2016年08月05日

2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ(8/10)

(8)論点2:デカルトの哲学とはどういうものか?

 前回は,ヘーゲルの説く「形而上学の時代とはどういうものか」という論点に関わって,どのような討論を行い,どのような(一応の)結論に達したのかを紹介しました。端的には,形而上学とはそもそも,感覚によって捉えられる諸々の事物・事象の背後に隠されている真実の姿(=実体)を探ろうとするものであり,そのような努力がデカルトの時代に始まったのだ,ということでした。

 さて今回は,デカルトの哲学とはどのようなものかについての討論過程を紹介します。まず,論点は以下のようなものでした。


【論点再掲】

 ヘーゲルは,デカルトの形而上学をどのように捉えているのか。「一切を疑わねばならない」(p.78)とは,デカルトのどのような考えを表現したものだとされているか。デカルトの「われ思う,ゆえにわれあり」という命題を推理(推論)であるとする見解(思考〔思惟〕から存在が出てくると考える見方)について,どのように批判しているのか。ヘーゲルの考える思考(思惟)と存在との不可分の結合とはどういうものであり,その観点から,このデカルトの命題をどのように捉えているのか。

 唯物論の立場からすれば,デカルトの哲学をどのように評価することができるか。



 この論点については,初めに,デカルトの形而上学をヘーゲルがどのように捉えているかについて確認しました。デカルトが思惟を出発点とした点をヘーゲルは新プラトン派以来の本来的な哲学の復活として,高く評価しているということでした。また,ある会員は,ヘーゲルによるデカルトへの否定的な評価についても触れました。すなわち,デカルトのいう思惟は非常に抽象的で単純なものでしかなく,自ら展開して具体的な内容を次々と産み出していく,というようなものにはなっていないのであり,具体的な内容は,経験,観察などを通じて,外部から思惟のなかに持ち込まれるしかないということでした。このようなデカルトの限界もしっかり把握しておく必要があるということになりました。

 次に,「一切を疑わねばならない」とは,デカルトのどのような考えを表現したものだとされているかについて議論しました。これについては,当初から,概ね見解が一致しました。すなわち,それは,あらゆる偏見(直接に真理とみなされるすべての前提)を捨て去って,思考から出発し,思考を純粋な始まりとして,そこから確実なものに至るべきだという考えの表現であるということでした。また,同じように「疑う」といっても,懐疑主義との違いを押さえておくべきだという見解も出されました。それによると,懐疑主義においては,疑うこと自体が目的であるのに対して,デカルトのいわゆる方法的懐疑においては,あくまでも確実なものに至るためにこそ,すべてを疑うのだということでした。ここに関しては,皆が同意しました。

 続いて,デカルトの「われ思う,ゆえにわれあり」という命題を推理(推論)であるとする見解(思考〔思惟〕から存在が出てくると考える見方)について,ヘーゲルがどのように批判しているのかという問題に移りました。この問題についても,見解の相違はありませでした。端的には,思考と存在が直接のつながりであることを捉えられていないという批判であり,「われ思う」の中には,既に自我の存在が含まれており,この思考=存在からデカルトが出発した点をヘーゲルは高く評価しているということでした。

 この問題に関連して,ヘーゲルの考える思考(思惟)と存在との不可分の結合とはどういうものであり,その観点から,このデカルトの命題をどのように捉えているのかについても検討しました。ある会員の見解によると,ヘーゲルにおいては,絶対精神こそが思惟と存在とを直接に結合した存在にほかならず,デカルトの命題を思惟と存在との直接のつながりを主張したものと捉えてこそ,まずはじめに絶対精神があった(全ての絶対的基礎としての絶対精神)というヘーゲルの発想に通じるのだということでした。

 このようなデカルトに対する肯定的な評価だけではなく,否定的な側面も見ておく必要があるとして,ある会員は,デカルトの場合は,思惟=存在といっても,極めて単純で抽象的なレベルにとどまっているので,そこから客観的に存在する諸々の具体的な事物にまで筋を通して展開していこうとしても,それは無理であったために,第三者として神をもってくるしかなかったのだと主張しました。ヘーゲルの立場からすれば,思惟=存在の原点である絶対精神が自己運動して,あらゆる具体的なものを生み出していくのであるが,デカルトの場合はそうではなく,具体的なものは経験から取ってこられるほかない,ということでした。要するに,思惟=存在というところからすべてを説ききることができていない,本質論から説ききれていないのだ,ということでした。これは喩えていうと,教育本質論から教育の具体的な現象が説けていないということであり,本質と現象がつながらずに,バラバラの状態にあるということである,という補足もありました。チューターも,デカルトは具体的内容に移行すると,思考と延長が別々のものとされ,一方は他方に依存することなく存在する実体であるから,両者を統一するためには,神の誠実さが必要だとされており,デカルトの哲学は結局,思惟と延長の二元論になってしまって,それを媒介するために第三者としての神を持ち出してこざるをえなくなったのだとまとめました。これらについては,皆が納得しました。

 最後に,唯物論の立場からすれば,デカルトの哲学をどのように評価することができるかという問題を討論しました。チューターは,聖書の記述や宗教的権威による先入見を排して,純粋に世界を見ようとする努力が始まったと評価することができるし,自我から始めて世界を説こうとするのは,主体性の芽生えといってもいいのではないかと述べました。ある会員は,人間の理性こそが真理の基準であると主張した点が重要であるとし,別の会員は,「思惟と延長」という形で世界の根本的な存在を2つに整理したことがあげられると主張しました。確かにそのようなことはいえるにしても,これらは唯物論の立場からの評価といえるのかがあいまいだということになりました。

 これに対して別の会員は,シュテーリヒ『西洋科学史』で説かれていた「普遍数学の時代」ということが大切なポイントになるのではないかと主張しました。すなわち,デカルトの哲学は,大航海時代における航海術の知識の蓄積や,戦争による火薬・武器の設計など,17世紀における社会的労働のあり方に規定された自然科学的(数学的,力学的)認識の発展を象徴するような存在であったといえるだろうということでした。この時代になると,中世期のように神の意図を問うようなことをせずに(=「なぜ」を問わずに),デカルトは,数学的な明快(単純で一面的)な論理で哲学を構築することを意図し,自然がどのように動くのかを数量的に把握しようという傾向が強まりました。そうして,機械的な自然観が成立していくことになったのですが,このような時代の社会的認識を象徴しているのが,デカルトの哲学だ,ということでした。これには他の会員も強く納得したのでした。

 以上で論点2に対する討論を終了しました。


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 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言