2016年05月31日

2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興(3/10)

(3)ヘーゲル『哲学史』学問の復興 要約A

 前回は、ヘーゲル『哲学史』学問の復興の総論的な部分と古代の研究を要約したものを紹介しました。ここでは、超感覚世界だけでなく自然の中にも自分が現実の自己意識として存在することを発見しようとしたという形で精神が自己に目覚めることで、古代の芸術と学問の掘り起こしが行われたのであり、これは一見すると古代への後退のように見えるが、実は理念の自力の上昇であること、当初は独創的な哲学を産み出したというより、教養を高めるような研究であったことなどが説かれていました。

 今回は、哲学本来の動向が説かれている部分の前半の要約を紹介しましょう。ここでは、古代哲学の穏やかな登場と並んで、激しい情熱を持った人物が登場したことが説かれていきます。

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B 哲学本来の動向

 もうひとつ別の系列の現象は、哲学本来の動向というべきものである。当時の恐るべき激動の時代、多くの個人が、これまで意識の支えや拠り所であった内容や対象や信仰から見捨てられたように感じた。古代哲学の穏やかな登場と並んで、もう一方には、認識と知と学問への激しく激しく力強い衝動に駆り立てられた人物が何人も登場する。彼らには大いに独創性が認められるが、内容は玉石混交である。この時代は活力に溢れているが、同時に混乱もしている精神や性格の持ち主が何人もいて、思考によって最深の具体物に至ろうとする熱意が、果てしない空想癖、粗暴な想像力、怪しげな星占い・砂占いなどへの熱中によって汚されている。
 こうした人物にあっては、精神の主観的なエネルギーを評価すべきで、また、正真正銘の偉大なものを求める驚異的な情熱を見落とすべきではない。この時代には、暴力や破滅をものともせず、思想や心情や現実の状況にのめりこむような個人が輩出した。なかでも最も目立つのが、カルダーノ、ブルーノ、ヴェニニ、カンパネルラ、それにラムスで、いずれも過渡期の性格を代表する人物たちである。

1、カルダーノ

 過渡期の人物の一人カルダーノ(1501-1575)は、解体と激動の時代の最高度の分裂状態を体現する個人として広く知られている。著作は大型本10巻に収められている。名はヒエロムニスである。自分の実生活と性格を記した『わが生涯』は、自分の失敗についてのカルダーノならではの極端に厳しい告白が綴られていて目を引く。
 彼の内外にはいつも嵐が吹き荒れていた。心のなかに最大級の苦痛があって、そういう内面の苦しみのなかでは、自分や他人を苦しめるのが最大の喜びだったという。苦しい精神の不安定を逃れるために、自分を鞭打ち、唇を噛み、わが身を激しくつねり、指をひん曲げ、そして涙を流すことで精神の苦痛を和らげた。外に向う振る舞いも矛盾に満ちており、穏やかで上品だったかと思うと、外界からの何の刺激もないのに、ほんの些細なことで錯乱した狂人の振る舞いに近いものになった。そんな状態で子どもの教育などうまくいくわけがなく、息子たちは不幸な出来損ないになってしまって、一人の息子は妻を毒殺して絞首刑に処せられ、もう一人の息子はあまりにふしだらだったために懲らしめに両耳を切り落とされてしまった。
 彼の性格と同じく、心情をぶちまけたその著作も落差の激しいものである。占星術や手相術の混乱した迷信を述べたかと思うと、深くて聡明な精神のまなざしが現われる。アレクサンドリア派やカバラの曖昧さと並んで、全く明晰な日常的な自己観察がある。著作は乱暴でバラバラで矛盾している。しかし、彼の功績は、自分の内部から思考を汲み取るという刺激を与えたことにあって、時代への影響は大きかった。彼は自分の思想の独創性と新しさを自慢しているが、独創的たらんとする欲求は、復活した活動的理性がその自発的行為において最初に感じたものである。他とは違う新しいものであること――知識を私有財産とすること――それが独創的なことだとされる。独創的たらんとして、カルダーノはとんでもないところまでいったのである。

2、カンパネルラ
 
 トマソ・カンパネルラ(1568-1639)もあらゆる可能な性格の混合体で、その生涯と運命は混乱していて、空想的である。彼にもたくさんの著作があるが、27年間にわたる辛い獄中生活を送っている。作品は大型本4巻に収められている。

3、ブルーノ

 ジョルダーノ・ブルーノも同じように不安定で激しい心情の持ち主であった。彼は大胆にも全てのカトリックの正統信仰を捨ててしまった。最近、ヤコービがスピノザに関する手紙のなかにブルーノの著作からの引用文を付け加えてブルーノとスピノザを対比したために、ブルーノは分を過ぎて有名になった。ブルーノはカルダーノほどの転変には見舞われなかったものの、この世で安住の地は得られなかった。ナポリ地方のノラの生まれで、16世紀の人であるが、正確な生年はわからない。カトリックの教理神学を痛烈に批判し、修道士のひどい無知とふしだらな生活ぶりを非難し、ドミニコ修道会士として暮らしたイタリアを捨てて、フランス、イギリス、ドイツを哲学教師として渡り歩いた。最後にはイタリアに帰ってきて(1592)しばらく平穏に暮らしたものの、ついにヴェネツィアの異端尋問にかけられて投獄され、ローマに送られて、1600年、自説を曲げようとしなかったために、火刑に処せられた。目撃者の報告によると、彼は毅然とした態度で死に耐えたとのことである。
 彼の著作はカトリックからもプロテスタントからも異端の無神論だと宣告され、したがって追放され、抹殺され、隠蔽された。ブルーノは行く先々で著作をまとめ、出版したため、彼の著作は同じような内容の繰り返しが多く、形式が違うだけである。
 彼の著作の主な特徴は、精神の動きを自分の内部に感じ、自分の存在と全ての存在との統一を認識している自己意識の美しい情熱にある。しかし、精神を全体として産み出すには知の力によるしかない。ブルーノはそこまでの学問的教養はつんでいなかったから、全体を適切に秩序立てることができないまま、あらゆる表現形式を試みるほかなかった。彼の示すものには多彩な豊かさはあるが、その表現はしばしば不明瞭で混乱した回りくどい印象を与え、神秘的な狂信のように見える。神は確かに自己意識のうちに捉えられていたが、それは外からやってきたもので自己意識とは違うものであり、また自然も自己意識とは別の神によってつくられた現実であって、自己意識の手になるものではない。神の善は目的因ないし有限な目的として外的に存在するに過ぎなかったのである。
 彼の思想そのものについては、近年ヤコービが大きく取り上げた。それによれば、彼の教えの要をなすのはスピノザ的な一にして全なるものであり、その説は全体として見れば汎神論である。それを、一つの生きた存在たる世界霊魂が全体を貫き、万物の生命となっている、と捉えるところにブルーノの特色がある、という。ブルーノの思想の柱となるのは、(α)世界霊魂ないし生命の統一性、普遍性と、(β)現に今そこに働く理性、の2つである。が、実際それはアレクサンドリア派の教えの反響にほかならず、独創的なものは何もない。彼の著作の内容に関しては、一、主要な思想を述べた体系(哲学原理一般)、二、彼が特に強調したかった理念の内にある区別、という2つの側面が浮かび上がる。
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2016年05月30日

2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興(2/10)

(2)ヘーゲル『哲学史』学問の復興 要約@

 前回は、京都弁証法認識論研究会の5月例会の場において、報告担当者から提示されたレジュメ、およびそのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介しました。今回から4回に渡って、ヘーゲル『哲学史』学問の復興の要約を紹介していくことにします。

 今回は、学問の復興の総論的な部分と古代の研究の要約です。ここでは、精神が自己に目覚めることで古代哲学が再生したこと、これは十字軍や商業の発展に媒介されたことなどが説かれています。

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第3節 学問の復興

 精神なき内容にのめり込み、重箱の隅をほじくるような詮索に心を奪われる状態を脱して、精神はようやく自己に返って、自己をつかんだ。精神は、超感覚世界のうちにも、直接の自然のうちにも、自分が現実の自己意識として存在することを発見しよう、認識しようという欲求を感じるに至る。精神がこのように自己に目覚めたとき、古代の芸術と学問の掘り起こしが行われる。これは一見すると幼児期への後退のようで、その実、理念の自力の上昇であり、内発的な自己運動である。古代の研究は人文研究と呼ばれたが、それは神と対立する人間に関心が向けられ、人間の作品に価値が認められた、ということである。精神の現実そのものに神々しいものが見出されたのである。
 思考が自己の内部に向って展開すると、知性と教会の教えとが対立するものとなる。

A 古代の研究

 学問のなかに人間的なものを探し求めようとする姿勢が生れたとき、西洋世界には古代人の明晰さと美を受け入れる独特の関心が現われ、古代の知識が興味を引くものになった。ただ、学問や芸術の復活、特に古代の哲学文献の研究の復活は、最初は単に古代哲学を原初の形態で復活させるものにすぎず、新しい要素は現われていなかった。西洋人がギリシャの原典に親しむようになったのは、外部の政治的事情とも関連する。十字軍や商業、ビザンチン帝国の崩壊によって優秀なギリシャ人学者がイタリアに逃げて来たことによって、西洋人は東方ギリシャとの接触を深めたのである。西洋世界の人々は、初めて本格的にプラトンやアリストテレスの著作を知ることになり、ここに古代哲学が再生する。
 古代のプラトン哲学や新プラトン派の哲学やアリストテレス哲学、エピクロスの哲学、さらにはキケロの通俗哲学までもがその原型を探し求められ、スコラ派と矛盾するところがまずもって意味があるとされる。それは、独創的な哲学を産み出したというより、教養を高めた点で注目すべき研究である。

1、ポンポナッツィ

 ポンポナッツィは魂の不滅について論じたアリストテレス派の学者である。自分がキリストのものだと信じる魂も、アリストテレスの理論からすれば不滅だと証明はできない、として異端の宣告を受けた。

2、フィチーノ

 コンスタンティノープルから逃れて来たギリシャ人がプラトン哲学の講義をした。フィレンツェ生まれのフィチーノ(1433-1499)はプラトンの優れた翻訳者として有名で、特に新プラトン派のプロクロスやプロティノスを翻訳紹介した。プラトンの神学を論じた著作もある。

3、ガッサンディ、リプシウス、ロイヒリン

 後にはエピクロスの哲学(原子論)が、特にデカルトの対立者ガッサンディによって掘り起こされた。そこから出て来た分子の理論は、いまでも物理学のうちに生きている。リプシウスによるストア派の復興はこれに比べると影の薄いものであった。1455年シュワーベンのプフォルツハイムに生れたロイヒリンは、カバラの哲学に打ち込み、本来の正当なピュタゴラス哲学を再興しようとした。また、ヘブライ語の書物を追放しようという動きを阻止するのに尽力した。これらの哲学は全て、古代の場合とは違って、教会の進行と平行して、信仰に関わりをもつことなく行われた。それらは新鮮で独自の高尚な原理をもつわけではなく、結局は本物の哲学ではない。

4、キケロ流の通俗哲学

 キケロ流の哲学もまた見直された。それは、思索を深めるという点では無価値であるが、一般教養という点からすれば、人間が全体から出発するのではなく、自分から、自分の経験から、自分の現在から出発して論を進める、という点が重要である。内外の経験から汲み取られたものである点が、通俗哲学たるゆえんである。スコラ派の自己喪失の原理に対して、人間の感情などを価値あるものと見做すような著作が大量に現われてくる。それらの多くは今は忘れ去られているし、実際にもそれほど内面的な価値をもたないが、スコラ派の無味乾燥な議論や根拠のない抽象論議――自己意識を土台としない以上、根拠はないのである――の後では心地よいものである。ペトラルカは思考の人として、自分自身から、自分の心情から、出発して物事を論じている。
 上の点からすれば、プロテスタント教会による宗教改革にも、キケロの流儀がみられる。宗教改革の原理は、まさに人間を自分自身に立ち返らせ、人間にとって異質なものを――外国語を――破棄することにあるからである。ルターとメランヒトンは、スコラ的な教条を全く捨て去り、聖書や信仰や人間の心情をもとに物事を決定した。スコラ的なやり方に対する攻撃は、方向も形式も多種多様で、その一つ一つは哲学というより文学的なもの、ないし、文化史や宗教史に属するものである。作品の多くは古代の哲学を精密にしただけのもので、忘れられたものの掘り起こしとはいえても、そこに進歩があるとはいいがたい。人間は再び自分の心のなかを見つめ、そこに意味を見出したので、個人と絶対的なるものとの関係の本質も、自身の心や知性、自分の信仰にあるとされたのである。いまだ心は分裂しているとはいえ、この分裂、この憧れは、自分自身の分裂となり、人間は自分の内部に分裂を感じつつ、そこに安らぎをも感じるのである。本来の哲学的な教えは古代人の原典そのものに求めねばならない。
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2016年05月29日

2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興(1/10)

目次

(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント
(2)ヘーゲル『哲学史』学問の復興 要約@
(3)ヘーゲル『哲学史』学問の復興 要約A
(4)ヘーゲル『哲学史』学問の復興 要約B
(5)ヘーゲル『哲学史』学問の復興 要約C
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1:古代の学問が復興されるようになったのはなぜか
(8)論点2:哲学本来の動向とはどのようなものか
(9)論点3:宗教改革の意義をどのように捉えるか
(10)参加者の感想の紹介

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(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント

 我々京都弁証法認識論研究会は、3年前のヘーゲル『歴史哲学』、一昨年のシュヴェーグラー『西洋哲学史』の学びを踏まえて、昨年からいよいよヘーゲル『哲学史』に挑戦してきています。今年末までかけてこの著作を通読することで、ヘーゲルの説く哲学史を理解することはもちろんのこと、それを唯物論的に捉え返すことで唯物論哲学の創出に向けた第一歩を確実に歩んでいくことを課題としているわけです。

 5月例会では、ヘーゲル『哲学史』の学問の復興を扱いました。今回の例会報告では、まず例会で報告されたレジュメを紹介したあと、扱った範囲の要約を4回に分けて掲載し、ついで、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に、この例会を受けての参加者の感想を紹介します。

 今回はまず、報告担当者から提示されたレジュメ、およびそのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介することにしましょう。

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京都弁証法認識論研究会 2016年5月例会

ヘーゲル『哲学史』 学問の復興

古代の研究
 ヘーゲルは、学問の復興の時代について、精神がようやくにして自己に立ち返り、超感覚世界にも自然にも自分が現実の自己意識として存在していることを認識しようという欲求を感じるに至った、という。これは要するに、人間が、神も自然も全て結局は自分のことなのではないか、と予感するに至った、ということであろう。人間は、他ならぬ自分こそが神々しい存在であり、その自分を抑えつけてきた教会の教えというのはおかしいのではないか、と考えるようになったのだ、というわけである。
 こうして、学問のなかに人間的なものを探し求めようとする姿勢が生れたとき、さしあたってそれは、古代ギリシャの哲学をそのまま復活させよう、という動向としてあらわれた、とヘーゲルはいう。

【報告者コメント】
 超感覚世界にも自然にも自分が現実の自己意識として存在している、というのは、ヘーゲル哲学の立場からの独特の表現であるが、非常に含蓄が深い。要するに、人間(=精神)が、神も自然も全ては自分自身のことである、と自覚することこそが、哲学の完成なのである。世界全体に自己意識が存在している、というのは観念論的表現であるが、これを唯物論的に表現しなおすと、自己意識に世界全体が存在している、ということになるであろう。すなわち、脳細胞に世界全体の体系的な像を描きだすこと、これが唯物論の立場からの哲学の完成なのである。観念論の立場からいうにせよ、唯物論の立場からいうにせよ、〈世界=自己〉という自覚(強烈な感情)が成立することこそが哲学(の大前提)である、ということができるであろう。

哲学本来の動向
 ヘーゲルは、古代哲学の穏やかな復活と並ぶもうひとつの傾向として、哲学本来の動向というべきものをあげる。これについて、非常に活力に満ちており、全体として大いに独創性が認められるものの、内容については玉石混交だと述べている。とはいえ、ヘーゲルは、精神の主観的エネルギー、正真正銘の偉大なものを求める驚異的な情熱をきちんと評価すべきである、と強調するのである。
 なかでも、ヘーゲルが高く評価するのは、ブルーノの哲学である。ヘーゲルは、ブルーノの哲学について、第一に、アリストテレスの概念を援用しながら世界全体を質料と形相という二大要因によって統一的に把握しようとしたこと、第二に、概念の体系(思考の論理体系)が、外的自然の形態ときちんと対応している様を示そうと努力したことを指摘するのである。

【報告者コメント】
 ここでは、何よりもまず、哲学本来の動向として「正真正銘の偉大なものを求める驚異的な情熱」が強調されていることを、しっかりと押さえておくべきであろう。旧秩序の解体という大激動の時代にあって、自分自身が納得できる形で世界の全てをつかみとりたい! という強烈な感情が芽生えたのだということである。こうした強烈な感情が根底になければ本来の哲学などできるわけがないのである。
 ヘーゲルによるブルーノ哲学への評価のポイント2点は、いうまでもなく、哲学の完成形態たる自己の哲学を基準にしたものであり、ヘーゲルの考える哲学とは如何なるものかをつかむ上で重要なヒントになる個所ではないだろうか。世界全体をひとつに繋がったものとして捉えること、世界全体を現象の世界と論理の世界との二重構造に分けつつ両者はきちんと対応したものであることを示すこと――この2点が大切だ、ということになるのではないだろうか。

宗教改革
 ヘーゲルは、宗教改革によって人間は彼岸から精神の現在へと呼び戻され、大地とその肉体たる人間の徳や共同体、自身の良心が価値あるものだとみなされるようになった、という。それまでは、人間は教会(司祭)の媒介なしに神とはつながりえない、とされていたのだが、宗教改革によって、人間は自己の内面的良心の領域において直接に神とつながっているのであり、聖霊は人間の心の内に住んで人間に働きかけてくるのだ、とされるようになったのである。人間が外部の権威に従うのではなく、自己の内面的良心に従って行動するようになったということは、精神の自由であり、主体性にほかならない、とヘーゲルは述べている。
 人間そのものが神々しい存在だとされるようになったことで、労働だとか結婚だとかいう人間の生活のあり方が、それ自体として肯定されるようになっていく。個の意志が何から何まで罪とみなされるわけではなくなったこと、このことによって、芸術(技術)や産業は活動の正当性を認められ、新たな活力を手にしたのだとヘーゲルはいう。

【報告者コメント】
 宗教改革とは、端的には、人間が神(=世界の本質)はほかならぬ自分自身のなかにある、自分の心は直接に神とつながっているのだ、という自覚に到達したことを意味するのであろう。これは、〈世界=自己〉という自覚を概念的に表現したものとしての哲学が成立する上で、確固とした土台が築かれたことを意味するのだといってよいであろう。
 各個人の意志について、ヘーゲルが、自己意志が万人に通用するような形式をもつとき、意志ははじめて正当性を認められる、と述べているのは重要である。個人の意志がそのまま肯定されるわけではなく、いわば高いレベルの「公平な観察者」となってはじめて(神的なもの、すなわち聖霊を住まわせるようになってはじめて)正当化されるのだ、ということであろう。人間が主体的に世界に対峙しうるようになるためには、そのような高いレベルの認識の発展が必要であった。その成果として、近代における(哲学にリードされた)学問の発展があり、(資本主義経済を土台とした)現実の国家の発展があった、ということになるのであろう。しかし、個それ自体の自由な活動が肯定されるあまり、全体としての統括ということが軽視された(というよりも、全体としての調和は個の自由な活動の結果、おのずから達成されるはずだ、という楽観的な見方が強かった)ために、経済(生産と消費の活動)は無政府状態的な混乱に陥ってしまい、哲学は個別科学に解消されていったというのが、現代の到達点ではないだろうか。個(個人、個別科学)の自由な活動を前提としつつ、全体としての統括をいかに取り戻していくのかということが、現実世界の国家においても、観念世界の国家たる学問においても、大きな課題として浮上してきているといえるのではないだろうか。

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 以上の報告に対して、まず、「古代の研究」の【報告者コメント】にある「脳細胞に世界全体の体系的な像を描きだす」という表現について意見が出ました。すなわち、ヘーゲルが観念論の立場から説いた「超感覚世界にも自然にも自分が現実の自己意識として存在している」という表現を唯物論の立場から捉え返した場合、「脳細胞に世界全体の体系的な像を描きだす」という表現になるのだとした報告者の見解に対して、この「世界全体の体系的な像」という表現には、生命の歴史、すなわち単なる物理的な運動が化学的な運動へ、さらには生命現象へと発展し、そこから単細胞生物が生まれ、諸々の進化を経て人間にまで至ったのだという生命の生成発展過程が含まれているのか、この表現だけではそこまでは表されているように思えないのだが、という意見でした。これに対して報告者は、そうしたことも含めてイメージしていたが、そこまで展開するとなると膨大な記述となるため、端的にこのように表現したのだと回答しました。その他、「哲学本来の動向」において、ブルーノの「世界の全てをつかみとりたい!」という情熱に関する記述があるが、これは戦後、思想家として活躍した吉本隆明さんの感情につながるものであること、「宗教改革」に関わる【報告者コメント】において、報告者が経済の無政府状態的な混乱や哲学の個別科学化に至った流れとして宗教改革を説いていることが素晴らしいと感じたことなどのコメントがありました。
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2016年05月28日

『吉本隆明の経済学』を読む(5/5)

(5)吉本は思想家として経済の諸問題に挑んでいった

 本稿は、従来の経済のあり方が行き詰まってきており、そこから脱却するための道を示す理論が切実に求められているという状況を念頭に、そのヒントを「吉本隆明の経済学」に探っていこう、というものでした。ここまで、新しい経済学体系の構築に向けて吉本の「経済学」が如何なる示唆を与えるか、という観点から、価値論の問題、消費社会論の問題、歴史的展望の問題という3つの柱を立てて、『吉本隆明の経済学』に収録されている文章の内容を紹介してきました。ここで、簡単に振り返っておくことにしましょう。

