2016年09月27日

2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮(2/10)

(2)ヘーゲル『哲学史』バークリー 要約

 前回は、京都弁証法認識論研究会の9月例会の場において、報告担当者から提示されたレジュメ、およびそのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介しました。今回から4回に渡って、ヘーゲル『哲学史』バークリーからドイツの啓蒙思潮までの要約を紹介していくことにします。

 今回は、カントに至る過渡期の哲学の総論的な部分とバークリーの哲学の要約です。ここでは、18世紀の哲学としてヒューム、スコットランド哲学、フランス哲学を考察すること、バークリーの哲学は一切の外的存在が消失する観念論であることなどが説かれています。

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第2章 過渡期

 カント哲学に至るまで思惟が凋落の一途を辿っていった事実は、いまや上述の形而上学に対立して、いわゆる一般的な通俗哲学、すなわち反省的経験論と呼ばれ得るものが台頭したことのなかに示される。これまで現れた諸々の矛盾、その作為的な技巧性――神の助力、予定調和、最善の世界、等々――対置されたのは、教養ある人間の胸裏に感じられ直観され崇められたものを内容とした、精神に内在する確固たる根本原理である。これらの具体的な諸原理は、ただ彼岸の神のなかにのみ解決を見出すのとは違って、人が一般に健全なる人間悟性(良識)と呼んできたものから見い出された現世的な宥和であり自立性であり、また合理的に納得のいく拠り所にほかならない。このような諸規定は、人間の感情や直観や心情また人間の悟性が道徳的にも知的にも教養ある場合には、充分に善いものであり、有効なものでありえる。しかし、もし我々が自然的人間の心に植えつけられているものを原理とするなら、健全なる人間悟性とはとりもなおさず自然的な感覚や知となる。牝牛を敬い新生児を棄てるなどの残忍行為を行うインド人などですら、このような健全な人間悟性は備わっている。こうした自然的感情を標準にとれば、忌むべき根本命題が生じてしまうであろう。我々が健全な人間悟性や自然的感情を口にするときには、いつも教養ある精神を思い浮かべているのである。生まれながらの知や直接的な感情を標準とする人は、宗教や倫理的事象・法律的事象が人間の胸裏に内容として見出されるときには、これが教養や教育のお陰であり、教養や教育によってはじめてこのような根本命題が自然な感情とされてきたのだという事実に気づかないのである。気づかないままに、このような自然な感情や健全な人間悟性が原理とされているのだから、原理の多くが理にかなったものであるのは当然である。このようなものが、18世紀における哲学である。ここでは、3つの側面、ヒューム、スコットランド哲学、フランス哲学を考察する。ヒュームは懐疑論者であり、一切の普遍的なるものを否定する。これに対立してスコットランド学派は、普遍的命題や真理を掲げはするが、それはあくまでも思惟によってするのではない。それゆえ、いまや確固たる立場がとられるにしても、それは経験的なものそれ自身のうちに求められることになり、フランス人は現実のなかに普遍的なるものを見出すが、その内容は思惟によって得られるのではなく、生物や自然や物質が原理とされる。

A 観念論と懐疑論

 思惟一般は単一な普遍的な自己同一的な存在であるが、しかも否定的な運動としてそうであり、規定された存在はかかる否定的な運動によって自己を止揚する。この対自的(自覚的)運動は従来は思惟の外にあったが、今からは思惟それ自身の本質的要素となる。このように思惟が自己を自己自身における運動として捉えると、思惟は自己意識となるが、最初は形式的に個別的自己意識としてである。思惟がこの形式をとるのは懐疑論においてであるが、それが古代の懐疑論と異なるのは、実在の確実性が根底となっている点である。これに反して古代にあっては懐疑論は個別的意識へ立ち戻ることではあったが、個別的意識は懐疑論にとっては真理ではなかった。換言すれば懐疑論は自己の究極する結果を表明して積極的意味をとることがなかった。しかし、近代世界においては、物自体と自己意識の統一が根底にあり、自己意識ないし自己確信が一切の実在と真理を覆い尽くすと言明することになる。その際、個の形をとる形式的な自己意識が、全ての対象は人間のもつイメージであるというにとどまれば、それは最悪の観念論である。こうした主観的観念論はバークリーに見られるもので、別の言い回しをするのがヒュームである。

1、バークリー

 一切の外的存在が消失するこの観念論は、ロックの立場を前提にして、ロックを直接の出発点にする。ロックにおける真理の源泉は、経験もしくは知覚対象である。この感覚的存在は意識に対してあるという規定をもっているから、その考えを押し進めていくと、少なくともいくつかのものは、それ自体であるのではなく、他に対してのみ存在する、例えば、色や形などは主観のうちに、主観の特殊な組織のうちにのみ存在の根拠をもつ、といわざるをえなくなる。しかし、この対他的存在は、概念としては受け取られず、むしろ自己意識――それも一般的な自己意識たる精神ではなく、物自体に対立するという意味での自己意識――を根拠とすることがいわれていただけである。
 バークリーの提示する観念論は、マルブランシュのそれとよく似ている。悟性の形而上学に対しては、一切の存在するもの及びその諸規定は感覚されたものであり、自己意識によって形成されたものである、という見解が現われる。彼独自の中心思想は「物と呼ばれるすべてについて、それがあるということはそれが知覚されているということである」と定式化される。バークリーは、対自的存在と他在との区別を認めはするが、この区別がそれ自身自我のなかに入ってしまう。ロックは例えば、延長と運動は対象自体に帰するものとしたが、バークリーは、大小・遅速等が相対的なものだという視点から、ロックの考えの不整合に気付き、延長と運動がそれ自体で存在するのなら、それらは大きいとか小さいとか早いとか遅いとか全くありえないはずなのに、実際には延長や運動の概念にはそれらが含まれているではないか、とした。
 バークリーもライプニッツも、存在と精神とを自己の内に取り込もうとするが、他なるものと我々との関係は依然として残る。バークリーは、そのような他なるものは全く余計だ、という。バークリーは他なるものを客体と呼ぶが、これは物質と呼ばれるようなものではない。なぜなら、精神と物質は合致することができないからである。
 観念が必然性をもつことは、観念をもつ主体が自己の内部に存在するという考えと直接に矛盾する。自己の内部にあるとは主体の自由を意味するが、その主体が観念を自由に生み出すのではなく、自分にとって他なるものの形態ないし性質として、観念が現われるからである。バークリーの観念論は、意識が観念を生み出すといった主観的観念論ではなく、精神は互いに観念を伝え合う(他者も観念をもつ)だけで、観念を生み出すのは神だけだと考える。だから、我々の自己活動によって生み出されたイメージや観念は、神の生み出した観念そのものとはあくまで違うのである。この考え方は、観念論に付きまとう難点を見究め、それに独自の回答を与えようとするものである。またしても、神が自ら下水溝となってそれを引き受けねばならず、頼みの綱は神なのである。
 こうした観念論は、意識とその客観との対立に触れるだけで、観念を展開したり、種々の経験的な内容の対立を考察したりといったことは手付かずのままである。かつて物について問われたように、ここでは知覚や観念の真実体とは何かが問題となるが、それへの解答はなされない。意識は無自覚のまま、全ての経験や常識的世界観や同一内容のなかをうろつきまわっていて、真の認識に達することがない。個々の自己意識はそれとして存在しているが、自分の現状を認識することがないのである。
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2016年09月26日

2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮(1/10)

目次

(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント
(2)ヘーゲル『哲学史』バークリー 要約
(3)ヘーゲル『哲学史』ヒューム、スコットランド哲学 要約
(4)ヘーゲル『哲学史』フランス哲学 要約
(5)ヘーゲル『哲学史』フランス哲学(続)、ドイツの啓蒙思潮 要約
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1:バークリーやヒュームの哲学とはどのようなものか
(8)論点2:スコットランド哲学とはどのようなものか
(9)論点3:フランス哲学とはどのようなものか
(10)参加者の感想の紹介

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(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント

 我々京都弁証法認識論研究会は、3年前のヘーゲル『歴史哲学』、一昨年のシュヴェーグラー『西洋哲学史』の学びを踏まえて、昨年からいよいよヘーゲル『哲学史』に挑戦してきています。今年末までかけてこの著作を通読することで、ヘーゲルの説く哲学史を理解することはもちろんのこと、それを唯物論的に捉え返すことで唯物論哲学の創出に向けた第一歩を確実に歩んでいくことを課題としているわけです。

 9月例会では、ヘーゲル『哲学史』バークリーからドイツの啓蒙思潮までを扱いました。今回の例会報告では、まず例会で報告されたレジュメを紹介したあと、扱った範囲の要約を4回に分けて掲載し、ついで、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に、この例会を受けての参加者の感想を紹介します。

 今回はまず、報告担当者から提示されたレジュメ、およびそのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介することにしましょう。

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京都弁証法認識論研究会 2016年9月例会
ヘーゲル『哲学史』
第3部 近代哲学 第2節 思惟する悟性の時期 第2章 過渡期

A 観念論と懐疑論
 思惟は自己を自己自身の運動において捉えることで自己意識となるが、その最初の形式たる個別的自己意識こそが懐疑論である、とヘーゲルはいう。思惟の自己運動とは、根源的存在たる絶対精神が世界の諸々の具体的なものをみずから生み出していく過程であるが、これを自覚する(世界=自己という関係を捉える)最初の形式が懐疑論だ、というわけである。これは、個人のアタマのなかにこそ世界がある(個別的自己意識が直接に世界そのものである)と主張する形で、自己=世界の関係を実現しようとしたのが懐疑論だ、ということであろう。
 ヘーゲルは、バークリーについて、全ての対象は人間の個別的意識が描くイメージでしかないという観念論だ、とした上で、ヒュームはそれを別の言い回しにかえたのだ、とする。ヘーゲルは、彼らの哲学について、自己意識が世界の全てを自己のものにしようとしたという点に大きな前進を認めつつ、それが感覚的レベルにとどまり、普遍的なるものとか観念とか概念とかを扱えなくなってしまった点に大きな限界を見ているといえよう。

