2017年07月24日

一会員による『学城』第15号の感想(5/14)

(5)やる気を起こすためにはまず強烈な憧れを抱く必要がある

 今回は北條翔鷹先生の実戦部隊飛翔隊の修業過程に関わっての論文を取り上げる。今回は、前号の続きではなく、読者の参考になるようにと、北條先生から師 南郷継正先生への手紙(ではあるが直接に論文である)が掲載される。

 本論文の著者名・タイトルは以下である。なお、本論文については『学城』誌上に目次はなく、本文に項番も振られていない。

北條翔鷹
実戦部隊飛翔隊修業の総括小論(5)

 本論文ではまず、南郷先生が会議の中で説かれた内容が紹介される。端的には、大会ではどう対戦させたら互いが自分の実力を発揮できるかで対戦をさせるべきであること、少年少女の大会も、そこに見事な武道空手としての精神を花咲かせるべきものとして実践すべきであることが説かれたのである。この講義を受けて北條先生は、先導するものが自分で実践することで、少年少女に対して、本来の人間的生き様としての人間の人間たる所以をまともに見せ続けていくことが重要だと述べられる。つまり、一般会員は、目の前でこの流派の見事さ、凄さを見せてやらねばどうにも信じないのであり、逆に現実の見事さや凄さを分からせてやった分だけおおいなる希望を持ち頑張るのだ、というのである。こうしたことができていなかったという反省を踏まえて北條先生は、大会が全体として発展し続けることができなければ、それは現状維持どころかレベルダウンへの道であること、そうなれば大会を開催すること自体が目的となり、武道空手の実力は問わないという無惨な状況になってしまうことを述べられる。そして、茶帯の尺止め組手をなくしてしまったことは、自身の危機管理能力の杜撰さ以外の何ものでもなかったと反省される。なぜなら、尺止め組手の練習を積んだ茶帯の攻撃技が躊躇なく鋭いものになってとなってきていたのにもかかわらず、あまりに安易に尺止めでなくても大丈夫と判断してしまったために、脳震盪によって救急車で病院に運ばれたり、骨折の可能性を指摘されたりする者が出てきてしまったからだと説かれるのである。

 本論文についても、『学城』15号全体を貫くテーマとして設定した「段階性」について考えていきたい。

 本論文の中で紹介されている南郷先生の講義の中に、少年少女の大会であるジュニア大会について、「東京オリンピックを見据えて組手をやらねばわが流派の支部はつぶれてしまいかねない」(p.64)という記述がある。ここだけを読めば、「なるほど、日本で開催される東京オリンピックでは、空手も競技種目に数えられることとなったので、そこに選手を輩出できるような取り組みが必要だということだな」などと早とちりしてしまいかねない。実際に南郷先生が説こうとしておられることは全く反対の事である。すなわち、武道空手の世界はオリンピックに代表されるような、金食い虫的なスポーツの世界とは全く違うのであるが、空手の世界がオリンピックの世界へということになれば、しかもそれが日本で開催されるとなれば、我々もお金を貯めてオリンピックを目指そうとの、「いわゆる風評被害(?)」(p.65)が出ないとも限らない、だから「我々は武道空手の世界でまともに生きていくのが本分であり、本心である、との思想性を明確に打ち出して、オリンピックのような“お金”の世界とは無縁的な生き様を志すべきである」(同上)、というのである。「人間性を育てるような実質を把持できる「ジュニア大会」」(同上)という言葉も使われている。つまり、東京オリンピックのおかげ(せい)であらぬ方向に向かってしまわぬように、本来の武道空手をしっかりと指導していく必要があるということである。

 ではそのためには何が必要だというのか。南郷先生は「単なる試合」「単なる闘い」(p.66)ではダメだと述べておられる。つまり、試合に出られるようになるために空手をするという低度ではダメだということである。この南郷先生の講義を受けて北條先生は、「先導する者が何もやらないで号令をかけるだけ」(同上)では誰も頑張らないこと、「本来の人間的な生き様としての、人間の人間たる所以は「何」なのか、をまともに見せ続けていくこと」(同上)が必要だということを説いていかれる。さらに30数年前、本部の修行者同士の一戦で、前蹴一撃で対戦者を2〜3メートルすっ飛ばした《一撃必倒》を目の当たりにしたことで、会員は躍起になって取り組みだしたことを踏まえて、次のように説かれていく。

「このような現実的状況を我々指導者が実際にやって見せなければ会員は本物としてのやる気を出しようがない、ということです。これらの現実は、この後の我々飛翔隊の実践を目の当たりにしたり、対外的闘いでの成果があったことでも同じだったことであり、我々が現実として実践して見せたことは会員すべての喜びとなり、自分という野望を持たせることができるようになる、しかし、見せなければ決してできない、の一貫性は決して崩れることはありませんでした。」(同上)

 つまり、流派の見事さや凄さを指導者自身が体現することによって会員に示すことができなければ、会員はやる気を出して取り組むことはなく、大きくいえばそれが組織の崩壊へとつながってしまいかねないということである。ここで説かれていることは、組織を発展させていくためには、何よりもまず会員に本物のやる気を起こさせる必要があるが、そのためには、自分もこんなふうになりたいと強烈に思わせるだけの人間の可能性を実際に示してやるという「段階性」が必要になってくる、ということである。「本物としてのやる気」を出させるような強烈な憧れを媒介する「現実」を見せることがまずは必要だということである。

 さて、本論文についてはもう1つ取り上げたいことがある。それは「尺止め」の効果についてである。先に結論をいえば、「「必殺できる実力」を創出するために、「必殺しない(=当てない)形式で修練する」」(p.72)ことにこそ、「尺止め」練習の効用があるということである。これはどういうことかというと、「「尺止め組手」ないし「尺止めでの突込」を修練させ、突蹴を対手に当てない形で技の威力を爆発させることを意図的に訓練」(p.71)することによって、「技を対手に当てることによって躊躇することを覚えさせ」(同上)ることなく、技を鋭いものにすることができる、ということである。つまり、技を対手に当てる形で練習すれば、どうしても心が躊躇することを学習してしまって、技を全力で駆使することができがたくなってしまうために、「尺止め」で練習することによって、爆発的な威力を持つ技を創って、本番で使える技としたということである。相手を倒すために相手を倒さない(技を当てない)形で修練するという、「否定の否定」の実践的なあり方をここでは学ぶべきであろう。合わせて、このような「段階性」を踏むことが上達に繋がるのだということも確認しておきたい。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 著作・論文の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月23日

一会員による『学城』第15号の感想(4/14)

(4)「生命の歴史」の「段階性」に応じた鍛錬とはどのようなものか

 今回取り上げるのは、浅野昌充先生の空手指導に関する論文である。「生命の歴史」を辿り返すことによる人間体の創出とはどのようなものかが展開されていく。

 以下、本論文の著者名・タイトル・目次を掲載する。

浅野昌充
桜花武道局への指導に見る
生命の歴史の学的論理(T)

 《目 次》
一、桜花武道局の十数年にわたる鍛錬は「生命の歴史」の実証的実験であった
二、人間体と武道空手体との構造の二重性
三、「生命の歴史」適応の第二期たる桜花武道局の鍛錬
四、人間体が武道空手体として「立つ」ことの構造

 本論文は、まず、女性武道家の育成を本格化させた桜花武道局の十数年にわたる鍛錬は、「生命の歴史」の改めての壮大な実証的実験としてなされていったことが説かれ、現在はサルからヒトへと進化していった「二本足で立つ」ところまで来ているとされる。すなわち、人間が二本足で立つことは「踵」を動物的にではなくヒト的に使うことであり、俊敏に動き回りうる縦横無尽さと武技の強烈な発動を支える強靭さとの二重性を養成する必要があると説かれる。しかし、ここで注意が必要なことは、武道空手を武道空手に重点を置いて鍛錬すべきではないということだと説かれる。すなわち、人間としての最も高度な身体運動を頭脳活動の総括下に行いうる身体と精神とを合わせるべく創出(人間体の創出)しながら、そこの武道空手を見事になしうる身体と精神とを相対的かつ特殊的に創出(武道空手体の創出)していく二重的過程が必要だというのである。では、それはどうすればいいのかといえば、人間が「生命の歴史」の全過程を背負った生命体であるがゆえに、その単細胞から進化してくる過程を見事なレベルで段階的に辿ることが必要だとされ、これは遺伝子の重層構造の創出過程としても捉えられるというのである。そして、具体的な鍛錬が紹介された後、「立つ」ことについて論じられていく。すなわち、サルからヒトへの過程において、二本の足で立つための足の掌底の「踵」化が重要な契機になったと説かれるのである。

 本論文についても、『学城』第15号全体と貫くテーマとして設定した「段階性」ということに着目していきたい。まず注目すべきは、オリンピック選手に関して、そのアスリートたちの身体の生理構造に加えて、姿形の構造すらが特化的に創られてきていて、そのことが競技体の足を引っ張ってしまっている、つまり実力向上の足かせになってしまっているということが説かれた後、次のように説かれていることである。

「すなわち、武道空手も武道空手に重点を置いての鍛錬をなすべきものではない。端的に私見レベルでは、まずは、武道空手に集中をなすことのできる人間体をまずは何をさておいても創出し続けながら、その上にこそ武道空手体、武道空手を見事になしうる人間体を創出していかなければならないということになるであろう。すなわち人間として最も高度な身体運動を頭脳活動の統括下に行いうる身体と精神とを合わせるべく創出しながら、そこに武道空手を見事になしうる身体と精神とを相対的かつ特殊的に創出していく二重的過程がどうしても必要なのだということにある。」(p.53)

 上記のオリンピック選手について説かれた内容を踏まえてこの部分で説かんとされていることが何なのかを考えてみると、それはどのような運動体(ある運動なり競技を行うための身体)を創っていくにしても、まずはその土台となる人間体(一般的な身体)の実力を向上させていく必要がある、そうでなければその運動体によって人間は歪んで育ってしまうということであろう。さらに、その運動体による歪みのせいで、その運動なり競技自体の実力も頭打ちになってしまうということであろう。つまりここでは、特に武道空手について、人間体と武道空手体との二重性が指摘され、さらにその育成の順序、つまり「段階性」がどうあるべきかが説かれているということである。

 それでは、見事な人間体を創出するためにはどのようにすればよいのであろうか。この問題についても本論文では明確に答えが与えられている。それは「単細胞から進化してくる過程(=「生命の歴史」)を見事なレベルで段階的に辿ることによって」(p.54)であるというのである。そしてそれは「人間が「生命の歴史」の全過程を背負った生命体であるがゆえ」(同上)だというのである。これは、人間を人間のみで捉えるのではなくて、単細胞から進化してきた歴史的存在として捉え、人間が人間に至るまでに歩んできた各段階の実力をしっかりと再措定してこそ、見事な人間体が創出可能となるという、非常に弁証法的・論理的な把握だといえるだろう。

 とはいえ、「生命の歴史」を見事なレベルで段階的に辿るといっても、具体的にどのような鍛錬をすればよいのか、よく分からないというのが実情であろう。そこで浅野先生は、具体的な鍛錬をいくつか挙げておられる。いわく、「水の中での静的受動的運動から、能動的かつ強烈に振り回し、振り回される運動」、「直接の木登りや手指での数多くのモノを掴みとり、また掴んだモノに振り回されるように振り回す運動」、「段ボール千切り」(以上p.55)、「段ボールを何枚も重ね合せた板状のものへの蹴り技である段ボール蹴り技」、「荷車で土を運んで山を築く」鍛錬、「何重ものティッシュペーパーを収めてのマスクをつけて呼吸困難な中での十何時間もの日常的鍛錬」、「柔軟性を十分に把持した空手バーなる器具や重いペットボトルを両手に持っての内臓体力を鍛錬する強化」(以上p.57)などである。しかも、それらの鍛錬のそれぞれについて、例えば「四肢の体幹からの相対的独立かつ一体化を果たす」などというように、「生命の歴史」から導き出された論理を媒介として、それらの鍛錬の意味がしっかりと説かれているのである。

 こうした鍛錬を経ることによって、桜花武道局という女性武道家の育成組織において、「姿形として「いかにも武道家らしい」とは決して見えない、通常のバランスのとれた姿形の女性がいざ闘いの場となると、瞬時に逞しい武道空手の秀技を逞しい男性相手に見事に繰り出し、相手を圧倒していくという、現在の姿形になってきている」(p.55)というのである。要するに、「生命の歴史」の「段階性」をしっかりと踏まえた人間体の見事な創出を土台として、武道空手体を創出していくという「段階性」を辿っていくことによって、オリンピック選手のような歪んだ姿形や生理構造が上達の足を引っ張ることなく、「逞しい男性」を相手にしてすら、彼らを圧倒してしまう武技を手に入れることができるのだということである。

 さらに重要なことは、先に示したp.53の引用文にあるように、こうした人間体や運動体の見事な創出というのは、単に「身体」や「身体運動」だけの問題ではなくて、「精神」や「頭脳活動」の問題でもあるということである。それだけに、学問の構築を志す我々も、どうしたらアタマが良くなるのかという観点からも、この論文で説かれている論理をしっかりと自分のものにして実践していく必要があると思う。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 著作・論文の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月22日

一会員による『学城』第15号の感想(3/14)

(3)国家論構築のための学びの「段階性」とは何か

 今回は近藤成美先生と加納哲邦先生による国家論論文を取り上げる。国家とは何かを提示するために、三浦つとむ及び滝村隆一の国家論が説かれていく論文となっている。

 本論文の著者名・タイトル・目次は以下である。

近藤成美
加納哲邦
滝村隆一『国家論大綱』をめぐって(2)

 《目 次》
 はじめに
一、滝村国家論は何故行き詰まったか【承前】
  A 滝村国家論には「国家とは何か」の一般的規定が欠落している
  B 「革命のため」だけの国家論はどんな結果をもたらしたか
  C 国家論の学的体系化のために必須なものは何か
二、学的「国家論」構築のための国家一般論を問う
 [1] 三浦つとむ、滝村隆一の国家論とは何か
  (以下次号)
 [2] 国家とは何かを学的に問う
  A 国家とは何か
  B 国家とは何かを歴史的原点レベルから問う
  C 成立している国家は、いかなる体系的構造を把持しているか

 本論文ではまず、前回の内容を振り返るとして、滝村隆一の国家論の意義が2つ挙げられる。すなわち、国家を二重構造で説こうとしたこと、世界歴史レベルでの国家の内実の発展を描こうとしたことの2つである。しかし一方で、滝村国家論には大きな欠点もあることが説かれていく。つまり、国家とは何かの一般的規定が欠落しているというのである。それは何故かといえば、滝村は国家学という学的体系化を図ったのではなくて国家廃絶を主眼においた国家奪取論に終始してしまったためであるとされる。その結果、国家権力の実態が把握できず、また国家権力の実体・実態のひとつである法的支配を夢想だにできないということになってしまうというのである。では国家論の学的体系化のために必須のものは何かというと、それは国家とは何かを概念化し、国家の歴史的原点レベルからの究明を行い、国家に内在する権力の実態を明確にする(国家の体系的構造を把持する)ことだと説かれる。そして、こうした展開をしていくために、まずは準備運動として、三浦つとむと滝村隆一の国家に関わる記述が(歴史に耐えうる展開のみに絞って)解説されていく。すなわち、三浦においては、人間の社会生活にあっては規範が必要であること、国家は法律を通して国民を統括すること、権力に従わせるために強制力が必須であることなどが説かれ、滝村においては、権力とは社会生活の中で創出された規範による支配力であること、国家権力の本質的側面は国家意志への服従を迫り、社会全体を直接支配し統制し統御するところの〈イデオロギー的な権力〉に他ならないことなどが説かれているというのである。そして、こうした見解は、基本的な概説としてはそれなりの水準にあるとしつつも、サルから人間への過程をふまえた原始共同体とは何か、法とは何かの原点がふまえられていないというのである。

 本論文に関しても、まずは『学城』第15号全体を貫くテーマとして設定した「段階性」に関わる問題から検討していきたいと思う。本論文では、国家論を構築する上で必須の項目として、以下の3点が掲げられている。すなわち、

「@国家とは何かの一般論的な展開をなすこと
 A国家とは何かについて、歴史的原点レベルからの究明を行う
 B成立している国家は、いかなる体系的構造を把持しているかを具体的に説く」(pp.37-38)

 これらの必須項目については、簡単には説明されているのであるが、本格的な展開の前に、「読者諸氏の国家論の理解を正常にするためにも、まずはその準備運動として、先達である三浦つとむ及び滝村隆一の国家論を概括するところから始めることにしたい」(p.41)と述べられているのである。これはつまり、いきなり高度の論理展開を行ったとしても、読者がその高度な論理展開を正確に理解することが難しいために、国家論の歴史的発展における全うな論理をまずはしっかりと押さえた上で、近藤・加納両先生自身の論理展開を行うということである。端的にいえば、国家論の学びにはきちんとした「段階性」があるのであって、その過程を踏まえることなしには、国家を正常に理解することはできないということである。(さらにいえば、三浦つとむ、滝村隆一の論理展開を本当に理解するためには、レーニン『国家と革命』やエンゲルス『家族、私有財産および国家の起源』『反デューリング論』の引用箇所をまともに自分の実力としなければならないことも指摘されている。)

 では、三浦や滝村の国家論をきちんと学びさえすれば、それで国家の理解が正常となるのかというと、そうではないと両先生は説いておられる。

「しかしながら、三浦つとむにせよ、滝村隆一にせよ、社会とは何か、国民とは何か、国家とは何かのそれを統治するとはいかなることかという「国家とは社会の自立的実存形態である」との原点レベルからの解明が全く欠けているために、現象論レベル、あるいは少しばかりの構造性レベルでの記述に留まっている、すなわちそこで立ち止まる、つまり留まる他なかったのだ、と言ってよいのである。」(p.47)

 要するに、三浦や滝村の国家論には国家の「本質論的一般論」(p.40)が欠けているために、「現象論レベル、あるいは少しばかりの構造性レベルでの記述に留まっている」というのである。では、そのレベルで留まっていてはどういう問題があるのかということについても、「そのため、例えば、なぜ国家だけが、徴兵や租税の義務を強制できるのか、なぜ国家は死刑を宣告することが可能なのか等々は、これまた何にも説けてはいないのである」(p.47)として、具体的に示されているのである。端的にいえば、三浦や滝村の国家論では国家に関わる具体的な問題が解決できないということである。