 まず、価値論の問題をめぐっては、吉本隆明さんがマルクスの商品価値論をヒントにして言語価値論を構築したこと、そこからさらに両者を含む普遍的な価値論の構築の必要性を示唆したこと、三木成夫の身体構造論をヒントにして使用価値と交換価値との密接不可分な絡み合いを捉えるべきだと指摘したこと、古典派経済学の歴史において経済学的な価値概念が形成されていく過程(対象にかかわっての諸々の感情が削ぎ落されてしまう過程)を辿ることを通じて、普遍的な価値論構築の必要性を確認したこと、などをみました。

 次いで、消費社会論の問題をめぐっては、吉本さんがマルクスの「生産は直接消費でもある」という命題に徹底して依拠しながら、生産と消費の分離によって産業が高次化していく過程を描いてみたこと、複雑に編み上げられた生産と消費の網の目構造が出来上がってくることで、諸々のモノ(商品)からの感覚的な反映が薄くなり、消費の対象がどのように生産されたものかがほとんど見えなくなってしまうことで、人々の心が非常に不安定になってしまう、と論じていたことをみました。

 さらに、歴史的展望の問題をめぐっては、吉本さんが、未開の原始社会と未来の高度社会の双方において贈与価値というものが大きな役割を果たす(であろう)ことを指摘し、交換価値によって発展していく社会、換言すれば、貨幣が主導する経済社会のあり方というのは人類史のごく一部分を覆うものにすぎないのであることを確認した上で、より根源的な価値のあり方(いわゆる「無形の価値」をも含めたもの)を、生産・再生産の構造に即して構想していく必要があることを強調していたことをみました。

 以上、本稿でこれまで説いてきた流れを簡単に振り返ってみました。

 以上でみてきたような「吉本隆明の経済学」の根底にあったのは、やはり何といっても、普遍的な価値論の構想であったといえるでしょう。吉本さんは、目的意識的に自然に働きかけることで自然を能動的に変革していくという人間の本質的なあり方、換言すれば、社会的な労働によって自然を変革するとともに自己を変革し国家的なレベルで文化を発展させていく、という人間の本質的なあり方をまるごと捉えことのできる普遍的な価値論を強く求めていたのだといえるのです。吉本さんは、こうした大きな観点から、未開の原始社会から未来の高度社会まで、人類史の全体に筋を通して把握しようとしていたのであり、未来の高度社会の一歩手前というべき現代資本主義経済の現実、すなわち、消費資本主義の現実へと切り込んでいこうとしていたのだといえます。こうした吉本さんの経済論は、マルクスの議論に大きく依拠したものでありながらも、俗流的なマルクス主義のような経済還元主義とは全く異なって、社会的な認識のあり方の問題にも正面から挑んでいこうとするものでありました。

 端的にいえば、「吉本隆明の経済学」とは、世界全体の歴史的発展を視野に入れつつ、とくに社会的認識に着目して経済を捉えていくべきことを強く示唆するものであったということもできるでしょう。総じていえば、吉本さんはあくまでも思想家として、すなわち、現実世界が突き付けてくるあらゆる問題について、自分なりの筋を通した(自分自身が納得できるレベルの)解答を与えようと苦闘するなかで、諸々の経済の問題にも挑んでいったのだといえるのです。この世界をどのように捉えるか、人間とはそもそも如何なる存在なのか、といった根源的な問いかけから、経済の諸々の問題が解かれていったのでした。

 吉本隆明さんのこうした思想家としての姿勢は、『吉本隆明の経済学』第8章後半の「世界認識の臨界へ」における以下の発言に、非常に鮮明に示されているといえます。

「いま自分の歩き方を考えてみると、戦争中から戦争が終わったときにかけて、大転換期を体験しました。それは目に見える動乱と混乱でした。現在は目に見えない大混乱と大転換の時期だとおもいます。
 これはまったくだめで間違ったな、という体験をしたのは、第二次大戦の終わり、つまり太平洋戦争の敗戦とその直後のことでした。これは徹底的にだめだったなとおもったのは、世界把握の方法を自分はまったく持ってなかったということでした。つまり主観的あるいは内面的だった文学青年にすぎなかったなということです。世界という外在をつかむことに関心も少なかったけれど、そのつかみ方すらわからなかった。だからうまく外側から権力者や同伴者のいうことに乗せられたと思います。
 現在、ぼくは世界的な規模で、敗戦にぶつかっているんだとみなすのが世界把握としてはいちばん考えやすいし、正確だとおもっています。内面さえ深めてゆけば人間はいいんだという考えはまったくだめだったというのが、戦後にいちばん考えたところです。現在までのところ半分は正確に世界をつかんできたとおもっています。そして半分はやっぱり、これはちょっとまいったな、よほど徹底して考えないと、現在のこの転換期の世界はうまく把めない。そんな問題が世界的な規模で目の前におかれているというのがぼくの現状理解の仕方です。」(『吉本隆明の経済学』pp.336-337)


 ここで吉本さんは、敗戦によって自身の価値観を根本からひっくり返されるような強烈な体験をしたことを率直に語っています。軍国青年として軍国主義的な価値観を一途に信じていたからこそ、敗戦という体験が強烈だったのであり、それが思想家としての大きな飛躍につながっていったのだといえるでしょう。吉本さんは、「内面さえ深めてゆけば人間はいいんだという考えはまったくだめだった」と語っています。社会的な現実に対して無関心な文学青年であったために、権力者やその同伴者のいうことに乗せられてしまった、という自分自身のあり方への痛切な反省の弁です。こうした深刻な反省を踏まえて、世界把握の方法を自分なりにしっかりと持たなければならない、という強烈な意志を抱いたこと、これこそが思想家・吉本隆明の原点なのです。

 ここで吉本さんは、「現在までのところ半分は正確に世界をつかんできた」ものの、残りの半分はうまくつかめない、と語っています。世界の半分は分かったけれども、残りの半分はまだ分からない――自身の到達点をこのように客観的に評価できるというのは、括目すべきことです。我々はここに、思想家・吉本隆明の凄まじい実力の程をまずは見てとるべきでしょう。

 同時にこの発言は、思想家・吉本隆明の限界を示したものとして受け止めておく必要もあるでしょう。主体的に捉えなおすならば、吉本隆明さんから我々に遺された課題を示したものだ、ということになります。その課題とは、もちろん、吉本さんがつかめなかった世界の残りの半分をどのようにつかんでいくか、ということにほかなりません。そのためには、自分自身が納得できればよい、というレベルを超えて、他者との徹底した討論を通じて社会的な共有財産となる概念を創出し、体系を構築していくという方向に向かっていくことが必要だといえるでしょう。

 本稿の連載第1回でみたとおり、現在、世界の資本主義経済は深刻な行き詰まりに直面しています。本稿の連載第3回の注で紹介した「これ〔相対的な貧困、すなわち格差――引用者〕が解けないってことが明らかになった時に、たぶん資本主義っていうのは本当のピンチを迎えるだろう」という吉本さんの言葉が、いよいよ現実味を帯びてきているのです。まさに「世界的な規模で、敗戦にぶつかっている」というような、大混乱と大転換の時期であることが、ますます鮮明になりつつあるといえるでしょう。貨幣(交換価値)が主導する経済社会のあり方を乗り越えて、生産と消費との密接な繋がりを回復した全く新しい経済のあり方を構築していくことが、人類史の大きな課題として浮上してきています。そのための理論的指針となる経済学体系の構築が急務です。

 世界全体に筋を通して主体的に捉えていくという吉本隆明さんの見事な思想家魂をしっかりと継承しつつ、研究会内での徹底した討論を通じて、社会的な共有な財産となる諸々の概念を創出しながら、人類史の新しい段階を切り拓く指針となるような経済学体系を構築すること――このことを筆者の大きな課題として確認して、本稿を終えることにします。

(了)
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2016年05月27日

『吉本隆明の経済学』を読む(4/5)

(4)吉本は未開の原始社会から未来の高度社会までを見通そうとした

 前回は、吉本さんが生産と消費の分離という観点から産業の高次化の問題を論じていたことをみましたが、吉本さんは、こうした産業高次化の流れは自然史の延長のようなもので、人間がそれを促進したり遅くしたりということはできたとしても、こうした流れそのものは動かすことのできない必然的なものだ、という考え方をもっていました。こうした考え方が鮮明に出ているのが、「第5章 現代都市論」と「第6章 農業問題」に収録された文章です。

 「第5章 現代都市論」において吉本さんは、ひとつのビルあるいは都市がどうなっており、どうなっていくかは、国家や社会がどうなっておりどうなっていくかに対応している、という興味深い発想の下、ひとつのビルあるいは都市において、第一次産業、第二次産業、第三次産業を如何なる割合で混合させるのがよいのか、という問題を提起しています。国家(社会)における第一次産業、第二次産業、第三次産業の比率はどうあるべきなのか、という問題を、ビルあるいは都市のあり方という問題を通じて考えていくことができるのではないか、というのが吉本さんの発想なのです。これがどれほどの妥当性をもつかはさておき、ここで注目したいのは、吉本さんが、国家(社会)の理想像については専門家の頭脳で如何様にも構想することができるとしても、文明史の自然の方向性というものは、どんな独裁的な政権でも強制的に変更することはできないのだ、と強調していることです。

 こうした考え方は、「第6章 農業問題」において、より鮮明な形で表現されています。吉本さんは「ぼくはマルクスの徒です。マルクスは経済史は自然史の延長なんだ、だから経済史は、人為的には動かせないんだといっています」(『吉本隆明の経済学』p.250)とした上で、以下のように述べています。

「徐々に、あるいは一挙に変えられるのは、政治とか制度とか、ぼくの言葉でいえば、共同幻想に属するものだけは、やり方によっては一挙にかえることもできる。しかし、自然史の延長としての経済史、経済の進展は、一挙に変えることはできない。これは自然に変わる以外にはないのです。そして自然に変わる必然に対して、人間がもっといいことをもっと早くさせようとするなら、それを促進したり、遅くしたりということは、もちろん人為的に可能ですけど、自然史全体の流れとしての経済史を動かすことはできないのです。ぼくだったら、そのことを根底に踏まえたうえで議論を進めるとおもいます。」(同、p.251)


 このように吉本さんは、経済史には人間の意志から独立した必然性というものがあることを強調するのです。ですから、こうした必然性を無視して、都市が栄えるためには農村をぶち壊せとか、農村を保持するために都市の横暴をぶち壊せとかいう議論をしても不毛だ、と考えられることになります。

 こうした吉本さんの主張は、ごく単純化していえば、国家社会を政治的な領域と経済的な領域とに切り分けた上で、前者は人間の意志で変えることができるが、後者は人間の意志で変えることはできない、と主張するようなものであり、その妥当性には疑問符をつけざるをえません。しかし、経済問題、とりわけ農業問題や環境問題についての議論に主観的な願望レベルの主張を持ち込むことを戒め、経済の歴史的な発展の方向性を素直に捉えることの大切さを強調したものとしては、重く受け止めるべき内容を含んでいるといえるでしょう。

 「第7章 贈与価値論」では、未開の原始社会と未来の高度社会の双方を視野に入れた議論が展開されています。未開の原始社会については、主にマリノウスキー(ポーランド出身のイギリスの文化人類学者)やモース(フランスの社会学者、文化人類学者)の研究に依拠しながら、未開人の性生活に関わって、贈与の問題が考察されています。マリノウスキーやモースは、ポリネシアやミクロネシアの原住民の生活が、交換や交易ではなく、贈与と返礼の制度化によって成り立っていることを明らかにしたわけですが、吉本はそうした物質的な贈与や返礼の根底に、母系社会に特有な霊魂の贈与という観念が存在することを確認しているのです。

 吉本さんは、夫が色々な氏族からたくさんの妻を迎えると、霊威が積み重なって強化され、妻の出身氏族に対する権威、権力を獲得するようになるのだ、とした上で、これこそがアジア的専制君主の起源(民衆の贈与としての貢納制の成立)である、と説きます。吉本は、アジア的専制君主というのは、非常に恐れられる存在であると同時に、仁慈にあふれる父のようにみなされる側面もある、という二重性を指摘しているが、非常に説得力ある議論だといえるでしょう。

 一方、未来の高度社会については、まず、第三次産業が主要な産業となり消費のうち半分以上が選択消費になっている、という消費資本主義の定義が確認された上で、消費資本主義が進めば世界が消費する地域と農業生産担当地域に二分割されてしまうが、前者と後者の関係は交換価値ではまともに繋ぐことはできず、前者が後者に贈与しなければならないのだ、という提起がなされています。交換価値論ではなく贈与価値論を形成しなければ、これからの世界の問題に対処できない、というわけです。先進国から途上国への援助あるいは貸し付けたはずの金が一向に返済されていないという形で、現に贈与が始まりつつあるのではないか、との指摘もなされています。こうした贈与について吉本さんは、交換価値論的にいえば無償でやってしまうことでしかないが、それに対応して無形の何ものか(無形の価値)を受け取っていることになるのではないか、と示唆します。

 吉本さんはここで、マルクスの発想に触れながら、価値形態論(交換価値論)ではなくて生産論・再生産論でいこう、という表現もしています。マルクスが展望した共産主義では、計画的な生産・消費が行われるようになり、生産と消費との密接な繋がりが回復されるために、貨幣(交換価値の実存形態)が存在する必要性が消滅してしまうことになっていますが、吉本さんのいわゆる贈与価値論というものが、こうした展望にも通じるものであることが示されているといえるでしょう。

 以上でみてきたように、吉本さんは、未開の原始社会と未来の高度社会の双方において、贈与価値というものが大きな役割を果たすことを指摘するのです。交換価値によって発展していく社会、換言すれば、貨幣が主導する経済社会のあり方というのは、人類史のごく一部分を覆うものにすぎないのであることを確認した上で、より根源的な価値のあり方(いわゆる「無形の価値」をも含めたもの)を、生産・再生産の構造に即して構想していく必要があることを強調したものとして、重く受け止めるべきでしょう。

 「第8章 超資本主義」には、1990年代前半の吉本さんの発言が収められています。そこで吉本さんは、国家が行う不況対策の問題、社会主義国家圏の崩壊の問題などに触れながら、消費資本主義と国家の関係の問題を論じています。

 第8章前半の「超資本主義の行方」は、バブル崩壊による日本経済の低迷が深刻化し始めたころ(いわゆる「失われた20年〔25年〕」の初めのころ)に書かれたものです。ここでは、いわゆる消費資本主義論、すなわち、個人の消費支出、企業総支出の半分以上が選択的なものになっているということを前提に、個人消費を喚起するような、企業の設備投資への意欲を刺激するような対策でなければ効果を発揮しないこと、また、公共投資をするならば、第三次産業が国内総生産的にも労働人口的にも過半を占める現状を踏まえて、第三次産業の分野(具体的には、大学や研究所施設、教育、医療、福祉の整備など)に公共投資の大半を振り向けるべきことなどが指摘されています。こうした政策の内容自体は、正統的なケインズ経済学(俗流化された“土建ケインズ主義”ではなく)から出てくる対策とほぼ同じもので、非常にまともなものである、と評価しうるものです。現代からみれば、取り立てて珍しい主張ではないかもしれませんが、バブル崩壊の直後に、「ど素人のくせに」(p.292)、こうした非常に的を射た不況対策論を展開できたというのは、吉本さんの慧眼を示すものとして評価しておくべきでしょう。

 しかし、こうした不況対策論に関連して、吉本さんが、経済学は支配の学であってはダメであり、国民大衆の自己支配による自己統御でなければならないのだ、と強調していることは注目されます。ここには、国家が大衆を管理・統制することへの吉本さんの強烈な反発がにじみ出ているのです。

 同様の問題意識は、第8章後半の「世界認識の臨界へ」において、社会主義国家圏の同様の問題を論じた個所にも表れています。ソ連・東欧圏の問題は国家と大衆の本質的な問題を露出させたものだとして、吉本さんは、大衆が意識的に国家を変え、歴史を変えるにはどうすればよいのか、という問題を提起するのです。

 こうした国家観(国家による統制への反発)は、吉本自身の軍国少年としての戦争体験、そこからの痛切な反省が根底にあるものだといえるでしょう。これはこれで傾聴すべきものを含んでいるといえますが、学問的に経済学を考えるならば、国家レベルでの生活の生産再生産過程の統括という視点は絶対に欠かせないものであることは確認しておきたいところです。
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2016年05月26日

『吉本隆明の経済学』を読む(3/5)

(3)吉本は消費が主導する経済のあり方をつかもうとした

 前回は、吉本隆明さんが、商品価値論をヒントにして言語価値論を構想し、さらに両者を含む普遍的な価値論の構築の必要性を示唆したことをみました。

 今回は、吉本さんの消費資本主義論についてみていくことにしましょう。吉本さんは、およそ1980年代以降の先進国の資本主義について、マルクスが眼にしていた資本主義から大きく変貌した「消費社会」あるいは「消費資本主義」として、その特質をつかもうとしました。しかし、吉本さんは、その消費資本主義という現実に斬り込むに際して、徹底してマルクスの論理に依拠しようとしたのです。「第4章 生産と消費」に収録された文章において吉本は、「生産は直接消費でもある」という『経済学批判序説』に登場する命題が如何なるものなのか徹底して検討した上で、それを現実の経済の構造を解いていくための武器として使おうとしているのです。

 マルクスの「生産は直接消費でもある」という命題は、「消費は直接生産でもある」という命題を伴うものであり、生活資料の生産は原料あるいは人間の労働力の消費でもあり、生活資料の消費は人間(身体と精神)の生産でもある、ということを意味しています。吉本さんは、生産が直接消費でもあり消費が直接生産でもあるというようなことは、何よりもまず、いわゆる生産の場面といわゆる消費の場面とが時間的にも空間的にも隔離していない「凝集と反復」によってこそ成り立っていたのだ、と主張します。これは、家族共同体のなかで生産も行われれば消費も行われる、という状態、自給自足を基本とする家族共同体の生活のあり方を指しているのでしょう。家族が生産の場でもあれば消費の場でもあり、家族が生産の主体でもあれば消費の主体でもあるというような状態であれば、何が生産であり何が消費であるのか、明確に区別することはできず、全てが渾然一体となっています。

 吉本さんは、こうした「凝集と反復」状態を出発点に、凝集が分散へ、反復が方向性へと転化されていく、という流れを描こうとします。これは、生産らしい生産と消費らしい消費とが分離していく過程、より具体的にいえば、ここは生産するための場所(例えば工場)、ここは消費するための場所(例えばレストラン)、という分離が社会通念として出来上がっていく過程のことだといえるでしょう。もちろん、そのような状態でも、生活資料の生産が原料や人間の労働力の消費であり、生活資料の消費が人間の生産である、ということ自体には変わりはありません。しかし、人間は、生産活動が身体の消費であることには(疲労が極端にならない限り)無意識になるし、消費(食べたり遊んだり)が身体の生産であることにも無意識になってくる、と吉本さんはいいます。生産の場面と消費の場面が大きく隔たることで、生産=消費、消費=生産というマルクスの概念は、実感しにくくなってしまう、というわけです。

 吉本さんは、こうした生産と消費との分離を、生産と消費との時間的な遅延および空間的な遅延である、と特徴づけ、この時空的な遅延こそが産業社会の高度化(高次化)のカギを握っている、と論じています。大きくいえば、第一次産業(農林漁業)中心の社会から第二次産業(製造業、建設業)、第三次産業(卸小売、流通、金融、サービス業)中心の社会へ、という過程が進行していくわけです(*)。こうした産業の高次化の要素として、吉本さんは、高付加価値化、生産手段の高度化(生産工程の改善)、関連技術の開発、多角化などをあげます。自動車を例にとれば、自動車に情報関係の機器を取り付けたり(高付加価値化)、組み立て工程を改善して多品種少量生産のシステムを確立したり(生産工程の改善)することであり、また、カー・エレクトロニクス装置を開発したり(技術開発)、またそのことによって他の産業分野との連結が生じたり(多角化)することです。このように、ひとつの産業分野のなかで生産工程の改善などが進んでいくこと、また、他の諸々の産業分野との間に網状の連結が形成されていくこと、この2つの側面で産業の高次化が進んでいくのだと吉本さんは捉えています。

 吉本さんが重視しているのは、こうした産業の高度化の過程につれて、消費の質が大きく変わっていくということです。すなわち、生存を維持するための「必需的消費支出」中心の状態から、必ずしも生存維持に必要ではない「選択的消費支出」へ重点が移っていき、それがさらに選択的な商品支出(家電製品、乗用車、衣料品等)と選択的なサービス支出(旅行、カルチャー・センター、外食等)とに分岐してゆく、というわけです。必需的消費はその絶対量を増大させながらも、消費全体に占める割合を低下させていきます。こうして、選択消費(生存維持に必須でない消費)が全消費額の50%を超えれば、それが消費社会の指標である、と吉本さんはいいます。

 吉本さんは、こうした消費社会(高度産業社会)が、平等な消費可能性へ万人を近づけ、格差をなくしていったことを強調します。例えば、テレビ、自動車、ステレオなど以前は特権的な階層にしか手に入らなかったものが、いまでは一般大衆でも手に入れられるようになった、というわけです。吉本さんは、こうした立場から、平等への格差の縮まりはうわべだけで社会的矛盾や不平等の内在をおしかくしている、というボードリヤール(『消費社会の神話と構造』によって知られるフランスの現代思想家)を厳しく批判します。上級官吏は自動車3台をもつことができるのに肉体労働者や農民は自動車1台しか購買できないといった格差は、特権的な上級者は自動車1台を購買できるのに農民や肉体労働者は車をもつことができないといった格差とは雲泥の差があるのであり、消費社会によって社会的矛盾や不平等の一部が解消されたことは紛れもない事実ではないか、というわけです(**)。