【報告者コメント】
 ヘーゲルの描く哲学史の大きな流れ、すなわち、絶対精神が自己自身の何たるかを自覚するに至る過程のなかで、近代の懐疑論がどのように位置づけられるのか問うていく必要があるだろう。簡単にいえば、世界=自己という自覚、換言すれば、現実の世界と観念の世界とをピッタリと重なり合わせることこそが、ヘーゲルの考える哲学の完成である。この図式を踏まえていえば、近代の懐疑論は、現実の世界を強引に観念の世界のなかに溶かし込んでしまうことで、世界=自己という関係を成立させようとしたのだ、といえるのではないか。
 唯物論の立場からは、バークリーやヒュームの論について、我々が眺めているのは現実世界そのものではなく、アタマのなかに描かれた現実世界の映像にほかならないことを指摘したものとして、高く評価できるだろう。また、彼らが自分の認識を客観的に見つめる視点を確立したこと、換言すれば、感性的につかむことができない心のありさまを現象として観察する視点をもったことは、認識論の発展という観点から特筆されるべき業績である。同時に、現実世界が我々の認識から独立して存在していることを認められなくなったために、感覚レベルの像と論理レベルの像を合理的に区別する規準が立てられなくなってしまったことは、決定的な限界として確認しておかなければならない。

B スコットランド哲学
 ヘーゲルは、スコットランドの哲学について、必然性や普遍性の認識を完全に解消して宗教や道徳は単なる習慣にすぎないと片付けてしまったヒュームに反対し、宗教や道徳について内的に独立した源泉を主張しようとしたものだ、と述べている。こうした問題意識がカントと共通していると指摘される一方、カントが宗教や道徳における真理を思惟とか理性とかによって根拠付けようとしたのに対して、スコットランド哲学は、世間一般に通用している宗教上、道徳上の真理(とされているもの)をそのままの形で肯定し、直接に共通感覚(良識、常識)なる人間の認識能力に結び付けてしまったことが指摘されている。
 ヘーゲルは、こうしたスコットランド哲学について、通俗哲学にすぎないと批判的に評する一方、健全な悟性という原理そのものは妥当なものであることを指摘し、人間や人間の意識のなかに価値判断の源泉を探し求め、価値を人間に内在化させようとしたという点については、大きな長所として認めている。

【報告者コメント】
 ヘーゲルは、スコットランド哲学について、思弁的な深みのない通俗哲学であるとして、それほど高い評価を与えていないのだが、彼らが確固とした価値を人間に内在化させようとしたことについて、大きな長所として認めていることを見逃してはならないだろう。「人間は精神であるから、最高者にふさわしく自分自身を尊敬してよいし、また尊敬すべきである」(「就任演説」)というヘーゲルの信念に通ずるものが、ヒューム懐疑論への反論――文字通り常識レベルの反論であるが――という形で提示されているわけである。
 唯物論の立場からすれば、スコットランド哲学(いわゆるスコットランド常識学派)は、我々が視覚という感覚で色や形を捉え、聴覚という感覚で音を捉えるように、共通感覚(道徳感覚)で善悪を捉えるのだ、というような非常に素朴(安直)な発想で、宗教的・道徳的な原理の確実性を担保しようとしていたのだといえよう。感覚器官を通じた外界の反映を原基形態とする認識の発展過程のなかで、宗教的・道徳的な原理がどのように成立してくるか、という困難な課題に立ち向かうことを最初から避けてしまった、といわなければならない。
 なお、アダム・スミス『道徳感情論』は、道徳感覚という発想を批判し、想像力に着目して道徳感情の形成過程を追究した点で、いわゆるスコットランド常識学派とは大きく異なることを確認しておきたい。

C フランス哲学
 ヘーゲルは、フランス哲学について、およそ存在するものは自己意識においてなければならない、換言すれば、自己意識が納得できるものでなければ真理ではありえない、という確信に基づいて、既存の諸々の権威や観念をことごとく否定していったものだ、と述べている。
 ヘーゲルは、フランス人による宗教攻撃や国家攻撃が非難されていることに対して、フランス旧体制の社会状態のひどさ、貧困や悲惨さを指摘しつつ、彼らが旧体制に対抗して主張したのは、思惟する人間を愚民扱いしてはならないということにほかならないとして、その正当性を指摘している。人間は、自身の精神に内在する確固たる羅針盤を見出そうとする絶対的な衝動をもつ、とヘーゲルはいう。思惟と自己との統一が自由であり、自由意志こそ人間の概念であるが、ルソーにおいて自由の原理が高く掲げられ、自己自身を無限者としてみる人間にこの無限の強さが与えられたのだ、とヘーゲルは説くのである。

【報告者コメント】
 既存の権威や観念をことごとく否定していったフランス哲学のあり方について、ヘーゲルは、人間が自身の精神に内在する確固たる羅針盤を見出していく過程にほかならないとして、肯定的に捉えているところが決定的に重要であろう。「人間は精神であるから、最高者にふさわしく自分自身を尊敬してよいし、また尊敬すべきである」(「就任演説」)というヘーゲルの信念に通ずるものが、旧体制との激烈な闘争という過程を通じて、強烈な形で(粗削りな形で)押し出されてくるのである。ヘーゲルは、フランス人による旧体制攻撃を、思惟する人間を愚民扱いしてはならない(門外漢としてはならない)、という要求としてまとめているが、これは、個々の国民が主権者として国家意志の決定に主体的に関わるべき、という主張にほかならず、現代にも通じる決定的な意義をもっているといえよう。
 世界歴史の流れを自由の実現過程として捉えるヘーゲルにとって、フランス哲学における自由の原理の登場は決定的な画期であり、哲学の完成までもう一歩のところまで到達したものであることを、しっかりと押さえておきたい。

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 以上の報告に対して、まず、「A 観念論と懐疑論」の「報告者コメント」が特に非常に分かりやすかったという意見が出されました。ヘーゲルの描く哲学史の流れを踏まえて、近代の懐疑論が「現実の世界を強引に観念の世界のなかに溶かし込んでしまうことで、世界=自己という関係を成立させようとした」ものだということが述べられているが、この論理展開は見事だということでした。また、「B スコットランド哲学」の部分で「価値を人間に内在化させようとした」とある部分について、これは価値判断の基準を人間に置こうとしたということかという質問があり、これに対して報告者はその通りだと答えました。質問者は今回の範囲は非常に読みづらかったと述べましたが、チューターは、「価値を人間に内在化させようとした」といった重要なキーワードを中心に読んでいくことで、ヘーゲルが説きたかった中身の大枠を押さえていく必要があると述べ、論点の検討に移っていきました。
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2016年09月25日

ルソーの教育論の歴史的意義を問う(13/13)

(13)選挙民の育成こそが求められている

 本稿では、アベノミクスによって貧困層が大きく拡大している現在において、教育に携わる者としては何ができるのかを探るべく、過去の歴史において同じように社会的な格差に対して問題意識を抱きながら教育について論じたルソーの主張について見てきました。そこでは、人間は将来どんな社会で生きていくかわからないから、どんな社会でも生きていけるようにしないといけない。それこそが教育の目的である。どんな社会でも生きていける人間というのは、権威に頼らず自分のアタマで考えて行動できる人間、つまり主体的な人間であり、そのような人間であってこそ社会の維持・発展も可能となる、ということが論じられていたのでした。

 もう少し詳しく言うならば、主体的な人間であってこそ、何が国家の構成員の共通の利益なのかをしっかり見据えることができるのであり、その結果、一般意志によって社会が統括されることになり、維持・発展がなされていくということです。この点こそ、現代においてしっかりと生かしていくべきポイントだと言えるでしょう。

 アベノミクスは「大体な金融緩和」「機動的な財政政策」「民間投資を喚起する成長戦略」という三本柱を打ちだし、提唱された当初、これによって日本経済全体が大きく改善されていくかのような期待感をもって迎えられました。現に株価が大きく上がり、円高が是正されたことも、その期待感を後押ししました。そして、安倍首相はアベノミクスによって景気が回復すると主張し、この参院選でもまだ道半ばだとして「この道を。力強く、前へ」と訴えたのでした。

 しかし、その実態は冒頭で見てきたように、一部の輸出大企業が利益を得るだけで、多くの労働者にとっては何ら得るものがない政策でした。むしろ賃金が上がらない中で物価が向上することにより、経済的に苦しめられるものです。これは、相対的な貧困率が過去最大を記録するという形で現象しています。

 つまり、アベノミクスというのは、一部大企業という部分的社会の共通利害に基づいた特殊意志であるにも関わらず、あたかも国家全体の共通利害に基づいた一般意志であるかのように偽装させられ、国民は欺かれてしまっているということです。

 こうした事態を防ぐためには、国民が国家全体の共通利害は一体何なのかを見極められるようにならなければなりません。一言で言えば、選挙民として育てていかなければならないのです。ここにこそ、現代の日本において教育が果たすべき役割があると言えるでしょう。

 現代の日本では、その是非をしっかりと問うていかなければならない問題が山積みになっています。代表的なものを挙げるならば、消費税の増税の是非、TPPへの参加の是非、原発の再稼働の是非、憲法改正の是非、米軍基地の是非などがあります。こうした問題に対して、国民一人ひとりが筋をとおして考えられるようにすること、これが極めて重要な課題となっています。もちろん結論自体はそれぞれ異なるでしょうが、互いの見解をぶつけあうことにより、日本として目指すべき道が見えてくるはずです。それこそ民主政治というものでしょう。

 ところが現代では、そうしたあり方が許されないような風潮が出てきています。例えば、自民党はHPにおいて「学校教育における政治的中立性についての実態調査」と題して、「教育の政治的中立性はありえない」「子どもを戦場に送るな」などの発言をする教師がいれば、自由に記入して投稿できるページを作成していました。密告フォームであるとの批判が殺到すると、サイトは一時閲覧できなくなり、その後、「子どもを戦場に送るな」という記述が「安保関連法は廃止すべき」と書き換えられて、再度投稿できるようになりました。

 もちろん教師が自らの見解を押し付けることは避けなければなりませんが、こうした対応のあり方を見るに、その背後にあるのは、決して教育の政治的中立性をしっかりと確保したいという真摯な思いではなく、「政権を批判する考えが拡大することを防ぎたい」という思いであると考えざるを得ません。そういう政権にとって都合のよい考えをあたかも教育の政治的中立性に基づくものと見せかけたものであり、まさに特殊意志を一般意志であるかのように偽装したものだと言えるでしょう。

 この問題に関わっては、そもそも教師が自らの政治的見解を述べてはいけないのかという疑問も浮かんで来ます。そもそも教育の政治的中立性とは何かを問い直すことも必要でしょう。まともな選挙民を育てようとした場合、ここは必ずぶつかる問題です。この点についての理論的な裏付けが求められています。

