易赤字相手国からの輸入に対するほぼ全面的な規制です。スミスは、こうした規制は、相手国への偏見と敵対心に起因するもので、重商主義の原理にもとづいてすら不合理である、といいます。特定の相手国との取引で赤字になったからといって、貿易収支の全体が赤字となるとは限らないではないか、ある商品をその相手国から輸入した方が他の国から輸入するより安いのであれば、その相手国から輸入した方が結局は得ではないか、というのです。さらにスミスは、貿易赤字が損失で、貿易黒字が利益だ、という重商主義の考え方そのものが間違っている、と断じます。強制や制約なしに行われる貿易は、土地と労働の生産物の交換価値が増加するという点、すなわち、国民の年間収入が増加するという点において、どちらの国にとっても有利なはずだ、とスミスは主張するのです。スミスによれば、国の富の増減にとって重要なのは、輸出と輸入の差額ではなく、生産と消費の差額です。生産物の交換価値が消費の交換価値を上回っていれば、その社会の資本は差額分だけ増加します。これに対して、生産物の交換価値が消費より少ない場合、社会の資本は不足分だけ減少するからです。
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2016年11月15日

アダム・スミス『国富論』を読む(6/13)

(6)ローマ帝国崩壊後、豊かさへの自然な道筋はどう歪められたか

 本稿は、“経済学の祖”と呼ばれるアダム・スミスの主著『国富論』を、彼の哲学体系の全体像を念頭に置きながら、概観していこうとするものです。

 前回までの3回にわたっては、「第1篇 労働の生産力における改善の要因と、生産物が各階級に分配されていく際の自然な秩序について」および「第2篇 資本の性質、蓄積、用途について」をみてきました。国民の労働こそ国民の消費する全てを産み出す源泉であることを確認したスミスは、第1篇において、労働の生産性を向上させてきたのが分業にほかならなかったこと、分業の発展のなかで、商品の価格は賃金・利潤・地代という3つの部分から構成されるようになり、これが国民の諸階層の収入の源泉となることを論じていました。また、第2篇においては、資本の蓄積が分業の発展を規定すること、生産量を増やすためには収入を浪費せずに倹約して生産的労働者を雇用するための資本を蓄積していく必要があることなどを論じていました。

 しかし、実際には、ヨーロッパのどの国でも、農業が資本の他の用途より利潤率が高いという状況にはないことをスミスは認めます。それでは、資本をすぐ近くにある肥沃な土地に投下するより、はるか遠くのアジアやアメリカに投下する方が有利になってしまったのはなぜなのでしょうか。この問題を考察するのが、「第3篇 国によって豊かさへの道筋が異なることについて」と「第4篇 政治経済学(political economy)の諸体系(systems)について」です。今回は、このうち、第3篇の内容を簡単に紹介することにしましょう。

 スミスはまず、国が豊かさへと向う自然な道筋について確認します。スミスは、どんな文明社会でも、最大の取引は都市と農村の間のものだが、都市は物質を再生産することができないから、都市は究極的には全ての富を農村から得ていることになる、と指摘します。だからこそ、農村がまず発展して次に都市が発展するというのが自然の流れなのだ、というのがスミスの主張です。どんな人でも、利潤率が同じであれば、貿易業よりも製造業、製造業よりも農業に自分の資本を投下するだろう、とスミスはいいます。貿易業より製造業、製造業よりも農業の方が、監督しやすく、安全だからです。物事の自然な順序に従うなら、資本の大部分がまず農業に向けられ、次に製造業に向けられ、最後に貿易に向けられるはずです。しかし、ヨーロッパでは必ずしもそうはなっていないのは先にみたとおりです。

 では、物事の自然な流れはなぜ歪められたのでしょうか。スミスは、西ローマ帝国崩壊後の歴史を辿りながら、農業の発展がなぜ順調に進まなかったのか考察しています。スミスはまず、ゲルマン民族の侵入で西ローマ帝国が崩壊した後、ほとんどの土地が大地主に私有されるようになったが、秩序未確立のこの時代、大地主はみな領主であり、小国の国王のような存在であった、と指摘します。領地の安全(領民に与えられる保護の度合い)は領地の大きさに左右されたから、長子相続と限嗣相続法(相続した不動産の処分を禁止する)によって、土地の分割が行われないようにしたのだ、とスミスは説きます。興味深いのは、一旦つくられた法律は、その法律を合理的なものにしていた状況が変わってしまった後も、長く効力を持ち続けることがある、と指摘されることです。秩序が確立したヨーロッパの現状では、小さな私有地でも安全に保てるようになっているのに、家系の誇りという観点から、長子相続と限嗣相続がいまだに行われている、というのです。しかし、大地主が土地の開発と改良で大きな成果を挙げることは滅多にない、とスミスはいいます。土地の改良で利益を上げるには、細かな配慮が必要なのですが、大資産家の息子として育った者には、まずその能力はないからです。また、大地主の土地を耕作する農民は、半ば奴隷のような存在で、自分の利益のために耕作していたわけではありませんから、強制しない限り、自分の生活を支えるのに最低限必要である以上には働こうとしなかった、という事情もあります。

 では、中世ヨーロッパの都市はどのような状況にあったのでしょうか。都市の住民はもともと卑しい身分とされ、商品をもって集落や市を渡り歩いていました。当時、市に商品を持ち込んで店を出す際には税金が課せられていましたが、課税特権をもつ国王や大領主は、個々の商人にこれらの税金を免除し、その見返りとして人頭税を支払わせるようになります。やがて、国王は、都市の住民自身に徴税を請負わせるようになり、これによって都市住民は官吏の横暴から解放されるようになったのでした。都市住民は、市長を選んで議会をもち、自治のために条例を制定し、自衛のために一種の軍隊として組織する権利を得ました。国王がこのような特権を認めたのは、領土の全体で力の弱い臣下を大領主による圧迫から保護できるほどの力をもっていなかったからだ、とスミスは指摘しています。領主は都市住民を見下し、都市住民が豊かになれば容赦なく収奪しましたから、都市住民は当然、領主を憎み恐れていました。国王も都市住民を見下していたが、憎み恐れる理由はありませんでした。このため、両者の利害が一致して、都市住民は国王を支持し、国王は領主と対立する都市住民を支持したのだ、とスミスは説明しています。都市の力が強くなると、国王が決められた徴税請負額を超える税金を課す場合には、都市の同意を得なければならなくなりました。ここに都市の代表が議会に出るようになった起源がある、とスミスはいいます。こうして、農村で農民があらゆる種類の暴虐に晒されている一方で、都市では個人が自由と安全を保障されるようになったのだ、とスミスは説明しています。