 しかし、だからといって吉本さんは、消費社会を手放しで賞賛しているわけではありません。吉本さんは次のように述べています。


「第三次産業以後において、わたしたちは生産が物(商品、製品)の手ごたえ、感覚的な反射から距てられたところからうまれる不定さ、視覚的、触覚的な物の、映像化による非実在感などに由来する不安に対応する方法をもちあわせていないこと。ボードリヤールの見解と反対に、消費行動の選択に豊かさや多様さ、格差の縮まりなどが生じていること。そこに核心があるようにおもえる。もっといえばこういう消費社会の肯定的な表象の氾濫に対応する精神の倫理をわたしたちはまったく編み出しておらず、対応する方途を見うしなっているところに核心の由来があるとおもえる。」(『吉本隆明の経済学』p.185)


 産業の高次化によって諸々のモノ(商品)からの感覚的な反映が薄いものになってしまっていること、にもかかわらず、格差の劇的な縮小という肯定的イメージが有無をいわせぬ迫力で突きつけられることで、我々の倫理観(人間いかに生きるのが理想的なのか)が全く対応しきれなくなっていること――ここに吉本さんは消費社会の根本的な問題を見出そうとしているわけです。確かに、こうした立場からすれば、ボードリヤール流の、格差の縮小は上辺だけ、というレベルの消費社会批判は、それこそ全く上辺だけの(表層的な)ピント外れの批判でしかない、ということになるでしょう。

 マルクスが「生産は直接消費でもある」とした頃は、生産と消費は密接な関係(吉本さんのいわゆる「凝集と反復」)にあり、生産の過程がまだ具体的に見えていたからこそ、消費の対象がどうやって生産されたのか、という点で人々が不安に感じることはほとんどなかったと思われます。ところが、産業の高次化の過程が著しく進んだ消費社会になると、消費の対象が具体的にどうやって生産されたのか、ほとんど見えなくなってしまいます。このことは確かに人々の不安を喚起するでしょう。その非常に分かりやすい例が、食品偽装問題ではないでしょうか。

 複雑に編み上げられた生産と消費の網の目構造が人間の認識に反映し、人々の心を非常に不安定な状態にさせている、ということがいえるかもしれません。産業高次化の極致が、いわゆる経済の金融化です。非常に不安定な金融市場で現実感のない数字が飛び交っている様は、人々を不安にさせずにはおかないものがあります。消費社会が心の不安定さをもたらすという吉本さんの論は、なぜ現代において心の病が増えているのか、金融化した社会の現実に規定されているのではないか、といった視点を提供するものだといえるでしょう。

(*)吉本は、「第8章 超資本主義論」の「2 世界認識の臨界へ」において、産業の高次化の過程について、以下のように述べている。

「初期は農村、漁村が食料だけでなくて、同時に衣食住でいえば、衣料や住居に関する産業の家内工業的に処理してきたわけです。それが規模も大きくなって第二次産業、つまり工業あるいは製造業という形で、農村から別のところに製造工場の場所を求めて分離していき、都市をつくります。そこまでのイメージが、第一次産業と第二次産業……との分離と対立」(p.311)
「その未知の萌芽はもちろん第二次産業のときにすでにあるわけです。流通業、サービス業、娯楽教育産業、外食産業、どれをとっても、第二次産業の胎内にもうすでにあったわけです」(p.312)。


 要するに吉本はここで、第二次産業の萌芽は第一次産業の胎内にあったのであり、第三次以降の産業の萌芽も第二次産業の胎内にすでにあったのだ、という見方を示しているわけである。結局のこところ、第三次以降の高次の産業も全て第一産業の時にその萌芽があったのだ、ということになる。第一次産業とは全く別のところから、何もないところから第二次産業が出てくるのではなく、第一次産業の胎内からしか出てこない。全ては第一次産業から始まったのであって、その後の諸々の段階は全てそこからの発展として位置づけられる、ということである。これは非常にすぐれた見方だといってよいであろう。

(**)もちろん、消費社会がまだまだ多くの社会的矛盾や不平等を残存させており、それらは解決されるべきであることは、吉本も認めるところである。吉本は別の個所で、消費資本主義で絶対的な貧困は解消するけれども、相対的な貧困、すなわち格差は解消しようがない、「これが解けないってことが明らかになった時に、たぶん資本主義っていうのは本当のピンチを迎えるだろう」(p.285)と述べている。
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2016年05月25日

『吉本隆明の経済学』を読む(2/5)

(2)吉本は普遍的な価値論を構築しようとした

 本稿は、従来の経済のあり方が行き詰まってきており、そこから脱却するための道を示す理論が切実に求められているという状況を念頭に、そのヒントを「吉本隆明の経済学」に探っていこう、というものです。

 さて、吉本隆明さんといえば、そもそも詩人であり文芸評論家であって、代表作としてはまず『言語にとって美とはなにか』が挙げられるでしょう。要するに吉本隆明とは、何よりもまず、言語論に大きな関心を注いだ思想家であったといえるわけです。

 吉本言語論の核心的な命題は、言語を指示表出/自己表出という二重構造において把握したことです。指示表出とは、何らかの対象を〈指し示す〉〈伝える〉という機能を実現するものであり、自己表出とは、表現者の感情が表に出てくることです。「第1章 言語論と経済学」「第2章 原生的疎外と経済」に収録された文章において吉本さんは、この言語の二重性の把握が、マルクス『資本論』における商品の二重性――使用価値と価値(交換価値)に示唆されたものであることを語っています。

 『資本論』の商品論には「20エレの亜麻布=1着の上着」といった等式が出てきます。ここで「1着の上着」は着ることができるという使用価値でなく、20エレの亜麻布の価値を表現するという役割を担わされています。その意味で、この「1着の上着」は他の諸々の商品と置き換え可能であり、最終的には「20エレの亜麻布=10ポンド」というように、価値を普遍的かつ抽象的に表現する貨幣によって置き換えられます。価値は貨幣という普遍的表現を得ることで、自己増殖の運動へと導かれていきます。

 こうした『資本論』の議論を念頭に、吉本さんは、文学的表現として「あの美しい亜麻布は天使の上衣のようだ」すなわち「美しい亜麻布=天使の上衣」という等式を提示します。ここで「天使の上衣」は、天使の上衣という対象を指し示す機能ではなく、亜麻布の美しさへの表現者の感動を伝える役割を担わされています。その意味で、この「天使の上衣」は、「虹の切れ端」「孔雀の羽」など無数の言葉によって置き換え可能です。この流れの果てに、ちょうど貨幣に相当するような普遍的な言葉の存在を想定できるのではないか、こうした価値の自己増殖を目的としたものが、文学という営みなのではないか……というふうに吉本さんは考えていったわけです。要するに、言語の価値(言語にとっての美)は自己表出の部分、すなわち、表現者の感情がこめられている側面にこそある、というのが、吉本さんの言語論の核心なのです。

 ここで注目すべきなのは、マルクスの商品価値論が吉本さんの言語価値論を導いたというだけでなく、吉本さんの言語価値論によるマルクスの商品価値論の拡張の可能性が示唆されていた、ということです。より正確には、商品や言語のみならず、人間のあらゆる行動を包括した普遍的な価値論の創造が示唆されていたのです。吉本さんは、商品生産労働のような、対象の形を変えるような労働が産み出す価値のみならず、遊びとか芸能とか娯楽といったものに伴う「無形の、精神的なものの価値」にまで拡張した価値概念が必要ではないか、と主張するのです。

 こうした吉本さんの発想は、一方で、人間の身体のあり方をどう捉えるか、という問題に繋がっていきました。吉本さんは、「第2章 原生的疎外と経済」に収録された文章において、文学論に必要なかぎりでの言語論をやるという自身の問題意識が、三木成夫さんという脳解剖学者の考え方に触れることによって、文字で表現される以前の言葉とか、赤子のような言葉がないときの表現というものにまで広がっていった、と述べています。

 三木さんは人間の身体を植物神経系(内臓)と動物神経系(感覚器官)との二重構造で捉えようとしました。植物のように栄養を摂取する器官が中心にあり、その周りに外界の変化を受け止める感覚器官が存在しているのだ、というわけです。三木さんは、内臓の動きが人間の心情的な部分に対応し、感覚器官が脳の表面の働きに対応している、としました。しかし、内臓と脳とは繋がりを持ち、植物神経系と動物神経系は絡み合って存在しているのですから、何らかの精神的ショックで胃が痛くなったり心臓がドキドキしたりするわけです。

 吉本さんは、こうした捉え方に接して、言語における自己表出は内臓器官の動きに対応し、指示表出とは感覚器官の動きに対応するのではないか、との着想を得ました。こうして、指示表出/自己表出という吉本さんによる言語の二重性の把握は、使用価値/交換価値というマルクスによる商品の二重性の把握のみならず、動物神経系/植物神経系という三木成夫さんによる人間身体の二重性の把握によっても支えられることになったのでした。

 このことは、言語の二重性の把握を媒介として、商品の二重性の把握が人間身体の二重性の把握に繋げられる可能性を示唆するものといえます。人間の身体のあり方、またそれに規定された認識のあり方が、商品(労働生産物)にどのように対象化されていくのか、という視点を設定することで、価値論をさらに深めていくことができるかもしれません。また、非常に興味深いのは、吉本さんが、植物神経系と動物神経系が絡み合い、心臓と脳がどこかで通じ合っているように、使用価値と交換価値も必ずしも機能的に区別できないのではないか、特に現代のように産業が高度化した時代にあってはそうではないか、と指摘し、「三木流に両方を絡めあって、ミックスしている価値を捉えるべき」と主張していることです。経済学史をみてみると、交換価値こそ価値であるという労働価値論(スミス、リカード、マルクスなど)と使用価値こそが価値であるという効用価値論(メンガー、ワルラス、ジェボンズなど)との対立がありました。しかし、そもそも使用価値と交換価値とは絶対的に切り離されたものではありません。そもそも商品は消費されるためにこそ(つまり使用価値を想定して)生産(労働を投下)されるものなのですから。吉本の指摘は、労働価値論と効用価値論の対立を止揚する可能性を示唆したものといえるかもしれません。

 さて、吉本さんの価値論でもうひとつ注目されるのは、そもそも価値とは何なのかという原点に立ち返り、価値という概念が成立していく歴史的過程を辿ってみる、という発想を持っていたことです。吉本さんは、「第3章 近代経済学の「うた・ものがたり・ドラマ」」に収録された文章において、スミスの経済学を〈歌〉に、リカードの経済学を〈物語〉に、マルクスの経済学を〈ドラマ〉にたとえながら、価値概念の成立・発展の過程を辿ろうとしています。

 吉本さんは、スミスについて「草原や森林の匂いがするような、牧歌の聞こえてくるような分かりやすい考え方で」論を展開している、といいます。これに対してリカードは、スミスの概念を緻密化し構成を精密にしたことの代償として〈歌〉を喪失してしまった、せめてもの救いは、「地主」「資本家」「労働者」という3者がどのような関係にあるのが正しいのか、というリカードなりの〈物語〉を持っていたことだ、というのです。さらに、マルクスについては、リカードの概念を受け継ぎつつ〈ドラマ〉を打ち立てた、といいます。ここでキーワードになっているのは対立ということです。『資本論』は、使用価値と交換価値との対立を起点にして、全てが対立を含んで劇的に展開していきます。非常に緻密な展開だけれども非常に息苦しい、と吉本さんはいうのです。

 吉本さんは、このようにして「価値」をはじめとする諸々の概念が緻密化されていく流れのなかで、それに反比例するように、対象に対する豊かな感情は削ぎ落とされていったと、説いています。吉本さんは次のように述べます(以下は『吉本隆明の経済学』pp.75‐76を筆者なりに要約したものです)。


何よりも「価値」という言葉で思い浮かんでくる感覚的なこと、感情的なこと、論理的なこと、その他何でもよいので、全部思い浮かべてみよう。その思い浮かべ方は様々だろうが、その根底は、何となく大切なもの、という感情、感覚ではないだろうか。〈何か知らないが、具体的な何かというのでなく、何となく大切なものなんだ。しかし、それをどういうものだとしてしまったら、もう、大切なものがどこかで壊れてしまう、ましてやそれを「価値」という言葉でいってしまったら、とても重要なものがそこから抜け落ちてしまうような感じがする〉ということがあるだろう。そうすると、「価値」という概念を経済学のほうにではなく、牧歌、あるいは自然感情、または人間の自然本性のほうにどんどん放ってしまうと、とても漠然とした〈何となく大切なもの〉という源泉にまでいってしまう。それこそ「価値」という概念の「起源」にあるものであろう。

 スミスはそういうものから次々に、感覚とか感情とかを絞り込み、削り落として、「交換価値」とか「使用価値」という経済学上の概念を作っていったのであろう。問題なのは、スミスがそうして「価値」の概念を作ってしまったとき、人間が〈何か知らないけれど大切なものだ〉というイメージで思い浮かべるものから、何か重要なものがこぼれ落ちていることである。そうすると、こぼれ落ちてしまったものは、再び経済的な範疇に対してどこかで逆襲(復讐)するに違いない、ということが考えられる。


 「価値」という言葉の背後には、〈なんとなく大切なもの〉という感情があったのであり、そこから経済学的な「価値」という概念が形成されていく過程で、多くの重要な要素がこぼれ落ちていくほかなかった、というのです。吉本さんは、そのこぼれ落ちてしまったものに形を与えたのが、例えば、文学であり、絵画であり、音楽である、といいます(こうした捉え方は、精神的な無形なものをも含んだ価値概念の構築が必要だ、という先にみた提言に対応したものであることは明らかでしょう)。

 そもそも〈なんとなく大切なもの〉という感情から多くのものを削ぎ落とさなければ、経済学的に厳密な価値概念を確立することは不可能です。しかし、削ぎ落としてしまったものを無視してしまうと、経済学的な価値概念は、日常用語としての「価値」とは全くの別物ということになってしまい、経済学だけが他の領域と全く切り離されて孤立してしまうことになってしまいます。しかし、現実の経済は、他の領域から切り離せるような形で存在しているのではありません。経済学的に純粋な価値概念に囚われているようでは(経済学的な価値概念の成立過程で零れ落ちてしまったものを無視しているようでは)現実の経済問題にまともに対処できなくなってしまうのです。経済学的な価値概念は価値概念として、さらにそれを大きく包み込むような普遍的な価値概念を構築していく必要がある――吉本さんの価値論から我々が受け取るべきは、このような課題の存在でしょう。
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2016年05月24日

『吉本隆明の経済学』を読む(1/5)

目次

(1)吉本隆明の「経済学」は如何なるヒントを与えるか
(2)吉本は普遍的な価値論を構築しようとした
(3)吉本は消費が主導する経済のあり方をつかもうとした
(4)吉本は未開の原始社会から未来の高度社会までを見通そうとした
(5)吉本は思想家として経済の諸問題に挑んでいった

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(1)吉本隆明の「経済学」は如何なるヒントを与えるか

 明後日から明々後日にかけて、主要国首脳会議(サミット)が三重県の伊勢志摩において開催されます。サミットは、主要先進国の首脳が世界の重要課題を話し合うため年1回開く国際会議だとされていますが、今年の議長を務めることになる安倍首相は、今年のサミットの最大のテーマに世界経済を位置付けようとしています。その背景には、世界経済の行く末が大きく不透明感を増していることがあります。

 国際通貨基金(IMF)のラガルド専務理事は、4月5日の講演で、先進国の景気回復の遅れ、中国の成長減速やブラジル、ロシアの景気後退、資源国の財政悪化などの要因を挙げ、「世界経済の下振れリスクは恐らく増大している」との警告を発しました。2008年のリーマン・ショック以来、各国当局は、破局的な事態に落ち込むことを何とか回避しようとして、大胆な金融緩和や巨額の財政出動など、従来の常識の枠内で考えられる限りの策を尽くしてきました。しかし、世界経済はハッキリとした回復を見ないまま推移してきました。それどころか、再び大きな危機に直面しようとしているのではないか、との不安が広がりつつあるのです。

 経済政策に深刻な手詰まり感があるのは否めません。財政出動は各国の財政状況を悪化させ、いわゆるギリシャ危機のような事態が引き起こされたことをきっかけにして、今度は逆に、緊縮政策(歳出削減と増税)が進められるようにもなってきました。一方、金融緩和は、欧州中央銀行や日本銀行が「マイナス金利」という奇策を採用するまでに至り、金融市場には膨大な資金が溢れるようになっていますが、実体経済と金融経済の乖離が著しくなっているために、資金は実体経済の方にはほとんど流れていっていません。その結果、金融市場がバブル的な活況を呈するだけで、実体経済は疲弊して貧困と格差がますます拡大し、財政危機も深化しているのです。

 こうしたなか、いわゆる「パナマ文書」によって、世界中の富裕層が巨額の税逃れをしている実態の一端が明らかにされました。一握りの巨大企業や富裕層は、金融緩和の恩恵で巨万の富を築いたにもかかわらず、まともに税金を払おうとしていないのであり、そのために財政危機が深刻化し、それを口実にした緊縮政策によって、圧倒的多数の庶民が増税と公共サービスの縮小に苦しめられているのではないか――「パナマ文書」は、現代の世界経済が抱える深刻な歪みを強烈に印象付ける役割を果たしたといえるでしょう。

 いま、このような経済の不公正なあり方、貧困と格差の深刻な拡大に対して、民衆の怒りの声が大きく広がってきています。このことを背景にして、主要先進国において、経済政策のあり方をめぐる大きな政治的変化が起きつつあることが注目されます。アメリカ大統領選挙・民主党予備選挙におけるバーニー・サンダース候補の善戦健闘は、その象徴的な事例だといってよいでしょう。「民主社会主義者」を自称するサンダース候補は、深刻な格差と不公正(不正義)の是正を訴え、若者たちの熱狂的な支持を獲得して来たのです。サンダース候補は、次のように述べています。



「不正義とは、あまりにも少ない数の人たちが、あまりにも多く持つことだ。そして、あまりにも多くの人たちが、あまりにも少ししか持てないことだ。不正義とは、上位1パーセントの10分の1というごくわずかな人たちが、その他の90パーセント人たちとほぼ同じ富を所有していることだ。
 何百万人の人たちが長時間労働をし、明らかな低賃金で懸命に働き、それでも家庭で待つ子どもにまともな食事を与えるだけの収入を得ることができない。不正義とは、アメリカ合衆国という国が、世界のあらゆる主要国のなかで、子どもの貧困率が最も高いということだ。私たちがどうして道徳と政治を語ることができようか。自分の国の子どもたちに、背中を向けているというのに、私たちの国は多くの財源を世界で最も多くの人達を投獄するために使いながら、自分の国の若者たちに、仕事や教育を与えるための福祉の財源はないという。私たちは世界の主要国で唯一、権利としての医療を全ての国民に保障していない。全ての人々は神の子どもたちだ。貧困にあえいでいる人たち、彼らには病気になったら医者に行く権利がある。
 皆さんに考えて欲しい。この素晴らしい国が持つ可能性というものを。
 私たちは他の主要国のように全ての人々に権利としての医療を保障する国になることができる。
 私たちは働く親たちの全てが、安価で質の高い医療ケアを受けられる国になることができる。
 私たちはアメリカの子どもたち全てが、親の所得に関係なく大学教育を受けられる国になることができる。
 私たちは高齢者の全てが、人生の最後まで尊厳と安心を持って暮らせる国なることができる。
 私たちは全ての人が、人種、宗教、障害、性的嗜好に関係なく、生まれた時から約束されているアメリカ人としての平等の権利を十分に享受できる国になることができる。
 そんな国を私たちは創ることができる。私たちが共に立ち上がり、私たちを分断させようとする力に抵抗するならば。」


 こうした訴えが多くの人々の共感を呼び、当初は泡沫候補にすぎないと見られていたサンダース候補が、本命候補と目されたヒラリー・クリントン前国務長官に大きく迫るほどの躍進を見せたのです。予備選挙の制度的な制約もあって、サンダース候補が民主党の指名を勝ち取る可能性はほとんどなくなってきていると思われますが、資本主義の牙城であり、新自由主義の総本山ともいうべきアメリカ合衆国において、堂々と「社会主義者」を名乗る人物がここまで善戦健闘するとは、昨年秋の時点では、ほとんど誰もが予想できなかった展開でした。

 このことは、経済の歴史が、大方の人々の予想を超えて、大きく動き出しつつあることを示しているのかもしれません。資本主義経済の発展、新自由主義的政策の推進がもたらした深刻な格差と不公正への怒りが大きく広がっていくなかで、ソ連崩壊によって大きなマイナスイメージを纏ったはずの「社会主義」という言葉が、必ずしもタブー視されない状況がつくられつつあるのです。それほどまでに、従来の経済のあり方に代わる新しい経済のあり方への要求は切実だということでしょう。それを「社会主義」という言葉で表現することが妥当かどうかについては検討の余地があるにせよ、従来の経済のあり方が行き詰まってきており、そこから脱却するための道を示す理論が切実に求められる状況にあることだけは間違いありません。

 しかし、従来の経済理論を基本に据えて、そこにあれこれの微修正を加えていく、といったレベルの対応では、こうした時代の要求に到底応えることはできません。経済のみならず、政治や文化の領域をも含めた社会全体をまるごと捉えるような広い視野で、さらにいえば人間と自然との関係をもきちんと視野に入れて、経済というものを根本から捉え直していかなければならないのです。従来の経済理論の狭い枠組みにとらわれず、人間とは何か、社会とは何かを深く追究しようとしてきた先人たちの苦闘に広く学びながら、新たな経済のあり方を切り拓いていく指針となるような、確固とした理論体系を築いていく必要があるのです。

