2016年08月09日

改訂版・観念的二重化への道(2/5)

(2)観念的二重化のためには表現と対象をヒントにする

 本稿は「観念的二重化への道」と題して,どうすれば観念的に二重化できるのか,どうすれば観念的二重化の実力を養成できるのか,という問題について考察する論考です。

 では早速この問題について考えていきましょう,といきたいところですが,ものには順序があります。「どうすれば観念的に二重化できるのか」「どうすれば観念的二重化の実力を養成できるのか」という問いに答えるためには,まず「観念的二重化とは何か」をしっかり把握しておく必要があります。ゴール(目的地)を明確にしておかなければ,そこに至る方法論を云々することはできないのです。旅行の行き先を決めなければ,バスで行くか電車で行くか,それとも飛行機で行くか決められないのと論理的には同一です。

 そういうわけですので,まずは,「観念的二重化」の概念規定をしっかり行っておきたいと思います。

 観念的二重化というのは,認識の運動の一つのあり方ですから,認識論という学問分野で問題にされてきました。弁証法の唯一の基本書とされている三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』(講談社現代新書)にはかなりのページを割いて認識論の解説が行われていますから,まずはそこから,観念的二重化についての記述を引用します。

「このように,想像することは,現実の世界以外に観念的な世界をつくりだして世界を二重化することですが,それだけではなく,同時に現実の自分以外にその観念的な世界の中でそれに相対している観念的な自分をつくりだす自分自身の二重化をも意味します。」(pp.140-141)


 ここで三浦つとむさんは,想像を行うときには観念的な二重化が起こり,それは世界の二重化と自分の二重化の二重構造になっている,と指摘しています。

 次に,三浦つとむさんの認識論から出発し,認識論を大きく発展させた偉大な認識論学者である海保静子先生の概念規定を紹介したいと思います。

「観念的二重化とは,端的には自分の観念を二重化すること,つまり自分の頭のなかでもう1人の自分を創りだすことである。自分がみている世界が,『現実の目』がみている像と『頭のなかでの目』がみている像との二重になることを,現実と観念(頭のなか)との二重になることをいうのである。
この観念的二重化は,自分が現実の自分と頭のなかの自分とに分けられるので『自己の二重化』ともいい,またこの『観念的二重化=自己の二重化』は,自分が相手の立場に立って行なわれるばあいが多いだけに『自分の他人化』といわれる。さらにその構造を説くならば,観念的二重化はそのなかに『自分の二重化』があり,その自分の二重化には『自分の自分化』と『自分の他人化』の二重構造があり,そしてこれは『自分の自分化から自分の他人化へ』の過程性としてとらえることができるものである。」(海保静子『育児の認識学』,現代社,pp.355-356)


 ここでは観念的二重化とは像の二重化であり,観念的二重化の実力は「自分の自分化」しかできないレベルから「自分の他人化」が可能なレベルへと発展していく,ということが説かれています。詳しくはこの歴史的名著とされる『育児の認識学』をお読みいただくとして,ここで筆者が強調しておきたいのは「自分の自分化から自分の他人化へ」の過程性です。

 これは簡単にいってしまえば,相手の立場に二重化しようとしても,当初は,必然的に失敗してしまう,「他人になるつもりでも他人になりきれず,他人になりきったつもりでも,まったくのところ自分そのものでしかない」(同上,p.293)ということです。目的意識的な実力の養成期間をもたなければ,自分の他人化=真の観念的二重化は不可能なのだ,自分の自分化で相手のことが分かったつもりになっているレベルにとどまってしまうのだ,ということなのです。

 したがって,初めは自分の自分化しかできないのだという自覚が非常に重要となります。ここを自覚しないと,あたかも相手のことが分かったような,自分の他人化ができたような錯覚を持ち続けることになり,どうすれば観念的二重化ができるようになるのかとか,観念的二重化の能力を高めていこうとかいった問題意識を持つことすらないままで終わってしまうことになるのです。