 当時のヨーロッパでは、土地の生産物をもっと文明の発達した国の製品と交換する取引が、商業の中心になっていました。貿易によって、高級で進んだ製品に対する嗜好が持ち込まれて一般化すると、商人は運送にかかる費用を節約するために、同じ種類の製造業を自国に確立しようと努めるようになりました。これが起源になって、遠く離れた市場向けの製造業が生れたのですが、その道筋には2つの種類がある、とスミスはいいます。ひとつは、資本の乱暴な作用によって、一部の商人や事業主が外国の製造業をまねて同種の製造業を始めるものです。もうひとつは、ある素朴な家内工業が徐々に発達して遠隔市場向けの製造業が自然に生れてくるものです。スミスは、こうした製造業の自然な発達が、農業の発達を前提としていることを強調しています。

 スミスは、農業の発達が製造業の発達をもたらしたことを指摘する一方、製造業の発達は農業の発達にも寄与した、といいます。スミスは以下の3つの点を指摘します。第一に、土地生産物を販売できる大市場が近くに生れたことで、土地の耕作と改良が促進されたこと、第二に、富を獲得した都市の住民が土地を購入して地主となって土地を上手く開発したこと、第三に、商工業の発達で秩序と善政が確立して個人の自由と安全が守られるようになり、農村も領主に隷属していた状態から抜け出せるようになったことです。この第三の点について、スミスは、以下のように詳述しています。

 貿易が行われず、高級品をつくる製造業もない国では、領主は所有地の生産物のうち、農民の生活に必要な量を超える部分を、多くの家来や従者を養うために使うほかありませんでした。こうして、もっぱら領主の好意に依存して生活している家来や従者に対して、領主は絶対的な権威をもつことになったのだ、とスミスはいいます。しかし、貿易と製造業は、領地で余った生産物の全てを領主自身が消費する方法を提供することになりました。領主は、例えば、ダイヤモンドを散りばめたバックルなど、何の役にも立たない詰まらないものに目が眩んで、1000人を1年間養える食料を手放し、それとともに1000人を養うことで得られる力と権威を手放すようになった、とスミスは指摘しています。大地主は、所有地の改良の現状で可能な水準以上に地代収入を増やしたいと望むようになりましたが、借地人がそこまでの地代引き上げに同意できるのは、土地をさらに改良するのに必要な資本を回収し、利益を確保できるようになるまでの期間にわたって借地権が保障されるときだけです。これが長期借地契約の起源になった、とスミスは説きます。こうして借地人が事実上独立し、家来もいなくなることで、大地主の政治的な力は失われ、都市と同様に農村にも政府の支配が浸透することになったのだ、というわけです。

 スミスは、社会を良くするこうした変化は、社会のためという意図を全くもたない2つの階層によってもたらされたのだ、と指摘しています。大地主は子どもじみた虚栄心を満たそうとしただけだし、商人と手工業者も、自分の利害だけを考えて、稼げるときに稼ごうとして行動しただけだ、というのです。ここには、「見えざる手」という言葉こそ直接には使われていないものの、人々の利己的な行動が社会全体の利益へと自然に導かれていくのだ、というスミスの社会観がよく表れているといえるでしょう。

 スミスは第3篇での議論を総括して、ヨーロッパにおける都市の商業と製造業の発達は農村の開発と耕作が進んだ結果ではなく、その原因であったこと、こうした順序は物事の自然な道筋とは異なるので、遅くて不確実にならざるを得なかったことを確認しています。スミスは、ある国が商業と製造業によって獲得した資本は、その一部が土地の耕作と改良に投じられて具体化するまで、極めて不完全で不確かであることを指摘します。スミスは、もっぱら商業に依存する富は、戦争や政治によるごく普通の変化でも簡単に枯渇してしまうのであり、農業の進歩という着実な基盤があってこそ富は長続きするのだ、と力説するのです。
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2016年11月14日

アダム・スミス『国富論』を読む(5/13)

(5)資本の配分と労働の配分

 前回は、「第1篇 労働の生産力における改善の要因と、生産物が各階級に分配されていく際の自然な秩序について」の後半部分、すなわち、生産物が各階級に分配されていく際の自然な秩序について論じられている部分についてみていきました。ここでは、商品の自然価格を構成する賃金、利潤、地代の自然水準そのものの変動について検討された上で、労働者の利害、資本家の利害、地主の利害が社会全体の利害とどう関係するかが考察されていました。スミスによれば、賃金と地代は、分業の発展による社会全体の富の増大と一致して増えていくのですが、利潤は、豊かな国(資本が過剰な国)では低く、貧しい国(資本が過小な国)では高く、急速に衰退している国(資本が急速に減少しつつある国)で最も高くなります。したがって、資本家階級の利害は社会全体の利害と食い違うのであり、資本家階級が商業に対する新しい法律や規則を提案した場合には十分に注意しなければならない、とスミスは主張していたのでした。

 さて、今回は、「第2篇 資本の性質、蓄積、用途について」をみていくことにしましょう。冒頭、スミスは、未開社会にまでさかのぼって、資本の起源を確認しようとしています。すなわち、分業のない未開社会では、全ての人が自分の必要とするモノを自分の労働で確保していたものの、分業が確立して他人が生産したものを自分の生産物を売って得た対価で購入しなければならなくなると、自分の生産物が完成して売れるまでの間、自分の生活を支え、仕事に使う原材料と道具を確保しておかなければならなくなったのだ、というわけです。

 以上のように資本の起源を確認したスミスは、個々人が所有する資財、あるいは社会全体の資財が自然にどのような部分に分かれるか、論じていきます。スミスによれば、何ヶ月、何年もの生活を維持できるだけの資材を蓄えた人は、そのかなりの部分を使って収入を得ようとし、残りの部分で収入が入ってくるまでの生活を支えようとします。スミスは、前者を資本と呼びます。資本から収入を得る方法として、スミスは次の2つを挙げます。第一は、財貨を生産・加工するか、購入して転売することで利益を獲得する方法です。これは、財貨の交換の流れによってのみ利益を生み出すことができるから、流動資本と名づけるのが適当だ、とスミスはいいます。第二は、土地の改良、事業に役立つ機械や道具の購入など、所有者を変えないままで収入が得られるもので、こうした資本は固定資本と名づけるのが適切だ、とスミスはいいます。

