2015年10月31日

一会員による『学城』第2号の感想(8/14)

(8)ある事物事象を真に理解するためには、その歴史性をも考察しなければならない

 今回取り上げるのは、諸星史文先生による医学の歴史に関する論文である。医学と医療との区別と連関をもとに、医療史とは何か、医学史とは何かが説かれていく。

 本論文の著者名・タイトル・リード文・目次は以下の通りである。

諸星史文
学問形成のために問う医学の歴史(2)
―医学史とは何か―

 現在医学史、ないし医療史とされているものの代表的な書物の事実をとりあげ、それらがどのようなものかを検討し、医療史とは何か、そして本来の医学史とは何かを、学問体系とは何かをふまえて明らかにしていく。

 〈目 次〉
一、前回の内容
二、『世界医療史』と『医学の歴史』は何が書かれているか
三、医療史とは何か、医学史とは何か
四、医学史一般から現在医学史とされているものを解く

 本論文ではまず、前回の内容が振り返られる。本論文の目的が学問形成のために医学史を問うことであること、しかしながら医学史の第一人者と目される酒井シヅですら、医学史と医療史の区別をつけることができなかったこと、ウィルヒョウが重要だと説いたのは医学史ではなく医療史であったことが確認される。その上で、今回は現在医学史、医療史とされているものはどのようなものか、本来の医学史とは何かを説いていくとされる。初めに、代表的な著作として、アッカークネヒト『世界医療史』とシンガー、アンダーウッド『医学の歴史1〜4』(ともに原著の題名はA Short History of Medicine)が取り上げられ、それらに説かれているものが何なのかについて、その記述内容や目次を挙げて検証される。結論を端的にいえば、両者とも医療の歴史について説かれているにすぎず、医学史を説いたものではないとされる。それでは、医療史とは何か、医学史とは何か、ということになるわけであるが、端的には、医療史とは、医療すなわち医師が行う病気の診断と治療にかかわる技術の歴史であり、医学史とは、学問体系としての医学の生成発展史であると説かれる。つまり、医学史は事実から導き出された論理の体系化の歴史的過程を問うものであり、単に医療の事実を並べる医療史とは全くレベルが異なるというわけである。最後に、医学史一般から両著作が医療史としかいえないことが、前号で説かれたKenntnisとWissenの違いを踏まえて確認され、医学を全体として把握するためには、歴史的な事実・事象も含めてあらゆる事実・事象を論理化し、理論化し、体系化する論理的実力が必須であると説かれる。

 本論文では、何といっても直接的に歴史が問われていることが注目される。ここまで取り上げてきた『学城』第2号の諸論文は、確かにマルクス「国家論」の原点が問われていたり、ヘーゲルや古代ギリシャの哲学が説かれていたり、人類が病気をどのように括ってきたかが概観されたりと、それなりに歴史に注目すべきことが述べられていたが、歴史というものを正面に据えて説いていくものは、この諸星論文が最初だといえるのではないか。

 では、なぜ歴史を問う必要があるのか。特に医学の歴史を問題にする理由はどこにあるのか。諸星先生は、これらの問いに対して、次のように答えておられる。

「本論文では、医学体系の確立とそれによる医療体系の確立化のためにこそ、医学史を問うものであり、学問形成のために問う医学史を説くことになる」(pp.112-113)

 つまり、医学の歴史を問うのは学問としての医学体系を確立するためであって、その医学体系を医療実践に見事に適用することで、医療の実践方法論の体系を確立するためである、ということだろう。さらに、なぜ医療の実践方法論の体系を確立する必要があるのかといえば、現在、多くの医療問題が続出しているにもかかわらず、そのための改革も全てが失敗に終わってしまっているからこそであり、そうした情況を何としても変革していくためには、「「医療とは何か」の学問的定義から体系的に把握」(p.112)する必要がある、ということである。

 医療実践というものは、直接患者さんの命に関わるものである以上、大きな責任が伴うものであるから、その責任を全うするためには、経験だけに頼るのではなくて、前回取り上げたP江論文で説かれていたように、「あらゆる病気に共通している1つの筋道」を見つけ出す、つまり病気の一般性を把握していくことが、どうしても必要になってくるのである。

 ここで問題になってくるのが、前号で説かれたKenntnisとWissenの違いについてである。両者がどのようなものであったかというと、「Kenntnisは外界の直接的な反映による知識」(p.123)であって、「Wissenは歴史を知る、文化を知るという意味での文化遺産の学びを通しての知識」(同上)である、ということであった。両者の違いを医療実践に関わって説けば、大学で学んだまさにそのままの病気(症状)や、自分かがつて診療したことのある病気(症状)であれば適切に診断し治療できるレベルの知識がKenntnisであって、教科書にも書かれていないしかつて診療したこともないような病気(症状)に直面しても、患者から必要な事実を導き出し、場合によっては補助的に様々な検査を駆使することによって、病気(症状)に至った過程の必然性を見てとることができるレベルの知識がWissenである、ということだろう。こうしたWissenレベルの知識を獲得するためにこそ、医学史を問う必要がある、ということである。

 具体的な本来の医学史とは何かに関わっては、次回説かれることになるようであるが、その本来の医学史とは何かを学ぶ前に、我々は、ある事物事象を真に理解するためには、その歴史性をも射程に入れて考察していかなければならないとする諸星先生の論理性、弁証法性をまずは学ばなければならないだろう。そしてさらに、事物事象の論理構造の生成発展史たる歴史を自らの生き方としても学ぶことで、「自分も人類の歩んできたこの見事な道のりを一歩でも前進させるのだ!」という「大志・情熱」を燃え上がらせることが、学問を創出する上では非常に重要であろう。
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2015年10月30日

一会員による『学城』第2号の感想(7/14)

(7)学問創出には主体性、責任感が必須である

 昨日家に帰ると、『学城』第13号がポストに入っていた。まだ現代社のホームページはアップされていないが、巻頭言や目次を読むだけでもわくわくしてきた。早速読み進めて、またこのような形で感想を認めよう。

 さて今回は、P江千史先生による「医学原論」講義を取りあげる。医師の実力をつけるためには、あらゆる病気に共通する1つの筋道を掴む必要があることが説かれる。

 以下に、本論文の著者名・タイトル・リード文・目次を提示する。

P江千史
「医学原論」講義(第二回)
─時代が求める医学の復権─

 科学的医学体系なくして見事な医療実践および医学教育はないことを論じた。そして現象論レベルとはいえそれなりに筋を通した教科書さえ使用しない現在の医学教育では、医師としての実力はつかないことを説いた。

 〈第二講 目次〉
 (1) 第一講の要旨
 (2) 医学体系と医療実践の関係
 (3) 医療実践から医学体系構築への道程
 (4) 医療実践を媒介とした医学体系と医学教育の関係
 (5) 「あらゆる病気に共通の1つの筋道」はあるか
 (6) 歴史的に病気はどのように分類されてきたか
 (7) 医学教育における教科書の重要性
 (8) 教科書による医学生の具体的な学ばせ方
 (9) 教科書を使わない医学教育の弊害
 (10) 医学教育にとり入れられたチュートリアル批判
 (11) 医学生の実力がつく基本から応用への学びの過程
 (12) 第二講の要旨

 本論文では、医学教育に体系性が必要だとされた前回の内容が振り返られ、科学的に体系化された医学とはどのようなものかを説くことが本論の主題であると述べられる。そして、医学と医療実践の関係について、医学は医療実践の事実を論理化し、理論化し、体系化したものであり、医療実践は科学的医学を実践に適用して初めて見事な実践になりうることが説かれる。さらに、P江先生の医療実践から医学体系構築への道程が示された後、医学体系と医学教育の関係が説明される。端的には、両者は医療実践を媒介として関わるものであるとされる。次に本論文では、「あらゆる病気に共通の1つの筋道」はあるかという問題提起を行い、これはあるのだと断言された後、病気がどのように分類されてきたのかという歴史的な流れが確認される。これまでの歴史を辿れば、人類は病気をそれなりの共通性で括って分類してきたのであって、その集大成が教科書だと説かれる。では、教科書をまともに学べば、病気についての考え方の筋道を必ず辿れるのかというと、(現代の教科書はせいぜい現象論レベルであるから)そうではないとされる。しかし、そうはいっても、教科書で学ぶ場合は、対象とする病気の全体像がまず明らかにされ、そこから個別の病気に入っていくし、記載のしかたもそれなりに一貫しているため、教官が作成するプリントで学ぶ場合に比べて、知識がそれなりに整序され、全体像も掴むことができるのだと説かれる。そして最後に、医学生に実力をつけさせるためには、「基本をしっかりと身につけさせてからその応用つまり使い方を学ばせなければならない」(p.109)ことが説かれる。

 本論文に関しても、まずは、『学城』第2号全体を貫くテーマである「大志・情熱」ということに関することを取り上げておきたい。それは、「そもそも筆者自身は、20数年前、医師としての実践にゆきづまることにより、実践を導いてくれる理論体系が医学にはないことを悟り、自らその科学的体系を創出することをめざして出立した」(pp.94-95)と述べられていることに関わる。前回も触れたように、こうした文章を読む場合には、単に事実として、「ああ、そうか。P江先生は20数年前に医師として壁にぶつかったのだな。だから医療実践ではなくて医学研究の方に進んだのだな」などと軽々に判断してはならないのである。それは、「それまで医師として、悪戦苦闘してきた研修病院および大学病院での診療、研究に加えて、それ以後市中病院さらには、自らが開設した診療所で、日々医療実践を行なうことにより、まさにそれらの事実を論理化し、理論化し、体系化するという科学的医学体系構築への道を歩き出すことができたのである」(p.96)と説かれていることからも分かる。つまり、「〜科学的体系を創出することをめざして出立した」というのは、医師としての実践を諦めることでは決してなく、見事な医療実践を行うためにこそ、医療実践のあらゆる事実を正面に据えて、それらの事実から共通性を導き出し、その論理を体系化することによって、医療実践を指導する見事な科学的医学体系を創出することを決心されたP江先生の「大志・情熱」が表現されている文言なのである。前回取り上げた悠季先生が、自分で古代ギリシャ語を日本語に訳しておられた思いと同じように、「医学に理論体系がないのなら、自分自身の手で創ってやろう!」という強烈な主体性、責任感が込められた表現なのである。この「大志・情熱」、主体性、責任感をこそ、本論文からはまず学ばなければならないだろう。

 次に押さえておきたいことは、基本技を重視することの大切さが説かれている部分である。「基本をしっかりと身につけさせてからその応用つまり使い方を学ばせなければならない」(p.109)というのは、武道界やスポーツ界では常識であるが、医学教育においては全く顧みられていないとされている。そこで、基本を重視する方法をある医学生に試してみた結果、「難なく医師国家試験に合格した」(p.110)ということであった。ここでいう基本技とは、「まずは文化遺産を整序して身につける」(同上)ことであると説かれているが、これは教科書で学んでこそ可能なことであり、我々が三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』などの教科書で行おうとしていることだということである。しっかりと確認しておきたい。

 もう1つ、この論文に関わって検討しておきたい問題がある。それは、「あらゆる病気に共通している1つの筋道」があるかどうかを問うておられる、そのP江先生の問題意識の持ち方である。そもそも学問とは、本質論に統括された論理の体系であるが、では本質論とは何かといえば、対象とする事物・事象を貫く、不動・不変の一般性を捉えた論理である。古代ギリシャのパルメニデスの言葉でいえば、「一にして不動」の論理である。医学を学問体系として構築しようとしておられるP江先生にとっては、諸々の現象を呈する様々な病気を貫く「一にして不動」の筋道を問うことこそ、医学の本質論を確立するためには必須の過程であったのである。この姿勢は学問一般に関わっても必須であろう。つまり、自らが専門とする事物・事象に関わって、こうした「一にして不動」の論理を問うことが厳しく求められているのである。

 私の専門分野である言語学についても、もちろんこうした姿勢で、「一にして不動」の論理を問うことが求められている。印欧語のみにあてはまる理論ではなく、もちろん日本語にのみあてはまる理論でもなく、人類が誕生して以降、言語なるものを歴史的に創出し、社会的認識の発展過程に規定されながら、さらには時代時代の社会的認識を発展させもしてきた言語一般について、「あらゆる言語に共通している1つの筋道」をまずはしっかりと把握しにかかる必要があるのだ、ということである。

 我々京都弁証法認識論研究会では、各会員がそれぞれの専門分野を設定して、それぞれの学の構築を志しているわけであるが、本論文で学んだように、大きな「大志・情熱」、主体性、責任感を土台として、その上で、対象たる事物・事象に関する「一にして不動」の論理を創出することを目指して、それぞれの会員が日々の研鑽に励んでいくことを、ここに改めて宣言しておくものである。
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2015年10月29日

一会員による『学城』第2号の感想(6/14)

(6)古代ギリシャの学問の実像を明らかにするとはどういうことか

 今回も引き続き悠季真理先生の論文を取り上げる。ここでは、古代ギリシャのポリス社会について説かれた後、当時の対話がどういうものであったのかが論じられていく。

 以下、本論文の著者名・タイトル・リード文・目次を掲げておく。

悠季真理
古代ギリシャ哲学、その学び方への招待(2)

 本稿では、古代ギリシャ哲学を理解するために、ギリシャ哲学を生みだしたポリス社会とはいかなるものであったか、そしてその社会の中でどのような対話がなされていたのかを、原典資料に基づいて論じる。

 〈目 次〉
 はじめに
一、古代ギリシャ哲学を生みだしたポリス社会とは
二、古代ギリシャにおける対話とはいかなるものであったか
 (1) ソクラテスとニコマキデスとの対話
 (2) ソクラテスとペリクレスの息子との対話
 (3) ソクラテスとエウテュフロンとの対話

 本論文ではまず、古代ギリシャ人の書き残したものの意味するところを理解するためには、いわゆる古代ギリシャ語文法書なるものを繙いて、それを頼りに読むだけでは不十分であって、言語の基盤である認識がいかにして形成されたか、その大本となる古代ギリシャの外界とはいかなるものかを知る必要があることが説かれる。そして、当初はオリエント的要素を取り入れて王政であった古代ギリシャの共同体で、商人や職人らがしだいに富を蓄え、これらの新興階級と王侯貴族との社会的な格差がしだいに小さくなっていき、市民たちの話し合いによって国政が行なわれるというあり方になったことが説かれる。ポリスは市民たちの戦士共同体であって、アクロポリス(城砦)やギュムナシオン(体育訓練場)が整備されていたのであって、当時の市民たちは、午前は農作業や商業に従事したり民会に出かけたりし、午後は軍事訓練に励んだのであった。では、市民たちは、ギュムナシオンやアゴラなどでどのようなことを話し合ったかということが、次に具体例を示して説明される。端的には、古代ギリシャで行なわれていたのはポリスの具体的な問題に関わっての話し合いであって、高尚で抽象的な学問的議論のようなものではなかったのだということである。しかし当時にあっては、頭の中の像を言語化することが非常に困難であって、対話の流れがほとんどかみ合っていない情況であったことも説かれる。しかし、対話にもなっていないようなレベルから、何とか対話ができるレベルへ、さらにはフィロソフィアといわれるようなあるレベルの認識にまで、対話の長い歴史を積み重ねることによって、徐々にではあるがギリシャ人は到達していくことになるのだ、と説かれている。

 この論文に関してまず取り上げたいのは、クセノフォン『ソクラテスの思い出』やプラトン『エウテュフロン』など、引用されている原典の日本語訳が全て悠季先生訳であることである。このことに関して悠季先生は、『学城』第2号の「編集後記」にて、学問的古典の訳書に愕然とするほどの数多の誤訳があることを指摘しておられるし、本論文でも以下のように述べておられる。

「本論文では、既存の日本語訳にとらわれることなく、現在残されているギリシャ語の文章に即しつつも、当時の状況になるべく近づけて、その対話の様子を活き活きと浮かび上がらせられるように訳して紹介してみたい。」(p.83)

 これはつまり、現在日本語訳として出版されている古典に属する著作については、あまりにも誤訳が多いため、当時の人々の認識を表す言葉としては不適切であって、だからこそ悠季先生が自分自身で当時の状況を再現できるような訳を行っておられるのだ、ということである。そもそも、現在出版されている学問的古典の訳書に誤訳が多い、などということが分かるだけでも大変な研鑽が必要であろうし、ましてや、「それならば自分で訳してやろう!」と決意し、それを実行できることも、大変な決意だということは想像に難くない。これは第2号全体を貫くテーマである「大志・情熱」ということに大きく関わっていることであって、何としても古代ギリシャの学問の実像を明らかにするのだ、そこから哲学とは何かを自らの頭脳に創り上げるのだ、という悠季先生の強烈な「大志・情熱」がうかがい知れるところだと思う。一見、サラッと述べられているだけで、うわべだけで言葉だけを読んでしまうと何の困難もないかのように思われてしまう恐れもあるが、ここに述べられていることの背後には、こうした悠季先生の並々ならぬ決意や思いがあるのだ、ということをしっかりと把握しなければならないと思う。

 また、上記のこととも関連するが、この論文では古代ギリシャで行われていた会話の実像が明らかにされていることも興味深い。一般的には、前回取り上げた論文でも述べられていたが、古代ギリシャで行われていた対話といえば、何か非常に高尚な、日常の事実とはかけ離れた抽象的な議論であったのではないかと思われがちであるが、決してそうではないのだということが、認識論を駆使して説かれている。

「なぜならば、人間の認識は外界を反映し、かつそれらに問いかけて創られるものであり、この当時のギリシャ人にとっての外界とは、ポリス社会とそれに敵対する外国以外のものではありえなかった。したがって、彼らの創り上げた学問というものも、ポリス社会の安寧に関わっての諸々の事実を反映し、問いかけて描かれた像を発展させていったものなのである。」(p.86)

 古代ギリシャ人は、戦士共同体であるポリス社会を維持・発展させるためにこそ、諸々の知見を集め、互いに意見を闘わせていたのであって、抽象的な把握を行えるような認識の実力はまだなく、あくまでも現実の事実をもとにした具体的な認識をもとにして対話を行っていたのである。また、その認識を表現する言語についても、当時はまだ文法が整えられていなかったのであって、言語表現は十分には発達していなかったのである。こうしたことが、古代ギリシャの対話を再現することによって明らかにされているのである。

 我々も、自らの学問を創出するためには、実際に古代ギリシャ語を日本語に訳すまでは不可能であるにしても、何としても古代ギリシャの学問の実像を把握するのだ、そのためには当時の人々の認識を、悠季先生が訳された当時の会話を手掛かりにしっかりと自分の脳細胞に描きだそうとする努力が必要なのだ、そのためには当時の外界を活き活きと描けるように研鑽する必要があるのだ、ということをしっかりと肝に銘じて、日々の研究を行っていく必要があるのである。
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2015年10月28日

一会員による『学城』第2号の感想(5/14)

(5)「大志・情熱」を生き生きとした五感情像として創出する必要がある

 今回取り上げるのは、悠季真理先生による古代ギリシャの学問に関する論文である。古代ギリシャの学問が形成される過程について、地理的条件や社会的認識の発展過程に着目して説かれていく。

 本論文の著者名・タイトル・リード文・目次は以下のとおりである。

悠季真理
古代ギリシャの学問とは何か(2)

 本稿では、諸学問の源といわれる古代ギリシャのフィロソフィアがいかなる歴史的世界で誕生したのかを簡単に紹介し、その誕生の謎を解くために、人類の社会的認識の発展過程をふまえながら考えることの重要性を説く。