 以上を踏まえて,観念的二重化の方法について考えていきたいと思います。まずは基本的なことから確認していきます。

 しっかりと観念的に二重化できているということは,しっかり相手の立場に立てているということであり,相手が描いている認識と同じような認識を自分も描けているということです。しかし,相手と同じような認識を描こうとしても,相手の認識は直接には目に見えません。なぜなら,認識とは実体ではなく,人間の脳細胞の機能であり,脳細胞に描かれる像のことだからです。

 このように目に見えない相手の認識=像をどのようにして描けばいいのでしょうか? 一番基本的な方法は,表現を媒介として相手に二重化する,ということです。表現から相手の認識を読む,といってもいいでしょう。

 では,表現とは何でしょうか? それは「人間の精神を映し出す物質的な鏡」(三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』,p.131)のことです。言語もそうですし,絵画・彫刻・舞踊・音楽・文学・演劇・映画などの諸芸術もそうです。表現は,言語や芸術のように,人間が意図的に創りだしたものだけに限られません。そこから相手の認識を読み取ることができれば,それは全て表現ということができます。たとえば,ちょっとした表情の変化や目の動き,姿勢や手足の動き,髪型や服装,声色や話すスピードなども表現の一種です。意図しないような人間の動きも全て表現といえるのです。認識は直接目には見えないのですが,表現という目に見える物質的な形態として現象する,といってもいいでしょう。その現象から,その背後にある認識を探ることができるのです。

 『弁証法はどういう科学か』で紹介されているエドガー・アラン=ポオの『盗まれた手紙』という小説では,相手の表現をまねることによって相手に二重化するという論理が説かれています。まずは『盗まれた手紙』の当該部分を引用します。相手の智力と合致させるのが得意な,すなわち観念的二重化が得意な子どものセリフの部分です。

「僕は,誰かがどのくらい賢いか,どれくらい間抜けか,どれくらい善い人か,どれくらい悪い人かまたそのときのその人の考えがどんなものか,というようなことを知りたいと思う時には,自分の顔の表情をできるだけ正確にその人の表情と同じようにします。それから,その表情と釣合うように,または一致するようにして,自分の心や胸に起ってくる考えや気もちを知ろうとして待っているんです。」(『弁証法はどういう科学か』p.248)


 これに対する三浦つとむさんの評価が以下です。

「百年以上前に,他人の智力と自分の智力をどうしたら合致させることができるかについて,ポオはこれだけつっこんだ分析をしました。他人の顔の表情が物質的な鏡となり,そこから『顔色を読んで』自分自身をその他人に観念的に二重化できることを指摘しました。」(同上,p.249)


 つまり,表情という表現をまねすることによって,認識を相手と合致させることができるということです。このように,認識の表現から認識へと遡るということは,観念的二重化のための基本だといえるでしょう。

 では次に,観念的二重化のためのもう一つの基本的な方法を取り上げたいと思います。それは,相手の世界を徹底的に描く,という方法です。そもそも認識とは対象の反映であり,像でした。したがって,相手と同じ認識を描こうとすれば,実際に相手の世界に立って,相手の視点から,相手が見たり聞いたりしている対象を,見たり聞いたりすればいいわけです。また,三浦つとむさんによると,観念的二重化は,世界の二重化と自分の二重化との直接的同一性として成立するものでした。したがって,相手の世界をきちんと描くことができたなら,それは直接に,しっかり相手に二重化できたことにもなるわけです。

 分かりやすい極端な例として,ヘレン・ケラーに二重化する方法を考えてみましょう。ヘレン・ケラーはご存じの通り,生後19ヶ月で病気のため目も見えず耳も聞こえなくなりました。家族に甘やかされて育ち,手のつけられない状態でしたが,奇跡の人たるサリバン先生が家庭教師としてやってきてから事態が一変します。ヘレンはサリバン先生の教育によって,ものには名前があることを学び,言葉も話せるようになって,猛勉強の末,名門大学を卒業,世界各地を講演し,視聴覚障害者の教育と社会施設改善に尽力した人物です。