 個々の資本家がもつ資本について以上のように確認したスミスは、国の総資財もまた、当然ながら3つの部分に分かれる、とします。第一は直接の消費に充てられる部分(まだ消費されていない食料・衣料・家具、賃貸住宅)であり、収入や利益を生み出しません。第二は固定資本であり、流通せず所有者が変わらないまま、収入と利益を生みます。固定資本としては、@機械や道具、A利益を生む建物、B土地の改良、C教育によって獲得された個人の能力が挙げられています。第三は流動資本であり、所有者が変わることで収入と利益を生みます。流動資本としては、@貨幣、A肉屋、穀物商、牧場主、農業経営者らが所有する食料品の在庫、B衣料、家具、建物の原材料、C完成品のうちまだ販売されていないもの、が挙げられています。スミスは、直接の消費にあてる資財を維持し増やすことが固定資本と流動資本の唯一の目的であって、国民が豊かなのか貧しいのかは、固定資本と流動資本によって、直接の消費用の資材を豊富に供給できるか否かに左右される、と力説しています。

 続いてスミスは、貨幣を社会全体の総資本のうちの特殊な部分として位置づけた上で、その性質や機能について検討していきます。スミスは、国民の総収入(交換価値の観点から見れば、個々の商品の価格と同じく労賃、利潤、地代に3分される)から固定資本および流動資本の維持費を控除したものが純収入(直接の消費にあてても資本を食いつぶさない部分)である、とします。そして、流動資本(貨幣、食料、材料、完成品)のうち、貨幣以外は全て直接の消費にあてられるから、社会の純収入の一部になる、といいます。貨幣は社会全体の収入を各人に分配する手段にすぎず、それ自体は収入の一部にはならない、というわけです。

 こうした観点からスミスは、金貨・銀貨を紙幣に置き換えることによって遊休資本(当面の支払い用に現金で用意しておかなければならない部分)を生産資本に転化することができる、と強調します。金貨・銀貨が紙幣に置き換えられると、社会全体の流動資本で供給できる原材料、機械、生活必需品の総量は、以前にこれらの購入に使われていた金銀の価値だけ増加できるのです。このように紙幣の効用を説くスミスですが、同時に、紙幣についての適切な管理を怠るならば大惨事になりかねないことを強調しています。スミスは、貨幣というのは幹線道路のようなもので、幹線道路は牧草や穀物を運ぶがそれ自体としては牧草も穀物も作ることはできない、金貨・銀貨を紙幣に置き換えるのは幹線道路を空中につくるようなもので、その分だけ牧草地や穀物畑に転換できるが、「紙幣の力で空中を飛ぶようになると、金貨と銀貨という堅固な道を歩んでいる場合と比べて、国の商業や産業は盛んになるだろうが、全く安全だとはいえなくなることは認識しておくべきだ」というのです。具体的な対策として、スミスは、少額の銀行券(=約束手形)の発行を禁止するよう提言しています。少額の銀行券の発行が認められるようになると、資力の乏しい人間まで銀行業に参入してきて、金貨・銀貨との交換が確実ではない銀行券が大量に発行されて大混乱に陥ってしまうから、というわけです。スミスは次のように述べています。

私人たちに、銀行家の発行した約束手形を金額の如何によらず受領する意志があるのに、それを抑制するとか、あるいは銀行家仲間の全てに、これらの手形を引き受ける意志があるのに、銀行家にこのような少額の約束手形の発行を抑制するとかいうのは、自然的な自由を明白に侵害する行為であり、法律は本来、この自由を侵害するのではなく、自由を守るためのものではないかという意見もあるだろう。確かに、こうした規制は、ある点では自然的な自由を侵害するものだといえる。しかし、少数の個人による自然的な自由の行使が社会全体の安全を危険に晒しかねない場合には、どの国の政府の法律でも自由に制限を加えているし、加えるべきである。最も専制的な政府であっても、最も自由な政府であっても、この点については変わりない。火災の拡大を防ぐために防火壁を作るよう義務づけるのは、自然的な自由を侵害する行為であるが、ここで提案した銀行業務に関する規制も、自然的な自由の侵害という点で全く同じ種類のものである。(第2篇、第2章)


 ここでスミスは、少数の個人による自由の行使が、社会全体を危険に晒しかねないのであれば、そうした自由は制限されなければならない、と断固として主張しているわけです。これは、アダム・スミスを自由放任主義者とみなすような俗説に対して、鋭く対置させるべき文章だといえるでしょう。

 さて、スミスは続いて、資本をその所有者自身が使用する場合の問題として、その資本によって雇用される労働の性格を考察しています。ここで、労働が生産的労働と不生産的労働とに2大別されます。すなわち、商品という具体的な形をとって同量の労働を購入できる価値を残す生産的労働(農業、製造業など)と、価値は産み出すもののそのまま消えてしまう不生産的労働(家事使用人、役者、音楽家、国王、裁判官、軍人など)です。生産的労働(者)は、年間生産物のうち、資本の回収にあてられる部分によって維持され、不生産的労働(者)は収入(主として地代と利潤、ごく一部は賃金)によって維持されます。年間生産物のうち、生産的労働の維持に使われる部分が多ければ多いほど、国の富は増えていきます。生産的労働の維持にあてられる資本を増やすには、収入を浪費するのではなく、倹約して収入の一部を貯蓄して資本に転化させていく必要があります。浪費と無謀な経営は資本を食いつぶしていきますが、倹約と堅実な経営は資本を増やして、生産的労働を増やし、結果として国富の増大につながっていく、というわけです(*)。

 続いてスミスは、資本が他人に貸し出される場合の問題として、利子付きで貸し出される資本、すなわち金融資本の問題を論じています。面白いのは、スミスが、融資は貨幣の形で行われるけれども本当は年間生産物の一部を入手する権利を譲渡しているのだ、と説いていることです。現象の背後にある構造を見てとろうとしているのは、金銀を直接に富とみなした重商主義的な観念からの大きな前進であるといえます。これとも関わって、利子率の変動は、あくまでも利潤率の上下に連動するもので、貨幣材料となる金銀の量の増減とは直接の関係はないと説明されているのも重要なポイントだといえるでしょう(スミスはここで、利子率の変動についての優れた考察として、ヒュームの『政治経済論集』を挙げています)。

