2017年02月27日

2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文(5/10)

(5)カント『純粋理性批判』第2版序文 要約B

 前回は、『純粋理性批判』の第2版序文の中間部分の要約を紹介しました。そこでは、形而上学においても、数学や物理学における考え方の革新にならって、我々の認識が対象によって規定されるのではなく、対象が我々の認識に従って規定されなければならないのだ、と想定してみることでこそ、形而上学は学としての確実な道を約束されるのだ、という主張がなされていました。カントによれば、これは、理性は経験が可能である限界をどうしても超えられない(認識できるのは現象だけで物自体は認識できない)ことを明らかにすることにほかなりませんでした。もし理性がこの限界を超えることができるとすると、絶対的なものについて矛盾なしに考えることはできなくなってしまう、ということでした。

 さて、今回は、第2版序文の最後の部分を要約したものを紹介することにしましょう。ここでカントは、思弁的理性が経験の限界を超えないようにする、という本書の効用は、消極的なように見えて、実は、理性の実践的(道徳的)な使用の障害になるものを取り除くという積極的な効用にほかならないのだ、と主張しています。

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 形而上学の従来の方法を変革しようという試みこそ、しかも幾何学者および自然科学者を模範として形而上学の全面的な革新を企てることによってこうした変革を成し遂げようとする試みこそ、この思弁的純粋理性批判の本旨なのである。純粋理性批判は、方法に関する論究の書であって、純粋理性の学の体系そのものではない。とはいうものの、この批判はこうした学の外的限界と内的構造全体を顧みつつ、この学の概略図を描こうとする。思弁的純粋理性批判の特性は、第一に、思惟の対象を選択する仕方の相違にしたがって自分自身の能力を徹底的に検討し、第二に、自分自身に課題を与える様々な仕方を漏れなく枚挙し、こうして将来建設されるべき形而上学に対する全平面図を描くことができるし、また描かなければならないからである。第一の件についていえば、ア・プリオリな認識においては、思惟する主観が自分自身のうちから取り出したものでない限り、これを客観〔対象〕に付け加えることができないからである。第二の件についていえば、純粋理性は認識原理に関する完全に独立した、それ自体だけで存在するひとつの統一体だからである。つまり、この統一体においては各々の構成要素は、あたかもひとつの有機体におけるように、他の一切の構成要素のために存在し、全体はまた各個のために存在する。どんな原理でも、ひとつの関係のなかに確実に取り入れられるためには、同時に純粋な理性使用全体に対する全般的な関係において吟味されなければならないのである。

 しかしその代わりに、形而上学は、もっぱら対象の研究を事とする他の理性的な学(思惟一般の形式だけを論究する論理学は別として)には、とうてい与えられないような稀有な幸福に恵まれている。それは、もし形而上学がこの批判によってひとつの学として確実な道を歩むようになったあかつきには、この学は自分に必要な認識の全領域をあますところなく包括して自身の事業を完結し、これを将来も増資を必要としない資本として後代の用に供することができる、ということである。この形而上学の旨とするところは、原理と原理の使用に加えられる制限に関する論究に限られているからである。

 本書を読了した人は、思弁的理性をもって経験の限界を超えることをあえてしないというのが本書の効用だとすれば、それは全く消極的な効用にすぎないではないか、と考えるかもしれない。しかし、思弁的理性が自分の限界を超えようとする場合に用いる原理は、我々の理性使用を拡張するように見えて、実は我々の理性使用を狭めるという結果をもたらさずにはおかない。こうした原則は、もともと感性に属するものであるにもかかわらず、実際には感性の限界をどこまでも拡張して、純粋な(実践的)理性使用すらも駆逐しかねないからである。このことを知るならば、消極的効用はたちまち積極的効用に転化する。つまり、我々の批判は、思弁的理性に制限を加えるという点では消極的であるが、理性の実践的使用を制限したり滅却したりしかねないようなものを取り除くものだという点で、積極的な効用を有するのである。

 こうして我々は、純粋理性の絶対に必然的な実践的(道徳的)使用というものがあり、この使用によって純粋理性は必然的に感性の限界を超えて自らを拡張する、ということを確信するに至る。純粋理性は、思弁的理性の影響によって自己矛盾に陥らないよう、安全を保障されていなければならない。批判のこうした任務に存する積極的効用を否定するのは、警察の主要任務が、暴力行為の取締によって国民一人ひとりが各自の業を平静に営めるようにすることであるから、警察は積極的な効力を発揮するものではない、というのと同じである。

 この批判の分析的部門で証明されるのは、空間と時間とは感性的直観の形式にすぎず、現象としての物の存在を成立させる条件にほかならない、また、我々の悟性概念に対応する直観が与えられなければ我々はいかなる悟性概念ももちえず、物を認識するのに必要な要素をひとつももたない、ということである。つまり、我々が認識しうるのは物自体としての現象ではなく感性的直観の対象としての物、換言すれば現象としての物だけである。ここから、およそ理性の可能的な思弁的認識は、全て経験の対象のみに限られるという結論が当然に生じる。

しかし、我々はこの同じ対象を、たとえ物自体として認識することはできなくても、物自体として考えることができねばならない、という考えは依然として留保される。さもなければ、現象として現われる当のものが存在しないのに、現象が存在するという不合理なことになってしまう。経験の対象としての物と、物自体としての物との区別が全く設けられなければ、原因性の原則〔因果律〕と、原因性によって規定されている自然機構とは、作用原因としての一切のもの一般にそのまま通用しなければならなくなるだろう。我々の批判は、客観を二通りの意味に解することを教える。第一には、現象としての客観であり、第二には物自体としての客観である。

 道徳哲学は、自由を我々の意志の性質として必然的に前提している。ところが、思弁的理性が、自由は全く考えられない、という証明をしたとすれば、上記の道徳的前提は、思弁的理性に屈服せざるを得なくなる。自由および道徳は自然機構に席を譲らなければならなくなる。それだから、道徳哲学に必要とされるのは、自由が自己矛盾をふくまないこと、したがってまた自由は少なくとも考えられはするものの、それ以上の理解を必要とするものではないということ、また自由は、同一の行為の自然機構をいささかも妨げるものではない、ということである。そうすれば、道徳に関する学と自然に関する学とは、各々その地歩を確保して互いに相侵すことがない。純粋理性の批判的原則から生じる積極的効用については、神や我々の心の単純性という概念に対しても、全く同様の説明がなされる。要するに、思弁的理性から、経験を超越して認識すると称する越権を奪い去らぬ限り、私は神、自由および不死〔霊魂の〕を、私の理性に必然的な実践的理性使用のために想定することすらできないのである。私は、信仰を容れる場所を確保するために知識を除かなければならなかった。

 理性による純粋認識が学として取り扱われる場合、理性はこの純粋認識を独断的に処理するが、批判が反対するのは理性のこうした独断的処理(およそ学は、ア・プリオリに確立された原理にもとづいて厳密な証明を行わなければならないから、独断的にならざるをえない)ではなく、独断論である。独断論は、原理にしたがう概念的な純粋認識だけをもって成功を収めようとする僭越な主張である。しかも、この場合に独断論は、理性がどんな仕方でまたいかなる権利をもってこの純粋認識に達したかは不問にするのである。つまり、独断論は、理性自身の能力を前もって批判せず、純粋理性によって行われる独断的処理にほかならない。批判による反対は、形而上学全体を簡単に片づけてしまう懐疑論を弁護するものではない。むしろ批判は、学としての根本的な形而上学の成立を促進するのに必要な準備をするのである。この形而上学は、あくまでア・プリオリに、したがってまた思弁的理性を十分に満足させるように、その仕事を遂行することを約している。
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2017年02月26日

2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文(4/10)

(4)カント『純粋理性批判』第2版序文 要約A

 前回は、『純粋理性批判』の第2版序文の最初の部分の要約を紹介しました。そこではまず、形而上学においては対象のア・プリオリな(経験に由来しない)規定が求められることが確認された上で、数学と物理学においては、対象について経験したことから対象の性質を学び取るのではなく、理性が自己の概念に合致するように対象のなかに考え入れたものに従って対象の性質や法則性を求めなければならない、という考え方の革新によって、学としての確実な道を歩んでいくことが可能となったことが説かれていました。

 さて、今回は、第2版序文の中間部分の要約を紹介します。ここでカントは、形而上学においても、数学や物理学における考え方の革新にならって、我々の認識が対象によって規定されるのではなく、対象が我々の認識に従って規定されなければならないのだ、と想定してみると、形而上学の諸々の課題がうまく解決されるのではないか、という提起を行っています。

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 形而上学において、学としての確実な道がこれまで見出されなかった理由は一体どこにあるのだろうか。

 私は、次のようなことをしてみてはどうかと思う。それは、数学と自然科学に大きな利益を与えたところの考え方の変革に存する本質的な点を詳細に考え、また形而上学が数学および自然科学と同じく理性認識であるという事情にかんがみて、これら2つの学と形而上学との類比が許す限り、形而上学において少なくとも試みに数学および自然科学を模倣してみてはどうか、ということである。

 我々はこれまで、我々の認識は全て対象に従って規定されなければならないと考えていた。しかし、我々がこのような対象に関して、何事かをア・プリオリに概念によって規定し、こうして我々の認識を拡張しようとする試みは、こうした前提の下では全て潰え去ったのである。そこで今度は、対象が我々の認識に従って規定されなければならないというふうに想定したら、形而上学のいろいろな課題がもっとうまく解決されはしないかどうかを、ひとつ試してみてはどうだろうか。コペルニクスは、全ての天体が観察者の周囲を運行するというふうに想定すると、天体の運動の説明なかなかうまく運ばなかったので、今度は天体を静止させ、その周囲を観察者に回らせたらもっとうまくいきはしないかと思って、そのことを試みたのである。形而上学においても、対象の直観に関して、これと同じような仕方を試みることができる。もし直観が、対象の性質に従って規定されなければならないとすると、私はこの性質についてどうしてア・プリオリに、何事かを知り得るのか分からなくなる。これに反して(感覚能力の対象としての)対象が、われわれの直観能力の性質に従って規定されるというのなら、私には直ちにこのことが可能であることがよく分かるのである。

 しかし、こうした直観が認識になるのだと、私は直観にとどまっているわけにはいかない。そこで私は表象としてのこれらの直観を、対象としての何かあるものに関係させ、対象をこうした表象によって規定しなければならない。そうすると私は、対象の規定に関して2通りの仕方だけを想定することができる。第一は、私が対象を規定するのに用いる概念は、やはり対象に従っている、というふうに想定することである。しかしそうなると私は、この対象に関して何事かをア・プリオリに知る仕方について、前と同じような困惑に陥ってしまう。そこで第二に、対象あるいは経験――といっても、対象(与えられた対象としての)は経験においてのみ認識されるのだから結局は同じことになるが、要するに対象あるいは経験が、これらの概念に従って規定されるというふうに想定すれば、私は問題をもっと楽に解決する方法がここにあることをただちに知るのである。つまり、経験そのものが認識のひとつの仕方であり、この認識の仕方は悟性を要求するが、悟性の規則は、対象がまだ私に与えられない前に、私が自分自身のうちにこれをア・プリオリに前提していなければならない。そして、こうした悟性規則は、ア・プリオリな悟性概念によって表現されるものであるから、経験の一切の対象は、必然的にこうした悟性概念〔カテゴリー〕に従って規定され、またこれらの概念と一致しなければならない、ということである。対象のなかには、理性だけによって必然的に考えられはするが、しかし(少なくとも理性が、自分なりにこうした対象を考えるようには)経験には全く与えられないようなものがある。こういう対象についていうと、これを考えようとする(こうした対象にしろ、とにかく考えられはするのだから)試みは、我々が一変した考え方、つまり、我々が物をア・プリオリに認識するのは、我々がこれらの物のなかへ自分で入れるところのものだけである、という新しい方法による考え方と見なすところのものの是非を吟味する試金石であることが、もっと先へ行ってから分かると思う。

 この試みは、希望通りの成功を収めて、形而上学の第一部門に、ひとつの学としての確実な道を約束した。形而上学は、この第一部門〔先験的感性論〕でア・プリオリな概念を論究するが、これらの概念に対応しかつ適合する対象は、経験に与えうるのである。上記の考え方の転換によって、ア・プリオリな認識が可能であることを非常に具合よく説明することができるし、経験の対象の総括たる自然の根底にア・プリオリに存在する法則に十分な証明を与えることができるからである。これらのことは、これまでの方法では全く不可能であった。ところが、形而上学のこの第一部門では、ア・プリオリな認識能力のこうした演繹から、形而上学の全目的にとって、すこぶる不利であるような、奇異な結果が生じる。それは、ア・プリオリな認識能力によっては、可能的経験の限界をどうしても超えられない、ということである。ところが、可能的経験の限界を越えることこそ、形而上学の最も本質的な関心事なのであり、形而上学の全目的を論究することこそ、第二部門〔先験的論理学〕の主旨なのである。ア・プリオリな理性的認識は現象だけに関係するもので、物自体は実在するかもしれないが我々には認識できないものとして度外視するというのが、第一部門の結論であった。こうした結論の真実性を吟味する実験が、この第二部門に含まれている。経験と一切の現象との限界を超えることを我々に強いるのは、無条件的なもの〔絶対的なもの〕である。理性は物自体を設定して強制的に、しかも全く当然のこととして、一切の条件付きのものに対して無条件的なものを要求し、またこうして条件の系列の完結を要求する。しかし我々が、我々の経験的認識は物自体としての対象に従って規定されると想定する限り、無条件的なものは矛盾なしには全く考えられないのである。これに反して、物〔対象としての〕が我々に与えられる前に、我々はこうした物を表象し、またこの表象が物自体としての物に従うのではなくて、かえって対象が現象として我々の表象の仕方に従うというように想定するならば、この矛盾は解消する。しかし、その場合にも、我々に無条件的なものという先験的理性概念を規定させ、また、このような仕方で、形而上学の希望するままに一切の可能的経験の限界を超えて、我々の認識――といっても、実践的〔道徳的〕な意味においてのみ可能なア・プリオリな認識をもってこうした先験的理性概念に達するような事実が、理性の実践的認識に存在しないかどうかを検討する、という課題が残されている。思弁的理性は、こういうやり方でこうした実践的拡張を可能とするために、少なくとも場所を確保した。もちろん、思弁的理性としても、この場所を開けておかざるをえなかったのである。我々が、この場所を理性の実践的事実によって満たすことは、今でも我々の自由に任されている。いや、それどころか、そうすることが理性によって我々に要求されているのである。
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2017年02月25日

2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文(3/10)

(3)カント『純粋理性批判』第2版序文 要約@

 前回は、『純粋理性批判』の第1版序文を要約したものを紹介しました。そこでカントは、形而上学の歴史を、独断論者どうしの闘争、また懐疑論者による攻撃に晒されてきた過程として描いた上で、形而上学に真面目な関心がもたれなくなってしまった現状を、理性能力一般の批判(吟味)によって打破しようとするのが、この『純粋理性批判』の意図するところである、と強調していたのでした。

 さて、今回から3回にわたっては、1787年に書かれた第2版序文の最初の部分の要約を紹介していくことにしましょう。ここでカントは、形而上学においては対象のア・プリオリな(経験に由来しない)規定が求められること、数学と物理学においてはある考え方の革新によって学としての確実な道を歩んでいくことが可能となったことを説いています。

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第2版序文(1787年)

 理性の営みのひとつである認識を改善する作業が学として確実な道を歩んでいるかどうかは、その成果を見ればすぐに判定できる。

 論理学がこうした確実な道をずっと古い時代から歩んできたことは、この学がアリストテレス以来、いささかも後退する必要がなかったことからして明白である。論理学についてさらに注目すべきなのは、この学が今日に至るまでいささかも進歩を遂げず、どこから見てもすでに自己完結しているように見えるという事実である。近代になって、様々な認識能力(想像力や理解力など)を取り扱った心理学的な章、あるいは認識の起源なり対象の相違によってそれぞれ異なる確実性の種類の起源を論じる形而上学的な章などを論理学書のなかに挿入して、この学を拡張しようと試みる人たちもいたが、諸学の境界をいたずらに入り組ませるのは、学問の拡大ではなく、それをいびつにすることである。論理学の限界は、一切の思惟(思惟がア・プリオリなものであろうと経験的なものであろうと、またどのような起源や対象をもつものであろうと問題ではなく、あるいはまた我々の心のうちで思惟の出会う障害が偶然的なものであるか自然的なものであるかも問題ではなく)の形式的規則を漏れなく説明し、また厳密に証明するという根拠によって厳密に規定されている。

 論理学は、認識の一切の対象とその差別を度外視する権限をもっている。というよりも、そうする義務を課せられている。それゆえに、論理学において悟性が問題にするのは、悟性自身と悟性の形式だけである。しかし理性となると、理性自身ばかりでなく、その対象をも究明しなければならないので、学としての確実な道を歩むのは、当然とはいえ、理性にとってはるかに困難であるに違いなかった。このようなわけで論理学はまた予備学として、いわば諸学の玄関をなすものである。また知識が問題となる場合には、与えられた知識を判定するためにも、論理学が前提される。しかし新たに知識を獲得するとなると、これは本来の意味で、また客観的に学とよばれるべき学に求められねばならないのである。

 しかし、こうした学は、当然に理性を含んでいるわけであるから、これらの学においては、ア・プリオリに認識されるものがなければならない。理性認識は、対象とその概念を規定するだけであるか、対象を実現するか、2通りの方法で対象と関係することができる。第一は、理性による理論的認識であり、第二は、理性による実践的認識である。いずれについても、その純粋な部分(ア・プリオリな部分)だけが前もって論究されなければならない。これ以外の源泉から生じたものを、純粋な部分と混同してはならない。

 数学と物理学とは、それぞれの対象をア・プリオリに規定しなければならない2つの理論的認識である。数学は全体として純粋であり、また物理学は少なくとも部分的に純粋である。

 数学は、人間理性の歴史が遡りうる最古の時代から、ギリシャ人という驚嘆すべき民族のなかで、1個の学としての確実な道を歩んできた。論理学が学の王道を容易く見出したのに対して、数学には長い模索の時期があったが、それが急転して1個の堅実な学になったのは、ひとつの革新を経たお陰である。この革新は、ある人物が素晴らしい着想を得たことによって生じた。要するに、二等辺三角形を初めて論証した人の心に一筋の光が閃いたのである。彼は、この図形において現に見ているところのものから図形の様々な性質を学び取るのではなく、概念に従って自分でア・プリオリに件の図形のなかへいわば考え入れ、また(構成によって〔概念に対応する直観をア・プリオリに現示することによって〕)現示したところのものによって、この概念に対応するところの対象を産出しなければならないということ、また彼が何ごとかを確実にかつア・プリオリ知ろうとするならば、彼は自分の概念に従って自ら対象のなかへ入れたところのものから必然的に生じる以外のものを、この対象に付け加えてはならない、ということを知ったからである。

 次に自然科学についていえば、この学が坦々たる学問の大道を発見するまで、その進歩は数学に比してはるかに遅々たるものであった。

 自然科学者たちの心に一条の光が閃いたのは、ガリレイが一定の重さの球を斜面下で落下させたとき、またトリチェリがある水柱の重さを前もって測定しておきこの重さに相当すると思われる重さを空気で支えてみたとき、さらに下ってはシュタールが金属と焼灰とからそれぞれあるものを除いたりあるいはこれにあるものを加えたりして金属を焼灰に変化させまた逆にその焼灰を金属に変化させたときであった。こうして自然科学者たちは、理性は一定不変の法則に従う理性判断の諸原理を携えて先導し、自然を強要して自分の問いに答えさせなければならないのであって、いたずらに自然に引きまわされて、あたかも幼児が手引き紐でよちよち歩きするような真似をしてはならない、ということを知ったのである。さもなければ、あらかじめ立てられた計画に従わない偶然的な観察が生じることになるし、またこうした観察はいくら寄せ集めたところで、理性が求めかつ必要としているような必然的な法則にはならないからである。互いに一致する多くの現象が法則と見なされているのは、理性の原則に従ってのみ可能である。実験は、理性がこうした原理に従って案出されたものである。理性はこのような原理を片方の手にもち、またこのような実験をもう片方の手にもって、自然を相手にしなければならない。それはもちろん自然から教えられるためであるが、しかしその場合に理性は、生徒の資格ではなくて本式の裁判官の資格を帯びるのである。生徒なら、教師の思うままのことを何でも聞かなければならないが、裁判官となれば、自分の提出する質問に対して証人に答弁を強要することになる。このように物理学も、その考え方の革新によって利するところが大いにあった。そしてこの学にしても、考え方のこうした革新を、例の斬新な着想に負っているのである。その着想というのは、――理性は、自然から学ばなければならないことやまた理性自体だけではそれについて何も知りえないようなことを、自分自身が自然のなかへ入れたところのものに従って、これを自然のうちに求めねばならない(もともと自然のなかにありもしないことを自然に押しつけるのではなくて)、という考えである。十世紀にわたって模索を続けることしかできなかった自然科学は、考え方のこうした革新によって初めて、1個の学としての確実な道を歩むことになったのである。

