2016年09月10日

夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う(4/5)

(4)金力・権力のしがらみから愛を解放する展望

 前回は、『明暗』の物語世界がどのような構造をもっているのか、少し掘り下げて考えてみました。端的にいえば、愛の問題系と金の問題系が絡み合う構造ということになるのですが、愛の問題系だけを取り上げてみても〈津田-清子-関〉という三角関係に〈お延-津田-清子〉という三角関係が重なってくるという重層的な構造をなしており、さらにそれらの三角形が、経済的な力のより強い上層の世界と経済的な力のより弱い下層の世界に挟まれる形で配置されている、ということになるのでした。上層の世界と下層の世界に挟まれた津田とお延は、お互いに相手を真に愛するというよりは、上層の世界の人々に対する「手前」あるいは「体面」から、仲のよい夫婦に見せかけようとしているにすぎません。こうした夫婦のあり方が、上層の世界からは、身の程を知れ、分をわきまえろ、という角度で批判され、下層の世界からは、腰がぐらついて度胸が坐っていない、と批判されているのでした。

 今回は、いよいよ、こうした構造をもった物語世界を、漱石がどのように片付けようとしていたのか検討していくことにしましょう。

 この『明暗』で、片付けられるべき問題として設定されているのは、金力・権力にまつわる諸々のしがらみから人間的な愛を解放できるか否か、人と人との関係が金によって左右されてしまう状況をどのようにすれば打破できるのか、ということにほかなりません。このことを踏まえるならば、ついに書かれなかった結末に向けての展開について、いくつかのポイントを指摘することができます。

 第一に、吉川夫人の「お延の教育」が、吉川夫人の思惑通りに成功し、お延が奥さんらしい奥さんに育て上げられて大団円、などという結末だけは絶対にありえない、ということです。漱石が金力・権力の横暴に激しい憤りを燃やしていたことからすれば、金力・権力を思いのままに操って他人を玩具のように動かして面白がる吉川夫人は、厳しく断罪されることになるだろう、と推測するほうが自然です。

 第二に、有力者のご機嫌をとることを優先し、何事にも優柔不断で煮え切らない津田がどうなるのか、という問題です。津田は、漱石が学習院での講演「私の個人主義」で熱烈に主張した「自己本位」の対極、すなわち「他人本位」を体現するような人物として造形されているといえます。ここから、2つの可能性が導かれます。ひとつの可能性は、「他人本位」な津田が何らかの出来事をきっかけにして決定的に改心して「自己本位」な人間に生まれ変わる、ということです。もう少し具体的にいえば、妻であるお延を、純粋に1人の人間として、社会的なしがらみとは無関係に愛するようになる、という結末です。そのためには、吉川夫人への従属的な関係は精算されなければなりませんし、他者依存的な経済状態についても何らかの解決策が見出されなければならないでしょう(*)。もうひとつの可能性は、津田が「他人本位」なあり方を改められないまま破滅してしまう、ということです。ハッキリどちらとは断言できませんが、この作品中の最重要人物というべき小林が、津田に一朝事があったとしても自分(小林)のように腹を据えた人物に早変わりすることなどできないだろう、と述べている(第158回)ことからすれば、津田は「他人本位」を改められないままに自滅してしまう可能性が高いのではないかと考えられます。

 第三に、「自分のこうと思い込んだ人を飽くまで愛する事によって、その人に飽くまで自分を愛させなければやまない」というお延の「最後の決心」の単純な成功あるいは失敗という結末も考えにくい、ということです。お延の「最後の決心」は、本心から津田を愛するが故に出てきたものではなく、上層の世界に視線を向けつつ、悧巧な女性(妻)として認めてもらいたいという虚栄心から出てきたものにすぎないからです。漱石の思想からすれば、上層の世界における評価を気にするという「最後の決心」の前提条件そのものが崩される必要があるでしょう。

