2017年10月22日

徒然なるままに――40歳を迎えて(4/5)

(4)再発

 その勉強会で感じたことは、何を専門として学んでいくにしても、まずは弁証法や認識論といった学問の基礎をしっかりと学び続けていかなければならないということであった。さらにもう1つ感じたことは、弁証法や認識論の基礎からの学びのためには、自らの専門分野を設定し、その学構築のためにこそ弁証法や認識論を学ぶのだという思いが必要だということであった。他会員は皆、自分の専門分野の発表を行っていて、その中でもその専門分野の弁証法性が取り上げられ、どのように考えていくべきかという認識論も議論されていたからである。

 当時私は、どんな分野の仕事をするにしても必ず必要になるということで、弁証法の基本書・教科書である三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』をものにするために、その筆写を行っていた。ここで「仕事」とは、単なる職業上の仕事のことであって、もっと昇進して、どんな仕事上の問題でも自らの頭脳で解決できる頭脳を作りたいというレベルでの思いであった。しかし、年に3回ほど開催されていた京都弁証法認識論研究会の合宿形式の勉強会に参加し続けることで、その思いは学問構築という仕事を全うしたいというものに変わってきていたのである。そこで筆写を終わらせるとすぐに、『弁証法はどういう科学か』の小項目ごとの400字要約に取りかかっていった。2011年12月のことである。そして2012年3月には、初のブログ掲載用論稿である「『弁証法はどういう科学か』の要約をどのように行っているか」を本ブログに掲載したのである。

 合わせて私は、自らの専門分野を何にすべきか、検討していった。やはり何といっても大学時代に中心的に学んだ言語学がやりたいと思い、他会員や指導者の先生にも相談しつつ、自分の専門分野を確定していったのである。2012年10月には、卒業論文に若干の解説を加えた論稿をブログ掲載し、12月の勉強会では初めて、言語学に関わる発表を行うことができたのであった。

 2013年1月からは、毎月の学びを振り返るという作業も行うようになった。人生の目標として言語学の創出ということを志したからには、学びを継続的に行っていくとともに、さら深めていく必要もあると考えたからである。1ヶ月の学びを振り返り、次の月の目標を設定することで、持続的に学んでいくことができるようになっていったし、振り返りを行うことで、単に書物を読んでお仕舞いという学びではなくて、そこからどのようなことを考えたのか、しっかりと考察を深めていくこともできるようになっていったのである。この毎月の振り返りという作業は、徐々に会員間で広がりを見せ、今では全会員がこの形式を採用するようになっている。

 2014年からは、毎月の例会にも参加するようになった。2013年の例会のテーマであったヘーゲル『歴史哲学』については、自分自身で読み進めて、ブログ掲載される例会報告を読んで議論を確認するという方式で学んでいたのであるが、それを2014年からは例会自体に参加し、議論にも加わるようにしたのである。私の住んでいるところは、他会員が住んでいる京都周辺からはかなり離れており、物理的な制約があると思っていた。つまり、例会は同一の場所に集合し、そこで膝をつきあわせて行っているために、私には参加が難しいと思っていたのである。ところが、そうした方式の例会では、たとえ比較的近くに住んでいるにしても、諸々の制約が生じるということで、その頃は専らスカイプによる方式に変更されていたのである。これなら空間的にいくら離れていたとしても問題ない。そこで2014年のシュヴェーグラー『西洋哲学史』の学びから、私も例会に参加させてもらうことにしたのである。2013年からブログ掲載論文の執筆にも本格的に参戦していた私は、例会報告の執筆についても他会員同様の責任を負うことになっていったのである。

 専門の言語学の学びについては、いわゆる言語学史の研究を始めていた。古代ギリシャ、古代ローマ、中世、17世紀の『ポール・ロワイヤル文法』とロックの言語論、比較言語学、ソシュールの言語理論について、まずは大雑把ではあるが、大きな流れを捉えることを中心的課題として取り組んできているのである。合わせて、卒業論文でも取り上げた三浦つとむの言語過程説の理解を深めていくために、三浦の著作は勿論のこと、三浦が学んだ時枝誠記や三浦を学んだ宮下眞二の著作も研究してきている。かつ、こうした言語過程説の輪郭を浮き彫りにするために、その対照概念の1つでもある言語道具説についての論文も執筆してきた。

 こうして私が京都弁証法認識論研究会に参加してからの流れを振り返ってみると、6年前までに完全に止まってしまっていた時計の針がやっと動き出したのでないかと感じられる。何かに夢中になることで自分を磨き上げ、鍛え上げていくというかつての自分の姿(?)に戻り、さらにそこから発展してきているのではないかと思えてくるのである。もちろん、研究会に参加してからも、なかなか思うように研究が進まず、停滞どころか衰退していっているのではないかという時期も幾度もあった。生活が乱れ、仕事だけは何とかこなしているが、研究活動は全くという時期もあったのである。しかしそんな時、必ず私の支えになり希望となってくれたのが、ほかならない研究会の会員だったのである。それぞれの専門分野は違えど、弁証法・認識論を基礎にして、学問を創造していくという共通の基盤に立っているからこそ、直接的な励ましはもとより、その学問への道を歩む姿を見せられるだけで、自分を奮い立たせ再生させてくれたのである。

 ごく最近、テレビアニメの「メジャー」という番組を見た。主人公の吾郎が小学校に上がる前から野球を始め、最後にはメジャーリーグで活躍するという物語である。私生活では幼くして母を亡くし、幼稚園に通っている頃には父親も失ってしまうという逆境の中、どんな困難に突き当たっても必ず乗り越え、チームメイトにもその情熱で希望を与え続けていくのである。その一方で、吾郎も人間である以上、乗り越えられそうにない壁に阻まれることもある。もう諦めてしまうしかないのではないかという情況に追い込まれてしまうことが多々あるのである。しかしそうした時には必ず、かつて吾郎自身が救った仲間が吾郎の前に現れ、吾郎を窮地から助け出してくれるのである。まさに相互浸透による発展の物語であり、我々の研究会のあり方の理念を具体的に示してくれている物語だといえるのではないかと思ったものだった。三浦つとむも以下のように述べていたことを思い出さざるを得ないものである。「メジャー」はもしかしたら、こうした三浦の言葉を具体化したのもではないか、などと思わされるのである。

「政治の分野であろうと学問の分野であろうと、革命的な仕事にたずさわる人たちは道のないところを進んでいく。時にはほこりだらけや泥だらけの野原を横切り、あるいは沼地や密林をとおりぬけていく。あやまった方向へ行きかけて仲間に注意されることもあれば、つまずいて倒れたために傷をこしらえることもあろう。これらは大なり小なり、誰もがさけられないことである。真の革命家はそれをすこしも恐れなかった。われわれも恐れてはならない。ほこりだらけになったり、靴をよごしたり、傷を受けたりすることをいやがる者は、道に志すのをやめるがよい。」(三浦つとむ『レーニン批判の時代』)

「孤独を恐れ孤独を拒否してはならない。名誉ある孤独、誇るべき孤独のなかでたたかうとき、そこに訪れてくる味方との間にこそ、もっとも深くもっともかたいむすびつきと協力が生まれるであろう。また、一時の孤独をもおそれず、孤独の苦しみに耐える力を与えてくれるものは、自分のとらえたものが深い真実でありこの真実が万人のために奉仕するという確信であり、さらにこの真実を受けとって自分の正しさを理解し自分の味方になってくれる人間がかならずあらわれるにちがいないという確信である。」(三浦つとむ『新しいものの見方考え方』)
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2017年10月21日

徒然なるままに――40歳を迎えて(3/5)

(3)停動

 バスケのほかに、高校時代はよくカラオケにもいったものだ。高校に入って初めての友人が、そこそこ歌が上手くて、おまけに我が家から最寄りの鉄道駅がある街(そこは片田舎なりに栄えていた街だった)に住んでいたため、その友人の家のすぐそばにカラオケボックスもあったのである。そこでそれこそ毎日のように、部活が終わってからそのカラオケボックスにいったものだった。ちなみに私は、家から高校まで片道45分位を自転車で通っていたのだが、そのカラオケボックスの位置は、ちょうど家と高校とを結ぶ直線を底辺にした時、正三角形の頂点の位置にあったのである。つまり、真っ直ぐ家に帰る場合に比べて、倍の時間をかけて帰った(カラオケの時間を除く)わけである。しかも、初めのうちはその友人も自転車で通学していたのだが、その友人に彼女ができてからというもの、彼女と一緒に電車通学になったのはいいが、(彼女と一緒に帰らずに)私とカラオケに行く場合に限り、私の自転車の後ろに立ち乗りして一緒に帰ったものだから、その時の私は真っ直ぐ帰る場合の3倍ほど疲れることになったのであった。

 こんなペースで思い出話をしていたら、いつまでたっても私は40歳にならないから、ここからは多少端折っていくことにする。

 とにかく、バスケにカラオケに、一生懸命だった私だが、勉強の成績が一番頭抜けていた。バスケでは、高校最後の大会も結局はレギュラーになれなかったし、カラオケでも友人には勝てないという思いがあった。しかし頭は一番良かった(というのは、あくまでも偏差値でという意味であって、今から考えるとそれは頭が悪かったという意味にもなる)。高校3年生の2学期の通知表が特にビックリで、10段階評価(1が一番悪く、10が一番良い)で数学以外の全教科が10(もちろん体育も図画も音楽も!)、数学も8というものだった(これはテストでの計算間違いが原因だった)。担任の先生から通知表をもらうとき、この成績はこの学校史上最高点だとかいわれてしまった(その当時で既に90年ほどの伝統がある学校だった)。

 しかし今考えてみると、こうした言葉が私を調子に乗らせ、大学というモラトリアムの、更なるモラトリアムに私を3年間も縛ることになったのかもしれない。現役時代も含めて4年間、たった1つの大学のたった1つの学部以外には受験しなかったのである。これは前にもどこかこのブログ内の文章で書いたことがあると記憶しているが、高校の国語の教科書にあった夏目漱石『こころ』に凄まじいまでの衝撃を受けた私は、小説家になることを志し、そのためには何としても文学部に行く必要があると勘違いしてしまったのである(現に私が大学在学中だったと思うが、法学部(出身?)の人間が芥川賞を受賞している)。

 ともかく、何とか大学生になることができた私は、大学の講義では言語学関係(小説家になるためには言語を自由自在に使いこなす必要があると考えていた)のものばかりに出席し、サークル活動では、主に経済学の勉強をするサークル(実は私より先に大学生になっていた弟が所属していた)に入って勉強し、空いた時間はガソリンスタンドでバイトするという生活を送っていったのである。そして今度は遅れることなく、立派に卒業したのであった。

 その後私は、実家から見れば大学がある方向とは全く逆の方向に倍ほどの距離を進んだ場所にある会社に就職し、窓口業務を経て、現在はシステム部門で働いている。長男であるにもかかわらず、実家も継がずに当地に家も建てた(妻のお父さんが設計もする大工さんで、そのお父さんに建てていただいた)。

 こうしてざっと私の40年を振り返ってみるとき、その時々で一生懸命になれるものを見つけ、それが年齢とともに色々なものに移っていったことが分かってくるのである。野球、サッカー、バスケ、カラオケ、小説、(受験勉強、)言語学、経済学、諸々の仕事の知識。しかし移っていったとはいえ、これらはいまだに私の中にあり、今の私を創っているものだといえる。ただ中心が変化していっただけだともいえると思う。野球やサッカーは自分ではやらなくなったが、観戦するのは好きであるし、バスケは実は3年ほど前から(実に20年ぶりくらいに!)再開した(今年度からは公式試合にも出ていて、つい先日、4試合目にしてはじめてシュートを決めることができた。なんと、苦手なはずのゴール下のシュートである。これが「ゴール下のシュート恐怖症」を克服できたとした要因である)。カラオケは今でも家族でよくいくし、夏目漱石も含めて小説もよく読んでいる。言語学は私の人生の中心になりつつある。そして経済学やその他の学問も、我々の研究会で学び続けているところである。

 さて、こうした人生を内包している私は、40歳を迎えるにあたって何を考えるべきか。ここからが本題である。読者の方々がここまで読み進めて、楽しんでいただけたかどうかは別として、ここまでは格調が高かったということはないことだけは間違いない。ここからである(予定)。

 我々の京都弁証法認識論研究会は、私も所属していた大学のあるサークルのメンバーが中心となって継続してきたものである。私が入学したときにはすでに、その原基形態が出来上がっていた。当初私も誘われて、P江千史『看護学と医学』を扱う勉強会に参加したことを覚えている。しかし、なぜ大学で言語学と経済学を中心に勉強し、ガソリンスタンドでバイトしてためたお金でビールを楽しく飲んでいる私が、『看護学と医学』なのか、その意味するところが全く分かってはいなかったのである。一度か二度参加して、それなりにしてしまったのであった。

 京都弁証法認識論研究会との再会は、実に12年後のことである。就職してすでに9年目、昇格して新しいポストに着いたものの、これまでのように夢中になって取り組める対象を失ってしまっていた。思い返せば、球技なら何でもそこそこできたのも、決していきなりできたわけではなかったはずである。それが楽しいと思って、必死で練習したからこそできたのではなかったか。バスケのシュートにしても、これだけは絶対に負けないと思って練習を積み重ねたからこそ、よく入るようになったのである。しかし当時の私は、仕事と両輪で取り組んでいたある組織も抜けて、ただただ職場で仕事をし、家に帰って多少家族と団らんし、そして寝るだけの生活を送っていたのであった。夢中になれるものもなく、そのため私の発展が停滞してしまっていたのである。

 そんな時、かつて大学時代に京都弁証法認識論研究会の原基形態的勉強会に誘ってくれた友人たちが、まだ継続して勉強を続けている場に私を誘ってくれたのである。何か自分でもやれることがないか、それを通じて自分の新たな姿を築きあげていくことができるのではないか、そんな期待を胸に、合宿形式の勉強会に参加したのであった。
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2017年10月20日

徒然なるままに――40歳を迎えて(2/5)

(2)瞬放

 さて、不完全燃焼のまま小学生を終えた私は、中学校では「部活」なるものが存在することを知ったのであった。どういうわけか、私の通っていた中学校には陸上部がなかった。まあ、その当時は(そして今も)陸上など(を観るのではなくてやること)には全く興味がなかったので、それはどうでもいいのだが、ここでどの部に入るか、迷っていたのであった。というのも、実は私は小学生時代、野球やサッカーのほかに、卓球もやっていたからであった。母親に連れて行ってもらって、隣町の卓球センターによく行って、弟相手に何時間も練習していたものだった。

 ここまで書いて、ふとした不安に襲われた。おそらく本稿は、(予定通り進めば)私が執筆する本ブログへの投稿としては最後の文章になる。それをこんなどうでもいい文章を綴ってしまっていていいものか、と思ったのである。しかしまあ、「徒然なるままに」だからこれでよしとしよう。

 そんなわけで、中学校の部活に関していえば、野球部、サッカー部、卓球部がまずは候補に挙がったわけである。そしてそれらは全て、見事に選択肢から除外されていくのである。まず野球部であるが、これは当時の伝統というか悪い風習で、なぜだか野球部は頭を丸刈りにしなければならなかった。帽子やヘルメットをかぶってやるという数少ないスポーツの1つであるから、別に髪の毛がどうであろうと、帽子やヘルメットで押さえつければ、そんなに気になることもないだろうのに、なぜか野球部=丸刈りなのである。これは無理だと早々に諦めてしまった。次にサッカー部であるが、これも小学校時代、下級生にレギュラーを取られてしまうという体たらくだったので、本格的にやったとしてもそうものにはならないだろうということで止めにしてしまった。最後に卓球部であるが、これも当時のイメージでいえばかなり暗い人間のやるスポーツだということになっていた。さらに問題なのは、部活見学で卓球部の練習を見に行ったとき、上級生と試合をさせてもらえるということでやってみたのだが、何とここで試合に勝ってしまったのである。こんな弱い集団の中にいるのは嫌だということが決定的な理由となって、卓球部もないということになってしまった。

 そこで結局何部に入ったかといえば、バスケ部であった。これは当時、漫画「スラムダンク」が週刊少年ジャンプに連載され始めた頃で、その影響でにわかバスケファンが急増したことも大きな要因であった。ご多分に漏れず、私もその流れでバスケットを始めたようなものである。

 それからはどういうわけか、1年生から試合に出させてもらい、練習も私ともう1人だけ別メニューという特別扱いだった。165pとたいして上背もなく、運動神経でいっても私なんかよりジャンプ力があったり足が早かったりする同級生は大勢いた。しかしなぜか、顧問の先生(この先生は後で分かったことだが、ダンクができた。中学校を卒業してから、皆の前でダンクができるかどうか賭けようとかいいだして、皆できない方に賭けたところ、ガツンと決めて本気で金を徴収していた)は、1年生の中で特に私を重用してくれたのだった。

 そんなこんなで3年生にもなると、チームのキャプテンを任されるようになった。当時の私はシューターで、ドリブルもパスも上手ではなかった(というか、ドリブルもパスもほとんど試みようとすらしていなかった)が、シュートだけはよく入ったものだった。試合でも、ボールをもらえば即シュートであった。かなり過去を美化しているようで恐縮だが、シュートが外れた記憶がないといっても過言ではないくらいよく入った。しかも、上背のなさやジャンプ力のなさを補うために、ボールをもらってからシュートまで(ボールをリリースするまで)のスピードを極限まで高めた独自のシュートを考案し実践していた。いわゆる普通のジャンプシュートというものは、ボールをもらいながらステップを踏んでジャンプ、そしてジャンプの最高到達点付近でボールをリリースするというシュートであるが、私の場合、ボールをもらいながらステップを踏み、即ジャンプして、同時にボールをリリースするという型を創り上げたのであった。ディフェンス側からすれば、チェックに行こうと思う間もなくシュートされているわけで、どうにも止めようがない。しかもこれがほぼ100%入るのである(私の記憶によれば)。残念ながら中学時代は、県大会の予選レベル(ブロック大会)で敗退してしまったのであるが、バスケの魅力に取りつかれた私は、高校では迷わずバスケ部に入ったのであった。というより、中学時代に憧れていたバスケ部の先輩が行ったという理由で高校を決めたくらいで、バスケ部が先にあって高校は後からついてきたという感じである。ちなみに、この中学最後の試合(負けた試合)で、私にトラウマができてしまった。ゲームの終盤、ゴール下のノーマークのシュートを外してしまったのである(中学時代にシュートを外した唯一の記憶かもしれない)。結局、このことが原因となってか、悪い流れのまま試合終了となって引退となってしまったのである。小学校時代、少年野球に(一人で)進んだ弟も、実は中学ではバスケ部に入っていたのであるが、この弟から散々いわれたものである。あのシュートが入っていればまだ試合は分からなかったと。それ以来、私は極度の「ゴール下のシュート恐怖症」に陥ってしまい、ゴール下のシュートは全く入る気がしなくなってしまったし、事実、よく外したものだった。しかしまさに今月、この病気はあることが原因で全く解消してしまった。

