2016年08月29日

2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部(7/10)

(7)論点1:ロックの哲学とはどのようなものか

 前回は、今回扱った内容を再度まとめ直した後、例会で扱った3つの論点を紹介しました。

 今回からは、それぞれの論点に対してどのような討論がなされ、どのような(一応の)結論が出されたのかのプロセスを紹介していきます。

 まずはロックの哲学に関わる論点です。以下に再掲します。

【論点再掲】
ヘーゲルは、ロックの真理についての考え方をどのように批判しているのか。そもそもヘーゲルの考える真理とロックの考える真理とはどう異なっているのか。ここに関わって、複合観念(実体、類概念)について、どのような限界を指摘しているか。また、ヘーゲルは、精神は白紙である、というロックの主張についてどのように評価しているのか。ヘーゲルは経験ということをどのように捉えているのか。ロックの哲学を唯物論の立場から評価するとすればどのようになるか。


 この論点については、まずロックの真理についての考え方とヘーゲルの真理についての考え方を確認しました。ヘーゲルによれば、ロックは表象と事物の一致こそが真理だと捉えていたこと、それに対してヘーゲルは、全世界を絶対精神の自己運動として体系的に説いたものが真理であるということで、全員が共通した見解を出していました。

 これを踏まえて、ヘーゲルがロックの真理についての考え方をどのように批判しているのかを確認しました。ここに関わっては、報告レジュメの段階で少し議論したとおり、まず「表象と事物の一致」ということと、「思惟と存在の一致」ということはレベルが違うのだということを確認しておくことが必要だという指摘がなされました。ロックはある対象についての個別の認識を真理と捉えており、これが表象と事物の一致というレベルであるが、これだと個々の認識がバラバラなものとして存在することになってしまいます。そうではなくて、それらの認識を体系的に説いてこそ真理と呼べるのだという批判がなされているのだということでした。これについては全員が納得しました。

 次に、ヘーゲルは、ロックの複合観念についてどのような限界を指摘しているのかを確認しました。これについては、対象それ自体の把握がどのようにしてなされるのかが説けていないということで共通した見解が出されました。ロックによれば、ある対象の色や形などを反映させた単純観念を加工することにより、実体や類などの複合観念を創り上げるのですが、その複合観念そのものは決して経験的に捉えたものではありませんから、経験的に捉えたもののみが真理だとするロックの立場からすると、複合観念が真実の存在なのかどうかは何ともいえないことになってしまいます。こうした点を限界としてヘーゲルは指摘しているのだということを確認しました。

 続いて、「精神は白紙である」というロックの主張についてヘーゲルがどのように評価しているのかを確認しました。これについては、一人のメンバーがヘーゲルの評価がわかりにくいとする一方で、他のメンバーは生得観念の捉え方に対しての問題提起として肯定的に評価しているという見解を出しました。これに対して、ヘーゲルの評価がわかりにくいとしたメンバーは、どこから肯定的な評価が読みとれるのかと発言したので、「ロックの反論にも重要な指摘がふくまれていて、それは、生得観念が思考の本質にふくまれることを証明しないかぎり、その観念を本質的で明確な概念と見なすことはできない、という指摘です」(長谷川訳、p.286)と書かれていることを確認しました。そのメンバーは、ここに書かれていることの意味がよくわからないということでしたので、一人のメンバーが自分の見解を述べました。ここで言われている生得観念とは、要するに真理のことではないか、ということでした。確かに人間の精神には潜在的に真理が備わっているのだけれども、それはあくまでも概念の労苦の結果としてでなければ現われてくることはない、簡単に人間は真理(=生得観念)をもっている、などと言ってはいけないのだ、とヘーゲルは言いたいのではないか、要するに、当時は生得観念の捉え方が歪んでいたのであり、ロックの批判はそういう歪みを指摘するものとしては意味があるということなのではないか、ということでした。これについては、疑問を出したメンバーも含めて全員が納得しました。

 さらにヘーゲルは経験をどのように捉えているのかを確認しました。これに関して、一人のメンバーが以下のような見解を出しました。ヘーゲルもまた、精神は外部との関わりにおいて発展していく、つまり、絶対精神が自己を客体化(自然へと外化)し、その客体化された自己と相互浸透することによって自己が絶対精神であることを把握するのであり、主観的な絶対精神と客観的な絶対精神との相互浸透としての経験は真理=学問体系に至るための必須の契機として位置づけられる、ということでした。ロックも真理と経験とのつながりを指摘したものの、経験こそが真理の本質をなすとしたことについては「最も悪しき思想」として批判している、ということでした。他のメンバーからも見解が出されましたが、この見解がもっともすっきりとまとまっているのではないかということになりました。

 最後に、ロックの哲学を唯物論の立場から評価するとどうなるかを確認しました。この点については、まず唯物論の立場から評価すると言った場合、ロックの哲学がどのような社会のあり方を反映して成立したのかという側面と、それを現代的な立場から眺めてどのような意義があったのかという側面の2つの視点で考えていかなければならないということを確認しました。

 その上で、ロックの哲学がどのような必然性で生まれてきたのかを確認しました。これについては、「王権がイギリス全体を統括するというようなあり方ではなく、個々の勢力が議会を足場に対立をくり返すような状況が続いた。これが個別者、有限者の経験を重視するロックの哲学に反映した」「国王派と議会派の闘争は、経済的、政治的な要素のみならず宗教的な要素をも含んで複雑に展開し、従来の価値観が大きく動揺するなかで、あらゆる問題について、正しいのは一体何なのか、激しく論争された時代であった」「人間と自然との相互浸透の過程が如何にすればヨリ上手くいくかという問題が真剣に追求され、自然の把握が進んでいくという社会においては、経験が重視される基盤が必要であった」などの見解が出され、それぞれ妥当な見解だと言えるのではないかということになりました。

 また、ロックの哲学の意義については、全員が「認識は対象の反映である」という唯物論の立場からの認識論構築の基礎を築いたという点を指摘しました。一方で、機械的な反映論に過ぎず、問いかけ的反映ということや、対象の共通性の把握から論理という像が形成されるということなどが把握できていないという限界も指摘されました。

 この論点については以上で議論を終えました。
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2016年08月28日

2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部(6/10)

(6)改めての要約と論点の提示

 ここまで、ヘーゲル『哲学史』の「思惟する悟性の時期」とされる時代の残りの部分の要約を紹介しました。ここで改めて重要なポイント、とりわけロックとライプニッツの哲学およびこの時代に特徴についてふり返っておきたいと思います。

 まず、ロックの哲学とライプニッツの哲学は、スピノザやマルブランシュに反対して、特殊なもの、有限なもの、個別的なものを原理として掲げたということでした。その中でロックの哲学については、一面において、真理や認識は経験と観察にもとづくが、他面においては普遍的規定の分析と抽出が認識の歩みとして指定されると説明していました。

 ロックは、感覚的存在のうちに真理があるとしたベーコンの考えを受けて、感覚的な存在のうちに一般観念が宿ることを証明し、一般的な真理は経験から得られるとしたのだということです。その上で、ロックは生得観念を否定したのですが、これは生得観念の意味を明確にする上では重要な指摘が含まれているとヘーゲルは捉えていました。

 しかし、単純観念を加工することで実体などの複合観念を創り上げるというロックの哲学は、根底にそれ自体としてあるべき本質に何ら触れるところはなく、その真理観も我々の表象と事物との一致を意味するものにすぎないとし、ロックにおいては、本来の(即自且つ対自的な)内容それ自体に対する関心は全く姿を消し、それとともに哲学の目的も全く忘却されてしまっていると批判されていたのでした。

 続いて、ライプニッツの哲学については、まずその特徴が確認されていました。ライプニッツは、全世界を内に含んだ精神的存在としての単子が無数に存在することにより、この世界は構成されているのだと説いていたのでした。特に意識する単子は、裸の(物質的)単子とはその表象の判明なることによって区別されるのであり、そこを踏まえてライプニッツは、「人間は必然的で永遠の真理を認識する能力をもつ」と主張していたのでした。

 このようなライプニッツの哲学に対して、ヘーゲルは宇宙の叡智性についての観念論であると評価していました。また、ライプニッツは、スピノザがただ普遍的な唯一実体のみを立てたのに対して個体的実体の絶対的多を根底に置く一方で、ロックが感性的存在に真理が含まれるとしたのに対して思惟されたものを真理の本質として主張した点で、スピノザともロックとも対立したのであり、両者を結合した哲学だということでした。

 しかし、ライプニッツは、各単子は自立していて他に働きかけることはないが、同時に、それぞれの単子は調和的に存在するという問題に直面することになったのでした。そこで、単子の中の単子である神を設定したのですが、唯一の実体的な単子があり、さらに、互いに関係することなく、それぞれに自立した多数の単子があるという解決できない矛盾に陥ってしまったのだとヘーゲルは述べていたのでした。

 結局、この形而上学の時代では、思惟の対立(思惟と存在、神と世界、善と悪、等々)が意識にもたらされ、矛盾の解決に関心が向けられたものの、これらの対立がそれ自体の下で解決されたのではなく、真の具体的解決はもたらされなかったのだとヘーゲルは捉えていたのでした。

 以上、今回扱った内容を再度まとめ直しました。

 2016年8月例会の場では、おおよそ以上のような内容に関わっての報告を受けて、参加したメンバーから諸々の意見・論点が提起され、議論がたたかわされました。これから、その内容を大きく3つの論点に沿って整理した上で、紹介していくことにします。今回はその3つの論点を紹介し、次回以降、討論の具体的な内容を紹介していくことにします。

論点1 ロックの哲学とはどのようなものか
ヘーゲルは、ロックの真理についての考え方をどのように批判しているのか。そもそもヘーゲルの考える真理とロックの考える真理とはどう異なっているのか。ここに関わって、複合観念(実体、類概念)について、どのような限界を指摘しているか。また、ヘーゲルは、精神は白紙である、というロックの主張についてどのように評価しているのか。ヘーゲルは経験ということをどのように捉えているのか。ロックの哲学を唯物論の立場から評価するとすればどのようになるか。

論点2 ライプニッツの哲学とはどのようなものか
ヘーゲルは、ライプニッツの哲学を、宇宙の叡智性についての観念論と評しているが、これはどういうことか。ライプニッツの哲学は、ロックおよびスピノザとそれぞれ対立しつつ両者を結合するものだとされているが、これはどういうことか。ヘーゲルは、結局のところ、ライプニッツのモナド論および弁神論について、どのような評価を与えているのか。ライプニッツの哲学を唯物論の立場から評価するとすればどのようになるか。

論点3 形而上学の時代とはどのようなものであったのか
ヘーゲルのいわゆる形而上学の時代(デカルト、ロック、ライプニッツ)とはどのようなものであったのか。形而上学の時代全体を通じて、何が成し遂げられ、何が課題として残ったとされているのか。ヘーゲルの哲学史全体において、形而上学の時代はどのようなものとして位置づけられているか。唯物論の立場からすれば、ヘーゲルのいわゆる形而上学の時代なるものをどのように評価することができるか。

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2016年08月27日

2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部(5/10)

(5)ヘーゲル『哲学史』ライプニッツ他 要約

 前回はライプニッツの哲学の概説部分の要約を紹介しました。単子を実体とするライプニッツの哲学は宇宙の叡智性についての観念論であるとヘーゲルは評し、スピノザ、ロックと対立しつつ、両者を結合したものだとしていたのでした。

 今回はライプニッツの哲学の続き(弁神論)と、ヴォルフの哲学、ドイツの通俗哲学について、さらに悟性形而上学の総括の部分の要約です。

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1、ライプニッツ(承前)

 c、〔弁神論〕
 単子とは別のものである普遍的な絶対存在は、いまや2つの側面に分かれる。一方には、普遍的存在があり、他方には、対立物の統一としての存在がある。

 α、普遍的存在とは世界の原因としての神である。充足自由律は結局、神を意識するところまで進む。永遠の真理とは即自且対自的な普遍的絶対者の意識であり、この即自且対自的な絶対者が神である。神は一なるものとして自己と一体化し、単子のなかの単子であり、絶対的な一である。

 β、第二の側面は、対立物の絶対的関係である。この関係はまず、思想の有する絶対的な対立物たる善と悪との関係として現われる。「神は世界の創造者である」というところから、直ちに悪との関係が生じる。哲学はこの関係をめぐって努力しつつ、決してその統一には到達しなかったのである。固定された対立が超えられることがなかったから、この世の悪は合理的には把握されなかった。ライプニッツの弁神論の結果は、神が無限に可能な世界のなかから最上のものを選んだ、という楽天主義である。これは、不適切で卑俗な表現だし、内容も思い浮かべたり想像したりした可能性についてのおしゃべりでしかない。

 γ、さらに、充足理由律は単子の捉え方にも影響を及ぼす。事物の原理は単子で、各単子は自立していて他に働きかけることはないが、同時に、世界のなかには調和が存在する。単子のなかの単子である神が、絶対的な実体だとすれば、個々の単子は実体ではないことになる。これは解決不可能な矛盾である。唯一の実体的な単子があり、さらに、互いに関係することなく、それぞれに自立した多数の単子があるというのは、解決できない矛盾である。しかし同時に世界に存在する調和を示すために、ライプニッツは単子と単子との関係をもっと一般的な対立として、魂と肉体という対立物の統一として捉える。この統一を彼は予定調和として表わす。2つの時計が同時刻に合わせられ、同じ速さで進むようなものである。宇宙の両側面が相互に全く無関心であり、差異にもとづく概念の関係が欠けているのはスピノザと同様である。ここでもライプニッツは、個体の原理を見失っている。個体は一という意味しかもたず、他に関わることがない。一の概念が捉えられていないのである。

 さて、各単子は自己内に閉ざされたものとして、身体とその運動に影響を及ぼさないが、しかも両者(心と身体)の構成原理(原子)の無限集合は相互に相応するので、ライプニッツはこの調和を神のうちにおく。単子間の関連原理は単子には帰せられず、神のうちにあり、神はまさにそれによって単子中の単子、その絶対的統一となる。各単子は一般に表象するものであり、そういうものとして宇宙の表象であり、それ自体において全世界の総体である。単子内の発展は同時に他の全ての発展と調和しており、一切は唯一の調和である。一粒の砂からも全宇宙の発展を理解し得る、とライプニッツはいうが、本質としての宇宙は宇宙ではないのだから、空虚な長広舌といわねばならない。

 単子の自己自身内における表象は、単子の宇宙を構成するものであるが、それ自身精神的なものとして単子のなかにあって、その固有の活動と欲求の法則にしたがっておのずから発展する。それは外界の運動が物体の法則にしたがって発展するようなものである。自由とは、各単子のうちに展開するものが単子の内在的展開だという自発性にあり、自発性の意識が自由である。各単子が閉じられたものであり、それぞれが内部で活動を展開するとすれば、この展開は互いに調和するものでなければならない。有機的な全体をなす1人の人間は、自ら目的を決定し、他の単子に働きかける原因に見えるが、それは見かけ上のことにすぎない。他のものも、単子がそれを決定し、それを左右する限りで現実的な存在であり、受動的に振舞いつつ、全ての要素を自分のなかに含んでいるから、他の単子を必要としない。必要なのは、単子の内部の法則だけである。

 ライプニッツの偉大な点は表象作用のこうした叡智性であるが、彼はこれを徹底することができなかったために、叡智性が無限の個を生み出すことになってしまった。この叡智性は一(個)を克服する術を知らなかったから、絶対的な独立のままで終わる。

 ここから、神のうちに分離したものの統一をみようという要求が生れてくる。理解し得ないものを神に負わせるというのが神のもつ特権である。神という言葉は、名ばかりの統一をもたらすための一時的手段となる。この統一から多くの単子が出てくる筋道は示されない。それゆえ神は近代哲学においては古代哲学におけるよりはるかに大きな役割を演じている。なぜならば、思惟と存在という絶対的対立の理解が主たる要求だからである。ライプニッツにおいては、概念的把握のやむところで宇宙が終わり、神が始まる。あれこれの要素の統一は概念的に把握されず、統一は神に委ねられる。神はいわば全ての矛盾が流れ込む排水溝のようなもので、通俗的な見解の集大成がライプニッツの弁神論なのである。

2、ヴォルフ

 ライプニッツを直接に引き継ぐのがヴォルフの哲学である。ヴォルフ哲学はライプニッツ哲学(単子論と弁神論の主要概念)の体系化を目指したものであった。

 ヴォルフは著作の多くをドイツ語で出版したが、これは重要なことである(ライプニッツにはラテン語、フランス語の著作しかない)。学問がある民族の財産となるには、その民族の言葉で書かれねばならないのであって、他の学問にまして哲学ではこのことが大事である。

 彼は哲学をしかるべき部に組織的に分類した。

 T、理論哲学。1、論理学。2、形而上学(存在論、宇宙論、合理的心理学、自然
神学)。

 U、実践哲学。1、自然法。2、道徳。3、国際法ないし政治学。4、経済学。

 全体が、公理、定理、註、系など、厳密に幾何学的な形式をもって展開されている。しかし、厳密な方法というのは窮屈なものである。哲学的思索は遠ざけられ、定義が正しいかどうかは、我々の常識を単純化したものであるか否かを手がかりにするしかない。幾何学的方法のこうした利用が下らないことは本能的に直接意識され、やがて廃れていくのである。

3、ドイツの通俗哲学

 ヴォルフの哲学は、その硬直した形式さえ払い落とせば、後の通俗哲学の内容そのままである。通俗哲学は日常意識に受け入れられることだけを口にし、日常意識を究極の尺度とする。ヴォルフの哲学は、カントが出てくるまで支配的であった。バウムガルテン、クルジウス、メンデルゾーンがヴォルフの哲学の完成者で、メンデルスゾーンの哲学には通俗的で品のよい形式がみられる。

 これまで見てきた哲学には、普遍的悟性的規定から出発する形而上学でありながら、それに経験や観察という一版に経験的なものが結び付く、という形態上の特徴があった。こうした形而上学には、思惟の対立(思惟と存在、神と世界、善と悪、等々)が意識にもたらされ、矛盾の解決に関心が向けられるという一面がある。こうした対立の解決は今後の課題であるが、これまでの哲学では神が解決するものとされた。これらの対立がそれ自体の下で解決されたのではなく、真の具体的解決がもたらされたわけではないのである。

 こうした形而上学と鮮やかな対照をなすのが、古代のプラトンやアリストテレスの哲学である。三位一体の精神としての神のうちにこそ、神自身と子なる神(他者)との対立が含まれ、また対立を解決する論理も含まれる。しかし、理性としての神という具体的な理念は、いまだ哲学に取り入れられず、矛盾の解決は彼岸にしかないとされているのである。
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2016年08月26日

2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部(4/10)

(4)ヘーゲル『哲学史』ライプニッツ 要約

 前回は、ロックの哲学の続きと、ロック以外に第二部で扱われている哲学者(フーゴ−・グロティウス、トマス・ホッブズ、カドワース、クラーク、ウォラストン、プーフェンドルフ、ニュートン)の部分についての要約を紹介しました。その中でロックの哲学については「真理とは我々の表象と事物との一致を意味するにすぎない」と批判されていたのでした。

 今回から第三部に入ります。まずはライプニッツの哲学の概説部分の要約です。

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C 第三部

 第三はライプニッツとヴォルフ哲学であるが、ヴォルフの哲学がその生硬な形式を振り落とすと、その内容は後の通俗哲学となるのである。

1、ライプニッツ

 ライプニッツは哲学以外の点でニュートンと対立するように、哲学の点ではロックとその経験に対立し、同時にスピノザに対してもうひとつの対立を形づくる。彼は、イギリス流の知覚に対して思惟を主張し、感性的存在に対しては思惟されたものを――かつてベーメが自己内存在を主張したのと同様――真理の本質として主張したのである。スピノザの立てたものがただ普遍的な唯一実体のみにとどまり、ロックにおいては諸々の有限的規定が根底とされたのに対して、ライプニッツは、その個体性の根本原理によって本質的にスピノザの立場の反面を立てた。すなわち、彼は対自的存在である単子を立てたのである。ライプニッツは、その個体化の原理をもってスピノザを外的に積分することで、相互に補って完成態となるのである。

