2016年09月08日

夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う(2/5)

(2)愛の問題系と金の問題系という2つの軸

 本稿は、漱石の未完の大作『明暗』に焦点を当てて、複数の問題系が複雑に絡み合う構造をもった物語世界を漱石がどのように片付けようとしていたのか検討することを通じて、漱石の思想的な到達点について考察することを目的としたものです。

 今回は、『明暗』の物語世界が、どのような問題系を軸として展開されているのか、確認しておくことにしましょう。そのためにも、まずは『明暗』のあらすじを少し詳しくみておくことにします。

 会社員の津田由雄(30歳)は、持病の痔の手術のために入院しなければならなくなり、入院費の工面に頭を悩ませます。京都の父からの毎月の仕送りが、盆暮の賞与で幾分か返済するという約束を履行しなかったばかりに、ストップされようとしていたからです。津田は、上司・吉川(父の友人でもあります)の仲立ちでお延(23歳)と結婚して半年になります。実は、津田にはかつて、これまた吉川夫人に紹介された清子という恋人がいたのですが、清子は突如として津田のもとを去り、津田の友人・関と結婚してしまったのでした。津田はこのことをお延に隠しています。吉川夫人を介して会社を休む都合をつけた津田は、入院の前日、叔父・藤井の家を訪ねます。そこでは、津田の旧友・小林(藤井の下で雑誌の編集などをやっています)の妹の結婚話がまとめられようとしました。結婚の問題に絡んで、津田は叔母から「始終御馳走はないかないかって、きょろきょろそこいらを見廻してる人」「いろいろ選り好みをしたあげく、お嫁さんを貰った後でも、まだ選り好みをして落ちつかずにいる人」と評されてしまいます。藤井宅を後にした津田と小林は、酒場で飲みなおします。小林は、朝鮮に渡ってそこの新聞社に雇われることになったことを伝え、津田の外套を貰い受ける約束を取り付けます。

 津田が入院した日、お延は叔父の岡本から誘われていた芝居見物に行きます。そこでは、岡本夫婦の娘(お延の従姉妹)・継子のお見合いの席が設けられていました。お見合い相手の三好は、岡本の友人で津田の会社の上司でもある吉川夫婦に連れられてきます。吉川夫人を苦手とするお延は、お見合いの会食の後、夫人と上手く渡り合えなかったことに苦い思いを抱いて家に帰ります。翌日、岡本宅を訪問したお延は、岡本夫婦に、継子のたっての願いでお婿さんの目利きをしてもらおうと思ったのだ、と明かされます。実際、かつてのお延は、自分の直覚に絶対の自信をもっており、その直覚で津田を愛の対象として選んだのでしたが、今ではその直覚の誤りに薄々感づき始めています。にもかかわらず、岡本に直覚の鋭さを冗談半分にからかいつづけられて、お延は思わず涙ぐんでしまいます。岡本は、泣かせてしまった「賠償金」といってお延に小切手を渡します。あくまでも自分の直覚の誤りを認めたくないお延は、「自分のこうと思い込んだ人を飽くまで愛する事によって、その人に飽くまで自分を愛させなければやまない」という「最後の決心」をします。

 翌朝、お延のもとに、小林が津田の外套を受け取りにやってきます。下女のお時が入院中の津田に確認している間、お延は座敷で小林と対座します。「僕は人に厭がられるために生きているんです」という小林は、誰からでも愛されたいと願うお延にとって、まるで別世界の人間でした。小林から、津田の過去に何かしらの秘密があることをほのめかされ、疑惑で胸をいっぱいにしたお延は、入院中の津田のもとへ向います。一方、津田のもとには、津田の妹のお秀が訪れていました。父からの仕送りの途絶という事情を知るお秀は、津田が必要とする金を持参してきたのですが、それを手渡すに際して、何としても津田に頭を下げさせようとします。一方の津田は、何としても頭を下げたくありません。2人のやり取りが険悪さを増していくなかで、派手好きのお延が津田に散財させているのだとにらむお秀は、兄さんは嫂さんを大事にしていながら他にも大事にしている人がある、だから嫂さんを怖がるのだ、といいます。その瞬間、お延が登場します。お秀への怒りの反動からか、津田はいつになくお延と溶け合います。それを喜ぶお延は、必要な金は私が拵えたから心配には及ばない、といって岡本から受け取った小切手を出し、お秀の金を断ろうとします。お秀は怒りを表し、津田とお延について、他人の親切を素直に受けとることのできない人間だと冷たく評して、その場を去ります。津田とお延は、京都の津田の父との関係がこれ以上悪化しないよう、吉川夫人に間に入ってもらおうと相談します。