 さて、高校生になった私は早速、バスケ部の見学に行った。するとそこで、ある人物から声をかけられたのである。それは中学時代の最後の大会、すなわちブロック大会において、我々の地区で優勝し、県大会に進出したチームのエースであった。中学当時からバスケが上手くて有名だった彼から突然、「あっ、君知ってる」と指を指しながら声をかけられたのである。やはり私も(最後の試合の終盤のゴール下のごくごく簡単なシュートを除いて)相当程度シュートを決めまくっていたために、そうしたブロック大会のいわゆる「スター」にも顔を知られていたのだろう。彼は我々が3年生になったとき、バスケ部のキャプテンになる男であった。

 高校時代のバスケ部の思い出といえば、2年生からバスケ部に入ってきた同級生にポジションを奪われてしまったことが挙げられる。彼は中学時代(私とは別の中学校出身)、野球部のエースか何かだったのだが、高校に入ってからは野球をやめ、1年生の時は何の部活にも入っていなかったのである。それがどういうわけか、2年生になってからバスケ部に入部してきて、3年生が夏の大会で引退するとすぐにレギュラーになったのである。私にしても、まあやれば何でも球技はそこそこできた。小学校の時、少年サッカーではレギュラーが取れなかった(実は下級生がレギュラーになっていた)わけだが、これにはちゃんとした理由がある。実はその少年サッカーのチームは、県大会でも優勝するくらいのレベルの強豪で、そこから上がっていった中学校のサッカー部も、全国大会の常連というレベルであった。だから端的にいえば、私のサッカーが下手だったのではなくて、他のチームメイトのサッカーが異様に上手かったのである。その証拠に、高校2年生の時、我々のバスケ部とサッカー部がサッカーの試合をしたことがあったが、私の活躍で、何とサッカー部にサッカーで勝ってしまったのである。ちなみに、もう1人活躍したのが、その中学時代に野球部のエースで、高校2年生からバスケ部に入ってきた同級生であった(こいつは本当に何でもできた、野球、バスケ、サッカーに加え、ギターもものすごく上手で、音楽室にあったフォークギターで、Xの「Silent Jealousy」を笑いながら軽く引いていたのには驚いた。私が音楽の道(中学時代にギターを買ってもらっていた)に進まなかったのも、彼のギター演奏を聴いて、こんなやつがいたら勝てないと思ったからかもしれない)。
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2017年10月19日

徒然なるままに――40歳を迎えて(1/5)

〈目次〉

(1)描夢(ビョウム)
(2)瞬放(シュンホウ)
(3)停動(テイドウ)
(4)再発(サイハツ)
(5)真史(シンシ)


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(1)描夢

 本ブログ「主体性確立のための「弁証法・認識論」講義」は、初めての講義から7年半が経とうとしている。講義数は350タイトル目前であり、連載回数としても2638回目を数えている。私はこのうち、49タイトルを執筆し、388回目の連載ということになる。私の初めての講義である「『弁証法はどういう科学か』の要約をどのように行っているか」の執筆も、もうかれこれ5年半以上前の出来事である。

 断りが遅くなってしまったが、本稿はこれまでのような論文形式の文章ではなくて、いわゆる随想の類の文章である。タイトルにもあるように、「徒然なるままに」認めていくことを趣旨としたものである。ではなぜ今回、これまで一貫してきた論文形式の文章を掲載するのではなくて、エッセイ的な文章を載せることにしたのか。理由は大きく3つある。

 まずきっかけを述べておかなければならない。本来であれば、今日から5日間は別の会員が論文を掲載することになっていた。しかし、その会員にとってはブログ掲載用論文の執筆が初めてであり、なかなか思うように筆が進まなかったという事情があった。本ブログに掲載する論文に関しては、連載開始日の原則2週間前までに他の会員にメールで送付し、会員間で検討し、より良いものに仕上げた上で公開しているのであるが、連載開始日の5日前になっても提出がなかったのである。そこで話し合いの末、別のものを掲載しようということになったのである。

 では、誰がどのようなものを執筆するのか、次に当然こういう問題が生じてくることになった。そこで、この連載期間中に40歳を迎える私が、40歳を迎えるにあたっての諸々の思いを、随想レベルで執筆していくということになったのである(副題にある「40歳を迎えて」というのはこうした事情による命名である)。さすがにこの短期間では、論文形式の文章を書き上げることが難しかったからである。

 最後にもう1つ大きな理由がある。それは9月に行った合宿形式の例会での議論である。ある会員が本ブログに関して、今年の年末を目途に廃止してはどうかという提案をしたのである。より正確にいえば、本ブログは年末まで掲載予定が決まっているので、その間は今まで通り掲載することにして、来年からは別ブログを立ち上げ、心機一転、新たなスタートを切ろうということであった。そして新ブログにおいては、毎月の例会等の報告は継続する(ただし、現在掲載している論文の中で、この例会報告が最も読みにくいものであることは我々も把握しているところなので、よりよい形式や内容を模索もしていくつもりである。なお、例会「等」と書いたのは、例会以外にも複数の学習会を開催しているものの、それらについては十分な報告ができていないという反省があるからである)ものの、その他の内容としては、今までのような固い論文形式のものではなくて、エッセイ的なものを掲載してはどうかというのであった。我々の論文に関しては、来年から刊行予定の研究会機関誌『哲学への道(仮称)』で読んでいただくこととして、新ブログにおいては例会報告等のほかは、もっと軽い内容の・気軽に読んで楽しめるようなものにしてはどうかというのであった。これは、(今まさにそういう状態であるのだが)ブログに毎日掲載する論文を執筆し、検討し、アップするという作業に加え、新たに研究会機関誌を発刊するとなると、そちらに掲載する論文についてもより突っ込んだ検討が必要になってくるのであって、仕事をしながら研究活動も続けている我々にとっては甚だ困難な情況になってくる(いる)ことは明白だし、研究会機関誌に掲載する論文についても、一旦(タダで)ブログで読んだものを(多少なりとも焼き直して)改めて研究会機関誌で読むというのは、読者心理からしても納得でき難いものがある(というより、我々の立場からすれば、このやり方では研究会機関誌が売れない!)ということもあるからである。

 そこで今回は、私が40歳を迎えるにあたって思うところを、諸々に述べていくという趣旨での論稿となったわけである。これは来年からの新ブログの予行演習も兼ねての執筆である。当然、可能な限り楽しめるようなものにしたいのだが、他会員からは格調の高さも要求されているので、論文形式の文章とは別の意味での困難を背負い込んだと若干後悔しつつの執筆である。

 さて、40歳を迎えるにあたっての思いとはいっても、まずはこの40年間を簡単に振り返ることから始めたいと思う。過去を積み重ねての現在であるからである。とはいえ、現在を積み重ねての未来である、という方が重要かもしれないが。

 私は1977年10月某日、滋賀県の片田舎に生まれた(話は飛ぶが、この「田舎」というものに(もっと)若い頃は非常に抵抗があり、下宿していた大学時代にはよく、実家は乱立するビルの最上階だなどとはったりを述べていたものだった)。交通機関といえば、最寄りの鉄道駅まで片道僅か10kmほどで500円くらいかかる私鉄運営のバスしかなかった。近所には、私を含めて6人の同級生の男の子が住んでおり、下の学年の子どもたちも含めて、よく近くの公園(今考えると理由がよく分からないのだが、この公園をみんな「遊園地」と呼んでいた)で野球をしたものだった。初めて買ってもらった帽子が中日ドラゴンズのものだったため、そして当時は中日の投手陣が全体としていまいちだったこともあって、小学生のころの夢は中日のピッチャーになって中日を日本一にすることだった。郭源治や小松辰雄に憧れ、いつかは彼らを超えるピッチャーになるつもりでいたのである。もっとも、私のポジションはショートかサードが定番で、ほかの地域の子どもたちと日曜日に野球の試合をするような時にも、ピッチャーなどほとんどさせてもらえなかったし、どちらかというと、左の強打者というのが私に対する他の子どもたちの見方だった。ホームランを連発していた(ように思う、というのは、弟はそんな記憶がないというからだ)のだった。ちなみに我々のチームのエースは私の弟だった。

 当時、私が住んでいた実家のある地域では、小学校の4,5年生にもなると、地域の少年野球や少年サッカーのチームに入って、その道に進んでいくというのが、スポーツができる子どもの進む(べき)道であり、憧れでもあった。そこで私と弟とは、やっと両親を説得して、このスポーツ少年団に入ることを許されたのであった。ところがここで、ちょっとした問題が起こった、というより私が問題を起こしてしまった事件があった。それは何かというと、当然私が一緒に少年野球に進むと思っていた弟に対して、私は当時、どういうわけかサッカーに魅かれ始めていて、迷った末に、誰にも相談することなく、少年サッカーに丸をつけた申込用紙を提出してしまったのである。そしてそのことを後になってから弟に告げた時、当然のように弟に非難されたのであった。

 ともかく、小学校の4,5年生から始めた(とはいっても、例の「遊園地」では、小学生になってからは野球だけではなくサッカーもしていたのではあるが)サッカーの方は、6年生になってもレギュラーが取れず、野球でいう「左の強打者」のような肩書もないままに終わってしまったことであった。
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2017年10月18日

2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他(10/10)

(10)参加者の感想の紹介

 前回までに、例会で報告されたレジュメを紹介したあと、カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他の要約を4回に分けて掲載し、次いで、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介してきました。

 最終回となる今回は、例会を受けての参加者の感想を掲載しておきたいと思います。

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 今回は、カント『純粋理性批判』の「経験的思惟一般の公準」と「あらゆる対象一般を現象的存在と可想的存在とに区別する根拠について」という部分を扱った。

 チュータとして、各会員が提出した論点をまとめ、その論点に対して出された見解を整理していった。特に今回は、該当箇所をこれまでにないほど読み込んで、きちんとチュータとしての役割を果たせるようにとの思いを込めて例会当日に臨んだ。

 例会本番では、見解が共通する中でも新しい論点を提示し、例会を通じて各会員の認識の発展を図ろうと努力してみたが、結果としては、なかなかうまく進行することができなかったと思う。特に、唯物論の立場から可能性、現実性、必然性とはどのようなものか、議論してみてはどうかという提起を行ったものの、個別の議論に終始してしまい、全体として、カントのいうものと違うのかどうか、ハッキリしないまま議論を切り上げざるを得なかった。また、バークリの独断的観念論に対してカントがどのように批判しているかという問題に関わって、先験的感性論の部分を参照しつつ議論していったが、ここも一応の結論すら出ないままで議論を終了せざるを得なかった。今回の範囲はよく読み込んでいたつもりであるが、これまでの議論を正確に辿っていくということをしていなかったために、以前の問題に絡むものについては、なかなか自分で思うように把握することができないという課題が見つかった。

 とはいえ、カントの議論を正確に理解し、それを唯物論の立場ではどう考えるのか、どう反駁していくのかということは、たとえ結論が出ないにしても、常に問題意識として持っておく必要がある事柄だと思う。そういう意味では、唯物論の立場からの可能性、現実性、必然性とはどういうものかという議論も、全く無意味だったわけではないとは思うし、バークリ批判にしても、ここまで読んだ段階で以前の先験的感性論をしっかりと読み返せば、何らかの新しい把握が可能かもしれないという希望も見えてきた。

 次回は、「経験的な悟性使用と先験的な悟性使用との混同によって生じる反省概念の二義性について」という付録の部分を扱う。可能な限り、これまでの大きな流れを復習しつつ、当該箇所についてもしっかりと読み込んで、論点を明確にしつつ、自分の見解を固めていきたいと思う。

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 今回の例会の範囲で、先験的分析論の部分がほぼ終わったのであるが、カントを理解し切った! というところからは程遠いと痛感した。たとえば、バークリの独断的観念論について、先験的感性論でカントは反駁していたのだが、それがどのような内容であるのか、今振り返ってみても、確たることがいえないありさまであった。また、ライプニッツに対してどのように批判しているのかも、いまいち理解できなかったところである。

 やはり、前々から反省しているように、ここらで一度、『純粋理性批判』を初めから読み返す作業がどうしても必要になってくるだろう。と同時に、カントが大枠でどういう主張をしているのか、カント以前のバークリやライプニッツ、それにデカルトやヒュームなんかも含めて、哲学の大きな流れはどのようなものであったのか、こういったことも復習していく必要があろう。

 具体的には、シュヴェーグラー『西洋哲学史』を中心として、イギリス経験論と大陸合理論のあたりからカントへの流れを復習しながら、中山元訳で『純粋理性批判』を、その解説とともに読み返していきたい。これは、今停滞している著作の執筆を促進していくうえでも、大切な準備作業になると確信している。早速に計画を立てて、着実に学習を進めていかなければならない。

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 今回の例会では報告レジュメを担当したのであるが、今回の範囲は(今回の範囲も)なかなか難しかった、というのが率直な感想である。報告レジュメを作成するまでにはおろか、例会当日までに該当範囲の要約作業を終えられなかったことも大きく影響していると思われるが。

 論点2におけるバークリの独断的観念論に対するカントの批判など、正直にいって、分かったような分からないようなモヤモヤとした感覚がつきまとってしまう。論点3をめぐる議論でも改めて確認したが、『純粋理性批判』を著したカントのそもそもの問題意識――人間の認識が真理性(対象と一致していること)を主張できるのはなぜなのか、という問いについて、真理性を主張できる範囲を厳格に定めることによって答えようとした――をしっかりと踏まえつつ、最初から読み直していく計画を立てなければならないと強く思わされた。その際、哲学史の大きな流れのなかにカントの『純粋理性批判』を位置づけること、対象と認識との関係について唯物論の立場からはどのように考えるかを常に問い続けることを忘れてはならないと思う。

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 今回の例会をとおして、ある程度は書かれている内容を把握することができたと感じている。特に、カントが純粋悟性の国を波立さわぐ渺茫たる海に囲まれた「真理の国」にたとえているという点について、チューターが図示をしてくれたが、これまで学んだカント哲学の大枠を踏まえれば、納得できるものだった。やはり全体像を把握するということが極めて重要だなと感じた。何とか時間をとって、『純粋理性批判』全体の論の流れを確認する時間をとらなければならないと思った。

 哲学史全体の流れもしっかり押さえておかなければならないと思った。カントはバークリやライプニッツに対して批判をしているのだが、そもそもバークリやライプニッツはどのような主張をしていたのかを知らなければ、読んでいくことが難しい。そういう意味でも全体像をしっかりと押さえることが重要だと思った。

(了)
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2017年10月17日

2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他(9/10)

(9)論点3:対象を現象的存在と可想的存在とに区別する根拠とは何か

 前回は、カントは観念論に対してどのように反駁しているかに関する議論について見ていきました。ここでは、バークリの独断的観念論に対しては空間を物自体に属する性質と見なしている点が誤りであること、デカルトの蓋然的観念論に対しては内的経験の前提として、外的なものについての経験をしているのだということを証明することでことで反論していることを確認しました。

 さて今回は、3つ目の論点として、対象を現象的存在と可想的存在とに区別する根拠についてカントがどのように述べているかに関する論点を見ていきたいと思います。

論点3:対象を現象的存在と可想的存在とに区別する根拠とは何か

 カントは「純粋悟性の国」(p.319)について、波立さわぐ渺茫たる海に囲まれた「真理の国」(同上)にたとえているが、これはどのようなイメージを表現したものか。カントは、対象を現象的存在と可想的存在とに区別しているが、それぞれどのようなものだと述べているか。両者を区別する根拠をどのように説明しているか。特に、可想的存在は、積極的な意味のものではなく、消極的な意味と解せられなければならない(p.332)とか、可想的存在という概念は、感性の僭越を制限するための限界概念にすぎない(p.333)とか説かれているが、これらはどういう意味か。


 この論点に関しては、@カントのいう「純粋悟性の国」のイメージについて、A現象的存在と可想的存在とはどのようなもので、両者を区別する根拠は何かという問題、Bカントが可想的存在について、消極的な意味と解せられなければならないとか、限界概念に過ぎないとか述べているのはどういう意味か、という3点について議論していく必要がある、と当初は分けて考えていたのであるが、全ての個々の論点が繋がっているのではないかという把握のもと、チュータが以下のような図を示しました。


純粋悟性の国.png
「純粋悟性の国」「真理の国」     「波立さわぐ渺茫たる海」
現象の世界              物自体の世界
現象的存在              可想的存在
事象(積極的)            余事象(消極的)

 つまり、「純粋理性の国」「真理の国」に対する「波立さわぐ渺茫たる海」、現象的存在に対する可想的存在、積極的な意味に対する消極的な意味、可想的存在という概念が限界概念に過ぎないということ、これらは全て繋がっていて、カントは現象の世界のことを「純粋理性の国」「真理の国」と呼んでおり、この領域に存在する対象を現象的存在と名付けているのに対して、物自体の世界のことを「波立さわぐ渺茫たる海」と表現し、この領域に存在する対象を可想的存在と名付けているということです。また、前者においては、主観と客観の一致という真理が獲得できるのに対して、後者については、悟性の使用がこの領域に及んでしまうと必然的に誤謬に陥ってしまうということも確認しました。感性や悟性が及びうる範囲という意味で、前者が積極的な意味合いを持つとともに、後者はこれらが到達しえない領域という意味で、限界を超えた存在だとされていることも共通理解になりました。

 この図に関しては、この論点を網羅するものとして、概ね肯定的に捉えられました。特に追加の発言もなく、この論点についてはすっきり理解できたということでした。

 以上のような議論を行い、今回の例会における論点についての議論を終了しました。
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2017年10月16日

2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他(8/10)

(8)論点2:カントは観念論に対してどのように反駁しているか

 前回は1つ目の論点、すなわち経験的思惟一般の公準に関する論点についての討論を見ていきました。カントは、可能的、現実的、必然的という様態の三原則について、客観的な総合的命題ではなく主観的な総合的命題であると述べているということでした。