〔ライプニッツの生涯〕
 ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツは、1646年、ライプツィヒに生まれた。父はその地の哲学教授であった。彼は最初ライプツィヒでありとあらゆる多彩な知識を学び、次いでイエナで哲学と数学を学び、ライプツィヒで哲学修士の資格を得た。しかし、法学部によって博士号を拒絶されたため、ライプツィヒを去って、アドルフで学位を得た。1672年、マインツ選帝侯宰相の息子の教師として招聘され、この青年とともにパリで4年間暮らした際、大数学者ホイヘンスと知り合って本格的に数学の領域へ導かれた。その後、1人でロンドンに赴き、ニュートンその他の学者たちと知己になった。1677年、ハノーヴァーに落ち着き、種々の国事に関係し、特に歴史上の諸問題に没頭した。そのようななかで、微分法を発明し、どちらが本来の発明者かをめぐって、ニュートンと論争を引き起こした。1716年、ハノーヴァーに70歳で没した。

〔ライプニッツの哲学の基本的な特徴〕
 ライプニッツは、単に哲学のみならず多種多様の諸科学において労作をなし、特に数学においては彼こそ微積分法の創始者にほかならない。ここでは、彼の数学、物理学上の大きな功績は考慮せず、ただ彼の哲学のみを考察するにとどめる。彼には、体系的な哲学の著作はなく、種々の見地で編まれた諸々の中小論文や手紙、反対論への回答などに分散されている。

 ライプニッツがその哲学において全体としてとる方針は、物理学者が存在する与件を説明するために仮説をつくる際の方針と同じである。ライプニッツ哲学は、哲学体系としてよりも、世界の本質についての仮説として、すなわち、妥当するものとして設定された形而上学的な規定や表象の与件ならびに諸前提にしたがって、如何に世界の本質が規定されるべきかの仮説として、現われるのである。

 a、〔宇宙の叡智性についての観念論〕
 ライプニッツ哲学は、宇宙の叡智性についての観念論である。一面ロックと対立し、他面スピノザとも対立するが、しかも両者を結合するものである。というのは、多数の単子のうちに区別されたものと個体性との絶対的存在を表明しつつ、表象的な観念論として、スピノザ的な観念性と一切の区別の相対的存在とを表明するからである。ライプニッツは、スピノザの単一の普遍的実体の主張に鋭く対立して、個体的実体の絶対的多を根底に置き、ピュタゴラス派の表現にならって、これを単子と呼んだのである。

 第一に、単一な実体たる単子が一切のものの真実体とされる。複合体は単一体なしには存在しないのだから、単一なものが原理である、というライプニッツの証明は拙劣である。しかし、それはエピクロスの空虚な原子のように自己自身のうちにおける抽象的単一体ではない。アリストテレスのエンテレケイア(完成態)であり自己自身のうちにおける形相である。

 第二に、単子は他の単子との間に何らの因果的結合をもたない。それぞれが究極のもの、絶対的に自立的なものである。

 第三に、単子は、他から区別されるべき性質、自己自身における規定、内的活動をもたねばならない。各自がそれ自身においてひとつの規定されたものであり、自己を他から自己自身において区別するものなのである。

 第四に、単子は、それ自体において普遍的である。なぜなら、普遍性とは多様の運動たる単一性だからである。これは極めて重大な規定である。単一なものは、その変化にもかかわらず、単一性のうちにとどまる――あたかも自我や私の精神のようなものだというのである。区別されるものが同時に止揚され、一として規定されるという観念性である。単子は表象的である。表象における変化が欲求であり、それが単子の自発性であり、一切はただこの自発性自身に帰着し、影響の範疇は消えてしまう。事物のこの叡智性はライプニッツの偉大な思想である。

 第五に、これらの表象は必ずしも意識された表象ではない。同様に、単子は表象するものであるが、全てが意識的であるわけではない。

 第六に、これら単子はいまや一切の存在するものの原理となる。物質はその受動的能力にほかならない。受動的能力は表象の混濁性を、差別や欲求や活動にまで到達しない麻痺状態を形づくる。これが物質である。

 第七に、物体は物体としての単子の集合体である。それは堆積物であって実体とは呼べない。

 b、〔無機的単子、有機的単子、意識的単子〕
 ライプニッツは、無機的、有機的および意識的単子を主要要素としてさらに詳細に次にように規定し区別する。

 α、何ら内的統一をもたず、その要素が単に空間によりまたは外的に結合されているような物体は無機体である。彼らエンテレケイアすなわち他の単子を支配する単子をもたない。

 β、存在のより高い段階は、生命あり心のある物体であり、そのうちにおいては一単子が他の単子を支配している。その一単子がエンテレケイアすなわち心であるような物体は、生命体、動物と呼ばれる。

 γ、意識する単子は、裸の(物質的)単子とはその表象の判明なることによって区別される。ライプニッツは、「人間は必然的で永遠の真理を認識する能力をもつ」という。普遍的なものを表象し、自己意識の本性と本質は概念の一般性にある、というわけである。永遠の真理の2つの原則として、矛盾律(A=A)と充足理由律が挙げられる。後者は、最終原因ないし究極目的をいおうとしたものである。
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2016年08月25日

2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部(3/10)

(3)ヘーゲル『哲学史』ロック他 要約

 前回は、ロックの哲学の一般的な特徴についてヘーゲルが説いている部分の要約を紹介しました。ロックは個人の認識の発展に焦点を当て、経験によって真理を獲得するとして生得観念を否定していることなどが紹介されていました。しかし、こうしたロックの主張は、対象の根底にそれ自体としてあるべき本質に何ら触れるものではないと指摘されていたのでした。

 今回はロックの哲学の続きと、第二部のその他の哲学者について扱った部分の要約です。

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1、ロック(承前)

 c、〔類概念〕 普遍的なるものである類概念は、ロックによれば、我々の精神の産物であって、客観的なものでなく、類似の客観から状況や時間や場所などの特殊性を捨象したときにあらわれるものである。それゆえロックは、本質を実在的本質と名目的本質とに分ける。前者は事物の真の本質を現わすが、類は単なる名目的本質で、対象にあるものを現わしはするが、対象の全体をいい尽くすものではない。ロックは、類概念が自然にそれ自体として存在し、即自且つ対自的に規定されたものであるならば、奇形など存在しないはずだ、という。しかし、ロックは、類概念に他の性質も与えられていくことを見逃している。ロックは、他に対する関係〔経験〕を強調するあまり、認識の本性を捉える上でプラトンにも遅れを取っているのである。

〔ロック哲学についてのまとめ〕
 以上がロックの哲学であるが、そこには何らの思弁の仄めきも含まれていない。真理を認識しようとする哲学の関心はここでは経験的な仕方で到達されることになっており、思惟の規定が如何に与えられるかに全ての関心が向けられ、これらの思想や諸関係が即自且つ対自的にも真理を有するか否かの見地は全く含まれていない。ロックの論究は全く皮相なもので、ただあるもの、現象にとどまって、真なるものをよりどころにしていないのである。

 しかし、問題は、この普遍的規定はそのままでそれだけでも真であるのか、ということである。内容が悟性から生ずるか経験から生ずるかは無益な問いである。ロックにあっては、真理とは我々の表象と事物との一致を意味するにすぎない。しかしながら、我々のうちにあるこれは真であるかと問うのは、別問題である。ロックにおいて唯一の重大問題となっている「どこから」ということで問題は尽きるものではない。ロックにおいては、本来の(即自且つ対自的な)内容それ自体に対する関心は全く姿を消し、それとともに哲学の目的も全く忘却されてしまうのである。

 ロック哲学は極めて理解しやすい、それゆえに大衆的な哲学であり、イギリスの哲学的思索はすべて今日においてもなおこれと同一範疇に属する。観察、経験から演繹することがその時代以来イギリス人にあっては哲学的思索と称せられ、これはひたすら物理的対象や政治的法的対象をよりどころとしたのである。

2、フーゴー・グロティウス

 フーゴー・グロティウスは、ロックと同時代に国際法を考察の対象とした。彼は諸国民相互の関係について全く経験的に総括した。グロティウスは主著『戦争と平和の法』で、戦争と平和の様々な状況のなかで諸国民相互がどういう関係を持つのか、歴史と旧約聖書をもとに考察した。その論法と資料収集法は、全く経験的なものであった。こうした経験的な探究は、普遍的原理や悟性的、理性的な原理を人々に意識させ承認させ、多かれ少なかれ採用させる、という影響をもたらした。こうして例えば王権の正当化についての原理が樹立されたのである。我々は、こうした証明や演繹には不満足だが、それによって何がなされたかを見誤ってはならない。対象のうちに最終的な根拠をもつ一般原則の確立こそが目指されていたのである。

3、トマス・ホッブズ

 クロムウェルと時代をともにしたホッブズは、イギリス革命のうちに、国家および法の原理について深く考える機会を見出した。国家・社会はホッブズにとって最高のもので、法律や既成宗教やその外的活動を端的に規定するものである。彼はそれらのものを国家に従属させたので、彼の教説は忌まれた。しかし、そのなかには思弁的なもの、哲学的なものは何もない。
 ホッブズは、受身の服従、王権の絶対的恣意を主張しはした。しかし同時に、君主権等々の原則を普遍的規定から演繹することをも試みた。彼の見解は浅薄で経験的であるが、これに対する理由や命題はそれらが自然の要求からとられているために独創的である。
 ホッブズは「全ての市民社会の起源は万人相互の恐怖から由来する」と主張し、自然(生まれながら)の状態は万人が互いに支配しようとする衝動をもつといった種類のものである事実から出発して、平和を保つ理性の法へと移っていく。この法的状態は、自然的特殊的な個人意志を普遍意志に従えることである。普遍意志が1人の君主の意志のうちに置かれることにより、絶対的支配、完全な専制の状態が生まれてくる。

4、カドワース、クラーク、ウォラストン

 カドワースは、生気のない悟性形而上学のやり方において、プラトンをイギリスで再興しようとした。クラーク(神の存在証明で知られる)、ウォラストン等々もごく普通の悟性形而上学の形式のうちを動いており、ここから様々な道徳哲学が出てくることになる。

5、プーフェンドルフ

 国家の法的状態を制度として確立し、裁判機構に基礎を与えようとする闘いのなかで、思想的な反省が生まれ、本質的な力を発揮してくる。グロティウスの場合と同様、プーフェンドルフにおいても、人間の作業衝動や本能、特に群居本能が原理とされる。国家の土台をなすのは人間の群居本能であり、国家の最高目的は内的良心の義務を外的強制の義務へと転ずることによって、社会生活の平和を維持し、安全を保障することにほかならない、というのが彼の中心思想である。

6、ニュートン

 もう一方で、思想は自然にも向けられる。この方面では、アイザック・ニュートンの数学上の発見と物理学上の理論が有名である。ロックの哲学ないしイギリス流の哲学手法一般を普及させ、それをあらゆる自然科学に適用するという点では、文句なしにニュートンが最大の貢献者である。ニュートンの主たる業績は、力という反省概念を物理学に持ち込んだ点にある。彼は学問を反省の立場に立たせ、現象の法則の代わりに力の法則を打ち立てた。その際、彼は概念について全く粗野な意識しか持たなかった。ニュートンは、物理的現象を扱っているつもりでいて、その実、概念を手にし、概念を相手に格闘していることに気づかなかったのである。彼のやり方は、ヤコブ・ベーメと正反対で、ベーメが感覚的事物を概念のように扱い、心情の強さによって感覚的現実を完全に支配制圧したとすれば、ニュートンは、概念を感覚的事物のように扱い、石や木をつかまえるように概念をつかまえたのである。
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2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部(3/10)

(3)ヘーゲル『哲学史』ロック他 要約

 前回は、ロックの哲学の一般的な特徴についてヘーゲルが説いている部分の要約を紹介しました。ロックは個人の認識の発展に焦点を当て、経験によって真理を獲得するとして生得観念を否定していることなどが紹介されていました。しかし、こうしたロックの主張は、対象の根底にそれ自体としてあるべき本質に何ら触れるものではないと指摘されていたのでした。

 今回はロックの哲学の続きと、第二部のその他の哲学者について扱った部分の要約です。

・・・・・・・・・・・・・・・・

1、ロック(承前)

 c、〔類概念〕 普遍的なるものである類概念は、ロックによれば、我々の精神の産物であって、客観的なものでなく、類似の客観から状況や時間や場所などの特殊性を捨象したときにあらわれるものである。それゆえロックは、本質を実在的本質と名目的本質とに分ける。前者は事物の真の本質を現わすが、類は単なる名目的本質で、対象にあるものを現わしはするが、対象の全体をいい尽くすものではない。ロックは、類概念が自然にそれ自体として存在し、即自且つ対自的に規定されたものであるならば、奇形など存在しないはずだ、という。しかし、ロックは、類概念に他の性質も与えられていくことを見逃している。ロックは、他に対する関係〔経験〕を強調するあまり、認識の本性を捉える上でプラトンにも遅れを取っているのである。

〔ロック哲学についてのまとめ〕
 以上がロックの哲学であるが、そこには何らの思弁の仄めきも含まれていない。真理を認識しようとする哲学の関心はここでは経験的な仕方で到達されることになっており、思惟の規定が如何に与えられるかに全ての関心が向けられ、これらの思想や諸関係が即自且つ対自的にも真理を有するか否かの見地は全く含まれていない。ロックの論究は全く皮相なもので、ただあるもの、現象にとどまって、真なるものをよりどころにしていないのである。

 しかし、問題は、この普遍的規定はそのままでそれだけでも真であるのか、ということである。内容が悟性から生ずるか経験から生ずるかは無益な問いである。ロックにあっては、真理とは我々の表象と事物との一致を意味するにすぎない。しかしながら、我々のうちにあるこれは真であるかと問うのは、別問題である。ロックにおいて唯一の重大問題となっている「どこから」ということで問題は尽きるものではない。ロックにおいては、本来の(即自且つ対自的な)内容それ自体に対する関心は全く姿を消し、それとともに哲学の目的も全く忘却されてしまうのである。

 ロック哲学は極めて理解しやすい、それゆえに大衆的な哲学であり、イギリスの哲学的思索はすべて今日においてもなおこれと同一範疇に属する。観察、経験から演繹することがその時代以来イギリス人にあっては哲学的思索と称せられ、これはひたすら物理的対象や政治的法的対象をよりどころとしたのである。

2、フーゴー・グロティウス

 フーゴー・グロティウスは、ロックと同時代に国際法を考察の対象とした。彼は諸国民相互の関係について全く経験的に総括した。グロティウスは主著『戦争と平和の法』で、戦争と平和の様々な状況のなかで諸国民相互がどういう関係を持つのか、歴史と旧約聖書をもとに考察した。その論法と資料収集法は、全く経験的なものであった。こうした経験的な探究は、普遍的原理や悟性的、理性的な原理を人々に意識させ承認させ、多かれ少なかれ採用させる、という影響をもたらした。こうして例えば王権の正当化についての原理が樹立されたのである。我々は、こうした証明や演繹には不満足だが、それによって何がなされたかを見誤ってはならない。対象のうちに最終的な根拠をもつ一般原則の確立こそが目指されていたのである。

3、トマス・ホッブズ

 クロムウェルと時代をともにしたホッブズは、イギリス革命のうちに、国家および法の原理について深く考える機会を見出した。国家・社会はホッブズにとって最高のもので、法律や既成宗教やその外的活動を端的に規定するものである。彼はそれらのものを国家に従属させたので、彼の教説は忌まれた。しかし、そのなかには思弁的なもの、哲学的なものは何もない。
 ホッブズは、受身の服従、王権の絶対的恣意を主張しはした。しかし同時に、君主権等々の原則を普遍的規定から演繹することをも試みた。彼の見解は浅薄で経験的であるが、これに対する理由や命題はそれらが自然の要求からとられているために独創的である。
 ホッブズは「全ての市民社会の起源は万人相互の恐怖から由来する」と主張し、自然(生まれながら)の状態は万人が互いに支配しようとする衝動をもつといった種類のものである事実から出発して、平和を保つ理性の法へと移っていく。この法的状態は、自然的特殊的な個人意志を普遍意志に従えることである。普遍意志が1人の君主の意志のうちに置かれることにより、絶対的支配、完全な専制の状態が生まれてくる。

4、カドワース、クラーク、ウォラストン

 カドワースは、生気のない悟性形而上学のやり方において、プラトンをイギリスで再興しようとした。クラーク(神の存在証明で知られる)、ウォラストン等々もごく普通の悟性形而上学の形式のうちを動いており、ここから様々な道徳哲学が出てくることになる。

5、プーフェンドルフ

 国家の法的状態を制度として確立し、裁判機構に基礎を与えようとする闘いのなかで、思想的な反省が生まれ、本質的な力を発揮してくる。グロティウスの場合と同様、プーフェンドルフにおいても、人間の作業衝動や本能、特に群居本能が原理とされる。国家の土台をなすのは人間の群居本能であり、国家の最高目的は内的良心の義務を外的強制の義務へと転ずることによって、社会生活の平和を維持し、安全を保障することにほかならない、というのが彼の中心思想である。

6、ニュートン

 もう一方で、思想は自然にも向けられる。この方面では、アイザック・ニュートンの数学上の発見と物理学上の理論が有名である。ロックの哲学ないしイギリス流の哲学手法一般を普及させ、それをあらゆる自然科学に適用するという点では、文句なしにニュートンが最大の貢献者である。ニュートンの主たる業績は、力という反省概念を物理学に持ち込んだ点にある。彼は学問を反省の立場に立たせ、現象の法則の代わりに力の法則を打ち立てた。その際、彼は概念について全く粗野な意識しか持たなかった。ニュートンは、物理的現象を扱っているつもりでいて、その実、概念を手にし、概念を相手に格闘していることに気づかなかったのである。彼のやり方は、ヤコブ・ベーメと正反対で、ベーメが感覚的事物を概念のように扱い、心情の強さによって感覚的現実を完全に支配制圧したとすれば、ニュートンは、概念を感覚的事物のように扱い、石や木をつかまえるように概念をつかまえたのである。

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2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部(3/10)

(3)ヘーゲル『哲学史』ロック他 要約

 前回は、ロックの哲学の一般的な特徴についてヘーゲルが説いている部分の要約を紹介しました。ロックは個人の認識の発展に焦点を当て、経験によって真理を獲得するとして生得観念を否定していることなどが紹介されていました。しかし、こうしたロックの主張は、対象の根底にそれ自体としてあるべき本質に何ら触れるものではないと指摘されていたのでした。

 今回はロックの哲学の続きと、第二部のその他の哲学者について扱った部分の要約です。

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1、ロック(承前)

 c、〔類概念〕 普遍的なるものである類概念は、ロックによれば、我々の精神の産物であって、客観的なものでなく、類似の客観から状況や時間や場所などの特殊性を捨象したときにあらわれるものである。それゆえロックは、本質を実在的本質と名目的本質とに分ける。前者は事物の真の本質を現わすが、類は単なる名目的本質で、対象にあるものを現わしはするが、対象の全体をいい尽くすものではない。ロックは、類概念が自然にそれ自体として存在し、即自且つ対自的に規定されたものであるならば、奇形など存在しないはずだ、という。しかし、ロックは、類概念に他の性質も与えられていくことを見逃している。ロックは、他に対する関係〔経験〕を強調するあまり、認識の本性を捉える上でプラトンにも遅れを取っているのである。