 こうした観点から、本稿で注目したいのは、吉本隆明さんの「経済学」です。“戦後最大の思想家”と称され、文学や政治、宗教など広範な領域にわたって言論活動を展開して来た吉本さんは、経済についての体系的な著作こそ遺さなかったものの、経済の諸々の問題についても積極的な発言を行っていました。そうした発言を集めることで、「吉本隆明の経済学」の姿を浮かび上がらせようとしたのが、中沢新一〔編著〕『吉本隆明の経済学』(筑摩選書、2014年)です。本書の構成は以下のようになっています。


 第1部 吉本隆明の経済学
  第1章 言語論と経済学
  第2章 原生的疎外と経済
  第3章 近代経済学の「うた・ものがたり・ドラマ」
  第4章 労働価値論から贈与価値論へ
  第5章 生産と消費
  第6章 都市経済論
  第7章 農業問題
  第8章 超資本主義論
 第2部 経済の詩的構造


 第1部は吉本さんの文章を抄録したものであり、各章の冒頭に編者の簡単なコメントが付されています。第2部は編者によるやや詳しい解説であり、ここで「吉本隆明の経済学」の姿を編者なりに提示しようと試みられています。

 本稿では、編者の解説に依拠しながら「吉本隆明の経済学」そのものの姿を明らかにする、というよりも、新しい経済学体系の構築に向けて「吉本隆明の経済学」が如何なる示唆を与えるものであるか、という観点から、この本に収録されている吉本さんの発言そのものを読み解いていくことにします。

 以下、大きく3つのテーマ――価値論の問題、消費社会の問題、歴史的展望の問題を設定して、検討していくことにしましょう。
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2016年05月23日

比較言語学誕生の歴史的必然性を問う(5/5)

(5)比較言語学は言語の過程的構造を人類が把握するために必然的な段階であった

 本稿は、言語研究の王道、つまり言語と認識との関係に焦点を当てつつ言語の性質を解明していくという言語研究の流れが、19世紀に誕生した比較言語学において寸断された論理的な原因について解明していくことを目的とした小論です。古代ギリシャにおいて始まった言語研究は、当初、言語とそれが指し示す対象との関係として考察されていきました。中世に至って、徐々に言語と対象との間に認識が介在するのではないかということが明らかにされるようになって、17世紀においては、言語が認識を媒介して現れるものであることが明確に把握されることにより、認識のあり方に基づく語の二大別がなされるまでになりました。20世紀には、言語の基盤となる認識に関して、言語規範という認識が存在することがソシュールによって明らかにされ、一方で言語として表現される認識の生成発展過程が、時枝誠記によって言語過程説として、つまり素材である具体的事物が概念過程を経て一般化され、さらに発音行為によって言語が表出されるという過程として、考察されるようになったのでした。しかしこの20世紀に至る直前の19世紀には、言語研究の流れは大きく逸脱し、言語を人間の意志とは全く無関係に生成・発展・消滅する音声であるとして、その音声がどのように歴史的に変化してきたのかの法則である音韻法則を追求することこそ言語学の目的であるとする比較言語学が誕生し、大きく発展していったのでした。言語研究の流れにおけるこの比較言語学の誕生の歴史的必然性を問うことが、本稿の目的であったわけです。

 ここでこれまで本稿で説いてきた中身について、大事な点を中心にその流れを再確認しておくことにしましょう。

 まず、比較言語学が誕生した直接的な契機について見ていきました。比較言語学誕生の原点は、ヨーロッパ世界によってサンスクリットが「発見」されたことでした。イギリス人のウィリアム・ジョーンズによって、古代インドの言語であるサンスクリットとヨーロッパの言語であるギリシャ語やラテン語との間に、驚くべき共通性が存在することが指摘され、ここに端を発して、サンスクリットの研究や、親縁関係にある言語の比較研究が盛んに行われるようになったのでした。こうした中で、グリムによって、インド・ヨーロッパ共通基語の無声閉鎖音([p,t,k])は、ゲルマン祖語で無声摩擦音([f,θ,x])になるという規則性(「グリムの法則」)が発見され、さらにはその例外だと思われていた事象の中にも規則性が存在することが明らかにされていったのでした。そして遂に青年文法学派といわれる人たちによって、「全ての音韻変化は、同一方言内、かつ所与の時期にあっては、例外のない法則に従って機械的に生じ、同じ音韻は同じ環境では常に同じように発展する」という主張がなされるまでに至ったのでした。

 次に、比較言語学が誕生した19世紀とはどのような時代であったのかを確認していきました。19世紀はロマン主義が流行することで、経験主義的・実証主義的研究方法が盛んになった時代であったことをまずは説明しました。しかし一方では、科学の狭い領域への細分化、個別化の流れに対抗するようなヘーゲル哲学が時代を支配していたことも述べました。いい意味でも悪い意味でも、意識的にも無意識的にも、ヘーゲル哲学がヨーロッパの学界に浸透していた時代であったということです。ヘーゲルは世界歴史について、絶対精神が自己を展開し、自由を実現する過程として把握していました。全ては絶対精神であって、全ては生成発展するというヘーゲル哲学の根本は、歴史主義という言葉で表すことができるのでした。また、ダーウィンによる進化論が一世を風靡した時代であったことも説きました。適者生存の原理によって環境に適応した形質を獲得した生物種が分岐し、多様な生物種が生じるという進化論的発想が19世紀の思想的特徴の1つであったわけです。

 最後に、比較言語学が誕生し発展していった背景には、当時の認識論的な実力の幼さという問題があることを指摘し、そこから比較言語学誕生の歴史的必然性を考察していきました。そもそも言語は、認識を物質化するものである点で他の表現と同様なのですが、言語規範という社会的な約束事を媒介することで、はじめて認識を外化できるものである点で他の表現とは異なっているのでした。そして、その言語表現を媒介する言語規範も認識の1つのあり方として存在するものである以上、言語として表現された認識に加えて、言語規範という認識も、言語とは何かを考える際には重要となってくるのでした。19世紀の当時は、こうした認識のあり方そのものや、言語と認識との関連を把握するという認識論的な実力がまだまだ不足していたため、感性的に把握できる現象的な違いを比較検討していくという比較言語学が隆盛を極めるに至ったのでした。しかし、いわば言語研究の王道から外れた形で発展していったこの比較言語学は、第1に、言語研究においては、単に「今、ここ」にある言語のみを対象とするのではなくて、その生成発展過程を問う必要があることを明らかにした点、第2に、言語を言語の物質的形態のみから究明していくことが不可能であって、やはり認識のあり方の究明を深化させていく必要があることを示した点、以上2つの意味において、その後の言語研究の発展に大きく関わっていたのでした。

 以上のここまでの展開を踏まえて、本稿の大きな問題意識、つまり比較言語学誕生の歴史的必然性はどのようなものであったのかに改めて答えておくとすると、端的には、言語とはどのようなものかの過程的構造を人類が把握するための必然的な段階として比較言語学が誕生したのだ、ということになります。これまで説いてきたように、言語研究は認識とは何かを解明しつつ発展してきました。この方向性が限界に突き当たったのが19世紀であって、当時の歴史主義、進化論的発想を背景に、加えて経験主義的・実証主義的研究方法の隆盛に媒介される形で、比較言語学という言語研究方法が誕生してきたのでした。これは、ヘーゲルの歴史主義、つまりすべては1つであって、全ては生成発展するという思想、またダーウィンが描いた系統樹に触発されて、(少なくともインドとヨーロッパの)言語はある共通基語から枝分かれして派生したものであることを、事実に基づいて実証的に明らかにするものでした。また、前回の最後にも触れたように、こうした比較言語学の誕生、発展があったからこそ、個々の言語が具体的に如何なる過程を経て創出されるのかの考察がなされ、合わせて言語と認識との関係の考察の重要性が再認識されていったのでした。言語は対象→認識→表現という過程的構造において言語を把握することが必須であること、さらに、言語は言語の物質的形態である音声や文字だけをいくら研究しても、その本質を明らかにすることはできず、認識に基盤があることを把握することが決定的に重要であること、こうしたことは言語の過程的構造であって、この言語の過程も含めた全体像を明らかにするためには、19世紀の比較言語学というまわりみちが言語研究史には必要であった、ということなのです。

 今回の論稿は、言語研究史の論理的な把握に向けて、その一端を明らかにしたに過ぎません。2年半ほど前に執筆した「言語過程説から言語学史を問う」と題した小論についても、今後、より論理的なものとして再生させていく必要があると感じています。比較言語学では明らかにされなかった認識論を踏まえた言語の系統発生を解明し、加えて言語研究史の論理構造を究明していくことで、言語とは何かの本質論、構造論をしっかりと構築していくとともに、その創出した言語学でもって、世の中の全ての問題を説き切る学問一般を構築する土台を創り上げていく決意を述べて、本稿を終了することにします。

(了)
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2016年05月22日

比較言語学誕生の歴史的必然性を問う(4/5)

(4)歴史の論理として比較言語学の誕生を捉えるとどうなるのか

 前回は、比較言語学が誕生した19世紀はどのような時代であったのか、いくつかの特徴を確認していきました。19世紀は、「理性的=自然的」という啓蒙思想の基本的な考え方が批判され、自然の秩序を人間の理性が間違いなく把握できる、体系化できるという考え方を放棄することによって、個別的な実証主義的研究、観察に基づく経験主義的な自然観へと向かった時代でした。また、ヘーゲル哲学が浸透した時代でもありました。自然も含めた全ての存在は絶対精神のそれなりのあり方であって、この絶対精神として1つに統一されたものが生成発展していく過程こそ世界歴史に他ならない、というのがヘーゲル哲学の根本的な考え方でした。合わせて、ダーウィンが説いた、適者生存の原理によって環境に適応した形質を獲得した生物種が分岐し、多様な生物種が生じるという進化論的発想が登場した時代でもあったということでした。

 さて今回は、本連載第2回の最後に触れた、19世紀当時の認識論的な実力の幼さという問題について検討していきたいと思います。この問題から、比較言語学誕生の歴史的必然性に迫っていきたいと思います。

 認識論の実力について考えるために、まずはそもそも言語とはどういうものかを考えていきましょう。現在の到達点からすれば、言語は対象から認識へ、表現へという過程的構造を背景に持った表現であって、端的にいえば、言語は認識を基盤としたものであり、認識を表現したものである、といえます。別の言葉でいえば、言語は認識を物質化したもの(表現)の一種であるといえます。では、言語と他の表現との違いは何かといえば、言語は超感性的な認識を表現するために、他の表現にはない言語規範という社会的な約束事を必要としていることが挙げられます。例えば、目の前にある万年筆を絵で表す場合には、その万年筆をよく見て、頭の中に万年筆の感性的な像を描いて、それを紙の上にそのまま表現することになります。しかし言語の場合、目の前の万年筆をいくら眺めてみたところで、その対象を言語では「万年筆」と表現するのだという社会的な約束事を知らなければ、その対象を言い表すことはできないのです。言語は対象の感性的なあり方をそのまま表現するものではなくて、対象のあり方を種類として括って、その種類として括った認識(超感性的な認識)に対して、音声や文字ではこういう形で表すのだという社会的な約束事を媒介して、はじめて表現が成立するものなのです。では、その社会的な約束事、つまり言語規範とはどのようなものかといえば、これも端的には認識のあり方の1つということになります。

 ここまでの流れを少し整理すると、言語は他の表現と同様、認識を物質化するものなのですが、他の表現とは異なって、言語規範という社会的な約束事を媒介することで、はじめて認識を外化できるものなのです。そして、その言語表現を媒介する言語規範も認識の1つのあり方として存在するものなのです。つまり、言語として表現された認識に加えて、言語規範という認識も、言語とは何かを考える際には重要となってくるのです。別の側面からいえば、認識が、言語として表現される認識と言語規範という認識とに二重化していて、これらの認識相互の関係、及びこれらの認識と言語との関係が明らかにされなければ、本当の意味で言語とは何かが解明されたとはいえないのだということです。

 ここで、古代ギリシャ時代以降、中世を経て17世紀後半のポール・ロワイヤル文法とロックの言語論へと至る言語研究の流れを見てみると、言語と認識との関係が徐々にではあるが解明されてきた歴史として言語研究史を捉えることができます。上で見てきた言語とは何かとの関連でいえば、ここまでの言語研究の流れはいわば王道を歩んできたといってもよいと思います。

 しかしここで、言語研究の流れは大きな壁に突き当たることになるのです。それは言語と大きく関連するはずの認識とは何かが、もうそれ以上、当時の認識論的な実力では解明できなかったということです。認識そのものは、目で見ることも手で触れることもできません。しかし、人間の脳に描かれた像として、確かに存在しているものではあります。こうした感性的には直接把握できない存在の性質やあり方に関して、19世紀はまだ深く解明していけるだけの学的社会的認識が育っていなかったのだということです。そこで言語研究史の流れはどのように進んでいったのかといえば、当時の歴史主義や進化論的発想を背景にして、言語の歴史を考察していく方向へと向かっていったのでした。それも、これまでの言語研究が徐々に明らかにしてきた、言語と認識との関係を一旦脇に置く形で、つまり認識とは全く関係がないものとしての言語の歴史、音韻法則という形での言語として研究していくという方向へと進んでいったのでした。そしてこうした研究の方向性は、これも当時流行していた経験主義的・実証主義的研究方法に促されて、遂には比較言語学という新たな研究方法を生み出すに至ったのでした。

 では、言語研究の流れにおいて、いわば王道から外れた形で発展していったこの比較言語学は、その後の言語研究史において何の意味もない、単なる遠回りでしかなかったのでしょうか。決してそうではありません。第1に、言語を過程として把握する視点が生じたことが挙げられます。これまでの言語研究は、「今、ここ」にある言語のみを研究対象としてきたといっても過言ではありませんでした。それが、比較言語学の誕生、発展によって、言語の生成発展過程を問うという認識が、人類に生じてきたのでした。この言語の過程を把握するという視点は、比較言語学においては言語の系統発生(類としての言語)に向けられましたが、この視点が言語の個体発生(個々具体的な言語)に向けられることによって、時枝誠記から始まる言語過程説が誕生したのだといえます。言語が歴史的にどのような変遷を辿ってきたのかという過程を見る視点が、個々具体的な言語がどのような過程で生成されるのかという視点へと媒介され、対象→認識→表現という過程的構造をもつものとしての言語という把握に至る契機となったのでした。第2に、一度徹底的に言語そのもの、つまり人間の意志とは完全に切り離されたものとしての音声のあり方だけを追求していくことで、言語を言語の物質的形態そのものだけから究明することが不可能であることが徐々に判明してきたということがいえます。端的にいえば、音韻法則だけを追求していても、言語の何たるかを解明することが不可能であることが分かってきたのです。そこで、フェルディナン・ド・ソシュールがラング(言語規範)に着目したように、再び認識に焦点を当てた言語研究が発展してくこととなったのです。
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2016年05月21日

比較言語学誕生の歴史的必然性を問う(3/5)

(3)比較言語学が誕生した19世紀はどのような時代であったのか

 本稿は、言語研究史の流れを概観していく中で、19世紀に突如として登場した比較言語学に関して、その誕生の歴史的必然性を問うことを目的とした小論です。言語研究史の大きな流れとしては、言語とそれが指し示す対象との関係が追及されていくうちに、言語と対象とを媒介する存在として認識というものが把握され始め、言語研究の発展は認識に関する研究の発展に伴ってのものであったといえるほどに、認識のあり方が大きなウエイトを占めるまでになったにも関わらず、19世紀に誕生した比較言語学に関しては、人間の意志とは関わりのないものとして、言語の音声がどのように歴史的に変化してきたのかという音韻法則の追及がその目的とされたのでした。言語研究史の発展過程から逸脱するかに見えるこの比較言語学について、なぜ19世紀にはこうした方向に言語研究の流れが向かっていったのか、ここを論理的に筋を通して説くことが本稿の目的だということです。

 前回は、比較言語学が誕生した直接的な契機について見ていきました。ウィリアム・ジョーンズが指摘したサンスクリットとギリシャ語、ラテン語との共通性は、当時の歴史主義、進化論的発想を背景にして、衝撃をもってヨーロッパ世界に受け入れられたのでした。そして、グリムなどが音韻変化の規則性を指摘することで、一気に比較言語学が発展していったのでした。さらに、青年文法学派によって、音韻法則に例外なしといわれるまでに研究が深化していったことにも触れました。しかしここに、比較言語学が誕生し、発展していった理由のもう1つの側面として、当時の認識論的な実力の幼さという問題があるとして、見た目の違いに着目して研究を進めていくことは、逆にいえば、目に見えない共通性、つまりは言語が認識の表現であるという側面が等閑視されたのだ、等閑視せざるを得ないような認識論的な実力しか当時の言語研究者にはなかったのだ、ということを述べたところまででした。

 さて今回は、比較言語学が誕生した19世紀とはいかなる時代であったのか、その背景を確認しておくことにしましょう。

 理性と啓蒙の時代とも呼ばれた18世紀も終わりに近づくと、一見輝かしい社会進歩を遂げているかに見えたヨーロッパにも、資本主義的恐慌の発生、格差と貧困の拡大、国家間の利害対立の激化と排外主義の台頭など、様々な深刻な問題が浮上してきました。18世紀の社会が、市民革命や産業革命に象徴されるように、前向きなエネルギーに満ち溢れていて、人間の理性によって自然を合理的に把握することができるのだ、社会を合理的に変革することができるのだという考え方が支配していたのに対して、19世紀には、資本主義の矛盾が激化し、労働者は働けども働けども生活が厳しいままの状態に置かれ、長時間労働や劣悪な労働環境の問題が噴出しました。また近代的な国民国家が形成される中、植民地をめぐる争いなど、国家間の対立が先鋭化していきました。こうした中で、「理性的=自然的」という啓蒙思想の基本的な考え方を批判し、自然は必ずしも合理的に割り切れるものではないという把握に基づくロマン主義の精神運動が生じてきたのでした。ロマン主義は、それまでの理性偏重、合理主義的な自然観に反対し、自然の秩序を人間の理性が間違いなく把握できる、体系化できるという考え方を放棄することによって、個別的な実証主義的研究、観察に基づく経験主義的な自然観へと向かうことになっていったのでした。

 しかし、こうした科学の狭い領域への細分化、個別化の流れに対抗するような哲学が19世紀に誕生したことも見逃せません。それはヘーゲル哲学です。ヘーゲルは、同時代のシェリングなどと比べると不遇の時代を長く過ごしたのですが、新聞編集時代の知見やギムナジウム校長時代の講義などの土台を基に、絶対精神が自己を展開し、自由を実現する過程こそ世界歴史であるという独自の哲学を創り上げたのでした。ヘーゲルは、自然を含めた世界の全てを絶対精神の発展として説いており、世界は1つであり、世界は生成発展すると考えていたのでした。もう少し具体的には、絶対精神は一度自然に外化し、再び自然から抜け出して精神に復帰するのであって、この自然から精神への復帰は、ライオンの身体(自然)から人間の顔(精神)がのぞいているスフィンクスに象徴されると説明しています。この古代エジプトの時代から、自然から精神が完全に分離した時代としての古代ギリシャ時代、古代ローマ時代を経て、ゲルマン民族がキリスト教を受け入れる過程である中世期、そして宗教改革によって人間が自らの内面的良心に従って行動することができるようになる流れを、絶対精神の発展過程として、自由の実現過程として、ヘーゲルは説いているのです。こうした考え方は、「歴史哲学」の講義で展開され、当時の世界においては、賛成・反対の如何に関わらず、絶大な影響を誇ったということです。このことは、エンゲルスが『フォイエルバッハ論』において、「この時代に、ヘーゲルの諸見解は、意識的あるいは無意識的にきわめてさまざまな学問のうちに最もおびただしく進入した」と述べている通りです。

 さて、ヘーゲルと並んで19世紀の大きな特徴として挙げなければならないのは、ダーウィンによる進化論です。ダーウィンは1859年、『種の起源』を著し、生物種は決して不変のものではなくて、長い時間をかけて生成、発展、消滅するものだと主張したのでした。また、生物の進化を樹木の枝分かれのように描いた系統樹を作成したことも知られています。ダーウィンは、適者生存の原理によって、環境に適応した形質を獲得した生物種が分岐し、多様な生物種が生じると説明したのでした。

 しかしここで、比較言語学の歴史に詳しい読者から次のような疑問が出されるかもしれません。それは、確かに19世紀にダーウィンが進化論を発表したかもしれないが、それは比較言語学誕生の契機となったサンスクリットの「発見」や「グリムの法則」よりも後のことではないか、つまりダーウィンの進化論が比較言語学に影響を及ぼしたということはないのではないか、という疑問です。確かに『種の起源』は1859年に出版されており、それに対してサンスクリットの「発見」は1789年、「グリムの法則」が発見されたのは1822年のことです。ですから、精密な年代だけ見れば、確かに上記の疑問は当たっているといえます。しかし、ダーウィンの進化論にしたところで、ダーウィンの天才的な頭脳が突然、何の前提もなしに生み出した論理ではなくて、当時すでに、ダーウィンが進化論を発表できるまでに学問的なレベルが世界的に達していたからこそのダーウィンが進化論なのです。ですから、比較言語学誕生の背景としては、ダーウィンの進化論「的発想」が当時の学的認識には存在していたのだ、というように理解してもらいたいと思います。