 第2篇の最後では、資本の用途が国の労働量と年間生産物に直接に与える影響について、考察されています。スミスは、資本の用途として、農漁業・鉱山業、製造業、卸売業、小売業の4つを挙げます。小売業はさらに、国内取引、国内消費用物資の輸入、中継貿易に3分割されます。スミスは、同量の資本で雇用する生産的労働の量、付加される価値の大きさは、これらのそれぞれの用途によって大きく異なっていることを論じているのですが、結論的には、最も多く生産的労働を維持し、最も大きな価値を付加するのは農業に投下された資本であり、農業こそが国の繁栄に最も貢献するのだ、としています。反対に、最も国の繁栄に貢献することが少ないのが小売業、そのなかでも中継貿易である、とされます。ただし、物事の自然な成り行きとして、国内産業の順調な発展の末に、国内の生産的労働を全て維持してもなお余るほどの資本が蓄積されたならば、それが中継貿易に投下されるのは当然である、とされています。

 全体として、この第2篇の議論は、スミスが、国民経済の全体を視野に入れて、それも生成発展していくものとしてのイメージをしっかりと描いた上で論を展開していることがよく分かるものとなっています。

(*)興味深いのは、スミスが、人間の認識の問題として、浪費への衝動は一時的なものであるのに対し、生活をよりよいものにしていきたいという欲求は恒常的なもの(胎内から墓場まで!)であり、そのためには倹約による貯蓄が唯一の方法なのだから、大部分の人の人生を平均してみれば、倹約しようという欲求の方が圧倒的に強い、と論じていることです。同様に、無謀な経営については、破産は最も大きく屈辱的な災難だから大部分の人は破産を避けるために十分に注意する、と指摘しています。結局、民間人の浪費とか無謀な経営が国家経済を危うくするようなことはまずない、というのです。一方でスミスは、政府の浪費や無謀な政策が国家の存続を危うくすることはありうる、としています。とはいえ、現代のように高度に発展した資本主義では、スミスの時代とは比較にならないほど巨大化した個別資本の無謀な経営で国家経済が危機に晒されるという事態が起きている(金融化が決定的な要因でしょう)ことに注意が必要です。

 なお、倹約(貯蓄)と投資を同一視するようなスミスの議論は、ケインズの議論を踏まえていうならば、貯蓄されたものが全て投資に回される、ということを暗黙のうちに前提としたものだといえます。貨幣には価値貯蔵機能があるので、貯蓄されたものが必ずしも投資に回るとは限らないというのが、ケインズのいわゆる貨幣の一般理論です。
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2016年11月13日

アダム・スミス『国富論』を読む(4/13)

(4)各階層への生産物の分配――賃金、利潤、地代

 前回は、「第1篇 労働の生産力における改善の要因と、生産物が各階級に分配されていく際の自然な秩序について」の前半部分、すなわち、労働の生産力における改善の要因について論じられている部分をみました。ここでスミスは、分業こそ生産力発展の要因であるとことを力説し、分業の発展により商品交換が広く行われるようになったことで貨幣が成立したこと、商品の交換価値の真の尺度は労働であること、商品の価格(交換価値)は労働の賃金、資本の利潤、土地の地代によって構成され、国民の収入の源泉は結局この3つに還元されること、賃金、利潤、地代の自然水準を過不足なく払えるのが商品の自然価格であり、市場価格はこの自然価格を中心にして変動していることなどを論じていました。

 さて、今回は、同じく第1篇の後半部分、すなわち、生産物が各階級に分配されていく際の自然な秩序について論じられている部分についてみていくことにしましょう。ここでは、商品の自然価格を構成する賃金、利潤、地代の自然水準そのものの変動が問題になります。

 第一に、賃金の自然水準の変動の問題です。賃金は労働者と雇用主との契約で決まりますが、賃金をめぐる争議において、労働者は圧倒的に弱い立場にあります。しかし、労働者自身が食べていけることに加えて、子どもを育てることができなければ次の世代の労働者が育ってきませんから、賃金は長期間にわたってこれを保障する最低水準以下になることはありません。このように確認した上で、スミスは、国富が増加し続けている場合、人手不足により雇用主が競って賃金を引き上げて人手を確保しようとするので、労働者の立場は有利になる、といいます。国富が大きくても、長期にわたって停滞を続けている国では、すでに雇用されている労働者だけで人手は充分ですから、雇用主が人手を確保しようと賃上げ競争をする必要はありません。国富が減少している国では、労働者に対する需要が毎年減っていきますから、職をめぐる労働者間の競争が激しくなり、賃金は最低水準にまで下ってしまいます。要するに、人口の最大部分を占める下層労働者がとくに幸せに快適に暮らせるのは、豊かさが頂点に達したときではなく、社会が豊かになる方向へと前進しているときだ、というのがスミスの結論です。スミスは、高い賃金によって下層労働者の生活が向上することは社会にとってよいことだと強調します。大多数の人が貧しく惨めであれば、社会が繁栄しているとか幸せであるとかいえるはずはないし、社会全体に食料や衣服や住居を供給する役割を果たしている人々が、十分な分け前を受け取って、まずまずの食料、衣服、住居を確保するのは当然だ、というわけです。さらに、労働の報酬がよければ、人口の増加が促され、労働者の勤勉さも刺激されることも指摘しています。

 第二に、利潤の自然水準の変動の問題です。スミスは、利潤率の上下も、賃金の上下と同じく国富が増加傾向にあるか減少傾向にあるかによりますが、その影響は全く違う、といいます。例えば、資本の増加(資本家間の競争の激化)は賃金の上昇をもたらす一方、利潤の低下をもたらす要因になります。スミスは、利潤率の動向を正確に把握するのは困難だが、金利の変化をみればある程度まで感じをつかめる、といいます。利潤が大きければ資金の借り手が払える金利も高くなり、利潤が小さければ金利も低くなるからです。スミスは、豊かさに向けて急速に発展している国では、利潤率の低さによって賃金の高さを吸収することが可能だと指摘した上で、実際には高利潤率の方が高賃金よりも商品価格の上昇をもたらす力がはるかに強いのに、資本家は高賃金の悪影響を声高に主張し、利潤率上昇の悪影響については何も語らない、と批判しています。

 賃金および利潤の自然水準について以上のように論じたスミスは、物事の自然な成り行きに任せれば、すなわち、各人が自由に自分の職業を選べるならば、最終的にはどの職業においても賃金や利潤が均等化するはずだ、という前提のもと、実際にはそうなっていないのは何故か、という問題を考察していきます。

