2016年06月30日

2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明(3/10)

(3)ヘーゲル『哲学史』フランシス・ベーコン 要約

 前回は、近代哲学についての序論部分の要約を紹介しました。そこでは、近代哲学が古代哲学の到達点たる現実の自己意識から出発して、思惟と存在との対立の宥和を課題としたこと、そのための行き方として実在論と観念論という2つの大きな潮流が生まれたこと、近代哲学が大きく3つの段階(具体性のない形式的統一、形而上学的統一、原理としての統一)をたどって発展していくことなどが説かれていました。

 さて今回は、近代哲学の黎明期を代表する1人であるフランシス・ベーコンについて論じられた部分の要約を紹介します。ここでは、経験的な方法が果した歴史的な意義と限界が、ヘーゲルなりの立場から論じられています。

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第1節 近代哲学の黎明

 最初に考察しなければならない2人の哲学者は、ベーコンとベーメである。両者は、人物としても、その哲学からしても、全く異質であるが、精神がその認識内容のうちをあたかも自己の領土内さながらに動いており、その占有した領土が具体的存在として現われて来るという点では一致しているのである。この領土はベーコンにあっては有限な自然的な現世的存在として規定され、ベーメにおいては内的な神秘的な、また神的なキリスト教的な存在および生活として規定される。なぜならば、前者は経験と帰納法を出発点とし、後者は神(三位一体の汎神論)を出発点とするからである。

A ベーコン

 形式からしてもはや真理の名に値せず、自分と自分の現実を確信している自己意識にとっては何の意味もないような彼岸の内容を捨て去ること――ヴェルラムのベーコン卿は、前代の人々がすでに行っていたこのことを明確な意識の下に表現し、もって全ての経験哲学の総帥となった。1561年にロンドンに生れた彼は、先祖や親戚と同じく政府高官となったが、陰謀と不正に加担し、裁判にかけられ、ロンドン塔に幽閉された。やがて免責され釈放されたが、もはや自尊心も他人の敬意も取り戻すことはできず、貧困のなかで残りの日々をもっぱら学問研究にいそしんで、1626年に亡くなった。
 ベーコンは、認識をその真の源泉たる経験と関係づけた人としていまも賞賛される。経験知の方法の頂点に立つ人と見なされる。実際、彼はイギリスで哲学と名づけられるものの正真正銘の指導者であり代表者であって、イギリス人は今もその枠組みを超えてはいない。ベーコンの最大の功績は、内外の自然現象にどう目を向けるべきか示した点にある。事実から出発し、事実に基づいて判断することが、時代の思潮となり、イギリス人のものの考え方の基調となったのである。
 現にあるもの(政治、心情、心理、外的自然、等々)のあり方と価値を、ありのままに観察するのがベーコンの態度で、実際にあるものをしっかり目を開いて眺めたとき、その直観が尊重され承認される。そこには理性の自己への信頼と自然への信頼が見られ、自然はもともと調和の取れたものだから、理性が自然に対して思考の目を向ければ、自然の真理を発見できると考えられている。彼は、スコラのやり方を目の前にあるものから目を瞑るものだとして全面的に排斥した。
 同時にベーコンは学問の方法にも考えをめぐらした。物事を正確に捉え、学問的認識の方法を確立しようとした。唯一注目すべきなのは、彼の導入した探究の方法であり、それによってこそ彼は科学史や哲学史に名を残したのである。彼は経験的な認識の進め方についての一般原理を打ち立てたのである。
 経験に基づく知や推理は、概念や哲学的思索に基づく知と対立する。キケロがソクラテスについて、哲学を人間の家々のなかに引きずり込んだ、といっているのには、経験的認識に対する、絶対的な概念に基づく認識の優越意識が見られるが、理念にとってはその内容が特殊なものとして形成される過程が不可欠である。また、純粋無垢な抽象概念は個別化され具体化されなければならないが、そのためには個々の事物の認識を欠くことはできない。個々の事物はそれとして探究されなければならず、物理的自然や人間の自然といった経験的な自然が知られねばならないのである。
 学問が出来上がっていれば、理念は自己から出発しなければならず、もはや経験的なものから始める必要はない。しかし、学問が完成したものとして形を整えるには、個々の特殊なものから一般概念への歩みが必要である。経験的な学問が形成されなかったならば、近代の哲学は古代の哲学を超えるものにはならなかったはずである。

 1
 ベーコンは経験を、認識の唯一の源泉と見なし、それに基づいて思考を秩序立てる。2つの作品が有名である。第一にあげられる『学問の進歩』についてでは、学問の体系的な総まとめが行われる。ここでは、記憶と空想と理性という精神的な能力の区別をもとにして、記憶の学問としての歴史、空想の学問としての詩(芸術)、理性の学問としての哲学という形で、学問の一般的分類が述べられている。しかし、これは学問の概念とは異質の原理を持ち込んで区別したものである。本当の分類は概念そのものの発展に即した分類でなければならい。知のうちには確かに自己意識が働いているし、現実の自己意識は記憶と空想と理性という要素を備えているが、この分類法は自己意識の概念から得られるものではなく、たまたまそうした能力が見つかった、という経験に基づくものでしかない。

 2
 ベーコンを引き立たせるもう1点は、第二の著作『ノヴム・オルガヌム(新機関)』で知の新しい方法を普及させようと精力的に努力したことである。彼は、前提とされた概念的で抽象的な定義から出発して推理を重ねていくというスコラの推論方法に強く反対し、経験の内容を前提とした帰納法を採用すべきだと主張する。彼がそれと知らずに本当に求めているのは、内容の取り換えにすぎない。彼は推論一般を排斥したのではなく、帰納法による推論は認めたのであり、無意識のうちに推論を行っているのである。経験主義者が、観察と探究と経験だけから事柄を純粋にとりだした気になっていたとしても、推論や概念なしに事柄をとりだすことなどできるはずはない。帰納法とは、観察を行い、探究を重ね、経験に目を向け、そこから一般概念を引きだしてくることなのである。

 3
 ベーコンの特色は、考察の形式面に現れる。彼は、自然哲学を原因の考察と結果の産出に分ける。さらに、探究される原因を目的因(形式的原因)と物質的原因(動力的原因)に分けて、前者が形而上学、後者が自然学の対象となる、という。肝心な点は、ベーコンが目的論的な自然観、目的因に基づく自然観察に反対していることである。目的因を追究することは無駄なことで、動力因の考察が中心とならねばならない。目的因の考察とは、動物の毛皮が厚い原因は寒暑を防ぐためとか、木に葉が茂る原因は太陽や風から実を守るため、といったものである。このような外的な目的の考察にベーコンが反対するのは理にかなっている。有機体とは事柄の内的概念そのものである内的な目的であって、外的な目的は有機体には縁のないもので、考察の対象とつながりをもたないのである。
 ベーコンが動力因の研究を幅広く行ったことは、大きな影響力をもった。このことは、ゲルマン民族の無分別な迷信に対置されるとき、ちょうどストア派その他の迷信に対してエピクロスの哲学がもっていたような効用をもった。
 彼は、物の内在的性質や自然の法則といった一般的な概念を形式(フォルマ)と名づけ、この形式の発見と認識を目標としたが、それを達成することはできなかった。
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2016年06月29日

2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明(2/10)

(2)ヘーゲル『哲学史』近代哲学の序論 要約

 前回は、京都弁証法認識論研究会の6月例会において、報告担当者から提示されたレジュメ、およびそれに対して他メンバーからなされたコメントを紹介しました。今回から4回にわたって、ヘーゲル『哲学史』の要約を紹介していくことにします。

 今回は、近代哲学についての序論部分の要約です。ここでは、近代哲学が、古代哲学の到達点たる現実の自己意識から出発して、思惟と存在(Denken und Sein)との対立を如何に宥和させるかを課題としたことが説かれています。

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第3部 近代の哲学

序論

 宗教改革とともに第3期が始まる。それまで蝸牛のようにノロノロしていた精神は、魔法の長靴で走り出す。人間は自分自身を信頼し、自分の思惟そのものを、自分の知覚を、自分の内と外の感覚的自然を信頼するようになる。人間は自分の意志と行動力に目覚め、生活の土台をなす大地や自分の仕事に正義や知性が行き渡っているのをみて、喜びを感じる。目の前の世界が再び精神の関心を惹くに足るものとして現れ、思惟する精神が力を取り戻したのである。この精神は、有限な現在に敬意を払う。そのこと自体が自己意識と現在との宥和である。この敬意を出発点にして学問の努力が始まる。
 有限なものである内的な現在と外的な現在が経験によって捉えられ、知性によって一般法則へと高められる。様々な法則や力を知り、バラバラに知覚されたものを一般法則の形式に変えることが人々の努力の目標になる。世俗的なものを世俗的に裁こうとする気運が生れる一方、永遠の絶対的真理を純粋な心そのものによって認識し把握しようという気運もあった。一切は物として価値をもつのではなく、心のなかに捉えられてはじめて価値をもつ。心の内容はもはや対象的なものではない。神は彼岸にではなく精神のうちにのみあり、個人にとって最も身近なものである。
 近代の哲学は、古代の哲学が到達した原理から、すなわち、現実の自己意識(現実に存在する精神)という立場から出発する。近代の哲学は思惟の世界と存在する宇宙を分離する中世の立場を超えて、この2つの領域を対立するものと捉え、その対立を克服しようとする。したがって、主要な関心事は、対象の真理とは何かを思考することではなく、対象の思惟と把握を思惟すること、つまり、前提された客観の意識化にほかならぬ主客の統一過程を思惟することである。

 第一。思惟の現われてくる具体的な形態の考察。
 思惟はその本質からして、内面の反省によって現われる主観的なもので、存在一般と対立する。とすると、この対立を宥和させ、最高の存在において、もしくは最も抽象的な極限において宥和を捉えることが、哲学のもっぱらの関心事となる。
 真理そのものたる哲学は、16、17世紀になってようやく再登場する。それまでは、時代精神は外に向って引き裂かれ、宗教と世俗生活を2つの存在の場とし、通俗的な思考や通俗哲学の形で意識されていた。本来の哲学が登場してくると、自由な思惟のなかで思惟や自然が捉えられ、それとともに、現前する理性、物事の本質、一般法則が、思惟され把握される。それを行う主体は我々にほかならず、この主観は思惟において無限に自由であり、自立していて、いかなる権威も認めない。論理的な知性の形式をつくり上げることが大きな課題で、それに関わってくる膨大な素材は、それを拡大するより、むしろ切りすてることの方が必要とされる。学問的な探究が広がりすぎると悪無限に陥るからである。近代哲学の原理は、思惟と存在の対立を前提とする。この2側面がそれとして抽象的かつ全体的に捉えられるとき、理念は初めて本当の姿を現わす。プラトンはこの2側面を、限定と無限、一と多、単一体と多として捉えはしたが、思惟と存在という対立図式では捉えなかった。この図式は素朴なものではなく、対立の自覚の上に初めて設定されるものである。対立を克服するには思惟によるほかなく、それがすなわち統一を概念的に捉えるということである。
 統一を概念的に捉えるには2つの道がある。ひとつは経験を土台とする方向、もうひとつは内面的な思惟から出発する方向である。だから、対立の解決という点からして、哲学は2つの主要な形式――実在論的な哲学の形式と観念論的な哲学の形式――に分かれる。換言すれば、思惟の客観的な内容を知覚から引き出してくる哲学と、思惟の自立性から出発して真理へ向かう哲学とに分かれるのである。
 (a)第一の方向――実在論――は経験である。今や哲学は自己を思惟すること、および、現在的なもの(目の前にあるもの)を捉えること、と定義される。真理は現在的なもののうちに含まれるとされ、哲学的思索に類するものは経験へと追いやられる。現在的なものとは、実在の外的な自然と、政治的世界ないし主観的活動として現われる精神活動である。第一の方向をとる哲学は、まず物理的な自然の観察に向い、そこから導き出された一般法則を土台に知識を積み上げていく。次に、精神的なものの観察として、国家という精神世界に精神がどう実現されているかが問題とされ、個人間の正義、王侯に対する権利、国家間の法などのあり方が経験に基づいて探究される。
 (b)第二の方向たる観念論は、一般に内的なものから出発する。ここでは一切が思考のうちにあり、精神そのものが内容の全てである。理念そのものが対象とされ、理念から具体的内容へと向かう。第一の方向が経験から内容を汲み取るのに対して、ここではアプリオリな思惟から内容が汲み取られる。
 しかし、この2つの方向はやがて合流するものである。

 第二。近代哲学の問い。近代に特有の対立ないし内容。
 (a)神の存在を思惟によってどう推論するか。純粋な聖霊としての神と存在としての神の絶対的統一を思考で捉えること。内面的な宥和を対象的な知における宥和としてどう成立させるか。
(b)善と悪との対立。悪は絶対的な聖性や力を否定するものである。この矛盾を解決する道が求められなければならない。
(c)人間の自由と必然との対立。神だけが絶対的な決定者であるという考えは人間が自由であるという考えに対立する。第二に、人間の自由は自然が必然的に決定されているという考えに対立する。この対立は客観的にいうと目的因と作用因との対立である。
(d)人間の自由と自然の必然性の対立は、魂と肉体(物質的なもの)の結合という問題に関わってくる。物質は学問の関心の対象となるが、関心の持ち方は古代の哲学とは全く違う。近代では魂と物質の対立が意識されているが、古代では対立が意識にもたらされていない。この対立の意識は、物質を堕落したものとみなすキリスト教によってもたらされたのである。とはいえ、物質と魂の宥和を信じるのもキリスト教で、この宥和を思考によっても捉えてみせるのが学問の関心事なのである。

 第三。学問の進行の段階。
 (a)存在と思惟の統一が独自の試案として、具体性のない純粋な形式で予告される。ベーコンとベーメ。前者は経験と帰納法を出発点とし、後者は神(三位一体の汎神論)を出発点とする。
(b)形而上学的統一。本来の近代哲学はここに始まる。思惟する知性が統一の実現を目指し、純粋な思惟概念による探究がなされる。デカルトとスピノザは思惟と存在を取り上げ、ロックは形而上学的理念としての経験を取り上げ、そこにある対立を問題にする。ライプニッツのモナド(単子)は世界観の全体を表わす。しかし、彼らは形而上学の没落を目の前にして、形而上学そのものや経験論の一般理念に懐疑を表明する。
(c)実現されるべき統一がどのようなものかが意識の対象となる。原理としての統一は、認識とその内容との関係という形をとる。思惟と対象はどのように合致するのか、合致は可能なのか。カントその他の近年の哲学の内的な取り組み。

 第四。哲学者の生活の外的条件。古代の哲学者たちはそれぞれが独立の個人であり、哲学者としてひとつの階層をなし、世間とは関わりなしに生きていた。中世では、哲学に取り組んだのは聖職者であった。近代への移行期には、哲学者たちは自分と内的に闘うとともに、周囲と外的にも闘い、粗暴で不安定な生活を送った。近代になると事情は一変する。哲学的個人はもはや存在せず、哲学者がひとつの階層を形成することもない。哲学者は何らかの活動を通じて世間と交わり、他の人々と一緒になって国家内の一階層をなす。他に依存し、多と関係する存在なのである。
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2016年06月28日

2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明(1/10)

目次

(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント
(2)ヘーゲル『哲学史』近代哲学の序論 要約
(3)ヘーゲル『哲学史』フランシス・ベーコン 要約
(4)ヘーゲル『哲学史』ヤコブ・ベーメ 要約
(5)ヘーゲル『哲学史』ヤコブ・ベーメ(続) 要約
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1:近代の哲学は如何なる課題に取り組んだのか
(8)論点2:フランシス・ベーコンの意義と限界とは
(9)論点3:ヤコブ・ベーメの意義と限界とは
(10)参加者の感想の紹介

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 我々京都弁証法認識論研究会は、昨年および今年の2年間を費やして、ヘーゲル『哲学史』に取り組んでいます。3年前のヘーゲル『歴史哲学』、一昨年のシュヴェーグラー『西洋哲学史』の学びを踏まえて、この『哲学史』を通読することにより、ヘーゲルが描く哲学史の流れを理解することはもちろんのこと、それを唯物論的に捉え返すことで唯物論哲学の創出に向けた一歩を確実に進めていくことを課題としているわけです。

 6月例会では、近代哲学についての序論、近代哲学の黎明期を対照的な形で代表する2人の人物――ベーコンとベーメ――について論じられている部分を扱いました。今回の例会報告では、まず例会で報告されたレジュメを紹介したあと、扱った範囲の要約を4回に分けて掲載し、ついで、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に、この例会を受けての参加者の感想を紹介します。

 今回はまず、報告担当者から提示されたレジュメ、およびそのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介することにしましょう。

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京都弁証法認識論研究会  2016年6月例会
ヘーゲル『哲学史』 近世哲学序論,近世哲学の黎明

【1】近世哲学序論
 ヘーゲルは,近代の哲学は古代哲学が到達した原理である現実の自己意識という立場から出発すると説いている。そして,思惟の世界と存在する宇宙を分離する中世の立場をこえて,その対立を解決することが近代哲学の主題であるとしている。精神と自然,思惟と存在の対立を克服するためには,これを概念的に捉える必要があるが,その道は二つあるとされる。1つが経験を土台とする実在論的な哲学の形式であり,もう1つが内面的な思惟から出発する観念論的な哲学の形であるとヘーゲルは説く。さらにヘーゲルは,近代に特有の対立として,神の理念と神の存在との対立,善と悪との対立,人間の自由と必然との対立をあげる。これらの対立の克服を目指す哲学の流れは,@存在と思惟の統一が独自の試案として具体性のない形式で予告される時期,A形而上学的統一として本来の近代哲学が始まる時期,B実現されるべき統一がどのようなものかが意識の対象となる時期,という三つに分けられるとされている。

〔報告者コメント〕
 ヘーゲルは哲学の流れを,大きく否定の否定として,近代哲学はある意味,古代哲学の復活であると捉えているようである。その際,中世哲学(第一の否定)で否定され,近代哲学(第二の否定)で復活したものこそ「現実の自己意識」にほかならない。自己意識とは,自己を対象とした意識のことであろうが,ポリス社会が解体していく中で,客観的世界から自己が分離し,この分離不安を克服するための哲学として懐疑論が生み出され,客観的世界が否定され,客観的存在から切り離された自己というものが意識されるようになった。その後の新プラトン派において,自己と絶対的本質(一者)の同一性が自覚された。これが古代哲学が到達した自己意識であろう。中世においてはこれが否定されたというのは,自己とは堕落したものであり,価値がないものとされた,ということではないか。混乱した中世社会においては,教会の絶対的権威に頼ることで不安心を安らわせていたのであり,自己は教会に服従する存在でしかなかったために,自己意識なるものは無視されていた。それが,教会権威の失墜と,人間の力の向上,およびその自覚にもとづいて,ふたたび自己が価値あるものとして捉えられるようになり,自己意識の復権がなされた,ということではないだろうか。


【2】ベーコン
 ベーコンについてヘーゲルは,彼が導入した帰納法という方法,すなわち,経験を認識の唯一の源泉とみなし,経験に基づいて思惟を秩序立てる方法こそ注目に値するものだと説いている。経験的な側面を研究することが,理念の発展と具体化にとって本質的な条件であり,ベーコンの指示によって生み出された経験的な近代科学がなければ,近代哲学は古代哲学を超えるものにはならなかった,とまで説いている。他方,ヘーゲルはベーコンを痛烈に批判してもいる。それは,推論や概念なしに事柄を取り出すことなどできないのに,ベーコンは観察と探究と経験だけから事柄を純粋に取り出した気になっている点,無意識のうちに形而上学的思考を働かせているのにそのことに気づいていない点,作用因のみを重視して目的論的な自然観や目的因にもとづく自然観察に反対している点,である。