〔ロック哲学についてのまとめ〕
 以上がロックの哲学であるが、そこには何らの思弁の仄めきも含まれていない。真理を認識しようとする哲学の関心はここでは経験的な仕方で到達されることになっており、思惟の規定が如何に与えられるかに全ての関心が向けられ、これらの思想や諸関係が即自且つ対自的にも真理を有するか否かの見地は全く含まれていない。ロックの論究は全く皮相なもので、ただあるもの、現象にとどまって、真なるものをよりどころにしていないのである。

 しかし、問題は、この普遍的規定はそのままでそれだけでも真であるのか、ということである。内容が悟性から生ずるか経験から生ずるかは無益な問いである。ロックにあっては、真理とは我々の表象と事物との一致を意味するにすぎない。しかしながら、我々のうちにあるこれは真であるかと問うのは、別問題である。ロックにおいて唯一の重大問題となっている「どこから」ということで問題は尽きるものではない。ロックにおいては、本来の(即自且つ対自的な)内容それ自体に対する関心は全く姿を消し、それとともに哲学の目的も全く忘却されてしまうのである。

 ロック哲学は極めて理解しやすい、それゆえに大衆的な哲学であり、イギリスの哲学的思索はすべて今日においてもなおこれと同一範疇に属する。観察、経験から演繹することがその時代以来イギリス人にあっては哲学的思索と称せられ、これはひたすら物理的対象や政治的法的対象をよりどころとしたのである。

2、フーゴー・グロティウス

 フーゴー・グロティウスは、ロックと同時代に国際法を考察の対象とした。彼は諸国民相互の関係について全く経験的に総括した。グロティウスは主著『戦争と平和の法』で、戦争と平和の様々な状況のなかで諸国民相互がどういう関係を持つのか、歴史と旧約聖書をもとに考察した。その論法と資料収集法は、全く経験的なものであった。こうした経験的な探究は、普遍的原理や悟性的、理性的な原理を人々に意識させ承認させ、多かれ少なかれ採用させる、という影響をもたらした。こうして例えば王権の正当化についての原理が樹立されたのである。我々は、こうした証明や演繹には不満足だが、それによって何がなされたかを見誤ってはならない。対象のうちに最終的な根拠をもつ一般原則の確立こそが目指されていたのである。

3、トマス・ホッブズ

 クロムウェルと時代をともにしたホッブズは、イギリス革命のうちに、国家および法の原理について深く考える機会を見出した。国家・社会はホッブズにとって最高のもので、法律や既成宗教やその外的活動を端的に規定するものである。彼はそれらのものを国家に従属させたので、彼の教説は忌まれた。しかし、そのなかには思弁的なもの、哲学的なものは何もない。
 ホッブズは、受身の服従、王権の絶対的恣意を主張しはした。しかし同時に、君主権等々の原則を普遍的規定から演繹することをも試みた。彼の見解は浅薄で経験的であるが、これに対する理由や命題はそれらが自然の要求からとられているために独創的である。
 ホッブズは「全ての市民社会の起源は万人相互の恐怖から由来する」と主張し、自然(生まれながら)の状態は万人が互いに支配しようとする衝動をもつといった種類のものである事実から出発して、平和を保つ理性の法へと移っていく。この法的状態は、自然的特殊的な個人意志を普遍意志に従えることである。普遍意志が1人の君主の意志のうちに置かれることにより、絶対的支配、完全な専制の状態が生まれてくる。

4、カドワース、クラーク、ウォラストン

 カドワースは、生気のない悟性形而上学のやり方において、プラトンをイギリスで再興しようとした。クラーク(神の存在証明で知られる)、ウォラストン等々もごく普通の悟性形而上学の形式のうちを動いており、ここから様々な道徳哲学が出てくることになる。

5、プーフェンドルフ

 国家の法的状態を制度として確立し、裁判機構に基礎を与えようとする闘いのなかで、思想的な反省が生まれ、本質的な力を発揮してくる。グロティウスの場合と同様、プーフェンドルフにおいても、人間の作業衝動や本能、特に群居本能が原理とされる。国家の土台をなすのは人間の群居本能であり、国家の最高目的は内的良心の義務を外的強制の義務へと転ずることによって、社会生活の平和を維持し、安全を保障することにほかならない、というのが彼の中心思想である。

6、ニュートン

 もう一方で、思想は自然にも向けられる。この方面では、アイザック・ニュートンの数学上の発見と物理学上の理論が有名である。ロックの哲学ないしイギリス流の哲学手法一般を普及させ、それをあらゆる自然科学に適用するという点では、文句なしにニュートンが最大の貢献者である。ニュートンの主たる業績は、力という反省概念を物理学に持ち込んだ点にある。彼は学問を反省の立場に立たせ、現象の法則の代わりに力の法則を打ち立てた。その際、彼は概念について全く粗野な意識しか持たなかった。ニュートンは、物理的現象を扱っているつもりでいて、その実、概念を手にし、概念を相手に格闘していることに気づかなかったのである。彼のやり方は、ヤコブ・ベーメと正反対で、ベーメが感覚的事物を概念のように扱い、心情の強さによって感覚的現実を完全に支配制圧したとすれば、ニュートンは、概念を感覚的事物のように扱い、石や木をつかまえるように概念をつかまえたのである。

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2016年08月24日

2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部(2/10)

(2)ヘーゲル『哲学史』ロック 要約

 前回は、例会の冒頭で提示されたレジュメを紹介し、そのレジュメにかかわった出されたコメントを紹介しました。

 さて今回から4回にわたって、2016年8月例会の範囲の要約を掲載していきます。今回は、ロックの哲学の一般的な特徴について触れられている部分の要約です。

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B 第二部

1、ロック

 この時期のものの捉え方の全体を体系的に提示したのがロックである。彼は、感覚的存在のうちに真理があるとしたベーコンの考えを受けて、感覚的な存在のうちに一般観念が宿ることを証明し、一般的な真理は経験から得られるとした。

 観念が内面に直接に与えられるという前提を拒否し、観念を定義や公理の形で記述する方法を拒否し、さらには絶対的な実体をも拒否したところで、観念を結果として記述しようという要求が現われ、個人や自己意識に正当な価値が認められるようになる。こうした要求は、不十分ながらも、ロックの哲学にもライプニッツの哲学にも認められる。両者は、スピノザやマルブランシュに反対して、特殊なもの、有限なもの、個別的なものを原理として掲げた。いまや、差別を固守することが意識の普遍的傾向になる。それは、自然や神に対して自己を内的に自由なものと規定し、この対立〔存在と意識の対立〕のなかに統一を意識し、そこから統一を生み出すためであろう。ロックにおいては、哲学におけるこの原理が、スピノザ的実体の硬直した無差別の同一性に対立して登場するので、感性的なもの、制限されたもの、直接的な存在が第一義となり根本となる。ロックは我々の外にある対象が実在するもので真実体だという意識の日常的段階に全くとどまっている。有限なものが絶対的否定性として、すなわちその無限性において把握されない。それこそ我々が第三にライプニッツにおいてはじめて見るに至るものである。

〔ロックの生涯〕
 ジョン・ロックは1632年イギリスのリントンに生まれた。オックスフォードにおいて、当時まだ勢力のあったスコラ哲学を捨てて独学でデカルト哲学を研究した。医学を研究し、病弱のため医者として働くことはなかったものの、その医学的知識を買われて、才気あるアシュリ卿(後のシャフツベリ伯)の家に迎えられた。シャフツベリ伯がイギリスの大法官になるとロックも官職を得たが、伯の失脚と同時にロックもその地位を失った。伯が閣僚に復帰すると彼も再び官吏となったが、新たな政変のためにオランダへの亡命を余儀なくされた(当時のオランダは、政治的ないし宗教的弾圧を逃れようとする人々にとっての安住の地であった)。1868年の革命が成功すると、彼は王位継承者ウィリアム3世とともに帰国し、貿易と植民地統治の長官となった。同じころ、有名な『人間悟性論』を発表し、晩年は公職を退いて、病身をいたわりつつエセックスの別荘で隠遁生活を送った。1704年10月28日、73歳で没した。

〔ロックの思想の基本的な特徴〕
 ロックの思想を簡単にまとめれば、一面において、真理や認識は経験と観察にもとづくが、他面においては普遍的規定の分析と抽出が認識の歩みとして指定される、といえる。スピノザがあらかじめ定義を打ち立てるのと正反対に、ロックは一般観念が経験から出てくる様を示そうとする。出発点とされてきた単なる定義の道を棄て、普遍概念を演繹することを企てたのはロックの功績であり、ここにスピノザからの一歩前進があった。しかし、ロックの関心は心理的なものにあり、具体的経験から一般概念を析出するだけで、およそ弁証法的でなく、真理そのものが追究されることがない。

 a、〔生得観念の否定〕 ロックは、理論的にも実践的にも、いわゆる「生得観念」を否定し、魂を内容のない白紙(タブラ・ラサ)と考え、その白紙は経験と呼ばれるものから内容を与えられるとした。「生得観念」の本当の意味は、思惟の本性のうちにもともと存在する本質的な要素という意味で、いまだ実在しない萌芽的性質をいう。生得観念が思惟の本質に含まれることを証明しない限り、その観念を本質的で明確な概念とみなすことはできないのだから、ロックの反論には重要な指摘が含まれている。精神の発展は外部にきっかけを求めざるを得ず、精神の活動はまず、外部への反動という形をとるので、そうなって初めて精神の本質が意識されるのである。

 b、〔観念の起源〕 ロックは観念が経験から形成されることを示そうとする。ロックの主張は、概念をただ外部からだけ受け取るという一面的なもので、他との関係だけにとらわれて、概念それ自体を全く認めないという歪んだものになっている。経験とは何かを対象としてもつという形式にほかならない。人の知るものは如何なる種類たるを問わず、経験されねばならないことに何ら疑いの余地はない。理性的なものがあるというのは、それが意識に対して存在し、意識がそれを経験するということである。それは、見られ聞かれるものとして、世界のなかの現象として、現実に存在しなければならない(普遍的なものが対象的なものと結び付いて現われなければならない)。しかし、意識に対してあることがその唯一の存在形式ではなく、それ自体としてあるという形式も絶対不可欠である。つまり、経験されたものが概念化され、他在の仮象が止揚されて、自己自身による事象の必然性が認識される必要がある。

 観念の種類に関しては、ロックはこれを完全にとりあげたのではなく、ただ経験的にとりあげた。

 α、単純観念は、ロックによれば一部は外的経験すなわち感覚から、一部は内的経験すなわち反省(意識の内的規定)から生ずる。感覚からは色、光、非透徹性、形態、静止、運動等々の表象が生ずる。反省からは信念、疑惑、判断、推理、思惟、意志等々の表象が生じ、両者結合したものから快・苦等々が生ずる。如何にも平板な話である。

 β、ロックは、悟性が反省と感覚によって得た表象を加工し、比較し区別し対照し、最後に分離または抽象することで、複合観念(空間、時間、存在、単一と相違、能力、原因と結果、自由、必然等々)をつくるという。ロックの説明は、全く形式的なものであり、空虚な同義反復である。隔たりについての感覚が空間という普遍表象を形成する。これは演繹ではなく、ただ他の規定の排除にすぎない。複合観念たる実体(ロックはそれをスピノザよりも悪い意味にとる)は、我々がしばしば青、重さ等々の単純観念を一緒に知覚することから生ずる。これら一緒に知覚される単純観念の担い手になるものがあるはずだというのである。自由と必然、原因と結果といった規定も同様に導き出される。

 こうした観念の演繹は、規定されたものを普遍的なるものの形式へ翻訳しただけであり、根底にそれ自体としてあるべき本質に何ら触れるところはない。

 γ、彼は外的性質について、アリストテレスやデカルトにおいてもみられた区別を立てている。第一性質と第二性質の区別である。前者は対象それ自身に真に帰するもの(延長、充填性、形状、運動、静止)、他は実在する性質ではなく、感覚器官の本性にもとづくもの(色、音、匂い、味等々)である。第二性質について、デカルトは物体の本質をなすものではないとしたが、ロックは感覚に対する存在であるとする。ロックはここで、即自〔自体としてある性質〕と対自〔他に対してある性質〕との区別を設け、後者を二次的なものとしているが、実際には彼の経験論は、真理の一切を他に対する存在にしか認めないものなのである。
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2016年08月23日

2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部(1/10)

<目次>
(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント
(2)ヘーゲル『哲学史』ロック 要約
(3)ヘーゲル『哲学史』ロック他 要約
(4)ヘーゲル『哲学史』ライプニッツ 要約
(5)ヘーゲル『哲学史』ライプニッツ他 要約
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1:ロックの哲学とはどのようなものか
(8)論点2:ライプニッツの哲学とはどのようなものか
(9)論点3:形而上学の時代とはどのようなものであったか
(10)参加者の感想の紹介

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント

 我々京都弁証法認識論研究会は、昨年および今年の2年間を費やして、ヘーゲル『哲学史』の学びに取り組んでいます。3年前のヘーゲル『歴史哲学』、一昨年のシュヴェーグラー『西洋哲学史』の学びを踏まえて、この『哲学史』を通読することにより、ヘーゲルが描く哲学史の流れを理解することはもちろんのこと、それを唯物論的に捉え返すことで唯物論哲学の創出に向けた一歩を確実に進めていくことを課題としています。

 8月例会では、「悟性形而上学」(形而上学の時代)とされる時代の第二部と第三部を扱いました。具体的な哲学者としては、ロック、ライプニッツ、ヴォルフなどが取り上げられていました。今回の例会報告では、まず例会で報告されたレジュメを紹介したあと、扱った範囲の要約を4回に分けて掲載し、ついで、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に、この例会を受けての参加者の感想を紹介します。

 今回はまず、報告担当者から提示されたレジュメ、およびそのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介することにしましょう。


ヘーゲル『哲学史』ロック〜ドイツの通俗哲学

【1】ロックの哲学
 ヘーゲルはロックの哲学について、感覚的存在の内に真理があるとしたベーコンの考えを受けて、一般的な真理は経験から得られるとしたと述べている。ロックが、外的な対象が実在するもので真実体だと主張したことについては、意識の日常的段階に留まっているとも述べている。より詳細については、ヘーゲルは、ロックが単なる定義の道を棄て、普遍概念を演繹することを企てたことを評価するとともに、具体的経験から一般概念を析出するだけだとして、ロックの哲学が非弁証法的で、真理そのものが追及されていないと批判もしている。

 ヘーゲルはロックの『人間悟性論』を取り上げ、ロックが生得観念を否定したこと、観念の起源を経験に求めたこと、類概念が精神の産物だとしたことなどを説明した後、要するにロックにおいては、真理とは表象と事物との一致を意味するにすぎず、本来の内容それ自体に対する関心が失われてしまっていて、哲学の目的も全く忘れ去られてしまっていると批判している。ヘーゲルにとっては、真理が認識される過程よりも、真理そのものの追及こそが課題だというわけである。

<報告者コメント>
 ロックの哲学は、唯物論的認識論の土台を築いたという点で、大きく評価されるべきである。つまり、認識の大本は対象を脳細胞に反映した像である、という把握に大きく一歩を踏み出したということである。こうしたロックの哲学には、ニュートンによる万有引力の法則の発見に代表されるような、当時のイギリス社会のものの見方・考え方が大きく反映しているといえる。すなわち、人類の長い歴史の過程において、自然との相互浸透を積み重ねていく中で、徐々に徐々に対象の性質を人間が把握できるようになっていき、やがて18世紀中葉からの産業革命に通じるような、技術的な革新につながる認識が芽生え始めていたという社会的認識がロックの哲学を生んだといえるのである。実験や観察を通じて、生産力の向上に資するような発見を目指すというイギリス社会の雰囲気こそが、ロックの哲学の背景にあったのである。

 一方で、ロックの哲学の限界もしっかりと確認しておく必要がある。ヘーゲルも述べているように、ロックの真理観は、対象と認識との一致のみを問題とする機械的反映論の域を超えるものではない。ロックは「実体」に関して、単純観念を組み合わせることで頭の中で創造したものであるにもかかわらず、現実の世界にも「実体」が存在することをどのように説明するのか、説き切れていないし、認識の能動性についても説明できていない。また、これもヘーゲルが指摘しているように、真理を矮小化して、学問体系については全く念頭にないようである。
 我々は、唯物論的な認識論の基礎を創ったロックの業績やアタマの働かせ方に学びつつも、その限界をしっかりと見極め、真理や学問体系についての大きな像を創っていく必要がある。

【2】ライプニッツの哲学
 ヘーゲルはライプニッツの哲学について、ロックの哲学と対立し、スピノザの哲学とも対立するものの、両者を結合するものであると述べている。感性的存在にではなく思惟されたものに真理の本質があるとする点でロックの哲学とは対立するし、普遍的な唯一の実体ではなく変化を内に含む無数の単子をおいた点でスピノザに対立する、しかし一方で、個体的実体の多数性を主張した点はロックの哲学を継承しており、真理が思惟されたものにあるとした点でスピノザを継承していて、両者を統一したところに観念的な多数の単子がそれぞれに影響を与えることなく他から区別されて存在するというライプニッツの単子論が成立したというわけである。

 ヘーゲルは、ライプニッツの単子について、普遍的な規定であるとして、多様な運動が単一性として統一されているあり方を高く評価している。しかし、個々の単子が自立していて、互いに影響を与えないにもかかわらず、それぞれの単子が調和していることについて、結局は神を持ち出してきて、全ての矛盾を神に委ねられてしまっていることに関しては、概念的な把握に欠けるものであり、通俗的な見解であると批判しているのである。

<報告者コメント>
 ライプニッツの単子というものは、ヘーゲルの絶対精神にあと一歩のところまで迫った把握だといえるだろう。宇宙は精神的な存在である無数の単子で満たされていて、それぞれは他に影響を及ぼさない自律的存在であり、多様な運動を内に含みつつも単一性を保っているものであるというライプニッツの単子論は、絶対精神の自己運動として世界を把握したヘーゲル哲学に大きく繋がっていくものであるといえるだろう。ただ、ヘーゲルの絶対精神が「一」たる存在であるのに対して、ライプニッツの単子が「多」であり、この「多」を統一するために弁神論を持ち出し、統一を神に委ねる、すなわち矛盾を絶対的存在である神に解決させるという通俗的な見解をとってしまった点で、ヘーゲルの把握に及ばないといえるだろう。ヘーゲルにいわせれば、全てを「一」から展開して説明し、全てを「一」に収斂させる形で説くのでなければ、哲学の完成とはいえないということだろう。

 ライプニッツの単子という考え方は、彼が諸都市を遍歴し、それぞれの都市がそれぞれの違ったあり方としてそれなりに統一されているというあり方を反映したからこそ生じたものではないだろうか。当時のドイツが領邦に分裂していて混乱状態にあったことも、精神的な実体を想定する基盤となった、つまり現実世界を否定して観念の世界に逃げ込んだ(逃げ込まざるを得なかった)という結果に繋がったのではないか。

【3】形而上学の時代
 ヘーゲルは、思惟する悟性の時期の第1期として、デカルト・スピノザ、ロック、ライプニッツが活躍する形而上学の時代を取り上げている。形而上学は実体を追求するものであって、思惟と存在とを統一的に把握することを課題として発展していったものである、とヘーゲルは考えている。デカルトにおいて、「我思う、故に我あり」という形で主張された思惟と存在との統一は、スピノザの普遍的な唯一の実体である神の中に見出されるとともに、ロックにおいては感性的存在と観念との一致として把握され、さらにはライプニッツの単子論において、それなりに達成されたとヘーゲルはいう。しかし、ライプニッツの段階までにおいては、思惟と存在との対立は、神が解決するものとされただけであって、これらの対立がそれ自体の下で、理性的に解決されたのではないとヘーゲルは述べている。