 もちろん、いかなる過程でまともな選挙民として育っていくのかというプロセスを明らかにすることも必要です。こうした問題に答えられる教育学体系を構築すること、それによって選挙民の育成がなされ、日本が主体的な国家として発展していくこと、これが自らの歴史的な使命であることを確認して、本稿を終えたいと思います。
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2016年09月24日

ルソーの教育論の歴史的意義を問う(12/13)

(12)教育の過程において共通の土台となる部分を指摘した

 本稿は、その是非をしっかりと問うていかなければならない問題が山積みになっている現代の日本において、教育の立場からはどのようなことに取り組んでいくべきなのかを明らかにするべく、同じように18世紀において社会的な格差に対して問題意識を抱いたルソーの教育論を把握しようとするものです。これまでルソーの教育目的論、教育方法論、教師論について、それぞれ3回にわたって見てきました。

 ここで、これまでの流れを振り返っておきましょう。

 まずルソーの教育目的論について見てきました。ルソーは当時の社会階級というものは絶対的なものではなく、場合によっては財産や地位を失ったり、経済的な力をもつようになったりと流動的であることを踏まえて、将来どんな社会で生活するようになっても生きていけるようにしなければならないのであり、それこそが教育の目的であると主張したのでした。その社会においては、人間は労働を交換して創り合っているという社会観に近い主張をしており、その社会観に基づいて、労働できる人間を育てることが教育上必要だと主張したのでした。また、社会が一般意志に基づいて統括されるように、一般意志を見抜ける人間として育てるということも教育の目的に据えたのでした。このように、個人の人生という観点と、社会(経済的・社会的)の維持・発展という観点の2つから教育の目的について論じたのでした。

 続いて、ルソーの教育方法論について見てきました。そこでは体験・経験をとおして学ぶこと、子どもに学習の必要性を感じさせること、問いを与えることという3つに着目し、その意義について検討してきました。つまり、現代の認識論の観点からすれば、認識は五感情像であるということや、認識は問いかけ的反映であるという論理を使った方法であるということでした。ルソーがこのような方法を提唱した背景には、人間は他人の権威に従って行動するのではなく、あくまでも自分で判断して行動しなければならないということ、つまり主体性ということを重視したことがあるということを指摘しました。

 最後に、ルソーの教師論について、「サヴォワの助任司祭の信仰告白」を中心に見てきました。社会に対して不信感をもっている青年を教育するためには、まず教師との関係性を築かなければなりませんが、そのために司祭がどのようなことをしていたのかを見ました。まず司祭は青年との関係を築くために、自分を青年と近い存在であると見せていたこと、また青年の話には何でも興味をもって聞いていたことを取り上げました。これはつまり、青年に安心感を抱かせるものであり、このような安心感が教師と子どもとの関係づくりでは重要なのだということを指摘しました。次に、このような安心感を子どもに抱かせるためには、教師自身が子どもの悩みや葛藤に共感できないといけないということを明らかにしました。単なる見せかけではなく、本当に教師がそれに共感しているならば、子どもが教師を信頼するということでした。そのために教師は自らの弱点を子どもにさらすことも必要だとルソーが説いていることも紹介しました。また教師と子どもとの関係の中には尊敬がなければならないとして、思春期の子どもからの尊敬を得るために、教師の言動を一致していることが必要だということを明らかにしました。思春期の子どもは論理能力が芽生えてきているため、教師の言動の一貫性があるかどうかが見えてくるのであり、もし一貫性がなければ不信感を抱くようになるということでした。そういう点を踏まえるならば、結局、教師は自身がアタマに描く教育目的としての人間を具現化した存在でなければならず、そういう意味では教師論は直接に教育目的論になるということでした。

 以上の内容を改めて簡単に整理すると、次のようになるでしょう。人間は将来どんな社会で生きていくかわからないから、どんな社会でも生きていけるようにしないといけない。それこそが教育の目的である。どんな社会でも生きていける人間というのは、権威に頼らず自分のアタマで考えて行動できる人間、つまり主体的な人間であり、そのような人間であってこそ社会の維持・発展も可能となる。したがって、教育方法に関しても、自らのアタマを働かせて対象に取り組んでいくように工夫しなければならないし、何よりも教師自身が主体的な人間でなければならない、ということです。

 では、このようなルソーの教育論はどのような意義があると言えるでしょうか。

 何よりも着目されるのは、その教育概念でしょう。ロックにおいては、紳士の教育と貧民の教育という形で、教育を2つに分けて論じられていたのでした。それに対して、ルソーにおいては、どんな社会でも生きていけるようにすることが教育だと主張しました。つまり、紳士の教育とか貧民の教育とかいう以前に、共通する土台の部分が存在するのであり、そこを教えることが重要だと主張したのです。現在、専門教育や大学教育などに至る前に義務教育が存在しますが、このような学校制度の原型となる考え方を打ち出したのだと言えるでしょう。このように教育という過程において、共通となる土台の部分を指摘したことが、ルソーの教育論の歴史的な意義だと言えるでしょう。
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2016年09月23日

ルソーの教育論の歴史的意義を問う(11/13)

(11)思春期の子どもに対しては教師の言行一致が求められることを説いた

 前回はとりわけ思春期の子どもと信頼関係を築くためにはどうしたらいいのかという点について、『エミール』から読みとってきました。思春期の子どもは自分の意志が芽生えてきている分、周囲と様々な形で対立することとなり、そうしたことがきっかけに種々の葛藤や悩みを抱くことになるのでした。そうした子どもたちに共感できるかどうか、子どもと同じように自らも成長する過程での葛藤や悩みといった体験をしているかどうかということが問われるのであり、結局は教師が人間としてどう生きているのかが重要なのだということでした。

 ここまでは、いかに子どもが教師に対して安心感を抱けるようにするかということを扱ってきました。しかし、教師は子どもの話し相手であるばかりでありません。それだけであるならば同じ年代の子どもの方がよほど適切な相手だということになります。教師は子どもを導いていく存在でもありますから、教師と子どもとの信頼関係の中には、教師に対する尊敬というものが含まれていないといけません。では、どのような教師であれば、子ども、とりわけ思春期の子どもからの尊敬を得ることができるのでしょうか。今回はこの点について見ていきたいと思います。

 サヴォワの助任司祭に心を開いた青年ルソーは、この助任司祭に対して次のように述べています。

「わたしがなによりも心をうたれたのは、わたしの尊敬すべき師の私生活には、いつわりのない美徳、弱さをともなわない人間愛、いつもまっすぐで単純な言葉、そして、いつもそこに一致した行動がみられることだった。」(『エミール(中)』p.116)

「だれも見ていないところでも、公衆の面前におけると同じように規則正しくかれが聖職者としての務めを果たしていることがわかった・・・」(『エミール(中)』pp.117)

 つまり、司祭は美徳や人間愛に満ちており、様々な言葉をルソーに投げかけているけれども、ルソーに話した言葉を何よりも自分自身がしっかりと実践しているということです。しかも、それはルソーや他の人がいる前だけではなく、誰もいない場面でもそうであったということです。つまり、司祭は言動が一致していたということです。そうした司祭の姿に青年ルソーは心をうたれたと述べているのです。

 つまり、教師の言動一致こそが、思春期の子どもの尊敬を得るために重要なポイントだと言えるでしょう。

 このことは現在においても実力のある教師が主張していることです。例えば、荒れた中学校を建て直し、陸上部顧問として7年間で13回の日本一選手を育てた原田隆史氏は次のように述べています。

「子どもたちの人格を育むためには、具体的にはどのように指導すればいいのか。答えは一つ。それは教師や親がやって見せることです。時間を守る、掃除をする、感謝の言葉を言う。それらを大人が実行して見せること。だからこそ範となるべく教師や親は、自らを律していく必要があるのです。」(原田隆史『いま、子どもたちに伝えたいこと』ウェッジ、2010年、p.82)

 つまり、子どもたちに指導することを教師自らがやってみせるということです。このように、一流とされる教師は、言動一致ということを重視していることがわかります。
 なぜ言動一致が重要なのでしょうか。これは思春期とはどういう時期かということから考えていかなければなりません。

 前回も見ましたが、そもそも思春期というのは、自分なりの意志が芽生えてくる頃なのでした。つまり、自分なりの理屈ではあっても、「こうしたい」という思いをもつようになる時期だということです。幼いながらも論理能力が育ってきている時期だと言えます。論理能力とは、事実と事実をつなげて理解する能力です。例えば、鉛筆とシャープペンシルの共通性を捉えて「書くもの」と把握することも論理能力ですし、事件において様々な証拠から犯人を推定することも論理能力です。このような論理能力が本格的に育ってきている時期だということです。

 したがって、教師が昨日どのような発言をしたか、今日どのような発言をしたか、また教師は今日何をしていたかということもつなげて理解しようとします。そこに矛盾を感じれば、子どもは「おかしい!昨日と言っていることが違うじゃないか!」ということになるわけです。余談になりますが、子どもを注意したときに「なんで俺だけなん!」と返してくることがあります。クラスが荒れてきているときは、これが特によく出てきます。これは自分に対する教師の対応と、他の子に対する教師の対応が違うということについての不満であり、様々な教師の対応をつなげて理解できるようになった、それだけの論理能力が身についてきたということでもあります。

 ですから、教師は自分が子どもに語っていることと、自分のやっていることをしっかりと一致させないといけないのです。もし子どもに「目標に向かってしんどくてもやりきることが大事だ」と語るのであれば、教師自身が自らの目標に向かってがんばっていなければならない、そういう姿を見せなければならないということです。

 (6)において「あらゆることにおいてあなたがたの教訓がことばによってではなく、行動によって示されなければならないということを忘れないでいただきたい。」(『エミール(上)』p.146)とルソーが書いていることを紹介しましたが、これもこのような意味を含むものとして解釈することもできるでしょう。つまり、教師自身の行動によって何が正しいのかを示さなければならないのであり、そういう姿を目の当たりにすることによって(体験させることによって)学ばせなければならないということです。

 教師は「このような人間に育ってほしい」という教育目的を描いて子どもに働きかけるわけですが、結局、教師自身がその教育目的として描いているような人間でなければならないということになるでしょう。ルソー自身、次のように指摘しています。

「一人の人間をつくることをあえてくわだてるには、その人自身が人間として完成していなければならない」(『エミール(上)p.135)

 つまり教師自身が教育目的を実現した存在でなければならないということです。このような観点からすれば、ルソーの教師論とは直接に教育目的論であると捉えることもできるでしょう。
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2016年09月22日

