2017年12月12日

南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想(1/5)

目次

(1)南郷継正の人生が説かれている
(2)弁証法の弁証法的な学び方
(3)全てを二重化して乃至対立物の統一として捉える
(4)南郷継正の歴史性
(5)南郷継正は弁証法の権化である

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(1)南郷継正の人生が説かれている

 本稿は,南郷継正『なんごうつぐまさが説く 看護学科・心理学科学生への“夢”講義(6)』(現代社)の感想文である。2017年は一年かけて,この『“夢”講義』シリーズを組織的・集団的に読み込み,学んだことを交流して,その成果を筆者の責任で感想文としてまとめる,という作業を行ってきた。本稿は,その締めくくりとなる。

 これまで,本ブログに掲載してきた『“夢”講義』シリーズの感想文の内容と今回の内容とを一覧にしてみると,以下である。

認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想

(1)21世紀の新興学問である認識学を学ぶ
(2)認識論の基本を確認する
(3)認識と言語の関係を問う
(4)秀才は像抜きの文字を解釈する
(5)『“夢”講義』は鈍才的に学ばなければならない



重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想

(1)「弁証法の学び編」を読む
(2)「弁証法とは何か」を確認する
(3)労働と疎外の関係を問う
(4)「技とは何か」を考える
(5)弁証法・労働論・技術論は重層構造をなしている



弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想

(1)弁証法的頭脳活動で創られた『“夢”講義』
(2)脳の統括の多重構造とはいかなるものか
(3)真の学的方法とは何か
(4)夜泣きと辛い夢の共通性とは何か
(5)一から多への発展を捉える



夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想

(1)本書では学問そのものが説かれていく
(2)学問は原点からの歴史性に学んでこそ措定できる
(3)『弁証法はどういう科学か』旧版のあとがきの意義
(4)認識の成立と社会の関係性
(5)夢の解明のためには学問が必須である



過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想

(1)南郷継正の過程の原点
(2)認識の重層化を図るための前提のくり返し
(3)歩くにいたる過程的構造
(4)読者の感想文を引用する意義
(5)コマ送り的な量質転化の過程



南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想

(1)南郷継正の人生が説かれている
(2)弁証法の弁証法的な学び方
(3)すべてを二重化して乃至対立物の統一として捉える
(4)南郷継正の歴史性
(5)南郷継正は弁証法の権化である



 このように眺めてみると,南郷継正が12年間にわたって執筆し続けてきたものを,われわれはわずか1年で辿り返してきたことが分かる。もちろん,これで学び終わったなどということは決してなく,くり返しの上にくり返して辿り返す必要があるのであるが。

 中身を見ていくと,弁証法や認識論がくり返しくり返し説かれており,しかも基本から説き直されているにもかかわらず,毎回,新しい論の展開があり,少しずつ内容が深められていっていることが分かる。われわれもこの内容を辿り返したことによって,認識が重層的に積み重なり,認識が発展していったと考えられる。

 さて,『“夢”講義(6)』を一読して感じるのは,著者の南郷継正がかなり個人的なことをたくさん書いているということである。ちょうど連載時に吉本隆明が亡くなったということもあって,三浦つとむや滝村隆一,そして吉本隆明との出会いについて,詳しく説かれている。また,『武道の理論』からの著作の発展の歴史や,女性武道家の育成について,さらには『学城』の発刊にこめた願いについてなども説かれている。

 『学城』は,20世紀後半に華と咲きほこった『試行』誌が姿を消したので,21世紀を迎えたのを機に,『試行』に代わる新しい学問誌として発刊されたものであった。われわれも来年に学問誌の発刊を予定している。雑誌の形は変わろうとも,『試行』から『学城』へと受け継がれてきた学問的な精神の発展の流れを,われわれの機関誌でも受け継ぎ,あわよくば発展させていきたいと考えている。そのためにも,『“夢”講義(6)』にしっかり学んで,『試行』から『学城』へと受け継がれてきた学的精神を,本稿を執筆することによってよりクリアーに理解したい。

 これから本稿で説いていく内容は以下の三点である。すなわち,第一に,弁証法の弁証法的な学び方である。これまでも弁証法の学び方についてはくり返しくり返し説かれてきたのであるが,その総決算ともいえる内容となっている。第二に,全てを二重化してとらえるということ,あるいは,全てを対立物の統一としてとらえるということである。これだけだと,弁証法の基本中の基本だと思われるかもしれないが,本書ではかなり深くその構造に分け入って説かれていたり,あるいは,具体例をたくさん挙げながら説かれていたりする。そのあたりをしっかりと読み取っていきたい。最後に,南郷継正の歴史である。南郷継正のこれまでの人生は,もちろん,一個人の人生であるのだが,そこには,人類の認識の発展の必然性が貫かれており,まさにあるべき一つのモデルであるとも考えられる。そのあたりのことを考察していきたい。

 では以下に,本書の目次を引用しておく。


まえがき ―読者のみなさんへの挨拶

【 第1編 】 人間の成長過程をふまえて解明した上達の構造

第1章 人間としての実体かつ精神の成長過程の構造論

 第1節  運動選手の故障や敗退の要因とは
 第2節  「人間とは何か」 の原点を知らない指導者
 第3節  女性としての身体の発展過程をふまえた上達法とは
 第4節  卓球を例に,女性選手の体力の構造を説く
 第5節  健康体としての整体法と治療としての整体法の必要性
 第6節  武道の達人への修練の過程的構造とは

第2章 人間体の正常発達のための練習過程とは

 第1節  日本の文化としての精神の復興を願って
 第2節  『学城』 は日本文化の学的精神の向上を目指すものである
 第3節  指導者は時代の流れを読み,人生を深めるための学びが必要である
 第4節  人間の正常発達のために,赤ちゃん時代へと成長していく練習過程の必須性
 第5節  まともな人間体として成長するための仰向けの意義
 第6節  サルの四つ足から四つ手への過程を辿る必要性
 第7節  仰向け→寝返り→這い這いにおける手足の運動の過程的構造

【 第2編 】 弁証法を学問的に深化させる過程を説く

第1章 私の辿った学問への道を後から来る人に

 第1節  私の学問への道の志 (野望) への目覚め
 第2節  弁証法と武道空手を相互規定的に学び深める
 第3節  学問を志す人たちに ―世界観レベルでの志を抱くために
 第4節  新世紀への提言 ― 『学城』 発刊にこめた私の願い
 第5節  脳の問題が全く説けない現代の脳研究

第2章 恩師の文言の中身を私はどう捉え実践してきたか

 第1節  二人の恩師への学びを通して果たされた,弁証法と武道空手の解明の深化
 第2節  恩師滝村隆一に学んだものとは ―すべてを二重化して捉える頭脳の働き
 第3節  思想家吉本隆明への評価に欠けたるもの
 第4節  恩師三浦つとむ・滝村隆一,そして吉本隆明との出会い
 第5節  吉本隆明が示唆したヘーゲルの学問について

【 第3編 】 頭脳を弁証法的に活動させるための学び方とは

第1章 生命の歴史をふまえて上達の方法を考えるとは

 第1節  サルとは何か,ヒト (人類) とは何かの一般論不在のスポーツ界・武道界
 第2節  上達のための 「歩く」 という中身を考えることの大事性
 第3節  一般論から考えられるようになるには,哲学の歴史を尋ねる必要がある
 第4節  生命の歴史をふまえて人間体の 「立つ」 を実践するとは
 第5節  自らの修練の事実を弁証法的に考える ―ある達人志望者の修練日誌

第2章 弁証法の基本形態の学び方を説く

 第1節  『武道居合學 〔綱要〕 』 発刊に寄せて
 第2節  『武道居合學 〔綱要〕 』 で説かれた史上初の内容とは
 第3節  弁証法の学びとは ―弁証法のドアを閉めるということの意味
 第4節  正規分布を弁証法的に理解することの重要性
 第5節  人間の原点と原理を学んでいくことの大事性

第3章 頭脳活動の実力向上を把持するためには

 第1節  絶えざる頭脳の向上のために,時期を得ての区切りをつけることの大事性
 第2節  学的論文を書き続けていくことの困難さ
 第3節  「三年にして一作品」 という構造が分かるには
 第4節  頭脳の変革を促す執筆活動とは
 第5節  上達の構造を武道空手の修練で説く
 第6節  皮膚と筋肉の上達に一年を要する理由
 第7節  本物の琉球空手とは
 第8節  手と足の実力は労働形態のあり方で決まる

【 第4編 】 学問的世界・理論的世界を志す人へ

第1章 論文体の修行を通して培った哲学上の実力とは

 第1節  私の論文 (体系的論理の展開) 力向上の理由 ―その1
 第2節  私の論文 (体系的論理の展開) 力向上の理由 ―その2
 第3節  エンゲルスの説く唯物論は初心者レベル向きである
 第4節  哲学上の実力とは何か

第2章 弁証法が二重構造的に深まっていった過程を説く

 第1節  恩師滝村隆一の著作への学びの実態とは
 第2節  すべての出来事を二重性として捉え返すとは
 第3節  滝村隆一の示唆を受けて創出した私の 「世界歴史」 の概念とは
 第4節  エンゲルスの哲学上の実力,及び彼の説く 「概念」 とは

第3章 学問力を向上させ続けてきた私の道程とは

 第1節  私の学問力発展の契機とは
 第2節  学的研究会の発足と指導者としての歩み
 第3節  指導を通しての構造論の発展 ― 『武道の理論』 から 『武道の復権』 へ
 第4節  極意論,上達・指導の理論化 ― 『武道への道』 から 『武道修行の道』 へ
 第5節  実戦隊・飛翔隊との修練を通してのさらなる実体的・学的発展
 第6節  女性武道家の育成と 「“夢”講義」 の深化

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2017年12月11日

2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇(10/10)

(10)参加者の感想の紹介

 これまで,カント『純粋理性批判』の先験的弁証論の緒言と「第一篇 純粋理性の概念について」を扱ったわが研究会の2017年11月例会について,報告レジュメおよび当該部分を要約した文章を紹介した上で,3つの論点について諸々に議論した内容を紹介してきました。

 今回の例会の最後で,今後の計画を変更するということになりました。どういうことかというと,前々回くらいの例会から,これまでの内容をしっかりと踏まえていないためにだんだんと分からないことが多くなってきていましたが,今回,先験的弁証論の入り口を扱ったことによって,やはり組織的にもう一度初めから,『純粋理性批判』を復習したほうがいいのではないか,ということになったのです。これまでの例会の感想で,各々の会員が初めから読み返す必要性を痛感した旨,記述していましたが,新しいところにどんどん進んでいきながら,もう一度各自で読み返していくというのは困難であると判断したのです。そこで,予定が遅れることにはなりますが,来月の例会からは,もう一度初めから読み返していくこととしたのです。ただし,すでに一度扱っている箇所ですので,これまでのペースの2倍で読み進めることとしました。すなわち,2か月分の範囲を1か月で復習していくということです。したがって次回12月例会では,今年の2月例会と3月例会で扱った部分(二つの序文と緒言)を再度扱うということになります。

 さて,最後に,参加していた会員の感想を紹介することにします。それでは,以下,参加者の感想です。

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 今回は,カント『純粋理性批判』のうち,純粋理性の概念について説かれている部分を中心に扱った。

 論点の提示までは進めることができたものの,前月に引き続き,論点への見解を執筆することができなかった。やはり本書を読み進めていていも,単なる文字の羅列を目で追っているだけといった感が拭えず,積極的・主体的に取り組む意欲が減退していたことが大きな原因であった。

 私ほどではないにしても,他会員からもなかなか読み進めていくことが困難になってきたという声が上がったこともあって,来月以降,これまでの範囲をもう一度初めからやり直すということになったことは,大きなチャンスと捉えなければならない。

 本来であれば,本書の内容が掴めないのであれば,掴めるように努力し続けていく必要があるのに,私はそこから逃げてしまっていたのであるから,もう一度初めからやっていくということに関しては,必死で取り組んでいく必要がある。

 哲学史の大きな柱の1つである本書を理解することなしには,自らの学問構築など夢のまた夢であるということを改めて肝に銘じ,言い訳せずに立ち向かっていきたいと思う。

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 今回からカント『純粋理性批判』の先験的弁証論に入った。扱ったのは「純粋理性について」の部分が中心であった。先験的仮象とは何か,理性とは何か,先験的理念とは何かといったことが説かれており,アバウトな内容は掴めたような気がしている。すなわち,経験を超越したものに対して原則を適用しようとすると先験的仮象が生じるのであるが,これは理性の本性から生じるものであるということ,理性は悟性の規則を原理のもとに統一する能力であり,無条件的なものを求めていくのであるが,その無条件的なものが先験的理念であり,魂の不死,意志の自由,神の存在という3つがあるということ,である。このような概略は掴めたと思う。

 ただ,細かく見ていくと,「規則」「原則」「原理」はどのように区別されているのかといった点や,原則とカテゴリーはどのように同じで,どのように違うのかといった点,それに理性の論理的使用と純粋使用に関わって,悟性の同じような区別はどのようになされていたのかといった点など,不明確なところも非常に多くなってきた。これまで,カントの概念規定をしっかり確認して,それを意識しながら読み進めるということが十分にはできていなかったと反省させられた。そこで,次回以降は,もう一度初めから(ただし2倍のスピードで)『純粋理性批判』を読み返していくこととなった。これは,弁証法的な学び方という点でもよかったと思う。

 どういうことかというと,物事の発展や我々人間の上達は,常に原点に戻ってそこから辿り返すという過程が必須であるとされている。これを,現在例会で扱っている『純粋理性批判』に即していえば,少し進んではまた初めから読み返し,また少し進んでは三度初めから読み返し,という形で学習していくべきだということになる。しかし,例会で次々に読み進めながら個人的に読み返していくということは,なかなか難しい。これまでも会員の反省として,何度も初めから読み返すことの必要性が説かれていたが,なかなか実践できていなかったのである。そこで,組織的に,読み進めていくことを一度否定して初めに戻り,もう一度今までのところを辿り返すことにしたのである。集団的に原点からの辿り返しを実践しようというのである。これであれば,先を読み進める負担がなくなり,原点から辿り返しに組織的に集中できるというものである。

 もちろん,そのことによって当初の予定よりも読了するまでに時間がかかるというデメリットもある。しかし,我々の目的は,とにかく『純粋理性批判』を最後まで読み通す,などといった形式的なことではなく,『純粋理性批判』の内容をしっかりと理解して,それを唯物論的に再措定することにある。この目的に照らせば,いくら時間がかかっても仕方がないであろう。

 来月からは,基本的にこれまで読んできた岩波文庫とは違う訳で読み返していきながら,カントの概念規定や議論の枠組みをしっかりと確認していきたい。

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 今回からカント『純粋理性批判』の先験的弁証論の内容に入った。なかなか難しい内容ではあったものの、何とか読み込んで論点への見解を事前に作成することができたのはよかった。その内容についても、大きく間違っているということはなかったことが例会での議論の中で確認できた。

 しかし、大まかな内容を把握するにとどまっており、細かいところを突っ込んでいくと曖昧な部分が非常にたくさん出てくる。また、文字として理解することが精一杯というのが正直なところである。例えば、魂の不死とか神の存在と言われても、それがどれぐらい大きな問題だったのかを自らの実感として把握することは難しい。この辺りは哲学史の教養が不足しているということに大きな原因があると言えるだろう。

 今後、再度『純粋理性批判』を最初から読み返していくことになったが、これまでの例会で出た議論を念頭におくとともに、そういう哲学史の背景もしっかりと押さえながら読み進めるようにしていきたいと考えている。繰り返し原点から辿り返すことは重要ではあるが、単純に同じレベルで繰り返していても仕方がないはずで、前回よりもレベルアップして辿り返していかなければならないのだと思う。それをしっかりと実践していきたい。

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 今回から先験的弁証論の内容に入った。大まかな内容としては何となく分かるのだが、細かいところに突っ込んで、これまで説かれてきた流れとのつながりをおっていくとなると怪しくなってくる……というのが正直な感想であった。そのようなことを踏まえて、来月以降、最初に戻って読み直していくことになったのはよかったと思う。哲学史の大きな流れのなかで、カントがいったいどういう問題を立ててどのように解いたのか、という観点を忘れないようにして、丁寧に読み直していくことにしたい。せっかくの機会なので、複数の翻訳を参照したり、ドイツ語原文にあたったり、要約作業をこれまで以上に丁寧に行うなどして、しっかりと取り組んでいきたい。

(了)
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2017年12月10日

2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇(9/10)

(9)論点3:先験的理念とは何か?