 では、どのようにすればこうした欠陥を補うことができるのか、次にはこのことが問題になってくる。この点については以下のように説かれている。

「国家とは何かを学的に規定するためには、サルから人間への過程をふまえた、原始共同体とは何か、そこに誕生し、実存することになっていく法とは何かとの原点をふまえての、初歩レベルからの解明が必須なのである。」(同上)

 つまり、生命の歴史を踏まえた国家の原点からの解明、人間の特殊性たる認識に焦点を当てつつ、本能に代えて規範による統括がなされていく人間社会の解明が必要だということだろう。このことは、国家論を構築する上で必須項目が簡単に説かれている部分においても、「国家は、原始共同体から現在の社会に至るまで、社会の実存形態として、変遷してきたものである」(p.40)とか、「人間の社会は、本能ではなく認識=規範により統括される。その統括力が法としての権力であり、その実施形態、その現象形態がすなわち権力機関たる軍隊、警察、裁判等々である」(p.41)という形で触れられていることである。

 我々京都弁証法認識論研究会も、社会科学の確立を目指していく以上、ここで示された学びの「段階性」をしっかりと踏まえつつ、生命の歴史や三浦・滝村国家論をしっかりと学びとることで、国家論構築の準備運動を確実に行っていく必要があるだろう。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 著作・論文の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月21日

一会員による『学城』第15号の感想(2/14)

(2)対象の一般性レベルの把握と共に「段階性」を捉えていく必要がある

 今回から、『学城』第15号に掲載されている各論文について、順次その感想を述べていきたい。

 初めに取り上げるのは、今回から新たに連載が開始された村田洋一先生のロシアにおける社会主義革命を問う論文である。ここでは、ソビエト連邦が解体したことの意味を考察するために、資本主義とは何かが分かりやすく説かれていく。

 まずは以下に、本論文の著者名・タイトル・目次を掲載する。

村田洋一
ロシアにおける社会主義革命の誤りとは何であったか(1)

 《目 次》
はじめに―なぜ今、ロシアにおける社会主義革命を取り上げるのか
一 資本主義段階を経ずに社会主義国となったソビエト連邦
二 人間社会は然るべき段階を踏まなければ発展し得ない
三 資本主義(資本制)とは何か
 (以下は次号予定)
四 資本主義はどのように生成してきたのか
五 中世における封建社会の構造とは何か―自立と統括の発展
六 社会主義経済は資本主義経済を経ることで可能となる
おわりに

 本論文ではまず、ソビエト連邦における社会主義国家建設の失敗と社会主義自体の問題とは論理的に区別しなければならないのではないかという問題意識のもと、そもそも資本主義とは何か、いかなる歴史性を持つものなのか、社会的認識がいかなる質的変化をすることで、社会の構造が次なる段階へと変化していくのかを考察すると述べられる。そして、ソ連が解体した後のロシアの情況や市場経済を導入した中国の経済大国化という事実を踏まえ、社会主義的生産に対して資本主義的生産が猛烈な生産力を持っていることが示される。さらに『共産党宣言』においては、プロレタリア革命はかなり進歩したヨーロッパ文明全般の条件のもとで、まずブルジョア革命が起こった後に起こすべきであると記載されていること、それにもかかわらずロシアは資本主義社会の段階には至っておらず、封建制のもとで商工業を十分に発達させることもできていなかったこと、これがロシアにおける革命の失敗の原因であったことが述べられる。問題の本質は、単に社会主義一般が誤りだということでななく、然るべき人間社会の発展段階を踏まなかったことにあるというのである。つまり、人間社会のある段階はその前までをふまえて実力と化すことなしには達し得なかったのであって、本論文では資本主義について、それ以前の歴史的段階を必須としたこと、人類の社会的認識は段階を1つずつ踏むことで資本主義の段階へと達したことを説いていくとされる。そこで、そもそも「資本」とは何かが明確にされる。すなわち、「蓄積された過去の対象化された労働」が「直接の生きた労働」を支配するという関係に置かれたとき、この「蓄積された過去の対象化された労働」が「資本」だというのである。そして、資本制の大きな特徴は、労働に大きな価値がおかれるようになってくるということにあると述べられるのである。

 本論文については、まず、『学城』第15号全体を貫くテーマとして設定した「段階性」ということに着目する必要があろう。「目次」をご覧いただければ明らかなように、「資本主義段階を経ずに社会主義国となったソビエト連邦」は、「人間社会は然るべき段階を踏まなければ発展し得ない」という一般論を媒介にすれば、必然的に解体せざるを得なかったのだということが論じられようとしている。このことを「分かりやすく人間の個人レベルの成長に喩えれば」として、「幼稚園児が小学生の過程を経ずにいきなり中学生になることは不可能であるし、小学生が中学生の段階を経ずに高校生になることなど、実体的にも精神的にも不可能である」(p.26)と説かれているのは確かに「分かりやすい」。しかし、この喩えは事実的なイメージとしては「分かりやすい」ということであって、そこに如何なる必然性が存在するのかという論理的な把握はないのである。そこで村田先生は、「まず本論文では、資本主義について、それ以前の歴史的段階を必須としたこと、人類の社会的認識は段階を1つずつ踏むことで資本主義の段階へと達するに至ったことを説いてい」(pp.27-28)くとして、資本主義とは何かを丁寧に、「初学者」でも理解可能な形で展開していかれるのである。つまり、まずは歴史的な事実から資本主義への発展の歴史的必然性を論理として把握し、その把握を踏まえて、今度は問題としている「資本主義段階を経ずに社会主義国となったソビエト連邦」の解体の必然性を説いていこうということであろう。「段階性」を踏まえる必然性については、次回展開されるようなので、しっかりと論を追っていきたい。

 ただし、ここで注意すべきは、「段階性」といっても単に各段階を並べるだけではダメである、ということである。村田先生は、マルクスの有名な歴史的発展段階の定式に関する部分を引用した後、次のように述べておられる。

「確かにマルクスはここで、アジア的、古代的、封建的および近代ブルジョア的生産様式の順で並べてはいる。しかしながら、そこには大きく欠けているものがあるのである。それは何かと言えば、人間社会とは何かの一般性レベルでの把握であり、人間社会の原点たる原始共同体からいかなる重層性をもって現代の資本主義社会まで形成されてきているのかの過程的構造である。」(p.27)

 つまり、人間社会の変遷を特徴的な様式で区切って並べる(区別する)だけではなくて、人間社会一般を貫く普遍的な存在(共通性)を把握し、それがどのように積み重なっていって現代にまで至ったのかを解明する必要があるということである。そしてその普遍的な存在(共通性)とは、人間社会でいえば、「社会的労働・社会的文化として発展させ」(同上)られてきた「社会的認識」(同上)であるというのである。だからこそ、先にも引用したように、「資本主義について、それ以前の歴史的段階を必須としたこと、人類の社会的認識は段階を1つずつ踏むことで資本主義の段階へと達するに至ったことを説いてい」(pp.27-28)くという流れになるのである。非常に弁証法的な捉え方といえるだろう。

 最後に、村田先生の弁証法的な把握をもう1つだけ紹介しておく。通常、資本制といえば、マルクスの主張が大きく影響して、「資本が労働者の労働を搾取する」(p.32)という否定的側面ばかりが強調されがちである。しかし村田先生は、「資本制における大きな特徴」(p.31)として、「人間の労働が大きく着目されるようになり、労働に大きな価値がおかれるようになってくるということ」(同上)を挙げておられる。つまり、「資本制とは、人間労働が生み出した価値が一点に凝縮して新たな人間労働を支配し、人間のもつ生産能力を最大に活用することで最大の価値を新たに生み出していく生産様式にほかならない」(p.32)のであって、こうした肯定的側面をも捉えてこそ、「社会主義経済は資本主義経済を経ることで可能となる」という結論が全うに導き出されるということであろう。対象の性質を二重性として把握する必要性が次回で詳細に展開されることを期待している。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 著作・論文の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月20日

一会員による『学城』第15号の感想(1/14)

《目 次》(予定)

(1)『学城』第15号は「段階性」ということに焦点を当てて学ぶべきである
(2)対象の一般性レベルの把握と共に「段階性」を捉えていく必要がある
(3)国家論構築のための学びの「段階性」とは何か
(4)「生命の歴史」の「段階性」に応じた鍛錬とはどのようなものか
(5)やる気を起こすためにはまず強烈な憧れを抱く必要がある
(6)哲学への道の初心の「段階」で必要なものは何か
(7)小学一年生の「段階」における特殊性とは何か
(8)前の「段階」をしっかりと踏まえて次の「段階」へと進んでいくことの重要性
(9)原点からの過程性、歴史性を問う必要がある
(10)「段階性」の把握は特殊性と一般性との統一として行う必要がある
(11)「初学者」への指導では具体的なイメージが描ける工夫が必要である
(12)「初学者」の学びの「段階性」とはどのようなものか
(13)「初学者」にはどのような説き方が必要か
(14)「段階性」を踏まえた学びの重要性を主体的に捉え返す必要がある


−−−−−−−−−−−−−−−

(1)『学城』第15号は「段階性」ということに焦点を当てて学ぶべきである

 2017年4月23日、早くも『学城』第15号が発刊された。ここで「早くも」というのは、前号第14号が発刊されてから僅か4ヶ月と少ししか経っていないからである。これまでで最短の発刊である。

 このことの意味を少し考えてみよう。これまで、この『学城』の感想シリーズで何度か触れたことであるが、これまでは基本的に年1回のペースで発刊されていた。それが2015年には1度だけ、年2回の発刊(第12号、第13号)となったことであった。「これは第10号の「編集後記」にて、「今後は年二回の発刊を現実化すべく努力していく所存である」と決意が述べられ、第11号の「編集後記」で「わが研究会においては志ある若い読者のために、発刊を年二回に増やし、初学者向けの教育が可能な、いわゆる入門編となる論文も掲載したい」と展望が示され、第12号の「編集後記」で「年二回の発刊を目指して努力してきた」と言及されていることが、遂に実現したことを意味している」と第13号の感想に書いた通りである。そして今回、第15号の「編集後記」においては、「今回は特別記念号として、従来の連載以外の小論を多く掲載することにした。会員諸氏から寄せられた原稿には、なかなか労作が多い中で、なるべく初学者の学びに資するものを中心に選んである。」(p.215)と述べられているように、この第15号においては、「初学者の学びに資するもの」が多く掲載されているのである。

 「会員諸氏から寄せられた原稿には、なかなか労作が多い」とあるように、この『学城』掲載論文の背後には、掲載に至らなかったものの相当の中身を把持した論文が多数存在するということである。これまでは、「従来の連載」を中心に『学城』誌上に掲載していたものの、号を重ねるにつれて論文のレベルが相当に上がってきていて、新しい読者にとってはそれを読み解くことがかなり難しくなってきているのである。そこで、「志ある若い読者のために、発刊を年二回に増やし、初学者向けの教育が可能な、いわゆる入門編となる論文も掲載したい」という思いを何とか実現すべく、今回は年をまたいだとはいえ、最短での発刊によって、「初学者の学びに資するもの」を数多く掲載したのだ、ということだと思われる。

 こうした事情も踏まえて、今回も第15号全体を貫くテーマを設定し、そのテーマに沿った形で各論文を読み解いていきたいと思う。ではそのテーマとは何か。それは「段階性」ということを踏まえた学びの重要性が説かれているということではないかと思われる。上に引用した「編集後記」においては、「初学者の学びに資するもの」を掲載した旨記載されていたが、これは順を追って学んでいくことが重要であるという観点に立っての選択ではないかと思われるのである。第13号の冒頭論文である本田克也「「南郷継正講義」遺伝子の体系性から生命の世界の発展性の帰結たる人間の遺伝子の重層構造を説く(1)」や、今回の冒頭の南郷継正「絶対矛盾(ゼノン)の理解はアリストテレスをふまえるべきである―巻頭言に代えて」を読めば明かなように、最近の『学城』の各論文のレベルは、初学者が理解可能な範囲を明らかに超えてしまっているのである。そこで、もう一度原点に立ち返って、初学者にも十分役立つレベルの論文を掲載して、基礎から学ぶことができるように配慮されているのではないかと思われるのである。

 ほかにも「段階性」という観点から第15号を読み解いていくべきではないかと思った理由を挙げておくと、冒頭の南郷継正「絶対矛盾(ゼノン)の理解はアリストテレスをふまえるべきである―巻頭言に代えて」において、アリストテレスの弁証法の原基形態を理解するためには、ヘーゲルの弁証法を学ぶ実力が必要だと述べられていることもある。これは、現在の人間の脳の解明によって、サルの脳のから人間の脳への解明が促されるのと同様、対象とすべきものの原点を解明するためには、完成した形態の対象の解明が導きの糸になるということだろうと思われる。つまり、アリストテレスという漸くにしてアタマの中の無数ともいえる像を何とか1つにまとめていって、それを1つの言葉として表すことができるようになっていくかどうかという時代の認識(弁証法)を理解するためには、そのアリストテレスだけを対象として研究していったとしてもそれは不可能であって、ある意味で弁証法を完成させたヘーゲルへの学びを媒介とすることによって初めて、アリストテレスのアタマの中の像を、そしてそれを何とか表現しようとした言語を理解することができるのだということだと思われる。端的にいえば、学びの「段階性」をしっかりと踏まえることが重要だということであろう。

 以上を踏まえて本稿では、「段階性」ということに焦点を当てて第15号を学んでいきたいと思う。各論文において、「段階性」の重要性がどのように現われてきているのかについては、次回以降、詳しく展開していく予定である。特に「初学者」という「段階性」、また「生命の歴史」における「段階性」が強く意識されている各論文の内容となっていることが分かると思う。

 次回以降、以下の第15号全体の目次の順に、各論文の感想を認めていく。ただし、南郷継正「絶対矛盾(ゼノン)の理解はアリストテレスをふまえるべきである―巻頭言に代えて」については、内容が非常に難解であり、まとまった感想を筆者のレベルで展開できないために、またブログ掲載の回数の問題もあって、今回触れた程度でお許しいただくとして、次回は村田洋一「ロシアにおける社会主義革命の誤りとは何であったか(1)」の感想から認めていきたいと思う。

学 城 (学問への道)  第15号


◎ 南郷継正   絶対矛盾 (ゼノン) の理解はアリストテレスをふまえるべきである
           ― 巻頭言に代えて

◎ 村田洋一   ロシアにおける社会主義革命の誤りとは何であったか (1)

◎ 近藤成美   滝村隆一 『国家論大綱』 をめぐって (2)
  加納哲邦

◎ 浅野昌充   桜花武道局への指導に見る生命の歴史の学的論理 (1)

◎ 北條翔鷹   実戦部隊飛翔隊修業の総括小論 (5)

◎ 西林文子   出 隆 『哲学以前』 を問う (1)
           ― 哲学への道とは何かを知るために

◎ 佐藤聡志   教育実践の指針を求めて
           ― 小学一年生における教育の重要性

◎ 菅野幸子   〔講義録〕 「生命の歴史」 から見た人間の頭脳の成り立ち
           ― 子供達のより良い頭脳活動を育むために

◎ 北嶋  淳   人間一般から説く障害児教育とは何か (9)
  志垣  司   ― 障害児教育の科学的な実践理論を問う

◎ 河野由貴   看護のための病気一般論を問う
           ― ナイチンゲールの説く 「病気とは回復過程である」 に学んで

◎ 聖  瞳子   医療における理論的実践とは何か
  高遠雅志    ― 初期研修医に症例の見方、考え方の筋道を説く
  九條  静   〈第7回〉 マイコプラズマ肺炎3
  北條  亮

◎ 朝霧華刃   唯物論の歴史を学ぶ (3)

◎ 橘 美伽   武道空手上達のための人間体を創る 「食事」 とは何か (4)
           ― 遺伝子としての食事を考える

◎ 悠季真理   編集後記
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 著作・論文の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月19日

2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹(10/10)

(10)参加者の感想の紹介

 これまで、カント『純粋理性批判』の純粋悟性概念の演繹についての部分を扱った我が研究会の2017年6月例会について、報告レジュメおよび当該部分を要約した文章を紹介した上で、諸々にたたかわされた議論について、大きく3つの論点に整理して報告してきました。

 6月例会報告の最終回となる今回は、参加していたメンバーの感想を紹介することにしましょう。なお、次回7月例会は、『純粋理性批判』の純粋悟性概念の図式論(pp.209-264)を扱います。

 それでは、以下、参加者の感想です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 今回は、カント『純粋理性批判』の「純粋悟性概念の演繹について」という部分を扱った。

 カントの文章は、なかなか具体的なイメージが描きづらいものであったため、どういうことをいわんとしているのか、自分が分かる具体的なものにあてはめながら読み進めていった。

 論点への見解を執筆する際にも、こうした姿勢で、具体的にはどういうことかを意識して書いていった。初めのうちは、この方法でかなり理解が深まったと思うのだが、純粋統覚を扱っている部分などになると、ハッキリしたイメージを描くことが難しくなっていった。

 例会での議論を通じて感じたことは、まだまだ1回目の学びであるため、大雑把にどういうことが説かれているのかを把握することをまずは心がけるべきであるということであった。大きくいえば、悟性もカテゴリーも純粋統覚も同じものだと考えておくことが、初学者にとって不要の混乱を引き起こさないためには必要だということも確認できた。

 もう1つ、カントが産出的構想力というものを想定して、感性と悟性とを明確に区切ってしまうのではなくて、それらを1つのものとして構想しようとしていたことも何となく理解できていった。このことは、例会での議論をするまでは全くそういう像が描けていなかったため、また読み返していく際には十分念頭に置いて取り組んでいきたいと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 今回の範囲は、『純粋理性批判』でも最も難解とされている「純粋悟性概念の先験的演繹」の部分であった。論点への見解を書く過程で参考書を読んだり、例会当日に他のメンバーと議論を重ねたりすることによって、アバウトな理解はできたように感じている。