ルソーの教育論の歴史的意義を問う(10/13)

(10)思春期の子どもに共感できるような教師としての生き方が求められる

 前回から、教育の目的を何らかの方法によって実現するためには、教師と子どもとの関係性の構築が前提だということを踏まえて、教師はどうするべきか、どうあるべきかということを問題にしています。前回は、相手に合わせること、相手の発言をいったんは受け入れること、そうして相手に安心感を抱かせることが、信頼関係を築く上での土台になるのだということを、『エミール』に描かれている「サヴォワ助任司祭の信仰告白」のエピソードから見てきました。

 このように相手に安心感を抱かせるというのは、信頼関係を築く上で一般的に重要になってくるものです。しかし、子どもは思春期を境に大きく変わってきます。思春期を迎える前の子どもというのは、多くの場合かわいらしくて、人なつっこい存在だと言えます。ところが、思春期を迎えるとそうした様子が一変し、暴言を吐いたりして教師や親に反発するという姿を見せます。このように思春期を迎えた相手に安心感を抱かせるというのは、なかなか難しいものです。一体どうすればよいのでしょうか。今回はこの点について『エミール』から読みとってみましょう。

 ルソーは青年への教育を行う者のあり方として、次のように述べています。

「まえにも非難したことだが、けちくさい精神からはけっして消え失せないもう1つの誤りは、たえず教師の威厳を見せつけて、完璧な人間らしい印象を弟子の心にあたえようとすることだ。こういうやりかたはまちがっている。かれらは、権威を固めようとしてそれをぶちこわしていること、言うことに耳をかたむけさせるには相手の地位に自分をおかなければならないこと、そして、人間の心に語るすべを知るには人間にならなければならないこと、こういうことがどうしてわからないのか。そういう完璧な人間はすべて、相手の心を動かしもしなければ、納得させもしない。自分が感じていない情念を非難するのはまったくやさしいことさ、と相手はいつも心のなかでつぶやいている。あなたがたの生徒の弱点をなおしたいと思ったら、あなたがたの弱点をかれに見せてやるがいい。かれが心のうちに感じている闘いと同じ闘いをあなたがたの心のうちに見させるのだ。あなたにみならって自分にうちかつことを学ばせるのだ。そしてほかの者が言っているようなことを言わせないことだ。『この御老人たちは、自分たちはもう若くないのがくやしくて、若い者を老人なみにあつかおうとしている。そして、自分たちの欲望はすっかり消えてしまったので、わたしたちの欲望を罪悪と考えさせようとしているのだ。』こんなことを言わせないことだ。」(『エミール(中)』pp.265-266)

 ここでは教師の威厳を見せつけて、完璧な人間らしい印象を与えようとすることは間違いだと述べられています。これではむしろ教師に対して批判する気持ちを起こさせるだけだと言うのです。むしろそうではなくて、相手が心のうちに感じている闘いと同じ闘いが教師の中に存在しているということを示すことが大切だということです。

 もう少し詳しく考えてみましょう。

 そもそも思春期とは、子どもから大人へ、男の子は男性へ、女の子は女性へと認識も実体も大激動を迎える時期です。こうした中で、徐々に自分なりの考えというものも芽生えてきます。つまり、それまでは(極端に言えば)大人の言うことに素直に従っていたのに対して、自分なりに考えて行動するということができるようになってきます。「こうしたい」という自分なりの意志・欲望が芽生えてくるのです。それが教師や親、友だちなどの周囲との関係性の中で様々な葛藤や悩みをもつようになります。

 例えば、好きな人がいて付き合いたいけれども、ふられた時のことを考えるとなかなか告白できない、あるいは自分として学校卒業後の進路を考えているけれども、親が反対してきてどうしていいかわからない、などです。好きな部活に入っているけれども、自分の実力では到底レギュラーが取れそうにないから辞めた方がいいのではないかと思っている、などもあるでしょう。教師はこうした葛藤や悩みを共感的に受けとめることが必要です。

 しかし、共感的に受けとめるとは、決して見た目として、共感的な姿勢をとればいいというものではありません。具体的に言えば、うなずくとか、あいづちを打つとか、そういったことに気をつければよいというだけではありません。そうした行動の背後に教師がどんな認識を抱いているのか、本当に子どもの葛藤や悩みに共感できているのかということが問われます。幼い子どもであればともかく、思春期を迎えた子どもは、そうした教師の本音の部分をしっかりと見てきます。

 教師自身もこれまで生きてきた中で、また現在生きている中で様々な悩みや葛藤があり、心の中でモヤモヤしたもの、ドロドロとしたものを様々に抱えているということが伝われば、教師の言動が単なる見せかけではなく、本当に自分たちに共感してくれているのだということで、教師に信頼を抱くこととなります。こうした共感の姿勢を示すために、ルソーは「かれが心のうちに感じている闘いと同じ闘いをあなたがたの心のうちに見させるのだ」と述べているのだと言えるでしょう。この信仰告白では、司祭自身が青年と同じように「疑惑と不安の中にいた」ことが語られていますが、まさに自らの主張を実践したものだと言えます。

 逆に、自分たちと同じような悩みをもったことのない人間から正論を言われても、とうてい受け入れることはできません。その点を捉えて、ルソーは「完璧な人間はすべて、相手の心を動かしもしなければ、納得させもしない。自分が感じていない情念を非難するのはまったくやさしいことさ、と相手はいつも心のなかでつぶやいている。」と主張しているのです。

 子どもは成長していく過程で様々な問題に直面して悩みを抱えます。それが思春期以降には特に大きくなっていきます。教師自身も子どもと同じように様々な悩みを抱えながらも成長してきているのであるからこそ、子どもに共感を示すことができるのであり、子どもからの信頼を得ることができるのです。結局、教師自身が人間としてどのように生きているのかが重要なのだということが言えるでしょう。
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2016年09月21日

ルソーの教育論の歴史的意義を問う(9/13)

(9)相手に安心感を与えることが重要である

 本稿は、その是非をしっかりと問うていかなければならない問題が山積みになっている現代の日本において、教育の立場からはどのようなことに取り組んでいくべきなのかを明らかにするべく、同じように18世紀において社会的な格差に対して問題意識を抱いたルソーの教育論を把握しようとするものです。

 これまでルソーの教育目的論と教育方法論を見てきました。まず、ルソーはどんな社会環境にあっても生きていけるようにするのが教育だと主張したのでした。その社会では人間が互いに労働を交換して創り合っているから、労働できるようにすることが教育上必要だと主張していました。また、社会が一般意志に基づいて統括されるように、一般意志を見出せる人間へと育てることも教育の目的だと考えていたということでした。

 方法論に関わっては、体験・経験をとおして学ぶこと、子どもに学習の必要性を感じさせること、発問をとおして子どもが自らのアタマを働かせることを重視しているということを紹介しました。これらの方法の背後には自らの理性で判断する人間、つまり主体的な人間という人間観が存在していることをしてきました。つまり、対象そのものに対して、何らかの必要性や興味をもって関わること、その過程で自らの体験や経験を駆使すること、そうして自らの力で何らかの真理を発見することが重要だと考えられているのだということでした。

 このような教育を行う上で前提となるのが、教師と子どもとの関係性です。いかに優れた教育目的や教育方法を持っていたとしても、それを子どもが受け入れなければ教育は成り立ちません。したがって、子どもとの信頼関係(ラポール)を形成することが何よりも重要になります。

 このような関係性を築くためにはどうしたらよいのでしょうか。また教師はどうあるべきなのでしょうか。この点に関わって、ルソーの『エミール』第4巻(『エミール(中)』所収)にある「サヴォワの助任司祭の信仰告白」を見ていきたいと思います。これは青年期を迎えたエミールに対して、ルソーが宗教教育を行おうとする中で描かれているものです。カルヴァン教徒として生きていたが罪を犯して逃亡者になり、荒れてしまった青年に対して、サヴォワの助任司祭が自らの信仰について説いて、宗教に目覚めさせる話であり、このエピソードをとおして、ルソーはエミールに宗教教育を行おうとしたのです(注)。

 助任司祭の観察したところ、「恵まれない境遇のために青年の心はすでに傷ついていること、侮辱され軽蔑されてかれは勇気をうしなっていること、かれの誇らしい気持ちは、にがい恨みに変わっていて、人々の不正と冷酷のうちにひたすら人間の本性の悪を示し、美徳は幻影に過ぎない」と考えていることに気づきました。端的には、この青年はその不幸な体験・経験から、人間に対して、社会に対して、非常に強い反発の気持ちを抱いていたのだと言えるでしょう。

 このような状態であれば、助任司祭が何かを説いたところで、青年に入っていくはずがありません。まずは青年との関係を築いていかなければなりません。助任司祭自身もそのように考えていました。ではどうしたのでしょうか。次のように書かれています。

「かれはまずその改宗者の信頼を得るために、恩恵を高く売りつけるようなことはせず、うるさがられるようなこともせず、説教することもなく、いつも青年の能力の程度に自分をおき、青年と同じような者になるために自分を小さな人物のように見せた。まじめな人が浮浪児の友だちになり、美徳が放埒な生活と妥協していっそう確実にそれを征服しようとする、そういう光景にはかなり感動させられるものがあったと思われる。愚か者が聖職者のところにやってきて、いろいろとばかげたことをうちあけ、心の底をひらいてみせると、聖職者は青年の言うことに耳をかたむけ、思いのままにしゃべらせておいた。悪いことを許しはしなかったが、どんなことにも関心を示した。無遠慮なとがめだてをしておしゃべりをやめさせ、青年の心をしめつけるようなことはけっしてなかった。自分は耳をかたむけてもらえるのだという考えにともなう喜びは、すべてを語るときに感じる喜びを大きくするのだった。こうして青年は、なにも告白するつもりはなしになにもかも告白してしまった。」(『エミール(中)』p.114)

 ここで重要なのは、大きくは2つあるでしょう。1つは「いつも青年の能力の程度に自分をおき、青年と同じようなものになるために自分を小さな人物のように見せた」ということです。つまり、自分を相手に合わせたということです。現在では、こうした方法はペーシングと呼ばれ、ラポール形成のために重要なものだとされています。そもそも人間は自分に近い存在に対して安心感を抱きます。例えば、初めて海外旅行に行ったとき、ご飯をどこで食べるかを悩んだとき、いろいろなお店がある中で日本人が経営しているところがあれば、多くの人は「そこに入ろうかな」という気持ちになると思います。これは自分とは遠い外国人よりも、より近い存在である日本人に対して、安心感を抱いているからだと言えるでしょう。