 前回は,理性とは何かに関する論点2についての討論過程を紹介しました。

 今回は,先験的理念にまつわる論点3について,どのような議論がなされたのかを紹介したいと思います。論点は,以下のようなものでした。

【論点再掲】

 カントは純粋理性概念を理念(イデー)と呼んでいるが,それはなぜか。先験的理念とはどのようなものか。純粋悟性概念の客観的使用は内在的であるのに対して,純粋理性概念の客観的使用は常に超越的である(p.43)とはどのようなことを意味しているのか。理性推理の上昇的系列とか下降的系列とか(pp.47-48)は,どういうことか。純粋理性は,先験的心理学,先験的宇宙論,および神の先験的認識(先験的神学)にそれぞれ理念を与える,と説かれているが,これはどういうことなのか。


 この論点についてはまず,カントが純粋理性概念を理念(イデー)と呼んでいる理由について確認しました。これについては,皆,プラトンのイデア論に由来することを指摘しました。たとえば,ある会員は,カントのいわゆる理性概念は,無条件者を含み,理性概念の関係するところのものは,一切の経験がそれに属し,しかもそれ自身決して経験の対象にならない何かあるものであるという点で,プラトンのイデアになぞらえることのできるものなのであると説明しましたし,別の会員は,イデアは物そのものの原型であるが,経験の中に合致するものが存在しないという特徴があり,これは,条件的なものを生み出す無条件的なものとしての,また経験の対象にならないものとしての理性概念と共通しているというところから,理念(イデー)と呼んでいるのであると説明しました。

 先験的理念については,チューターが次のようにまとめました。

「先験的理念とは,理性推理の形式が含むア・プリオリな概念であり,経験全体における悟性使用を原理に従って規定するとされている。また先験的理念(純粋理性概念)は理性推理における条件の総体あるいは全体であり,無条件的なものであるとされている。そして,カテゴリーにおける関係の様式の数に対応して,純粋理性概念は3つあるとされている。すなわち,主観における定言的綜合の無条件者,系列の含む諸項の仮言的綜合の無条件者,体系における一切の部分の選言的綜合の無条件者の3つである。これらは後に,それぞれ不死,自由,そして神と言い換えられている。」


 他の会員も,だいたいこのようなことが説かれていたということで同意しました。

 純粋悟性概念の客観的使用は内在的であるのに対して,純粋理性概念の客観的使用は常に超越的である(p.43)ということについては,事前に提出された見解に相違点はありませんでした。論点1を踏まえると,純粋悟性概念の客観的使用は,その性質上(感性によって与えられた表象をまとめるという性質上),可能的経験だけに制限されているのだから,必ず内在的であるのに対して,純粋理性は,カテゴリーによって考えられる総合的統一を,そのまま絶対的無条件者にまで及ぼそうとする(対象に関する一切の悟性作用を総括して絶対的全体にまとめようとする)ので,必然的に可能的経験の範囲を超えてしまうもの(絶対的全体など経験できるものではない!)であるから,超越的である,ということでした。

 理性推理の上昇的系列とか下降的系列とか(pp.47-48)についても,見解の相違はありませんでした。ある会員のまとめによると,ある条件から結論が導き出されるわけだが,その条件の条件は何か,さらにその条件は何かと遡っていくのが上昇的系列であり,こうして無条件的なものに行きつこうとするのに対して,導かれた結論を条件として新たな結論を導いていくのが下降的系列ということになるということです。チューターは,上昇的系列は抽象化,下降的系列は具体化といえるのではないかとコメントしましたが,まあ,そういうこともできるだろいうという話になりました。

 このあたりから,だいぶあやふやな状態で議論を進めていくことになりましたが,最後の内容についても,一応確認しました。それは,純粋理性は,先験的心理学,先験的宇宙論,および神の先験的認識(先験的神学)にそれぞれ理念を与える,というのはどういうことか,という問題でした。ここに関しては,一番詳しく書いていたチューターの見解を確認しました。その見解は以下です。

「理性推理は,先に少し触れたように,@定言的推理,A仮言的推理,B選言的推理の3つの種類がある。それぞれの推理において,理性は無制約者=理念を求めていく。このそれぞれの理性推理を,後の個所でカントは別の観点から説いている。すなわち,「我々の表象の一切の関係,即ち我々がそれについて概念かさもなければ理念を構成し得るところの関係は三通りになる」(p.50)として,@主観に対する関係,A現象における多様な客観に対する関係,Bあらゆる物一般に対する関係の3つを挙げているのである。@における理念は,思惟する主観の絶対的(無条件的)統一を含み,Aにおける理念は,現象の条件の系列の絶対的統一を含み,Bにおける理念は,思惟一般の一切の対象の条件の絶対的統一を含むと説かれている。これに関して3つの学問領域が挙げられ,それぞれの対象と理念が説かれていくが,「学問領域―対象―理念」の形で整理すると以下のようになるだろう。

@先験的心理学―思惟する主観(「私」)―霊魂の不死
A先験的宇宙論―一切の現象の総括(世界)―意志の自由
B神学(神の先験的認識〔理説〕)―考え得る限りの一切のものを可能ならしめる第一条件を含むところの物(一切の存在者中の存在者〔神〕)―神の存在

 カントはこの後,@ABの理念について,それぞれ「純粋理性の誤謬推理について」「純粋理性のアンチノミー」「純粋理性の理想」の中で説いていくのである。

 ちなみに,この@ABは,いわゆる「正―反―合」という形式になっているようである。@が主体,Aが客体,Bが主体と客体を合わせた世界全体というイメージであろうか。」


 分かったような分からないような感じがつきまとったままでしたが,一応,これを確認して,論点3についての議論を終了しました。

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2017年12月09日

2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇(8/10)

(8)論点2:理性とは何か?

 前回は,先験的仮象をめぐる論点1についての議論の流れを紹介しました。

 今回は,理性とは何かに関わる論点2についての討論を紹介します。まず,論点を再度確認します。論点は以下のようなものでした。

【論点再掲】

 理性は原理の能力であると述べられているが,これはどういうことか。原理とは何か。一般的命題とどう異なるのか。悟性との違いに注意しながら確認したい。また,理性の論理的使用と純粋使用を,どのように区別しているか。



 この論点に関しては,まず理性について確認しました。悟性と対比した場合,悟性は規則を用いて現象を統一する能力であるのに対して,理性は悟性の規則を原理のもとに統一する能力(原理の能力)であり,概念によって悟性の多様な認識にア・プリオリな統一を与えるのだ,ということで,見解は一致しました。因みに,ここでいう「概念」とは,純粋悟性概念=カテゴリーのことではなく,純粋理性概念=理念のことである,という点も確認しました。

 ここで会員の一人は,知性(悟性)は判断の能力であり,理性は推論の能力だという中山元の言葉を紹介しました。判断というのは,「AはBである」という命題のようなものであり,推論というのは,命題同士の関係に関するものであるということも確認しました。また,基本的なことながら,次の2点も確認しました。すなわち,直観の供給する素材を処理して,思惟の最高の統一に従わせるものとしては,理性よりも高いものはないと,カントが指摘している点と,理性が関係するのは悟性概念と判断であり,対象や対象の直観へ直接に関係するわけではないとカントが指摘している点の2つです。

 次に,原理とは何かについて,検討しました。おおよそ,原理とは,概念によって特殊なものを普遍的なもののうちに認識する働きであり,理性推理(特殊なものを普遍的なものにおいて認識する)の大前提として使用される一般的命題のうち,概念だけによる総合的認識のことであるという見解で落ち着きました。ここでチューターが,「原理というのは学的認識を統括する本質論のようなものとイメージされているようである」「原理による認識とか理性統一とか呼ばれているものは,われわれの言葉でいえば,本質論に基づく体系化ということになるのではないか」と発言しました。もちろん,「本質論」とか「体系化」というような明確なイメージがカントにあったわけではないものの,確かに,原理といえば,一つのものによる統括というくらいのイメージはあったのではないか,したがって,現代の論理用語でいうと「本質論」といえなくもないのではないか,という話になりました。

 理性の論理的使用と純粋使用については,多少,見解が分かれました。端的にいうと,理性が大前提と小前提を使って推理するのが論理的使用であり,理性がそれらを使わずに,理性の中にあるものから結論を出すのが純粋使用であるという見解が出されましたが,それに対してチューターは,どちらも三段論法であることには変わりなないのではないかと疑問を呈しました。しかしそれだと,両者の区別がどうであるのか,不明となってしまいます。純粋使用の方は自ら概念を産出するという点では見解は一致していましたから,そこを中心にわれわれなりに筋をとおして,およそ以下のような結論になりました。

「理性の論理的使用とは,三段論法と呼ばれる理性推理のことである。推論には@大前提とA小前提とB結論とがあり,結論によって小前提と大前提とが必然的に結びつく。推論された判断が大前提にすでに含まれていて小前提による媒介を必要としない場合(「すべての人は死ぬ」という大前提には「いくたりかの人々は死ぬ」「死なぬものは人間ではない」などの結論がすでに含まれている),この推理は直接推理=悟性推理と名づけられる。これに対して,「すべての学者は死ぬ」という結論のように,「すべての人は死ぬ」という大前提には含まれておらず,「学者は人間である」という小前提に媒介されなければならない場合を,理性推理(三段論法)と呼ぶのである。

 理性の純粋使用とは,理性自体(純粋理性)がみずからのうちに含まれる原理によって総合的統一を行うことである。理性が関係するのは悟性概念と判断であり,対象や対象の直観へ直接に関係するわけではない。理性による統一(理性統一)は,可能的経験の統一であるところの悟性による統一(悟性統一)とは本質的に区別されるのである。また,理性推理(理性の論理的使用)は,判断(結論)の条件を一般的規則(大前提)のもとに包摂する判断にほかならないが,理性はこの一般的規則にも全く同じ手続きを施し,条件のそのまた条件というものがどこまでも求められることになる。したがって,理性の本務は無条件的なものを見出すことだということになる。」

 完全な理解というわけではありませんが,だいたいこのような内容ではないかということになりました。ここに関して,カントは悟性の使用と同じような形式で説いているので,悟性の場合を復習する必要があることを確認して,論点2についての討論を終えました。
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2017年12月08日

2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇(7/10)

(7)論点1:先験的仮象とは何か?

 前回は,今回扱った範囲の大事な部分を再度まとめ直した後,チューターが整理した3つの論点を紹介しました。

 今回はこのうち,先験的仮象に関する初めの論点について,どのような議論がなされたのかを紹介します。論点は以下のようなものでした。

【論点再掲】

 カントは内在的原則と超越的原則とを区別しているが,これらはどのように異なっているのか。また,これに関連して,先験的と超越的とは同一ではないとも指摘しているが,これらはどのように異なっているのか。カントのいわゆる先験的仮象とはどういうものであり,どのような原因から生じると説明されているのか。現象と仮象の区別,先験的仮象と経験的仮象,論理的仮象の区別も含めて確認しておきたい。



 この論点については,まず,カントのいう内在的原則と超越的原則について確認しました。これについては見解の相違はなく,その適用が可能的経験の範囲にとどまるものを内在的原則,その適用が可能的経験の限界を超出するものを超越的原則と名づけたということでした。ここに関連して,カントは超越的原則はカテゴリーの先験的使用・誤用のことではないとして,先験的と超越的を区別していました。この区別については,次のような見解で落ち着きました。すなわち,カントのいう先験的使用というのは,ついうっかりして,純粋悟性の活動に許されている唯一の領域=空間と時間によって捉えられた現象の世界を超えてしまうような使用のことであるのに対して,超越的原則というのは,意図的に,純粋悟性はあらゆる領域で活動可能なのだとして,現象と物自体の区別を取り払うことを要求するような原則ということであるということです。訳語の意味で考えれば,先験的というのは経験に先立つということであり,超越的とは経験を超えるということになるはずだが,それがなぜ,先ほど確認したような意味につながるのかはよく分からない,という指摘もありました。このあたりは,確かによく分からないということで,今後の課題であるとしておきました。

 次に,本論点のメインテーマである先験的仮象とはどのようなものであるかという議論に移りました。まず,そもそも仮象とは何かといえば,対象と我々の悟性との関係(対象に対する悟性の判断)にのみあり得るもので,要するに主観的なものであり,一見すると真理であるかのように見えながら,誤謬に誘うようなものである,ということを確認しました。チューターは,現象は,われわれの認識にとって対象となる世界のこととであり,客観的なものであるのに対して,仮象は,対象に対する悟性の判断であり,主観的なものであるという違いが重要であろうとまとめました。

 これを踏まえて先験的仮象とは,原則を経験を超越したものに適用しようとすることによって生じる仮象であるということで,だいたい見解は一致しました。ただしここで,チューターが,原則とカテゴリーの区別と連関については確認しておきたいとして,そもそも原則とは何か,カテゴリーと同じと理解していいのかという問いを発しました。これについては,皆で使われている文脈を確認してみて,だいたい同じと考えていいのではないかという結論になりました。また,「原則」と似た言葉として,「規則」や「原理」についても,その区別と連関を確認しました。『カント事典』などによると,原理とは特殊な規則であり,原則とは特殊な規則であるということだったので,大枠としては,一番大きな集合が規則であり,その中に原則があり,さらにそのまた中に原理があるという集合論のイメージでとらえればいいのではないかということになりました。ただ,これについては,どのように特殊であるのかという具体的な内容までは理解しきれませんでした。

 経験的仮象と論理的仮象についても,皆,ほぼ同じようなイメージでした。すなわち,経験的仮象とは,「もともと正しい悟性規則を経験的に使用する場合に生じるものであり,この使用において判断力が,想像力の影響を受けて過ちを犯す」(p.14)ものであり,たとえば,海を見る場合に岸辺よりも沖合の方が高く見えたり,棒を水に突っ込めば曲がって見えたりするような,目の錯覚的なものであるということでした。これに対して論理的仮象とは,論理的規則を誤って用いたり,意図的に論理的トリックを用いたりすることによって生じる仮象であるということでした。ここに関してさらに,他の仮象と違って,先験的仮象は,仮象であることが分かり,それがとるに足らないものであることが先験的批判によって明らかに見抜かれても,依然として仮象であることをやめないとカントが指摘している点も確認しました。

 最後に,先験的仮象が生じる原因について検討しました。これに関して会員の一人は,人間理性の自然的な(本性的な)錯覚が,もともと主観的原則にもとづくものを客観的原則とすり替えてしまうことから,先験的仮象なるものが生じるのだと説明しました。これには皆同意しました。チューターは,このことについて補足しました。すなわち,霊魂や世界全体や神などといった超感性的なものに対して,カテゴリーを適用してある判断を行ってしまう,この場合,カテゴリーは主観的な原則(条件)にすぎないのに,あたかも,そのカテゴリーを適用して行った霊魂・世界全体・神などについての判断が,客観的な妥当性を有していると錯覚してしまう,ということではないか,ということでした。これについては,だいたいそのような理解でいいのではないかということになり,たとえば,「世界は時間的な始まりをもつ」という命題は,世界全体に因果律を適用しているということだろうとの指摘もありました。

 論点1については以上で議論を終了しました。
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2017年12月07日

2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇(6/10)

(6)改めての要約と論点の提示

 これまで,4回にわたって『純粋理性批判』の11月例会の範囲の要約を掲載してきました。

 ここで,改めて,今回の範囲で大事な内容を簡単にふり返っておきたいと思います。

 カントは,先験的弁証論の緒言で,はじめに先験的仮象とは何かについて論じていました。そもそも仮象についてカントは,「真理も誤謬も,誤謬へ誘うものとしての仮象も,対象と我々の悟性との関係にのみあり得る」として,これを現象と区別しなければならないと説いていました。そしてカントは,仮象を経験的仮象,論理的仮象,先験的仮象の3つに区分していました。経験的仮象は,例えば視覚的仮象であり,正しい悟性規則を経験的に使用する場合に生じるものであり,論理的仮象は論理的規則に対する注意の欠如から生じるものだとしていました。これに対して,先験的仮象は,カテゴリーの経験的使用の限界外に我々を連れ出すことによって生じるものだと説かれていました。論理的仮象は,注意しさえすれば消滅させたり,仮象であることをやめさせたりすることができるが,先験的仮象ではそれができないとことにも触れていました。

 次にカントは,理性とは何かについて論じていきました。カントによると,理性には間接的に推理する能力(形式的使用・論理的使用)と,みずから概念を産出する能力(実在的使用・純粋使用)があり,この2つの能力を統接するものとして,理性は原理の能力であるということでした。これは悟性が規則の能力であることと対比されて論じられているのでした。すなわち,悟性は規則を用いて現象を統一する能力であるが,理性は悟性の規則を原理のもとに統一する能力であるということでした。次にカントは,一般的命題と原理の違いを説明していました。一般的命題は理性推理の大前提として使用せられ得るものであり,その命題のもとに包摂せられる得る事例に関しては,原理と名付けられてよいと説いていました。しかし,一般的命題は概念だけによる綜合的認識ではないから,それはあくまでも相対的な原理であり,概念だけによる綜合的認識こそが原理だということでした。

 続く「第一篇 純粋理性の概念について」では,純粋理性概念や先験的理念とは何かが説かれていました。カントは,純粋悟性概念をカテゴリーと呼んだように,純粋理性概念をプラトンのイデアに倣って理念(イデー)と呼ぶと説いていました。そのうえで,先験的理念(純粋理性概念)を,理性推理の形式が含んでいる特殊でしかもア・プリオリな概念だと説いていました。先験的理性概念は,常に条件の総合における絶対的全体性を志向し,絶対的無条件者に到達せねば止まないものであり,したがって,純粋理性概念の客観的使用は常に超越的だというのです。無条件者に到達するべく条件の側において連結推理を続けることを上昇的系列とカントは呼び,一方条件付きのものの側において続けることを下降的系列と呼んでいました。

 最後にカントは,我々の表象のもち得る一切の関係を,@主観に対する関係,A現象における多様な客観に対する関係,Bあらゆる物一般に対する関係の3つに区分していました。そして,純粋理性はそれぞれにおいて無条件的なものを求めようとするから,先験的心理学,先験的宇宙論,先験的神学のそれぞれに理念を与えることになると説いているのでした。

 以上のような内容に関わって,会員からはいくつかの論点が提示されました。それをチューターが以下のように3つにまとめました。

1.先験的仮象とは何か?

