2016年09月06日

どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想(5/5)

(5)主体的に事実の意味を解き,一般化したものを使っていく

 本稿は,「科学」とか「科学的」が社会的認識としてしっかりと確立していない現状において,それを30年以上も前にきちんと説いていた薄井坦子『科学的な看護実践とは何か(上)』を取りあげて,ここから,科学的な実践とは何か,それはどのようにすればできるようになるのかを学び取ることを目的とした論考であった。ここで,これまでの流れを振り返っておきたい。

 初めに,そもそも「科学的」とはいかなることであるかを確認した。薄井先生は,「科学的」というのはわかり方のレベルということを前提とした意味合いであり,事実の持つ性質を見抜いて行動するということこそが「科学的」ということであると説かれていた。では,どのようにすれば事実の持つ性質を見抜くことができるのか。これについては,薄井先生は,使いかけの赤いチョークと他のチョークや万年筆を一緒に示すというワークを用いて説明されていた。同じものを見ていても,共通の土台=一般をどこに置くかによって特殊性が動いていくことが説かれていた。すなわち,ある対象の性質を見抜こうとしたら,それとよく似た別の対象をもってきて,科学的抽象の能力を駆使して,それらに共通する土台=一般性を把握する,そしてその一般性を踏まえてその対象を眺めると,その特殊性が明らかになる,このようなプロセスこそがものの構造を見抜くことにつながっていくということであった。そして,このように科学的抽象によって一般性や特殊性という性質を見抜いていくというレベルのわかり方が「科学的」ということなのであり,そういった対象の性質に見合った形で行動することが科学的な実践といえるのであった。

 次に,科学的な抽象のくり返しによって構築される科学的学問体系には必須の本質論を俎上に載せて考察した。薄井先生は,科学的な学問体系を構築するためには,具体的な現象のカタチを捨てて中身を取り出す操作=捨象をくり返して,非常に高いレベルで共通な側面を取り出していくというのぼる過程と,ナイチンゲールの言にあるような看護の一般性・本質から見て,「人間の生命力を消耗させるものに何があるか?」というように考えて,「呼吸を整える」「食を整える」「清潔を保つ」などを導き出し,そのためにどういうことが可能か,どういう具体的な働きが可能なのかと考えていくようなおりる過程の両方が必要だと説かれていた。薄井先生が,ナイチンゲールの言が看護の本質だと見抜くきっかけとなった事例についても触れた。怒りっぽい患者に怒鳴られ,主任に「患者の言いなりになっていてはよい看護婦にはなれない」と注意されたあとに『看護覚え書』を読み返す中で発見したということであった。このような看護の本質論は,看護実践の良し悪しをはかるものさしとして使っていけることも見た。看護の本質論は,看護全体を貫く一般性を把握したものであるから,ここから具体化していけば,見事な科学的実践ができるのであった。また,他の専門職に対して自己の専門性を主張する際にも本質論が不可欠であることも確認した。

 最後に,科学的な実践の前提となる頭の働かせ方,すなわち弁証法と認識論について,薄井先生の説かれているところを考察していった。まず弁証法については,人間を生物体と生活体の二重性において把握されている点を取り上げた。人間の共通な側面である生物体に焦点を当てれば,何をしなければならないのかが判断でき,さらに個別な側面である生活体の反応を確認しながら,その人に合わせた介入を行っていくということであった。認識論については,観念的な自己分裂について説かれている部分を紹介した。「カメラ的立場」を離れて「地図的立場」に立って相手の心のなかに飛び込むことができてこそ,きちんとした看護ができるのであり,そのためには,手がかりと経験と知識を自分のものにする必要がある,ということであった。また,他の講演では,認識論の基本として,@経験していないことは認識できない,A同じ経験をしても得るものが違う,B認識はその人の今までの生活の仕方の中でつくられる,Cその人の生活の中に,その人の感じ方,考え方の謎を解く手掛かりがある,D認識を浮きぼりにできなかったら,低いレベルの看護しかできない,という5つが示されていた。このような認識論を踏まえなければ,認識の表現(現象)だけを見て失敗することになりかねず,科学的な実践をすることは不可能なのだと説いた。

 これらの内容を,さらに抽象度を上げてまとめ直しておくならば,科学的な実践のためには,科学的抽象をくり返して一般性や特殊性といった性質を見抜くことができるようになる頭脳の訓練が必要なのであり,具体的な現象から一般論へ,そして一般論から具体的な現象へとのぼりおりをくり返すことによって一般論(本質論)を実践のものさしとして使っていくことが必要であり,その前提として,人間理解のために弁証法・認識論をしっかり技化していくことが求められる,ということになるだろう。脳科学に飛びつけばそれだけで科学的になると考えるような安直な科学観とは違う,人間とは何かを踏まえた真の「科学的」実践について説かれていたといえよう。