 なお、ルソーは『エミール』の序論において、教師は若くなければならないと主張しています。「子どもと成熟した人間とのあいだにはあまり共通なものがないし、そんなに年齢の差があっては十分に固い結びつきはけっしてできあがらない」(『エミール(上)』p.51)と述べています。これも年齢という観点で、教師が子どもと近い存在であることが必要だと主張したものです。

 もう1つ重要な点は「青年の言うことに耳をかたむけ、思いのままにしゃべらせておいた」「どんなことにも関心を示した」ということです。青年との関係が徐々にできる中で、青年は様々なことを話すようになったのでしょうが、それを決して否定しない、いったんは受け入れるということです。そういう姿勢を教師が示しているからこそ、青年は安心して話をすることができて、「なにも告白するつもりはなしになにもかも告白してしまった」のです。

 以上の2つをまとめるならば、結局、相手に安心感を与えることが重要だということになるでしょう。教師と子どもとの関係を築くためには、まず子どもが安心感を抱けるように教師の言動を考えていかなければならないということです。

(注)ルソーがこのようなエピソードの形で語ったのは、自らの宗教論をそのまま語ったのでは、当時の社会では受け入れらないと判断したからだとされています。ところが、エピソードの形にしたのですが、『エミール』を出版すると、本は焼かれ、ルソーは逮捕状を出され、フランスにも故郷のスイスにも住めなくなるという状態に陥ってしまいました。

 なお、ここで出てくる荒れた青年はルソー自身のことです。ルソーは17歳のとき、生きるための職を探す中で知り合ったサヴォワの助任司祭ゲーム氏から、道徳の教訓や理性の準則などの教えを受け、深い感銘を受けています。ここでのエピソードは、こうした自らの体験がモデルであると言われています。
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2016年09月20日

ルソーの教育論の歴史的意義を問う(8/13)

(8)発問の重要性を指摘した

 前回は消極教育という教育方法が知育においてどのように見られるかという点について明らかにしました。端的には、子どもに真理を教えるのではなくて、学習の必要性を感じさせて、子ども自身に「学びたい」という気持ちをもたせることが必要なのだということでした。また、このような方法によってこそ、学問の価値を評価することができ、真理を愛する人間として育っていくのだということでした。

 この「学びたい」という気持ちを起こさせる方法として、ルソーはもう1つ挙げているものがあります。今回はこの点について見ていきましょう。

 まずは『エミール』に書かれている1つのエピソードを紹介します。ある晴れた日の夕方、ルソーとエミールが地平線に太陽の沈んでいく様子が見えるようなところへ散歩に行って、太陽が沈む地点を示してくれるものを見ておきました。翌日、2人で新鮮な空気を吸うために太陽が昇る前に同じところに行きます。すでに朝焼けはひろがり、東の方は真っ赤に燃えて見えています。そのときに、ルソーは次のように話します。

「わたしは、きのうの夕方、太陽があすこに沈んだこと、そしてけさはあすこに昇ったことを考えている。どうしてそういうことが起こるのだろう。」(『エミール(上)』p.292)

 この一言だけ話をして、ルソーは何も言わないのです。エミールが何か質問してきても、それに対して答えず、別の話をしてしまいます。こうしておけば、エミールは自分でこの問題について考えるだろうと言うのです。

「適当なときにものをかれに見せるだけにしておくがいい。そして、かれの好奇心が十分それにとらえられていることがわかったとき、なにか簡単な質問をして、それによって問題を解決する道を示してやるようにするがいい。」(『エミール(上)』p.292)

「子どもが注意ぶかくなるようにするためには、そして、なにか感覚的な真理がはっきりとわかるようにするには、かれがそれを発見するまでのいく日かのあいだ、それがかれを不安にしておくことがどうしても必要だ。そうしても十分にわからなければ、それをもっとはっきりさせてやる方法がある。その方法とは問題をひっくりかえすことだ。太陽は沈んでからどういうふうにして昇ることになるのか、かれはそれを知らないとしても、少なくとも、昇ってからどういうふうにして沈むことになるのかは知っている。それは見ていればわかることだ。だからはじめの問題をあとの問題によって説明すればいい。あなたがたの生徒が完全な白痴でなければ、類似はあまりにもはっきりしてるから、それがわからないはずはない。これが宇宙誌の最初の授業となる。」(『エミール(上)p.293)

 つまり、対象をしっかりと見つめて、そこから真理を引き出してくるためには、それがなかなかできないという過程、それこそ不安で考えずにいられないというような過程を辿る必要があるということです。もっとも、どうしても考えを進めることができなければ、そこは教師側からヒントを出して、考える足場を与える必要があるということです。このような過程を辿らせる出発点として、質問を投げかけることが必要なのだということです。

 このような行為は現在では「発問」と呼ばれています。例えば、理科の学習で言えば、「月は動くか」「月はどのような形をしているか」などと問うて子どもたちの意見を出させた後、実際に観察しに行ったりします。社会科なら「捨てたごみはどこに行ってしまうのだろうか」「水道の水はどこから来るのだろう」などの発問から学習を進めていったりしますし、国語でも登場人物の変化を問うこともあります。いかに優れた発問をするかが授業の質を決めるとも考えられており、それほどまでに発問というものは重視されています。

 そもそも人間の認識は問いかけ的反映です。つまり対象を機械的に反映しているわけではなくて、あくまでもこちらが問いかけるからこそ反映してくるものなのです。例えば、今、周りにある青色のものを探してみてください。すると、「あ、これも青色だ」「ここにもある」などと感じるのではないかと思います。その景色は見ているはずなのです。しかし、問いかけをもたなければ反映してきません。「青色のもの」という問いかけをもって眺めるからこそ、青色のものがしっかりと反映してくるのです。

 例えば「月は動くか」と発問すると、「動かない」と主張する子もたくさん出てきます。月のことを意識的には見ていないからです。しかし、クラスには「動く」と主張する子も出てくるので、「え、どっちなのだろう」という問題が生まれ、これまでの体験・経験を総動員してアタマを働かせることとなるのです。

 このように対象への注意を払わせる上で、発問は非常に大きな役割を担っているのであり、ルソーはその点を指摘したのだということができるでしょう。

 ここまで見てくると、前回紹介した「学習の必要性を感じさせること」ということも含めて、ルソーは子ども自らがアタマを働かせて学んでいくというあり方を重視していることがわかります。これにはルソーの人間観が大きく関わっていると言えるでしょう。ルソーは次のように述べています。

「自分で学ばなければならないかれは、他人の理性ではなく、自分の理性をもちいることになる。意見にたよらないようにするには、権威にたよってはならないのだ。」(『エミール(上)』p.374)

 つまり、人間は自らの理性をもちいて判断すること、つまり主体的な人間こそが望ましいのであり、他人の理性・権威にたよっていてはいけないのだということです。学習においても、教師の教えたことを覚えるだけでは、結局、教師の権威に従っているのであり、主体的な人間としては育たないのだということになるでしょう。(6)では体験・経験をとおして学ぶことをルソーが指摘していることを紹介しましたが、これも結局、他人から言われたから従うというのではなくて、自らの体験・経験に基づいて判断できるようにすることが重要なのだと指摘したものとも言えます。

 つまり、主体的な人間こそが理想的なあり方だという考えがルソーには存在しており、その人間観が教育方法論にも反映されていたのだということができるでしょう。
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2016年09月19日

ルソーの教育論の歴史的意義を問う(7/13)

(7)学習には子どもが必要性を感じることが重要だと主張した

 前回は、ルソーの教育方法(特に初期の教育方法)が消極教育だとされている点を受けて、それが具体的にどういうものであるのかを見てきました。端的には、言葉によって教えるのではなく、子ども自身の体験・経験をとおして学ばせることが必要なのだということであり、これはそもそも認識とは五感情像であるという現代の認識論の把握からして評価に値するものだと言えるということでした。

 しかし、前回は道徳的な規則をいかに身につけるかという点に焦点が当てられていました。今回は知育ということに関わって、この消極教育ということがどのように貫かれているのかを見ていきたいと思います。

 ルソーは、知育に関わっても、真理を教えるのではなく、子ども自身に学びたいという気持ちを持たせることが重要だと指摘しています。その上で、ルソーは、読むことを学ぶ上でロックが提唱している方法を批判しています。

「読むことを学ぶいちばんいい方法を考えだすこと、それは重要な問題になっている。そこでピュロー〔文字を集めて単語をつくれるようになっている箱〕やカードがつくりだされている。子どもの部屋は印刷工場みたいになっている。ロックは子どもがさいころで文字を学ぶことにしたらと言っている。うまい思いつきではないか。情けないことよ。そんなことよりもっと確実な手段、しかもいつまでたっても人が気がつかないでいる手段は、学びたいという気持ちだ。子どもにその気持ちを起こさせるがいい、そしてあなたがたのピュローやさいころはほうっておくがいい。どんなことでも子どもに有効な方法になるだろう。さしせまった利害、これが大きな動機だ、確実に上達させる唯一の動機だ。」(『エミール(上)』p.184)


 つまり、ピュローやカード、さいころなどを使った学習が批判されて、学びたいという気持ちを起こさせなければならないのだということです。

 このように述べると、疑問が浮かぶことと思います。カードやさいころなどを使った学習も、子どもに学ぶ意欲を高めるための方法なのではないのか、一体ルソーは何を批判しているのか、ということです。

 確かにルネサンス以来、教育の世界では子どもたちが学習に興味をもつように様々な工夫がなされ、さいころ遊びやカルタ遊びなどをとおして文字の学習を行うなどの取り組みが行われてきていました。こうした工夫によって、子どもが楽しみながら学習に取り組むということは否定できないでしょう。

 しかし、ルソーは、それはいわば見せかけにすぎないのだと主張しているのです。そうではなくて、自分自身が学ぶ必要性を感じているからこそ学ぶというあり方にしなければならないのだと主張しているのです。

 たとえ話として、子どもが病気になったときに苦い薬を飲まないといけなくなったとしましょう。そのときに、その苦みが感じないように甘いもので包んで飲んでしまうのが、これまでに行われてきた教育方法です。そうではなくて、薬を飲まざるを得ないと感じさせて、薬を自分から飲むようにしなければならないのだとルソーは主張しているということになるでしょう。