 カントは内在的原則と超越的原則とを区別しているが,これらはどのように異なっているのか。また,これに関連して,先験的と超越的とは同一ではないとも指摘しているが,これらはどのように異なっているのか。カントのいわゆる先験的仮象とはどういうものであり,どのような原因から生じると説明されているのか。現象と仮象の区別,先験的仮象と経験的仮象,論理的仮象の区別も含めて確認しておきたい。


2.理性とは何か?

 理性は原理の能力であると述べられているが,これはどういうことか。原理とは何か。一般的命題とどう異なるのか。悟性との違いに注意しながら確認したい。また,理性の論理的使用と純粋使用を,どのように区別しているか。


3.先験的理念とは何か?

 カントは純粋理性概念を理念(イデー)と呼んでいるが,それはなぜか。先験的理念とはどのようなものか。純粋悟性概念の客観的使用は内在的であるのに対して,純粋理性概念の客観的使用は常に超越的である(p.43)とはどのようなことを意味しているのか。理性推理の上昇的系列とか下降的系列とか(pp.47-48)は,どういうことか。純粋理性は,先験的心理学,先験的宇宙論,および神の先験的認識(先験的神学)にそれぞれ理念を与える,と説かれているが,これはどういうことなのか。



 これらの論点について,会員は事前に自己の見解をまとめて文章化し,それをチューターが取りまとめて,コメントを付しました。ここまでを例会までにすませておき,それを踏まえて例会当日には議論をしました。次回以降は,例会当日にどのような議論がなされて,どのような(一応の)結論に到達したのか,ということを紹介していきたいと思います。
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2017年12月06日

2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇(5/10)

(5)カント『純粋理性批判』先験的弁証論 第一篇後半

 前回は,『純粋理性批判』「第二部 先験的弁証論」の「第一篇 純粋理性の概念について」の前半部分,すなわち「第一章 理念一般について」までの要約を掲載しました。そこでは,理性概念が無条件者を含むとすれば,そのような理性概念が関係するのは一切の経験がそれに属し,しかもそれ自身けっして経験の対象にならないような何かあるものであること,純粋理性概念をプラトンのイデアに倣って理念(イデー)と名づけたことなどが説かれていた。

 今回は,『純粋理性批判』「第二部 先験的弁証論」の「第一篇 純粋理性の概念について」の残りの部分,すなわち,「第二章 先験的理念について」と「第三章 先験的理念の体系」の部分の要約を紹介します。ここでは,先験的理念について詳細に説かれていきます。

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第2章 先験的理念について

 先験的分析論は,我々の認識の単なる論理的形式〔判断の形式〕がア・プリオリな純粋概念の根源を含み得ることを明示した。これらの概念は,対象の経験的認識を可能ならしめる唯一の条件であるところの総合的統一を表示するものである。こうして判断の形式は,経験における一切の悟性使用を指導するところのカテゴリーを産出した。これと同様に,我々が理性推理の形式を,カテゴリーにならって直観の総合的統一に適用すれば,我々はこの形式が特殊でしかもア・プリオリな概念の根源を含むだろうという見込みをつけてよい。すると我々はこれらの概念を純粋理性概念すなわち先験的理念と名づけることができる。そしてこうした理念は,経験の全体における悟性使用を原理にしたがって規定することになるだろう。
 理性推理における理性の機能の特性は,概念による認識の普遍性ということである。そしてまた理性推理そのものが,その条件の全範囲にわたってア・プリオリに規定されるような判断なのである。先験的理性概念は,与えられた条件付きのものに対する条件の全体という概念にほかならない。
 すると,純粋理性概念の数も,悟性がカテゴリーによって考えるところの関係の様式の数に相応することになるだろう。したがって第一に,主観における定言的総合の無条件者,第二に,系列の含む諸項の仮言的総合の無条件者,第三に,体系における一切の部分の選言的総合の無条件者が求められなければならない。
 これらとまったく同数の理性推理の様式があり,それらはいずれも前推理からそのまた前推理へと遡りつつ,無条件者に向かって進むのである。それだから条件の総合における全体という純粋理性概念は,悟性の統一をできるなら無条件者まで遡らせるために,少なくとも課題として必然的であり,また人間理性の自然的本性にもとづいているのである。
 先験的理性概念は,常に条件の総合における絶対的全体を志し,絶対的無条件者――すなわちいかなる関係においても無条件的なものに到達せねば止まない。純粋理性は,一切の認識を悟性にゆだねる。悟性はまず直観の対象に関係する。というよりはむしろ構想力による対象の総合に関係する。そして純粋理性は,悟性使用における絶対的全体性だけを自分自身のために保留し,カテゴリーによって考えられるところの総合的統一をそのまま絶対的無条件者にまで及ぼそうとするのである。それだからかかる統一は,現象の理性統一と名づけられてよい。理性が悟性使用に関係するのは,悟性使用が可能的経験の根拠を含むからではなく,悟性が全く知らないような統一への方向をしているすためである。この統一の旨とするところは,およそ対象に関する一切の悟性作用を総括してひとつの絶対的全体にまとめるにある。それだから純粋理性概念の客観的使用は常に超越的である。
 ここで私のいう理念は必然的理性概念であり,この概念に対応するような対象は感官には決して与えられない。それだから我々がいま考察している純粋理性概念は先験的理念である。先験的理念は超越的であって一切の経験の限界を超出する。それだからこれらの理念に完全に合致するような対象は,経験においては決して現われ得ないのである。
 先験的理性概念について,「それは単なる理念にすぎない」といわざるを得ないにせよ,しかし我々は,理念を決して余計なもの,とるに足りないものと見なしてはなるまい。悟性は理性概念によって,なるほど対象を悟性概念にしたがって認識する以上には認識しないが,しかしこうした認識においてもっとよく指導され,またもっと遠くまで達し得るのである。そのうえこれらの理性概念が,おそらく自然概念から実践的概念への移り行きを可能にし,こうして道徳的理念そのものに支持と理性の思弁的認識との関連とを与え得ることはいうまでもあるまい。
 我々は,我々本来の意図に従い,実践的理念はひとまず度外視し,理性を思弁的使用においてのみ,またこの使用でもさらに狭い先験的使用についてのみ考察する。
 理性が認識のある種の論理的形式の能力と見なされる場合には,理性は推理する能力である。理性作用は連結推理を形成する。これが推理の系列であり,この系列は条件の側においてか(前推理によって),あるいは条件付きのものの側においてか(後推理によって),両者のいずれかの側で,不定の遠さまで続けられるのである。
 前推理の系列は与えられた認識に対する条件の側において推論された認識の系列であり,これはいわば理性推理の上昇的系列である。これに対して,理性が条件付きのものの側において,後推理を用いて進行するところの系列は,下降的系列である。ある認識が条件付と見なされる場合は,理性は条件の系列を上昇的な線において完結しているもの,換言すれば全体として与えられているものと見なさざるを得ない。しかしこの同じ認識が同時に,下降的な線における結論の系列なすような他の認識に対する条件と見なされる場合には,下降的方向を辿るこの進行がどこまで達するのか,またこの系列の全体が一般に可能かどうかというようなことは,理性にとってはまるきり興味のない問題である。結論は上昇的方向を辿るところの条件によって十分に規定され保証されている。この全体的系列そのものは無条件的〔絶対的〕に真でなければならない,というのが理性の要求である。

第3章 先験的理念の体系

 先験的弁証論は,純粋理性によるある種の認識の根源と,推論されたある種の認識,すなわち全く純粋悟性の能力の範囲外にあってその対象が経験的には決して与えられ得ないような概念の根源とをア・プリオリに含むとされているところのものである。
 我々の表象のもち得る一切の関係のうちで最も一般的なのは,(1)主観に対する関係と,(2)客観に対する関係とに分たれる。さらにまたこの客観は,現象としての客観と,思惟一般の対象としての客観に再区分される。そこでこの再区分を上記の主たる区分に結合すると,我々の表象の一切の関係,すなわち我々がそれについて概念かさもなければ理念を構成し得るところの関係は3通りになる。すなわち(1)主観に対する関係,(2)現象における多様な客観に対する関係,(3)あらゆる物一般に対する関係である。
 ところで純粋悟性概念はすべて表象の総合的統一を事とするが,これに反して純粋理性概念(先験的理念)は一般にあらゆる条件の無条件的,総合的統一を旨とする。従ってすべての先験的理念は3種の理念のうちいずれかに入る。第一は思惟する主観の絶対的(無条件的)統一を含み,第二は現象の条件の系列の絶対的統一を含み,第三は思惟一般の一切の対象の条件の絶対的統一を含む。
 思惟する主観は心理学の対象であり,一切の現象の総括は宇宙論の対象であり,また考え得る限りの一切の物を可能ならしめる第一条件を含むところの物(一切の存在者中の存在者〔神〕)は神学の対象である。それだから純粋理性は,先験的心理学,先験的宇宙論,先験的神学にそれぞれ理念を与える。
 理性は,定言的理性推理に用いるのと同じ機能を総合的に使用するだけで思惟する主観の絶対的統一という概念に必然的に到達する。また仮言的理性推理における論理的手続きは,与えられた条件の系列における絶対的無条件者という理念を必然的に生じさせる。最後に,選言的理性推理の単なる形式は,異才の存在者中の存在者という最高の理性概念を必然的に生じさせる。このような事情は,つづく詳論で初めて明らかにされるだろう。

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2017年12月05日

2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇(4/10)

(4)カント『純粋理性批判』先験的弁証論 第一篇前半

 前回は,『純粋理性批判』「第二部 先験的弁証論」の緒言の後半部分,すなわち,「U 先験的仮象の在処としての純粋理性について」のうちの「B 理性の論理的使用について」と「C 理性の純粋使用について」の部分の要約を紹介しました。そこでは,理性の論理的使用とは,認識内容をすべて度外視した,悟性と同じくまったく形式的な使用のことであり,理性の純粋使用とは,自ら概念を産出する能力であるとされていた。

 今回は,同書「第二部 先験的弁証論」の「第一篇 純粋理性の概念について」の前半部分,すなわち「第一章 理念一般について」までの要約を掲載します。ここでは,純粋理性概念と理念について論じられていきます。

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先験的弁証論

第1篇 純粋理性の概念について

 純粋理性概念は,単に反省によって得られたものではなく,まったく推論によって得られた概念である。悟性概念〔カテゴリー〕もまたア・プリオリに経験よりも前に考えられて経験を可能ならしめる概念であるが,しかしこの概念は,現象が可能的な経験的意識に必然的に属する限り,こうした現象に施された反省による統一しか含んでいない。悟性概念即ちカテゴリーの客観的実在性は,カテゴリーの適用が常に経験にのみ限られているということに基づく。
 しかしすでに理性概念という名称からして,この概念が経験の範囲内に制限されていそうもないことが判る。理性概念の関係する認識は,およそいかなる経験的認識も単にその一部分をなすにすぎないような認識である。理性概念の旨とするところは理性による理解であり,悟性概念の旨とするところは,概念による(知覚の)理解である。理性概念が無条件者を含むとすれば,こうした理性概念の関係するところは,一切の経験がそれに属し,しかもそれ自身決して経験の対象にならないような何かあるものである。それにもかかわらず理性概念が客観的妥当性をもつとすれば,それは正しく推論された概念と名づけられてよい。そうでないとすれば,そのような理性概念は正しい推論らしく見せかけて忍び込んだ概念だから詭弁的概念と呼ばれてよいだろう。しかし,こうしたことは純粋理性の弁証的巣理論に関する篇で初めて解決され得る問題である。我々はとりあえず純粋理性の概念に新しい名前を与えてこれを理念(イデー)と呼び,こうした名称をつけた理由を説明する。

第1章 理念一般について

 思索を事とする人は,自分の概念にぴったり合った表現が見つからなくて当惑する場合がしばしばあるが,新語を造るのは言語について立法を敢えてしようとする越権であり,なかなか成功するものではない。こういうよくよくの手段に訴える前に,もう死語と見なされている学術語のなかで,自分の概念に恰好な表現がないかどうか探してみるのが当を得たやり方である。
 プラトンはイデアという語を用いた。プラトンにあっては,イデアは物そのものの原型であった。またカテゴリーと同じく可能的経験を成立させる要件であったが,そればかりでなはない。イデアは最高の理性から流出して,人間理性に授けられたものである。ところが人間理性はもはや本来の純粋な状態にあるのではない。そこで我々は今となっては極めて不分明な古いイデアを追憶によって呼び覚まさねばならない,というのである。
 もとよりプラトンは,次のような事情を十分承知していた。すなわち,我々の認識能力は,現象を総合的統一によって綴り,現象を経験として読むことができればよいというだけではなくて,それよりもはるかに高い欲求を感知している。また我々の理性は,その自然的本性のままに高翔して認識に達しようとするが,しかしおよそ経験が与え得るほどの対象はこうした認識に決して合致するものではない。それにもかかわらずこの認識は実在性をもち,単なる空想の所造ではない,ということである。
 人間の理性が真に原因性となり,理念が作用原因(行為とその対象とを生ぜしめる原因)となるところといえば,それは道徳の領域である。しかしプラトンが,この領域においてのみならず自然そのものに関しても,その根源がイデアにあるという明白な証明を認得したのは当然のことである。植物にせよ動物にせよ,あるいはまた宇宙の規則正しい節序(したがってまた恐らくは自然全体の秩序の全体)にせよ,これらのものが理念によってのみ可能であることを明示している。なるほど個々の被造物は,それぞれの現実的存在の条件下にあるところから,各自の属する種の最も完全なもののイデアと合致するものではない。しかしこれらのイデアは,最高の悟性においてはそれぞれ不変的にまた完全に規定されていて,物の根源的原因をなしている。そして世界において結合されている一切の物の全体のみが件のイデアに完全に適合するのである。表現の行き過ぎを別にすれば,この哲学者が,世界秩序における自然的なものを理念の不完全な模写と見なすことからはじめて,目的すなわちイデアにしたがってこの世界秩序の建築術的〔体系的〕結合へ上昇していく精神の高翔は,我々の尊敬と追随とに値する努力である。また道徳,立法および宗教の原理に関するところについていえば,イデアが経験において完全に実現されることは不可能であるにせよ,しかし(善の)経験を初めて可能にするのはやはりイデアそのものなのである。したがってイデアは,これらの領域において実に独自の功績を有する。それだのにこの功績を認めないのは,こうした功績が全く経験的規則によって判定されるためであるが,しかし原理としての経験的規則の妥当性は,当然イデアによって無効にされたはずである。自然に関しては,我々に規則を与えるものは経験であり,経験が真理の源である。しかし道徳に関しては,経験は(残念ながら!)仮象を産む母であり,私がなすべきところのものに関する法則を,なされるところのものに求めようとし,あるいは後者によって前者に制限を加えようとすることは,まことにもってのほかの沙汰である。
 広壮な道徳的建築〔体系〕を築造すべき土地の地下には,埋蔵された財宝を掘り当てようとする理性の穿ったモグラ道が四通八達していて,これが建築を危険なものにしている。しかし,理性の宝探しは徒労に終わらざるを得ない。我々が純粋理性の影響と価値とを適正に規定しまた評価するためには,純粋理性の先験的使用と純粋理性の原理および理念とを正確に知らねばならない。
 ここで,もし哲学を心にかけていられる方たちが私の述べたこと,これから論述することによって確信を得られたなら,どうか理念(イデー)という語をその原義に即して保存されることをお願いしたい。そうすればこの表現はこれから先ほかのいろいろな表現のなかに交じり込んで,この学を損なわずにすむと思う。実際,理念という語で,種々な表象の仕方を不用意に乱雑に表現しているのが一般だからである。しかしどんな表象の仕方にもそれぞれ適当な名称が欠けているわけではないから,ほかの表象の仕方の所有権を侵害する必要はない。ここに表象の仕方の段階を挙げると次のようになる。
 類は表象である。この類の下に,意識をもつ表象がある。知覚が主観の状態の変化として主観のみに関係すると,それは感覚である。また客観的な知覚は認識である。認識は直観であるか概念であるか,2つのうちいずれかである。直観は直接に対象に関係し,したがって個別的である。概念は多くのものに共通であり得るような標徴を用いて間接的に対象に関係する。また概念は,経験的概念であるか純粋概念であるか,2つのうちいずれかである。純粋概念が,悟性にのみその起原をもつ限りでは悟性概念と呼ばれる。悟性概念から生じて経験の可能を超出するような概念は理念すなわち理性概念である。このような区別になれている人は,赤い色の表象を理念などと呼ぶのを聞くと我慢できないに違いない。こうした表象は,悟性概念と呼ばれる分際のものですらないのである。
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2017年12月04日