 ところで、形而上学となると、これは他から全く孤立した思弁的な理性認識である。この思弁的理性認識は、経験の教えるところのものをことごとく無視し、実に概念だけによって(しかし数学のように概念を直観に適用するのではない)成立する認識であり、したがってこの学にあっては、理性が理性自身の生徒になるわけである。形而上学といえば、他の一切の学よりも古く、たとえほかの諸学が一切を廃絶するような野蛮状態という奈落に陥るようなことがあっても、これだけは生き残るであろうと思われるほどの学である。それにもかかわらず、この学は、これまでのところでは運命に恵まれなかったので、学としての確実な道を歩むことはできなかった。形而上学においては、理性はごくありふれた経験ですら確認するところの法則を(自ら誇称するように)ア・プリオリに理解しようとする場合にさえ、絶えず行き詰ってしまうからである。形而上学はひとつの競技場であり、しかもこの競技場はもともと競技者たちが闘技によってただ各自の力を錬磨するためにのみ設けられたもののようにさえ思われるのである。この場内では、いかなる競技者もいまだかつていささかの地歩をも闘いとることはできなかったし、一旦は勝利を収めてもこれを長く保ち続けることができなかった。
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2017年02月24日

2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文(2/10)

(2)カント『純粋理性批判』第1版序文 要約

 前回は、京都弁証法認識論研究会の2月例会の場において、報告担当者から提示されたレジュメ、およびそのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介しました。今回から4回にわたって、カント『純粋理性批判』の2つの序文の要約を紹介していくことにします。

 今回は、1781年に書かれた第1版序文です。ここでカントは、形而上学の歴史を簡単に振り返った上で、この純粋理性批判が、理性能力一般の批判によって形而上学が歴史的に抱えてきた難問を解決しようとするものであることを主張しています。

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カント『純粋理性批判』要約

第1版序文(1781年)

 人間の理性は、ある種の認識について、理性が退けることもできず答えることもできないような問題に悩まされるという特異な運命を背負っている。退けることができないというのは、これらの問題が理性の自然な本性によって理性に課せられているからであり、答えることができないというのは、こうした問題が人間の理性のあらゆる能力を超えているからである。

 人間の理性がこうした窮地に陥るのは、理性の責任ではない。理性は、経験の過程で必ず使用されねばならず、その使用が経験によって十分に保障されている原則から出発する。理性はこうした原則によって(理性の本性につきものなのだが)、前提そのまた前提へとどこまでも上昇していく。しかし、問題はいつになっても尽きることがないので、理性はこのような方法では自分の仕事がいつまでも不完全なものにならざるをえないことに気づく。そこで理性は、考えられうる一切の経験使用を超えるにもかかわらず、常識とも一致するほど確実に見えるような原則に逃避せざるをえなくなる。ところがそのために理性は混迷と矛盾に陥る。どこかに謬見が隠れているに違いないと推量するものの、それを発見することができない。理性の用いる原則は、一切の経験の限界を超越しているので、経験による吟味をもはや承認しないからである。この果てしない争いを展開する競技場が形而上学と名づけられているところのものである。

 形而上学の統治は、最初は独断論者の支配下にあって専制的であった。ところがその立法は、昔ながらの粗野なものだったので、数次の内乱で次第に全くの無政府状態に堕した。そして、定住を嫌う遊牧民たる懐疑論者が国民の結束をしばしば寸断した。しかし、この懐疑論者たちは数がいたって少なかったので、独断論者たちが絶えず新たに植民を企てるのを防止できなかった。近代になって、一度は(有名なロックの)人間の悟性に関する一種の自然学によって、これら一切の紛争が終わりを告げ、形而上学の要求の合法性に関する問題がついに完全に解決された観があった。女王と自称する形而上学の家柄は経験という下層民に由来するのだから女王というのは僭称だ、と一時いわれたものの、こうした系図は捏造であり、形而上学への誹謗中傷であった。そこで形而上学は依然としてその要求を主張することになり、一切はまたしても陳腐な虫食いだらけの独断論に陥った。現代では、あらゆる道が(通説では)試みられ徒労に終わった挙句、学問において有力な傾向をなすものは倦怠と全くの無関心である。これは、混沌と暗黒の母であるが、同時に、やがて学問を改造し、開明する根源ともなるものである。

 一切の知識のうちで最も愛惜されるはずの学に対する無関心は、注意と熟考に値する現象である。この無関心は、もはや見せかけの知識には釣られない成熟した判断力の結果であり、理性のあらゆる任務のうちで最も困難な技であるところの自己認識に新たに着手し、そのためにひとつの法廷を設けよ、という理性に対する要請なのである。この法廷こそ純粋理性批判そのものにほかならない。

 私がここでいう批判は、理性が一切の経験に関わりなく獲得しようとするあらゆる認識について、理性能力一般を批判することである。

 私は、これまで手をつけられていなかった批判という道をとることで、従来理性がその超経験的使用のために自分自身といわば不和を醸す原因となっていたところの一切の謬見を除去する手立てが発見されたことを喜んでいる。私はこれらの問題を原理に従って漏れなく枚挙し、理性が自分自身について誤解している点を発見した上で、こうした問題を理性に十分満足いくように解決したのである。私は、およそ形而上学の課題にして、この批判において解決されなかったもの、少なくともその手がかりがあたえられなかったものはひとつもないはずである、と明言して憚らない。

 私の言い分は、心の単一性だの世界の始まりが必然的であることなどを証明する、と謳う形而上学の綱要書の著者の主張よりも、くらべものにならぬほど穏やかなものである。こうした著者は、人間の認識を可能的経験の一切の限界を超えて拡張しようとするが、私の方は、そんなことは全く私の手に負えない、と慎ましく告白するからである。

 個々の目的を達するには完全にして欠けることなきを期し、また全ての目的を合わせ達するには全体として周到を期するという2つのことを我々に課すのは、実に我々の批判的研究の素材としての認識そのものの本性なのである。

 さらにまた確実と明晰という2つの特性は認識の形式に関するものであり、はなはだ手に終えない企てを敢てする著者に、当然課せられるべき本質的要求と見なされてよい。

 この確実ということについて、私は自分自身に、どんなことがあっても臆見を立てることは許されない、という判決を下した。いやしくもア・プリオリに確立されるほどの認識ならば、絶対に必然的と認められることを欲する、と自ら宣言するものだからである。ア・プリオリな純粋認識を規定することは、あらゆる必然的(哲学的)確実性の基準となり、したがってまたこうした確実性の実例にもなるのである。

 我々が悟性と呼んでいる能力を究明し、またそれと同時に悟性使用の規則と限界とを規定するには、私が本書の「先験的分析論」第2章「純粋悟性概念の演繹」で行った研究ほど重要なものを私は知らない。この考察は深い根底をもつもので、次のような2つの面を備えている。第一は、純粋悟性の対象に関係するものであり、ア・プリオリな純粋悟性概念の客観的妥当性を説明し理解させようとする意図をもち、したがってまた私が本質的目的と見なすところの面である。第二は、純粋悟性そのものを、その可能とまた悟性の基礎にある認識能力とに関して考察する、したがって悟性を主観的関係において考察するわけである。しかし、このような究明は、私の主要目的に関して非常に重要だとはいえ、本来の目的にとって本質的であるとはいえない。主要な問題はなんといっても「悟性および理性は、一切の経験に関わりなしに何を認識し得るか、またどれだけのことを認識できるか」という問題であって、「思惟する能力そのものはどうして可能か」ではないからである。

 最後に明晰ということについていえば、読者は第一に概念による論証的明晰を、第二に直観による――換言すれば、実例あるいはその他の具体的説明による直観的(感性的)明晰を要求する権利がある。論証的明晰に対して私は十分な配慮をしたが、それがまた第二の要求を満足させえなかったことの原因にもなった。通俗的な目的にこそ必要な実例や説明によって、本書をこれ以上膨れ上がらせない方がよいと思った。こういう批判的な研究は、通俗的な用途には向かないし、学問を事とする人たちは、こうして平易にすることをさほど必要としないし、平易ということは、かえって当面の目的に反する結果を招きかねない。明晰を求める手段は、なるほど部分部分の理解を助けはするが、しかし全体の纏まりを損なうのである。つまり、こういう補助手段は、読者が全体を直下に見通すことを妨げ、明るい色彩で体系の組み立てや構成を塗りつぶし、その構成要素を識別できなくしてしまう。

 私がここでその概念を与えようとしている形而上学は、一致した協力によって短期間で完成すると期待してよい唯一の学であり、しかも完成した暁には、後世の人々にとっては、全てを教示的な方法で自分たちの目的に従って整える以外にはやることがなく、内容を少しも増やせるものではない。なぜならそれは、純粋理性による我々全ての所有物の、体系的に整理された財産目録だからである。

 私はこのような純粋(思弁的)理性の体系を『自然の形而上学』と題して出版したいと思っている。これは分量からすればこの批判の半分にも満たないが、しかしそれにもかかわらず批判とはくらべものにならないほど豊富な内容をもつはずである。批判はまず自然の形而上学を可能にする源泉と条件を説明しなければならなかったし、凹凸の激しくなった地盤を平坦に整備する必要があった。この批判においては、私は読者に対して裁判官としての忍耐と公平さを期待する。一方、理性の体系である『自然の形而上学』においては、協力者としての好意と支援を期待する。
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2017年02月23日

2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文(1/10)

目次

(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント
(2)カント『純粋理性批判』第1版序文 要約
(3)カント『純粋理性批判』第2版序文 要約@
(4)カント『純粋理性批判』第2版序文 要約A
(5)カント『純粋理性批判』第2版序文 要約B
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1:カント自身は『純粋理性批判』を哲学史にどのように位置づけたか
(8)論点2:カントが形而上学に採用した考え方の革新とはどういうものか
(9)論点3:カントは自由についてどのように考えているのか
(10)参加者の感想の紹介

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 我々京都弁証法認識論研究会は、今年および来年の2年間を費やして、カント『純粋理性批判』に取り組んでいくことにしています。これは、絶対精神の成長の過程(自己=世界という自覚の成立過程)として哲学の発展の歴史を描いたヘーゲル『哲学史』の学び(2015-2016年)を踏まえつつ、客観(世界)と主観(自己)との関係という問題について徹底的に突き詰めて考え抜いたカント『純粋理性批判』の学び(2017-2018年)を媒介にすることによって、全世界の論理的体系的把握を試みたヘーゲル『エンチュクロペディー』の学び(2019-2020年)に進んでいこうという計画にもとづいたものです。

 2月例会では、『純粋理性批判』の2つの序文、すなわち、1781年の第1版序文と1787年の第2版序文を扱いました。今回の例会報告では、まず例会で報告されたレジュメを紹介したあと、扱った範囲の要約を4回に分けて掲載し、ついで、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に、この例会を受けての参加者の感想を紹介します。

 今回はまず、報告担当者から提示されたレジュメ、およびそのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介することにしましょう。

 なお、この研究会では、篠田英雄訳の岩波文庫版を基本にしつつ、他の翻訳やドイツ語原文を適宜参照するようにしています(引用文のページ数は、特に断りがない限り、岩波文庫版のものです)。

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京都弁証法認識論研究会  2017年2月例会
カント『純粋理性批判』 序文

【1】形而上学とは何か
 カントは、第一版序文の初めの箇所で、形而上学について論じている。一切の経験の限界を超出していて、経験による吟味を承認しないような理性の原則を扱うのが形而上学であり、かつては形而上学が諸学の女王と称せられていたとカントは述べている。その上でカントは、形而上学の歴史を独断論と懐疑論の闘争として描き、ロックによって紛争が終結されたかに見えたが、それは間違いであり、またしても陳腐な独断論に陥ったために、学問において倦怠と無関心が支配的となってしまったと論じている。このような現状を打破するために、カントは理性能力一般を批判しようとしているのだと説いているのである。カントは理性批判を法廷にたとえており、理性を理性の法則によって批判することを試みようとしている。

〔報告者コメント〕
 カントのいう形而上学は、経験を超えた対象を扱う学問という意味で、われわれが一般に哲学としてイメージするものと同じようなものであると考えてよさそうである。カントはその形而上学の歴史を、基本的には独断論が支配していたが、しばしば懐疑論が闘争を挑んできた歴史として把握している。この闘争は決着がついていないが、理性の法廷で理性能力自体を吟味すれば、この闘争にも決着がつくとカントは考えていたようである。この法廷では、かつての独断論と懐疑論の闘争が論理的にくり返され、それを裁判官の立場に立った理性が、より俯瞰的な視点から判決する、というようなことなのだろうか。このようなこれまでの独断論と懐疑論の闘争を4つの論点にまとめたものが、カントの説く4つの二律背反ということになるのかもしれない。


【2】形而上学に適用された数学・自然科学の革新的着想とは
 カントは第二版序文において、学が学として確実な道を歩むための方法・着想について論じている。これまで確実な道を歩んできた学問領域として、数学と自然科学が挙げられ、その発展を支えた革新的な着想が抽出されている。その着想とは、自分の概念に従って自ら対象の中に入れたもの以外を、この対象に付け加えないというものである。形而上学も確実な道を歩むために、この着想を採用する必要があるとして、適用を試みている。すなわち、これまでは、われわれの認識はすべて対象に従って規定されねばならぬと考えてきたが、この前提ではうまくいかなかったので、今度は、対象がわれわれの認識に従って規定されねばならないというふうに想定してみる、ということである。カントはこの考え方の変換を、コペルニクスの思想になぞらえており、これによってア・プリオリな認識の可能をうまく説明できたとしている。

〔報告者コメント〕
 数学や自然科学が確実な発展を遂げた、その根底にある着想とはどのようなものであろうか。カントの説明では、分かったような気もするが、具体的にはどういうことなのか、明確ではない。ここに関して、黒崎政男は『カント『純粋理性批判』入門』において、「私たちが何か他のもの認識した、と考えているとき、そこで認識されているのは、他のもののうちにある自分自身である、ということ」(p.93)と説いている。対象から導き出した論理を頭の中で整序して、そしてその整序された論理でしっかりと現実が説明できるかどうかを、再び対象に戻って検証する、こうしたプロセスにおいて、頭の中で整序した論理のみで現実を説明しようとするのが、「そこで認識されているのは、他のもののうちにある自分自身である」ということになるのだろうか。
 カントが自身が採用した着想の転換をコペルニクスの業績にたとえているのは、この転換によって、従来の複雑な理論なしに、シンプルに対象のあり方を説明できたと考えているからであろう。コペルニクス以前は、天体の見かけの運動について、さまざまな円運動を組み合わせたような複雑な理論で説明されていた。しかし、天動説を捨てて地動説を採れば、太陽を中心にして惑星がその周囲を円運動していると想定するだけで、地球上からの見かけの運動がほぼ説明できたのである。このように前提を変えるだけで、複雑に見えたものが実はシンプルなものであったことが明らかになる。カントは形而上学の歴史で、このコペルニクスに匹敵する業績を遺したという自信があったのであろう。


【3】物自体と現象の区別はなぜ必要か
 カントは、第二版序文の後半部分で、物自体と現象の区別の大切さ・必要性について論じている。結局、物自体と現象を区別しなければ、矛盾に陥ってしまう、と論じているようである。具体的に取りあげられている矛盾は、無条件者(p.36)と意志の自由(p.41)である。逆にいうと、物自体と現象をきちんと区別すれば、無条件者についての矛盾は解消する(無条件者について矛盾なく考えることができる)し、意志の自由についても自然必然性と矛盾なく両立しうるということである。カントは自由の問題については、実践理性の領域だとして、純粋理性を批判する本書とは別に論じることを示唆している。

〔報告者コメント〕
 この第二版の序文を読むと、やはりカントは、南郷継正先生が言うように、何らかの矛盾=二律背反に悩んだ挙句、それを解消するために物自体論(物自体と現象とを区別する論)に辿り着いたのだということは間違いなさそうである。
 問題となるのは、哲学の歴史で、二律背反がどのように問題にされてきたのか、それをカントは物自体論として一応の解決に導いたとされているが、それはどのような点で優れており、どのような点で限界があったのか、さらに後の哲学の歴史では、この問題が最終的にどのように解決されていったのか、ということだろう。ここでその正解を出すことは難しいと考えられるが、少なくともこのような問題意識を持ってカントを学んでいく必要があるだろう。それは、すべての哲学はカントに流れ入り、カントから再び流れ出すといわれているからである。
 カントにおいては、物自体というのは、世界の本質的な存在として考えられている点も押さえておく必要があるだろう。認識できる現象と区別することによって、認識はできないけれども考えることができる存在として、世界の本質が成立し得る領域を残しておいた、ということなのかもしれない。

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 この報告をめぐっては、「これまでの独断論と懐疑論の闘争を4つの論点にまとめたものが、カントの説く4つの二律背反」という捉え方について、疑問が呈されました。このような書き方だと、テーゼ(世界の無限性を主張する)が独断論でアンチテーゼ(世界の有限性を主張する)が懐疑論だ、というようにも読めるがそれでよいのか、世界の有限性を独断的に主張する、という立場もありうるのではないか、という疑問です。

 この疑問を受けて議論するなかで、カントが「形而上学の統治は、最初は独断論者の執政下にあって専制的であった。ところが……数字の内乱によって次第しだいに、まったくの無政府状態に堕した。そしておよそ定住を嫌う一種の遊牧民であるところの懐疑論者は、しばしば国民の結束を寸断した」(p.14)と述べていることが指摘されました。つまり、形而上学は内部に独断論どうしの争いを抱えつつ、外部からは懐疑論者の攻撃に晒されていた、という構造があったのだ、というわけです。

 このことを踏まえるならば、テーゼが独断論の立場でアンチテーゼが懐疑論の立場である、というような単純な区分けはできないのではないか、ということになりました。とはいえ、カントは、独断論内部での闘争(内乱)、および独断論と懐疑論の闘争の歴史を踏まえつ、それ4つのアンチノミーとしてまとめ上げたのだ、ということはいえるだろう、ということに落ち着きました。
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2017年02月22日

本来の科学的な教育とは何か(5/5)

(5)教育の事実を創り、その事実を論理化する作業が求められる

 近年、科学的根拠に基づいた教育(エビデンス・ベースト・エデュケーション)が大きく取り上げられるようになっていることを踏まえて、本稿では教育学の構築という観点からこの動きをどのように評価することができるのかを明らかにしてきました。

 ここで、これまでの流れを振り返ってみましょう。

 まず科学的な実践とはどういうものかという点について、薄井先生の著作をもとに見てきました。そもそも科学的とは、対象のもっている性質を見抜いて行動するということでした。看護実践で言えば、目の前の患者に対してどうすることが看護になるのかを押さえて、そのするべきことを患者の性質に合わせて行っていくのが科学的な看護実践だということでした。その具体的なイメージを描くために、薄井先生が相談を受けた奥さんの事例を紹介しました。なぜ奥さんが問題行動を起こすのかを踏まえて、それにどう対応すればいいのかを予測して実践に取り組むのが科学的な実践だということでした。このような科学的な看護実践によって、対象(患者)を望ましい方向に変化させる可能性が高まるのであり、(看護の)事実を創り出されるのだということでした。ここから科学を構築するためには、そうした事実を共通する性質を論理として掬い取っていく必要があるのだということでした。

 続いて、科学的な根拠に基づいた教育(エビデンス・ベースド・エデュケーション)とはどのようなものかを、中室牧子『学力の経済学』を参考にしながら見ていきました。これは「どういう教育が成功する子どもを育てるのかという問いについて、その原因と結果、すなわち因果関係を明らかにすること」、つまり「Aという教育的な働きかけをしたら、Bという子どもの結果が生まれた」という因果関係を明らかにしようとするものだということでした。そうした因果関係を明らかにするために、ランダム化比較試験などを行い、ある教育政策や教育方法の効果を測定するのだということでした。こうして明らかにされた知見として、「インプットにご褒美をあげることが学力テストの結果の向上につながる」「子供のもともとの能力(=頭のよさ)をほめると、子どもたちは意欲を失い、成績が低下する」「男の子なら父親が、女の子なら母親がかかわるとよい」などがあり、このような知見を集めること、またこうした知見に基づいて教育を行うことが、が科学的な根拠に基づく教育だということでした。ただ、実験が難しいことや、明らかになった因果関係の内部構造がわからないことなどの問題点もあるということでした。