<報告者コメント>
 長い中世期を経て、徐々に対象のあり方を究明しつつ自らの認識の実力を培っていった人間は、教会の権威によるのではなくて、自らの力で世界を把握していくという方向に向かうことになっていった。これがヘーゲルのいう「形而上学の時代」として現象したのであろう。感覚的な世界と、その背後にある真実在の世界とを分けて把握するとともに、それらを何としても統一して、世界全体のあり方を筋を通して把握したい、把握できるはずだという社会的認識が育ってきた時代だということである。

 そうした中において、世界の全ての存在を物質と精神という2つに括って論理的に把握できるだけの実力が人類についてきたことがこの時代の大きな特徴である。まだまだ精神がどのように物質から生じるのか(唯物論の立場)、あるいは物質がどのように精神から生じるのか(観念論の立場)という根本的な問題に関しては、神を持ち出して説明するほかなかったとはいえ、世界の把握の仕方の大きな枠組みができあがってきたことは、哲学の発展にとって非常に大きな意味があるといえるだろう。


 このレジュメに対して、ロックの哲学に関する報告者コメントにある「対象と認識との一致のみを問題とする機械的反映論」という点について、メンバーから指摘がありました。この表現だと、対象と認識の一致を真理とみなすのは機械的反映論だというように読めるが、機械的反映論に限らず、我々の立場(弁証法的唯物論の立場)でも、真理とは対象と認識の一致といえるのではないか、ということでした。対象の感覚的な現象の背後にある構造についての認識、あるいは感覚的には直接捉えられない法則性についての認識も、それが対象のあり方と合致している以上、対象と認識が一致したものとして真理性を主張できるのではないか、ということでした。

 これに関して、報告者は、「ヘーゲルがロックの真理観は『表象と事物の一致』だとして批判していることを踏まえた」と発言しましたが、指摘したメンバーは、「ヘーゲルの言う『表象と事物の一致』ということと、『思惟と存在の一致』ということとは、レベルの違うものとして捉える必要があるのではないか」と主張しました。表象と事物の一致というのは、要するに個々の事物そのものとピッタリと一致する個別的な感覚像のレベルのことであり、思惟と存在の一致というのは、この世界全体が体系性をもって存在していることを踏まえて、それとピッタリと重なり合うレベルで体系性をもった学問を構築すること、簡単に言えば、絶対精神(思惟)がこの世界全体(存在)を自分自身にほかならぬものとして自覚しきること、ということでした。ただし、どちらも唯物論的には「対象と認識の一致」だと言えるから、もう少し表現を改める必要があるのではないか、ということでした。これについては報告者も納得しました。
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2016年08月22日

文法家列伝:ソシュール編(5/5)

(5)ソシュールは「ラング」という心的な記号の体系を言語の事実から抽出した

 本稿は、科学的言語学体系の創出過程への1つの道として、歴史上の優れた言語研究者の業績を取り上げ、それを歴史的に位置づけることを目的にした「文法家列伝シリーズ」のソシュール編です。ここまで、ソシュールの言語理論の歴史的意義に関して、大きく3つに分けて説いてきましたが、ここでこれまでの展開の大事な部分を振り返っておくことにしましょう。

 まず、ソシュールが言語を体系として、認識との連関において取り上げたことを見ていきました。19世紀の比較言語学に至るまでの言語研究史を簡単に振り返り、言語研究が認識の解明の深化とともに発展してきた流れが、比較言語学において寸断され、ここでは個々の音声が歴史的にどのように変化するのか、その法則性を扱う研究として、認識とは無関係の自然科学的方法において、言語研究がなされていったことを確認しました。こうした比較言語学に対して、ソシュールは批判的な見解を述べていたのですが、それは「言語が何よりもまず記号の体系である」というソシュールの根本的な言語観によるものだとして、その中身を詳しく見ていきました。ソシュールによれば、言語は価値の体系であって、他の言語と違うという対立関係が変らなければ、言語の価値は変化しないのだということでした。では、その言語の価値体系とはどのようなものかといえば、それは「観念の差異に結びつけられた音の差異としてのラングの全体系」に他ならないということでした。つまり、ある観念にある音のイメージが結びついた記号が人間の頭の中にあって、その記号の集合体、総体が言語=「ラング」=「記号の体系」=「価値の体系」だということでした。こうしたソシュールの言語観を言語研究史に位置づけてみるならば、言語を体系として把握し、認識との連関において取り上げたということができるのでした。

 次に、ソシュールが言語の同定性(何によって同一の言語だといえるのか)をどのように考えたのかについて確認していきました。ソシュールはまず、言語の同定性は音声や文字といった物理的なあり方そのもので決定されるものではないと主張しました。文字を何色で書こうと、彫って表そうと、また音声をどのような声色で話そうと、同じ言語として認められるということです。ソシュールはこうした言語の同定性について、チェスの駒や急行列車の例を挙げて、それらと同じ性質の同定性であることを説明したのでした。それではなぜ、言語の同定性が物理的なあり方そのものによって決定されないかというと、それは言語の恣意性に根拠があるということでした。言語は、聴覚映像と概念との結びつきに必然性がないことに加え、概念がどのような範囲を表すのか、聴覚映像がどのように区別されるのか、定まった基準もないという意味で恣意的であって、そうした物理的なあり方の恣意性には言語の同定性の根拠を置くことはできないのだとソシュールは主張したのでした。では、言語の同定性の根拠はどこに求められるのかといえば、それは他と違うという関係、体系全体におけるその語の位置づけによって決定されるということでした。つまり、言語の同定性は、物理的な形そのものではなくて、言語全体の体系においてその語が他の全ての語と異なっているという関係にこそ、その根拠があるということでした。

 最後に、ソシュールが「ラング」を「パロール」から区別したことの意味を検討していきました。まず、「ラング」とは人間の頭の中にある言語に関する社会的な約束事の総体であって、一方「パロール」は個々の人間が話したり書いたりする個別的な音声や文字のことであることを見ていきました。また、両者は相互依存関係にあり、「パロール」は「ラング」なくしては実現しませんし、「ラング」も「パロール」の繰り返しにより社会的に承認されて初めて成立するものであることも確認しました。それでは、ソシュールは言語研究の中心的なテーマがどちらにあると考えていたのか、続いてこの問題について検討していきました。ソシュールは「言語が何よりもまず記号の体系である」と述べていたことを確認し、ここでいう「言語」とは、聴覚映像と概念とが結びついた心的記号の総体のことであり、これはとりもなおさず「ラング」のことであるから、ソシュールは言語学の中心的なテーマが「ラング」の研究にあると考えていたのだということを説明しました。その上で、ソシュールが「ラング」を「パロール」から区別したことの意味を検討しました。第1に、「ラング」は認識の一形態であるから、言語研究は認識の研究そのものだという形で、直接的に認識の研究を問題にしたこと、第2に、言語の本質が(これまで考えられてきたように)音声や文字であるということに疑問を呈し、言語の本質は社会的・精神的・体系的なものである、つまり「ラング」であるという形で、言語の持つ2つの性格を分けて把握したこと、この2点を見ていったのでした。

 以上、ソシュールの言語理論の歴史的意義について、3つに分けて説きてきた流れを確認しました。再度ソシュールの言語理論をまとめるとすると、ソシュールの時代までに隆盛を極めていた比較言語学の方法論、つまり個別の音声が歴史的にどのように変化していくのかに関する法則を研究するというやり方に対して、言語の本質は音声や文字の物理的なあり方そのものにあるというのは違うのではないかとソシュールは考えたのです。それは文字をどのような色で書いても、音声をどのような声色で話しても、同じ言語として通用する事実にも裏打ちされていました。では、言語の本質とは何かといえば、それは音声や文字といった物理的なあり方そのものではなく、聴覚映像と概念とが人間の頭の中で結びついた記号が、他の記号との対立関係の中で打ち立てる体系にあるのではないか、これがソシュールの根本的な言語観なのです。こうした考えをまとめ上げることによって、「ラング」を「パロール」から区別し、「ラング」という心的な記号の体系を抽出したものが、ソシュールの言語理論の中心なのです。

 では、こうしたソシュールの言語理論を自らの実力と化す、つまり連載第1回に用いた言葉でいえば、「科学的言語学体系を構築する」ための1つの過程にするには、どのような作業が必要になってくるのでしょうか。単にソシュールの言語理論の成果を捉えるだけでいいのでしょうか。この問題に関しては、南郷継正先生が以下のように説いておられることが非常に重要となってきます。

「論文を書くとは、相手の論の欠点を正しく説いて見せながら、つまり正当な論文になるように仕上げてみせることが重要なのであり、これを実践していってこそ自分の学の形成過程の一助となるのであり、これが体系化への第一歩となっていくのである。」(『武道哲学講義 第3巻』p.228)

 つまり、成果は成果として正当に評価しつつ、「相手の論の欠点」も同時に指摘しなければならず、その欠点を正していくことが必要になってくるということです。

 ではここで、これまで見てきたソシュールの言語理論を俎上に載せて、簡単にではありますが、このことを実践してみたいと思います。

 まず、ソシュールは言語の持つ2つの性格を分けて把握し、それぞれに「ラング」と「パロール」という名前を付けました。言語の社会的・精神的・体系的な性格を「ラング」と呼び、言語の個人的・物理的・個別的な性格を「パロール」と呼んで、全く別の実体として把握したのです。「ラング」は頭の中にあり、「パロール」は現実の世界の中にあるというわけです。そして「ラング」を研究の中心に据え、「ラング」は他の全ての記号と異なるという関係において、自らを同定する記号の体系だと捉えたのでした。このことを別の言葉でいえば、「ラング」は「絶対的な差異」が問題なのではなくて、「相対的な差異」が問題だということになります。そしてこの「相対的な差異」というのは、簡単にいえば「種類」のことです。しかし、「ラング」を「種類」としての記号の体系だと捉えるならば、それは何も「ラング」に限った把握ではなくなってしまうのです。どういうことかといえば、「パロール」は物理的なあり方が問題であって、言語の本質からは外れる存在だとソシュールは考えていたのですが、「種類」という概念を導入することによって、「パロール」にも2つの性格がある、つまり物理的なあり方そのものという側面と、「種類」としての側面と、2つの性格が「パロール」において統一されている、ということがいえるようになるわけです。ある言語(音声や文字)の物理的なあり方の変化は、「種類」が変ってしまうという限界に達するまでの範囲内においては許容されるのだと考えることで、ソシュールが「ラング」と「パロール」という形で二分した言語の2つの性格を、音声や文字の中に二重性として統一的に捉えることができるようになるのです。そしてこのことは、音声や文字が言語であり、言語学の中心的な研究テーマであるとする従来の言語観への、ヨリ高いレベルでの復帰を意味するのです。

 それでは、音声や文字(ソシュールのいう「パロール」)が言語であるとすると、ソシュールのいう「ラング」とは一体何なのかが問題になります。実はこれは言語に関する約束事、つまり言語規範なのです。そして言語規範は言語そのものと大きく関係していますが、言語そのものではありません。これは、例えば野球のルールは野球に大きく関係していますが、野球のルールそのものが野球であるとはいえないことと同じことです。ソシュールは、言語が「絶対的な差異」ではなくて「相対的な差異」に基づく体系であることを把握したまでは良かったのですが、音声や文字の中に「相対的な差異」が「絶対的な差異」との二重性で存在していることを見抜くことができず、「絶対的な差異」としての「パロール」とは別の実体として、人間の頭の中にある「相対的な差異」としての「ラング」を想定し、これこそが言語だとしてしまったことに誤りがありました。「ラング」を言語だとしてしまうと、連載第1回で引用した安倍首相の発言について、その意図を平板に表面的に捉えておしまいとなってしまうのです。なぜならば、「ラング」は記号の体系であって、その記号は聴覚映像と概念とが一義的に結びついているからです。「参院選の最大の焦点はアベノミクスだ」といえば、その意味は完全に固定化されてしまい、実は安倍首相の頭の中では憲法改正問題が最も大きなテーマなのではないか、などと考える余地がなくなってしまうのです。

 以上、ソシュールが「ラング」と「パロール」として言語の2つの特徴を分けて把握したことの意義と限界について考察してきました。言語に物理的な性質と「種類」としての性質とが存在することを指摘したことは、言語研究史上におけるソシュールの大きな業績だと評価できるのですが、それらを二分して把握してしまい、音声や文字の中に二重性としてそれらが存在すると理解できなかったことがソシュールの限界だったのです。

 実は、言語の同定性の根拠が「種類」であると明確に言い切ったのは三浦つとむさんなのです。三浦さんは言語を二重性(いわば「二分性」ではなく)で捉え、言語の感性的なあり方そのものは言語表現に不可欠ではあるものの、言語表現ではなく非言語表現であって、言語の「種類」としての側面こそが本来の言語表現であると説いておられます。また、言語と言語規範がどのような関係にあるのかも明らかにされています。三浦言語論については、10月に本ブログに掲載予定の「三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む」の中で詳細に展開することをお約束して、本稿を終えることとします。

(了)
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2016年08月21日

文法家列伝:ソシュール編(4/5)

(4)ソシュールは「ラング」を「パロール」から区別した

 前回は、ソシュールが言語の同定性(何によって同一の言語だといえるのか)をどのように考えたのかについて見ていきました。ソシュールはまず、言語を様々な色で書いた入り、彫って表したり、色々な声色で発声したりしても、それらの同一性が揺るがないことを述べ、言語の同一性の根拠は、通常の「物」の同一性のように、物理的なあり方そのものに求められるものではないと主張しました。そして、言語の同一性は、チェスの駒や毎日ある一定の時刻に出発する急行列車の同一性と同じ性質をもっていることを示唆したのでした。では、言語の同一性はなぜ、物理的なあり方そのものに根拠を求められないのか、ソシュールは次にその理由について説明していったのでした。ここで取り上げられたのが、言語の恣意性ということでした。ソシュールは、言語記号においてある概念がどのような聴覚映像に結びつくのかは恣意的であり、また、概念がどのような範囲を表すのか、聴覚映像がどのように区別されるのかについても恣意的であるため、言語が何によってできているのかという物理的なあり方そのものに言語の同一性の根拠を求められないのだと主張したのでした。では、言語の同一性は一体どこに求めるべきなのでしょうか。この問題についてソシュールは、ある言語が他の全ての言語と異なるという関係こそが、言語の同定性の根拠であると述べたのでした。

 さて今回は、ソシュールの言語理論における最大の特徴ともいえる、「ラング」と「パロール」の区別について見ていくことにしましょう。両者はともに、大雑把にいえば言語のことを意味しているのですが、両者の区別を理解するために、まずは以下のソシュールの表現を読んでみてください。ちなみに、1つ目の引用文に出てくる「ランガージュ」というのは、言語活動といった意味の用語です。

「ラング=受動的なもので集団の中に存在する。これはランガージュを組織化し、言語能力の行使に必要な道具を構成する社会的なコードである。
パロール=能動的で個人的なもの。」(p.201)


「ディスクールの要請によって口にされるすべてのもの、そして個別の操作によって、表現されるものはすべてパロールである。個人の頭脳に含まれるすべて、耳に入り自らも実践した形態とその意味の寄託、これがラングである。」(p.98)

 ここでは、「ラング」が「社会的なコード」であり「頭脳に含まれる」「組織」的なものであるのに対して、「パロール」は「個人的」であり「口にされ」「表現される」「個別」的なものであると説明されていることが分かります。端的にいえば、「ラング」は社会的・精神的・体系的なものであり、「パロール」は個人的・物質的・個別的なものであるということになります。これはどういうことかというと、ある個人が話したり書いたりする具体的な個々の音声や文字が「パロール」であって、人間の頭の中にある言語に関する社会的な決まり事の全体が「ラング」であるということです。

 両者の区別を以上のように説いた上で、ソシュールは両者の連関について以下のように述べています。

「ラングとは、ランガージュ能力の行使を個人に可能にすべく社会が採り入れた、必要な契約の総体である。パロールとは、ラングという社会契約によって自らの能力を実現する個人の行為の謂である。パロールのなかには、社会契約によって容認されたものの実現という概念がふくまれている。」(p.121)

「人が語るためにはラングの宝庫がつねに必要であるというのも事実であるが、それとは逆に、ラングに入るものはすべてまずパロールにおいて何回も試みられ、その結果、持続可能な刻印を生み出すまでくり返されたものである。ラングとはパロールによって喚起されたものの容認にすぎない。」(pp.97-98)

「個人ひとりでは決してラングに達することはないだろう。ラングはすぐれて社会的なものである。いかなる事象も、その出発点はどうあれ、それが万人の事象となる瞬間までは言語的に存在しない。」(p.120)

「ラングとパロールが、お互いを前提とし、その存在は他の存在なしにあり得ない」(p.204)

 まず1つ目の引用文では、「パロール」が「ラング」の個人的な実現であることが述べられています。頭の中にある言語に関する社会的な決まり事(「ラング」)を使って、人は話したり書いたりする、つまり音声や文字(「パロール」)を生み出すのだということです。次に2つ目と3つ目の引用文では、「ラング」が「パロール」の繰り返しによって万人が承認して初めて成立するものであることが述べられています。これは例えば、「スマートフォン」なる「ラング」は初めから存在から存在していたものではなくて、ある企業が自社製品に「スマートフォン」という名称を与え、それが繰り返し繰り返し使用される(いわば「パロール」される)ことで、一般的に多機能型携帯電話端末のことを指すようになった(「ラング」になった)という例で分かってほしいことです。以上のように、「パロール」のためには「ラング」が必要であって、「ラング」には「パロール」が必要であるという相互関係を、ソシュールは4つ目の引用文で表しているわけです。

 以上によって、ソシュールが「ラング」と「パロール」の区別と連関をどのように考えていたのかが明らかになりました。簡単にまとめておきますと、「ラング」というのは人間の頭の中にある言語に関する社会的な約束事の総体で、「パロール」は個々の人間が話したり書いたりする個別的な音声や文字のことでした。両者は相互依存関係にあり、「パロール」は「ラング」なくしては実現しませんし、「ラング」も「パロール」の繰り返しにより社会的に承認されて初めて成立するものでした。

 ここで念のため確認しておきたいことは、ソシュールが「ラング」と「パロール」の区別に関して、「ラング」=社会的、「パロール」=個人的という形で完全に割り切って把握していたわけではないということです。

「この二つの領域のうち、パロールの領域はより社会的であり、もう一方はより完全に個人的なものである。ラングは個人の貯蔵庫である。ラングに入るもの、すなわち頭の中に入るものはすべて個人的なものである。」(p.98)

 これはどういうことかというと、「ラング」は確かに言語に関する社会的な約束事なのですが、これは個人の頭脳の中にしか存在しえないという意味で個人的であるともいえるし、また「パロール」に関しても、確かに個人的な行為を意味するのですが、これは表現によって相互の意思疎通を行うためになされるものであるという意味で社会的であるともいえるのだということです。ここには、ソシュールの非常に弁証法的な思考が現れているといえるでしょう。