 以上のポイントを踏まえつつ、結末に向けた展開について、もう少しだけ具体的に考えてみることにしましょう。

 『明暗』は、津田がかつての恋人・清子に再会し、彼女が突如として自分のもとを去ったのはなぜなのか、探り出そうとするところで中断されています。ただちに問題になるのは、清子が津田を捨てたのはなぜなのか、ということです。結論からいえば、それは、津田が吉川夫人のいいなりになっているにすぎないことを見抜き、そこに頼りなさを感じて幻滅したからでしょう。清子は、再会した津田の行動について、「待伏せ」「貴方はそういう事をなさる方」と評しています。ここからは、自分の強烈な意志で現実世界の課題に正面からぶつかっていくことをせず、もっともらしい理屈を口にしつつ下らない技巧を弄する男だ、という津田への評価がうかがえるのです。津田は、自分の意志で(清子への熱い思いを抑えきれずに)清子のもとを訪ねたわけではなく、吉川夫人にそそのかされてやってきたにすぎませんし、清子との会見の口実をつくるために、吉川夫人から見舞いの果物籃を託された、などと都合のいいウソをついています。「する事はみんな自分の力でし、言う事はことごとく自分の力で言った」と考える津田ですが、結局のところ吉川夫人のいいなりになっているに過ぎないのだという事実を、清子から厳しく突き付けられることになるでしょう。津田のこうした「他人本位」的な行動の欺瞞を鋭く暴くためにこそ、清子という人物が登場させられているのだ、ともいえるでしょう。

清子によって津田の「他人本位」的な欺瞞が暴かれるならば、お延の津田に対する態度も決定的に改められざるをえません。お延と津田が京都で初めて出会ったとき、津田はお延のもってきた自分の父宛ての手紙をその場で開封しました(第79回)。お延は、津田を果断な人間、決断力・行動力に富む人間だと思い、そこにひかれたわけです。しかし、清子による津田批判は、津田が全くそのような人間ではなく、むしろ正反対の優柔不断な人間であったことを暴くものにほかなりません。お延が清子による津田批判に接するならば、自身が津田を見誤ったのだということを最終的に認めざるをえない状況に追いこまれてしまいます。このことは同時に、津田が自分の愛の対象に値しない存在であったことを認めざるを得なくなることをも意味しています。

 「体面」の維持という目標に縛られ、他人からの軽蔑を極端に恐れるお延にとって、自分の直覚の誤りを認めることは、津田の愛をめぐって清子を片付けるよりも勇気のいることでしょう。そうしたお延の痛切な自己批判を手助けすることができる位置にいるのは、客観的に見て小林以外にはありません。そもそも、『明暗』の物語世界のなかで、小林がお延の前に登場し、津田の過去の秘密をほのめかしたのは、彼女の「最後の決心」の直後でした。この局面での小林の登場には、たんに物語展開上の緊張感を高める効果だけでなく、『明暗』の主題に関わる重要な意味があると見るべきです。人に厭がられることをしなければ自分の存在を他人に認めさせることができない、という小林の登場によって、「自分のこうと思い込んだ人を飽くまで愛する事によって、その人に飽くまで自分を愛させなければやまない」というお延の「最後の決心」が意味をなさない世界が存在することが示されているのです。とはいえ、「絶対に愛されてみたい」というお延の強い意志そのものは、積極的に肯定されるべき要素ではあります。問題なのは、「絶対に愛されてみたい」という意志が、上層の世界のみを見つめる狭い視野のなかで、虚栄心に絡めとられてしまっていることです。「絶対に愛されてみたい」というお延の強烈な意志は、下層の世界をも捉えるような広い視野のなかで、鍛え直される過程が必要になってくるものと思われます。そうした過程は、お延が小林と対決することなしには生じ得ないでしょう。

 結論的にいえば、『明暗』の物語世界で複雑に絡み合った諸々の問題を片付け、金力・権力にまつわる諸々のしがらみから人間的な愛を解放する展望を指し示すためには、強い意志をもったお延と、あらゆる社会的なしがらみから自由である小林とが、何らかの形で結びつくことがどうしても欠かせない、ということになります。「絶対の愛」を求めて自らの運命を積極的にきり開いていこうというお延の「最後の決心」は、女性を管理・支配の対象とする家父長制の秩序の枠内では実現できないものであり、必然的にそれを突き崩す可能性を秘めたものにほかなりません。これを真に成就させようとするならば、何ものにもとらわれずに現存の社会秩序を批判することができる小林の思想を、お延なりのやり方で受け止めることが必要になってくるのです。「絶対に愛されてみたい」「誰からも愛されたい」というお延(=明)は、「せめて人に嫌われてでも見よう」という小林(=暗)と対決させられることによってこそ、「否定の否定」的に成長を遂げていくことができると思われるのです。

(*)ひょっとすると、津田がマルクスの『資本論』とされる「経済学の独逸書」を読んでいた様子が描かれていたのは、こうした結末に向けた布石なのかもしれない。『資本論』では、貨幣の物神性――人と人との関係のなかから生まれてきた貨幣が、逆に人間と人間との関係を支配するようになること――の問題が解かれているからである。
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 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言