〔報告者コメント〕
 ベーコンが誕生した前提やプロセスを考えてみる。人類は中世の間に,教会の教義から全てを説くという頭脳の訓練を延々と積み重ねてきた。これは論理的に筋を通して考えることができるようになるための訓練であったといえる。また,中世の森の中から,徐々に自然を克服していき,つまり自然の人間化を果たしていく中で,自然の性質や構造が徐々に頭脳にしっかりと反映されるようになっていった,つまり人間の自然化が進展していった。このような頭脳活動の長い長い修練のプロセスで,人間の認識能力は徐々に鍛えられていって,ようやく事実から論理を引き出したり,事実の構造に分け入ったりすることができるようになっていったと考えられる。このような人類の認識能力の向上という前提があったからこそ,その流れを明確に言語化し得たベーコンが現われたのであり,そのベーコンの指示に従って後の人類は科学的な認識の方法を駆使できるようになっていった,ということではないだろうか。


【3】ベーメ
 初めてのドイツの哲学者であるといわれる,ルター主義の教育を受けたベーメについて,ヘーゲルはベーコンの倍近い紙数を割いて説き,かなり高く評価している。ベーメの根本理念は,一切を絶対的な統一のうちに維持することにあり,中心思想は万物のうちに神聖な三位一体を捉えることである,とされている。そしてベーメの神は,自分を分割していく対立物の統一体としてイメージされており,存在する一切のものはこの分割から流出すると説かれている。絶対的な対立を統一しようとする思想の深みを評価する一方で,ヘーゲルは,ベーメの記述の方法・論の進め方は野蛮であり,叙述には明瞭さも秩序もないとしている。

〔報告者コメント〕
 ベーメの偉大さは,直観的に万物を対立物の統一であると見抜いた点にあるといえるだろう。ヘーゲルはベーメに,自分の哲学の直接的な(ドイツ的な)原基形態を見たのではないだろうか。そのために,非常に高く評価して,長々と説くことになったのだと考えられる。ところが,この時代はまだまだ認識能力が未熟であり,ドイツ語が未発達であったために,きちんとした概念で説くことができず,感覚的・イメージ的な喩えのような形でしか説けなかったということではないか。これは,『聖書』で奇蹟があたかも現実に起ったかのように説かれていながら,その実,喩としての表現にほかならなかったという吉本隆明の説に通じる論理があるように思われる。すなわち,まだまだそのような感性レベルの言語表現でしか,それも直喩ではなく隠喩の形でしか,説けないレベルの頭脳活動であったということではないだろうか。

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 この報告をめぐっては、まず、ポリス社会の解体による客観的世界からの自己の分離とはどういうことか確認しておきたい、という声が出ました。報告者は、各個人がポリス共同体の規範に従うだけで、自己が共同体のなかに埋没していた状態から、規範の弛緩によって各自が自分の意志で自分の行動を決定するようになっていったということだとして、独断論や懐疑論を経て新プラトン派に至る哲学の流れと絡めつつ、補足的な説明を行いました。

 また、ベーコンの登場の前提として、スコラ哲学の空理空論的なやり方に反対したという契機が触れられていないのに違和感がある、という指摘がなされました。これに対して、報告者は「論理的に筋を通して考えることができるようになるための訓練」という線そのものは、スコラ哲学の発展過程から衰退過程を経て近代哲学が登場してくるまでの全体を貫いているといえるのではないか、との意見を述べました。これについては、先の指摘を行った会員も納得しました。

 ベーメの言語表現に関連して、千数百年前の『聖書』の言語表現と同じレベルのものだ、といいきってしまってよいものだろうか、という疑問も出されました。これについて報告者は、当時までの学問的な思考はもっぱらラテン語でなされていたのであり、ドイツ語は日常会話レベルのことしかできない未熟なものでしかなかったということが決定的ではないか、との意見を述べました。ただし、『聖書』が著された頃から千数百年の間に、日常会話レベルでも比喩的表現のあり方が進展している可能性があることは否定できないだろう、ということになりました。
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2016年06月27日

オバマ米大統領の「広島演説」を問う(5/5)

(5)崇高な理念を実現するための具体的な筋道を主体的に模索する必要がある

 本稿は、オバマ米大統領よって先月行われた“歴史的”な広島訪問、特にその中でも「広島演説」を取り上げ、唯一の被爆国に暮らす我々日本人が核兵器のない世界を実現していくためには、この演説をどのように捉えるべきか、この演説にはどのような意志が反映されているのかという問題について、日本という国家がおかれている情況を踏まえつつ、主体的に国家を建設していくためにという観点で検討していくことを目的とした小論である。

 本稿ではこれまで、「広島演説」の評価すべき点、不十分な点、もっといえば欺瞞的な部分を取り上げて分析してきた。ここで、これまでの流れを大事な点に絞って振り返っておきたい。

 まず、「広島演説」では未来が「選択」できるものであることが強調されていたことを見ていった。オバマ大統領は、国家の指導者が真摯に過去から学び、その学びの上で将来の国家像を「選択」することで初めて、核戦争を廃絶し、全ての子供たちが平和に暮らせる世界を創ることができるのだ、それが米国の大統領たる自らの使命なのだということを全世界に向かって発信したのであった。しかし一方で、終戦から戦後にかけての日米の「選択」に関しては、米国の利益に基づいて一方的な要求を突きつけておきながら、それがあたかも日米共同の利益であるかのように見せかけることで、国民レベルでは主体的な「選択」の余地などない日本の方向性を日本自身が「選択」したかのように論じている部分もあり、これは欺瞞に過ぎないと指摘しておいた。

 次に、「広島演説」が人類の歩みを「物語」として語っていることに着目して、その中身を検討していった。オバマ大統領は、人類は人権が保障され、全ての人間が平等に扱われる理想的な社会に向って進んできたし、これからも進んでいくであろうということを、1つの壮大な「物語」として語ることで、「広島演説」を格調高いものとして演出したのであった。しかし、「物語」という言葉には二面性があるのであり、この人類の歩みを「物語」として語ることで、語り手とは関係のない、語り手がコントロールできない世界の出来事として、原爆投下が語られているという側面もあることを指摘し、これはオバマ大統領が米国世論に配慮したものであることを明らかにした。

 最後に、「広島演説」では焦点をぼかした表現が意図的に多用されている事実を指摘した。人類の歩みを「物語」として語ることについては、人道的見地から原爆投下への謝罪をすべきところを、責任を逃れるために格調高い「哲学的な表現」で内容の曖昧さを見えなくしてしまっているという意味で、我々日本人が許すことのできない欺瞞であることを説いた。他にも、原爆の悲劇を戦争一般の悲劇に解消してしまっている点、つまり核兵器の廃絶を訴えているのか、戦争そのものがない社会を目指しているのか、内容が曖昧である点、人権が保障され、全ての人間が平等に扱われる社会を目指すべきだという訴えは、被爆地広島での演説としては内容がぼやけてしまって一般的すぎるという点、核兵器廃絶という理念が語られているだけで、その具体的な道筋が示されていない点を指摘した。

 ここで改めて、オバマ大統領が行った「広島演説」をどのように評価すべきかについて、本論で取り上げられなかった部分も含めた「広島演説」全体を視野に入れて確認しておきたい。

 オバマ大統領は「広島演説」において、一定の崇高な理念を示している。人権が保障され、全ての人間が平等に扱われるような理想的な社会への人類の歩みは、国家の指導者の「選択」によって可能であることを示し、国家間の問題については、戦争ではなく外交によって解決することも主張している。また、核保有国は、核廃絶への勇気を示す必要があることも強調している。これらのことは、超大国のリーダーが世界のあるべき姿について明確な目的像を示したとして、肯定的に評価できることである。人間は目的像を描いて、それを実現すべく行動するものである。人類全体に関わる大きな理念、将来像を提示したことは、人類の歩みにおける強力な原動力となるだろうという意味で、画期的な演説であったと評価できるだろう。被爆者を含めた多くの日本人がオバマ大統領の広島訪問を好意的に受け止めていることは、こうした「広島演説」の積極的側面を受け止めてのことであり、また特に被爆者がこの演説にある程度納得していること自体にも意味があるといえるだろう。

 しかし一方で「広島演説」は、よく練り上げられた「作文」という側面があることも否定できない。オバマ大統領はこの演説で、広島を実際に訪れ、平和記念資料館を視察することで、どのような思いが湧き上がってきたのかに関して、全く触れていないのである。米国世論に配慮して、格調高く「哲学的」で「物語」のような演説であったが、具体性がなく、原爆投下の当事者としての人道的観点からの謝罪もない、曖昧で欺瞞に満ちた演説になってしまっているのである。

 この「広島演説」の欺瞞を象徴するように、オバマ大統領は今月になって、インドのモディ首相と会談し、米国の会社がインドで6基の原子力発電所を建設することで合意したのである。「核拡散防止条約(NPT)未加盟の核保有国インドとの原子力協力拡大は、核不拡散政策に逆行しているとの批判もある」(中日新聞2016年6月8日夕刊)との報道もあるし、オバマ大統領が僅か半月前に「広島演説」で語った核廃絶、核不拡散への決意との矛盾も指摘しなければならない。オバマ大統領としては、核兵器と核の“平和利用”とを区別しているつもりかもしれないが、ヒロシマ、ナガサキに続いてフクシマの悲劇を体験した日本にとっては、いわゆる“平和利用”かどうかに関わらず、核そのものの脅威をなくしていくことこそが目指すべき将来像である。これは世界中で共有されている思いであることを考えれば、オバマ大統領の行動は、「広島演説」が欺瞞であったことの証明以外何物でもないのである。

 以上を踏まえて、我々日本人はどのような道を進んでいくべきか、最後にこの問題について検討しておきたい。

 まず、「広島演説」の肯定的側面、すなわち人類の平和に向けた崇高な理念を示したという側面に関していえば、この理念の具体化に向けた筋道を模索していく必要がある。「広島演説」で示された理念は、建築でいえば、まだ建物の外観のイメージが示されたにすぎないのであって、どのような構造でその建物を支えるのか、どういう過程で建築していくのかという具体的な中身、具体的な方法については、人類の今後の課題としてしっかりと受け止める必要があるわけである。特に我々日本人は、唯一の被爆国の一員として、自らが主体的にこの道程に関わっていく必要がある。世界平和に向けた具体的な道筋を構想し、世界に働きかけながら具体化していく必要があるのである。

 さらに重要なことは、「広島演説」の否定的側面をしっかりと把握する必要がある、ということである。どういうことかというと、これまで見てきたとおり、「広島演説」は米国世論に配慮しつつ、オバマ大統領自身の「レガシー」という側面も含みつつ、日本人、特に被爆者やその遺族をある程度納得させるものでなければならなかったため、相当程度に練り上げた「作文」として発表されたものである。こうした背景を把握せず、単に立派な国の立派な大統領が立派な演説をしてくれた、世界平和に向けた理念が素晴らしかった、などと受け止めているだけでは駄目なのである。なぜなら、これまで縷々説いてきたとおり、この「広島演説」には大きな欺瞞が含まれているのであって、これを肯定的に認めてしまうことは、「奴隷根性」、「植民地根性」の現れ以外何物でもないからである。

 敗戦から戦後にかけて、日本は徹底的に主体性を奪われ続けてきた。国家防衛という死活問題を米軍に依存せざるを得なくされ、経済的繁栄の裏側では米国に屈辱的な妥協を強いられ続けてきた(※1)。そうした情況を背景にして、日本人は主体的に考えることを已め、米国の主張は常に正しいものとして受け入れ続けてきたのである。この延長線上にあるのが、「広島演説」を圧倒的多数の日本国民が肯定的に受け止めているという現実である。

 しかし、原爆投下の責任を否定し続ける「広島演説」に対して、それを肯定的に受け止めるなどという態度が、果たして主権を持つ国家としてのまともな態度といえるかどうか、よく考えてみる必要がある(※2)。自分でなすべきことを決定するとともに、そのなした結果に対してしっかりと責任をとるという主体性をなくしてしまった今の日本は、まずこの問題を徹底的に考え抜かねければならない。

 我々は、「広島演説」に示された崇高な理念には賛同しつつも、その理念へ至る筋道を具体的に描く努力を主体的に行っていく必要があるのであって、その前提として、「広島演説」の否定的側面、欺瞞に満ちた内容をしっかりと把握する必要があるのである。そうして初めて、日本が米国の属国状態から脱し、世界で責任ある地位を占める展望も開けてくるのである。

(※1)こうした過程の詳細については別稿に譲るとして、当面、前泊博盛『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』、ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』などを参照されたい。

(※2)安倍首相が南京を訪れ、「死が津波のように押し寄せてきた」などと演説すれば、中国からどれほどの非難の声が挙がるか、想像してみるのもよいだろう。

(了)
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2016年06月26日

オバマ米大統領の「広島演説」を問う(4/5)

(4)「広島演説」は焦点をぼかした表現を多用している

 前回は、「広島演説」に登場する「物語」に焦点を当ててその内容を検討していった。まず、「物語」(=”story”)という言葉が直接使われている箇所を引用し、権利が保障され、人間が平等に扱われる世界を追求していく決意をオバマ米大統領が述べていることを見た。また、こうした理想を追求していく人類の歩みを「物語」として把握することで、壮大な歴史を語っているのだという効果を引き出しているというオバマ大統領の技巧上の工夫についても言及した。しかし、ヨリ注意すべき点として、「物語」(=”story”)という言葉が直接使われているわけではないが、「物語」的な語りを行っている部分、すなわち冒頭の部分と結びの部分について、「物語」(=”story”)という言葉には二面性があることに触れつつ取り上げた。ここでは、原爆投下の事実を「物語」として語ることによって、いわば「他人事」にして、米国人が「加害者」意識に苛まれることを防ぐという配慮がなされていたのであり、我々日本人としては、この米国の責任回避の姿勢をこそ厳しく追及しなければならないのではないかと提起しておいたのであった。

 さて今回は、今も原爆の後遺症で苦しむ人々が暮らしている日本という国、特に広島(長崎)に対するある意味での「被害者」である米国の大統領が行った演説としてみた場合、「広島演説」が十分な内容であったのか、検証していきたいと思う。

 先回の最後にも述べたように、「広島演説」では原爆投下の事実をあたかも「物語」であるかのように、語り手の制御できない架空の世界で起こった出来事であるかのように、語るという「技巧」が施されていた。冒頭の部分、特に” death fell from the sky”(死が空から降ってきた)などは、「物語」的である以上に、あたかも原爆投下が自然現象であったかの印象を意図的に与えようとしているのではないかと勘繰られても仕方のない表現にもなっている。これはもちろん、オバマ大統領が米国世論に配慮した結果には違いないが、これを我々日本人はどのように受け止めるべきなのか。

 もちろん、その受け止め方が、米国人と同様であっていいはずがない。なぜなら、原爆投下という事実だけを抜き出せば、我々日本人は明らかに「被害者」であって、米国人は「加害者」であるからである。米国では、いまだに原爆投下を正当化する議論、原爆投下によって戦争が早期に終結した結果、米国軍人の命はもちろんのこと、日本人の命も多数が救われたのだという議論がなされている。しかしこのことは、原爆の悲劇を自らのこととして受け止め、その苦難の道を歩んできた我々日本人にとっては、到底それだけで受け止められるものではない。原爆投下による被害をリアルに知り抜き、その苦痛を今でも受け続けている被爆者や遺族にとっては尚更である。だからこそ、原爆の事実をヨリ多くの各国首脳に知ってもらいたい、特に原爆投下の当事者である米国の大統領に知ってもらいたいとして、米大統領の広島訪問が熱望されていたのであって、現にオバマ大統領の広島訪問が“歴史的”といわれているのである。原爆の悲惨さを知ってなお、原爆投下を(少なくとも人道的観点で)正当化し続けられるか、ここが今回のオバマ大統領の広島訪問で問われた本質的な部分であったのではないか。

 こうした点から見れば、端的にいえば、「広島演説」は被爆国からすれば全く不十分な内容であったといわざるを得ない。「物語」的表現を隠れ蓑にして、米国の原爆投下を覆い隠し、米国の判断でなされた原爆投下を、あたかも人間の意志が介在しない自然現象のように言い張るなどということは、非人道的な核兵器を使用した責任から逃避しているということ以外何でもないのである。人道的見地からの謝罪があってしかるべきところを、責任逃れのために格調高い「哲学的な表現」で内容の曖昧さを見えなくしてしまっている、こうした側面があることを我々日本人は許してしまってはならないのである。

 「広島演説」が不十分でることは、以上の点に限らない。以下にいくつかの点を見ていこう。

 まず、「広島演説」が目指す未来は、戦争そのものがない社会なのか、核兵器の廃絶なのかが曖昧な点である。「広島演説」では、「戦争」(=”war(s)”,”warfare”)という言葉が16回使われているのに対して、「核兵器」(=” nuclear weapons”)や「原爆」(=” the atomic bomb”)を意味する言葉は、「きのこ雲」(=” a mushroom cloud”)や「原子の分裂」(=” the splitting of an atom”)などのほぼ原爆や核兵器のことを表しているといえる言葉を含めても、6回しか登場しない。さらに象徴的なのが、爆弾(=”the bomb”)、拡散(=”the spread”)、死の物質(=”deadly materials”)などのように、核や原爆という言葉を意図的に避けている印象がある言葉が使われていることである。ここには、被爆地広島の現実に真摯に向き合おうとする姿勢が見られず、ただひたすら原爆投下の正当性を主張するアメリカ世論へ配慮しようとする姿勢のみが見られるといえるのではないか。わざわざ被爆地広島でメッセージを発信するのであれば、広島の悲劇を戦争一般に解消してしまうような姑息な表現を用いずに、核兵器の廃絶に焦点を絞った内容のメッセージを発信すべきであったともいえるだろう。

 次に、焦点が絞り切れていないということでは、前回の初めに引用した、「物語」(=”story”)という言葉が直接使われている箇所に関しても同じである。ここでオバマ大統領は、生存権、自由権、幸福追求権などが保障され、全ての人間が平等に扱われるような社会、全ての人間の価値が認められ、全ての人間の命が大切にされ、人類が1つの家族のように扱われる社会の実現を目指すべきだと述べているのであるが、これも一般論としては否定しようがない内容であるものの、「広島演説」の中に配置されてしまうと、どうしても一般的すぎる表現に思えてしまうのである。よく読めば分かることであるが、この部分には核兵器や原爆という言葉はおろか、戦争という言葉すら使われていないのである。人権の尊さという抽象的な理念を語るだけで、内容がぼやけてしまっている印象が拭えない。

 最後に、連載第2回で取り上げた「選択」の中身に関しても、非常に抽象的であるといわざるを得ない。オバマ大統領は「広島演説」の締めくくりの部分において、我々人類の「選択」如何によって、戦争のない平和な世界が実現できるのか、核戦争によって世界が滅んでしまうのかが決まってしまうのだ、平和な世界の実現に向けてこそ努力しなければならないのだということを説くわけであるが、この中身はよく考えてみると、核戦争の未来ではなく、平和が実現した未来を「選択」しようではないかというありきたりな、抽象的な内容であって、その平和な世界の実現に向けてどのような道を歩むべきかという、「プラハ演説」で提起されたような具体的な中身は何もないのである。被爆地広島での演説であれば、核兵器廃絶への具体的な道筋を示すべきであったといえよう。

 以上見てきたように、「広島演説」では焦点をぼかした表現を多用することで、非人道的な核兵器を使用した米国の責任を回避し、当然謝罪の言葉もない、そもそも原爆の悲劇を戦争一般の悲劇に解消してしまっているというように、被爆地広島から発信するメッセージとしては非常に不十分な内容であると評価できるのである。
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2016年06月25日

オバマ米大統領の「広島演説」を問う(3/5)

(3)「広島演説」は人類の歩みを「物語」として語った

 本稿は、主体的に日本国家を建設していく1つの手がかりとして、唯一の被爆国に暮らす我々日本人が核兵器のない世界を実現していくためには、オバマ米大統領が行った「広島演説」をどのように把握すべきか、「広島演説」の内容を具体的に検討していくことを通じて明らかにしていくことを目的とした小論である。