 さて、「ラング」と「パロール」の区別と連関を明らかにしたところで、では言語学の中心的なテーマはどちらなのかという問題が出てきます。ここで、前回、前々回に触れた、言語は記号の体系だというソシュールの言語観を思い出してほしいのです。ソシュールは、「言語が何よりもまず記号の体系である」ことは明らかだと述べていました。そして記号とは、概念が聴覚映像に結びついたものであって、「心的なものであり主体の中に存在する」ものであると述べていたのでした。このことを今回の展開と重ねてみますと、ソシュールの主張が見えてきます。つまり、「言語」が「記号の体系」だというときの「言語」は、個々の人間の頭の中にある言語に関する約束事(=概念と聴覚映像との結びつき=記号)の総体を指しているのであって、これはとりもなおさず「ラング」のことである、ということです。ソシュールは言語を記号の体系だと捉えることによって、「ラング」こそが言語学の中心的なテーマであることを示唆したのでした。このことは、「ラングの中に与えられているもののパロールによる実行は、非本質的」(p.203)という言葉からも裏打ちされています。さらにいえば、言語を音声そのもの(「パロール」)ではなく、心的記号の体系(「ラング」)だとみなしたからこそ、連載第2回で見たように、現実的な音韻の変化の法則を扱う比較言語学を批判したのだともいえるでしょう。もしかしたら、比較言語学の方法論に直観的に違和感を覚えたソシュールは、その違和感を解明する過程において、「ラング」(心的記号の体系)という着想を得て、これこそ言語学の中心的なテーマだと考えるに至ったのかもしれません。

 いずれにしても、ここで最も重要なことは、ソシュールが「ラング」を「パロール」から区別したことの意味を問うことです。ではその「ラング」を「パロール」から区別したことの意味とは何なのでしょうか。それは第1に、これは連載第2回でも説きましたが、「ラング」を言語学の中心テーマに据えることで、言語学における認識の研究の重要性を指摘したことです。「ラング」とは言語に関する社会的な約束事であって、人間の頭の中にあるものだということは繰り返し述べていますが、このことは端的にいえば、「ラング」は認識の一形態だということです。これまでの言語研究史においても(比較言語学の時代は除くとして)、言語研究は認識の研究とともに発展させていく必要があることは徐々に指摘されるようになってきていました。しかしソシュールは、これまでのように言語研究を認識の研究を媒介として深めていこうとする方向性をとったのではなくて、言語研究は認識の研究そのものだという形で、直接的に認識の研究を問題にしたのです。そしてこのことは、「ラング」という認識を「パロール」という物理的な音声や文字から区別したことによって可能となったのです。

 第2に、言語というものの性質を2つに分けて把握したことです。これまでの言語研究の歴史においては、音声や文字が言語であることは問題にならないくらい当然の前提でした。古代ギリシャにおいては、言語(音声や文字)が何を指し示すのかが問題になりましたし、中世から17世紀の『ポール・ロワイヤル文法』の時代くらいまでは、正しい言語の使い方はどのようなものかという形で言語(音声や文字)が検討されていきました。19世紀の比較歴史言語学においても、言語(音声や文字)の歴史的変遷の法則性を取り扱うことが言語学だとされていたことを見ても、言語は音声や文字であるということは当たり前のことだったのです。しかしソシュールにおいては、確かにそうしたものも言語である(「パロール」である)ことは認めつつ、そうした物理的なあり方そのものは言語の本質ではないと主張したのでした。では、音声や文字としての言語が言語の本質ではないとすると、言語とは一体何なのかという問題が出てきます。そこでソシュールは、言語とは社会的・精神的・体系的なものである、つまり「ラング」であるとして、通常、言語といわれるものにも2つの種類があることを明らかにしたのでした。

 以上見てきたように、ソシュールは言語を「ラング」と「パロール」とに二分して把握し、「ラング」の考察こそ言語の本質を明らかにするものだとして、記号の体系としての認識を言語研究の直接のテーマに据えたのでした。
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2016年08月20日

文法家列伝:ソシュール編(3/5)

(3)ソシュールは言語の同定性を関係に求めた

 本稿は、言語とはどのようなものかという本質的な理解なしには言語に係わる諸々の現象の意義を説くことはできないのだという問題意識のもと、その言語の本質的理解のための要となる科学的言語学体系の創出を目指して執筆するものです。直接的には、過去の偉大な言語研究家を取り上げ、その成果を歴史性も踏まえて考察していくことを目的とした「文法家列伝」シリーズの1つとして、「近代言語学の父」であるフェルディナン・ド・ソシュールに焦点を当て、その言語研究史上の業績を検討していきます。

 前回は、ソシュールの言語研究史上の意義の1つ目として、ソシュールが言語を体系と捉え、認識との連関において取り上げたことを説いてきました。17世紀までの言語論においては、言語とそれが指し示す対象との間に、人間の認識というものが介在しているのではないかということが徐々に分かってきたのであって、認識とは何かを解明しつつ言語研究が発展してきたという流れがありました。しかし、19世紀の比較言語学においては、こうした流れが寸断され、言語を人間の認識とは無関係に生成・発展・消滅する自然科学的対象として把握し、個別の音韻法則という言語の音の変化に関する法則を扱う研究が中心となったのでした。ソシュールは、こうした言語学の現状に対して強い不満を示し、個々の言語の音声がどのように変化するかということは、言語の価値体系には何の影響も与えないのであって、比較言語学の考え方は言語の不完全な捉え方だと非難したのでした。それでは、言語の価値体系とはどのようなものかが問題になりますが、ソシュールによれば、それは人間の認識の中で「音の差異」が「観念の差異」と結びついた記号の体系だということでした。ソシュールは言語をこのように捉えることで、言語を再び認識との連関におけて把握しようとしたのでした。

 さて今回は、ソシュールの言語研究史上の意義の2つ目として、ソシュールが言語の同定性(何によって同一の言語だといえるのか)をどのように考えたのかを見ていきたいと思います。

 ソシュールはまず、言語の同定性は音声や文字といった物理的なあり方そのもので決定されるものではないと主張します。

「記号の生産手段は全く非関与的であること……私が記号を白で書こうが黒で書こうが、彫ろうが浮き彫りにしようが、そんなことは非関与的でしかない。……道具は何の重要性ももっていない。……我々はラングの音的性格などというところにその本質がないことを確認できるのである。」(pp.131-132)

 ここで述べられていることは、簡単にいえば、「万年筆」という文字を何色で書こうと、書くのではなくて彫って表そうと、楷書で書こうと草書で書こうと、どういうあり方として表したとしても、それらは全て「万年筆」という同じ言葉なのだ、ということです。また、音声言語についても同様のことがいえることをソシュールは述べています。戦争に関する演説で繰り返された「戦争」という語は、たとえ「音的素材」(p.149)が異なっていようとも、全て同じ言葉だといえるというのです。強調のために大きく強く発声しようと、しんみりと静かに発声しようと、「戦争」は「戦争」だということです。

 ソシュールは、こうした言語の同定性についての理解を促すために、チェスの駒や急行列車の例を挙げて説明を続けていきます。チェスのナイトという駒は、物質的にどういう素材で作られ、どういう形をしていたとしても、「ナイト以外のすべての駒と異なる限りにおいて」(p.155)ナイトとして扱うのだ、毎日毎日同じ急行列車に乗っているという場合、それは実体として別の車両であったとしても、同じ急行列車といえるのだ、こうしたことと同様のことが言語についてもいえるのだ、というわけです。

 ここで考えてみなければならないことは、「同じもの」とはどういうことかということです。例えば、電車に乗っていて、傘を置き忘れて下車してしまったとしましょう。傘を失くしてしまったことに気付いた場合、その鉄道会社の忘れ物センターに問い合わせて取りに行くことになると思います。その際、センターの担当者は、「どういう傘でしたか?」「色は何色ですか?」「どんな特徴がありましたか?」などとその物理的なあり方を確認します。そして、「傘の柄の部分に名前を書いた白色のシールを張っていました」などと答えると、その特長に基づいて担当者が忘れ物の山の中から探してくれるということになるのです。つまり、通常の「物」であれば、「同じもの」だと主張できる根拠は、あくまでも色や形や、それに名前が書いてあったり、印をつけてあったり、偶然ついてしまったキズなどが目印になったりするなどのような物理的な特徴にあるのです。ところが言語の場合には、同じ言語だといえるための根拠が、赤のボールペン字であったり墨汁で書いた毛筆であったり、高い音であったり低い音であったりといった、「生産手段」や「音的素材」など、つまり物理的なあり方そのものには求められないのです。

 ではそれは一体なぜなのでしょうか。ソシュールはこの問題を解決するために、言語の恣意性ということを持ち出してきます。ここで、言語の恣意性とは一体どういうことなのかを理解するために、前回も触れた言語が記号の体系だということに関して、もう少し詳しく見ていきましょう。

 ソシュールは言語を記号の体系だと述べたのですが、それではその記号というものはどのようなものなのでしょうか。

「言語記号は2つのまことに異なった事象の間に精神が樹立する結合であるが、それらの事象は2つとも心的なものであり主体の中に存在する。1つの聴覚映像が1つの概念に結合されているのである。聴覚映像は物質音ではない。これは音の心的な刻印である。」(p.205)

 前回は、「「鉛筆」という観念が「ボールペン」という観念や「万年筆」という観念と違ったものとして頭の中にイメージされていて、その観念に「えんぴつ」という音が結びついて頭の中に存在しています」という例を述べました。この例でいえば、上記の引用で述べられている「聴覚映像」というのが「えんぴつ」という音のイメージのことであり、「概念」というのが「鉛筆」という観念のことになります。ソシュールはこのように、人間の認識の中で聴覚映像と概念とが結びついていると主張し、これが記号だとしたのです。そして言語とは、こうした心的な記号の集合体だというわけです。

 ソシュールのいう言語の恣意性は、この記号内あるいは記号間の関係をどのように理解するかに関連しています。ソシュールは次のように述べています。

「言語事実がその間に起きるこれら2つの領域が無定形であるばかりか、2つを結ぶ絆の選択、価値を生み出す2つの領域の合体は、完全に恣意的である。」(p.249)

 ここでは、「2つの領域」、つまり聴覚映像と概念のことですが、これらが一定の決まった形がないこと、つまり恣意的であることと、聴覚映像と概念との結びつきが恣意的であることと、2つのことが述べられています。まず分かりやすい後者から説明しますと、これはある概念に1つの聴覚映像が結びつくその結びつき方が規則的ではない、ということです。具体的にいえば、日本人はワンワン鳴く動物を「いぬ」と呼び、ニャーニャー鳴く動物を「ねこ」と呼んでいますが、それは何か機械的に結びつけられるような法則に基づいてそう呼ばれているわけではないのであって、その逆であっても構わないということです。ただ習慣によってそう呼んでいるだけであって、そういう意味で聴覚映像と概念との結びつきが恣意的であるとソシュールはいっているわけです。一方、前者の方は少し分かりにくいのですが、分かりやすくいうと次のようになります。まず、概念が無定形=恣意的であるというのは、色を表す言葉を考えてみるとよく分かります。日本人は通常、青と緑を別の色として把握していますが、ヴェトナム人は青も緑も同じ色として把握しているようです。こうした事実を見ると、色をどのように分類するのかということには一定の規則があるわけではなくて、どのようにも分けることができる、つまり概念は恣意的であるといえることになります。また、聴覚映像が無定形=恣意的であるというのは、例えば、日本人は[r]と[l]の音は区別しませんが、アメリカ人は両者を区別します。これは聴覚映像をどのように分けるかということについても規則的ではなく、恣意的に決定されるということです(音声ではなくて、文字で考えてみると、例えば、「士」と「土」は区別するのに、「吉」と「𠮷」は区別しない、といったことを恣意的とソシュールはいっているのだと思いわれます)。つまり、ソシュールのいう言語の恣意性とは、聴覚映像と概念との結びつきに必然性がないことに加え、概念がどのような範囲を表すのかや聴覚映像がどのように区別されるのかについての定まった基準もない、ということです。

 ソシュールは、このような言語の恣意性があるからこそ、言語の同定性は物理的なあり方そのものには求められないのだと主張する訳です。つまり、ある言語の物理的なあり方は恣意的であるから、そうした恣意的なものを言語の同定性の根拠にはできないのだということです。ではソシュールは、言語の同定性の根拠として、どのようなものを考えていたのでしょうか。ここで改めて、前回引用した次の2つの文章を読んでもらいましょう。

「音素を分類するにあたっては、それらが何からできているかを知ることより、それらが互いに何において異なっているかを知る方が問題である。したがって、分類に際しては、否定的な要因の方が実定的な要因より重要となる。」(p.79)

「コトバは根柢的に、対立に基盤を置く体系という特性をもつ。」(p.147)

 他にもソシュールは、「いかなる価値といえども個的存在ではあり得ず、記号は集団〔体系〕の容認によってしか即自的な価値をもつには至らない」であるとか、「1つの語が単独に存在し得るという幻想があるが、ある語の価値は、いかなる瞬間においても、他の同じような単位との関係によってしか生じない」であるとか述べていました。こうした箇所でソシュールが述べていることは、言語はそれ自体がどういうものかによって決められる(同定される)のではなく、他と違うという関係、体系全体におけるその語の位置づけによって決定される、ということです。先に言語の同定性とチェスの駒の同定性が同じ性質のものだとソシュールが述べていることを確認しましたが、チェスのナイトという駒が「ナイト以外のすべての駒と異なる限りにおいて」決定づけられるということが、非常に分かりやすい例になっていると思います。つまり、ナイトという駒は、馬の首から上の形をもっているという「何からできているか」は問題ではなくて、紙片に「ナイト」と書いたもので代用できることから明らかなように、他の駒と「対立」している、つまり「ナイト以外のすべての駒と異なる」のであれば、いかなる形をとっても「ナイト」は「ナイト」として機能するのだということです。そしてこれは言語においても同様であるとソシュールは主張しているわけです。

「かりに音が変化しても関係が変らない限り、言語学はそのような音変化に係わらない。」(p.80)

 ソシュールはさらにこのことを端的に次のように表現しています。

「言語の中には(つまり一言語状態の中には)差異しかない。」(p.253)

 以上見てきたように、ソシュールは言語の同定性という問題について、物理的な形そのものではなくて、言語全体の体系においてその語が他の全ての語と異なっているという関係こそが、その根拠になるのだと主張していたのでした。
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2016年08月19日

文法家列伝:ソシュール編(2/5)

(2)ソシュールは言語を体系として、認識との連関において取り上げた

 前回は、先月行われた参院選における安倍首相の発言や、5月に行われたオバマ大統領の「広島演説」を取り上げ、こうした言語から認識を正確に読み取っていくことが非常に難しいこと、それは言語の性質に規定されているのであって、言語とは何かを解明した科学的言語学体系によってこそ、自分の認識を正しく漏れなく伝えることができるし、相手の認識も正しく漏れなく理解することができるのだということを説きました。こうした科学的言語学を創出することこそが筆者の人生を賭した目標であって、そのために「文法家列伝」シリーズを執筆することで、優れた「文法家」の言語に関する考え方を丁寧に辿っていき、文化遺産を発展的に継承していきたいとの決意を述べました。そして今回取り上げるソシュールについて、その生涯と言語理論の大枠を簡単に紹介したところまででした。

 さて今回は、ソシュールの言語理論の特徴の1つとして、言語を体系と考え、言語と認識との間の連関を取り上げたという点についてみていきたいと思います。

 この問題を考察するために、まずは17世紀までの言語論から19世紀の比較言語学への流れを簡単に振り返っておくことにしましょう。

 言語研究が始まった古代ギリシャにおいては、言語とそれが指し示す対象との関係が考察されました。言語の意味は、それが指し示す対象にあるとされたのです。また、言語そのものの形態の変化(屈折)や文の中での位置づけ(修飾する語か修飾される語かなど)も研究テーマとなっていました。

 こうした古代ギリシャの言語研究の成果は、続く古代ローマ時代にラテン語に適用されました。中世になると、言語にはそれを表現する話者の心、つまり認識が関係していることが直観的に把握され始めました。具体的には、文法は全ての言語で本質的に同一であり、言語間の表面の差異は偶然的な変化であるという普遍文法が追及され、そこでは世界の事物の存在様式を人間の精神が感知し、言語として表現するという全ての人間に普遍的な様式が考えられました。また、動詞の屈折形について、単に対象となる事物の運動を表すのみならず、話し手の心を反映していることも直観的に把握されたのでした。

 言語研究が古代ギリシャ以来の大きな進展を見せたのが、17世紀後半に登場したポール・ロワイヤル文法とロックの言語論においてでした。これらの言語論においては、語を認識のあり方に基づいて大きく二分し、さらにそれらの細目を分類するという立体的な品詞分類を行ったのでした。具体的には、ポール・ロワイヤル文法では「思考の対象を表す語」と「思考の形態や様式を表す語」、ロックにおいては「心の中の観念の名前である語」と「心が観念や命題に与える関係を表す語」という形で語の二大別を行ったのです。両者とも、認識のあり方と言語との関係を大雑把にでも掴むことができたために、実体や属性という、これまである程度解明されてきたといえる直接の対象がある語(名詞や動詞など)だけでなく、直接の対象があるわけではない語(前置詞や接続詞など)に関する鋭い分析が可能となったのでした。

 18世紀から19世紀にかけては、言語の起源に関する考察が活発になるとともに、比較言語学という新たな研究が盛んになってきます。これは、言語学の対象を人間の意志とは関わりのない音韻法則にまで還元するもので、例えば、インド・ヨーロッパ語族の共通基語がどのような音韻法則によって、現在のドイツ語やフランス語や英語などに変化していったのか、その法則性を追求する研究です。言語の音には変化の法則があるのであって、それを明らかにすることこそが言語学の目的であると考える研究方法です。19世紀の終わりには、音韻法則に例外なしと宣言する学派も登場してくるまでに、音韻法則の研究が進んできたのでした。

 以上のような言語研究の流れを見てみると、大きな観点からは、17世紀までの言語研究では、言語とそれが指し示す対象との間に認識が介在するのではないかということが徐々に分かってきて、その認識というものと言語との関係を深めていく、という流れがあったのですが、19世紀に盛んになった比較言語学においては、言語の音声が歴史的にどのように変化していくのかという発展法則に関して、人間の認識とは切り離して考察されていったということがいえると思います。こうした変化の背景には、ヘーゲルの歴史主義やダーウィンが描いた生物進化の系統樹、さらには当時の経験主義的・実証主義的研究方法の隆盛といったことが大きく影響していると考えられます。(詳細については、本ブログに掲載されている「比較言語学誕生の歴史的必然性を問う」を参照していただきたいと思います。)

 ソシュールが言語学の道に進んだ時の情況というのは、まさにこうした比較言語学が隆盛を極めていた時代だったのです。

 ではソシュールは、当時流行していた比較言語学をどのように捉えていたのでしょうか。

「音声変化というものは我々が意識していない言語現象の1つで、当然、直接与えられてはいないものである。すべての語において、個別(﹅﹅)の(﹅)要素が音声変化を蒙ったからといって、個別(﹅﹅)の(﹅)要素がある法則下におかれて変化するなどということはあり得ない! したがって、音声法則などという語を使用することは誤りである。」(p.89)

 ここでソシュールは、個別の要素の音声変化を扱う比較言語学について、否定的な評価をしていることが分かります。そもそも、ある一時代に暮らしている個々の人間にとっては、音声変化は通常意識されないもの(はっきりいえば、どうでもいいもの!)です。また「個別の」に傍点がついていることからも分かるように、ソシュールの考えでは、個々の音声に焦点を当てたような研究方法は、たとえそこからどのような「法則」的なものが導き出されたとしても、それは言語学全体から見れば単なる1つの現象に過ぎず、「法則」などいう全体を貫く規則性を表す言葉は使えないのだということになります。

 さらにソシュールは、言葉に関する不完全な考え方として、「言語を、根も環境ももたない1つの有機体と考えたり、自らの生をもち、おのずから生長する1つの種の如くみなす考え方」(p.84)、「“食べる”という機能と同じような自然的機能を、言語の中にも見かねない」(p.85)考え方を挙げています。こうした考え方は、言語を人間の認識とは関係なく生成・発展・消滅する有機体であるとみなし、言語を自然科学の対象として扱った比較言語学の考え方そのものであり、ソシュールはそれを言語に関する不完全な考え方であると非難しているのです。

