2016年07月20日

夏目漱石の中・長編小説を読む(8/16)

(8)『三四郎』――「現実世界」に積極的に斬り込んでいくことへの逡巡

 前回は、『坑夫』を取り上げました。これは、力みすぎて硬くなってしまった『虞美人草』の徹底して逆をいくことで、柔軟性のきわみのようなものの見方・考え方を獲得した作品だといえるものであり、漱石は、上流階層の坊っちゃんをあえて社会の最底辺にまで突き落とし、その自負心を完膚なきまでに解体させることによって、美醜や貴賤によって人間を差別するような偏見を徹底して否定する立場を主張したのでした。

 さて、今回はいわゆる前期三部作(『三四郎』『それから』『門』)の第一作となる『三四郎』を取り上げます。これは、1908年(明治41年)、9月1日から12月29日にかけて、「朝日新聞」に連載されたものです。

 『三四郎』は、九州の片田舎から東京帝国大学に入学するために上京してきた小川三四郎が、都会における様々な人々との交流を通じて成長していく、という物語です。とりわけ重要な軸となっているのは、都会的な美しい女性・美禰子と三四郎との関係です。三四郎は美禰子に恋心を抱き、美禰子も思わせぶりな態度を示さないではないのですが、結局、2人の関係が大きく発展することはなく、美禰子は、兄の友人と結婚してしまうのです。

 この『三四郎』は、『坑夫』から一転して、小説らしい小説として書かれているといえます。かといって『虞美人草』のような力みも感じさせず、自然な流れで物語が展開していき、『坑夫』を媒介した効果が大きかったことを感じさせられます。

 それでは、このような小説らしい小説という形式において、漱石が展開しようとしたテーマとは、一体どのようなものだったのでしょうか。

 それは、端的には、三四郎(青年)と「現実世界」との関係の問題にほかならない、といえます。もう少しいえば、現実世界に積極的に斬り込んでいくか、あるいは現実世界から一定の距離をとって傍観者・批評家として対するか、ということこそが、この『三四郎』の最大のテーマであるといえるのです。もちろん、直接的には、物語は三四郎と美禰子との関係が軸になって展開していきます。しかし、それは単なる男女の関係の問題という表層的なレベルにとどまるものではなく、自己が現実世界と如何なるかかわりを持っていくか、というより普遍的なテーマが重ねられたものだとみるべきなのです(*)。

 そもそも、三四郎が初めて美禰子に顔を合わせるのは、上京間もなく、同郷の先輩である野々宮宗八を理科大学に訪ねた直後のことです。そのとき三四郎は、池を眺めながら「現実世界はどうにも自分に必要らしい。けれども現実世界は危なくて近寄れない気がする」と考えていたのでした。この問題を極めて切実な形で具体化させる存在として、美禰子が登場させられているわけです。三四郎にとっての美禰子とは、いわば現実世界との鋭い接点という位置づけを与えられている存在にほかなりません。端的には、現実世界に積極的に斬り込んでいきたいが、その危険性も充分に分かっているのでなかなか踏ん切りがつかない、という三四郎の逡巡を、美禰子との関係に象徴させながら描いた作品が、この『三四郎』なのだといえます。

 もっとも、この「現実世界」というのが何を指すのかは、いささか漠然とした感がないではありません。東京での生活の日々が重なるにつれて、三四郎は「三つの世界」ということを考えるようになります。すなわち、過去の時代(故郷)たる「第一の世界」、象牙の塔たる「第二の世界」、華やかな社交の世界(美しい女性との親しい関係)である「第三の世界」です。先の「現実世界」というのが、ここでは「第三の世界」と重ねられている節もあるのですが、あまり狭く捉えずに、広田先生の社会批評的な言説も考慮して、急速な近代化を進める日本社会との関係をも視野に入れた上で現実世界との関わりを捉えておく必要があるでしょう。

 さて、現実世界との関係で大きな矛盾を抱えて逡巡する三四郎と対照的なのが、広田先生や野々宮さんのような、象牙の塔たる「第二の世界」の住人たちです。端的にいえば、彼らは現実世界をあくまで傍観者として眺めて、あれこれ批評しているにすぎないのです。広田先生は、「これからは日本もだんだん発展するでしょう」という三四郎に対して「滅びるね」といい放ち、「あぶない。気をつけないとあぶない」などといって三四郎を驚かせます。野々宮さんもまた、三四郎に留守を頼んだ晩に近所で轢死があったことを聞いて、「それは珍しい。めったに会えないことだ。ぼくも家におればよかった」などと「のん気」なことをいって三四郎を驚かせるのです。三四郎は、広田先生について、「あぶないあぶないと言いうるほどに、自分はあぶなくない地位に立っていれば、あんな男にもなれるだろう。世の中にいて、世の中を傍観している人はここに面白味があるかもしれない」と考えますが、自分自身はそのような「批評家」的な生き様に飽き足らないものを感じずにはいられないのです。