2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇(3/10)

(3)カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言後半

 前回は,『純粋理性批判』「第二部 先験的弁証論」の緒言の前半部分,すなわち,「T 先験的仮象について」と,「U 先験的仮象の在処としての純粋理性について」のうちの「A 理性一般について」の部分の要約を掲載しました。そこでは,先験的仮象とは超越的原則に基づいて形成される仮象であり,それがとるに足らないものであることが先験的批判によって明らかに見抜かれても,依然として仮象であることをやめないこと,理性は悟性の規則を原理のもとに統一する能力であることなどが説かれていました。

 今回は,同書「第二部 先験的弁証論」の緒言の後半部分,すなわち,「U 先験的仮象の在処としての純粋理性について」のうちの「B 理性の論理的使用について」と「C 理性の純粋使用について」の部分の要約を紹介します。ここでは,理性の二つの使用についてその区別が説かれています。

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B 理性の論理的使用について

 直接に認識されるものと,推論されるものとの間には区別がある。「3直線で囲まれる図形は3個の角をもつ」ということは直接に認識される。しかしその3個の角の和が2直角に等しいということは推論された認識にほかならない。我々はこうした推論になれてしまうと,直接の認識と推論された認識との区別に気づかなくなり,実際には推論したことでも直接に知覚したものと思いなしてしまうことがしばしばである。およそ理性推理には,理由となる1個の命題〔大前提〕と,これから引き出されるいま1個の命題〔小前提〕すなわち推論があり,最後にこの推論の結果(理由と帰結との関係)〔結論〕がある。そしてこれによって第二の命題〔小前提〕が第一の命題〔大命題〕の真と必然的に結びつくのである。推論された判断が,第一の命題にすでに含まれていて,この判断が第三の概念〔媒概念〕に媒介されなくても,第一の命題から導出される場合には,この推理は直接推理と称される。私はこれを悟性推理と名づけたい。しかし結論を出すために,理由となる認識〔大前提〕のほかになお別の判断〔小前提〕を必要とする場合には,この推理は理性推理〔三段論法〕といわれる。「すべての人は死ぬ」という命題には「いくたりかの人々は死ぬ」「いくたりかの死ぬ人々は人間である」「死なぬ者は人間ではない」などの命題がすでに含まれている。これに反して「すべての学者は死ぬ」という命題は,「すべて人は死ぬ」という根底に存する命題には含まれていないから,媒介的判断〔小命題〕を介してのみ,推論されるのである。
 およそいかなる理性推理においても,私はまず悟性によってひとつの規則〔大前提〕を考える。次に私は判断力を用いてある認識をこの規則の条件のもとに包摂する〔小前提〕。最後に私はこの規則の述語によって,したがってまたア・プリオリに理性によって私の認識を規定する(結論)。規則としての大命題は,ある認識とその条件との間の関係を示すものであるが,これらの関係にしたがってそれぞれ異なる理性推理が構成される。それは,一切の判断が悟性における認識の関係を表現する仕方の区別に応じて,3通りある。すなわち,定言的理性推理,仮言的理性推理,選言的理性推理である。
 ところで,私がある理性推理から得た結論を与えられた判断として,これをさらに別の理性推理の一般的規則〔大前提〕と見なす場合,この判断がすでに与えられている他の判断から生じはしまいかどうか知ろうとするならば,私はこの結論の含む主張が再びある条件のもとで,ある一般的規則から導来されないかどうかを,悟性について調べてみるだろう。そしてもし私がこうした条件を見出し,この結論の含む対象が与えられた条件のもとに包摂されるならば,こういう結論は認識の他の諸対象にも妥当するところのいっそう一般的な規則から推論されたことになる。してみると理性が,きわめて多様な悟性認識を理性推理によって最も少数の原理に還元し,こうして悟性認識の究極の統一を成就しようとしていることは,これによって明らかである。

C 理性の純粋使用について

 我々は理性を,それだけとして孤立させることができるのか,また孤立させることができたとしても,理性はそれでもなお概念および判断――すなわち理性からのみ生じ,また理性がそれによって対象に関係するところの概念と判断との独自の源泉であるのか,それとも理性は与えられた認識にある形式を付与する従属的能力にすぎないのか,という問題がある。ここである形式というのは論理的形式と呼ばれるものであり,これによって悟性認識相互の間に従属関係が成立し,またこれらの悟性認識が互いに比較され得る限り,下位の規則は上位の規則に従属させられるのである。約言すれば,問題はこういうことになる。理性自体すなわち純粋理性は,総合的原則ないし規則をア・プリオリに含んでいるのかどうか,またこうした原理は本来どのようなものであるのか,ということである。
 理性推理における理性の形式的,論理的手続きは,純粋理性による総合的認識における理性の先験的原理はいかなる根拠にもとづくのだろうかということについて,すでに十分な手引きを与えている。
 第一に,理性推理は,直接に直観に関係して直観を規則のもとに統摂するものではない。理性が関係するのは悟性概念と判断である。それだから,純粋理性が対象に関係するといっても,対象や対象の直観へ直接に関係するのではなく,悟性と悟性の判断だけに関係するのである。
 第二に,理性はその論理的使用において,理性による判断(結論)の一般的条件を求めようとする。理性推理そのものが,こうした判断の条件を一般的規則(大前提)のもとに包摂する判断にほかならないのである。ところで理性は,この一般的規則にもまたこれとまったく同じ手続きを施すので,条件のそのまた条件というものがどこまでも求められなければならない。
 この論理的格率が純粋理性の原則となり得るためには,無条件的なものが与えられているなら逐次に従属的関係をなすところの条件の全系列も与えられている,ということを想定するしかない。
 ところが純粋理性のこうした原則はあきらかに総合的命題である。このような原則からはまた種々な総合的命題が生じてくるけれども,純粋悟性はこれらの命題についてはいささかも知るところがないのである。純粋悟性の事とするのは可能的経験の対象であるが,可能的経験の対象の認識と総合とは常に条件付きだからである。
 純粋理性のこうした最高原理に完全に適合するような経験的使用は全く不可能だろう。このような原則は,およそ悟性の原則(全て経験の可能ということを建前とする)とは全く類を異にするものである。するとここに次のような問題が生じる。条件の系列(現象の総合,あるいは物の思惟一般の総合における)は無条件者にまで遡るという原則は客観的に正しいかどうか,もし正しいとすればこの原則は悟性の経験的使用にどのような結果を及ぼすのか,それともこうした客観的妥当性をもつ理性命題はもともと存しないのであって絶えずいっそう高い条件に遡りつつ条件の完結に近接することで我々に可能な最高の理性統一を我々の認識に与えるような単なる論理的指定が存するだけではあるまいか,理性のこうした欲求は何か誤解によって純粋理性の先験的原則とみなされているのではあるまいか,そしてこの先験的原則なるものは早まって無制限的完結を対象そのものにおける条件の系列に関して要請しているのではあるまいか,しかしそうなると大前提を純粋理性から得てきたところの理性推理,そして経験から経験の条件へさらにその条件へと遡るところの理性推理のなかへ,なんと甚だしい誤解やごまかしが忍び込むだろうか,というような問題である。こういう問題の解明が,この先験的弁証論における我々の仕事である。

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2017年12月03日

2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇(2/10)

(2)カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言前半

 今回から4回に分けて,11月例会で扱った範囲の要約を掲載していくことにします。

 今回は,『純粋理性批判』「第二部 先験的弁証論」の緒言の前半部分です。すなわち,「T 先験的仮象について」と,「U 先験的仮象の在処としての純粋理性について」のうちの「A 理性一般について」の部分です。ここでは,先験的仮象とは何か,理性とは何かといったことが論じられています。

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先験的論理学

第2部 先験的弁証論

緒言

T 先験的仮象について

 我々はさきに弁証論一般を仮象(Schein)の論理学と名づけたが,これは弁証論が「確からしさ(Wahrscheinlichkeit)」の学だという意味ではない。確からしさは真であり,ただ不十分な根拠によって認識されたというだけだからである。「確からしさ」をもつ認識は,不完全であってもまやかしというわけでなく,論理学の分析的部門から切りはなされてはならない。まして現象と仮象は同一視されてはならない。真理とか仮象とかいうものは,対象が直観される限りにおいては,対象そのものにあるのではなくて,対象が考えられる限りにおいて対象に関する判断にある。真理も誤謬も,誤謬に誘うものとしての仮象も,判断にのみあり得る。感官には判断は全く存しないのだから,誤謬は,感性がひそかに悟性に及ぼした影響によってのみ生じる。これがために判断の主観的根拠と客観的根拠とが混雑して,客観的根拠をその本分から逸脱させてしまうのである。それだから,悟性に独自な作用を,これに干渉する力から判別するために,先験的反省が必要なのである。
 我々の当面の仕事は,経験的仮象(例えば,視覚的仮象)を論じることではない。こうした経験的仮象は,もともと正しい悟性規則を経験的に使用する場合に生じるものであり,この使用において判断力が,想像力の影響を受けて誤ちを犯すのである。我々がここで論究しようとするのは,もっぱら先験的仮象である。先験的現象が影響を与える原則は,決して経験への適用を建前とするものではない。原則が経験に適用される場合なら,我々は少なくともその原則の当否を吟味すべき基準を持ち合わせているだろう。ところが先験的仮象は,批判の警告をいっさい無視して,カテゴリーの経験的使用の限界外に我々を連れ出し,純粋悟性の拡張などというごまかしで我々を釣っているのである。我々は原則を区別して,その適用があくまで可能的経験の範囲内にとどまるものを内在的原則と呼び,その適用が可能的経験の限界を超出するものを超越的原則と名づけようと思う。超越的原則とは,カテゴリーの先験的使用ないし誤用のことではない。こうしたものは,判断力が純粋悟性の活動に許されている唯一の領域の限界に十分な注意を払わないために生じたものである。ところが,超越的原則は,可能的経験の一切の境界標の取り払いと,また境界線というものをまったく認めないようなまるきり新しい領域の僭取とを我々に要求する現実的な原則なのである。それだから先験的《transzendental》と超越的《transzendent》とは同一でない。純粋悟性の原則は経験の限界を超えて使用されてはならないのだが,こうした制限を取り払うような原則,それどころかこの制限を踏み越えることを命じるような原則を,超越的原則というのである。
 論理的仮象は,仮象とはいえ元々理性推理の形式の真似事であり,まったく論理的規則に対する欠如から生じたものだから,その都度注意を怠らなければ,この種の仮象はすべて消滅する。これに反して先験的仮象は,仮象であることがすでに発見され,またそのとるに足らないものであることが先験的批判によって明らかに見抜かれても,それにもかかわらず依然として仮象たることをやめないのである(例えば「世界は時間的な始まりをもつ」という命題における仮象)。その原因は次の点に存在する。すなわち,我々の理性(人間の認識能力のひとつとして主観的にみられた)は,理性使用の主観的規則や格律〔主観的原理〕を含み,またこれらのものは客観的原則そっくりの外観を具えている。そこで我々の悟性が自分に都合のよいようにある種の概念を結合すると,こうした結合の主観的必然性が物自体の規定の客観的必然性と見なされるということである。これは我々にとってどうしても避けがたい錯覚である。
 それだからこの先験的弁証論は,超越的判断の仮象を発見し,またそれと同時に仮象のために欺かれるのを防ぐというだけで満足することになろう。こうした仮象を消滅させたり,仮象たることをやめさせたりすることは先験的弁証論のとうていなし得るところではない。先験的弁証論が扱うのは,人間理性にとって自然的な,どうしても避けることのできない錯覚である。この錯覚は,もともと主観的原理に基づくものであるにもかかわらず,これを客観的原則とすり替えるのである。

U 先験的仮象の在処としての純粋理性について

A 理性一般について

 我々の一切の認識は,感性に始まって悟性に進み,ついに理性に終わるが,直観の供給する素材を処理して,思惟の最高の統一に従わせるものとしては,理性より高い認識能力は我々のうちには見出せない。理性には,悟性と同じ全く形式的な使用――換言すれば論理的使用があるが,また実在的使用もある。理性はある種の概念および原則の根源をみずからのうちに含んでいるからである。しかし理性は,これらの概念や原則を,感性からも悟性からも得て来るのではない。理性の第一の能力,すなわちその論理的能力は,いうまでもなくずっと前から論理学者によって,間接的に推理する(直接推理,すなわち悟性による推理と区別して)能力と称せられていたものである。これに反して理性の第二の能力すなわちその先験的能力は,みずから概念を産出する能力である。理性を論理的能力と先験的能力に区分するとなると,これら両概念を統摂する,理性のいっそう高い概念が求められなければならない。我々は悟性概念との類比に従って,この論理的概念が同時に先験的概念を解明する手掛かりを与え,また悟性概念の機能の表〔カテゴリー表〕が同時に理性概念の系図を示すだろうと期待してよさそうである。
 我々は先に先験的論理学の第一部〔先験的分析論〕で,悟性を規則の能力であるといったから,ここでは,理性を原理の能力であるとして,悟性から区別したい。
 私が概念によって特殊なものを普遍的なものにおいて認識するなら,こうした認識を原理による認識といってよいかもしれない。そうすればおよそ理性推理は,いずれも認識を原理から引き出す形式だということになる。悟性はア・プリオリな一般的命題を与えるものだから,この命題もまたその可能的使用に関しては,原理と名づけられてよさそうである。
 しかし純粋悟性のこうした原則自体を,その起原の上から考察すると,これらの原則は決して概念による認識とは言い得ない。もし我々が純粋直観(数学においては)なり,あるいは可能的経験一般の条件なりを援用しなければ,こうした原則はア・プリオリには全く不可能であろう。
 こういうわけで悟性にしても,概念だけによる総合的認識なるものを与えることはできない。しかも私がもっぱら原理と名づけるところのものは,実にこの総合的認識にほかならないのである。
 原理(自体)による認識は単なる悟性認識とは全く異なるものである。悟性認識は,なるほど原理という形式を具えているので,諸他の認識よりも前にあるけれども,しかしそれ自体(悟性認識が総合的認識である限り),思惟だけにもとづくものでもなければ,また概念だけから引き出された一般的なもの〔一般的命題〕を含んでいない,ということである。
 悟性は規則を用いて源生を統一する能力であるといってよい。これに対して理性は,悟性の規則を原理のもとに統一する能力である。それだから理性は,直接に経験やまた何らかの〔経験的〕対象に関係するのではなくてもっぱら悟性に関係し,概念によって悟性の多様な認識にア・プリオリな統一を与えるのである。従ってこの統一は理性統一と名づけられてよい。そしてこうした理性統一は,悟性によってなされ得る統一とはまったく別種のものである。

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2017年12月02日

2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇(1/10)

目次
(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント
(2)カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言前半
(3)カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言後半
(4)カント『純粋理性批判』先験的弁証論 第一篇前半
(5)カント『純粋理性批判』先験的弁証論 第一篇後半
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1:先験的仮象とは何か?
(8)論点2:理性とは何か?
(9)論点3:先験的理念とは何か?
(10)参加者の感想の紹介

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(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント

 我々京都弁証法認識論研究会は,今年および来年の2年間を費やして,カント『純粋理性批判』に取り組んでいくことにしています(あとで触れるように,この計画は若干変更することになりました)。これは,哲学の発展の歴史を,絶対精神という一つの主体の発展として描いたヘーゲル『哲学史』の学び(2015-2016年)を踏まえつつ,客観(世界)と主観(自己)との関係という問題について徹底的に突き詰めて考え抜いたカント『純粋理性批判』の学び(2017-2018年)を媒介にすることによって,全世界の論理的体系的把握を試みたヘーゲル『エンチュクロペディー』の学び(2019-2020年)に進んでいこうという計画に基づいたものです。

 11月例会では,『純粋理性批判』の先験的弁証論に入りました。その中の「緒言」と「第一篇 純粋理性の概念について」を扱いました。扱った部分の目次を引用すると,以下です。

第二部 先験的弁証論
 緒言
  T 先験的仮象について
  U 先験的仮象の在処としての純粋理性について
   A 理性一般について
   B 理性の論理的使用について
   C 理性の純粋使用について
 第一篇 純粋理性の概念について
  第一章 理念一般について
  第二章 先験的理念について
  第三章 先験的理念の体系

 
 今回の例会報告では,まず例会で報告されたレジュメを紹介します。その後,扱った範囲の要約を4回に分けて掲載し,次いで,参加者から提起された論点について,どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に,この例会を受けての参加者の感想を掲載します。

 今回はまず,報告担当者から提示されたレジュメ,およびそのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介することにします。

 なお,この研究会では,篠田英雄訳の岩波文庫版を基本にしつつ,他の翻訳やドイツ語原文を適宜参照するようにしています(引用文のページ数は,特に断りがない限り,岩波文庫版のものです)。

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『純粋理性批判』(中)緒言,第1篇 純粋理性の概念について(pp.12-54)

1.先験的仮象とは何か

 カントは仮象について,現象と同一視されてはならないとし,「真理も誤謬も,誤謬へ誘うものとしての仮象も,対象と我々の悟性との関係にのみあり得る」としている。この仮象として,カントは経験的仮象,先験的仮象,論理的仮象の3つを挙げている。経験的仮象は,例えば視覚的仮象であり,正しい悟性規則を経験的に使用する場合に生じるものであるとしている。先験的仮象は,カテゴリーの経験的使用の限界外に我々を連れ出すことによって生じるものだとしている。例えば,「世界は時間的な始まりをもつ」などである。論理的仮象は論理的規則に対する注意の欠如から生じるものだとしている。論理的仮象は(注意すれば)消滅させたり,仮象であることをやめさせたりすることができるが,先験的仮象ではそれができないとしている。

<報告者コメント>
 『カント事典』によれば,カント以前,仮象は経験的仮象と論理的仮象の2つに大きく分けられていたようである。そこへ,この2つとは異なる先験的仮象(『カント事典』では「超越論的仮象」)と書かれている)を出したのがカントだということである。先験的仮象の例として「世界は時間的な始まりをもつ」という命題が挙げられているが,カントはこのテーゼと同時に「世界は時間的な始まりをもたない」というアンチテーゼも成り立つというような矛盾をどうやって解決するかという問題にぶつかったときに,我々が見ている世界は物自体ではなく現象であるという物自体論や,そもそもこれらの命題は先験的仮象であると考えるようになったのだろう。

2.理性とは何か

 カントは,理性には間接的に推理する能力(形式的な使用・論理的使用)と,みずから概念を産出する能力(実在的使用・純粋使用)があると説いている。その上で,この2つの能力を統接するものとして,理性は原理の能力だとしている。これは悟性が規則の能力であることと対比されている。つまり,「悟性は規則を用いて現象を統一する能力であるが,理性は悟性の規則を原理のもとに統一する能力だ」ということである。そして,一般的命題と原理の違いを説いている。一般的命題は理性推理の大前提として使用せられ得るものであり,その命題のもとに包摂せられる得る事例に関しては,原理と名付けられてよいとしている。しかし,一般的命題は概念だけによる総合的認識ではないから,それはあくまでも相対的な原理だとしている。この概念だけによる総合的認識こそが原理だとカントは述べている。

<報告者コメント>
 この部分では,カントは理性の能力には間接的に推理する能力と,みずから概念を産出する能力があるとした上で,その2つを統一して原理の能力だとしている。また,その理性が原理の能力であるということを,悟性が規則の能力であることと対比して述べている(「理性の論理的使用」では悟性推理と理性推理の2つを並べて,理性推理の特徴も論じている)。さらに,その原理という言葉の意味を,一般的命題との対比で論じている。
 このような説き方は対立物の統一を踏まえた説き方と言えるであろうし,こうした説き方にカントの弁証法的な実力が現れているともいえるだろう。


3.先験的理念とは何か

 カントは先験的理念(純粋理性概念)を,理性推理の形式が含んでいる特殊でしかもア・プリオリな概念だとしている。先験的理性概念は,常に条件の総合における絶対的全体性を志し,絶対的無条件者に到達せねば止まないものであり,したがって,純粋理性概念の客観的使用は常に超越的だとしている。無条件者に到達するべく条件の側において連結推理を続けることを上昇的系列とカントは呼び,一方条件付きのものの側において続けることを下降的系列と呼んでいる。
 カントは我々の表象のもち得る一切の関係を(1)主観に対する関係,(2)現象における多様な客観に対する関係,(3)あらゆる物一般に対する関係の3つに区分している。そして,純粋理性はそれぞれにおいて無条件的なものを求めようとするから,先験的心理学,先験的宇宙論,先験的神学のそれぞれに理念を与えることになると説いている。

<報告者コメント>
 ここで要約した部分には入れていないが,カントは純粋理性概念をプラトンのイデア論を踏まえて説いている。その背景として,「新語を造るのは(中略)なかなか成功するものではない。それにまたこういうよくよくの手段に訴える前に,もう死語と見なされている学術語のなかで,自分の概念とこの概念に格好な表現とがないかどうかを探してみるのが当を得た遣り方である」と述べている。例えば,薄井先生が看護の本質論をナイチンゲールの言葉から拾ってきているが,これはまさにカントが言っているようなやり方をしたということになるのではないか。このように過去の文化遺産を受け継いで,それを自分なりのものにしていくということは確かに方法論として重要だと感じた。

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 このレジュメに対して,二つのコメントがなされました。第一に,「仮象」に関してのコメントにあるような,概念の歴史(変遷史)の把握は重要だという指摘です。黒崎政男『カント『純粋理性批判』入門』では,「理性」や「悟性」という概念の変遷について説かれていたが,このようなことは哲学史を理解するうえでかなり重要なのではないかということでした。

 第二に,3にある薄井先生の例はしっくりこないというコメントです。カントは純粋理性概念を表すのにぴったりな言葉としてプラトンの「イデア」という言葉を用いたのであるが,薄井先生は,何かの概念を表すのにぴったりな言葉としてナイチンゲールの「看護」という言葉を用いたわけではない,ということでした。そうではなく,薄井先生は,ナイチンゲールの「看護とは〜である」という看護一般論を継承して,それをもとにして科学的看護論を構築したのだ,ということです。したがって,薄井先生の場合は,新しい語をつくるか,それとも,以前からある学術語の中から選んでくるか,というような問題とは別次元のことだ,ということを確認しました。レジュメ報告者もこれで納得しました。

 以上,今回は報告レジュメと,それに関わって出されたコメントを紹介しました。
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2017年12月01日

教育実習生に説く人間観の歴史(13/13)

(13)教師の歴史的な使命は目の前の子どもの可能性を事実として示すことである

 前回はこれまで説いてきた人間観の歴史を振り返ってみました。そして、人間観の歴史を一言でまとめるならば、すべての人間の価値を認める方向へと進んでいるということでした。社会的な諸条件によってその価値を認められなかった人間が価値を認められるようになってきているのです。究極的には、生まれた人間すべてがそれ自体として価値を認められること、そのような人間観に基づいた社会に至ることが人類の目標だということができるでしょう。

 では、果たして現在はどうでしょうか。すべての人間の価値が認められるような社会へと至っているでしょうか。残念ながら否と言わざるを得ないでしょう。

 そのことが最も端的にわかるものが、2016年7月に起こった相模原障害者施設殺傷事件です。これは19人の死亡者、26人の負傷者を出した凄惨な事件であり、殺人事件としては戦後最大の死亡者数となりました。犯行を行った元施設職員は、「意思疎通のできない人は幸せを作れない」「障害者は周りを不幸にするので、いない方がよい」「日本のために事件を起こした。自分は救世主だ」などと供述をしていました。

 犯行を行った元施設職員はいったいどういうことを考えているのでしょうか。

 おそらく「人間は尊重されなければならない」「人間には可能性がある」といった人間に関わる命題そのものは否定しないでしょう。ところが、その命題に含まれる「人間」というものの中には障害者が含まれていないのです。むしろ障害者は「人間」を脅かす存在であり、排除されるべき存在だと考えているのです。障害者が排除されることによって、人間がしっかりと尊重されるのだと考えているわけです。だからこそ「日本のために事件を起こした。自分は救世主だ」という発言になるのです。こうした犯行に対して、賛意を示す発言もネットでは挙げられていました。

 教育の先達たちは、目の前の子どもの可能性を信じて、社会から排除されてきた子どもたちにも教育を行い、すべての人間に価値があり可能性があることを事実として示してきました。その甲斐あって、様々な制度・設備が整えられていったわけです。この障害者施設にしても、障害者も人間として生きていけるようにするという目的の下に作られたものに他なりません。しかし、個々の人間の人間観に目を向ければ、そこにはまだまだ人間として考えられていない存在がいるというのが現状なのだと言えるでしょう。

 こうした現状を変え、生まれた人間すべてがそれ自体として価値を認められること、そのような人間観に基づいた社会を築いていくことが求められます。この目標を実現するために、教師としては何をすべきなのでしょうか。

 この問いに対する答えはもうすでに出ています。ペスタロッチが行ったように、あるいは糸賀一雄が行ったように、目の前の子どもの可能性を事実として示していくしかありません。クラスをもてば、必ず勉強のできない子、人間関係がうまく築けない子などが必ずいます。そうした子であってもテストで100点がとれるようになる、たくさんの友人をつくることができるようになる、そういった事実を創っていくしかないのです。課題を抱えている子どもであってもそうやって変わっていくことを事実として示すことで、人間のもっている価値や可能性を本人および周りの子どもに気づかせていくのです。子どもたちの人間観をまっとうなものとして創っていくのです。これこそが教師の歴史的な使命だと言えるでしょう。

 この使命を果たすためには、まずもって教師自身がまっとうな人間観をもっていなければなりません。「人間には可能性がある」ということは教師であれば恐らく誰も否定しません。では、その「人間」の中に、自分の目の前にいる課題のある子は果たして含まれているのか。そういったことを常に問い続けなければならないのです。そうやって自らの人間観を鍛え上げていくことが最も重要なのです。

 教育実習では苦しいこともたくさんあると思います。学生としての生活から社会人としての生活に切りかえることからまず大変なはずです。さらに日々の授業をどうするかを考え、指導案を書くことも夜遅くまでかかることもあるでしょう。さらに講話の内容をまとめたり、日々の振り返りを書いたりすることにも労力が必要です。毎日へとへとに疲れ果てて、何とか2週間なり4週間なりを過ごすことで精一杯だということが実際のところだと思います。

 しかし、その中にあって、子どもたちの変化を生み出すように働きかけること、またその変化をしっかりと見てとろうとすること、ここを是非とも心掛けてほしいと思います。そのような子どもの実際の変化が自らの人間観を鍛えることにつながります。そして、その人間観が自らの教育実践を支える原動力となるのです。時代を切り開いてきた先達たちの仕事を受け継ぐ教師の一人としてのスタートを期待し、本稿を終えたいと思います。

 なお、本稿はさらに詳細な展開に書き直したものを研究会機関誌において掲載する予定です。ご期待ください。
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2017年11月30日

教育実習生に説く人間観の歴史(12/13)

(12)人間観の歴史とは人間としての価値を認められる存在が拡大する過程である

 本稿は教育実習生に向けて、人間観(人間に対する見方・考え方)が歴史的にどのように変化していったのかを説こうとするものです。ここでこれまでの流れを振り返ってみましょう。

 まず人間観の出発点は、自分は他の動物とは違った存在であるという自覚が芽生えたことだとして、そのような自覚がどのようにして生まれたのかを見てきました。サルの集団はボスザルを中心として束ねられています。サルたちは本能に基づいてボスザルの指示に従うようになっているのでした。つまり自分よりも強いもの(ボスザル)には従うということはあらかじめプログラムとして組み込まれているし、またそのボスザルの出す合図がどういう意味であり、どういう行動をすべきなのかということももともとわかっているということでした。ところが、こうしたサルの集団の中で、徐々に徐々に本能が薄らいでいくサル(子ザル)が出てきます。こうしたサル(ヒト的サル)の数が増え、純粋なサル集団とは質的に異なった集団へと変化していきました。そのヒト的サルの集団が純粋なサルの集団と対峙する中で、自分たちとの違いを感じるとともに、自分たちはあいつらとは違うということが自覚されるようになっていったのでした。サルの集団との戦いに勝った人間の集団は、その生活範囲が次第次第に広くなっていき、他の人間の集団との争いを行うようになりました。争いは当初は偶然に行われていましたが、相手を滅ぼせば食料を確保できるということから、人々はやがて意図的に争いをしかけるようになりました。こうして戦争があちこちで行われていたのが原始社会の時代でした。争いに勝った人々は、当初は負けた人々を皆殺しにしていましたが、その後、徐々に奴隷として働かせるようになりました。古代ギリシャやローマでは、奴隷は自分で労働するモノとして扱われていました。生物としては同じ人間でありながら、人間としての価値は認められていなかったのです。このように社会的な条件によっては人間として認めないという人間観が生まれてきたのでした。中世ヨーロッパ社会においても、階層的な身分秩序が成立しており、その社会的な身分によって人間としての価値に差はあるものだと考えられていました。同じ人間であっても社会的な階級が違えば違う存在だと考えられていたのです。「王であろうと、僧侶であろうと、農奴であろうと同じ人間だ」というような考え方は全くなかったのでした。

 このような中世までの人間観は近代に入ると大きく変化することになります。経済的な発展の中でカトリック教会の権威が弱まり、腐敗が進んでいく中で、中世の階層的な身分秩序を正当化していたカトリック教会の教えを批判する動きが出てきました。教会の教えに従うだけではなく、聖書に基づいて自分のアタマで判断して生きていくべきだという考え方が芽生えてきたのです。これを明確な形で打ち出したのが宗教改革で有名なルターでした。神からすれば、人間の階級などちっぽけなものであり、人間と人間の間に差などないと主張したのでした。このルターの考えを受け継いだコメニウスは、神は個人個人に対して平等であるから、我々もある人間に対しては教育を行い、ある人間に対しては教育を行わないということは人間に対する侮蔑であり、神の冒涜だと考えたのでした。教育の対象となる人間というのは性別や素質の有無を問わずすべての人間であり、いかに素質がなかろうと教育すれば改善するのだと主張したのでした。しかし、コメニウスは、あくまでも神という絶対的な存在を想定することによって、人間の平等を主張していました。そうではなく、現実の人間の在り方に基づいて、人間の平等を説いたのがルソーでした。ルソーが生きた18世紀のフランス社会は第一身分の僧侶、第二身分の貴族、第三身分の平民という3つの身分で構成されていましたが、経済的な発展の中で、それぞれの身分の中にも貧富の差が入り交じるようになりました。第三身分にも経済的に豊かになる人々が出てくる一方、僧侶や貴族の中にも没落する人々が出てくるようになりました。こうして社会的な身分による区別は絶対的なものではないことが自覚されてきたのでした。そこでルソーは、現在みられるような不平等はあくまでも人間がつくりだしたものにすぎないのであって、もともと人間は人間として平等なのだと主張し、その人間とはどのような存在なのかを考察したのでした。そのルソーの主張は、人間というのは自己を改善する能力をもった存在であり、それは人間の一般性であるからこそ、すべての人間に教育の可能性が存在しているし、その教育によって人間の本質である自らの意志に基づいた行動ができるようにすること(=自由の獲得)が必要だと解釈することのできるものだったのでした。このルソーの影響を強く受けた人物がペスタロッチでした。『隠者の夕暮』『リーンハルトとゲルトルート』において教育によって国家を改造すべきだと主張し、文筆家、教育者として非常に有名になっていたペスタロッチは、戦争による孤児や浮浪児を預かる孤児院の院長となり、50人の子どもを相手に一人で教育を行ったのでした。そこには歩けない子、衰弱して骸骨のようにやせている子、愛情がなく邪推深い子、詐欺を常習とする子などもいましたが、ペスタロッチは1人でその子達と生活を共にし、必死で関わる中で、子どもたちを変容させていったのでした。ここにおいて、すべての人間に可能性があることが事実として示されたのでした。