 以上のような、経験主義的・実証主義的研究方法、歴史主義、進化論的発想は、言語の研究にも大きく影響を与えました。言語の起源をめぐって、コンディヤックやルソー、ヘルダーといった人物が諸々の主張を展開しましたし、本稿の中心的テーマである比較言語学もこうした風潮と無関係ではありませんでした。中世以来の伝統であった規範的、記述的文法にとって代わって、個々の言語特有の事実から規則性、特に歴史的変化に関する法則性を求める考え方へと変化していったのです。比較言語学は、インド・ヨーロッパ共通基語から現在のヨーロッパ各国語やサンスクリットをはじめとするインド、ペルシアの言語が枝分かれしたのだ、発展していったのだという考え方を根底に持っていますし、それは現存する諸々の文献を頼りに、精密な比較検討の上に成り立つ研究方法です。これは上述の、19世紀全体を覆っていた学問的な特徴が、言語研究という特殊の領域にも影響を与えたものだということがいえるでしょう。
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2016年05月20日

比較言語学誕生の歴史的必然性を問う(2/5)

(2)比較言語学が誕生した直接的な契機は何か

 前回は、文化遺産の継承・発展、それに基づく自然の人間化、人間の自然化の過程を本質レベルで支えている言語の謎を解明することで、学問や文化の更なる発展の土台を創っていきたいという筆者の言語学創出についての思いを述べた後、本ブログに掲載してきた言語研究が如何になされてきたのかに関する論稿を紹介し、「言語過程説から言語学史を問う」と題した論稿の概要を見ていく形で、言語研究の歴史を大雑把に振り返りました。古代ギリシャにおいては、言語はそれが表す対象とのつながりにおいて研究されていたのに対して、中世期には言語と対象とのつながりの間に認識が存在することが見え始め、17世紀に至ってその言語と対象とを媒介する認識のあり方によって語を二大別するまでになりました。こうして、言語の問題を考える際には重要な位置を占めると考えられるようになった認識については、20世紀のソシュールや時枝誠記がさらに研究を深化させていったのでした。しかしここに、一見大きな断絶と思われる事実が存在するのでした。それは19世紀に誕生し発展していった比較言語学です。言語学の対象を人間の意志とは関わりのない音韻法則にまで矮小化し、言語の音が歴史的にどのように変化していくのかという法則性を追求する研究として、比較言語学は19世紀に花開いたのでした。そこで本稿では、この比較言語学誕生の歴史的必然性を問うことを目的として、言語研究史の流れに論理的な筋を通すべく執筆していくものでした。

 さて今回は、この比較言語学が誕生した直接的な契機は何であったのかから確認していくことにしましょう。

 比較言語学誕生の原点は何かといえば、それはサンスクリット(梵語)の「発見」だといえるでしょう。サンスクリットは、ヒンドゥー教や仏教などの礼拝用言語で、現在でもインドの公用語の1つです。このサンスクリットが、ヨーロッパ世界に知られた、それもヨーロッパの言語であるギリシャ語やラテン語と「偶然つくりだされたとは思えないほど顕著な類似をもっている」言語として知られたというのが、サンスクリットの「発見」であり、比較言語学はここから生まれてくることになるのです。

 具体的にはどのような経過でサンスクリットが知られるようになったのでしょうか。それはイギリス人のウィリアム・ジョーンズという人が、1786年にインドのカルカッタでアジア協会設立三周年を記念して行った「インド人について」という講演がきっかけでした。彼はこの講演の中で次のように語っています。

「(サンスクリットと)この2つの言語(ギリシャ語とラテン語)とは、動詞の語根においても文法の形式においても、偶然つくりだされたとは思えないほど顕著な類似をもっている。それがあまりに顕著であるので、どんな言語学者でもこれら3つの言語を調べたら、それらは、おそらくはもはや存在していない、ある共通の源から発したものと信ぜずにはいられないであろう。」

 この講演は、1789年に創刊された「アジア研究」に掲載され、ヨーロッパの多くの人々の目に触れることになったのでした。これまでも、部分的・断片的にはサンスクリットがヨーロッパに紹介されていたことはあったにはあったのですが、ジョーンズの指摘は、次回詳しく説く歴史主義や進化論的発想を背景に、ヨーロッパに大きな衝撃とともに迎え入れられたのでした。

 ここを発端として、シュレーゲル、ボップ、ポットといった学者がサンスクリットの研究に乗り出し、合わせて、ラスク、ヤーコプ・グリムといった学者が、親縁関係にある言語の比較研究を開始したのでした。これが比較言語学の誕生の直接的な経緯なのです。

 ここに述べた学者のうち、特に有名なのはヤーコプ・グリムです。ヤーコプ・グリムは、「グリム童話」の編者としても有名なグリム兄弟の兄で、1819年から1834年にかけて発行された「ドイツ語文法」という著書の中で、インド・ヨーロッパ共通基語の無声閉鎖音([p,t,k])は、ゲルマン祖語で無声摩擦音([f,θ,x])になるという規則性に言及しています。これはのちに「グリムの法則」とよばれるもので、比較言語学がこうした音韻法則を追求する学問として、大きく発展していく基となったものです。

 この「グリムの法則」には当初、例外と思われる事実が存在しました。グリム自身もそのことに気づいており、音韻法則は万能ではないと考えられていたのです。しかし、半世紀ののちにヴェルナーという人物が現れ、この当初例外だと思われていた事実にも法則性が貫かれていることを発見したのでした(「ヴェルナーの法則」、ここでは詳細は割愛しますが、端的にいえば、アクセントの位置によって音韻の変化が異なるという規則性をヴェルナーは発見しました)。

 こうした音韻法則の研究の進展は、遂に青年文法学派といわれる人たちの学説に結実しました。彼らは、「全ての音韻変化は、同一方言内、かつ所与の時期にあっては、例外のない法則に従って機械的に生じ、同じ音韻は同じ環境では常に同じように発展する」と主張することで、比較言語学が依って立つ音韻法則(音韻変化の規則性)という根拠を定式化したのでした。

 ここまで、比較言語学が誕生した直接的契機であるサンスクリットの「発見」、さらに音韻法則の発見、音韻法則の研究の深化について見てきました。しかしここでもう1つ、比較言語学が誕生した契機の別の側面についても触れておかなければなりません。それは、当時の認識論的な実力の幼さという問題です。

 比較言語学という研究方法は、現在の言語、あるいは文献上の言語に関して、そのあるがままの姿を観察、比較することを通じて成立してきたものです。現象的な違いに着目し、その区別を支える歴史的な過程における法則性を追求するものです。逆にいえば、中世期から17世紀後半にかけて徐々に解明されてきた認識(直接には目には見えないもの)に関する研究を放棄して、実際に目で見て確認できる対象を研究していくという方向に向かったのだということです。また、現象的な区別を重視するあまり、全ての言語に共通する性質に関しては等閑視されたともいえます。こうした比較言語学の弱点については、本連載第4回で詳しく考察していきたいと思います。
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2016年05月19日

比較言語学誕生の歴史的必然性を問う(1/5)

〈目次〉

(1)なぜ、言語研究史は比較言語学を媒介する必要があったのか
(2)比較言語学が誕生した直接的な契機は何か
(3)比較言語学が誕生した19世紀はどのような時代であったのか
(4)歴史の論理として比較言語学の誕生を捉えるとどうなるのか
(5)比較言語学は言語の過程的構造を人類が把握するために必然的な段階であった


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(1)なぜ、言語研究史は比較言語学を媒介する必要があったのか

 筆者はこれまで本ブログにおいて、言語が歴史的にどのように研究されてきたのかを明らかにすべく、諸々の論稿を掲載してきました。それはなぜかといえば、人間の人間たるゆえんである文化遺産の継承・発展、それに基づく自然の人間化、人間の自然化の過程を本質レベルで支えているものこそ言語であり、この言語に関わるあらゆる謎を解くことこそ、人類の発展にとって必要不可欠な作業であると考えているからです。人間が歴史性を持つ存在として地球環境を変革しつつ自らの生活を発展させることができてきたのは、過去の偉人の認識を保存し、未来に継承することができる言語、諸々の著作として残されてきた言語があったからこそであって、こうした言語に表された認識を受け取り、発展させていくことが人間の歴史の大きな側面なのです。この言語とはどういうものかに関して、学問的な解明をなすことこそ、筆者の人生を賭した目標であって、科学的な言語学体系を創出することによって、学問や文化の更なる発展の土台を創っていきたいということです。

 こうした思いから、まずは言語研究の歴史について考察していくこととしたわけです。具体的には、「文法家列伝」シリーズとして、「古代ギリシャ編」、「古代ローマ・中世編」、「『ポール・ロワイヤル文法』編」、「ジョン・ロック編」、「時枝誠記編」、「時枝誠記編(補論)」を執筆してきましたし、筆者が現在の言語研究の到達点と考えている三浦つとむの言語論に関わっては、その主著である『認識と言語の理論』の要約を掲載することも行ってきました。また、「三浦つとむの言語過程説から言語の本質を問う」と題して、言語を如何に捉えるべきかの視点も提示してきました。端的には、言語は表現(認識を物質化したもの)の一種であって、対象→認識→表現という過程的構造において捉えるべきものであること、言語は自分の認識を相手に伝えるためにこそ創出されるものであること、言語は頭の中にあるのではなくて音声や文字として現実の世界にあるものであること、他の表現と異なり、言語規範という社会的なルールに従って行う表現であること、などを明らかにしました。

 このような、言語研究の流れのそれぞれの「点」に焦点を当てて、その内容を深めていく試みと並行して、「言語過程説から言語学史を問う」と題した小論も執筆しました。いわば個々の言語研究という「点」を大きな流れとしての「線」として把握するとどのようになるのかを問うた論文でした。以下、この論文の概要を、現在の到達点も踏まえて概観しておきます。

 言語研究が始まった古代ギリシャにおいては、言語とそれが指し示す対象との関係が考察されました。言語の意味は、それが指し示す対象にあるとされたのです。また、言語が指し示す対象に応じて、品詞の分類も始まりました。名詞的要素と動詞的要素の区分から始まり、古代ギリシャの終わり頃には、8品詞に分類されるまでになりました。この分類は、経験的・直観的な意味の違い(ある語は物の名前を示しているが、別の語は遂行される活動を表している、など)に基づいてなされ、その方法で分類できないものに関しては、形式的な分類(屈折するかどうか、など)や統語的な分類(修飾する語か修飾される語か、など)で補完される形で行われました。

 こうした古代ギリシャの言語研究の成果は、続く古代ローマや中世にも大きな影響を与えました。当時支配的であったラテン語に関して、古代ギリシャで獲得された品詞分類などが適用され、ラテン語の研究が進んでいったのでした。また、中世期の言語研究の成果として、言語にはそれを表現する話者の心、認識が関係していることが直観的に把握されたことが挙げられます。文法は全ての言語で本質的に同一であり、言語間の表面の差異は偶然的な変化であるという普遍文法が追及され、そこでは世界の事物の存在様式を人間の精神が感知し、言語として表現するという人間に普遍的な様式が考えられていました。また、動詞の屈折形について、単に対象となる事物の運動を表すのみならず、話し手の心を反映していることも言及されていました。

 言語研究が古代ギリシャ以来の大きな進展を見せたのが、17世紀後半に登場したポール・ロワイヤル文法とロックの言語論においてでした。これらの言語論においては、語を認識のあり方に基づいて大きく二分し、さらにそれらの細目を分類するという立体的な品詞分類を行ったのでした。具体的には、ポール・ロワイヤル文法では「思考の対象を表す語」と「思考の形態や様式を表す語」、ロックにおいては「心の中の観念の名前である語」と「心が観念や命題に与える関係を表す語」という形で語の二大別を行ったのです。両者とも、認識のあり方と言語との関係を大雑把にでも掴んだために、実体や属性という、これまである程度解明されてきたといえる直接の対象がある語(名詞や動詞など)だけでなく、直接の対象があるわけではない語(前置詞や接続詞など)に関する鋭い分析が可能となったのでした。

 18世紀から19世紀にかけては、言語の起源に関する考察が活発になるとともに、比較言語学という新たな研究が盛んになってきます。これは、言語学の対象を人間の意志とは関わりのない音韻法則にまで還元するもので、例えば、インド・ヨーロッパ語族の共通基語がどのような音韻法則によって、現在のドイツ語やフランス語や英語などに変化していったのか、その法則性を追求する研究です。言語の音には変化の法則があるのであって、それを明らかにすることこそが言語学の目的であると考える研究方法です。19世紀の終わりには、音韻法則に例外なしと宣言する学派も登場してくるまでに、音韻法則の研究が進んでいきました。

 20世紀になると、フェルディナン・ド・ソシュールが現れ、19世紀の歴史的、通時的な言語学に対して、共時的言語学の重要性を指摘しました。言語は頭の中にある社会的な体系であって、この現に今ある言語の内的構造や一般規則を解明することが言語学の目的だとしたのでした。これに対して、日本に出た時枝誠記は、言語は表現主体が自分の心のありようを外部に表す過程であって、ソシュールのように言語を表現主体から切り離して社会的な事実だと捉えるのは誤りであると批判したのでした。時枝が究明しようとした対象は、あくまでも実際に人間が話したり聞いたり書いたり読んだりすることができる具体的な言語の表現過程(具体的事物が話者によって捉えられ、概念過程を経て一般化され、さらに発音行為によって外部に表出される過程)であって、耳や目で捉えられない頭の中にある社会的な体系ではなかったのです。

 以上のように言語が如何に研究されてきたのかを概観すると、あることに気づかされます。それは、言語の研究ははじめ、言語と対象とのつながりについての研究が中心であったが、中世期より徐々に言語と対象との間に認識が関係していることが見え始め、17世紀に至っては言語と対象とを媒介する認識のあり方に基づいて語の二大別がなされるまでになったこと、そして20世紀になるとその言語と対象とを媒介する認識に関して、ある社会的な約束事の体系が人間の認識に存在することがソシュールによって明らかにされ、また一方では、個々具体的な言語は、表現素材である具体的事物が認識において概念化され表出されるものであることが時枝によって示されるというように、人間の認識が言語と如何なる関係にあるのかが深く追及されていったこと、こうした言語と対象とを媒介する認識に関する把握の深化とは別に、19世紀には音韻法則という、一見こうした言語研究の発展からは逸脱するかのような研究が発展していったことです。端的には、言語と対象とのつながりの間に、人間の認識が介在することが見え始め、その人間の認識に関する研究の発展が言語研究の発展であったにも関わらず、その流れから外れるようにして発展していったのが比較言語学であったということです。

 そこで本稿では、言語研究の大きな流れにおいてなぜ比較言語学なるものが登場したのか、その歴史的必然性を考察していこうと考えています。17世紀の言語論から一気にソシュールや時枝の言語論へと進むのではなくて、比較言語学というまわりみちをしたのはなぜか、それは言語研究史においてどのような意義があったのかについて、細かい事実に捕われることなく論理の筋として考察していきたいと思います。次回以降、比較言語学誕生の直接的な契機は何であったのか、比較言語学が登場した19世紀は一般的にどのような時代であったのかを確認した後で、比較言語学誕生の必然性を論理として検討してきたいと思います。
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2016年05月18日

専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想(5/5)

(5)心理臨床版『看護覚え書』を書くべく主体性ある実践を!

 本稿は,専門家はいかにあるべきかという観点から,神庭純子『初学者のための『看護覚え書』(3)』(現代社)を読み,精神科病院に勤務する臨床心理士として学んだことをしっかり認め,今後の臨床実践の質を向上させることを目的としてこれまで説いてきた。ここで,これまで説いてきたことをふり返ってまとめておきたい。

 最初に,実践の目的を問うことが大切であるというナイチンゲールの指摘とそれについての神庭先生の解説を確認し,その論理を心理臨床の実践に当てはめて考えてみた。神庭先生は,「部屋と壁の清潔」の章を取り上げて,掃除をする目的は汚れやほこりを室外に追い出して,部屋の空気の汚染を防ぐことにあると説かれていた。ところが,ナイチンゲールの時代においては,掃除をする目的がしっかりと把握されていないからこそ,形の上では掃除をしているように見えても,実際には掃除したことになっていない,という事態が多かったのであった。このように実践の目的を問うことは,教育や学びのあり方においても大切であり,現象だけをみてとる学びのあり方ではなく,その目的性あるいは構造をみてとる学びのあり方が求められると説かれていた。「何のために」という実践の目的性を見てとることは,すなわち,その実践における構造(それがなければそのものが成り立たないような性質)をみてとることを意味すると説いた。このような実践の目的や構造を問う視点は,心理臨床にとっても非常に重要であるとして,認知再構成法を取り上げた。この技法は,現象的にはただ考え方を変えるだけであるが,その目的は不快感情の適正化にあるのだから,そのような目的を実現できるような実践のあり方でないと意味がないとしておいた。また,先輩心理士の面接に陪席するときも,単に先輩の現象をまねるのではなく,その実践の目的性や構造をしっかり見てとり,それを踏まえて学びとる必要があるし,自分の一挙手一投足に関しても,その目的性や構造をしっかりと自覚しておく必要があるのだと説いた。このようなことができてこそ,専門家として責任を果たしたことになるのであるし,それこそが主体性を把持した姿勢といえるとまとめておいた。

 次に,本書で管理について説かれている内容を確認して,筆者自身の実践にどのように活かしていけるかを考察した。神庭先生は,よい看護をしても管理が欠けていれば台無しになるというナイチンゲールの指摘を紹介し,自分だけが適切な看護ができるというだけではだめであり,「なされるべきことが誰によってもなされるようにしっかりと手筈を整えておくこと」が求められるのであり,それこそが管理するということであり,責任を持つということである,と説かれていた。また管理とは,自己を拡大する技術であり,自分の分身を創り出すことであるとも説かれていた。病院における心理臨床においても,どの心理士がカウンセリングや心理療法を担当しても,同じような質のものを提供する必要があるし,責任者不在時にも,責任者がいるときと同じような対応ができる必要があるから,管理が重要であると指摘した。この管理ということに関わって,新人も含めて10名以上の心理士が在籍している病院の心理士の責任者として,考えたことを2つ認めた。1つは,しっかりとした管理を行うためには,専門的行為の意味・目的・構造を言語化しておく必要があるということであった。それは,なすべきことの意味・目的・構造をしっかり伝えるためには,その意味・目的・構造をしっかり把握して,それを論理化・言語化しておく必要があるからであった。もう1つは,管理は直接に教育であるということであった。「なされるべきことが誰によってもなされる」ように手筈を整えるということは,すなわち,責任者が専門的行為の意味・目的・構造をしっかりと把握して,それを論理化・言語化して教育するということを意味するのであった。これを踏まえて,筆者は面接マニュアルの作成と心理検査の院内勉強会の開催を決めたのであった。さらに,他者に信頼されることこそが管理の極意であり,口で説明するのではなく,「ほとんど気づかれず,押しつけもない権威」こそが求められるということに触れた。

 最後に,「観察」というテーマを取り上げ,これが専門家のあり方とどのようにつながっているのかを考えた。神庭先生は,「何を観察するか,どのように観察するか」を教えることを看護者の訓練の中の基本的なものとすべきだというナイチンゲールの指摘に触れ,観察の目的は雑多な情報や珍しい事実を寄せ集めることではなく,観察自体が目的なのでもない,そうではなくて「看護することの必要性をみてとり,看護を実践するため」にこそ観察する必要があると説かれていた。心理士も観察の目的をしっかり押さえておくことが大切だとして,服装や髪形,表情の観察の目的はあくまでも相手の認識を知るためであると説いた。また,ラポール形成のために相手にペーシングする必要があり,そのために相手の言語表現,非言語表現を観察する必要があること,この場合の観察の目的はペーシングやラポールの形成にあることにも触れた。続いて,ナイチンゲールが指摘する単純な観察不足と複雑な観察不足についての神庭先生の解説を確認した。複雑な観察不足とは自分の想像や解釈が混じっており,事実と解釈の区別ができていないものであり,単純な観察不足と違って,観察不足であることの自覚がないものであるということであった。心理臨床においても,観察不足にならないように,事実と解釈を区別し,事実を事実として把握することは非常に大切であるとして,事実を事実として把握していなければ,介入が妥当であるかどうか検討することすらできないことを説いた。最後に,心を病む人は心の中の声のみとの対話となる(解釈ばかりとなる)ことによって病みが深まるので,現実の外界からの反映をできるように導くことが支援となるのであり,患者さん自身に事実を事実として観察できる力をつけてもらうことが必要だと説いた。

 以上の内容を,再度,専門家はいかにあるべきかという観点から端的にまとめ直すならば,専門家としての主体性を把持したいならば,実践の目的を問う必要があるし,自分以外のものも適切な実践ができるように管理しなければならないし,専門家にしか見えない事実もしっかりと観察できるように訓練が欠かせない,ということになるだろう。もう少し詳しくいうと,まず,専門家としての責任をきちんと果たしたいというのであれば,自分自身がなす実践の目的や構造,その意味をきちんと把握したうえで,論理化・言語化できる必要があり,それを他のものにしっかり伝えて,誰もが自分と同じレベルの実践ができるように手筈を整えておかなければならない,ということであろう。また,専門家としての観察の目的をもしっかりと把握したうえで,事実と解釈をしっかり区別し,事実を事実としてしっかりと観察してみてとることができるように訓練を重ねることが,専門家の責任である,ということもいえるであろう。

 以上を実践していくために,筆者自身の具体的な課題は何であろうか。最後にこの問題を考えておきたい。まずは自分の臨床実践や担当しているケースをしっかり観察して,事実を事実として把握して,それを論理化していくことであろう。しっかりとした事例報告を書き,その中で事実の論理化を図っていきたい。これが直接に,専門的行為の目的や意味を問うことにもなるだろう。事例報告をまとめて,技法別にその目的や意味を整理することも役に立つと思われる。こうすれば,より専門的行為の目的や意味が明らかになるだろう。さらに,これがひいては,他のスタッフも同様の質の心理的介入ができるようになることにつながっていくと考えられる。というのは,その技法別にまとめた論文を他者に読んでもらうことが,教育になるのであり,自分の分身を創っていくことになるからである。このようにすれば,心理士の責任者として,しっかりと主体性を把持して責任を果たしたといえるだろう。