 最後に、科学的な根拠に基づいた教育というのは、どのように評価することができるのかを見てきました。現在の学校現場では、ときには条件次第であったり、効果が疑問視されたりするものが学校の統一ルールとして定められ、様々な弊害がもたらされているということを確認した上で、その正しいとされている方法は本当に正しいのかを問う動きとして「科学的な根拠に基づく教育」という考え方が生まれてきているのであり、その点はしっかりと評価する必要があるということでした。では、科学的な根拠に基づく教育の研究・実践を積み重ねていけば、教育学の体系化につなげることができるかと言えば、そうではないということでした。そもそも科学の構築のためには、まずは事実を創り出すこと、その上でそれらの事実の共通性を論理として把握していくことが必要だということでした。この方向性と、科学的な根拠に基づく教育の方向性がどう違うのかを薄井先生が受けた相談の事例で明らかにしました。結局、科学的な根拠に基づいた教育は「こうしたらこうなった」という事実をたくさん集めようとするものにすぎず、またその事実もあくまでも目に見えるものに限られており、目に見えない人間の認識は捨象されてしまっているということでした。このような限界があることを、教育学の構築を図っていくためには、しっかりと押さえておかないといけないということでした。

 薄井先生は、どうすれば看護学を創ることができるのかを悩んだ挙げ句、認識論を学んでいた三浦つとむさんを訪ねたエピソードを紹介しておられます。

「『科学的看護論』を書いていた時、思いあぐねてある著者、学生時代から書物(『認識と言語の理論』勁草書房)を通して認識論を学んでいた三浦つとむ氏を思い切って訪ね、なぜ人間の精神についての科学が遅れているのでしょう、とお尋ねしたことがありました。

 すると氏は、『科学的抽象ということの意味が理解されていないからですよ』と、いとも簡単に言われました。この言葉をずっと暖めつづけていましたが、いくつかのプロセスレコードの抽象化を試みた結果、これで人間の精神と精神の関わりを、浮きぼりにしていくことができるという確信が湧いてきたのです。

 そこで、いろいろなレベルの対応で実験を重ね、学生たちにもプロセスレコードを通して解説したり、プロセスレコードを起こして、看護過程を客観視させる学習を組み込んできたのです。現在では、科学的抽象ということの意味は、『個々の現象のカタチを捨てて内容をすくい上げること』だということを学生たち自身が自覚できるようになってきています。」(薄井坦子『科学的な看護実践とは何か』(下)、現代社、1988年、p.157)


 ここで三浦つとむさんは、科学的抽象ということの意味が理解されていないから、精神についての科学が遅れているのだと指摘しておられます。この指摘が現在においても当てはまるのだと言えるでしょう。

 以上を踏まえて、教育学の構築に向かって、今後、実践現場においてどのような取り組みをしていく必要があるのかを考えてみましょう。まずは教育と呼べる事実を創り出すことが求められます。そもそも教育とは社会的個人としての人間の育成です。では「目の前の子どもに対して社会的個人として育てるとはどういうことなのか」「この教材で何を教えれば社会的個人として育てたということになるのか」ということを念頭において子どもと関わったり、授業を行ったりして、子どもを成長させていかなければなりません。

 その上で、その教育の事実はどういうものであったのかを論理的に把握する必要があります。自分がどのようなことを考えて子どもに働きかけたのか、それに対して子どもはどのような反応をしたのか。そういった教育の過程を事実として明らかにすること(看護学で言えばプロセスレコードを書くこと)、そしてそれは結局どういう過程であったと言えるのかを問うていくこと、こうした作業を積み重ねていく必要があると言えるでしょう。また、他の人の教育実践を見るときも、そのような形で分析していく必要があります。

 最後に、なぜ教育学を構築する必要があるのかを確認しておきたいと思います。これはいろいろな理由を挙げることができるのですが、その1つが専門家としての主体性を保つため、と言えます。「そもそも教育とはこうだから、こうするのだ」という形で自分の判断・行為の根拠を説けるということです。科学的な根拠に基づく教育でも、同じようなことが主張されていますが、実はここには大きな違いがあるのです。科学的な根拠に基づく教育の場合、「こうするといいという事例が多いからこうする。何でそうするといいのかはわからないけど。」ということなのです。これでは専門家として自信をもって仕事をしていくことは到底できません。統計的に「こうするといい」と言われていても、目の前の子どもに対してそれをするのはいいとは限らないからです。そうではなくて、そもそも人間とは何かを踏まえて教育とは何かを明らかにし、そこから目の前の子どもへの働きかけすべてについて、その根拠を説けるようにするものが本当の教育学なのです。そうした教育学を構築するために、今後も研鑽に励んでいきたいと思います。
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2017年02月21日

本来の科学的な教育とは何か(4/5)

(4)科学的な根拠に基づいた教育はどう評価できるのか

 前回は、近年注目されつつある「科学的な根拠に基づいた教育」というものがどのようなものであるのかを紹介しました。端的には、「AすればBになる」ということを明らかにすることが科学(的な研究)であり、そうやって明らかになった知見に基づいて教育を行うことが科学的な根拠に基づく教育だということです。これには実験が難しいこと、明らかになった因果関係の内部構造がわからないことなどの問題点もあるということでした。

 では、このような「科学的な根拠に基づいた教育」というのは、どのように評価することができるのでしょうか。今回はこの点について見ていきたいと思います。

 まず押さえておきたいのは、現在の学校現場ではどのような研究がなされているのかということです。通常、多くの学校では校内研究として、各学年の代表の先生などが年に1回研究授業を行い、それを学校の先生が参観し、放課後に授業検討を行うという取り組みをしています。そこで「このような指導がよかったのではないか」「こう指導すればよいのではないか」などが話し合われています。そうした結果も踏まえながら、学校としてこんな指導をしていこうということが定められていきます。例えば、「発表をさせるためにはまずは小グループで自分の考えを述べたりした後で、全体の場で発表させる方がいい」とか「授業の最初に本時のめあてをしっかり板書した方がいい」とか「授業の最後に振り返りを書かせた方がいい」などです。

 こうした方法の中にはもっともなものもあるのですが、ときには条件次第であったり、効果が疑問視されたりするものが学校の統一ルールとして定められることがあります。例えば、「授業の最初にめあてを板書し、ノートに書かせる」や「授業の最初と最後に必ず起立して挨拶をする」などです。めあてを板書するのは、その時間の授業で何をするのかを子どもにわからせるためです。そのための1つの方法として「めあての板書」というものが存在するわけです。他にも「口頭で話す」「(算数などで)教科書の例題を解かせてわからせる」などの方法もあります。どれがよいかなどクラスの条件次第であるのに、画一的に方法が統一されているために様々な弊害をもたらすことになっています(例えば、極度に字が書けない子は最初の段階でついていくのが難しくなったり、それを待つと全体の空気がたるんできたりします)。

 そうした画一的、信条的、感覚的に正しいとされている方法について、本当にそうかと問う動きとして「科学的な根拠に基づく教育」という考え方が生まれてきているのであり、その点はしっかりと評価する必要があるでしょう。

 では、「科学的な根拠に基づく教育」の研究・実践を積み重ねていけば、教育学の体系化につなげることができるのでしょうか。これは残念ながら、否と言わなければなりません。

 (2)で明らかにしたように、科学の構築のためには、一般論を踏まえて事実を創り出すこと、その上でそれらの事実の共通性を論理として把握していくことが必要だということでした。(2)で紹介した薄井先生が受けた相談の事例で考えてみましょう。

 この事例では、おかしなことを口走ったり、ひがんだり、言葉がひどくなったり、御主人の下着をはさみでちょんぎったりする奥さんに対して、薄井先生は、御主人が肌の触れあいや抱きしめるなどの強い刺激を与えるといいと回答していたのでした。これで奥さんの様子が改善されたとすれば、それは1つの良い事実を創りだしたということになります。

 科学的な根拠に基づいた教育の場合、こういう事例をたくさんあつめて、例えば「御主人に対していろいろな問題行動をする奥さんに対しては抱きしめればよい」ということを明らかにしようとするわけです。このように述べると、「それがいいとは限らないだろう」と変な感じがしませんか。でも、目指そうとしているのはこういうことになるのです。

 さらに言えば、同じように抱きしめるにしても、本当に愛情をもって抱きしめることと、仕方がないから抱きしめるというのでは、相手の反応も異なってくるはずです。つまり、行動の背後にある認識がどのようなものであるかが相手の反応に大きな影響を及ぼすということです。ところが、科学的な根拠に基づく教育では、目に見えない認識というものは捨象してしまい、「抱きしめる」という目に見える行為にしか目が向けられていません。

 では、本来の科学的な立場に立って、この事例に潜む共通性を論理として導き出すとはどういうことなのでしょうか。まず「おかしなことを口走ったり、ひがんだり、言葉がひどくなったり、御主人の下着をはさみでちょんぎったりする奥さん」とは何なのかを問うのです。この事例の場合で言えば、「夫からの愛情や必要性を感じられていない奥さん」ということになります。その奥さんを抱きしめるとはどういうことかと言えば、「夫の愛情を伝える」ということです。したがって、この事例を論理化するならば、「相手からの愛情や必要性を感じられていなくて問題行動を起こしている人に対して、愛情を示した」ということになります。

 この愛情の示し方は相手の性質(性格)によります。この事例では抱きしめるという形でしたが、感謝の気持ちを書いて置き手紙をするとか、花を買ってくるとか、そういう方法がよい人もいるでしょう。そのようなその人特有の性質も、その人の諸々の言動の事実から見抜いて行動するのが科学的な実践なのです。

 (3)で紹介した知見の1つに、「男の子なら父親が、女の子なら母親がかかわるとよい」というものがありましたが、これがわかったところで、もしシングルマザーで子どもが男の子だったら、その母親は一体どうしたらよいのでしょうか。その母親にとっては役に立たない知識だということになります。

 しかし、もっと論理化して「同性の親がよい」とか、あるいは、同性の方がよいのは子どものことがよくわかるからでしょうから、「子どものことがよくわかっているとよい」というレベルで捉えれば、シングルマザーであっても「男の子ってどういうことに興味・関心があるのかな」などとちょっと意識的に学んで子育てに取り組めば大丈夫だということになります。

 科学的な根拠に基づいた教育は「こうしたらこうなった」という事実をたくさん集めようとするものだと言えます。これはこれで非常に重要な作業であり、そのことは否定しません。ただ、それは事実の収集に留まるものであること、またその事実もあくまでも目に見えるもののみを対象としており、目に見えない人間の認識は捨象してしまっています。このような限界があることをしっかり押さえておく必要があると言えるでしょう。
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2017年02月20日

本来の科学的な教育とは何か(3/5)

(3)科学的な根拠に基づいた教育とはどのようなものか

 前回は、科学的な実践とは何かという点について、薄井先生の著作を参考にしながら見てきました。そもそも科学的な看護実践とは、個々の患者に対してどうすることが看護になるのかを踏まえた上で、患者の性質に合わせてそれを行っていくというものだということでした。科学的な実践によってこそ、看護の事実が生み出せる可能性が高くなるのであり、そうして生み出された看護の事実に潜む共通した性質を論理として導き出し、また導き出した論理を使って事実を創るという過程を繰り返すことで看護学の構築が可能になるのだということでした。

 今回は、科学的な根拠に基づいた教育(エビデンス・ベースド・エデュケーション)とはどのようなものかを見ていきたいと思います。こちらについては、中室牧子『学力の経済学』を参考にしながら見ていきましょう。

 中室氏は「教育経済学者の私が信頼を寄せるのは、たった一人の個人の体験記ではありません。個人の体験を大量に観察することによって見出される規則性なのです」(p.17)と述べています。

 つまり、どうしたらどうなったという規則性をたくさんの体験(事実)から導き出そうとしているということです。別の箇所では、次のように述べています。

「経済学者がしているもうひとつのこと、それは『どういう教育が成功する子どもを育てるのか』という問いについて、その原因と結果、すなわち因果関係を明らかにすることです」(p.20)


 要するに、「Aという教育的な働きかけをしたら、Bという子どもの結果が生まれた」という因果関係を明らかにしようとしているのだということです。その因果関係を踏まえて、成功する子どもを育てていこうということです。

 では、どのようにしてその因果関係を明らかにするのでしょうか。医療を例にして、次のように書かれています。

「『治験』は治療における臨床試験のことを指し、新しく開発された薬に本当に病気を治す効果があるのかを確かめるために行われる実験です。

 治験に参加する被験者を、新しく開発された薬を投与される人(これを『処置群』、または『トリートメントグループ』と呼びます)と、偽薬またはプラセボと呼ばれる実際には効果のない薬を投与される人(これを『対照群』、または『コントロールグループ』と呼びます)にランダムに分けて、一定期間経過を観察した後で、新しく開発された薬を投与された人の症状と、偽薬を投与された人の症状を比較します。

 前者の治癒率が後者の治癒率よりも高く、その差が『統計的に有意』であれば、この薬には因果効果があったといえるでしょう。」(pp.23-24)


 つまり、Aの効果を測るために、Aという処置をするグループと、Aという処置をしないグループに分けて、両者の結果を比較するということです。その差が統計的に有意であるかを調べることで、Aの効果を明らかにしようということです(これはランダム化比較試験と言い、その手続きには様々な細かな注意点がありますが、ここでは本題ではないので省きます)。

 こうして明らかにされた(教育に関わる)因果関係とは具体的にはどういうものなのでしょうか。例えば、本書では「テストでよい点を取ればご褒美をあげます」と「本を1冊読んだらご褒美をあげます」では、どちらの方が効果的かという問いについて、後者の方が学力テストの結果がよくなったという実験結果が紹介されています(p.30)。これを踏まえて、インプットにご褒美をあげることが学力テストの結果の向上につながるとされています。また、「子供のもともとの能力(=頭のよさ)をほめると、子どもたちは意欲を失い、成績が低下する」(だから、「頭がいいのね」と褒めるより「よく頑張ったわね」と褒める方がよい)(p.48)、「男の子なら父親が、女の子なら母親がかかわるとよい」(p.60)、教育を投資と考えた場合「もっとも収益率が高いのは、子どもが小学校に入学する前の就学前教育(幼児教育)です」(p.76)、「少人数学級は費用対効果が低い」(p.101)などが挙げられています。

 このように、「AすればBになる」ということを明らかにすることが科学(的な研究)であり、そうやって明らかになった知見に基づいて教育を行うことが科学的な根拠に基づく教育だということです。

 ただ、こうした研究・実践にはいくつかの問題点もあります。まず単純に考えて、「AすればBになる」ということを明らかにするための実験を学校現場で行うことは非常に難しいことはわかるでしょう。Aという指導法の効果を調べるために、一定期間、1組ではAという指導をして、2組ではAという指導をしないということをした場合、もしAという指導法に効果があれば、それをなされなかった2組はどうなるのかという問題が起こります。この問題を解決するために、次は1組ではAという指導をせず、2組でのみするという方法もありますが、いずれにせよなかなか導入しにくいことはわかるでしょう。

 さらに、その学校で「AすればBになる」ということが厳密な手続きに基づいて明らかにされたとしても、その地域全体、あるいは日本全体、世界全体で言えばそうではないということもあります。このように「ある国におけるランダム化比較試験の結果が、他の国で当てはまるかどうかがわからないという『外部妥当性の問題』が存在」(pp.178-179)しています。

 そして、「AすればBになる」ということがわかったとしても、「なぜそうなったのか」というメカニズムがよくわからないということも挙げられます。このメカニズムのことを経済学の用語で「内部構造」といい、内部構造が不明であるからこそ外部妥当性の問題などが起こると考えられると中室氏は指摘しています(p.179)。科学的な根拠に基づく教育には、このような問題点も存在しているのです。
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2017年02月19日

本来の科学的な教育とは何か(2/5)

(2)科学的な実践とはどういうものか

 本稿は、科学的な根拠に基づいて教育をすべきだという動向があることを踏まえて、こうした動きはどのように評価できるものなのか、教育学の構築ということにつながるものなのか、そもそも教育の科学化とはどういうことなのか、それを踏まえて自分自身はどういう取り組みを行っていくべきなのかを明らかにしようとするものです。

 今回は、そもそも科学的な実践とはどういうものなのかについて、薄井坦子先生の著作を中心としながら見ていきたいと思います。

 まず「科学的」とはどういうことなのでしょうか。薄井先生は次のように説いておられます。

「私はここにお手拭きを持っていますが、これをこう眼の前まで持ち上げておいて、『このままで手を離してもよろしいでしょうか?』とお尋ねすると、まあどなたも『結構です』とおっしゃると思うんですね。でも、こんどは眼鏡を手に持って同じように高く掲げて、『手を離してよろしいでしょうか?』とお尋ねすれば、これは小さな子供でも『よした方がいい』と、すぐ言いますね。なぜでしょうか。それは、眼鏡もお手ふきと同じように落ちるに違いない。お手拭きと眼鏡とでは性質が違うから、手を離したばあいに、それぞれこういう現象が起こるのではないか、というように想像できるのですね。だから、眼鏡の時は『よした方がいい』という判断を下したということです。このように、そこにある性質を見抜いて行動する、というのが科学的ということなのであり、ここが出発点なのです。」(薄井坦子『科学的な看護実践とは何か』(上)、現代社、1988年、p.130)


 つまり、対象のもっている性質を見抜いて行動するということが科学的だということです。看護実践で言えば、患者がどんな性質を持っているのかということを見抜いて行動するのが科学的な看護実践だということになるでしょう。

 看護実践の例ではないですが、このことがよくわかる事例が紹介されています。薄井先生が知り合いの方から「知人の奥さんがおかしくなった」という相談があったそうです。奥さんがおかしなことを口走ったり、ひがんだり、言葉がひどくなったり、御主人の下着をはさみでちょんぎったりしたということです。この御主人は50代の終わりくらいで、手広く事業を営んでおり、全国を駆け回っておられました。奥さんがしょっちゅう旅の支度をされていたのですが、あるとき御主人が滞在中に入院することになり、3ヶ月間そこに滞在されることになったということです。一度奥さんが見舞いに行ったときには、付き添い看護婦がいたということです。こうした話を聞いて、次のように薄井先生は回答しておられます。

「御主人はたいへん愛情深い方ですし、仕事熱心な方ですし、奥さんが想像しているようなことは何もない方なんだそうですけれども、その時代の男の人というのは、なかなか具体的な表現ができませんね。御主人としては三十何年も一緒に生きてきているんだから、私のことぐらい妻にはわかっているはずだと、こうなっているんです。

 そこで『奥様は、御主人がもう自分を必要としていないというふうに、追い詰められていったのではないかと、私は思います』と申し上げたのです。『奥さんにとっていちばんだいじなことは、その御主人が奥様を必要としてるということではないか、それを奥さんにわからせてあげられるかどうかということです。それも『具体的に』なのです。理屈ではないのです。(中略)』

 今の事例のような状況の時には、行動や表現は率直でなければいけませんね。肌の触れあい、それも力を込めて抱きしめるとか、そういう強い刺激というものが必要でしょうね。」(同上書、pp.133-134)


 ここで薄井先生は、どうしてこのような問題が起こっているのかを御主人と奥さんの性質を踏まえた上で明らかにしておられます。この性質というのも、その人個人に特有のものもあれば、その年代の人とか男性・女性に特有のものもあれば、人間一般に当てはまるものもあります。薄井先生はこの御主人や奥さんと直接の面識はないわけですから、人間がもつ一般的な性質(例えば、人間は社会的に役割を認めてもらいたい、など)や、特殊な性質(年配の男性は具体的な愛情表現が苦手、など)を踏まえて、どう対応すればいいのかをアドバイスしておられます。

 このように対象の性質を踏まえて、どう対応すればいいのかを予測して実践に取り組むのが科学的な実践なのです。

 これを踏まえて、科学的な看護実践とはどのようなものなのかを見てみましょう。

 薄井先生によれば、そもそも看護とは「生命力の消耗を最小にするよう生活過程をととのえること」です。これは看護という看護すべてに共通する性質(これがなければ看護ではないという性質)を論理として把握したもの、つまり看護一般論です。したがって、個々の患者を眺めたときに、「この患者の生命力を消耗させているものは何だろう」と問いかけて対象を見つめ、その消耗させているものを取り除くように働きかけていかなければなりません。

 『科学的な看護実践とは何か(上)』で紹介されている事例ですが、例えば被害妄想の強い青年が、他の患者の歩行訓練を手伝っている看護婦に対して、「死ね、と言っただろう」と言ってきたとします。実際はそんなことは言っていないわけですから、これはAさんの被害妄想でしかありません。しかし、この妄想によってAさんは生命力が消耗させられているわけですから、これを取り除くことが看護として必要となります。
 しかし、看護婦は「そんなこと言ってないわよ」と言い返しても、その青年は聞かなかったようです。そこで薄井先生は、この青年の成育歴から「幼少時に非常に細やかな人間のかかわりを受けることもなく、それを他の人に補われることもなく育ってきて、かつ特にこの方は女性とかかわりが少なかった。ところが就職したら、とたんにそこは人間関係の渦ですよね。人間関係の渦の中でうまく適応できない状態が出てきて、そして結婚したお兄さんのお嫁さんとうまくいかなくて、入院してくると看護婦は女ですね。“避けられた”と思った時に、俺だって男だぞと思ったとしても、全然おかしくない」(pp.172-173)ということを読みとり、「『死ね、と言っただろう』ということは、つまり自分の存在感をゆさぶられたわけですから、この人の気持ちを支えるためには、少なくとも、『あら、Aさんそこにいたの?ちょっと手伝って』というような対応はできないものでしょうかね。」(p.175)とコメントしておられます。