 一番印象に残ったのは、カントは初めは感性と悟性を分けて考えていた、すなわち、媒介関係にあるとして説いていたが、ここにきて、それでは純粋悟性概念がいかにして対象に対して客観的妥当性をもつのかという問題を解決できなくなり、両者は直接の関係であると捉えるようになった、という指摘がなされたことである。そして、両者が直接の関係であることを示すために、「産出的構想力」とか「純粋統覚」とかいう概念を持ってこざるを得なかったということである。これにはなるほどと思わされるものがあった。南郷継正「武道哲学講義〔Z〕」でも、感性・悟性・理性というのは、カントが思惟的に分けただけであるというような指摘があったが、それともつなげて理解できるように感じた。

 思惟する「私」と自分自身を直観する「私」との関係については、非常に難解で、解釈が錯綜してしまったが、少なくとも「私」をカントのように物自体としての「私」と現象としての「私」という形で分けてしまうと、統一性がなくなってしまうことは理解できたように思う。ヘーゲルはここの問題を、カントのいう表象を生み出す力である「構想力」という概念をもとにして、実際に自然や精神的存在を生み出していく「絶対精神」の自己運動として解決したのだろうという、大きな流れもある程度掴むことができた。これも今回の例会の収穫であった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今回の内容についても難解で理解することが困難であったというのが正直なところである。とりわけ純粋統覚の辺りになると、かなり厳しくなっていった。

ただ、議論をとおして、悟性や構想力、統覚といった概念が、同じことを別の角度から説いているのであって、とりあえず同じものとして捉えておけばよいということはわかったし、論点3に関わって、カテゴリーが現象を規定する法則はなぜ自然をア・プリオリに規定できるのかという点はある程度理解できたと感じている。

ただ、やはりなかなか読み進めていくのが苦しいところなので、何度も読み返した上で、次の範囲に進むことを心がけたいと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 この6月例会については、チューターにあたっていたのだが、毎月行っている要約作業は結局、例会までに終えることができず、カントの議論を自分なりに十分に把握しきれないままに、論点の整理、整理された論点に対する各メンバーの見解についてのまとめの作業を行わなければならなかった。それでも、例会での議論を通じて、悟性、カテゴリー、先験的統覚、産出的構想力などが、感性的直観におけるバラバラな表象をまとめ上げて対象となす過程について、様々な角度から焦点を当てて浮かび上がらせたものだ、ということが明確になったのは、大きな収穫であった。また、悟性と感性とを媒介するものとして、より根源的な、産出的構想力なるものが持ち出されてきたらしいこと、この産出的構想力を、表象(主観)レベルのものではなく、現実に物自体を産出するものにまで発展させたものがヘーゲルの絶対精神であること、それに伴って、純粋悟性に具わっているとされたカントのカテゴリー表も、絶対精神が把持する世界そのものの設計図というべき論理学にまで発展させられていくのだ、という道筋がおぼろげながら見えてきたことも、大きな収穫であったといえよう。
 
(了)
posted by kyoto.dialectic at 06:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 例会報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月18日

2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹(9/10)

(9)論点3:カテゴリーが現象を規定する法則はなぜ自然をア・プリオリに規定できるのか

 前回は、第二の論点、すなわち、純粋統覚とはどういうものか、という問題をめぐってなされた議論の内容をまとめて紹介しました。そこでは、純粋統覚とは「私は考える」という意識のことであり、これによってばらばらな表象が結合されることがなければ、そもそも人間の認識は成り立たないという意味で、人間の認識全体の最高原理であるといえること、また、バラバラな表象をまとめ上げるように働く力が産出的構想力であり、悟性、カテゴリー、統覚、産出的構想力というものは、いずれも感性的直観におけるバラバラな表象をまとめ上げて我々にとっての対象となす過程に関わるものであり、焦点の当て方の違いによって異なる捉え方がなされたものであることを確認しました。さらに、カントが、現象としての私と物自体としての私を分けてしまったこと、これらを同じ一つのものとして、絶対精神の自己運動として筋を通したのがヘーゲルであることも確認しました。

 さて、今回は、第三の論点、すなわち、カテゴリーが現象を規定する法則はなぜ自然をア・プリオリに規定できるのか、という問題をめぐってなされた議論の内容をまとめて紹介することにします。ここで、論点を改めて紹介しておくことにしましょう。

【論点再掲】
 カントは、カテゴリーについて、現象(一切の現象の総括としての自然)に法則をア・プリオリに指定する概念だとした上で、「かかる法則は自然における多様なものの結合を自然から得てこないにも拘らず、どうして自然をア・プリオリに規定し得るか」(p.203)という難問を解決しようとしているが、カントはこの難問をどのように解決したのであろうか。ヘーゲルであれば、カントの解決にどのような評価を与えるだろうか。


 この論点そのものをめぐっては、各メンバーから提示された見解の間に大きな相違はありませんでした。端的には、カントの立場からすれば、自然の法則なるものが主観とは独立に存在しており、それを認識するというのではなくて、そもそも自然の法則なるものそのものが、純粋悟性概念が関わって成立するのだ、ということです。少し言い方を換えるならば、純粋悟性概念が関わって、対象たる自然の法則が成立することが、直接に、その認識が成立することでもある、ということになります。

 ヘーゲルならばカントの解決をどのように評価するだろうか、という問題についても、各メンバーの見解はほぼ一致していました。端的には、ヘーゲルであれば、物自体としての自然と現象としての自然との間に絶対的な境界線を引くことに反対し、物自体としての自然の合法則性は絶対に認識可能であると、自らの絶対的観念論の立場から反駁を加えだろう、ということになります。このことに関わっては、三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』の以下の記述を改めて確認しておくべきだ、という指摘もありました。

「カントのように物の性質を主観的なものだと考えるなら、木の葉を黒としてでなく緑として眺め、太陽を四角でなく丸として眺め、砂糖を辛いものとしてでなく甘いと感じ、時計は一時と二時をいっしょに打つのでなく順次に打つと聞き、二時から一時になるのではなくてその反対だと考えることなどが、物のありかたと無関係にわたしたちの認識の中だけで行われることになります。カントのように物の性質と物との間に絶対的な壁を設けるのはまちがいで、物自体は性質を持ち、いわゆる「二律背反」も世界自体の持っている性格である、とヘーゲルは主張しました。」(三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』p.61)


 すなわち、ヘーゲルならば、カントのように物自体には性質がなく物の性質は主観が与えるのだという考え方に反対し、物自体には性質がありそれを人間が認識するのだと説明する、ということです。対象となる物の性質が人間の認識を生み出すという関係の把握についていえば、ヘーゲルの主張は、唯物論の立場からの把握と同じものになります(もっとも、対象となる物はそもそも絶対精神が姿を変えたものである、と把握される点では唯物論の立場とは決定的に異なりますが)。

 論点そのものについては、以上のような確認を行ったのですが、ここで、自然法則はどうして自然をア・プリオリに規定しうるかという「難問」は、純粋悟性概念の先験的演繹のプロセスのなかでどのように位置づけられているのか、という報告者レジュメのなかで提起されていた問題について、議論を行うことにしました。この問題は、より具体的にいえば、この「難問」が取り上げられる段階では先験的演繹はすでに終わっているのか、それとも、この「難問」の解決が直接に先験的演繹の最後の段階を意味するのか、ということになります。純粋悟性概念(カテゴリー)がなければ経験が可能なものとはならない、と指摘された段階で、先験的演繹は終わっているともいえそうなのに、わざわざ自然法則について「難問」を取り上げているのはなぜなのか、という疑問です。

 この疑問をめぐっても、議論は大いに錯綜しましたが、200ページに「先験的演繹では、直観の対象一般に関するア・プリオリな認識としてのカテゴリーの可能が説明せられた。そこで今度は、およそ我々の感官に現われ得る限りの対象をカテゴリーによって、――しかも対象を直観する形式によってではなく対象を結合する法則に従って、ア・プリオリに認識し得ること、それどころか自然を可能ならしめ得ることを説明する段になった」とあるところが、純粋悟性概念の先験的演繹のプロセスのなかでの、この「難問」の位置を示しているのではないか、ということは指摘されました。この文章の意味するところについて、明確な共通理解までは得られなかったのですが、「直観の対象一般」と「我々の感官に現われ得る限りの対象」とが対比させられて、後者が自然法則に結び付けられていること、そもそもカントの問題意識は自然法則についての認識の確実性を主張したいという点にあったことを重く見るべきことは確認されました。また、純粋悟性概念の先験的演繹のプロセス全体については、最後の「この演繹の要約」(p.208)で簡潔に示されているのではないか、という指摘もあり、「この演繹は、最後に経験をかかる綜合的統一の原理によって解明したもの」という個所が、自然法則の問題についての検討に相当すると考えられることからも、この「難問」の解決が直接に先験的演繹の最後の段階を意味する、と捉える方が妥当ではないか、という意見も出されました。
posted by kyoto.dialectic at 05:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 例会報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月17日

2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹(8/10)

(8)論点2:純粋統覚とはどういうものか

 前回は、第一の論点、すなわち、純粋悟性概念の演繹とはいかなることか、という問題をめぐってなされた議論の内容をまとめて紹介しました。そこでは、純粋悟性概念の演繹とは思惟の主観的条件である純粋悟性概念がなにゆえに客観的妥当性をもちうるものであるのかを説明するものであることを確認しました。

 さて、今回は、第二の論点、すなわち、純粋統覚とはどういうものか、という問題をめぐってなされた議論の内容をまとめて紹介することにします。ここで論点を改めて紹介しておくことにしましょう。

【論点再掲】
 カントは、純粋統覚あるいは統覚の先験的統一こそが人間の認識全体の最高の原理だとしているが、これはどういうことか。また産出的構想力というものはここにどのように関わってくるのか。思惟する「私」と自分自身を直観する「私」との関係を、カントはどのように解いたのか。こうしたカントの論について、ヘーゲルならばどのように評価するだろうか。


 純粋統覚あるいは統覚の先験的統一こそが人間の認識全体の最高原理であるとはどういうことか、という問題については、各メンバーによって提示された見解に、大きな相違はありませんでした。端的にいえば、「私は考える」という意識によってバラバラな表象が結合されることがなければ、そもそも認識が成り立たない、ということです。

 産出的構想力とはどういうものか、という問題をめぐっても、大きな見解の相違はありませんでした。そもそもカントのいわゆる構想力とは、対象が現に存在していなくてもこの対象を直観的に表象する能力のことなのですが、この構想力が、統覚の統一にしたがって感官の形式をア・プリオリに規定すると同時に、感性的直観における多様なものをまとめあげて悟性にもたらす、とカントはいうのであり、このような自発的(能動的)な働きをなす構想力を、かつて経験したものを再生するだけの再生的構想力から区別して、産出的構想力と名づけているわけです。すなわち、我々の対象が成立する時点で、純粋悟性概念(カテゴリー)が関わっているのであり、感性的直観における多様なものを総合して我々の対象となすものこそが、産出的構想力なるものなのです。このことに関わっては、カントの議論においては、この構想力なるものが感性の側に属するものなのか悟性の側に属するものなのか判然としないが、感性とも悟性ともつかないものがあるからこそ感性と悟性とが媒介される、ということが重要なのではないか、という意見も出されました。

 構想力なるものの捉え方そのものについては大きな見解の相違はなかったのですが、問題となったのは、純粋統覚と産出的構想力の関係です。この問題に関しては、よく分からない、というメンバーがいる一方で、端的に、両者は同じものである、と断言する見解を提示したメンバーもいました。そのような見解のヒントとなったのは、黒崎政男『カント『純粋理性批判』入門』において、「認識〈能力〉としての「悟性」、それの純粋〈概念〉としての「カテゴリー」、それに「私は……と考える」を生み出す〈自己意識〉としての「統覚」。本書の「はじめに」でも書いたように、この『純粋理性批判』入門の、見学ツアーレベルでは、これらはだいたい同じ、と思ってもらって差し支えない」(p.131)という記述だ、ということでした。感性的直観における多様な(バラバラの)表象をまとめあげて何らかの対象となす、という過程において、悟性という能力が把持するところの、バラバラな表象をまとめあげるための枠組みのようなものに焦点を当てれば、それが純粋悟性概念(カテゴリー)だということになり、まとめ上げるという過程を遂行する主体に焦点を当てれば、それが統覚だということになり、バラバラの表象をまとめ上げている力に焦点を当てれば、それが産出的構想力だということになるのではないか、ということでした。このような見解に、他のメンバーも納得しました。

 思惟する「私」と自分自身を直観する「私」との関係については、議論が大変に錯綜しましたが、根源的統覚としての「私」(「私は存在している」と意識している「私」)と、現象としての「私」(「現われるままの私」)と、物自体としての私(「あるがままの私」)とが区別されているらしいことは、ほぼ共通の認識となりました(根源的統覚としての私と物自体としての私との差異については若干の疑問が残りましたが)。

 このことを確認した上で、チューターは、結局のこところカントは、根源的統覚としての「私」と、現象としての「私」と、物自体としての「私」が区別されるべきことを力説したものの、それらの関係については解くことができなかったのではないか、と提起しました。そして、これらを、絶対精神の自己運動(絶対精神が自己を知る過程)として筋を通しきったのが、ヘーゲルの絶対的観念論であるといえるのではないか、との見解を述べました。

 こうした見解に対しては、カントが私を物自体としての「私」と現象としての「私」とに分けてしまったことで論に一貫性がなくなってしまったとは確かにいえそうだ、また、ヘーゲルは、このようなカントの限界を、カントのいわゆる産出的構想力を発展させる形で、あらゆる対象を現実に産出していく「絶対精神」の自己運動として解決したということになるのではないか、という感想が出されました。
 大よそ以上のようなことを確認した上で、論点2に関する議論を終えました。
posted by kyoto.dialectic at 05:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 例会報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月16日

2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹(7/10)

(7)論点1:純粋悟性概念の演繹とはいかなることか

 前回まで、カント『純粋理性批判』の純粋悟性概念の演繹の要約を提示し、その内容を踏まえて出された論点を紹介しました。今回からは、それらの論点に関わってどのような議論がなされたかを紹介していくことにします。

 今回は、第一の論点、すなわち、純粋悟性概念の演繹とはいかなることか、という問題をめぐってなされた議論の内容をまとめて紹介することにします。ここで論点を改めて紹介しておくことにしましょう。

【論点再掲】
 先験的演繹と経験的演繹とはどのように異なり、純粋悟性概念について先験的演繹が求められるのは何故なのか。このことに関わって、カントは、ロックやヒュームの試みについて、どのような評価を与えているのか。


 カントのいわゆる演繹とは、法学者の用語を踏まえたもので、何が事実であるかという問題と区別して、何が権利であるかという問題を説明するものだとされています。これについては、あるメンバーが、以下のような例を提示しました。

 ある病院職員Aがある患者Bのカルテを閲覧したことは違法だという訴訟事件があった場合、事実としてAがBのカルテを閲覧したことを証明するとともに、AはBのカルテを閲覧する権限がないこと、および閲覧する権利を要求することもできないことをも、カルテ閲覧に関する規則(原理)から証明しなければならない、ということです。端的にいえば、カントのいう演繹とは、ある一定の原理からある対象の権利、適法性(正当性)を証明することである、ということになります。

 このような具体例も踏まえつつ、概念の演繹とは、諸々の概念についてそもそもその概念が正当性(客観的妥当性)をもっていることを説明することである、ということを確認しました。

 先験的演繹と経験的演繹の違いについては、概念がア・プリオリに対象に関係するということ(適法性)を示すのが先験的演繹であり、概念がどのようにして生まれたかを事実として示すのが経験的演繹ということで、各メンバーによって提示された見解の間に大きな相違はありませんでした。

 純粋悟性概念について先験的演繹が求められるのは何故なのか、という問題をめぐっても、大きな見解の相違はありませんでした。空間・時間という感性の純粋形式の場合は、このような直観形式がなければ、そもそも現象としての対象は我々に与えられないわけですから、空間・時間と対象の関係を云々する必要はありませんでした。ところが、純粋悟性概念(カテゴリー)の場合は事情が異なってきます。直観によってすでに対象は与えられており、悟性はこの対象について思惟するわけですから、純粋悟性概念(カテゴリー)は対象の可能性の制約ではないと考えられるからです。一方に既に与えられている対象があり、他方にカテゴリーがあるとすれば、両者がなぜうまく適合するのか、思惟の主観的条件がどうして客観的妥当性をもつのか、ということを説明しなければならなくなってきます。これが、純粋悟性概念について先験的演繹が求められる理由です。端的には、純粋悟性概念は、その性質上、その使用の客観的妥当性や制限などに関して疑惑をひき起こしてしまうから、先験的演繹が必要だということです。

 ロックやヒュームの試みについてのカントの評価をめぐっては、ロックやヒュームが純粋概念を経験から導きだそうとしたことが批判されているのだ、という見解が示されました。カントは、カテゴリーと対象とが合致し必然的に関係し合うこと(要するにカテゴリーの客観的妥当性)は、対象がカテゴリーを可能にするか、カテゴリーが対象を可能にするかのどちらかの場合にのみ可能である、として、前者が可能だとしてこの問題に取り組んだのがロックやヒュームだと考えているわけです。しかし、カントは純粋概念をこのように経験から導き出すことは、純粋数学や一般自然科学の実際に適合するものではなく、こうした事実によって否定されるものだと説いている、ということです。

 この見解に対して、チューターは、大筋では間違いではないものの、カントはロックとヒュームの微妙な差異についても言及しているのであるから、そこは丁寧に確認しておくべきではないか、と提起しました。

 カントは、ロックについて、我々の認識能力が個々の知覚から出発して一般的概念に達しようとする最初の努力を行ったとして一定の評価を与えつつも、純粋悟性概念の演繹は、こうした仕方では決して成立しないと批判もしています。こうした純粋悟性概念の使用は経験とは全く関わりがないから、「経験からの出生を立証する証明書とは別の出生証明書を呈示しなければならない」(p.164)というわけです。また、ロックが純粋悟性概念を経験から導来したにもかかわらず、こうした概念によって経験の一切の限界をはるかに超出するような認識(神の認識など)に達しようとしたことは辻褄が合わない仕方だと非難されてもいました。