 さて今回は、2つ目の論点として挙げられた、カントが観念論に対して行った反駁に関する論点について見ていきたいと思います。

論点2:カントは観念論に対してどのように反駁しているか

 カントは、物の現実的存在を間接的に証明しようとする規則に有力な非難を加えるものとして観念論を挙げているが、観念論による「有力な非難」とはどういうもので、それに対してどのように論駁しているか。カントは「内的経験一般は、外的経験一般によってのみ可能である」(p.305)というが、これはどういうことであり、どのように証明されているか。

 この論点に関しては、まず、カントのいう観念論とはどのようなものか見ていきました。各見解に大きな違いがなく、それらをまとめると、カントのいう観念論とは実質的観念論のことであり、デカルトの蓋然的観念論(我々の外にある、空間における対象の現実的存在を単に疑わしいもの、証明できないものとする理論)と、バークリの独断的観念論(我々の外にある対象を虚妄であり不可能であるとする理論)の2通りある、ということになりました。

 次に、観念論による「有力な非難」について検討しました。デカルトの蓋然的観念論については、我々の存在以外の現実的存在を直接の経験によって証明することは不可能だという主張をしているとカントは説明しているのに対して、バークリの独断的観念論については、そもそも空間における一切のものは単なる想像上の虚構物に過ぎない(客観的な世界など存在しない)から、物の現実的存在を証明するなどということは不可能だという主張をしているとカントは説明しているという見解で、概ね全員の見解をまとめることができました。

 最後に、これらの観念論による「有力な非難」にたいして、カントがどのように論駁しているのかについて見ていきました。この部分も見解は概ね共通していて、まずバークリの独断的観念論に対しては、この考え方は空間を物自体に属する性質と見なしているが、直観の主観的条件を全て除き去ってしまえば、空間が物を規定するということは直観できないのであるから、空間は物自体に属する性質ではなくて、直観の主観的形式であるという論を展開し、この形式を通して現象の世界が成立している、つまり対象(現象)を認識することが可能である、という形で論駁しているということでした。少し分かりにくいですが、要するに、空間を物自体の属する性質だとしてしまうと、直観の主観的条件によって物を規定するということが説明できなくなってしまうため、空間は物自体の属する性質ではなくて、直観の主観的条件にほかならないのだということをカントは主張しているのだということです。続いてデカルトの蓋然的観念論に対して、カントがどのように論駁しているのかを検討しました。この論点に関しては、我々は外的な物に関して単に想像するだけでなく、経験もしているということを証明することで反駁しようとしていることを確認しました。具体的には、「我あり」という意識は、「我」の外にある物の現実的存在を意識することなしには成立しない、それは時間に関する規定が、「我」の外にある常住不変なものを前提として初めて可能であるからだ、だから内的経験(我あり!)という時点で既に、外的な物についての経験をしているのだという論を展開することで、カントはデカルトに反論しているということでした。

 この最後の論点に関わっては、先験的感性論などのこれまでの議論をふまえた形でカントの主張が展開されているため、今回の範囲だけを理解していても、全体的な把握には至らないということを全員で確認することができました。『純粋理性批判』の全体を改めて初めから読み返していくことで、この観念論に対する批判をより深く理解できるのではないかということで、この論点に関する議論を終えました。
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2017年10月15日

2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他(7/10)

(7)論点1:「経験的思惟一般の公準」とはどういうものか

 前回は、カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他の部分のうち、ポイントとなる部分を改めて振り返った後、9月例会で提出された3つの論点を紹介しました。

 今回から、その3つの論点について順次検討した内容を紹介していきたいと思います。まず1つ目の論点として挙げられたのは、カントのいう「経験的思惟一般の公準」とはどのようなものかを問う論点です。

論点1:「経験的思惟一般の公準」とはどういうものか

 カントは、様態のカテゴリーは特殊な性質をもっているというが、それはどのようなものか。カントがここでいう可能性、現実性、必然性とはどのようなものか。カントはなぜ、様態の原理に「公準」という名称を用いたのか。カントは、様態の三原則は客観的な総合的命題ではなく、主観的な総合的命題であると述べているが、これはどういうことか。「原則の体系に対する一般的注」ではどのようなことが説かれているかも合わせて確認したい。

 この論点1については、概ね、見解が一致していました。まず、カントが様態のカテゴリーについてどのような特殊性を持っていると述べているかについてです。これに関しては、様態のカテゴリーはいずれも対象を規定するものではなく、概念を拡張するものでもないのであって、認識能力とこの概念との関係を示すものであるということで共通理解が得られました。完全に規定された概念についても、この様態のカテゴリーを適用することで、対象と認識との関係を問うことが可能だということも確認しました。

 次に、カントがいう可能性、現実性、必然性とはどのようなものかという問題についてです。この点についても、ある物の概念が、単に経験の形式的条件(純粋直観の形式である空間・時間と純粋悟性概念)に合致している(だけな)のか、知覚されているのか、因果律によって規定されているのかによって、それぞれ可能性、現実性、必然性という規定を与えることができるのだということで落ち着きました。

 第3に、カントはなぜ、様態の原理に「公準」という名称を用いたのかという論点です。端的にいえば、これまでの純粋悟性の原則は対象を規定するものであったのに対して、今回取り上げた様態の原理はこの原理によって概念が産出されるものであって、数学でいう公準という言葉との類比で様態の原理に公準という名が付されているのだ、ということでした。

 第4に、カントが様態の三原則は客観的な総合的命題ではなく主観的な総合的命題であると述べていることについてです。これもほぼ同様の見解で、まとめると、様態の原理は物の概念をいささかも増大させることはなく、この認識に認識能力が結合される仕方(可能的か、現実的か、必然的か)を示すだけであり、客観的な物の概念について何も主張しないから客観的な総合命題ではないが、こうした対象と主観との関係を規定するから主観的な総合命題ということができるということでした。

 第5に、「原則の体系に対する一般的注」で説かれている中身について確認しました。ここでは、カテゴリーだけでは総合的な命題を作り出すことができず、対象を認識できない、必ず直観を持ち合わせていることが必要なのであり、カテゴリーは与えられた直観から認識を形成するための思考形式にすぎないということが再度述べられていることを見ていきました。また、対象を認識するための直観が外的直観でなければならないことが強調されていることも確認しました。ライプニッツが悟性だけによって考えられるような実体相互の関係を説明するために、実体間の媒介者として神を持ち出したことについて、カントが批判していることも確認しました。神に頼らずとも外的直観において表象すれば、相互性の可能は極めて容易に理解できるという批判をカントはライプニッツに与えていたのでした。

 最後に、直接論点としては取り上げられていませんでしたが、唯物論の立場から説く可能性、現実性、必然性とはどのようなものか議論してみてはどうかという提起をチュータが行いました。この問題については、諸々の見解が出されましたが、統一した理解に至ることはありませんでした。ただ、カントが提起した論点に関して、それを唯物論の立場から考えるとどうなるのかという問題意識は常に持っている必要があるのではないかということは確認できました。

 以上でこの論点に対する議論を終了しました。
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2017年10月14日

2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他(6/10)

(6)改めての要約と論点の提示

 前回までの4回にわたって、カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他の要約を紹介してきました。ここで改めて、そのポイントとなるところを振り返っておきたいと思います。

 まずカントは、経験的思惟一般の公準について述べていました。これは様態についての判断の原則であって、可能的、現実的、必然的の3項目に分けられるということでした。そしてこれらの原則は、これまでの純粋悟性の原則と違って、対象を規定するものでも概念を拡大するものでもなくて、認識能力に対するこの概念の関係を表現するに過ぎないものだと説いていました。物の概念が経験的一般の形式的条件に合致していれば可能的であり、物が知覚されれば現実的であり、原因性の法則に従って生じた結果であれば必然的であるというのです。この様態の三原則は、客観的な物の概念について何も主張していないから客観的な綜合命題ではないが、対象と主観との関係を規定するという点で、主観的な綜合命題と呼べるということでした。

 続いてカントは、物の現実的存在を間接的に証明しようとする規則に対して有力な非難を加えるものとして、バークリの独断的観念論とデカルトの蓋然的観念論とを挙げていました。前者については、空間を物自体に属する性質だと見なしたために、空間および空間を条件として生じる一切のものが想像上の虚構物だとしてしまったものであり、先験的感性論において論破したと述べられていました。また後者については、我々の存在以外の現実的存在を直接の経験によって証明することが不可能だと主張するものであるが、我々は外的なものを単に想像するだけではなく経験もしていること、我々の内的経験は外的経験を前提としてのみ可能であることを証明することで、これに反論しようとしているのでした。

 最後にカントは、あらゆる対象を現象的存在と可想的存在とに区別していました。現象的存在は現象の世界にある存在であって、悟性使用によって、真理を主張することができるものでした。一方、可想的存在というのは物自体のことであって、我々が経験できないものであり、悟性の使用がこの領域に及んでしまうと必然的に誤謬に陥ってしまうと述べられていました。つまり、カントのいう現象的存在とは、感性的直観によって捉えられる対象の姿であって、可想的存在とは、感官の対象とならずに悟性によってのみ考えられた対象のことである、ということでした。

 以上のような内容について、例会では大きく3つの論点が提示されました。そして、各論点をめぐって様々な議論・討論がなされていきました。そこで今回は、その3つの論点を紹介したいと思います。次回以降、それぞれの論点をめぐってなされた討論過程と、その結果どのような(一応の)結論に到達したのかということを詳しく紹介していく予定です。

論点1:「経験的思惟一般の公準」とはどういうものか

 カントは、様態のカテゴリーは特殊な性質をもっているというが、それはどのようなものか。カントがここでいう可能性、現実性、必然性とはどのようなものか。カントはなぜ、様態の原理に「公準」という名称を用いたのか。カントは、様態の三原則は客観的な総合的命題ではなく、主観的な総合的命題であると述べているが、これはどういうことか。「原則の体系に対する一般的注」ではどのようなことが説かれているかも合わせて確認したい。

論点2:カントは観念論に対してどのように反駁しているか

 カントは、物の現実的存在を間接的に証明しようとする規則に有力な非難を加えるものとして観念論を挙げているが、観念論による「有力な非難」とはどういうもので、それに対してどのように論駁しているか。カントは「内的経験一般は、外的経験一般によってのみ可能である」(p.305)というが、これはどういうことであり、どのように証明されているか。

論点3:対象を現象的存在と可想的存在とに区別する根拠とは何か

 カントは「純粋悟性の国」(p.319)について、波立さわぐ渺茫たる海に囲まれた「真理の国」(同上)にたとえているが、これはどのようなイメージを表現したものか。カントは、対象を現象的存在と可想的存在とに区別しているが、それぞれどのようなものだと述べているか。両者を区別する根拠をどのように説明しているか。特に、可想的存在は、積極的な意味のものではなく、消極的な意味と解せられなければならない(p.332)とか、可想的存在という概念は、感性の僭越を制限するための限界概念にすぎない(p.333)とか説かれているが、これらはどういう意味か。
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2017年10月13日

2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他(5/10)

(5)カント『純粋理性批判』 あらゆる対象一般を現象的存在と可想的存在とに区別する根拠について

 前回は、原則の体系に対する一般的注などについて説かれている部分の要約を紹介しました。そこでは、物の可能は、カテゴリーだけから了解できることではなく、必ず直観を持ち合わせている必要があること、悟性は、そのア・プリオリな諸原則はもとより、その概念〔カテゴリー〕すらも、全て経験的に使用し得るだけであって、決してこれらの物を先験的に使用することはできないことなどが説かれていました。

 今回は現象的存在と可想的存在について説明されている部分の要約を紹介します。

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第3章 あらゆる対象一般を現象的存在と可想的存在とに区別する根拠について〔承前〕

 純粋悟性概念は、常に経験的にのみ使用され得るものであり、決して先験的には使用され得ない。また純粋悟性概念の諸原則は、可能的経験の一般的条件として、感官の対象にのみ関係し得るものであり、決して物一般に(我々が物を直観する仕方を無視して)に関係し得るものではない。
 したがって、悟性がア・プリオリになし得るのは、可能的経験一般の形式を先取的に認識することだけである。また現象でないものは経験の対象になり得ないから、悟性は感性の限界、つまりそのなかでのみ我々に対象が与えられるところの限界を踏み越えることはできない。悟性の諸原則は、現象を解明する原理にすぎない。
 感性の形式的条件を欠く純粋カテゴリーは、単なる先験的意義をもちはするが、しかし先験的に使用され得るものではない。先験的使用はそれ自体不可能だからである。つまり純粋カテゴリーには(判断における)何らかの使用の条件――換言すれば、いわゆる対象なるものを概念のもとに包摂するための形式的条件が欠けているのである。カテゴリー(単なる純粋カテゴリーとしては)経験的に使用されるはずはなく、さりとてまた先験的に使用されることもできないから、カテゴリーが感性から完全に分離されてしまうと、カテゴリーのいかなる使用も不可能だということになる。
 しかしここには、なかなか避けがたいひとつの謬見が根底に存する。カテゴリーはその起原からいって、空間および時間という直観形式とは異なり、感性に基づくものではない。するとカテゴリーは、感官の一切の対象を越えてもっと広い適用ができそうに思われる。ところがカテゴリーは、その性質上思考形式にほかならない。感性的直観が悟性に付け加わらないと、悟性は全く意義をもたないのである。それにもかかわらず次のような区別がなされる。もし我々が、現象としてのある対象を直観する仕方を〔物自体としての〕これらの対象の性質自体から区別して、現象としての対象を感覚的存在と名づけるならば、我々は他方においてこの同じ対象を、〔物自体としての〕その性質自体にしたがって悟性的存在(可想的存在)と名づけるか、さもなければ全く我々の感官の対象にならないような別の可能的な物を悟性によってのみ考えられた対象として、さきの感覚的存在にいわば対立させてこれを悟性的存在者と名づける、ということである。するとここに、我々の純粋悟性概念は、こうした悟性的存在に関しては意義をもち得るのはあるまいか、またこの悟性的存在者を認識する仕方たり得るのではなかろうか、という問題が生じる。
 ところが、悟性がある対象をある関係において現象的存在と名づけるにしても、悟性はそれと同時に、この関係以外でも対象自体の表象を作り、こうした対象についても概念を構成し得ると思いなす。しかし悟性はカテゴリー以外にはどんな根本概念ももたないから、対象自体という意味での対象は、少なくともこうした純粋悟性概念によって考えられねばならないと思いなすのである。そのために悟性はややもすれば我々の感性のほかにある何かあるもの一般としての悟性的存在者という全く無規定な概念を、我々が悟性によってただひとつの仕方で認識し得るような存在者という規定された〔一定の〕概念と考えたがるのである。
 ところで我々が、物を直観する我々の〔感性的な〕仕方を無視して、可想的存在を我々の感性的直観の対象でないようなある物と解するならば、こうした物は消極的な意味での可想的存在である。しかしまた我々が可想的存在を、非感覚的な直観の対象と解するならば、我々は特殊な直観の仕方――すなわち知性的な直観の仕方を想定することになる。ところがこうした知性的な直観の仕方は我々の直観の仕方ではない。こういうのが積極的な意味での可想的存在というものであろう。
 私が直観をいっさい除き去っても、なお思惟の形式――換言すれば、可能的直観における多様なものに対して対象を規定する仕方は残る。カテゴリーは、対象が与えられる特殊な仕方(感性)を無視して、対象一般を思惟するから、感性的直観よりも遠くに達する。しかし、カテゴリーは、それによっていっそう広大な対象の領域を規定するのではない。感性的な直観の仕方とは異なる別の直観の仕方が可能でない限り、我々はこうした対象が与えられ得ることを想定するわけにはいかないからである。
 可想的存在という概念は、感性的直観を物自体まで拡大しないために、したがってまた感性的認識の客観的実在性に制限を加えるために必要なのである(我々が、感性的存在の達し得ない物、すなわち物自体を可想的存在と名づけるのは、およそ感性的思惟は悟性の思惟する一切のものを越えてその領域を広げることができない、と示すためにほかならない)。可想的存在という概念は、感性の僭越を制限するための限界概念にすぎない。したがってまた消極的にしか使用され得ないのである。
 それだから、対象を現象的存在と可想的存在とに区分し、また世界を感覚界と悟性界とに分つことは、積極的意味では全く承認され得ない。
 近代の学者の著者のなかで、感覚界と可想界という語の全く別の用法が散見されるが、この用法にはいたずらな言葉の綾しか見い出せない。現象の総括が直観される限りではこれを感覚界と名づけ、また現象の関連が普遍的な悟性法則にしたがって考えられる限りではこれを悟性界と名づけるのは、全く口実のためのこじつけでしかない。つまり問題の意味を自分に都合のよいように格下げして、困難な問題を回避しようとするのである。現象に関して、悟性と理性とが使用されることはいうまでもない。しかしここで問題は、対象が現象でないようなもの(可想的存在)の場合にも、なおかつ悟性や理性が幾分でも使用されるどうかということである。そこで問題は、悟性の経験的使用(宇宙構造に関するニュートン説においてすら悟性は経験的に使用されている)のほかに悟性の先験的使用、すなわち対象としての可想的存在に関係するような使用が可能であるかどうかということになるが、それに対しては我々は否定的な答えを与えざるを得ない。
 それだから我々が、感性は対象をそれが現われるがままに示すし、また悟性は対象をそれがあるがままに示すというときには、その「あるがまま」は経験的意味に解されるべきであって、先験的意味に解されるべきではない。我々にあっては、悟性と感性とが結合してのみ対象を規定し得るのである。もし我々が悟性と感性とを分離するならば、我々は概念のない直観かあるいは直観のない概念をもつにすぎない。しかし概念のない直観にせよあるいは直観のない概念にせよ、それは我々が一定の対象に関係させることのできない表象である。
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2017年10月12日

2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他(4/10)

(4)カント『純粋理性批判』原則の体系に対する一般的注その他 要約

 前回は、カントによる観念論への論駁について説かれている部分の要約を紹介しました。そこでは、デカルトの蓋然的観念論とバークリの独断的観念論が取り上げられ、特に前者に関して、デカルトがもはや疑いえないとした内的経験すら、外的経験を前提してのみ可能であることを証明することで、カントはデカルトに反論しているのでした。