 前回は、「広島演説」における「選択」という言葉をキーワードにして、いくつかの箇所を具体的に引用しながら検討した。まず、「広島演説」の締めくくりの部分に着目し、オバマ大統領が、人類の「選択」如何によって、戦争のない平和な世界が実現できるのか、核戦争によって世界が滅んでしまうのかが決まってしまうのだということを前面に押し出すことで、子供たちのために世界平和が実現している未来を目指すべきであることを、被爆地広島の地で高らかに宣言したことを確認した。また、オバマ大統領は、人類が「新しい未来を発見するために過去から学ぶ」(三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』p.267)存在であるという認識のもと、国家の指導者がどのような「選択」をするかが世界の未来を決めるのだという把握を行っていることを見た。こうした問題提起自体は肯定的に捉えられえるとはいえ、「広島演説」には、こうした積極的な側面ばかりではなく否定的に捉えるべき点もあり、具体的には、戦後の米国による日本統治のあり方が、実際には日本の「選択」を許さない強制的なものであり続けているにもかかわらず、それを日米共同の「選択」であるかのごとき表現を行っていることは欺瞞であると述べておいた。

 さて今回は、「広島演説」に登場する「物語」に焦点を当てて、その内容を見ていくこととしたい。

 まず、「物語」(=”story”)という言葉が直接使われている次の箇所を検討したい。ここで” that ideal”とあるのは、その直前に示されている「全ての人間は生まれながらにして平等であり、創造主によって、生命、自由、幸福追求を含む不可侵の権利を与えられている」(米独立宣言の前文)という理想を指している。

Realizing that ideal has never been easy, even within our own borders, even among our own citizens. But staying true to that story is worth the effort. It is an ideal to be strived for, an ideal that extends across continents and across oceans.
The irreducible worth of every person, the insistence that every life is precious, the radical and necessary notion that we are part of a single human family: that is the story that we all must tell.
 そうした理想の実現は、国内においてさえ、自国民の間においてさえ、決して簡単なものではなかった。しかし、そうした物語に忠実であることは、努力する価値があることである。それは懸命に追い求めるべき理想であり、大陸と海をまたぐ理想である。
 全ての人のかけがえのない価値、全ての命が貴重であるという主張、私たちは人類という1つの家族の一員であるという根源的で不可欠の考え方。こうしたことが、私たち全員が伝えなければならない物語なのである。

 ここでは、生存権、自由権、幸福追求権などが保障され、全ての人間が平等に扱われるような社会、全ての人間の価値が認められ、全ての人間の命が大切にされ、人類が1つの家族のように扱われる社会、こうした社会を実現することは、確かに非常に困難ではあるが、人類はこれまでもこうした理想を追求してきたし、これからも追求していかなければならないのだ、こうした人類の歩みを後世に伝えていかなければならないのだ、というオバマ大統領の思いが示されている。そしてオバマ大統領は、人類は理想を実現するという「物語」を生きているのだと把握している、つまりこうした理想実現に向けた人類の歩みを「物語」として把握しているのである。

 「広島演説」ではほかにも、「物語」(=”story”)という言葉が使われている部分がある。例えば、上記の米独立宣言の前文が示される直前には、” My own nation's story began with simple words”(私の国の物語は簡単な言葉で始まった)とあるし、前回紹介した” We're not bound by genetic code to repeat the mistakes of the past. We can learn. We can choose”(私たちは過去の過ちを繰り返すよう、遺伝子によって縛られているわけではない。私たちは学ぶことができる。私たちは選択することができる)という部分の直後には、” We can tell our children a different story”(私たちは子供たちに違った物語を伝えることができる)という表現もある。また、” memorials that tell stories of courage and heroism”(勇気と英雄の物語を伝える記念碑)という言葉も出てくる。

 こうした「物語」(=”story”)という言葉の使われ方からすると、オバマ大統領は人類の歴史を超歴史的な視点から眺め、過去も現在も未来も含めた壮大な叙事詩として把握しているのではないかと思われてくる。そうすることで、この「広島演説」に格調の高さを与え、人類は歴史的な一歩をこの広島から歩み始めるのだということを強調しているように思われる。

 それはそれで、オバマ大統領がこの「広島演説」の価値を高めるために工夫を凝らしたのだといえるだろう。しかし問題は、このような歴史の事実を「物語」として語ることのもう1つの意図にあるのである。

 そもそも「物語」(=”story”)という言葉は、現実の世界とは別個の空想的な世界の出来事を、それなりの筋を通して展開したものを指す。だから、その空想的な世界の中に視点をおけば、人類がまだ実現できていない理想を描いて、それを目的として主体的に歩んでいくのだという積極面を持ちうる、今回の場合でいえば、人類の壮大な歩み、人類の選択の積み重ねによって理想を実現する過程を捉えて使うというような主体的な性格を持ちうる一方で、あくまでも現実の世界から空想の世界を眺めるという関係が強調されれば、現実の世界に生きる我々とは別の世界の空想的な出来事、我々が関与できない遠く離れた世界の出来事について語る場合に使うという受動的な性格をも持ってしまうことになる。端的には、「物語」(=”story”)には主体的に関われる(関わるべき)というイメージの他に、「他人事」として受け入れるしかないというイメージがついて回ることにもなるのである。

 こうした「物語」(=”story”)の2つの側面を念頭に置きつつ、「広島演説」の冒頭部分を見てみることにしよう。

Seventy-one years ago, on a bright cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself.
 71年前、明るく雲一つない朝、死が空から降ってきて、世界は変わってしまった。閃光と火の壁が街を破壊し、人類が自らを破壊する術を手に入れたことを見せつけた。

 この冒頭の箇所では、広島の街に原爆が投下されたことや、その凄まじい破壊力が如何ほどのものであったのかということについて、(「物語」(=”story”)という言葉は直接は使われていないものの)「物語」的に語られている。つまり、全くの「他人事」として語られているのである。「広島演説」に登場する「物語」という意味では、これほど象徴的な箇所はないであろう。また、前回取り上げた結びの部分でも、” The world was forever changed here”(世界はここで永遠に変わってしまった)という表現があったが、これなども非常に「物語」的である。つまり、語り手とは関係のない、語り手がコントロールできない世界の出来事として、原爆投下が語られているのである。このことがどのようなことを意味するかといえば、現実の世界に存在するオバマ大統領(や米国)については、その「物語」の世界とは別の世界に生きているということを意味しているのである。ヨリ露骨にいえば、「物語」として語られた第二次世界大戦の原爆投下に関しては、現実の世界にいるオバマ大統領(や米国)とは一切関係がないのだ、ということをほのめかすためにこそ、こうした「物語」的な表現が使われているのである。

 オバマ大統領はこうした表現を用いることによって、被爆者ではなく、米国にいる退役軍人組織(米国で一定の政治的勢力を持つ)を中心とした米世論に語りかけ、原爆投下という「加害者」意識を喚起しないように配慮しているのである。原爆によって街は壊滅し、多くの無辜の人々の命が奪われ、今のなお、その後遺症に苦しむ人々がいるという事実、通常であれば「加害者」意識から罪の意識に苛まれかねないような現実、これらを「物語」に解消することで、原爆投下に対する責任を回避すること、これこそが、「歴史の事実を「物語」として語ることのもう1つの意図」なのである。こうしたやり口が成功していることは、日本の世論調査における「オバマ広島訪問支持」が圧倒的多数であることが証明しているが、ここは厳しく問い直されなければならない。
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2016年06月24日

オバマ米大統領の「広島演説」を問う(2/5)

(2)「広島演説」は未来が「選択」できるものであることを強調した

 前回は、オバマ米大統領が現職米大統領として初めて、被爆地広島を訪れ、「広島演説」を行ったことに関して、核廃絶へ向けた大きな一歩であったという評価がある半面、原爆投下に対する謝罪がなかったことに対する厳しい意見などもあることを見た。その上で、我が国日本が将来に向けた主体的な国家建設をしていくために、この「広島演説」をどのように捉えるべきかを問うことが本稿の目的であると述べた。

 さて今回から、いよいよ具体的に「広島演説」の中身を見ていくこととしたい。

 先ず注目したいのは、「広島演説」の締めくくりにあたる以下の部分である。

The world was forever changed here, but today the children of this city will go through their day in peace. What a precious thing that is. It is worth protecting and then extending to every child.
That is a future we can choose, a future in which Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare, but as the start of our own moral awakening.
 世界はここで永遠に変わってしまったが、今日、この街の子供たちは平和の内に暮らしている。なんと貴重なことか。それは守る価値があり、そして全ての子供たちに広げる価値があることだ。
 それは私たちが選択することのできる未来だ。広島と長崎が核戦争の夜明けとしてではなく、私たちの道徳的な目覚めの始まりとして知られる未来なのだ。

 ここでオバマ大統領は、世界中の全ての子供たちが平和に暮らす未来を思い描きながら、それは我々の「選択」によって実現可能なのだと宣言している。しかも、世界平和が訪れた未来の社会においては、広島と長崎に原爆が投下されたことこそが、人類が核兵器の非人道性を痛感し、人類が核廃絶という道徳的な道に目覚めるまさに始まりだったのだといえるように、そういう「選択」を我々は行っていかなければならないのだ、逆に我々が「選択」を誤れば、核戦争で世界が滅亡の危機に立つような未来も招来しかねないのだ、という「選択」肢を提示することで、人類の未来のあるべき姿を強調しているのである。

 このように、オバマ大統領は、我々人類の「選択」如何によって、戦争のない平和な世界が実現できるのか、核戦争によって世界が滅んでしまうのかが決まってしまうのだということを前面に押し出すことで、子供たちのためには世界平和が実現している未来こそ「選択」すべき世界の将来像であることを、被爆地広島の地で高らかに宣言して、「広島演説」を終えているのである。

 では、こうした「選択」を行う人類とはどのような存在なのであろうか。オバマ大統領はこのことに関して、” We're not bound by genetic code to repeat the mistakes of the past. We can learn. We can choose”(私たちは過去の過ちを繰り返すよう、遺伝子によって縛られているわけではない。私たちは学ぶことができる。私たちは選択することができる)という独特の表現で説明している。これはつまり、「選択」を行う主体たる人類は、他の動物とは違って、遺伝子によって予め行動が規定されているような存在ではなくて、自らの意志で文化遺産を学び、自らの意志で将来を「選択」することができる能力を有する存在であるということである。端的にいえば、「新しい未来を発見するために過去から学ぶ」(三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』p.267)存在だということになるだろう。オバマ大統領はこのように、「選択」することができるのは、人間特有の能力であることを強調するとともに、人間だからこそ正しい「選択」をすることが重要になってくると主張しているのである。

 さらに注目すべきは、この「選択」は、一般的な人間の個別的な判断ということではなくて、国の指導者が行うべき国家レベルでの「選択」を意味しているということである。オバマ大統領は「広島演説」の中で、” the choices made by nations”、あるいは” the choices made by leaders”という表現で、国家の「選択」、国の指導者の「選択」の重要性を指摘しているのである。

 オバマ大統領は以上のように、国家の指導者が真摯に過去から学び、その学びの上で将来の国家像を「選択」することで初めて、全ての子供たちが平和に暮らせる世界を創ることができるのであって、それが米国の大統領たる自らの使命であることを全世界に向かって発信しているのである。こうしたメッセージを発信することで、各国首脳の「選択」という問題を提起したこと自体は、肯定的に捉えられることといえよう。

 とはいえ、この「広島演説」において用いられた「選択」というキーワードを全て、我々日本人が肯定的に受け止めるべきかというとそうではないのである。

And since that fateful day we have made choices that give us hope. The United States and Japan forged not only an alliance, but a friendship that has won far more for our people that we can ever claim through war.
 そしてあの運命の日以来、私たちは希望をもたらす選択をしてきた。米国と日本とは、同盟関係を築くだけではなく、戦争を通じて得られるよりもはるかに多くのものを国民にもたらす友情をも築いてきた。

 この部分は、日米両国は第二次世界大戦で対立を深め、遂には世界初の原爆投下という悲劇にまで至ってしまったにもかかわらず、戦後は日米同盟を結び、互いに協力しながら平和と経済発展をともに享受してきたということを述べていて、表面的に受け止めれば、特に問題ないように思われるかもしれない。しかし、もしここで述べられている「選択」の主体が米国と日本とをともに指すのであれば、それは欺瞞といわざるを得ない。戦後日本は、実質的な米軍の統治下にあり、国民レベルでは自らで未来のあり方を「選択」できるような情況ではなかったことは明らかである。さらに、サンフランシスコ講和条約締結後においても、戦力を持たない(戦力不保持を強要された)日本を守るという美名のもと、アメリカの国家戦略により駐留軍がそのまま在日米軍として日本に留まり、数々の軍人、軍属による犯罪を被りながらもその犯人をまともに裁くこともできず、首都にまで治外法権を認める米軍基地が70年以上にわたって存在し続ける、そんな日本に(一部の支配層が保身のために嬉々として米国に従属する「選択」を行ったことを除けば)主体的な「選択」の余地などありはしなかったのである。いわゆる「軍隊」を持たない日本は、首都も含めた全国各地に基地を持ち、いざとなれば日本を軍事的に制圧することなど他愛もない米国に逆らうことはできなかったからである。端的にいえば、ここでいう「選択」とはあくまでも米国の「選択」であって、それをあたかも日米共同の「選択」であったかの如くに論じることは、米国による戦後の日本政策を米国側から一方的に正当化しているものだといわざるを得ない。米国の特殊な利益を日米共同の利益に見せかける欺瞞だといわざるを得ないのである。

 なおここで、オバマ大統領が以前盛んに用いていた”change”という言葉と、ここで取り上げた”choice”という言葉とを比較してみると、何としてもアメリカを、世界を変えてやるのだという大きな展望を示していたオバマ大統領が、残りの任期が8カ月となる中で、当初可能性に過ぎなかった(”change”という抽象的な目標しか提示できなかった)ものを現実的なものとして提示する(”choice”が可能であることは選択肢を提示できているということであるから)ことができるまでに大統領の仕事を進めてきたのだという自負が現れていると解釈できる一方で、大きな展望を示す余地がなくなり、ありきたりな選択肢を提示するしかなくなったのだと否定的に評価することもできよう。トランプ共和党次期大統領候補を意識して、トランプへの「変革」をイメージさせる文言ではなくて、トランプでいいのかという「選択」を迫る文言を選んだという側面もなきにしもあらずと思われる。
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2016年06月23日

オバマ米大統領の「広島演説」を問う(1/5)

〈目次〉

(1)オバマ米大統領の「広島演説」はどのように捉えるべきか
(2)「広島演説」は未来が「選択」できるものであることを強調した
(3)「広島演説」は人類の歩みを「物語」として理想化して語った
(4)「広島演説」は焦点をぼかした表現を多用している
(5)崇高な理念を実現するための具体的な筋道を主体的に模索する必要がある


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(1)オバマ米大統領の「広島演説」はどのように捉えるべきか

 先月27日、オバマ米大統領は、現職米大統領として初めて、被爆地広島を訪れた。主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)閉会後、広島入りしたオバマ大統領は、平和記念公園で安倍首相の出迎えを受け、平和記念資料館の視察、平和記念公園での献花に続いて、約17分間の演説(本稿ではこの演説を「広島演説」(※1)と表記する)を行った。さらに、被爆者のもとに歩み寄り、言葉を交わし、被爆者の男性を抱擁した。(※2)

 こうした一連のオバマ大統領による“歴史的”な広島訪問は、4月11日にケリー米国務長官が主要七カ国外相会合に合わせて広島を訪問したことが地ならしとなっていた。ケリー国務長官は、現役の米国閣僚として初めて広島の平和記念公園を訪れ、被爆死没者慰霊碑に献花した。その後の記者会見で「すべての人が広島を訪れるべきだ」と語り、オバマ大統領の広島訪問に前向きな姿勢を示したのであった。オバマ大統領は、ケリー国務長官の広島訪問に対する内外の反応を見た上で、最終判断する方針を示したということであった。(※3)

 その後約1カ月間、米国内外で特に大きな反対の声もなく、米有力紙のニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストはオバマ大統領の広島訪問を促す社説を掲載するなど、世論が広島訪問を後押しする形になった。そこでオバマ大統領は5月10日、最終的に広島訪問を決断し、日本政府にその意思を伝えたのであった。(※4)

 オバマ大統領といえば、大統領就任直後の2009年4月23日、チェコ・プラハのフラッチャニ広場において行われた、いわゆる「プラハ演説」が有名である。核なき世界の実現を訴え、ノーベル平和賞を受賞したこの演説では、核安保サミットの開催を主導すること、イランの核開発を大幅に削減すること、ロシアとの新戦略兵器削減条約を結ぶこと、核実験を重ねる北朝鮮に歯止めをかけることなど、具体的な提起が行われた。世界の超大国である米国の大統領が、核兵器廃絶に向けて大きな一歩を踏み出そうとしたということで、世界はこの「プラハ演説」に大きな評価を与えたのである。

 今回の広島訪問に際しても、オバマ大統領は核軍縮促進のメッセージを世界に発信するとされていて、その内容に注目が集まっていた。オバマ大統領は2009年11月に大統領として初めて日本を訪れた際、「広島、長崎を将来訪問することができれば非常に光栄だ」と述べるなど、被爆地訪問に早くから意欲を示していたこともあって、被爆地広島から核廃絶に向けた如何なる「思い」が語られるのか、全世界が注目していたのである。

 広島訪問が正式に決まった当初は数分間の「所感」を述べるとされていたメッセージは、実際には約17分間の「広島演説」として発表され、その内容に関しては、多くの共感、評価の声が上がった。オバマ米大統領の広島訪問全体に関しても、共同通信社の全国電話世論調査では、「よかった」と評価した回答が98.0%に達したということである。被爆者からも「原爆投下から70年が過ぎ、ようやく来てくれたことには感謝している」、「被爆者を元気づけたことは確かだ」、「難しい立場にあって、哲学的な表現で核廃絶を世界に発信した」など、肯定的な受け止めがなされていることが報道されている。一方で、「オバマさんは多くの子どもやお年寄りの骨が埋まっている土地を踏みながら歩いた。謝罪の気持ちを聞きたかった」、「やっと実現したが任期はあとわずか。何も変わらない」、「広島で何を見て何を感じたか、まったく言及がなかった」など、否定的な意見が出されていることも報じられている。(※5)

 原爆を投下した当事国の大統領が被爆地を訪れ、世界に向けて核廃絶のメッセージを発信する。このこと自体が世界平和の実現に向けての大きな一歩であって、大きく評価されるべきではないか。これが多くの日本国民のオバマ大統領広島訪問に対する評価ではないだろうか。「広島演説」に関しても、被爆者の言葉として「哲学的な表現」とあるように、格調高く核廃絶に向けた理念が語られたものとして、概ね肯定的な評価がなされているようである。

 一方で、やはり原爆という非人道的な無差別兵器を使用した唯一の国の大統領として、その被害者に対して謝罪の気持ちを言葉で伝えてしかるべきではないのか、大統領の任期が8カ月となる中で、「レガシー」(政治的な遺産)を築くための単なるパフォーマンスなのではないか、といったオバマ大統領への厳しい見解も存在する。

 しかし、ここで最も重要なことは、今回のオバマ大統領の広島訪問、並びに「広島演説」に関して、論理的な考察を抜きにした感情論や傍観者的な立場で、何となく評価して、あるいは批判してそれで終わり、という態度では決して核兵器の廃絶への筋道という問題の本質を解明できない、ということではないだろうか。北朝鮮やロシアや中東において、いまだに核兵器の脅威が取り除かれていない現在、唯一の被爆国に暮らす日本人として、戦後の日本のあり方、世界のあり方をどのように把握し、どのように押し進めていくべきかを厳しく問うならば、今回の「広島演説」でオバマ大統領が何を伝え、世界をどのようにしていこうとしたのかという問題に関して、戦後の日米関係の本質的なあり方も踏まえつつ、「広島演説」に表現された諸々の認識を、筋を通した形で評価していく必要があるのではないだろうか。有体にいえば、「広島演説」には日本国民を納得させる内容が含まれているとともに、アメリカの意志もしっかりと表現されているのであって、そのアメリカの意志にしても、統一的な意志が表現されているわけではなくて、オバマ大統領の個人的意志はもちろんのこと、原爆投下を戦争の犠牲者を最小限に食い止めたとして正当化するアメリカ国内の世論の意志なども含まれているのである。こうした内容の分析なしには、戦後70年以上経った現在においても、戦争の経験をきちんと清算し、未来の主体的な国家日本に向けた建設的な歩みを進めていくことはできないと考えるのである。