 一方、ヒュームについてカントは、純粋悟性概念はア・プリオリな起原をもたねばならないことに気がついていたものの、概念自体が悟性において結合されていないのに、悟性がこうした概念を対象においては必然的に結合されていると考えねばならないのはどうして可能なのか、全く説明できず(原因と結果という必然的なつながりが対象において客観的に存在するなどとは考えることができず)、悟性がこうした概念によって自ら経験の創作者になるのではないか、悟性の対象は経験そのもののうちに見出されるのではないかということに思い及ばなかったため、こうした純粋悟性概念を(結局は)経験から導き出さざるを得なかった、つまり経験において同じ連想が度々繰り返されると、そこから主観的必然性が生じ、この必然性がついには客観的必然性と誤認されるに至ると考えざるを得なかったのだ、と説明しています。カントは、ヒュームがこうした概念とそれから生じる原則とをもってしては、経験の限界を超出することは不可能であると断言したことは、(ロックと比較すると)なかなか辻褄のあったやり方だと評しつつも、ロックもヒュームもともに純粋悟性概念を経験的に導き出そうとしたことは、純粋数学や一般自然科学の実際に適合しないとして否定しているわけです。
 大よそ以上のようなことを確認した上で、論点1に関する議論を終えました。
posted by kyoto.dialectic at 05:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 例会報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月15日

2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹(6/10)

(6)改めての要約と論点の提示

 前回までの4回にわたって、カント『純粋理性批判』の純粋悟性概念の演繹という問題について論じられている部分の要約を紹介してきました。ここで改めて、そのポイントとなるところをふり返っておくことにしましょう。

 そもそも、カントのいわゆる演繹とは、端的には、何が権利であるかという法学用語を踏まえたもので、概念に即していえば、その客観的妥当性を説明するものでした。カントは、純粋悟性概念がア・プリオリに対象に関係する仕方の説明を、純粋悟性概念の先験的演繹と名づけていました。対象は、感性の純粋形式である空間と時間を介してのみ我々に現れるのですから、空間・時間については、特にこうした説明は必要ありませんでした。ところが、純粋悟性概念は、対象が直観に与えられるための条件ではありませんから、対象が必然的に悟性の機能に関係しなければならないということはできません。そのため、思惟の主観的条件にすぎない純粋悟性概念がなにゆえに客観的妥当性をもつのか、説明することが求められることになります。これがカントのいわゆる純粋悟性の先験的演繹なのでした。

 カントは、多様なものの結合は悟性の作用であり、そのような悟性作用を総合と呼ぶのだと説明していました。また、私の一切の表象には、「私は考える」という意識が伴っていなければならないとして、この「私は考える」という自己意識のことを、純粋統覚あるいは根源的統覚と名づけていました。カントは、悟性が直観における多様な表象を統一するという統覚の総合的統一の原則は、人間の認識全体の(一切の悟性使用の)最高の原理(原則)であると強調していました。「私は考える」という原則がなければ、そもそも認識が成立しない、というわけです。

 さらにカントは、経験的な直観における多様な表象が、判断という悟性の機能によって統覚のもとに取り込まれて客観的な統一を与えられることを指摘する一方で、このように純粋悟性概念(カテゴリー)が適用されるのはあくまでも経験の対象(経験的直観における多様な表象)のみであり、それ以外のところに純粋悟性概念を適用しようとしても、対象に関する無内容な概念にしかならず、客観的な実在性をもたない単なる思考形式にしかならない、と指摘してもいました。カテゴリーにしたがって直観における多様なものを結合する総合をなすものについて、カントは産出的構想力と名づけていました。

 カントは、悟性は内感を触発することによって多様なものの結合をつくり出すことに注意を促した上で、我々はただ我々自身によって内的に触発されるままに我々自身を直観するとして、思惟された客観としての私は悟性によって思惟される私自体(物自体としての私)ではない、と指摘していました。

 カントは、カテゴリーは一切の現象の総括としての自然に法則をア・プリオリに指定する概念であるとした上で、ここに難問があるとしていました。すなわち、自然法則は自然から導き出されたものでもなければ、自然を範としてこれに従うのでもないのに、自然の方がこの法則に従わなければならないことをどうして理解できるのか、という問題です。カントはこれに対して、法則は現象のうちに存在するのではなく、現象が与えられているところの主観に関係してのみ存在するのだ、という解答を与えていました。すなわち、自然は、自然の必然的合法性の根源的根拠としてのカテゴリーに依存しているというわけです。

 2017年6月例会の場では、おおよそ以上のような内容に関わっての報告を受けて、参加したメンバーから諸々の意見・論点が提起され、議論がたたかわされました。これから、その内容を、大きく3つの論点に沿って整理した上で、紹介していくことにします。今回はその3つの論点を紹介し、次回以降、討論の具体的な内容を紹介していくことにします。

1、純粋悟性概念の演繹とはいかなることか
 カントのいわゆる演繹とはどういうことか。先験的演繹と経験的演繹とはどのように異なり、純粋悟性概念について先験的演繹が求められるのは何故なのか。このことに関わって、カントは、ロックやヒュームの試みについて、どのような評価を与えているのか。

2、純粋統覚とはどういうものか
 カントは、純粋統覚あるいは統覚の先験的統一こそが人間の認識全体の最高の原理だとしているが、これはどういうことか。また産出的構想力というものはここにどのように関わってくるのか。思惟する「私」と自分自身を直観する「私」との関係を、カントはどのように解いたのか。こうしたカントの論について、ヘーゲルならばどのように評価するだろうか。

3、カテゴリーが現象を規定する法則はなぜ自然をア・プリオリに規定できるのか
 カントは、カテゴリーについて、現象(一切の現象の総括としての自然)に法則をア・プリオリに指定する概念だとした上で、「かかる法則は自然における多様なものの結合を自然から得てこないにも拘らず、どうして自然をア・プリオリに規定し得るか」(p.203)という難問を解決しようとしているが、カントはこの難問をどのように解決したのであろうか。ヘーゲルであれば、カントの解決にどのような評価を与えるだろうか。
posted by kyoto.dialectic at 07:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 例会報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月14日

2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹(5/10)

(5)カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹 要約C

 前回は、感性的直観によって与えられた多様なもの(経験の対象)だけが統覚によって客観的に統一されるのだということが説明された部分の要約を紹介しました。カントは、経験的な直観における多様な表象が、判断という悟性の機能によって統覚のもとに取り込まれて客観的な統一を与えられることを指摘する一方で、このように純粋悟性概念(カテゴリー)が適用されるのはあくまでも経験の対象(経験的直観における多様な表象)のみであり、それ以外のところに純粋悟性概念を適用しようとしても、対象に関する無内容な概念にしかならず、客観的な実在性をもたない単なる思考形式にしかならない、と指摘していたのでした。

 さて、要約の紹介の最後となる今回は、カテゴリーに従って直観における多様なものを結合する総合をなす産出的構想力について、また、思惟する主観である「私」と思惟された客観としての「私」の関係、また、現象としての「私」と私自体との関係について、さらに、法則は自然における多様なものの結合を自然から得てこないにもかかわらずどうして自然をア・プリオリに規定しうるか、という問題について、説明されている部分の要約を紹介することにしましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

24

感官の対象一般へのカテゴリーの適用について

 純粋悟性概念は、悟性だけによって直観の対象一般に関係する。しかし、だからこそ純粋悟性概念は単なる思考形式にすぎず、これによってはまだ一定の対象は与えられない。しかし、我々には感性的直観のある形式がア・プリオリに具わっており、この形式は表象能力(感性)の受容性を基礎とする。それだから自発性としての悟性は、与えられた表象の含む多様なものに基づき、統覚の総合的統一に従って内感を規定することができるし、また感性的直観においてア・プリオリに与えられた多様なものを結合するところの統覚の総合的統一を、我々(人間)の直観の一切の対象が必然的に従わねばならない条件と考えることができるのである。単なる思考形式としてのカテゴリーは、このようにして初めて客観的実在性をもつことになる。換言すればカテゴリーは、直観において我々に与え得る対象――といっても、単なる現象としての対象へ適用されるようになるのである。
 感性的直観における多様なもののこうした総合は、ア・プリオリにのみ可能でありまた必然的であるが、これは形象的総合と名づけられ、直観における多様なもの一般に関して単なるカテゴリーにおいて思惟されるような悟性的結合から区別される。
 形象的総合は、統覚の根源的-総合的統一にのみ、すなわちカテゴリーにおいて思惟される先験的統一にのみ関係する場合には、純粋に知性的な総合から区別されて構想力の先験的総合と呼ばれねばならない。構想力とは、対象が現に存在していなくても、対象を直観的に表象する能力である。我々の直観は全て感性的直観であるから、構想力は感性に属する。しかしまた構想力による総合は、自発性の働きである。構想力の総合は、感官をその形式に関して、統覚の統一に従ってア・プリオリに規定することができる。その限りにおいて構想力は、感性をア・プリオリに規定する能力である。構想力がカテゴリーに従って直観における多様なものを結合するところの総合は、構想力の先験的総合でなければならない。構想力が自発的である限り、私はこうした構想力を産出構想力とも名づけて、再生的構想力から区別する。再生的構想力による総合は、経験的法則すなわち連想の法則のみに従うものだから、ア・プリオリな認識の可能を説明するには全く役に立たない。

 内感は我々自身を我々の意識に現示するが、我々自体があるがままに示すのではなくて、我々が我々自身に現われるままにしか示さないのはどうしてであるかといえば、それは我々が、内的に触発される仕方でしか自分自身を直観することができないからである。悟性は内感において、多様なものの結合をそのまま見出すのではなく、内感を触発することによってこの結合をつくり出す。思惟する「私」は、自分自身を直観する「私」と異なっているにもかかわらず、しかも同じ主観として、自分自身を直観する「私」と同一であるのはどうしてなのか。すなわち、私はどうして、知性者であり思惟する主観である私が私自身を同時に思惟された客観として認め、しかもこの客観は直観に与えられた「私」でもあるが、ただ私に現われるままの(現象としての)私であって、悟性によって思惟される私自体ではない、といいうるのか。我々が外感について我々が外的に触発される限りにおいてのみ対象を認識すると認めるならば、我々はただ我々自身によって内的に触発されるままに我々自身を直観する、ということも認めなければならない。

25

 表象の含む多様なもの一般において、したがってまた統覚の総合的、根源的統一において私が意識するところの私自身は、私が私自身に現われるままにでもなければ、また私自体があるがままにでもない。むしろ私は「私は存在する」ということを意識しているのである。こうした表象は思惟であって直観ではない。私の現実的存在の規定は、一方では内感の形式に従い、また他方では私の結合する多様なものが内的直観において与えられる特殊な仕方に従ってのみ成立しうる。それだから私が私自身についてもつ認識は「あるがままの私」の認識ではなく、私が私自身に「現われるままの私」の認識である。

26

純粋悟性概念の一般的に可能な経験的使用の先験的演繹

 我々の感官に現われ得る限りの対象をカテゴリーによって、しかも対象を直観する形式によってではなく対象を結合する法則に従って、ア・プリオリに認識しうること、それどころか自然に法則をいわば指定しうることを説明する段になった。
 私がここにいう覚知の総合とは、経験的直観における多様なものの合成を意味し、知覚(直観の経験的意識)を可能にするものである。覚知の総合は、感性的直観の形式である空間表象および時間表象に合致しなければならない。しかし、空間および時間は直観そのものとしてもア・プリオリに表象されるが、この場合、直観における多様なものの統一という規定を含む。だから、多様なものの総合的統一はもとより、空間・時間の形式によって規定されたものとして表象されるもの一切が従わなければならない覚知の総合の条件として、すでにア・プリオリに、こうした直観と同時に与えられているのである。しかしこの総合的統一は、与えられた直観一般における多様なものの結合の統一が、根源的意識においてカテゴリーに従いつつ、我々の感性的直観に適用されたものにほかならない。ゆえに一切の総合がすべてカテゴリーに従うのである。そして経験は、結合された知覚にもとづく認識であるから、カテゴリーは経験を可能ならしめる条件であり、したがってまた一切の対象にア・プリオリに妥当するのである。

 カテゴリーは、現象に――したがって一切の現象の総括としての自然に法則をア・プリオリに指定する概念である。自然法則は、自然から導来されもしなければ、自然を範として従うわけでもないのに、かえって自然の方がこの法則に従わなければならないということ、換言すれば、法則は自然における多様なものの結合を自然から得てこないにもかかわらず、どうして自然をア・プリオリに規定しうるかということが、どうして理解できるのか。
 自然における現象の法則が、悟性とそのア・プリオリな形式とに―換言すれば、多様なものを結合する悟性能力とに合致せねばならないということは、現象そのものが感性的直観のア・プリオリな形式に合致せねばならぬということとまったく同じであって、いささかも不思議はない。法則は現象のうちに存在するのではなくて、およそ悟性を有する限りのこの同じ主観に関係してのみ存在するということと同じだからである。自然の一切の現象もまた、その結合に関しては、カテゴリーに従わなければならない。要するに自然の必然的合法性の根源的根拠としてのカテゴリーに依存しているのである。

27

悟性概念のこうした先験的演繹から生じた結論

 我々は、カテゴリーによるのでなければ、対象を思惟することができない。またこの概念すなわちカテゴリーに対応する直観によるのでなければ、思惟された対象を認識することができない。ところで我々の直観は、全て感性的直観である。またこの認識は、認識の対象が与えられている限り、経験的直観である。しかし経験的認識は経験である。ゆえに我々は可能的経験の対象についてしかア・プリオリな認識をもつことができない。

この演繹の要約

 純粋悟性概念は、空間および時間における現象の規定一般としての経験を可能ならしめる原理である。この演繹はこうした原理としての純粋悟性概念の解明である。また統覚の根源的、総合的統一は、感性の根源的形式としての空間および時間に関する悟性形式である。この演繹は、最後に経験をこうした総合的統一の原理によって解明したものである。
posted by kyoto.dialectic at 06:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月13日

2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹(4/10)

(4)カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹 要約B

 前回は、直観における多様な表象を統一する根拠として、「私は考える」という純粋統覚、根源的統覚がなければならないことが説明された部分の要約を紹介しました。カントは、多様なものの結合は悟性の作用であり、そのような悟性作用を総合と呼ぶのだとしていました。また、「私は考える」という意識は、私の一切の表象に伴っていなければならないとして、この「私は考える」という自己意識のことを純粋統覚あるいは根源的統覚と名づけていたのでした。カントは、悟性が直観における多様な表象を統一するという統覚の総合的統一の原則は、人間の認識全体の(一切の悟性使用の)最高の原理(原則)であると強調していました。

 さて、今回は、感性的直観によって与えられた多様なもの(経験の対象)だけが統覚によって客観的に統一されるのだということが説明された部分の要約を紹介することにしましょう。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・

19

およそ判断の論理的形式の旨とするところは判断に含まれている概念に統覚の客観的統一を与えることにある

 判断について、与えられた認識の関係を精密に研究し、またこの関係を悟性に属するものとして、再生的構想力の法則に従って生じた関係(主観的妥当性しかもたない)から区別すると、判断は与えられた認識に統覚の客観的統一を与える仕方にほかならないことが分かる。判断に含まれている表象は、経験的直観において互いに必然的に結びつくのではなくて、直観の総合における統覚の必然的統一によって(認識になり得る限りのあらゆる表象を規定する諸原理に従って)互いに必然的に結びつく。

20

およそ感性的直観はこうした直観において与えられた多様なものが結合されてひとつの意識なりうるための条件としてのカテゴリーに従っている

 感性的直観において与えられた多様なものは、必然的に統覚の根源的、総合的統一のもとに統摂される。与えられた表象に含まれている多様なものは、悟性の作用によって統覚一般のもとに統摂される。こうした悟性作用がすなわち判断の論理的機能なのである。カテゴリーは、直観において与えられた多様なものが判断の論理的機能に関して規定されているかぎり、まさにこうした判断機能にほかならない。それだから与えられた直観における多様なものもまた必然的にカテゴリーに従うのである。

21



 私が、私の直観と名づけているような直観に含まれている多様なものが自己意識の必然的統一に属するものとして表象されるのは、悟性の総合により、このことはカテゴリーによって行われる。カテゴリーは、ひとつの直観において与えられた多様なものの経験的意識が、ア・プリオリでかつ純粋な自己意識に従うことを示す。これは、経験的直観が、これまたア・プリオリで純粋な感性的直観に従うのと同様である。
 上述の説明でどうしても除くわけにはいかなかったのは、多様なものは悟性の総合よりも前にこの総合に関わりなく直観のために与えられていなければならない、ということである。しかし、なぜそうなのかは、ここではまだ解決されない。自ら直観するような悟性(自分が表象すればそれによって同時に対象が与えられる神的悟性)があるとしたら、こうした認識に関してはカテゴリーは全く意義をもたないだろう。カテゴリーは人間の悟性に対する規則にほかならない。悟性は対象によって悟性に与えられなければならないところの直観、すなわち認識の質料を結合し、これに秩序を与えるだけにすぎない。人間悟性の特性、すなわちカテゴリーによってのみ、しかもカテゴリーの一定の種類と数とによってのみア・プリオリな統覚の統一を生じさせるという特性が説明され得ないのは、我々はなぜちょうどこれだけの判断機能をもち、それ以外の判断機能をもたないのか、なぜ時間および空間だけが我々に可能な直観の形式なのかが説明できないのと同じである。

22

カテゴリーは経験の対象に適用されるだけであってそれ以外には物の認識に使用され得ない

 対象を思惟することと、対象を認識することは同じでない。認識には、純粋悟性概念(これによって対象が一般的に思惟される)と直観(これによって対象が与えられる)という2つの要素が必要なのである。我々に可能な直観は全て感性的直観であるから、対象一般に関する思惟は、純粋悟性概念が感官の対象に関係させられる限りにおいてのみ、我々の認識になりうるのである。純粋悟性概念は、ア・プリオリな直観に適用される場合ですら(数学におけるように)、このア・プリオリな直観が――したがってまた直観を介して悟性概念が経験的直観に適用される限りにおいてのみ、認識を与えるのである。ゆえに、カテゴリーは、経験的直観に適用されなければ、直観によっても我々に物の認識を与えない。換言すれば、カテゴリーは、経験的認識を可能なものとするだけのものである。カテゴリーが物の認識に使用されるのは、物が可能的経験の対象とみなされる場合だけに限るのであり、それ以外には物の認識に使用され得ないのである。