 さて今回は、原則の体系に対する一般的注などが説かれている部分の要約を紹介します。

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原則の体系に対する一般的注

 およそ物の可能は、カテゴリーだけから了解できることではない。そのためには我々は必ず直観を持ち合わせていて、これによって純粋悟性概念の客観的実在性を現示しなければならない。これは大いに注意されるべきことである。我々は、直観を欠く限り、カテゴリーによってある対象を実際に考えることができるのかどうか、またカテゴリーにとにかく何らかの対象を対応させることができるのか、知りえないのである。つまりカテゴリーは、それだけでは認識にならないのであって、ただ与えられた直観から認識を形成するための思考形式にすぎない、ということが確認されるのである。それだからカテゴリーだけでは、決して総合的命題をつくり得ないわけである。
 もっと注意すべきことは、我々はカテゴリーによって物の可能を理解し、したがってまたカテゴリーの客観的実在性を明らかにするために直観を必要とするが、しかしこの直観は必ず外的直観でなければならない、ということである。一切の変化は、変化として知覚されるためだけにも、ある常住不変なものを直観において前提しているが、しかし内感には常住不変な直観というものが全く見出されない。相互性のカテゴリーの可能は、理性によるだけでは全く理解されない。我々は、空間における外的直観を欠くと、この概念の客観的実在性を明らかにすることができないのである。実際、2つ以上の実体が存在する場合、一方の実体の実在から他の実体の実在の上に何かある結果を生じさせるという作用が相互的に行われることの可能を、我々はどのようにして考えてみることができるのか。このことは相互性の概念が成立するためには是非とも必要であるが、しかし各自の実体性によってそれぞれ完全に孤立しているような物の間では、とうてい明らかにされ得ない事柄である。だから悟性だけによって考えられるような実体(世界における)に相互性を認めようとしたライプニッツは、こうした実体間の媒介者として神を必要としたのである。しかし我々が、(現象としての実体間の)相互性を空間において、したがってまた外的直観において表象すれば、相互性の可能は極めて容易に理解できるのである。空間は外的な形式関係を、(作用と反作用の、したがってまた相互作用の)実在的関係が可能であるための条件として、すでにア・プリオリに含んでいるからである。
 上述の注記は全て非常に重要である。「観念論に対する論駁」を確証するためばかりでなく、外的な経験的直観の助けをかりずに、単なる内的意識と我々自身の自然的性質の規定とによる自己認識がやがて論究される場合には、こうした認識の可能に対する制限を我々自身に指示するためにいっそう重要なのである。
 するとこの節全体の結果は、結局こういうことになる――純粋悟性の原則はいずれも経験を可能ならしめるア・プリオリな原理にほかならない。そしてア・プリオリな総合的命題もまた全て経験だけに関係する、それどころかこうした総合的命題の可能そのものが、全くこの関係を基礎にしているのである。


判断力の先験的理説(原則の分析論)

第3章 あらゆる対象一般を現象的存在と可想的存在とに区別する根拠について

 我々はいま純粋悟性の国をあまねく巡り歩いて、この国のあらゆる地方を仔細に観察してきたばかりでなく、国中を端から端まで踏査して、この国土に存する一切のものにそれぞれしかるべき位置を規定した。しかしこの国はひとつの島である。そして自然そのものによって一定不変の限界をめぐらされている。この国土は真理の国(いかにも魅惑的な名前だ)であり、波立さわぐ渺茫たる海に囲まれている。そしてこの大洋こそ仮象のまことの棲み処なのである。我々はこの大洋を隈なく捜索して、そこに何ものかを見出す望みがあるかどうかを確かめるために海上へ乗り出そうとしているのであるが、しかしそれに先立ち、いまや立ち去ろうとするこの国の地図に一瞥を与えて、次の問題を考察しておくことは有益であると思う。その第一は、もし我々の定住し得るような土地がこの国以外には全く存在しないとしたら、我々はこの国土にあるところのものをもってとにかく満足できるかどうか、あるいは止むを得ず満足せねばならぬかどうか。第二は、いったい我々はどんな権原があってこの土地を我々自身のものであると主張するのか、また我々に対して提起される一切の敵視的な要求を退けて我々の安全をどうして保ち得るのか、という問題である。
 我々がこれまで知ったことは、悟性が自分自身のうちから得てくる一切のものは、経験から借りてきたのではないにもかかわらず、全く経験的使用のためだけのものであり、それ以外に何ら他意はない、ということである。悟性は、経験的な悟性使用を旨とするので、自分自身の認識の源泉については精しく考えようとしない。それだからなるほど非常に具合よく自分の仕事を運びはするものの、ひとつだけはどうしても自分になし得ないことがある。それは悟性使用の限界をみずから決定し、また何が自分の全領域のうちにあり何がその外にあるかを知るということである。しかし悟性がある種の問題について、それが自分の解決し得る範囲内にあるかどうかを判別できないとすると、悟性は自分の要求と所有とを確保できないわけであって、もし自分の領域の限界をしょっちゅう踏み越え(これは避けられないことである)謬見と虚妄とのなかへ迷い込むならば、しばしば恥ずべき叱正を蒙る覚悟が必要である。
 それだから悟性は、そのア・プリオリな諸原則はもとより、その概念〔カテゴリー〕すらも、全て経験的に使用し得るだけであって、決してこれらの物を先験的に使用することはできない、という命題は、もしこの命題が確認されるなら甚だ重要な結果を生じることになろう。何らかの原則におけるある概念の先験的使用とは、この概念が物一般すなわち物自体に適用されることである。また経験的使用とは、この概念が現象だけに適用されることである。しかし悟性概念に関しては一般に経験的使用だけしかあり得ないことは、次の事情から明白である。およそ概念に必要なものは、第一に概念(思惟)一般の論理的形式であり、第二には、その概念の適用される対象が概念に与えられ得るということである。こうした対象を欠く概念は、たとえ何らかの与えられたものから概念を構成するという論理的形式をなお含んでいるにしても、何の意味をももたないし、また全く内容がないことになる。ところで概念には、直観においてしかその対象が与えられ得ない。また純粋直観は、対象よりも前にア・プリオリに可能であるが、しかしこの純粋直観そのものすら、その対象と従ってまた客観的実在性とをもち得るのは、経験的直観によるよりほかない。純粋直観は経験的直観の単なる形式にすぎないのである。それだから悟性の概念と、またそれとともに悟性の原則とは、いずれもア・プリオリに可能であるにせよ、全て経験的直観に関係する。換言すれば、可能的経験を形成するための所与に関係するのである。
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2017年10月11日

2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他(3/10)

(3)カント『純粋理性批判』観念論に対する論駁 要約

 前回は、経験的思惟一般の公準を扱った部分の要約を紹介しました。ここでは、様態の3カテゴリーは、いずれも対象を規定するものでなく、また概念をいささかも拡大するものでもなく、認識能力に対するこの概念の関係を表現するにすぎないこと、これらのカテゴリーは先験的使用を許さず、これを経験的使用にのみ制限する必要があることなどが説かれていました。

 今回は、観念論に対するカントの論駁の部分の要約を紹介しましょう。

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観念論に対する論駁

 観念論(私のいう観念論は実質的観念論)には2通りある。第一は我々の外にある対象、すなわち空間における対象の現実的存在を単に疑わしいもの、証明できないものとするデカルトの蓋然的観念論であり、彼は「私は存在する」という唯一の経験的主張だけを疑いえないというのである。第二は、これを虚妄であり不可能であるとするバークリの独断的観念論である。空間は物を成立させる条件として物から分離されないものであるが、彼は空間と一切のものをそれ自体不可能な何かあるものであり、それ故に空間における一切のものをも単なる想像上の虚構物にすぎないというのである。もし我々が空間を物自体に属する性質と見なすなら、独断的観念論は避けられない。この場合、空間は空間を条件として成立する一切の物とともに、空想物になってしまうからである。しかしこの独断的観念論の根拠は、我々がすでに先験的感性論において論破したところである。ところが蓋然的観念論のほうは、こうしたことは何も主張せずに、ただ我々の存在以外の現実的存在を直接の経験によって証明することの不可能を説くだけであるから、合理的であるしまた徹底を旨とする哲学的考え方にもかなうところがある。つまり十分な証明が提示されないうちは、決定的判断を下さないというわけである。それだからここで要求されている証明は、我々は外的な物に関して単に想像するだけでなく、経験もしているということを証示せねばならない。このことは、我々の内的経験、すなわちデカルトがもはや疑いえないとした経験すら、外的経験を前提してのみ可能であることを証明しうるときのみ、成就され得るわけである。

定理

 私の外にある対象すなわち空間における対象の現実的存在を証明するところのものは私自身の現実的存在の単なる、とはいえ経験的に規定された意識である。

証明

 私は私自身の現実的存在を、時間に規定されたものとして意識する。時間に関する規定は全て常住不変なものを前提するが、これは私の内にあるものではない。常住不変なものの知覚は、私の外にある物によってのみ可能になる。したがって、時間における私の現実的存在の規定は、何によらず私が自分の外にあるものとして知覚するようなものの実際的存在によってのみ可能である。私自身の現実的存在の意識が同時に、私の外にある他の物の現実的存在の直接的意識なのである。
 注1)この観念論は、内的経験だけが唯一の直接的経験であり、外的な物はこの内的経験から推及されたものにすぎないと想定したが、上に証明した通り、外的経験こそ本来直接的なものなのである。内的経験そのものは間接的にのみ、外的経験によってのみ可能である。
 注2)我々は一切の時間を、空間における常住不変なものに関する外的関係(例えば、地上の対象に関する太陽の移動)における変易(運動)によってのみ規定することができる。我々が、実体の概念に直観として対応させることができる常住不変なものといえば物質だけである。そしてこの常住不変性すら、外的経験から得られるものではなく、一切の時間規定の必然的条件としてア・プリオリに前提される。したがってまた我々自身の現実的存在に関する内感の規定としても、外的な物の実際的存在によって前提されるわけである。「私」という表象に含まれている私自身に関する意識は、決して直観ではなく、思惟する主観の自発的活動によって生じた知性的表象である。この「私」は常住不変なものとして、内感における時間規定の相関者の用をなし得るようなもの――つまり経験的直観としての物質における不加入性と同じようなものである。
 注3)外的な物の表象は(夢や狂気の場合の)構想力のはたらきから生じた結果にすぎないこともあり得るから、我々自身に関するある一定の意識が可能であるためには、外的な対象の実際的存在が必要であるということからは、外的な物の直観的表象でありさえすれば同時に外的な物の実際的存在を含んでいる、という結論は出てこない。しかし、こうした表象はかつて経験したことのある外的知覚の再生によって生じたものである。そしてこの外的知覚は、すでに述べた通り、外的対象の現実的存在によってのみ可能である。

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 第三の必然性の公準についていえば、この公準は現実的存在の実質的な必然性に関するものであって、概念結合の単なる形式的、論理的な必然性に関するものではない。感官の対象の実際的存在は、完全にア・プリオリには認識されないにせよ、しかしすでに与えられている他の現実的存在に関係させて、比較的にア・プリオリには認識され得る。とはいえその場合にも我々が認識し得る存在は、経験の――といっても、与えられた知覚がその一部をなしているところの経験の連関のどこかに含まれていなければならないような実際的存在に限られている。それだから実際的存在の必然性は、概念から認識されるのではなくて、常に知覚されるところのものとの結合からのみ経験の普遍的法則にしたがって認識されるのである。すると与えられた原因から他の現象が条件となり、この条件のもとで認識され得る現実的存在は、与えられた原因から原因性の法則〔因果律〕にしたがって生じた結果の現実的存在だけということになる。我々が認識し得るのは、物(実体)の現実的存在の必然性ではなくて、その物の状態の現実的存在の必然性だけである。それも、知覚に与えられている他の状態から、原因性の法則にしたがって認識するにすぎない。してみるとかかる必然性の標徴は、可能的経験を成立させる法則にのみ見出されることが判る。そしてその法則とは、「生起する一切のものはその原因によって、現象においてア・プリオリに規定されている」ということである。つまり、我々が認識するのは、原因が与えられている場合に自然においてこの原因から生じた結果の必然性だけである。
 私が様態の原理に公準という名称を付した理由を述べておく。様態の3原則は、対象の概念に何ものをも付け加えないから客観的な総合命題ではないが、この概念に認識能力を適用するから、主観的な総合命題ではある。数学における公準は、ある種の総合しか含まない実用的命題である。すなわち我々は、この総合によってある対象をまず我々自身に示しておいて、それからこの対象の概念を産出するのである。例えば「与えられた線をもって、与えられた点から平面上にひとつの円を描くこと」というような命題は証明されるものではなく、この命題が要求している手続きそのものによってこそ、この図形の概念が始めて産出されるのである。これと同じく、様態の3原則は、物の概念をいささかも増大するのではなく、この概念に認識能力が結合される仕方を示すだけなのである。
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2017年10月10日

2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他(2/10)

(2)カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準 要約

 前回は、京都弁証法認識論研究会の9月例会の場において、報告担当者から提示されたレジュメ、およびそのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介しました。今回から4回に渡って、カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準等の部分の要約を紹介していくことにします。

 今回は、純粋悟性の原則の4つ目として、経験的思惟一般の公準について説かれている内容の要約を紹介します。

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経験的思惟一般の公準

1 経験の形式的条件(直観および概念に関する)と合致するものは、可能的である。
2 経験の実質的条件(感覚)と関連するものは、現実的である。
3 現実的なものとの関連が、経験の普遍的条件に従って規定されているものは、必然的である(必然的に存在する)。

 様態の3カテゴリーは、いずれも対象を規定するものでなく、また概念をいささかも拡大するものでもなく、認識能力に対するこの概念の関係を表現するにすぎない、という特殊な性質をもっている。ある物の概念が十全であってもなお、この対象は単に可能であるのか、現実的なものでもあるのか、もし現実的なものであるとすれば必然的なものでもあるのか、と問い得るのである。
 様態の3原則も可能性、現実性、必然性が経験的に使用される場合のこれら3原則の説明以上に出ず、同時に様態のカテゴリーに先験的使用を許さず、これを経験的使用にのみ制限するのである。これらカテゴリーが単なる論理的意義をもつだけでなく、また思惟の形式を分析的に表現するにとどまるべきでなくて、物と物の可能性、現実性、必然性とにかかわるべきならば、こうしたカテゴリーはいずれも可能的経験とその総合的統一とに関係しなければならない。認識の対象は、可能的経験の総合的統一においてのみ与えられるからである。
 それだから物の可能を認識する公準は、物の概念が経験一般の形式的条件に合致することを要求する。しかしこの形式的条件、つまり経験一般の客観的形式は、およそ客観の認識に必要な一切の総合を含んでいる。総合を含む概念は、もしその総合が経験に属しないとすると、空虚と見なされねばならない。したがってまたおよそいかなる対象にも関係しえないわけである。それだからア・プリオリな総合的概念によって考えられるような対象の可能が、客観の経験的認識の形式をなすところの総合によって成立するのでないとしたら、我々は対象の可能という特性をどこにも求めようがないのである。
 概念の客観的実在性、すなわちその先験的真理は、これらの概念がおよそ経験における知覚の関係をア・プリオリに表現するのでなければ認識しえない。我々はこうした客観的実在性を、もとより経験に関わりなく認識するのであるが、しかし経験一般の形式と、対象の経験的認識を可能ならしめる唯一のものであるところの総合的統一とに対する一切の関係を無視しては認識しえないのである。
 空間において常住不変に現在しながらしかも空間を占めていないような物体、未来のことを前もって直観する心力、遠隔地にいる他の人々とも精神感応を営み相手の考えていることを読みとる心的能力といった概念は、経験と既知の経験的法則とを根拠となしえないから、思考の任意の結合でしかなく、客観的実在性を要求できるようなものではない。
 しかし私は、たとえ物の可能が経験における現実性だけから推及されるにしても、こうした物を一切無視して、物がア・プリオリな概念によって可能になるということだけを考察したい。物の可能は、決してこうした概念自体だけで成立し得るものではなくて、これらのア・プリオリな概念が常に経験一般の形式的かつ客観的な条件である限りにおいてのみ成立し得るというのが、私のこれから主張しようとするところなのである。
 ひとつの三角形が可能であることは、三角形の概念自体(経験に関わりがない)から認識されるように見える。しかしこのような三角形は、構想力の所産であり対象の形式にすぎないから、対象の可能は疑わしい。対象が可能であるためには、この図形が経験の一切の対象の基礎をなすところの諸条件のもとでのみ考えられる、ということが必要なのである。要するに、空間が外的現象のア・プリオリな形式的条件であるということ、また我々が構想力においてひとつの三角形を構成するのに用いるところの総合とまったく同一であるということ――これのみがこの三角形の概念に、こうした物の可能の表象を結びつけるところのものである。連続的な量が可能であるのも、それどころか量一般が可能であるのも、全てこのような事情によるものであって、概念そのものからではなく、経験一般において対象を規定する形式的条件としての概念から初めて明瞭になるからである。
 物の現実性を認識するための公準は、知覚を必要とする。従ってまた我々が意識している感覚を必要とする。その場合にこの公準は、必ずしも対象そのものを――換言すれば、我々がその現実的存在を認識しようとする当の対象の知覚を直接に必要とするのではないが、しかしこの対象が経験の類推に従ってなんらかの現実的知覚と関連していることを必要とする。経験の類推は、経験一般における一切の実在的結合を表示するからである。
 物の単なる概念のなかには、物の現実的存在という特性は決して見出されるものではない。物の現実的存在が問題とするのは、こうした物が我々に与えられているかどうか(この物の知覚がいずれにせよ概念より前にありうるかどうか)ということだけである。もっとも、物の現実的存在が、知覚の経験的結合の原則(類推)に従っていくつかの知覚と関連していさえすれば、我々はその物を知覚する前でも、したがって比較的にア・プリオリに、こうした物の現実的存在を認識することができる。つまりその場合には、この想定された物の現実的存在は、可能的経験における我々の知覚と関連しているので、我々は経験の類推の手引きにしたがって、我々の現実的知覚から可能的知覚の系列を辿って、この物に到達することができるわけである。例えば、一切の物体を透徹している磁性的物質の現実的存在を、これに引き付けられた鉄粉の知覚から認識するように、である。ところが、物の現実的存在を間接的に証明しようとするこの規則に有力な反論を加えるものに観念論がある。そこでここに観念論に対する論駁を挿入する次第である。
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2017年10月09日

2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他(1/10)

目次

(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント
(2)カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準 要約
(3)カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想 要約
(4)カント『純粋理性批判』原則の体系に対する一般的注その他 要約
(5)カント『純粋理性批判』あらゆる対象一般を現象的存在と可想的存在とに区別する根拠について 要約
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1:「経験的思惟一般の公準」とはどういうものか
(8)論点2:カントは観念論に対してどのように反駁しているか
(9)論点3:対象を現象的存在と可想的存在とに区別する根拠とは何か
(10)参加者の感想の紹介