 具体的な例として、家族や親戚、友だちなどから招待状が届いた場合のことを挙げています。その手紙には時間や場所などが書かれているものの、子どもはそれを読むことができません。周囲の人に読んでもらわなければなりませんが、その周囲の人がいなかったり、機嫌が悪くて読んでくれなかったりします。そうしている間に時間が過ぎてしまい、ようやく読んでもらえることになったときには、予定の時間が過ぎていたのでした。こうした体験をとおして、子どもは読むことの必要性を感じるのであり、自分から読むことを学ぼうとするのだと主張しているのです。

 このような方法の意義として、ルソーは次のように述べています。

「わたしの目的はかれに学問をあたえることではなく、必要に応じてそれを獲得することを教え、学問の価値を正確に評価させ、そしてなによりも真実を愛させることにある。こういう方法をとれば、人はあまり進歩はしないが、一歩でもむだに足を踏みだすことはないし、あと戻りしなければならなくなることもない。」(『エミール(上)』p.375)

「学問を教えることが問題なのではなく、学問を愛する趣味をあたえ、この趣味がもっと発達したときに学問をまなぶための方法を教えることが問題なのだ。これこそたしかに、あらゆるよい教育の根本原則だ」(『エミール(上)』pp.297-298)。

 つまり、必要性に応じて獲得していくことによってこそ、その学問の価値が正確に分かり、真実を愛する姿勢を育てることにつながるのだということです。これは逆に言えば、必要性を感じていないところに学問を与えるからこそ、その価値が正確にわからず、真実を愛する姿勢につながっていかないということになるでしょう。ルソーの自然と人為という観点から捉えるならば、必要性という自然を無視して人為的な営みがなされることによって歪みが生じているのだということが言えるでしょう。

 このようにルソーは真理を教えることよりも、子ども自体がそれを学びとる必要性を感じるようにすることが重要だと指摘したのです。これがルソーの消極教育の1つのあり方だと言えるでしょう。
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2016年09月18日

ルソーの教育論の歴史的意義を問う(6/13)

(6)体験・経験をとおして学ぶことを主張した

 本稿は、その是非をしっかりと問うていかなければならない問題が山積みになっている現代の日本において、教育の立場からはどのようなことに取り組んでいくべきなのかを明らかにするべく、同じように18世紀において社会的な格差に対して問題意識を抱いたルソーの教育論を把握しようとするものです。

 これまでの3回をとおして、ルソーの教育目的論を見てきました。ルソーは、固定的だと考えられていた階級が大きく変動する時代にあって、どんな社会環境にあっても生きていけるようにするのが教育だと主張したのでした。ではその社会をどのように捉えていたのかという点について、経済的な側面と政治的な側面からルソーの考えを見てきました。ルソーは人々が互いの労働の上に生活しているという社会観に基づいて、各人が労働によって他人に返していくようにすることが教育上必要であると主張したのでした。また、社会が一般意志に基づいて統括されるように、各人が特殊意志と一般意志を見誤らないようにすること、その判断を支えるだけの能力を身につけさせることを教育の目的として考えていたのだということを明らかにしました。

 では、このような目的を実現するために教育の方法はどうあるべきなのでしょうか。ルソーが『エミール』の中で論じていることから特徴的な部分を3つすくい上げて、今回から3回にわたって紹介していきたいと思います。

 教育の方法に関しても、ルソーは人為を排するべきだと考えて消極教育と呼ばれるものを提唱しています。

「初期の教育はだから純粋に消極的でなければならない。それは美徳や真理を教えることではなく、心を不徳から、精神を誤謬からまもってやることにある。(中略)一般に行われていることとまさに反対のことをするがいい。たいていのばあいよいことをすることになるだろう。人は子どもを子どもにしようとはせず、博士にしようとしているので、父親や先生は、しかったり、矯正したり、文句を言ったり、きげんをとったり、おどかしたり、約束したり、教えたり、道理を説いて聞かせたりすることを、どんなにはやくはじめてもはやすぎないと考えている。もっとうまくやることだ。合理的にやることだ。そして生徒とは議論しないことだ。とくに生徒がいやがることを承知させようとして道理を説いて聞かせるようなことはしないことだ。そんなふうに不愉快なことに道理をもちだすのは、それをやりきれないものにして、まだ道理を理解することができない精神に、はやくからそれを信用できないものと考えさせるにすぎない。」(『エミール(上)』pp.132-133)

 つまり、一般には美徳や真理を教えようとしているけれども、それとは反対のことをやることだとしています。合理的にやることが重要であり、特に道理のわからない子どもに道理を持ち出すのは、道理を信用できないものと考えさせることになるからやってはならないと言うのです。

 ここでルソーがイメージしている教育法として、以下のようなものを挙げています。

「先生 そういうことをしてはいけない。
子ども なぜこういうことをしてはいけないのですか。
先生 それは悪いことだから。
子ども 悪いこと。どういうことが悪いことなのですか。
先生 とめられていることです。
子ども とめられていることをすると、どんな悪いことがあるのですか。
先生 あなたはいうことをきかなかったために罰をうける。
子ども ぼくは人にわからないようにします。
先生 だれかがあなたを見はっているでしょう。
子ども ぼくはかくれてするでしょう。
先生 あなたはたずねられるでしょう。
子ども ぼくはうそをつきます。
先生 うそをついてはいけない。
子ども なぜうそをついてはいけないのですか。
先生 それは悪いことだから。」(『エミール(上)』pp.124-125)


 このように、言葉でわからせようとしてもダメなのだと主張しているのです。そうではなくて、「あらゆることにおいてあなたがたの教訓がことばによってではなく、行動によって示されなければならないということを忘れないでいただきたい。」(『エミール(上)』p.146)と述べているのです。

 では、具体的にどうするのでしょうか。ここに関わって、ルソーは、手当たり次第何でもぶちこわす気むずかしい子どもにどう対応するかという例を挙げています。

 その子どもが自分の部屋の窓ガラスを割ったら、ガラスを入れかえるのではなく、そのまま放っておいて、風の吹きこむままにしておいて、かぜをひかせればいいと主張しています。子どもにガラスを入れかえさせてもまた壊すようであれば、窓のない暗いところに閉じ込めます。最初は暴れるでしょうが、次第に疲れて出して欲しいと思うようになります。何時間かそういう状態において、そういう経験を十分に覚えさせれば、自分からもうガラスを壊さないから自由にしてほしいと言うようになるから、そこでようやく子どもを出してやるとよいと主張しています。

 このように「暴れて物を壊してはいけない」ということを言葉で理解させるのではなく、行動によって示し、自らの体験・経験として学ばせることをルソーは主張しているのです。

 また、別のところでは所有の観念を身につけさせる方法を例として上げています。

 ある日、エミールは畑仕事がやってみたくなったため、ルソーに話を持ち出して、そら豆を植えることになります。畑を耕して、毎日毎日水をやった結果、そら豆はどんどん伸びていったのですが、ある朝、そら豆は全部引き抜かれている様子を目の当たりにします。調べた結果、犯人は園丁だということがわかります。悲しみと怒りでいっぱいとなったエミールは、園丁にくってかかりますが、実はその土地は園丁のものであり、せっかくメロンの種を植えていたのに、自分たちのせいでそれがダメになっていることがわかったのでした。そこでエミールは謝罪をして、土地を借りる一方で、収穫したそら豆の半分を園丁に渡すという約束をすることにしたのでした。

 このような体験をとおして、所有という観念を身につけさせ、それを侵害することがいけないことを感情としてわからせることを主張しているのです。決して言葉で覚えさせても何の意味もないのだというのです。

 ここで挙げられている例が適切であるかどうか、現実的であるかどうかという点は問題でしょうが、その例をとおしてルソーが主張したいことはしっかりとすくいとるべきでしょう。

 ルソーは言葉によって規則や観念を分からせようとする当時の一般的な教育法では、子どもにしっかりと定着していないという現実を見て、そもそも子どもはそのような善悪がわかるような理性が育っていないのではないかという問題意識を抱くようになったものと思われます。子どもはそのような理性が育っていない(感覚が重視される存在)だから、そのような働きかけは適切ではないと考えたのでしょう。ここでも人為的な働きかけが自然を歪めているという問題意識が貫かれていると言えます。

 このルソーの主張は、現在の認識論の観点から見れば、そもそも像は五感覚像・五感情像であるという点を踏まえたものだと言えるでしょう。単に言葉によって教えるのであれば、目や耳からの反映にしかなりません。それを五感覚を駆使した体験として学ばせるからこそ、強烈な感情をともなったものとして定着するのです。こうした点を指摘したものとして、このルソーの教育方法は評価することができるでしょう。
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2016年09月17日

ルソーの教育論の歴史的意義を問う(5/13)

(5)一般意志で社会が統括されるために教育が必要だと説いた

 前回は、どんな社会でも生きていけるようにすることが教育だと主張していることを踏まえて、その社会とはいかなるものだとルソーは考えていたのかを見てきました。ルソーは、すべての人間は他人の労働によって生活しているのであるから、自分も労働を他人に返さなければならないのであり、そこから職業教育の必要性を説いていたのでした。

 これは社会を経済的な側面から眺め、教育の必要性について論じたものだと言えますが、一方でルソーは政治的な側面からの検討も行っています。今回はこの点について見ていきましょう。

 ルソーは『社会契約論』(ここでは桑原武夫・前川貞次郎訳、岩波文庫版を使う)において、社会の誕生やそのあり方について論じています。それを簡単に確認したいと思います。ルソーによれば、社会が構成される以前の自然状態にあっては、それぞれの個人が自由に独立して生きていました(自然的自由)。しかし、自然状態において生存することを妨げるもろもろの障害が大きくなってきたため、人々は集合することによって、その障害を乗り越えていこうとしました。しかし、各人の自由は生存のために最も大切な手段であるから、それを侵害することなく各人を拘束するにはどうすればよいのかが問題になると言います。「各構成員の身体と財産を、共同の力のすべてをあげて守り保護するような、結合の一形式を見いだすこと。そうしてそれによって各人が、すべての人々と結びつきながら、しかも自分自身にしか服従せず、以前と同じように自由であること」(『社会契約論』p.29)こそが根本的な問題だと言います。簡単に言えば、社会に縛られながらも自分にしか服従しないというあり方の実現が問題だということになるでしょう。

 この問題に関わって、ルソーは次のように述べています。

「個々人の利害の対立が社会の設立を必要としたとすれば、その設立を可能なものとしたのは、この同じ個々人の利益の一致であり、さまざまの利害の中にある共通のものこそ、社会のきずなを形づくるのである。」(『社会契約論』p.42)