23

 この命題は、対象に関する純粋悟性概念の使用に対して限界を規定するものだから、極めて重要である。これは、先に先験的感性論が我々の感性的直観の純粋形式に対して限界を規定したのと同じである。空間および時間は、感性においてのみ存在し、感性以外では全く現実性をもたない。ところが純粋悟性概念は、こうした制限を受けず、およそ直観の対象一般に適用される。しかし我々の感性的直観を超えて、これらの概念を拡張してみたところで、対象に関する無内容な概念があるだけで、この対象が可能であるか否かをすらを判断し得ない。このような場合、純粋悟性概念は単なる思考形式であって、客観的実在性を全くもたないことになる。つまり我々は、統覚の総合的統一が適用され得るような直観を持ち合わせないわけである。ところが統覚の総合的統一を含むものは概念〔カテゴリー〕だけであり、カテゴリーはこうした統一を直観に適用することによって対象を規定しうるのである。要するに、我々の感性的でかつ経験的な直観だけが、概念に意味と意義を与え得るのである。
posted by kyoto.dialectic at 09:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 例会報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月12日

2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹(3/10)

(3)カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹 要約A

 前回は、そもそも演繹とはどういうことか、純粋悟性概念(カテゴリー)について、経験的な演繹ではなく先験的な演繹という手続きが必要になるのはどうしてなのかについて、説明されている部分の要約を紹介しました。カントのいわゆる演繹とは、端的には、何が権利であるかという法学用語を踏まえたもので、概念に即していえば、その客観的妥当性を説明するものでした。カントは、純粋悟性概念がア・プリオリに対象に関係する仕方の説明を、純粋悟性概念の先験的演繹と名づけていました。対象は、感性の純粋形式である空間と時間を介してのみ我々に現れるのですから、空間・時間についてはこうした説明は不要でした。ところが、純粋悟性概念は、対象が直観に与えられるための条件ではないので、対象が必然的に悟性の機能に関係しなければならないとはいえません。そこで、思惟の主観的条件にすぎない純粋悟性概念がなにゆえに客観的妥当性をもつのか説明が求められることになります。これがカントのいわゆる純粋悟性の先験的演繹なのでした。
 さて、今回は、直観における多様な表象を統一する根拠として、「私は考える」という純粋統覚、根源的統覚がなければならないことが説明された部分の要約を紹介することにしましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

第2節 純粋悟性概念の先験的演繹

15

結合一般の原理について

 多様な表象〔印象〕は直観において与えられ得るが、この直観は単なる感性的直観であり、したがって受容性にほかならない。ところで多様なもの一般の結合は、感官によっては決して我々のうちに現われ得ず、感性的直観の純粋形式のうちに含まれているということもあり得ない。結合は表象能力の自発性の作用だからである。この自発性は感性と区別するために悟性といわなければならない。このような悟性作用に総合という一般的な名を与えよう。総合という悟性作用はもともとひとつしかなく一切の結合はいずれもこの作用に従わなければならないし、分析は実は総合を前提としている(悟性によって前もって結合されたものとして与えられたものだけが分析され得る)。
 結合の概念は、多様なものという概念と、この多様なものの総合という概念のほかに、さらにこの多様なものの統一という概念を必然的に伴っている。要するに結合は、多様なものの総合的統一の表象なのである。この統一はア・プリオリに一切の結合の概念よりも前にあり、判断における種々の概念の統一の根拠を含み、したがってまた悟性の論理的使用においてすら悟性の存立を可能ならしめる根拠を含むところのものに、これを求めなければならない。

16

統覚の根源的‐総合的統一について

 「私は考える(Ich denke)」〔という意識〕は、私の一切の表象に伴わなければならない。「私は考える」という表象は自発性の作用であり、感性に属するとみなすことはできない。この表象を純粋統覚または根源的統覚と名づける。こうした統覚は「私は考える」という表象を産出するところの自己意識〔自覚〕であって、もはや他の統覚からは導出されないからである。また、ア・プリオリな認識がこの統一によって可能であることをいうために自己意識の先験的統一とも名づける。
 直観において与えられた多様なものの統覚の完全な同一性は、表象の総合を含み、またこうした総合の意識によってのみ可能である。私は直観において与えられた多様な表象を1個の意識において結合することによってのみ、これら表象における意識の同一性そのものを表象できる。直観における多様なものの総合的統一は、ア・プリオリに与えられたものとして、私のあらゆる一定の思惟にア・プリオリに先立つところの統覚の同一性そのものの根拠なのである。結合は対象のうちに存するのでも、知覚によって対象から得られて悟性のうちに取り入れられるようなものでもない。この根源的結合は悟性のなすわざである。悟性はア・プリオリに結合する能力であり、また直観における多様な表象を統覚によって統一する能力にほかならない。そしてこの統覚の統一という原則こそ、人間の認識全体の最高の原理なのである。

17

統覚の総合的統一の原則は一切の悟性使用の最高原則である

 感性に関して一切の直観を可能にする最高原則は、先験的感性論によると、直観における一切の多様なものが空間および時間という2つの形式的条件に従うことであった。また、悟性に関して一切の直観を可能にする最高原則は、直観における多様なものが統覚の根源的統一の諸条件に従うことである。
 一般的にいえば、悟性は認識の能力である。認識は、与えられた表象がある客観に対してもつところの一定の関係である。客観は、与えられた直観における多様なものがひとつの概念によって結合されたところのものである。換言すれば、多様なものは客観の概念によって結合されている。およそ表象の結合は、表象の総合における意識の統一を必要とするから、意識の統一は表象がある対象に対してもつところの唯一の関係をなすものであり、表象の客観的妥当性の根拠であり、表象を認識にするところのものであり、したがって認識能力としての悟性が可能であることもまた意識の統一にかかっている。
 しかし、こうした原則は、およそ悟性であればどんな可能的悟性にも妥当するような原則ではなくて、悟性の純粋統覚によるだけでは「私は考える」という表象にまだ多様なものが全く与えられないような人間悟性だけにとっての原理である。自分の自己意識によって同時に直観における多様なものが与えられるところの悟性(自分が表象しさえすれば同時にその表象の対象が存在するような悟性)なら、多様なものを結合して意識の統一とする特殊な総合作用は必要としない。

18

自己意識の客観的統一とは何かということ

 統覚の先験的統一は、直観において与えられた多様なものを結合して、客観すなわち対象とするものである。それだからこの統一は客観的統一と呼ばれ、意識の主観的統一から区別されねばならない。意識の主観的統一は内感の規定である(内的直観において経験的に与えられた多様なものを、結合の素材として提供する)。しかし、私がこの多様なものを同時的もしくは継時的に意識しうるかどうかは、経験的条件によって決まるから、全く偶然的である。これに反して、時間における直観の純粋形式は、与えられた多様なものを含む直観一般としてのみ、意識の根源的統一に従うのである。そのことは、経験的総合の根底に、ア・プリオリに存するところの悟性の先験的統一によってのみ可能である。統覚の先験的統一だけが客観的に妥当する。これに反して、統覚の経験的統一は主観的妥当性をもつにすぎない。ある人はある言葉の表象にあるものを結びつけるし、他の人はその同じ言葉の表象に他のものを結びつける、といった経験的な意識の統一は、与えられたところのものに関して必然的でもなければ普遍的に妥当するものでもない。

posted by kyoto.dialectic at 06:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 例会報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月11日

2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹(2/10)

(2)カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹 要約@

 前回は、京都弁証法認識論研究会の6月例会の場において、報告担当者から提示されたレジュメ、およびそのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介しました。今回から4回にわたって、カント『純粋理性批判』の純粋悟性概念の演繹(思惟の主観的条件にすぎない純粋悟性概念がどうして客観的妥当性をもつのか、という問題についての説明)を紹介していくことにします。

 今回は、そもそも演繹とはどういうことか、純粋悟性概念(カテゴリー)について、経験的な演繹ではなく先験的な演繹という手続きが必要になるのはどうしてなのかについて、説明されている部分の要約を紹介します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

第2章 純粋悟性概念の演繹について

第1節 

13

先験的演繹一般の諸原理について

 法学者は、ひとつの訴訟事件について、何が権利であるかという問題と事実に関する問題を区別し、第一の問題について権限、あるいはそればかりでなく権利要求をも説明する明示を演繹と名づけている。我々は、多くの経験的概念を誰からも異議の申し立てがないままに使用し、またこうした演繹を経ずにこれらの概念に意味と憶測的な意義を与える資格があると思いなしている。それは我々が、いつでもこうした概念の客観的実在性を証明しうる経験を持ち合わせているからである。
 しかし、人間の認識の極めて雑多な組織を造り上げている多種多様な概念のなかにも(一切の経験に全く関わりのない)ア・プリオリな純粋使用に供せられ得るような若干の概念があり、これらの概念の権限が演繹を必要とするのである。こうした純粋使用の適法性を経験によって証明することは十分ではないのにかかわらず、これらの概念はどうして対象に関係しうるのか、是非とも知らなければならないからである。このような概念がア・プリオリに対象に関係する仕方の説明を純粋悟性概念の先験的演繹と名づけ、これを経験的演繹(ひとつの概念が経験と経験に対する反省によって得られる仕方を示すもの)から区別する。
 我々は、全く種類を異にする2通りの概念でありながらア・プリオリに対象に関係するという点では互いに完全に一致するような概念をすでにもっている。すなわち感性の形式としての空間・時間と、悟性の概念としてのカテゴリーとである。これらの概念について経験的演繹を試みようとしても無益である。
 とはいえ、これらの概念についても、一切の認識におけると同じく、ア・プリオリな概念を可能にする原理ではないが、しかしこうした概念を産出する幾因を経験のうちに求めることはできる。経験は、認識の質料とこの質料に秩序を与える形式を含む。この形式は、純粋直観および純粋思惟という我々のうちにある源泉から生じたものであり、両者は質料を機縁として活動し始め、概念を創り出すのである。我々の認識能力が個々の知覚から出発して一般的概念に達しようとする最初の努力をこうして追究してみることは極めて有益である。ロックがこうした探究の道を開いたが、ア・プリオリな純粋概念の演繹はこのような仕方では決して成立しない。
 空間および時間の概念は、ア・プリオリな認識であるにもかかわらず、どうして必然的に対象に関係しなければならないのか、また一切の経験にかかわりなく対象の総合的認識をどうやって可能にするのかということは、先に容易に説明することができた。つまり対象は、感性の純粋形式である空間・時間を介してのみ我々に現われるから、直観における総合が客観的妥当性をもつのである。
 これに反して、悟性のカテゴリーは、対象が直観に与えられるための条件を示すものではない。従って対象は、確かに我々に現れはするが必然的に悟性の機能に関係しなければならないというものではないから、悟性は対象を可能にするア・プリオリな条件を含んでいないことになる。そこで、感性の領域ではなかったような困難が現われてくる。すなわち、思惟の主観的条件がどうして客観的妥当性をもつのか(対象の一切の認識を可能にする条件となるのか)ということである。例えば、原因という概念は特殊な種類の総合を意味する。あるものAに別のものBがある法則に従って結合されるからである。しかし現象がなぜBのようなものを含むかはア・プリオリには明白ではない。それだから、こうした概念は全く空虚で、現象のうちにはこの概念に対応するような対象は全く存在しないのではないか、というア・プリオリな疑問が生じるのである。原因の概念は、全くア・プリオリに悟性のうちにその根拠をもつか、それとも単なる妄想として放棄されねばならないか、どちらかである。この概念は、AからBが絶対的に普遍的な規則に従って必然的に随起するような性質のものであることを、あくまで要求する。だから、原因と結果の総合は、経験的には全く表現できないような尊厳というべきものを備えている。

14

カテゴリーの先験的演繹への移り行き

 総合的表象とその対象とが合致し、必然的に関係し合い、両者がいわば相会することは、対象が表象を可能にするか、表象だけが対象を可能にするか、2つの場合にのみ可能である。前者の場合、対象と表象の関係は経験的で、表象は決してア・プリオリには可能にならない。後者の場合、表象自体は対象をその現実的存在に関して産出しうるものではないが、表象だけで何かあるものを対象として認識することが可能であれば、表象は対象を規定することになる。この場合、直観(現象としての対象を与える)と概念(直観に対応する対象を思惟する)という2つの条件がある。第一の条件は、我々の心意識のうちにア・プリオリに存し、対象の根底をなしているから、一切の対象は、この感性的条件と必然的に合致する。では、我々が何かあるものを対象一般として思惟しうるための条件としての概念もあり、このような概念も経験に先立って存在するのではないか。もしこうした概念が存在するなら、それを前提しなければ何ひとつ経験の対象になりえないのだから、対象の経験的認識は全てこれらの概念と必然的に合致する。およそ経験は直観、すなわちそれによって何かあるものが与えられるところの感性的直観のほかに、直観において与えられる(現われる)ところの対象に関する概念をも含むのである。すると対象一般に関する概念は、ア・プリオリな条件として一切の経験的認識の根底に存することになるだろう。ア・プリオリな概念としてのカテゴリーの客観的妥当性は、カテゴリーによってのみ経験が(思惟の形式に関する限りでは)可能になるということに基づくわけである。
 ア・プリオリな概念を含む経験をただ展開するだけでは、こうした概念の演繹にはならない。
 ロックは、悟性の純粋概念が経験において見出されると考え、これらの概念を経験から導き出した。にもかかわらず、こうした概念によって経験の一切の限界をはるかに超出するような認識に達しようとする試みを敢てしたのは、甚だ辻褄の合わぬことだった。しかし、ヒュームは、こうした認識を得るためにはこれら純粋概念がどうしてもア・プリオリな起源をもたねばならないことに気づいていた。しかし彼は、概念自体が悟性において結合されていないのに、悟性がこうした概念を対象においては必然的に結合されていると考えねばならないのはどうして可能なのか、全く説明できなかった。また、悟性がこうした概念によって自ら経験の創作者になるのではないか、悟性の対象は経験そのもののうちに見出されるのではないか、と思い及ばなかった。そこで彼は、純粋概念を経験から導出せざるをえなかった(習慣から導出された主観的必然性を客観的必然性と誤想する、という形で)。それでもヒュームが、こうした概念とそれから生じた原則では経験の限界を超えられないと断言したのは、なかなか辻褄の合ったことだった。ロックもヒュームも、純粋概念を経験的に導出しようとしたが、これは我々が現に有するア・プリオリな学的認識の実際――純粋数学と一般科学の実際に適合するものではないという事実によって否定される。
posted by kyoto.dialectic at 06:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 例会報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月10日

2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹(1/10)

目次

(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント
(2)カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹 要約@
(3)カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹 要約A
(4)カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹 要約B
(5)カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹 要約C
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1:純粋悟性概念の演繹とはいかなることか
(8)論点2:純粋統覚とはどういうものか
(9)論点3:カテゴリーが現象を規定する法則はなぜ自然をア・プリオリに規定できるのか
(10)参加者の感想の紹介

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント

 我々京都弁証法認識論研究会は、今年および来年の2年間を費やして、カント『純粋理性批判』に取り組んでいくことにしています。これは、絶対精神の成長の過程(自己=世界という自覚の成立過程)として哲学の発展の歴史を描いたヘーゲル『哲学史』の学び(2015-2016年)を踏まえつつ、客観(世界)と主観(自己)との関係という問題について徹底的に突き詰めて考え抜いたカント『純粋理性批判』の学び(2017-2018年)を媒介にすることによって、全世界の論理的体系的把握を試みたヘーゲル『エンチュクロペディー』の学び(2019-2020年)に進んでいこうという計画にもとづいたものです。

 6月例会では、純粋悟性概念の演繹という問題について論じられている部分を扱いました。今回の例会報告では、まず例会で報告されたレジュメを紹介したあと、扱った範囲の要約を4回に分けて掲載し、ついで、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に、この例会を受けての参加者の感想を紹介します。

 今回はまず、報告担当者から提示されたレジュメ、およびそのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介することにしましょう。

 なお、この研究会では、篠田英雄訳の岩波文庫版を基本にしつつ、他の翻訳やドイツ語原文を適宜参照するようにしています(引用文のページ数は、特に断りがない限り、岩波文庫版のものです)。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

カント『純粋理性批判』 純粋悟性概念の先験的演繹について

【1】先験的演繹一般について
 カントは、純粋悟性概念がア・プリオリに対象に関係する仕方の説明を、純粋悟性概念の先験的演繹と名づけている。これは、感性の純粋形式であるところの空間・時間については不要な説明であった。なぜなら、対象は、感性の純粋形式である空間と時間を介してのみ、我々に現れるからである。ところが、純粋悟性概念は、対象が直観に与えられるための条件ではないから、対象が必然的に悟性の機能に関係せねばならないというものではないとカントはいう。そこで、思惟の主観的条件にすぎない純粋悟性概念がどうして客観的妥当性をもつのか、ということを説明しなくてはいけない。これがカントのいうところの純粋悟性の先験的演繹である。
 カントは、綜合的表象とその対象が合致し、必然的に関係し合うことは、二つの場合にのみ可能であるとしている。それは、対象が表象を可能にするか、それとも、表象だけが対象を可能にするか、の二つである。カントは、前者の場合の取り組みとしてロックとヒュームを挙げ、ともに純粋概念を経験的に導来しようとしたのであるが、このような経験的導来は、ア・プリオリな学的認識の実際に適合するものではないと説いている。

〔報告者コメント〕
 ここでカントは、純粋悟性概念は、対象が直観に与えられるための条件ではないとして、それを前提にして、思惟の主観的条件にすぎない純粋悟性概念がどうして客観的妥当性をもつのかという問題に取り組もうとしている。しかし、結論から言えば、カントは純粋悟性概念は対象が直観に与えられるに際して関与しているのだと説明している。それならば、そもそもこの問題が生じる前提が違うということになるのだから、問題そのものが成立しないのではないか。このあたりが正直、よく分からないところである。
 唯物論の立場に立つ我々は、基本的にはロックやヒュームと同様に、対象が表象を可能にするという立場で、筋をとおして説いていく必要がある。そのためには、認識の生成発展を明らかにした科学的認識論と、対象と表象の合致は、最終的には学問体系としてしか可能ではないということを明らかにした学問論(論理学?)をしっかりと再措定していく必要があるだろう。