 つまり、この青年は女性との関わりがうまくできないため、看護師の言動から「避けられた」「自分を否定された」という認識を抱いてもおかしくないのであり、それが「死ね、と言っただろう」という表現として現れているのではないかということです。したがって、「避けられた」「自分を否定された」という認識にこそ働きかけないといけないのであり、そのためには、看護師の仕事を手伝わせるという形で役割を与えるのがよいということです。

 このように、どうすることがその患者にとって看護になるのかを踏まえて、患者の性質に合わせて、それを行っていくことが科学的な看護実践だと言えるでしょう。このような科学的な実践によってこそ、看護の事実が創られる可能性が高くなるのです。

 なお、ここから看護学を構築していくためには、こうして創られた看護の事実から、さらに論理を導き出していく必要があります。こうした作業を行うために、薄井先生は看護実践の記録としてプロセスレコードを書くことを重視しておられます。対象の言動・それを見た看護師の認識・その認識に基づいた看護師の表現という3つの観点から、時系列でその看護場面を描くのです。そうやって事実を押さえた上で、その事実にひそむ性質を論理としてすくい取っていくのです。

 このように事実から論理を導き出し、またその論理を使って事実を創るという形で事実と論理をのぼりおりする中で、「生命力の消耗を最小にするよう生活過程をととのえること」という看護一般論の中身が構造化され、看護学体系が構築されていくのです。
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2017年02月18日

本来の科学的な教育とは何か(1/5)

○目次
(1)科学的な根拠に基づいた教育が重要視されている
(2)科学的な実践とはどういうものか
(3)科学的な根拠に基づいた教育とはどのようなものか
(4)科学的な根拠に基づいた教育はどう評価できるのか
(5)教育の事実を創り、その事実を論理化する作業が求められる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(1)科学的な根拠に基づいた教育が重要視されている

 近年、科学的な根拠に基づいた教育(エビデンス・ベースト・エデュケーション)ということが大きく取り上げられるようになっています。例えば、次のような記事があります。

http://www.chunichi.co.jp/article/feature/manabieye/list/CK2016091902000004.html

「科学的な根拠」を教育に生かす 教員らが研究会 
米国の研究者らともインターネット電話で議論した研究大会=京都市で

 統計データなどの科学的な根拠(エビデンス)に基づいて実践する教育に、研究者らが着目している。なぜ今、関心が持たれるのか。教員や研究者らによる「エビデンス・ベースド・エデュケーション(EBE)研究会」を訪ねた。

 八月二十七日、京都市の大学の会議室に、全国から小中学校の教師、大学の研究者、シンクタンクの研究員らが集まった。

 代表で、養北小学校(岐阜県養老町)の教諭森俊郎さん(32)が、エビデンスに基づき対処法を考えた事例を報告した。「中一ギャップ」への取り組みだ。

 中一ギャップは、中学一年生が、小学校と大きく異なる学校生活になじめず、不登校などの問題が生じること。森さんが中学教諭だったときに、同僚が悩まされていた。

 森さんは、「中一ギャップ」についてインターネットで情報を集めた。中学一年の不登校の人数は、小学六年の不登校の約三倍になるとの文部科学省のデータにたどり着いた。「では、その原因は?」。国立教育政策研究所の資料には、中学一年の不登校生徒の半数は、小学四〜六年で欠席か欠席相当の日数が計三十日以上ある、とあった。

 「中一ギャップの明確な定義はなく、前提となっている事実認識も客観的事実とは言い切れない」との記載もあったが、米国の教育研究のデータベースで「ドロップアウト」で検索すると、不登校には、勉強や人間関係が影響しているとの報告があった。

 こうした情報を基に、森さんは同僚と、(1)四月は、特に小学校で欠席が多かった子には頻繁に声を掛ける(2)生徒が相談しやすい人間関係をつくる−の二つを心掛けることを確認した。その結果、小学五、六年で不登校だった生徒が中学校には登校し、楽しく学校生活を送れるようになった。大会では海外の研究事情の報告もあった。

 エビデンスは世界中の研究を調べ導き出す。教育の効果を分析したり、方向性を決めたりするのに役立つと考えられている。


 つまり、中一ギャップ(中学一年になっての不登校)の問題を解決するために、米国の教育研究のデータベースで調べたところ、不登校には勉強や人間関係が影響していることが明らかとなり、気になる子どもへの関わりを増やすことで、小学校時に不登校だった生徒が楽しく学校生活を送れるようになったということです。このように、統計的なデータなどの科学的根拠に基づいて実践に取り組むことが重要だとされているのです。

 現在、「科学的な根拠に基づいた教育」に関わって、様々なメディアに登場している教育経済学者の中室牧子氏は次のように述べています。

「断片的な個人の経験から、政策など社会全体にかかわるものを議論することにも、同様に慎重であらねばなりません。しかし、教育政策には、たぶんに権威のある人の自分の経験に基づく発言が反映されるきらいがあります。

 たとえば、経済財政諮問会議の議事録をみても、教育再生が議論に上った途端、財務大臣や経済再生担当大臣など、およそ教育の専門家とはいえない人までもが『私の経験によると……』と、自分の経験談をもとに、主観的な持論を展開しています。

 一方、財政政策や経済政策について、文部科学大臣が『私の経験から』と発言する場面はこれまでみられていません。もしそんなことをしたら、当然『それは主観にすぎないのではないか』『その根拠は何か』と問われるに違いないからです。このように、日本ではまだ、教育政策に科学的な根拠が必要だという考え方はほとんど浸透していないのです。」(中室牧子『学力の経済学』ディスカバー、2015年、pp.17-18)


 教育政策においては個人的な経験に基づいて議論がなされている現状があり、科学的な根拠が必要だという考え方がほとんど浸透していないということです。したがって、そのような考え方を教育の世界にも広めていくべきだということです。ここでは教育政策というレベルで論じられていますが、これは現場での教育方法についても同様のことが主張されています。このように、科学的な根拠に基づいて教育を行うとともに、様々な教育実践から科学的な根拠となる知見を獲得していこうとしているのです。

 教育学の構築を目標として掲げている筆者にとって、これらは注目に値する動きです。果たしてこうした動きは科学的な教育学の構築につながっていくものなのかを、そもそも科学的な実践とは何かということを踏まえながら明らかにしなければなりません。そして、教育学の構築に向けて自分がどのような取り組みをしていくべきなのかを明確にする必要があります。

 このような問題を考えていく上で参考にしたいのは、薄井坦子先生の看護学です。薄井先生は、看護学の世界で学問体系の構築を果たし、『科学的看護論』を出版しておられます。また、その看護学体系に基づいた看護実践の検討にも取り組んでおられ、それは『ナイチンゲール看護論の科学的実践』(1)〜(5)としてまとめられています。また、各地での講演をまとめた『科学的な看護実践とは何か』(上)(下)も出版されています。科学を創るとはどういうことか、科学的な実践とは何かということを考える上で非常に参考になると思われます。実際、保育の世界で学的体系化を果たそうと志しておられた海保静子先生が、薄井先生から深く深く学んでおられることは『育児の認識学』から窺えます。

 そこで本稿では、薄井先生の著作をもとに科学的な実践とは何かを明らかにした上で、「科学的な根拠に基づいた教育」というものがどのように評価できるものなのかを見ていきたいと思います。それを踏まえて、教育学を構築するためにはどういう取り組みをしていくべきなのかを明らかにしていきたいと思います。
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2017年02月17日

認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想(5/5)

(5)『“夢”講義』は鈍才的に学ばなければならない

 本稿は,今年一年間,われわれが京都弁証法認識論研究会全体で南郷継正『“夢”講義』をしっかり復習していく,その第一弾として,『“夢”講義(1)』を取りあげ,学んだことをきちんと言語化していく論考であった。ここで,これまでの内容を振り返っておきたい。

 はじめに,本書で説かれている認識論の基本を確認した。認識論とは,アタマとココロのはたらきを立派にするための学問であった。このように,認識論を客体についての理論と考えるのではなく,あくまでも自分の頭脳活動に活かすためのものとして主体的に捉えることが大切だと説いた。また,認識論は,心理学を学問的に学びとる術・方法であるとも説かれていたので,これはどういうことかを,「学問」とは何かと問うて,考えていった。学問とは,対象の性質を論理として把握して体系化したものであり,学問体系とは,人間の体の体系のように,あるべきところにきちんとあるべきものがあり,それが一貫してつながってひとかたまりになって本質論によって統括されながら活動していけるものということであった。したがって,心理学のバラバラな知見を,認識論で学問的に学びとれば,一貫してつながったものとして活動でき,巨大な力を発揮できるということになるのであった。次に,認識学とは何かを確認した。認識学とは,人間の頭脳活動(アタマの働きとココロの働き)たる認識のすべてを体系的レベルで論じきるものであり,それには三本柱があって,認識をその原点から,それも系統発生的な原点と個体発生的な原点の二つの原点から,一貫して筋を通して説ききるものなのであった。では,その認識論・認識学が対象とするところ認識とは何か。認識とは脳細胞が描く像であるが,これまで,像とは何かを説いた学者はいないと説かれていた。それを初めて説いたのが海保静子先生なのであった。その内容をまとめると,像とは,視覚,聴覚,味覚,嗅覚,皮膚感覚,といった五感のすべてが動員されて形成された五感情像であり,これは人間に特有の個性的感覚像のことであり,このような感情で問いかけて対象を見るのが人間の特徴である,ということであった。このような五感情像である認識を対象として,認識を理論化・体系化したものが21世紀の新興学問とされている認識学なのであった。

 次に連載第3回では,本書で説かれている認識と言語の関係について検討した。看護においては相手の立場に立つことが必要だが,それは非常に困難であることが説かれていた。相手の立場に立つためには,病む人と関わり続けることと,時代の心とか社会の心とか人間の心といったものを,それが描かれたふさわしい小説から学び続けることが必要だと説かれていた。そのうえで,コミュニケーション論が説かれていった。ここでは,コニュニケーションとは心を分かり合うことであり,相手の立場に立っての観念的二重化=自分の観念の相手的観念化であるとして,それが可能となるためには,小説の学びだけではなく,コミュニケーションは何よりもまず言葉を介してなすものであるから,言葉(言語)とは何か分からなければならないと説かれていた。そして,三浦つとむ『認識と言語の理論T』の大事なところが引用され,その中で最も大事なところを要約して,@言葉というものは,人間と人間との精神的な交通を行なうタメのものである,A認識の成立から表現(言葉)にいたる過程的構造の解明が大事である,と二つにまとめられていた。@については,南郷先生は言語の起源から問題にされ,文化と呼べるほどの労働が生まれて,それを次世代に伝えるためにこそ,言語の誕生が促されたのだと説かれていた。このような弁証法的・唯物論的な頭の働かせ方をしっかり学ばないといけないとしておいた。Aに関しては,私たち人間の住んでいる社会の社会的認識が社会性をもって,個々バラバラになろうとする私たちの認識の創造を常に社会的にしようと努力していくということがくり返し説かれていた。これは,人間の認識は,放っておいたのでは,個々バラバラになっていくのであり,そのままでは社会の維持が不可能になってしまうので,個別像を何らかの形で共通像にしていく必要があるということである。このように個別像を共通像にするために,言語が必要であると説かれていた。言語は,社会の成員に共通して必要な文化遺産を次世代に伝えるためにこそ誕生したものであり,言語によって,文化遺産を頭の中に送り込み,共通像を形成していく必要がる,ということであった。さらに,この教育・学習という作業をしっかりと行えるための条件,認識=像の形成がうまくいくための条件として,南郷先生は3つの条件をあげておられた。一つは,実物の外界を反映させることであり,二つは,きちんとした言語とともに認識=像を形成させることであり,三つは,なるべく集団的・小社会的に行なうことであった。

 連載第4回では,本書の最後に紹介されている2つの手紙を比較することによって,受験秀才と鈍才の違いを明確にした。さらにそれを踏まえて,『“夢”講義』はどのように学んでいかなければならないのかを考えた。まず,受験秀才について,南郷先生は,事実からの反映よりも書物からの反映を大事にするので,現実を見る実力が大きく低下して,感性が豊かに育っていかない,と説かれていた。だから南郷先生は,この受験秀才的な看護学生に対して,「もっともっと事実に関わって,現実と格闘しながら感性を育てていく場を自分で努力しながらもってほしい」(p.193)と助言されていたのであった。ここに関わって非常に重要なことが説かれていた。それは,弁証法の基本書を受験国語のレベルで読破するだけではなく,現実に存在する自分の専門に関わる事実という事実と格闘することによって初めて,弁証法が息をし,動きはじめることになるという指摘であった。看護に関わる弁証法の学びの実例として,病室の廊下の歩き方,病室のドアの開け方,患者さんへの声のかけ方などが紹介されていた。鈍才の手紙については,「全文,これ弁証法性のカタマリ」と評価されていた。一読して筆者は,全てが実物の外界を反映して描かれた像の表現になっており,自分の体験した事実に基づいて全てが説かれていると感じたのであった。そして,この鈍才のように事実と格闘するための前提として,「〜したい」という大志が必須であることも説いた。この鈍才の手紙を媒介として先の受験秀才の手紙を眺めてみると,受験秀才の手紙には,自分が体験した事実が少ない,ほとんどないということが分かると説いておいた。像抜きで,文字(言葉)を解釈しているだけであり,像がないのに文字を書き綴っているという印象を受けるのであった。しかし,われわれとしては,この看護学生を馬鹿にしていればそれですむというような問題ではなく,われわれも,ともすればこの受験秀才のような文章を書いてしまうものであり,そのことを明確に自覚して,少しでも,鈍才である心理学科の学生のような文章を書けるように研鑽していかなければならないのだと強調しておいた。そのためにはどうすればいいか,さらに『“夢”講義』はどのように学んでいけばいいのか。その答えはともに,「〜」したいという強烈な思い(大志)を前提として,認識=像の形成がうまくいくための三条件を満たすべく,学習していくということであった。『“夢”講義』を学んでいく際には,実物の外界をしっかりと反映して,事実からしっかり学んで,自らの体験像を豊かにしていくと同時に,また本書に帰ってきて,その意味するところ=論理を言語でしっかりと学び,なおかつ,研究会内で討論するなどして,小社会的に学んでいかなければならないのであった。

 このように本稿で説いたことをまとめてみると,結局,『“夢”講義(1)』で一番大切なのは,認識=像の形成がうまくいくための三条件ということになるのではないか。南郷先生が本書で説かれたことはこれに尽きるのではないか,という気がしてくる。

 もう一度,この三条件を引用しておく。

「一つは,外界を反映させる作業(教育・学習)を可能なかぎり,実物の外界を反映させることです。たとえば,船を反映させようと試みるときに,なるべく模型やビデオなどではなく,実際の船をしっかりとみせることです。

 二つは,ここを行なうときにきちんとした言語とともに,つまり文字と発音をしっかりと覚えさせながら船を反映させて,認識=像を形成させることです。

 三つは,なるべく集団的・小社会的に(つまり,個人的にではなく)行なうことです。」(p.159)


 この条件は,連載第2回で説いたような認識論を踏まえて説かれたものである。すなわち,そもそも認識とは五感情像であり,5つの感覚器官を通して反映したものの合成像である。だから,認識=像の形成がうまくいくためには,しっかりと5つの感覚器官を通して実物を反映する必要がある。書物からの学びでは,視覚のみの一感覚像になってしまう。そして,連載第3回で説いたように,言語は文化遺産を伝えるためにこそ誕生したものであり,言語によって個別像が共通像になっていくのであるから,人間としての認識をきちんと形成していくためには,言語とともに認識=像を形成していくことが大切なのである。これによって個々バラバラな認識が社会的認識として育っていき,社会の維持が可能となる。さらに連載第4回で説いた受験秀才は,このような条件を満たさずに学習した者であるから,現実を反映する力が低下して,感性が豊かに育っていかなかったのである。逆に鈍才の心理学科学生は,この三条件を満たす形で学習したために,弁証法・認識論の実力をきちんと養成できたのである。このように,三条件を核として,それぞれの回で説いたことをまとめることができると思う。

 このように見てくると,われわれはたしかに秀才のたぐいの集まりではあるものの,それなりにこの三条件を満たす学習を積み重ねてきたことも分かる。たとえば,『育児の認識学』を学ぶに際しては,保育士でもない限り,実物の育児がどうしても必要となるが,われわれは自分自身の子どもを育てるにあたって,『育児の認識学』を読み込み,実際の育児の像をしっかりと形成しながら,『育児の認識学』で説かれている言語=論理と重ね合わせ,事実と論理の昇り降りをくり返すような学習を,研究会として小集団的に,行なってきているといってよい。もちろん,まだまだその量が不足しているために,われわれの書く文章が受験秀才的なものとなってしまっているのは否めない。しかし,われわれの歩みを全否定する必要はなく,本稿で説いたような学び方を常に意識して,目的意識的な学習をこれまで以上に必死に積み重ねていくしかないのである。そうすれば,おぼろげながらも学問への道が拓かれていくと確信している。

 今後,『“夢”講義(2)』以降の学びも,認識=像がうまくいくための三条件を常に忘れずに,それを念頭に置きながら,くり返しの上にくり返して学んでいく必要があるだろう。このことを確認して,本稿を閉じたい。

(了)

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2017年02月16日

認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想(4/5)

(4)秀才は像抜きの文字を解釈する

 前回は,認識と言語の関係について,本書で説かれている内容をしっかりと理解して,検討していった。言語はこれまでの世代が獲得してきた文化遺産を次世代に伝えるためにこそ誕生したのであり,個々バラバラな認識を共通像にしていくためにこそ,言語が必要なのであった。

 さて今回は,本書の「第5編 看護に必要な弁証法入門」で紹介されている2つの手紙を俎上にのせ,受験秀才と鈍才の違いをしっかり理解することに努めたい。そして,それを通して,『“夢”講義』はどのように学んでいかなければならないのかを考えたいと思う。

 まず,受験秀才の書いた手紙について,南郷先生が指摘されていることを確認したい。受験国語力的頭のよさの危うさについて,次のように説かれている。

「通常の人たちは,受験用ではあっても,頭がよいことは「よいことだ」と信じがちです。でもこれは,反面では危ういことでもあるのです。どういうこと? と反問されそうです。簡単にいいますなら,一般的に頭のよい人というのは頭脳活動がイキイキしていますので,ついつい,事実からの反映よりも書物からの反映を大事にし,かつそれを信じて自分の実力にしてしまいます。思春期・青春期の脳細胞の発育・発達にとっての大切な時期を,受験用の勉強によって大きく無駄にしてしまっているのです。

 その結果,現実をみる実力が大きく低下して育っているだけに,現実をみる機会をなるべく避けて頭のなかに出来事を創りだします。そのほうがよほどに楽ですから。それだけに,ますます現実をよくみるのはとても大変なことにもなるものですから,ますます書物やビデオですませがちになります。

 これは困ったことになっていきます。たとえば,書物で学んだことは現実味を欠いていますので,感性がなかなか豊かに育ってはくれません。」(pp.192-193)


 ここでは,受験秀才は,事実からの反映よりも書物からの反映を大事にするので,現実を見る実力が大きく低下して,感性が豊かに育っていかない,と説かれている。連載第3回で紹介した「認識=像の形成がうまくいくための条件」のうちの一つ目である「実物の外界を反映させること」が大きく欠けてしまうがゆえの欠陥ということであろう。そのため,南郷先生は,この受験秀才的な看護学生に対して,「もっともっと事実に関わって,現実と格闘しながら感性を育てていく場を自分で努力しながらもってほしい」(p.193)と助言されている。

 これと同様の内容が,非常に分かりやすく説かれている部分がある。南郷先生は,弁証法の学びは「空手の学び」と同じであり,自分の専門分野の問題と闘って,その問題を解決する(勝つ)だけの鍛錬が必要となるとした後,次のようにまとめられている。

「ですから仮に『弁証法はどういう科学か』を何百回読んでも,あの書物のなかのすべての問題がなんなく解けても,専門分野の問題に立ち向かう実力が弁証法的についていなければ,なんの意味もありません。空手の修練が,受験国語のレベルで空手の本を読破することではないように,弁証法の学びも弁証法の本を読破することではありません。

 空手の学びと同じように自分の専門分野の本だけではなく,知識だけではなく,現実に存在する自分の専門に関わる事実という事実と格闘することによって初めて,弁証法が息をし,動きはじめることになるのです。」(p.206)


 ここでは,弁証法の基本書を受験国語のレベルで読破するだけではなく,現実に存在する自分の専門に関わる事実という事実と格闘することによって初めて,弁証法が息をし,動きはじめることになると説かれている。「弁証法が息をし,動きはじめる」というのは,非常に印象的な表現である。