 つまり社会の構成員には共通した利害があり、この共通利害が社会の絆を形づくるのだということです。この共通した利害を目指した意志のことをルソーは「一般意志」と呼んでいます。この一般意志には各人の共通利害が含まれているのであるから、その一般意志に従うことは自分に従うことにもなるのであり、こうして社会に縛られながらも自分にしか服従しないというあり方が実現するのだとしているのです(これを自然的自由と区別して「市民的自由」と呼んでいます)。

 この一般意志を浮き彫りにするために、人民による決議が必要だと主張しているのですが、ルソーは、その決議が必ずしも公共の利益を目指したものになるとは限らないと指摘しています。

「一般意志は、つねに正しく、つねに公けの利益を目ざす、ということが出てくる。しかし、人民の決議が、つねに同一の正しさをもつ、ということにはならない。人は、つねに自分の幸福をのぞむものだが、つねに幸福を見わけることができるわけではない。人民は、腐敗させられることは決してないが、ときには欺かれることがある。そして、人民が悪いことをのぞむように見えるのは、そのような場合だけである。

 全体意志と一般意志のあいだには、時にはかなり相違があるものである。後者は、共通の利益だけをこころがける。前者は、私の利益をこころがける。それは、特殊意志の総和であるにすぎない。しかし、これらの特殊意志から、相殺しあう過不足をのぞくと、相違の総和として、一般意志がのこることになる。」(『社会契約論』pp.46-47)

 ルソーは各人の特殊な利害に基づく意志を「特殊意志」と呼び、その特殊意志の総和が「全体意志」であるとしています。特殊意志の総和である全体意志は、必ずしも公共の利益を目指す一般意志に一致するわけではないというのです。なぜならば、各人は幸福を望むものであるが、常に幸福を見分けることができるわけではなく、時には欺かれることがあるからだということです。

 また、ルソーは全体意志が一般意志と一致しない理由を次のようにも述べています。

「人民が十分に情報をもって審議するとき、もし市民がお互いに意志を少しも伝えあわないなら〔徒党をくむなどのことがなければ〕、わずかの相違がたくさん集って、つねに一般意志が結果し、その決議はつねによいものであるだろう。しかし、徒党、部分的団体が、大きい団体を犠牲にしてつくられるならば、これらの団体の各々の意志は、その成員に関しては一般的で、国家に関しては特殊的なものになる。(中略)だから、一般意志が十分に表明されるためには、国家のうちに部分的社会が存在せず、各々の市民が自分自身の意見だけをいうことが重要である。」(『社会契約論』pp.47-48)

 つまり、国家のうちに部分的社会が存在すると、その構成員はその部分的社会の一般意志(国家としては特殊意志)を重視することになるから、部分的社会がなくて、各人が自分自身の意見を言うようにすることが必要だということです。

 この2つの理由をまとめるならば、各人は幸福(つまり国家の共通の利益)を目指すのだが、部分的社会が存在すると、その所属する社会としての共通の利益が国家の共通の利益であるかのように欺かれてしまうということになるでしょう。

 ルソーはここから部分的社会の存在を批判するわけですが、各人が欺かれないようにするということも重要になってくるはずです。ルソーはここに教育の必要性を感じていたのでしょう。ここに関わって、ルソーは次のようにも書いています。

「人間の意志を決定する原因はなにか。それはかれの判断だ。では、判断を決定する原因はなにか。それはかれの知的能力だ、判断する力だ。決定する原因が人間自身のうちにある。」(『エミール(中)』pp.150-151)

 つまり人間の判断する力の根底にあるのは知的能力であるということです。その知的能力を高めるものこそ教育なのですから、結局、一般意志を実現するための手段として教育が位置づけられていたのだと言えるでしょう(注)。

(注)
 『ルソー「エミール」入門』を書いた梅根悟も『エミール』と『社会契約論』がほぼ同時に執筆された点を踏まえて、一般意志と教育のつながりについて、次のように指摘している(なお、ここで出てくる『民約論』とは、『社会契約論』のことである。かつてはこのように訳されていた)。

「民主政治のもとでの主権者である国民の一人ひとりが、普遍意志(筆者注:一般意志のこと)をみずからの意志とし、真理を見抜くことのできる人になるように教育されるよりほかはない、民主政治が真にすべての人民のための政治になるためには、みんながそのような人として教育されるよりほかはないということになります。それが『民約論』の帰結だったと言っていいのです。」(梅根悟『ルソー「エミール」入門』p.14)
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2016年09月16日

ルソーの教育論の歴史的意義を問う(4/13)

(4)人間は互いに創り合っているということから職業教育の必要性を説いた

 前回は、どんな社会であっても生きていけるようにすることが教育だとルソーが論じたことを紹介しました。ロックとは異なり、社会的な格差を一般民衆の立場から眺めたことで、その不平等さに強烈な問題意識を抱いたルソーは、人間は平等のはずだという信念をもったのでした。そうした中で、実際に階級が流動的なあり方を見て、どんな社会でも生きていけるようにしなければならないと考えるようになったのでした。これは教育という概念を大きく広げたものだということでした。

 では、社会の中で生きていくとはどのようなことなのでしょうか。この点についてルソーが具体的にどのように考えていたのかを見ていきたいと思います。

 ルソーは『エミール』第三巻において職業教育について論じているのですが、そこでの主張がここに関わってきますので、まずはルソーが職業教育の必要性についてどのように考えていたのかを見てみましょう。ルソーは上流階級の親たちに次のように述べています。

「あなたがたは社会の現在の秩序に信頼をよせていて、それがさけがたい革命におびやかされていることを考えない。そしてあなたがたの子どもが直面することになるかもしれない革命を予見することも、防止することも不可能であることを考えない。高貴の人は卑小な者になり、富める者は貧しい者になり、君主は臣下になる。そういう運命の打撃はまれにしか起こらないから、あなたがたはそういうことをまぬがれると考えているのだろうか。わたしたちは危機の状態と革命の時代に近づきつつある。その時あなたがたがどうするのか、だれがあなたがたに責任をもつことができよう。人間がつくったものはすべて人間がぶちこわすことができる。自然が押したしるしのほかには消すことのできないしるしはない。そして自然は王侯も金持ちも貴族もつくらないのだ。そこで、もっぱら高い身分にある者として教育されたお大名は低い身分に落ちたときどうするのか。はでな暮らしをしなければ生きていけない金満家は貧乏になったときどうするのか。自分の身をつかうことを知らず、自分の存在を自分のそとにあるものにまかせている豪勢な能なしはすべてを失ったときどうするのか。」(『エミール(上)』p.346)

 つまり、君主や貴族といった社会体制は人間が創ったものであるから、人間が壊すことができるのであるし、現にその実現として革命が目の前に迫っているというのです。その革命が起こって地位も財産も失ったときのために、自分の体を使って生きる術を知らなければならないのだというのです。この自分の体を使って生きる術の1つとして、上層階級にも農業や鍛冶屋、大工といった手工業を学ぶ必要性を主張しているのです。

 この主張は前回の主張と同様だと言えるでしょう。つまり、どんな社会であっても生きていけるようにすることが教育なのであるから、その生きていくための手段を身につけさせるために職業教育が必要なのだと主張しているのです。

 これはもっぱら個人という観点から捉えたものですが、社会の維持・発展という観点からも職業教育の必要性についてルソーは論じています。まずルソーは社会的分業の必要性について、次のように述べています。

「十人の人がいて、それぞれの人が十種類の必要をもつとしよう。それぞれの人は自分に必要なものを手に入れるために、十種類の仕事をしなければならない。しかし、天分と才能のちがいを考えれば、ある人はその仕事のあるものがそれほどうまくできないだろうし、またある人はほかの仕事がうまくできないだろう。それぞれちがったことにむいているのに、みんなが同じ仕事をしては、十分なものが得られないことになる。この十人の人で一つの社会をつくることにしよう。そして各人が自分のために、そしてほかの九人のために、自分にいちばん適した種類の仕事をすることにしよう。各人は他の人びとの才能から利益を得て、自分ひとりですべての才能をもっているのと同じことになる。各人は自分の才能をたえずみがくことによって、それを完全なものにすることになる。そこで十人とも完全に必要なものを手に入れることができ、さらに余分なものを他人にあたえることができるようになる。」(『エミール(上)』p.343)

 それぞれが自給自足を行ったのでは必要なものを十分に手に入れることができないが、それぞれの天分と才能に応じて、分業を行えば、全員が必要なものを完全に手に入れることができるようになるというのです。

 このように人間は社会的分業を行っているのであり、これによって各人は生活することができるのだと主張しているのです。これを推し進めてルソーは、各人は他人の労働によって生きているのであるから、自らも労働によって他人に返さなければならないのだと主張しています。

「社会の外にあって孤立している人間は、だれになに一つ借りているわけではないから、好きなように生活する権利をもっている。しかし社会にあっては、人間は必然的に他人の犠牲によって生活しているのだから、かれはその生活費を労働によって返さなければならない。これには例外はない。だから、働くことは社会的人間の欠くことのできない義務だ。金持ちでも貧乏人でも、強い者でも弱い者でも、遊んで暮らしている市民はみんな悪者だ。」(『エミール(上)』p.348)

 このような考えを抱くようになった背景には、やはり当時の社会的な格差があったと言えるでしょう。農民や手工業者が必死で働いているにも関わらず苦しい生活を送る一方で、聖職者や貴族達はまともに働かなくても優雅な生活を楽しむことができるという現状に対しての強烈な反感を抱いていたのだろうと思われます。そうした思いを背景に、このような社会観を描いて、そこから職業教育の必要性について論じたのです。

 このような社会観は、「人間は互いに活動を交換して生きている」「人間は互いに創り合っている」という唯物論的な社会観につながるものだと言えます。そうした社会観に基づいて教育の目的を論じたルソーの意義は大きいと言えるでしょう。
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2016年09月15日

ルソーの教育論の歴史的意義を問う(3/13)

(3)どんな環境でも生きていけるようにするのが教育だと説いた

 本稿は、その是非をしっかりと問うていかなければならない問題が山積みになっている現代の日本において、教育の立場からはどのようなことに取り組んでいくべきなのかを明らかにするべく、同じように18世紀において社会的な格差に対して問題意識を抱いたルソーの教育論を把握しようとするものです。今回から3回にわたって、ルソーが教育の目的をどのように捉えたのかを見ていきたいと思います。