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(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント

 我々京都弁証法認識論研究会は、今年および来年の2年間を費やして、カント『純粋理性批判』に取り組んでいくことにしています。これは、哲学の発展の歴史を、絶対精神という一つの主体の発展として描いたヘーゲル『哲学史』の学び(2015-2016年)を踏まえつつ、客観(世界)と主観(自己)との関係という問題について徹底的に突き詰めて考え抜いたカント『純粋理性批判』の学び(2017-2018年)を媒介にすることによって、全世界の論理的体系的把握を試みたヘーゲル『エンチュクロペディー』の学び(2019-2020年)に進んでいこうという計画に基づいたものです。

 9月例会では、『純粋理性批判』の経験的思惟一般の公準その他を扱いました。今回の範囲は次のような構成になっています。

第2章 純粋悟性のすべての原則の体系
 第3節 純粋悟性のすべての綜合的原則の体系的表示
  4 経験的思惟一般の公準
  (観念論に対する論駁)
  原則の体系に対する一般的注
第3章 あらゆる対象一般を現象的存在と可想的存在とに区別する根拠について

 今回の例会報告では、まず例会で報告されたレジュメを紹介します。その後、扱った範囲の要約を4回に分けて掲載し、次いで、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に、この例会を受けての参加者の感想を掲載します。

 今回はまず、報告担当者から提示されたレジュメ、およびそのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介することにしましょう。

 なお、この研究会では、篠田英雄訳の岩波文庫版を基本にしつつ、他の翻訳やドイツ語原文を適宜参照するようにしています(引用文のページ数は、特に断りがない限り、岩波文庫版のものです)。

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京都弁証法認識論研究会 2017年9月例会
カント『純粋理性批判』
経験的思惟一般の公準 〜判断力の先験的理説(原則の分析論)
 第3章 あらゆる対象一般を現象的存在と可想的存在とに区別する根拠について

1.「経験的思惟一般の公準」とはどういうものか
 経験的思惟一般の公準とは、様態(対象の存在の仕方、対象にたいする認識能力の関係)についての判断の原則で、@可能的 A現実的 B必然的の3項目に分けられる。これら様態のカテゴリーは、これまでの純粋悟性の原則(分量、性質、関係)と異なり、対象を規定するものでも概念を拡大するものでもなく、認識能力に対するこの概念の関係を表現するにすぎない、とされる。様態の3カテゴリーは、他の原則によって概念規定された対象が可能なのか、現実なのか、必然なのか、という問題に関わるものなのである。
 可能性とは、物の概念が経験一般の形式的条件(純粋直観の形式である空間・時間と純粋悟性概念)に合致していることである。そういう形式的条件に合致していれば(実際に存在しているかどうかはともかく)存在する可能性はあるといえる。現実性とは、物が経験の実質的な条件(感覚)と関連すること、端的には、物が知覚されることである。必然性とは、原因性の法則(因果律)に従って生じた結果の現実的存在しか認識されない、ということである。
 様態の三原則は、客観的な物の概念について何も主張しないから客観的な総合命題ではないが、こうした対象と主観との関係を規定するから主観的な総合命題である、とカントは述べている。

〈報告者コメント〉
 「経験的思惟一般の公準」(様態のカテゴリーにもとづく総合判断の原則)が、他のカテゴリーにもとづく総合判断の原則とは異なって、対象そのものの概念規定に関わるものではなく、対象と認識主体との関係に関わるものだとされていることが重要であろう。カントがそもそも対象と認識との関係をどのように描いていたのか、というところから、この「経験的思惟一般の公準」の位置づけを明確にイメージしておく必要があるだろう。このことこそが、唯物論の立場からいうところの可能性、現実性、必然性とはどういうものなのか、それはカントのいわゆる可能性、現実性、必然性とどう異なるのか、議論していくための前提となるであろう。

2.カントは観念論をどう論駁しているか
 カントは、物の現実的存在を間接的に証明しようとする規則に有力な非難を加えるものとして、観念論(実質的観念論)を挙げている。この観念論には、デカルトの蓋然的観念論(我々の外にある、空間における対象の現実的存在を単に疑わしいもの、証明できないものとする理論)と、バークリの独断的観念論(我々の外にある対象を虚妄であり不可能であるとする理論)の2通りある、とされる。
 カントは、独断的観念論なるものは、空間を物自体に属する性質と見なしたために空間および空間を条件として生じる一切のものが想像上の虚構物だ、としてしまったものであり、先験的観念論においてすでに論破された、とする。これに対して、蓋然的観念論については、我々の存在以外の現実的存在を直接の経験によって証明することの不可能を説くだけであるから、合理的で哲学的考え方にかなうものだ、とする。ここから、直接的には知覚することができない物(例えば磁性的物質)の現実的存在を現象の経験的連関の法則に従って間接的に証明しようとすることへの「有力な非難」がなされることになる。このような非難に対してカントは、我々は外的なものを単に想像するだけでなく経験もしていること、このことは我々の内的経験(デカルトがもはや疑いえないとした経験)すら外的経験を前提としてのみ可能であることを証明することで論駁しようとしている。カントは、時間における私の現実的存在の規定は、私が自分の外にあるものとして知覚するような物の実際的存在によってのみ可能である、と主張するのである。

〈報告者コメント〉
 カントのいわゆる観念論と、カント自身の立場とはどう違うのか、我々自身の唯物論の立場から、よく整理しておく必要があるだろう。カントが外的経験を前提としてのみ内的経験が可能になる、と主張しているのは重要ではないかと思われるが、これは我々自身の唯物論の立場からすればどのように評価できるのか、よく確認しておきたい。

3.あらゆる対象を現象的存在と可想的存在とに区別する根拠とは
 カントは「純粋悟性の国」を、波立さわぐ渺茫たる海に囲まれた「真理の国」にたとえている。「純粋悟性の国」とは、我々人間が経験できる領域のこと、すなわち現象の世界のことであり、悟性の使用がこの領域にとどまる限り、真理(主観と客観の一致)を主張することが可能となるという意味で、「真理の国」にたとえられている。これに対して、「波立さわぐ渺茫たる海」というのは、経験できない領域のこと、すなわち物自体の世界のことであり、悟性の使用がこの領域に及んでしまうと必然的に誤謬に陥ってしまう、とされている。
 カントは、純粋カテゴリーは感性から完全に分離されてしまうと対象に全く適用できなくなってしまうことを強調し、感性に基づかないカテゴリーは感官の一切の対象を超えてもっと広い範囲に適用できるかのように思うのは誤解である、と指摘する。その上で、現象的存在と可想的存在との区別を導入している。カントのいわゆる現象的存在(感覚的存在)とは、感性的直観によって捉えられる対象の姿(対象の性質自体から区別された現象)であり、可想的存在(悟性的存在)とは、人間の感官の対象にはならず悟性によってのみ考えられた対象のことである。

〈報告者コメント〉
 『純粋理性批判』を著したカントのそもそもの問題意識とは何であったのか、というところから確認すべきところであろう。人間の認識が真理性(対象と一致していること)を主張できるのはなぜなのか、という問いについて、真理性を主張できる範囲を厳格に定めることによって答えようとしたのだ、ということが確認できるであろう。

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 以上の報告に対しては、概ね肯定的な評価がなされました。報告者コメントが若干分量的に少ないとはいえ、コンパクトにまとまっているのではないかということでした。また、3.の報告者コメントにあるように、カントのそもそもの問題意識を念頭に置きながら議論していく必要があることも確認しました。
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2017年10月08日

経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス(13/13)

(13)哲学的な把握を志向する精神こそスミス最大の遺産である

 前回は、本稿で説いてきた流れをざっと振り返ってみることで、通説的には“経済学の祖”とされ、近年は『道徳感情論』の著者としても注目されるようになってきたアダム・スミスが、たんなる経済学者でも倫理学者でもなく、あくまでも世界全体のつながりを把握しようとした哲学者と呼ぶにふさわしい存在であったことを確認しました。18世紀のイギリス(スコットランド)という時代的条件に規定された学者として、スミスが解くことを迫られていた具体的な問題というのは、あくまでも富と徳との関係をどう捉えるか――経済発展のなかで生じてきた徳の腐敗についてどのように考え、どのように対処していくべきか――という問題であったものと思われます。しかしスミスは、こうした問題を、個別の問題としてただそれ自体から解いたわけでもなければ、若干の倫理学を加味した経済学といったレベルから解いていこうとしていたわけでもありません。スミスは、具体的な社会問題を解くにしても、この世界(宇宙)全体には一般的な法則性がつらぬかれている――宇宙はすべての種の保存と繁栄を目ざして運動するまとまった体系である――という観点から、世界全体のなかの部分としての問題という位置づけを明確にしながら解いていこうという姿勢をもっていたわけです。このように、問題の哲学的な把握を志向する精神こそ、スミスによって現代の私たちに遺されたもっとも貴重な財産であるというべきでしょう。

 現代の社会を眺めるならば、いわゆる新自由主義的な経済政策の推進が人間と社会の深刻な荒廃をもたらし、経済の発展と人間の幸福との関係が大きな問題として浮上してきているという状況があります。このような状況においてスミスの遺産を活かすというのは、新自由主義的な思想・理論によってもたらされた荒廃した現実に、幸福についてのスミスの片言節句(心の平静さこそ真の幸福だ!)を対置することなどではないはずです。いわゆる市場という領域を社会の他の部分から切り離して究明の対象としてきた現代の経済学、より具体的にいえば、市場のみに視野を限定して、狭い意味での資源の最適配分や効率性、利潤の拡大ばかりを一面的に追求することを正当化してきた新古典派的な経済理論の歪みを、世界全体のつながりを視野に入れた体系的な社会科学および経済学の構築によって克服していくということこそが、スミスの遺産を現代に活かしていく道なのだといえるでしょう。

 このような観点から、本稿の最後に補足的に考えておきたいのは、通常は「政治経済学」と訳されるところの「ポリィテカル・エコノミー(political economy)」という言葉の意味合いについてです。『国富論』第4篇の冒頭において、スミスは次のように述べています。

「ポリィテカル・エコノミーは、政治家あるいは立法者が行うべき科学(science)の一部門としてみるならば、はっきり異なった二つの目的をもっている。その第一は、国民に豊かな収入もしくは生活資料を供給すること、より正確にいえば、国民がそうした収入や生活資料を自分で確保できるようにすることである。第二は、国家あるいは公共社会(state or commonwealth)に、公的サービスを行うのに十分な収入を供することである。ポリティカル・エコノミーは、国民と統治者の双方をともに富ませることを意図するものなのである。」(『国富論』第4篇、序論。筆者訳)


 ここから、スミスは、国民と国家(政府)の双方を富ませるための科学として“政治経済学”を定義したのだ、と読みとることも可能です。すなわち、スミスは、国民を富ませるために市場の自然で自由な働きを確立(国家の恣意的介入の排除)し、こうして実現される国民の富の形成を大前提にして、それをできるかぎり阻害しないように配慮しつつ、国家の富の形成(財源の調達)がはかられるべきだという形で、市場論と国家論を統一した“政治経済学”を展開したのだ、という見方をすることもできるのです。スミスの“政治経済学”をこのようなものとして捉えてみることで、社会という有機的な全体から貨幣を媒介にした効率的な資源配分の場としての市場のみを実体的に切り離して究明の対象としてしまった現代の「経済学(economics)」を批判的に捉えていくことも可能でしょう。

 しかし、スミスはあくまでも哲学者として評価されるべき存在であったのだという視点からは、この「ポリティカル・エコノミー」という語について、もう少し踏み込んで考えておく必要が出てくるのです。そもそも英語のエコノミーは、「オイコノミア(oikonomia)」というギリシャ語に由来します。オイコノミアは「家」を意味するオイコスに「用い方、方法」を意味するノモスがくっついた言葉で、ふつうは「家政術」などと訳されているものです。つまり、エコノミーという言葉には、もともと「家庭の財産についての賢明な管理の方法」という意味合いがあったわけです。ここから転じて、中世ヨーロッパにおいては、エコノミーという語に“家のような共同体(組織体)をうまく管理するための方法”あるいは“組織体における体系的な秩序”という意味合いがもたされるようになり、天体の運行をつかさどる摂理(神のエコノミー)や動物の生命を維持するための体の仕組み(動物のエコノミー)などにまで、幅広く使われていくようになったのでした。
スミスもまた、こうした中世以来の伝統を踏まえて、エコノミーという語を使っていました。本稿の連載第4回において、スミスの自然神学的な発想がうかがえる文章として、「自己保存と種の繁栄とは、自然がすべての動物を創造するにあたって意図していた偉大な目的である」という『道徳感情論』の一節を紹介しましたが、その少し前の部分で、スミスは「自然のエコノミー(the economy of nature)」という言葉を使っています。これは「古代自然学史」論文で提示された「一般的な法則に支配され、それ自身の保存と繁栄およびそこにいるすべての種の保存と繁栄という一般的な目的を目ざす、完全な機械、まとまった体系(system)」という自然観(宇宙観)にもつうじるものだといえるでしょう。つまりスミスは、この自然界(宇宙)はあまねく一般的な法則性によって支配されており体系的な秩序が成り立っているのだ、というイメージを託して、「自然のエコノミー」という語を使っていたのだと考えられるのです。正義の確立された社会についてスミスが述べた「自然的自由の体系」という語も、あくまでもこのような自然(宇宙)全体の秩序につながるイメージにおいて捉えられるべきでしょうし、「ポリティカル・エコノミー」という語もまた、こうした「自然のエコノミー」のミニマムな形態として、具体的には、政治的組織体における体系的な秩序(あるいは、政治的組織体をうまく管理するための方法)という意味合いにおいて、使われていたのだと考えることができるのです。
スミスの遺産を活かして現代の課題に応えうる経済学体系を構築していくといった場合、スミスのいわゆる「ポリティカル・エコノミー」を単純に政治経済(政治経済学)として捉えるだけではなく、あくまでも、世界(宇宙)全体の体系的秩序を把握しきらなければならない! という哲学的志向性を背景にもった言葉としてとらえていく必要があるでしょう。

 また、スミスの「見えざる手」という言葉についても、スミスの宇宙観を背景にもったものとしてとらえ返しておく必要があります。この宇宙全体あるいは宇宙の個々の部分について、体系的な秩序を成り立たせるように働いている力こそが「見えざる手」にほかならないのです。けっして、たんなる市場の自動調節機能に解消してよいものではありません。『国富論』においてスミスが実現を目指していたのは、全ての国民(その大きな部分を占めるのが下層の労働者)がそこそこの物質的な豊かさを保障され、人間らしく生きていくことのできる社会状態でした。スミスのいわゆる「見えざる手」は、国民が消費する生活必需品と便益品の生産量(社会の全収入)を最大にするような資本と労働の配分を実現してくれるからこそ尊重されるのであって、市場における自由な競争それ自体が自己目的化されていたわけではないことが強調されなければなりません。スミスが「見えざる手」を主張したのは、ハッキリいえば、経済的な強者(特権的な大商人や製造業者)の利害によって経済の自然なあり方が歪められてしまったために、経済的な弱者(下層労働者など)が痛めつけられている、という現状を打開しようとしたからにほかならないのです。ここでいう経済の自然なあり方とは、国民が年々に消費する生活必需品と便益品が、きちんと持続的に再生産されていけるように、資本と労働が適切に配分されていく状態のことです。スミスが「見えざる手」に任せるべきことを主張したのは、強者の利益のために歪められてしまった経済の自然なあり方を回復することこそが、下層労働者を含む国民全ての利益になると信じたからにほかならないのです。その背景には、この世界(宇宙)全体は、本来的に調和的なものとして存在しているのであって、人為的にその動きをかき乱さなければ、おのずから望ましい状態が実現されていくはずだ、というスミスの信念があったのです。こうした文脈から切り離して、「見えざる手」という言葉をもっぱら市場の自動調節機能を賛美するものとして流布するのは、スミスの真意を曲解するものといわなければなりません。

 私たちがスミスから学びとるべきことは、何よりもまず、問題の哲学的な把握を思考する精神――どんな問題を解くにしても、必ず、世界全体のなかの部分としての問題という位置づけを明確にしながら解いていこうという姿勢に徹すること――にほかなりません。現代の経済学の行きづまり――市場のみに視野を限定して、狭い意味での資源の最適配分や効率性、利潤の拡大ばかりを一面的に追求してきたことから行きづまり――を、世界全体のつながりを視野に入れた体系的な社会科学および経済学の構築によって克服し、現代の世界が抱える諸々の問題を解決してよりよい社会を築いていくための理論的な指針を示していくということこそが、スミスの遺産を現代に活かしていく道にほかならないのです。

〔予告〕
 本稿については、より詳しく説きなおす形で、来年発刊予定のわが研究会の機関誌『哲学への道(仮称)』に連載していく予定です。

(了)
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2017年10月07日

経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス(12/13)

(12)スミスは具体的な社会問題を世界全体から解こうとした

 本稿は、現代社会の課題に応えうる学問体系の構築に向かっていくことこそアダム・スミスの遺産を現代に活かしていく道である、という問題意識から、『道徳感情論』と『国富論』という2大著作だけにとどまらないスミスの学問的構想の全体像について、描き出すことを試みるものでした。ここで、これまで説いてきた流れを振り返ってみることにしましょう。

 スミスが生きた18世紀のスコットランドは、イングランドとの合邦によって大きな経済発展を成し遂げつつあり、商業化された社会における人間性や道徳のあり方について考察を深めていく「スコットランド啓蒙」と呼ばれる思想的な流れを登場させていました。このような時代背景の下にグラスゴウ大学に入学したスミスは、恩師ハチスンの道徳哲学講義に決定的な影響を受け、自身も独自の道徳哲学体系の構築を志すようになったのでした。

 しかし、青年スミスは、科学的認識の確実性を否定してしまうかのようなヒュームの議論によって大きな不安を抱かされることになります。スミスは、この大きな不安を解消するために、古代ギリシャ以来の自然哲学の歴史的発展過程をたどり返してみようとしました。スミスは、人類が、新奇の現象に出会ったことから生じる不安を鎮めるために、新奇の現象と既知の現象とをつなげて理解するための結合原理を想像力によって創り出し、現実と突き合わせてその結合原理の妥当性を検証することで、自然にたいする認識をより確かなものにしてきたことをあきらかにしたのでした。こうしてスミスは、人間が客観的世界(自然)の法則性を認識していくことは可能であることを確認したのです。