 〈目 次〉
はじめに
一、古代ギリシャの世界
二、諸学問の源としてのフィロソフィア
三、これまでギリシャの学問はどのように捉えられてきたのか
四、学問を生み出すにいたるまでのギリシャ人の辿った道
五、ギリシャがギリシャになるまで

 本論文では、まず、前回の確認として、古代ギリシャのフィロソフィアがポリスの存亡に関わっての必要な知識のことであることが述べられた後、そのフィロソフィアがどのような時代にどのような人びとによってどのように創られたのかを説いていくとされる。そして、古代ギリシャ世界がどのような世界であったのかが、地図の提示も含めて確認されていく。端的には、ギリシャ本土は東地中海にあるオリエントの一角に位置しており、非常に広範囲にわたって植民市が建設されたことからも分かるように、あくまでも地中海全体という大きな広がりをもった世界であったことが述べられる。こうした地理的自然的環境が確認された次には、諸学問の源としてのフィロソフィアが具体的にどのようなものであったのかが説かれていく。それはポリスを統括するために必要なありとあらゆる問題を考え、その問題を究明していった過程で生まれた土木建築技術、造船技術、天体・気象についての知識、兵法、国政のあり方等々、非常に広範囲にわたる知識が一体として学ばれていたのであった。これまでギリシャの学問は、あたかも実利とは無関係に純粋にただ知りたくて学問をしていたように捉えられていたのであって、実践と切り離されたものだとされていたのであるが、これは大きな間違いであって、ポリスの存亡をかけた必死の格闘レベルでの対象との関わりがギリシャの学問として結実したことが説かれる。そして、こうした学問がギリシャの地で形成されたのは、当時の先進地域であるオリエント諸国の文化に憧れ、必死の努力でそれらを学んだからにほかならないことが説かれていく。

 この論文でまず取り上げたいのは、ヘーゲルの学問とともに古代ギリシャの学問が「全ての学問の源として後世の志ある人々にとっての憧憬の対象」(p.60)だと述べられていることである。これは単に、事実として、学問を志す人々が古代ギリシャの学問に憧れを抱いているということを述べただけのものではない。古代ギリシャの学問と聞いただけで、非常に強い学びへの欲求が生れてくるような頭の中身を創らなければならない、ということだろう。後の方でも、古代ギリシャが学問を形成できたのはオリエント諸国の最先端の文化に憧れたからだと説かれてもいるように、これは学問を創出するためには、まず何よりも絶対に古代ギリシャの学問を学び取るのだという強烈な認識が必要だということだと捉えられると思う。

 この論文ではほかにも、生き生きとした五感情像を創っていくということに関して説かれている部分がある。例えば、古代ギリシャの学問の真の姿に迫っていくためには、まず「古代ギリシャ世界とは、果たしてどのような世界であったのかということについての、学問を理解するに役立つ当時の活き活きとしたギリシャ世界の像」(p.61)が必要だとされている。具体的には、次回取り上げる論文でも説かれているが、古代ギリシャ人は文武両道は当たり前のこととして、両者を統一して学んでいたこと、民会や裁判所といった直接の政治の場以外でも、体育訓練場や広場などでも日々のいろいろな問題を語り合ったことなどの像が活き活きと描けなければならないということだろう。また、悠季先生がギリシャの港町で元船員の方から「私は神戸や横浜に行ったことがある」という話を聞いたことに関して、「彼らはある意味では、古代ギリシャからの遥かなる海洋文化の伝統の歴史を、その背後に背負っている人びとなのだと考えることができるだけの空想力のたくましさ」(p.64)をもつ必要があることが説かれている。こうした悠季先生の指摘は、同じ事物事象を見てとっても、それぞれの頭の中に描かれる像は大きく異なったものとなっていくのが人間であって、学問を志す人間は、ダイナミックで豊かなイメージが描けるような脳細胞を創出していく必要があるのだということであると思う。これは『学城』第2号全体を貫くテーマである「大志・情熱」にも関わる問題であって、「大志・情熱」とは何かといえば、全世界を手のひらにのせて、いかようにでも動かすことができるような、そんな実力を目標として、自分の夢を大きく描いていくものである、そういう「大志・情熱」をこそ把持しなければならない、ということになるのだと思う。

 さて、この論文に関しては、もう1つ確認しておきたいことがある。それは、「古代ギリシャは、古代ギリシャ独自の実力によって、その学問を生みだし、そして独自の実力で発展させ、さらにその結果としてフィロソフィアといわれるほどのレベルの文化にまで発展させることができたわけではない」(p.62)ということが非常に強調されて説かれていることである。これは端的には、ヘーゲルの捉え方を痛烈に批判しているのである。ヘーゲルは『哲学史』において、ギリシャ文化がエジプトなどの「異国的起原」を持つことは認めながらも、ギリシャ人がそれを「ほとんど抹殺し、変更し、加工し直し、転換し、それから全くちがったものを作り出した」と強調した上で、ギリシャについて追究する際には、その異国的起原にまで遡らず、ギリシャの内部に視野を限ったとしても大丈夫だ、と説いているからである。しかしこのようなヘーゲル的な把握では、古代ギリシャにおいて学問が形成された必然性が説けないのであって、古代ギリシャがオリエント世界との物質的、精神的な交通関係を築いていって、そのオリエント文化への強烈な憧れ、オリエント世界からの圧倒的な影響こそが、古代ギリシャの学問を形成させた大本なのだという唯物論的な把握が必要だ、と悠季先生は説いておられるのであろう。

 なお、この問題に関しては、我々京都弁証法認識論研究会の2015年5月例会において論点として取り上げ、突っ込んだ議論を行ったので、興味のある方は「2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派(7/10)」を参照していただきたい。
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2015年10月27日

一会員による『学城』第2号の感想(4/14)

(4)ヘーゲルの「大志・情熱」に学ぶ

 今回取り上げるのは、本田克也先生によるヘーゲル哲学の学問的意義を問う論文である。エンゲルス『フォイエルバッハ論』を取り上げつつ、ヘーゲルの全体系を唯物論的に再措定することの重要性が展開されている論文である。

 以下、本論文の著者名・タイトル・リード文・目次を掲載する。

本田克也
エンゲルス『フォイエルバッハ論』にみる、
ヘーゲル哲学の真の学問的意義とは
―自然科学の新時代はいかにして拓かれたか―

 エンゲルス『フォイエルバッハ論』には、ヘーゲル以降、急速に展開した個別科学が、哲学を不要なものにしたと説かれているが、これは真実であろうか。これまで不問にされてきた自然科学の革命的発展の実像を暴く。

 〈目 次〉
はじめに
一、『フォイエルバッハ論』とはいかなる書物か
二、『フォイエルバッハ論』とその時代
三、19世紀の三大発見はいかにしてなされたのか
四、エンゲルスの選択は正しかったのか
五、ドイツ古典哲学の終結と、ドイツ黄金時代の終焉
六、新たなる時代の学問確立に向かって

 本論文では、エンゲルス『フォイエルバッハ論』には学問の歴史を転回させた大きな謎が秘められているとして、それがどういうことかについて説かれていく。まず、『フォイエルバッハ論』がヘーゲル哲学とマルクス・エンゲルス学派の関係について論じた著作であること、にもかかわらずヘーゲルではなくフォイエルバッハを論じたのはヘーゲルを直接論評することから避けたからであること、この著作にはその後のドイツと学問の没落を予言するような大きな矛盾が含まれていることが述べられる。そして、19世紀初頭のドイツの情況について、学問を軸として精神の王国を建設しようとしたその核にベルリン大学が位置付けられていたのであって、ベルリン大学をナポレオンによるドイツ侵略からの復興の旗印にしたことが述べられる。ドイツの科学を支えたのがベルリン大学であって、その学的支柱がヘーゲルであったのである。しかし、この事実はほとんど無視されている情況であって、三浦つとむでさえ自然科学そのものの発展によって新しい自然観に実証的に到達したと述べているが、ここに疑問が呈されている。そこで、具体的に19世紀の三大発見(エネルギー論・細胞論・進化論)がいかにしてなされたのかが検証される。端的に結論をいえば、それらはヘーゲル哲学を学ぶことによってなされたのであり、またヘーゲル哲学がその時代に浸透していたがためにそれらが受け入れられたのである、ということである。だがエンゲルスは、これら三大発見は自然哲学と決別した自然科学的研究によってなされたものであると主張したのである。これはエンゲルスが、ヘーゲルの「絶対精神」が統括する学問の中身そのものではなくて、弁証法のみを切り出して取り上げ、弁証法を形骸化し死んだものにせざるをえなかったからだと説かれる。最後に、だからこそヘーゲルの全体系を唯物論的に再措定することが必要であり、この日本で学問の灯を再び燃やすことを成し遂げたいという思いが語られる。

 『学城』第2号では、今回取り上げる本田論文までの3論文において、いずれの論文でもヘーゲルが取り上げられている。また、次回取り上げる悠季真理先生の論文や、南郷継正先生の論文でも、ヘーゲルが取り上げられている。これは何故かといえば、ヘーゲルが観念論の立場に立ったものとはいえ、学問体系の完成にあと一歩のところまで迫った大哲学者であったことはもちろんであるが、第2号全体を貫くテーマである「大志・情熱」ということとも大きく関係していると思われる。

 ヘーゲルは、19世紀ドイツの華々しい科学的発展を支えたベルリン大学に招聘され、その「就任演説」で以下のように語ったことを、本田先生はシュテーリヒ『西洋科学史』から引用しておられる。

「自然は、理性をただ必然性において完成するということ以上に出ない。しかし精神の王国は自由の王国なのだ。人間の生を脈絡づけるもの、価値をもちまたもってしかるべきものは、すべて精神的自然である。そしてこの精神の王国は、ただ真理と法とについて意識がある場合にのみ、理念を把握することによってのみ実在する。
 真理への勇気、精神の力への信仰が、哲学研究の第一条件である。人間は自己を尊敬し、自分こそ最高の価値あるものとみなすべきである。精神の偉大さと力とを、人は、それ相応なほどに大きくは考え得ない。」(p.43)

 この演説は、絶対精神としての人間の精神の偉大性を示し、その無限の可能性を主張しているものであるが、筆者にはそれだけではなくて、ベルリン大学の学生へ向けてヘーゲルの「大志・情熱」を伝えようとする非常に熱い心が表現されているように思われる。若い頃から学問を志しながらも、シェリングという超天才の陰に隠れて不遇の長い年月を送ってきたヘーゲルであったが、腐ってしまうことなく、精神の偉大性を信じて学び続けてきたからこその、こうした演説なのだと思う。ここにヘーゲルの学問に懸ける「大志・情熱」が込められているように思うのである。

 本論文の最後で本田先生は、停滞してしまっている学問を新たな段階へと推し進める使命が現代に生きる我々にはあるのだ、そのためにはヘーゲルの体系を再措定し唯物論として完成しなければならないのだ、かつてのドイツの黄金時代を日本において再現するのだ、ということを、控えめな言葉づかいながら思いとしては力強く宣言しておられる(ように感じられる)。これは文字通りの言語としては、ヘーゲルの体系を学び取ることに焦点があてられているものの、その認識には、ヘーゲルの「大志・情熱」をこそまずは自分のものとしなければならないのだということがあるのだと思う。「就任演説」に現れているようなヘーゲルの「大志・情熱」をしっかりと学ぶことこそ、ヘーゲルの体系を再措定する前提なのだということである。

 ここで注意すべきは、ヘーゲルの「大志・情熱」とはどのようなレベルのものであったかということである。それは端的には、19世紀ドイツの華々しい科学的発展(「エネルギー転化の法則」の発見、進化論、細胞説など)を支えた土台たる哲学を創出するような、そんな偉大なレベルの「大志・情熱」であったのだ、ということである。

 我々京都弁証法認識論研究会は、今年から毎月の例会においてヘーゲル『哲学史』を学んでいるのであるが、その著作として残っている結果だけを見るのではなくて、ヘーゲルが辿った学問の道がいかなるものであって、そこを辿ることができたのはヘーゲルのいかなるレベルの「大志・情熱」があったからか、こうしたことをもしっかりと学び取っていかなければならないだろう。
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2015年10月26日

一会員による『学城』第2号の感想(3/14)

(3)「偉大な世界史的情熱」を持つことの重要性

 今回は加納哲邦先生の国家論論文を取り上げる。この論文では、ヘーゲル『歴史哲学』を引用しつつ、滝村氏がヘーゲル国家論からマルクス・エンゲルスの国家論に至る流れをどのように説明しているのかが説かれていく。

 本論文の著者名・タイトル・リード文・目次は以下である。なお、『学城』誌上では、目次はなく、本文に項番のみ振られているため、その項番に私なりにタイトルを付して目次とした。

加納哲邦
学的国家論への序章(2)
―国家学構築への視点を問う―

 滝村氏が学んだマルクス・エンゲルスの学的源流とも言える哲学者ヘーゲルの国家論を、同氏がマルクス主義国家論の成立過程を説いた文章に則って、『歴史哲学』の国家に関する記述を取り上げて説く。

 〈目 次〉
 (1) 滝村氏の説くヘーゲル国家論からマルクス・エンゲルスの国家論への流れ
 (2) ヘーゲル哲学の要諦は「絶対精神の自己運動」である
 (3) 滝村氏はヘーゲルの真意を捉えきれていない
 (4) ヘーゲルは国家の規定を述べているのではなく国家の中身を記している

 本論文では、国家に関わる諸々の世界レベルでの問題を解決するためには、国家の本質に迫ってゆく必要があるとして、そのために先達の文化遺産を学び取る必要があり、ヘーゲルの流れを受けて国家について最も深く論究した滝村隆一氏にスポットをあて、『マルクス主義国家論』を取り上げるという前回の内容が確認される。そして、滝村氏がヘーゲルの国家論からマルクス・エンゲルスの国家論に至る流れを説いた部分が引用され、まずはヘーゲルに関する部分が検討される。ヘーゲルは理性的意志と主観的意志との統一が国家にほかならないと説いたのであるが、ヘーゲルの歴史や国家に関する言葉を真に理解するためには、ヘーゲルの学問体系全体を理解する必要があり、その要となる考え方が「絶対精神の自己運動」であるとされる。次に、マルクス・エンゲルスの説くZusammenfassungの日本語訳が問題にされる。滝村氏は一般的な訳語に従って「総括」と訳しているが、ここは「統括」と訳すべきだとして、国家が社会を法的規制レベルで体系的にまとめて支配下におくという把握がヘーゲルからマルクス・エンゲルスにおいてなされていることが説かれる。以上をふまえて、滝村氏が説く理性的意志を理念だとし、主観的意志を個人の具体的な意志だとする見解について、アバウトレベルではまちがいないものの、ヘーゲルの真意とはやや異なることが述べられる。ではそのヘーゲルの真意とは何か。この問題については、「自由」という言葉の中身を検討する過程を通じて、結論的には、理性的意志とは「絶対精神」にとってのあるべき国家を創ろうとする意志であり、主観的意志とは国家指導者レベルの意志であって、これらが統一されて国家は運営されていくということだと説かれている。

 本論文ではまず、筆者の専門分野である言語の問題について簡単に触れておきたい。それは、Zusammenfassungというドイツ語をどのように訳すのかという問題である。通常の辞書に従えば、これは「総括」と訳すことになるのであるが、加納先生はこれは「統括」でなければならないとされている。その理由は端的には、国家が社会を「総括」するのであれば、国家が社会をまとめるとはいっても、どうしても把握・制御していない部分があるということにならざるを得ず、「絶対精神」に統御できないような「漏れ」があるようなことになってしまうが、ヘーゲルの「絶対精神」の規定からいってそうしたことはありえないからだ、ということである。この考え方は、言語を言語のみから捉えるのではなくて、言語をその大本となった認識(「絶対精神」というヘーゲルの学問体系の中枢)から把握しようという、非常に弁証法的な考え方だといえるだろう。

 さて、『学城』第2号全体を貫くテーマである「大志・情熱」に関わっては、本論文では、前回取り上げた近藤論文と同様、世界レベルでの国家の危機を正面に据えて、現実に現れている諸々の課題を根本から解決するためにこそ、国家論を構築しなければならないのだ、という加納先生の「大志・情熱」が感じられることをまず述べておかなければならない。国家に関する問題を解くためには、そもそも国家とは何かという国家の本質に迫っていく必要があるのであって、このためには、先達の文化遺産をしっかりと学び取る過程が必須なのだ、そのためにこそ滝村国家論を取り上げるのであり、その滝村国家論の源流たるマルクス・エンゲルスの国家論、さらにはヘーゲルの国家論にまで遡って、論理的な把握をする必要があるのだ、ということである。

 また、本論文では、この「大志・情熱」ということに関わって、ヘーゲル『歴史哲学』が引用されていることも興味深い。ヘーゲルは、歴史とは自由を実現していく過程であると説くのであるが、ではその自由というのはどのように実現していくのかを以下のように説いている。つまり、絶対精神の理性的意志がそのまま実現するのではなくて、自由の実現のためには主観的意志という「材料」が必要なのであるが、この主観的意志というものは「偉大な世界史的情熱である場合に限られる」(p.34)というのである。これは要するに、絶対精神の理性的意志を実現し、自由を達成するという歴史の発展に寄与するものは、滝村氏が説くような単なる「個人の具体的な意志」などという一般的なものではなくて、「カエサル、アレキサンダー、ナポレオン」(p.35)などのような「歴史的個人、英雄」、「国家指導者レベルの意志」(同上)であるということである。逆にいえば、「偉大な世界史的情熱」がなければ、そもそも歴史の原動力たる人物にはなりえないのだ、という痛烈な内容がここで説かれているのである。

 我々は、学問の力を通じて、この日本を、世界を、大きな人類史の発展の流れに沿って推し進めていくためにこそ、日々の研鑽を行ってきている。「対象の必然性=法則性を把握することによって、対象の構造性=法則性に見合った行動ができる」(p.34)ような、本当の意味での「自由」を求めて学び続けているのである。こうした「大志・情熱」の意味を、歴史上の「偉大な世界史的情熱」を持つ先達の思いに重ね合せながら学び直し、ヨリ大きな「大志・情熱」を持って今後の研究活動に突き進んでいかなければならないということを、本論文では学んだのであった。
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2015年10月25日

一会員による『学城』第2号の感想(2/14)

(2)天下国家を論じる大志が学問を構築する上では必須である

 今回から、『学城』第12号に掲載されている各論文について、順次その感想を述べていきたい。

 初めに取り上げるのは、近藤成美先生のマルクス「国家論」に関わっての論文である。ここでは、社会学者クノーの著作である『マルクス歴史・社会・国家学説』が取り上げられ、マルクスの国家論とヘーゲル哲学とのつながりが説かれていく。

 まずは以下に、本論文の著者名・タイトル・リード文・目次を掲載する。

近藤成美
マルクス国家論の原点を問う(2)
―ヘーゲルから継承した市民社会と国家の二重性について―

 今回は、「唯物史観」について若干の補足を行なったあと、マルクスの社会論や国家論などについて系統的に論じた、ドイツ・ワイマール共和国時代の社会学者クノーの大著『マルクス歴史・社会・国家学説』に入っていく。

 〈目 次〉
はじめに―なぜいま国家論なのか―
 (1) 激動の二十世紀を振り返る
 (2) なぜいま国家論なのか   (以上前回)
 (3) 唯物史観をめぐって
一、ハインリッヒ・クノー著『マルクス歴史・社会・国家学説』をめぐって
 (1) なぜ『マルクス歴史・社会・国家学説』か
 (2) 『マルクス歴史・社会・国家学説』の概要について
  A 第九章 ヘーゲルの歴史及び国家学説
  B 第十章 マルクスの見方による社会と国家