 本稿では以上のような問題意識を踏まえて、賛否両論ある「広島演説」を我々はどのように捉えるべきか、「広島演説」にはどのような意志が反映しているのかに関して、「広島演説」の具体的な内容を丁寧に読んでいくことで解明していくこととしたい。特に、戦後70年を経ても日本が置かれている立場が占領期と変わらない側面があることをしっかりと踏まえつつ、主体的に国家を建設していくためにという視点から「広島演説」を繙いていくこととしたい。

(※1)「広島演説」の具体的な内容については、下記参照。本稿では、日本語訳については下記を参照しつつ、筆者自身の訳によることとする。

読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20160528-OYT1T50005.html

朝日新聞
http://digital.asahi.com/articles/ASJ5W4TKRJ5WUHBI01N.html?rm=664

毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20160528/k00/00m/040/171000c

中日新聞
http://www.chunichi.co.jp/ee/feature/obama/obama_speech_in_hiroshima.html

日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO02903620X20C16A5FF1000/

産経新聞
http://www.sankei.com/politics/news/160527/plt1605270066-n1.html

NHK
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160528/k10010537911000.html

(※2)外務省ホームページ
http://www.mofa.go.jp/mofaj/na/na1/us/page4_002105.html

(※3)朝日新聞DIGITAL2016年4月12日
http://www.asahi.com/articles/ASJ4C45P7J4CUHBI01G.html

(※4)毎日新聞Web版2016年5月10日
http://mainichi.jp/articles/20160511/k00/00m/030/104000c

(※5)YOMIURI ONLINE 2016年5月28日
http://www.yomiuri.co.jp/kyushu/news/20160528-OYS1T50023.html
朝日新聞DIGTAL 2016年6月4日
http://digital.asahi.com/articles/ASJ6313KCJ62PITB024.html?rm=293
産経ニュース2016年5月29日
http://www.sankei.com/world/news/160529/wor1605290031-n1.html
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2016年06月22日

コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして(5/5)

5.コメニウスは科学的教育学の基礎を築いた

 本稿は、「近代教授学を成立させた人物」「近代教育の祖」と呼ばれるコメニウスを取り上げ、彼が教育の歴史においてどのような意義をもっているのか、そこから現在の我々は何を学ぶべきかを明らかにしようとするものです。ここで、これまでの流れを振り返ってみましょう。

 まずコメニウスが生きた17世紀とはどのような時代だったのか、それを踏まえてコメニウスはどのような問題意識を抱いたのかを見てきました。中世ヨーロッパでは階層的な身分秩序が成立し、その身分秩序をキリスト教がイデオロギーとして支えていたのでした。そして、キリスト教の担い手である教会に従って生きることこそがよいとされたのです。ところが生産活動の拡大とともに人間が自らの力に対する自信を取り戻す一方、階層的な身分秩序が崩れて教会の権威が揺らぎ始める中で、自分のアタマで考えようとする動きが高まったのでした。こうしてルネサンス、宗教改革が行われたのでした。ルターは、人間は神の下に平等であるから、各自がしっかり聖書を読み、それに基づいて自らのアタマで判断し行動していくことが重要だと主張したのでした。コメニウスはこのルター派の立場に立つモラビア同胞教団の教師として活動をしていましたが、モラビアを支配していた旧教のハプスブルグ家との対立が激化し、やがて三十年年戦争につながったのでした。こうした中で祖国を追われたコメニウスは、平和なキリスト教社会を実現することを理想とし、そのために教育に力を注いだのでした。

 続いて、コメニウスの人間観に着目し、その意義について見てきました。コメニウスは、人間の究極の目的は来世での幸福であり、母胎→現世→来世という過程を辿るとした上で、現世での生活は来世での準備であると説いていました。その準備としては、自己を知り万物を知ること(科学)、自己を統御すること(道徳)、自己を神にさし向けること(宗教心)という3つがあり、神のもとにあらゆる人間は平等であるから、すべての人間がこの準備のために教育を与えられなければならないのだということでした。さらに神の似姿として生まれた人間には、この3つの萌芽が植えつけられているのだが、教育を受けなければ人間と呼ばれる存在になることはできないし、逆に、どんな愚鈍で薄弱なものも、教育を受けることによって改善していくのであると主張していたのでした。このように、人間は神のもとに平等だというルターの考え方を受け継ぎつつ、障害児も含めたすべての人間が教育によって成長する可能性をもっていると指摘したこと、人間と教育に対して深い信頼を寄せたことが大きな意義だということでした。

 最後に、コメニウスがどのようにして教育方法の原則を導き出してきたのかを見てきました。コメニウスは『大教授学』において、様々な教育の原則を提示しているのですが、その説き方には一定の流れが存在していたのでした。つまり、まず冒頭で自然の原則が掲げられた後、その原則が正しいことが様々な例を使って明らかにされ、それを踏まえて当時の学校教育のあり方の問題点を指摘し、どうあるべきかを主張するという流れになっていたのでした。これは事実から論理を導き出し、その論理でもって事実に問いかけていくというあり方であり、非常に科学的な姿勢であるということでした。そもそも17世紀は、この世界に法則性が存在していること、そしてその法則性は人間の力によって認識することができるということが自覚されるようになった時代であり、コメニウスはこのような社会的認識を受け継いでいたのだということでした。

 以上を端的にまとめるならば、コメニウスは17世紀という時代の社会的認識を受け継ぎながら、「すべての人間は教育によって人間となる」という科学的な人間一般論(につながる主張)を提示し、そして、科学的な姿勢で教育方法の探求を行ったということになります。一言で言えば、内容面と方法面において科学的教育学の基礎を築いたということになるでしょう。これこそがコメニウスの歴史的意義だと言えます。

 このような歴史的意義をこそ、我々は学ぶべきであるし、教員養成課程において教えるべきものだと言えるでしょう。

 そもそも、「すべての人間は教育によって人間となる」という科学的な人間一般論がなければ、教育は成り立ちません。現場に立てば、様々な子どもを目の当たりにします。勉強がまるでできなくて、テストで0点とか10点とかばかりとっている子、重い障害をもっていて、こちらの呼びかけに対して何らの反応も示さない子、非常に反抗的で教師の言うことなど全く聞かない子などです。こうした子どもたちを目の前にして、「この子たちはどうしようもない子だ」となってしまったのでは、教育は始まりません。「今はこんな子であっても教育をすれば変わっていくはずだ」という見方があるからこそ、教育が行われるのです。ある意味、科学的な人間一般論は教師の心の支えでもあると言えるでしょう。これはしっかりと教員養成課程において学ばせるべきものです。

 ただ、そうは言っても、なかなか現実に子どもを変えていくことは難しいものです。様々な方法を試してみるけれども、うまくいかないことの方が多くなります。しかし、こちらがどのような働きかけをすれば子どもはどのような反応を返してきたかという事実をしっかりと記録し、その事実を振り返っていけば、徐々に徐々にうまく対応できることが増えていきます。そして、「確かに人間は教育によって人間となるのだな」という実感を得ることができるようになります。このようにあくまでも事実をもとにして自らの働きかけ方を考えていくこと、このような科学的な姿勢を身につけていくこと、これもまたコメニウスから学ぶべきものだと言えるでしょう。

 また、新任教員ということに関わっては、「すべての人間は教育によって人間となる」という論理は教師自身にも当てはまるということも伝えていく必要があるでしょう。つまり、「教師も教育によって教師になる」ということです。子どもとの関わりの中で、徐々に教師としての自分が形成されていくのであって、最初からうまくいくはずがないし、それで当たり前なのだということです。

 これらのことをしっかりと学ばせられていなかったからこその、冒頭で紹介したような悲劇が起こったのだと言えます。複数の児童の靴や体操着が隠されるなどのトラブルが発生し、また保護者から苦情も来る中で、信念をもって取り組んでいくことができなくなり、そういう(教師としての)自分を全否定してしまった結果の自殺ということになるのだろうと思います。「一生懸命教師を目指した」にも関わらず、このような結末になったことは本当に残念でなりません。

 教師を志す学生がこのような将来を迎えないで済むようにすること、高い専門性を身につけて実践に取り組めるようにすること、それによって教師全体の社会的な権威を高め、平和で民主的な国家及び社会の形成者の育成という教育の目的が果たされるようにすること、これらが現代日本においては非常に大きな課題であり、そのために教員養成課程のあり方はしっかりと問い直していく必要があります。

 私もいずれ教師を志す学生に指導をすることになります。その時に、学生たちに「人間は本当に教育によって変わるんだな」「でも、先生もいろいろと失敗しながら、そういうことができるようになっていったんだな」と感じてもらえるように、自分自身の実践を積み上げていくことを決意して、本稿を終えたいと思います。
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2016年06月21日

コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして(4/5)

4.コメニウスは一般的な運動・変化・発展の法則性から教育方法を導こうとした

 前回は、コメニウスの人間観にかかわって、どのような意義があるのかを見てきました。コメニウスは、ルターの思想を受け継ぎつつ、いわゆる落ちこぼれや障害児も含めたすべての人間が教育を受けるだけの能力を備えているのであり、教育によって人間となることができるのだと主張したのであり、人間や教育に対して深い信頼を寄せたことがコメニウスの大きな意義だと言えるのだということでした。

 このようなコメニウスの考え方に立てば、子どもの成長が見られない場合、決して子どもの能力が不足しているわけではなく、教師の側の働きかけに何らかの問題があるということになります。逆に言えば、適切な働きかけが行われれば、しっかりと子どもは成長していくのだということになります。その適切な方法とはどのようなものなのかを明らかにしようとしたのが『大教授学』です。『大教授学』では様々な原則が提示されていますが、その原則を導き出す過程が特徴的なものとなっています。今回はその点に焦点を当てて見ていきましょう。

 コメニウスは「第16章 教授および学習の一般的要求、即ち目指す結果が、必然的に到達せられるような確実性を持った教授及び学習の方法。」において9個の原理を、「第17章 教授及び学習を容易にするための原理」において10個の原理を、「第18章 教授と学習とを徹底的に行うための諸原理」において10個の原理を掲げています。その中身を見てみると、「自然はその働きを営むに当り、決して混乱することなく、その前進に当っては、或一点から次の一点へと、整然と進行を続ける」「自然はその統べての形成を普遍的なるものから初めて、特殊的なるものにおいて終る」「自然は材料を入念に選択して(すべての不潔なものや非本質的なものを)除去することから出発する」「自然は容易なることから困難なることへと進歩する」などが挙げられています。普遍的なものから特殊へと進むことや、簡単なことから難しいことへと進むことなど、現在でも生かされているような原則が掲げられており、ここでもコメニウスの偉大さが感じられます。

 さて、ここで問題にしたいのは、コメニウスがどのようにしてこれらの原則を導き出したのかという点です。ここで注目していただきたいのは、すべての原則において主語が「自然は」となっている点です。つまり、我々が住んでいるこの世界(自然)にはこういう法則性があるから、教育の世界においてもその法則性が貫かれているはずであり、それを生かしていかなければならないという流れでコメニウスは説いているのです。少し具体的に見てみましょう。

「自然はその働きを営むに当り、決して混乱することなく、その前進に当っては、或一点から次の一点へと、整然と進行を続ける。

 例えば、自然が一羽の小鳥を創ろうとする時は、骨、血管、神経などを同時に作らないで、各別個の、判然と区別された時期に於てこれを創るのである。(中略)

 大工が基礎工事をなす時には、それと同時に壁を作るようなことはしない。況んやそれと同時に屋根を葺くようなことはもっての外である。(中略)

 同様に画家は、同時に二十も三十もの絵を描くことをしないで、ただ一つの絵だけに専心する。(中略)

 同様に園丁は、いくつもの苗を同時に植えることはない。常にこれを一つずつ植えて、これを混同してしまったり、自然の働きを損ったりしないようにするのである。

 学校では学生に、一時に沢山の事を教えようと努力することによって混乱に陥っている。例えばラテンとギリシャとの文法を同時に教えたり、修辞学と詩その他沢山の教科を同時に教えようとすることによって。(中略)

 我々はこれらの人々を模倣して、文法を学んでいる学生に弁証法を教えたり、或は更に修辞学を教えようとしたりして、彼等を混乱せしめないようにしようではないか。(中略)

 それ故に学校は、学生がいつも一時にただ一事を学ぶことができるよう組織されねばならない」(pp.158-160)


 まず冒頭で「自然はある一点から次の一点へと順番に前進する」という自然の原則が掲げられ、その原則が正しいことが様々な例を使って明らかにされています。それを踏まえて当時の学校教育のあり方の問題点を指摘し、どうあるべきかを主張するという流れになっています。このような説き方は他の原理の場合でもまったく同様なものとなっています。動物の例が出されていること、画家や大工の例が出されていることまでまったく同じです。

 これはつまり、様々な事実から一般的な論理を導き出し、その一般的な論理でもって特定の事実に問いかけていくというものです。そもそも科学とは事実から論理を導き出し、それを体系化したものですから、このようなコメニウスのアタマの働かせ方は、非常に科学的なものだと言えるでしょう。

 こうしたことが行われる前提として、自分のかかわっている対象が法則性をもっていること、そしてその法則性は自らの力によって導き出してくることができること、こうしたことが認識されている必要があります。コメニウスが生きた17世紀はまさにそのような認識が社会的認識として成立した時代であり、コメニウスはそうした時代精神を受け継いでいたのだと捉えることができるでしょう。

 このようにコメニウスは、当時の時代の社会的認識を受け継ぎつつ、自らのアタマを働かせながら、自然に潜む一般的な運動・変化・発展の法則性を事実から把握し、その法則性でもって自らの専門である教育のあり方に対して問いかけていったのであり、非常に科学的な姿勢で教育という対象に迫っていったのです。ここは教育の歴史において、大きな意義のある点だと言えるでしょう。
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2016年06月20日

コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして(3/5)

3.コメニウスは人間と教育の可能性に深い信頼を寄せていた

 前回は、コメニウスが生きた17世紀のヨーロッパとはどのような社会であり、その中で彼がどのような問題意識を抱いていたのかを明らかにしました。端的には、17世紀のヨーロッパは教会の権威が失墜し、個々の人間が自らの力に対する自信を取り戻していく時期にあったのでした。そうした中でルターによる宗教改革が行われ、ルター派(新教)とカトリック派(旧教)の対立が激しく行われていたのでした。コメニウスが生まれたボヘミアはまさにその中心点だったのであり、三十年戦争の中で祖国を追われたコメニウスは平和なキリスト教社会を自らの祖国に実現することを自らの問題意識として抱いて教育に取り組んでいたのだということでした。

 では、その成果である『大教授学』の中身はどのようなものであり、歴史的にどのような意義のあるものと言えるのでしょうか。今回は、人間観という観点から『大教授学』の中身を見ていきたいと思います。

 本稿の冒頭で紹介しましたが、コメニウスの有名な言葉として、「すべての人々にあらゆることを教授する技術」というものがあります。これは自らの『大教授学』を説明したもので、もう少し詳しくは次のように書かれています。

「すべての事を、すべての人々に教えるための普遍的な技術を論述したる大教授学或はすべえのキリスト教国のあらゆる教区、都市、村落において、男女両性のあらゆる若者が、ただの一人も除外されることなく、迅速に、愉快に、徹底的に科学を学び、特性を養い、敬虔の心を充され、かつまたこのような仕方で、青年が現在および将来の生活のために必要なすべての事物を学び得るところの学校を建設するようにとの勧告の書」(p.13)


 この「すべての人々」「ただの一人も除外されることなく」という部分にコメニウスの人間観が大きく表れていると言えます。

 中世においては、階層的な身分制度が成立していましたから、教育を受けられるのは一部の特権階級の人間だけでした。上記の内容は、そうした点を批判して、一般民衆にも教育を受けさせるべきだと説いているものだと言えます。しかし、コメニウスの主張は、そこに留まるものではありません。もう少し詳しく見ていきましょう。

 コメニウスによれば、人間の究極の目的は来世での幸福であり、母胎→現世→来世という過程を辿るとした上で、母胎での生活が現世の準備であるように、現世での生活は来世での準備だとされます。その準備としては、自己を知り万物を知ること(科学を修得すること)、自己を統御すること(道徳を治めること)、自己を神にさし向けること(宗教心を養うこと)という3つがあり、神のもとにあらゆる人間は平等であるから、すべての人間がこの準備のために教育を与えられなければならないのだというのです。

「神は一視同仁で、個人個人に対して何等の依怙贔屓もしないことを表明している。それ故に若しも我々が、或人間には精神の教育を施し、他の人間にはこれを許さないということになれば、我々は生来我々自身と同じ素質を持った人間に対して侮辱を加えることになるばかりでなく、神そのものをも冒涜することになるのである。」(p.92)


 人間は神の下に平等であるという考え方は、ルターからの影響を大きく受けていると言えるでしょう。

 さらに神の似姿として生まれた人間には、この3つの萌芽が植えつけられているのですが、教育を受けなければ人間と呼ばれる存在になることはできないのだと主張しています。

「人は、人間としての務めを果すことを学んだものの、換言すれば人間の人間たる所以のものに於て、訓練せられた者でない限り、何人といえども人間と呼ばれることはできないのである。」(p.74)


「幼少の頃野獣に捕えられ、動物の間で育てられたものは、その知力が動物以上の水準に達するものでないということは、幾多の実例によって記されている。もしも彼らが一度も人間の社会に接触することがなければ、彼らは動物以上に、言葉を話すこともできねば、手や足を働かすこともできないであろう。」(p.76)


 このようにどんな人間であっても教育を受けなければ人間になることができないと主張する一方、どんな愚鈍で薄弱なものも、教育を受けることによってその性質は改善していくのであると主張しています。

「人の素質が、遅鈍であり、薄弱であればある程、このような生まれつきの動物的な愚鈍、愚昧から解放されるために、より多くの援助を必要とする。のみならず、およそ世に、教育によって之を改善することができない程、その智力の薄弱なるものはないのである。」(p.93)


 少し現代的な言葉で言えば、いわゆる「落ちこぼれ」の人間こそ、その状態から抜け出すためにより多くの援助(教育)が必要なのであり、それは絶対に可能なのだということです。さらに、このことは、現代でいう障害児においても当てはまるのだとコメニウスは主張しています。

「普通の人々は、常にみな神の恩寵によって教育を受けるに十分の能力を持っているのである。実に知性の全然欠如した人間というようなものは、丁度生まれつき手足の完全にそろっていないものが稀れであるのと同様に、極めて稀な現象である。というのは、実際盲、聾、及び虚弱などが、揺籠の中から人間につきまとうことは極めて稀で、これらはその後の不注意によって生ずることが多い。そして例外的な知能薄弱に於てもまたこの事が当てはまるのである。」(p.119)


 このように例外的な知能薄弱(障害児)であっても、教育を受けるに十分の能力を持っているのだとコメニウスは主張しているのです。17世紀という時代において、障害児も人間としての一般性が貫かれた存在だと見ることができたのは、非常に画期的なものだということができるでしょう(注)。

 以上のように、コメニウスは、ルターの思想を受け継ぎつつ、いわゆる落ちこぼれや障害児も含めたすべての人間が教育を受けるだけの能力を備えているのであり、教育によって人間となることができるのだと主張したのです。このように人間や教育に対して深い信頼を寄せたことがコメニウスの大きな意義だと言えるでしょう。

(注)コメニウスが著した世界初の絵入り教科書『世界図絵』では、43番の項目が「変形と異常発育の人」となっています。どのような意図でこの章を記述したのかは明確ではありませんが、コメニウスの人間観を見ていくうえで、非常に示唆的なものだと言えるでしょう。なお、この章にかかわって、『世界図絵』の翻訳者である井ノ口淳三は「彼が、『すべての人』への教育の可能性と必要性を訴えた際、そこには『障碍者』も含まれており、それは当時においては画期的なことでした」と解説しています。
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2016年06月19日

コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして(2/5)