 そして,看護に関わる弁証法の学びの実例として,次のようなものをあげておられる。

・病室の廊下の歩き方
・病室のドアの開け方
・患者さんへの声のかけ方
・患者搬送のタンカの運び方
・体温計の持ち方・持たせ方
・看護関係者同士の挨拶の仕方

 このような,自分が体験する事実で弁証法を学んでいかなければ,本当に学んだとはいえない,ということであろう。

 では次に,弁証法を学んだ鈍才である心理学科学生の手紙を見ていきたい。手紙の主は南郷先生によって「弁証法への学びのトップレベルへたどりつく可能性をもちはじめてきている」「在学していた大学のほとんどの教授の上位のレベルの心理学の実力を把持するまでに,わずか数年というより,二年有半で行なった」(p.209)と絶賛されている。また,手紙については,「全文,これ弁証法性のカタマリ」と評価されている。

 手紙は卒業にあたって,大学4年間を1時間以内で振り返るというものである。毎日が変化の連続であったことや弁証法が分かるようになるために何もかも全て弁証法的に生活するようになったことが説かれる。そして,大学の授業内容を1時間でレポートとしてまとめていたこと,その中で話にレベルがあって大切なのは一般的な話だと気づいたことが述べられている。また,生まれ変わるべく,食事や服装,読む本や歩き方,友達の付き合い方も変え,それが直接に弁証法を学ぶことであったとして,「友達との認識の「相互浸透」のありかたをよくみて,それによって私自身がどのように「量質転化」していくのかを考え」(p.212)たなどと説かれている。さらに,南郷先生に二重化する際に,段階を設けて,他の先達を中間目標としたことや,志を抱く意義は将来のあるべき自分から今の自分をみてとることであることなどが説かれている。

 一読して,本当に大学での4年間分の像が集約されたレポートになっていると感じた。全てが実物の外界を反映して描かれた像の表現になっている。自分の体験した事実に基づいて全てが説かれているのである。事実と格闘することによって,弁証法が息をし,動きはじめるとはこのようなことかという見事なお手本といえるのではないか。

 ここで,事実と格闘するということについては,もう少し突っ込んで考えておきたい。そもそも,なぜ事実と格闘する必要があるのか。それは端的には,「〜したい!」という志(大使)があるからこそである。大志の重要性は,南郷先生が常々強調されているところであるし,この鈍才の手紙にも説かれている。

 この大志の重要性については,われわれの師も,くり返し説いておられる。2001年に筆者が師の主催されているゼミに初めて参加したときも説かれていた。ここに,その時のレポートを2箇所、引用しておく。

「講義の初めに学んだことは,まさにこの問題に関連していた。その学んだこととは端的にいうと,弁証法を学ぶ目的がはっきりしていないと学び方を云々することはできない,ということである。考えてみれば当たり前のことであって,これは旅行するのに目的地を決めないことには,どのような手段でそこに辿り着くのかを決定できないのと同じ事である。私には目的地=「〜したい」という強烈な目的意識が欠如していたのである。以前から感じていたなんとなく不安な思いというのは,どこに行くのかも決めていないのに歩いていくより電車で行った方がいいだろうなどと考えていることから生じたものであろう。」


「最後に一番大事なことは,すべての実践を「〜したい」という人生の大目的につながるように位置付ける必要がある,ということである。「〜したい」というのが核になって,そのまわりに学んできたものがくっついている状態になって初めて,知識は動きだし,使えるようになるのである。」


 師の講義再現と,筆者の感想が混在しており,恥ずかしい限りのレポートではあるが,要するに,学ぶ目的を明確にし,すべての実践を「〜したい」という人生の大目的(大志)につながるように位置付けてこそ,学んだ知識が動き出し,使えるようになる,ということである。南郷先生の「弁証法が息をし,動きはじめる」との表現と,師の「知識は動きだし,使えるようになる」との表現は,非常に似かよっており,説かれているのも同様の内容だと考えられる。

 以上をまとめるならば,「〜したい」という大志があってこそ,事実と格闘というレベルで関われるようになるのであり,そうしてこそ,弁証法の知識も動き出すのだ,弁証法という認識=像の形成がうまくいくのだ,ということであろう。筆者も,目の前のクライエントの心の問題を少しでも早く,効率的に解消したい,そのために認識学を何としてでも構築したい,という大志を常に把持して,それを育てていかねばならないと痛感した。

 この手紙を紹介した後,南郷先生はこの心理学科の学生に,『弁証法はどういう科学か』の学び方について指導したことが,以下のように説かれている。

「指導したことは,毎日必ず一時間学ぶこと,そして学んだ内容を自分の日常生活の事実でわかること,です。二つは,以上のことを,理解したこと・理解できなかったことに分けて,理解できたことは自分の生活の実例で説き,理解できなかったことは書物のなかの事例でどうわからないのかを説明して三十分から一時間で筆記(ワープロではなく)すること,です。用紙は授業のモノと同じく,レポート用紙一枚としました。

 ……加えて,本人が一番嫌っていた読書を実行させました。歴史モノ・社会派推理モノ・古典文学に関してのモロモロの書を,一週一冊単位で読破させました。」(p.216)


 ここで書かれていることは,そのまま,われわれは学生時代に『綜合看護』でこの部分を読んだときに実行したものであった。加えて筆者は,このあと通うことになった大学院で,手紙にあったように,授業内容を1時間以内でレポートにまとめる作業も行ったものであった。

 それにしても,南郷先生は本書の最後におそろしいことを書いておられる。それは,上記のような学習を継続したことによって,「当然に,心理学のあらゆる分野の理解が最高になり,どんなに遅くとも二十年後には,学問としての「精神科学」の確立が可能になる! との予測さえ述べたいほどの現在」(p.216)であるというのである。手紙の日付が2001年3月19日であるから,20年後というと2021年である。遅くとも2021年に学問としての「精神科学」の確立が可能だというのである。当時は「20年後か」などとのんきに考えていたが,2017年となった現在では,もはやあと4年以内ということである。

 閑話休題,この鈍才の手紙を媒介として先の受験秀才の手紙を眺めてみると,その特徴が明確に浮上する。端的には,受験秀才の手紙には,自分が体験した事実が少ない,ほとんどないということである。自分が創り出した体験像が希薄なのに,分かったかのように説いている。像抜きで,文字(言葉)を解釈しているだけであり,像がないのに文字を書き綴っているという印象を受ける。

 南郷先生は,この学生には弁証法の学びが欠けているから,『“夢”講義』が分からないのだと説いておられる。実物の外界(事実)をしっかりと反映させることが少ないから,事実のもつ弁証法性が反映せずに,書物ばかりの反映だから認識が弁証法性を帯びないのであろう。

 しかし,われわれとしては,この看護学生を馬鹿にしていればそれですむというような問題ではない。率直にいえば,われわれは鈍才の心理学科の学生のような文章というよりは,この受験秀才の看護学生のような文章を書いていることをしっかりと自覚しなければならない。見る人が見れば,われわれの文章は,まさしくこの秀才の文章と同じであるかもしれないのである。

 もともと秀才といっていいわれわれは,ともすればこの受験秀才のような文章を書いてしまうものであり,そのことを明確に自覚して,少しでも,鈍才である心理学科の学生のような文章を書けるように研鑽していかなければならないのである。そのためにはどうすればいいか。ここでも連載第4回で触れた認識=像の形成がうまくいくための三条件をクリアーしていくことが求められる。三条件とは,実物の外界を反映すること,きちんとした言葉とともに認識を形成すること,小集団的に学習すること,であった。受験秀才的な学習の仕方では,この三条件をみたすことができないのである。逆にいうと,われわれは,この三条件を常に念頭に置きながら学習していかなければならないのである。その意味で,この三条件は決定的に重要な内容であるといえるだろう。

 では,以上を踏まえて,『“夢”講義』をどのように学んでいけばいいであろうか。端的にいうならば,『“夢”講義』に学んでいく際にも,この三条件を満たす形で学んでいく必要がある。たとえば,想像力豊かなジルーシャでも,入ったことのない普通の家の中には想像力が及ばなかったということが説かれていたが,これと同じような具体的な事実を探して,そこでこの論理を何度も何度も確認していく。目をつぶってバラの香りを嗅いだ場合,嗅覚しか働いていないのに,バラの花の形や皮膚感覚も感じている,これが認識は感覚の合成像であるという意味である,と説かれていれば,同じように,目をつぶってある対象を認識することをくり返し試みてみて,あるいは,視覚だけしか働かないような状況でも,味や香りも感じていることを確認していき,認識は合成像であるということの意味を深めていく。病室の廊下の歩き方,病室のドアの開け方,患者さんへの声のかけ方も弁証法を学ぶ材料であると説かれれば,看護師と同様に病院に勤務する心理士である筆者であれば,これを弁証法の学びとしてさまざまな実践・実験を行っていく。

 このように実物の外界をしっかりと反映して,事実からしっかり学んで,自らの体験像を豊かにしていくと同時に,また本書に帰ってきて,その意味するところ=論理を言語でしっかりと学んでいく。さらにこれを小社会的に行なっていく。われわれの場合でいえば,学んだことをしっかりとレポートにまとめて,師や会員に送り,それに対して別の会員はしっかりコメントをする。あるいは,『“夢”講義』の内容で理解できないところをしっかりと師に質問する。このようにして,本書を小集団的に学んでいくことが,認識=像の形成がうまくいくためには必要である,ということなるだろう。

 そしてそのような事実との格闘の前提として,「〜したい」という大志が必要であることもしっかり再確認しておかなければならない。このような大志がなければ,事実と格闘し続けることができず,その結果,学んだ知識が息をし,動き出し,使えるようにはならないのである。

 以上今回は,秀才の手紙と鈍才の手紙との比較から,秀才の欠陥を確認して,それを踏まえて,どのように『“夢”講義』を学んでいけばいいのかについて考察した。

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2017年02月15日

認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想(3/5)

(3)認識と言語の関係を問う

 前回は,『“夢”講義(1)』で説かれている認識論の基本を確認した。認識論とは,「アタマとココロのはたらきを立派にするための学問」という主体的な性格をもつものであり,学問体系としての認識学とは,五感情像たる認識をその原点から弁証法的に,そして唯物論的に説ききるものであった。

 今回は,「第2編 看護に必要な「認識と言語の理論」」と「第3編 学問的に説く「認識と言語の理論」」で説かれている認識と言語の関係について検討したい。

 ここではまず,看護においては相手の立場に立つことが必要だと論じられ,しかし,相手の立場に立つことは非常に困難であることが説かれる。その中で,『あしながおじさん』の主人公であるジルーシャが取りあげられている。ジルーシャは想像力豊な少女であったが,普通の家の中に入ったことがないので,普通の家の中へは空想であっても入っていけないのであった。それと同様に,看護学科の学生も,自分が経験したことのない普通ではない人の心を思いやること=病んでいる人の立場に立つことは難しいのである,と説かれている。

 ではどうすればよいかというと,心理学などに頼るのではなく,「看護とは」が分かって初めて相手の立場に立てるとして,「病む人の心や気持ちというものは,その病む人と関わることによってだけ,少しまた少しとしだいに大きくわかっていくことができる」(p.103)と説かれている。さらに,「看護とは」の全体像をしっかりと描くためには通常の人間の全体像が描けている必要があり,そのためには社会と歴史の学びが大事であるとして,歴史を題材とした時代小説,人間の心を主題にしている小説,社会派とされている推理小説の三つを挙げ,時代の心とか社会の心とか人間の心といったものを学び続けることが推奨されている。

 この後,コミュニケーション論が展開される。ここからが今回の中心主題である。コニュニケーションとは心を分かり合うことであり,相手の立場に立っての観念的二重化=自分の観念の相手的観念化であるとして,それが可能となるためには,その時代における社会一般の中の人の心というレベルで心とか気持ちがわからなければならないとされている。したがって,そのようなコミュニケーションの過程を学ぶためには,やはり,時代の心,社会の心,人の心が分かるようになるよう,ふさわしいしっかりとした小説を読むことが大切だと説かれている。

 さらにそれだけではなく,コミュニケーションが可能となるためには,コミュニケーションは何よりもまず言葉を介してなすものであるから,言葉(言語)とは何かを明確にしなければならないとして,三浦つとむ『認識と言語の理論T』の大事なところが引用される。そしてその中で最も大事なところを要約して,次の二つにまとめられている。

@言葉というものは,人間と人間との精神的な交通を行なうタメのものである
A認識の成立から表現(言葉)にいたる過程的構造の解明が大事である(p.120)

 この2つを順に見ていきたい。

 まず,@である。「言葉というものは,人間と人間との精神的な交通を行なうタメのものである」というのはどういうことか。これは,ごく単純に考えれば,自分の認識を相手に伝え,相手の認識を自分が理解するためにこそ,言葉が存在する,ということであろう。しかし,南郷先生は,言語の起源から問題にされている。すなわち,猿から人間へと発展する中で,いかにして言語が誕生したのか,その必然性を説いておられるのである。結論部分では,次のように説かれている。

「結論的にいいますと,言葉すなわち言語は,人類の労働の誕生を原点として誕生したのだ,ということです。すなわち,人類の文化の重層化を次世代に教育するため,あるいは,遺産として残す(伝える)ほどの文化の積み重ねを人類の労働が果たしたことが,言葉・言語の誕生をうながしたのだということです。」(p.124)


 ここでは,文化と呼べるほどの労働が生まれて,それを次世代に伝えるためにこそ,言語が誕生したのだと説かれている。身振り・手振りだけでは伝えられないほどに,文化遺産が重層化・複雑化していったため,それをきちんと次世代に教育できるようにするために,言語が誕生したということである。

 このように,何を問題にするにしても,その起源から解明しようとし,実際に解明されているところが南郷先生の凄いところである。起源を問題にするというのは,原点からの生成発展を説こうということであるから,弁証法的な考え方であるといえる。さらに,世界は物質的に統一されており,物質一般から特殊な物質は誕生するという唯物論的な世界観をしっかりと把持し続けているからこそ,特殊な物質といえる言語の誕生について説けるのであるから,唯物論的な考え方に貫かれているともいえる。したがって,われわれとしては,南郷先生は凄いといっているだけではダメであり,われわれもしっかりと,このような弁証法的・唯物論的なアタマの働かせ方を徹底して訓練していき,技化していかなければならない。そのためにこそ,『“夢”講義』に学んでいるのである。

 次にAである。「認識の成立から表現(言葉)にいたる過程的構造の解明が大事である」とはどういうことか。

 まず,南郷先生は,人間の認識と動物の認識との違いを説かれている。動物の認識=像は,本能が創り出すものであるが,人間の認識は本能を失った分,一人では生きていけないのであり,必ず社会的にのみ,自分を生かし,活かすことが可能となると説かれている。どれほど個性的だと思っている認識であっても,人間の認識はすべて社会的であり,社会性を帯びているとした後,次のように説かれている。

「これは端的には,私たち人間の認識は,本能が創ったモノではなく,私たち人間の住んでいる社会の社会的認識が社会性をもって,個々バラバラになろうとする私たちの認識の創造を常に社会的にしようと努力しているからなのです。」(p.137)


 すなわち,社会的認識が,個々バラバラになろうとする私たちの認識の創造を常に社会的にしようと努力しているということである。

 これはどういうことであろうか。われわれ人間は,本能が薄れている分,認識の形成は非常に個性的にならざるをえない。ひとりひとり,生まれた瞬間の外界が違うし,それ以降の外界も,大きく,あるいは小さく,違っている。また,外界を受け取る感覚器官の実力も,5つの感覚器官のバランスも,人それぞれであり,決して同じではない。そうなると,感覚器官を媒介として形成される認識=像は,同じ対象を見ていたとしても,決して同じにはなりえない。個々バラバラな認識が蓄積されていくのであるから,これまでの蓄積した像でもって対象に問いかけ,対象を反映するとなると,ますます違ったように反映していくことになる。このように,人間の認識は,放っておいたのでは,個々バラバラになっていくのであり,そのままでは社会の維持が不可能になってしまうのである。

 そこで,「私たち人間の住んでいる社会の社会的認識が社会性をもって,個々バラバラになろうとする私たちの認識の創造を常に社会的にしようと努力して」いくことになるのである。ここの部分を,南郷先生はくり返し,言葉を変えながら諄々と説いておられると思う。たとえば,社会的に生きる力を身につけるためにシキタリに従う能力を培う必要がある(p.134)とか,外界の反映を社会関係的な反映として行わせるのが母親の仕事である(p.144)とか,社会関係の中で言葉を覚えさせ使わせ,言葉を使うことによって社会的なルールを覚えさせる必要がある(p.146)とかである。

 そして,その極めつけともいえるのが,「個別像を共通像にするために言語は必要である」と題された節で説かれている内容であろう。ここでは,人間の認識は個性的な像として存在しており,人によって異なっているが,それを異なったままにしておくわけにはいかないとした後,次のように説かれている。

「そこで当然にそれを共通の像にしていく作業(教育・学習)が必要となります。

 ここに言語の必然性の一つがあるのです。しかもこの作業(教育・学習)は頭のなかから始めるわけにはいきません。なぜなら,頭のなかの像を外へだすことは不可能だからです。そこで,外から頭のなかへ,なるべく共通の像を送りこむことによってのみ,この作業(教育・学習)をしっかりと果たすことが可能になるわけです。」(pp.158-159)


 ここは当初,非常に難解で,どういうことかよく分からなかった。しかし,研究会の会員と討論したり,今見てきたように本書の大きな流れを確認して,その中に位置づけたりすることによって,ここで説かれていることの内容が見えてきたのであった。それは以下である。

 くり返し説かれているように,人間の認識は,個性的な像として存在している。個々の人間が描いている像は個別像なのである。しかし,そのままでは社会が維持できない。したがって,個別像を共通像にしていく必要があるのである。ここでいう「共通像」というのが一つのポイントである。これは,ある社会の成員が共通してもっているところの認識であるから社会的認識のことであり,本書で説かれていたことを踏まえるならば,言語によって伝えられる文化遺産である,といってもいいだろう。

 言語は,精神的な交通のためのものであった。すなわち,自分の認識を相手に伝え,相手の認識を自分も描くためのものである。そうすると,言語は,共通な像を描くためのものである,ということもできるわけである。そして言語の起源として説かれていた内容は,言語は,重層化した文化遺産を次世代に伝えるためにこそ,誕生させられたのだということであった。すなわち,世代を超えて,共通の像を描くためにこそ,言語の誕生が促されたのである。これまでの世代が獲得してきた,社会の成員が共通してもっていなければならない認識を伝えるためにこそ,言語が成立したのである。

 このような内容を踏まえるならば,「個別像を共通像にするために言語は必要である」ということの中身も,先の引用文の中身も,素直に理解することができる。すなわち,人によって異なった認識を,共通の像にしていく作業(教育・学習)のためには,言語によって(言語を媒介として)文化遺産を頭のなかに送り込むことが必要だ,ということである。

 南郷先生は,この教育・学習という作業をしっかりと行えるための条件,認識=像の形成がうまくいくための条件として,次の三つをあげておられる。

「一つは,外界を反映させる作業(教育・学習)を可能なかぎり,実物の外界を反映させることです。たとえば,船を反映させようと試みるときに,なるべく模型やビデオなどではなく,実際の船をしっかりとみせることです。

 二つは,ここを行なうときにきちんとした言語とともに,つまり文字と発音をしっかりと覚えさせながら船を反映させて,認識=像を形成させることです。

 三つは,なるべく集団的・小社会的に(つまり,個人的にではなく)行なうことです。」(p.159)


 すなわち,実物をきちんとした言語とともに集団的・小社会的に反映させていく,ということである。

 これは,今まで説かれていたことの総まとめといえるだろう。われわれは,たとえば育児をする際にも,子どもにこの三つの条件がしっかりそろった形で教育していかなければならない。また,弁証法の学習も同じである。たとえば,量質転化であれば,実際に自分で量質転化を起こしてみる。相手に起こさせてみる。それをしっかりと反映しなければならないし,『弁証法はどういう科学か』の定義に重ね合わせながら,集団的に学んでいく必要がある。個人的に学ぶと,どうしても自分勝手な解釈になりがちであり,文化遺産としての共通の像をきちんと描くことができないからである。

 以上,今回は認識と言語の関係について見てきた。端的にまとめておくと,認識の表現が言語であるというだけではなく,言語はこれまでの世代が獲得してきた文化遺産を次世代に伝えるためにこそ誕生したのであり,そのことによって個々バラバラな認識が,共通の像として整えられていくのであった。
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2017年02月14日

認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想(2/5)

(2)認識論の基本を確認する

 本稿は,学者になれるよう,自らの頭脳活動を見事にしていくために! という問題意識・目的意識をもって,南郷継正『“夢”講義(1)』に学び,その成果を認めていく論考である。