 まず指摘されるのは、業種そのものの性格の違いによる賃金や利潤の相違があるので、絶対に均一にはならない、ということです。賃金の差異の要因としては、@快適か不快か、A習得が困難か容易か、習得に要する費用が多いか少ないか、B仕事がいつもあるか不安定か、C信頼が大きいか小さいか、D成功を収められる可能性が大きいか小さいか、という5つが挙げられます。また、以上の5要因のうち、事業の快不快、事業の安全性の2つは、利潤の差異にも影響する、とされます。“自由競争の守護神”のようにいわれるアダム・スミスですが、自由競争が諸々の差異を解消していく作用を重視する一方、本質的に解消されようのない差異があることを具体的に検討していることは注目すべきでしょう。

 次に指摘されるのは、政策の歪みから生じる不均等です。ここで取り上げられる政策は3つ、@特定の業種で競争に加わるものの数を自然状態より少ない数に制限すること、A別の業種で競争に加わるものの数を自然の状態より増やすこと、B労働と資本の自由な移動を業種間と地域間の両方で妨げること、です。@の具体例として、同業組合や徒弟法による参入規制、Aの具体例として、聖職者の育成への多額の助成金が挙げられ、Bでは再び、同業組合や徒弟法による制限が取り上げられています。また、特にイングランドに特有な事情として、救貧法(貧民救済の義務を教会区に負わせる法)の存在が指摘されています。各教会区は貧民の流入をあの手この手で防ごうとして労働の自由な移動が妨げられてしまった、というのです。

 第三に、地代の自然水準の変動の問題です。スミスはまず、地代を地主による土地改良(原野の開拓、排水設備の整備など)投資の報酬だとする見方に対して、地主が改良していない土地(例えば有用な海草が自生する土地)についても地代を要求することを指摘し、地代は土地の独占によって生じるものにほかならないことを明らかにします。スミスは、地代は、その土地の生産物のうち、市場に供給するために必要な資本を回収し、通常の利潤を控除してなおかつ残った部分のことだ、といいます。賃金や利潤が価格の高低の原因になるのに対して、地代の高低は価格の高低の結果なのだ、というわけです。

 その上でスミスは、土地の生産物について、常に地代を生じる部分と、地代を生じる場合と生じない場合がある部分とに分けた上で、両者の比率が社会の発達段階に応じてどのように変化してきたかを考察しています。

 まず、常に地代を生じる部分についてです。これは、端的には食料のことです。食料への需要は多かれ少なかれ常にある(需要が常に供給を上回る)から、食料を生産すれば、資本の利潤を回収した上に地主が地代として確保できる部分が必ず残るだろう、というわけです。何を生産する場合でも、主食たる穀物の畑よりも地代が低ければ、すぐに穀物生産のために転用されてしまうので、主食となる食料を生産する耕地の地代によって、他の目的に使われる耕地の大部分の地代が決まることになります。

 続いて、土地の生産物のうち、地代を生じる場合と生じない場合がある部分についてです。これは、食料以外の生産物(衣、住の材料)のことであり、地代を払える価格になるほど需要があるかどうかが問題になります。特に重要なのは、石炭、金属です。石炭は、炭鉱の立地に制約されますが、金属は輸送が容易なため、操業中の鉱山のうち世界で最も豊かな鉱山での価格に左右されます。このため、大部分の鉱山では、操業の経費を賄うのがやっとであり、地主に高い地代を支払えることはめったにありません。

 両者の比率については、まず、一般的な傾向として、土地の改良と耕作が進んで食料(必ず地代を生じる部分)が豊富になると、衣服や住宅の材料、化石燃料や鉱物、貴金属や宝石(地代を生じる場合と生じない場合がある部分)に対する需要が増加し、それらの価格が上昇していくことが指摘されます。これらを流通させるため、銀の需要が増えますが、需要の増加に見合って供給が増えなければ、穀物価格に対する銀価格の比率が上昇(穀物の平均貨幣価格が下落)していくことになります。逆に、銀の供給の増加が需要の増加を上まわっていれば、銀価格は次第に低下(穀物の平均貨幣価格が上昇)していくでしょう。銀の供給が需要とほぼ同率で増加していれば、一定の銀で購入できる穀物の量はほぼ変わらない(穀物の平均貨幣価格は横ばい)はずです。この観点から、スミスは「過去400年の銀の価値の変動に関する余論」として、豊富な歴史的資料を踏まえた考察を展開しています。

 以上のように地代について論じた上でスミスは、結論的に、国民の収入(一国の富)が、結局は、賃金、利潤、地代の3つの部分に分かれることを改めて確認した上で、労働者の利害、資本家の利害、地主の利害が社会全体の利害とどう関係するかを考察しています。いうまでもなく、賃金の上昇が労働者の利益、利潤の上昇が資本家の利益、地代の上昇が地主の利益です。社会の発展、換言すれば、分業の発展による社会全体の富の増大と一致して増えていくのは、スミスによれば、賃金と地代です。賃金は、社会が発展しつつあるとき(生産が増大しつつあるとき)、最も高くなります。一方の地代は、土地が改良されれば増えますし、工業製品が安くなっても相対的に増えます。これに対して、利潤は、豊かな国(資本が過剰な国)では低く、貧しい国(資本が過小な国)では高く、急速に衰退している国(資本が急速に減少しつつある国)では特に高くなるので、資本家階級の利害は社会全体の利害と食い違う、といいます。このように説いた上でスミスは、資本家階級が商業に対する新しい法律や規則を提案した場合には、必ず十分に注意すべきだ、なぜなら「こうした提案は、その利害が社会全体の利害と決して正確には一致しない人々、しかも一般に社会全体をあざむき、抑圧することを利益にしており、これまで多くの場合に社会をあざむき抑圧もしてきたような階級から出てくるものだから」、とまでいうのです。

 地主の利害が社会全体の利害と一致する、という主張については、マルクスが『経済学・哲学草稿』で「馬鹿げたこと」として厳しく批判しています(マルクスは借地農と地主の対立関係を指摘しつつ、地主は結局のところ、社会全体の富を収奪するのだ、と論じます)が、ここでのスミスの主張の力点は、資本家階級への批判にあります。自由競争の主唱者として資本主義の守護神のような扱いをされることもあるスミスですが、彼自身は労働者階級に同情的で高賃金の効用を力説していたのであり、資本家階級に対しては極めて辛辣な視線を投げかけていたわけです。
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2016年11月12日

アダム・スミス『国富論』を読む(3/13)

(3)分業による生産力の発展について

 本稿は、“経済学の祖”と呼ばれるアダム・スミスの主著『国富論』を、彼の哲学体系の全体像を念頭に置きながら、概観していこうとするものです。

 今回は、「第1篇 労働の生産力における改善の要因と、生産物が各階級に分配されていく際の自然な秩序について」の前半部分、すなわち、労働の生産力における改善の要因について論じられている部分をみていくことにしましょう。

