2016年08月01日

2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ(4/10)

(4)ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ要約B

 前回は,デカルト哲学の中身について説かれている部分の要約を紹介しました。そこでは,デカルトの出発点は,思想は自己自身からはじめられなければならないという点にあったこと,絶対に確実な「我思う」は,直接に私の存在を含んでおり,これが全ての哲学の絶対的基礎だとデカルトが説いていたこと,事物は思惟するものと延長をもつものという2種類に分けられるとされていたことなどが説かれていた。

 今回は,スピノザについて説かれた部分の前半の要約を紹介します。ここでは,スピノザの生涯やスピノザが『エチカ』の中で説いている定義についてヘーゲルが説いていきます。

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2,スピノザ

 スピノザの哲学は,もっぱらデカルト哲学の原理を首尾一貫した体系へと展開したものである。彼にとっては,魂と身体,思惟と存在とは,もはや,それぞれが別物として独立に存在するものではなくなる。デカルトの体系中に存在した二元論は,スピノザによって全く止揚されてしまった。それはいかにもユダヤ人にふさわしい。ヨーロッパにおいて表明された彼の哲学のこの深い統一,すなわち,神を第三者として設定するのではなく,神のうちで無限と有限が精神的に一体化するという発想からして,東洋的な余韻が感じられる。絶対的同一性という東洋の世界観が,ヨーロッパのデカルト哲学のすぐ近くに引き寄せられ,そのなかに取り入れられるのである。

〔スピノザの生涯〕
 彼は1632年アムステルダムにおいてあるポルトガルから移住したユダヤ系の家族から生まれた。青年時代にラビ(ユダヤ教の聖職者)から教育を受けたが,まもなくタムルード(経典)学者の夢想に異を唱えたために,シナゴーグ(会堂)から破門された。かといってキリスト教に移ったわけではなく,ラテン語に身を入れ,デカルトを研究した。後に,ライデンのリンスブルグに移り,多くの友人の尊敬を受けつつ,静かに暮らした。彼はみずからレンズ磨きをしながら生計を立てた。プファルツ選帝侯カール・ルードヴィヒはスピノザをハイデルベルグ大学に招聘しようとしたが,スピノザはこの申し出を断った。彼は長く患った肺結核が原因で,1677年2月21日,44歳で亡くなった。

 スピノザの哲学は極めて単純であり,全体として理解しやすいものである。スピノザの哲学は,デカルトの哲学を絶対的真理という形式のうちに客観化したものである。スピノザの観念論を簡単にいえば,真なるものは端的にひとつの実体であり,この実体は思惟と延長を属性とする,それらの絶対的統一体が現実であり,それが神にほかならない,と定式化できる。デカルトにあっては,物体性と思惟する自我とはそれだけで自立的なものであるが,両極端のこの自立性がスピノザにあっては唯一の絶対者の契機となることによって自己を止揚する。大切なのは,対立を廃棄することではなく,対立を媒介し解決することなのである。
 スピノザの理念は,エレア派の有と同一のものである。絶対的実体が真理の全体を覆うものとなるためには,内部に活動と生命をもつような精神としても定義されなければならない。しかし,スピノザの実体は,一般的抽象的に定義されものにすぎず,精神の基盤をなすとはいえるが,絶対的な土台となるような確固たる基礎ではなく,精神の内部にある抽象的統一体にすぎない。そのような実体のもとにとどまるかぎり,いかなる発展も精神性も活動も生まれてこない。彼の哲学は,硬直した実体の立場にとどまるもので,神は三位一体の精神的存在になっていない。

一,定義

 スピノザの『エチカ(倫理学)』は定義から始まる。展開は以下のようである。
 (a)自己原因。「自己原因とは,その本質(概念)が存在を含むもの,存在しないとは考えられないものである。」自己原因とは,他者を分離しながら同時に自己自身を生み出し,かくて生み出すことにおいてこの差別を止揚する原因であり,原因と結果が一致するような無限の原因である。自己原因の意味するところをスピノザがもっと掘り下げていたら,彼のいう実体はあれほど硬直したものにはならなかったはずである。
 (b)有限なもの。「有限なものとは,同種の他者によって制約されたものである。」他との関係が生じるところにしか,制約(限界)は存在しないのである。
 (c)実体。「実体とは自己のうちにあり,それを捉えるのに他のものの概念を必要としないもののことである。」他を必要とするものは,自立せず,他に従属したものである。
 (d)実体に対する第二のものとしての属性。「属性とは悟性が実体についてその本質を構成するものとして捉えるものである。」属性には思惟と延長の2つしかなく,その2つが悟性によって実体の本質と捉えられる。実体のこの2つの側面は,もともと表裏一体をなす無限の性質である。ここに実体は真に完成された姿を現し,悟性は属性のうちに実体の内容全体を捉えるのだが,実体がどこで属性に移項するのかは述べられていない。
 (e)実体に対する第三のものとしての様相。「様相とは実体が形を変えたものであり,他なるもののうちにあり,他なるものにとらわれた姿である。」様相は,他なるものを通じて,他なるもののうちに存在する実体の姿である。実体,属性,様相の定義は特に重要で,それらはそれぞれ,普遍,特殊,個別と呼ばれるものに対応する。スピノザは,このように実体から下りてくるのであり,様相は退化したものとされる。彼の欠点は,第三の存在を,悪しき個別たる様相としてしか捉えない点にある。真の個別性(主観性)は,端的に規定されて普遍から遠ざかるだけでなく,端的に規定されたものとして独立自存し,自己自身を規定するものである。個別的なもの,主観的なものは,普遍的なものへ返っていくのであり,個別的なものは,自己自身のもとにあることによって普遍的なものである。スピノザにはこの返っていく過程がない。硬直した実体こそスピノザにとっては究極の存在で,それが無限の形式をとることがない。スピノザの思惟は規定されたものを消し去っていくようなものでしかなかったのである。
 (f)無限。無限なものは,無限大ととるか即自且対自的に無限なものとしてとるか,曖昧な点がある。「その種において無限なるものについては無限の属性をもつとはいえない。しかし絶対的に無限なるものは,本質を現わし,かつ何らの否定をもふくまない一切のものを包み込んでいる。」スピノザはさらに想像上の無限と思惟上の無限を区別する。ほとんどの人が想像上の無限にしか思い当たらないのであるが,これは例えば,星から星への無限の空間とか,無限の時間とか,数学の無限数列とかであるが,実をいうと悪しき無限である。この無限がそっくりと眼前に現われることはなく,次々と否定を重ねていくだけで,現実の無限とはいえない。哲学的無限だけが現実の無限であり,自己肯定の無限である。悟性の無限をスピノザは絶対の肯定と名づけるが,これはまさにその通りである。惜しむらくはもっと良い表現があるということで,「それは否定の否定である」というべきところである。無限が現実に存在するものとしてイメージされるべきだとすれば,「自己原因」という概念こそ真の無限である。
 (g)「神は絶対的に無限な存在であり,無限の属性からなる実体であって,属性の各々は永遠にして無限の本質を表わしている。」神は2つの属性(思惟と延長)しか持たないとされるのだから,ここで無限とは無規定的な多ということではなく,積極的に,例えば円が自己内における完全な無限であるようにとらねばならない。

 スピノザの哲学の全体の以上の定義のなかに含まれているが,以上の定義は全体として形式的である。定義からはじめたところに彼の欠陥がある。彼は,単純な思想を説明し,それを具体的に表現するような定義を打ち立てはしたが,要求されるのは,この内容が真理かどうかを探究することである。
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 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言