 今回は,本書の「第1編 看護に必要な認識論入門」の内容を取り上げ,認識論とは何かをしっかりと再確認したい。

 まず,認識論とは何かについて,南郷先生は端的に,次のように説いておられる。

「……認識論とは,ここでは簡単には頭脳活動の理論であり学問です,と答えておきます。端的にはアタマとココロのはたらきを立派にするための学問です。

 ですから,看護を学問的に学びたい人に,それを学びとる術,方法を学ぶ学問の一つなのです。もちろん,心理学を学問的に学びたい人へ向けての,学びとる術であり,方法でもありますので,御心配なくどうぞ! です。」(pp.29-30)


 前半部分は,連載第1回でも触れた内容である。すなわち,認識論はアタマとココロのはたらきを立派にするための学問であるということである。このように,認識論を客体についての理論と考えるのではなく,あくまでも自分の頭脳活動に活かすためのものとして主体的に捉える必要があることを,再度確認しておきたい。

 後半部分は,心理学を学んでいる筆者にとっては特に,非常に重要な内容が説かれているように思う。ここで説かれていることを心理学に限って言い換えるならば,認識論とは,心理学を学問的に学びとる術・方法である,ということになる。逆からいうと,認識論がなければ,心理学を学問的に学びとることはできない,ということになる。

 これは一体どういうことであろうか。これを理解するためには,「学問的に学びとる」という場合の「学問」とは何か,ということが分からなければならない。本書では,学問とは「対象の性質を論理として把握して体系化したもの」であり,「体系とは,自分の専門分野のすべてを一本の筋をとおしきって人間の体の系統のように説く(解く)こと」(p.45)であると解説されている。その上で,瀬江千史先生の『看護学と医学』上巻が引用されている。孫引きになるが,大切な部分を引用したい。

「人間の体はみればわかるように,頭がありその下に体幹があり,体幹から手,足が出ている。そして,全身が頭に存在する脳によって,神経・ホルモンを介して完全に統括されている。

 このようにあるべきところにきちんとあるべきものがあり,それが一貫してつながってひとかたまりになって脳の支配の下に統括されながら活動していけるものが,体系なのである。頭が体幹の下にあっても体系でなく,手の部分に足がついていても体系でなく,さらにそれが脳に統括される神経によってきちんとつながっていて活動することができなければ,また体系ではないのである。

 学問体系は,これにたとえて,本質論が頭,構造論が体幹,現象論が手足であり,全体系を貫く論理性が神経ということになるが,これまた当然に脳,すなわち本質論によって統括されていなければ,つまり本質論につながる構造論でなければ,そしてそれが活動できなければ学問としての体系ではないのである。」(p.46)


 すなわち,学問体系とは,人間の体の体系のように,あるべきところにきちんとあるべきものがあり,それが一貫してつながってひとかたまりになって本質論によって統括されながら活動していけるものということである。

 ここで先の問いに戻ろう。問題は,認識論とは心理学を学問的に学びとる術・方法であるとはどういうことであろうか,であった。今見てきた「学問とは何か」「体系とは何か」の解説を踏まえるならば,それは,心理学をバラバラの知見の集積として学ぶのではなく,一貫してつながったひとかたまりのものとして学びとるためには,そして,それをしっかりと活動させていき機能させていくことができるように学び取るためには,認識論の学びが必要である,ということではないか。

 南郷先生が引用されている『看護学と医学』上巻の文章の中には,事実のいわゆる大系と論理の体系の違いは,「会社とは名ばかりのガランとした大きな建物のなかで,社員千人がただ右往左往している」ことと,「千人の社員が,会社の規範(=法律レベルの)に従って社長―部長―課長―係長―平社員と,会社内のそれぞれの部署に整然と配置され,規範に基づいてくだされるひとつの指揮系統の流れのなかで仕事をしている」こととの違いのようなものであると説かれている。これがいってみれば,心理学と,認識論によって心理学を学問的に学びとったものとの違いということになるだろう。要するに心理学は,たくさん知見があるがバラバラなのであり,一つのまとまりとして活動していくことも機能することもできない。それに対して,認識論で心理学を学問的に学びとれば,一貫してつながったものとして活動でき,巨大な力を発揮できるということであろう。

 では,心理学を学問的に学び取るだけではなく,認識論をしっかりと学問体系として構築した場合の認識学とは,一体どのようなものであろうか。ここに関して,南郷先生は次のように説いておられる。

「認識学とは,読んで字のごとくに認識を問う学問であり,それも部分的にではなく,認識に関わるすべてを説く学問です。

 認識とは端的には,人間の頭脳活動のことであり,簡単には,アタマのはたらきとココロのはたらきです。

(中略)

 認識学とはすなわち,これらの社会的・家庭的・個人的な認識の過去かつ現在,そして未来を学問的レベルで問うて論じること,すなわち体系的レベルで認識のすべてを論じきるものです。

 端的には,認識学とは人間の頭脳活動である認識を,歴史的・具体的に探究して,それらを論理化し,理論として学問的に体系づけてできあがるものです。」(pp.49-50)


 すなわち,認識学とは,人間の頭脳活動(アタマの働きとココロの働き)たる認識のすべてを体系的レベルで論じきるものである,ということである。

 そして,その認識学の三本柱について,南郷先生は次のように説かれていく。

「一つは,人間はどのようにして発展してきて現在の人間になったのかを,認識からとらえ返した人類の認識としての発展過程の論理構造を説くこと。

 二つは,人間は一般的にいかなる認識の発展過程をもっているか,かつ,いかなる発展過程をもたせるべきかの論理構造を説くこと。

 三つは,人間の認識の一般的発展ではなく,個としての人間,社会的個人としての人間の認識の発展過程の論理を説くこと。」(p.50)


 少し補足すると,一番目は,文化史として存在するものの学問的レベルにおける論理化であり,哲学の生生発展の論理構造を人類の認識の頂点形態の発展として説くことになるという。二番目については,ここを簡単に分かるためには,保育園・幼稚園を含んだ日本の教育の流れを,その教科書を一列に並べて見渡すことであるとされている。三番目は,現代までの歴史上の精神医学・心理学の集大成だということである。

 ここは非常に難解なところであるが,ごく表面的ではあっても理解できることが二つある。一つは,心理学を学問的に学び取った内容は,せいぜい認識学の三本柱の一部にすぎないことである。

 もう一つがより肝心な点であるが,認識学とは,認識の原点から,それも系統発生的な原点と個体発生的な原点の二つの原点から,一貫して筋を通して説ききるものである,ということである。原点からの生成発展を説くという意味では,非常に弁証法的であるといえるし,精神は物質から誕生したのであり,その起源から説くという意味では非常に唯物論的であるともいえると思う。

 では,認識学が説くところの認識とは,そもそも何であるのか。南郷先生は,認識とは脳細胞が描く像であるという。しかし,この文言自体は,これまでの認識論の書物にも説かれていたが,その中身は説かれたことはなかったと指摘されている。すなわち,書物には認識は像であるとの言葉はあるが,その内容は何もないというのである。そのうえで,次のように説かれている。

「「そんなバカな!」と思われる読者が多分にいるはずです。

 でもこれは本当なのです。というのも,この認識の内容,つまり,像の内実を含めての像とはなんなのかを,その形成プロセスとともに,説(解)いたのは私の弟子である海保静子さんが初めて! といってもよいものだからです。これは今を去ること,二十五年ほど前のことでした。」(p.60)


 すなわち,認識とは像であるという場合の「像」とは何か,その内実を説いたのは,海保静子先生が初めてである,ということである。この認識学史上の偉大な発見は,本書によると1981年頃ということになっている。その約10年後に,南郷先生がこの大発見を記念して講義された講義録が本書には掲載されている。その中で,像とは何かについて説かれている部分を3箇所,引用する。

「ならば,その像,とはそもそもなにか,といえば五感情像である,ということになる。すなわち視覚だけではない。聴覚がそこに加わっているだけでもない。味覚,嗅覚,皮膚感覚,といった五感のすべてが動員されて「像」が形成されている。そして杉の木をみたときに,その像が頭のなかに結ばれることを反映といい,この像のことを認識という。」(p.63)


「もし動物だとしたら感覚像でしかないから,猫なら猫としてすべて同じ反映となる。ところが人間には個性があるからけっして同じ反映にはならない。つまりわかりやすくいうならば,「個性的感覚像」のことを「五感情像」という。」(pp.65-66)


「このように杉の木をみたときも,ただ単に杉の木をみるんじゃなく自分の感情で杉の木をみる。杉の木のそのままではなく,自分のアタマのなかにできあがっている杉の木の像でもって,その人の感情で対象に問いかけている。

 ……人間はその人の感情で杉の木の像が描かれる。それが感情像ということである。」(pp.66-67)


 ここでは,像とは,視覚,聴覚,味覚,嗅覚,皮膚感覚,といった五感のすべてが動員されて形成された五感情像であり,これは人間に特有の個性的感覚像のことであり,このような感情で問いかけて対象を見るのが人間の特徴であると説かれている。

 したがって,認識学とは,このような五感情像である認識が系統発生的にどのようにして誕生したのか,また個体発生としてもどのように誕生するのか,そして系統発生としてはどのように発展してきたのか,個体発生としてはどのように発展させていくべきなのかを解明し,それを踏まえて,社会的個人としての認識の発展過程の論理を説ききることであるといえるだろう。

 これ以上にないくらいな壮大なスケールであり,まさにかつてない,21世紀の新興学問というのにふさわしいような内容であると思う。

 これから一年間に渡って『“夢”講義』をしっかり学び直していくわけであるが,『“夢”講義』で説かれる認識学はこのようなものであるということを常に念頭に置きながら,一貫してつながったひとかたまりのものとして学んでいく必要があると痛感した。

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2017年02月13日

認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想(1/5)

目次

(1)21世紀の新興学問である認識学を学ぶ
(2)認識論の基本を確認する
(3)認識と言語の関係を問う
(4)秀才は像抜きの文字を解釈する
(5)『“夢”講義』は鈍才的に学ばなければならない

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(1)21世紀の新興学問である認識学を学ぶ

 本稿は,南郷継正『なんごうつぐまさが説く 看護学科・心理学科学生への“夢”講義(1)』(現代社,以下,『“夢”講義(1)』とする)にしっかりと学び,その学びの成果を認める論考である。

 年頭言でも書いたように,2017年は『“夢”講義』全6巻をしっかりと学んでいく予定である。具体的には,2か月に1回,本ブログで感想文を書く。そのために,京都弁証法認識論研究会全体で『“夢”講義』を復習しながら,定期的に『“夢”講義』読書会を開催し,1巻ごとに各会員が学んだことを交流したり,疑問点を議論したりして,理解を深める取り組みを行うつもりである。本稿連載に先立って,『“夢”講義(1)』の読書会を行い,その内容を本稿に反映させている。

 南郷継正『“夢”講義(1)』といえば,筆者にとっては非常に懐かしい思いのする書物である。一つには,筆者は1998年に三浦つとむさんや南郷継正先生の著作に邂逅し,その年から『綜合看護』を定期購読するようになったのであるが,翌1999年から本書のもとになった論文が『綜合看護』誌上に連載され始めたのである。まるで,筆者が『綜合看護』を読み始めるのを待っていたかのようなタイミングであった。当時,玄和会の知人は「師範の連載が始まったから,これからは『綜合看護』を2冊ずつ定期購読する」と興奮気味に話しておられた。その頃の筆者自身はあまりよく分かっていなかったが,『武道講義』全4巻が完結して以来の新連載だったから,玄和会の会員のみならず,南郷先生のファンにとっては待望の論文だったのである。筆者自身も,まさか南郷先生の連載論文を読めるようになるとは思ってもおらず,そのタイトルにも惹かれて,夢中で学び出したことである。

 もう一つの思い出は,『“夢”講義(1)』で紹介されている海保静子『育児の認識学』(現代社)の書評に関わる。『育児の認識学』は,これまた1999年に出版された著作であり,われわれは出版と同時に学び始めたのである。当時筆者は,メールを通して,南郷先生に学ぼうとされている方々と交流していた。その中に,この書評を書かれた湯浅俊夫さんがおられたのである。湯浅さんは『育児の認識学』が出版された翌年に,『論座』に書評を書いたとメールを通して知らせてくださった。当時のメール仲間の間ではかなりの話題になったと記憶している。何せ,『育児の認識学』を正式に取り上げた初めての書評だったのだから。さらなる衝撃が走ったのは,その後しばらくしてから,『綜合看護』で南郷継正先生がこの書評を取り上げて,絶賛された時だった。南郷先生は次のように説いておられる。

「『論座』七月号に載った書評は「『認識とは何か』を原点に構築された保育の理論」というタイトルで論じられているのですが,その論文が見事なまでに『論文』となっているのにびっくりさせられました。といいますのは以下のことです。

 『実は,私はかつて三十九歳になったころ,……ある高名な学者に論文の書きかたを教わることにしました』と連載三回目の“夢”講義に書きましたが,そのとき教わった論文の書きかたの全きそのままの書き出しで驚かされ,そして全体としての論の展開も,その内実も『お見事!』そのものであり,私はうなりっぱなしでした。

 筆者は湯浅俊夫さんといい,予備校講師とありましたが,こんな先生に教わっている生徒は幸せだろうな,としみじみ思ったことでした。

 とにかく,その論文の言葉の一つ一つに一言の反論とてなく……,あまりにもの完璧な『育児の認識学』の紹介になっていたのです。一瞬,あたかも自分がその筆者であるかのような錯覚すらおこしたものです。」(pp.166-167)


 要するに,湯浅さんの書評は完璧な『育児の認識学』の紹介になっている見事な論文であり,あたかも自分が書いたものであるかのように感じた,ということである。この南郷先生の絶賛を読んだ後,湯浅さんは「多少は評価していただけたようで,安心した」というようなことをおっしゃっていたと思うが,「多少」どころではない。南郷先生から学ぼうとしている者にとって,「あたかも自分がその筆者であるかのような錯覚すらおこした」などという評価は,これ以上ないものである。この後,筆者は湯浅さんから本格的に論文の書き方を学んでいくことになったのである。

 このように,『“夢”講義(1)』は,非常に思い出深い著作であり,筆者が弁証法や認識論を学び始めた当初の懐かしい記憶を想起させてくれる著作なのである。

 ではなぜ『“夢”講義』を研究会をあげて集中的に学び直すことにしたのか。その問題意識・目的意識をここで明確にしておきたい。

 端的には,われわれは学者を目指しているからである。学者となるためには,当然に,論理能力を養成しなければならない。簡単にいえば,アタマをよくしなければならないのである。そのためにこそ,すなわち,アタマ(とココロ)の働きを見事にするためにこそ,われわれは「看護と武道の認識論」という副題のついた『“夢”講義』に認識論を学ぶのである。

 ここに関わって,南郷先生は「まえがき」で次のように説かれている。

「そこで,私が青春時代に悩みに悩んだアタマとココロの問題を理論的・体系的(ただしやさしく)に説くことにより,若い世代のみなさんが自分たちの人生問題,社会問題で,あまり悩むことなく問題を解決して生きていけるような能力(頭脳活動)を育てていってほしいと願っての本書の出版です。」(pp.3-4)


 また,副題がなぜ「看護と武道の認識論」なのかを説く流れの中で,次のように説かれている。

「それだけに本書の読者,特に看護学科の学生・心理学専攻の学生には時代を先取りした心理学以上の実力をもっている認識論の中身を,すなわち二十一世紀の新興学問となるであろう認識学の内実! を,看護の世界に大きくからめて説くことにしたのです。」(p.25)


 さらに,認識論とは何かに関わって,次のように説かれている。

「……認識論とは,ここでは簡単には頭脳活動の理論であり学問です,と答えておきます。端的にはアタマとココロのはたらきを立派にするための学問です。」(p.29)


 以上の3つの引用をまとめてみると,どうなるであろうか。それは,『“夢”講義』では,アタマとココロの問題が理論的・体系的に説かれている,つまり,二十一世紀の新興学問たる認識学が説かれているのであり,これを学べば,アタマとココロが立派になって,自分たちが遭遇する問題を解決していけるような頭脳活動を育てることが可能となる,ということである。「二十一世紀の新興学問」という言葉には非常に感銘を受ける。時代の最先端の学問的成果を学ぶわけである。また,これを学べばアタマとココロのはたらきが立派になるというのであるから,必死に学んでいこうということにもなる。

 このように,認識論,あるいは認識学を主体的に捉えておられるところが『“夢”講義』の大きな特徴の一つだと思う。どういうことかというと,「認識」という対象を,あくまでも客体として,客観的に研究しようというのではなく,自分自身の問題として,自分のアタマをよくするための学問として,認識論・認識学が把握されている,ということである。昨年までの2年間,ヘーゲル『哲学史』を学んできたわけであるが,哲学の大きな柱としての認識論を,このように主体的に捉えていた哲学者は歴史上いなかったのではないか。もちろん,われわれも南郷先生に倣って,認識論を主体的に捉えるというスタンスで学んでいこうとしているのである。

 要するに,われわれが『“夢”講義』を学んでいく問題意識・目的意識を端的にまとめるならば,学者になれるよう,自らの頭脳活動を見事にしていくためにこそ! ということである。

 今回,改めて『“夢”講義(1)』を学び直してみて感じたのは,『綜合看護』に南郷継正先生が初めて連載された論文が元になっているだけに,初めての読者にも分かるように,基本から丁寧に説かれているということである。したがって本稿でも,基本的なところからしっかり確認して,学んだ内容を分かりやすく説いていきたいと思う。

 次回以降の構成は以下のようになる。まず,「第1編 看護に必要な認識論入門」の内容を取り上げ,認識論とは何かをしっかりと再確認したい。ここでは,認識論ならぬ認識学とは何か,そもそも認識とは何か,といった問題についても触れることとする。次に,「第2編 看護に必要な「認識と言語の理論」」と「第3編 学問的に説く「認識と言語の理論」」で説かれている認識と言語の関係について検討する。その際,「言語は精神的な交通を行うためのものである」ということと,「認識の成立から表現にいたる過程的構造の解明が大事」ということの2つをポイントとして,それらがどういうことなのかをしっかり理解したい。最後に,「第5編 看護に必要な弁証法入門」で紹介されている2つの手紙を俎上にのせ,受験秀才と鈍才を比較することを通して,『“夢”講義』はどのように学んでいかなければならないのかを考えたい。

 最後に,『“夢”講義(1)』の目次を引用しておく。



なんごうつぐまさが説く
看護学科・心理学科学生への“夢”講義(1)


【 第1編 】 看護に必要な認識論入門

第1章 「看護と武道の認識論」の関係を説く

 第1節 読者への挨拶
 第2節 看護学科・心理学科学生からの質問
 第3節 なぜ「看護と武道の認識論」なのか
 第4節 認識論とはなにか,心理学との関係
 第5節 看護に関わる四つの質問・相談

第2章 認識論と認識学の違いを説く

 第1節 認識論から説く「思う」と「わかる」の違い
 第2節 認識論と認識学はどう違うのか
 第3節 認識学とはなにか,その三大柱を説く

第3章 認識論の基本を説く

 第1節 「夢」と認識論はどう関わるか
 第2節 認識とは脳細胞が描く像である
 第3節 講義録「認識は五感情像である」

第4章 看護を学ぶのに必要な覚悟を説く

 第1節 三十九歳からの論文の書きかたの学び
 第2節 憧れた看護と大学での学びの落差
 第3節 看護を専門として学ぶために必要な覚悟

【 第2編 】 看護に必要な「認識と言語の理論」

第1章 看護における観念的二重化を説く

 第1節 看護に認識論は必須である
 第2節 相手の立場にたつことの必要性
 第3節 相手の立場にたつことの困難性
 第4節 看護はなぜ相手の立場にたたなければならないか
 第5節 看護でなぜ相手の立場にたつことが難しいか
 第6節 心理学は看護には役にたたない
 第7節 「看護とは」がわかって初めて相手の立場にたてる
 第8節 「人間とはなにか」をわかるための学び
 第9節 看護における観念的二重化の実力

第2章 看護におけるコミュニケーションを説く

 第1節 コミュニケーションとはなにか
 第2節 看護におけるコミュニケーションの特殊性
 第3節 そもそも言語とはなにか
 第4節 言語は人類の労働が誕生させた

【 第3編 】 学問的に説く「認識と言語の理論」

第1章 人間の認識の生生・生成発展を説く

 第1節 認識から言語への過程の解明が大事である
 第2節 人間の認識と動物の認識との違い
 第3節 人間の認識は社会的に創られる
 第4節 人間の認識の生生・生成発展

第2章 認識から言語への過程を説く

 第1節 無限の認識を一つの言語に集約する
 第2節 言語は社会関係のなかで教育される
 第3節 「わかる」ことと「言葉にする」ことは別である
 第4節 認識=像の成立過程
 第5節 認識=像はすべて個性的に生生・生成する
 第6節 個性像を共通像にするために言語は必要である
 第7節 「わかる」ために必要な観念的二重化の実力
 第8節 言語化できる像を描くための実力
 特別節 『育児の認識学』の書評と「『十七歳』の心は分からない」(朝日新聞)

