2016年08月19日

文法家列伝:ソシュール編(2/5)

(2)ソシュールは言語を体系として、認識との連関において取り上げた

 前回は、先月行われた参院選における安倍首相の発言や、5月に行われたオバマ大統領の「広島演説」を取り上げ、こうした言語から認識を正確に読み取っていくことが非常に難しいこと、それは言語の性質に規定されているのであって、言語とは何かを解明した科学的言語学体系によってこそ、自分の認識を正しく漏れなく伝えることができるし、相手の認識も正しく漏れなく理解することができるのだということを説きました。こうした科学的言語学を創出することこそが筆者の人生を賭した目標であって、そのために「文法家列伝」シリーズを執筆することで、優れた「文法家」の言語に関する考え方を丁寧に辿っていき、文化遺産を発展的に継承していきたいとの決意を述べました。そして今回取り上げるソシュールについて、その生涯と言語理論の大枠を簡単に紹介したところまででした。

 さて今回は、ソシュールの言語理論の特徴の1つとして、言語を体系と考え、言語と認識との間の連関を取り上げたという点についてみていきたいと思います。

 この問題を考察するために、まずは17世紀までの言語論から19世紀の比較言語学への流れを簡単に振り返っておくことにしましょう。

 言語研究が始まった古代ギリシャにおいては、言語とそれが指し示す対象との関係が考察されました。言語の意味は、それが指し示す対象にあるとされたのです。また、言語そのものの形態の変化(屈折)や文の中での位置づけ(修飾する語か修飾される語かなど)も研究テーマとなっていました。

 こうした古代ギリシャの言語研究の成果は、続く古代ローマ時代にラテン語に適用されました。中世になると、言語にはそれを表現する話者の心、つまり認識が関係していることが直観的に把握され始めました。具体的には、文法は全ての言語で本質的に同一であり、言語間の表面の差異は偶然的な変化であるという普遍文法が追及され、そこでは世界の事物の存在様式を人間の精神が感知し、言語として表現するという全ての人間に普遍的な様式が考えられました。また、動詞の屈折形について、単に対象となる事物の運動を表すのみならず、話し手の心を反映していることも直観的に把握されたのでした。

 言語研究が古代ギリシャ以来の大きな進展を見せたのが、17世紀後半に登場したポール・ロワイヤル文法とロックの言語論においてでした。これらの言語論においては、語を認識のあり方に基づいて大きく二分し、さらにそれらの細目を分類するという立体的な品詞分類を行ったのでした。具体的には、ポール・ロワイヤル文法では「思考の対象を表す語」と「思考の形態や様式を表す語」、ロックにおいては「心の中の観念の名前である語」と「心が観念や命題に与える関係を表す語」という形で語の二大別を行ったのです。両者とも、認識のあり方と言語との関係を大雑把にでも掴むことができたために、実体や属性という、これまである程度解明されてきたといえる直接の対象がある語(名詞や動詞など)だけでなく、直接の対象があるわけではない語(前置詞や接続詞など)に関する鋭い分析が可能となったのでした。

 18世紀から19世紀にかけては、言語の起源に関する考察が活発になるとともに、比較言語学という新たな研究が盛んになってきます。これは、言語学の対象を人間の意志とは関わりのない音韻法則にまで還元するもので、例えば、インド・ヨーロッパ語族の共通基語がどのような音韻法則によって、現在のドイツ語やフランス語や英語などに変化していったのか、その法則性を追求する研究です。言語の音には変化の法則があるのであって、それを明らかにすることこそが言語学の目的であると考える研究方法です。19世紀の終わりには、音韻法則に例外なしと宣言する学派も登場してくるまでに、音韻法則の研究が進んできたのでした。

 以上のような言語研究の流れを見てみると、大きな観点からは、17世紀までの言語研究では、言語とそれが指し示す対象との間に認識が介在するのではないかということが徐々に分かってきて、その認識というものと言語との関係を深めていく、という流れがあったのですが、19世紀に盛んになった比較言語学においては、言語の音声が歴史的にどのように変化していくのかという発展法則に関して、人間の認識とは切り離して考察されていったということがいえると思います。こうした変化の背景には、ヘーゲルの歴史主義やダーウィンが描いた生物進化の系統樹、さらには当時の経験主義的・実証主義的研究方法の隆盛といったことが大きく影響していると考えられます。(詳細については、本ブログに掲載されている「比較言語学誕生の歴史的必然性を問う」を参照していただきたいと思います。)

 ソシュールが言語学の道に進んだ時の情況というのは、まさにこうした比較言語学が隆盛を極めていた時代だったのです。

 ではソシュールは、当時流行していた比較言語学をどのように捉えていたのでしょうか。

「音声変化というものは我々が意識していない言語現象の1つで、当然、直接与えられてはいないものである。すべての語において、個別(﹅﹅)の(﹅)要素が音声変化を蒙ったからといって、個別(﹅﹅)の(﹅)要素がある法則下におかれて変化するなどということはあり得ない! したがって、音声法則などという語を使用することは誤りである。」(p.89)