 スミスが労働の生産力改善の要因としてあげているものは、ズバリ、分業(division of labor)です。『国富論』の冒頭に出てくるピン工場のエピソードは非常に有名なものですので、聞いたことのある読者も多いことでしょう。スミスは、ピン(裁縫用待ち針)の製造は、1人目が針金を伸ばし、2人目が真っ直ぐにし、3人目が切り、4人目が先を尖らせ……等々、18ほどの作業に分かれていることを指摘しつつ、自分が見たことのある小さな製造所では、10人が働き、1人がときに2、3の作業をこなしていたものの、1日に4万8000本(1人当たり4,800本)以上も製造できていたことを報告しています。そして、もし10人がそれぞれ1人で働くとしたら、そしてピン製造の技能を身に着けていないとしたら、1日におそらく1本も作ることができないだろう、と述べるのです。スミスは、このような印象的なエピソードを交えながら、労働を細かく分割することこそ生産力発展の要因であり、政府によるまともな統治が行われている社会で国民の最下層まで豊かさが行き渡るようになるのは分業のおかげなのだ、と力説します(*)。

 それでは、このように大きな利益をもたらす分業は、どのようにして進められてきたのでしょうか。それは、決して計画的なものではなく、モノを交換し合うという人間の性質(交換性向)の必然的な結果であった、というのがスミスの答えです。スミスは、人間の生活のあり方と動物の生活のあり方(動物は交換ということを行わない!)とを比較しながら、人間の交換性向が、理性と言語という人間の能力と関係があることを示唆しています(**)。交換性向という把握の妥当性はさておいて、分業ということを人間の本質的なあり方というレベルにまで掘り下げて基礎付けようとするスミスのアタマの働かせ方、しかも、その際にきちんと動物との比較を行ってみるというアタマの働かせ方は、非常に見事なものだといえるでしょう。また、ここで注目されるのは、スミスが、人間の能力や性質の差異は生まれつきのものではなく、分業の結果として、習慣や教育の違いから生じるものである(能力差は分業の原因ではなく結果である)、という考察を行っていることです。こうした考察からも、スミスの人間観の堅実さを確認することができるでしょう。

 スミスは続いて、分業がどの程度まで発展するかは市場の大きさに規定されることを論じます。特定の商品の生産に特化して生産性を上げたとしても、市場が小さければ、すなわち、商品を買ってくれる人が少なければ、食べていけるだけの儲けを確保することはできないでしょう。分業が発展するためには、市場が大きくなければならないわけです。市場の拡大には、交通関係の発展が大きな役割を果たします。スミスは、水上輸送を利用すれば、それだけ大きな市場を確保できるようになるので、大河川や地中海の沿岸で最初に文明が発展することになったのだ、という考察も行っています。

 さて、分業が確立すると、各人は自分の生産物を他者と交換することによって、自分が必要とするモノを入手するようになります。しかし、ある生産物を手放そうとする人が必要とするモノを、その生産物を手に入れたいと思う人がたまたま持っていなければ、交換は成立しません。こうした事態を避けるために、賢明な人々は、自分で生産したモノ以外に、誰もが自身の生産物と交換するのを断らないであろう商品をある程度持っておく方法をとったのだ、とスミスはいいます。この目的のために最終的に選ばれたのは金属でした。金属ほど腐りにくいものはありませんし、分割することも溶解して再びまとめることも容易ですから、交換したい商品の量に合わせて分量を適当に調整することもできます。当初、交換手段としての金属は地金(塊)の形で使われていましたが、重さを測ったり純度を調べたりすることが厄介であったために、やがて、金属の決まった重さのものに公的な刻印が押されるようになりました。これが硬貨の起源です。硬貨の名称は当初、それに含まれる金属の重さを示していたのですが、国王の貪欲のために、質の悪い硬貨が造られるようになっていきます。例えば、1ポンドより軽い金しか含まれていない「1ポンド」金貨を鋳造すれば、本来のものより少ない量の金で、外見上、債務を返済してしまうことが可能になるのです。スミスは、こうした貨幣の改鋳は、債務者に有利で債権者に不利となる詐欺的行為だとして厳しく批判しています。

 このように、商品交換の便宜のために貨幣が成立したことを確認したスミスは、続いて、商品が売買され交換されるときに、自然に守られる法則がどのようなものであるか検討していきます。そのための前提として、使用価値と交換価値という基本的な概念が確認されています。あるモノがどこまで役立つかを意味するのが使用価値であり、他のモノをどれだけ買えるかを意味するのが交換価値です。スミスは、使用価値がとても高いのに交換価値はほとんどないモノもあれば、交換価値がとても高いのに使用価値はほとんどないモノもある、として、前者の例として水を、後者の例としてダイヤモンドをあげています(これは「水とダイヤモンドの逆説」としてよく知られています)。

 スミスは、商品の交換価値を決める要因を探るために、いくつかの点を検討しています。第一に検討されるのは、交換価値の真の尺度は何か、そして、商品の真の価格とは何なのか、という問題です。スミスは、自分がもっている商品の価値はそれでもって支配(購入)できる労働の量に等しい、といいます(このような考え方は、経済学史上、「支配労働価値説」と呼ばれています)。自分がもっているある商品と交換することで別の商品を入手するということは、その別の商品を自分で生産する手間・労苦を省いて、他人に負担してもらうことにほかならない、というわけです。したがって、労働こそが全ての商品の交換価値を測る真の尺度となるはずなのですが、商品の交換価値は、それによって支配できる労働の量より、それと交換できる他の商品の量によって考える方が理解しやすいですし、さらに他の商品の量によるよりも貨幣によるほうが理解しやすいですから、結局、貨幣によって商品交換が媒介されるようになります。とはいえ、貨幣材料となる金や銀の価値も変動しますし、貨幣そのものの価値も摩滅や改鋳によって変動しますから、真の尺度となるのはやはり労働しかありえません。スミスは、労働で測られる真の価格と、貨幣で測られる名目価格との関係を歴史的な資料を踏まえつつ考察していますが、そのなかでは、真の価格を近似的に知るためには、穀物価格の中長期的な平均に着目した方がよい、とも指摘しています(よく知られている商品の価格のなかでは、労働の価格との正確な比例に最も近いためです)。