 注目に値するのは、こうした「第二の世界」の住人たちの批評家的な姿勢もまた、美禰子との関係によって、象徴的に描かれている、ということです。兄と2人暮らしの美禰子は、兄の結婚が近いことによって、自らも速やかに結婚して里見家を出ることを強いられるような境遇にありました。にもかかわらず、おそらく結婚相手の最有力候補とみなされていたであろう野々宮さん(三四郎は、野々宮さんと美禰子との関係にひたすら気をもみ続けます)は、美禰子との結婚を具体的な問題として真剣に考えている様子はありません。せっかく一家を構えていたのに、わざわざ引き払って下宿生活に戻るなど、あくまでも「のん気」なのです。こうした野々宮さんの態度は、野々宮さんとの結婚を望んでいたかもしれない美禰子からすれば、「責任をのがれたがる」ものに映ったに違いありません。もっとも、これは、あくまでも美禰子の側からする評価であり、野々宮さん本人にすれば、美禰子の苦しい立場に対して無頓着、鈍感であったにすぎないわけです。

 かといって、学生の身分に過ぎない三四郎と美禰子の結婚など、当時の社会通念からすれば、まず問題にもなりえなかったであろうと考えられます。三四郎には一家を構えられるほどの経済力はありませんし、あろうことか、美禰子から30円借りてしまうのです(この借金の一件は、三四郎が美禰子の夫になるだけの社会的資格を決定的に欠いていることを露骨に示すものだといえます)。さらに決定的なのは、三四郎の側に「現実世界」に積極的に斬り込んで行くことへの逡巡があったことです。三四郎に何が何でも突き進んでいこうという強烈な意志があればまだしもですが、とうとう、三四郎がそこまでの決意をしめすには至らなかったのでした

 最終的に、美禰子は、兄の友人(なかなか財力がありそうな人物として描写されています)と結婚せざるを得なくなります。美禰子は、自分の意志で自由に振舞おうとする現代的な女性でありながら、結局のところ、封建的な束縛から自由ではありえなかったのです。三四郎と出会ったころの美禰子は、こうした苦境からの脱出の可能性を周囲の男性たち(その筆頭は野々宮さん)との関係に何とか見出すことができれば……という思いを微かにもちつつも、誰も期待に応えてくれるような人物はいないということに失望し、諦めの境地に至りつつあったのです。『三四郎』は、そうした美禰子の複雑な感情を、三四郎の目から見た美禰子の言動を媒介として、実に見事に描ききった作品であるといえます。

 美禰子の強いられた結婚という結末には、結婚という男女の愛にもとづくべき行為も、結局は経済力の問題に左右されざるをえない、という社会の苦い現実が示されています。このことを漱石は、あれほど自由で自らの意志をハッキリと持った美禰子ですら……という形で、鋭く抉り出したといえます。華やかな社交の世界として観念された「第三の世界」(現実世界)は、結局のところ人間的な感情や愛が金力・権力によって踏みにじられてしまう世界にすぎなかったのだ、ということが暗示されているともいえるでしょう。

 物語の結末部分、画家である原口が美禰子を描いた「森の女」という絵の前で、三四郎は「森の女という題が悪い」といいます。「じゃ、なんとすればよいんだ」という友人・与次郎の問いかけに対して、三四郎は「迷羊(ストレイ・シープ)、迷羊(ストレイ・シープ)」と口の中で繰り返します。「森の女」というのは、広田先生が夢の中で出会ったという森の中の少女を連想させる言葉です。一方、「ストレイ・シープ」というのは、菊人形を見学に行った際、美禰子と三四郎が一行からはぐれて「迷子」になったときに、美禰子から三四郎に投げかけられた言葉にほかなりません。「森の女」ではなく「ストレイ・シープ」がよい、という三四郎は、批評家的に達観した生き方を否定し、一筋縄ではいかない現実世界に対して(美禰子の迷いをも自分のものとして受け止めながら)自分なりに真剣に向き合っていこうという意志を示したのだ、ともいえるでしょう。三四郎は、『虞美人草』の甲野さん的な限界を突破しようとする存在として位置づけられているわけです。

(*)先取りしていえば、『三四郎』以降の漱石作品は全て、自己と現実世界との関わり方について、1人の異性との関わり方を通して描く、というテーマを共通して持っているといえる。
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 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言