 ここでソシュールは、個別の要素の音声変化を扱う比較言語学について、否定的な評価をしていることが分かります。そもそも、ある一時代に暮らしている個々の人間にとっては、音声変化は通常意識されないもの(はっきりいえば、どうでもいいもの!)です。また「個別の」に傍点がついていることからも分かるように、ソシュールの考えでは、個々の音声に焦点を当てたような研究方法は、たとえそこからどのような「法則」的なものが導き出されたとしても、それは言語学全体から見れば単なる1つの現象に過ぎず、「法則」などいう全体を貫く規則性を表す言葉は使えないのだということになります。

 さらにソシュールは、言葉に関する不完全な考え方として、「言語を、根も環境ももたない1つの有機体と考えたり、自らの生をもち、おのずから生長する1つの種の如くみなす考え方」(p.84)、「“食べる”という機能と同じような自然的機能を、言語の中にも見かねない」(p.85)考え方を挙げています。こうした考え方は、言語を人間の認識とは関係なく生成・発展・消滅する有機体であるとみなし、言語を自然科学の対象として扱った比較言語学の考え方そのものであり、ソシュールはそれを言語に関する不完全な考え方であると非難しているのです。

 こうしたソシュールの考え方は、言語をどのようなものと考えるのかという根本的な思想に規定されています。ソシュールは、「言語が何よりもまず記号の体系である」(p.127)ことは明らかだとしたうえで、言語がどのようなものであるかについて、以下のように語っているのです。

「シーニュ〔記号〕の体系という単位の体系は、価値体系にほかならぬ。……いかなる価値といえども個的存在ではあり得ず、記号は集団〔体系〕の容認によってしか即自的な価値をもつには至らないであろう。」(p.67)

「我々には1つの語が単独に存在し得るという幻想があるが、ある語の価値は、いかなる瞬間においても、他の同じような単位との関係によってしか生じない。語や辞項から出発して体系を抽き出してはならない。……その反対に、出発すべきは体系からであり、互いに固く結ばれた全体からである。」(p.68)

「私たちは孤立した語からではなく、諸語の体系から出発するみちを選んで価値という観念に到達した。」(p.48)

「音素を分類するにあたっては、それらが何からできているかを知ることより、それらが互いに何において異なっているかを知る方が問題である。したがって、分類に際しては、否定的な要因の方が実定的な要因より重要となる。」(p.79)

「言語学なる営為を行うとき、そのすべての規則において、音声学者とか生理学者である必要は全くない。(……)生理学的音声学は言語学に属していない。」(同上)

「コトバは根柢的に、対立に基盤を置く体系という特性をもつ。」(p.147)

 ここでソシュールがいわんとしていることは、言語を考察する場合には、個々の言語のある音素がどのように変化するかというような問題は大した意味がなく、言語を価値の体系として検討していく必要があるということです。そして、言語の価値(*)というものは、「それが何からできているか」という「実定的な要素」ではなくて、他の言語との違いという「否定的な要素」によって決定されるというのです。つまり、他の言語と「対立」を示してさえいれば、他の言語と違うという「関係」が変化しなければ、ある言語のある音素が変化しようがしまいが、その言語の価値は何ら変化しないのだということです。

 それでは、ソシュールのいう言語という価値の体系とはどのようなものなのでしょうか。このことについてソシュールは、「観念の差異に結びつけられた音の差異としてのラングの全体系」(p.254)という表現を使っています(ここで「ラング」とは何かということが問題になりますが、詳細は次々回に説くとして、ここでは簡単には言語のことだと考えておいてください)。言語が「音の差異」であると把握されていることは、上に述べたことで分かると思うのですが、問題は、その「音の差異」が「観念の差異」に結びつけられているとされていることです。端的に結論をいえば、ソシュールは言語の価値体系は物質的な存在ではなくて、人間の精神の中にある心的な存在だと主張しているのです。具体的にいえば、例えば「鉛筆」という観念が「ボールペン」という観念や「万年筆」という観念と違ったものとして頭の中にイメージされていて、その観念に「えんぴつ」という音が結びついて頭の中に存在しています。同じように、「ボールペン」という観念も「万年筆」という観念も音のイメージとともに頭の中に存在していて、それらの記号の集合体、総体が言語=「ラング」=「記号の体系」=「価値の体系」だというのです。

 ここで初めに述べた言語研究史の流れの中にソシュールの言語観を位置づけてみると、どのようなことがいえるでしょうか。それは言語を全体として把握し、認識との連関において再び取り上げたのだ、ということです。17世紀の言語論に至るまでの過程においては、言語研究は言語と認識との関係を深めていくという流れにあったことは上に見た通りですが、19世紀の比較言語学において、言語が個別の音韻法則として、人間の認識とは無関係のものとして、自然科学の対象として、把握されたのでした。しかし、言語を人間の認識と完全に切り離してしまって、個々の音声の変化法則だと理解したのでは、言語とは何かを把握することはできないのではないかと考えたソシュールは、前回少しふれたように、通時的言語学ではなくて共時的言語学を構築しようした流れの中で、言語研究の中心テーマは個別の音声がどのように変化するかということではなくて、言語全体の体系を解明することだと考えるに至り、それを価値体系として、心的な存在として、人間の認識との連関において検討していったのでした。

(*)ソシュールが「言語の価値」をどのようなものとして把握しているかについては、明確には述べられていないが、ある音がどのような観念を担っているのかという言語の役割のことを指しているように思われます。
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 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言