2016年07月22日

夏目漱石の中・長編小説を読む(10/16)

(10)『門』――断ち切りがたい「現実世界」とのつながり

 前回は、『それから』を取り上げました。これは、学生時代に、自らの本心を押し殺して愛する女性(三千代)を友人に譲ってしまった結果、現実世界と真剣に関わっていくことができなくなり、怠惰で贅沢な生活へと引き込もっていた代助が、三千代とともに生きていく決意を固め、贅沢な生活を犠牲にして、現実世界との激烈な闘争関係に入っていく覚悟を決める、という物語でした。

 さて、今回は『門』を取り上げます。これは、1910年(明治43年)、3月1日から6月12日にかけて「朝日新聞」に連載されたものです。

 『門』は、『三四郎』『それから』に続く、いわゆる前期三部作の最後に位置づけられる作品であり、大学生時代、親友・安井の妻である御米を奪って結婚した宗助が、思いがけなく遭遇させられた安井の影に怯えながら、救い(心の平安)を求めて煩悶する、といった物語となっています。

 この作品について、まず注目されるのは、宗助の諸々の行動について、○○しようと思ったが結局やめてしまった、というような書き方がなされていることです。宗助が「妙な物淋しさ」を紛らわすために東京の街を散歩する場面(第2章)から、いくつかの例を挙げてみることにしましょう。

「懐に多少余裕でもあると、これで一つ豪遊でもしてみようかと考える事もある。けれども彼の淋しみは、彼を思い切った極端に駆り去るほどに、強烈の程度なものでないから、彼がそこまで猛進する前に、それも馬鹿馬鹿しくなってやめてしまう。」
「西洋小間物を売る店先では、礼帽の傍にかけてあった襟飾に眼がついた。自分の毎日かけているのよりも大変柄が好かったので、価を聞いてみようかと思って、半分店の中へ這入りかけたが、明日から襟飾りなどをかけ替えたところが下らない事だと思い直すと、急に蟇口の口を開けるのが厭になって行き過ぎた。」
「京都の襟新と云う家の出店の前で、窓硝子へ帽子の鍔を突きつけるように近く寄せて、精巧に刺繍をした女の半襟を、いつまでも眺めていた。その中にちょうど細君に似合いそうな上品なのがあった。買って行ってやろうかという気がちょっと起るや否や、そりゃ五六年前の事だと云う考が後から出て来て、せっかく心持の好い思いつきをすぐ揉もみ消してしまった。」


 このように、宗助は、色々な行動への意志を抱きつつも、結局それを行動にまで移さないうちに撤回してしまうことの多い人物として描かれているわけです。

 それでは、宗介は何故にこのような煮え切らない人物になってしまったのでしょうか。この問題こそが、本作品を読み解いていく上での決定的なポイントとなります。

 そもそも、学生時代の宗介は、非常に活発な若者でした。宗助と御米の過去が明かされる第14章においては、以下のように記述されています。

宗助は相当に資産のある東京ものの子弟として、彼らに共通な派出な嗜好を、学生時代には遠慮なく充たした男である。彼はその時服装にも、動作にも、思想にも、ことごとく当世らしい才人の面影を漲らして、昂い首を世間に擡げつつ、行こうと思う辺りを濶歩した。


 第4章において、宗助の叔母は「本当に、怖いもんですね。元はあんな寝入った子じゃなかったが――どうもはしゃぎ過ぎるくらい活溌でしたからね。それが二三年見ないうちに、まるで別の人みたように老けちまって」と評していますが、これは、学生時代の宗介と現在の宗介の相違を印象深く示しています。現実世界に対して積極的に関わっていこうという志向性を持っていた宗助が、何事に対しても煮え切らない感じの人物に変貌してしまったのは何故なのか――このことが大きな問題となります。

 この問題を解くカギとなるのは、第4章や第14章で明かされる宗助および御米の過去にほかなりません。宗助の変貌の問題は、友人・安井の妻である御米を奪ってしまった宗介にどのような結果がもたらされたのか、という問題にほかならないわけです。