 こうした人間観を土台として、産業革命を迎えた各国は次第に近代的な公教育制度を創りあげていくこととなります。産業革命を迎えた欧米諸国では、資本家たちが利益を上げるために、子どもたちを長時間働かせ続けたのでした。その扱いはまさに古代の奴隷なみのものであり、まともな人間として考えられていなかったことを裏づけるものでした。しかし、「人間は平等である」「人間は自由である」「すべての人間に可能性がある」などの考えに基づいて、日曜学校や慈善学校といった取り組みが行われ、またロバート・オウエンが少年労働者に学校を作るなど、民間の動きが活発になる中で、次第に公的に教育制度が整えられていったのでした。このように、少年労働者の問題を解決しようとする動きの中で義務就学・無償制などを原則とする近代的な公教育制度が整えられていったのでした。しかし、子ども全員の就学が行われるようになると、集団の中でうまくかかわっていけない、あるいは授業についていけない子どもが出てくるようになりました。そうした子どもたちの事例が数多く集められて分析される中で、肉体的・精神的な問題があることが自覚され、20世紀前後から障害のある子どもというものがクローズアップされるようになっていきました。いかにして新たな障害児(障害者)が生まれないようにし、社会から根絶するかということが議論され、社会的に価値がないと判断された人々については断種することが合法化されました。アメリカのインディアナ州で初めて合法化され、それを受けてドイツのナチス政権も断種法を制定したのでした。ナチス政権ではさらに、肉体的・精神的に不適格だと判断された人々を強制的に安楽死させる政策をとるようになりました(T4作戦)。このように労働によって経済的に社会を支えることができない存在は、人間として認められず、その生存すら許されない状況だったのでした。しかし、次第に障害児(障害者)を救おうとする動きが現れてきます。その1つとして近江学園を創設した糸賀一雄を紹介しました。敗戦を迎えた日本では、戦災で親を失った子どもたちが徘徊するようになりました。生活が苦しくなった家からも子どもは放り出されて、浮浪児の群れに入り、反社会的な人間として育てられていったのでした。その中には知的に障害のある子どもも含まれていました。そこで生活困窮児と障害児を教育する場として近江学園を創設したのでした。障害者にも手を差し伸べる福祉国家であってこそ日本の再建は可能だと考えたのでした。そして、「四六時中勤務」「耐乏の生活」「不断の研究」という「近江学園三条件」を職員に掲げて実践に取り組んだ結果、学園内の生活困窮児と障害児が心から交流できる事実を創ることができたのでした。糸賀は障害児にも焦点を当て、障害児こそ世の光になってほしいという思いを抱いていたのでした。

 以上、これまでの流れを振り返ってみました。人間観の歴史を概観するならば「すべての人間に価値があり、可能性がある」ということが自覚されていなかった段階から、「すべての人間に価値があり、可能性がある」ということが自覚されるようになる段階へと変化したということがわかるでしょう。人間観の歴史とは人間としての価値を認められる存在が拡大する過程なのです。当初は一部の教育者・教育学者の中に生まれたこの人間観の革新が、社会的な認識へと広まっていきました。それが近代の学校制度や障害児教育などの形で現実の教育のあり方へと反映していったのです。そして、こうした人間観の歴史の大きな原動力となったのは、目の前の子どもの価値が認められていない現状を憂い、その子の可能性を信じたコメニウス、ペスタロッチ、糸賀一雄などの先達たちの、文字通り懸命な努力だったのです。
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2017年11月29日

教育実習生に説く人間観の歴史(11/13)

(11)障害児教育の生成・発展−糸賀一雄

 前回は、近代公教育制度の成立によってクローズアップされるようになってきた障害児(障害者)を取り上げ、彼らにどのような政策がなされていたのかを紹介し、その背後にある人間観を明らかにしました。端的には、障害児(障害者)は社会的に役立たない存在だとされ、その存続が認められなかったのでした。当時の人々が考える「人間」の中に、障害児(障害者)は含まれなかったのだということでした。

 しかし、やがてこうした子どもたちを救おうとする動きが生じてくることとなります。その代表的な人物が、日本の教育者である糸賀一雄です。今回はその糸賀一雄(1914-1968)が障害児たちとどのように向き合ったのかを紹介したいと思います。

 糸賀一雄は鳥取市で生まれ、自由な校風で知られていた鳥取第二中学校に進学しました。医師になる希望をもって1930年に松江高校に入学するも、自分の将来に悩み、在学中に洗礼を受けて宗教哲学を志望しました。そして京都帝国大学文学部に入学し、宗教哲学の確立を目指していた波多野精一の指導を受けます。卒業後、京都市の第二衣笠尋常小学校の代用教員となり、そこで同僚であった池田太郎と親しくなります。池田が指示していた京都帝国大学文学部哲学科助教授の木村素衛(京都学派で有名な西田幾多郎の弟子)の自宅に出入りするようになり、その教育哲学から大きな影響を受けました。その後、池田の紹介で田村一二と出会い、この三人で敗戦後に近江学園を創設することになるのです。

 この三人の中で、当時、障害児教育に取り組んでいたのは田村一二でした。田村は知的障害の子の教育に10年間取り組んでおり、たくさんの教育現場や施設を見学して回っていました。しかし、その中に知能指数が50以下の障害の重い子はどこにもいないこと、教育から排除されていることに気づいたのでした。また教室だけの教育にも限界を感じ、生活をともにする教育というものが障害のある子どもたちにとって大切なのだと考えていました。

 やがて日本が敗戦を迎えると、戦災で親を失った子どもたちが町を徘徊するようになりました。生活が苦しくなった家からも子どもは放り出されて、浮浪児の群れに入り、反社会的な人間として育てられていったのでした。繁華街や駅などにあまりに浮浪児が群がると、警察の手で「浮浪児狩り」が行われました。トラックに駆り集められて、一時保護所につれて行かれるのでした。田村と池田はこうした現象を見、その中には知的に障害のある子どもも含まれていることを考えると、やり切れない思いになるのでした。仮に日本が経済的に立ち直ったとしても、こうした弱者を切り捨てたまま発展することになるのではないかという問題意識も抱いていたのでした。

 そこで二人は、戦争孤児と障害児を対象とした学園を開くことを糸賀に提案し、糸賀には園長になってもらいたいと話したのでした。同様の問題意識を抱いていた糸賀は、悩んだ末に申し出を受け入れることにしたのでした。「いくさに負けた日本を再建するには、福祉国家よりない。世界中の障害者を集めて、世界中の寄付で日本という国を再建する。それを自分がやる」(高谷清『異質の光−糸賀一雄の魂と思想』大月書店、2005年、p.125)。このような志をもって、近江学園の設立に向かったのでした。

「近江学園要覧」にはその問題意識と意義が書かれています。戦争孤児、生活困窮児は「街頭に、あるいは駅頭に食を求めて放浪しており、社会的混乱の波に揉まれながら次第に社会の裏面に追いやられて、恐るべき犯罪の温床と化している」とし、障害児も「忘れられ虐げられた存在として、いたずらに社会の足手纏とし、あるいは犯罪へと追いやっているのが現状である」としたうえで、「戦災孤児達は、このような姿で戦争の責任をとらねばならない理由があるのであろうかと怒りを表明しています。そして近江学園は「児童にとって何りも温かく楽しい、そして腹のくちくなる過程でなければならない」とし、知能が普通の子と知的障害がある子を同一施設において教育することは、「教育的にはむしろこの姿が本質的形態であることの確信が抱かれるに至った」と述べた上で、「この学園でお互いに助け慕って暮す美しく温かい環境を現出するために、吾々は努力して行きたい」と決意を表しています。そして、「四六時中勤務」「耐乏の生活」「不断の研究」という「近江学園三条件」を職員に掲げたのでした。

 こうした取り組みの中で様々な事実を生み出していったのですが、その1つとして1951年の修学旅行のエピソードを紹介しましょう。近江学園では戦災孤児・生活困窮児と知的障害児は生産と遊びは一緒にするものの、専門の教育は別々のクラスで行われており、それぞれ一部・二部と呼ばれていました。修学旅行は一緒に行くものの、これまでは班は別々にしていました。ところが一部の子どもたちが「もっとちがう行き方はないか」と発言し、一部も二部も一緒の班にすることになったのでした。その議論の中では、「知らないから仲良しになるのだ」「同じ学園にいるのに別々になる必要はない」「私たちが連れて行ってあげるべきだ」などの意見が出されていました。子どもたちがこのように育っていたことをうれしく思った糸賀は、子どもたちに任せることにしたのでした。そして一件の万引き事件やケンカもなく終えたのでした。子どもたちは「二部の人たちと一しょに寝られたことが一番うれしかった」「二部の人もお話しをしたら、いくらでもしやはります。なんでもっと早く仲よしにならなかったか」「二部の人となかよしになれたことがうれしかった」「ともだちがふえてうれしい」「二部の者は一部の者よりすなおに言うことを聞いてくれたので、けっして、めんどうくさいなどと思ったことはなかった」と振り返っていました。修学旅行を引率した教師は「一部の子どもたちのなかに思いやりのこころが次第に芽生えてきているし、二部の子どもたちの純粋無雑なこころの美しさが、一部の子のこころを実際の場で引き出したのでしょうね」と述べ、糸賀はその通りだと感じたのでした。近江学園の設立趣意書では、「お互いに助け合って行くという精神を養うのであります」と書かれており、それこそが本来の社会のあるべき姿だと糸賀は考えていたのでした。それが近江学園の中で実現されていったのです。

 糸賀の代表的な著作に『この子らを世の光に』というものがあります。ここで注意してもらいたいのは『この子らに世の光を』ではないということです。この場合、障害児たちは社会の恩恵を受けさせるという意味になります。そうではないと糸賀は言うのです。

「精神薄弱といわれる人たちを世の光たらしめる、精神薄弱な人たち自身が光り、また光となっていく、そうしたことをするのが、私たちの仕事ではないか」(『近江学園年報』第10号)


 つまり、障害児たち自身が社会の光となる存在なのだということです。ここに糸賀の人間観が端的に表されていると言えるでしょう。
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2017年11月28日

教育実習生に説く人間観の歴史(10/13)

(10)障害児(障害者)と優生思想

 前回は、近代公教育制度が確立される過程について見てきました。産業革命によって少年労働者の過酷な労働状況が問題になってくると、それを解決しようとする民間の動きが現れ、次第に国家としてもこの問題に取り組むようになっていったのでした。これは近代において掲げられた人間観を現実化していく過程とも言えるということでした。

 子ども全員の就学が行われるようになると、集団の中でうまくかかわっていけない、あるいは授業についていけない子どもというものが出てくるようになります。そうした子どもたちの事例が数多く集められて分析される中で、肉体的・精神的な問題があることが自覚されるようになっていきます。これらは障害として把握されるようになり、20世紀前後から障害のある子どもというものがクローズアップされるようになっていきました。今回はこうした障害児あるいは障害者というものに対して、当時どのような考えに基づいて、どのような扱いがなされていたのかを見ていきましょう。

 障害児(障害者)に対して考えられたのは、いかにして新たな障害児(障害者)が生まれないようにするか、いかにして社会から根絶するかということでした。こうした問題意識のもとで大きく広まっていったのが、優生学と呼ばれる学問です。フランシス・ゴルトンが『人間の能力とその発達の研究』という本の中で優生学(eugenics)という言葉を使ったのが、優生学の始まりとされています。ここで優生学とは「人間の優良な血統をすみやかに増やす諸要因を研究する学問的立場」とされ、ゴルトンは人間の才能がどの程度遺伝に因るのかを明らかにしようとしたのでした。この優生学を研究する人々の中には、「文化の発展によって人間という種の変質(退化)が起こっている」と主張する人(ドイツのシャルマイヤー)もいました。医療や福祉が充実した結果、本来なら自然に死んでしまうべき人間が生存できるようになってしまったのだということです。こうした人間がもつ疾患や障害が伝達されないようにしないといけないと考えられたのです。さらに、こうした疾患や障害は環境や教育で現れたり改善したりするものではなく、遺伝的なものだとされたのでした。そこで社会的に有意義な人々の血統は残し、社会的に価値がないと判断された人々の血統は根絶しようという政策が実施されるようになっていきました。これを優生政策と言います。

 社会的に価値がないと判断された血統を根絶するために大きく2つの方法がとられました。1つは断種手術です。つまり、障害などがある人々に対して、子どもが生まれないように手術をするということです。これは1907年、アメリカのインディアナ州で世界で初めて認められることとなりました。1923年までには多くの州で断種法が定められて、10000件以上の断種手術が行われました。

 このアメリカの断種法をモデルとして、ドイツのナチス政権も断種法を制定しました。その背景には世界恐慌によって、ドイツが不況にまみれていたということがあります。経済的に苦しい中、「遺伝的に問題のある人々にお金を使っても何の社会の役にも立たない」と考えられ、そうした人々を排除する方向へと進んだのでした。

 しかし、断種をしたとしても、結局はその人々自身は国家が経済的に支援をしていかなければなりません。そこでそうした人々を根絶するもう1つの方法として、ナチス・ドイツでは肉体的・精神的に不適格だと判断された人々を強制的に安楽死させる政策をとるようになりました。これはT4作戦と呼ばれます。当初は3歳児以下の乳幼児を対象としていましたが、第二次世界大戦がはじまると、年長児や大人も安楽死の対象になりました。その実態について、デイヴィッド・ライト『ダウン症の歴史』(明石書店、2015年)では次のように書かれています。

「特別殺戮センターに送られた子どもは、特殊なケアが必要なために病院に入院させると告げられ、収容した数週間後に医師と看護師が、餓死させるか薬物過服用、まれに致死注射によって子どもを『処置』する許可を下した。親たちは、子どもは『肺炎』で死んだと後に知らされた。少なくとも5000人の子どもが、22の殺戮施設で以上の方法で殺されたのである。
 1939年10月15日には、すべての健康管理施設は、身体障害・精神障害のすべての患者数を記録し、国に登録することが義務付けられた。国家登録は、戦争への従事能力の可否を判断するためであると信じた、様々な施設の医師たちは、労働や軍事奉仕から患者たちが免れることを望み、彼らの無能力をひどく誇張することも多かった。政府から信頼された(たいてい若手の)専門家たちは、症例簿を検討し、3人の医師の承認を受けた後、患者を『安楽死』させるか否かの判断を下し、安楽死させるものには−誰もじかに患者を見ることはなく−名前の隣に赤い十字架を書き、そうでない者には青いマイナス記号を記した。患者は、当局によって連行され−たいていの患者が起こったことを即座に理解して恐怖の感情を出す場面である−殺戮センターに送られたが、家族がその運命を知ることはなかったのである。」(pp.119-120)


 古代の奴隷や産業革命期の子どもたちであれば、労働によって経済的に社会を支えることができますから、その生存自体は否定されていませんでした。ところがそれができない障害児(障害者)たちは、社会的に役立たない存在、あるいは社会的に害をなす存在だと捉えられ、その生存さえ認められなかったのです。当時の人々の「人間」という言葉の中には、障害者は含まれていなかったのだと言えるでしょう。社会を経済的に支えることのできる人間のみが「人間」だとされたのです。これがこの当時の人間観だったのです。
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2017年11月27日

教育実習生に説く人間観の歴史(9/13)

(9)近代公教育制度の確立

 本稿は教育実習生に向けて、人間観が歴史的にどのように変化してきたのかということを説くものです。サルの集団の中から、本能による統括が薄れてきたサルの集団が誕生し、これが純粋なサルの集団と対峙してその違いを自覚する中で、「あいつらとは違う自分たち」という認識をもつようになったのでした。これが人間観のスタートです。さらにその人間の集団が食料をめぐって互いに争うようになり、勝った人々が負けた人々を奴隷とするようになりました。こうして人間でありながら人間としての価値が認められない存在が生まれたのでした。さらに中世社会になると、より複雑な階層的身分構造が形成されるようになり、身分に応じて人間としての価値が定められるようになったのでした。しかし、近代になる過程でこうした人間観が大きく変化するようになります。中世社会において絶対的な権力をもっていたカトリック教会が腐敗する中で、ルターは教会を批判するようになり、神の下に人間は平等だと主張するようになったのでした。こうした人間観を受け継いだコメニウスは、どんな人間であっても教育によって成長するのだと主張しました。さらに社会が大きく変化する中で、社会的な身分が個人の人生の中で変わるということも起きるようになると、どんな社会的な身分についていようと、人間として同じだという見方が生まれてきたのでした。ルソーはその人間とはどのような存在なのかについて考察し、人間は本能ではなく自らの意志によって行動するのであり、だからこそ他の動物とは違って自らを改善していく能力をもつのだと主張したのでした。こうしたルソーの主張を受けて、実際に貧しい子どもたちに教育を行ったのがペスタロッチでした。ペスタロッチの教育を受けた子どもたちは大きく変化し、どんな人間であっても確かに改善する能力があり、可能性があるということを実証したのでした。