 本論文ではまず、前回の振り返りとして、マルクスやエンゲルスが資本や国家の概念規定ができていなかったのではないかという問題提起を確認した後、この論文の目的が、マルクス国家論をヘーゲルに遡りながら検証していくことにあることが述べられる。そして前回の補足として、エンゲルスのいう唯物史観なるものが、経済的なものだけが歴史を決定するといった単純なものではなく、観念的なものも歴史に大きな影響を及ぼすことを認めていることが説かれている。その上で、マルクスやエンゲルスの国家や社会についての論説を、ヘーゲルを正面に据えて検証した唯一の人物として、クノーが取り上げられるのである。クノー著『マルクス歴史・社会・国家学説』は、マルクスやエンゲルスが断片的にしか説いてこなかった社会や国家について、理論的再構成を試みた著作だとされ、ヘーゲルおよびマルクスの捉えた市民社会と国家の問題に的を絞って解説されていく。ヘーゲルの歴史及び国家学説に関しては、ヘーゲルが政治的な時事問題に長い期間関わっていたこと、人間の労働が社会的なもので規範の形成を伴うことを指摘するなど、ヘーゲルは見事な労働論を展開していること、ヘーゲルが国家を市民社会の上に立って法的に特殊利害と一般利害とを統合するものとして捉えていたことなどが説かれていく。さらにマルクスの社会と国家の見方に関しては、その基礎をヘーゲルから継承したものであるとして、これまでの通説でいわれている、マルクスが理論的にヘーゲルの国家論・市民社会論を超えたという把握に対して、大きな疑問を投げかけておられる。

 本論文に関して注目したいのは、クノーが『マルクス歴史・社会・国家学説』を執筆した背景、および近藤先生がこの著作を取り上げられた理由についてである。前者に関しては、以下のように説かれている。

「1918年、第1次世界大戦に敗れ、戦勝国からの莫大な負債を背負わされた危機的な状況下で、ドイツ・ワイマール共和国の政権を担うべき社会民主党は、すでに第1次世界大戦の最中に戦争予算への賛否を巡って分裂しており、敗戦後の革命戦略や経済政策に関しても一貫した方針を出せずに右往左往していた。一方ロシアでは、レーニンらの主導した革命が成功し、社会主義建設へ向けての、ボルシェビキによる独裁政治が始まっている。クノーがこの本を執筆した1920年とは、そういう時代である。ドイツ社会民主党の混迷の原因を、クノーは、党を支える理論の不備に、そしてマルクス・エンゲルスが、社会や国家について断片的にしか説いてこなかったことに求め、理論的再構成を試みたのである。」(p.17)

 つまりクノーは、政権を担うべき党が崩壊状態にあるのはそのよって立つ理論の不備にあるとして、自らの国家の将来を立て直すべく、マルクス・エンゲルスの社会論、国家論の再構築を行うために、『マルクス歴史・社会・国家学説』を執筆したということである。ここで重要なことは、国家の再建のためにこそ、というクノーの思いであろう。第1次世界大戦での敗戦、ドイツ社会民主党の混迷、社会不安など、クノーを取り巻く情況は非常に厳しいものであって、絶望的ともいえる中にあって、しっかりと理論的な解決を与えることによってこの国を何とかしよう、立て直そうという「大志・情熱」でもって、『マルクス歴史・社会・国家学説』は執筆されたのである。

 そしてこの「大志・情熱」こそが、見事なヘーゲル論として結実していることも示されている。具体的には、クノーがヘーゲルを読み解いた内容として、「社会的欲求満足の手段」(p.18)である労働が発展し分業が生じると、そこから規範が形成されるという形で、人間の労働が社会的であることを説き、さらにここから市民社会の規定へと進んでいくことが述べられているのである。

 近藤先生がこの著作を取り上げられた理由については、直接的には、「ヘーゲルから大きく学び、自ら正統マルクス主義を任じながら、マルクスの革命と国家の死滅に関する理論的動揺や、国家形成論についてのエンゲルスの踏みはずしを、1920年という時代に…指摘しえた」(p.14)ことの偉大さが挙げられている。しかし、それはそうとしても、ヨリ根本的には、クノーがこうした論理的な業績を上げることができたのは、上に述べたような「大志・情熱」があったがためであって、ここをこそ近藤先生は見抜いて、ここにこそ学ぶべきだということを、言外に説いておられるのではないか、と思わされるのである。天下国家を憂いて、何としてでも現実に起きている問題を解決するのだという「大志・情熱」がなければ、国家論など論じても机上の空論でしかなく、せいぜい大学で政治学を教えることで糊口をしのげる位なものである、「大志・情熱」こそが天下国家を論じる土台である、こうしたことを近藤先生は説いておられるのではないか。

 我々京都弁証法認識論研究会も、互いの「大志・情熱」をぶつけ合い、高め合い、燃やし合いながら、これらを原動力として学問の創出に日々励むべく、「大志・情熱」の学問構築上の重要性をしっかりとこの論文から学ばなければならない。
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2015年10月24日

一会員による『学城』第2号の感想(1/14)

《目 次》(予定)

(1)「大志・情熱」が『学城』第2号の全体を貫くキーワードである
(2)天下国家を論じる大志が学問を構築する上では必須である
(3)「偉大な世界史的情熱」を持つことの重要性
(4)ヘーゲルの「大志・情熱」に学ぶ
(5)「大志・情熱」を生き生きとした五感情像として創出する必要がある
(6)古代ギリシャの学問の実像を明らかにするとはどういうことか
(7)学問創出には主体性、責任感が必須である
(8)ある事物事象を真に理解するためには、その歴史性をも考察しなければならない
(9)歴史を繙くことによってこそ、現在の問題を解くことが可能となる
(10)「人間は変わり得る存在である」という信念を持つことが必要である
(11)建築と言語とはどのような点で共通しているか
(12)学問への道はどのようなものか
(13)世界歴史の学びは「大志・情熱」を燃え上がらせる
(14)「大志・情熱」に加えるに「論理能力」も必要となってくる


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(1)「大志・情熱」が『学城』第2号の全体を貫くキーワードである

 本ブログではこれまで、「一会員による『学城』第8号の感想」(2011年9月28日〜10月7日)から始まって、「一会員による『学城』第9号の感想」(2013年1月20日〜1月30日)、「一会員による『学城』第10号の感想」(2014年2月15日〜2月24日)、「一会員による『学城』第11号の感想」(2014年9月24日〜10月5日)、さらに一度原点に立ち返っての「一会員による『学城』第1号の感想」(2015年3月29日〜4月10日)、もう一度最新号に戻っての「一会員による『学城』第12号の感想」(2015年7月2日〜7月14日)と、日本弁証法論理学研究会編集『学城』誌を丹念に読み解き、その学的成果を自らのものとすべく、その感想を書き記す取り組みを行ってきた。

 当初は、最新刊が出るたびに感想を認める形でブログ掲載してきたのだが、第12号の感想を掲載する予定であった日までに、その号が出版されないというアクシデントがあったため、やむなくというよりつじつま合わせで第1号の感想を執筆し、その代用としたのであった。

 ところが、この原点ともいえる第1号の感想を認めるうちに、これは最新号の『学城』を本当の意味で理解して自分の実力とするためには、さらには自分の学問を自力で創出していく土台となる学問力を創り上げるためには、どうしてもこの『学城』が辿ってきた道のりをもう一度(といわずに何度も何度も)辿り返す必要があるのではないか、そのためにも、これまで感想をブログ掲載論稿の形でまとめられていない第2号から第7号までの『学城』についても、じっくりと学び直す必要があるのではないか、と思われてきたことであった。

 そこで今回は、上記の思いを決意として表すためもあって、『学城』第2号の感想を執筆していくことにする。当然、今後、順次、第3号、第4号…と感想を認めていくとともに、最新号が発刊され次第、そちらもきっちりと学んでいき、感想を述べていきたいと思う。

 さて、今回の論稿で取り上げる第2号であるが、いつものように第2号全体を貫くキーワードを考えてみて、そのキーワードを中心にして、論理展開を手繰っていくこととしたい。そのキーワードであるが、第2号全体を貫くものとして、「大志・情熱」ということがあるのではないかと思う。詳しい内容、各論文に展開される「大志・情熱」の中身については、次回以降で順次述べていく予定であるが、1つだけその根拠を示せば、巻頭言に「人類一般の大志、目的といったものへの情熱を、私たちは学問という人類最高の精神の部門へと向けることを決意し、その決意をかためて出立したのが、この『学城 ZA-KHEM,sp』である。」(p.2)とあることである。この『学城』誌は、日本弁証法論理学研究会の先生方の大いなる「大志・情熱」に溢れているのであって、論じられている中身もさることながら、その「大志・情熱」をも感じ取って学ばなければならないのである。

 では、我々京都弁証法認識論研究会にとって、学問の創出を目指す上で、「大志・情熱」というのは一体どういう意味があることなのであろうか。ここをしっかりと確認しておく必要がある。それは、以前本ブログに掲載した以下の文章を読んでいただくことで確認しておきたいと思う。

「まずは、学問への道をまともに歩んでいけるために決定的に重要な条件について確認しておかねばなりません。それは、端的には、大志・情熱・誇りをしっかり把持することにほかなりません。より具体的には、自分の人生を大きく人類の歴史のなかに位置づけて、自分が専門とする領域の文化遺産を自分の力で一歩でも二歩でも発展させていくという大志をもち、その大志の実現にむかって情熱を燃やしながら歩んでいくという自分のあり方に誇りをもたなければならない、ということなのです。仮にこの大志・情熱・誇りを欠いてしまうならば、どんなにすばらしい本をどれだけたくさん読んだとしても、すべて無意味になってしまうというくらいに、これは決定的な条件であるといわなければなりません。」(2011年4月26日掲載、「新大学生に説く「文献・何をいかに読むべきか」(1/7)」)

 ここで述べているように、「大志・情熱」、さらには誇りというものは、学問への道をまともに歩んでいくための決定的な前提条件である、ということである。これなしでは、学問の創出など全く不可能といっていいくらい大切なものなのである。

 であるからこそ、この第2号にしっかりと学ぶことによって、「大志・情熱」の大事性を再確認するとともに、先生方の「大志・情熱」をもしっかりと受け取って、自らの「大志・情熱」を燃え上がらせたいと思うわけである。

 では今回の最後に、『学城』第2号の全体の目次を以下にお示ししておく。

学城 ( ZA-KHEM,sp ) 第2号


◎南郷継正  巻 頭 言
        ―「学問とは何か」を問える学者なき時代を憂いて

◎近藤成美  マルクス「国家論」の原点を問う(2)
        ―ヘーゲルから継承した市民社会と国家の
         二重性について

◎加納哲邦  学的国家論への序章(2)
        ―滝村国家論を問う

◎本田克也  エンゲルス 『フォイエルバッハ論』 にみる、
               ヘーゲル哲学の真の学問的意義とは
        ―自然科学の新時代はいかにして拓かれたか

◎悠季真理  古代ギリシャの学問とは何か(2)

◎悠季真理  古代ギリシャ哲学、その学び方への招待(2)

◎P江千史  「医学原論」 講義 (第2回)
        ―時代が求める医学の復権

◎諸星史文  学問形成のために問う医学の歴史(2)
        ―医学史とは何か

◎小田康友  日本近代医学教育百五十年の歴史を問う
        ―医学教育論序説

◎北嶋  淳  人間一般から説く障害児教育とは何か

◎横田政夫  近代建築運動における機能主義重視の欠陥
        ―機能主義とは何か

◎井上真紀  施身聞偈(悟りへの道を考える)

◎田熊叢雪  現代武道を問う 〔T〕 ―居合とは何か(2)

◎南郷継正  武道哲学講義 〔T〕 PART3
        ―学問としての 「世界歴史」 とはなにか

◎悠季真理  編集後記

 次回以降、順次各論文の感想を認めていくが、その際、この第2号全体を貫く「大志・情熱」というテーマを常に念頭において、論を展開していくこととする。なお、連載回数の都合により、本稿では田熊叢雪「現代武道を問う〔T〕 ―居合とは何か(2)」を取り上げることができないことを予めご了承いただきたい。
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2015年10月23日

三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約(5/5)

(5)要約D――フロイトの説く2つの基本本能とはどういうものか

 前回は、「7 性的象徴」「8 「幼児期性生活」の正体」を要約したものを紹介しました。そこでは、フロイトが快感の獲得をすべて性的なものと解釈するという、特殊性として理解すべきものを不当に普遍化してしまう誤謬に陥っていること、そのためフロイトは早期幼児期における性生活というありもしないものを説明しなければならないことになり、これに反対する人びとに対しては、「幼児期健忘」を持ち出したことなどが説かれていました。

 さて今回は、「9 「エディプス・コンプレックス」の正体」、「10 エロスの本能と破壊本能」、「11 右と左からのフロイト批判」を要約したものを紹介します。ここでは、フロイトのいう「エディプス・コンプレックス」や「エロスの本能と破壊本能」とはどういうものかについて考察されていきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

9 「エディプス・コンプレックス」の正体

 フロイトの方法はいつも同じで、その経験した事実を決定論的に誇張しながら不可知論的な基礎仮説へあてはめて解釈するのであるから、エディプス・コンプレックスについても同じように扱えばよい。

 フロイトは、男の児はリピドー発達によって母親の愛人になるとか、母親を誘惑しようとするとか、母親との関係において父親に代ろうとするとか主張するのは、一見思いもかけぬことであるが、事実まったく無根であるとはいい切れない。子どもはその周囲に生活している他の人間という鏡に媒介されて、自分自身のありかたや未来の生活のありかたを認識するが、これは遊びの中に、家庭生活についてのいわば演劇的な創造の表現として、家庭生活のままごとをするかたちが現われてくる。同じように、子どもたちが大人たちの性行為を目撃したりすることで、家庭生活のままごとから性生活のままごとにまですすむ可能性がある。フロイトが男の児に母親の愛人になろうとする行為を見たのも、実はこの性生活のままごとの1つの特殊なありかたを見たにすぎなかった。これを現象的に見ると、たしかに男の児が「母親の愛人」になって行動しているように思われるのである。

 演劇の俳優を論じるときに、現実の俳優相互の関係と、空想の世界での人物相互の関係とを区別しなければならない。子どものままごとも演劇の1つのありかたであるから、現実の子どもたちの相互の関係とままごとの世界の中での相互の関係とを区別しなければならない。フロイトは現実の世界とままごとの世界を正しく区別できなかっただけでなく、決定論に禍いされて子どもの演じる役割を偶然的なものと理解することができなかった。そのために彼はエディプス・コンプレックスの主張へとつっ走ってしまったのである。

 空想の世界では現実の家族がネグレクトされるということも、別に異常なことでも何でもないが、フロイトは男の児の空想の世界のありかたと現実の世界のありかたをいっしょくたにし、男の児が母親と父親を意識しているもののように、「母親の愛人」として「父親に代ろうとする」もののように解釈した。男の児が、母親に関して現実に「父親を邪魔にして押しのけよう」とし、「競争者」あつかいする事実もたしかに存在するが、これは性生活のままごととは直接関係のないことである。だがフロイトはままごとの空想の世界と現実の世界とをいっしょくたにして、そこで父親が排除されるという現象にひきずられたために、ここでの父親が邪魔にされる事実とむすびつけて解釈したのである。この事実は、きわめて単純な愛情の問題なのであって、いわば子どもが愛情を独占したい欲望をもつことから生れた嫉妬以上のものではない。けれどもフロイトとしては愛情は性的なものだという前提があるから、子どもの愛情についての不満や嫉妬もすべて性的なものだと解釈しなければならないし、ここから否応なしに単なる愛情をめぐっての現実の父親に対する嫉妬や憎しみが、性生活のままごとの現象的なありかたとむすびつけられることとなった。

 子どもの性生活の見聞や、ままごとをふくむ具体的な経験などが、精神生活の中で特殊な扱いを受け、この経験から受けた精神的な傷あとが、無意識の底に沈んでいて、成人になってからの精神生活をいろいろと規定してくる場合がある。子どもが性器をもてあそんでいるなどを母親が見れば、これを叱ってやめさせるだろうが、問題は叱りかたであって、不当な叱責で子どもが精神を大きく傷つけられるだけでなく、父親が知ったらその叱責は母親の比ではないことを予想して恐怖を抱くのである。子どもは、自分を愛し育ててくれた母親が父親から不当な待遇を受けていることなどを感じているから、性的な行為に対する不当な叱責や叱責への恐怖は、この両親についての認識と微妙にからみ合うことによって、父親に対する嫌悪感が植えられることにもなる。もちろんこの2つは独立したことがらであるから、かならずしもからみ合って傷あとを深いものにするとは限らないが、フロイトにとってはこの2つを区別できない立場におかれている。2つを区別した上でからみ合いを考えるのではなく、はじめからいっしょくたにした上で現象的なちがいが生れたかのように解釈しないわけにはいかなかった。

 女の児の性的な認識に対するフロイトの解釈も、本質的には男の児のそれと同じであって、女の児には母親を邪魔者として排除したい気もちを認めた。この女の児についての解釈も、すべてを性的に説明しようとするところから不可避的に出て来たものである。男の児が女の児を軽蔑している現実では、女の児が自分も男の児に生れていたらと思うのも当然であって、そこから自分を女に産んだ母親に怨みや憎しみを持つことにもなるのである。フロイトはこれを性的に解釈するが、女の児が遊戯のときに母親になるのを創造の世界での母親にすぎないとは理解していない。

 母親が男の児を欲しがるという事実も、男の児は経済的に頼りになるという気もちなどから出て来たものであるのに、フロイトはこれも「陰茎願望」から説明しようとする。母親が自分の男の児に、かつての父親もしくは愛人のおもかげを認めることから、空想の世界での異性として扱うこともありうる。フロイトの対象とした患者に、そのような女性がいたであろうことも想像可能である。これは母親が男の児を性的な感情で扱うものにちがいないが、それも特殊性にすぎない。この特殊性を不当に普遍化したり、「陰茎願望」と解釈したりすることが、正当化されるわけではない。


10 エロスの本能と破壊本能

 精神的な苦痛から神経症を起している患者の中には、自分が道徳に反する行為をしたことを悔い、そのつぐないとして精神的な苦痛に甘んじる者もあれば、それによって死後の生活に光がもたらされると宗教に教えられたために、すすんで苦痛の道を選ぶ者もあるが、フロイトの対象とした患者は、封建的な道徳を身につけている女性たちであり、彼女たちが精神的な苦痛に甘んじようとする意志を持つことは、当然に医師がこの苦痛を除いて神経症を除こうとすることへの抵抗となってあらわれる。これをフロイトは「上位自我」から「自我」への規定と解釈したが、そこから抵抗する力そのものや苦痛に対する要求そのものがでてくるわけではない。これらはやはり「自我」の側に求められなければならないから、「自我」のありかたは「エス」から発展して来たという基礎仮説に従って、この苦痛に対する要求も本能から説明することが必要であるが、これは性的でないことも明らかである。

