2016年09月28日

2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮(3/10)

(3)ヘーゲル『哲学史』ヒューム、スコットランド哲学 要約

 前回は、ヘーゲル『哲学史』カントに至る過渡期の哲学の総論的な部分とバークリーの哲学を要約したものを紹介しました。ここでは、18世紀の哲学が一般的な通俗哲学ではあるが、無自覚のまま人間悟性が原理とされていたこと、バークリーは一切の存在するものは感覚されたものであり、観念は神の生み出したものだと主張していたことなどが説かれていました。

 今回は、ヒュームの哲学とスコットランド哲学についての部分の要約を紹介しましょう。ここでは、ヒュームが因果関係の必然性は習慣に過ぎないと主張したこと、スコットランド哲学がヒュームに反対して、宗教や道徳上の真理の内的に独立した源泉を主張したことなどが説かれていきます。

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2、ヒューム

 ヒュームは、ロック=ベーコン的な立場、すなわち、我々の概念を経験から汲み取る立場から直接に出発し、バークリーの観念論を対象とする。バークリーは、一切の概念をそのままにしておいたが、ヒュームにおいては、感性的なものと普遍的なものとの対立が純化され、かつ先鋭に表明される。何故かといえば、彼は感性的なものを全く普遍性を欠くものとして規定しているからである。ヒュームは、我々の表象の全ては、感性的感覚と概念・観念に分けられるが、後者は前者と同じ内容で、ただ力強さ・溌剌さの点で劣るのだ、という。こうしてヒュームは、生得観念を放棄する。
 彼が最も深く考察の対象にしたのは原因結果の範疇であるが、ここでもヒュームは終始一貫して、経験のなかには普遍性と必然性の諸規定は決して含まれておらず、またそれらが我々に与えられることもない、ということに注目した。こうしてヒュームは、思想規定の客観性または即自且対自的存在を棄て去ってしまったのである。
 ロックによれば、我々は原因結果の概念、したがって必然的連関なる概念を経験から得なければならないことになる。しかし、感性的知覚としての経験は何らの因果連関を含まない。我々が知覚するのは、今あることが起り、またあることがそれに続く、ということでしかない。例えば、水の圧力が家の転覆の原因である、といっても、それは何ら純粋の経験ではなく、まず水が押し寄せてきて、次に家が転覆することを見た、ということにすぎない。必然性は経験によって確証されるものというより、我々が経験のなかに持ち込んだもの、我々が偶然的につくった主観的なものというべきである。我々が必然性と結び付けるこの種の普遍性を、ヒュームは習慣と呼ぶ。我々は結果をしばしば見たために、連関を必然的とみるように習慣づけられる。必然性とは偶然の観念連合が習慣化したものだというのである。
 普遍的なるものに関しても同様である。我々が知覚するものは個々の現象であり個々の感覚である。我々は、これが今はこう、別の場合はこう、ということを見るのである。我々が同一の規定をしばしば繰り返して知覚することもあり得るが、このことも依然として普遍性からはるかに遠いのである。普遍性は経験によっては我々に与えられない規定である、というヒュームの言葉は、経験ということを外的経験だと解するならば、全く正当であるといえる。何ものかが存在するということを経験は感覚しても、普遍的なるものは未だ経験のなかにはないのである。感覚的存在は他と無関係にそれだけで存在するものであるが、同時に普遍的なるものそれ自体でもある。しかし、ヒュームは、必然性すなわち相対立するものの統一を全く主観的な習慣と見なすので、それ以上に思惟を深めていくことができなくなっている。なるほど習慣は一面においては意識における必然的なものであり、その限りでそこには観念論一般の原理を見ることができるが、しかしまた他面、この必然性は全く思想なき概念なきものとされているのである。
 さてこの習慣は、感性的自然に関する我々の見解においても、また法律や道徳に関しても等しく成り立つ。ヒュームは、古代の懐疑論者と同じく、諸民族の見解が異なることを根拠に、民族が違い時代が違えば、違ったことが法律として妥当してきたとする。もし真理が経験に基づくのであれば、普遍性や即自且対自的な妥当などの規定はどこか別のところから由来し、経験によっては確証されないことになる。こうしてヒュームは、この種の普遍性や必然性をむしろただ主観的なものと宣言して、客観的に存在するものとはしなかったのである。なぜならば、習慣こそまさにこの種の主観的普遍性にほかならないからである。以上が認識の源泉として採用された経験についての重要かつ鋭い発言である。これを出発点にして、いまやカントの反省が始まったのである。

B スコットランド哲学

 しかし、スコットランド学派にあっては、以上と別なものが開花した。彼らこそヒュームの最初の反対者であるが、もう一人の反対者がドイツの哲学者カントである。かれらがヒュームの懐疑論に対して主張したのは、宗教や道徳上の真理の内的に独立した源泉である。これはカントと一致するもので、カントもまた外的な知覚に対して内的な源泉を対置しているが、ただしそれはカントにあっては、スコットランド学派におけるとは全く別の形式をもっている。彼らにあっては、この内的な独立した源泉は、思惟や理性そのものではない。むしろこの内的な源泉から成立してくる内容は具体的な種類のもので、それはまた、自らのために経験の外的材料を必要とする。それは一面においては認識の源泉の外面性に対して、他面においては形而上学そのもの、すなわちそれだけ切り離されて抽象的なものとなっている思惟または推究に対立する通俗的な諸々の根本命題である。彼らは教養ある人間として道徳を考察し、諸々の道徳的義務をひとつの原理の下にもたらすことを試みた。彼らにおいては、思弁哲学は全く姿を消してしまうが、全体として帰着するのは、ドイツにおいても原理として捉えられたもの、すなわち、真理の根底として彼らが立てたのは、いわゆる健全な悟性、普遍的な人間悟性なのである。
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 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言