2.コメニウスは平和なキリスト教社会の実現を強烈な問題意識として抱いていた

 本稿は、「近代教授学を成立させた人物」「近代教育の祖」と呼ばれるコメニウスを取り上げ、彼が教育の歴史においてどのような意義をもっているのか、そこから現在の我々は何を学ぶべきかを明らかにしようとするものです。今回は、コメニウスの生きた17世紀とはどのような時代だったのか、その中で彼がどのような問題意識を抱いたのかを見ていきたいと思います。

 この時代のヨーロッパは、端的には、カトリック教会の権威が崩れ、個々の人間が自らの力に対する自信を取り戻していく時期にあったということができます。

 中世のヨーロッパでは、個々の独立した荘園を単位とした階層的な身分制度が成立していました。国王・諸侯・騎士が領主として、それぞれの土地の農民(農奴)を軍事的に保護する代わりに、その土地に縛りつけて生産活動を行わせるという仕組みが成立していたのです。こうした支配秩序を正当化するイデオロギーを提供していたのが、ローマ教皇を頂点としたカトリック教会です。このカトリック教会は、神と個々の人間をつなぐ存在として、国王を上回る絶対的な権力をもっていました。

 しかし、生産力の向上に伴い、生産活動や商業活動が活発になると、人々は次第に自分たちの力に対する自信をもつようになっていきました。また商人が力をもつようになり、農奴の中にも金を納めることで領主の支配から逃れる者も出てくる中で、次第にカトリック教会の主張する身分制度が絶対的なものではないことが明らかになってきたのです。さらに十字軍の失敗により、カトリック教会はその権威を大きく失墜させることとなりました。

 こうした時代の流れの中で、教会の権威に縛られるのではなく、自分のアタマで判断して生きていこうという考え方が芽生えてくることとなりました。これがルネサンスです。人々は、教会の権威に縛られない生き方を求めて、教会が成立する以前の古代の文化遺産に学ぶようになり、それを踏まえて新しい文化を創り上げていったのです。

 また、権威を失った教会が、その経済的な基盤を固めるために搾取を行っていたドイツでは、宗教改革が行われました。ルターは世俗にまみれたカトリック教会を批判し、教会の権威に従うのではなく、個々人が聖書をしっかりと読み、そこに書かれていることをもとにして行動していくべきだと主張したのです。このような主張の背景には、そもそも人間は神のもとに平等であるという考え方がありました。それにも関わらず、カトリック教会の司祭と一般の人々という形での区分すること自体がおかしいと主張したのです。

 このようなルターの考え方は、自分たちのアタマで対象をとらえ、判断していくべきだというものであり、自分たちの力で対象に潜む法則性(真理)をつかみとっていこうとする近代科学の成立と軌を一にするものでした。このルター派(新教)が徐々に広まり、カトリック教会(旧教)との対立が激しく行われていたのが17世紀のヨーロッパだったのです。

 コメニウスが生まれたボヘミア(チェコ・スロヴァキア)はまさにその対立の中心地でした。ここは、プロテスタント運動の先駆者であるフスの出生地であり、フスの流れをひく新教徒の教団「ボヘミア同胞教団」が成立していました。しかし、この地を支配したハプスブルグ家は旧教の立場に立っており、両者の対立が生じていました。やがて、熱烈なカトリック教徒で対プロテスタント強硬派として知られていたフェルディナントが王位につくと、これを認めないプロテスタントが反乱し、1618年、三十年戦争が勃発することとなりました。コメニウスはこの三十年戦争の時代に生きていたのでした。以下、コメニウスが『大教授学』を執筆するに至るまでの経緯を佐々木秀一『コメニウス』(岩波書店、1984年)を参考に見ていきたいと思います。

 1592年、コメニウスはボヘミア同胞教団の信徒の家に生まれました。12歳で両親を失うものの、16歳からラテン学校に入り学問を始め、20歳の時(1611年)にはハイデルベルクに移り、大学において神学を中心とした学習生活を送りました。彼はそこで、教育者として著名であったヴィヴェスや、事物中心の教育を行うことを主張したラトケを学び、その影響を受けました。彼等は教育のみならず、社会改革についても言及しており、特にラトケは自らの事業の1つとして「全国に統一的な言語、統一的な政治、統一的な宗教を招来し、且つ維持すること」があると述べています。このように、宗教や政治において対立する当時において、コメニウスは、それらを統一した平和な社会を築く必要性を学んでいたのです。

 1614年に祖国に戻ったコメニウスは、ボヘミア同胞教団所属の学校教師として平和な生活を送っていました。ラトケの教授法を使って、実際の教育に携わったのです。1616年には牧師に任命され、学校経営にも関わるようになりました。そしてこの時期に結婚し、幸せな家庭生活を送っていました。

 ところが、ここで三十年戦争が起こったのです。その戦乱はコメニウスの祖国に荒れ狂い、コメニウスは逃避生活を送ることとなりました。コメニウスはこの時期を回顧して「その神より与えられし職業を奪われ、その未来を奪われしのみならず、又多くの貴重なる過去(即ちその文庫、その手稿)をも奪われた」(佐々木秀一『コメニウス』、p.14)と述べています。さらに、この頃、妻も失い、結婚生活も終えることとなりました。失意と苦悩のどん底へ落とされたコメニウスは、当時の心境について、「あの不幸の闇が次第に広がり、最早尽力の助けに頼るべき望が絶無であると思われた時、私は言うべからざる不安に駆られて、夜となく昼となく、ただ只管に、人の世の慰めが心を安んずるに足らぬ今日、神のみは我等を見捨て給うことなきようにと祈りに祈った」(同上書、p.16)と書いています。

 やがて、ボヘミア同胞教団は禁止され、教団員は祖国を追われることとなりました。コメニウスもポーランドに亡命することとなりましたが、そこで当時注目されていた預言者コッターを知ることとなります。コッターは、近い将来においてカトリック教会及びハプスブルグ家が没落し、キリストが再現して、平和な王国が出現するということを様々な事実をあげて預言していたのです。コメニウスはこの預言に深く関心を抱き、これが聖書と矛盾しないことから、その実現を確信したのでした。そこで、コメニウスはその実現のために、教育のあり方を改善することを決意したのです。そのための教授指針を示すものとして、『大教授学』が執筆されたのでした。

 この経緯について、コメニウスは次のように語っています。

「我が祖国に於ける悲しむべき教会及び学校の没落に直面して、余は痛く心を傷めたが、同時に又、神の慈悲は必ずや再び我等に向けられるであろうとの希望を抱いていた。かくて我等は、この祖国の没落を救うべき方策を熱心に考究した。そして我等の達した結論は、先ず子弟の為に急速に学校を建てて、これに善き本と善き教授法を提供し、かくて最善の方法によって、科学的・道徳的・宗教的努力を正しき道に導くということであった。」(同上書、pp.23-24)


また、『大教授学』の冒頭において、コメニウスは次のように書いています。

「この我々の教授学の目指す全目的は(中略)キリスト教社会が在来のように暗黒、混乱、軋轢の場所とならずして、それによって却ってより多くの光明と秩序と平和と休息とを得るような教授法を探求し発見することに存している。」(p.14)


 つまり、現在のように混乱したキリスト教社会ではなく、平和なキリスト教社会を築くことを目的としているということです。そのためには学校を建てて、子どもたちに善い教育を行うことが重要であり、その教授法を発見しようとしたのだということです。

 このようにコメニウスは、新教と旧教との争いが激化する中で、平和なキリスト教社会を自らの祖国に実現することを自らの問題意識として抱いていたのです。そのためには教育が重要だと考え、その教育の方法(教授法)を探求したのです。
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2016年06月18日

コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして(1/5)

○目次
1.コメニウスの歴史的意義とは何か
2.コメニウスは平和なキリスト教社会の実現を強烈な問題意識として抱いていた
3.コメニウスは人間と教育の可能性に深い信頼を寄せていた
4.コメニウスは一般的な運動・変化・発展の法則性から教育方法を導こうとした
5.コメニウスは科学的教育学の基礎を築いた
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
1.コメニウスの歴史的意義とは何か

 今年の2月29日の日本経済新聞に次のような記事が掲載されていました。
「2006年、うつ病になって自殺した東京都西東京市立小の新任女性教員(当時25)の両親が、公務災害認定を求めた訴訟の判決で、東京地裁(吉田徹裁判長)は29日、業務が自殺の原因と認め、地方公務員災害補償基金が公務外として補償金を支払わなかった処分を取り消した。

 判決によると、女性は06年4月に採用され、2年生のクラスを担任。児童による万引きや、上履きが隠されるなどのトラブルが続き、保護者対応にも追われた。うつ病と診断されて同10月に自殺を図り、同12月に死亡した。基金は11年2月、公務外と認定した。

 吉田裁判長は、こうした出来事が新任教員にとって重い精神的負担だったが、学校側の手助けは不十分で、休んではいけないというプレッシャーを感じていたと指摘。「業務が原因でうつ病になり、正常な認識能力が阻害されて自殺に至った」と判断した。

 地方公務員の死亡やけが、病気などが公務災害と認められると、基金から本人や遺族に補償金が支払われる。

 判決後に記者会見した福岡県に住む父親(67)は「長く苦しい闘いだった。娘に早速、認められたよと報告したい」と話した。基金は「判決内容を精査して対応を検討する」とコメントした。」


 端的には、新任として2年生を担任した教員がクラスのトラブルや保護者対応に追われる中でうつ病を発症し、自殺を図ったことに関して、公務災害が認められたということです。

 改めて当時の状況を見てみると、5月に「児童が万引きを起こした」という情報を受け、保護者に連絡すると、保護者から「事実を示せ」と怒鳴られたり、6月ごろには複数の児童の靴や体操着が隠されるトラブルが発生したりしたようです。母親へのメールには「毎日夜まで保護者から電話とか入ってきたり連絡帳でほんの些細なことで苦情を受けたり…」と仕事の苦悩が記されていました。「泣きそうになる毎日だけど。。。。でも私こんな気分になるために一生懸命教師を目指したんやないんに…おかしいね」とも記されていたようです。ここでは保護者のことが中心ですが、保護者のあり方は基本的に学級のあり方に連動していますから、些細なことでも苦情を言わざるを得ないような学級の状態だったということだろうと思います。私自身、昨年度のクラスは学級崩壊の状態でしたし、過去に2年生を担任したときに苦しい状況に陥ったこともありますので、この新任の先生の苦悩は痛いほどよくわかります。こうして公務災害が認められたことは、遺族としてもよかったと思います。

 ただ、公務災害というのは、起こってしまった出来事に対するものでしかありません。そもそもこうした事態をどうやって防ぐのかをこそ考えていかなければなりません。自殺に至るようなケースはまれだとしても、同じような形で苦しんでいる新任の教員は決して少なくはありません。

 教育基本法第一条には、「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」と書かれています。つまり、平和で民主的な国家及び社会を築くために教育は行われるのであり、その担い手となるのが教師です。その教師がこのような形で自殺をしてしまうような社会では、到底まともな教育を行うことはできませんし、まともな社会を創っていくことなどできません。

 こうした問題の背後にあるものとして、教師としての専門性が確保されていないという点が挙げられるでしょう。教育は誰もが経験しているものであるだけに、誰もが何らかの見解を述べることができます。したがって、保護者が自らの考えに基づいて何らかの苦情を言ってくることになります。そうしたときに、いかなる判断でいかなる対応をしたのかを専門的な観点から述べることができるような実力が教師には求められますが、その実力が形成されていないということです。その結果、教師の社会的な権威が崩れてしまっており、教育が大きく揺らいでいるというのが日本社会の現状だと言えるでしょう。

 したがって、教員養成課程そのものを大きく問い直していかなければなりません。文部科学省は「教員養成・免許制度の現状と課題」として、以下のように述べています。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/attach/1337002.htm

「1) 平成11年の教養審第三次答申において、各大学が養成しようとする教員像を明確に持つことが必要であるとされながら、現状では、教員養成に対する明確な理念(養成する教員像)の追求・確立がなされていない大学があるなど、教職課程の履修を通じて、学生に身に付けさせるべき最小限必要な資質能力についての理解が必ずしも十分ではないこと

 2) 教職課程が専門職業人たる教員の養成を目的とするものであるという認識が、必ずしも大学の教員の間に共有されていないため、実際の科目の設定に当たり、免許法に定める「教科に関する科目」や「教職に関する科目」の趣旨が十分理解されておらず、講義概要の作成が十分でなかったり、科目間の内容の整合性・連続性が図られていないなど、教職課程の組織編成やカリキュラム編成が、必ずしも十分整備されていないこと

 3) 大学の教員の研究領域の専門性に偏した授業が多く、学校現場が抱える課題に必ずしも十分対応していないこと。また、指導方法が講義中心で、演習や実験、実習等が十分ではないほか、教職経験者が授業に当たっている例も少ないなど、実践的指導力の育成が必ずしも十分でないこと。特に修士課程に、これらの課題が見られること」


 つまり、教員養成に対する明確な理念がなく、教職課程の組織編成やカリキュラム編成が十分整備されていないこと、また実際の授業の中身も現場が抱える問題に対応していないことが課題だということです。

 特に3)で述べられていることについては、私自身の体験としても非常によくわかるものです。新卒教員として現場に立った場合、いったいどのように授業をすればよいのか、給食や掃除はどのようなシステムで行えばよいのか、子ども同士のトラブルにどう対処すればよいのかなどの問題にぶつかります。しかし、大学で学んだことはこうした具体的な問題に対して、何らの答えを与えてくれませんでした。おそらく多くの先生が同じような思いだろうと思います。

 こうなると、こうした具体的なノウハウレベルの指導法をこそしっかりと教員養成課程で教えるべきだという主張も生まれてくることになります。大学の教員養成課程のカリキュラムには「教育概論」「教育史」などの科目が存在していますが、こうしたものよりも、もっと現場で役立つノウハウこそ教えるべきだということです。もちろんそれはそれで重要ですが、果たしてそこまで言ってもいいのでしょうか。

 これは端的には、1)で指摘されているように、「教職課程の履修を通じて、学生に身に付けさせるべき最小限必要な資質能力についての理解が必ずしも十分ではない」ということに尽きるでしょう。つまり、「教育概論」「教育史」などの科目をとおして、現場に出ていく学生に何を伝えたいのかが明確にされていないということです。特に、「教育史」にかかわっては、単に過去にどのような教育が行われていたか、そして先人がどのような主張をしたかを紹介するだけでなく、それが現代にどのようにつながるのかまで明らかにしていかなければなりません。

 こうした問題意識に基づいて、本稿では「近代教授学を成立させた人物」「近代教育の祖」と呼ばれるコメニウス(1592−1670)を取り上げ、彼が教育の歴史においてどのような意義をもっているのか、そこから我々は何を学ぶべきかを明らかにしていきたいと思います。一般にコメニウスについては、「すべての人々にあらゆることを教授する技術」を提唱したとされ、そのための方法として、(文字で学ぶだけなく)子どもの感覚をとおして対象を理解させるべきだ(感覚主義)と評価されています。このようなコメニウスの主張はどのような時代背景に基づくものであったのか、また、歴史的にいかなる意味をもつものであったのかを明らかにします。

 そのために、まずコメニウスが生きた17世紀とはどのような時代だったのか、その時代においてコメニウスがどのような問題意識を抱いたのかを見ていきます。続いて、コメニウスが「すべての人々にあらゆることを教授する技術」を提唱するとして執筆した『大教授学』はどのような意味があるものだったのか、その人間観と教育方法の探求の姿勢という観点から検討していきたいと思います。
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2016年06月17日

夏目漱石の思想を問う(5/5)

(5)主体的な国民による主体的な国家として世界歴史に貢献を

 本稿は、夏目漱石没後100年という記念すべき年にあたって、漱石が生きていた時代と現代との状況の類似性を念頭におきつつ、漱石の代表的な評論ないし講演録を読んでいくことで、漱石の思想が現代日本に生きる我々に何を問いかけてくるのか、考えていくことを目的としたものでした。

 ここで、前回までの流れを簡単に振り返っておくことにしましょう。

 第一に取り上げたのは、漱石が1911年(明治44年)に和歌山で行った講演「現代日本の開化」です。この講演で漱石は、日本の開化が内発的なものでなく外発的なものであり、皮相上滑りの開化でしかないことを論じていました。日本は、幕末の開国によって突如として自らより20倍も30倍も発展した西洋文化の強烈な圧迫を受けるようになり、外からいわれるがままの形をとらなければならなくなりました。したがって、現代日本の開化というのは、地面にしっかりと足をつけて地道に一歩一歩着実に進んでいくというようなものではなく、強大な力に追い立てられるようにして「ぴょいぴょいと飛んで行く」ようなものでしかないのだ、ということでした。漱石は、日本の現代の開化を支配している波は西洋の潮流でしかないから、新しい波が外から押し寄せるたびに日本人はそのなかで食客(いそうろう)して気兼ねをしているような気持になってしまう、と説いていました。近代日本が西洋から来る潮流に翻弄されるばかりで、国家としての主体性を欠いた状況にあることを、鋭く指摘していたわけです。漱石は、現代日本の開化が著しい矛盾――外面的な華々しさと内面的な空虚さ――を抱えているがゆえに、日本が遠からず破局的な事態に直面せざるをえないことを予期していました。しかし、そうした悲劇的な結末をどうすれば避けられるのか、漱石にはまったく明らかではありませんでした。そこに漱石の大きな苦悩があったわけです。

 とはいえ、漱石は日本の国家レベルの運命を悲観しながらも、個としての日本人の生き方については、自身の痛切な経験に裏打ちされた積極的な提案をもっていました。それを展開したのが、第二に取り上げた「私の個人主義」です。これは、漱石が1914年(大正3年)、学習院輔仁会において行ったものです。この講演で漱石は、「文学とは何か」が分からずに煩悶した自身のイギリス留学の痛切な経験にも触れつつ、「自己本位」という力強い言葉でもって、「自己の個性の発展」の必要を説いていました。自己本位という言葉には、他人の言葉を受け売りにするのではなく、自分自身が本当に心の底から納得できる道を進みたい、と求め続けてきた漱石の思いが込められていたのであり、それは主体性の確立の必要性を熱く訴えるものにほかなりませんでした。重要なのは、漱石が自己本位という言葉で自己の個性の発展の重要性を力説すると同時に、他人の個性の発展も同様に尊重すべきであることを強調していたことです。これは何よりもまず、上流社会の人間による権力、金力の行使が平民の個性の自由な発展を阻んでしまうことの危険性を鋭く指摘するものにほかなりませんでした。漱石は、学習院で学ぶ上流階級の子弟に対して直接に権力、金力の自制を強く訴えたわけです。さらに漱石は、個人主義と国家主義の関係にまで説き及び、国家的道徳は個人的道徳に比べるとずっとレベルが低いと断じつつ、個人の自由を抑圧する国家主義の伸長に抗して、個人主義を断固として擁護しようとしていたのでした。

 しかし、死を目前に控えた漱石の目に映ったのは、個人主義を抑圧する国家主義の伸張という世界歴史の潮流でした。この問題を踏み込んで論じようとしたのが第三に取り上げた「点頭録」です。これは1916年(大正5年)に「朝日新聞」に連載されたものです。ここで漱石は、現に展開されつつあった「欧州戦争」(第一次世界大戦)を取り上げ、ドイツによって代表される軍国主義、国家主義がイギリスやフランスにおいて多年にわたって培養されてきた個人の自由を破壊し去るだろうか、という問題を提起していました。漱石は、イギリスやフランスがドイツ軍国主義の深刻な思想的影響を受けつつあること(精神的に敗北しつつあること)を指摘し、そもそも戦争は目的ではなく手段にすぎず、軍国主義とはその手段にすぎない戦争を上手く遂行するためのものでしかないことに注意を促していたのでした。漱石は、ドイツ軍国主義の思想的な淵源として、熱烈なドイツ統一論者にしてビスマルクの協力者であったトライチュケを取り上げ、その軍国主義の主張がドイツ統一の手段としては一定の合理性をもっていたことを認めつつ、軍国主義そのものには何の価値もないのだから統一後のドイツが軍国主義を振り回し続けるのは不合理である、と厳しく断じていました。