 こうしたソシュールの考え方は、言語をどのようなものと考えるのかという根本的な思想に規定されています。ソシュールは、「言語が何よりもまず記号の体系である」(p.127)ことは明らかだとしたうえで、言語がどのようなものであるかについて、以下のように語っているのです。

「シーニュ〔記号〕の体系という単位の体系は、価値体系にほかならぬ。……いかなる価値といえども個的存在ではあり得ず、記号は集団〔体系〕の容認によってしか即自的な価値をもつには至らないであろう。」(p.67)

「我々には1つの語が単独に存在し得るという幻想があるが、ある語の価値は、いかなる瞬間においても、他の同じような単位との関係によってしか生じない。語や辞項から出発して体系を抽き出してはならない。……その反対に、出発すべきは体系からであり、互いに固く結ばれた全体からである。」(p.68)

「私たちは孤立した語からではなく、諸語の体系から出発するみちを選んで価値という観念に到達した。」(p.48)

「音素を分類するにあたっては、それらが何からできているかを知ることより、それらが互いに何において異なっているかを知る方が問題である。したがって、分類に際しては、否定的な要因の方が実定的な要因より重要となる。」(p.79)

「言語学なる営為を行うとき、そのすべての規則において、音声学者とか生理学者である必要は全くない。(……)生理学的音声学は言語学に属していない。」(同上)

「コトバは根柢的に、対立に基盤を置く体系という特性をもつ。」(p.147)

 ここでソシュールがいわんとしていることは、言語を考察する場合には、個々の言語のある音素がどのように変化するかというような問題は大した意味がなく、言語を価値の体系として検討していく必要があるということです。そして、言語の価値(*)というものは、「それが何からできているか」という「実定的な要素」ではなくて、他の言語との違いという「否定的な要素」によって決定されるというのです。つまり、他の言語と「対立」を示してさえいれば、他の言語と違うという「関係」が変化しなければ、ある言語のある音素が変化しようがしまいが、その言語の価値は何ら変化しないのだということです。

 それでは、ソシュールのいう言語という価値の体系とはどのようなものなのでしょうか。このことについてソシュールは、「観念の差異に結びつけられた音の差異としてのラングの全体系」(p.254)という表現を使っています(ここで「ラング」とは何かということが問題になりますが、詳細は次々回に説くとして、ここでは簡単には言語のことだと考えておいてください)。言語が「音の差異」であると把握されていることは、上に述べたことで分かると思うのですが、問題は、その「音の差異」が「観念の差異」に結びつけられているとされていることです。端的に結論をいえば、ソシュールは言語の価値体系は物質的な存在ではなくて、人間の精神の中にある心的な存在だと主張しているのです。具体的にいえば、例えば「鉛筆」という観念が「ボールペン」という観念や「万年筆」という観念と違ったものとして頭の中にイメージされていて、その観念に「えんぴつ」という音が結びついて頭の中に存在しています。同じように、「ボールペン」という観念も「万年筆」という観念も音のイメージとともに頭の中に存在していて、それらの記号の集合体、総体が言語=「ラング」=「記号の体系」=「価値の体系」だというのです。

 ここで初めに述べた言語研究史の流れの中にソシュールの言語観を位置づけてみると、どのようなことがいえるでしょうか。それは言語を全体として把握し、認識との連関において再び取り上げたのだ、ということです。17世紀の言語論に至るまでの過程においては、言語研究は言語と認識との関係を深めていくという流れにあったことは上に見た通りですが、19世紀の比較言語学において、言語が個別の音韻法則として、人間の認識とは無関係のものとして、自然科学の対象として、把握されたのでした。しかし、言語を人間の認識と完全に切り離してしまって、個々の音声の変化法則だと理解したのでは、言語とは何かを把握することはできないのではないかと考えたソシュールは、前回少しふれたように、通時的言語学ではなくて共時的言語学を構築しようした流れの中で、言語研究の中心テーマは個別の音声がどのように変化するかということではなくて、言語全体の体系を解明することだと考えるに至り、それを価値体系として、心的な存在として、人間の認識との連関において検討していったのでした。

(*)ソシュールが「言語の価値」をどのようなものとして把握しているかについては、明確には述べられていないが、ある音がどのような観念を担っているのかという言語の役割のことを指しているように思われます。
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2016年08月18日

文法家列伝:ソシュール編(1/5)

〈目次〉

(1)ソシュールの言語理論の歴史的意義とは何か
(2)ソシュールは言語を体系として、認識との連関において取り上げた
(3)ソシュールは言語の同定性を関係に求めた
(4)ソシュールは「ラング」を「パロール」から区別した
(5)ソシュールは「ラング」という心的な記号の体系を言語の事実から抽出した


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(1)ソシュールの言語理論の歴史的意義とは何か

 先月行われた参議院議員選挙において、自公政権をはじめとするいわゆる「改憲勢力」が、非改選も含めた参議院全体の議席の3分の2を占めるに至りました。衆議院においても、自公などのいわゆる「改憲勢力」は既に3分の2以上の議席を占めているため、憲政史上初めて、改憲の発議が可能な情勢となったのです。

 安倍晋三首相は選挙前から、「後戻りすれば混乱の4年前に戻ってしまう」、「アベノミクスを前進させるか後退させるか、それを決める選挙」(*1)だとして、参院選の最大の争点が「アベノミクス」にあると語っていました。また、選挙期間中においても、同様、「アベノミクス」の是非が争点との認識を示し、「政策を前に進め、国民を豊かにしていくのか。それとも再び混迷の状況に国民を置くのか。前進か後退かを決める選挙だ」(*2)ということを強調していたのでした。これらの発言には、民主党政権の失敗との対比において、「アベノミクス」の成果を強調する意図が含まれているといえるでしょう。「アベノミクス」そのものをそのものだけで評価するとすれば、賛否両論あるかもしれませんが、「アベノミクス」を民主党政権の経済政策の失敗と並べ、「アベノミクス」が「前進」であって、民主党政権時代の復帰が「後退」であるという印象を強く打ち出すことで、国民が「後退」より「前進」が望ましいとして、「アベノミクス」を支持する方向に向かうよう、言葉巧みに訴えたのでした。

 加えて、もう1つ、安倍首相の発言には重大な意義があったことを見逃してはなりません。つまり、参院選の最大の争点を「アベノミクス」の是非を問うことにあると訴えることで、憲法改正という国の重大事を参院選の争点から実質上、外してしまうということです。安倍首相は以前から、憲法改正は自民党の党是であり、「私の在任中に成し遂げたい」(*3)と語っていました。しかし、参院選においては、この論点を全く取り上げず、野党との間での争点化という形をとらなかったのです。これは、各種の世論調査委おいて、憲法改正に「反対」が「賛成」を上回っていた(*4)ことによるものと思われます。要するに安倍首相は、参院選の最大の争点として「アベノミクス」の「前進か後退か」を問うことを前面に押し出すことによって、場合によっては与党側に不利に働く可能性のある憲法改正問題を棚上げするという戦略をとったのであり、その意図が選挙期間中の安倍首相の発言に表れているということです。

 ここで最も注意すべきことは、安倍首相が選挙期間中に全く語らなかった憲法改正問題は、安倍首相の頭の中から消えてしまっていたのではなくて、重要課題としての認識が薄れてしまったのでもなくて、終始一貫して最大の懸案としてイメージされていたのだ、ということです。その証拠に、参院選での勝利の翌日、安倍首相は次のように語っているのです。

「自民党は立党60年でございます。常にわれわれは憲法改正を掲げ続けてきたわけであります。このたいまつは、私の前任者の谷垣(禎一)幹事長から私が受け継いでいます。谷垣さんが総裁のときに、改正草案ができあがったわけでございます。それを実現していくというのは総裁としての責務ではあります」(*5)

 端的にいえば、安倍首相の認識は一貫していたものの、その表現は選挙期間中だけ変更させられていたということです。こうした、選挙期間中の発言だけを捉えて安倍首相の認識を把握したとすることが誤りであることの傍証として、2013年7月の参院選では全く触れていなかったいわゆる特定機密保護法を同年12月に成立させたことや、「アベノミクス解散」と名付けた2014年12月の衆院選後には、多くの憲法学者らが違憲と指摘した安保関連法の成立を強行したことなどが挙げられます。一般的にいえば、ある人物の認識とその表現とは相対的に独立しているのであって、ある表現のみから相手の認識を把握したと簡単に決めてかかってはならないということです。

 このことは、5月27日に行われたオバマ米大統領による「広島演説」についてもいえることです。詳細は本ブログに掲載した「オバマ米大統領の「広島演説」を問う」に説きましたが、簡単には、「哲学的な表現で核廃絶を世界に発信した」と被爆者からも評価された「広島演説」の背後には、米国世論に配慮しつつ、自らの「レガシー」を構築したいというオバマ大統領の認識が隠されていたのでした。

 以上の安倍首相の発言やオバマ大統領の「広島演説」の例から一体何がいいたいのかを再度まとめておくと、簡単には、言語という表現から認識を把握することは非常に難しいのであって、それほど言語というものは把握しにくいものだということになります。言語を表面的に理解していたのでは、安倍首相の言葉を簡単に信じてしまって、日本の未来が閉ざされてしまったり、オバマ大統領の「広島演説」を絶賛することで、日本人の主体性を取り戻すことができなくなったりといった、誤った方向に進んでしまいかねないのであるということです。しかしこのことは逆からいえば、言語とはどのようなものかという本質的な理解があれば、日本の明るい未来を切り開いていくことも可能となるし、日本人が主体性を取り戻して、世界において重要な地位を占め、世界をリードしていく道も開かれていくのだ、ということでもあるのです。

 では、言語とはどのようなものかという本質的な理解を可能とするものとは、一体何なのでしょうか。それこそ、筆者が生涯を賭して創出しようとしている科学的言語学体系に他なりません。この科学的言語学に学び、生活の中で実践していくことで、自分の認識を正しく漏れなく伝えることができるとともに、相手の認識を正しく漏れなく掴み取ることができる、そうした言語の実践が可能となるような理論体系を構築すること、これこそ筆者の全人生をかけての目標なのです。(*6)

 それでは、筆者が目指す科学的言語学体系はどのような道筋で構築していくことができるのでしょうか。実はその道筋の1つが、本稿を含めた「文法家列伝」シリーズの執筆なのです。どういうことかといえば、一般的に、科学的理論体系というものは、ある天才的な個人がその生涯において、全くのゼロから創出できるような簡単なものではなくて、世代交代を通じて獲得し継承されてきた文化遺産をまずは自らの実力とし、その上でそれらの遺産を批判的・発展的に継承していくことでこそ創出可能なものなのです。そしてこのことは言語学についても同様であって、言語に関して人類が獲得してきた知見がどのように発展していったのかを辿り科学的言語学体系を構築するためにこそ、時代時代の優れた「文法家」を取り上げ、彼らの歴史的意義を考察してきているのです。

 ということで今回取り上げるのは、「近代言語学の父」といわれるフェルディナン・ド・ソシュールです。まずはソシュールの簡単な経歴を紹介しておきましょう。ソシュールは1857年、スイスのジュネーヴに生まれます。ギリシャ語やサンスクリットを学び、1876年、創立されたばかりのパリ言語学会に入会します。10代のうちに数々の比較言語学関係の論文を発表し、途中、ベルリン大学にも留学して、1880年、ライプツィヒ大学を卒業します。その後、パリ大学の講師を務め、1891年、故郷のジュネーヴに戻ります。1906年にはジュネーヴ大学の正教授となり、3度にわたって有名な「一般言語学講義」を行います。そして1913年、55歳で没したのでした。

 ソシュールは、19世紀に盛んであった比較言語学から言語学の道に入ったのですが、最終的には比較言語学を離れ、一般言語学の構築を目指したといえます。ソシュールの用語でいえば、通時的言語学ではなくて共時的言語学を構築しようとしたということです。つまり、ある時代の言語を捉え、それがどのような体系によって成り立っているのかを解明しようとしたのでした。

 本稿では、「一般言語学講義」(*7)などをもとに、こうしたソシュールの言語理論の特徴的な部分を取り上げ、その歴史的意義を考察していくこととします。まず、ソシュールが言語を体系と考え、言語と認識の間の連関を取り上げたことについて述べ、次に、ソシュールが言語の同定性(何によって同一の言語だといえるのか)をどのように考えたのかを見ていきます。そして最後に、ソシュールの言語理論の最大の特徴である「ラング」と「パロール」について考察していきます。

(*1)6/7自民党全国幹事長会議での発言
https://www.youtube.com/watch?v=uEuzEVQUHhY

(*2)7/6自公連絡会議での発言
https://www.komei.or.jp/news/detail/20160607_20290

(*3)3/2参院予算委員会での発言
http://mainichi.jp/senkyo/articles/20160302/k00/00e/010/259000c

(*4)例えば、産経新聞社とFNNによる合同世論調査など
http://www.sankei.com/politics/news/160620/plt1606200052-n1.html

(*5)7/11自民党本部での記者会見での発言
http://www.sankei.com/politics/news/160711/plt1607110206-n5.html

(*6)科学的言語学体系の創出によって可能となることは、単に日常会話レベルの意志疎通が誤りなく行われるようになるというレベルにとどまりません。そもそも言語は、人間社会を維持発展させるためにこそ創出されたものであり、こうした言語というものを科学的理論として把握できれば、人間社会の大きな発展に資することができるというのが筆者の志の原点にある考え方です。このあたりの詳細については、別途機会を設けて説いていきたいと考えています。

(*7)ソシュールの「一般言語学講義」は小林英夫訳『一般言語学講義』として出版されていますが、これは当時の聴講学生たちの講義録を弟子のバイイたちが再構成したものです。この『一般言語学講義』は、その後に発見されたソシュールの手稿などの原資料などによって、ソシュールの真意がかなり歪曲されていることが明らかになっています。そこで本稿では、特に断りがない場合には、丸山圭三郎『ソシュールを読む』(2012年、講談社学術文庫)からソシュールの言葉を引用(孫引き)することにします。原資料なども含めて、より正確にソシュールの言語理論を把握することができると考えるからです。なお、引用文に付されている傍点については、必要と思われる箇所を除いて省略しました。
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2016年08月17日

ロックの教育論から何を学ぶべきか(5/5)

(5)科学的な人間観を子どもに伝えていかなければならない

 相模原事件を受けて一人ひとりの人間をどのように捉えるかが大きく問われているということ、そこで教師としては人類が歴史的にどのような人間観を形成していったのかを教育学の歴史から把握しておく必要があるということを踏まえて、その教育学の歴史を把握するため、本稿ではロックの教育論に焦点を当て、そこから学ぶべきものは何かを明らかにしようとしてきました。

 ここで、これまでの流れを振り返ってみましょう。まずロックが紳士の教育と貧民の教育という形で2つにわけて教育を論じたことに関わって、ロックの人間観と教育観について見てきました。当時のイギリス社会では政治的な担い手となった紳士階級と、政治的にも経済的にも力をもたない貧民階級という2つにわかれており、社会的な役割としては決して同じではなかったことから、ロックはそれぞれの教育を別に論じたのでした。しかし、どちらの教育論においても、コメニウスから受け継いだ人間の可能性・教育の可能性という認識が含まれているのであり、貧民(の子ども)も教育を与えれば社会的に役立つ存在となるという形で、あらゆる個人の発展が社会の発展につながるという視点を提示したことが重要な意義だということでした。そして、紳士の教育に関しては、自らの欲望を抑えて正しい判断に従って行動できる人間(理性的な人間)として育てることが重要だとしていたのでした。

 続いて、そのような人間を育てるためにはどうすればよいのかという点について、ロックの見解を見てきました。ここでは習慣ということを重視していました。つまり、人間は習慣によって創られるのであり、どんな習慣を創るかこそが教育上重要なのだということです。そもそも人間は理性的な存在なのですから、正しい判断に従うこと、自分の欲望を抑えて行動することに、幼いころから慣れさせなければならないのだということでした。そのときに気をつけなければならないのは、たとえ同じ行動であっても、その背後にある認識がどのようなものなのかに着目しなければならないということでした。このように、行動の背後にある認識に焦点を当てて、そこを育てていくことを主張したのがロックの教育論の特徴だということでした。

 最後に、教育に携わる教師がどうあるべきなのかという点について、ロックの見解を見てきました。子どもを理性的存在として育てていくためには、そもそも教師自身が理性的存在でなければならないのであって、教師が子どもの理性となって子どもを統括していかなければならないのだということでした。そのためには、教師の子どもへの深い愛情を感じさせることが最も重要であり、そのような愛情を感じるからこそ、子どもは教師に従うのだということでした。また、子どもが教師に反抗してきて争いになったときには、決して子どもに負けてはならないのであり、それだけの覚悟が教師には求められるのだということでした。

 このように見てくると、ロックの教育論の根幹は「人間は理性的な存在であり、教育(習慣)によってそのような人間として創ることができる」ということになるでしょう。教師としてもこのような科学的な人間観があるからこそ、そのモデルとして自らを理性的な存在として律することができるのであるし、目の前の子どもの可能性を信じて愛情を注ぐことができるのです。そして、その成長は社会の発展に大きく寄与するのだという視点を提示したのです。

 このような人間観こそ、冒頭で述べた相模原の事件が提起する問題に答えるものだと言えます。つまり、どんな人間であろうと、いかに障害があろうとも、人間として成長していく可能性があるのであり、生きる価値があるのだということです。

 この事件で重傷を負った方に森真吾(51)さんがおられます。真吾さんは5歳のときに重度の障害があることが分かりました。その後、養護学校を経て、この施設で暮らすようになり、20年を過ごしておられます。父親の正英さん、母親の悦子さんは、次男を交通事故で失って以降、障害を持つ真吾さんにいっそうの愛情を注ぐようになり、これまで10日に1回は施設から連れ出して自宅で過ごしておられたそうです。園に迎えに行くと真吾さんは喜んで飛び出してきたそうです。そんな真吾さんについて、悦子さんは「障害があることは辛いけれど、少しずつ成長する姿を見るのが何よりの生きがいでした」と話しておられます(注)。

 初めて産まれた子どもが重度の障害をもっていたこと、次に産まれた子どもに対してはきっと「兄弟仲良く過ごしてほしい」「兄を支えてあげてほしい」という思いを抱いていたでしょうが、その子どもが亡くなってしまったこと、その驚きと悲しみは本当にいかほどのものであっただろうと思います。そうした辛い中でも、時には真吾さんとのかかわりが苦しく感じられたこともあったでしょうが、愛情を注ぎ続けてこられたからこそ、真吾さんは重い障害を抱えながらも少しずつ成長し、幸せな生活ができていたのです。そして、そのことがご両親にとってこの上ない励みになっていたのです。

 これを少し高い視点から眺めるならば、障害者も周囲からの働きかけによって、その人間としてもっている可能性を発揮することができるのであり、そのことをとおして、家族という小社会に大きくプラスの影響を与えるのだということです。もし真吾さんが亡くなっていたならば、この小社会にとって計り知れないダメージを与えたでしょうし、そのことはこの小社会と関わる社会全体へも影響を及ぼしたでしょう。

 このように障害者も人間としての一般性に貫かれているのであり、その可能性の発揮のために社会的な支援を行うことは、社会的な意義をもつものなのです。

 教師としては、こうした人間観を自らがしっかりもつこと、そしてそれを子どもたちに伝えていくことが求められていると言えるでしょう。時には、この事件と同様のことが、学級でも起こります。例えば特別支援学級の子どもに対して、クラスの子どもが「あんなやつ、死んでしまえばいい」という考えを抱くこともあります。そういうことが出てきた場合、教師はその子どもと対峙しなければなりません。まさにロックのいう支配権争いです。そのとき、教師自身がいかに豊かな人間観を抱けているか、自らの実感としてすべての人間の価値を自覚できているかどうかが問われるのです。これができていなければ、子どもに屈服するしかなく、クラスの他の子どもを守ることもできなくなります。その結果は、今回の事件のように命にかかわることもあるのです。