 経験的に、快感を求めることを性的なものだと解釈したフロイトは、それとまったく対立した敵対的な闘争にぶつかり苦痛を求める事実にぶつかって、これを性的なエロスの本能とはまったく対立した他の本能のあらわれと解釈しないわけにはいかなかった。こうして経験から、エロスまたは愛の本能と、破壊または死の本能と、2つの基本本能を認めざるをえなくなったフロイトは、両者を並列的に結合させ、さらに情感の対立した性質のものへの転化も、これまた空想的な精神的エネルギーそれ自体の質的な転化と解釈したのである。さらに、この本能論は決定論的に生物以外に延長させられ、無生物のありかたに直結されていき、エンペードクレスの説いた2つの力の原理が自分の主張と同一のものだという考えかたに到達した。

 フロイト学派が哲学者のグループならば、教祖の説くところはそのまま忠実に弟子たちによって受けつがれたであろうが、フロイトの弟子たちは医師であり、実践の中で理論を体系化しようとする人びとであったから、この実践は破壊本能論の体系化を妨害することとなった。いろいろな解釈が成立する場合に、いったいどれが正しいかは現実のありかたと相応するか否かで決まるのであり、夢の解釈にしても、患者の現実のありかたがどうであるかをしらべることによって、その正否を決めることになる。性的な象徴かそれとも死の象徴かとしらべてみれば、どうしても前者のほうが思い当るところが多いのに反して、後者のほうはほとんど根拠がないように考えられ、放棄しなければならなくなる。フロイト理論に深い関心を持ち、そのエロスの本能についての解釈を支持する人びとの中にも、破壊本能をエロスの本能と並べて同列に位置づけることにはためらう人びとが少なくなかった。フロイトの不可知論の論理は、現実とのくいちがいを露呈することとなり、現実に忠実であろうとする人びとが批判的な立場をとることとなった。

 フロイト理論における破壊本能論は、1つの重要な分岐点であり、あくまでも現実のありかたに忠実に、現実のありかたに相応するかたちに理論を是正していこうとする実践的な科学者の態度をつらぬくか、それとも理論に内在するところの論理に強制されあくまでもその論理を発展させていこうとする哲学者の態度をつらぬくか、の分岐点である。フロイトは、エムペードクレスの助けをかりて2つの基本本能を合理化したところで、その生涯を終えたのである。


11 右と左からのフロイト批判

 すでに哲学史がカント哲学のありかたについて語っているように、不可知論はその性格からして右からも左からも批判さるべき運命を追っている。不可知論はまだ唯物論に未練を持っている中途半端な理論、どっちつがずの理論(唯物論的認識論の出発点を否定しながら、外界の実在まで否定してしまったわけではない)であり、右からは観念論の立場に、左からは唯物論の立場に、どちらにしてもつっつかれるのをまぬかれない。フロイトの不可知論にしても、カント哲学と同じ運命を負うこととなった。

 右からの批判としては、ハイデッガーやヤスパースのいわゆる実存主義の立場からする批判を上げることができる。彼らにとっては、フロイトが人間の身体と精神との間に連関を持たせること自体がそもそも気に入らない。彼らの哲学的な立場からすれば、人間の身体の機能とはまったく無関係に人間の精神生活が存在することになるからである。左からの批判としては、いわゆるフロイト左派からの修正や自称マルクス主義者の攻撃を上げることができよう。フロイト左派といわれる人びとの修正は、経験にもとづく疑問あるいは批判であるだけに、理論の誇張および還元のほとんどすべてにわたって問題にされているが、フロイト左派からの修正は、そのもっともすぐれた人びとにあっても、フロイトの欠陥を完全に克服できず、やはりその弱点を受けついでいる。自称マルクス主義者からすれば、フロイト理論には学びとるべき何らの積極面もなく、反動的な観念論として破りすてるべき存在であるが、彼らはそれに代るものとしての夢の理論や神経症の理論など何ら創造しようとはせず、せいぜいパヴロフ理論を信仰してふりまわす程度にとどまっているのである。

(了)
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2015年10月22日

三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約(4/5)

(4)要約C――フロイトは快感の獲得をすべて性的なものと解釈した

 前回は、「5 無意識論と精神的エネルギー論」、「6 夢と想像」を要約したものを紹介しました。そこでは、フロイトが精神活動のありかたを意識的・前意識的・無意識的の3つに区別したこと、フロイトが夢を「一種の精神病」ととらえ、疾患として扱われる精神病の発生およびその治療について、夢の研究が手がかりを与えることなどが説かれていました。

 さて今回は、「7 性的象徴」「8 「幼児期性生活」の正体」を要約したものを紹介しましょう。ここでは、フロイトが快感をすべて性的なものにむすびつけて解釈することによって、ありもしないものを説明するにまで至ってしまったことが説かれています。

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7 性的象徴

 個人の精神活動はさまざまの形態をとっているが、そこには不均衡があり重点的な部分がある。客観的な生活条件や主体的な条件が認識の内容を規定するからである。過去の生活で大きな精神的ショックになったような事件は、思いがけないときに夢の中にかたちを変えて再現することがあり、また、現実的な自己の生理的条件から観念的な自己のありかたが規定されて、夢に現れることもある。このような意味で夢は合理的な存在であり、夢を解釈することも有用性を持っている。フロイトが夢を過程と結果としてとらえたことは、われわれの考えかたと共通するが、夢の過程やつくられかたの問題になると、フロイトとはちがってくる。

 存在が意識を決定する、とは唯物論的な見かたであるが、これを経験主義者としての存在のしかたはその意識を決定するというかたちで考えてみると、フロイトにおいては、中年の女性のヒステリー患者の持つ特殊性が不当に普遍化されたことを理解する必要がある。封建的な支配と宗教的なきびしい戒律の下に生活してきたヨーロッパの中年の女性が対象となったからこそ、フロイトの「上位自我」が注目され強調されたのである。このような女性の患者が精神分析療法を行う医師に対して持つ感情は、容易に恋愛感情に転化しやすいし、性的な意識が入りこみやすい。フロイトが解釈したように、親愛的な感情がつねに必ず性愛的なものにむすびついているというところになると、特殊性として理解すべきものが不当に普遍化されてしまっている。

 性的象徴は人類にとって何ら異常な存在ではないが、現象的に性器の表象を表現したものと同じに見えるもの(偶然の一致でしかないもの)を、決定論の発想を持つ者は必然性がひそんでいると解釈して、そこに無意識の性的本能がはたらいているのだと主張する。性的な連想は、夜ねむったとき見る夢にも浸透していくが、この夢における象徴の解釈を全体的普遍的に度はずれに拡大するならば、それはもはや真理ではなくナンセンスとなる。フロイトの夢の解釈が、このナンセンスにまで逸脱していることを指摘するのは困難ではないが、これも彼の不可知論および決定論から論理的に強制されたものであるから、彼自身はその基礎を疑って訂正しないかぎりどうにもならなかったわけである。フロイトは、無意識的な本能の力による願望充足が夢なのだという理論にもとづいて夢を解釈したために、性的な連想と無関係な夢の中の事物のありかたまで、性的な意味を持っているかのように誇張して解釈することとなった。

 フロイトは夢を「自我」から発生してくるものと「エス」から発生してくるものと2つに大別している。問題は「エス」から発生してくる夢といわれるものである。夢の内容に必然性があることは事実であるが、すべてが必然性ではないにもかかわらず、フロイトは決定論者であるために、夢の内容は思想のあらわれであって、ただそれが無意識のうちに潜在しているものがあらわれてくるだけだと説明した。そこで「潜在思想」という概念が持ち出され、これがさらに不可知論的に、「エス」から出てくるものとして解釈されるのである。さらにこの空想的なつながりを外界へ延長して、遺伝的なものだと解釈し、「太古の遺産」ということになってしまった。

 睡眠は生理的な条件に規定されて自然成長的にあらわれてくる脳活動の部分的な停止であり、生理的な必然性として起る脳活動の停止であるが、われわれの意識的な精神活動のありかたからすれば1つの偶然性として、努力しても肉体的な疲労には勝てずにいつの間にか眠ってしまったというかたちの中断である。フロイトは決定論をとるから、この中断も精神活動における必然性のありかたとして解釈しないわけにはいかなかった。そこで彼は、睡眠をも本能の1つとして、これを「睡眠本能」とよび、このネガティブな睡眠を、「エス」のポジティブな規定というかたちで空想的な本能につくりあげた。

 睡眠のときは精神活動が中断され、肉体外の世界との精神的な交渉も中断される。フロイトはこれを、「装置」それ自体が「退行」するかのように解釈した。それゆえこの機能の停止は「自我」から「エス」へと復帰したことであって、「エス」の機能とむすびつけて説明されるのである。


8 「幼児期性生活」の正体

 フロイトの性に関する理論は、さまざまな非難を浴びたが、それらの非難は正当であった(フロイトが特殊性を度はずれに普遍化する逸脱をおかし、それを不可知論によって合理化した)ともいえるしまた不当であった(フロイト理論を破りすてるだけでその正しい部分をすくいとって理論を建設する方向へすすまなかった)ともいえる。

 フロイト理論で「性的」というのは、われわれの概念とちがって不当に拡大されてしまっていて、愛イクオール性なのである。それゆえ他の人間に対する非敵対的な情感のすべてが性欲とよばれ、すでに物心ついた幼児の快感はすなわち性的な感情であり、快感のための活動はすなわち性的活動だということになる。性生活は出産後間もなく認められる明瞭な現われをもってはじまるというフロイトの主張は、多くの人びとにとってショッキングであった。フロイトは、快感の獲得をすべて性的なものと解釈して、エロスの本能へとむすびつけていったのであった。

 フロイトは、性欲と関係のない幼児の生活のありかたの発展と、幼児の性の区別についての認識の発展とをむすびつけて、いくつかの性生活の段階を空想的に設定したのであって、幼児の性生活などという主張はナンセンスである。しかし、唯物論の側からのフロイト批判には、幼児のこの種の認識の発展を正しく説明したものがないかきわめて不十分である。マルクス主義は、すでにこの正しい説明のために必要な方法論を提出しているにもかかわらず、自称マルクス主義者はこのことを反省しなかった。そのためマルクス主義では性を正しくとりあげられていないものと判断し、マルクスをフロイトで「補う」必要があると主張したり、フロイトの性の理論をマルクス主義につぎ木したりする人びとも出現した。マルクスが指摘しているように、異性が「他の人間という鏡」として媒介関係に入りこむのだということを理解する必要がある。

 人間は他の人間のありかたを観念的に自分自身のありかたとしてとらえることができるが、これは性生活も変るところがない。大人の性行為が子どもの目にどんなに異常に映じようとも、それは同時に子どもにとっては自分の未来の生活のありかたの一端としてとらえられ、自分も大人になると同じ行為をするのであろうという結論が出てくる。フロイトは母の乳房が幼児に満足感を与えることから、これを幼児の最初の性的対象であると主張しているが、乳房ははじめ栄養的な意味でとらえられ、そこから父親との差異を自覚するのに役立つ以上のものではない。子どもが自分と同じ種類に属する人間とちがった種類に属する人間とを実体的に区別してとらえるのは、性器のありかたとそのちがいを認識したときであって、ここでそれまでの現象的なちがいを止揚し、性的な認識が発展していく。フロイトとは逆に、実体としての性器の認識から本質的な性への認識へとすすむのである。フロイトは異性という外界に実在する鏡と無関係に、エロスの本能からリピドーが移行するというかたちで性の認識を説明するのであるから、まず性的認識が存在し、そこには「太古の遺産」も受けつがれていて、それから現実の性器の認識へとすすむのだと、逆立ちした解釈をしないわけにはいかなかった。

 フロイトは早期幼児期における性生活というありもしないものを説明しなければならないことになったから、これが途中で「潜在期」を迎えさらに思春期にいたって復活するのだと主張した。「潜在期」に反対する人びとには、それはきみたちが忘れてしまっているからだ、「幼児期健忘」のせいだと彼はいう。しかもこの主張は、さらに進化論を援用して合理化され、遺伝的にも当然だというのである。

 フロイトは性的な認識をはじめる時期について、男の子どもは「エディプス期に入る」ものと説明している。彼は自身の有名な「エディプス・コンプレックス」の理論を誇り、父を殺して母を妻としたというギリシャ神話のエピソードが「太古の遺産」として「エス」に遺伝していると考えた。そして、父を殺して母を妻とすることは現実に許されはしないから、頭の中に抑圧されたかたちで存在するのだという結論になった。すなわちコンプレックスの成立で、そんな不道徳な空想を抱いた覚えはないと反対する人びとに対しては、例の「幼児期健忘」が持ち出されるわけである。
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2015年10月21日

三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約(3/5)

(3)要約B――フロイトは夢をどのように捉えたか

 前回は、「3 不可知論と唯物論との間の彷徨」および「4 フロイトの基礎仮説――「エス」「自我」「上位自我」」を要約したものを紹介しました。そこでは、フロイトは医師としての実践に規定されて、露骨な観念論には陥らなかったものの、不可知論的な解釈からぬけ出せなかったこと、フロイトの不可知論は、認識の全体の構造を精神的な「装置」にして、すべてを本能から説いていくことにしてしまったことが説明されていました。

 さて、今回は、「5 無意識論と精神的エネルギー論」、「6 夢と想像」を要約したものを紹介することにしましょう。ここでは、フロイトが無意識や夢をどのように説明したかが説かれています。

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5 無意識論と精神的エネルギー論

 精神分析学は純粋な思惟の産物ではなく、患者の治療を通じてつくり出され経験によって具体化されていった理論であるから、その解釈の背後にはやはりそれに相当する現実のありかたが隠されているのであって、簡単に破りすててしまうわけにはいかない。

 パヴロフは脳の精神活動に不均衡の存在することを生理学的に認めたが、フロイトもやはり意識的だということと精神的だということとを同視するやりかたに反対した。ただフロイト理論では、無意識の説明にも不可知論的な解釈が施されることになり、精神活動のありかたには、意識的・前意識的・無意識的が区別されるべきだというのである。

 言語表現の規範も家族の間の生活規律も、一見犬の条件反射と同じもののように思われるが、フロイトはこれらを「上位自我」の活動として正しく区別しており、「前意識という性格を否定することができない」とのべている。

 フロイトは「エス」から「自我」が生れたという論理的な関係を設定したが、これは本能的な無意識と前意識的な無意識との間にも論理的な関係を設定することでなければならない。フロイトはこのように事実に反した・空想的な・「エス」から「自我」への発展を主張することによって、事実に反した・空想的な・本能的な無意識と前意識との間の相互移行をも認めないわけにはいかなくなったのである。またこのことによって、「自我」において存在する抑圧が、事実に反した・空想的な・「自我」による「エス」の側への抑圧へと誇張されていくことになったのである。

 なかなか思い出せないものが、夢の中その他思いもかけぬところに再現してくるという事実を、フロイトは思い出せないものを抑圧の結果と解釈した。この「自我」の前意識的なありかたの中で、容易に意識的になれないものを、「自我」から閉め出されて「エス」の中に追いやられてその意味で無意識化したものを考え、ここで「抑圧されたもの」が夢の中で抑圧がゆるめられるためにあらわれて来るのだと説明する。

 こうして認識は現実の世界の像であるにもかかわらず、実体的な「装置」の機能であると考えられ、「装置」それ自体の素材ないし実質をなしているものはいったい何なのか、なぜこのような移行が起るのか、を明かにしなければならなくなってくる。フロイトは科学者として何とか説明を与えようと努力し、エネルギーを持ち出してくる。論理的な強制の結果としての空想は、ついに空想的な「精神的エネルギー」とその可動性にまで行きついた。この空想的な精神的エネルギーの中でエロスの本能の発展となっているものを、彼は「リピドー」と名づけた。

 この有名な「リピドー」論は、フロイト理論の信仰者にとって何ら疑いをさしはさみえない核心的な主張の1つであるが、これは、古代の霊気説と本質的に変るところがなく、これでは八方ふさがりであり、フロイトも精神的エネルギーを認める以上に出られなかったのである。われわれはここに、不可知論にいくら科学的な衣裳を着せかけてやっても、それを展開していくときは観念論的妄想以外のところへ行きつくことはできないし、信仰者の望むと望まないとにかかわらずそうなる運命にあるのだということを、またしても見せつけられたわけである。

 人間は現実の世界のありかたを認識していく中で、それが本能との相互関係で独自の意志をつくり出すことになる。だが、意志から行動へとすすむことが望ましくないと判断すれば、その認識の発展を別の意志で抑制する。精神分析学で患者の治療を論じて、「エスの中に抑圧されているものの意識化」というのは、このような意志による押えつけを自らとり去って、本能とむすびつく認識をふたたび意識化させることであって、この抑制を神経症の原因になるものと見て、話し合いの中でこの抑制を発見し、患者が自らこれをとり去るように指導するのは合理的であるし、またそれなりに成功をおさめたわけである。本能から意志へ行動へという発展が、秩序を乱すと判断したときは、対象化された意志で抑圧する習慣を持つようになり、フロイトもこのような「自我」の活動を経験的に認めていた。それゆえフロイト理論では、本能満足の制限を「上位自我の主要な仕事である」ととらえるだけでなく、さらに「自我」による「防衛」のメカニズムを重視するのである。これらは意志の活動として統一的に理解しておくことが必要であるが、フロイトにはこの統一がなく、「装置」の2つの部分の機能として分解したままになっているのである。


6 夢と想像

 夢とよばれるものは、健康な正常の人間の生活の中で必ずあらわれてくるところの精神現象である。夢にははなはだ不合理な・妄想とよぶのがふさわしいような・奇妙な存在や事件が現れてくるし、自分の自由にならぬ精神現象であるから、夢は精神現象の中の例外的な存在である。フーリエやエンゲルスが例外もしくは不明瞭なものに関する理論を軽視することに反対したのと似たことを、フロイトも夢について述べている。

 俗流唯物論は夢について、人間が経験で獲得したものを材料にして頭の中で加工したのだと説明するが、なぜそんな加工がなされるのかについては答えられない。パヴロフ理論は夢について、生理学的な解説を与えるだけで、これも夢の成立の過程を認識論的に解明したものではない。パヴロフは精神病をとりあげるときも、人間特有の型に基づいて解釈するし、夢についても同様の形式を論じなくてはならなくなる。夢を見ている人間は、目をさましているときの現実的な自己とは別の自己として、社会的な位置づけも年令もちがった観念的な自己として、夢の世界で生活している。夢の現象的な不合理あるいは妄想の背後にある必然性を示さなければ、問題は解決しないから、生理学的な型としての解釈を押しつけたところでどうなるものでもない。

 われわれが夢を解明しようと思うなら、生理学的な「純客観的な」研究へとすすむのではなく、夢の内容を規定してくるところの日常生活における精神活動がどんなものであったかという、この過程を客観的かつ全面的に検討してみなければならない。現実の世界の忠実な反映と夜ねむったとき見る夢との中間項である想像(夢であることを自覚した夢)のありかたを無視して、中間項をとびこえて、夢と現実の世界の忠実な反映とを直結する発想は、混乱をおこさずにはすまない。想像が現実と無関係な純粋な観念上の想像ではないし、また現実の忠実な反映も純粋に受動的になされるわけではない。想像と現実の忠実な反映との相互浸透が存在している以上、想像についての解明がなければ現実を忠実に反映する過程を十分に明かにすることもできないし、また現実を忠実に反映するという出発点を無視して想像を解明することもできない。観念論や不可知論は認識はすべて能動的な立場での創造だと解釈するから、現実の忠実な反映と想像との区別が与えられなくなってしまう。