【2】純粋統覚について
 カントは、多様なものの結合は悟性の作用であり、そのような悟性作用を綜合と呼ぶと規定している。また、「私は考える」という意識は、私の一切の表象に伴い得なければならないとして、その「私は考える」という自己意識のことを純粋統覚と名づけている。そのうえで、悟性が直観における多様な表象を統一するという、統覚の綜合的統一の原則は、人間の認識全体の(一切の悟性使用の)最高の原理(原則)であると説いている。このような原則がないと、認識が成立しないからであるとされている。
 またカントは、対象が現在していなくてもこの対象を直観において表象する能力を構想力と名づけ、その中で、カテゴリーに従って直観における多様なものを結合する綜合をなすものを産出的構想力と呼んでいる。

〔報告者コメント〕
 悟性、カテゴリー、統覚、そして産出的構想力のそれぞれの関係は、分かりにくいところである。黒崎政男『カント『純粋理性批判』入門』では、次のように説かれている。

「認識〈能力〉としての「悟性」、それの純粋〈概念〉としての「カテゴリー」、それに「私は……と考えるを生み出す〈自己意識〉としての「統覚」。本書の「はじめに」でも書いたように、この『純粋理性批判』入門の、見学ツアーレベルでは、これらはだいたい同じ、と思ってもらって差し支えない。」」(p.131)

 岩崎武雄『カント』では、「先験的統覚は直観の多様に総合的統一を与えてゆくという自発的な働きをするものであるが、悟性とは正しく自発性の能力(B.75)だから」、「この先験的統覚こそ悟性に外ならないであろう」(pp.87-88)と述べた後で、産出的構想力について次のように説いている。

「この構想力は再現された表象と現に存する表象とを総合的に統一してそこに対象の形像を作り出してゆくものであり、この総合的統一の働きが先験的統覚の先天的規則にしたがって行なわれるのである。すなわち悟性あるいは先験的統覚はこの場合産出的構想力という形で働くのである。」(p.89)

 以上をふまえると、悟性、カテゴリー、統覚、そして産出的構想力は、ほぼ同じような意味ととって間違いないが、スポットの当て方が違うといっていいだろう。悟性という能力の把持する概念にスポットを当てればカテゴリー、自己意識という点にスポットを当てれば統覚、表象する力にスポットを当てれば産出的構想力ということになるのだろう。


【3】純粋悟性概念の先験的演繹のプロセスについて
 カントは、カテゴリーは一切の現象の総括としての自然に法則をア・プリオリに指定する概念であるとしたうえで、ここに難問があるとしている。すなわち、自然法則は自然から導き出されたものでもなければ、自然を範としてこれに従うのでもないのに、自然の方がこの法則に従わなければならないことをどうして理解できるのか、という問題である。カントはこれに対して、法則は現象のうちに存在するのではなく、現象が与えられているところの主観に関係してのみ存在するのだと答えている。すなわち、自然は、自然の必然的合法性の根源的根拠としてのカテゴリーに依存しているというのである。

〔報告者コメント〕
 自然法則はどうして自然をア・プリオリに規定しうるかという「難問」(p.203)は、純粋悟性概念の先験的演繹のプロセスの中で、どのように位置づけられているのかが、いまいちよく分からない。もうこの段階では、先験的演繹は終わっているのか、それとも、この難問の解決が、直接に先験的演繹の最後の段階を意味するのか。論点3のなかで、今回の範囲の大きな流れについても議論できればと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 以上の報告レジュメの、「報告者コメント」のなかには、「純粋悟性概念は対象が直観に与えられるに際して関与している」というカントの論立てからして、純粋悟性概念の演繹(思惟の主観的条件にすぎない純粋悟性概念がどうして客観的妥当性をもつのか、という問題についての説明)などがそもそも成り立つ余地があるのか、「自然法則はどうして自然をア・プリオリに規定しうるかという「難問」(p.203)は、純粋悟性概念の先験的演繹のプロセスの中で、どのように位置づけられているのか」というような、『純粋理性批判』の構成における純粋悟性概念の演繹の位置づけ、あるいは純粋悟性概念の演繹そのものの論の展開についての根本的な疑問が含まれていました。これらの疑問については、論点をめぐる議論のなかで考えていくことを確認しました。
posted by kyoto.dialectic at 06:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 例会報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月09日

日本経済の歴史を概観する(13/13)

(13)国民経済という視点で変革の構想を

 前回は、本稿で辿ってきた日本経済の歴史の流れを簡単に振り返ってみました。本稿連載の最後となる今回は、この日本経済の歴史の流れについて、日本歴史と世界歴史との関係という観点から、まとめなおしてみることにしましょう。

 日本経済の歴史は、大きくいえば、2つの時代に分けることができます。第一は、江戸時代まで、資本主義経済を発展させていけるだけの実力をじっくりと培ってきた時代です。第二は、欧米諸国の圧力に抗して資本主義経済を発展させていく時代、すなわち明治時代から現在までです。多くのアジア諸国が、欧米列強の圧力に屈して植民地化を余儀なくされたなかで、日本は曲がりなりにも独立を維持し、政治・経済の近代化を成し遂げていきました。日本が植民地化を免れた外的な要因としては、列強によるアジア植民地化の最後の段階にあって、列強諸国が、インドや中国における人民の抵抗の経験を踏まえて、できる限り軍事力の行使を避けようとしていた事情があります。同時に、内的な要因として、日本がそれまでの歴史的な発展過程で、欧米列強に対抗できるだけの国力をもちつつあったという事情を無視するわけにもいきません。

 このことに関わっては、日本歴史がひとつの国家の歴史でありながら、世界歴史的な構造を内に含んでいることが重要です。

 第一に、原始共同体から現代社会までひとつにつながった流れをもっていることです。さらに、日本社会の構造そのものに、資本主義を開花させたヨーロッパと共通する部分があったことも見逃せません。具体的には、封建制という仕組み(領主層が土地を媒介した主従関係を結びつつ、土地と農民をセットで支配する仕組み)は、世界中でヨーロッパと日本にだけ成立していたのです(古代中国の周における封建制は、王が各地の有力氏族に領域支配を認めたもので、本質的に異なります)。世界歴史の流れを大雑把に捉えるならば、大河や内海の近くに成立した古代の大帝国が衰退した後、中央アジアの乾燥地帯から遊牧民が台頭し、周辺の農耕社会を侵略していくようになったといえるのですが、ヨーロッパと日本は、これから遠く離れていたために、遊牧民の征服を免れることになったのです。この結果、分権的で重層的な封建制という仕組みが形成されていったと考えられます(梅棹忠雄『文明の生態史観』がこの問題を論じています)。この封建制による安定した社会において、人々はじっくりと自然に向き合い、生産力を次第に発展させていくことになったのであり、このことが、後に資本主義経済を発展させていくための土台となったということができるでしょう。

 第二に、ひとつの国家(一貫して天皇が頂点に存在しました)でありながら、その内部に諸々の小国家どうしが対峙しあうという構造を含んでいたということです。そもそも、日本列島に初めて登場した統一政権たる大和政権は、日本列島各地の諸々の小国家を従属させる形で成立させられたものですし、その後も、いわゆる戦国時代では、日本列島各地の小国家がどうしが熾烈な戦いを繰り広げながら国力を発展させていくという過程をもったのでした。江戸時代末期、西南雄藩による倒幕の過程にも、国家内の小国家の存在が明瞭に現れています。世界歴史が、諸々の国家が対峙しあうという構造を含んでいるのと同じように、日本という国家の歴史も、諸々小国家どうしが対峙しあうという構造を含んでいたのです。

 第三に、より優れた文化への強烈な憧れをもち、それを自分のものにしようと必死に努力する過程をもったことです。その憧れの対象というのは、江戸時代までについていえば、中国にほかなりませんでした。さらに、開国以降についていえば、欧米の先進的な諸国です。憧れの対象は変わっても、それを何とか自分のものにしようという努力の過程をもった、ということ自体は一貫しています。

 日本歴史にこうした世界歴史的構造が含まれていたからこそ、欧米列強の圧力に屈せずに独立を維持できるだけの実力を培うことができたのだということができるのではないでしょうか。

 とはいうものの、欧米列強と幕末の開国時の日本とでは、国力に雲泥の差があったことは否定できません。日本は、他のアジア諸国のように、植民地化されてしまうほどに弱くはありませんでしたが、それでも欧米列強に対抗していくためには相当に無理を重ねる必要があったのです。このあたりの事情について、夏目漱石は、1911年(明治44年)に行った講演のなかで、次のように述べています。

「我々が内発的に展開して十の複雑の程度に開化を漕ぎつけた折も折、図らざる天の一方から急に二十三十の複雑の程度に進んだ開化が現われて俄然として我らに打ってかかったのである。この圧迫によって吾人はやむをえず不自然な発展を余儀なくされるのであるから、今の日本の開化は地道にのそりのそりと歩くのでなくって、やッと気合を懸けてはぴょいぴょいと飛んで行くのである。開化のあらゆる階段を順々に踏んで通る余裕をもたないから、できるだけ大きな針でぼつぼつ縫って過ぎるのである。足の地面に触れる所は十尺を通過するうちにわずか一尺ぐらいなもので、他の九尺は通らないのと一般である」(「現代日本の開花」)


 江戸時代末期までの日本が、内発的な発展の歩みによって、資本主義経済の自立的な発展の土台を形成しつつあったこと、しかし、まさにその段階で、欧米列強による猛烈な圧力に晒されて、先進資本主義国による世界市場形成の動きに強制的に組み込まれてしまったこと――この二面性(二重構造)を捉える必要があります。夏目漱石は、近代日本を一生懸命腹を膨らませて牛と競争をする蛙にたとえましたが(『それから』)、必死に頑張れば欧米列強に何とか対抗できなくもなかったという点に、かえって近代日本の悲劇があったということもできるでしょう。

 経済に即していえば、資本主義的な国内統一市場が完成させられる前に世界市場に強制的に組み込まれてしまったために、個々の産業部門の連関が国内取引ではなく貿易によって完結する構造がつくられてしまったこと、国家権力の主導で少数の近代的大企業が育成された一方、前近代的小企業・家業的零細企業と農業が広範に残存するという、いわゆる「二重構造」がつくられてしまったこと、「富国強兵」「殖産興業」というスローガンの下に急速な工業化を推進したために、労働者の権利がまともに顧みられなくなってしまったことなどを指摘することができます。

 バブル崩壊後の長期不況のなかで、日本企業は、雇用・設備・債務のいわゆる「3つの過剰」の削減を強力に進めるとともに、政府に対して、企業活動を縛る諸々の規制の緩和や、税制や社会保障の改革による企業の公的負担の軽減を強く求めてきました。これらは、大きくみれば、1980年代以降に世界的な潮流となった新自由主義的改革の一部だと見なすことができます。しかし、企業の利益のために国民生活が犠牲にされやすいという構造をもつ日本経済においては、その影響はとりわけ深刻な形で現われてこざるをえないのです。とりわけ、1998年以降は労働者の賃金がほとんど伸びなくなり、GDPの約60%を占める個人消費が低迷を続け、GDPの約15%しかない輸出が景気の動向をもっぱら左右するという構造がつくられてしまいました。

 日本経済の再生を掲げた「アベノミクス」は、このような歪んだ構造を是正しようとするものではありません。従来の経済政策が行き詰まっているなかで、金融緩和や財政出動など、短期的に景気浮揚効果のありそうな政策(大胆な金融緩和による円安で輸出大企業が潤えば、そのおこぼれがやがては広く国民に行き渡るであろう、という「トリクルダウン」の発想にもとづいたもの)を掲げつつ、「成長戦略」の名のもと「世界で一番企業が活躍しやすい国」をスローガンに、より一層の新自由主義的政策を推進しようとするものであり、日本経済の危機をいっそう深めていくものにほかならないというべきでしょう。

 日本経済をまともな再生の道に乗せるために緊急に必要なのは、輸出ばかりに頼るのではなく、内需主導による景気回復を目指すこと、より具体的には、格差と貧困の是正、雇用の質の確保、社会保障制度の充実などを通じて国民生活を安定させ、個人消費の回復につなげていくことです。その上で、資本主義経済の世界的な規模での行き詰まりという現状をも踏まえつつ、長期的な視野に立って、経済の根本問題――無限に増大しようとする社会的欲求を最大限に満たし続けるために社会的総労働をどのように配分していけばよいか、という問題――をどのように解決していくべきなのかを模索していかなければなりません。

 そのための指針となる経済学の体系を構築すること、さらに、その前提となる社会科学の体系を構築することこそ、我々京都弁証法認識論研究会の歴史的使命であることを確認して、本稿を終えることにします。

(了)
posted by kyoto.dialectic at 07:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月08日

日本経済の歴史を概観する(12/13)

(12)これまでの日本経済の歴史の流れを振り返ると

 本稿は、これからの日本経済の進むべき方向を考えていくための前提として、日本経済の構造がどのような歴史的な過程によってつくられてきたのかを問うものであり、無限に増大していく社会的欲求を最大限に満たし続けていくために有限な社会的総労働をどのように配分していけばよいのか、という問題がどのように解決されてきたのか、という観点から、縄文時代から現代までの歴史を概観していこうとするものです。

 本稿で、辿ってきた日本経済の歴史の流れを改めて簡単に示すならば次のようになります。

 農業共同体―→部民制―→律令制―→荘園公領制―→大名領国制―→幕藩制
 ⇒ 資本主義経済の成立と発展

 この流れを念頭に置きながら、本稿でこれまで説いてきた内容を簡単に振り返っておくことにしましょう。

 農耕が開始されたことで、諸集落の複合体たる農業共同体が形成され、多数の人々が1人の指導者の下で協働するようになり、他の共同体と対峙しながら、生活資料および生産手段の計画的な生産・分配を行っていくようになりました。

 小国家(農業共同体連合)どうしの争いのなかから成立してきた大和政権は、支配階級の諸欲求を満たすために、諸々の労働力を「部民」として組織した上で従属させるようになりました。

 さらに、律令制のもとでは、個人を課税の単位とし、労働力再生産の場として口分田を割り当てることで、剰余生産物を納めさせつつ、国家の必要に応じて労働力としても徴発するという構造がつくられました。しかし、こうした重い税負担が農民の労働意欲を削いでしまったことから、中央政府が剰余労働・剰余生産物を独占的に集めて、官人などへ必要に応じて分配するという構造は崩れてゆき、有力者がそれぞれ独自に(私的に)自己の諸需要を満たすための供給基盤をもつようになっていきました。

 こうしたなかで、有力農民たちは、自ら開発した土地の保護を求めて、貴族や寺社に土地を寄進するようになりました。その結果、在地領主が零細農民から剰余生産物を取り立てて中央領主に年貢として納めるという関係が成立し、ひとつの土地に複数の人の権利が重なり合う構造がつくられていきました。

 農業技術の改良によって農業生産力が発展すると、剰余生産物を交換するための市が設けられるようになり、手工業や商業、金融業も著しく発展しました。こうしたなかで、剰余労働を生産の現場により近いところで掌握できた在地領主層(武士)が中央領主層(貴族)を圧倒し、政治的に大きな力をもつようになっていきます。やがて、戦国大名たちが、広い領国を統一的に支配するようになり、他国との熾烈な戦いに勝ち抜けるだけの国力の確保に努めるようになりました。

 全国統一政権としての江戸幕府は、自給自足的な農民経済と領主権力が主導する商品経済という二重構造をつくりました。農民を市場経済から切り離し、農民から収取した年貢米を市場で貨幣に換えた上で、武士たちの諸欲求を満たすための諸商品を購入したのです。しかし、増大する都市住民の諸欲求を満たすために、農民経済と市場経済の相互浸透が進んでいき、「米価安の諸色高」と呼ばれる状況が現出したことで、幕府財政は深刻な危機に陥り、政治的な支配力も減退させていくことになりました。一方で、農村への市場経済の浸透によって、農民の階層分解による賃労働者の萌芽的な登場、工場制手工業の展開もみられました。

 このように、日本経済は、江戸時代後期までの内発的な発展によって、資本主義を成立させる寸前のところまで到達していたといえます。しかし、日本経済の資本主義化は、こうした動きの自然な延長線上で展開していったわけではありません。欧米列強からの圧力に抗して国家の独立を維持しなければならないという強烈な危機意識にもとづいて、国家権力の主導で上からの資本主義化が推進されたのです。

 幕藩体制を解体して新たな統一国家を樹立した維新政府は、財政的な基盤の確立のため秩禄処分と地租改正を行い、「富国強兵」を掲げて殖産興業政策を推進しました。産業の発展を資金面から支えるために、近代的な金融制度の創出も図られました。中央銀行による兌換券の発行を目指す過程では、それまで増発されていた不換紙幣の償却を進めるため過酷なデフレ政策(松方デフレ)がとられ、米価は著しく下落しました。このため、多くの自作農が土地を手放して小作農に転落し、生きていくために自らの労働力を売るしかない賃労働者が大量に創出されることになったのでした。このようにして準備された資本と賃労働力を前提にして、まずは製糸・紡績業を中心に、機械を本格的に導入する産業革命がスタートしました。欧米列強の圧力に抗して国家の独立を維持するという意識から、何よりも重視されていたのは兵器生産をはじめとする重工業の発展でしたが、重工業の発展のためには、まずは欧米諸国から資源や機械を輸入する必要がありました。そのために必要な外貨を稼いだのが、綿糸・綿織物や生糸といった繊維製品の輸出だったわけです。しかし、1930年代に、世界恐慌からの脱出をはかるために欧米列強がブロック経済化を進めると、日本からの輸出は高い関税によって対抗され、大きく減少していくことになりました。中国との戦争をはじめた日本は、石油やゴムなど戦争の遂行に必要な物資の確保をめざして「大東亜共栄圏」を掲げた南進政策をとりますが、これは列強の日本への経済封鎖を強め、やがて太平洋戦争につながりました。政府は、1931年の満州事変以降、戦争遂行のために経済統制を強め、少なくなっていた資源や労働力を軍需産業に集中させていきましたが、軍需品以外の生産が著しく減少し、食糧難も深刻化してしまったために、1945年以降、戦争の継続は不可能となり、ポツダム宣言を受け入れて降伏したのでした。敗戦後の日本では、連合国の占領の下、寄生地主制の解体、財閥の解体、労働組合の結成の奨励など、経済の民主化が進められました。また、均衡予算、所得税中心の税制改革、単一為替レートの設定などで、経済の安定が図られました。1950年、朝鮮戦争が勃発し、アメリカ軍への軍需物資の供給を日本企業が担ったことで、日本経済は急速に回復の軌道に乗り、1955年から1973年ころまで、年平均の経済成長率が10%を超える高度成長となりました。高度成長を牽引したのは、民間企業の活発な設備投資でした。さらに労働者の所得が順調に伸びていったことから設備投資と個人消費の好循環が確立され、「三種の神器」(白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫)や「3C」(自動車、クーラー、カラーテレビ)などの耐久消費財が普及していくことになりました。これら耐久消費財がひととおり国内に普及してからは、輸出の拡大が設備投資を大きく刺激するようになりましたが、1973年の変動相場制への移行による円高の進行は、日本企業の輸出にとって不利な条件となりました。そこに1974年のオイル・ショックが重なって深刻な不況となり、高度成長は終わりを告げたのでした。日本企業は、資源・エネルギーの有効活用などによって急速に輸出競争力を回復したものの、このことが貿易摩擦問題を引き起こし、1985年の先進5カ国蔵相会議(G5)の結果、円高誘導が図られるようになると、日本経済は一挙に不況に落ち込みました。こうしたなか、日本の内需拡大を要求するアメリカからの強い圧力もあって、財政支出の拡大と超低金利政策がとられるようになりましたが、その結果、膨大な資金が溢れて株式・土地などの購入に向かい、地価や株価の異常な値上がりというバブルが生じました。このバブルは1990年代に入って崩壊し、日本経済は長期不況に落ち込むことになったのでした。
posted by kyoto.dialectic at 06:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月07日