 スミスは、自然哲学史研究をつうじて獲得した科学方法論を道徳哲学の構築という課題に適用していこうとしたのですが、その際、意志をもたない諸物の機械的運動を記述するための自然科学的な方法を、そのままの形で、自由意志をもった人間の集合体である社会の領域へと適用することができるのか、という問題にぶつかることになりました。スミスは、道徳哲学の第一部門として位置づけられた自然神学においてこのような問題について考察し、社会の客観的法則性というのは諸個人の自由意志にもとづいた行動の絡み合いをつうじてこそ貫徹されていくものである、という見方を確立したのでした。

 スミスは、自然哲学と道徳哲学を媒介するもうひとつの環として、生物学にも注目していました。自然神学的な考察は、諸個人の動きを総体として捉えたときにどのような法則性が浮上してくるのか、といったレベルの把握を可能にしようとするものだったといえますが、個々の具体的な人間はそもそもどのような存在なのか、といったレベルの把握は、生物学的な考察を基礎にしつつ、試みられていくことになったのです。スミスは生物学的な見地をふまえつつ人間の五感覚について検討した「外部感覚論」を著し、触覚こそが根源的な感覚にほかならないとの主張を展開しました。このことによってスミスは、先輩ヒュームの懐疑論的な人間観(他人の存在も自分自身の存在も不確かなものである!)を克服し、私たち人間が自分と異なる他者の存在について本能的といってよいレベルで確信を抱いている(自分以外の他人の存在を疑ったりしない!)ことを明確に確認したのでした。

 スミスは、人間は他人の存在について触覚によって示唆されるような生々しい知覚をもっているはずだ、ということを前提にして、想像上の立場(境遇)の交換によって共感が生じるのだという過程的構造、すなわち、想像の世界のなかで相手の境遇に自分自身を置いてみることによって相手の感情と同様の感情を抱くのだという過程的構造を解きました。この共感原理を全面的に展開したものこそ、『道徳感情論』にほかなりません。『道徳感情論』では、利己的でありながら周囲の人々に関心をもたずにはいられない存在である人間が、他人とかかわる経験(想像上の立場の交換)を積み重ねていくことによって、胸中に「公平な観察者」を創り出し、それによって利己心を適切にコントロールするようになることが説かれていました。スミスは、胸中の「公平な観察者」が利己的な自分を統制するという「自己統制」の徳の大枠のなかに成立するより具体的な徳として、将来の自分の幸福のために現在の諸欲求を抑えるという「慎慮」の徳、他人の身体や財産などを不当に侵害しないという「正義」の徳、他人に善行を施すという「仁愛」の徳を論じていました。このうち、権力によって強制されうるのは正義の徳だけですが、この正義の原則を首尾一貫した形で確立させるために求められるのが法学という学問です。こうした観点からスミスは、『道徳感情論』の末尾において、「私は別の論考において、法と統治の一般的諸原理について説明に努めるとともに、この一般的諸原理が社会のそれぞれ異なる時代ないし時期に応じてそれぞれこうむることになった種々の大変革について、たんに正義(司法 justice)にかんする事柄にとどまらず、行政(police)や公収入、および軍備にかかわる事柄、さらには法の対象となる他のすべての事柄も含めて、説明に努めるつもりでいる」と宣言したのでした。
こうした計画にもとづいてなされた『法学講義』は、正義(司法)にかかわる諸問題を論じる第1部、生活行政や公収入、軍備などを扱う第2部から構成されていました。このうち、第1部においては、狩猟→牧畜→農業→商業という社会の4つの発展段階をつうじて、「公平な観察者」による共感が積み重ねられていくことで、正義(所有権)が確立されていく過程がたどられていました。

 しかし、スミスは『道徳感情論』で『法と統治の一般的諸原理と歴史』と題されるべき著作を予告しながら、その前半部分については後回しにし、後半部分だけを『国富論』として独立させて執筆・出版することになります。これは端的には、スミスが、「公平な観察者」による共感の歴史的な積み重ねという論立てでは正義(所有権)の絶対性を論証できない、という難問にぶちあたってしまい、この難問解決への糸口を何とか見いだそうと苦闘したあげく、正義(所有権)の絶対的な確立というゴールの姿を明確にすることこそがそのゴールに到達するまでの歴史的な道筋を究明するヒントになるのではないか、という考えに至ったからであると思われます。

 このことを念頭において、『国富論』を法学体系の一部として捉えた場合、その第1篇および第2篇は、スミスの考える理想的な社会(商品交換社会)のあり方について、社会の制度的な枠組みとその内部における主体の行動原理との両面に目を配りながら理論化を試みたものだ、と把握することができました。すなわち、お互いの財産(所有物)を不当に侵害しないという正義が絶対的な枠組みとして確立されているなかで、個々の経済主体(資本所有者)が慎慮の徳にしたがって行動するならば、農業→製造業→国内商業→外国貿易という自然な順序で産業が発展していき、おのずから社会の全般的富裕が実現されていく、というわけです。こうした議論を裏側から支えるようにして、第3篇においてヨーロッパ経済史の批判的検討がなされ、第4篇において重商主義批判が展開されます。その上で、自然的自由の体系においてなお政府が果たすべき役割があるのだとして、第5篇において、市場論とのつながりを意識した財政論が展開されていくのでした。

 ここまでは、スミスが人間のつくる社会(法的な規範によって統括された共同体)について、その歴史的な発展過程を視野に入れつつ体系的に把握することを目指していたことにかかわるものでしたが、スミスにはもうひとつ、人間のつくる文化(学問および芸術一般)について、その歴史的な発展過程を視野に入れつつ体系的に把握するという構想もありました。これにかかわるものとしてまず注目されるのは、「哲学的研究を導き指導する諸原理」でした。ここでスミスは、感情および想像力に着目した学問論を展開していたのでした。感情あるいは想像力というものは、古代ギリシャ以来の学問の歴史において、学的認識(真実の認識)を妨げてしまうものとして、たいがい負のイメージで語られてきました。しかし、ロックのような受動的な反映論(人間の認識は鏡のように外界のあり方を写し取るものだ、という論)にとどまるかぎり、なぜ認識が客観的法則性を把握できるのか、まともに解くことはできません。客観的法則性とは、認識の側からの能動的な問いかけによって、いわば“現象させる”ことによらなければ、そもそも把握しようがないのです。それでは、認識の側からの能動的な問いかけを可能にするものは何かといえば、それは想像力であり、その想像力を駆り立てるのは感情にほかならない、ということになるのです。想像力を駆使してこそ感覚の限界を超えることができる、感覚器官を通じた直接的な反映では捉えきれないような対象の姿に迫ることができる――「哲学的研究を導き指導する諸原理」からはそうしたスミスの主張を読みとることができるのでした。

 学芸の歴史の把握というスミスの課題にかかわるものとして、「いわゆる模倣技術〔芸術〕において生じる模倣の性質について」という論文についても取り上げました。この論文でスミスは、芸術(模倣技術)における模倣について突っ込んで検討することで、模倣ということだけでは芸術の価値が生じる要因を説明しつくせないこと、芸術的な価値は模倣される対象(モデルとなるもの)と模倣するもの(表現の素材)との大きな差異を克服する技術の見事さへの驚嘆にもとづいていることを論じていました。しかしながら、作者の認識という問題はスミスの視野に明瞭には入って来ておらず、芸術作品の鑑賞者が、芸術作品を媒介として、その作者の感情に共感する、という構図を見て取ることができていなかったのでした。それは、18世紀後半においては、作者の主体的認識が強烈に表現されたような芸術作品はまだほとんど存在していなかった、という時代的な条件に制約されたものだと考えられるのでした。

 学芸の歴史の把握というスミスの課題にかかわるものとしては、『修辞学・文学講義』の存在も忘れてはなりませんでした。これは、適切な言語表現とはそもそもどのようなものであるのかという問題を究明したものであり、聞き手・読み手の共感を獲得するものこそがよい言語表現だ、という観点から、『道徳感情論』で展開された共感の原理が大きな役割を果たしています。スミスは、言語(文学)をそれ自体として取り上げるのではなく、あくまでも社会的な関係――これには、話し手(書き手)の境遇というレベルの小社会から、国家レベルの社会までが含まれます――のなかでつくられていくものとして取り上げ、言語によるコミュニケーションが、相互に共感を呼び起こしあうことをつうじて、よりよい人間関係(よりよい社会)を築いていく力をもっていることを力説していました。端的には、スミスは、言語を社会との相互浸透において(言語によって社会がつくられ、社会によって言語がつくられていくものとして)把握した、ということができるのでした。

 以上、本稿でこれまで説いてきた流れについて、ざっと振り返ってみました。このようにみてくると、『道徳感情論』も『国富論』も、スミスが構想していた壮大な学問体系のごく一部を占めるものにすぎないことはあきらかでしょう。スミスは、人間にかかわるあらゆる問題に関心をもち、天文学や生物学など自然科学の成果にもしっかりと学びながら、想像上の立場(境遇)の交換によって成立する共感を、社会と精神(学問・芸術一般)におけるバラバラの諸現象を結合していくための原理として位置づけ、歴史的に発展してきた国家社会(法的な規範によって統括された共同体)および文化(学問および芸術一般)についての体系的な把握を志していたわけです。スミスについて『国富論』を著した“経済学の祖”としてのみ捉えることが、また、『道徳感情論』と『国富論』の2冊からのみスミスの思想を捉えようとすることが、いかに狭い見方であり、スミスを過小評価するものであるか、納得してもらえてのではないでしょうか。スミスは、社会の具体的な問題を解くにしても、それを個別の問題として解くのではなく、あくまでも世界全体のつながりをふまえて解いていこうという志向性をもった、まさに哲学者と呼ぶのにふさわしい人物だったのです。

※スミスの哲学体系の構造については、以下のように図示することができるでしょう。スミス哲学体系の全体像.jpg
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2017年10月06日

経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス(11/13)

(11)『修辞学・文学講義』――人間と人間とをつなぐ言語への関心

 前回は、「哲学的研究を導き指導する諸原理」などとともに遺稿集『哲学論文集』に収録された「いわゆる模倣技術〔芸術〕において生じる模倣の性質について」という論文を取り上げました。この論文でスミスは、芸術(模倣技術)における模倣について突っ込んで検討することで、模倣ということだけでは芸術の価値が生じる要因を説明しつくせないこと、芸術的な価値は模倣される対象(モデルとなるもの)と模倣するもの(表現の素材)との大きな差異を克服する技術の見事さへの驚嘆にもとづいていることを論じていました。しかしながら、作者の認識という問題はスミスの視野に明瞭には入って来ておらず、芸術作品の鑑賞者が、芸術作品を媒介として、その作者の感情に共感する、という構図を見て取ることができていなかったのでした。それは、18世紀後半においては、作者の主体的認識が強烈に表現されたような芸術作品はまだほとんど存在していなかった、という時代的な条件に制約されたものだと考えられるのでした。

 さて、「文学、哲学、詩、雄弁(eloquence)などの種々の分野すべてにかんする哲学的歴史」の構想とのかかわりで忘れてはならないものとして、『修辞学・文学講義』があります。これは、スミスのグラスゴウ大学での講義を受講生が筆記したノートにもとづくものです。

 スミスは、1751年にグラスゴウ大学の論理学教授に就任すると、従来のスコラ的な論理学(カトリックの絶対的権威が失われていくなかで、煩瑣で無用な議論をするものだと受け止められるようになっていました)ではなく、もっと面白くて有益な学びを学生に提供しようという意図のもと、古代ギリシャの論理学をごく簡単に解説した後はもっぱら修辞学や文学の問題を中心に論じたといわれています。こうした講義は、1752年にスミスが道徳哲学教授に転じた後も、1763年に大学を辞するまで継続されました。このうち、1762年から1763年にかけての講義(すなわち最後の講義)を受講した学生のノートにもとづいて出版されたものが、『修辞学・文学講義』(原題:Lectures on Rhetoric and Belles Lettres)です。これはスミス自身が書いた文章ではなく、あくまでも学生の筆記にもとづくものです。全30回の講義のうち第1講がどういうわけかすっぽりと欠落していますし、空白(聞き取れなかった部分を空けたままにしておいたのでしょう)も多く、明らかな書き誤りも少なからずあるようです。そういう不完全なノートにもとづくものですから、あまり細かい部分にとらわれないようにして、スミスの論じたかった内容をあくまでも大きな流れからざっくりとつかむ、といった読み方が必要になります。この講義ノートは、30回の講義を日付順に記録していったものであり、立体的な目次立てがあるわけではありませんが、その内容に即して『修辞学・文学講義』全体の構成を図式的に示すならば、以下のようになるでしょう。

1、言語・文体・性格について
(1)言語の発展と起源について(2-3講)
(2)言語と文体について(4-6講)
(3)文体と性格について(7-11講)
2、論説の諸形態について
(1)事実を述べる論説について
 ・対象(事実)を記述する方法について(12-15講)
 ・歴史の記述について(16-20講)
  *叙事詩と演劇について(21講)
(2)命題を立証する論説(弁論)について
 ・演示型弁論について(22-23講)
  *訓話型論説(科学的論説)について(24講)
 ・討議型弁論について(25-27講)
 ・法廷弁論について(28-30講)

 スミスは、明晰な文体とはどういうものかを論じるにあたって、まずは、多数言語の複合体である英語の欠陥について、言語一般の起源と発展を踏まえつつ論じています。スミスは、言語の起源を、太古の人々が自分たちの生活に決定的な影響を与える特定の対象(悪天候から逃れるための特定の洞穴、飢えを癒す果実をつける特定の木、のどの渇きをうるおす水をたたえた特定の泉など)を指示するために特定の名称を与えたところに見出し、対象を抽象化して捉える人々の認識能力の発展にともなってさまざまな品詞が生み出されてきたこと(対象がもつ性質を対象そのものと区別して把握できるようになることで形容詞が形成され、さらにある関係を関係する諸対象とは区別して把握できるほどに抽象化能力が高まることによってはじめて前置詞が形成されうること)を論じています。その上で、英語の欠陥(外来語が多く、もとの言語を熟知していなければ理解しがたい単語が多い)を正すために言葉の適正な配列に心を砕くべきことを強調し、文体についての議論に入っていくのです。そのなかでは、文体が作者の精神(個性的認識)によって規定され、作者の精神(個性的認識)は作者の置かれた境遇によって支配されることも、と論じられていきます。

 続いてスミスは、論説の諸形態について、事実を述べる論説と命題を立証する論説(弁論)の大きく2つに分けて論じていきます。

 まず、事実を述べる論説についてですが、ここでは、記述の対象となる事実が、外的か内的か(精神の外側か内側か)、単純か複雑か、という2つの軸によって、大きく4つ――単純で外的な事実(外的諸物体)、単純で内的な事実(人間の感情)、複雑で外的な事実(人間の行動)、複雑で内的な事実(人間の性格)に分けられます。その上で、事実を記述する方法として直接法(ある対象の性質を直接に記述する方法)と間接法(ある対象の性質を、それを見る人の心に生み出される効果を媒介として、記述する方法)の2つが挙げられ、先に4つに区分された事実のそれぞれについて、直接法と間接法のどちらが適しているかが検討されていくのです。さらに、4つの事実の複合体としての歴史をどのように記述すべきか、という問題が論じられます。ちなみに、歴史叙述の企図についてスミスは、「諸々の国民に生起した注目すべき事件と、その時代の最重要人物たちの企図、動機、見解とを、その歴史叙述が語ろうと意図している諸国家の重大な変化と革命の説明に必要な限りにおいて、述べることである」としています。なお、補足的に叙事詩と演劇についても論じられているのですが、ここでスミスは、古代ギリシャ・ローマにおける寓話物語から悲劇へという文学の形態の変化、あるいは中世ヨーロッパにおける騎士物語から小説へという文学の形態の変化を、人々の啓蒙の度合いによって規定されたものとして把握しています。読み手(聞き手)の知識の度合いが高まっていくにつれて、怪異な化け物たちや怪奇現象などによって読者を驚かせ面白がらせようとする空想的物語が馬鹿げたものとみなされるようになり、人間の行動や感情についての微妙な表現が好まれるようになってきたのだ、というわけです。また、スミスは、散文の発展よりも詩の発展が先行する(詩を書く方が難しいように思われるにもかかわらず!)のはなぜか、という問題を立てて、考察してもいます。原始社会においては、生きるための労働が終わった後の余興のひとつとして歌が歌われたのであり、言語表現を音楽のリズムに合わせる必要から詩的な表現形式が著しく発展していくことになったのだろう、というのが、スミスの推測です。その上でスミスは、快楽と享楽のための詩(観賞用表現)とビジネスのための散文(実用的表現)という対比を提示し、(もともと実用的表現でしかなった)散文においても改良が追求されるようになる(観賞用表現として磨き上げていこうという試みがなされるようになる)には、商業の発展と富裕の導入によって、生産的労働から解放されて多くの余暇を持つ人々が登場してくるのを待たなければならなかった、と論じています。

 命題を立証する論説(弁論)については、アリストテレス以来の伝統にのっとって、演示型弁論(ある人物を賞賛することを目的とした弁論)、討議型弁論(国家の重要問題に関して議会でなされた弁論)、法廷弁論の3つに分けて論じられています。なお、討議型弁論についての考察への導入として、訓話型論説(didactic discourse)が取り上げられ、このなかで自然哲学の論文におけるアリストテレス的な方法とニュートン的な方法との比較がなされています。アリストテレス的方法というのは、ある部門について、生起してくる諸々の現象をひとつずつ検討し、それぞれについてひとつひとつ原理的説明を与えていくものです。これにたいしてニュートン的方法というのは、はじめにひとつの根本的な原理を提示し、そのひとつの原理によって諸々の現象を全てつなげて説明しようとするものです。スミスは、後者のやり方こそ私たちに大きな喜びを与えるものである、と強調しています(これは、本稿の連載第3回および第9回でとりあげた「天文学史」の議論につうじるものです)。

 討議型弁論については、古代アテナイ弁論家のデモステネスの飾り気のない文体と、古代ローマ弁論家のキケロの威厳に満ちた文体との差異について、国家の歴史的形態の差異から説明していることが注目されます。市民たちの間に大きな格差のなかったアテナイでは、市民どうしが親しげに飾り気なく語り合っていたのに対して、貴族と平民の間に決定的な格差が存在していたローマでは、貴族たちは自分の権威を誇示するためことさらに大袈裟で飾り立てた言語で語るようになったのだ、というわけです。