 スミスが交換価値を決定する要因として第二に検討するのは、真の価格を構成する要素は何なのか、という問題です。社会の未開段階、つまり、資本が蓄積され土地が占有される以前は、各種のモノを獲得するのに必要な労働の量の比率が、モノとモノを交換する際の唯一の規準であった、といいます。例えば、狩猟民族で、ビーバーを仕留めるために通常、鹿を仕留める際の2倍の労働が必要だとすると、ビーバー1頭は鹿2頭と交換され、鹿2頭の価値があるとされるのが当然だった、というわけです。ところが、資本が蓄積され、勤勉な人々を雇って生産したモノを売って利益を得ようとする人が出てくると、労働者が原材料に付加した価値は、労働者の賃金のみならず、資本を事業に投じてリスクをとった事業主の利益にあてられるようになります。さらに、土地が私有されるようになると、地主は自然の産物に対しても地代を要求するようになります。こうして、発達した社会においては、商品の価格(交換価値)は、労働の賃金、資本の利潤、土地の地代という3つの部分で構成されるようになったのだ、とスミスは説明しています。個別の商品の価格(交換価値)が、この3つの部分からなる以上、ある国で1年間の労働によって生産される商品の価格も、全体としてみた場合、同じ3つの部分からなり、その国の住民の間に労働の賃金、資本の利潤、土地の地代のいずれかとして分配されることになるはずです。要するに、賃金、利潤、地代の3つが全ての収入の源泉であり、全ての交換価値の源泉であるということになるのです。

 スミスが交換価値を決定する要因として第三に検討するのは、価格の各要素の一部または全部を自然で通常の水準より上昇させたり下落させたりする状況はどのようなものか、という問題です。スミスは、賃金、利潤、地代には業種ごとに相場となっている平均的な水準、すなわち自然水準がある、と指摘した上で、ある商品を生産し市場に運ぶのに使われた土地の地代、労働の賃金、資本の利潤をそれぞれの自然水準にしたがって過不足なく払える価格を、その商品の自然価格と呼びます。これに対して、ある商品が実際に売買される一般的な価格を市場価格と呼びます。個々の商品の市場価格は、実際に市場に供給される量と、その商品の自然価格(地代+賃金+利潤)を支払う意志のある人の需要(これがスミスのいわゆる「有効需要」です)との比率によって決まります。供給が需要に満たなければ市場価格は自然価格を上回り、供給が需要と等しければ市場価格は自然価格と等しくなり、供給が需要を上回れば市場価格は自然価格を下回ります。生産者は、市場価格が自然価格より高ければ供給を増やそうとしますし、逆に、市場価格が自然価格より低ければ供給を減らそうとします。こうして、市場価格は絶えず自然価格に引き寄せられるのであり、ある商品を市場に供給するために年間投じられる労働量は、市場への供給量がつねに有効需要を過不足なく満たせるものになるように、自然に調整されているのだ、とスミスは説明しています。

(*)スミスは、文明が発達した豊かな国で、ごく普通の職人や労働者が日常使っているものを見てみれば、それらの生産にごく一部でも関与した人の数が見当もつかないほど多いことが分かる、と述べています。例えば、労働者の着ている毛織物の上着は、羊飼い、羊毛の選別工、梳き工、染色工、あら梳き工、紡績工、織工、仕上げ工、仕立て工など、多数の職人が働いた結果ですが、それだけでなく、染色工が使う薬剤を世界各地から運んでくるための商業と海運、さらには造船や船の運航、帆の生産、ロープの生産のために働いている人も考えなければなりません。さらに、船や水車や織機のような複雑な機器はいうまでもなく、羊飼いが使う鋏のようなごく単純な道具を生産するだけでも、鉱夫、鉄鉱石を溶かす炉の建設工、木材を売る樵、製鉄に使う木炭の炭焼き、煉瓦製造工、煉瓦積み工、製鉄工、機械工、鍛造工、鍛冶工が働かなければならないのです。これと同じように、衣服や家財道具を調べていけば、何千人、何万人もの人の助力、協力がない限り、文明国ではごく下層の庶民の一般的な生活すら維持できないことが分かる、とスミスはいうのです。

(**)『国富論』の原型というべき内容を含んだ『法学講義』(受講生のノート)において、スミスは、交換性向ということで究明をストップさせず、さらにその基礎を探って、人間本性のなかで支配的な説得の本能(他者に自分の考えや気持ちを理解し納得してもらいたい!)というところまで到達しています。ここには、人間が他者との精神的交通によってつくられていく存在であることの、スミスなりの把握があるといえます。
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2016年11月11日

アダム・スミス『国富論』を読む(2/13)

(2)スミスは自由放任を主張したのか

 前回は、いわゆる「アベノミクス」について、本来は自由であるべき経済活動にことさらに介入する「統制経済」的な手法であり、「見えざる手」の重要性を説いたアダム・スミス『国富論』以来の経済学の成果を踏まえていないものだ、という批判がなされていることをみました。

 しかし、これらは、“経済学の祖”であるアダム・スミスの名前を持ち出してまで「アベノミクス」を批判するにしては、いささか物足りない感がするのは否めません。せっかく“経済学の祖”の名前を持ち出すのであれば、もう少し深く突っ込んだ批判はできないものなのでしょうか。

 確かに、アダム・スミスの「見えざる手」という言葉は、現在においては、市場が自動的に最適な資源配分を達成する機能、簡単にいえば市場原理の別名として、広く使われているものです。もう少し具体的には、アダム・スミスは、各個人の利己的な行動が「見えざる手」によって社会全体の利益へと導かれていくことを主張し、政府が経済活動に恣意的に介入することに反対したのだ、というわけです。

 アダム・スミスといえば、まずこの「見えざる手」という言葉があげられるほどに、アダム・スミスの名前は市場原理と一体のものとして語られてきた歴史があります。とりわけ、1980年代以降、いわゆる新自由主義的な経済政策が全地球規模で推進されていくようになるなかで、さらに市場の機能を否定したソ連・東欧の計画経済が次々と破綻し、中国やベトナムなども市場原理を導入する経済改革を進めていくなかで、スミスは、市場の調整機能の素晴らしさを解明した偉大な経済学者として、あたかも自由な市場経済の守護神であるかのように、大きく持ち上げられていくことになったのでした。「統制経済」だとして「アベノミクス」を批判する際にアダム・スミスの名前が持ち出されるのも、こうした背景があってのことにほかなりません。 