 以上、前回までの流れを簡単に振り返ってみました。漱石は、圧倒的な力をもった西洋に翻弄されるだけで国家としての主体性を欠いた近代日本のあり方を直視し、近代日本の発展が著しい矛盾――外面的な華々しさと内面的な空虚さ――を抱えているがゆえに、日本が遠からず破局的な事態に直面せざるをえないことを予期していました。そうしたなかでも漱石は、個々の日本人が自己の個性の自由な発展に努力すること――「自己本位」の生き方を貫くこと――への期待を語ってたのです。それは、上流階級による権力・金力の横暴を厳しく批判するとともに、個人主義と国家主義との相克において断固として個人主義を擁護しようとするものでもありました。しかし、晩年の漱石の目に映ってたのは、軍国主義・国家主義が個人主義を押しつぶしていこうとする世界歴史の潮流だったのでした。

 端的にいえば、漱石は、個としての主体性の確立を何よりも重視し、それを阻む諸々のもの(西洋文化の表面的な模倣、権力・金力の横暴、国家主義・軍国主義など)に厳しい批判の眼を向けていたのだといえます。しかし、漱石は、当時の日本、世界に如何なる問題が生じているかは鋭くつかんだものの、何故そのような問題が生じてきたのか解くことはできませんでしたし、どうすればそうした問題を克服することができるのかの展望をもつこともできませんでした。これは社会科学的な実力の問題だといえます。

 漱石の死から100年、世界はどのような道を歩んできたのでしょうか。

 漱石の死の翌年、第一次世界大戦の戦火のなかからロシア革命が起ります。これはいうまでもなく「資本主義の最高の段階としての帝国主義」(レーニン)を打倒して社会主義・共産主義を建設することを目指したものでした。そもそもマルクスが主張した共産主義は「各個人の自由な発展が、万人の自由な発展のための条件となる連合体〔Assoziation〕」(『共産党宣言』第2章)を目指すものでした。しかし、革命ロシア=ソ連では、帝国主義諸国の干渉や国際的孤立という悪条件の下、世界革命を主張するトロツキーが一国社会主義を主張するスターリンに敗れ、個人の自由を徹底して押し潰す異様な専制と抑圧の体制が築かれてしまいます。一方の帝国主義諸国の側ですが、ちょうどソ連でスターリン独裁体制が確立されたのと同時期に、世界恐慌へと突入していきます。その対応をめぐって、国家主義・軍国主義の極致ともいうべきファシズムが台頭してくるなかで世界情勢は混迷を極め、人類は2度目の世界大戦を経験することになってしまったのでした。

 第二次世界大戦後の世界では、国家権力による市場経済への介入が制度化された(社会主義への対抗上、労働者の権利擁護や社会保障の一定の充実が図られた)こともあって、資本主義経済は相対的に安定して高度成長を実現します。しかし、米ソ冷戦構造の下で核軍拡競争が繰り広げられ、局地的な戦争も繰り返されました。冷戦終結の後には地域的な紛争が頻発するようになり、ソ連崩壊によって唯一の超大国となったアメリカは、単独行動主義を強めてもきました。資本主義経済は1970代頃から低成長に移行し、階級協調の余地が狭まっていくなかで、多国籍企業の利潤追求の衝動と結びついた新自由主義の嵐が、世界中を吹き荒れるようになっていきます。21世紀に入ると資本主義経済の行きづまりはいよいよ鮮明になり、貧困と格差の著しい拡大が大きな問題として浮上してきています。一握りの強者が富を独占する一方で、多くの貧困層の子どもたちはまともな教育の機会を奪われ、個性の自由な発展の機会を奪われてしまっているのです。若者が生活のために軍隊への入隊を選ばざるを得なくなる「経済的徴兵制」と呼ばれる事態も広がっています。

 それでは、こうした世界歴史の流れのなかで、日本はどのような道を歩んできたのでしょうか。

 状況に流されるようにしてアジア侵略の拡大から対米開戦にまで押しやられていった日本は、敗戦によってアメリカの従属の下におかれることになります。日本は「議会制民主主義」の国家としての体裁を与えられますが、大元帥であった昭和天皇は、その責任を問われることなく、天皇の地位にとどまり続けます。日本は、経済的な復興だけは見事に成し遂げたといってよいものの、敗戦をみずからまともに総括することなく、ただひたすらにアメリカに従属し続けることで、国家としての主体性を完全に奪われてしまったのでした。現在の日本は、バブル崩壊以降の「失われた20年(30年)」によって経済大国としての自信を大きく傷つけられ、中国などの急速な経済発展に苛立ちを募らせているようでもあります。中国への対抗という思惑もあって、冷戦崩壊後のアメリカの世界戦略の変化(同盟諸国への軍事的負担の要求)をも利用しながら、軍事的な大国化への道を進んでいます。そのようななかで出されてきた自民党の改憲草案は、明治憲法と同じく天皇を国家元首と規定し、国防軍を創設するとともに、「公益及び公の秩序」を口実にして基本的人権を大幅に制約する道を開こうとするものなのです。

 漱石の死から100年の後に生きる我々は、各個人の自由な発展を何よりも重視し、それを阻む諸々の社会的制約と断固として闘おうとした漱石の思想を受け継ぎながら、こうした世界と日本の現実に対峙していかなければなりません。漱石の思想を現代に実らせていくためには、徹底的に原理的に思考しようとした漱石のアタマの働かせ方に真摯に学ぶとともに、残念ながら漱石には欠けていた社会科学的な実力をしっかりと培っていく必要もあります。漱石の思想を発展的に継承することで、主体的な国民として主体的な国家を建設し、人類の歴史に貢献していく――この決意を表明して、本稿を終えることにします。

(了)
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2016年06月16日

夏目漱石の思想を問う(4/5)

(4)「点頭録」――軍国主義への警鐘

 前回は、漱石が1914年(大正3年)11月25日、学習院輔仁会にて行った「私の個人主義」という講演を読みました。この講演で漱石は、「文学とは何か」が分からずに煩悶した自身の痛切な経験にも触れつつ、「自己本位」という力強い言葉でもって「自己の個性の発展」の必要を説いていました。同時に、他人の個性の発展も同様に尊重すべきことを強調し、とりわけ、上流社会の人間による権力や金力の行使が平民の個性の自由な発展を阻んでしまうことの危険性を鋭く指摘していました。また、個人の自由を抑圧する国家主義の伸長に抗して、個人主義を断固として擁護する議論を展開してもいたのでした。

 さて今回は、「点頭録」を読んでいくことにしましょう。これは、漱石が亡くなった年、すなわち今からちょうど100年前の1916年、1月1日から21日まで9回にわたって「朝日新聞」に連載されたものです。残念ながら、漱石の病気のために中断してしまったので、議論としては中途半端なところでストップしているのですが、「欧州戦争」(第一次世界大戦)という状況下で軍国主義が伸長していることへの人類史的な危機感が強く滲み出た、非常に興味深い内容のものとなっています。

 漱石は「また正月が来た」と書き出します。正月という時の区切りにあたって、過去は全くの無のようでもありまた厳然と存在しているようでもある、との感慨を述べ、「自分は此一体二様の見解を抱いて、わが全生活を、大正五年の潮流に任せる覚悟をした」「自分は出来る丈余命のあらん限りを最善に利用したい」「力の続く間、努力すればまだ少しは何か出来る様に思ふ」との決意を表明するのです。自らの死を意識しつつも、世界の現実を見つめ、歴史の潮流に鋭く切り込んでいこうという重大な覚悟をみてとることができます。

 漱石がこの「点頭録」で論じているのは、先にも触れた通り、現に展開しつつあった「欧州戦争」すなわち第一次世界大戦の問題です。

 漱石はまず、戦争は確かに空前の規模のものであるが、事の起りは人類一般に共通な深い根底を有した思想なり感情なり欲求なりに動かされたものではなく、我々の精神生活が急激な変化を受けて、文明の本流が大きく方向転換するようなことはあるまい、といいます。戦争というものは古来から大抵こんなものだろうが、「ことに今度の戦争は、其仕懸(しかけ)の空前に大袈裟な丈に、ややともすると深みの足りない裏面を対照として却て思ひ出させる丈である」というのです。こうした表現からは、戦争というものに対して漱石が非常に醒めた視線をもっていたことがうかがわれます。

 一方で漱石は、政治的、経済的なレベルでみてみると、解決されるべき多くの問題があるといいます。そのなかで、漱石が最も強く興味をひかれたのは、軍国主義の未来という問題でした。人道のための争いとも信仰のための闘いとも意義ある文明の衝突とも見做すことのできない戦争だが、軍国主義の発現という観点から眺めることで「自分は始めて此戦争に或意味を付着する事が出来た」というのです。漱石は、ドイツによって代表された軍国主義が、イギリスやフランスにおいて多年にわたって培養されてきた個人の自由を破壊し去るだろうか、という問題を提起します。

 漱石は、イギリスにおいて強制徴兵案が圧倒的な賛成多数で議会を通過したことを取り上げます。ほとんど第二の天性というくらいに自由を愛するイギリス人が、本人の意志に逆らってまで徴兵を強制するような議案を通過させたことは、ドイツが振りかざしている軍国主義の勝利と見るより外に仕方がない、戦争がまだ片づかないうちに(軍事的な勝敗が決しないうちに)、イギリスは精神的にもうドイツに負けてしまったのだ、と漱石はいうのです。

 フランスについて漱石は、ドイツによって直接に領土の一部を蹂躙されているだけに、その精神的打撃は何倍も深刻なものだと見るのが妥当だろうと述べ、強制徴兵案のような鮮やかな現象は起っていないものの、フランス人の公表する思想なり言説なりには確実に変化が現われている、と指摘します。漱石は、パラントという人物による「力」という概念についての議論(「力」というのは本来は否定的なものでないはずなのに、フランスではドイツ式の力の観念に反発するあまり、正義や権利の観念と衝突する否定的なものと捉えられるようになってしまった)を取り上げ、フランス思想界の一部にドイツの軍国主義がどんなふうに食い入りつつあるかが解るだろう、というのです。

 漱石は、以上のように、ドイツの軍国主義がイギリスやフランスにまで大きな影響を及ぼしつつあることを確認した上で、次のように述べます。

「手段は目的以下のものである。目的よりも低級なものである。人間の目的が平和にあらうとも、芸術にあらうとも、信仰にあらうとも、知識にあらうとも、それを今批判する余裕はないが、とにかく戦争が手段である以上、人間の目的でない以上、それに成効の実力を付与する軍国主義なるものも亦決して活力評価表の上に於て、決して上位を占むべきものでない事は明かである。
 自分は独逸によつて今日迄鼓吹された軍国的精神が、其敵国たる英仏に多大の影響を与へた事を優に認めると同時に、此時代錯誤的精神が、自由と平和を愛する彼等に斯く多大の影響を与へた事を悲しむものである。」


 戦争は目的ではなく手段にすぎない時点で低級なものであるが、軍国主義はその手段を成功させるための実力を付与するものにすぎないのであって、こんな時代錯誤的精神が自由と平和を愛するイギリス人やフランス人に多大な影響を与えたことは悲しむべきことである、というわけです。

 続いて漱石は、ドイツの軍国主義に思想的な影響を与えた人物について議論を進めていきます。軍国主義に影響を与えた思想家としては、ニーチェやヘーゲルやトライチュケ(漱石は「トライチケ」と表記)がしばしば引き合いに出されていました。漱石は、ニーチェやヘーゲルについては第一次大戦の刺激を受けた目で彼らの主張した内容を再解釈しているだけであるのに対して、トライチュケと今の戦争との関連は判然としているとして、トライチュケの思想について考察していきます。

 ハインリヒ・フォン・トライチュケ(1834-1896)は、熱烈なドイツ統一論者(それもプロイセンを盟主とする統一を主張する小ドイツ主義者)にしてビスマルクの協力者であり、「正義だらうが道徳だらうが、国家の為ならば、何時犠牲に供しても差支ない」「専政だらうが圧制だらうが、苟も国家の統一を維持し、又国家の威力を増進する以上は、いくら何う用ひても構はない」という軍国主義、国家主義を鼓吹したのでした。漱石は、ビスマルク自身はそれほどトライチュケの言論に動かされなかったかもしれないが、結果からいえば、彼の言説はビスマルクの政治上の行動を一々裏書きするようなものであったし、今日のドイツが当時の方針をそのまま継続して第一次大戦を引き起こしたのだとすれば、思想家としてのトライチュケがドイツに与えた影響は明瞭だ、といいます。

 漱石は、以上のように確認した上で、「根本問題に立ち返って」、次のような質問を起します。トライチュケの鼓吹した軍国主義、国家主義はドイツ統一のためであり、その統一は周囲からの圧迫を防ぐためのものではなかったか。統一が成立し帝国が成立して、侵略の恐れなくドイツが存在できるようになったら撤回すべきものではなかったか。もし永久に軍国主義、国家主義で押し通すというならば、論理上この主義そのものに価値がなければならないが、そんな価値が果たしてどこから出てくるというのか……。

 漱石は、個人の場合でもただ喧嘩が強いのは徒に他人を傷つけるだけで自慢にならないが、国家の場合も同じことで、たんに勝つ見込みがあるからといって妄りに干戈を動かされては(戦争を起こされては)近所が迷惑するだけで、文明を破壊する以外に何の効果もない、といいます。勝利したものがその損害を償う以上の貢献を文明に対してなすことができるならばまだしも、現在のドイツにそれだけのことができる精神と実力はないだろう、というのです。トライチュケの主張は、ドイツ統一の以前には、有効であり必要でもあり合理的でもあったが、今のドイツには無効で不必要で不合理なものだ、というのが漱石の主張です。

 「現代日本の開化」においてヨーロッパの開化は内発的なものであったと論じ、「私の個人主義」においては何よりも自由を愛するイギリスの国民性に高い評価を与えた漱石にとって、個人の自由を抑圧する軍国主義、国家主義によってヨーロッパ諸国が蹂躙されていく様を眺めているのは非常に苦しいことであったに違いありません。かといって、そうした軍国主義の潮流からどのようにすれば脱していくことができるのか、漱石には全く明らかではなかったのです。そこに漱石の大きな苦悩がありました。晩年の漱石には、人類の暗い運命という問題が重くのしかかっていたのです。漱石は、第一次世界大戦の結末をみることのないままに亡くなります。ある意味で、人類の精神生活を急激に変化させ、文明の本流を大きく方向転換させるような可能性を秘めていたかもしれないロシア革命が起きたのは、漱石の死の翌年の1917年のことでした。
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2016年06月15日

夏目漱石の思想を問う(3/5) 

(3)「私の個人主義」――主体性の確立

 前回は、漱石が1911年(明治44年)に和歌山で行った講演「現代日本の開化」を読みました。この講演で漱石は、日本の開化が内発的なものでなく外発的なものであり、皮相上滑りの開化でしかないことを論じていました。漱石は、現代日本の開化が著しい矛盾――外面的な華々しさと内面的な空虚さ――を抱えているがゆえに、日本が遠からず破局的な事態に直面せざるをえないことを予期していたのでした。
 漱石は、日本の国家レベルの運命を悲観しながらも、個としての日本人の生き方については、自身の痛切な経験に裏打ちされた積極的な提案をもっていました。それを展開したのが、今回取り上げる「私の個人主義」です。これは、1914年(大正3年)11月25日、学習院輔仁会にて行った講演です。この講演で漱石は、「自己本位」という力強い言葉でもって、「自己の個性の発展」の重要性を力説しています。

 漱石は、大学で英文学という専門をやったものの、「とにかく三年勉強して、ついに文学は解らずじまい」で、世の中に出て教師になっても「腹の中は常に空虚」だったといいます。漱石は、そうした不安を抱えたまま英国に留学し、下宿にこもって諸々の書物を読み漁ってはみたものの、西洋人のいうことを鵜呑みにして機械的な知識として振り回しても何の腹の足しにもならないと痛感します。まさにそのとき「文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に自力で作り上げるよりほかに、私を救う途はないのだと悟った」のでした。漱石は「自己本位」という言葉を自分の手に握ってから大変強くなった、この四字こそが「ここに立って、この道をこう行かなければならない」と指図をしてくれたとして、若い聴衆(学習院の学生)に対して「ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた!」と心の底から叫べるところまで行くよう、熱く訴えかけるのです。

 自己本位とは主体性の確立のことにほかなりません。自己本位という言葉には、他人の言葉を受け売りにするのではなく、自分自身が本当に心の底から納得できる道を歩みたい、という漱石の熱い思いが凝縮されています。ここで注目に値するのは、漱石が、いくら西洋人が立派な詩だといっても自分がそう思えなければとうてい受け売りすべきではない、「私が独立した一個の日本人であって、けっして英国人の奴婢でない以上はこれくらいの見識は国民の一員として具えていなければならない」と宣言していることです。自己本位というのは、世界のなかの日本人という意識と不可分に結びついたものでもあったわけです。

 もうひとつ指摘しておきたいのは、「文学とは何か」という概念を根本的に自力で創出するのだという決意に、漱石の徹底的に原理的な思考方法、それも感情レベルで分かることへの強い要求が滲み出ていることです。自分のココロが本当に納得できるように、自分のアタマで徹底的に筋を通して考え抜いてこそ、自分の行動にまともに責任を持つことができるのだ、という漱石の思いが滲み出ているといってよいでしょう。

 さて、「自己本位」という言葉で自己の個性の発展の重要性を力説した漱石は、引き続いて、他人の個性の発展も同様に尊重すべきであることを説いていきます。ここで漱石が大きな問題として浮上させるのが、権力と金力の問題です。漱石は、学習院に集まる「上流社会の子弟」は、貧民よりも余計に権力や金力をもつことになる、とした上で、次のような警告を発します。

「権力と金力とは自分の個性を貧乏人より余計に、他人の上に押し被せるとか、または他人をその方面に誘き寄せるとかいう点において、大変便宜な道具だと云わなければなりません。こういう力があるから、偉いようでいて、その実非常に危険なのです。」


 そして、漱石は「自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに付随している義務というものを心得なければならない」のであり、「自己の金力を示そうと願うなら、それに伴う責任を重んじなければならない」と強調するのです。

 漱石のこうした主張からは、上流社会の人々の権力や金力の行使によって貧しい人々の個性の自由な発展が妨げられていることへの激しい怒りがうかがえます。そもそも、権力や金力の横暴への断固たる対決という漱石の姿勢は、『吾輩は猫である』から『明暗』までの作品を一貫したものでした。例えば、『二百十日』においては、漱石自らが、今の青年が見習うべき青年として描いたという(高浜虚子宛書簡)圭さんに、「なあに仏国の革命なんてえのも当然の現象さ。あんなに金持ちや貴族が乱暴をすりゃ、ああなるのは自然の理屈だからね」と発言させています。この圭さんは最終的に「我々が世の中に生活している第一の目的は、こう云う文明の怪獣〔「華族や金持ち」のこと――引用者〕を打ち殺して、金も力もない、平民に幾分でも安尉を与えるのにあるだろう」とまで主張するのです。この「私の個人主義」という講演が行われた学習院は、漱石が最も忌み嫌う「華族や金持ち」の子弟の教育機関にほかなりません。漱石は平民の代表としての気概をもって学習院に乗り込み、「華族や金持ち」の子弟に対して直接に権力と金力の自制を訴えかけようとしたのでした。

 金力と権力の自制を訴える漱石は「義務心を持っていない自由は本当の自由ではない」といいます(*)。漱石は、イギリスという国は自由を大変尊ぶ国でありながら秩序が大変に行き届いているが、それは「自分の自由を愛するとともに他の自由を尊敬するように、小供の時分から社会的教育をちゃんと受けている」からだ、とします。そして、「他の存在を尊敬すると同時に自分の存在を尊敬する」というのが自分のいう「個人主義」であり、これは何ら国家に危険を及ぼすものでもなんでもない、立派な主義である、と述べるのです。

 ここから漱石は、個人主義と国家主義との関係へと論を展開させていきます。端的には、個人主義と国家主義とは「あれかこれか」的に対立するものではなく、両立させられるべきものだ、という結論になるわけですが、漱石の議論は、国家主義的な風潮に抗して個人主義の重要性を強調するものとなっています。