 このようにすべての人間の可能性が自覚されるようになる中で、産業革命を迎えた各国は次第に近代的な公教育制度を創りあげていくこととなります。今回はその過程について見ていきましょう。

 18世紀の半ばごろになると、イギリスを始めとして生産の過程に機械が用いられるようになりました。例えば、布を織る織機や、糸をつむぐ紡績機などが次々と開発されたのです。また、水力や蒸気機関を動力とする機会を使って生産を行う大規模な工場も現れました。安くて質のよい商品を大量につくることができるようになったのです。このような大規模な工場を経営する資本家が、大きな経済力をもつようになりました。一方で、1つ1つの商品を手作業で作っていた職人たちは競争に敗れて職を失い、労働者として貧困に苦しむこととなったのでした。このように、機械の発明や改良が続き、社会の様子が大きく変化することを産業革命と言います。

 機械の導入によって、生産の過程にこれまでのように熟練した技が必要なくなりました。そこで資本家たちは、利益をあげるために、安い賃金で働かせることができる女性や子どもを雇うようになっていったのでした。子どもたちは、1日10数時間も働かされる過酷な状況におかれました。その状況について、梅根悟『世界教育史』の中では次のように書かれています。

「遠い田舎から狩りだされた子供たちは、もちろん工場の中に泊りこみであったが、寄宿舎というような気のきいたものはなかった。工場の片すみの床にベッドがならべられ、子供たちは昼番と夜番と交替でそれを使った。食べ物もひどかった。たえかねて逃げだす子供もいたが、つかまると足くびをくさりでつながれて働かされた。死ぬ子供も多かったが、死ぬ子供が多いという評判がたたないように、人目につかない場所に母床も立てずにほうむられた。
 毎日十六時間ずつ、六日間ぎっしり働いて、そして日曜は機械の掃除をさせられた。
『くさい、熱気にみちた室、百千の車のまわっている室で、子供たちの小さな指、小さな足がひっきりなしに働いている。監督員のごつい手足でなぐられ、けとばされ、あくことを知らぬ利己心のわるがしこさが発明させたかずかずの体罰の道具によって責めさいなまられながら、不自然な仕事を強いられて・・・』とある著者は述べている。」(p.284)


 これは、ほぼ奴隷に近い扱いだと言えるでしょう。当時の働く子どもたちはほとんど人間として扱われていなかったのです。

 しかし、コメニウスやルソー、ペスタロッチなどによって、「人間は平等である」「人間は自由である」「すべての人間に可能性がある」などの考えを抱くようになっていた人類は、こうした状況を改善する方向へ進んでいくこととなりました。例えば、工場で働く少年を対象とした日曜学校や、親が工場に行き家に取り残されている子どもを対象とした慈善学校などが行われるようになりました。また、労働者の擁護に努めたロバート・オウエンは、工場経営者でありながら、少年労働者には学校をつくって保護と教育を行いました。労働者とその子どもたちに健康な環境を与えて教育することによって、貧困や社会悪をなくすことができるとオウエンは考え、大きな成果をあげたのでした。

 こうした民間の動きを受けて、次第に公的に教育制度が整えられていきました。例えばイギリスでは1870年に初等教育法が定められ、子どもの就学が義務となりました。また、1891年には多くの学校で授業料が無料となりました。フランスにおいても、1881年の教育法により、初等教育の完全無償制が規定され、6歳から13歳までのすべての者の初等教育が義務となりました。アメリカにおいても、ホレース・マン(1796〜1859)が、光や空気と同じようにすべての民衆が共通に教育を享受する学校として、コモン・スクールを提唱しました。無償制、非宗派、義務就学を原則としたコモン・スクールの構想は次第に実現していくこととなりました。

 このように、少年労働者の問題を解決しようとする動きの中で義務就学・無償制などを原則とする近代的な公教育制度が整えられていったのでした。これは近代において掲げられた人間観に基づいて、現実の教育のあり方を変革していこうとする動きであったということができるでしょう。
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2017年11月26日

教育実習生に説く人間観の歴史(8/13)

(8)すべての人間が可能性をもつことの実証−ペスタロッチ

 前回は、ルソーの人間観がどのようなものであったのかを見てきました。経済的に豊かだった人間が没落したり、貧しかった人間が裕福になったりして階級が入り乱れる中で、ルソーは、社会的な条件と個人の価値が切り離して考えるようになったのでした。そして、そもそも人間とはどういう存在なのかということについて動物との対比においてとらえ、可能性をもった存在であり、自由を求める存在であることを指摘したのでした。

 このルソーの影響を強く受けた人物こそが今回紹介するペスタロッチです。彼は自分の子どもに「ヨハン・ヤコブ(フランス語でジャン・ジャック)」と命名するほどルソーの信奉者でした(ルソーは、ジャン・ジャック・ルソー)。今回は、ペスタロッチが人間観の歴史においてどういう役割を果たしたのかを見ていきましょう。

 ペスタロッチは、1746年、スイスのチューリッヒで生まれました。幼い頃に父親が亡くなってしまったので、祖父が父親としての役割を果たしていました。祖父は村の牧師として定期的に教区の貧しい家を訪問し、宗教的、家庭的な面で指導を行っていましたが、ペスタロッチは幼い頃からしばしばこの祖父についていき貧民の状況について目の辺りにしていました。彼らの苦悩とその悲惨な姿が原点となって、彼らの解放のために生涯を捧げることをペスタロッチは決意したのです。当時、貧民の子どもは大きな農家にひきとられてこき使われたり、乞食の手先として使われたりしていました。また、当時スイスでも盛んになってきていた工場生産の労働力として縛り付けられている者もいました。こうした子どもたちを救うために貧民学校を開きました。貧民が幸福に過ごせるようになるためには、単に施しを与えるだけでは不十分であり、貧民自身が自立して人間らしい生活をしていけるようにならないといけない。そのために必要な能力や手段を身につけられるように教育することが重要なのだと考えていたのです。

 しかし、この貧民学校も経営が成り立たなくなりました。以後、ペスタロッチは文筆家として生計を立てることになります。その中で発表した『隠者の夕暮』『リーンハルトとゲルトルート』において教育によって国家を改造すべきだと主張し、文筆家、教育者として非常に有名になりました。

 この頃、フランス革命の影響を受けて、スイスでも革命が起こり、新政権が誕生していました。しかし新政権に対する反対運動はまだまだ活発でした。特に反革命運動の拠点であった地域では武力抗争が起こり、多くの孤児や浮浪児を生み出していたのです。こうした子どもを救済するために新政権は孤児院を設立することを決め、その院長としてペスタロッチが選ばれました。

 孤児院には50人の子どもが集められ、そこには歩けない子、衰弱して骸骨のようにやせている子、愛情がなく邪推深い子、詐欺を常習とする子などもいましたが、ペスタロッチは1人でその子達と生活を共にし、必死で関わる中で、子どもたちを変容させていきます。そこでの成果をまとめたものが『シュタンツ便り』です。

 心も体も荒れ果てた子どもたちを前にしたときの心境を、ペスタロッチは次のように書いています。

「わたしにはほとんど何の不安の感も懐かせなかった。というのは最も憐れな最も見離された子供にも神の与え給う人間性の諸力をわたしは信じているので、この人間性が無教育と粗野とそして混乱との泥土の間にあっても、最も美しい素質と能力とを発展させるということを、ただに今までの経験がすでに久しくわたしに教えていただけではなくて、わたしはわたしの子供の場合にも、無教育ではあるが、この生き生きとした本性の力がいたるところに発露するのをみた。」(同上書、pp.50-51)


 つまり、どんな人間に対しても、人間がもつべき力を神が与えているのだから、何の不安も懐かなかったということです。現代においても、例えば身体障害の方などを見ると、その外見から「えっ!」「うわっ」と思う方はいるはずです。しかしペスタロッチはそういった現象にひきずられず、すべての人間がもっている可能性をそこに見出していたのだということです。

 もちろん、シュタンツでは壮絶な戦いと言えるレベルの教育があったはずです。みなさんは、サリバンによるヘレン・ケラーの教育を知っているでしょうか。あそこでは甘やかされて育ったヘレンが自分勝手な振る舞いをするのに対して、サリバンがヘレンと対峙し、文字通り格闘レベルで関わっていく姿が見られます。これをペスタロッチは何十人もの相手に行っていたのだということです。そう考えれば、ペスタロッチの信念の強固さというものがイメージできるはずです。

 こうした教育の結果、子どもたちは大きく変わっていきます。当時、子どもたちの親は、革命政府がよこしたペスタロッチを何も信用しておらず、ペスタロッチを非難し、子供を連れ帰ることもざらにあったようです。ところが、ペスタロッチの教育を受けた子どもたちはペスタロッチを信頼し始め、やがてペスタロッチを非難する親をたしなめるまでに至ったのです。自分たちの成長を自覚しているからこそ、それをもたらしてくれたペスタロッチに対して信頼を抱いているのだと言えるでしょう。

 どうしてこのような信頼を得ることができたのか。それについて、ペスタロッチは次のように語っています。

「子供の気持や考え方を左右するものは、教師の個々の行為ないしはたまさか行う行為ではない。汝に対する彼等の感情を断然左右するものは、毎日毎時繰返されて、しかも彼らの眼の前で働いている汝の心情状態の真相の程度であり、また彼ら自身に対しての汝の懐く愛情もしくは嫌悪の情の程度である。」(同上書、pp.75-76)


 つまり、教師が子どもに対して何をしたかではなく、教師が子どもに対してどういう思いをもっているか、その思いがどの程度のものなのか、本気なのかどうか、ということが重要だということです。こうしてペスタロッチからの愛情を注がれた子どもたちは、他者への愛情を注ぐようになっていきます。

「アルトドルフが丸焼けになったので、わたしは子供たちをわたしの周囲に呼び集めて言った。『アルトドルフは丸焼けになった。多分今ごろは100人もの子供が家もなく、食べ物もなく、着物もなくているだろう。お前たちは慈悲深いお上へお願いして、これらの子供を20人ばかりわたしたちの家に修養するようにしないか』『いいですとも、いいですとも』と言った感激の様子を、わたしは今も眼のあたりに見る思いがする。そこでわたしは言った。『しかし子供たちよ、お前たちが熱心に望んでいることをよく考えてご覧。わたしたちの家には思うほどのお金はないし、これらの貧しい子供のために今まで以上にお金の工面ができるかどうかも怪しいものだ。それでお前たちはこれらの子供がきたために、自分たちのお稽古には今まで以上に骨が折れ、食べ物は今までよりもずっと減らし、その上お前たちの着物も分けてやらなければならないような羽目になるかも知れない。だから彼らが困っているからといって、これらのすべてのことをお前たちがいかに喜んで心から納得しているかのような振りをして、うっかりこれらの子供が来ればいいなど言ってはならない』わたしは力をこめてできるだけ強くそう言った。わたしは自分の言ったことを彼ら自身に繰返させた。それは彼らの申し出の結果がどんなことになるかということを、明瞭に彼らが理解しているかどうかはっきりさせるためだった。しかし彼らは頑として心を翻さず、しかも繰返して言うのだった。『そうです、そうです、たといわたしたちの食べ物はもっと悪くなり、仕事はもっとふえ、着物は分けてやらなければならなくなっても、彼らが来れば嬉しい』」(同上書、pp.71-72)


 子どもたちは、たとえ自分たちが貧しい思いをすることになっても、アルトドルフの子どもがここに来ることを望んでいるのです。他者に対する非常に深い思いやりが込められています。

 このように、シュタンツの子どもたちは、ペスタロッチの教育を受けて他者への愛情を注げるまでに成長したのでした。そして、自分自身がその成長を自覚しているからこそ、ペスタロッチに深い信頼を抱くようになったのだということになるでしょう。ペスタロッチが「どんな人間も教育によって成長する」という人間観を抱いて、子どもに愛情を注ぎ続けた結果、子どもたちも自分たちがもつ人間としての可能性を自覚することができたのです。

 コメニウス以来、すべての人間に可能性があるということが主張されるようになりましたが、そのことがペスタロッチによって事実として示されたのです。ここに人間観の歴史におけるペスタロッチの意義があったと言えるでしょう。
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2017年11月25日

教育実習生に説く人間観の歴史(7/13)

(7)人間とは何かという問いかけの誕生−ルソー

 前回はコメニウスがどのような人間観をもっていたのかということを紹介しました。カトリック教会に対する反発が高まる中で、ルターは「神の下に人間は平等だ」という主張をするようになったのでした。それを受けて、コメニウスはいかなる人間であっても可能性があり、教育によって成長するという人間観を打ち出したのでした。これは、階級という社会的な条件に応じて人間の価値の差が認められていた中世社会からすれば大きな変化だということでした。

 しかし、コメニウスは、あくまでも神という絶対的な存在を想定することによって、人間の平等を主張しています。その意味では宗教的だと言えるでしょう。そうではなく、現実の人間の在り方に基づいて、人間の平等を説いたのがルソーです。今回はルソーの人間観について見ていきましょう。

 ルソーが生きた18世紀のフランス社会はアンシャン=レジームとよばれる階層社会で、3つの身分に分かれていました。第一身分の僧侶、第二身分の貴族、第三身分の平民です。僧侶や貴族は税金を免除されていたり、(第三身分の)農民から生産物を徴収することを認められていたりと、多くの特権をもっている一方、第三身分の人々は重い税金に苦しんでいました。しかし、経済的な発展の中で、それぞれの身分の中にも貧富の差が入り交じるようになりました。第三身分にも金融業者や上層市民、商工業や資本主義的農業経営にたずさわる中産市民など、経済的に豊かになる人々が出てきたのです。一方、僧侶や貴族の中にも経済的に没落する人々が出てくるようになりました。このように個人の人生の中で社会的な条件が様々に移り変わってしまうという状況が生まれてくるようになったのです。

 こうした中で、個々の人間の価値にはもともと差があるわけではないということが自覚されるようになっていきました。そのことを最も強く主張したのがルソーです。ルソーは次のように述べています。

「自然の秩序のもとでは、人間はみな平等であって、その共通の天職は人間であることだ。だから、そのために十分に教育された人は、人間に関係のあることならできないはずはない。わたしの生徒を、将来、軍人にしようと、僧侶にしようと、法律家にしようと、それはわたしにはどうでもいいことだ。両親の身分にふさわしいことをするまえに、人間として生活をするように自然は命じている。生きること、それがわたしの生徒に教えたいと思っている職業だ。」(ルソー、今野一雄訳『エミール(上)』岩波文庫、1964年、p.31)


 現在みられるような不平等はあくまでも人間がつくりだしたものにすぎないのであって、もともと人間は人間として平等なのだとルソーは主張しています。だから、まずはどの人間も人間として生きていけるようすることが教育としては重要であり、それさえできればどんな職業について生きていくことになったとしても、すべて人間に関係あることなのだからできるはずだと主張しているのです。

 では、人間として育てるとはどういうことなのでしょうか。そもそも人間とは何なのでしょうか。ルソーは次のように述べています。

「私はどんな動物のなかにも精巧な機械しか見ない。すなわちこの機械は自分で自分のねじをまくように、またこれを壊したり狂わしたりしそうなあらゆるものからある点まで身を守るために、自然から感覚というものを授かっている。私は人間機械のなかにも確かに同じものを認める。ただ、禽獣の行動においては自然だけがすべてを行なうのに対して、人間は自由な能因として自然の行動に協力するという点がちがっている。一方は本能によって、他方は自由行為によって、択んだり斥けたりする。」(ルソー、本田喜代治訳『人間不平等起原論』岩波書店、1972年、pp.51-52)


 つまり、動物は本能によって機械のように動くし、人間もそういう側面はあるけれども、人間の場合は自らの意志に基づいて行動するのであり、その意味で人間の行為は自由行為なのだということを説いているのです。このような捉え方は本稿の(3)で指摘した人間と動物との違いに近いものがあると言えるでしょう。

 さらに、人間と他の動物との違いとしてもう1点挙げています。

「もう一つ、両者を区別して、なんらの異議もありえない、きわめて特殊な特質が存在する。それは自己を改善(完成)する能力である。すなわち、周囲の事情に助けられて、すべての他の能力をつぎつぎに発展させ、われわれのあいだでは種にもまた個体にも存在するあの能力である。これに対して、動物は数ヶ月の後には一生涯そのままであるようなものになり、またはその種は千年たってもその千年の最初の年にそうであったままで変らない。」(同上書、p.53)