 フロイトが夢を「一種の精神病」ととらえ、疾患として扱われる精神病の発生およびその治療について、夢の研究が手がかりを与えるものだとし、夢を正常の精神活動と精神疾患との中間に位置づけ、精神疾患を結果としてでなく過程においてとらえようとしたことは、彼の卓見である。彼は不可知論的であっても外界との交渉で経験が蓄積されることを認めているし、夢を現実の世界の認識と一応区別しているが、「自我」は「エス」から発達したものとして、絶えず本能とのむすびつきで説明されるフロイトの不可知論の特徴(基礎仮説の誤りに基づく)が、夢の解釈を歪めることになる。フロイトは決定論を堅持していたため、夢の世界像の具体的なありかたが必然性の発現だと考え、これは「エス」から規定されているものと解釈し、「太古の遺産」もまた「無意識界の精神過程を支配している法則」に従って夢の中に再現してくると考えた。

 われわれの立場で想像について検討するならば、想像には過去の追想と未来の予想と実在しない空想と三つに大別できる。追想は、過去の経験に近い世界像を再現するわけであるが、それと同時に自己自身もまた過去のその時の自己に近いものになろうとして、観念的な自己分裂が起る。このときの観念的な自己のありかたを、フロイトのいう「上位自我」や「防衛機構」とむすびつけてとりあげることは重要であり、この点においても観念的な自己は現実的な自己と異っている。予想をする場合にも、自己自身が未来のそのときのありかたに観念的に移行していくばかりでなく、やはり「上位自我」や「防衛機構」とのむすびつきが消滅したり出現したりする。空想は、芸術の作家が与えてくれる夢の世界を追体験する場合と、自主的に創造する場合とある。

 人間は生活資料の生産(家の建築など)や消費(ショーウインドのコートなど)においても、未来のありかたを予想して表象をつくり出す。空想の場合には現実的な自己としての実践は伴わないが、観念的な自己としての観念的な満足感がないではない。創造と欲望との間には深い関係があるから、想像の欲望が夢に浸透し、満たしたいとのぞんでいる欲望が満たされる場合が多い。フロイトが夢を「願望充足」だと規定したのも、もっともらしく思える。これに対する疑問として、夢には苦痛や不安を与えられる夢、充足を拒否される夢があることをあげる人びとが出てくることも、フロイトは予想していて、「無意識的なエスにとって満足であるものは、まさにそれゆえに自我にとって不安の原因となりうる」と、あくまでも「エス」とむすびつけて解釈している。本能と直接むすびついていない夢や願望充足でない夢もすべて「エス」にむすびつけなければならず、空想的な法則による「エス」からの規定として解釈しなければならないのである。
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2015年10月20日

三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約(2/5)

(2)要約A――フロイトの「基礎仮説」とはどのようなものか

 前回は、「1 パヴロフの人間機械論と決定論」と「2 フロイト理論の礎石」を要約したものを紹介しました。そこでは、パヴロフが人間を機械的に扱ってしまったために、現実の人間のありかた、その高度の精神活動とこれにもとづく行動が十分説明し切れなかったこと、フロイトは本能の役割を誇張しすぎたために、その理論の礎石がゆがんでしまっていたことが説かれていました。

 さて、今回は、「3 不可知論と唯物論との間の彷徨」および「4 フロイトの基礎仮説――「エス」「自我」「上位自我」」を要約したものを紹介することにしましょう。ここでは、フロイトの基礎仮説の基礎に不可知論的な解釈が伏在していることが説明されています。

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3 不可知論と唯物論との間の彷徨

 フロイトは生理学的な俗流唯物論では問題を解明しえないことを知って、これと袂を分かった。ブロイエルはヒステリー症状の女性の治療に当たるうちに、症状を起す契機になった事件を睡眠状態の中で思い出させ、それに付随している感情をもよびさますことができるなら、ヒステリーが起らなくなることを発見したが、フロイトはこの方法を多くの患者に追試し、これを抑圧されて意識にのぼらない精神過程の転換であると説明し、抑圧されていた感情が発散することによって治癒するのだと説明した。ここから、無意識という精神状態の重要性が、経験的に自覚されることとなったのである。

 フロイトは医師であって、研究の対象は生活経験を重ねたヒステリーの女性であったから、生きた現実の人間の具体的な精神活動ととりくむことで、彼の理論体系が露骨な観念論へとつっ走ることに絶えずブレーキをかけたのであった。しかし一方でフロイトは、りっぱな不可知論的な言葉も残している。すなわちフロイトは唯物論の立場をとったり不可知論の立場をとったり、一貫していないのである。このフロイトの不可知論と唯物論との間の右往左往が、そのままフロイトの理論体系の性格ともなっているのである。

 フロイトの不可知論は深刻に理論体系へ入りこんでいるが、これは研究の対象が現実の世界ではなく精神活動だからであって、精神活動について不可知論的な解釈をもつ以上対象のとらえかたがつねに不可知論的になり、理論体系の基礎に不可知論的な解釈が伏在することになるからである。

 パヴロフにあっては、人間機械に対する「反射」として機械的唯物論の全体像がつくり出されたが、フロイトにあっては、本能がもたらす「精神的エネルギー」のありかたとして不可知論の全体像がつくり出された。フロイトはこの全体像を、科学者の謙虚さで「基礎仮説」とよんでいるが、医師あるいは医学者に共通した経験主義的な態度とそれから来る論理的なひよわさがあり、「哲学的思索」にひきずられずにすんだという長所は、同時に仮説のあやまりを死ぬまで反省できなかった短所ともなっていたのである。

 精神活動をながめてみると、それは大きく区別して2つの外界、すなわち、人間の肉体と肉体外の世界とによって規定されているが、フロイトの注目した本能とよばれるものは、その人間の肉体から規定されてくる精神活動であり、肉体から規定されてくるゆえに経験的に獲得したものではなく生れつき身体にそなわっているものであり、その意味ではたしかに経験を超えたものだということができる。フロイトが人間の精神活動における本能の役割を基礎的なものとして誇張し、肉体外の世界の認識までこの本能の発展として本能から説明したのは、彼の不可知論のもたらす論理的必然だったのである。この論理的な強制が、フロイトの夢についての解釈をも歪めることとなり、フロイトは夢の起原を遺伝的に解釈した。夢での創造は偶然的な形式をとるけれども、決定論の立場に立つフロイトはそう理解しないで、これを必然的なものと解釈し、その個人の経験を超えた内容を他の人間の精神活動から、「祖先の経験から」遺伝的に肉体を媒介してみちびいてくるのである。


4 フロイトの基礎仮説――「エス」「自我」「上位自我」

 フロイトがつくり出した精神活動についての不可知論的全体像を、すなわち精神分析学の礎石となっているところの基礎仮説はどのようなものであるかを、唯物論的全体像と比較しながら具体的に検討してみることにしよう。

 認識は形態こそ変化しているが、終始一貫して像であり、つねに原型の存在を前提としている。フロイトの不可知論にあっては唯物論で原型として認められる実在が不可知だと規定され、実在の反映という考えかたが論理的に否定されるのであるから、認識を本能を出発点として、像ではない「何か」の成長と発展として論じなければならない。ここから、フロイトの基礎仮説における認識の全体の構造も、精神的な実体の成長と発展を説くこととなった。フロイトの不可知論は、認識の全体の構造を生理学的な脳の構造から切りはなして精神的な「装置」にしてしまったのである。精神活動のありかたにさまざまなちがいがあるという事実を、フロイトは「装置」のそれぞれ異った部分の機能のちがいとして解釈する。

 この「装置」は、そのもっとも基礎的な部分は人間が生れながらに持っている部分であって、この部分の機能としての精神活動がさまざまな本能だと解釈し、この基礎的な部分をフロイトは「エス」と名づけた。この「エス」は化学史におけるフロギストンと同じような架空の実体にすぎず、フロイト解釈の試みは、不毛に終わることを最初から約束されているのである。

 フロイトは、本能とは別の過程を認めずに、実在からの「刺激」によって「エス」それ自体が変化するのだと解釈した。この「エス」の変化は、これまでの「装置」のありかたの変化であり、新しい部分が生れたことであって、この部分をフロイトは「自我」(情感、意志など)と名づけた。またフロイトは、精神的な抑圧すなわち敵対的な性格をもつ観念的な自己疎外に真正面からとりくんだので、その基礎仮説においてもその精神的な装置の一部分としてこの機能をあらわす部分を想定しないわけにはいかず、この部分を「上位自我」と名づけた。

 フロイトが「上位自我」と名づけているものは規範であって、フロイトが「外界の一部」が「同一化」によって「自我の中にとりいれられる」というのも、他の人間の意志あるいはすでに社会的に成立している規範が追体験によって個人の頭の中に複製されるということの、不可知論的な解釈なのである。

 フロイトの意志論あるいは規範論の特徴は、第一に、ヘーゲルのように意志それ自体が客観的に出ていくなどと考えないが、論理的な反省がないから体系的な広がりを持っていないこと、第二に、観念的に対象化された意志のすべてを「上位自我」として扱わず、自分から自発的に対象化した意志あるいは自分で創造した個別規範などは、「上位自我」から除外され「自我」のほうに入っていることである。

 「上位自我」の本能満足の制限のうち、破壊本能についての説明を考えてみると、一見まことにもっともらしくみえるが、一面的なとらえかたから生れた誇張であることが分かる。第一に、攻撃本能なるものが「自我」の内部に本能それ自体の発展として「固定化」するのでも何でもない。第二に、「自己破壊」はすべて現実の他人への攻撃性から「向け変え」たものだというのも還元論である。
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2015年10月19日

三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約(1/5)

《目 次》(予定)

(1)要約@――研究の成果とその解釈とを区別しなければならない
(2)要約A――フロイトの「基礎仮説」とはどのようなものか
(3)要約B――フロイトは夢をどのように捉えたか
(4)要約C――フロイトは快感の獲得をすべて性的なものと解釈した
(5)要約D――フロイトの説く2つの基本本能とはどういうものか

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(1)要約@――研究の成果とその解釈とを区別しなければならない

 本ブログでは、本日より5回に分けて、三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約を掲載します。

 三浦つとむさんの代表作というべき『認識と言語の理論』については、2015年3月14日から10回にわたって、第1部第1章から第3章までの要約を本ブログに掲載しました。そこでは、第1部では認識の理論が説かれていること、第1章から第3章までは三浦認識論の入門編とでもいうべき展開となっており、その応用編として第4章でパヴロフおよびフロイトの理論が批判的に検討されていることを述べました。

 科学的な言語の理論の確立のためには科学的な認識の理論が前提になければならない、という三浦さんの問題意識を受け止めることで、真に科学的な言語学を創出することこそ人生の目標だとしている筆者にとっては、言語の理論を構築する前提として、まずは三浦認識論を全体としてしっかりと学び、継承していく必要があると考えています。そこで、前回いわば中途半端に終わってしまった『認識と言語の理論』第1部の要約の続きを、今回ここに掲載することにしたわけです。なお、言語の理論を説いた第2部については、近い将来に必ずしっかりと取り上げることをここにお約束しておきます。

 今回取り上げる第1部第4章の目次は以下のようになっています。

第1部 認識の発展

 第4章 パヴロフ理論とフロイト理論の検討
  1 パヴロフの人間機械論と決定論
  2 フロイト理論の礎石
  3 不可知論と唯物論との間の彷徨
  4 フロイトの基礎仮説――「エス」「自我」「上位自我」
  5 無意識論と精神的エネルギー論
  6 夢と想像
  7 性的象徴
  8 「幼児期性生活」の正体
  9 「エディプス・コンプレックス」の正体
  10 エロスの本能と破壊本能
  11 右と左からのフロイト批判

 第1章から第3章にかけて、「観念的な自己」の運動がいかにして認識を発展させるかが説かれていたわけですが、第4章では、この論理を応用し、パヴロフおよびフロイトの理論が検討・批判されていきます。

 今回は、第1節と第2節の要約を掲載します。ここでは、パヴロフやフロイトの研究成果の正しい部分はしっかりと受け継ぐ必要があるものの、彼らの解釈で歪んでしまった部分を建設し直す必要もあることが説かれていきます。

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第4章 パヴロフ理論とフロイト理論の検討

1 パヴロフの人間機械論と決定論

 脳科学は、脳の物質的・生理的な側面の検討と、精神的・認識的側面の検討とが、正しく統一されることを要求しているが、そのために必要な脳観さえまだ確立していない状態にある。生理学で仕事をすすめて来たパヴロフと、心理学の分野で独自の理論を打ち立てたフロイトののこした業績は、正しい脳観によって建設される脳科学の中に止揚されるべき存在である。

 パヴロフは1870年代に生理学の研究をはじめたロシアの生理学者であり、いくつかの重要な発見をしたが、発見とその解釈とは区別しなければならない。パヴロフは唯物論の立場らか、観念論的な心理学に対して絶えず批判的であったが、素朴唯物論を克服することはできなかった。例えばパヴロフは、犬における興奮と抑制という生理的過程は同じように人間にも適用され、犬の行動が両者のバランス如何によって決定されるという結論は同じように人間にも適用されるという還元論的方法ともいうべき考え方をしていた。彼は人間機械論のとりこになっていたのであり、すべての存在を機械的に説明することこそ自然科学の「理想」であると思いこんでいるのである。こうした人間の社会関係という特殊性を見ようとしない、犬的な法則を押し付けて解釈しようとするパヴロフの態度は、非科学的な態度だといわなければならない。

 パヴロフ理論の「反射」という概念は、デカルトから受けつがれ、しかもデカルト的な機械的な解釈において受けつがれた。デカルトは精神と物質をたがいに独立した実体と解釈し、二元論の立場に立ったが、パヴロフはこの二元論に反対して、動物のありかたを人間に延長しようとして、かつてのフランス唯物論と同じ問題に直面した。第1は、「決定論」であり、第2はそれにつながる意志の自由という事実をどう理解するかである。彼は18世紀的な決定論を基本的原理であると信じ切っていたから、われわれに偶然と見えるものも、すべて必然なのであって、ただその必然性がまだよくつかめていないのだと考えなければならなくなる。物理学の発展が極微の世界の解明へとすすみ、偶然性をも認めなければならなくなったとき、決定論の否定から因果性それ自体の実在の否定へ、さらに唯物論への疑念が生じるという喜劇的な事態が起こった。意志の自由についても、自由と必然性を対立物の統一として・矛盾として・とらえることによって、初めて解決できる問題であるが、パヴロフは18世紀的な唯物論の段階にとどまっていて決定論を固守したし、意志の自由の問題も解決できなかった。パヴロフは人間を1つの機械であると考え、そこから人間の研究方法も人間がつくり出した機械の研究方法も変りがないのだという結論へと持っていき、この結論と現実の人間のありかた・その高度の精神活動とこれにもとづく行動との大きなくいちがいの原因を、「強力な未知の法則」のはたらきに押しつけただけであった。

 パヴロフにおける意志論の欠如は、規範論の欠如となって、彼の言語論の足をひっぱってくる。パヴロフ理論は第二信号系において言語が成立するといい、これを「信号の信号」だと説明しているが、説明はそこまでで、言語規範の成立やその発展による自由の拡大など、意志の自由の具体的なありかたについては何も語っていないのである。


2 フロイト理論の礎石

 人間は1つの機械なのだから機械も人間も研究方法は同じだというパヴロフの方法論を適用すると、精神活動の結果として形成される人間の性格まで、機械と同じように物質的に、人間の生理学的なありかたから説明されることになる。こうしてパヴロフは犬から出発してヒポクラテスの四気質説を支持するところへと落ちつき、彼の弟子も医師の処置には主観的データと客観的データが必要であるとの説に二元論のレッテルを貼ったのである。

 他方、フロイトによって創始された精神分析療法は、患者に対してその頭に浮かんだことをかくさず忠実に話すように要求し、この「主観的データ」を分析し、患者に説明することで、その抑圧を除き治癒にみちびく療法であるから、パヴロフの理論とは本質的に相容れない。われわれはフロイトに対してもパヴロフに対すると同様に、彼の研究の成果とその解釈とを区別しながら、批判的な態度で接する必要がある。フロイトは礎石をすえることに成功しなかったとはいえ、階層を築くことには成功したのであるし、彼なりの礎石(それが科学にとって真の礎石ではないにしても)をもってはいたのである。フロイトの出発点あるいは礎石についての検討は、彼の仕事の壁がどこにあったかを明かにするために不可欠である。

 科学の新しい分野の開拓には、新しい術語の創造が不可避であり、パヴロフは興奮と制止のバランスによってすべてを説明しにかかり、さまざまの新しい術語をつくり出した。しかし彼は機械論的な発想で、機能の実体的なとらえかたをした。一方、観念論哲学にあっては、これ見よがしの「最新」用語をちりばめるのがつねであるから、科学と称する理論体系に耳なれない哲学的用語がつぎつぎととび出してくる場合には、いかさまと予想してまずまちがいない。

 観念論的な発想を出発点あるいは礎石としたことが明かな理論に対して、われわれはそれを破りすてるのではなく、その中にある真理をすくいとって来ることに努力しなければならない。出発点あるいは礎石に歪みがある場合は、体系全体を再検討して全面的な改訂をやらなければならないから、この誤謬が礎石の歪みに由来するように見えても、そう見えるのは何か見当ちがいな見かたであり自分が未熟なせいであるにちがいないと、自分で自分にいいきかせる傾向があらわれる。また他方では、礎石の歪みだと確信しても、それを訂正して体系全体をつくりかえる方向へすすむのではなく、礎石が歪んでいるのでは全体が意味をもたないと全体を否定する方向へすすんでしまって、すでに築かれている階層までぶちこわす傾向があらわれる。

 フロイトの精神分析学に対しても、やはりこの2つの傾向があらわれているが、どちらにもそれだけの根拠と逸脱がある。フロイトの人間観は「本能」論であり、2つの基本本能としてエロスまたは愛の本能と、破壊または死の本能を認めた。フロイトは晩年、ギリシャの哲学者エムペードクレスの主張を発見し、無生物界を支配しているところの2つの「基本力」を認めて、これらが生物において2つの「基本本能」のかたちをとるのだと主張するようになった。

 そこでわれわれはこのエムペードクレスの原理について、いますこし検討してみようと思う。エムペードクレスはその原理を自分でつくりあげたものではなく、2つの基本力という考えかたはすでにヘラクレイトスの主張していたところである。ヘラクレイトスは元素的なものを認めながらも、それらが差異ばかりでなく共通性をも持って相互に転換していると主張し、この質料に内在する原理として闘争と調和の2つを指摘したのである。エムペードクレスも元素的なものは認めたが、これらは相互に転換するものではなく、独立して存在する永遠に変化しないものだという見解をとった。それゆえエムペードクレスは、ヘラクレイトスの闘争と調和の2つの原理を、質料とは別に存在する力それ自体のありかたとして、いわば自己流にとり入れたのであった。

 自然科学の発展は、物質と運動とが不可分の存在であることをわれわれに教えていて、この意味でエムペードクレスよりもヘラクレイトスの考えかたのほうが正しかったわけであるが、フロイトがエムペードクレスを支持するにとどまって、ヘラクレイトスへすすまなかったのは、フロイトの発想がヘラクレイトス的(弁証法的)ではなくエムペードクレス的(形而上学的)であったことから規定されたものである。フロイトの基本本能論それ自体は歪められたものではあっても、事物の発展の原動力として二種類の矛盾が存在しからみ合っている事実をそれなりに反映しているのではないか、と予想することができるのである。

 われわれがフロイトの理論体系の礎石の歪みを理解してそれを正しいものにつくり変えるための、もっとも重要な環は、なぜ彼が本能の役割をそれほどまで誇張しなければならなかったか、彼をして誇張させた理由はどこにあったか、である。この理由を明かにしなければ、本質的な批判にはならないのである。
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2015年10月18日

庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか(5/5)

(5)庄司和晃は一般論と事実ののぼりおりを繰り返し、教育学の現象論を膨らませた

 ここまで庄司先生の歩みがいかなるものであったのかを見てきました。庄司先生は戦前、天皇を絶対的なものだと盲目的に信じていた自らのあり方を深く反省し、正しい判断を導いてくれる基準としての学問の創出を求めていたのでした。また、現実の戦争で諸外国に負けた上に学問の世界でも敗れることは耐えられないという思いから、日本人独自の学問を構築しようとしたのです。つまり、個人としての主体性とともに国家としての主体性を支えるものとして学問の構築を志したのでした。それが全面教育学や認識の三段階連関理論として結実することとなるのですが、その過程を眺めてみると大きく2つの特徴があるということでした。その1つは常に一般論を把握しようとしていたということ、もう1つは子どもの言葉からその背後にある認識に目を向けていたということでした。

 では、こうした庄司先生の歩みは学問的にどのように評価することができるでしょうか。そもそも(科学的)学問体系が構築されるとはいかなることかについて、瀬江千史先生は次のように述べています。

「科学的学問体系が確立されるとは、そもそも自らが学的レベルの一般性(学的一般教養)をふまえて専門分野の一般性を創出し、それを把持しつつ専門とする対象的事実から論理を導き出し、その論理の特殊性の一般的把握から、しだいに対象とする事物・事象全体に共通する本質レベルの一般性を導き出す作業を積み重ねることによって、論理の体系的構造化を果たすという過程を経ることなのである。」(瀬江千史『医学の復権』現代社、1999年、p.117)


 つまり、学的一般教養を踏まえて専門分野についての一般論を創出し、その一般論から専門分野に関わる事実に問いかけていって論理を導き出していかなければならないということです。そして、論理を体系的に構造化しなければならない(個々の論理をあるべき場所におさめていかなければならない)ということです。これは具体的には本質論・構造論・現象論という形になります。人間の体に喩えるならば、本質論がアタマとして全体を統括し、胴体が構造論、手足が現象論に相当します。図式化するならば、下のような形になります。

学的体系図.png

 このような観点から見たとき、まず庄司先生が「渡世法体得」という形で教育一般論(本質論)を捉えていた点が評価できるでしょう。庄司先生は専門とする理科教育(と科学教育)の一般論(本質論)を打ちだし、その観点から実践を行っていました。そして「教育とは何か」へとのぼっていき、渡世法体得という教育一般論(本質論)を打ち出したのでした。そして、今度は渡世法体得という観点から様々な事実へ問いかけていき、教育学の体系を人間教育(達人教育、平凡教育、表街道教育、裏街道教育、死の教育)・自然内教育(山川岩石内教育、植物内教育、動物内教育)・交流教育という形でまとめたのでした。

 このように庄司先生は一般論と事実ののぼりおりを行っていたのであり、その過程で認識の三段階連関理論を始めとする様々な論理を導き出したのです。つまり、「一般性を創出し、それを把持しつつ専門とする対象的事実から論理を導き出」すという作業を行っていたのだということができるでしょう。

 庄司先生が勤務した成城学園の創始者である沢柳政太郎は、『実際的教育学』の序において次のように述べています。

「予は今日まで世に現はれたる教育学に対し、頗る不満足を表する者、これらはいずれも教育学なるものの当然研究すべき問題を研究せず、否、接触することすらせず、実践と没交渉であるばかりでなく、何れも学者の一言言たるに過ぎざるものと考える者である。」


 つまりこれまでの教育学は実践と没交渉であったということです。これに対して沢柳は不満を抱き、実践に基づいた教育学(実際的教育学)の構築を志したのでした。成城学園もそのために作られたものだったのです。庄司先生は、まさにこの実際的教育学の精神を体現したのです。また、その原動力として自前のもの(自分独自のもの、日本人独自のもの)を創ろうという強烈な問題意識があったのでした。教育学を志す筆者として、この精神はしっかりと受け継いでいかなければなりません。

 では、全面教育学として提出された論理そのものはどう受け継げばよいのでしょうか。

 これは端的には教育学体系における現象論を大きく膨らませるものとして受けとるべきだと言えるでしょう。庄司先生も指摘しておられるように、それまでの日本の教育学では、その射程が学校教育に限られていたのでした。また、「戦前の教育は教化であって教育ではない」(太田堯など)といった捉え方がされていたのでした。つまり、教育現象とは学校教育であり、戦後教育であるという非常に狭い捉え方がされていたのです。それに対して、庄司先生は、渡世法体得という観点からすれば、例えばスリやヤクザの世界で行われていることも教育と呼べるし、戦前の軍国主義的な教育も教育と呼べると指摘したのです。このように庄司先生は善悪ではなく事実と論理でもって教育を捉え、教育学の現象論の中身を大きく膨らませたのだと捉えることができるでしょう。

 その結果、植物内教育や動物内教育なども打ち出すようになったのですが、ここはどう受け継げばよいでしょうか。庄司先生は「植物内教育」に関わって次のように述べています。

「植物のあの様々なる『繁殖力』の方法こそが、まさにかれらの<渡世的知恵>なのだ。全くもって先祖伝来の知恵である。長いながーい気の遠くなるような進化史的な成果による知恵である。草や木の体にしみこんだ悟り的知恵とも言えよう。ともかくそれぞれは、それぞれの特異性を持っての世渡りである。」(『全面教育学の構想』明治図書、1988年、p.72)


 つまり、植物は生きていくための知恵を様々に持っていて、個々の場面でそれを行使して生きているのだが、その知恵は先祖から受け継いだものであり、進化史的な成果だということです。このように植物は生存に必要な習性を先祖から受け継いでいるということを捉えて、庄司先生は「植物内教育」と呼んでいるのです。

 また、「動物内教育」についても、次のように書かれています。

「かれら(注:動物たち)の現実生活では、私ども人間の想像も出来ないくらいに、精一杯の工夫考案あっての日々の渡世であろう。進化史の中で獲得したものが体いっぱいに伝わっていようとも、目前の変化のすべてを予想しての伝達とは考えにくいからである。」(同上書p.75)


 つまり、動物は進化の過程でさまざまなものを獲得してきたのであり、個々の動物はその伝達されたものを使って生存しているということです。

 要するに、生存に必要なものを先祖から継承しているという点を捉えて、庄司先生は「自然内教育」と捉えたのです。これをより抽象化するならば、生命体は歴史的な過程を経て存在しているということです。これは人間にも当てはまります。現代の人間も人類の歴史的な過程を経て存在しているのだということになります。したがって、人類の歴史を見なければ現代の人間は理解できないということにもなります。このように考えれば、非常に重要な視点を庄司先生は与えてくれていると言えるでしょう。

 このような形で庄司先生の成果を受け継ぎ、真の教育学体系を構築することを亡き庄司先生に誓って、追悼論文を終えたいと思います。
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2015年10月17日

庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか(4/5)

(4)庄司和晃は子どもの言葉から認識に着目した

 本稿は庄司先生の追悼論文として、庄司先生が教育学においてどのような仕事を成し遂げたのか、またその歩みはいかなるものであったのかを明らかにしようとするものです。前回は、庄司先生がその歩みの過程において常に一般論を把握しようとしておられたことを明らかにしました。実は庄司先生の歩みにはもう1つの特徴があります。それは子どもの言葉や認識に着目していたという点です。今回はこの点について見ていきましょう。

 庄司先生が子どもの言葉や認識に着目するきっかけとなったのは、成城学園での研究でした。成城学園では担任がテーマを決めて研究していくことになっていました。庄司先生もそのテーマを決めなければならなくなったときに、校長の柴田勝から「子どもたちがどんな話題でしゃべっているか記録してみたら・・・」とアドバイスされて、子どもの言葉を採集していくこととなったのでした。その膨大な記録は『一年生という子ども』(成城学園初等学校、1955年)という402ページの大著としてまとめられています。これが庄司先生の処女作でした。

 その前書きの中で、庄司先生にアドバイスした校長・柴田勝は次のように書いています。

「子供の意志、子供の感情、子供の考え、子供の社会、そういったものが、まことに私などにとっては魅力なのであるが、きわめて特徴があり、変化がある、子供の語る、使用する、彼等のことばの採集によって、それらのことが明らかになるとしたならば、なんとかしてこれを採集してみたい、これは私の長い間の念願であった。

山形県の田舎から出てきた青年教師、庄司君は、この私の念願を、だまされた、こんな面倒くさい、つまらん仕事を、とあるいは思ったかも知れないが、純情と忍耐、精力そのものの混合である弾丸のようなはげしさで、この仕事をやったのである。」


 つまり、子どもの意志、感情、考え、社会を子どもの言葉の採集によって明らかにしたいという念願を柴田勝は庄司先生に託したのです。その仕事について、「だまされた、こんな面倒くさい、つまらん仕事を、とあるいは思ったかも知れない」と書いていますが、実際のところはどうだったのでしょうか。

「僕はこういう、子供のコトバなどを集めたりすることが楽しみだったんです。子供はこういう発言をするのかという発見が楽しかったんです。(中略)子供を知る楽しみ、それに文章を書いて発表する楽しみ、これを冊子にまとめていく楽しみ、つまり楽しみながら仕事ができたんです。 」(「一つ固めよ、新たな展望が展望が見えてくる」
http://zenmenken2014.web.fc2.com/pdf/20140705danwaroku2.pdf


 ここからわかるように、庄司先生自身は子どもの言葉を採集すること、それをとおして子どものことを知ることを楽しんでいたのです。

 この観察の中で、庄司先生は子どもの言葉が直接に認識を表しているわけではないことに気づくようになります。そのことが1956年の記録「けんか後のコトバ」に書かれています。ここでは2つのケンカが取り上げられていますが、そのうちの1つを紹介します。

 当時、庄司先生は1年生を担任していたのですが、受け持っているクラスの子どもの2人(伊藤君と山田君)がブランコをめぐって、殴り合いのケンカをしたのでした。山田君は鼻血を出し、伊藤君は泣き声を上げるという様子でした。そうして一通りケンカが収まったところで、庄司先生は山田君が出している血を拭うとともに、その様子をじっと見ていた伊藤君に対しては「ずいぶん血がついているな、あらってこいよ」と声をかけたのでした。それを受けて、伊藤君は「うん」と言って水道の方へかけていきました。その後、2人が考えこんで、うつむき顔にたたずんでいました。庄司先生はそれ以上は声もかけず、仕事にとりかかっていたのでした。その後の場面の様子です。

「それから5分もたったころであろうか、
『先生!』
と伊藤が私のところへかけよってきた。
『ああ』
とふりむくと、さびしそうにポケットに手をつっこんだまま立っている。
『なんだい』
というと、
『こんどの遠足どこ?』
まったくとっぴな問いかけである。いまのけんかとはぜんぜんかかわりあいのないことを問うてきた。
『さて、どこかな、まだきまっていないから困ったな』
というと、
『ふん』
とうなずく。
『きまったら、おしえてやるよ』
というと、彼は元気よく外庭のほうへ走っていった。」(『コトワザの論理と認識理論』所収、p.306-307)


 庄司先生はここで、「こんどの遠足どこ?」と尋ねている子どもの認識を問題にしています。

「このぜんぜんかけはなれた彼の最初の発言は無視することはできない。なぜなら彼は問いかけに対するまっとうなこたえを要求しているのではなく、ある面からいえば”先生がどう思っているのか”ためしているのであり、ほかの面からいえば愛情をもとめていると思われるからである。」(同上書、p.307)


 つまり、どこへ遠足に行くのかが知りたいわけではなくて、さっきのケンカについて先生がどう思っているのかを知りたいという認識の表現が「こんどの遠足どこ?」という形になったのだということです。このような子どもの言葉を当時の庄司先生は「愛情要求のコトバ」と命名しました。そして、これはピアジェが子どもの言葉の研究の中で明らかにした分類に当てはまらないものであることを指摘しています。

「子どものコトバには、スイスのジャンピアジェがたんねんにほりおこして私たちに指し示してくれたようにふたつのグループがある。すなわち、
・くりかえし、ひとりごとのような自己中心性のコトバ(反復・独言・集合的独言の3つに分類される)
・両者のあいだの相互作用のみとめられる社会性のコトバ(適応的報告・批判・命令・質問・応答の5つに分類される。(中略)
『先生!こんどの遠足どこ!』

 この問いかけは、先生の受け答えを切に待ち望んでいるコトバであるから、とうぜん社会性のコトバとみてよい。そして、子どもというものは遠足とか運動会のような行事的なものに対しては異常な、といっていいほどの関心のたかまりを示しているものである、と解釈してもけっしてまちがいとはいえないであろうが、このばあいはそういう受け取り方は少々方角ちがいではあるまいか、コトバというものを死にものとしてみているのではあるまいか、というささやかなうたがいをもつ。と、いうのは子どもがそのとき、
『先生!いま何時?』
とおきかえていってもいっこうさしつかえのない問いかけであると推定できるからである。

 したがって、これらのコトバは純粋なものとしての社会性のコトバとは受けとりにくい。また、相手の受け答えをぜひとも必要とするコトバであるから自己中心性のコトバともすぐにはいいきれない。」(同上書、p.308)


 ここで行われている子どもの言葉の分析は、言語(表現)と認識が相対的に独立したものであることを指摘したものとして、重要なものだと言えるでしょう。こうした体験から、庄司先生は、子どもの言葉の背後にどのような認識が存在しているのか、直接目に見える言葉を手がかりとして、直接目に見えない認識を見ることを意識するようになったと考えられます。

 庄司先生が三段階連関理論を創出するに至ったのは、1966年のことです。その直接的なきっかけは仮説実験授業やコトワザの分析であり、三浦さんからの示唆であることは間違いありません。しかし、それ以前から庄司先生は子どもの認識を見ることに対して大きな関心を抱いていたのです。そうした土台があったからこそ、三段階連関理論の創出が可能だったのだと言えるでしょう。
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2015年10月16日

庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか(3/5)

(3)庄司和晃は常に一般論を把握しようとしていた

 本稿は、庄司和晃先生の追悼論文として、教育学の世界で庄司先生が何を成し遂げたのか、またその過程はいかなるものであったのかを明らかにしようとするものです。前回は庄司先生が学への道を歩んだ原点について考察しました。端的には、個人としての主体性と国家としての主体性を支えるために学問の構築を目指したのだということでした。

 庄司先生は教師としてこの仕事に取り組むことになり、これが全面教育学や三段階連関理論として実を結ぶことになったのです。では、その過程はいかなるものであったのでしょうか。まず大きな特徴として、常に一般論を把握しようとしていたという点が挙げられます。今回はこの点について詳しく見ていきたいと思います。

 庄司先生は1963年(34歳)に三浦さんと出会い、弁証法・認識論に関わって様々な指導を受けるようになりますが、それ以前から一般論を追い求める姿勢は見られます。例えば、1961年(32歳)のときに書かれた「理科教育と『支配理論』」(『仮説実験授業と支配理論』(成城学園初等学校、1972年)所収)という小論には次のように書かれています。

「理科教育のしごとは、個人個人の自然観をたかめることである。
 なぜ、それをたかめなければいけないのか。自然に対する確実な支配権を獲得しなければならないからである。
 なぜ、それを獲得しなければならないのか。人類が生きのびていかなければならないからである(句点なしママ)
 生きるということはどういうことか。ふだんのたたかいである。
 人類の歴史は、一面からみれば、自然とのたたかいであった。そのたたかいに勝利を占めてきたからこそ、ここまで生きのびてきたのであり、その自信によって、未来の可能性をも持ちうるのである。
 もう一面からみれば、人類の歴史は自然に対する支配権の拡張であった。
 その支配権の総決算が、人類史における各時代の自然観である。
 したがって、理科教育の目的は、子どもが育っていくなかで、自然への支配権を獲得していくプロセスを、子どもと密着することによっておしみなく援助し、勇気づけ、ふるいたたせることである。」


 ここでは「人類の歴史は自然に対する支配権の拡張であった」ということを踏まえて、「自然への支配権を獲得していくプロセス」を援助することが理科教育の目的だと論じられています。つまり、理科教育と呼ばれる実践はすべてこの目的によって統括されているということです。これは理科教育と呼ばれる実践にはすべて「自然への支配権を獲得していくプロセスの援助」という性質が含まれている(含まれていなければならない)ということであり、理科教育の一般論と呼ぶこともできます。

 実際の授業においても、こうした一般論に基づいて教材研究を行っていました。1960年(31歳)に書かれた2年『ねんどのふね』=ものの浮き沈み学習=の授業記録(同上書所収)から見ていきましょう。

 教科書(東書)には、

あぶらねんどで、ふねをつくりましょう。
あぶらねんどを水にいれて、うくかしずむかしらべましょう。
どのようにつくったらよくうかぶでしょうか。


と書かれており、そのねらいについて、当時の学習指導要領では

(1)あるものは置きかた(浮かべかた)によって浮かばせることができる
(2)また、あるものは、形をかえることによって浮かばせることができる


と書かれています。

 一般的な教師の感覚からすれば、実際に子どもたちにあぶら粘土を渡して、いろいろと試させればよいだけです。そして、うまく浮かせることができた方法を発表させて、全体に共有させれば、この学習は終了となります。しかし、庄司先生はこの学習を通して把握させたいものは何かがつかめずに苦労したと述べています。一体、どういうことでしょうか。

 端的には、自然に対する支配権の獲得の援助という自らが規定した理科教育一般論とつなげることに苦労したということになるでしょう。「あぶら粘土の置き方を工夫すれば浮かばせることができる」と知ったところで、何の意味があるのかという問いかけを庄司先生は抱いていたのです。

 では、この問題を庄司先生はどのように解決したのでしょうか。庄司先生は次のように述べています。

「『浮かぶもの』を沈めたり、『沈むもの』を浮かべたりすることができまいか。それはできる、としたならば、そうする力はどこに求められるか、といえば人間的な力をそこに加えればよい、というのではないか。ここにきてたいへんに人間的なものがある、ということにおそまきながら気づいてきたわけである。

 人間社会の発展途上―とくに水上交通の進歩―において、そうした力の加えかたによってエポックとなったもののあることが思い出されてきたのである。それの最大なものは、すぐさま水上交通の進歩につながったとはいえまいが、やはりアルキメデスの原理とその拡大であろう。

 アルキメデス以前では原始人の生活にある。人間的な力の自然物へのはたらきかけという地点まできたときに原始人(あるいは未開人)の丸木舟からいかだとかくりぬき舟の考案発明とか動物の皮を舟形にしたものなどにみられる内的な人間的な力のはたらきかけが、私には意味をもったものとして映じてきたのである。それらは、とどのつまり、形をかえる、ということではないか。丸木などにおいては、浮かぶそのものをもそうした形にせざるをえなかったというところにはこんどは安定とかものを多量にのせるとかの問題が横たわっているのであろう。したがってはじめから浮く木などでは、今までよりもっとらくにうまく浮かせるにはどうするかという問題である。そして、それは、木そのものを人間の意図通りにできることを学んだ結果だ、ともいえよう。しかし、集中の一点はやはり、形をかえる、ということではないか。人間側がそれに順応するというというのではなくて、相手側を完全にといっていいくらいに支配するということではないか。(中略)人間が『浮かぶもの』『沈むもの』を完全に支配して、こちらの意図通りにできると確信してつきすすむ人間をつくることに『ものの浮き沈み』学習の到着点があるといってよいのではあるまいか。」(同上書、pp.252-254)