 もっとも、子どもが何らかの問題のある発言をしてきた場合、その背後には「もっと自分を見てほしい」という思いがある(つまり愛情を求めている)こともあります。表現にとらわれた対応では、かえって状況が悪化することもあります。こうした意味でも、認識に目を向けることを指摘したロックの教育論をしっかりと学ぶべきだと言えるでしょう。

 今回のような事件が二度と起こらないように、子どもたちに科学的な人間観を形成させること、その役割を担う教師を育てるための教育学を構築すること、これこそ自らの使命であることを確認して、本稿を終えたいと思います。

(注)
産経ニュース「無防備「怖かったろう」 入居者の家族慟哭「差別なくなってほしい」」より
http://www.sankei.com/affairs/news/160728/afr1607280030-n2.html
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2016年08月16日

ロックの教育論から何を学ぶべきか(4/5)

(4)ロックは教師は子どもの理性として統括しなければならないと主張した

 前回は、ロックが子どもの認識に目を向けるべきだと説いていることを紹介しました。同じ言動に対しても、どのような認識なのかに応じて、親や教師は働きかけ方を変えなければならないということを主張したのです。このように、認識というものを明確に意識し、ここを教育の対象として捉えたことがロックの大きな特徴なのでした。ロックは欲望を抑えることに慣れさせることが教育上重要であり、そのために子どもの認識に目を向けることを主張したのです。

 しかし、子どもに自身の欲望を抑えさせるためには、子どもに関わっていく親や教師自身が理性的な存在でなければならないとロックは主張しています。今回は、ロックが教師のあり方についてどのように説いているのかを見ていきましょう。

 まずロックは次のように述べています。

「家庭教師が自分の感情を放任しておいて、感情の抑制を語ることは、まったく無駄であるし、また自分自身には容認しておいて、どんなに悪癖、不作法をも、自分の生徒に改めさせようと努力しても無駄です。悪い手本はかならず、良い規則よりもっとよく従われるものです。」(pp.123)


 つまり、教師が感情的であれば、いかに感情の抑制を子どもに語ったところで無駄だということです。そういう悪い手本は必ず真似されてしまうということです。これは逆に言うと、教師自身が理性的であるからこそ、それをモデルとして、子どもは自分の感情をコントロールするようになるのだということでもあります。

 もう少し言えば、教師自身が子どもの理性となって、子どもをコントロールするようにしなければならないのだということが言えるでしょう。まだまだ理性が育っていない子どもに代わって、教師が理性の役割を果たさなければならないということです。これは、教師の言うことを子どもがしっかり聞くように関係を創らなければならないということでもあります。

 では、そのような関係はどのようにして創ることができるのでしょうか。この点について、ロックは次のように述べています。

「子供に、できるだけ貴下からの良い評判を保たせなさい。というのは、もし一度彼が自分の評判を失ったことを悟ると、貴下は子供に対するもっとも重要な押さえ処を失うことになりますから。」(p.211)


「その態度全体を一種やさしいものにして、彼が子供を愛していること、および教師は子供のためになることしか考えていないことを感得させなさい、これが子供の心に親愛の情を生じさせる唯一の方法で、それにより、子供はその学業に耳を傾け、教えられることを楽しく思うようになるでしょう。」(p.262)


 つまり、教師が子どもを愛しているということを感じさせなければならないということです。それができれば子どもは教師を信頼するけれども、逆に教師からの評判を失ったと感じれば、一切教師の言うことを聞かなくなるということです。

 ここについては、私自身、忘れがたいエピソードがあります。昨年、6年生を担任したのですが学級が非常に荒れてしまっていました。子どもと関わるのが本当に辛いと思っていたのですが、ある時、学年主任の先生から「子どもの前では嘘でもいいから『君らのことが好きだ』ということを演じてください。『僕ら見捨てられた』と思ったら、糸が切れた風船みたいに飛んでいってしまいますから。それは最後まで演じ続けてください。」と言われたのです。子どもはどんな状況であっても、教師からの愛情を求めているのであり、教師はとにかくその愛情を示さなければならないのだということです。これはロックが指摘していることと同じだと言えるでしょう。

 そして、子どもは教師からの愛情を求めているのだということも実際に体験しました。3月、社会科の授業でプリント学習をしたときのことです。各自がプリントの問題を解いていくものだったのですが、クラスで最も荒れている子は「こんなんやらへんし」と言って、消しゴムを飛ばして遊んでいました。「やってみようや」などと声をかけても、「うっさい、あっち行け」というような状況でした。それでも何度も関わり続けているうちに取り組むようになり、わからない問題は「先生、これどうやるの?」と尋ねてきて、私のヒントの聞きながら解くようになったのです。「反抗しているけれども、本当は関わってほしいのだ」ということを強く感じた場面でした。

 このように子どもへの愛情を示して信頼を勝ち取ること、これこそが教師が理性として子どもを統括するという関係を創るためにもっとも重要な点なのであり、そのことをロックは指摘しているのです。

 時として子どもが意図的に反抗してくることもありますが、そうしたときにも、子どもと対峙すべきであることを主張しています。

「強情なこと、片意地に純情にならぬことは、腕力に訴え、殴ってでも制圧されねばなりません、これに対しては、他に矯正法がないのです。どんな特定のことをしろと子供に命じようが、禁じようが、貴下はかならず自分の言うことを聞かせるようにしなければなりません、この場合に容赦しなければ、反抗はされないのです。というのは、貴下が命じ、彼が拒むというようなことがあって、一度腕くらべという事態、実際貴下がたの間における支配権争いになりますと、もしうなずいたり言葉で言ってうまく行かぬなら、そのためにどれほど殴らねばならぬとしても、かならずそれを実行しなくてはなりません。そうしないと、その後いつも、貴下は自分の息子の言うなりになって暮す積りでいることになります。」(p.107)


 これは、子どもが教師の指示に反抗し支配権争いになった場合は、絶対にやらせなければならない、もしここで譲ってしまっては教師は子どもの言いなりになってしまうだろう、ということです。

 教師をしていると、子どもと戦わなければならない場面はたくさん出てきます。そのときに筋をとおして子どもを従わせることができるかどうかが大きく問われるのであって、もしこれができなければ学級崩壊になります。教師にはそういう覚悟が求められるのだとロックは主張しているのであり、非常に重要な指摘だと言えるでしょう。

 このように教師は子どもの理性としてあるべきだということ、そのためには子どもへの深い愛情と決して子どもに負けない覚悟が必要なのだということをロックは教師のあるべき姿として説いているのです。
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2016年08月15日

ロックの教育論から何を学ぶべきか(3/5)

(3)ロックは子どもの認識に目を向けて習慣を形成することを説いた

 前回は、ロックの人間観・教育観がどのようなものであるのかを見てきました。ロックは当時のイギリス社会の状況を踏まえて、紳士の教育と貧民の教育という2つを分けて説いたのですが、どちらにおいても人間の可能性や教育の可能性についての認識が含まれていることを確認しました。そして、このような人間観・教育観はコメニウスから継承したものだと指摘しました。

 2つの教育論のうち、ロックが特に力を注いでいるのは、当時のイギリス社会の担い手となる紳士階級の教育です。そこではロックは人間を理性的な存在だと捉え、自らの欲望を抑えて正しいことが行えるようにすることが必要だと捉えたのでした。

 では、どのようにすればそうした人間を育てることができるのでしょうか。今回はこの点を見ていきたいと思います。

 ここに関わって、ロックが重視しているのは「習慣」です。つまり、日々の習慣によって人間の行動や考え方などは創られるのだということです。たとえば、暑さや寒さに耐えられるかどうか、食事を1日に何回とるかなども習慣によって決まっているのだと主張しています。さらに、この習慣は人間の生理的欲求をも従わせるのだとして、人間の尿意や便意をコントロールした実験について紹介しています。

「完全には随意的でない若干の運動も、もし絶間ない習慣で一定期間、たえず引き起されるように努力するなら、習慣と、不断の使用とによって、癖のようになるだろうとわたくしは考えました。(中略)もし人が朝、始めて食事をした後で、直ちに生理的欲求を起こさせるようにして、無理に便通をすることができるかやって見ると、いつもそうしているうちに、便通の習慣ができるとわたくしは推論したのです。」(p.40)


「いつであれ、便意を催しても催さなくても、朝食後便所にいつも行くように注意して、自然にその任務を遂行させるように努力し、しかも数カ月のうちには望み通り成功し、きまった習慣がついて、自分自身で怠けるのでなければ朝食後、めったに便通がないような人を、わたくしはだれも知らないのです。」(pp.40-41)


 このような実験をとおして、ロックは習慣によって人間は創られていくのだということを実感していたのです。こうした体験をもとに、「教育で留意されねばならぬ重要なことは、どんな習慣をつけるかということです」(p.33)と述べています。

 そもそもロックは自らの欲求を抑えて正しいと判断したことができるようにすることが教育だと考えていたのでした。そうすると、自らの欲求を抑える習慣を身につけさせることが、教育上重要となります。現に、次のように述べています。

「子供はゆりかごにいる間からさえ、自分の欲望を克服し、熱望するものをもたずに我慢することに慣れるようにすべきだ」(p.54)


「若いときに、自己の意志を他人の理性に服従させることになれていない者は、自己の理性を活用すべき年齢になっても、自分自身の理性に傾聴し、従うことは、めったにないものです。」(p.50)


 このように、小さい時から自分の欲求を抑えることに慣れさせなければならないと主張しているのです。

 ただし、正しいことを行わせたり、よくないことをやめさせたりするときに、感覚的な快楽や苦痛を与えることをロックは否定しています。

「ただ鞭打たれるのを恐れるばかりに、自分の好みに反して、苦労して書物を読んだり、自分では好きだが、健康にはよくない果物を食べることを控えているような子供が、感覚的な快楽と苦痛以外のいかなるほかの動機から行動するものでしょうか。この点においては、子供はただ、より大きな肉体的快楽の方を択ぶか、より大きな肉体的苦痛を避けるものです。そして、このような動機によって、彼の行動を支配し、彼の行為を導くこととは、実に、根こそぎにし、跡形もないようにするのがわれわれの仕事であるようなあの素質を、子供のうちに育て上げることにほかならないでしょう。」(p.63)

 つまり、鞭でたたいたりするのは、結局、感覚的な快楽を求めたり、肉体的苦痛を避けたりするようにしているのであって、自分の欲求を抑えさせていることにはならない、むしろそれを欲求に従うことを助長してしまうということです。そもそも「子供たちは称賛、称揚に非常に敏感」であるから、「良いことをやったときに、父親は子供たちをおだててほめ、悪いことをしたときに、冷淡な無視したような顔つきを見せ」ること(p.70)、このような尊敬と不名誉によって、子どもの行動をコントロールすることが重要だと言うのです。

 つまり、ロックは行動の背後にある認識に着目していると言えるでしょう。同じよい行動をしていたとしても、それは自分の欲求を満たすためのものなのか、正しいと判断してのことなのかを見極めなければならないということです。

 この「認識への着目」という点は、ロックの教育論の大きな特徴です。例えば、「泣き叫ぶことについて」(p.167)という章では、泣き叫ぶという言動の背後にある認識に応じて対応を変えるべきだと主張しています。

 ロックによると、泣き叫ぶ理由は2つあり、1つは「支配権を得ようとの努力」であり、もう1つは「苦痛とか真の悲しみの結果であり、そういうものに苦しむ自分自身を悲しんでいる」ということです。

 少しイメージを描いてみるならば、前者はいわば駄々っ子というものでしょう。自分の欲しいものを買ってもらえなくて、お店で大泣きしている子どもは、そうすることによって、両親の行動を支配しようとしているのだと捉えることができます。これに対して後者は、例えば、転んだ、ボールが当たったなどで痛くて泣いている子どもということになります。

 そして「これら二つのものは、注意深く観察するなら、態度、顔付き、動作によって、とりわけその泣き声の調子で容易に区別でき」ると述べています。その上で、駄々っ子のように泣く場合は厳しく対応しないといけないが、苦痛で泣いている場合は穏やかに対応しないといけないと述べています。この対応の是非については様々な考え方があるでしょうが、重要なのは同じ泣くという行為に対しても、その背後にある認識の違いを見て対応を変えるべきだと主張していることです。

 他にも、子どもが何か悪いことをしたときにどう対応するべきかという問題についても、ロックは次のように述べています。

「子供がどんな失態をやっても、またその結果がどうあろうとも、注意するにあたって考慮すべきことは、ただいかなる根源から発しているかということと、それはどんな習慣をつけることになるかということだけです。そしてその矯正も、その方向に向けられるべきで、遊びごとや不注意から起こったかも知れないような危害に対しては、どんな罰も子供たちに加えてはならないということです。直さなくてはならぬ過ちは、心にあります。そしてもしその過ちも、年嵩が行けば治るか、悪い習慣が後からつかぬものであれば、現在の行動が現在どれほど不愉快な状況を伴っていても、なんら責めることなく、大目に見てやるべきです。」(pp.187-188)


 つまり、子どもの失態について、単なる不注意なのか、それとも意図的にやったのかを判断し、単なる不注意で、それが成長とともに治るようなものであれば、大目に見ればよいということです。一言でいえば、どのような認識で行ったのかを見なければならないということです。

 このようにロックは子どもの言動の背後にある認識に目を向けることを説いたのです。認識に目を向けて適切に働きかけることによって、自らの欲望を抑えることに慣れさせることこそ教育として重要だと主張したのです。
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2016年08月14日

ロックの教育論から何を学ぶべきか(2/5)

(2)ロックは個人の発展が社会の発展につながるという視点を提示した

 前回は、相模原事件を受けて一人ひとりの人間をどのように捉えるかが大きく問われているということ、教師としては人類が歴史的にどのような人間観を形成していったのかを教育学の歴史から把握しておく必要があるということを説きました。その教育学の歴史を把握しようとする試みとして、本稿ではロックの教育論に焦点を当て、そこから学ぶべきものを明らかにしようとしています。今回は、ロックの人間観・教育観について見ていきたいと思います。

 前回見てきたように、当時のイギリス社会はジェントリやヨーマンといった経済的な力を蓄えた人々が政治の実権を握っていったのでした。一方で、土地を追われた農民は労働者として毛織物工業などに従事したり、浮浪者となったりしました。こうした経済的に貧しい人々を支えていた村や教会の力が弱まる中で、増加していく貧民をどう扱うかということが国家的な問題として浮上してきたのです。このような背景のもとで、ロックは紳士の教育と貧民の教育という形で2つに区分して論じたのです。

 では、紳士の教育についてはどのような見解をもっていたのでしょうか。ロックは、紳士の教育について説いた『教育に関する考察』の冒頭部分で次のように述べています。

「自分の生まれつきの才能で、ゆりかごのいる幼児の時代から、まっ直ぐに、いわゆる卓抜な人物になって行き、この彼等の仕合わせな素質の特権によって、世人を驚かすことを行なうことができるということを、わたくしは認めます。しかし、こんな人たちの例はほんのわずかで、われわれが出逢う万人の中で、十人の中九人までは、良くも悪くも、有用にも無用にも、教育によってなるものだと言って差し支えないと思われます。教育こそ、人間の間に大きな相違をもたらすものです。われわれの敏感な幼年時代に与えられた、わずかの、言いかえればほとんど感じられないくらいの印象が、非常に重大な、また長続きする影響を与えるのです。」(p.14)


 つまり、人間の様々な違いは基本的には教育によってもたらされるものだということです。そして、どのような教育を与えるかがその後に非常に大きな影響を与えるのだということです。ロックは人間の精神はもともと何の観念ももっていないのだと考えていました(精神白紙説)。したがって、もともと人間に違いはないということになります。その違いを生み出すのが教育だということです。

 このように、ロックは教育の及ぼす力を認識していたのです。それと同時に、人間は教育によっていかようにも育つということで、人間の可能性(および危険性)ということに着目していたのです。これは「人間は教育によって人間となる」というコメニウスの人間観を受け継いだものだと言えるでしょう。

 では、どのような人間として育てればよいのかという点について、ロックは、人間は理性的動物(正しいことを判断して行動できる動物)だと捉え、自らの欲望を押さえるそのような存在として育てるように主張しています。

「あらゆる徳と価値の偉大な原理と基礎がおかれていますのは、人間は自己の欲望を拒み、自己の傾向性をおさえ、欲望が別の方向へ傾いても、理性が最善と示す処に純粋に従うことができるという点です。」(『教育に関する考察』pp.46-47)


「身体が精神の命令に従い、それを実行することができるように、体力と活力を保持する適切な注意が払われますならば、そのつぎの主要な仕事は、あらゆる場合に精神が理性的動物の尊厳と美質に適した事柄しかしないように精神を正しくすることです。」(同上書、p.46)


 このように、ロックは紳士の教育に関わって、人間は教育によってこそ大きな違いがもたらされるのだと考え、理性的な存在として育てるべきだと主張したのです。

 続いて、貧民の教育についてのロックの見解を見てみましょう。そもそも貧民の問題はイギリスでは社会秩序の維持という観点から取り上げられており、1572年に貧民の生活を政府が税金で補助する救貧法が定められました。その後、1601年に定められたエリザベス救貧法は、近代社会福祉制度の出発点とされています。しかし、貧民の増加とともに政府の負担が大きくなり、救済の方法のあり方が検討されるようになります。そうした中で、ロックが救貧法改正についての提案の原案を作成したのです。ここでは、田中浩他『ロック』(清水書院)をもとに、その提案の内容を見ていきたいと思います。

 提案では、貧民のうちには能力的に働けない者や、働けるけれども働く場所がない者、働けるのに怠けて働かないものがいることを踏まえて、働けない者は孤児院や養老員に入れて生活の面倒をみる一方、働けるものには働く場所を与えたり、技術の訓練をしたりして働かせることを提案しています。そうすれば、救貧のための負担が軽くなるだけでなく、貧民を働かせることによって国が豊かになるから一石二鳥だと考えられたのです。また、貧民の子どもについても、労働学校に入れて教育すれば、自分の生活費と教育費ぐらいは自分でかせぐことができるようになると主張しています。

 このようなロックの教育論について、同上書において「ロックの教育思想」の章を執筆した浜林正夫氏は、エラスムスが「すべての子どもを自由な人間としてあつかい、子どもの人格を尊重せよ」というヒューマニズムの流れを創り、これをコメニウスが発展させたとした上で、「ジェントルマンのための教育論は、基本的にはエラスムス以来のヒューマニズムの流れのうえにたっている」が、「このヒューマニズムの教育論を、すべての民衆へひろげるという考え方はなくなって」おり、「貧民の教育をヒューマニズムの立場からではなく、安上がりの労働力の養成という立場から考えている」と批判的に評価しています(pp.174-175)。

 確かに、同じ人間であるにも関わらず、その教育のあり方を区別するというのは、人間観の狭さを表すもののようにも思われます。つまり、人間は教育によって人間となるといっても、その人間とはあくまでも紳士のことであり、貧民は含まれないのだということです。

 しかし、当時のイギリス社会では、経済的・政治的な実権を握る紳士階級とそうでない貧民階級という社会的な役割の異なる2つの階級が存在していたのでした。そもそも教育とは社会の維持・発展のために行われるのであり、個人の側から捉えれば、社会で生きていけるようにするために行われるものです。したがって、社会的な役割が異なる階級が存在する社会であれば、それぞれの階級に応じて教育を考えるのは当然だと言えます。極端な例を言えば、王と一般人という区別がある社会において、王の子どもと一般人の子どもの教育は異なっていて当たり前であり、一般人の子どもに王としての教育を行ってもその子は生きていけないということです。