 一方で、新自由主義的な経済政策の推進の果てに世界経済がたどり着いたサブプライム問題やリーマン・ショックが、市場の機能に対する人々の信頼を大きく損ねることになったことも見逃すわけにはいきません。個々の経済主体の利己的な行動は、社会全体の利益を増進するどころか、破滅的な結果を招きかねないものなのではないか――このような強い疑念が巻き起こされることになったのです。

 こうした情況は、アダム・スミスの評価について再検討を迫るものとなったといえます。スミスが市場万能主義の守護神として非難されるようになっていく一方で、こうしたスミス批判の流れに抵抗するような形で、これまで「見えざる手」という論理で利己心を容認した経済学者として一面的に捉えられてきたスミスの、いわば“知られざる側面”として、道徳の重要性を説いた倫理学者としての側面(利己心の自由放任を主張していたわけではなかった!)が強調されていくようになり、これが次第に大きく注目を集めるようになっていったわけです。より具体的にいえば、ここ数年来、『国富論』と並ぶスミスの主著である『道徳感情論』に世界的に大きな注目が集まり、『道徳感情論』を取り上げた諸々の本が出版されて話題になっているという状況があります。この日本でも『道徳感情論』そのものについて、新しい翻訳が2つ出ましたし(高哲男訳〔講談社学術文庫、2013年6月〕、村井章子・北川知子訳〔2014年4月〕)、最近では例えば『スミス先生の道徳の授業――アダム・スミスが経済学よりも伝えたかったこと』(ラス・ロバーツ著、村井章子訳、日本経済新聞出版社、2016年2月)といった本が話題になりました。

 しかし、スミスの『道徳感情論』に着目するのはよいとしても、利己心の原理を説いた『国富論』を共感の原理を説いた『道徳感情論』で補うのだ、といった把握にとどまるのであれば、それは決定的に不充分であるといえるでしょう。全く別の原理を説いた2つの著作を統一的に把握するということではなく、スミスが構築しようとした哲学体系の全体像を念頭に置きつつ、『国富論』も『道徳感情論』も、同じ根っこから伸びてきた2つの幹として、捉えていかなければならないのです。そのような観点から、『国富論』そのものについて、単に利己心の原理を説き、市場の調節機能の素晴らしさを賞賛しただけのものなのか、検討していく必要もあるでしょう。

 本ブログでは、これまで一連の論稿を通じて、スミスが構想した哲学体系の全体像を明らかにしようと試みてきました。大きくいえば、スミスは、自然について人類が歴史的に成し遂げてきた究明の成果をしっかりと学んだ上で、想像上の立場(境遇)の交換によって成立する共感を、社会と精神(学問・芸術一般)におけるバラバラの諸現象を結合していくための原理として位置づけ、歴史的に発展してきた社会および精神(学問・芸術)について体系的に筋を通して把握することを志していたわけです。スミスは、具体的な社会問題を解くにしても、この世界(宇宙)全体には一般的な法則性が貫かれている――宇宙は一般法則に支配され、それ自身およびそのなかにいる全ての種の保存と繁栄という一般的な目的を目指して運動するまとまった体系である――という観点から、全体のなかの部分としての位置づけを明確にしながら解いていこうという姿勢をもっていたのでした(*)。もう少し具体的なレベルでいえば、『国富論』が『法と統治の一般的諸原理と歴史』とでも題されるべき未完の大著の一部でしかなかったことも明らかにしてきました。ハッキリいえば、現代の私たちがイメージするような経済学の本としてではなく、法学の本の一部分として構想されていたものが、『国富論』として結実したのでした。

 こうした観点を踏まえて『国富論』を読み込んでいくならば、その印象は大きく異なってくるはずです。確かに、スミスの『国富論』には、政府による経済への恣意的な介入に対する批判がみられます。同時に強調されなければならないのは、スミスの『国富論』は決して国家(政府)を考察対象から除外しようとはしていなかったということです。『国富論』において、スミスは、政府の経済への恣意的な介入が排されたとしても、政府がなすべき仕事はなお存在するとして、国防、司法、公共事業の3つをあげているのです。

 さらにいえば、政府による経済への恣意的な介入の排除という主張自体も、さらに深く突っ込んで検討される余地があります。スミスにおいては、目的はあくまでも、社会全体の利益の実現であったことを見失ってはなりません。その目的を達成する手段として、政府の恣意的な介入の排除が主張されているにすぎないのです。それでは、スミスが「見えざる手」によって実現されるとした社会全体の利益とは何だったのでしょうか。また、目的達成の手段として、政府による恣意的介入の排除が主張されなければならなかった歴史的条件とはどういうものだったのでしょうか。これらの問題について、突っ込んで検討していく必要があるでしょう。

 そのような検討を踏まえれば、「アベノミクス」をアダム・スミスの名前を出して批判するにしても、単に「統制経済だ!」「社会主義的な経済政策だ!」「市場原理に反する!」というレベルにとどまらない、もっと深く突っ込んだ批判が可能になってくるはずです。

 1776年に初版が出版された『国富論』(正式なタイトルは『国の富の本質と原因に関する研究』、原題:An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations)の冒頭には、「序論および本書の構成」と題された文章が置かれ、以下のように書き始められています。

国民の年々の労働こそ、生活の必需品または便益品(conveniencies)として、その国民が消費する全てのものを本来的に産み出す源泉である。消費される必需品や便益品は、国内の労働の直接の生産物か、そうした生産物によって国外から購入したものである。


 国(nation)の富とは金銀などではなく、国民が日々の生活において消費するモノ(必需品+便益品)であり、その源泉は国民自身の労働にほかならない、というわけです。要するに、国民の労働のあり方こそが『国富論』の研究対象として設定されているのだ、ともいえるでしょう。スミスは、以下のような5つの篇によって、国の富の本質と原因に関する研究を進めていきます。

第1篇 労働の生産力における改善の要因と、生産物が各階級に分配されていく際の自然な秩序について
第2篇 資本の性質、蓄積、用途について
第3篇 国によって豊かさへの道筋が異なることについて
第4篇 政治経済学の諸体系について
第5篇 主権者または国家の収入について


 本稿では、アダム・スミスの哲学体系の全体像を念頭に置きながら、こうした『国富論』の全体像について、概観していきたいと考えています(**)。

(*)本ブログに2013年9月2日から掲載した「アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う」を参照して下さい。

(**)『国富論』の原文は例えば以下で読むことができます。本稿における『国富論』からの引用文は、筆者が訳したものですが、大河内一男監訳(中公文庫)および山岡洋一訳(日本経済新聞出版社)を大いに参考にしました。
http://www.econlib.org/library/Smith/smWNCover.html
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 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う