日本経済の歴史を概観する(11/13)

(11)高度経済成長とその終焉

 前回は、日本における産業革命の過程、さらに戦時統制経済から戦後改革への流れを簡単に辿ってみました。日本資本主義の確立過程においては、欧米列強の圧力に抗して国家の独立を維持するという意識から、兵器生産をはじめとする重工業の発展が何よりも重視されました。しかし、重工業の発展のためには、まずは欧米諸国から資源や機械を輸入する必要がありました。そのために必要となる外貨を稼いだのは、綿糸・綿織物や生糸といった繊維製品の輸出であり、これらの工業を支えた賃労働力は、農村の零細農家から供給されたのでした。こうした工業の発展は、貿易の二重構造――欧米に対しては、生糸を輸出し重化学工業製品を輸入するという後進国型、アジアに対しては、綿花など工業原料や食料を輸入して工業製品である綿製品を輸出するという先進国型――によって支えられていました。しかし、1930年代に、世界恐慌からの脱出をはかるために欧米列強がブロック経済化を進めると、日本からの輸出は高い関税によって対抗され、減少していくことになりました。中国との戦争をはじめた日本は、石油やゴムなど戦争の遂行に必要な物資の確保をめざして「大東亜共栄圏」を掲げた南進政策をとりますが、これは列強の日本への経済封鎖を強めることになりました。政府は、1931年の満州事変以降、戦争遂行のために経済統制を強め、少なくなっていた資源や労働力を軍需産業に集中させていきましたが、軍需品以外の生産が著しく減少し、食糧難も深刻化してしまったために、1945年以降、戦争の継続は不可能となり、ポツダム宣言を受け入れて降伏したのでした。敗戦直後の日本は、多くの都市が戦災を受け、残った工場も休業状態となって失業者は激増、生活物資の不足から物価が激しく上昇する、といった状態でした。敗戦後の日本では、連合国の占領の下、寄生地主制の解体、財閥の解体、労働組合の結成の奨励など、経済の民主化が進められました。また、均衡予算、所得税中心の税制改革、単一為替レートの設定などで、経済の安定が図られました。しかし、その結果として、国内経済は深刻な不況に見舞われることになったのでした。

 さて、今回は、1950年代半ば以降のいわゆる高度経済成長期から現在までの日本経済の歴史の流れを簡単に辿ってみることにしましょう。

 1950年、朝鮮戦争が勃発し、アメリカ軍への軍需物資の供給を日本企業が担ったことで、日本経済は急速に回復の軌道に乗っていくことになります。さらに1955年から1973年ころまで、年平均の経済成長率が10%を超える高度成長となったのでした。

 高度成長期の日本においては、経済の根本問題――無限に増大しようとする社会的欲求を最大限に満たし続けるために社会的総労働をどのように配分していけばよいか、という問題――は、どのように解決されていたのでしょうか。

 それは端的にいえば、増大していく大衆的な欲求を満たすべく、企業が積極的な設備投資を行うとともに、技術革新の過程を支える労働力を企業内に囲い込んでそれなりに高い賃金を保障することで、企業が生産した商品を労働者に買い取らせる、という構造がつくられることによって、でした。

 もう少し詳しくみていきましょう。

 高度経済成長を牽引したのは、何といっても、アメリカ的なライフスタイル(電化製品や自家用車をもった豊かで便利な生活)への大衆的な憧れであったといえます。

 こうした大衆的な欲求に応えたのが、民間企業の盛んな設備投資でした。これは欧米諸国からの革新的な技術の導入を伴うものでした。欧米諸国との技術水準の差が大きく開いてしまっていたことが、逆に企業を刺激し続けたのです。この設備投資の過程は、大きく2つの面から捉えておく必要があります。第一は、そもそも技術革新は何によって支えられたのかということです。第二は、設備投資の結果として高まった生産(供給)が消費(需要)とどのようにバランスをとったのかということです。この2つの面を媒介したのは、企業による労働者支配の構造にほかなりませんでした。

 まず、技術革新の過程を支えたのは、新しい技術に対応できるだけの実力をもった若い労働力が供給され続けたことでした。日本の大企業は、こうした労働力を企業にしっかりと囲い込むために、年功賃金や終身雇用の制度を形成し、企業内福利の充実を図ったのです。日本においては、健康で文化的な生活への要求は、基本的人権を根拠とする公的な社会保障制度として、すべての国民に対して直接に満たされるというよりも、企業の一員であることを媒介にして企業内の制度によってある程度まで満たされる、という形をとったのです。この結果、労働者の間には、企業の繁栄こそが自分たちの幸福につながるという意識が広範に定着していくことになりました。企業別に組織された労働組合も、労使協調的な傾向を強めていきました。

 このような構造のもとでは、企業の業績さえよければ、国民の所得はどんどん増え、個人消費が伸びていくことになります。このことが活発な設備投資を促すことになったのです。このような設備投資と個人消費の好循環を通じて、「三種の神器」(白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫)や「3C」(自動車、クーラー、カラーテレビ)などの耐久消費財が普及していくことになりました。

 これらの耐久消費財がひととおり国内に普及した高度成長期の後半には、国内の個人消費に加えて、輸出の拡大が設備投資を大きく刺激するようになりました。しかし、1973年の変動相場制への移行による円高の進行は、日本企業の輸出にとって不利な条件となりました。そこに1974年のオイル・ショックが重なったことで日本経済は深刻な不況に陥り、高度成長は終わりを告げることになります。

 日本企業は、資源・エネルギーの有効活用などによって急速に輸出競争力を回復したのですが、先進国のなかで日本だけが突出して輸出競争力を強めてしまったことが貿易摩擦問題を引き起こしました。このため、1985年の先進5カ国蔵相会議(G5)によって円高への誘導がはかられることになり、日本経済はいっきょに不況に落ち込んでしまいました。この不況は2つの重要な結果をもたらすことになります。

 第一は、日本の内需拡大を要求するアメリカからの強い圧力もあって、財政支出の拡大と超低金利政策がとられたことです。この結果、膨大な資金が溢れて株式・土地などの購入に向かい、地価や株価の異常な値上がりというバブルが生じました。このバブルは1990年代に入って崩壊し、このことをきっかけにして、日本経済は長期不況に落ち込むことになります。

 第二は、円高への対応として、日本企業が海外に生産拠点を移す動きが本格化したことです。しかし、日本企業の競争力の源泉は、労働者や下請企業との独特な関係という国内的な要因にありました。海外進出した企業は、こうしたことの全くないところから競争力を築いていくことを迫られたのです。相対的に、日本企業の競争力は低下せざるをえず、このことが不況の克服を遅らせる要因になったといえます。

 バブル崩壊後の長期不況のなかで、企業は、雇用・設備・債務のいわゆる「3つの過剰」の削減を強力に進めるとともに、政府に対して、企業活動を縛る様々な規制の緩和や、税制や社会保障の改革による企業の公的な負担の軽減を強く要求しました。こうした政策を徹底して進めたのが、2001年に登場した小泉政権の「構造改革」でした。

 しかし、公的な社会保障制度よりも企業内の制度によって国民生活が安定させられる度合いが強いという構造のもとで企業が正規雇用を削減することは、個人消費の著しい停滞につながりました。この結果、景気の動向がGDPの15%ほどしかない輸出によってもっぱら左右されてしまうという構造がつくられてしまったのです。このことは、2008年のリーマン・ショック以降の世界経済危機のなかでも、日本経済の落ち込みをとりわけ深刻なものにしました。また、公的な社会保障制度が充分でないもとでの正規雇用の減少は、貧困などの問題を深刻化させています。

 輸出ばかりに頼るのではなく、貧困問題への取り組み・公的な社会保障制度の充実などを通じて国民生活を安定させ、個人消費の回復につなげていくことが、日本経済のこれからの発展にとって、避けて通れない課題となっているといえるでしょう。
posted by kyoto.dialectic at 06:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月06日

日本経済の歴史を概観する(10/13)

(10)戦時統制経済から戦後改革へ

 前回は、江戸時代末期の開国による混乱を経て、日本における資本主義が成立してくる過程について、簡単に辿ってみました。明治新政府は、幕藩体制を解体して新たな統一国家を樹立し、その新政権の財政的基礎を確立するため、次々と近代化政策を打ち出していきました。そのなかで、資本主義経済が成立させられていく上で重要な役割を果たしたのは、秩禄処分・地租改正と殖産興業・通貨信用制度の創設でした。新政府は、士族に支給されていた俸禄について金禄公債証書を与えた上で全廃し、土地の売買を自由化した上で地価を定め、その3%を地租として現金で納めさせるようにしました。また、官営工場を建設し、外国から新しい機械を買い入れ、技術者を招いて、製糸や紡績、造船や兵器生産を進めていきました。こうした産業の発展を資金面から支えるために、近代的な金融制度の創出が図られました。中央銀行による兌換券の発行を目指す過程では、西南戦争の戦費調達のために増発された不換紙幣の償却を進めるため過酷なデフレ政策(松方デフレ)がとられました。米価が著しく下落したにもかかわらず、地租は定額金納だったため、農民の負担は著しく重くなり、多くの自作農が土地を手放して小作農に転落しました。こうして、生きていくために自らの労働力を売るしかない賃労働者が創出されます。このようにして準備された資本と賃労働力を前提にして、まずは製糸・紡績業を中心に、機械を本格的に導入する産業革命がスタートしました。江戸時代末期までに、市場経済が大きく発展し、工場制手工業も広まりつつあったものの、こうした動きの単純な延長線上に日本経済の資本主義化があったわけではありません。こうした経済発展を土台としながらも、欧米列強の圧力に抗して国家の独立を維持しなければならないという強烈な危機意識にもとづいて、国家権力の強力な主導により、上からの資本主義化が推進されたのでした。

 さて、今回は、日本における産業革命の過程、さらに戦時統制経済から戦後改革への流れを簡単に辿ってみることにしましょう。

 そもそも、日本における資本主義経済の形成の過程においては、欧米列強の圧力に抗して国家の独立を維持するという意識から、兵器生産をはじめとする重工業の発展が何よりも重視されることになりました。そのための鉄資源の確保という思惑もあって、日本は朝鮮半島や中国大陸への侵出を狙っていくことになります。しかし、重工業の発展のためには、まずは欧米諸国から資源や機械を輸入する必要がありました。そのために必要となる外貨を稼いだのは、綿糸・綿織物や生糸といった繊維製品の輸出にほかなりませんでした。これらの工業を支えた賃労働力は、農村の零細農家から供給されたのです。

 日本における産業革命(機械制大工業が成立して、資本家が労働者を雇って働かせるという関係が社会全体に広く行きわたる過程)は、松方デフレの後にはじまり、日清戦争、日露戦争を通じて急速に進展しました。民間では、製糸業、紡績業、織物業といった軽工業が大きく発展しました。重工業の中心は、陸海軍工廠を中心とする官営工場で、民間では造船業が発展しました。このほか、鉱山業や運輸通信業も多数の労働者を集めました。日清戦争、日露戦争の結果、満州の鉄・石炭資源が確保されたことは、製鉄・車両・造船・機械などの重工業を大きく発展させました。しかし、日露戦争の後には、過剰投資の反動として恐慌が起き、紡績・製糸・製糖・化学などの業種において、企業の合併・吸収が進んで、特定の大資本による独占の傾向が強まりました。その過程を通じて大銀行による企業支配も強まり、財閥が形成されることになりました。

 このような工業の発展の過程は、貿易の二重構造によって支えられていました。すなわち、欧米に対しては、生糸を輸出し重化学工業製品を輸入するという後進国型、アジアに対しては、綿花など工業原料や食料を輸入して工業製品である綿製品を輸出するという先進国型、という貿易の二重構造です。

 日本経済の資本主義化は、こうした対外関係に大きく規定されながら進むことを余儀なくされました。結果として、日本国内で諸々の産業部門が有機的に結びつきを強めていくということが希薄で、それぞれの産業部門が国内的な連関を欠いたまま外国との貿易関係を通じて発展していく(例えば、綿花を輸入して綿糸を輸出する、など)、という傾向が強かったのです。

 1914年から1918年にかけての第一次世界大戦は、日本の資本主義経済を大きく変化させました。第一次世界大戦は「大戦ブーム」と呼ばれた好況をもたらし、繊維工業のみならず、造船・鉄鋼・電力・電機・化学など、民間における重化学工業を含めて、様々な分野で企業の新設・拡張が相次ぎ、経済規模が急激に膨張しました。しかし、戦争が終わってヨーロッパ諸国の産業が復興すると、日本への注文は減り、不景気となってしまいました。その後も日本経済は、1923年の震災恐慌、1927年の金融恐慌など、恐慌に相次いで見舞われ、本格的に回復しきれないままに、1930年代の世界恐慌の時代に突入していきます。こうした過程のなかで、労働組合運動や社会主義運動も激化していきました。

 イギリスやフランスなどの列強が、世界恐慌からの脱出をはかるためにブロック経済化(国内資源や植民地を有している国が、自国通貨を決済通貨としてグループをつくり、グループ内の関税を軽減して域内通商を確保するとともに、域外からの輸入には高関税をかけて自国産業を保護する)を進めていくと、日本からの輸出は高い関税によって対抗され、減少していくことになりました。日本は、列強のブロック経済圏に日満経済ブロックを形成して対抗しようとします。1931年の満州事変、1934年の「満州国」建国を経て、1937年には中国との戦争がはじまり、次第に拡大していきます。日本は、石油やゴムなど戦争の遂行に必要な物資の確保をめざして「大東亜共栄圏」を掲げた南進政策をとりますが、これは列強の日本への経済封鎖を強めることになりました。1941年12月には、真珠湾(ハワイ)に奇襲攻撃をかけてアメリカに宣戦布告、太平洋戦争となりました。こうしたなかで日本政府は、1931年の満州事変以降、戦争遂行のために経済統制を強め、少なくなっていた資源や労働力を軍需産業に集中させていきました。1944年には、中学生以上の生徒、12歳以上の女子は軍需工場に動員され、サービス部門の労働者も転業を強制されました。要するに、戦時の日本政府は、社会的な諸欲求を抑圧し(「欲しがりません、勝つまでは」)、社会的総労働の配分過程に強力に介入して、それらが軍需産業に集中的に投入されるようにすることで、経済の根本問題――無限に増大しようとする社会的欲求を最大限に満たし続けるために社会的総労働をどのように配分していけばよいか、という問題――の解決を何とかして図ろうとしたわけです。しかしながら、社会的欲求を抑圧して、軍需生産ばかりに社会的総労働を投入するというやり方では、国家の中長期的な維持・発展が可能になるはずがありません。結局、軍需品以外の生産が急激に減退し、とりわけ農村における労働力の不足が深刻になることで、主食である米の収穫量が激減することになってしまいました。こうして、戦争の続行は不可能となり、1945年8月、日本はポツダム宣言を受け入れて降伏したのでした。

 敗戦当時の日本は、多くの都市が戦災を受け、残った工場も休業状態となって失業者は激増、生活物資の不足から物価が激しく上昇する、といった状態でした。

 敗戦後の日本では、アメリカを中心とする連合国の占領の下、経済の民主化と非武装化が進められました。連合国軍総司令部(GHQ)によって、兵器・航空機など軍事に関係する物資の生産が禁止され、重工業にも多くの制限が課されました。とりわけ、日本軍国主義を成立させた背景として、寄生地主制と財閥による産業支配とが取り上げられ、その解体が指令されました。独占禁止法などの制定によって財閥の解体が進められ、農地改革によって寄生地主制が解体されます。さらに、労働組合の結成が奨励されるなどして、経済の民主化が進められました。

 日本経済の復興は、石炭と鉄鋼という2つの基礎的な産業部門に集中的に資金・資財を投入して産業の拡大再生産を図るという傾斜生産方式によって始められました。復興金融公庫を通じた政府資金(復興債の発行)による企業への融資がその過程を支えました。しかし、こうした政策はインフレを加速させてしまいました。GHQは、インフレを収束させ、日本経済を自立化させるために、均衡予算、所得税中心の税制改革、単一為替レートの設定などを要求し、実施させました。その結果、国内経済は深刻な不況に見舞われることになりました。
posted by kyoto.dialectic at 06:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月05日

日本経済の歴史を概観する(9/13)

(9)日本資本主義の成立過程

 本稿は、これからの日本経済の進むべき方向を考えていくための前提として、日本経済の構造がどのような歴史的な過程によってつくられてきたのかを問うものであり、無限に増大していく社会的欲求を最大限に満たし続けていくために有限な社会的総労働をどのように配分していけばよいのか、という問題がどのように解決されてきたのか、という観点から、縄文時代から現代までの歴史を概観していこうとするものです。