 もう少し具体的なイメージで説くならば,心理臨床版の『看護覚え書』を書くべく,努力し続けるということになるだろう。心理臨床版の『看護覚え書』を書くべく,臨床実践を重ね,自分の実践を論理化して他者に伝えるようにしていくこと,これこそが,専門家としてのあるべき姿であり,主体性を把持した姿勢であるといえるだろう。今後はこの目標に向けて,決意を新たにして,日々研鑽に励みたいと思う。

(了)
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2016年05月17日

専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想(4/5)

(4)正確に観察することが重要である

 前回は,『初学者のための『看護覚え書』(3)』で説かれている管理ということの大事性について確認し,「なされるべきことが誰によってもなされるようにしっかりと手筈を整えておくこと」を,筆者の勤務する精神科病院の心理士の集団に対して,どのように実現していこうとしているかを説いた。他者に信頼されることこそが責任をもって管理することの極意であるとするナイチンゲールの言葉にも触れた。

 さて今回は,本書の最後の3章にわたって説かれている「観察」というテーマを取り上げ,これが専門家のあり方とどのようにつながっているのかを考えていきたいと思う。

 本書の第10章では,まず,病人の観察が看護教育の基本であるというナイチンゲールの指摘が紹介されている。ナイチンゲールは,観察することがいかに重要であるか,また,観察ができるようになるためにしっかりと教育・訓練することがいかに大切であるかということを強く主張していたということである。ナイチンゲールは,見ているはずのものが全くみてとられていないことを問題視し,「何を観察するか,どのように観察するか」を教えることを看護者の訓練の中の基本的なものとすべきだと指摘していたのである。

 そしてここでも,「何のために観察するのか」という,観察することの目的を問うことが大切だと,神庭先生は説いておられる。ナイチンゲールの言葉を引用した後,次のようにまとめておられる。

「相手を正しく観察することの目的は当然に,その観察し把握した病む人に関わる事実とその事実の意味することから看護することの必要性をみてとり,看護を実践するためです。当然にこれは「雑多な情報や珍しい事実」をよせ集めるのではなく,「生命を守り健康と安楽とを増進させるためにこそ」観察をする,それが,看護者が観察することの目的だとナイチンゲールは指摘します。

 しかしまた,観察することの大事性を強調しすぎてしまうと,観察そのものが目的となってしまうことがあることも,はっきりナイチンゲールは戒めています。」(pp.192)


 すなわち,雑多な情報や珍しい事実を寄せ集めることが目的なのではなく,観察すること自体が目的なのでもない,そうではなくて「看護することの必要性をみてとり,看護を実践するため」にこそ観察する必要がある,ということである。

 われわれ心理士の行う観察も同様である。心理臨床につながらないような雑多な情報や珍しい事実をしっかり観察しても,何の意味もないということになる。また,観察自体が目的であるということもない。よく事例検討会などでクライエントの臨床像として,服装や髪形,表情などが発表される。確かに,クライエントの服装や髪形,表情などは観察に値するものであり,観察すべき対象であるといえる。しかし,その目的の把握が重要である。観察のための観察では意味がないのである。その目的の把握なしに,なんとなく先生からいわれたから機械的に観察して,機械的に発表している心理士もいるような印象を受ける。それでは,観察のための観察であり,専門家として主体性ある態度とはいえない。これらを観察する目的は,端的にいえば,相手の認識を知るためである。服装にしろ髪型にしろ表情にしろ,その人の認識の表現なのであり,認識を映す鏡なのである。服装や髪形が乱れているとしたら,それは認識がそうさせたのであり,現時点ではそういう認識になっているということである。周囲からどのように見られるかということに意識が向かないくらいの精神状態になっているという可能性もある。また表情は,感情を一般的に反映すると考えられる。暗い表情であれば,抑うつ気分が強い可能性が高いし,逆に不自然な作り笑いが多い場合も同様である。うつ病の方は,周囲に心配をかけまいとして,表面上大丈夫であるというようにアピールすることがあるからである。いってみれば,しんどさを隠すためにわざと作り笑いをしている可能性があるのである。このように,相手の認識を読むために,相手の表現を注意深く観察する必要があるのである。

 また,連載第2回で説いたように,ラポール(信頼関係)形成のために,相手にペーシングする必要もある。その際,相手の言語表現,非言語表現をしっかり観察して,それらに積極的に合わせていく必要がある。相手の語彙の使い方,話すスピードや抑揚,動作や姿勢などを観察して,それとなく相手に合わせていく必要があるのである。この時の観察の目的は,最終的にはラポール形成のためであり,そのためのペーシングのためである,といえるだろう。

 さて,続く本書第11章では,ナイチンゲールが指摘する2つの観察不足,すなわち,単純な観察不足と複雑な観察不足が取り上げられている。前者は,観察すべき対象をまったく観察していないとか,不十分にしか観察していないとかいうようなものである。問題は後者である。複雑な観察不足とは,自分の解釈が入っているものだとして,神庭先生は次のように説かれている。

「勝手に自分の想像や解釈を加えて,それが事実だと思ってしまっていることに自分で気づくことができていない,これは観察不足という点では同じであるが,そこには複雑に観察者の想像や解釈が混じってしまっている,ということができます。」(p.204)


 すなわち,複雑な観察不足とは自分の想像や解釈が混じっているものであり,単純な観察不足と違って,観察不足であることの自覚がないものである,ということである。簡単には,事実と解釈が分けられていないものである。

 神庭先生は,事実と解釈を区別することは,学問化の過程においても大切であるだけでなく,看護するというその実践においても事実を事実として把握することが大事であるとして,事例を通して解説されている。

 心理臨床においても,事実と解釈を区別し,事実を事実として把握することは非常に大切である。たとえば,こういう事実があったと思って,ある介入を行って成功した場合,あるいは失敗した場合,最初に観察した事実が,本当の意味で事実といえるものであれば,今回の介入は今後の教訓となる。こういう時にこういう介入を行うとうまくいくのだなとか,こういう時はこのような介入は避けるべきだなとかいうような教訓が掴めるわけである。ところが,最初の事実と思っていたことが,複雑な観察不足であった場合,すなわち,解釈が混じり込んでいた場合は,その介入の成功,あるいは失敗は,今後に何ら活かしていくことができない。スタート地点の事実が確定していないからである。しっかりと事実を事実として観察し,事実と解釈を分けることができていれば,こういう事実に基づいて,このように解釈して,このような介入を行ったという流れ,「事実→解釈→介入」という流れが明確になる。したがって,介入が失敗したとしても,解釈が間違っていたのか,それとも解釈までは正しかったが,選択した介入法が間違っていたのか,或いは介入のやり方が間違っていたのか,などというように,検討することが可能となる。ところが,最初から事実を事実として把握できずに,解釈とごちゃ混ぜになっていたら,検討するための客観的な材料がないということになるから,どうしようもないのである。仮に介入がうまくいったとしても,なぜうまくいったのかを検討することもできないのである。

 事実と解釈の区別が重要だということに関して,もう少しシンプルな例を挙げよう。ある医師が認知行動療法を行っていたケースである。宿題として,ある課題を出していたが,次回の面接時に,患者さんがそれをやってきていないと報告された。それを聞いた医師は,カルテに「治療意欲がないので認知行動療法は適用不可」と書いたのである。ここで「治療意欲がない」というのは,本来は医師の解釈である。しかし,こう書いた時点で,事実として記入していることになる。事実は「宿題をやってこなかった」である。やってこなかった理由は,やり方がいまいち分からなかったからかもしれない。その宿題をやる意味が分かっていなかったからかもしれない。単に記入するシートをなくしてしまっただけかもしれない。やりたかったけれども,他の何らかの理由でできなかったのかもしれない。そのような目には見えない事実を,質問によって適切に取りだすのも観察の一つである。それもせずに,「治療意欲がない」と解釈して,それを解釈であるという自覚もなしに,「認知行動療法は適用不可」と判断するのは,観察不足であるといえる。

 したがって,症例検討会などで事例を発表する際は,しっかりと事実と解釈を区別して発表する必要がある。それなのに,その区別に無頓着で,自分の解釈でしかないものをあたかも事実であるかのように発表している心理士をよく見かけるものである。これでは,専門家としての責任を果たしているということはできないであろう。

 もう1つ,観察について興味深い指摘があるので触れておきたい。神庭先生は,食事記録をつけてもらうことによって,「対象者自身が自分の生活を観察する目を育てていくということを観察していく」(p.211)ことも大切だと説かれている。患者やクライエントにも事実を事実として観察する力をつけてもらうことが大切だということである。これは,心の病のある方を対象とする心理療法では,特に大切なことであると思う。というのは,たとえばうつ病の方は,事実を事実として把握する力が衰えており,それが病気の維持因子ともなっていることが多いからである。ここに関して神庭先生は,最終の第12章において,次のように説いておられる。

「また,心を病む人は,自分の心の中のみを見つめて,心の中の声のみと対話することを重ねることによって,ますます病みを深めることになりかねない,だからこそ,看護者との対話そのものを外界の反映の機会として,それをきっかけに現実の外界からの反映をできるように導くことが援助のあり方であり,正常な認識への働きかけを通して正常な認識の働きを促進する支援そのものである……。」(p.231)


 ここでは,心を病む人は心の中の声のみとの対話となる(解釈ばかりとなる)ことによって病みが深まるので,現実の外界からの反映をできるように導くことが支援となる,と説かれている。また,別の箇所では,端的に次のように説かれていた。

「病む人が病の辛さのみの自分の感情や自分自身の創り出した像への問いかけとその反映のみの悪循環を断ち切ることができるのは,現実的な外界の反映のみなのです。」(p.115)

 ここでも,現実的な外界の反映が認識の悪循環を断ち切ると説かれている。

 要するに,現実的な外界をきちんと反映する=事実を事実としてしっかりと把握することができるように支援していくことが,心を病む人には求められるということであろう。心理士は,自分が事実と解釈を区別して,正確に観察できるようになるだけではなくて,クライエントに対しても,同じように正確に観察できるように支援していくことこそが求められるのであり,それができてこそ,専門家としての責任を果たしたことになる,ということがいえるだろう。
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2016年05月16日

専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想(3/5)

(3)責任をもって管理する

 前回は,実践の目的を問うことが大切であるというナイチンゲールの指摘をしっかり確認して,それは心理臨床のあらゆる言動についてもいえることであることを説き,専門家としての主体性を把持するためには自己の実践の目的を問い続けることが大切であるとしておいた。

 今回は,管理についてのナイチンゲールの指摘について,神庭先生が説いておられることを確認して,それを心理士としての専門性にどのように活かしていくべきかについて考察したい。

 神庭先生は,『初学者のための『看護覚え書』(3)』の第8章において,よい看護をしても管理が欠けていれば台無しになるというナイチンゲールの指摘を紹介した上で,管理とは何かということを「住居の健康」の章におけるナイチンゲールの言葉を引用した後,次のように説かれている。

「ここでは,住居の健康を保つように管理することについて責任を持つ立場にある人が,たとえ「換気」する大事性をまともに分かっていて「窓をいつも開ける」ことを実行していても,それだけではだめなのだと,ナイチンゲールはいうのです。つまり端的には,その人だけができるということだけでは,住居の健康を保つことができているとはいえない,なされるべきことが誰によってもなされるようにしっかりと手筈を整えておくことが,いわゆる「管理する」ということの中身なのであり,それが,そうしていてこそ「責任を持つ」ということであるとしっかりと説いているのです。」(pp.140-141)


 すなわち,自分だけが適切な看護ができるというだけではだめであり,「なされるべきことが誰によってもなされるようにしっかりと手筈を整えておくこと」が求められるのであり,それこそが管理するということであり,責任を持つということである,ということである。

 確かに,病棟での看護を想定すると,ナイチンゲールレベルの看護の達人のような人が一人いて,あとはすべて素人のようなレベルだとするならば,看護の達人が勤務している間だけは,あるいは,その達人が担当している患者さんだけは,適切な看護がなされるということになってしまう。しかし,その達人がいつも病棟に勤務しているということは不可能であるし,すべての患者さんを担当するということも不可能である。したがって,「自己を拡大する技術」(p.143)が必要なのであり,それによって「ナイチンゲールの分身」(p.152)を創り出して,つねに適切な看護がしっかりとなされるように手筈を整える必要があるのである。これがナイチンゲールの説く,そして神庭先生の説く,管理の必要性であろう。

 看護と同じことが,心理臨床についてもいえる。もちろん,看護と心理臨床では異なる点もある。看護は1人の患者に対して複数のナースが関わることになる。ところが,心理臨床の場合は,基本的に1人のクライエントに対して1人の心理士が対応する。したがって,上で説いたような管理は,心理臨床には必要ないと思われるかもしれない。ところが,そうではないのである。たとえば,病院にカウンセリング,もしくは心理療法を求めて来談されたクライエントがいるとする。その場合,必ずしもベテランで実力のある心理士の中の責任者が担当することになるとは限らない。責任者が担当できるケース数は無限ではなく限られたものであるし,クライエントが希望する日時には,責任者は別の仕事で病院にはいない,などということも考えられるからである。したがって,責任者以外の心理士が担当することになった場合でも,同じような質の専門的なカウンセリング・心理療法を提供できるように,手筈を整えておくことが必要となるのである。

 また,カウンセリング中であるとか,別の仕事で出張しているとかのために,責任者が不在であることもある。その時に,電話で新規のクライエントや外部機関,他部署などから問い合わせがあった場合,あるいは何らかのトラブルが発生した場合,誰もが責任者の分身として,心理の専門家として適切な対応ができなければならない。これも責任者による日頃の管理がものをいう場面であろう。

 実は筆者の勤務する精神科病院では,この4月に新たに臨床心理士を4人雇った。これは,連載第一回で説いたようなストレスチェック制度に関わる依頼があり,現状の心理士数では人手が足りなくなる見込みとなったためである。こうして現在,当院では10名を超える心理士が働いていることになっている。そして筆者は当院での心理士の責任者の立場にあるため,管理に関わる本書の内容はまさに自分のするべきことを指示してくれているかのように感じたことである。

 新人が対応するケースであろうが,新人しかいない時に生じたトラブルであろうが,「なされるべきことが誰によってもなされる」必要があり,そのために手筈を整えるのが責任者としての主体性ある態度であろう。そう考えて,本書からも主体的に学びとろうとしてきた。

 自分の立場と重ね合わせながら本書の管理に関する章を読むと,大きく気づかされたことが2つある。1つは,なされるべきことが誰によってもなされるようにしっかりと手筈を整えておくためには,つまり,しっかりとした管理を行うためには,専門的行為の意味・目的・構造を言語化しておく必要があるということである。なぜなら,なされるべきことが適切なタイミングで過不足なくなされるためには,そのなすべきことの意味・目的・構造をしっかり伝える必要があり,そのためにはその意味・目的・構造をしっかり把握して,それを言語化しておく必要があるからである。責任者が専門的行為の意味を把握していないのに,それを新人が適切に行えるようになるはずはない。要するに責任者は,専門的行為についてしっかりと論理化しておくことが必要なのであり,そうしてこそ専門家としての責任を果たせるということである。

 もう1つは,管理のためには教育が必要だということである。というよりもむしろ,管理とは直接に教育のことであり,適切な教育なくして「なされるべきことが誰によってもなされる」ようになることはありえないということである。専門的行為の意味・目的・構造をしっかりと責任者が把握して,それを論理化・言語化して,新人に伝えるということは,とりもなおさず新人を教育するということである。そしてこれが直接に管理するということでもあるのだと思う。

 以上のような考えをもとに,筆者は面接マニュアルの作成と心理検査の院内勉強会の開催を決めた。面接マニュアルというのは,われわれ心理士が行っている面接の仕方の最低限の基本を言語化しようとするものである。電話での応対の仕方,予約のとり方,初めてであった時の表情など,ごく基本的なことをその目的にもきちんと触れながら説明していきたい。心理検査の勉強会は,特にオーダーの多い知能検査や性格検査を中心に取り上げ,その実施法と解釈法を学んでいくというものである。いずれもまだ試行段階であるが,しっかりとした管理を行うためには双方必要不可欠なものだと感じている。しかし最終的には,『看護覚え書』のレベルで,病院での心理臨床についてまとめていく必要があるだろう。

 管理についてはもう一点,「責任を持つ」ということの意味について,本書で引用されている文章を紹介したい。それは,ナイチンゲールの「看護婦と見習生への書簡」からの引用である。

「他人を統率するには,まず自分自身を統率すること,これが第一の条件であることはいうまでもありません。自分の面倒もみきれないで,他人の世話のできるはずがありません。第二の条件は,自分を何かに「見せかけよう」とあがいたりはしないで,《ありたい姿》に《ある》ように努めることでしょう。

 責任ある立場の人は,聴きとられるよりも感じとられるようにあるべきです。つまり,他人が自分から感じとる以上のものを口で言おうとしてはならない,ということです。彼女はその責任を口うるさい議論などによってではなく,《見せかけ》もなければ秘密もなく,そして思慮分別にあふれた自分の堅実な生活の中の静かな力によって果たしていかなくてはなりません。その権威を,権威として表わすことなく行使しなくてはならないのです。」(『ナイチンゲール著作集第三巻』,現代社,p.273)


「彼らに信頼されること,これが「責任をもって管理すること」の極意の半ばを占めている,あるいはすべてであるといえましょう。彼らの心情に通ずる道を発見できさえすれば,自分の実現したいと望んでいることを彼らと共に実現していけることでしょう。ほとんど気づかれず,押しつけもない権威こそ,最も完璧な権威なのです。」(同上,p.276)


 ここで説かれていることは,主体性ある責任者として他者を統率するためには,まず自分自身を統率できている必要があり,次に「《ありたい姿》に《ある》ように努める」必要があるということ,他者に信頼されることこそが管理の極意であり,口で説明するのではなく,「ほとんど気づかれず,押しつけもない権威」こそが求められるということである。

 1つの部署を管理する責任者として,筆者はこのナイチンゲールの言葉を胸に刻んで,日々の業務をこなしていきたいと感じた次第である。
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2016年05月15日

専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想(2/5)

(2)実践の目的を問うことが大切である

 本稿は,専門家はいかにあるべきかという観点から『初学者のための『看護覚え書』(3)』を読み込み,臨床心理士である筆者が学んだ内容を認めていく論考である。

 今回は,実践の目的を問うことが大切であるというナイチンゲールの主張を確認し,その論理を心理臨床の実践に当てはめるとどういうことがいえるのかを考察したい。

 神庭先生は,『看護覚え書』の「部屋と壁の清潔」の章を取りあげて,部屋と壁を清潔にすることがなぜ重要なのかといえば,それは人間が生きていくことにとって必要不可欠な新鮮な空気に関わるからであると説いておられる。どういうことかというと,人間が生活していると,必然的に室内は人間化される=汚染されるのであり,汚染されたほこりや汚れが壁や絨緞などに染み込むと,室内の空気に汚れが発散されてしまうことになるということである。そうならないようにするためには,つまり新鮮な空気を保つためには,どうしても部屋と壁の清潔が保たれていなければならないのである。だからこそ,室内の掃除が必要だということなのである。

 ところが,ナイチンゲールの時代の掃除の方法は,ドアや窓を閉めきって,ほこりを部屋のある場所から舞い立たせて別の場所に舞い降りさせるといったものだったという。これを受けて,神庭先生は,次のように説かれている。

「ナイチンゲールが「部屋と壁の清潔」について取り上げている背景には,部屋の掃除について“何のために清掃するのか”という,清掃することの目的が看護することの意味として理解されていないという問題性が現実として幾つもあったことがみてとれるはずです。

 つまり,何のための行為(目的的な掃除)であるのかということが理解されていないことから生じる問題性の指摘であるとみてとることが必要です。」(p.85)


 すなわち,掃除をする目的がしっかりと把握されていないからこそ,形上は掃除をしているように見えても,実際には掃除したことになっていない,ということである。このように,実践の目的をしっかり説い,それを把握した上で実践していくことが大切だとナイチンゲールは説いているのだということである。

 このようなことは,教育や学びのあり方にとっても重要な指摘だとして,神庭先生は次のように説かれている。

「どういうことかというと,看護の学びとして,例えば看護の技術を学ぶ時に,その技術を単に行為として手順として学習し,覚えるという態度ではなく,その行為が,技術が,看護にとって何のために行うことであるのか,すなわちそれが病む人の「生活過程を整える」看護として,なぜ必要なことであるのか,そのためにどのような方法が用いられているのか,あるいは用いられるべきなのか,という考え方から学び取って身につけていってほしいことだからです。単純な行為レベルの手順ではなく,その行為の意味すること(目的性)から理解していくことが,どんなことにおいても大切だということを学んでいくことが大切(重要)なのです。

 難しい言葉で言い換えると,現象だけをみてとる学びのあり方ではなく,その目的性あるいは構造をみてとる学びのあり方を,看護の基本の学びの考え方として学習そして学修していってほしいということなのです。」(p.87)


 ここでは,基本を学ぶ場合には,現象だけをみてとるような学びのあり方ではなく,その目的性あるいは構造をみてとるような学びのあり方を目指すべきだと説かれている。

 現象だけをみてとる学びのあり方とは,先の例でいうと,掃除をしているという見た目だけをみてとるような学びということであろう。確かに,ドアや窓を閉めきっていても,ハタキでパタパタやっていると,掃除しているように見える。しかし,それでは掃除していることにならないのである。掃除する目的は,汚れをしっかり部屋の外に除去することによって,空気の汚染を防ぎ,新鮮な空気を保つところにある。このような目的が実現できていないのであれば,いくら見た目が「掃除」に見えても「掃除」とはいえない。このようなことが分かることが,掃除の目的性をみてとる学び方ということであろう。