 つまり、原始人は丸木舟、いかだ、くりぬき舟を考案発明したり、動物の皮を舟形にしたりして、そのままでは沈んでしまうものを浮かぶようにしたのだということです。このように人間は、形を変えることによって、ものの浮き沈みを思うままに支配できるようになってきたのであり、そのことによって水上交通を発展させてきたのだということです。このような人間の生き方を学ばせることこそがこの学習の到着点なのではないか、ということです。こうした観点から実際の授業も進められていくこととなります。

 1963年からは板倉聖宣氏らとともに仮説実験授業に取り組んでいくこととなりますが、ここでも「そもそも科学教育とは何か」をつかめず、板倉氏と激しい討論をしていました。そうした討論の末、ようやく科学教育とは何かを把握したとして、次のように書いておられます。

「ようやくにして、科学教育のギリギリが腑に落ちた。それは、つぎのごとき板倉氏の言葉が、強力なキッカケであった。

○科学教育では自分がすばらしくなったということだ。そしてそれが認められるようなものでなければならない。科学の教育では自然を見る目・自分の力がすばらしくなったということである。相手(科学者・対象物)のすばらしさを認めることではない。(注:原文はかたかな表記だがひらがな表記に直した)

 如是我聞である。これを耳にし、なるほどと思った。そうであったかと深く感じ入った。おのれの求めていた科学教育というのは、これであったのかと合点したのだ。」(『仮説実験授業の論理』明治図書、1988年、p.160)


 つまり、自分がすばらしくなったと自覚させることが科学教育だということです。そもそも科学は対象の構造を把握することで成立します。人類は対象に働きかける中で、徐々にその構造を明らかにしてきたのであり、そのことにより対象がどのように変化するかが予想できるようになってきました。科学によってこのような確実な予想ができるようになることを子どもたちに自覚させること、そのことをとおしてこそ自分、ひいては人間のもっている力を感じさせることが科学教育だということです。非常に示唆に富む把握だと言えるでしょう。

 1977年に現場を離れると、庄司先生は柳田社会科や仮説実験授業、コトワザ教育など自らが行ってきた実践をまとめあげるために、そもそも教育とは何かの把握に努めることとなります。そして、教育の本質は渡世法体得だとし、全面教育学を打ち出したのです。全面教育学という名称の理由とその中身について以下のように書かれています。

「なぜ全面教育学なのか。答えは簡単である。従来の教育学が一面的だからである。人間教育本意、しかも善人教育中心だからである。(中略)教育の本質とは何か。一言でいうと、渡世法体得である。この世を生き抜く術(仕方・方法)を学びとることだ。つまりは『生き方・死に方』の習得である。教育は何も『人間』にのみ限った現象ではない。ケモノにもあればトリにもある。(中略)まとめて『動物内教育』といっておこう。(中略)同じ伝で、『植物内教育』も想定しうる。(中略)二者あわせて『生物内教育』と呼ぶこともできる。無生物の関与をも考慮に入れれば、『自然内教育』と称してもよいであろう。(中略)いっぺんはそういうばかでかい観点に立って、人間教育の何たるかを見つめ直す必要があろう。(中略)人間教育に焦点をしぼってみても、現実にあるのは、『学校教育』や『社会教育』に見られるような善人教育ばかりではない。ヤクザ・スリ・ヌスットなどの悪人教育もある。(中略)裏街道教育といっておくことにしよう。」(『全面教育学の構想』明治図書、1988年、pp.19-21)


 そして、以下のような形で全面教育学の体系を図示しておられます。

庄司和晃追悼論文図1.png

 この中身をどう受け継いでいくべきかは本稿の最後に触れることにしますが、このように庄司先生は常に一般論を追い求めておられたのです。これが庄司先生の歩みの大きな特徴だと言えるでしょう。
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2015年10月15日

庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか(2/5)

(2)庄司和晃は個人としての主体性と国家としての主体性を支えるために学問の構築を求めた

 本稿は、5月5日に逝去した庄司和晃先生の追悼論文です。学的な評価を受けていながらも、その名を余り知られていない庄司先生が何を成し遂げたのか、またその過程はいかなるものであったのかを明らかにしようとするものです。今回はまず庄司先生がなぜ学への道を歩んだのか、その原点について見ていきたいと思います。

 庄司先生の原点を探る上で欠かすことができないのは、庄司先生は皇国少年であったということです。庄司先生は次のように書いておられます。

「私は戦時中に皇国少年として育ち、旧制の中学校の時には予科練に志望して入隊し、最後には特攻隊に自ら志願して訓練を受け、その訓練も終了していざ基地への配置という段になって、敗戦を迎えました。一六歳のことでありました。(中略)ともかく、志望・志願というこの一連の行動を見ても分かりますように、私は、非常にと言ってよい程に真面目に、しかも一途にあの戦争に協力して来たわけです。

 戦争末期の負けいくさで、お上がやっきになって、軍人になれ!兵隊になれ!と半ば命令的に動員をかけているにもかかわらず、予科練や士官学校などに受験しない生徒は存外に沢山いましたまた、予科練の中にも幾ら大声をかけられても特攻隊に志願しない人もいっぱいいました。私などにはそれがたいへんに不思議なことと映ったものです。(中略)(『教育者としての青春』明治図書、1988年pp.4-5)


 庄司先生は1929年に曹洞宗の僧侶の次男として生まれました。その2年後の1931年には満州事変が起こり、そこから日中戦争へ、さらには第二次世界大戦へと日本が突き進んでいく時代だったのでした。こうした時代の教育を受けた庄司先生は、特攻隊に志願するほどの皇国少年だったのです。

 しかし、1945年、日本は敗戦を迎えることとなります。皇国少年であった庄司先生にとって、これは非常に大きな出来事となりました。まず、自らが絶対だと信じてきたものが絶対ではなかったことを自覚したということです。「お上」に従っていればよいと考えていたものが、そうではなかったということ、それと同時に、自分のアタマでは何も考えていなかったのだということを自覚することとなったのです。当時の自らを振り返って、庄司先生は次のように述べています。

「何の因果か、所詮は、馬鹿真面目だったんです。『ばかまじめ』と背中に書いて歩いているような者だったんです。この『馬鹿』は怖いです。縁が悪いとどんな方向に走り出すかわからないからです。歯止めのきかない行動を発揮し兼ねないからです。その上に騙されやすい性格も裏腹につきまとっています。なおのこと始末におえないわけです。

 その後の精進と学問とによって、相当に変質させて来たつもりですが、すっかり消え去ったとは言えないかもしれません。とにかく『馬鹿』のつく真面目でなく、正しい判断の出来る『賢い』真面目でありたいと、今でも願っているしだいです。」(『教育者としての青春』pp.5)


 結局、何の疑いもなく「お上」の言うことを信じてしまっていたということです。そうした自らのあり方を反省し、正しい判断のできる賢い真面目でありたいと述べています。つまりは、主体的に判断することができる人間になりたいということであり、これこそが庄司先生の根本的な問題意識であったと言えるでしょう。そうした自らの判断を支える絶対的な基準として学問を求めたのだと考えられます。

 敗戦後、日本には様々な欧米文化が流入してくることとなります。教育界においても、新たに社会科が創設され、授業の方法としてデューイの問題解決学習などが大々的に導入されることとなります。教育学者たちがこうした欧米の文化を歓迎する一方で、庄司先生はそうした教育学者のあり方を批判的に見ていました。そのことは以下の文章から窺えます。

「外国人の所産物をどしどし吸収することはあっていい。ぜひともワガモノにすべきだ。しかし、もっともっと自分の眼でモノを見、自分の頭でまっすぐに感じるところからギチリギチリと考えに考えをいれて組みあげていくことのほうがとどのつまりはもっとも有効性を発揮しうるものを生み出しうるはずである。それをやるべきである。独創的なものを生みだすべきである。それなくしてなんで諸外国とたちうちあえるものが生まれようぞ。(中略)ピアジェなんかに負けてなるもんか、ワロン何するものぞ、クレイグなんぞ何のその、かくいう精気はつらつたる根性のもち主がぞくぞくと、ご登場あってしかるべきではないのか。」(庄司和晃『総合教育という教育実験』明治図書、1988年、p.137)


 ここでは自分の目でモノを見ること、自分のアタマで考えることの重要性が強調されています。これは先に触れたように、庄司先生の自らの痛切な反省に根ざしたものです。そうした庄司先生からすれば、教育学者たちは欧米の理論を鵜呑みにするばかりであり、これではお上の言うことを信じ切っていた戦前の日本人と同じだと映ったのでしょう。そうではなくて、しっかりと自分のアタマで考えること、端的には主体性を発揮することを主張しているのです。

 ただ、庄司先生が教育学者を批判する理由は、それだけではありません。庄司先生は欧米諸国への強烈な対抗意識をもっていたのです。「諸外国とたちうちあえる」などの表現からそのことは窺えるでしょう。また、庄司先生は次のようにも書いておられます。

「この人(筆者注:吉本均)は西ドイツ理論に助けをかりようとしている。『範例的教授・学習』理論にもたれかかって自分を見失っている。これでは全くどうしようもないではないか。植民地根性のなせるワザといわれてもしかたがないではないか。」(『コトワザ教育と認識の理論』成城学園初等学校、1970年、pp.2-3)


 「植民地根性」という表現からわかるように、庄司先生は、当時の日本の状況を植民地として捉えていたのです。つまり、現実の戦争に打ち負かされてしまい、欧米諸国の支配下に入ってしまっていると考えていたのです。皇国少年として育ち、日本こそが絶対だと考えてきた庄司先生にとっては、これは耐え難い屈辱だったものと思われます。その上に学問の世界においても欧米に支配されてしまうことに、庄司先生は我慢がならなかったのでしょう。だからこそ、植民地根性を捨てて、欧米にたちうちあえるような日本独自のものを創るべきであり、そうして日本の復権を図るべきであり、日本の主体性を回復すべきだと考えていたのです。

 このように、庄司先生は主体的に判断できる人間になることを自らの問題意識として抱き、それを支える絶対的な基準として学問を追い求めたのです。また、そうした学問を構築することにより、欧米に負けない日本の姿を示したかったのだと言えるでしょう。一言で言えば、個人としての主体性と国家としての主体性を支えるために学問の構築を目指したのだと言えるでしょう。
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2015年10月14日

庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか(1/5)

<目次>
(1)庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
(2)庄司和晃は個人としての主体性と国家としての主体性を支えるために学問の構築を求めた
(3)庄司和晃は常に一般論を把握しようとしていた
(4)庄司和晃は子どもの言葉から認識に着目した
(5)庄司和晃は一般論と事実ののぼりおりを繰り返し、教育学の現象論を膨らませた

(1)庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか

 2015年5月5日、一人の教育者・教育学者が逝去しました。庄司和晃先生です(ここでは教育学者の先達として敬意を表し、先生と呼びます)。享年86歳でした。

 三浦つとむさんや南郷継正先生の著作に慣れ親しんでいる方であれば、庄司先生は認識の三段階連関理論を創出した人物としてご存じでしょう。例えば、『弁証法はどういう科学か』には次のように紹介されています。

「諺は常識と科学とのいわば中間に位置づけられる存在で、経験をふまえて具体的な事実のかたちで語るところは常識に近いが、それと同時に経験ではつかみにくい普遍的な法則性を裏の意味で教えているところは科学に近いという、過渡的な位置を占めています。成城学園初等科の庄司和晃氏は、この諺のありかたから、認識の発展を三つの段階としてとらえる三段階連関理論をつくりあげました。」(pp.128-129)


 また、南郷先生は次のように評価しています。

「氏(筆者注:庄司先生)は学校教育に『仮説実験授業』を取り入れて、大いなる研鑽の後に有名な『三段階連関理論』という認識論上の発見をされた方である。似非認識論者が世にはびこるなかで滅多にないホンモノの存在である。」(『武道への道』三一書房、p.252)


 このように庄司先生は認識論において大きな成果を挙げた人物として取り上げられています。しかし、いかなる過程で認識の三段階連関理論が創出されたのかを知っている方は多くないと思います。また、庄司先生の専門である教育学の分野でどのような成果を遺したのかについても同様であろうと思います。

 庄司先生は1929年に生まれ、戦後、教師として成城学園初等科で実践を行いました。そして、戦後初めて導入された教科である社会科において、何を教えたらよいか、どう教えればよいかについて、成城に住んでいた柳田国男の助力を得ながら研究と実践を進めていきます。一方で、理科教育を専門として研究と実践を行い、1963年からは板倉聖宣氏らとともに仮説実験授業の立ち上げに尽力することとなります。また、三浦さんの助言を受けて、コトワザの分析や独自のコトワザ教育を行いました。この頃に三段階連関理論を発表することとなります。1977年には現場を離れ、大学にて教育学に関わる講義を行うようになりました。その中で自らの教育実践をまとめあげ、「全面教育学」と題して自らの教育学を打ち出すようになります。このように庄司先生は実践家でありながら、学への道を歩み、その過程で三段階連関理論を創出したのでした。庄司先生の詳しい経歴については、全面教育学研究会のHPに記載されています。

http://zenmenken2014.web.fc2.com/shojinosigoto.html

 このように幅広い活動を行った庄司先生について、教育の民間研究団体であるTOSSの代表、向山洋一氏は次のように述べています。

「庄司先生の二十代講座での講演は、フィーバーするほどの大人気であった。有田和正、野口芳宏、宇佐見寛、大森修、根本正雄、向山洋一(?)などの人気講師陣の中でも、すごい人気であった。
 さすがに庄司氏である。教養の広さ深さが、そこらの研究者とは違う。」(『教え方のプロ 向山洋一全集』明治図書、2003年、pp.87-89)


 しかし、実は教育の世界でも庄司先生はさほど有名とは言えません。有名な教師と言えば、斉藤喜博、大村はま、無着成恭などがいます。例えば、ciniiで論文タイトルに名前を入れて検索してみると、それぞれ179件、166件、36件ヒットします。ところが庄司先生の場合、3件だけです(しかもうち2本は書評です)。

 実践家でありながら学者への道を進み、学問の世界でも教育実践の世界でも一部には高く評価されているものの、いかなる人物であったのか、その歩みがどのようなものであったかはあまり知られていないのです。

 実は筆者は庄司先生と直接の交流をもっていました。手紙のやりとりをしたり、お宅へ伺いお話を聞いたりしたことがあります。送った論文に対しては必ず長文のコメントを書いてくださいましたし、直接お会いしたときには、非常に温かく迎えていただきました。奥様は毎回、上等なお菓子やお寿司でもてなしてくださいました。そして、自らの理論やこれまでの経歴について、時間を割いて話してくださいました。教育学の先達にこのように接していただいたことは、私にとって忘れられない思い出です。その庄司先生が亡くなられたことは、本当に残念でなりません。

 教育学の構築を志す筆者としては、教育学への道を歩んだ庄司先生の仕事を引き継いでいかなければなりません。そこで本稿では、庄司先生が教育学においてどのような仕事を成し遂げたのか、その歩みの過程はどのようなものであったのかを明らかにしたいと思います。そのことをとおして、庄司和晃という教育者・教育学者を世に広めるとともに、庄司先生から何を受け継ぐべきなのかを明確にしたいと思います。
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2015年10月13日

2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン(10/10)

(10)参加者の感想の紹介

 前回までに、例会で報告されたレジュメを紹介したあと、ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトンの要約を4回に分けて掲載し、次いで、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介してきました。

 最終回となる今回は、例会を受けての参加者の感想を掲載しておきたいと思います。

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 今回の例会は、チューターとして論点の整理、論点への見解の整理を十分行うことができたのではないかと思う。ただ、特に論点3に関わっては、単に論点への見解としてまとめた内容を、ただ羅列的に確認していくという作業に終始してしまった感があり、そこを具体的に指摘され、ヨリ内容を深めていくことができたのは非常に良かった点でもあり、反省点でもあると思う。

 内容にかかわっては、何といっても、対象→認識(→表現)という唯物論的な把握の過程でもって、ソクラテスからソクラテス派を経てプラトンへと至る古代ギリシャ哲学の歴史を捉えることができたことがよかったと思う。具体的な中身については、論点についての討論過程の部分を参照していただくとして、端的にいえば、イデアという認識でもって現実世界たる対象を説明しようとするまでに、人類の社会的認識が徐々にではあるが発展してきた流れが、今回の例会で扱った部分であるということである。ここに至るまでの過程についても、個人としての意識の芽生えというキーワードのもとに、自分が自分であることを自覚していく(自と他とを明確に区別できるようになっていく)過程として、共同体と未分化であった個人の意識が、そこから徐々に分化していく過程として、対象と認識とが区別されていく大きな流れがイメージ出来てきたことは大きな収穫であったと思う。

 ここからさらに、プラトン当時の人々の認識においては、対象と認識というような明確な像はもちろんないのであって、ここはいわばこの世とあの世というようなイメージがぴったりくるのではないか、ということを話し合えたのもよかったと思う。これは大きくは世界観の問題であって、唯物論的な把握の仕方を当時の人々の認識として当てはめてしまうのは大きな間違いであるし、逆にヘーゲルのいわんとしていることを唯物論的に歪曲して把握しようとしてしまうことも大きな誤りである。常に世界観としての唯物論と観念論とをしっかりと区別して、どちらの立場で考えるのか、我々の視点で考えるのかヘーゲルの立場で考えるのか、しっかりと明確に意識してかかる必要があることを、今回の例会でも大きく学ばされたのであった。

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 今回の例会では報告担当に当っていたので、要約、論点の提起、整理された論点への見解の執筆に加えて、報告レジュメの作成にも取り組むことになった。要約作業については、8月の例会で扱った部分(ソフィスト派〜ソクラテス)に比べると、かなり順調に進めることができた。ヘーゲルの論旨は明快で把握しやすかったように思う。レジュメの作成にあたっては、今回も前回担当時(5月)に引き続き、ヘーゲルの文章の要約というのではなく、ブログ掲載用「ヘーゲル『哲学史』を読む」を書くような感覚で、主体的に、ヘーゲルの文章を支配しようというつもりで、書いてみた。報告者コメントでは、タレス以来の大きな流れを振り返りつつソクラテス派の位置づけを考えるという作業を、(ごく簡単なものであるが)やることができたのはよかったと思っている。

 また、そうした過程で、新刊『“夢”講義(6)』などで紹介されている吉本隆明の言、すなわち「ヘーゲルは、学問の世界と実体の世界とを二つ描いて、両方の図式の対がいわば重なり合うレベルで一致した時に、本当の学問の成立であるとしたのだ」(『“夢”講義(6)』、p.98)が大きなヒントになるのでは、という着想を得ることができた。すなわち、存在(個)と思惟(普遍)とが明瞭に区別され(前者が吉本のいわゆる「実体の世界」であり後者が吉本のいわゆる「学問の世界」である)、主観的意識は後者に属するものであること(善こそが人間の目的である!)が明瞭になったのがソクラテス段階であり、その善なるものから存在の世界(諸々の感性的な事物)に筋を通していく過程(吉本流にいえば、学問の世界と実体の世界をピッタリ重ね合わせるための過程)が始まるのがソクラテス派の段階なのだ、ということである。逆にいえば、ソクラテスよりも前の段階では、存在(個)と思惟(普遍)との区別が明瞭にはつけられず、混然一体となっていたということである(だからこそ、ヌースが必ずしも主観的なものとしてではなく、対象的なあり方として捉えられてしまうことにもなった)。

