2016年09月09日

夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う(3/5)

(3)上層、中層、下層という三重構造をなす世界

 前回は、『明暗』のあらすじを少し詳しくみた上で、愛の問題系と金の問題系とが複雑に絡み合う形で物語世界が展開していることを確認しました。津田は真実にお延を愛しているというわけではなく、経済的な有力者の歓心を買うためにお延を大切にしているかのように偽っているにすぎない、という点にこそ、『明暗』の複雑な構造を解いていくための鍵があるといえるのではないか、ということでした。

 今回は、物語世界の構造について、その立体性ということに着目して、もう少し掘り下げて考えてみることにしましょう。

 『明暗』は、何よりもまず、津田とお延の夫婦関係はどうなるのか、清子が津田を去った理由は何なのか、再会した津田と清子はどうなるのか、愛することで愛させるというお延の「最後の決心」は報われるのか、といった愛の問題系を軸に展開しているということができるのですが、この愛の問題系だけをとりあげてみても、従来の漱石作品にはない複雑さがみられます。三角関係の問題を中心におく、ということ自体は従来の漱石作品と同じなのですが、ここでは1人の女性をめぐって2人の男性を配した従来型の〈津田-清子-関〉という三角関係に加えてもうひとつ、1人の男性をめぐって2人の女性を配した新しい型の〈お延-津田-清子〉という三角関係が存在しているのです。つまり、物語世界の中心にいる津田・お延の夫婦のそれぞれが、それぞれを起点とする三角関係の問題を抱えるという重層的な構造をもっているわけです。

 重要なのは、こうした2つの三角関係が重なり合うという愛の問題系に、金の問題系が密接に絡みあってくることです。このことは、『明暗』の物語世界がそもそも、経済的な力を規準として、下層、中層、上層という三重の構造をなしていることに端的に現われています。すなわち、津田とお延の夫婦を真ん中において、金力と権力によって他人を意のままに動かそうとする上層の世界と、貧困のためにあらゆる人間的なつながりから疎外されてしまった下層の世界とが広がっているのです。上層の世界は、放漫で他人をからかうことが好きな吉川夫人によって代表され、下層の世界は、食い詰めて朝鮮に渡ろうとしている小林によって代表されています。

 津田とお延の夫婦関係は、かなり不安定な経済的基盤の上に成り立っており、お延の派手好きによる贅沢もあって、上層の世界の有力者に依存しなければ立ち行かないものになっています。まさに、このことこそが、夫婦の愛の問題に深刻な影を投げかけているのです。

 津田は、お延の叔父の岡本と親友で、父の友人でもある吉川の会社に勤めています。津田は、お延を育てた岡本家の機嫌をとるため、お延の虚栄心――あくまでも津田に可愛がられているように見せようとする――から周囲に生じる誤解をあえてそのままにしています。吉川が岡本と兄弟同様に親しい間柄であることから、自分の将来はお延を大事にすればするほど確かになると考えているのです。津田は真実にお延を愛しているというわけではなく、経済的な有力者の歓心を買うためにお延を大切にしているかのように偽っているにすぎないわけです。

 一方のお延は、かつて自分の直覚に絶対の自信をもっていました。彼女はその直覚によって津田を愛の対象として選んだのですが、今ではその直覚の誤りに薄々感づき始めています。また、夫の過去に何かしらの秘密があることを感じて悩んでいます。このような状況の下で、お延は「自分のこうと思い込んだ人を飽くまで愛する事によって、その人に飽くまで自分を愛させなければやまない」という「最後の決心」をします(第78回)。しかし、それは純粋に津田を愛するからというよりも、自分の「体面」を気にしたからにすぎません。お延にとっては、津田という男性が愛の対象に値するかどうかということよりも、夫に愛される(そして、夫を意のままにする)賢い女性として上層の世界の人々から認めてもらいたい、という虚栄心を満たすことが第一義的な課題になってしまっているのです。

このように、津田・お延の夫婦関係は、虚偽と虚飾にとらわれ、利害得失の打算に満ちた関係というほかありません。この夫婦は互いに相手を支配しようとし、決して完全に心が打ち解けることがありません。漱石は、こうした津田・お延の関係を「愛の戦争」と表現しています(第150回)。

 津田とお延の夫婦関係がこのようなものになってしまったのは、先ほども指摘した通り、この夫婦の経済的基盤が不安定で(津田の収入の割に、お延が派手好きで贅沢であることもあって)、吉川や岡本ら上層世界の人々の好意と施しに依存しなければ成り立たないものになっているからにほかなりません。しかし、津田とお延は、こうした社会関係のなかに存在させられていることに対して無自覚であり、金力・権力の面でより上位に立つ者からの好意と施しを当然のように受け取っています。