 では,構造をみてとる学びのあり方というのはどういうことか。構造とは,それがなければそのものが成立し得ないような大切な柱となる性質ということであろう。掃除でいえば,汚れやほこりをしっかりと室外に除去しきる,ということであろう。そうしないと,空気の汚染が予防できないからである。このような構造がないものは,いかに見た目が掃除であっても,掃除であるとはいえないのである。たとえば,ハタキでほこりを部屋のある場所から別の場所に移動させるだけというのは論外である。また,ハタキで部屋のほこりを室外に追いやったとしても,絨緞に染みこんだ汚れが除去できていなければ,空気の汚染は免れないのであるから,掃除したことにはならない。床だけきれいにしても,壁や天井が汚れていては掃除したことにはならない。このように,掃除といえるためには欠かすことのできない条件をしっかり見ぬくことが,構造をみてとる学びのあり方であるといえるだろう。

 このように見ると,目的性をみてとるということと,構造をみてとるということが,同じであるということが分かる。目的性という場合には,実践の目指すゴールという観点からの見方であるのに対して,構造という場合には,そのものをそのものたらしめている性質という観点からの見方である,という違いがあるだけである。

 このような実践の目的や構造を問う視点は,心理臨床にとっても非常に重要である。臨床心理士の質を向上させるためには,この視点をいかに徹底的に把持し続けるかどうかが鍵を握っているといってよいと思う。

 たとえば,認知療法の典型的な技法である認知再構成法は,しばしば「考え方を変える技法である」と理解されている。これはまさに,「掃除=ほこりをその場から移動させること」と同じような現象だけをみてとる学びのあり方であるといえる。ほこりがその場からなくなっても,同じ部屋の別の場所に移っただけでは,空気の汚染を防止するという,掃除本来の目的を果たせない。したがって,これでは掃除したことにならない。これと同じように,単純に考え方を変えただけでは,認知再構成法の本来の目的を果たせていない可能性がある。もしそうであるならば,認知再構成法を行ったことにはならないのである。認知再構成法の目的は,端的にいうと,不快感情の適正化である。すなわち,過剰な抑うつ気分,過剰な不安,過剰な怒りなどを和らげることが本来の目的なのである。したがって,考え方を変えることによって,このような不快感情の適正化にまでつながっていないのであれば,それは認知再構成法を行ったことにはならないと知るべきなのである。

 他の例も考えてみよう。優れた先輩心理士の初回面接に陪席して,その話すスピードが非常にゆっくりであることに気づいたとする。そして,自分の話すスピードは非常に早かったことを反省して,「カウンセリングでは,ゆっくり話すことが大切なんだ」ということを学んだとする。これは,現象だけをみてとる学びのあり方である。そうではなく,先輩心理士が何のためにゆっくりと話していたのかまでみてとる必要がある。初回面接では,クライエントと相互の信頼関係(これをラポールという)を築く必要がある。そうしないと,カウンセリング(あるいはセラピー)という共同作業がうまく進んでいかないのである。そして,ラポールを形成するためには,こちらが相手に合わせていくことが大切である。この合せることを「ペーシング」という。相手の何に合わせるかというと,すべてに,である。もう少し具体的にいうと,言語表現,非言語表現に合わせていくのである。言語表現とは,相手が使っている語彙や敬語などである。非言語表現とは,言語表現に伴う話し方のトーンや抑揚,スピードや間などだけではなく,姿勢や動作,呼吸や服装などのことである。このような相手の表現に,可能な限りこちらが合わせる,しかも自然な形で合わせることによって,両者の共通点・一致点が多くなり,相手に「似ている」という感じが生じ,それが安心感・安全感につながり,ひいては信頼関係(ラポール)の形成につながっていくのである。先の先輩心理士は,このようなラポール形成のためのペーシングの一つとして,相手のゆっくりとした話し方のスピードに合わせていたのである。ここまでの目的や構造をみてとる学びをしなければならない。そうしなければ,非常に早口で話すクライエントに対して,こちらがゆっくりと語りかけることによって相違点を強調してしまい,ラポール形成を阻害するだけではなく,相手にイライラ感を生じさせることにもなりかねない。これではうまくカウンセリングやセラピーを進めて行くことはできなくなってしまうのである。

 このように,心理臨床においても,単に行為の現象(見た目)だけを問題にするのではなく,何のためにその行為を行っているのかという目的性や構造をしっかりと問う必要があるのである。極論すれば,心理士の一挙手一投足は,すべて目的意識的な行為なのであり,心理士は,自らの言動の全てについてその目的を意識しており,あえて尋ねられたならばすぐさまその目的を答えることができなければならない。

 ここに関連して,神庭先生は,『看護覚え書』の「からだの清潔」の章を解説して,皮膚の清潔保持の意味やその方法に触れた後,次のように説かれている。

「つまり,「なぜ,何のために」その行為を行っているのか,ということを考えることがとても大事なことであるとナイチンゲールは説き続けているのです。ただ教えられた行為やその方法を何となく真似ることにとどめるのではなく,それ以上に「そのことの意味を問いなさい」という教えはとても重要なことです。行為としての学びだけではなく,看護者としての主体性を持ってその意味を問う時,ナイチンゲールの時代とは異なる現代でも同じ論理として学び取ることができることに私たちは気づくことができるのだと分かることが大切です。」(p.134)


 ここでは,看護の行為の現象や方法をみてとるだけではなく,「なぜ,何のために」その行為を行っているのかという意味を問うことが大切である,と説かれている。ここでいう行為の意味というのは,これまで見てきた目的性や構造と同じ中身であろう。そして,「主体性を持って」その意味を問うことが大切であると強調されている。

 主体性とは,自分が自分でなすべきことを決定するとともに,そのなした結果に対してしっかりと責任をとる姿勢のことであるから,専門家としてしっかりと責任を果たすためには,自身の専門的行為の目的・構造,あるいはその意味をしっかりと問い続けることが大切だということになる。これはいかなる専門家であっても大切なことであるといえるだろう。

 筆者も心理士としての専門性を高め,専門家としての責任を果たし続けていくために,しっかりと自分の実践の目的を問い続けていきたいと思う。
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2016年05月14日

専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想(1/5)

目次

(1)専門家はいかにあるべきか
(2)実践の目的を問うことが大切である
(3)責任をもって管理する
(4)正確に観察することが重要である
(5)心理臨床版『看護覚え書』を書くべく主体性ある実践を!

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(1)専門家はいかにあるべきか

 労働安全衛生法の改正に伴い,昨年の12月から従業員50人以上の事業所はストレスチェックを実施することが義務化された。背景には,自殺者数の高止まりや精神疾患による休職者の増加などがある。職場のメンタルヘルスを向上させ,自殺や精神疾患の発症を予防する目的で,ストレスチェック制度が導入されたのである。

 ストレスチェックは,まず,全従業員に質問票を配布し記入してもらうことから始まる。その質問票を回収し,ストレス状況を評価して,医師による面接指導が必要かどうかを判定する。その結果を本人にフィードバックし,「高ストレス」と判定された人は医師による面接指導を申し出ることができる。医師が面接指導を実施した後は,就業上の措置が必要かどうかを事業者が聴取し,必要に応じて就業上の措置を実施するのである。

 ストレスチェックを実施できるのは,「医師,保健師,厚生労働大臣の定める研修を受けた看護師・精神保健福祉士」となっており,残念ながら,臨床心理士は実施できないことになっている。

 このストレスチェック制度について,以下の様な新聞記事があった。

「ストレスチェックで職場が変わる(11)アドバンテッジリスクマネジメント取締役常務執行役員神谷学氏。

適切な委託先を選ぶには

 ストレスチェック制度の内容は広範にわたる。中堅・中小企業がすべてを内部資源で実施するのは非常に難しい。法令ではストレスチェックや医師面接の一部,または全部を外部機関に委託することが想定されている。厚生労働省が公表している外部委託のチェックリストを参考に,適切な委託先を選びたい。

 まず,委託先が法令の趣旨を理解し,依頼内容を実施できる体制を整えているか確認する。実施者や実施事務従事者を担える資格を持つ医師らがいるか,従業員の問い合わせに十分に対応できるかを見極める。

 ストレスチェックの調査票は「ストレス反応」「ストレス要因」「周囲のサポート」の3領域を含み,科学的根拠を持たなければならない。外部機関から調査票の提供を受けるときには,内容が法令の定めを満たしているかに加え,測りたい項目を網羅しているか,医師や専門家らによる統計的検証と医学的知見にもとづいて監修されているかなどを確かめる。

 高ストレス者への医師面接を委託するならば,人事部門や産業医ときちんと連携する必要がある。高ストレス者の状態を適切に把握し,有効な意見書を作成できる産業保健の実情に通じた医師であるか確認する。医師面接する場所の利便性も重要になる。ストレスチェックを実施したのち,従業員に緊急対応が必要となったら,事業者との連絡調整などにきちんと対応できるかもポイントになる。委託先の医師と社内の産業医らが役割分担する場合,両者がうまく連携できるかも重要になる。

 医師面接とは別に,カウンセリングなどの外部相談窓口を委託するときは,守秘性が保たれているかどうか,臨床心理士などの資格を有して相談の質を担保できるスタッフであるか,相談時間や方法などが従業員にとって便利かどうかなどを注意しておきたい。」(2015年11月18日, 日経産業新聞)


 ここでは,ストレスチェックを外部委託する際の留意点が説かれている。委託先の体制,調査票の妥当性,医師の専門性,相談の質などを確認すべきだとされている。

 実はここで説かれているような外部委託を,筆者が勤務する病院は依頼されている。具体的には,医師による面接指導と臨床心理士によるカウンセリングの依頼である。先に,臨床心理士はストレスチェックを実施できないことに触れたが,全く関われないというわけではない。臨床心理士がストレスチェックに関わるとしたら,大きくは以下の二つのパターンである。

 一つは,高ストレス者の選定過程で,臨床心理士等による面接を行い,その結果を参考にするパターンである。基本的には調査票によって,ストレスの程度は判定されるのであるが,調査票によって高ストレスと判定されても,実際はそれほどでもないことはありうるし,その逆もありうる。そこで,調査票に加えて,補助的に臨床心理士などによる面接を導入する方法も考えられるとされているのである。

 もう一つは,ストレスチェック体制をきっかけとした日常的な相談対応として臨床心理士等が対応するパターンである。ストレスチェック制度では,労働者が高ストレスの状態で放置されるようなことがないようにするために,普段から臨床心理士等による相談対応の体制を整えておくことが望ましいとされている。この部分であれば,臨床心理士が活躍できる可能性がある。

 いずれにせよ,このようにストレスチェック制度に臨床心理士が関わることはありうるし,現に筆者の勤務する病院ではそういった話が進んでいるのである。こうなると,臨床心理士には,一般的な臨床心理士としての専門性だけではなく,職場のメンタルヘルスに関わる高度な専門性が必要となってくる。たとえば,組織のアセスメントが求められるし,短期間に問題を解決できるような実力も求められる。上司や人事部などに対する適切なコンサルテーションも必要となるし,雇用に関わる法律の知識も求められる。また,事業所の中に入って活動する機会も増えるため,病院の中だけで仕事をしている場合と異なって,外部の目にさらされることも多くなる。臨床心理士の質の担保ということが,これまで以上に社会的に要請されることになるだろう。

 このような状況下で,筆者は神庭純子『初学者のための『看護覚え書』(3)』(現代社)を読んだ。その中で,看護者の専門性ということを通して,専門家はいかにあるべきかということを深く考えさせられた。同じ対人援助の専門家として,本書からは多くのことを学べたと思っている。そこで本稿では,「専門家はいかにあるべきか」という観点から本書を読み込み,臨床心理士として学べたことをしっかりと認めていくことによって,今後の実践の質の向上を目指すために執筆することとする。ここで説いていくことは,同じ対人援助職である医師や他のコ・メディカル(作業療法士,理学療法士,言語聴覚士など),教師や介護士等にとっても役立つものであると考えている。

 さていつものように,初回の最後には,本書の目次を掲載しておく。第1巻と第2巻のふり返りから始まって,認識論が徐々に深められながら論が展開されていることが分かるだろう。



初学者のための『看護覚え書』 (3)


■第1章 『看護覚え書』 に学ぶとは
  ― 『初学者のための 『看護覚え書』(1)』 の要旨

  第1節 看護とは何かを問える実力を身につけるために必要な学びを説く
  第2節 看護のために必要な弁証法,認識論の実力
  第3節 看護者に求められる一般教養の学び
  第4節 「健康の法則=看護の法則」 として視てとったナイチンゲールの
       実力とその教養

■第2章 『看護覚え書』 から生活過程の構造を学ぶとは
  ― 『初学者のための 『看護覚え書』(2)』 の要旨

  第1節 「人間にとっての食事とは何か」 を説く
  第2節 ナイチンゲールの説く 「換気と保温」 「住居の健康」 に学ぶ
  第3節 認識論の基本から 「物音」 「変化」 の意味を説く
  第4節 「ベッドと寝具類」 を整えることの看護としての意味を説く

■第3章 ナイチンゲールの説く 「陽光」 の重要性に学ぶ

  第1節 ナイチンゲールの説く 「陽光」 の大切さ
  第2節 陽光が人間の身体に及ぼす影響を事実に見る
  第3節 陽光が空気の質に及ぼす作用を指摘したナイチンゲール
  第4節 陽光の重要性を看護活動の事実から説く
  第5節 陽光が病む人の心にもたらす効果
  第6節 病む人にとって 「陽光」 は不可欠であると指摘したナイチンゲール
  第7節 ナイチンゲールはなぜ陽光の重要性に気づくことができたか
       ―育ちの過程で創られた看護者としての生活観

■第4章 人間にとっての陽光の大事性の意味を 「いのちの歴史」 から説く

  第1節 看護者としての生活観を創り上げていくことの大切さ
  第2節 人間にとっての陽光の大事性の意味を問う
  第3節 個別研究的に答えを導き出すことの欠陥
  第4節 論理的な筋道から答えを導き出す視点
       ―弁証法的に太陽と地球と生命体との関係から陽光の大事性の
        意味を問う
  第5節 人間にとっての陽光の大事性の意味を 「いのちの歴史」 に尋ねる
  第6節 人間の生活にとっての 「陽光」 の意味を説く
  第7節 病む人の心に及ぼす 「陽光」 の意味を説く

■第5章 ナイチンゲールの説く 「部屋と壁の清潔」 に学ぶ

  第1節 「部屋と壁の清潔」 を保つことは 「新鮮な空気」 の質に関わる
  第2節 人間の生活にとって室内を清掃することの意味
  第3節 室内を清掃することの目的を問うことが大切であると指摘した
       ナイチンゲール
  第4節 看護の基本の学びは,その目的性から理解することが重要である
  第5節 ナイチンゲールが指摘した 「不潔が発生する経路」 の原因と対策
  第6節 室内の清潔を保つ方法を現代の事実から説く
  第7節 病む人にとって 「部屋と壁の清潔」 が重要である理由

■第6章 「部屋と壁の清潔」 の重要性を認識論の基本から説く

  第1節 人間が生きて生活することにとっての 「換気」と「清掃」 の必要性
       と重要性
  第2節 病む人にとって室内環境を整えることの意義
  第3節 人間の認識活動の過程的構造を説く
  第4節 人間の認識の実力はどのように形成されるのか
  第5節 「部屋と壁の清潔」 が病む人の認識の形成過程に及ぼす影響
  第6節 病む人の認識 (=像) を整える看護の実力をつけるためには

■第7章 ナイチンゲールの説く 「からだの清潔」 に学ぶ

  第1節 ナイチンゲールの説く 「からだの清潔」 の大事性
  第2節 「からだの清潔」 の保持は看護にとって生活過程を整える援助の
       柱である
  第3節 皮膚の清潔保持の意味を換気の大事性との関係から指摘した
       ナイチンゲール
  第4節 人間が呼吸することの意味から換気の大事性を問う
  第5節 「からだの清潔」 を人間と自然との相互浸透の過程性から捉えた
       ナイチンゲール
  第6節 皮膚を清潔に保つための方法とは

■第8章 管理するとはどういうことか
       ―ナイチンゲールに学ぶ 「責任を持つ」 ことの意味

  第1節 良い看護をしても 「小管理」 が欠ければ台無しになるという
       ナイチンゲールの指摘
  第2節 ナイチンゲールの説く 「責任を持つ」 とはどういうことか
  第3節 「小管理」 が欠けていることの弊害
  第4節 「責任を持つ」 ことの意味を学ぶことの重要性
  第5節 責任を持つ指揮官のあり方の具体をクセノフォンに学ぶ
  第6節 ナイチンゲールが目指した看護とは

■第9章 ナイチンゲールに学ぶ組織論,管理論,教育論

  第1節 ナイチンゲールの説く 「責任を持つ」 ということの意味
  第2節 見事な看護の実践者としての管理責任者の存在の大事性
  第3節 病む人にとっての 「小管理」 の意味を問う
  第4節 管理責任者に求められる実力とは
       ―責任者のなすべき本当の 「小管理」 のあり方
  第5節 ナイチンゲールの管理者としての看護実践
  第6節 看護の専門職としての確立とその教育の必要性を指摘した
       ナイチンゲール

■第10章 ナイチンゲールの説く 「病人の観察」 に学ぶ

  第1節 ナイチンゲールの 『看護覚え書』 は教育の原点である
  第2節 病人の観察は看護教育の基本であると指摘したナイチンゲール
  第3節 看護者にとって正確に観察することの重要性
  第4節 事実を正確に把握するにはどうしたらよいか
  第5節 看護者として観察することの目的を問うことが必要である
  第6節 認識の働きの過程性から看護者として観察することの困難性を説く

■第11章 学問化への基本の学び ―事実とは,解釈とは

  第1節 正確な事実を把握することの大事性を説いたナイチンゲール
  第2節 観察するとはどういうことか
       ―ナイチンゲールの指摘した二つの観察不足とは
  第3節 事実と解釈との違いを理解することの大事性
  第4節 正確な事実を把握することの困難性を看護の具体から説く
  第5節 看護するために事実を把握する具体的な実践例
  第6節 ナイチンゲールの説く二つの観察不足を現代の看護の事例に見る
  第7節 正確な事実を把握する実力を養成することの重要性

■第12章 認識論の学びの基礎から 「観察」 することの構造性を問う

  第1節 観察の困難性を看護の対象である人間の一般性から問う
  第2節 観察の困難性を認識論の基本から説く
  第3節 観察の困難性を看護者の認識の過程性から問う
  第4節 認識論の基本の理解が実践を導いた具体例
  第5節 観察と思考の訓練の必要性を指摘したナイチンゲール
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2016年05月13日

2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学(10/10)

(10)参加者の感想の紹介

 前回までは3回にわたって、論点に関してどのような討論がなされ、どのような(一応の)結論が導き出されたのかについて報告してきました。

 さて、本例会報告の最終回である今回は、参加者のメンバーそれぞれの感想を掲載したいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 今回の範囲は、ヘーゲル『哲学史』中世哲学の序論、アラビアの哲学、スコラ哲学であった。

 今回の例会を通じて、大きく2つの学びがあった。まず、キリスト教の登場を唯物論的にどのように捉えるべきかという論点に関わって、私は、本能に代わる認識を発展させてきた人間にとって、地球との相互浸透を行いながら生きて行くためには、キリスト教という宗教なしには不可能なほど、ローマ時代から中世にかけての時期が過酷な時期であった(地球との相互浸透が不安によって阻害された)という見解を出したのであったが、これに対してある会員から、それはキリスト教の意義というよりも宗教一般の意義ではないか、という指摘がなされたのであった。確かにこの指摘はもっともで、キリスト教を宗教一般に解消してしまった、つまりキリスト教の特殊性を把握し切れなかったということになると思う。一方でこの会員は、キリスト教の登場に関して、「非人間的な社会的現実に対して、本来はこうあるべきではないか(こうあるのが人間的なのではないか)、という願望を強烈に対峙できるようになっていき、その人間的な本質を空想的に外化したところに、キリスト教の神が成立したのだ」と説いた上で、人間の認識の発展の流れという観点から、アダム・スミスのいう「公平な観察者」が各人の胸中に明確に確立されるほどに認識が発展してきたのだと説明したのであった。この説明は、私の宗教一般に解消してしまったものとは異なり、キリスト教の特殊性がこれまでの学びの成果を踏まえて上手く捉えられていて、非常に納得できるものであったことであった。

 もう1つは、ヘーゲルの説く精神と自然とはどのようなものかに関わってである。私は論点への見解を執筆する段階では、これらがどのような中身であるのか、よく分からなかったのであるが、ある会員が、ヘーゲルにいわせれば精神も自然も共に精神であって、自然の段階から精神が分化して、そこからかつての自分である自然を眺め、把握していく過程が存在するとした上で、自然とはまだ自分が何者かを理解する前の段階の精神であって、いわば幼い段階の精神、主観的な精神であるが、自然と対比的に用いられる精神というものは、いわば完成した段階の絶対的精神であって、これは赤ん坊はいわば自然状態にあることに比べて、成人した人間はしっかりと精神と呼べるものを持っているというたとえ話でも分かることである、と説明したのであった。これも非常に分かりやすい説明であって、ヘーゲルの認識がどのようなものであるのかを理解する上で、必ず押さえておくべき事柄だと思ったことであった。