 つまり、人間は自己を改善(完成)する能力があるけれども、他の動物にはそれがなく、個体としても種としてもいつまでも変わらないということです。これは結局、第一の違いとつながるものだと言えるでしょう。人間以外の動物は本能という決められたプログラムに従って動くだけであり、このプログラムそのものが変わることはありません。だからそこに発展性はありません。しかし、人間は自らの意志に基づいて自由に行動するのであるから、その意志が発展すれば、自らのあり方も発展するし、人類全体としても発展していくことになるのです。

 人間というのは自己を改善する能力をもった存在であり、それは人間の一般性であるからこそ、すべての人間に教育の可能性が存在しているし、その教育によって人間の本質である自らの意志に基づいた行動ができるようにすること(=自由の獲得)が必要だと主張しているのです。

 このように、現実社会の人間のあり方を踏まえて、社会的な条件と人間の価値を切り離して考えたこと、そうして切り離された人間とはどういう存在なのかということについて動物との対比においてとらえ、人間は可能性をもった存在であり、自由を求める存在であることを指摘したこと、ここにルソーの人間観の歴史的な意義があると言えるでしょう。
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2017年11月24日

教育実習生に説く人間観の歴史(6/13)

(6)人間は平等であるという人間観の誕生−コメニウス

 本稿は教育実習生に向けて、人間観が歴史的にどのように変化してきたのかということを説くものです。ここまで原始社会、古代社会、中世社会の人間観の流れを見てきました。サルの集団の中に本能による統括が薄れてきたサルが誕生し、その数が多くなると、その集団は純粋なサルの集団とは異なったものとなっていきました。その集団が純粋なサルの集団と対峙する中で、「あいつらとは違う自分たち」という自覚をもつようになりました。これが人間観のスタートです。やがてそれぞれの人間の社会が拡大し、接触するようになると相争うようになり、負けた集団の人間は奴隷として扱われるようになったのでした。ここにおいて、生物としては人間であることを認めながら社会的な条件においては人間としての価値を認めないという見方が生まれてきたのでした。さらに、中世社会になれば、その身分秩序はより複雑化し、(生物としては同じ人間であるけれども)階級に応じてその価値の程度が考えられるようになったのでした。これは古代社会からの延長線上にあるということでした。

 このような中世までの人間観は近代に入ると大きく変化することになります。今回から3回にわたってその変化の過程を教育学の歴史において有名な人物(コメニウス・ルソー・ペスタロッチ)に焦点を当てながら、見ていきたいと思います。

 中世社会ではそれぞれの荘園で自給自足の生活が行われており、互いの交流がほとんどなされていなかったのでした。しかし、少しずつ生産力が向上していって、生活に必要以上の物資を獲得できるようになってくると、余ったものを荘園同士で交換するようになりました。交換に便利なように貨幣も使われるようになると、商品の交換に携わる商人や、商品の生産に携わる人々が次第に豊かになっていきます。また、余った生産物を売ることで得た金を納めることによって、領主の支配から逃れる農奴も出てくるようになりました。その一方で、領地を支配していた貴族や僧侶たちは経済的に苦しい状況に追い込まれることにもなりました。このようにして、カトリック教会によって裏付けられていた身分制度が絶対的なものではないということが、徐々に明らかになってきたのです。

 こうした時代の流れの中で、教会の教えに従うだけではなく、自分のアタマで判断して生きていこうという考え方が芽生えてくることとなりました。その背景には、当時のカトリック教会が金儲けのことばかり考えていたことに対する反発もあります。

 その反発を明確な形で打ち出したのが宗教改革で有名なルターです。ルターは僧侶と民衆を区別することを批判しました。神からすれば、人間の階級などちっぽけなものであり、そこに差などないと考えたのです。そして、民衆一人ひとりが聖書を読み、神が何を望んでいるのかを知り、それに従って生きていくことが重要だと主張しました。

 ルターの教えに賛同した人々(新教)は徐々に勢力を伸ばし、カトリック(旧教)と激しく争うようになっていきました。この対立の中心地だったのが、コメニウスが生まれたボヘミア(チェコ・スロヴァキア)であり、ここでは30年にわたる戦争が繰り広げられました。

 コメニウスは新教の立場の人間として生まれ育ち、結婚もして平和な生活を送っていました。しかし、戦争が起こると、仕事を追われ、逃避生活に入るようになります。その中で妻を失い、さらにコメニウスを含めた新教の人間は祖国を追われることとなりました。

 こうした絶望の日々を送る中で、コメニウスは、祖国の回復と平和な世界の実現を強烈な問題意識として抱くようになり、その手段として教育の改善が必要だと考え、有名な『大教授学』を執筆したのです。コメニウスはその冒頭において、次のように書いています。

「この我々の教授学の目指す全目的は(中略)キリスト教社会が在来のように暗黒、混乱、軋轢の場所とならずして、それによって却ってより多くの光明と秩序と平和と休息とを得るような教授法を探求し発見することに存している。」(コメニウス、稲富栄次郎訳『大教授学』明治図書、1956年、p.14)


 つまり、現在のように混乱したキリスト教社会ではなく、平和なキリスト教社会を築くことを目的としているということです。そのための教授法を探求した結果をこの『大教授学』で書いているということです。
 では、そこでは具体的にどのようなことを説いているのでしょうか。人間観という観点から注目すべきは、以下の文章です。

「神は一視同仁で、個人個人に対して何等の依怙贔屓もしないことを表明している。それ故に若しも我々が、或人間には精神の教育を施し、他の人間にはこれを許さないということになれば、我々は生来我々自身と同じ素質を持った人間に対して侮辱を加えることになるばかりでなく、神そのものをも冒涜することになるのである。」(同上書、p.92)


 つまり、神は個人個人に対して平等であるから、我々も平等に教育すべきだということです。ある人間に対しては教育を行い、ある人間に対しては教育を行わないということは人間に対する侮蔑であり、神の冒涜だというのです。

 中世ヨーロッパでは、まともな教育を受けられるのは一部の特権階級だけであり、農奴などには教育が行われませんでした。そうした中で、人間は神のもとに平等であるというルターの人間観を引き継ぎ、すべての人間に教育を与えることを主張しているのです。さらに、その「すべての人間」というのは性別や素質の有無を問わず、本当にすべての人間だとコメニウスは述べています。

「人の素質が、遅鈍であり、薄弱であればある程、このような生まれつきの動物的な愚鈍、愚昧から解放されるために、より多くの援助を必要とする。のみならず、およそ世に、教育によって之を改善することができない程、その智力の薄弱なるものはないのである。」(同上書、p.93)


 つまり、いかに素質がなかろうと教育すれば改善するのだというのです。ここには人間の可能性に対する信頼、教育の力に対する信頼があふれていると言えるでしょう。このような人間観・教育観をコメニウスは抱いていたのです。このような人間観・教育観に基づけば、子どもが成長しないのは教師の働きかけが悪いからだということになります。では、どのように働きかければよいのかということについての原則が、この『大教授学』では述べられているのです。

 このようにコメニウスはルター派の牧師として、人間は神のもとに平等であるという人間観を受け継ぎ、いかなる人間であっても可能性があり、教育によって成長するという人間観を打ちだしたのです。「王であろうと、僧侶であろうと、農奴であろうと同じ人間だ」というような考え方が全くなかった中世社会からすれば、非常に大きな意味をもつ主張だと言えるでしょう。
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2017年11月23日

教育実習生に説く人間観の歴史(5/13)

(5)人間の価値が社会的な条件によって定められた−中世社会

 前回は、古代社会の人間観とはどのようなものかを見てきました。古代社会では、人間ではあるけれども人間として認められていない奴隷という存在が正当化されていたのでした。このように(戦争に負けたという)社会的な条件によって、人間ではあるけれども人間として認めないという人間観が生まれてきたのが古代社会だということでした。古代社会において大きく発展したローマ帝国は、異民族の侵入によって滅ぼされてしまいます。こうしてヨーロッパでは民族同士の戦乱が繰り広げられる舞台となり、やがて各地に王国ができて落ち着きを取り戻していきます。こうした時代が中世です。今回はこの中世社会の人間観はどのようなものであったのかを見てみましょう。

 中世ヨーロッパの社会の特徴は、階層的な身分秩序が成立していたという点にあります。つまり、王の下に諸侯がいて、その諸侯の下には臣下がいて、さらにその下にはその臣下がいるというような状態だったのです。こうした王や諸侯たちはそれぞれ自分の土地(荘園)を保有していました。領主としてその土地を治め、その土地の農民を働かせて、収穫したものを納めさせていたのです。荘園同士の交流はほとんどなく、各地の荘園が自給自足的な生活を送っているという社会だったのでした。

 こうした仕組みが成立した背景には、先に述べたように、ローマ帝国が崩壊した後の民族大移動によって、ヨーロッパ各地が戦乱の舞台になってしまったということが挙げられます。土地の所有者たちは、こうした戦乱の中にあって、自分の生活のために自分の土地を何とかして守らなければなりませんでした。そこで彼らが考えた方法は、力の強い者に土地を譲りわたす(寄進する)代わりに、自分たちの生活の保障をしてもらうことだったのです。こうして力の強い者に自分の生産物を譲り渡す代わりに、その力の強い者に守ってもらうという仕組みがつくられたのです。さらにその力の強い者は、より力の強い者に自分の土地を譲り渡すようになります。これが積み重ねられる中で、階層的な身分秩序が成立したのでした。

 こうした社会では、身分の間の行き来ということは行われませんでした。つまり、農民の子どもとして生まれれば、農民として生きていくことになるし、貴族の子として生まれれば、貴族として生きていくことになるということです。このように、社会的な階級は変わらないものだと考えられていたのです。

 このような制度を正当化していたのが、キリスト教を担うカトリック教会でした。中世ヨーロッパにおいては、キリスト教が絶対的なものだと信じられていたのです。戦乱が絶えず、生活が不安定になるなかで、人々の心のよりどころになったのがキリスト教だったのです。コトワザでいう「苦しいときの神頼み」ということです。「自分たちの力ではどうしようもないから、神様に何とかしてもらおう」というような思いから、キリスト教が大きく広まっていたのです。中世ヨーロッパにおいてキリスト教の担い手となったカトリック教会では、階層的な身分秩序が正当化されていました。こうした身分秩序は神によって定められたものであり、その神に定められた仕事に取り組むことが、(神に従う)よい生き方だとされたのです。

 この階級は決して平等と言えるようなものではありませんでした。最も大きな力を持っていたのは、キリスト教を司るカトリック教会の僧侶たちです。僧侶たちは、神の言葉を地上の人々に伝えてくれる存在として絶対視され、その指示に従うことが神の望むことだと考えられていました。また、彼らも領地をもっており、そこから得られる富によって、経済的にも大きな力をもっていました。カトリック教会は国王をもしのぐ絶対的な権力を握っていたのです。

 したがって、教育においても優秀な僧侶をいかにして育成するかという観点が重視されていました。修道院に付属して僧院学校や本山学校と呼ばれる学校がつくられ、僧侶の養成のために、七自由科(文学・修辞学・弁証法・算術・幾何・天文・音楽)という当時の学術の基礎的な内容が教えられていたのでした。また、中世の半ばにつくられるようになった大学では、神学が中心的な学問として教えられていました。

 このように、社会的に大きな価値を認められ、優遇されていた人々がいる一方で、農民たちはその価値をほとんど認められていませんでした。古代の奴隷ほどではないにせよ、土地の一部という程度の認識でしか捉えられていませんでした。当然、農民たちに対して公的な制度として教育が行われるということもありませんでした。

 つまり、中世社会においては、同じ人間であっても社会的な階級が違えば全く違う存在だと考えられていたのです。「王であろうと、僧侶であろうと、農奴であろうと同じ人間だ」というような考え方は全くなかったのです。確かに古代社会に比べれば、社会的な階級の在り方がより複雑化しているものの、社会的な条件によって人間として認められる存在と人間として認められない存在がいるという点では同じであり、中世社会の人間観は古代社会の人間観の延長線上にあると言えるでしょう。
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<講義一覧>

 ・2010年5月例会の報告
 ・2010年6月例会の報告
 ・日本酒を楽しめる店の条件
 ・交響曲の歴史を社会的認識から問う
 ・初心者に説く日本酒を見る視点
 ・『寄席芸人伝』に見る教育論
 ・初学者に説く経済学の歴史の物語
 ・奥村宏『経済学は死んだのか』から考える経済学再生への道
 ・『秘密諜報員ベートーヴェン』から何を学ぶか
 ・時代を拓いた教師を評価する(1)――有田和正氏のユーモア教育の分析
 ・2010年7月例会報告
 ・弁証法から説く消費税増税不可避論の誤り
 ・佐村河内守『交響曲第一番』
 ・観念的二重化への道
 ・このブログの目的とは――毎日更新50日目を迎えて
 ・山登りの効用
 ・21世紀に誕生した真に交響曲の名に値する大交響曲――佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」全曲初演
 ・2010年8月例会報告
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 ・「菅・小沢対決」の歴史的な意義を問う
 ・『もしドラ』をいかに読むべきか
 ・現代日本における「国家戦略」の不在を問う
 ・『寄席芸人伝』に学ぶ教師の実力養成の視点
 ・弁証法の学び方の具体を説く
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 ・教育学構築につながる教育実践とは
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 ・TPPは日本に何をもたらすのか
 ・東日本大震災から国家における経済のあり方を問う
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 ・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
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 ・2011年9月例会報告:加藤幸信論文・村田洋一論文読書会
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 ・三浦つとむさん宅を訪問して
 ・TPP―-オバマ大統領の歓心を買うために交渉参加するのか
 ・続・心理療法における外在化の意義を問う
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 ・2012年1月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学,その学び方への招待」読書会
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 ・2012年4月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第5章〜第6章
 ・科学者列伝:ヘレニズム・ローマ・イスラム編
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 ・年頭言:混迷の時代が求める学問の確立をめざして
 ・科学はどのように発展してきたのか
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 ・2013年2月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』をどのように読んでいくべきか
 ・『三浦つとむ意志論集』を読む
 ・言語学の構築に向けてどのように研究を進めるのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年1号の感想
 ・改訂版・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・2013年3月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(前半)を読む
 ・3年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・2013年4月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(後半)を読む
 ・新自由主義における「自由」を問う
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 ・三浦つとむ「マルクス・レーニン主義に関する本質的な質問」から学ぶ
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 ・ヒュームの提起した問題にカント、スミスはどのように答えたか
 ・2013年6月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』東洋の世界(後半)を読む
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 ・認知療法における問いの意義を問う
 ・カント歴史哲学へのアダム・スミスの影響を考える
 ・2013年7月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』ギリシアの世界を読む
 ・2013年8月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第三部 ローマの世界を読む
 ・アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年3号の感想
 ・初任者に説く学級経営の基本
 ・カウンセリング上達過程における事例検討の意義
 ・文法家列伝:古代ギリシャ編
 ・ヒューム『政治論集』抄訳
 ・2013年9月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第四部 ゲルマンの世界を読む
 ・言語過程説から言語学史を問う
 ・2013年10月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』「第4部 ゲルマンの世界」第2篇を読む
 ・戦後日本の学力論の流れを概観する
 ・一会員による『育児の生理学』の感想
 ・文法家列伝:古代ローマ・中世編
 ・2013年11月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第4部 ゲルマンの世界 第3篇を読む
 ・古代ギリシャ経済の歴史を概観する
 ・2013年12月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』のまとめ
 ・ヘルバルト教育学の全体像を概観する
 ・年頭言:歴史を切り拓く学問の創出を目指して
 ・歴史的な岐路に立つ世界と日本を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年4号の感想
 ・一会員による2013年の振り返りと2014年の展望
 ・ヘーゲル『歴史哲学』を読む
 ・2014年1月例会報告:学問(哲学)の歴史の全体像について
 ・一会員による『学城』第10号の感想
 ・世界歴史の流れを概観する
 ・現代の言語道具説批判――言語規範とは何か
 ・2014年2月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章
 ・ヘルバルト『一般教育学』を読む
 ・新大学生へ説く「大学で何をどのように学んでいくべきか」
 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』学習会を振り返る
 ・『育児の認識学』は三浦認識論をいかに発展させたか――一会員による『育児の認識学』の感想
 ・2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章
 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
 ・文法家列伝:『ポール・ロワイヤル文法』編
 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
 ・道徳教育の観点から見る古代ギリシャの教育と教育思想
 ・古代ギリシャの経済思想を問う
 ・半年間の育児を振り返る
 ・2014年6月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章
 ・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
 ・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
 ・アダム・スミス「天文学史」を読む
 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
 ・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
 ・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
 ・夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史