 前回までの3回にわたっては、律令体制の動揺のなかから荘園公領制が成立し、さらに荘園公領制のなかから大名領国制という新たな体制が形成されて、江戸幕府による全国支配が確立されていく流れを簡単に辿ってきました。ここで簡単に振り返っておくことにしましょう。

 10世紀以降、個人を課税単位として労役を課すという仕組みは機能しなくなり、土地を課税単位として収穫物の一部を納めさせる仕組みに転換します。有力農民は自ら開墾した土地を中央の貴族や寺社に寄進して荘園とすることで、重い税負担から逃れようとしました。一方、公領もまた上級貴族の事実上の私有地のようなものとなり、荘園・公領のいずれにおいても、在地領主(有力農民層)が零細農民から剰余生産物を取り立てて中央領主(上級貴族)に年貢として納めるという関係が成立しました。有力農民層は、自分の土地を守るために武装して争うようになり、地方での騒乱を抑えるために派遣された中央貴族と結びついて武士団を形成し、やがて武家政権の成立につながります。社会が安定し、鉄製農具や牛馬・肥料の使用が広がると、土地からの収穫物は大きく増え、自立的な経営を行う農民が結合する惣村的な形態も生まれてきました。農民は綿花や麻・桑・茶など新しい作物も栽培するようになり、鍛冶・鋳物師・紺屋など専門の手工業者も多くなりました。土地から遠く離れた中央領主層(貴族)は、こうした変化に対応できず、在地の武士によって土地支配の実権を奪われていきました。武士による一元的な土地支配が強められていく流れのなかから、地域的な市場圏の成立を基礎にて広い領国を統一的に支配する戦国大名が登場してきます。戦国大名は、他国との熾烈な戦いに勝ち抜いていくために、大規模な治水灌漑事業などで生産基盤を強化し国力を確保することに努めました。全国を統一的に支配した江戸幕府は、自給自足的な農民経済の維持(自立的な農民の労働力の再生産)を土台にして最重要生産物としての米を独占的に確保し、米の流通を掌握することで財政基盤を安定させるとともに、農地から切り離されて純粋な消費者となった武士たちの増大する諸欲求を満たすための商品経済を整備しました。しかし、農具の改良などで農業生産力の発展が進む一方、都市人口が増加したことで、都市住民の増大する諸欲求を満たすために野菜・茶などの商品作物の栽培が広がり、綿作や養蚕業なども行われるようになっていきました。こうした市場経済の発展のなかで、年貢米に依存していた幕府や諸藩の財政は危機を深めていきます。幕府は、諸々の改革を試みたものの、米を基礎とする仕組みを根本から変えることができず、年貢を重くするなどの対応に終始しました。しかし、薩長土肥などの西南雄藩は、藩の特産物の専売を強化したり造船などの藩営工場を設立したりして財政の再建に成功し、大きな力をつけていったのでした。

 さて、今回は、江戸時代末期の開国による混乱を経て、日本における資本主義が成立してくる過程について、簡単に辿ってみることにしましょう。資本主義経済とは、端的にいえば、大半の労働生産物が商品となり、市場において貨幣を媒介として交換される経済のことです。ここで決定的に重要なのは、労働力までもが商品化するということです。すなわち、土地や生産手段を奪われ、自分の労働力を商品として売る(誰かに雇ってもらう)しか生きていく術がなくなる労働者階級(無産者、プロレタリアート)が大量に創出されて、物質的な生産活動の中心を担うようになっていったのが資本主義経済なのです。資本主義経済は、産業革命(機械制大工業の成立によって、資本家が労働者を雇って働かせるという関係が社会全体に広く行きわたること)を通じて、揺るぎないものとして確立されます。資本主義経済においては、経済の根本問題――無限に増大しようとする社会的欲求を最大限に満たし続けるために社会的総労働をどのように配分していけばよいか、という問題――は、基本的には市場における商品交換を通じて解決されるようになります。しかしながら、社会的総労働の配分過程は決して市場だけで完結するものではなく、政府による公共事業や社会保障などが不可欠となってくることも忘れてはなりません。

 さて、18世紀後半から19世紀に半ばにかけて、産業革命を成し遂げたヨーロッパ諸国やアメリカは、世界中に植民地的な支配を広げていこうとしていました。こうしたなかで、それまでいわゆる鎖国政策によって、外国との貿易を厳しく統制していた日本も、欧米列強の圧力によって開港を迫られることになります。いわゆる安政の開港(開国)によって外国貿易は急激に発展していきます。それは、先進国へ原料・食料を輸出して工業製品を輸入する後進国型のものでした。外国貿易の急激な発展は、国内の商品流通を大きく混乱させ、物価が著しく高騰してしまうなど、経済の大きな混乱をもたらしました。江戸幕府がこうした事態にまともに対応しきれないなかで、西南雄藩の武士が主導して幕府が倒され、新政府がつくられていくことになります。いわゆる明治維新です。

 それでは、明治新政府は、経済の根本問題――無限に増大しようとする社会的欲求を最大限に満たし続けるために社会的総労働をどのように配分していけばよいか、という問題――を、どのように解決しようとしたのでしょうか。

 それは端的には、欧米列強の圧力に抗して国家の独立を維持しなければならないという強烈な危機意識にもとづき、「富国強兵」というスローガンを掲げて、国家権力の強力な主導によって、上からの資本主義化を推進することによって、でした。

 明治新政府は、幕藩体制を解体して新たな統一国家を樹立し、その新政権の財政的基礎を確立するため、次々と近代化政策を打ち出していきました。そのなかで、資本主義経済が成立させられていく上で重要な役割を果たしたのは、秩禄処分・地租改正と殖産興業・通貨信用制度の創設です。

 秩禄処分というのは、士族に支給されていた俸禄が新政府の財政を大きく圧迫していたために、士族に金禄公債証書を与えることと引き換えに俸禄を全廃したものです。これによって、多くの士族は経済的に大きな打撃を受けて、没落していくことになりました。

 地租改正というのは、土地の売買を自由化した上で地価を定め、その3%を地租として現金で納めさせるようにしたものです。地価の算定式は、地租の額が江戸時代の年貢とほぼ同じになるように、巧妙に定められたもので、農民の負担軽減にはつながりませんでした。しかし、現物納ではなく金納となったことで、農民は商品生産者としての性格を否応なしにもたされることになり、農民の階層分解が加速していくことになりました。

 秩禄処分と地租改正で財政基盤の確立を図った新政府は、「富国強兵」を掲げて官営工場を建設し、外国から新しい機械を買い入れ技術者を招いて、兵器生産や造船業、製糸業や紡績業の確立を進めていきました。欧米列強に対抗しつつ国家の独立を守るために軍事力を強化するとともに、輸入を抑制して輸出を促進するために民間産業の保護育成を図ったわけです。官営工場は、政府の財政負担を軽減する目的もあって、やがて政商と呼ばれる民間の有力商人に払い下げられました。政商は不況で没落した小企業を吸収して大きく成長し、やがて財閥と呼ばれるまでに成長していきます。

 こうした産業の発展を資金面から支えるために、近代的な金融制度の創出が図られました。華族(旧大名)が秩禄処分で得た巨額の公債を資本金とする発券銀行も設立されました。中央銀行(日本銀行)による兌換券の発行を目指す過程では、西南戦争の戦費調達のために増発された不換紙幣の償却を進めていくために、大蔵卿となった松方正義の下で、過酷なデフレ政策がとられることになります。いわゆる松方デフレです。この過程では、米価が著しく下落したにもかかわらず、地租は定額金納であったために、農民の負担は著しく重くなり、多くの自作農が土地を手放して急速に小作農に転落していくことになりました。こうして、土地を失った農民や、貧しい農村の次男や三男、女子が、生きていくために自らの労働力を売るしかない賃労働者となっていったのです。一方で、自らは耕作せず、買い集めた土地を小作人に貸して小作料に頼って生活する寄生地主が増えていくことにもなりました。

 このようにして準備された資本と賃労働力を前提にして、まずは製糸・紡績業を中心に、機械を本格的に導入する産業革命がスタートすることになっていきました。ここで重要なのは、江戸時代末期までに、市場経済が大きく発展し、工場制手工業も広まりつつあったものの、こうした動きの単純な延長線上に日本経済の資本主義化があったわけではない、ということです。こうした経済発展を土台としながらも、欧米列強の圧力に抗して国家の独立を維持しなければならないという強烈な危機意識にもとづいて、国家権力の強力な主導により、上からの資本主義化(秩禄処分や地租改正による財政基盤の確立、「富国強兵」を掲げた殖産興業政策、松方デフレによる通貨信用制度の創設と賃労働者の創出)が推進されたのです。
posted by kyoto.dialectic at 06:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

<講義一覧>

 ・2010年5月例会の報告
 ・2010年6月例会の報告
 ・日本酒を楽しめる店の条件
 ・交響曲の歴史を社会的認識から問う
 ・初心者に説く日本酒を見る視点
 ・『寄席芸人伝』に見る教育論
 ・初学者に説く経済学の歴史の物語
 ・奥村宏『経済学は死んだのか』から考える経済学再生への道
 ・『秘密諜報員ベートーヴェン』から何を学ぶか
 ・時代を拓いた教師を評価する(1)――有田和正氏のユーモア教育の分析
 ・2010年7月例会報告
 ・弁証法から説く消費税増税不可避論の誤り
 ・佐村河内守『交響曲第一番』
 ・観念的二重化への道
 ・このブログの目的とは――毎日更新50日目を迎えて
 ・山登りの効用
 ・21世紀に誕生した真に交響曲の名に値する大交響曲――佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」全曲初演
 ・2010年8月例会報告
 ・各種の日本酒を体系的に説く
 ・「菅・小沢対決」の歴史的な意義を問う
 ・『もしドラ』をいかに読むべきか
 ・現代日本における「国家戦略」の不在を問う
 ・『寄席芸人伝』に学ぶ教師の実力養成の視点
 ・弁証法の学び方の具体を説く
 ・日本歴史の流れにおける荘園の存在意義を問う
 ・わかるとはどういうことか
 ・奥村宏『徹底検証 日本の財界』を手がかりに問う「財界とは何か」
 ・「小沢失脚」謀略を問う
 ・2010年11月例会報告
 ・男前はなぜ得か
 ・平安貴族の政権担当者としての実力を問う
 ・教育学構築につながる教育実践とは
 ・2010年12月例会報告
 ・「法人税5%減税」方針決定の過程的構造を解く
 ・ベートーヴェン「第九」の歴史的位置を問う
 ・年頭言:主体性確立のために「弁証法・認識論」の学びを
 ・法人税減税の必要性を問う
 ・2011年1月例会報告
 ・武士はどのように成立したか
 ・われわれはどのように論文を書いているか
 ・三浦つとむ生誕100年に寄せて
 ・2011年2月例会報告:南郷継正『武道哲学講義U』読書会
 ・TPPは日本に何をもたらすのか
 ・東日本大震災から国家における経済のあり方を問う
 ・『弁証法はどういう科学か』誤植の訂正について
 ・2011年3月例会報告:南郷継正『武道哲学講義V』読書会
 ・新人教師に説く「子ども同士のトラブルにどう対応するか」
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』誤植一覧
 ・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・新大学生に説く「文献・何をいかに読むべきか」
 ・2011年4月例会報告:南郷継正『武道哲学講義W』読書会
 ・三浦つとむ弁証法の歴史的意義を問う
 ・新人教師に説く学級経営の意義と方法
 ・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・横須賀壽子さんにお会いして
 ・続・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・学びにおける目的意識の重要性
 ・ブログ毎日更新1周年を迎えてその意義を問う
 ・2011年5・6月例会報告:南郷継正「武道哲学講義〔X〕」読書会
 ・心理療法における外在化の意義を問う
 ・佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」CD発売
 ・新人教師としての一年間を実践記録で振り返る
 ・2011年7月例会報告:近藤成美「マルクス『国家論』の原点を問う」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む
 ・2011年8月例会報告:加納哲邦「学的国家論への序章」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論1三浦つとむの哲学不要論をめぐって
 ・一会員による『学城』第8号の感想
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論2 マルクス『経済学批判』「序言」をめぐって
 ・2011年9月例会報告:加藤幸信論文・村田洋一論文読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論3 マルクス「唯物論的歴史観」なるものの評価について
 ・三浦つとむさん宅を訪問して
 ・TPP―-オバマ大統領の歓心を買うために交渉参加するのか
 ・続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2011年10月例会報告:滋賀地酒の祭典参加
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論4不破哲三氏のエンゲルス批判について
 ・2011年11月例会報告:悠季真理「古代ギリシャの学問とは何か」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論5ケインズ経済学の歴史的意義について
 ・一会員による『綜合看護』2011年4号の感想
 ・『美味しんぼ』から何を学ぶべきか
 ・2011年12月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学、その学び方への招待」読書会
 ・年頭言:「大和魂」創出を志して、2012年に何をなすべきか
 ・消費税はどういう税金か
 ・心理療法におけるリフレーミングとは何か
 ・2012年1月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学,その学び方への招待」読書会
 ・バッハ「マタイ受難曲」の構造を解く
 ・2012年2月例会報告:科学史の全体像について
 ・『弁証法はどういう科学か』の要約をどのように行っているか
 ・一会員による『綜合看護』2012年1号の感想
 ・橋下教育基本条例案を問う
 ・吉本隆明さん逝去に寄せて
 ・2012年3月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第1章〜第4章
 ・科学者列伝:古代ギリシャ編
 ・2年目教師としての一年間を実践記録で振り返る
 ・2012年4月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第5章〜第6章
 ・科学者列伝:ヘレニズム・ローマ・イスラム編
 ・簡約版・消費税はどういう税金か
 ・一会員による『新・頭脳の科学(上巻)』の感想
 ・新人教師のもつ若さの意義を説く
 ・2012年5月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第7章
 ・科学者列伝:西欧中世編
 ・アダム・スミス『道徳感情論』を読む
 ・2012年6月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第8章
 ・科学者列伝:近代科学の開始編
 ・ブログ更新2周年にあたって
 ・古代ギリシアにおける学問の誕生を問う
 ・一会員による『綜合看護』2012年2号の感想
 ・クセノフォン『オイコノミコス』を読む
 ・2012年7月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第9章
 ・科学者列伝:17世紀の科学編
 ・一会員による『新・頭脳の科学(下巻)』の感想
 ・消費税増税実施の是非を問う
 ・原田メソッドの教育学的意味を問う
 ・2012年8月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第10章
 ・科学者列伝:18世紀の科学編
 ・一会員による『綜合看護』2012年3号の感想
 ・経済学を誕生させた経済の発展とはどういうものだったのか
 ・2012年9月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・人類の歴史における論理的認識の創出・使用の過程を問う
 ・長縄跳びの取り組み
 ・国家の生成発展の過程を問う――滝村隆一『マルクス主義国家論』から学ぶ
 ・三浦つとむの言語過程説から言語の本質を問う
 ・2012年10月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・科学者列伝:19世紀の自然科学編
 ・古代から17世紀までの科学の歴史――シュテーリヒ『西洋科学史』要約で概観する
 ・2012年11月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章前半
 ・2012年12月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章後半
 ・科学者列伝:19世紀の精神科学編
 ・年頭言:混迷の時代が求める学問の確立をめざして
 ・科学はどのように発展してきたのか
 ・一会員による『学城』第9号の感想
 ・一会員による『綜合看護』2012年4号の感想
 ・2013年1月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』を読む前提としての世界歴史の全体像
 ・歴史観の歴史を問う
 ・2013年2月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』をどのように読んでいくべきか
 ・『三浦つとむ意志論集』を読む
 ・言語学の構築に向けてどのように研究を進めるのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年1号の感想
 ・改訂版・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・2013年3月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(前半)を読む
 ・3年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・2013年4月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(後半)を読む
 ・新自由主義における「自由」を問う
 ・2013年5月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第一部 東洋の世界(前半)を読む
 ・三浦つとむ「マルクス・レーニン主義に関する本質的な質問」から学ぶ
 ・言語は歴史的にどのように創出されたのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年2号の感想
 ・ヒュームの提起した問題にカント、スミスはどのように答えたか
 ・2013年6月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』東洋の世界(後半)を読む
 ・一会員による2013年上半期の振り返り
 ・認知療法における問いの意義を問う
 ・カント歴史哲学へのアダム・スミスの影響を考える
 ・2013年7月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』ギリシアの世界を読む
 ・2013年8月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第三部 ローマの世界を読む
 ・アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年3号の感想
 ・初任者に説く学級経営の基本
 ・カウンセリング上達過程における事例検討の意義
 ・文法家列伝:古代ギリシャ編
 ・ヒューム『政治論集』抄訳
 ・2013年9月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第四部 ゲルマンの世界を読む
 ・言語過程説から言語学史を問う
 ・2013年10月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』「第4部 ゲルマンの世界」第2篇を読む
 ・戦後日本の学力論の流れを概観する
 ・一会員による『育児の生理学』の感想
 ・文法家列伝:古代ローマ・中世編
 ・2013年11月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第4部 ゲルマンの世界 第3篇を読む
 ・古代ギリシャ経済の歴史を概観する
 ・2013年12月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』のまとめ
 ・ヘルバルト教育学の全体像を概観する
 ・年頭言:歴史を切り拓く学問の創出を目指して
 ・歴史的な岐路に立つ世界と日本を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年4号の感想
 ・一会員による2013年の振り返りと2014年の展望
 ・ヘーゲル『歴史哲学』を読む
 ・2014年1月例会報告:学問(哲学)の歴史の全体像について
 ・一会員による『学城』第10号の感想
 ・世界歴史の流れを概観する
 ・現代の言語道具説批判――言語規範とは何か
 ・2014年2月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章
 ・ヘルバルト『一般教育学』を読む
 ・新大学生へ説く「大学で何をどのように学んでいくべきか」
 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』学習会を振り返る
 ・『育児の認識学』は三浦認識論をいかに発展させたか――一会員による『育児の認識学』の感想
 ・2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章
 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
 ・文法家列伝:『ポール・ロワイヤル文法』編
 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
 ・道徳教育の観点から見る古代ギリシャの教育と教育思想
 ・古代ギリシャの経済思想を問う
 ・半年間の育児を振り返る
 ・2014年6月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章
 ・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
 ・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
 ・アダム・スミス「天文学史」を読む
 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
 ・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
 ・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
 ・夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想