 こんなヘレン・ケラーの立場に立って考えるにはどうすればいいでしょうか? その答えは,北島マヤが教えてくれます。北島マヤというのは『ガラスの仮面』という漫画の主人公です。彼女は一流女優を目指す少女でした。そんな彼女が『奇跡の人』という演劇でヘレン・ケラーを演じることになったのです。『奇跡の人』はヘレン・ケラーとサリバン先生の出会いから,ヘレン・ケラーがものには名前があるということを衝撃的に(急激な量質転化で)理解するまでを描いた物語です。

 なかなかうまく三重苦のヘレン・ケラーを演じられない北島マヤは,どのようにしてヘレン・ケラーに二重化して,リアルに演じられるようになったと思いますか? 実は彼女はある別荘に閉じこもり,目隠しをして耳栓をして,そこで暮らし始めたのです。これはすなわち,実際に目も見えず,耳も聞こえないヘレン・ケラーの世界に身を置いてみたことを意味します。このようにして北島マヤはヘレン・ケラーの世界を,実体験によって徹底的に描き続けたのです。ヘレン・ケラーの視点から,ヘレン・ケラーが見たり聞いたりした対象を,同じように見たり聞いたりして体験してみたわけです。もっとも,ヘレン・ケラーは目も見えず,耳も聞こえませんから,ここでの「見たり聞いたり」というのはもちろん喩えです。実際には触覚を中心とした残りの感覚器官のみで,対象を認識するということをやり続けたわけです,ヘレン・ケラーと同じように。こうしてヘレン・ケラーの世界を徹底的に描くことによってヘレン・ケラーに二重化できるようになった北島マヤは,見事にヘレン・ケラーを演じきり,ライバルを抑えて助演女優賞を獲得したのでした。

 私は『ガラスの仮面』を読んだ時,漫画とはいえ,非常にリアリティのある素晴らしい修行方法だと感心したものです。このエピソードから分かっていただきたいのは,相手の世界に実際に入り込んで,相手が実際に体験していることを,同じように自分も実際に体験してみることによって相手の世界を徹底的に描くことが,観念的二重化のための一つの有力な方法である,ということです。

 別の例を挙げてみましょう。小学校の国語では物語の読み方を勉強することになっています。物語の読解で重要なのは,登場人物の気持ちを理解することですが,小学校の先生は,あるいは小学生向けの問題集では,いきなり登場人物の気持ちを問うようなことはしません。たいていは,「いつのことですか?」「どこで起こった事件ですか?」「登場人物は何人ですか?」「どんな事件が起こりましたか?」といったような問いが先に来ています。これはなぜでしょうか? 端的にいうと,登場人物がいる世界を描けなければ,その人物に二重化して,その人物の気持ちを理解することなどできないからです。逆にいうと,登場人物がいる世界さえきちんと描くことさえできれば,自然と登場人物の気持ちは理解できるのです。自分の他人化とは,世界の他人化であり,その相手が置かれている世界をきちんと描くことができれば,それが直接に相手に二重化したことになるのです。だからこそ,どのような世界かを問う設問が先に来るわけです。

 小学校の先生は家庭訪問をしますが,家庭訪問の認識論的な意義も実は同じことなのです。どういうことかというと,あれは小学校の先生が,子どもの家庭環境=子どもが生活している世界を思い浮かべられるようになるために,行っているのです。学校での生活は,普段から目にしていますが,子どもの世界は学校だけではありません。家庭も大きなウェイトを占めています。したがって,小学校の先生が子どもに二重化する場合,家庭の様子・状態もしっかりと確かめることが必要となってくるのです。こういう環境で,こういう世界で生活しているのだということが分かれば,その子どもへの二重化が大きく自分の他人化レベルへと進んでいくことになります。

 このように,相手の視点から相手の世界を眺めて,相手の世界を徹底的に描くというのは,二重化のための有力な方法であるといえるのです。

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 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言