 翌日の午後、入院中の津田を小林が訪ねます。小林は、その日の午前中にお秀が藤井宅を訪ねたこと、さらにお秀はその前に吉川宅を訪ねており、吉川夫人が間もなく津田のもとを訪れる予定であることを知らせます。一方、その日の昼食後、銭湯でゆっくりと過ごしたお延は、留守中にお秀が訪ねてきたことをお時から聞かされて驚きます。病院に行く予定を変更してお秀を訪問したお延は、お秀との間で愛についての議論を闘わすことになります。「好きな女が世の中にいくらでもあるうちで、あなたが一番好かれている方が、嫂さんにとってもかえって満足じゃありませんか」というお秀に対して、お延は「あたしはどうしても絶対に愛されてみたいの」といってお秀をあきれさせます。ちょうどその頃、吉川夫人が津田のもとを訪れます。吉川夫人は、今回のお秀と津田夫婦の衝突の根底には、津田がお延のことをそれほど大事だと思っていないにもかかわらず、吉川や岡本との関係上、いかにも大事にしているように見せようとしていることがある、と指摘します。さらに、そこには津田の清子への未練が影響しているのだと指摘し、清子が流産してある温泉場で湯治していることを告げ、旅費は出してあげるからその温泉場を訪ねて清子と話をしてきなさい、とそそのかすのです。その上で吉川夫人は、お延を奥さんらしい奥さんに育て上げる「お延の教育」計画を口にします。吉川夫人が帰った後、お延が病院に現われます。お延は、津田が吉川夫人の来訪を隠そうとしたことなどから、津田が何かしらの隠し事をしているのではないかとの疑いを深め、激しく詰め寄ります。しかし、津田は何とかやり過ごし「お前の体面に対して、大丈夫だという証書を入れる」という妥協を提案します。

 退院した津田は、小林との送別会に臨みます。その席で小林は、「僕から見ると、君の腰は始終ぐらついてるよ。度胸が坐ってないよ。厭なものをどこまでも避けたがって、自分の好きなものをむやみに追かけたがってるよ」と津田の弱点を鋭く指摘します。津田は、餞別として小林に30円(お延が岡本からもらった金の一部)を渡しますが、小林はそのうちの10円を自分より貧乏な青年画家・原に譲ってしまいます。翌日、津田は清子のいる温泉場へと向います。宿に到着した夜、浴場から部屋までの道に迷ってしまった津田は、思いがけず清子に再会しますが、清子は無言のまま背を向けます。翌日、津田は正式に清子に会見を申し込み、清子の部屋で対座します。清子は、前夜の津田について「待伏せ」「貴方はそういう事をなさる方」と評します。

 以上、『明暗』第1回から第188回までの大きな流れを辿ってみました。結論的にいえば、『明暗』において提示されている諸々の問題は、大きく2つの系列、すなわち、愛の問題系と金の問題系とに収斂させることができるでしょう。津田とお延の夫婦関係はどうなるのか、清子が津田を去った理由は何なのか、再会した津田と清子はどうなるのか、愛することで愛させるというお延の「最後の決心」は報われるのか、といった愛の問題系が第一に存在します。しかし、物語世界は、こうした愛の問題系だけが軸になって展開していくわけではありません。津田の入院費用の捻出をめぐる金策問題をきっかけにして、金の問題系という軸が設定され、岡本からお延への「賠償金」、お秀による津田の入院費の援助の申し出、吉川夫人による湯治費用の援助で津田夫婦のところへ金が入ってくる一方で、津田夫婦は、食い詰めて朝鮮にわたる小林に餞別を渡さなければならなくなる、という目まぐるしい金の動きが生じます。津田とお延の夫婦関係が、かなり不安定な(他者に依存せざるを得ない)経済的基盤の上に成り立っていることが描かれているのです。

 愛の問題と金の問題というのは、これまでの漱石作品においても一貫してとりあげられてきたテーマだといえます。例えば、『明暗』の前々作にあたる『こころ』の「先生」は、叔父に財産をごまかされた経験を語った上で「私は金に対して人類を疑ったけれども、愛に対しては、まだ人類を疑わなかったのです」(「先生と遺書」第12章)と述べていました。『こころ』の先生は、叔父とのいざこざから金に対して人類を疑うようになり、さらに自分自身が親友を裏切ったという痛苦の経験を通じて、愛に対しても人類を疑わなければならなくなった結果、自殺に追い込まれてしまったのです。金と愛というのが漱石にとっての2大テーマにほかならなかったことが、「先生」のこの発言に象徴的に示されているといえるでしょう。しかし、『こころ』においては、金の問題がまず語られ、次いで愛の問題が語られるという形で2つのテーマが並列されており、2つのテーマが有機的に絡みあって深められる、ということはありませんでした。

 これに対して、『明暗』においては、最初から、愛の問題系は金の問題系と直接的に重なり合うものとして設定されています。このことを端的に示しているのが、吉川夫人の「あなたは良人や岡本の手前があるので……表向延子さんを大事にするような風をなさるのね、内側はそれほどでなくっても」(第136回)という発言です。また、小林が「岡本の財産を調べないで、君が結婚するものか」という意味をにおわせる態度をとっている(第117回)のも見逃せません。要するに、津田は真実にお延を愛しているというわけではなく、経済的な有力者の歓心を買うためにお延を大切にしているかのように偽っているにすぎない、ということなのです。まさにこの点にこそ、『明暗』の複雑な構造を解いていくための鍵があるといえるでしょう。
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 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言