「個人の幸福の基礎となるべき個人主義は個人の自由がその内容になっているには相違ありませんが、各人の享有するその自由というものは国家の安危に従って、寒暖計のように上ったり下ったりするのです。……
 いったい国家というものが危くなれば誰だって国家の安否を考えないものは一人もない。国が強く戦争の憂が少なく、そうして他から犯される憂がなければないほど、国家的観念は少なくなってしかるべき訳で、その空虚を充たすために個人主義が這入ってくるのは理の当然と申すよりほかに仕方がないのです。今の日本はそれほど安泰でもないでしょう。貧乏である上に、国が小さい。したがっていつどんな事が起ってくるかも知れない。そういう意味から見て吾々は国家の事を考えていなければならんのです。けれどもその日本が今が今潰れるとか滅亡の憂目にあうとかいう国柄でない以上は、そう国家国家と騒ぎ廻る必要はないはずです。」


 以上のように漱石は、国家存亡の危機に際して個人の自由が制限されるのはやむを得ない面があるとは認めつつも、そうでない以上は個人の自由が最大限に尊重されるべきである、と主張するのです。漱石のこうした主張の背景には、当時の日本が国家存亡の危機というほどでもないのに個人の自由を抑圧する方向に傾きがちである、という強い不満があったことは間違いありません。

 漱石はさらに踏み込んで「国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと段の低いもののように見える」とまで述べます。国家間関係には、詐欺やペテンなどが当たり前のように横行しているではないか、というわけです。だからこそ、国家が平穏であるときには、徳義心の欠如した国家主義よりも徳義心の高い個人主義の重きを置くのが当然だ、と断言するのです。

 前々回触れた自民党の改憲草案は、行き過ぎた個人主義が利己的な社会を招いたとして、「公益及び公の秩序」という言葉を振りかざして国民の義務をことさらに強調しています(**)。そればかりか、「すべて国民は、個人として尊重される」という現行第13条を「全て国民は、人として尊重される」に変更しようとしているのです。「個人」という根本的な概念(一人ひとりのかけがえのない個性!)を削除して単なる「人」に置き換えようというわけです。現代日本において、国家主義が個人主義を押しつぶそうとする動きが再び強まりつつあることは否定できないでしょう。我々は、全ての人々(貧しい人々も含めて!)の個性の自由な発展を何よりも重視した漱石の「個人主義」を重く受け止め、こうした現代の危機的な状況に立ち向かっていかなければならないのです。

(*)文部科学省によって無償配布される道徳教育の副教材「私たちの道徳」(「心のノート」を全面改訂したもの)の中学校用には、漱石の「義務心を持っていない自由は本当の自由ではない」という言葉が掲載されている(139頁)。「私たちの道徳」は、この漱石の言葉も交えつつ、「法やきまり」に従順であることの大切さをことさらに強調しているが、これは自由や権利の主張に対して抑制的になるように誘導するものであるといわざるをえない。しかし、「法やきまり」は、全体の利益を守るために定められているという側面と同時に、強者の都合のよいように定められているという側面をも有している。このことを考えるならば、漱石の言葉をこうした文脈に置くのは完全な曲解というほかない。「私の個人主義」全体の論の流れをみれば、「義務心を持っていない自由は本当の自由ではない」という言葉は、何よりもまず上流階級の権力や金力の行使の自由に向けられていることは明白である。あえて露骨にいえば、漱石が主張したのは、抑圧の「自由」や搾取の「自由」に伴うべき「義務」にほかならない。このような漱石の思想性は、資本の搾取、国家権力の抑圧に従順な人間をつくりだそうとする「心のノート」「私たちの道徳」の思想性とはまったく相容れないものなのである。

(**)自民党改憲草案の第12条には「国民は……自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」とある。これは漱石の言葉と表面上は似ているものの、その思想性は180度異なるものといわなければならない。
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2016年06月14日

夏目漱石の思想を問う(2/5)

(2)「現代日本の開化」――内発的発展の重要性

 本稿は、夏目漱石没後100年という記念すべき年にあたって、漱石が生きていた時代と現代との状況の類似性を念頭におきつつ、漱石の代表的な評論ないし講演録を読んでいくことで、漱石の思想が現代日本に生きる我々に何を問いかけてくるのか、考えていくことを目的としたものです。

 今回は、日本の国家レベルの運命を論じた「現代日本の開化」を読んでいくことにしましょう。これは、1911年(明治44年)、大阪朝日新聞社が関西地方で企画した連続講演の一環として、8月15日に和歌山で行われた講演です。この講演で漱石は、西洋の開化(開化一般)が内発的であるのに対して日本の現代の開化が外発的なものでしかないことを論じています。

 漱石は、現代日本の開化という問題を論じるにあたって、「日本とか現代とかいう特別な形容詞に束縛されない一般の開化から出立してその性質を調べる必要がある」として開化一般を定義するところから議論をスタートさせようとします。しかも漱石は、定義を下すということは運動し変化してやまない現実を静止という形態において捉えることにほかならないことを指摘して(漱石は「変化をするものを捉えて変化を許さぬかのごとくピタリと定義を下す」と表現しています)、定義ということに伴う困難を指摘してもいます。このあたりの議論には、漱石の徹底的に原理的な思考方法がよく現われているといえるでしょう。

 それでは、漱石は開化一般をどのように定義するのでしょうか。漱石は端的に「開化は人間活力の発現の経路である」といいます。その上で、この人間活力の発現の経路には「消極的のもの」すなわち「義務の刺戟に対する反応としての消極的な活力節約」と「積極的のもの」すなわち「道楽の刺戟に対する反応としての積極的な活力消耗」との2つがある、というのです。前者は「労働を少なくしてなるべくわずかな時間に多くの働きをしようしようと工夫する」ものであり、その工夫が積り積って汽車・汽船、電信・電話、自動車などとなっていったのだ、ということになります。これに対して後者は、一言でいえば「道楽根性」であり「活力を吾好むところに消費するというこの工夫精神」であって、芸術や学問も含めて、生活上別段必要のない贅沢なものの数も、開化の進行につれて増えていきます。漱石は、「できるだけ労力を節約したいと云う願望から出て来る種々の発明とか器械力とか云う方面と、できるだけ気儘に勢力を費したいと云う娯楽の方面、これが経となり緯となり千変万化錯綜して現今のように混乱した開化と云う不可思議な現象ができる」のだ、と説いています。

 ここで漱石は「一種妙なパラドックス」が起こる、と指摘しています。それは、活力の2つの経路での発現が歴史的に積み重ねられてきたのであれば我々の生活は昔よりはるかに楽になっていなければならないはずなのに、我々の生活は苦痛に満ちている、ということです。この「パラドックス」について、漱石は、消極的な面でも積極的な面でもより高いレベルを目指した競争が激化していくからだ、と解いています。

 開化一般について以上のように論じた漱石は、いよいよ日本の開化へと議論を移行させていきます。漱石は「現代の日本の開化は前に述べた一般の開化とどこが違うか」と問いかけ、端的に「西洋の開化(すなわち一般の開化)は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である」との解答を与えます。漱石によれば、内発的というのは蕾が破れて花弁が外に向かうような内からの自然な発展であり、外発的というのは外から圧迫されて一種の形式をとるようなものです。漱石は、日本は昔から中国・朝鮮からの影響を受けてきたが、200年の鎖国の果てに突然に西洋文化の刺激に跳ね上がったような強烈な影響を受けたことはなかった、といいます。「今まで内発的に展開して来たのが、急に自己本位の能力を失って外から無理押しに押されて否応なしにその云う通りにしなければ立ち行かないという有様になった」というわけです。漱石は、以下のように述べています。

「我々が内発的に展開して十の複雑の程度に開化を漕ぎつけた折も折、図らざる天の一方から急に二十三十の複雑の程度に進んだ開化が現われて俄然として我らに打ってかかったのである。この圧迫によって吾人はやむをえず不自然な発展を余儀なくされるのであるから、今の日本の開化は地道にのそりのそりと歩くのでなくって、やッと気合を懸けてはぴょいぴょいと飛んで行くのである。開化のあらゆる階段を順々に踏んで通る余裕をもたないから、できるだけ大きな針でぼつぼつ縫って過ぎるのである。足の地面に触れる所は十尺を通過するうちにわずか一尺ぐらいなもので、他の九尺は通らないのと一般である」


 現代日本の開化というのは、地面にしっかりと足をつけて地道に一歩一歩着実に進んでいくというようなものではなく、強大な力に追い立てられるようにして「ぴょいぴょいと飛んで行く」ようなものでしかない、というのです。

 漱石は「そういう外発的の開化が心理的にどんな影響を吾人に与うるか」という問題を提起します。漱石は、人間の意識というものは、個人の意識を1分間という単位でみた場合でも、あるいは一般社会の集合意識を1年とか10年とかいう単位でみた場合でも、甲の波が乙の波を呼出し、乙の波がまた丙の波を誘い出して、順次に推移していく、というような形で常に動いているものだ、と説きます。そして、開化がこのような形で進んでいくのであれば内発的なものといえるのだが、日本の開化は残念ながらそうではない、というのです。甲の波の長所も短所も充分に味わい尽くした上で、自己の内から湧き上がる欲求によって必然的に乙の波が呼び出されてくるというのであれば、新しい乙の波もしっかりと自分のものとして感じられることでしょう。ところが、日本の現代の開化を支配している波は西洋の潮流でしかないから、新しい波が外から押し寄せるたびに日本人はそのなかで食客(いそうろう)して気兼ねをしているような気持になってしまう、というのです。漱石は、このような表現で、近代日本が西洋から来る潮流に翻弄されるばかりで、国家としての主体性を欠いた状況にあることを、鋭く抉ったのでした。

 漱石は「現代日本の開化は皮相上滑りの開化であると云う事に帰着する」と断じます。逆に、西洋で100年かかったような開化を日本人が10年で上滑りしないようにやり遂げようとするならば活力を10倍に増さねばならず、神経衰弱に罹ってしまうことになるだろう、ともいいます。要するに、日本人は上皮を滑るか神経衰弱になるかという窮状にあるというのが、「現代日本の開化」の結論なのです。

 漱石は、日露戦争以後、日本も一等国になったという高慢な声が随所に聞かれるが、気楽な見方もできるものだ、と嘆じています。漱石は、明治維新以降の日本の急速な発展が如何に華々しく見えようとも、その実は空虚なものでしかないことを鋭く喝破していました。それだけに、外面的な華やかさに幻惑された「一等国」意識の広がりに対して、非常に苦々しい感情を抱いていたに違いありません。

 漱石は、「私の解剖した事が本当のところだとすれば我々は日本の将来というものについてどうしても悲観したくなる」といいます。漱石の眼には、日本がこのまま外発的な、皮相上滑りの開化の道を進んでいくとすれば、早晩、破局的な事態に陥ってしまうほかないことがハッキリと見えていたに違いありません。だからこそ漱石は、『三四郎』の広田先生に(「これからは日本もだんだん発展するでしょう」という三四郎に対して)「滅びるね」と発言させ、『それから』の代助に「牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ」と発言させたのだといえます(*)。いうまでもなく、こうした漱石の危惧は、漱石の死から40年足らずで、アジア太平洋戦争での敗戦という形で、現実のものとなったのでした。

 漱石は、日本の将来を悲観しながらも「どうすることもできない、実に困ったと嘆息するだけ」「ではどうしてこの急場を切り抜けるかと質問されても、前申した通り私には名案も何もない」というばかりです。漱石は、日本の破局を予期しながら、それを避けるためのどうすればよいか、何らの術も見い出すことができなかったのでした。ここに漱石の計り知れない苦悩があったといえます。

(*)代助の発言は以下の通りである。

「日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。それでいて、一等国を以て任じている。そうして、無理にも一等国の仲間入をしようとする。だから、あらゆる方面に向って、奥行を削って、一等国だけの間口を張っちまった。なまじい張れるから、なお悲惨なものだ。牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ。その影響はみんな我々個人の上に反射しているから見給え。こう西洋の圧迫を受けている国民は、頭に余裕がないから、碌な仕事は出来ない。悉く切り詰めた教育で、そうして目の廻る程こき使われるから、揃って神経衰弱になっちまう」


 「現代日本の開化」で展開された漱石の思想がここに反映していることは明らかであろう。
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2016年06月13日

夏目漱石の思想を問う(1/5)

目次

(1)夏目漱石が現代日本に問いかけることとは
(2)「現代日本の開化」――内発的発展の重要性
(3)「私の個人主義」――主体性の確立
(4)「点頭録」――軍国主義への警鐘
(5)主体的な国民による主体的な国家として世界歴史に貢献を

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(1)夏目漱石が現代日本に問いかけることとは

 今年は、夏目漱石没後100年という記念の年にあたります(漱石は1916年〔大正5年〕12月9日、49歳でその生涯を閉じました)。漱石が社員(専属作家)を務めていた朝日新聞では、一昨年から漱石作品が再連載されるなど、漱石没後100年を記念する様々な関連事業が行われ、漱石に関する本も多く出版されています。近代日本を代表する国民的大作家としての評価を受け続けてきた漱石ですが、亡くなってから100年という記念の年を迎えて、改めて大きな注目を集めているといってよいでしょう。

 それでは、漱石作品のどういったところが、現代の我々を惹きつけるのでしょうか。

 漱石作品の特徴として一般的にどのようなことがいわれているのか確認するために、筆者の手許にある『改訂版 常用国語便覧』(浜島書店)の夏目漱石のページを開いてみましょう。そこには、「近代人の自我に鋭く迫る巨峰」というタイトルの下、「近代人の不安と孤独を描く」「エゴイズムの追究」といった言葉が散見されます。簡単にいえば、漱石作品には、人間の利己的な心の動きの醜さを深く抉るような洞察の鋭さがあり、そのことが現代に生きる我々の心をも大きく揺さぶるのだ、ということになるでしょう。「人を傷つけずにはおかぬ恐ろしいエゴイズムと、それ故に犯した罪に対する苦悩、そして死をもっての清算を、静的かつ迫真的な筆致で描いた作品」(『改訂版 常用国語便覧」)とされる『こころ』などは、そうした漱石作品のイメージを代表するものだといえます。

 しかし、ここで強調しておきたいのは、漱石によるこうした「エゴイズムの追究」は、人間の内面を徹底的に深く掘り下げていけば人間の真相に迫ることができるのだ、といった姿勢のものではなかったことです。漱石は、ただ人間の内面だけを深く掘り下げただけではなく、個々人を取り巻く日本社会がどうなっているか、さらにいえば、日本という国家を取り巻く世界全体の情勢がどうなっているか、ということに常に強い関心を持ちつづけていたのであり、そうした社会の動きが個人の心のあり方に如何なる影響を及ぼしていくことになるのか、という視点を明瞭にもっていたのでした。端的にいうならば、漱石は時代の課題に正面から応えようとする思想家としての側面をもっていたのです。

 漱石のこうした思想家としての側面は、数々の評論文や講演録に表れされています(例えば、岩波文庫の『漱石文明論集』には、それらのうちの代表的な諸篇が収録されています)。これらをじっくりと読むならば、誰しもが思想家としての漱石の実力に圧倒されるに違いありません。漱石は、時代が突きつけてくる諸々の課題に対して、自分なりの筋を見事に通して論を展開しているのです。漱石の本領はあくまでも思想家としての側面にあり、自己の思想を表現するための一手段として、小説という形態が採用されたにすぎないのではないか、という気すらしてくるほどです。

 それでは、夏目漱石が思想家として生きた時代とは、一体どういう時代だったのでしょうか。

 夏目漱石(本名:夏目金之助)は、1867年2月9日(慶応3年1月5日)、江戸の牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)に生れました。1867年といえば、大政奉還が行われた年ですから、漱石の人生は、明治維新以来の日本の近代化の歩みとまさにピッタリと重なっているわけです。その歩みとは、欧米列強からの圧力に対抗し、「富国強兵」というスローガンを掲げて、上からの近代化を急速に成し遂げていく過程にほかなりませんでした。

 薩摩・長州の出身者を中心とした藩閥政府は、神格化された天皇を頂点とした中央集権体制を構築し、国民に重い税負担を課しながら、軍事力の拡張に努めていきました。1894年の日清戦争、1904年の日露戦争に勝利したことで、日本の国際的地位は高まり、国民の間にも「一等国」意識が広がります。一方で、日清戦争、日露戦争と並行して進展した産業革命によって、恐慌や労働争議、公害など諸々の社会問題が発生してきました。日本は、これら多くの社会問題を抱えながら、1914年にヨーロッパで第一次世界大戦が勃発すると、中国大陸におけるドイツの権益を奪うことを狙って(日英同盟を口実にして)これに参戦します。こうしたなかで、普通選挙権の実現、集会・結社の自由など、明治憲法の枠内で可能なかぎりの民主化を求める「大正デモクラシー」の運動も展開されつつあったのです。

 漱石が生きた半世紀は、大よそ以上のような時代でした。社会科学の用語で端的にいえば、独占資本主義の資本輸出の動きに規定されて帝国主義が確立した時代だということになります。もう少し詳しくいうならば、帝国主義列強による世界の植民地的分割に対して、遅れてきた帝国主義国であるドイツやロシアや日本などが植民地の再分割を要求して対立が激化し、戦争にまで至ってしまった時代であり、一方で、各国の内部において資本家階級と労働者階級の対立が激化して、労働運動や社会主義運動が大きく高揚してきた時代でもありました。日本と同じく、遅れてきた帝国主義国の一員であったロシアにおいて、レーニンやトロツキーの指導の下にロシア革命(10月革命)が遂行されるのは、漱石が亡くなった翌年の1917年のことです。漱石は、こうした激動する時代的状況を見据えつつ、日本の急速な近代化が人々の心に何をもたらしているのか、国家と個人の関係はそもそも如何にあるべきなのか、といった問題について深く追究していったのでした。

 漱石の死から100年、現代の我々が生きている現代もまた、漱石が生きていた時代に劣らぬ激動の時代だといえるかもしれません。

 いま、世界の資本主義経済は深刻な行き詰まりに直面しています。各国当局が金融政策や財政政策を総動員しているにもかかわらず、リーマン・ショック以降の停滞状況を根本的に打開することはできていません。貧困と格差の拡大が著しく進行するなかで、不平等をもたらす体制への民衆の不満が大きく蓄積させられています。非常に危険なのは、こうした民衆の不満に乗じて、移民排斥など排外主義的なナショナリズムが煽られるという状況が生じていることです。

 国際関係というレベルで捉えてみるならば、第二次世界大戦後の世界の安定を曲がりなりにも体現していた「パクス・アメリカーナ」体制が崩壊過程に入っているといえます。地域紛争の頻発や中国など新興大国の台頭といった大きな変化が生じているなかで、アメリカはこれまで「世界の警察官」として一手に担ってきた軍事的負担を、同盟諸国にも分担させていこうとしています。財政危機による軍事費削減圧力が強まってきたことも、こうした動きを加速させています。

 こうした世界的な情勢の変化のなかで、2012年末に登場した第2次安倍政権は、現代版「富国強兵」とでもいうべき路線を突き進んでいます。安倍政権は、「アベノミクス」なる経済政策による日本経済の再生を掲げていますが、それは「世界で一番企業が活躍しやすい国」(2013年2月28日、安倍首相の施政方針演説)を目指そうというものにほかなりません。安倍政権は、武器輸出三原則の撤廃や防衛装備庁の設置などによる軍需産業の振興も狙いつつ、解釈改憲による集団的自衛権の行使容認、「平和安全法制」の成立を強行しました。アメリカの世界戦略の変化(同盟諸国への軍事的負担の要求)も最大限に利用しつつ、日本の軍事的な大国化を目指していこうとする思惑は明白です。さらに重大なのは、安倍首相の悲願である明文改憲のたたき台とされるであろう自民党改憲草案(2012年版)が、軽く100年以上も歴史を巻き戻してしまうような復古的な内容であるということです。自民党の改憲草案は、明治憲法と同じく天皇を国家元首と規定し、国防軍を創設するとともに、「公益及び公の秩序」を口実にして基本的人権を大幅に制約する道を開こうとしているのです。