 津田は、自らの存在が徹底して他者依存的であり、とりわけ吉川夫人の顔色をうかがってばかりいるにもかかわらず、あくまでも自己の意志にしたがって生きていると思い込んでいます。一方、お延は、自らの体面を維持することに汲々とする結果、「絶対に愛されたい」という強い決意を実現するため一心不乱に突き進もうとします。上位の者から見れば、お延は金力と権力がつくりだす秩序の安定を乱しかねない危険な存在です。岡本の財産や岡本と吉川の親しい関係なども考慮した上で津田の結婚相手として選ばれたのだということをわきまえて、夫(津田)に好きな女がいくらでもあるうちで自分が最も大切にされているという状態に満足するべきだ、というのが、上層の世界(とりわけ吉川夫人)からのお延への要求なのです。上層の世界の人間からみれば、津田がお延の虚栄心に振り回されていることは、許しがたいことにほかなりません。露骨にいえば、津田とお延は、施しを与えてやっているにもかかわらず感謝の意を快く示すことのない不愉快な存在なのです。このことが津田夫婦とお秀との間で衝突を引き起こし、吉川夫人による「お延の教育」(第142回)の宣言を導いたのでした。

 しかし、津田とお延は上層の世界の人間から批判されるだけではありません。津田やお延などよりもずっと金力・権力に縁遠い下層の世界の者からも、また違った視点で批判されるのです。

 津田の友人・小林は、津田の叔父・藤井の下で、売れない雑誌の編集などに携わっていましたが、ついに食い詰めて、朝鮮へと「都落ち」しようとしています。小林は、吉川夫人とは逆に、津田とお延の姿を下から照らし出し、その不安を暴き出します。社会主義への共感も隠そうとしない彼の不気味な言動は、津田とお延の存在が他者依存的であり、社会的なしがらみに縛られているがゆえに、虚偽と虚飾に満ちていることを鋭く突くのです。「僕から見ると、君の腰は始終ぐらついてるよ。度胸が坐ってないよ。厭なものをどこまでも避けたがって、自分の好きなものをむやみに追かけたがってるよ」(第157回)という小林の津田に対する批判は決定的です。

 ここで考えてみなければならないのは、小林にこのような鋭い批判が可能なのはなぜなのか、ということです。そのヒントは、津田の外套を受け取るために津田の入院中に津田の家を訪ねた小林とお延との対決の場面(第81〜88回)にあります。ここで小林は、「僕には細君がないばかりじゃないんです。何にもないんです。親も友達もないんです。つまり世の中がないんですね。もっと広く云えば人間がないんだとも云われるでしょうが」と述べ、他人に自分の存在を認めさせるために「仕方がないからせめて人に嫌われてでも見ようと思う」のだと語っています。これは、「誰からでも愛されたい、また誰からでも愛されるように仕向けて行きたい」と考えるお延にとって、まるで別世界に生まれた人の心理状態でした。社会全体から徹底的に無視されるという小林の境遇は、絶望的なものというほかありません。しかし、金も地位もなく「人間がない」ということは、人間社会のあらゆるしがらみから完全に自由であるということでもあります。いわば、『吾輩は猫である』の猫的な視点から、人間社会の諸関係を自由に批判できるのです。小林の境遇を、体面の維持という目標にがんじがらめに縛られたお延の境遇と対比するならば、一切のしがらみからの解放という、絶望的な孤独が一方でもっている積極的な側面が大きく浮かび上がってくるともいえるでしょう。漱石は小林に、天の目的に動かされることこそ僕の本望だ、と語らせていますが、このことは、社会の最下層に近いところにいる小林の視点こそが、実は人間社会を超越的な視点で眺める天からの視点(アダム・スミス流にいえば「公平な観察者」の視点)に最も近いのだということを示唆するものにほかなりません。

 小林に関わってもうひとつ注目しておかなければならないのは、津田が設けた送別会の場面で、津田から餞別として受け取った10円紙幣3枚(お延が岡本から「賠償金」として小切手の一部)を、自分より貧乏な青年画家に示して「さあ取りたまえ。要るだけ取りたまえ」と語りかけたことです(第155回)。結局、貧乏画家は1枚だけを受け取ります。「余裕は水のようなものさ。高い方から低い方へは流れるが、下から上へは逆行しないよ」と語っていた小林は、「珍らしく余裕が下から上へ流れた」といいます。このように、金をことさらにぞんざいに扱ってみせる小林の振舞いは、金を施してやるんだから頭を下げろ、という上層の世界の人々の振舞いとは対極にあるものとして注目に値します。金の流れを純粋に金の流れとしてのみ、人間の感情とは無縁の「余裕」なるものの物理的運動であるかのように捉えることで、人と人との権力的な関係にまつわる優越感や劣等感を可能なかぎり排除してしまおうとしているわけです。金の問題系が愛の問題系に覆いかぶさっている、もっといえば、金をめぐる感情の動きが真実の愛の可能性を閉ざしてしまっている、という『明暗』の物語世界が抱える根本的な問題を解決する道は、こうした小林の存在によってこそ示唆されているということができるでしょう。
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 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言