 この『修辞学・文学講義』の意義は、大きく3つに整理することができます。

 第一は、スミスが言語表現だけを孤立させて捉えるのではなく、あくまでも話し手(書き手)の認識や社会的外界とのつながりにおいて把握しようとしていることです。従来の修辞学が、言語表現のみに着目してその美しさをあれこれ論じてきたのにたいして、スミスは、話し手(書き手)と聞き手(読み手)とのコミュニケーション(精神的交通)の全過程を視野に入れて、その過程をスムーズに進行させる言語表現こそが美しく力強いのだ、と主張します。さらにスミスが、よい文体とはどういうものかという問題をめぐって、文体は著者の精神(個性的認識)によって規定され、著者の精神(個性的認識)は著者の置かれた境遇によって支配されるのだ、と論じてもいることも注目に値します。

 第二は、スミスが言語表現の歴史的な発展過程について、社会的な認識あるいは社会的な労働の歴史的な発展過程に規定されたものであると理解しようとしていることです。とりわけ、スミスが、太古の人々の生活のあり方を具体的にイメージしながら、彼らの認識能力の発展(対象を抽象化して捉える能力の発展)との関連で、言語の起源と発展過程について考察したのは、非常にすぐれた発想だといえます。さらに、寓話物語から悲劇へ、騎士物語から小説へという文学の形態の変化を、人々の啓蒙の度合いによって規定されたものとして把握していたこと、散文の発展よりも詩の発展が先行するのはなぜかという問題について、社会的労働の形態の歴史的発展という観点から解答を与えようと試みていたこと、デモステネスとキケロの文体の違いを、アテナイとローマの社会的条件の違いから説明していたことも注目されます。

 第三に、スミスが言語表現によって読み手の心が動かされるのは「共感」によるものにほかならないと強調していることです。スミスは、言語は話し手(書き手)自身、あるいは話し手(書き手)の語る第三者(物語中の登場人物)への共感を呼び起こす力をもつという点に注目して、言語がこうした力を効果的に発揮するためにはどうすればよいのかという観点から、文章表現のあり方を論じています。端的には、スミスは一貫して感情を的確に伝えるという観点から言語の美しさ・力強さを論じているといえるのですが、こうした観点は(通常は感情に対立する理性の産物と考えられる)科学的な論文の良し悪しという問題にまで適用されていきます。私たち人間は、目の前の諸々の現象がどうにもつながらないということに不安を感じ、目の前の諸々の現象をきちんとつなげて把握できるということに喜びを感じる存在であり、私たちが学問的な論文を読んでその見事な説明に喜びを感じるとすれば、それはつまるところ、著者(哲学者・科学者)の「なるほど、このようにつながっているのか!」という発見の喜びにたいして、私たちが共感を覚えるからにほかならないのだ、ということになるわけです。スミスは、こうした著者の感情を的確に読者に伝えるためには、叙述に隙間をつくらないようにすること、物語的な流れのなかで自然なつながりが感じられるような形で諸々の事実を提示することが必要だということも論じています。結論的には、諸事実をきちんとつなげた形で(叙述にどのような隙間もつくらずに)記述することこそが、読者にとって分かりやすい文章を書くことにほかならないのであり、そういう分かりやすさによってこそ、読者の共感を呼び起こすことができるのだ、ということになります。

 以上をようするに、スミスは、言語(文学)をそれ自体として取り上げるのではなく、あくまでも社会的な関係――これには、話し手(書き手)の境遇というレベルの小社会から、国家レベルの社会までが含まれます――のなかでつくられていくものとして取り上げ、言語によるコミュニケーションが、相互に共感を呼び起こしあうことをつうじて、よりよい人間関係(よりよい社会)を築いていく力をもっていることを力説したのだ、ということができるでしょう。一言でいうならば、スミスは言語を社会との相互浸透において(言語によって社会がつくられ、社会によって言語がつくられていくものとして)把握した、ということができるのです。
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2017年10月05日

経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス(10/13)

(10)「模倣技術〔芸術〕論」――芸術の価値の源泉を問う

 前回は、「文学、哲学、詩、雄弁(eloquence)などの種々の分野すべてにかんする哲学的歴史」の一部を占めるはずだったと思われる「哲学的研究を導き指導する諸原理」において、スミスが、感情および想像力に着目した学問論を展開していたことをみました。感情あるいは想像力というものは、古代ギリシャ以来の学問の歴史において、学的認識(真実の認識)を妨げてしまうものとして、たいがい負のイメージで語られてきました。しかし、ロックのような受動的な反映論(人間の認識は鏡のように外界のあり方を写し取るものだ、という論)にとどまるかぎり、なぜ認識が客観的法則性を把握できるのか、まともに解くことはできません。客観的法則性とは、認識の側からの能動的な問いかけによって、いわば“現象させる”ことによらなければ、そもそも把握しようがないのです。それでは、認識の側からの能動的な問いかけを可能にするものは何かといえば、それは想像力であり、その想像力を駆り立てるのは感情にほかならない、ということになるのです。想像力を駆使してこそ感覚の限界を超えることができる、感覚器官を通じた直接的な反映では捉えきれないような対象の姿に迫ることができる――「哲学的研究を導き指導する諸原理」からはそうしたスミスの主張を読みとることができるのでした。

 さて、「文学、哲学、詩、雄弁(eloquence)などの種々の分野すべてにかんする哲学的歴史」の構想とのかかわりでもうひとつ注目されるのは、「哲学的研究を導き指導する諸原理」などとともに遺稿集『哲学論文集』に収録された「いわゆる模倣技術〔芸術〕において生じる模倣の性質について」という論文です。

 この論文のタイトルにある「模倣技術(imitative arts)」という語について、まずは説明しておくべきでしょう。そもそも、現代の私たちがイメージするような芸術という観念は、18世紀後半から19世紀になってようやく成立したものです。では、それ以前はどうだったのかといえば、いわゆる芸術が技術一般から明瞭には区別されていませんでした(このことは、技術も芸術も英語では art であるし、ドイツ語では Kunst であることからもあきらかです)。ようするに、芸術とはもともとある種の特殊な技術(art)にほかならなかったのです。では、絵画や彫刻や詩などがどのような技術とされていたかといえば、端的には、自然を模倣する技術だとされていました(これにたいして、農業などは自然を補完する技術として位置づけられていました)。芸術は自然の模倣であるとすれば、論理的には、芸術の価値(良し悪し)は、自然の事物(あるいはそれに人間の手が加わった人工物)を忠実に写し取っているか否かによって決まってくるのだ、ということにならざるをえません。例えば、現実のリンゴの色や形を忠実に写し取った絵こそがよい絵なのである、ということになるわけです。

 ところが、18世紀後半以降、芸術の価値は対象を忠実に写したかどうかではなく、あくまでも作者の創造性にこそ求められるべきだ、という論が登場してきます。極端にいえば、作者が創造性を発揮して、実際には赤くて丸いリンゴを青くて四角いものとして描いたとしても、それはそれで大いに結構だ、ということにもなっていくわけです。

 「いわゆる模倣技術〔芸術〕において生じる模倣の性質について」が書かれたのは、スミス自身の手紙や周辺人物の証言などから、スミス(1723−89)の晩年といってよい1780年代のことであると推定されています(邦訳『哲学論文集』名古屋大学出版の解説など)。この時期は、大きく見れば、芸術が自然を模倣する技術だと見なされていたところから、作者の創造性を重視する芸術論が登場してくる過渡期にあたっていました。スミスは、こうした芸術論の過渡期にあって、自然(あるいは自然を加工した人工物)を模倣する技術とされてきた芸術において、実際のところ模倣はどのような役割を果たしているのか、芸術の価値(良し悪し)にどのような影響を与えているのか、突っ込んで考察したのでした。それでは、スミスの考察は、芸術の価値の源泉について何をあきらかにしたといえるのでしょうか?

 この論文は、以下の3つの部分から構成されています。まず、第1部では、絵画と彫刻における模倣が検討され、続く第2部では、舞踊、音楽、詩(いわゆる「三姉妹芸術」)における模倣が検討されます。この第2部は論文全体のおよそ3分の2を占める長大なものであり、三姉妹芸術のなかでも音楽、とりわけ器楽が検討の中心となっています。最後の第3部は非常に短いものであり、舞踊における模倣の問題が古代舞踊と近代舞踊を比較することでごく簡単に考察されています。

 もう少しくわしく確認しておきましょう。

 第1部では、完全な模倣とはどういうことか、という観点から議論がスタートし、絵画と彫刻における模倣が検討されてゆきます。その結果、模倣そのものの完全さ(その極限が欺瞞、すなわちコピーにすぎないものを本物と見まちがわせようとすること)はなんらの芸術的価値も生まないのであり、芸術的な価値は、模倣される対象(モデルとなるもの)と模倣するもの(表現の素材)との大きな物質的な差異を克服する技術の見事さへの驚嘆にもとづいているのだ、とされることになります。「全然似ていない素材を使って、よくもここまで似せたものだ!」という驚嘆こそが、彫刻や絵画を見た際の快楽の基礎となる、というわけです。

 第2部の前半部分では、いわゆる「三姉妹芸術」(音楽、舞踊、詩)相互の関係について、それらの歴史的な起源および発展過程をも視野に入れて論じられています。スミスは、空腹を満たし寒さ暑さから身を守ることができるようになった人間が、次に求めたのは音楽と舞踊の楽しみだった、といいます。満たされた身体を(音を伴う形で)楽しく動かしたくなってきた、ということでしょう。スミスは、あるリズムに合わせ身体を動かして声を発するという形で、音楽と舞踊が密接不可分なものとしてまず成立し、その声が無意味な音楽的「言葉」から明瞭な意味をもった言葉に置き換えられていくことによって詩が成立したのだ、と説いています。このように「三姉妹芸術」の成立過程を説いたスミスは、舞踊は音楽から離れては存在しえない(音楽的な速度と拍子を伴わなければ、諸々の動作の適切な速度と拍子とを知覚することができない)が、器楽は詩からも舞踊からも離れて単独で存在できる、と主張しています。第2部後半では、この器楽が考察の対象となります。スミスは詩と音楽が結合した声楽(歌曲)が、三重の過程(作詞者による模倣、作曲者による模倣、歌手による模倣)によって、何らかの出来事にたいしてのきわめて強い模倣力を発揮することを強調する一方、器楽が現実の対象を模倣する力は、非常に貧弱なものでしかない、と断じています。器楽は、何らかの出来事を具体的に描写することはできないし、その出来事の当事者がどのような感情を抱いたかについて、全ての聴き手がハッキリと理解できるように表現することはできない、というのです。それでは、器楽がもたらす感動の源泉はどこにあるというのでしょうか? スミスは、器楽がもたらす感動の源泉をめぐって、精神(心)における思考や観念の連なりと音楽における音の連なりとの類似性について着目し、器楽は高い音と低い音や類似音と対照音の適切な配列により、また継起の緩急により、陽気な、平静な、あるいは憂鬱な気分に適応しうるのだ、と論じています。しかし、スミスは、こうした音の連なりが作曲者の感情(思考や観念の連なり)を模倣したものである、とは論じていません。スミスによれば、器楽はそれ自体が、陽気、平静、憂鬱な対象なのであって、器楽を聴いて私たちが抱く感情というのは、あくまでも本源的な感情、すなわち、他者の感情への共感を媒介として成立した感情ではなく、さまざまな音の連なりによって呼び起こされた、私たち自身の陽気、平静、憂鬱である、としてしまったのでした。

 以上のように、芸術の価値(良し悪し)、いいかえれば、芸術作品がその鑑賞者に与える満足感の源泉について考察してきたスミスは、模倣の性質について突っ込んで検討することで、模倣そのものの見事さということだけでは芸術の価値が生じる要因を説明しつくせないことを示したといえます。模倣ということにかかわって、スミスは、芸術的な価値は模倣される対象(モデルとなるもの)と模倣するもの(表現の素材)との大きな差異を克服する技術の見事さへの驚嘆にもとづいている、という重要な命題を提起していました。模倣される対象と模倣したものとの差異を克服する技術に対する感嘆という指摘は、(作者から切り離された)模倣そのものの忠実さではなく、模倣する技術の巧拙、もう少し踏み込んでいえば、その技術を駆使する人間の主体性に着目しようとしたものだということができるでしょう。しかしながら、スミスは、作者の創造的認識こそがその源泉にほかならない、ということまでは、ついにハッキリとはつかむことができなかったのです。器楽のもたらす感動は、聴き手が作曲者の感情に共感することによるのではなく、さまざまな音の連なりそのものが、聴き手の心のなかに、それらの音の連なりに類似した思考や観念の連なり(陽気な気分、平静な気分、憂鬱な気分など)を呼び起こすことによる、と結論づけられてしまったのでした。
このように、作者の認識というものは、スミスの視野に明瞭には入って来ていませんでした。スミスは、芸術作品の鑑賞者が、芸術作品を媒介として、その作者の感情に共感する、という構図を見て取ることができなかったのです(*)。このことは、スミス自身が『道徳感情論』において共感論を全面的に展開していたことを思えば、非常に奇妙なことのようにも思われます。「模倣技術論」においても、共感というキーワードが登場しないわけではないのですが、それは、鑑賞者が作者に共感するという構図においてではなく、鑑賞者が物語の登場人物に共感する、という構図においてでしかないのです。

 では、スミスが芸術の作者の認識に着目しきれなかったのは、なぜなのでしょうか? それは、端的には歴史的な制約ではないかと思われます。18世紀後半においては、作者の主体的認識が強烈に表現されたような芸術作品はまだほとんど存在していなかったのです。とりわけ、「模倣技術論」で中心的な考察の対象となった器楽についていえば、18世紀後半はバロック音楽から古典派音楽への過渡期でしかないのです。作曲者の主体的認識が強烈に表現された器楽曲は、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」からようやくはじまるといっても過言ではありません。この曲が公開初演されるのは、1805年、スミスの死後15年経ってからのことだったのです。

 現代の芸術論の水準(三浦つとむ『芸術とはどういうものか』など)をふまえるならば、芸術は作者の認識の表現であり、作者の認識のレベルの高さが芸術的な価値の源泉である、ということができます。スミスの「模倣技術論」は、結果としてみれば、この正解に到達することはできていませんでした。しかし、18世紀後半という時代的制約のもとにありながら、徹底的に突きつめた考察によって伝統的な芸術論の限界を乗り越えていこうという力強さを感じさせる、非常に魅力的な論文であることは間違いありません。人類社会の歴史的な発展過程とかかわらせながら諸芸術の成立過程を考察したり、精神の内部における思考や観念の連なりと音楽における音の連なりとの類似に着目したりした点などは、現代における芸術論の発展という観点からも、非常に示唆に富むものだといってよいでしょう。

 私たちは、この「模倣技術論」について、結論の不充分さをあげつらうのではなく、その結論に至る過程におけるアダム・スミスのアタマの働かせ方の見事さにしっかりと学ぶべきなのです。この点にこそ、哲学者アダム・スミスに学ぶ大きな意義があるといえるでしょう。 
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2017年10月04日

経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス(9/13)

(9)「哲学的研究を導き指導する諸原理」――感情および想像力に着目した学問論

 本稿は、現代社会の課題に応えうる学問体系の構築に向かっていくことこそアダム・スミスの遺産を現代に活かしていく道である、という問題意識から、『道徳感情論』と『国富論』という二大著作だけにとどまらないスミスの学問的構想の全体像について、おもに社会科学にかかわる側面に重点を置いて、描き出すことを試みています。

 前回までの3回にわたっては、『道徳感情論』から『法学講義』を経て『国富論』へと至る流れをたどってみました。『道徳感情論』では、利己的でありながら周囲の人々に関心をもたずにはいられない存在である人間が、他人とかかわる経験(想像上の立場の交換)を積み重ねていくことによって、胸中に「公平な観察者」を創り出し、それによって利己心を適切にコントロールするようになることが説かれていました。スミスは、胸中の「公平な観察者」が利己的な自分を統制するという「自己統制」の徳の大枠のなかに成立するより具体的な徳として、将来の自分の幸福のために現在の諸欲求を抑えるという「慎慮」の徳、他人の身体や財産などを不当に侵害しないという「正義」の徳、他人に善行を施すという「仁愛」の徳を論じていました。このうち、権力によって強制されうるのは正義の徳だけですが、この正義の原則を首尾一貫した形で確立させるために求められるのが法学という学問です。こうした観点からスミスは、『道徳感情論』の末尾において、「私は別の論考において、法と統治の一般的諸原理について説明に努めるとともに、この一般的諸原理が社会のそれぞれ異なる時代ないし時期に応じてそれぞれこうむることになった種々の大変革について、たんに正義(司法 justice)にかんする事柄にとどまらず、行政(police)や公収入、および軍備にかかわる事柄、さらには法の対象となる他のすべての事柄も含めて、説明に努めるつもりでいる」と宣言したのでした。こうした計画にもとづいてなされた『法学講義』は、正義(司法)にかかわる諸問題を論じる第1部、生活行政や公収入、軍備などを扱う第2部から構成されていました。このうち、第1部においては、狩猟→牧畜→農業→商業という社会の4つの発展段階をつうじて、「公平な観察者」による共感が積み重ねられていくことで、正義(所有権)が確立されていく過程がたどられていました。しかし、スミスは『道徳感情論』で『法と統治の一般的諸原理と歴史』と題されるべき著作を予告しながら、その前半部分については後回しにし、後半部分だけを『国富論』として独立させて執筆・出版することになります。これは端的には、スミスが、「公平な観察者」による共感の歴史的な積み重ねという論立てでは正義(所有権)の絶対性を論証できない、という難問にぶちあたってしまい、この難問解決への糸口を何とか見いだそうと苦闘したあげく、正義(所有権)の絶対的な確立というゴールの姿を明確にすることこそがそのゴールに到達するまでの歴史的な道筋を究明するヒントになるのではないか、という考えに至ったからであると思われます。このことを念頭において、『国富論』を法学体系の一部として捉えた場合、その第1篇および第2篇は、スミスの考える理想的な社会(商品交換社会)のあり方について、社会の制度的な枠組みとその内部における主体の行動原理との両面に目を配りながら理論化を試みたものだ、と把握することができました。すなわち、お互いの財産(所有物)を不当に侵害しないという正義が絶対的な枠組みとして確立されているなかで、個々の経済主体(資本所有者)が慎慮の徳にしたがって行動するならば、農業→製造業→国内商業→外国貿易という自然な順序で産業が発展していき、おのずから社会の全般的富裕が実現されていく、というわけです。こうした議論を裏側から支えるようにして、第3篇においてヨーロッパ経済史の批判的検討がなされ、第4篇において重商主義批判が展開されます。その上で、自然的自由の体系においてなお政府が果たすべき役割があるのだとして、第5篇において、市場論とのつながりを意識した財政論が展開されていくのでした。

 さて、以上のような流れは、本稿の連載第2回で紹介したラ・ロシュフーコー宛ての手紙に登場する文言でいえば、「法と統治の一般的諸原理と歴史」を扱う著作の計画にかかわるものでした。ここで思い出してもらいたいのは、この手紙のなかではもうひとつ、「文学、哲学、詩、雄弁(eloquence)などの種々の分野すべてにかんする哲学的歴史」を扱う著作の計画が触れられていたことです。それでは、このもうひとつの著作では、どのような内容が説かれるはずだったのでしょうか?