 また、その貧民の教育についての提言を見てみると、そこにはコメニウスから受け継いだ人間観が貫かれていることがわかります。それ以前の貧民救済は経済的な支援のみであり、さらに社会秩序を脅かさないためという消極的な観点から行われていたのでした。それに対して、ロックは教育を与えることを提案しているのであり、それが国富を増やすという意味で国家にとってプラスとなるのだと主張しているのです。つまり、貧民(の子ども)であっても教育すれば成長するのであり、とりわけ社会に役立つ存在となりうるのだということです。つまり、あらゆる個人は成長する可能性をもつのであり、それを保証することが社会の発展につながるのだということです。

 このように、ロックはコメニウスの人間観・教育観を受け継ぎつつ、当時のイギリス社会の維持・発展という観点から教育のあり方を考える中で、個人の発展が社会の発展につながるのだという視点を提示したのです。
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2016年08月13日

ロックの教育論から何を学ぶべきか(1/5)

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○目次
(1)ロックの教育論から何を学ぶべきか
(2)ロックは個人の発展が社会の発展につながるという視点を提示した
(3)ロックは子どもの認識に目を向けて習慣を形成することを説いた
(4)ロックは教師は子どもの理性として統括しなければならないと主張した
(5)科学的な人間観を子どもに伝えていかなければならない
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(1)ロックの教育論から何を学ぶべきか

 7月26日、神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」にて、死者19人、重軽傷者26人を出す事件が起きました。本当に痛ましい、凄惨な事件であり、亡くなった方のご冥福をお祈りするとともに、関係者の方々に心よりお見舞い申し上げたいと思います。

 この事件では植松容疑者が「障害者はいなくなればいい」「障害者を殺せば税金が浮く」と話しているということです。非常に歪んだ考え方であり、そうした考え方に基づいて行った犯行は、障害児教育にも関わる筆者としては、決して許せるものではありません。

 これは障害をもつ方々、その家族、および関係者に対して、大きな波紋を広げました。「障害があっては生きていてはいけないのか。殺されないといけないのか」という重い重い問いを突きつけるものだったからです。この事件を受けて、知的障害者の権利擁護と政策提言を行っている「全国手をつなぐ育成会連合会」は早急に声明を出し、「安心して、堂々と生きてください」と呼びかけています(注1)。

 しかし、一方で、現在の日本社会には、容疑者の考え方を支持する見解が存在することも確かです。例えば、石原慎太郎元東京都知事は、1999年に障害者施設を訪れ、「ああいう人ってのは人格があるのかね」「絶対よくならない、自分が誰だか分からない、人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状況になって……」「おそらく西洋人なんか切り捨てちゃうんじゃないかと思う」「ああいう問題って安楽死なんかにつながるんじゃないかという気がする」などと発言しています。つまり、障害のある人間は人格がなく、何らかの形で切り捨てることを考えるべきだという主張です。同様の見解はネット上などで様々に存在しており、決して容疑者のみに存在する特異な考え方とは言えないでしょう。

 こうした考え方の背後にあるのは、「個人は社会の役に立つべきだ。役に立たない人間はいらない。」ということです。これは一定の正当性をもっています。例えば、仕事の能力がなければ、会社(という小社会)をクビになることはあります。しかし、これを社会一般に拡大してもよいのでしょうか。また、役に立つとはどういうことなのでしょうか。もし働いて経済的・文化的に貢献するということだとすると、例えば重い病気にかかって余命が少ない子どもや乳児などはそれができませんから、さっさと死んでしまった方がいいということになります。果たしてそうなのでしょうか。

 これは結局、社会と個人の関係をどのように捉えるかという問題です。また、一人ひとりの人間をどのように捉えるかという人間観の問題なのです。

 子ども、さらには障害児に直接的に関わる教師は、この問題を避けてとおるわけにはいきません。一体、これまで人類が人間というものをどう捉えてきたのか、教育というものをどう捉えてきたのか、その歴史的な歩みを辿り返して自らの血肉とすることが求められます。これが個体発生は系統発生を繰り返すということであり、系統発生を繰り返してこそまともな個体発生になるということです。

 その系統発生である教育学の歴史をつかむべく、今年、筆者は教育学の歴史で著名な人物の教育論を把握していく取り組みを行っています。前稿「コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして」においては、近代教授学の祖と呼ばれるコメニウスの意義を次のようにまとめました。つまり、「コメニウスは17世紀という時代の社会的認識を受け継ぎながら、『すべての人間は教育によって人間となる』という科学的な人間一般論(につながる主張)を提示し、そして、科学的な姿勢で教育方法の探求を行ったということになります。一言で言えば、内容面と方法面において科学的教育学の基礎を築いたということになる」ということです。とりわけ、障害児も含めて、いかに素質としては劣った人間であっても教育によって改善されないものはないという内容を主張している点に着目していました。このように、コメニウスは非常に幅広い人間観を提示していたのでした。

 このコメニウスに次いで教育学の歴史に登場してくるのがジョン・ロック(1632-1704)です。ジョン・ロックと言えば、精神白紙説を唱えた哲学者として、また、社会契約説を唱えた政治思想家として有名ですが、教育に関しても言及しています。

 ロックが生きた時代はピューリタン革命(1640)・名誉革命(1688)という二度の革命が起こった時期であり、まさに中世から近代へと移り変わる時代でした。生産力の向上に伴い商品交換が発達すると、その担い手となった商工業者(ジェントリ)が大きな経済力をもつようになりました。また、領地に縛られていた農民の中にも、経済力を蓄えて領主の支配から逃れ、独立自営農民(ヨーマン)として農業を経営するようになりました。彼等は土地を囲い込んで毛織物工業にも力を注ぐようになり、経済的に大きな力をもつとともに、さらに議会派を構成し、政治的な発言力も強めていきました。やがて、議会を無視して課税を課したり、営利や蓄財を認めるカルヴァン派を抑圧して国教を押しつけたりする国王と対立するようになり、2度の革命が起こったのです。

 ジェントリ階級の人間として生まれたロックは、反体制派であったシャフツベリ伯爵の秘書兼侍医として日々を過ごし、新政府の樹立後は政治や経済にかかわる政策についての相談役として見解を述べるようになります。

 このようにロックは当時のイギリス社会の維持・発展に大きく関わる中で、自らの見解をまとめ『統治二論』『人間知性論』(1690)などの著作を執筆したのです。教育に関わっては、『教育に関する考察』という著作を残しています。これはロックの友人、エドワード・クラーク氏に宛てた手紙をとめ直したものです。そこには、紳士(ジェントルマン)となる人間をどのように育てればよいのかについて、ロックの見解が記されています。また、1697年に貿易植民委員会が政府へ提出した報告書(ロックによる原案作成)の中に含まれている救貧法改正についての提案が、貧民の教育についてのロックの思想をあらわしたものだとされています。

 本稿では、このロックの教育論に焦点を当て、そこから学ぶべきものを明らかにしたいと思います。ロックの教育論は紳士の教育と貧民の教育という形で分けて考えたとされていますが、このことをどう捉えればよいのか、ロックの人間観や教育観はどのようなものだったのかを最初に見ていきたいと思います。その上で、『教育に関する考察』に特に焦点を当てて、そこから掬い取るべき特徴を「子どもの認識に目を向けた」という点と「教師としてのあり方を説いた」という点に着目して見ていきたいと思います。

(注1)
「全国手をつなぐ育成会連合会」の声明は以下のHPから読むことができる。
「神奈川県立津久井やまゆり園での事件について(声明文)」
http://zen-iku.jp/wp-content/uploads/2016/07/160726stmt.pdf
「津久井やまゆり園での事件について (障害のあるみなさんへ)」
http://zen-iku.jp/info/member/3223.html
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2016年08月12日

改訂版・観念的二重化への道(5/5)

(5)最先端の時代精神に至るプロセスを辿り返す

 本稿は,どのようにすれば観念的二重化が行えるようになるのか,どのようにすれば自分の自分化から自分の他人化に近づくことができるのか,その方法について考察することを目的として説いてきました。ここで今までの流れをふり返ってみたいと思います。

 初めに観念的二重化の基本について説きました。そもそも観念的二重化とは何かについて,三浦つとむさんと海保静子先生の概念規定を確認しました。三浦さんは,観念的二重化とは,世界の二重化と自分の二重化との直接的同一性であることを指摘しました。また海保先生は,観念的二重化を現実と観念との像の二重化として概念規定し,自分の他人化を目指しても当初は自分の自分化レベルになってしまう必然性があると説かれていました。その上で,観念的二重化のためには,表現を参考にする,もっというと表現をまねる方法と,相手の世界を徹底的に描く方法が基本である,ということを解説しました。対象→認識→表現という過程的構造からすれば,認識を知るためには認識の物質的現象形態である「表現」をヒントにするか,認識の元となる「対象」をヒントにするか,どちらかしかないわけです。

 続いて,心理検査を取り上げました。心理検査は,人類が観念的二重化のための客観的で効率的なツールとして創り出してきたものです。その原理は,相手の知能なり性格なりを知るのに必要な場面を設定し,そこでの言動をサンプルとして,一事が万事方式でその人の全体像を推測するというものでした。心理検査によって,24時間モニタリングでもなかなか分からないような,その人の様々な知能・性格の諸側面を知ることができるのでした。また,ロ・テストのようなあいまいな刺激を提示する検査では,その人の問いかけ像――フロイトの精神分析では「無意識」などと呼ばれています――を知ることもできました。心理検査の結果をもとに相手に二重化して,相手の日常生活を追体験すれば,相手の困りごとがはっきり分かってきて,援助の方針も立てやすくなります。また,苦手なところや性格の歪みなども明らかとなり,教育や治療のターゲットを明確化できるという利点もあります。さらに,心理検査で測られるような知能・性格の諸側面は,認識を評価する際の客観的な物差しの働きもしますので,心理検査をくり返すことによってそれらの物差しを自分の中に取り込み,それをもとに問いかければ相手の特徴がよりクリアーになる,ということも確認しました。簡単にいえば,心理検査をくり返すことによって人を見る目が養われていくのです。

 最後に,認識の構造に踏み込み,二重の過程を辿ることの必要性を説きました。二重の過程とは,一つは個人の体験の過程であり,もう一つは人類の体験の過程です。そもそも認識とは反映像と問いかけ像の合成像であり,同じ問いかけ像を持たない限り二重化はできません。問いかけ像は過去像ですから,同じ問いかけ像を持つためには,その人個人が体験してきたことを,たとえ観念的にではあっても辿り返す必要があるのでした。また,個としての認識は,社会的認識に規定されています。その社会的認識は時代精神として生成発展してきていますので,その時代精神も辿り直し,相手の置かれている時代のレベルの問いかけ像を創る必要があるのでした。つまり,人間は時代性に規定されていることを忘れるべきではないのです。このように系統発生と個体発生という二重の過程をたどり返してこそ,自分の他人化レベルの観念的二重化が可能になってくるのである,と説きました。

 さて最後に,自分のオリジナルな学問の創出を目指すわれわれにとって,避けて通ることのできない問題を取り上げたいと思います。それは,ヘーゲルや南郷継正先生など,歴史上の大哲学者に二重化するにはどうすればいいのか,という問題です。学問は歴史的に発展していくものですから,過去の大哲学者の理論を再措定しないかぎり,オリジナルの学問の創出などありえないことになります。そして,哲学者の理論を再措定するためには,どうしてもその哲学者に二重化する必要があるのです。ここでは,われわれが現代の大哲学者だと考えている南郷継正先生に二重化する場合で考えてみましょう。

 では,どうすれば史上最高レベルの学者である南郷先生に二重化できるのでしょうか? これまで説いてきたことを踏まえれば,およそ3つのことに収斂すると考えられます。

 第一に,表現を利用するという方法です。簡単にいうと,南郷先生の認識の表現たる著作を読む,ということです。これは非常に当たり前のことですが,実は注意すべき点があります。それは,現時点では南郷先生と同じ問いかけ像を持っていないのだから,南郷先生の文章を読んでも,真に南郷先生には二重化できていないということをしっかり念頭においておくことです。先生の論文を読んで,理解できなかったり疑問に思ったりするのは,自分の問いかけが出てきているからです。そんな自分の問いかけを大切にするのではなく,むしろ否定して,形としては分かったことにして読んでいく必要があります。そうしないと,自分勝手な解釈のオンパレードで,見るも無残なことになってしまいます。

 これは,南郷先生の師である三浦つとむさんの著作を読む場合も同様です。南郷先生は徹底的に『弁証法はどういう科学か』を学び,三浦弁証法を技化されたといえると思います。したがって,われわれも『弁証法はどういう科学か』の学びを通して三浦さんに二重化する必要があります。その際,自分の問いかけを否定して,ひたすら三浦さんの論理でこの本を読む必要があるのです。自分を出さず,形を崩さないで学ぶよい方法は,『弁証法はどういう科学か』を音読したり,書き写したりする方法です。つまり,三浦さんの言語表現をまねることに徹するということです。まずは形から,の適用といってもいいでしょう。南郷先生の著作を学ぶ場合も同様です。そうすることによって,徐々に三浦さんや南郷先生の認識が自分の認識に浸透してくることが期待されます。

 南郷先生に二重化する第二の方法は,可能な限り,南郷先生の体験を辿り直すということです。そうすることで,同じ問いかけ像を創るのです。残念ながら,われわれは南郷先生が体験してこられた空手の修行を行ってはいません。したがって,まったく同じ体験を辿り返すことは不可能です。それでも,できるだけ類似の体験を重ねるように努力していくことは,必要だと考えています。

 たとえば,三浦さんの『弁証法はどういう科学か』を徹底的に学ぶということも,南郷先生の体験を辿り直すことになります。そのほか,南郷先生が勧めておられる本は,当然読みます。灼熱のアスファルト上を裸足で歩く実践も,南郷先生がやっておられるなら,そしてその効果についても論理的に説いてくださっているのですから,しないわけにはいきません。何らかの組織の指導者となって,指導するということも同様です。

 これらは南郷先生の見ておられる世界を可能な限り描く,ということでもあります。しかも,現時点の世界だけでなく,過程も含めて,南郷先生が経験されたこと・学習されたことを同じように辿ることによって,南郷先生の見てこられた世界を可能な限り描くのです。

 南郷先生のような偉人に二重化しようとする場合は,単に観念的にその経験を辿るだけでは不十分といえます。もちろん,過去の大哲学者や英雄の伝記を読んで,観念的にその人生を辿り直すことは,同じような人生を歩んでこられた南郷先生に二重化するための素材にはなりうるでしょう。しかし,現実に南郷先生がされてきたことを,可能な限り実際に同じようにやってみる,という実践がどうしても必要だと思われます。南郷先生の実践は,単に認識を創るというだけではなくて,脳細胞の変革をも促すようなものだからです。

 第三に,人類の系統発生を辿り直すことです。学問の歴史を自分の中でくり返すといってもよいかと思います。これは第二の点とも重なりますが,南郷先生自身がそういう学習をされてきた,という点でも重要です。しかしそれだけでなく,南郷先生は最先端の学的時代精神の中で,学的実践を重ねてこられたのだから,南郷先生を規定している時代精神を,しっかり辿り直してその内実をつかむことが大切なわけです。

 さらにいうならば,南郷先生自身が,その学的時代精神の最先端におられるわけです。そのゴールに辿り着くには,スタート地点から始まって途中のプロセスもしっかり辿る必要があるといえるのです。一足飛びにゴールに辿り着くことはできません。過去の学問の成果を文化遺産としてしっかり学び取り,その文化遺産で考える,その文化遺産で問いかけられるようになってこそ,真の学者といってよいものです。過去の文化遺産を徹底的に技化すれば,南郷先生のように,動けば即技になるレベル,問えばすぐに大発見になるレベルも夢ではないというものです。

 そのためにも,人類が獲得してきた論理を素朴で単純なレベルから学び,その論理でもって未知の対象に問いかけるということをくり返して,すなわち,過去の学者達が辿ったプロセスを自分もしっかり辿り直して,自分の認識を現在の最先端の学問レベルまで発展させていくことが必要といえるでしょう。

 我々は今後とも,本稿で確認したような観念的二重化への道を歩み続け,専門家として,学者として,研鑽を重ねていくことを決意して,本稿を閉じたいと思います。

(了)
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<講義一覧>

 ・2010年5月例会の報告
 ・2010年6月例会の報告
 ・日本酒を楽しめる店の条件
 ・交響曲の歴史を社会的認識から問う
 ・初心者に説く日本酒を見る視点
 ・『寄席芸人伝』に見る教育論
 ・初学者に説く経済学の歴史の物語
 ・奥村宏『経済学は死んだのか』から考える経済学再生への道
 ・『秘密諜報員ベートーヴェン』から何を学ぶか
 ・時代を拓いた教師を評価する(1)――有田和正氏のユーモア教育の分析
 ・2010年7月例会報告
 ・弁証法から説く消費税増税不可避論の誤り
 ・佐村河内守『交響曲第一番』
 ・観念的二重化への道
 ・このブログの目的とは――毎日更新50日目を迎えて
 ・山登りの効用
 ・21世紀に誕生した真に交響曲の名に値する大交響曲――佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」全曲初演
 ・2010年8月例会報告
 ・各種の日本酒を体系的に説く
 ・「菅・小沢対決」の歴史的な意義を問う
 ・『もしドラ』をいかに読むべきか
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 ・『寄席芸人伝』に学ぶ教師の実力養成の視点
 ・弁証法の学び方の具体を説く
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 ・わかるとはどういうことか
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 ・「小沢失脚」謀略を問う
 ・2010年11月例会報告
 ・男前はなぜ得か
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 ・年頭言:混迷の時代が求める学問の確立をめざして
 ・科学はどのように発展してきたのか
 ・一会員による『学城』第9号の感想
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 ・『三浦つとむ意志論集』を読む
 ・言語学の構築に向けてどのように研究を進めるのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年1号の感想
 ・改訂版・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・2013年3月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(前半)を読む
 ・3年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
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 ・2013年5月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第一部 東洋の世界(前半)を読む
 ・三浦つとむ「マルクス・レーニン主義に関する本質的な質問」から学ぶ
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 ・ヒュームの提起した問題にカント、スミスはどのように答えたか
 ・2013年6月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』東洋の世界(後半)を読む
 ・一会員による2013年上半期の振り返り
 ・認知療法における問いの意義を問う
 ・カント歴史哲学へのアダム・スミスの影響を考える
 ・2013年7月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』ギリシアの世界を読む
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 ・アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年3号の感想
 ・初任者に説く学級経営の基本
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 ・一会員による『育児の生理学』の感想
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 ・2013年11月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第4部 ゲルマンの世界 第3篇を読む
 ・古代ギリシャ経済の歴史を概観する
 ・2013年12月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』のまとめ
 ・ヘルバルト教育学の全体像を概観する
 ・年頭言:歴史を切り拓く学問の創出を目指して
 ・歴史的な岐路に立つ世界と日本を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年4号の感想
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 ・2014年1月例会報告:学問(哲学)の歴史の全体像について
 ・一会員による『学城』第10号の感想
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 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
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 ・『育児の認識学』は三浦認識論をいかに発展させたか――一会員による『育児の認識学』の感想
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 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
 ・文法家列伝:『ポール・ロワイヤル文法』編
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 ・道徳教育の観点から見る古代ギリシャの教育と教育思想
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 ・半年間の育児を振り返る
 ・2014年6月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章
 ・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
 ・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
 ・アダム・スミス「天文学史」を読む
 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
 ・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
 ・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
 ・夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
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 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
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 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
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 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
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 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
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 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部