 友人の妻を奪った結果どうなるのか、ということでいえば、この『門』は前作『それから』の「それから」を描いたものとみることも可能です(もっとも、『門』の設定では、友人の妻を奪ったのが学生時代の出来事であるとされている点で、『それから』とは大きく異なることには注意が必要です)。『それから』の代助は、三千代との関係を断念することで現実世界との積極的な関わりを断っていきましたが、三千代を取り戻すことを決意すると同時に、社会全体との激烈な闘争関係に入ることを覚悟せざるをえませんでした。『門』の宗助もまた、友人の妻たる御米を奪ったことで、否応なしに現実世界との激烈な衝突を経験せざるを得なくなったことでしょう。当初の宗助は、元来の積極的な性格からして、「なにくそ!」という反抗心のようなもので必死に足掻いたのではないか、と思われる節もあります(第4章においては「彼の福岡生活は前後二年を通じて、なかなかの苦闘であった」という表現が見られます)。しかし、宗助は、何もかもが思い通りにいかないという経験を積み重ねていくに連れて、段々と将来への希望を失っていったのではないか、と推測されるのです。第4章では、なかなか思い通りにならない現実に対して、御米が「でも仕方がないわ」といえば宗助が「まあ我慢するさ」と答える、といったやり取りが積み重ねられていった様子が描かれていきます。

 宗助と御米は、現実社会との関わりを可能な限り断ち切り、過去もできる限り見ないようにして、いわば自分たちの殻に閉じこもるようにして、それなりに幸福ともいえる夫婦生活を実現していく過程を歩んでいったのです。その到達点は、第14章の冒頭で次のように書かれています。

宗助と御米とは仲の好い夫婦に違なかった。いっしょになってから今日まで六年ほどの長い月日を、まだ半日も気不味く暮した事はなかった。言逆に顔を赤らめ合った試はなおなかった。二人は呉服屋の反物を買って着た。米屋から米を取って食った。けれどもその他には一般の社会に待つところのきわめて少ない人間であった。彼らは、日常の必要品を供給する以上の意味において、社会の存在をほとんど認めていなかった。彼らに取って絶対に必要なものは御互だけで、その御互だけが、彼らにはまた充分であった。彼らは山の中にいる心を抱て、都会に住んでいた。


 しかし、現実世界との関係を完全に断ち切ることも、過去を消し去ってしまうことも、当然のことながら不可能でした。宗助は、ひょんなことから家主の坂井と親しく交際するようになっていたのですが、あるとき、その坂井の家に、満州に渡った坂井の弟が、同じく満州に渡っていた安井(宗助の友人、御米の元夫)を連れて訪ねてくる、ということを聞かされ、激しく動揺してしまいます。煩悶する宗助は、救いを求めて鎌倉へ向って参禅しますが、結局、何も悟ることのできぬまま、帰宅するのです。

 物語は、暖かな秋の日の描写に始まり、冬の厳しい寒さを経て、穏やかな春の描写で終わります。こうした季節の推移(寒さが段々と厳しくなっていく過程)に重ね合わせるようにして、小六問題(叔父・叔母に養育されていた宗助の弟・小六を引き取らざるを得なくなった問題)の深刻化、安井の思いがけぬ登場による衝撃が描かれていき、安井が東京を去り、小六の措置もついて一安心という一応の結末に至るわけです。しかし、現実世界とのつながりを根本的に断ち切ることなど不可能なのです。『門』の結末部分で、宗助と御米は次のような会話を交わします。

 御米は障子の硝子に映る麗かな日影をすかして見て、
 「本当にありがたいわね。ようやくの事春になって」と云って、晴れ晴れしい眉を張った。宗助は縁に出て長く延びた爪を剪りながら、
 「うん、しかしまたじき冬になるよ」と答えて、下を向いたまま鋏を動かしていた。


 この会話は、一見すると幸福そうな夫婦生活の下に底知れぬ恐ろしい現実が隠されている、という物語世界の構造を浮き彫りにしていて、非常に印象的です。御米の視線が上を向き、宗助の視線が下を向いているという対比の鮮明さも見逃すわけには行きません。穏やかな春の日の描写の様子でありながら、底知れぬ寒さ、恐怖をも感じさせる、実に見事な文章であるといえます。
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 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言