 その重要な部分を占めると思われるのは、本稿の連載第3回でとりあげた「哲学的研究を導き指導する諸原理」という共通タイトルを冠された3つの論文(「――天文学の歴史による例証」「――古代自然学の歴史による例証」「――古代論理学と古代形而上学の歴史による例証」)です。これらの論文は、道徳哲学(社会科学)の構築のための確かな武器となる科学方法論(具体的には結合原理という発想)を自然哲学(自然科学)の歴史からつかみとろうとするものであったと同時に、そもそも人間にとって哲学とは何なのか、哲学の起源と発展の原動力を探ろうとするものであったともいえます。

 スミスは、「天文学の歴史による例証」の冒頭で、「驚駭 wonder、驚愕 surprise、驚嘆 admiration は、しばしば混同されるけれども、……相互に区別される、諸感情を示す語である。目新しく奇異であることが厳密な意味で驚駭と名づけるのが適切な感情を呼び起こし、意外なことが驚愕を、壮大なことあるいは美しいことが驚嘆という感情を呼び起こす」と述べ、「この論文の企図は、これらの感情それぞれの性質と原因を個々に考察することにある」としています。この論文におけるスミスの問題意識は、あくまでも感情の問題、もう少し正確にいえば、哲学的探究の動機としての感情の問題にあるのです。スミスが、哲学的探究の直接の動機となると見なしたのは、驚駭と呼ばれる感情でした。端的には、新奇な現象、あるいは、通常ではありえないような(想像力がなじんでいるのとは全く異なる)事物・事象のつながりに出会ったときに抱かれる「どうしてこんなところにこんなものが!?」という驚駭の念こそが、「自然の結合諸原理の科学」たる哲学の出発点である、というのがスミスの主張なのです。

 それでは、こうした驚駭の念は、「自然の結合諸原理の科学」へとどのようにつながっていくことになるのでしょうか? このことを確認するためには、ヒュームの観念連合の議論にまでさかのぼってみなければなりません。スミスに大きな影響を与えたヒュームは、2つの出来事の連続がくり返し観察されるならば、それらの2つの出来事についての観念どうしが結びつけられようになる、と論じていました。しかし、もっぱら心のなかを見つめたヒュームは、ある観念と他の観念とが習慣によって結びつけられることを指摘するにとどまり、客観的世界において2つの出来事が必然的に結びついていることは否定する立場をとったのです。ところが、習慣によって2つの観念が結合されているだけだ、というヒュームの議論の到達点(イギリス経験論の最後の帰結ともえいます)は、スミスにとっては、自身の議論の出発点でしかありませんでした。スミスは、諸現象が習慣的な連関と全く異なる順序で現れるならば、想像力が先行する現象から後続する現象へとなめらかに移行することができなくなる、という極めて重大な指摘を行うのです。スミスによれば、想像力は、それら2つの事象の間に隔たりがあることに驚き不安を感じて、両者をつないでくれる目には見えない鎖のようなもの――「中間的諸事象の鎖」――を想定することで、何とか安らぎを得ようとします。こうして、「世界で生じる様々な変化の全てを結合しようと努力する科学」(「古代論理学と古代形而上学の歴史による例証」)である哲学が誕生することになるのです。

 スミスは、「天文学の歴史による例証」において、古代ギリシャ以降、天体現象を統一的に説明するために様々な「体系(system)」が模索されてきたこと、換言するならば、太陽の運動、月の運動、恒星の運動、惑星の運動というバラバラな天体諸現象を統一的に説明するための「中間的諸事象の鎖」が様々に想定されてきたことを論じています。スミスは、天文学の歴史をざっと概観することによって、既存の「体系(system)」では説明できない新奇の現象(例えば、惑星の運動)に直面させられたとき、既知の現象と新奇の現象とを結びつけて統一的に説明できるような新しい結合原理にもとづく新しい「体系(system)」が構築されていくという過程が繰り返されることによって、人間が天体現象についての認識を段々と深めていったことを明らかにしたのでした。

 私たちは、スミスによって描かれた天文学史の流れから、次のような結論を導き出すことができるでしょう。人間は、バラバラの諸現象をつなげて理解するために、想像力を使って、何らかの結合原理を創り出します。しかし、心のなかで、結合原理を媒介にしてバラバラの諸現象がつなげられればそれで終わり! ということではありません。その結合原理が妥当なものであるかどうかは、あくまでも現実の諸現象と突き合わせることによって検証されていかなければならないのです。仮に、何らかの新奇な現象の登場によって既存の結合原理の不充分さが露呈してしまったならば、そのことが新たな不安を引き起こすのであり、その不安を鎮めるために、より確かな結合原理が模索されていくことになります。人類は、このような過程をくり返すことで、客観的世界に存在する法則性についての認識をより確かなものにしてきたのでした。

 ここで注目したいのは、スミスが、あくまでも感情や想像力に注目して天文学の発展を論じていた点です。感情あるいは想像力というものは、古代ギリシャ以来の学問の歴史において、学的認識(真実の認識)を妨げてしまうものとして、たいがい負のイメージで語られてきました。「理性・知性・悟性などは、人間が真理を獲得するための高い認識源泉であるのに対して、感情・感性・想像力など総じて感性的なものは……仮象や誤謬の源泉であるという考え方は、近世哲学の真理観をつらぬく根本的な図式」(黒崎岩男『カント「純粋理性批判」入門』講談社選書メチエ、p.67)であったのです。認識の二大源泉のひとつとして感覚を重視したロックの『人間知性論』においてさえ、想像力には積極的な役割が与えられておらず、むしろ、心が諸々の観念を勝手気ままにもてあそんで、客観的実在とはかけ離れた不確かなイメージを創ってしまうような力として、捉えられているきらいがあります(*)。

 それだけに、スミスがこうした学問的な常識を大転換させるような見方を打ち出したのは、まさに画期的なことであったといえるでしょう。客観的な法則性というものは感覚器官で直接に捉えられるものでありませんから、ロックのような受動的な反映論(人間の認識は鏡のように外界のあり方を写し取るものだ、という論)にとどまるかぎり、なぜ認識が客観的法則性を把握できるのか、まともに解くことはできません。そこから、ヒュームのような因果律批判が生まれてくることにもなるのです。客観的法則性とは、認識の側からの能動的な問いかけによって、いわば“現象させる”ことによらなければ、そもそも把握しようがありません。それでは、認識の側からの能動的な問いかけを可能にするものは何かといえば、それは想像力であり、その想像力を駆り立てるのは感情にほかならない、ということになるのです。想像力を駆使してこそ感覚の限界を超えることが出来る、感覚器官を通じた直接的な反映では捉えきれないような対象の姿に迫ることが出来る――「哲学的研究を導き指導する諸原理」を著したスミスは、漠然とした形ではあれ、このようなことをつかみかけていたのではないかと思われます。スミスは、感情や想像力の果たす役割に着目して学問史を検討したからこそ、イギリス経験論の限界を突破することが可能になったといえそうです。

(*)「私には狂人が推理機能を失ってしまったとは見えない。ただ、狂人は観念をはなはだしく正しくなく結び合わせてしまい、これを真理と間違えて、正しくない原理から正しく論ずる人が誤るのと同じように誤る。なぜなら、狂人はその想像のはげしさのため、空想を実在事と取り違えてしまって、空想から正しく演繹するのである」(ロック『人間知性論(一)』大槻春彦訳、岩波文庫、p.230)

「ロックには知性の受動性を強調しすぎる嫌いが、あるいは能動性にじゅうぶんな配慮を払わない恨みが、たしかにあると言える。……かれは、心象構成機能としての想像の積極的役割をほとんど全くと言ってよいほど無視している。……この機能を、ロックは公刊本では簡単に、しかも狂人の心理と結びつけて、価値低く取り扱うだけであり(本分冊二三〇ページ)、日記では一六七八年一月二二日に記憶と比較しながら考察しているが、この場合も狂気と関連させて、低い位置しか与えていないのである」(同「解説」、p.327)
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2017年10月03日

経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス(8/13)

(8)『国富論』――社会の完成形態としての商業社会の究明

 前回は、スミスの『法学講義』がどのような内容をもったものであったのか、簡単に確認しておいたわけですが、ここで大きな問題として浮上してくるのは、『法学講義』と『国富論』(正式なタイトルは『国の富の本質と原因にかんする研究』、原題:An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations)との関係という問題です。晩年のスミスは、『道徳感情論』第6版(1790年)の序文において、次のように述べています。

「この著作の初版の最終パラグラフで私は、別の論考において、法と統治の一般的諸原理について説明に努めるとともに、この一般的諸原理が社会のそれぞれ異なる時代ないし時期に応じてそれぞれこうむることになった種々の大変革について、たんに正義(司法 justice)にかんする事柄にとどまらず、生活行政(police)や公収入、および軍備にかかわる事柄、さらには法の対象となる他のすべての事柄も含めて、説明に努めるつもりである、と述べておいた。『国の富の本質と原因にかんする研究』において、私はこの約束を部分的に、少なくとも生活行政、公収入、軍備にかんする限り、実行することができた。残っている法学の理論については、長年にわたって想を練ってきたのだが、この著作の改訂を妨げてきたのと同じ仕事のために、その実行を妨げられてきた。私は、すっかり歳をとってしまったので、この大著を満足のいくように仕上げる望みがほぼ断たれてしまったことは認めざるをえない。しかし、それでもなお、この構想を完全に放棄してしまったわけではないし、できる限りのことをするという義務は負い続けたいと思っている。そのため、このパラグラフについては、三十年以上も前に出版されたとき――そのとき私は、そこで宣言したすべてを実行できることに何の疑いも抱いていなかったのであった――のままに残しておいた。」(『道徳感情論』第6版への序文。筆者訳)


 この文章は、約束を果たせそうにないことへのスミスの強烈な無念の思いと、それでも死ぬまでできる限りの努力はつづけたいという誠実な気持ちとが痛いほど伝わってくるものですが、同時に、『法学講義』と『国富論』の関係について大きな問題を提起するものでもあります。それは、スミスが『道徳感情論』の末尾で『法と統治の一般的諸原理と歴史』と題されるべき著作を予告しながら、その前半部分については後回しにし、後半部分だけを独立させて『国富論』として執筆・出版したのはなぜなのか、という問題にほかなりません。

 この問題を考えるためには、『法学講義』の第1部(正義論)と第2部(生活行政論、公収入論、軍部論)との関係について、あらためて検討してみる必要があります。前回確認したとおり、第1部の正義論においては、狩猟→牧畜→農業→商業という社会の4つの発展段階をつうじて「公平な観察者」による共感が積み重ねられながら正義が確立されていく歴史的過程がたどられ、第2部においては、正義が揺るぎなく確立された商業社会段階において社会(国家)のどのような発展が可能になっていくのか、生活行政・公収入、軍備の各領域を視野に入れながら論じられていました。そもそもスミスのいう正義とは、他人の身体や財産を不当に侵害しないということですから、正義が歴史的に確立していく過程は、具体的には、所有権が確立されていく過程として描かれることになります。ここでスミスが導入したのが「公平な観察者」でした。しかし、「公平な観察者」の判断はその時代時代の具体的な社会環境によって大きく左右されてしまうものです。そういう「公平な観察者」の判断をいくら積み重ねていったところで、正義(所有権)の絶対的な確立という地点には到達できないのではないか――『法学講義』の展開のなかで、スミスはこうした難問に直面させられたものと思われます。スミスは、難問解決への糸口を何とか見いだそうと苦闘したあげく、正義(所有権)の絶対的な確立というゴールの姿を明確にすることこそが、そのゴールに到達するまでの道すじを究明するヒントになるのではないか、と考えるに至ったからこそ、法学体系の後半を『国富論』として先行させることになったものと思われるのです。

 この『国富論』は、以下のような5つの篇から構成されています(各篇のタイトルはそれぞれのテーマを簡潔に示すために筆者が便宜的につけたものです)。

《スミス『国富論』の構成》
第1篇 分業論
第2篇 資本蓄積論
第3篇 経済史の批判的検討
第4篇 重商主義批判
第5篇 財政論

 このうち、第1篇(正式のタイトルは「労働の生産力における改善の要因と、労働生産物が異なった階級へと分配されていく際の自然な順序について」)は、社会における分業(原語は the division of labor であり、社会的総労働を分割して異なる生産部門へと配分していく、といったイメージが読み取れます)の形成について、交換を媒介する手段としての貨幣について、交換比率を規定する自然価格の内実(労働生産物の諸階級への分配)について、論じられています。この第1篇は、お互いの所有物を自由に交換しあうことを可能にする条件――所有権という具体的な形をとった正義――が確立された商業社会(商品交換社会)こそ真に人間らしい社会のあり方(社会の完成形態)だ、というスミスの信念を理論的に根拠づけようとしたものだといえます(*)。

 つづく第2篇(正式のタイトルは「資本〔ストック〕の性質、蓄積、用途について」)は、労働者を雇用するためにはあらかじめ資本(生産手段となるもの)が蓄積されていなければならない、という見地をふまえつつ、どの生産部門への資本投下がどの程度まで富の増大に寄与するのか、検討されています。その結果として、国民の富(生活資料)の増大にもっとも寄与するのは農業であって、ついで国内製造業、国内商業とつづき、国民の富の増大にもっとも寄与することが少ないのは外国貿易であることがあきらかにされます。ここで大きな意味をもってくるのが、慎慮の徳――『道徳感情論』において、自分の将来の幸福のために現在の欲求を抑える徳として説かれた徳――です。資本所有者が慎慮の徳を備えている場合、それぞれの部門において予想される利潤が極端に異ならない限り、投資の安全さや確実さを考慮に入れて、外国貿易より国内商業、国内商業より製造業、製造業より農業に、自分の資本を投下しようとするはずだ、ということになるのです。

 このように、『道徳感情論』をふまえた法学体系の一部として『国富論』を捉えた場合、第1篇においては正義の徳が、第2篇においては慎慮の徳が、大きな役割を果たしていると指摘することができます。正義の徳が自由で平等な経済主体が活躍する舞台を整備し、慎慮の徳が個々の経済主体の行動を規定しているのです。お互いの財産(所有物)を不当に侵害しないという正義が絶対的な枠組みとして確立されているなかで、個々の経済主体(資本所有者)が慎慮の徳にしたがって行動するならば、おのずから国民の富を最大化するような形で社会的総資本の配分が達成されていく――これが、『国富論』の第1篇および第2篇における議論なのです。

 しかし、スミスが眼にしていた現実の社会のあり方は、そのような理想(理論的に描かれた商品交換社会)とは少なからず距離がありました。現実の社会のあり方を批判的に分析するとともに、理想的な状態の実現を阻んでいる要因を考察したのが、つづく第3篇(正式のタイトルは「国の違いによる富裕の発展過程の違いについて」)と第4篇(正式のタイトルは「政治経済学の諸々の体系について」)です。第3篇では、西ローマ帝国以来のヨーロッパ経済史が批判的に検討され、農業→製造業→国内商業→外国貿易という産業の自然な発展の順序が、国家権力の恣意的な介入によって、往々にして逆転させられてしまったことが論じられています。第4篇では、このような恣意的な介入の根拠となった重商主義の理論が厳しく批判されます。

 しかし、スミスは、政府が特定産業を優遇するような恣意的な介入を行うことは否定したもの、政府に果たすべき役割があることを否定したわけではありません。この問題を扱うのが、第5篇(正式なタイトルは「統治者あるいは公共社会(the Sovereign or Commonwealth)の収入について」)です。ここでは、政府のなすべき仕事について(経費論)、政府の仕事に必要な財源の調達について(租税論・公債論)、市場の自然で自由な動きとの関連を意識した財政論として議論されていくのです。ここでスミスが、政府のやるべき仕事としてあげているのは、国防、司法行政、公共事業の3つです。このうち、国防は国家の存立そのものにかかわるものとして富裕に先だって重要なものであるとされ、司法行政は正義の制度的枠組みを守るものとしてその重要性が強調されています。また、政府がやらなければならない公共事業として教育行政が論じられ、文明社会の二面性――商業社会が生活習慣を洗練していくという積極面と、分業の発展が労働者階級の視野を狭くし勇武の精神を失わせていくという消極面――を視野に入れつつ、国民の徳を陶冶していくために基礎的な教育が重要であることが強調されていくのです。

 以上、法学体系の一部としての『国富論』という観点から、その構成を概観してみました。端的には、第1篇と第2篇が自然的自由の体系の基礎となる市場(経済社会)についての論をなし、第5篇が自然的自由の体系を上から統括する政府についての論をなす一方、第3篇が現実の経済社会のあり方についての批判、第4篇が現実の経済社会のあり方を規定した政府の政策およびそれに影響を与えた重商主義にたいする批判をなす、とまとめることができます。

(*)『法学講義』では、共感の原理(立場の交換論)と重ねあわせるようにして、人間が交換性向というべきものをもっていることが論じられています。ここからスミスは、お互いの所有物を自由に交換しあうことを可能にするような条件――所有権という具体的な形をとった正義――が確立された社会こそ、真に人間らしい社会のあり方だと考えていたと推測することができます。だとすれば、『法学講義』第1部の課題は、正義が所有権という具体的な形で確立されていく理論的・歴史的な根拠を解明しておくことだったと考えることができます。

※『国富論』の構成は以下のように図示することができます。

『国富論』全体像.jpg
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 ・古代ギリシャ経済の歴史を概観する
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 ・ヘルバルト教育学の全体像を概観する
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 ・2014年1月例会報告:学問(哲学)の歴史の全体像について
 ・一会員による『学城』第10号の感想
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 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
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 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
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 ・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
 ・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
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 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
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 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
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 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
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 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
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 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
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 ・『吉本隆明の経済学』を読む
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 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
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 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
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 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
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 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
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 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
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