【 第4編 】 看護に関わっての「夢とはなにか」

第1章 「夢とはなにか」の導入部分を説く

 第1節 夢にうなされる事例
 第2節 夢は唯物論的認識論からしか解けない
 第3節 夢は人間の認識の生生かつ生成発展からしか説(解)けない
 第4節 人間が夢をみることの原点は労働にあり

【 第5編 】 看護に必要な弁証法入門

第1章 弁証法を学ばない学生の実力を説く

 第1節 秀才の受験国語的実力
 第2節 看護学科学生からの手紙
 第3節 弁証法の実力がないと“夢”講義は理解できない
 第4節 弁証法は看護の事実で学ばなければならない

第2章 弁証法を学んだ学生の実力を説く

 第1節 鈍才の弁証法の学びによる実力
 第2節 心理学科学生からの手紙
 第3節 弁証法の基本の学びの実際

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2017年02月12日

斎藤公子の保育実践とその背景を問う(5/5)

(5)保育の理論化が求められている

 これまで斎藤公子の保育実践を取り上げて、その特徴と背景について見てきました。ここで、これまでの流れを振り返ってみましょう。

 最初に、斎藤公子の保育園では自然に囲まれた環境が存在しており、そこで子どもたちが自由に遊んだりできることを紹介した上で、それが子どもの認識を育てる上でどのような意味があるのかを『育児の認識学』をもとにしながら見てきました。そもそも認識とは五感器官をとおして外界を反映させた像(五感情像)であり、この像を豊かにする(=アタマをよくする)ためには、躍動感をもつような対象に五感器官を接触させることで、五感器官も認識もみがいて育てていかなければならないということでした。その具体的なあり方として、素手・素足での自然との関わりがあるということでした。斎藤公子の保育園ではこれを実践していたのであり、だからこそ子どもたちの認識が大きく発展することになったのだということでした。

 しかし、人間は認識と実体との統一体であるから、認識と実体という両面から見ていかなければなりません。そこで、自然に囲まれた環境で遊ぶことには実体的にはどのような意味があるのか、とりわけ脳の実体的な発展という点でどのような意味があるのかということを明らかにしました。そもそも脳は生命の歴史において魚類段階で誕生したものですが、それは激しい海流を泳ぎ回るという運動形態を保持するために必要とされたのでした。その後、両生類、四つ足哺乳類、サルを経て人間へと生命体は進化していくわけですが、その度に新たな運動形態を保持することが求められ、それに応じる形で脳は発展して人間へと至っているのであるから、子どもについてもそのような運動形態をとらせることによって脳を発達させることによってこそ、人間の脳として成長していくのだということでした。斎藤公子の保育園で子どもたちが砂場でどろんこで遊んだり、野原を駆け回ったり、木登りをしたりすることは、系統発生を辿らせることによって脳の発展を促す意味があるのだということでした。また、斎藤公子自身も障害のある子どもの観察の中から生み出したリズム遊びを「個体発生は系統発生を繰り返す」という論理に基づいて行っており、中でも「両生類のハイハイ」は両生類段階の運動形態を辿らせるものとして重要だと言えることを説いてきました。

 最後に、こうした斎藤公子の保育実践の背景を探ってきました。斎藤公子は女性の権利がほとんど認められていなかった大正という時代に生まれたのでした。そして、託児所で働きたいという希望は叶えられず、親の決めた青年との結婚を余儀なくさせられます。生まれた子どもとは楽しい生活を送り、玩具研究所で働く喜びを感じていたものの、再び「嫁」としての立場を自覚させられ、思い立って離婚を切り出したところ、夫が子どもを連れ去り、子どもとの別れを迎えることになったのでした。こうした自らの体験とともに、戦後、生きる指針を求めて社会科学を学んだことによって、「すべての子どもたちは国の主人公として行き、決して決して再び奴隷のように、自分の生命を他人の自由にさせてはならない」「そしてすべての子どもたちを自由にはばたかせてやりたい」という強い理念を抱くにいたったのでした。この理念を実現するべく、子どもの成長が保障されるような環境づくりに励み、時には親とも対立しながらも、常に子どもの立場に立ってどうあるべきかを考えてきたのでした。

 このように自らの体験と社会科学の学びによって形成された理念を現実化すべく、常に子どもの立場にたって保育に取り組む中で、自然との関わりを徹底的に重視した斎藤公子の保育実践が生まれてきたのだということです。このような斎藤公子の保育実践を見てくれば、決して保育が単なる子守りなどではないことがわかるでしょう。

 保育園でやっていることを現象として見れば、おむつを替えたり、抱っこしたり、ミルクをあげたり、一緒に遊んだりと、通常のお母さんなら誰でもやっているものです。だからこそ、保育園は親の代わりに子どもを見るところ、保育=子守りという考え方が出てくるのでしょう。しかし、同じ行為をしていても、保育士の場合、そこには保育士としての理念や専門的な知識に基づく判断によって行われる(べき)ものなのです。

 しかし、冒頭で紹介した待機児童問題やその対策などを見るに、こうした認識が社会化しているとは到底言えない状況です。

 これはナイチンゲールの時代の看護の世界と似ています。当時は看護など単なる病人の世話でしかなく、そこに専門性など何ら認められていなかったのでした。しかし、ナイチンゲールが看護に取り組み、看護の一般論を提示して理論化を図ったことから、その社会的な地位が認められるようになってきました。

 同じことが保育の世界でも求められているのだと言えるでしょう。保育を理論化し、専門性あるものとして社会的に確立させることが求められているのです。

 筆者は保育自体を直接に専門とするものではありませんが、教育学を構築する上で保育の問題は避けて通ることができません。斎藤公子のような偉大な先人の成果をしっかりと引き継ぎ、それらを正しく組み込んだ教育学の構築に励んでいきたいと思います。
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2017年02月11日

斎藤公子の保育実践とその背景を問う(4/5)

(4)斎藤公子は人間としての自由を追い求めた

 前回までで、自然にふれ合うことを重視した斎藤公子の保育実践の意義を明らかにしてきました。このような斎藤公子の保育実践について、斎藤公子自身は次のように書いています。

人間を奴れいにしてはならない。
人間の自由をうばってはならない。
人間を生きるしかばねにしてはならない。
これが、私の保育の真髄、なのである。
(中略)
私の三十五年の保育所づくりは、私という女、私という人間が、その自由を求めて生きるための長いたたかいであった。
(斎藤公子『子育て=錦を織るしごと』かもがわ出版、1982年、pp.248-p.250)


 非常に強烈な言葉であり、一体どのような人生を歩んできたのだろうという疑問が浮かぶでしょう。そこで今回は斎藤公子自身がどのような過程を経て、自らの保育実践を創り上げてきたのかを見ていきたいと思います。

 斎藤公子が生まれたのは大正時代であり、この頃は男女平等などというものはありませんでした。幼い頃に一緒に学校で学ぶこともなく、恋愛は悪とされ、成人になってからは職業選択の自由や参政権もなく、結婚すれば嫁として夫に仕えるのが当時の女性の生き方でした。これは斎藤公子も例外ではありませんでした。幼稚園主任教諭の辞令を断って託児所で働きたいと訴えた斎藤公子は、危険思想にかぶれたとして両親に呼び戻され、ジャワ島で働く青年との結婚を強制されたのです。こうして「嫁」としての生活を余儀なくされた斎藤は、当時を振り返って「『私』という人間は死んでいた」(同上書、p.243)と表現しています。ジャワ島での数年間の生活の間に子どもが2人生まれ、隠岐の島で疎開をしているときに終戦を迎えます。その後は子ども2人と楽しい生活を送りながら、玩具研究室の一員として初めて働くこととなり、そこで専門家も驚かせるような作品を生み出し、自由、生きる喜び、創造の喜びを感じていたのでした。ところがジャワ島より夫が復員することとなり、再び「嫁」という現実に引き戻されることになります。勇気を出して離婚を宣言したところ、夫は力ずくで2人の子を連れ去ったのでした。この2人の幼い子どもとの別れで、斎藤は滝のような涙を流したということです。こうした体験が斎藤公子の原点になっていると言えるでしょう。

 また、斎藤公子は青年期、キリスト教に傾倒していました。奴隷制によるローマの支配が繰り広げられる中でのイエスの生き様やその信者たちの生涯に深い憧憬を抱いていたのです。しかし、キリスト教を国教とする国々は2度に渡る世界大戦をとめることができなかったことから、斎藤は悩み、より確たる生きる指針を求めるようになります。そこで学んだのが社会科学の本であり、具体的にはエンゲルス『自然弁証法』やマルクス『資本論』などであり、これらを哲学者である柳田謙十郎の指導の下で学んだのでした。こうした社会科学の学習の中で、市川正一という人物が強く自分の心をとらえたと斎藤公子は述べています。市川正一は、治安維持法によって極刑に処せられることを知りながら、堂々と政府の戦争政策の非を、多くの自由なき農民・労働者・婦女子のための要求を述べたのでした。「その知性と、その勇気、弱いものへの限りない献身の愛は、キリストにまさるともおとらないものであり、やはりいつの世にも、悪政が極限に達したときはキリストがあらわれることを物語っている」(同上書、p.262)と書いています。

 このような自らの体験および社会科学の学びをとおして、「すべての子どもたちは国の主人公として行き、決して決して再び奴隷のように、自分の生命を他人の自由にさせてはならない」(同上書、p.268)と考えるに至ったのです。「そしてすべての子どもたちを自由にはばたかせてやりたい、と、懸命に保育所づくりにはげんできた」(同上)のです。

 「懸命に保育所づくりにはげんできた」とありますが、この過程も大変なものがありました。斎藤公子は深谷市の保育所で働いていましたが、子どもの躾ができないという理由で解雇されることになります。それを聞いた母親たちが斎藤を支援し、1952年、さくら保育園が誕生します。しかし、さくら保育園は非常に狭かったため、子どもが自由に遊ぶ土地を求めて、深谷の東部に移転することにしました。その土地を購入する代金は、大蔵省の長期・低利貸付制度を利用して賄ったのですが、そもそもこの制度は斎藤公子が大蔵省に作らせたものでした。また、深谷市南部で土地を購入し、さくらんぼ保育園を建設しますが、その北裏に一万頭の養豚場ができてしまい、豚害に苦しめられることになります。そこで、同じく豚害に苦しむ方と力を合わせて4年間の反対運動をした結果、引っ越しさせることに成功し、被害を受けていた老夫婦から分けてもらった土地で第二さくら保育園を建設することになったのです。このような努力によって、「広い庭、たくさんの木々、鳥、花、小動物、心地よいヒノキの床の部屋、終日日が当たり、風通しのよい、視界をふさぐことのない青い空の見えるところで、薄着・はだしで、土や水をふんだんに使って遊び」(斎藤公子『生物の進化に学ぶ乳幼児期の子育て』かもがわ出版、2007年、p.119)きれる環境が創られてきたのです。

 このように環境を整えるとともに、孤立した母子をなくすという思いのもと、子育てに困っているお母さんたちの子どもを預かり、その保育に全力を尽くしていきます。そして、母親にも保育園で職員として働かせ、子育ての仕方を教えていきます。子どもたちとどのように関わったのか、その子どもがどのように変わっていったのかは斎藤公子の著作に多数紹介されていますが、どれも感動的で涙無しに読むことはできません。

 しかし、時には保育の方針をめぐって、親や祖父母と対立することがあります。そういうときは、自ら赴いて話をし、自分の考えを納得させていたのでした。ここに関わって、非常に印象的なエピソードがありますので、それを紹介しましょう。

 かつて保育園は年長まで見られず、年長になれば幼稚園に通うのが通常だったようです。斎藤公子の保育園では年長まで見ていたのですが、親の考えで斎藤公子の保育園を離れていった女の子がいました。しかし、同時にその妹が斎藤公子の保育園にやってくることになりました。その妹の家庭訪問でおうちに行くことになったところ、おしめが干してあったというところからの話です。

「上のお子さんはね、私が行ったら恥ずかしそうにしているのです。下の子はへっちゃら。誰のおしめだろうって、私驚いて聞いたら、
『上の子のだよ!』
 どうですか皆さん。年長のお子さんのおしめがズラーッと干してあるのですよ。
 それで私はどうしてなのかねえ、自分でもなぜなんだろうと思うのだけど、突然滝のような涙がポロポロポローってあふれてきて、泣いちゃったんです。
『先生、このくらいの歳になればね、おねしょすれば布団だって濡れるし、畳まで腐っちゃうんだよ。だからしょうがないんだよ!』っていわれました。
『お父さん、子どもさんの心と、布団や畳とどっちが大事なのですか?』って泣きながら訊いたのです。
 そしたらしばらくして、『わかった。』と言ってくれたのです。
 それ以来、おしめは止めたようです。どんなにおねしょをされても子どもの心のほうが大事だって、お父さん気がついてくれたのです。一週間後かな、十日過ぎてからかな、訊ねてみました。すると娘さんのおねしょは、すっかり治ってしまったということです。
 親が、『子どもの心のほうがだいじ。』『布団や畳なんかはいくらでも取替えができる。』と気が付いてくれたんですね。『子どもの心は取替えができない。』と。」(同上書、pp.37-39)


 つまり、家の畳と子どもの心のどちらが重要なのかという問いを投げかけることをとおして、保育者としての強烈な思いを父親に伝えたということです。理屈で理解したということではなく(そういうこともあるでしょうが)、何よりもその思いが伝わったからこそ、父親は「わかった」と答えたのでしょう。

 ここには保育者として常に子どもの立場に立ち続ける確固たる姿勢が現れていると言えるでしょう。自らの体験と社会科学の学びから得た「すべての子どもたちを自由にはばたかせてやりたい」という理念が、このような保育者としての姿勢を形成しているのです。こうした背景があるからこそ、素晴らしい子どもの育ちを保障する斎藤公子の保育実践が存在したのだと言えるでしょう。
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2017年02月10日

斎藤公子の保育実践とその背景を問う(3/5)

(3)斎藤公子は生命の歴史を辿らせることで脳の発達を促した

 前回は、斎藤公子の保育実践では自然環境に直接的な形で触れさせることを重視したことを紹介し、海保先生の『育児の認識学』をもとにしながら、それが子どもたちの認識に躍動感を与え、豊かにする意味があったのだということを明らかにしました。

 しかし、これはあくまでも認識に着目した意味づけだと言えます。海保先生は、人間をとらえるために大事な柱として、次のように述べておられます。

「人間のとらえ方の大事な柱をやさしく述べるなら、次の2つとなります。(中略)2つは、人間は実体と認識の統一体であり、それだけに、この両面をきちんととらえて教育していかなければならないのだということです。」(p.26)


 つまり、人間を捉えるときには実体と認識の統一体であり、その両面から見ていかなければならないということです。そこで今回は、このように自然と直接的な形で触れさせることは、実体的にはどのような意味があるのかを考えてみましょう。

 まず、斎藤公子の保育園で子どもたちはどのように過ごしているのかと言えば、砂場でどろんこ遊びをしてどろどろの砂山からすべったり、友達と一緒に坂道をかけあがったり、裸足で走り回ったり、木登りをしたりして遊んだりしているわけです。このことに実体的にはどのような意味があるのか、もう少し言えば、脳の実体を育てる上でどのような役割があるのかということになります。

 ここがわかるためには、そもそも脳とは何なのか、何のために誕生してきたのかを押さえておく必要があります。『いのちの歴史の物語』(現代社)では、生命体は単細胞段階→カイメン段階→クラゲ段階→魚類段階→両生類段階→哺乳類段階(四つ足哺乳類→サル→ヒト)という過程を経て進化してきたとされています。脳は魚類段階で登場したのですが、その必然性について、瀬江千史先生は次のように説いておられます。

「ここで問題となるのは、脳が魚類の段階で誕生したことです。それがなぜだったのかは端的には、魚類は、その頃地球に生成した海流を泳ぎきる運動形態を持つに至った生命体として誕生したからです。つまり、それまでの湖にたゆたうレベルの運動形態で生きていたクラゲと違い、海流を泳ぎきる強烈な運動を担うことを専門とする運動器官が必要となり、また同時にその激しい運動を支える代謝を専門とする代謝器官が必要となり、体が二重構造化することになったのです。しかしここで問題なのは、体が二重構造化したとは言っても、あくまで一つの生命体として生きているのですから、その両者を、直接的同一性として統括し続けなければならないのであり、その統括を専門的に担う器官として、脳が誕生したのです。」(瀬江千史『新・頭脳の科学(下)』現代社、2012年、pp.193-194)


 つまり、海流を泳ぎ切るという運動形態を持てるだけの生命体としての構造を求められ、その構造を統括する器官として脳が誕生したのだということです。ごくごく簡単に言えば、その環境で求められる運動形態を維持するために脳が誕生したのだと言えるでしょう。

 この魚類の段階で脳は誕生したわけですが、そこから生命体は陸に上がり様々な運動形態をもつことを求められるようになります。両生類においては地面に這いつくばりながらも必死で体を動かすことが求められましたし、哺乳類においては四つ足で地面を激しく駆けめぐることが求められましたし、サルにおいては手足を分化させ、さらに指を駆使して樹上生活を行うことが求められました。このような運動形態の発展が脳の発展をもたらし、その結果として人間という生命体に至っているのであるから、赤ちゃんもこのような過程を辿らせなければならないのだとして、次のように説いておられます。

「重要なことは、誕生後も個としての人間が、その頭脳を人間として見事に発展させるためには、人類になるまでに経た、脳の発達過程をしっかりと辿らせることのできる保育・教育をしなければならないのだ、ということです。

 すなわち人間は、成長期、思春期、青春期において、哺乳類が成長していった、大地を駆けめぐるような運動形態を、何らかの形式・形態でしっかり持たなければ、個としての脳の、実体としての十分な発育は望めず、したがって、その後の頭脳の機能としての発達(すなわち現象形態としては五感覚器官の発達)にも限界が生じることになる、ということです。

 分かりやすく説けば、大地を直接反映する、手足を使った全身の運動をしっかりとしておかなければ、すなわち野原での駆けっこ遊び、河原での水遊び、林の中でのかくれんぼ、といった形式・形態を、ふだんの育ちの中でどの程度持っているかが大切であるにもかかわらず、このことがないがしろにされていれば、いくら書物やお遊戯などで勉強しても、人間としてアタマがよくなることはなく、ただ単に、知識の暗記量を誇るだけで、何一つ人間的な創造的な仕事ができず、つまらない生活人間ということになりかねないからです。」(瀬江千史『新・頭脳の科学(下)』現代社、2012年、pp.119-120)


 つまり、人類になるまでに経た、脳の発達過程をしっかりと辿らせることのできる保育・教育をしなければならないのであり、具体的には、野原での駆けっこ遊び、河原での水遊び、林の中でのかくれんぼ、といった形式・形態をたくさんもつことが重要だということです。

 このように見てくれば、「砂場でどろんこ遊びをしてどろどろの砂山からすべったり、友達と一緒に坂道をかけあがったり、裸足で走り回ったり、木登りをしたりして遊んだりしている」ことの意義は明らかでしょう。端的には、人類になるまでに経た脳の発達過程を辿らせることをとおして、個人としての脳の発達を促しているのだということになります。これは「個体発生は系統発生を繰り返す」ということです(ただし、これは正確には「個体発生は系統発生を論理的に繰り返す」だと瀬江先生は指摘されています)。

 なお、斎藤公子のリズム遊びも、「個体発生は系統発生を繰り返す」という論理が根拠に据えられています。斎藤公子のリズム遊びとして代表的なものは、「金魚」「どんぐり」「両生類のハイハイ」です。以下のサイトで見ることができます。

金魚
https://www.youtube.com/watch?v=ElxC1dPlOmw
どんぐり
https://www.youtube.com/watch?v=gBu7VyAhhYE
両生類のハイハイ
https://www.youtube.com/watch?v=B14vzjpvqC0

 これらのリズム遊びは障害のある子どもを観察する中で生み出されてきたものです。斎藤公子が初めて保育者として勤めた施設では、0〜2歳児はいなかったものの、深谷で母親たちと作ったさくら保育園では、産休明けから入る子どももおり、またどのような障害がある子どもでも入園させてきたため、障害をもった子どもたちも観察する機会にめぐまれたということです。

 そうして観察した結果、次のようなことがわかったということです。6,7ヶ月を過ぎた0歳児の健常な子どもは、片足を反対側に交差して、親指で床を蹴って寝返りをするのに対して、麻痺をもった子どもは、上半身を極度に反らせて寝返りをしようとするということです。また、普通の子どもは体を揺さぶると「キャッキャッ」と喜ぶが、脳に何らかの故障をもっている子どもは揺さぶりを嫌い、泣くということでした。そうした子どもたちの観察し、発達に必要な運動は何かを考える中で、斎藤公子は「金魚運動(金魚)」「寝返り運動(どんぐり)」「ハイハイ運動(両生類のハイハイ)」などのリズム遊びを考え出したのでした。こうしたリズム遊びによって、「産休明けの0歳の時から育てられた子の場合、不思議なことに今まで一人として『脳性マヒ』『自閉児』その他どんな脳の発達の遅れも出した子どもはいない」(斎藤公子『生物の進化に学ぶ乳幼児期の子育て』かもがわ出版、2007年、p.102)ということです。