 以上は、漠然とした着想にすぎなかったのであるが、例会当日の議論において繰り返し説明を試みていくなかで、強い確信となっていった。その場では、ヘーゲルのいわゆる存在(個)と思惟(普遍)とは我々の言葉で端的にいえば対象(の世界)と認識(の世界)ということである、という趣旨の説明を繰り返し試みていたのであるが、そのことを通じて、当時のギリシャ哲学者たち、あるいはヘーゲル自身の捉え方と、唯物論者たらんとする我々の対象/認識の二分法との差異を明瞭にしておいた方がよいのではないかという思いが強くなっていき、ヘーゲルのいわゆる存在(個)/思惟(普遍)の対立というのは、あえていうならば、この世/あの世の二分法のようなものではないか、という着想を得るに至った。これは非常に大きな収穫であったと思う。

 一方で、エレア派が感性的な世界(見せかけの世界)と真実の世界との二分法を打ち建てていたとされるのは、どのように評価され得るのか、という疑問が新たに浮上してくる。このように読み進めていくなかで明瞭になった点を踏まえつつ、適宜、最初(『哲学史』序論)からの読み直しということをやっていく必要があることを痛感させられることになった。またそういう序論からの繰り返しの読み直しということこそ、『“夢”講義(6)』で説かれた正規分布的学びを実践することなのではないか、とも考えさせられた。

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 今回の例会では、ヘーゲルを読み解くにはやはり、南郷継正先生の学的成果(著作)から捉え返していくことが必須なのだということを痛感できた点がよかったと思う。ある会員が『学城』で説かれた吉本隆明の文言を、この古代ギリシャの哲学史理解に適用しようとした問題意識は、見事であった。ヘーゲル『哲学史』を読んでいても、つねに、南郷継正先生の説かれている内容を念頭の置き、それでもって問いかけることが必要だし、逆にいえば、いかなる時も南郷継正先生の著作を読み返して、当面しているヘーゲル『哲学史』の理解につなげてやるのだ!
との問題意識をもっておくことが、非常に重要なのだと感じた。

 我々は「対象→認識→表現」という過程的構造を、あたかも当たり前のごとく捉えているが、これは人類の認識が発展した結果として掴みとってきた過程的構造なのであって、人類の初期の段階から、把握されていたものであると考えてはいけない。哲学史を理解するためには、自分の自分化ではなく、自分の他人化、すなわち、当時の人類のレベルにしっかりとおりていくことが必要だということも痛感した。

 南郷先生の学的成果につなげていくという意味では、「生命の歴史」をしっかり学び、そこからヘーゲル『哲学史』を捉え返していく作業も必要だと感じている。「生命の歴史」は、いわば発展の一般性なのであるから、「哲学の歴史」も、そのあり方の少し変わったものであるにすぎない。だから、アバウトに見れば両者は一致しているのであり、「生命の歴史」の発展の論理構造を適用してこそ、「哲学の歴史」の発展の論理構造も浮かび上がってくるはずである。今後は、より意識的に「生命の歴史」を念頭に置いて、ヘーゲル『哲学史』を読み解いていきたい。

 細かい部分では、メガラ派が取り上げている問題、すなわち、「一粒は堆積物といえるか?」「一本毛を抜けば禿頭となるか?」などという問題が、三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』で触れられている点も、興味深かった。三浦さんもしっかりとヘーゲル『哲学史』を勉強されたのだろう。われわれも、三浦さん以上にしっかりと学んでいくのだという強烈な目的意識をもって、今後もヘーゲル『哲学史』に挑んでいきたい。

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 今回の例会では、いつものとおり論点の提示と論点への見解の作成を行った上で臨んだのであるが、私個人としては、ソクラテス派とプラトンは何が違うのかという点に関わって、問題意識が異なるという点を指摘できた点はよかったと思う。つまりソクラテス派はあくまで個人としてどう生きるかという問題意識であったのに対して、プラトンは国家をどうしていくかという問題意識であったことを指摘できたのはよかったと思う。国家をどうしていくべきかという問題意識をもっていなければ、先人の文化遺産をまともに継承していくことはできないのではないか、などとも考えた。

 議論の中味に関わっては、メンバーの一人が吉本さんのヘーゲル論をもとに自説を展開しており、非常に理解が深まったと感じている。つまり、学問の世界と実体の世界がぴったり一致することが学問の成立であり、ソクラテスにおいて、この両者の世界が明確に分離し始め、ソクラテス派以後において、この両者を一致させようという動きが始まったのだということであった。あくまでもヘーゲルは自らを学問の最先端だと位置づけた上で、そこに至る過程として哲学史を論じているのであるから、このようにヘーゲルの主張をゴールとしてしっかりと意識して、各時代の哲学者の主張を位置づけていかなければならないのだと感じた。次回からこの点をより意識して読み解いていくようにしたいと思う。

 なお、今回の範囲では「髪の毛を一本抜けば禿になるかどうか」など、『弁証法はどういう科学か』で取り上げられている量質転化の例が出てきたのが興味深かった。三浦さんはヘーゲルの『哲学史』をしっかりと学んで、それを踏まえて基本書を執筆したのだということを感じた。三浦さんが辿った道のりを我々もしっかり辿り返さなければならないのだと思った。
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2015年10月12日

2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン(9/10)

(9)論点3:ソクラテスからプラトンへの発展とは何か

 前回は、ヘーゲルがプラトン哲学をどのように捉えているのかに関する論点について振り返ってみました。ヘーゲルはプラトン哲学の理解を阻む3つの困難について、それらは困難とはいえないのだということを根拠を示して解説した後、プラトンの哲学を彼の対話篇から理解するためには、単なる表象レベルのものと哲学的理念そのものとを意識的に区別していかなければならないことを説いたのでした。また、プラトンのイデア論について、概ね肯定的な評価をしながらも、個々人の意識と神的存在とを対立したものとして捉えていることについて批判を加えたのでした。

 さて今回は、3つ目の論点として、ソクラテスからプラトンへの発展に関する討論内容を見ていきたいと思います。

論点3:ソクラテスからプラトンへの発展とは何か

 ヘーゲルは、ソクラテスからプラトンへの哲学の発展に関して、プラトンがソクラテスの学説のどのような点をどのように発展させたと捉えているのか。ヘーゲルの立場からすれば、ソクラテス派とプラトンとは、どこがどのように異なるのかという点も含めて考察したい。

 この論点に関しては、まず、ソクラテスからプラトンへの発展について、ヘーゲルがどのように捉えていたのかという点について議論しました。この点に関しては、プラトンは、本質は意識の内に在るというソクラテスの原理を、絶対的なものは思想のうちにあり、一切の実在性は思想である、という本当の意味でつかんだ点をヘーゲルが大きく評価していること、「思想」と「実在」の対立(アナクサゴラスのヌース)からその統一(思想ということから世界全体にそれなりに筋を通して把握することが可能になり始めてきたということ)へという流れでヘーゲルがプラトンの意義を説明していること、ソクラテスにおいては「自覚的意志にとっての目的」という狭い見地で思想が掴まれていたが、プラトンにおいてはそこを去って、思想を学問の領域へと広げたことをヘーゲルが評価していることなどを確認しました。

 さらにソクラテス派とプラトンとの違いについては、ソクラテスを部分的に発展させたのか、それとも全面的に発展させたのかという違いがあること、プラトンが学問の領域に達したことをソクラテス派との大きな違いとしていること、問題意識の違いとして、ソクラテス派が個人としていかに生きていくべきかということを問題としたのに対して、プラトンはポリス社会をいかにして立て直すかということを問題にした点が異なることなどを確認しました。

 こうしたチューターのまとめ方に対して、ある会員は、プラトンがイデアとその陰という形で捉えた認識と対象との関係は、唯物論的にいえば、対象の性質を論理化して捉え始めるその端緒といえるのではないか、こうした観点でプラトンの意義を確認しておく必要があるのではないか、という問題意識を提起しました。これにはチューターもその通りだと答えました。

 ここから議論は、ソクラテス派とプラトンとを唯物論的に捉え返すとどうなるのかというところへ進んでいきました。ソクラテス派に関しては、あまり細かい部分に着目する必要はないものの、対象と認識とを分けて両者を何とかつなげて捉えようと試行錯誤したということはいえるのではないか、ポリス社会をいかにして統治していくのかという観点は非常に重要であって、この意味ではソクラテス派は何ら政治に関わることを行っていないのではないか、などの見解が示されました。また、プラトンに関わっては、アリストテレス以後の科学の分化をカントがまとめたように、ソクラテス以後の各派の分立をプラトンがまとめたといえるのではないか、ソクラテス派と違ってプラトンは国家をどうするのかという視点が非常に強かったのが特徴ではないか、などの意見が出されました。

 最後にチューターから、アナクサゴラスのヌースとプラトンのイデアの違いについて、明確に掴んでおきたいので、この違いを議論したいという提起がなされました。これに対してある会員からは、ヌースは非常に抽象的だが、イデアという場合には洞窟に中に写った影を本物と思いこんだという話があるように、それなりには対象の世界とのつながりが説明されているのではないか、という説明がありました。また、ヌースは物質的ではない何か、というくらいの把握であったものが、イデアに至っては対象と認識との区別が意識された上での認識の方だという理解がされているのではないか、という意見も出されました。ここに関して別の会員からは、ここで認識の世界という場合、それは人間の頭の中にあるというような現代の我々のイメージとは違って、個人の認識以外の精神の世界、天国とかあの世とかいうイメージで捉えるべきではないのか、つまり対象の世界と認識の世界というのは現代の到達点に立った唯物論的な把握であるが、当時はまだそうした理解は当然になく、地上と天国とか、この世とあの世とかいったイメージの方が、ヨリ当時の把握に近いイメージなのではないか、という見解が示されました。この見解には全員が同意しました。

 以上、ポリス社会という当時の現実世界のあり方や、精神の世界をどのように捉えていたのかという当時の社会的認識にしっかりと着目する必要があることを確認して、今回の例会での論点に関する議論を終了しました。
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<講義一覧>

 ・2010年5月例会の報告
 ・2010年6月例会の報告
 ・日本酒を楽しめる店の条件
 ・交響曲の歴史を社会的認識から問う
 ・初心者に説く日本酒を見る視点
 ・『寄席芸人伝』に見る教育論
 ・初学者に説く経済学の歴史の物語
 ・奥村宏『経済学は死んだのか』から考える経済学再生への道
 ・『秘密諜報員ベートーヴェン』から何を学ぶか
 ・時代を拓いた教師を評価する(1)――有田和正氏のユーモア教育の分析
 ・2010年7月例会報告
 ・弁証法から説く消費税増税不可避論の誤り
 ・佐村河内守『交響曲第一番』
 ・観念的二重化への道
 ・このブログの目的とは――毎日更新50日目を迎えて
 ・山登りの効用
 ・21世紀に誕生した真に交響曲の名に値する大交響曲――佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」全曲初演
 ・2010年8月例会報告
 ・各種の日本酒を体系的に説く
 ・「菅・小沢対決」の歴史的な意義を問う
 ・『もしドラ』をいかに読むべきか
 ・現代日本における「国家戦略」の不在を問う
 ・『寄席芸人伝』に学ぶ教師の実力養成の視点
 ・弁証法の学び方の具体を説く
 ・日本歴史の流れにおける荘園の存在意義を問う
 ・わかるとはどういうことか
 ・奥村宏『徹底検証 日本の財界』を手がかりに問う「財界とは何か」
 ・「小沢失脚」謀略を問う
 ・2010年11月例会報告
 ・男前はなぜ得か
 ・平安貴族の政権担当者としての実力を問う
 ・教育学構築につながる教育実践とは
 ・2010年12月例会報告
 ・「法人税5%減税」方針決定の過程的構造を解く
 ・ベートーヴェン「第九」の歴史的位置を問う
 ・年頭言:主体性確立のために「弁証法・認識論」の学びを
 ・法人税減税の必要性を問う
 ・2011年1月例会報告
 ・武士はどのように成立したか
 ・われわれはどのように論文を書いているか
 ・三浦つとむ生誕100年に寄せて
 ・2011年2月例会報告:南郷継正『武道哲学講義U』読書会
 ・TPPは日本に何をもたらすのか
 ・東日本大震災から国家における経済のあり方を問う
 ・『弁証法はどういう科学か』誤植の訂正について
 ・2011年3月例会報告:南郷継正『武道哲学講義V』読書会
 ・新人教師に説く「子ども同士のトラブルにどう対応するか」
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』誤植一覧
 ・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・新大学生に説く「文献・何をいかに読むべきか」
 ・2011年4月例会報告:南郷継正『武道哲学講義W』読書会
 ・三浦つとむ弁証法の歴史的意義を問う
 ・新人教師に説く学級経営の意義と方法
 ・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・横須賀壽子さんにお会いして
 ・続・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・学びにおける目的意識の重要性
 ・ブログ毎日更新1周年を迎えてその意義を問う
 ・2011年5・6月例会報告:南郷継正「武道哲学講義〔X〕」読書会
 ・心理療法における外在化の意義を問う
 ・佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」CD発売
 ・新人教師としての一年間を実践記録で振り返る
 ・2011年7月例会報告:近藤成美「マルクス『国家論』の原点を問う」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む
 ・2011年8月例会報告:加納哲邦「学的国家論への序章」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論1三浦つとむの哲学不要論をめぐって
 ・一会員による『学城』第8号の感想
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論2 マルクス『経済学批判』「序言」をめぐって
 ・2011年9月例会報告:加藤幸信論文・村田洋一論文読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論3 マルクス「唯物論的歴史観」なるものの評価について
 ・三浦つとむさん宅を訪問して
 ・TPP―-オバマ大統領の歓心を買うために交渉参加するのか
 ・続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2011年10月例会報告:滋賀地酒の祭典参加
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論4不破哲三氏のエンゲルス批判について
 ・2011年11月例会報告:悠季真理「古代ギリシャの学問とは何か」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論5ケインズ経済学の歴史的意義について
 ・一会員による『綜合看護』2011年4号の感想
 ・『美味しんぼ』から何を学ぶべきか
 ・2011年12月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学、その学び方への招待」読書会
 ・年頭言:「大和魂」創出を志して、2012年に何をなすべきか
 ・消費税はどういう税金か
 ・心理療法におけるリフレーミングとは何か
 ・2012年1月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学,その学び方への招待」読書会
 ・バッハ「マタイ受難曲」の構造を解く
 ・2012年2月例会報告:科学史の全体像について
 ・『弁証法はどういう科学か』の要約をどのように行っているか
 ・一会員による『綜合看護』2012年1号の感想
 ・橋下教育基本条例案を問う
 ・吉本隆明さん逝去に寄せて
 ・2012年3月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第1章〜第4章
 ・科学者列伝:古代ギリシャ編
 ・2年目教師としての一年間を実践記録で振り返る
 ・2012年4月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第5章〜第6章
 ・科学者列伝:ヘレニズム・ローマ・イスラム編
 ・簡約版・消費税はどういう税金か
 ・一会員による『新・頭脳の科学(上巻)』の感想
 ・新人教師のもつ若さの意義を説く
 ・2012年5月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第7章
 ・科学者列伝:西欧中世編
 ・アダム・スミス『道徳感情論』を読む
 ・2012年6月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第8章
 ・科学者列伝:近代科学の開始編
 ・ブログ更新2周年にあたって
 ・古代ギリシアにおける学問の誕生を問う
 ・一会員による『綜合看護』2012年2号の感想
 ・クセノフォン『オイコノミコス』を読む
 ・2012年7月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第9章
 ・科学者列伝:17世紀の科学編
 ・一会員による『新・頭脳の科学(下巻)』の感想
 ・消費税増税実施の是非を問う
 ・原田メソッドの教育学的意味を問う
 ・2012年8月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第10章
 ・科学者列伝:18世紀の科学編
 ・一会員による『綜合看護』2012年3号の感想
 ・経済学を誕生させた経済の発展とはどういうものだったのか
 ・2012年9月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・人類の歴史における論理的認識の創出・使用の過程を問う
 ・長縄跳びの取り組み
 ・国家の生成発展の過程を問う――滝村隆一『マルクス主義国家論』から学ぶ
 ・三浦つとむの言語過程説から言語の本質を問う
 ・2012年10月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・科学者列伝:19世紀の自然科学編
 ・古代から17世紀までの科学の歴史――シュテーリヒ『西洋科学史』要約で概観する
 ・2012年11月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章前半
 ・2012年12月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章後半
 ・科学者列伝:19世紀の精神科学編
 ・年頭言:混迷の時代が求める学問の確立をめざして
 ・科学はどのように発展してきたのか
 ・一会員による『学城』第9号の感想
 ・一会員による『綜合看護』2012年4号の感想
 ・2013年1月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』を読む前提としての世界歴史の全体像
 ・歴史観の歴史を問う
 ・2013年2月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』をどのように読んでいくべきか
 ・『三浦つとむ意志論集』を読む
 ・言語学の構築に向けてどのように研究を進めるのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年1号の感想
 ・改訂版・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・2013年3月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(前半)を読む
 ・3年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・2013年4月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(後半)を読む
 ・新自由主義における「自由」を問う
 ・2013年5月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第一部 東洋の世界(前半)を読む
 ・三浦つとむ「マルクス・レーニン主義に関する本質的な質問」から学ぶ
 ・言語は歴史的にどのように創出されたのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年2号の感想
 ・ヒュームの提起した問題にカント、スミスはどのように答えたか
 ・2013年6月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』東洋の世界(後半)を読む
 ・一会員による2013年上半期の振り返り
 ・認知療法における問いの意義を問う
 ・カント歴史哲学へのアダム・スミスの影響を考える
 ・2013年7月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』ギリシアの世界を読む
 ・2013年8月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第三部 ローマの世界を読む
 ・アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年3号の感想
 ・初任者に説く学級経営の基本
 ・カウンセリング上達過程における事例検討の意義
 ・文法家列伝:古代ギリシャ編
 ・ヒューム『政治論集』抄訳
 ・2013年9月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第四部 ゲルマンの世界を読む
 ・言語過程説から言語学史を問う
 ・2013年10月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』「第4部 ゲルマンの世界」第2篇を読む
 ・戦後日本の学力論の流れを概観する
 ・一会員による『育児の生理学』の感想
 ・文法家列伝:古代ローマ・中世編
 ・2013年11月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第4部 ゲルマンの世界 第3篇を読む
 ・古代ギリシャ経済の歴史を概観する
 ・2013年12月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』のまとめ
 ・ヘルバルト教育学の全体像を概観する
 ・年頭言:歴史を切り拓く学問の創出を目指して
 ・歴史的な岐路に立つ世界と日本を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年4号の感想
 ・一会員による2013年の振り返りと2014年の展望
 ・ヘーゲル『歴史哲学』を読む
 ・2014年1月例会報告:学問(哲学)の歴史の全体像について
 ・一会員による『学城』第10号の感想
 ・世界歴史の流れを概観する
 ・現代の言語道具説批判――言語規範とは何か
 ・2014年2月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章
 ・ヘルバルト『一般教育学』を読む
 ・新大学生へ説く「大学で何をどのように学んでいくべきか」
 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』学習会を振り返る
 ・『育児の認識学』は三浦認識論をいかに発展させたか――一会員による『育児の認識学』の感想
 ・2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章
 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
 ・文法家列伝:『ポール・ロワイヤル文法』編
 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
 ・道徳教育の観点から見る古代ギリシャの教育と教育思想
 ・古代ギリシャの経済思想を問う
 ・半年間の育児を振り返る
 ・2014年6月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章
 ・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
 ・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
 ・アダム・スミス「天文学史」を読む
 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
 ・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
 ・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
 ・夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する