 経済的な行き詰まりを軍事的な行動によって打開しようとし、そうした国家の政策遂行に障害となるような個人の権利は大幅に制限していこうとする――このようにみてくれば、漱石が置かれていた時代的な状況と現代の我々が置かれている時代的な状況とが驚くほど酷似していることは明らかでしょう。

 漱石没後100年という記念すべき年にあたって我々は、何よりもまず、漱石が生きていた時代と現代との状況の類似性に思いを馳せながら、時代の課題に正面から応えようとした漱石の思想家としての営為に深く学んでいくべきなのではないでしょうか。

 本稿では、以上のような問題意識を明瞭にもった上で、漱石の代表的な評論ないし講演録を読んでいくことにより、夏目漱石の思想が現代日本の我々に何を問いかけてくるのか、考えていくことにします。取り上げる作品は3つ、「現代日本の開化」(1911年〔明治44年〕、和歌山での講演)、「私の個人主義」(1914年〔大正3年〕、学習院での講演)、「点頭録」(1916年〔大正5年〕、朝日新聞に連載)です。
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2016年06月12日

ブリーフセラピーを認識論的に説く(5/5)

(5)質問によって認識を強力に運動・変化させる

 本稿は,私の心理臨床の原点である森俊夫を追悼して,森が活用していたブリーフセラピーを取りあげ,なぜブリーフセラピーをうまく用いれば,効果的・効率的に治療の成果を上げることができるのかという謎を,科学的認識論の論理を用いて解明しようとするものでした。

 ここで,これまでの流れを簡単にまとめておきたいと思います。

 初めに,ブリーフセラピーとはそもそもどのような心理療法であるかを紹介しました。ブリーフセラピーは,天才的セラピストであったミルトン・エリクソンを源流とする治療法であり,効率的に治療効果を上げることを目指すものでした。森が実践していたのは解決志向ブリーフセラピーというものであり,ここでいう解決志向とは,問題やその原因を扱わずに,解決像を構築して,そこに向けて小さなゴールを設定して,ゴールに到達するためにできそうなことをやっていくというものでした。ブリーフセラピーでは,クライエントの話をひと通り聞いた後,ミラクル・クエスチョンなどを用いてゴールに向けての話し合いを行います。短期的なゴールを設定する際,まずは未来の「こうなっていればいいなあ」というようなイメージ=解決像を明確にして,大きな方向性を明らかにした上で,短期的なゴールを設定していくのでした。ゴールを設定したら,解決に向けての話し合いに移ります。ここでは主として,既に起こっている解決の一部である例外を探し,意図的例外をくり返す(ドゥー・モア)ことによって,例外を拡大していくのでした。また,初回公式課題として,例外を観察するように指示する観察課題を出すことも多いのでした。

 このようなブリーフセラピーについて,二つのキーワードを中心に,認識論的に考察しました。一つ目は「解決像の構築」でした。「奇跡が起こって,問題が全て解決してしまったら,何から奇跡に気づきますか」というようなミラクル・クエスチョンを行い,視覚・聴覚・体感覚などの五感をフルに使って,リアルで具体的な解決像を構築していくことが大切だとされていました。また,現在との差異を明確にすることも重要だとされていました。このような解決像の構築が治療的に働くのは,認識論的にいえば,人間は目的像に規定される存在だからでした。人間は必ず,目的像を描いてから,その目的像の実現のために行動する存在であり,描いた目的像のとおりに行動する反面,描いていない行動はとれないのでした。このような認識論的な理解を踏まえれば,ブリーフセラピーで行う解決像の構築とは,クライエントが今まで描いていた目的像とは別の,新しい目的像を明確に描くことを意味しており,それを媒介として,よりよい未来を創造することを意味しているのでした。「ミラクル」という設定を使うことによって,通常描いている目的像の支配から脱して,全く新しい別の目的像を描くところが,この技法の要なのでした。

 二つ目のキーワードは「例外探し」でした。ブリーフセラピーにおいては,解決は既に起こっているという前提のもと,既に起こっている解決の一部である例外を見つけて,それを拡大していくことが治療の目標であるとされていました。例外を探すためには,具体的に質問したり,観察課題を出したりします。例外が見つかれば,なぜ例外が起きたのかをしつこく質問していくのでした。そうして,例外が生じる要因を探求していき,自分が関わる要因が見つかれば,それを意図的にくり返すことによって,例外を拡大してくのでした。このようなブリーフセラピーにおける例外探しを,認識論的に捉え返すならば,これは問いかけ像を変えることによって反映を変えることを目指すものであり,それによって治療効果を得ようとするものでした。人間の認識は問いかけ的反映であり,対象の直接の反映像と,これまでの経験によって創られた問いかけ像(過去像)との合成像として,一つの像が結ばれるのでした。人によって個性的に問いかけるため,同じ対象を見ても違ったふうに反映しますし,問いかけ像がしっかりしていなければ,対象を反映しても像を結ばないこともあります。逆に,強烈な問いかけ像が存在するために,特定の対象ばかりが反映して像を結ぶということもあるのでした。ブリーフセラピーにおける例外探しでは,ネガティブなものばかりが反映するようになっているクライエントの問いかけ像(偏問い)を変えて,ポジティブなものも反映するようになることを狙うものなのでした。

 以上,これまでの内容を簡単にまとめ直しました。実は,ここで扱った「解決像の構築」ということと「例外探し」ということとはリンクしていると考えられます。それはどういうことでしょうか。まず,解決像を構築すれば,すなわち,これまでとは別のより良い未来を規定するような目的像を明確に描くことができれば,それが問いかけ像となって,すでに起こっている解決の一部である例外が反映しやすくなると考えられます。「こうなっていればいいなあ」という未来のあり方を,五感をフルに使ってリアルに具体的に描くことができれば,すでに起こっている,そのようなあり方の一部であるところの例外が,目に飛び込んでくるようになるわけです。このように考えると,目的像と問いかけ像は別物ではなく,目的像は問いかけ像の一部であり,目的像は問いかけ像になりうるのだということが分かってきます。次に,実際に例外が見つかり,すでに起こっている解決の一部が反映して像を描いたならば,それは実際の対象の反映なのですから,非常に具体的でリアルな像として描かれることになります。そしてこれが,より具体的でリアルな解決像を描くことにつながるのです。なぜなら,例外というのは,すでに起こっている解決の一部なのですから。このように,例外を反映することは,例外についての問いかけ像を強力にするだけではなく,目的像にも影響を与え,目的像を明確にすることにもつながっていくのです。このように,目的像と問いかけ像は相互浸透しながら,運動・変化・発展していくと考えられるのです。

 さらに,ブリーフセラピーのもう一つの重要な構造についても,指摘しておきたいと思います。それは,ブリーフセラピーにおいては,セラピストの質問によって,クライエントの認識(目的像や問いかけ像)が強力に運動・変化させられる,ということです。連載第2回で紹介したように,ブリーフセラピーには,ミラクル・クエスチョンや「例外」探しの質問,スケーリング・クエスチョンやコーピング・クエスチョンなどといった,ユニークな質問が技法として存在しています。これらの質問は,クライエントの認識を強烈な運動形態におくことになります。だからこそ,短期間で治療効果があがるといっていいでしょう。また,このことは,一人では目的像や問いかけ像を変えるのはなかなか難しい,ということも意味しています。目的像に関していうならば,二人で協力して描くからこそ力を持つのだ,ということができます。これが約束の力ということですし,認識論的にいうならば規範の力ということになるでしょう。複数人の意志を観念的に対象化することによって,それらの人間の行動を拘束する客観的な力となりうるのだといえます。

 最後に,ブリーフセラピーの限界についても触れておきたいと思います。ブリーフセラピーでは問題やその原因を扱いません。これは,クライエントの現在の認識がどのように創られてきたかという過程を問題としないということを意味します。あるいは,認識の正体が明らかではないために,どのようにして創られてきたかという過程は問題にできない,ということかもしれません。確かに,クライエントの認識がどのように創られてきたかを明らかにしても,過去に戻ってやり直すことができない以上,そのクライエントにとっては意味がない場合もあるでしょう。しかし,その認識が創られてきた過程を踏まえないと,真に適切にはその認識を変化させることができないし,根本的な解決に至らない,ということは,論理的には明らかではないでしょうか。どのような対象でも,過程を含めて全体であり,全体をしっかりと把握することなしには,適切にコントロールできないからであり,それは認識とて例外ではないからです。たとえば,自閉症や統合失調症に対しては,それがあってもうまく生きていけるように介入することはできるでしょうけれど,その生成の謎を解き,あわよくばそれら自体を治療するということなどは,ブリーフセラピーの範疇の外にあるといえるでしょう。また,問題となる認識が創られるプロセスが明らかにならないと,同じような問題が発生するのを予防することはできません。問題が発生してから解決するのではなく,そもそも問題が発生しないように予防できる方が,より好ましいのは論をまたないでしょう。しかし,問題やその原因を扱わないブリーフセラピーにおいては,予防的な介入が難しくなるのです。

 以上,本稿ではブリーフセラピーについて,これをうまく活用すればなぜ短期間で治療効果があがるのかを,認識論の論理とつなげて説いてきました。われわれはこのように,何かを理解する際に,認識論の論理(あるいは,弁証法の論理)につなげることができて,初めて「分かった!」と実感できるように感情を創ってきています。本稿でも,ブリーフセラピーの核となる部分をしっかりと認識論の論理につなげて理解することができたからこそ,なぜブリーフセラピーが効果的・効率的に治療効果を上げることができるのか,納得できた思いです。ブリーフセラピーはそれと知らずに,認識の本質や構造を踏まえた介入法になっていたのであり,だからこそ,効率的に認識を変化させることができるのでしょう。

 本稿ではブリーフセラピーの核となる二つのキーワードを取り上げて,考察してきました。しかし,ブリーフセラピーやミルトン・エリクソンの臨床,さらには私の臨床の原点である森俊夫の臨床については,まだまだ学ぶべきこと,しっかりと認識論の論理につなげて理解すべきことがたくさんあると感じています。特に森の臨床や訓練方法については,初回に少し紹介しましたが,かなり興味深いものが含まれています。今後,そのような内容をしっかりと納得できるまで学びつつ,本稿で説いた内容ももっと意識的に捉え返して,より認識の本質や構造に沿った介入をしていく努力を積み重ねていきたいと考えています。

(了)
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2016年06月11日

ブリーフセラピーを認識論的に説く(4/5)

(4)問いかけ像を変え反映を変える

 前回は,ブリーフセラピーにおける解決像の構築を取りあげ,これは認識論的には目的像を明確に描くことを意味すること,人間は目的像に規定されて行動するのであり,目的像として描いていない行動はとれないし,逆に目的像として明確に描けばそのとおりに行動する存在であるから,解決像の構築とは,これまでとは違う目的像を明確に描くことによって,新しいよりよい未来を創造することを意味すること,を説きました。

 今回は,ブリーフセラピーのもう一つの大きなキーワードである「例外探し」を取りあげ,これがなぜ治療的に働くのかを認識論の立場から考察したいと思います。

 ブリーフセラピーにおいて,例外とは,「既に起こっている解決の一部」と定義されています。もう少し砕けていうと,「例外的にうまくいっているときや例外的にうまくやれていること」といってもいいでしょう。森俊夫は,例外の定義を述べた後,次のように解説しています。

「「解決は既に起こっている」のです。解決を,まったく何もないところからつくっていくのではなくて,それはまだ小さなかけらかもしれないけれども,既にそれはある。ただ,それは小さなかけらですから見逃されていることも多いでしょう。だから,それを探していく。『あっ,ここにかけらが落ちていますね』という具合に例外を見つけていって,その面積や体積がどんどん増えていけばいいわけです。例外がどんどん拡大していき,それが日常生活のかなりの部分を覆うようになって,もはや例外とは呼べなくなる状態になること。これこそが治療の目標です。」(森俊夫・黒沢幸子『解決志向ブリーフセラピー』p.130)


 ここでは,解決は既に起こっているという前提のもと,既に起こっている解決の一部である例外を見つけて,それを拡大していくことが治療の目標であると説かれています。

 では,例外を探すためにはどのように質問すればいいのでしょうか。森は具体的に聞くことであるとしています。たとえば,3年間ずっと不眠であると訴えるクライエントに対しては,月曜日は何時に寝て何時に起きたか,火曜日は何時に寝て何時に起きたか,などということを,しっかりと質問して,事実を具体的に確認していけば,例外が見つかるというのです。「うちの子は不登校で,ずっと学校に行っていないんです」という母親に対しても,4月,5月,6月の出席日数を具体的に尋ねます。そうすると,例外が見つかる可能性があるというわけです。また,前々回に触れたように,観察課題を出すことも,例外を見つけるのには効果的です。観察課題とは,「こういうことがもっと起こってくれたらいいのになあ」と思われるような出来事を観察してきてもらうという課題です。つまり,例外に焦点を当てて観察していただくわけです。この課題は「初回面接公式課題」とも呼ばれているくらい,基本的でよく使われる課題です。

 例外が見つかったとして,それをどのようにして拡大していけばいいのでしょうか。それは,例外がなぜ起きたのかをしつこく,根掘り葉掘り質問するのです。そして,例外が起きた要因をいろいろと探求して,その要因のうち,自分自身や周囲の人間が関与しており,意図的にくり返せるものであれば,くり返すようにするわけです。これがドゥー・モア(Do more)課題です。たとえば,不眠の方が例外的に眠れた日があったとしたら,その日はいつもと違ってどんなことをしていたのかを詳しく・しつこく聞いていきます。そうして,その日は昼寝をせずにぶらぶら散歩をしていて,夜も眠くなってから寝床に入った,というのであれば,それをくり返してもらうわけです。そうすれば,例外を拡大していける可能性が高まるのです。

 では,このように例外を探し,例外を拡大していくということを認識論から捉え返すならば,どのようなことがいえるでしょうか。このような介入は,端的にいうと,問いかけ像を変えることによって反映を変えていくことである,ということができます。

 これだけではよく分からないと思いますので,認識論の基本から,詳しく説いていきます。

 人間の頭の中に描かれる像のことを認識といいますが,この認識は外界の対象を写しとったモノです。だから,学問的には,認識とは対象の反映であり,像である,と規定されています。ところが,人間は同じ対象を見ても,人によってその反映のあり方が変わっています。それは,人間の認識は,単なる受動的な反映にとどまらず,個性的に対象に問いかけ,その問いかけに応じて反映するからです。したがって,人間の認識は,問いかけ的反映であるといわれています。別言するならば,人間は反映と直接に問いかけ像が呼び覚まされ,反映像と問いかけ像の合成像として一つの像を結ぶのです。これが人間の認識なのです。したがって,異なる問いかけ像を持っている場合は,同じ対象を反映しても違ったものとして認識が成立することになります。

 たとえば,魚が大好きな人が魚を見ると「おいしそう!」という感情を伴った像が結ばれることになりますが,魚が嫌いな人が魚を見ると「気持ち悪い!」という感情を伴った像が結ばれることになるのです。このようになるのは,それまでの体験の中で創られてきた問いかけ像たる魚像が違うからです。本来,魚の見た目自体に,おいしいも気持ち悪いもないものです。ところが,これまでの経験で魚を食べておいしいという経験を積み重ねてきた人は,魚を見ただけで,経験によって創られた「おいしい」という感覚が蘇り,反映像と合成されて「おいしそう!」という像を描くことになるのです。逆に,生きた魚のぬるっとした感覚を味わい,それを気持ち悪いものとして経験したり,魚の頭部を眺めて,自分勝手にお化け像として描いてしまったりした経験を重ねた人は,魚を見ただけで,そのような経験によって創られた気持ち悪い像を呼び覚ましてしまい,直接の反映像とそうした呼び覚まされた像の合成像として一つの魚像を描くために,「気持ち悪い!」となってしまうのです。このように,体験によって創られた過去像でもって,対象を問いかけ的に反映するために,人それぞれの体験に応じて異なったふうに認識が成立するわけです。

 問いかけ像がしっかりしたものとして存在していない場合は,対象を反映しても,それとして反映しない,像を結ばない場合もあります。たとえば,私の妻は,最近,トヨタのヴォクシーという車を買いました。その後は,日々,ヴォクシーを見るようになり,ヴォクシーの像が頭の中に問いかけ像として成立することになったのです。そのため,自動車で道路を走行している時,対向車にヴォクシーが通ると,それが意識せずとも目に飛び込んでくるようになったのです。これは,問いかけ像がしっかりしたものとして頭の中に存在していたからこそ,反映像がその問いかけ像(過去像)を呼び覚まし,ヴォクシー像が結ばれたということです。逆にいうと,それ以前は,頭の中に明確なヴォクシー像などはなかったために,対向車でヴォクシーが通っても,しっかりした像は結ばずに,記憶にも残らなかったのです。反映はしていたはずなのですが,しっかりそれとして認識できていなかったということです。

 このことの裏返しの論理ですが,問いかけ像があまりにも強力であると,特定の対象ばかり反映するということにもなります。たとえば,不潔恐怖の方は,ほこりや汚れに過剰に敏感で,通常の人間が気づかないようなほこりや汚れも瞬時に反映してしまいます。テレビタレントでも潔癖症で,始終,部屋の掃除をしている人がいますが,こういった人は,たいていの人が気にも留めないような床のほこりやテレビ画面の汚れが飛び込んできて,気になって仕方がないので,掃除をしてきれいにしようとしているのです。このような人々は,ほこりや汚れといったものの問いかけ像が非常に強力であるために,ちょっとした反映像ですぐにそのようなほこりや汚れの像が呼びさまされて,その像を結ぶことになってしまっているのです。これは,問いかけ像が非常に硬直化してしまっていることを意味します。南郷継正先生は,このような硬直化した,偏った問いかけを「偏問い」と名づけておられます。

 では,以上のような認識論における「問いかけ的反映」あるいは「問いかけ像」の論理でもって,ブリーフセラピーの「例外探し」の技法を眺めてみるならば,どのようなことが分かってくるでしょうか。それは,例外が存在するのだという問いかけで日々外界を反映していると,それまでは「問題」の問いかけ像が強力で,「問題」に対して偏問いしていたために,「問題」しか反映しなかったものが,「問題」が生じず,うまくいっている現実の側面が反映するようになり,例外=既に起こっている解決の一部がしっかりと反映して像を結ぶことになる,ということです。すなわち,「問題」に巻き込まれているクライエントは,困ったことしか起きておらず,いいことなど一つもないと思い込んでいるために,そのような問いかけで外界を反映することになり,実際にそのような「問題」しか反映しなくなっていますが,例外探しの質問や観察課題などによって,問題が解決している状態があるのではないかという問いかけで現実を見てみれば,それなりに解決している状態も反映するようになる,ということです。

 実際,クライエントは,現実の問題に苦しんでおられるというよりも,自らが創り出した「問題」に苦しんでおられる場合が多いといえます。自らが創り出した「問題」に苦しんでいるというのは,ネガティブな問いかけ像によってネガティブな対象ばかりを反映し,その結果結ばれたネガティブな像によって苦しんでいるということです。客観的に見て,ネガティブな要素が80%であり,ポジティブな要素が20%であったとしても,クライエントは過度に一般化して,100%ネガティブであると思い込んでいるのです。例外探しはこのような過度の一般化を崩して,ポジティブなこともしっかりと認識できるようにするために,問いかけ像を変えるための介入であるということができるでしょう。このように問いかけ像が変わると,実際に例外がしっかりと反映することになり,その反映で結ばれた像がさらなる強力な問いかけ像となって,ますます現実に存在する例外を反映できるようになっていくのです。また,意図的に起こすことができた例外があれば,それもさらなる問いかけ像となって,より強烈に例外を反映できるようになる,意識しなくても例外が目に飛び込んでくるようになる,ということになっていくのです。

 このように,ブリーフセラピーにおける例外探しの介入は,クライエントの問いかけ像を変えることによって,客観的に存在しているはずの例外をしっかりと反映させることを狙ったものである,ということができるでしょう。
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 ・古代ギリシャの経済思想を問う
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 ・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
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 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
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 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
 ・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
 ・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
 ・夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
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 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史