 現時点では、筆者は「金魚」や「どんぐり」をどのように把握すればいいのかまで明らかにできていませんが、少なくとも「両生類のハイハイ」に関しては、両生類段階の運動形態をとらせることによって、その段階で作られた脳の実力を子どもたちに育てていく取り組みとして、非常に有意義だと言えるでしょう。
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2017年02月09日

斎藤公子の保育実践とその背景を問う(2/5)

(2)斎藤公子は自然環境に触れさせることで子どもの認識を豊かにした

 本稿は、斎藤公子の保育実践とはどのようなものであり、どういう意味があるのか、またその背景には何があるのかを明らかにしようとするものです。今回は、斎藤公子の保育実践はどのような環境で行われたのか、またそこにはどのような意義があるのかを見ていきたいと思います。

 保育園の環境については、次のように書かれています。

「爽やかな風、新鮮な空気、柔らかい太陽の光と土の香里、そして木の温もり。耳をすませば、鳥の声や水の音、そして愛情にあふれた呼びかけや優しい歌声の響き…これらは斎藤公子に学ぶ保育園を訪れた時に、共通している環境です。
 園舎は南の庭に向かって開かれ、ハイハイの赤ちゃんでも自分でどこからでも出られるように開かれた設計になっています。赤ちゃんが自然と足の親指を使う機会を増やすように、いたるところに適度な段差や斜面が作られ、外に出た子どもは、なぜかみんな水を求めて水場へ行くのです。これは360度どこからでも自分で登ることができる子どもたちのための水場です。余計な遊具はいらない。小さな砂場と、暑い日に木蔭を作る大きな木があればそれで十分。そこに丸太を渡せば、子どもたちの遊びは限りなく広がっていくのです。保育室にはテレビやCDプレーヤーなどは必要ありません。」(斎藤公子・小泉英明監修『映像で見る 子どもたちは未来―乳幼児の可能性を開く(第U期)』かもがわ出版、2009年、p.74)


 端的には、徹底して自然とふれあえるようにした環境だと言えるでしょう。この中で、子どもたちは裸足で走り回ったり、木登りをしたり、砂場でどろんこ遊びをしたりするのです。斎藤公子は、徹底して自然の中で活動できる環境にすることを重視していたのです。

 そのことがよくわかるのが、早期英才教育についての主張です。これは保育士たちの質問に答える会で、早期教育の教材のことが話題になったときのものです。

「[斎藤]商売でやっているだけなんですよ。子どもに悪影響があろうがなんだろうが、ね?そういう商売ではいけませんよね。
 その時に賢い人が、これは毒か、毒でないか、ということを見分けなくちゃならない。『見るのも嫌』っていう感覚『ああ、気持ち悪い!』っていう感覚が養われている人だったら、いい教育ができる。いい保育ができる。でもすぐ、『あ、面白そうだな。』なんて飛びついている人はね、いけませんよ。(中略)
 小さい子どものときに、ごく自然のもの、自然の草木、自然の小石、自然の貝殻、自然の花、そういう中で育った子どもは幸せだけれど、現職の、プラスチックの、毒々しいものを与えられて、大人も子どもも感覚がどんどん麻痺していって、…こういうの、不幸だと思わないの?
(プラスチックのおもちゃが出る)
…ああ、見るのも嫌だね。ああ、見るのも嫌。(笑い)
 皆さんはこういうのを見ても平気?どれちょっと、みなさん平気って思う人…おお気持ち悪い。(笑い)
 …こういうものが平気だって言う人、いたら手を挙げて。
 平気だって言う人は、子どもにおわびしなさいよ、子どもの将来のこと考えてね。
 はい、すぐ片付けて。」(斎藤公子『生物の進化に学ぶ乳幼児期の子育て』かもがわ出版、2007年、p.53-54)


 この話を読むと、「自然とふれ合うことがよいだろうから」などと考えて実践しているというレベルではなく、もはや感覚・感情レベルで自然環境の大切さを感じているのだということがよくわかります。恐らく自らもそういう環境で育ってきたのでしょうし、また保育をそういう環境で行うことが子どもにとって確かによかったという体験・経験が山のように積み重ねられていることが感じられます。

 では、このような自然環境を与えることはどのような意味があるのでしょうか。海保静子先生は、認識とは対象が五感器官をとおして脳細胞に反映した像であるから、認識(五感情像)を豊かにする(=頭をよくする)には、その五感器官をまともに成長させていかないといけないとして、次のように述べておられます。

「脳細胞の像を豊かにしていく、ということは、文字を書き写したり、言葉を覚える(知識として)ということなのではなく、あくまでも五感器官を総動員して、しかもそれが躍動感をもつような対象とのかかわりあいをもつということであり、そのためにもまずは五感器官を対象に接触させながらしだいしだいに五感器官も認識もみがいて育てていかなければならない、ということです。」(海保静子『育児の認識学』現代社、1999年、p.203)


 つまり、躍動感をもつような対象に五感器官を接触させることで、五感器官も認識もみがいて育てていかなければならない、それが脳細胞の像を豊かにしていくこと(頭がよくなるということ)だということです。そのためにこそ、自然(や社会)に直接的な形で触れさせることが重要なのだと説いておられます。

「それは『自然的・社会的な関係をなるべく直接的な形態で反映させるように目的意識的なかかわりのなかで、手足を中心にして五体を運動形態におきながら、五感器官をとおしてそれらを脳細胞に反映させて豊かな像を形成させていくこと』です。
 つまり、簡単にいうと、赤ちゃんにはできるだけ素足や素手で対象とかかわらせるなかで、それらを反映させていくことです。
 ひんやりとして、チクチクとした草の感触や、地面、砂のザラザラした感じ、そのようなものが、五感器官をとおして脳細胞につきささるようにそれらの像を形成させていくのです。」(同上書、p.204)


 少し具体的に考えてみましょう。外で砂遊びをする場合と、家の中で積み木遊びをした場合を比べてみれば、明らかに砂遊びの方が変化性や多様性に富んでいることがわかるでしょう。例えば砂は様々な形に変化させることができますし、温度や色なども変わります。それを手足全体、さらには顔や腕などでも感じるわけです。一方、積み木の場合、形が定められています。色や温度も一定ですし、その反映も主に指先や手のひらからのみです。これでどちらが躍動感をもった像を描けるようになるかと言えば、明らかに砂遊びだと言えるでしょう。

 このように斎藤公子の保育実践では、徹底して自然環境に触れさせることで、子どもたちの認識に躍動感を与え、豊かにしていったということができるでしょう。
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2017年02月08日

斎藤公子の保育実践とその背景を問う(1/5)

○目次
(1)待機児童問題が大きくクローズアップされている
(2)斎藤公子は自然環境に触れさせることで子どもの認識を豊かにした
(3)斎藤公子は生命の歴史を辿らせることで脳の発達を促した
(4)斎藤公子は人間としての自由を追い求めた
(5)保育の理論化が求められている

・・・・・・・・・・・・・・・・・
(1)待機児童問題が大きくクローズアップされている

「保育園落ちた日本死ね」

 昨年の2月、匿名のブログで綴られたこのタイトルが大きな話題となりました。保育園に落ちたことに対する、母親の不満を激しい口調でつづったものです。2月29日の衆院予算委員会で、民主党の山尾志桜里議員がこのブログを取り上げたところ、安倍首相は「匿名である以上、実際に本当であるかどうかを、私は確かめようがない」と答弁し、議員席からは「誰が(ブログを)書いたんだよ」「(質問者は)ちゃんと(書いた)本人を出せ」とやじが飛びました。それを受けて、「保育園落ちたの私だ」と訴え、国会前で抗議行動をする人びとも出るようになりました。これをきっかけに待機児童問題が大きくクローズアップされ、このタイトルの言葉は昨年の流行語大賞のトップ10にも選ばれることとなりました。

 待機児童は都市部を中心に大きな問題となっています。厚生労働省が公表したデータによれば、2016年4月現在において、全国で23553人の待機児童が存在しています(注)。都道府県別に見ると、東京都が最も多く8466人と4割弱を占めています。その待機児童を年齢毎に区分すると、0歳から2歳が最も多く、20446人と実に86.8%を占めるに至っています。

待機児童解消に向けた現状と取組 (厚生労働省資料)
http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11901000-Koyoukintoujidoukateikyoku-Soumuka/0000137860.pdf

 もっとも待機児童の問題は以前から国会では取り上げられており、その数の減少に向けた政策も行われています。それが2015年4月から施行された「子ども・子育て支援新制度」であり、それを先取りする形で実施された「待機児童解消加速化プラン」です。「待機児童解消加速化プラン」では、「支援パッケージ」として、以下の5つの柱が掲げられています。

@賃貸方式や国有地も活用した保育所整備(「ハコ」)
A保育を支える保育士の確保(「ヒト」)
B小規模保育事業など新制度の先取り
C認可を目指す認可外保育施設への支援
D事業所内保育施設への支援

 つまり、新たな保育所をつくるとともに、これまで支援が行われていなかった形態の保育にも支援を行うようになったということです。後者については、「子ども・子育て支援制度」では、小規模保育等への給付(「地域型保育給付」)の創設という形になっています。これは小規模保育(利用定員6人以上19人以下)、家庭的保育(利用定員5人以下)、居宅訪問型保育、事業所内保育(主として従業員のほか、地域において保育を必要とする子どもにも保育を提供)について、市町村の認可を受けた場合は支援が行われるもので、「待機児童が都市部に集中し、また待機児童の大半が満3歳未満の児童であることを踏まえ、こうした小規模保育や家庭的保育などの量的拡充により、待機児童の解消を図る」ものだとされています。

 保育所の数が増えれば当然保育士の数も必要になりますから、その人材の確保として、「保育を支える保育士の確保(「ヒト」)」が掲げられているわけです。具体的には、「潜在保育士の復帰を促進し、他業種への移転を防ぐための処遇改善」「認可外保育施設等で働く無資格者の保育士資格取得支援」が掲げられています。実際に来年度予算では保育士の給与のプラス2%の改善が図られる予定です。また、技能や経験に応じた給料アップの仕組みも強化される予定です。

 このように、これまで支援対象外であった保育の事業への支援の拡大、また、潜在的保育士(保育士の資格を持っているにもかかわらず、保育園などの保育に関係した職場に就業していない人)の復帰という形での受け皿づくりが進められているわけですが、このような量的拡大は保育の質の低下を招くものだという批判があります。

 保育の質というと、保育所での子どもの事故の防止ということがクローズアップされる傾向がありますが、決してそのような最低限の環境を保証するという意味に留まるものではありません。例えば、日本総研主任研究員の池本美香氏は、「保育への投資はリターンが大きい」「幼児期の教育の質が、学校教育の効率性を左右する」というシカゴ大学のヘックマン教授の言葉を紹介し、「すべての乳幼児に質の高い教育を保障するという観点から、保育所を学校と同列の教育機関と位置づけ、学校を担当する省庁が保育所を所管する国も増えてい」ることに触れ、「目先の待機児童解消に取り組むより、より長期的な視野を持って、子どもの権利や効果的な公的投資の視点から、すべての子どもに質の高い保育を保障する方向に、舵を切ることが求められ」ると主張しています。

「待機児童問題と保育の『質』」(視点・論点)
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/243476.html

 また、保育士であった海保静子先生は、次のように述べています。

「保育園はどういうことなの?と疑問をもたれるお母さん方もあるでしょう。(中略)やさしくいうなら、お手々つないでなかよく学校へ行け、なかよくケンカしながらよくあそぶことのできる人間関係ないしは人間的関係の育ちを学ばせる(しつける)構造をもつものです。世上、法律上、そうなっているばかりによく誤解されているような、親がいないからとか、親がはたらいているからといった家庭的に<保育に欠ける>子のあずかり場ではない!のです。本当は、若い親としてまだ十分でない父母よりも、プロとしての保育が可能な保母の下での集団的な育ちが、どれほどに大切かをわかっていただけるとよいのですが。」(海保静子『育児の認識学』現代社、1999年、p.271)


 つまり、決して保育園は忙しい親の代わりに見るところではなく、保育の専門家として、子どもの育ちを保障する場なのだということです。

 保育とはそのような専門性をもった仕事なのだということを示す人物こそ、本稿で取り上げる斎藤公子(1920-2009)にほかなりません。斎藤公子は戦後、環境も十分に整わない中で子どもたちの保育に全力を尽くしました。その中には重度の障害を負った子どももいましたが、「0歳から預かった子の場合、脳性麻痺や自閉症、脳の発達の遅れは解消されて一人も問題は残らなかった」(小泉英明『アインシュタインの逆オメガ』文藝春秋、2016年、p.146)ということです。実際、斎藤公子の著作の中では、重い障害を負った子どもがその保育によって大きな成長を遂げていく姿が描かれています。

 その中にマリネスコ・シェーグレン症候群の子どもの事例があります。マリネスコ・シェーグレン症候群は難病指定されており、小脳形成不全、筋無力、先天性白内障という三重苦を抱えています。独歩獲得も約35%というものですが、斎藤公子に育ててもらったこの子どもは、卒園の時には自分で3歩歩けるようになり、1年生で20歩、さらに歳を経るごとに歩けるようになっていって、5年生のころには3000メートル級の山を登り切ったということです。さらに、視力も思春期に入って1.0となり、普通の人と同じように見えるようになりました。成人になってからは、親元を離れて作業所で働き、終末には電車を乗り継いで実家に帰ってくるという生活をするようになったそうです。

 本稿では、このような事実を生みだした斎藤公子の保育実践とその背景について見ていきたいと思います。斎藤公子の保育実践というとリズム遊び、お話の語り聞かせ・読み聞かせ、描画が大きな特徴なのですが、その土台として、子どもが自然と関わることを重視していたことを見逃すわけにはいきません。そこで本稿では、この点に焦点を当てながら、斎藤公子の保育実践の背景を探っていきたいと思います。
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<講義一覧>

 ・2010年5月例会の報告
 ・2010年6月例会の報告
 ・日本酒を楽しめる店の条件
 ・交響曲の歴史を社会的認識から問う
 ・初心者に説く日本酒を見る視点
 ・『寄席芸人伝』に見る教育論
 ・初学者に説く経済学の歴史の物語
 ・奥村宏『経済学は死んだのか』から考える経済学再生への道
 ・『秘密諜報員ベートーヴェン』から何を学ぶか
 ・時代を拓いた教師を評価する(1)――有田和正氏のユーモア教育の分析
 ・2010年7月例会報告
 ・弁証法から説く消費税増税不可避論の誤り
 ・佐村河内守『交響曲第一番』
 ・観念的二重化への道
 ・このブログの目的とは――毎日更新50日目を迎えて
 ・山登りの効用
 ・21世紀に誕生した真に交響曲の名に値する大交響曲――佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」全曲初演
 ・2010年8月例会報告
 ・各種の日本酒を体系的に説く
 ・「菅・小沢対決」の歴史的な意義を問う
 ・『もしドラ』をいかに読むべきか
 ・現代日本における「国家戦略」の不在を問う
 ・『寄席芸人伝』に学ぶ教師の実力養成の視点
 ・弁証法の学び方の具体を説く
 ・日本歴史の流れにおける荘園の存在意義を問う
 ・わかるとはどういうことか
 ・奥村宏『徹底検証 日本の財界』を手がかりに問う「財界とは何か」
 ・「小沢失脚」謀略を問う
 ・2010年11月例会報告
 ・男前はなぜ得か
 ・平安貴族の政権担当者としての実力を問う
 ・教育学構築につながる教育実践とは
 ・2010年12月例会報告
 ・「法人税5%減税」方針決定の過程的構造を解く
 ・ベートーヴェン「第九」の歴史的位置を問う
 ・年頭言:主体性確立のために「弁証法・認識論」の学びを
 ・法人税減税の必要性を問う
 ・2011年1月例会報告
 ・武士はどのように成立したか
 ・われわれはどのように論文を書いているか
 ・三浦つとむ生誕100年に寄せて
 ・2011年2月例会報告:南郷継正『武道哲学講義U』読書会
 ・TPPは日本に何をもたらすのか
 ・東日本大震災から国家における経済のあり方を問う
 ・『弁証法はどういう科学か』誤植の訂正について
 ・2011年3月例会報告:南郷継正『武道哲学講義V』読書会
 ・新人教師に説く「子ども同士のトラブルにどう対応するか」
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』誤植一覧
 ・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・新大学生に説く「文献・何をいかに読むべきか」
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 ・三浦つとむ弁証法の歴史的意義を問う
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 ・三浦つとむさん宅を訪問して
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 ・科学者列伝:ヘレニズム・ローマ・イスラム編
 ・簡約版・消費税はどういう税金か
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 ・2012年6月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第8章
 ・科学者列伝:近代科学の開始編
 ・ブログ更新2周年にあたって
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 ・一会員による『新・頭脳の科学(下巻)』の感想
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 ・2012年8月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第10章
 ・科学者列伝:18世紀の科学編
 ・一会員による『綜合看護』2012年3号の感想
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 ・2012年9月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
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 ・国家の生成発展の過程を問う――滝村隆一『マルクス主義国家論』から学ぶ
 ・三浦つとむの言語過程説から言語の本質を問う
 ・2012年10月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・科学者列伝:19世紀の自然科学編
 ・古代から17世紀までの科学の歴史――シュテーリヒ『西洋科学史』要約で概観する
 ・2012年11月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章前半
 ・2012年12月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章後半
 ・科学者列伝:19世紀の精神科学編
 ・年頭言:混迷の時代が求める学問の確立をめざして
 ・科学はどのように発展してきたのか
 ・一会員による『学城』第9号の感想
 ・一会員による『綜合看護』2012年4号の感想
 ・2013年1月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』を読む前提としての世界歴史の全体像
 ・歴史観の歴史を問う
 ・2013年2月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』をどのように読んでいくべきか
 ・『三浦つとむ意志論集』を読む
 ・言語学の構築に向けてどのように研究を進めるのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年1号の感想
 ・改訂版・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・2013年3月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(前半)を読む
 ・3年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・2013年4月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(後半)を読む
 ・新自由主義における「自由」を問う
 ・2013年5月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第一部 東洋の世界(前半)を読む
 ・三浦つとむ「マルクス・レーニン主義に関する本質的な質問」から学ぶ
 ・言語は歴史的にどのように創出されたのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年2号の感想
 ・ヒュームの提起した問題にカント、スミスはどのように答えたか
 ・2013年6月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』東洋の世界(後半)を読む
 ・一会員による2013年上半期の振り返り
 ・認知療法における問いの意義を問う
 ・カント歴史哲学へのアダム・スミスの影響を考える
 ・2013年7月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』ギリシアの世界を読む
 ・2013年8月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第三部 ローマの世界を読む
 ・アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年3号の感想
 ・初任者に説く学級経営の基本
 ・カウンセリング上達過程における事例検討の意義
 ・文法家列伝:古代ギリシャ編
 ・ヒューム『政治論集』抄訳
 ・2013年9月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第四部 ゲルマンの世界を読む
 ・言語過程説から言語学史を問う
 ・2013年10月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』「第4部 ゲルマンの世界」第2篇を読む
 ・戦後日本の学力論の流れを概観する
 ・一会員による『育児の生理学』の感想
 ・文法家列伝:古代ローマ・中世編
 ・2013年11月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第4部 ゲルマンの世界 第3篇を読む
 ・古代ギリシャ経済の歴史を概観する
 ・2013年12月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』のまとめ
 ・ヘルバルト教育学の全体像を概観する
 ・年頭言:歴史を切り拓く学問の創出を目指して
 ・歴史的な岐路に立つ世界と日本を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年4号の感想
 ・一会員による2013年の振り返りと2014年の展望
 ・ヘーゲル『歴史哲学』を読む
 ・2014年1月例会報告:学問(哲学)の歴史の全体像について
 ・一会員による『学城』第10号の感想
 ・世界歴史の流れを概観する
 ・現代の言語道具説批判――言語規範とは何か
 ・2014年2月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章
 ・ヘルバルト『一般教育学』を読む
 ・新大学生へ説く「大学で何をどのように学んでいくべきか」
 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』学習会を振り返る
 ・『育児の認識学』は三浦認識論をいかに発展させたか――一会員による『育児の認識学』の感想
 ・2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章
 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
 ・文法家列伝:『ポール・ロワイヤル文法』編
 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
 ・道徳教育の観点から見る古代ギリシャの教育と教育思想
 ・古代ギリシャの経済思想を問う
 ・半年間の育児を振り返る
 ・2014年6月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章
 ・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
 ・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
 ・アダム・スミス「天文学史」を読む
 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
 ・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
 ・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
 ・夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か