 さらに本書を読んでいて痛感したのは,薄井先生が事例で説かれることが非常に多いということである。ほとんど全編,事例を通して説かれていたといっても過言ではない。これは,事実に語らせるという科学的な方法論が徹底されているということもいえるが,それ以上に,一つ一つの事例を大切にされている,一つ一つの事例に対して自分が全責任を負って取り組まれている,ということの証であろう。薄井先生は本書の中で何度か「賭け」という言葉を使われている。この賭けというのは,専門家として自ら主体的に判断して,思い切って最善と判断した介入を行い,その結果に対しては自分が全責任を負う,という姿勢を表明したものである。また,「看護は怖い」という言葉も何度か発せられている。自分が全責任を追うからこそ怖いのである。このような姿勢を持っておられたからこそ,看護学の科学的学問体系を構築できたのであり,本書でも,何かを説くに際して,適切な事例が次から次へと出てくるのであろう。

 では最後に,以上を踏まえて,心理臨床の専門家としての筆者の課題,自身が科学的な実践をするための課題を明確にしておきたい。

 まず科学的実践への第一歩として,科学的抽象の操作を何度も何度もくり返す必要がある。これは,日常生活レベルから専門の領域におけるまで,どのような対象であっても,それと似たものを順にいくつか並べてみて,それらの一般性を浮上させるとともに,その一般性を踏まえてそれぞれの対象の特殊性を見抜いていくという作業である。たとえば,電車と新幹線と自動車,スマホとタブレットとノートパソコン,精神科クリニックと精神科病院と総合病院,スタッフAとスタッフBとスタッフC,あのうつ病患者とこのうつ病患者と別の強迫性障害の患者,などというように,似たものを並べて,その際,どのような性質が浮上するか,特殊性がどのように動いていくか,ということを,つまり,自身の頭のなかの運動を,しっかり見つめる訓練をくり返すのである。科学的抽象ということこそ,科学化,学問化の第一歩,初歩の初歩であるが,この能力を鍛えないことには,何も始まらないというくらい重要だと,今回,改めて認識した次第である。

 次に,専門領域の捨象=科学的抽象のくり返しの操作を行い,専門領域=心理臨床を貫く一般論を仮説的であっても掲げて,その一般論をものさしにして実践を評価し,より良い実践を導いていくという認識ののぼりおりをくり返すことである。こののぼりおりの過程で,一般論が徐々に鍛えられ,洗練されていき,本質論と呼べるレベルにまで昇華していくはずである。と同時に,一般論の使い方も上達し,より適切な実践が可能となっていくことが期待される。すなわち,科学的な実践が可能となっていくのである。このように考えるならば,当初掲げる一般論は,誰か有名な先達からの借り物でも,「看護とは」や「保育とは」といった隣接領域の本質論を横滑りさせたようなものでもかまわないはずである。あるいは,心理臨床と看護と医療を並べてみて,その一般性と特殊性を探っていくというような取り組みも有効であろう。いずれにせよ,早急に一般論を構築する作業に入りたい。

 最後に,弁証法・認識論の実践的な活用である。人間を生物体と生活体との統一体として捉えるということは,心理臨床において有効であり必須であると思われる。たとえば,強迫性障害と診断されれば,生物体の必要条件として,曝露反応妨害法と呼ばれる介入によって治療していくことが有力な選択肢となる。しかし,この治療法に対する生活体の反応はさまざまであり,個別的な反応を踏まえて,相手の立場に立って,適切な形で治療を提供していかなければ,かなり負荷のかかる治療法だけに,ドロップアウトに終わってしまいかねない。どのような工夫をすれば受け入れてもらえるか,どうすれば治療意欲を高めることができるかといったことは,生活体の反応を見ながら調整していくことが求められるだろう。

 認識論にしても,薄井先生が説かれていた5つのポイントのいくつかは,認識についての一般論ということもできると思う。これを具体的な事例に適用して,対象の認識を読み取ったり介入の方針を得たりしていくことが,一般論を使っていくことであり,認識論を自分のものにしていくことでもあると思われる。薄井先生が本書でされていたように,家族構成から相手の過去の体験を予想し,それを踏まえて相手の認識を読み取ったり,現在の生活をしっかり見つめて,その人の感じ方,考え方の謎を解いたりしていく取り組みが求められるだろう。

 以上のようなことを,薄井先生と同じく,一つ一つの事例を大切にしながら,一つ一つの事例に全責任を持つ覚悟で,行っていく必要がある。何よりも,自分で受け持ったケースを教材としながら,具体的に自分自身で必死に解いてみるという取り組みが必須だと痛感している。今後は具体的な事例(事実)を取り上げ,その意味を解き,一般論を使った介入を検討するような文章を(公開するか否かに関わらず)書いていきたいと思う。このようなことが,科学的な実践を可能とする修行になるだろう。このことを決意して,本稿を閉じたい。

(了)
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 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言