 次回は学問の復興期の哲学を扱うわけであるが、チューターに当たっているため、今回のゲルマン民族に受け入れられ育てられたキリスト教の理念と、アラビアを経由して再びヨーロッパに流入した哲学とが、如何なる形で統一され発展を遂げたのか、しっかりと大きな流れを押さえながら学んでいきたいと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今回の例会では、まともにテキストを読み込むことができずに、論点への見解も作成できなかった。これは大きな反省点である。年度末と年度初めの仕事が多忙を極めたこと、3月末が締め切りの論考が重なったことが主な原因であるが、今振り返ってみれば、絶対に不可能だったかというと、そうではない。つい怠け心に負けてしまった部分も相当にある。この例会に向けての取り組みとブログ掲載論文は、最優先の課題であり、われわれの研究会の発展にとっても不可欠なものである。この点をしっかり自覚して、来月以降はきちんと取り組んでいかなければならない。

内容に関わっては2点、人類の認識の発展に関して大きな学びがあった。一つは、キリスト教の誕生を唯物論的に捉えるならば、アダム・スミスのいわゆる「公平な観察者」が各人の胸中に明瞭に確立されるほどの段階に到達したと指摘できるという点である。当時の人々の認識の中に共通する社会的認識としてキリスト教が誕生していったのであり、それが人類の理想を示したり個々人の道徳的な行動を導いたりしたのであった。これは個体発生でいうと、小学校に入学したくらいの時期に相当するのではないか。そして、キリスト教という社会的認識は、その時期の人々にとっては絶対的な権威であるという意味で、小学校の教師に対応しているのではないだろうか。このような個体発生との関連については、例会当日の議論では触れられなかったと思うが、今後、もう少し突っ込んで検討していくべき課題であろう。

人類の認識の発展についてのもう一つの学びは、スコラ哲学の歴史的な役割に関わる。そもそもキリスト教が、当時赤ん坊的な存在であったゲルマン人に受け入れられたのは、当時の最先端の文化遺産であったキリスト教を、もう一度ゼロから育て直すという意味があり、われわれのいう「リセットの原理」であったことは前提として押さえておくべきであろう。その上で、スコラ哲学は感覚的世界に関わる経験に無関心であり、叡智界を抽象的概念を駆使して説明しようとしたのだとヘーゲルは説いているが、これは、唯物論的にいうならば、「理性」に対する問いかけ像を創っていく過程であり、「理性」に対する問いかけを敏感にしていく過程であったといえるだろう。このような長い長い修練の過程があったからこそ、自然的なもののなかにも精神的なもの(理性)が存在するということが見えてくるようになったのであり、ルネサンスや科学革命につながっていったのではないだろうか。人類の認識の発展の大きな流れが見えてきたような気がする。

 今回の学びを踏まえて、またたとえばシュテーリヒ『西洋科学史』の中世の項などを読み返してみれば、さらに認識が深まりそうである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 今回の例会ではチューター担当となっていたが、論点への見解が〆切に間に合わせることができなかった。突発的な事情が生じたということはあるのだが、今から振り返るならば、〆切までに見解を提示することもやろうと思えばできたと思う。やはりここは「何としてでも〆切に間に合わせる」という強い意志をもっているかどうかが問われるところであろうから、この点に大きく反省したい。

 さて、内容に関わってであるが、大きくは2つの学びがあった。1つはキリスト教誕生の意義をどのように捉えるかという点である。当初は不安を和らげるためだという見解を提示していたが、これは宗教一般に当てはまるものだと指摘された。宗教一般を踏まえた上でキリスト教の意義をどう捉えるか、一般性と特殊性という2つの観点から考えていかなければならないのだと痛感した。そしてキリスト教の誕生の意義だが、例会の中で出された、アダム・スミスのいわゆる「公平な観察者」が各人の胸中に明瞭に確立されるほどの段階に到達したという指摘は、深く納得することができた。自らに命令を下して、正しい行動へと導く存在が当時においては客観的な世界の中に存在すると考えられていたからこそ、これを「神」と呼んでいたのだろう。それが次第に自らの内面に存在するのだということに気づき初めて、「良心」などの形で指摘されるようになったのだと思う。

 もう1つは、ゲルマン民族がキリスト教の原理を受け入れたことをどう捉えるかということである。これは端的には過去の文化遺産の集大成を新たな世代が継承したということだと指摘されたが、ここは教育のイメージになぞらえて非常によく理解できた。それまでは何となく言葉でわかっていたものだったのが、像としてわかったように思う。ヘーゲルは『歴史哲学』において、キリスト誕生以前と以後という2部構成で世界歴史を把握しているということを以前議論していたが、その論理が『哲学史』においてもしっかりと貫かれていることがわかった。

 しかし、そうなってくると、南郷学派で説かれている「ヘーゲルは『歴史哲学』と『哲学史』を別々に説いてしまった」という内容の指摘はどのように捉えるとよいのか、という問題も生まれてくる。この問題は以前の例会でも出てきたものだが、再度念頭において具体的な記述を読むことをとおして、指摘の中身を理解するようにしていきたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 今回の例会では、論点への見解執筆の作業を通じ、キリスト教の歴史的な意義について、これまで漠然と考えていたことを鮮明にすることができたのが大きな収穫であった。端的には、非人間的な社会的現実に「人間は本来こうあるべきではないか!」との意志(願望)を強烈に対峙させることができるようになっていったということ、少し角度を変えていえば、個々人の内面的良心の領域が確立していったことが、キリスト教の成立に繋がったのだ、ということである。

 例会当日の議論のなかでは、キリスト教における三位一体の「聖霊」とは何か、という疑問が提示されたが、これは非常に重要な疑問であると思った。万物の創造主としての父なる神、人間の罪を背負って十字架にかけられた救世主としての子なる神、この2つは比較的にイメージしやすいが、聖霊というのは、確かによく分からない。根本的には、生身の人間であったはずのイエス・キリストを、子なる神として父なる神と同一の存在と見做すためにはどうすればよいか、さらにいえば、人間一般を神的な存在と見做していくためにはどうすればよいのか、という大問題があり、これを解決するために設定されたのが聖霊としての神なのであろう。その正体は、アダム・スミス流にいえば「公平な観察者」である、ということになるかもしれない。結局のところ、三位一体というのは全て個人の内面的良心の現象形態である、ということになるのではないだろうか。このあたりの問題については、南郷継正『“夢”講義』をしっかりと再読しながら、考え続けていきたい。

 このほか、キリスト教の精神が未開のゲルマン人の自然と対比されている問題に関しても、考察が深まった。ヘーゲルにあっては結局のところ全てが精神なのであって、それが自己の本来のあり方を取り戻していく(?)過程が歴史として描かれていくわけであるから、読み手の側で自然と精神とを全くの別物として対立させてしまうような読み方をしてはならないのである。このことが明確になったのは、非常によかったのではないかと思う。
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2016年05月12日

2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学(9/10)

(9)論点3:スコラ派の哲学は歴史的に如何なる役割を果たしたか?

 前回はアラビア哲学の歴史的意義について議論した内容を紹介しました。西欧においてゲルマン民族がキリスト教の原理を受け入れている間、哲学は別の場所で保存される必要があったのであり、その役割を担ったのがアラビアであるということでした。そして、アラビアの哲学は、それまでの哲学の遺産を保存したという点で意義があることを確認しました。アラビアに受け継がれたことによる哲学の発展については、今後の検討課題ということになったのでした。

 今回は、第三の論点、すなわち、スコラ派の哲学は歴史的に如何なる役割を果たしたか、という問題をめぐってなされた議論の内容を紹介することにします。ここで論点を改めて紹介しておくことにしましょう。

3、スコラ派の哲学は歴史的に如何なる役割を果たしたか?
 ヘーゲルは、ゲルマン民族がキリスト教の原理を受けいれたことの意義をどのように説いているか。精神と自然との関係という点に着目しつつ、確認しておきたい。また、そのなかでスコラ哲学とキリスト教との関係、スコラ哲学が果たした役割をヘーゲルはどのように説いているのか。唯物論の立場から、スコラ哲学の果たした歴史的役割を評価するとすればどうなるか。


 まず、ゲルマン民族がキリスト教の原理を受け入れたことの意義について検討しました。これに関しては、概ね共通した見解が出されていました。つまり、ゲルマン民族がキリスト教の原理を受け入れたことによって、キリスト教世界が建設されていくこととなったということです。また、ヘーゲルはこの過程を自然と精神の宥和の過程として捉えていることも指摘されました。つまり、未開民族としてのゲルマン民族の素のままのあり方が自然(個々人の粗野な感覚や思い)であり、そこに精神がキリスト教の原理として押しつけられ(当初は一方的な支配・服従関係として現れ)、やがて、両者の相互浸透が進んで、主観的精神と絶対的精神とが調和した状態が実現されていくことになる、ということです。ここに関して、チューターからは「精神が自然を統括し、支配するのでなければならず、これも当初は一方的な支配・服従関係として現れるが、やがて精神的なものが主観的精神のうちに持ちこまれ一体化していくのだ」という見解を提示しました。

 ここでメンバーの一人から「主観的精神とは一体何なのか。それは自然ということとどう関係しているのか」という疑問が出されました。それに対して、別のメンバーが次のように説明をしました。

 ヘーゲルにおいては、この世界すべてが絶対精神です。したがって、自然も精神もすべて絶対精神であり、絶対精神の中で自然的なもの、精神的なものという区別があるにすぎません。その自然(的な絶対精神)が精神(的な絶対精神)へとたち返っていく過程こそがヘーゲルの歴史観であり、その中で絶対精神としての自覚(世界と自分とは同一であるという自覚)という点に焦点を当てて説いたものが哲学史です。哲学史において、この自覚が生まれたのはキリスト教によってであり、キリスト教は古代ギリシャから連なるそれまでの哲学の集大成とも言える文化遺産(絶対的精神)なのでした。これをまだまだ洗練されていない新たな民族であるゲルマン民族(主観的精神)、つまり自然的な状態のゲルマン民族が受け入れていくということを自然と精神との調和という形で論じているのではないか、ということでした。ヘーゲルはこの過程を教育になぞらえて説いているが、教育とは端的にはそれまでの文化遺産の最高峰を新たな世代に継承させるということであり、まさにキリスト教の原理をゲルマン民族が継承していった過程とつながるものだ、ということでした。

 この見解に対しては、疑問を出したメンバーも含めて全員が納得しました。

 次に、ゲルマン民族がキリスト教の原理を受けとる中で、スコラ哲学がどのような役割を果たしたのかについて検討しました。これについても各自が見解を提示しましたが、大きく異なることはありませんでした。その中で、最も整理された見解をもとに、概ね以下のような結論に至りました。

 そもそもスコラ哲学はキリスト教の教義によって外から枠を嵌められた営みであり、神学と一体になったものでした。その意味でスコラ哲学は「不自由な哲学」でした。また、ヘーゲルは、スコラ哲学は感覚的世界に関わる経験に無関心であり、叡智界を抽象的概念を駆使して説明しようとしたのだと述べています。つまり、自然的なもののから目を背けて、ひたすら精神的なものに目を向けていたということです。しかし、やがて教会が世俗化するとともに、世俗の権力そのものが精神化されていく中で、自然的なものの中にも理性が貫かれていると見られるようになり、その価値が認められるようになっていきます。つまり、自然(的な絶対精神)の中に精神(的な絶対精神)が含まれていることを自覚するようになっていきます。もう少し言えば、自然の中にも合理的なものが存在するということ、つまり自然もまた理性的な存在だということが捉えられるようになったということです。このように、自然的なもののなかに精神的なものを見て取ることができるだけの実力を培っていくという役割を果たしたのがスコラ哲学だということでした。

 最後に、このスコラ哲学の歴史的役割を唯物論の立場から評価するとどうなるかを確認しました。この点についても、大きな見解の相違はありませんでした。そもそもヨーロッパ社会は明るい地中海から切り離されて暗い森に閉じ込められたものであったために、人々は様々な不安を抱くこととなりました。その不安を和らげる存在としてキリスト教(神の教え)があったのであり、そのキリスト教の権威を確立するものとしてスコラ哲学が存在していたのだ、ということでした。そのスコラ哲学においては、教義から全てを説かなければならないということや異端説に反論をしなければならないということから、「あらゆる事柄に筋を通す」ということ、あるいは「弁証法的なアタマの働かせ方」ということ、一言で言えば「論理能力の養成」がなされたのだ、ということで(一応の)結論に至りました。

 以上で4月例会で出された論点についての議論を終えました。
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<講義一覧>

 ・2010年5月例会の報告
 ・2010年6月例会の報告
 ・日本酒を楽しめる店の条件
 ・交響曲の歴史を社会的認識から問う
 ・初心者に説く日本酒を見る視点
 ・『寄席芸人伝』に見る教育論
 ・初学者に説く経済学の歴史の物語
 ・奥村宏『経済学は死んだのか』から考える経済学再生への道
 ・『秘密諜報員ベートーヴェン』から何を学ぶか
 ・時代を拓いた教師を評価する(1)――有田和正氏のユーモア教育の分析
 ・2010年7月例会報告
 ・弁証法から説く消費税増税不可避論の誤り
 ・佐村河内守『交響曲第一番』
 ・観念的二重化への道
 ・このブログの目的とは――毎日更新50日目を迎えて
 ・山登りの効用
 ・21世紀に誕生した真に交響曲の名に値する大交響曲――佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」全曲初演
 ・2010年8月例会報告
 ・各種の日本酒を体系的に説く
 ・「菅・小沢対決」の歴史的な意義を問う
 ・『もしドラ』をいかに読むべきか
 ・現代日本における「国家戦略」の不在を問う
 ・『寄席芸人伝』に学ぶ教師の実力養成の視点
 ・弁証法の学び方の具体を説く
 ・日本歴史の流れにおける荘園の存在意義を問う
 ・わかるとはどういうことか
 ・奥村宏『徹底検証 日本の財界』を手がかりに問う「財界とは何か」
 ・「小沢失脚」謀略を問う
 ・2010年11月例会報告
 ・男前はなぜ得か
 ・平安貴族の政権担当者としての実力を問う
 ・教育学構築につながる教育実践とは
 ・2010年12月例会報告
 ・「法人税5%減税」方針決定の過程的構造を解く
 ・ベートーヴェン「第九」の歴史的位置を問う
 ・年頭言:主体性確立のために「弁証法・認識論」の学びを
 ・法人税減税の必要性を問う
 ・2011年1月例会報告
 ・武士はどのように成立したか
 ・われわれはどのように論文を書いているか
 ・三浦つとむ生誕100年に寄せて
 ・2011年2月例会報告:南郷継正『武道哲学講義U』読書会
 ・TPPは日本に何をもたらすのか
 ・東日本大震災から国家における経済のあり方を問う
 ・『弁証法はどういう科学か』誤植の訂正について
 ・2011年3月例会報告:南郷継正『武道哲学講義V』読書会
 ・新人教師に説く「子ども同士のトラブルにどう対応するか」
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』誤植一覧
 ・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・新大学生に説く「文献・何をいかに読むべきか」
 ・2011年4月例会報告:南郷継正『武道哲学講義W』読書会
 ・三浦つとむ弁証法の歴史的意義を問う
 ・新人教師に説く学級経営の意義と方法
 ・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・横須賀壽子さんにお会いして
 ・続・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・学びにおける目的意識の重要性
 ・ブログ毎日更新1周年を迎えてその意義を問う
 ・2011年5・6月例会報告:南郷継正「武道哲学講義〔X〕」読書会
 ・心理療法における外在化の意義を問う
 ・佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」CD発売
 ・新人教師としての一年間を実践記録で振り返る
 ・2011年7月例会報告:近藤成美「マルクス『国家論』の原点を問う」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む
 ・2011年8月例会報告:加納哲邦「学的国家論への序章」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論1三浦つとむの哲学不要論をめぐって
 ・一会員による『学城』第8号の感想
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論2 マルクス『経済学批判』「序言」をめぐって
 ・2011年9月例会報告:加藤幸信論文・村田洋一論文読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論3 マルクス「唯物論的歴史観」なるものの評価について
 ・三浦つとむさん宅を訪問して
 ・TPP―-オバマ大統領の歓心を買うために交渉参加するのか
 ・続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2011年10月例会報告:滋賀地酒の祭典参加
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論4不破哲三氏のエンゲルス批判について
 ・2011年11月例会報告:悠季真理「古代ギリシャの学問とは何か」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論5ケインズ経済学の歴史的意義について
 ・一会員による『綜合看護』2011年4号の感想
 ・『美味しんぼ』から何を学ぶべきか
 ・2011年12月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学、その学び方への招待」読書会
 ・年頭言:「大和魂」創出を志して、2012年に何をなすべきか
 ・消費税はどういう税金か
 ・心理療法におけるリフレーミングとは何か
 ・2012年1月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学,その学び方への招待」読書会
 ・バッハ「マタイ受難曲」の構造を解く
 ・2012年2月例会報告:科学史の全体像について
 ・『弁証法はどういう科学か』の要約をどのように行っているか
 ・一会員による『綜合看護』2012年1号の感想
 ・橋下教育基本条例案を問う
 ・吉本隆明さん逝去に寄せて
 ・2012年3月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第1章〜第4章
 ・科学者列伝:古代ギリシャ編
 ・2年目教師としての一年間を実践記録で振り返る
 ・2012年4月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第5章〜第6章
 ・科学者列伝:ヘレニズム・ローマ・イスラム編
 ・簡約版・消費税はどういう税金か
 ・一会員による『新・頭脳の科学(上巻)』の感想
 ・新人教師のもつ若さの意義を説く
 ・2012年5月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第7章
 ・科学者列伝:西欧中世編
 ・アダム・スミス『道徳感情論』を読む
 ・2012年6月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第8章
 ・科学者列伝:近代科学の開始編
 ・ブログ更新2周年にあたって
 ・古代ギリシアにおける学問の誕生を問う
 ・一会員による『綜合看護』2012年2号の感想
 ・クセノフォン『オイコノミコス』を読む
 ・2012年7月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第9章
 ・科学者列伝:17世紀の科学編
 ・一会員による『新・頭脳の科学(下巻)』の感想
 ・消費税増税実施の是非を問う
 ・原田メソッドの教育学的意味を問う
 ・2012年8月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第10章
 ・科学者列伝:18世紀の科学編
 ・一会員による『綜合看護』2012年3号の感想
 ・経済学を誕生させた経済の発展とはどういうものだったのか
 ・2012年9月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・人類の歴史における論理的認識の創出・使用の過程を問う
 ・長縄跳びの取り組み
 ・国家の生成発展の過程を問う――滝村隆一『マルクス主義国家論』から学ぶ
 ・三浦つとむの言語過程説から言語の本質を問う
 ・2012年10月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・科学者列伝:19世紀の自然科学編
 ・古代から17世紀までの科学の歴史――シュテーリヒ『西洋科学史』要約で概観する
 ・2012年11月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章前半
 ・2012年12月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章後半
 ・科学者列伝:19世紀の精神科学編
 ・年頭言:混迷の時代が求める学問の確立をめざして
 ・科学はどのように発展してきたのか
 ・一会員による『学城』第9号の感想
 ・一会員による『綜合看護』2012年4号の感想
 ・2013年1月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』を読む前提としての世界歴史の全体像
 ・歴史観の歴史を問う
 ・2013年2月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』をどのように読んでいくべきか
 ・『三浦つとむ意志論集』を読む
 ・言語学の構築に向けてどのように研究を進めるのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年1号の感想
 ・改訂版・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・2013年3月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(前半)を読む
 ・3年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・2013年4月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(後半)を読む
 ・新自由主義における「自由」を問う
 ・2013年5月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第一部 東洋の世界(前半)を読む
 ・三浦つとむ「マルクス・レーニン主義に関する本質的な質問」から学ぶ
 ・言語は歴史的にどのように創出されたのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年2号の感想
 ・ヒュームの提起した問題にカント、スミスはどのように答えたか
 ・2013年6月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』東洋の世界(後半)を読む
 ・一会員による2013年上半期の振り返り
 ・認知療法における問いの意義を問う
 ・カント歴史哲学へのアダム・スミスの影響を考える
 ・2013年7月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』ギリシアの世界を読む
 ・2013年8月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第三部 ローマの世界を読む
 ・アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年3号の感想
 ・初任者に説く学級経営の基本
 ・カウンセリング上達過程における事例検討の意義
 ・文法家列伝:古代ギリシャ編
 ・ヒューム『政治論集』抄訳
 ・2013年9月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第四部 ゲルマンの世界を読む
 ・言語過程説から言語学史を問う
 ・2013年10月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』「第4部 ゲルマンの世界」第2篇を読む
 ・戦後日本の学力論の流れを概観する
 ・一会員による『育児の生理学』の感想
 ・文法家列伝:古代ローマ・中世編
 ・2013年11月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第4部 ゲルマンの世界 第3篇を読む
 ・古代ギリシャ経済の歴史を概観する
 ・2013年12月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』のまとめ
 ・ヘルバルト教育学の全体像を概観する
 ・年頭言:歴史を切り拓く学問の創出を目指して
 ・歴史的な岐路に立つ世界と日本を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年4号の感想
 ・一会員による2013年の振り返りと2014年の展望
 ・ヘーゲル『歴史哲学』を読む
 ・2014年1月例会報告:学問(哲学)の歴史の全体像について
 ・一会員による『学城』第10号の感想
 ・世界歴史の流れを概観する
 ・現代の言語道具説批判――言語規範とは何か
 ・2014年2月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章
 ・ヘルバルト『一般教育学』を読む
 ・新大学生へ説く「大学で何をどのように学んでいくべきか」
 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』学習会を振り返る
 ・『育児の認識学』は三浦認識論をいかに発展させたか――一会員による『育児の認識学』の感想
 ・2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章
 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
 ・文法家列伝:『ポール・ロワイヤル文法』編
 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
 ・道徳教育の観点から見る古代ギリシャの教育と教育思想
 ・古代ギリシャの経済思想を問う
 ・半年間の育児を振り返る
 ・2014年6月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章
 ・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
 ・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
 ・アダム・スミス「天文学史」を読む
 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
 ・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
 ・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
 ・夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編