 教育の目的に関わって、まずルソーは次のように述べています。

「人は子どもの身をまもることばかり考えているが、それでは十分でない。大人になったとき、自分の身をまもること、運命の打撃に耐え、富も貧困も意にかいせず、必要とあればアイスランドの氷のなかでも、マルタ島のやけつく岩のうえでも生活することを学ばせなければならない。」(『エミール(上)』p.31)

 つまり、苦しいことがあっても、経済的に厳しい状況に陥っても、どんな自然環境の中であっても生活できるようにしなければならないというのです。大きく分けるならば、どんな社会的な環境にあっても、またどんな自然的な環境の中にあっても生きていけるようにしなければならないということです。これこそがルソーの捉えている教育の目的だと言えるでしょう。

 どんな自然環境の中であっても生きていけるようにしなければならないということは、ロックも『教育に関する考察』の中で書いています。例えば、冬であろうが夏であろうが、温かすぎるほど着せたり、くるんだりしてはいけないと主張しており、寒さにもっと耐えられるようにしないといけないと言っています。こうした点を捉えて、ロックの教育論は鍛錬主義だと言われてもいます。ルソーはここを受け継いでいると言えるでしょう。

 一方で、どんな社会的な環境であっても生きていけるようにしなければならないという主張はルソーにのみ見られるものです。前回の「ロックの教育論の歴史的意義を問う」で触れたように、ロックはあくまでもジェントリ階級の人間はジェントリ階級の人間として、貧民層の子どもは貧民層の人間として育てることを想定していたのでした。これに対して、ルソーは次のように述べています。

「自然の秩序のもとでは、人間はみな平等であって、その共通の天職は人間であることだ。だから、そのために十分に教育された人は、人間に関係のあることならできないはずはない。わたしの生徒を、将来、軍人にしようと、僧侶にしようと、法律家にしようと、それはわたしにはどうでもいいことだ。両親の身分にふさわしいことをするまえに、人間として生活をするように自然は命じている。生きること、それがわたしの生徒に教えたいと思っている職業だ。」(『エミール(上)』p.31)

 つまり、人間はみな平等であって、どんな職業人であろうと、人間として生きていることには変わりがないのだから、人間として生きていけるようにすることが必要だということです。つまり、生きていけるようにすることが教育の目的だと主張しているのです。

 このように、ロックはその個人が所属するであろう特定の社会で生きていけるようにすることを想定したのに対して、ルソーはどんな社会であろうと生きていけるようにすることが教育だと主張したのです。

 なぜロックとルソーでこのような違いがあるのでしょうか。端的には、それぞれが見つめている社会のあり方が異なっていたのだということになるでしょう。

 ロックが生きた時代は、ピューリタン革命、名誉革命という二度の革命を経て、ジェントリやヨーマンといった富裕な商工業者が新しい政府を築いて、ここから新しい社会を創り出そうとしていく時代でした。ロックはジェントリ階級の立場に立って、この社会をいかに維持・発展させていくかという問題に取り組んだのです。そこには貧民も存在していましたが、そこに国家としての支援を与えつつも、その現状をどう維持していくかということこそが問題だったのであり、ジェントリやヨーマンの人間が没落したり、貧民が大きく力をもったりするということは基本的に想定されていなかったのです。したがって、ロックの教育論は、ジェントリ階級の人間に対するものと、貧民に対するものという大きく2つに区分されることとなったのでした。

 これに対して、ルソーは当時のフランスに代表されるような社会的な格差を一般民衆の立場から眺めていました。一般民衆の苦しい生活を目の当たりにしたルソーは、同じ人間であるはずなのに、このように境遇の違いがあっていいはずがないというような問題意識を強烈に抱いていたのです。

 また、フランス革命が近づいている当時において、何らかのきっかけにおいて経済的な力をもっていた人間が没落したり、逆に経済的に弱かった人間が大きな力をもつようになったりすることもあったのでした。こうした状況における教育のあり方として、ルソーは次のように述べています。

「社会秩序のもとでは、すべての地位ははっきりと決められ、人はみなその地位のために教育されなければならない。その地位にむくようにつくられた個人は、その地位を離れるともうなんの役にもたたない人間になる。教育はその人の運命が両親の地位と一致しているかぎりにおいてのみ有効なものとなる。そうでないばあいには生徒にとっていつも有害なものとなる。人間はたえず階級を変えているわたしたちのあいだにあっては、息子を自分の階級にふさわしく教育しても、それは息子にとって有害なものとならないかどうかは、だれにもわからない。」(『エミール(上)』pp.30-31)

 つまり、階級がはっきりと定められている社会においては、その階級の人間として育てることが教育と言えるが、当時のように階級が流動的な場合は、そのような教育を行ったのでは、もし階級がかわった場合に役に立たなくなり生きていけなくなるというのです。

 このような点を踏まえて、ルソーはどんな社会であっても生きていけるようにすることこそが教育だと主張したのです。
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2016年09月14日

ルソーの教育論の歴史的意義を問う(2/13)

(2)ルソーの教育論の歴史的意義とは何か

 前回は、「この道を力強く前へ」と訴えた安倍政権の経済政策は果たして日本経済を立て直すようなものなのかということを見てきました。結論的に言えば、アベノミクスは結局富裕層にとっては大きな利益となるものの、低所得者層にとっては厳しい生活を強いられるものであり、そこから虐待などの教育上の問題が生じてきているということでした。

 アベノミクスのように、しっかりと是非を問うていかなければならない問題が多々存在する日本において、教育はどのような役割を担うべきなのでしょうか。

 歴史を振り返ってみると、社会的な格差が大きく開く現状に対して強烈な問題意識を抱き、社会全体のあり方を踏まえて教育が担うべき役割を考察した人物がいます。それこそ、本稿で取り上げるジャン・ジャック・ルソー(1712-1778)です。ルソーはスイスのジュネーブで生まれ、たびたびパリに赴いています。その中で、フランスの一般民衆の悲惨な生活のあり方を目の当たりにしていました。

 当時のフランスの社会はアンシャン=レジームとよばれ、3つの身分に分かれていました。第一身分の聖職者、第二身分の貴族、第三身分の平民です。聖職者や貴族は免税や農民への貢租徴収権など多くの特権をもっていました。一方、第三身分はそうした税に苦しめられていました。経済的な発展の中で、それぞれの身分の中にも貧富の差は入り交じり、第三身分にも金融業者や上層市民、商工業や資本主義的農業経営にたずさわる中産市民、農民や年手工業者などの民衆への分化が起こっていましたが、こうした第三身分の経済的上昇に対抗して、貴族達はますます特権的地位を擁護しようとしていました。つまり、第一身分、第二身分と第三身分という大きな社会的な格差が存在していたのです。こうした格差に対する反発はやがてフランス革命につながっていきますが、ルソーはこうした社会的な格差を見ていたのです。ルソーはパリで悪臭のする通りや、黒くて汚い家、乞食や古着を繕う女性などを見ることになりました。また、リヨンへ向かったときには、当時の農民が補助税や人頭税を恐れて、餓死寸前の状態で生活しているようにみせていることを知り、次のように述べています。

「不幸な人々がこうむるあの過酷と圧制者に対して、わたくしの心の中にそれ以来生じた、あの消しがたい憎しみの芽はここにあった。」(中里良二『ルソー』清水書院、1969年、p.55)

 このように、聖職者や貴族が優雅に生活をする一方で、第三身分の人々が苦しむという社会格差に対して、ルソーは激しい憤りを感じていたのです。このような悪はなぜ生まれてくるのかということがルソーの問題意識でした。そうした問題意識のもと『人間不平等起源論』などの著作を執筆したのです。

 そこでルソーが論じたことは、人間はもともと平等であったのだが、人間の創りだした社会制度や政治などによって不平等が生まれてきたのだということ、つまり人為が自然を歪めてしまっているのだということでした。このような観点から社会の問題を説いていったのです。

 またルソーは『エミール』において自らの教育論を展開しました。これは教師ルソーがエミールを乳幼児の時期から大人になるまで教育したあり方を描いたものであり、5編に分かれています。第一編は序論と乳児期の教育、第二編は1歳から12,3歳頃まで、第三編は12,3歳から15歳頃まで、第4編は15歳頃から青年期、第5編は結婚適齢期の教育とそれに関連して女子教育論となっています。ここで貫かれている問題意識も、人為が自然を歪めているというものです。『エミール』の冒頭が「万物をつくる者の手をはなれるときすべてはよいものであるが、人間の手にうつるとすべてが悪くなる」という言葉であることも、そのことを示していると言えるでしょう。具体的には、生まれたばかりの子どもは動けるようにしておいて然るべきにも関わらず、動けないように産衣などでくるんでいることで、がに股や発育不全、関節不能などの問題を生んでいるのだと指摘しています。

 このように社会の問題、教育の問題に関わって、あるべきあり方を人間が歪めているという問題意識で、自らの論を展開していったのでした。このようなルソーの教育論には、現代の我々が学ぶべき内容が含まれているものと思われます。そこで本稿ではルソーの教育論を『エミール』(注)を中心として取り上げ、それが歴史的にどのような意味をもつものなのかを明らかにしつつ、現代においてそこから何を掬いとっていけばよいのかを明らかにしたいと思います。

 そのためにまずルソーは教育の目的に関してどのように考えたのかを見ていきたいと思います。実はルソーの教育概念は、それ以前のロックに比べると、社会的な状況に後押しされて、大きく発展することになりました。その点について明らかにしたいと思います。

 続いて、そのような目的を実現するためにどのような方法がよいと考えていたのかを見ていきたいと思います。そこにはルソーの人間観が大きく反映されていますので、そのつながりについても明らかにしたいと思います。

 最後に、ルソーの教師論について見ていきたいと思います。教師は子どもとの関係を築くためにはどうしなければならないのか、特に思春期に入った子どもに対して教師は何が求められるのかという点を明らかにしたいと思います。

 以上を踏まえて、ルソーの教育論の歴史的な意義を明らかにするとともに、社会的な格差という問題に教育の立場から取り組んでいくべき課題について見ていきたいと思います。

(注)ここでは今野一雄訳の岩波文庫版を使用する(『エミール』の引用はすべてこの版とする)。この版では上巻が第一編から第三編まで、中巻が第四編、下巻が第五編となっている。
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2016年09月13日

ルソーの教育論の歴史的意義を問う(1/13)

(1)アベノミクスにより貧困層が拡大している

 2016年7月、参議院選挙が行われました。この選挙は憲法改正が現実のものとして浮上し、改憲勢力が3分の2をとるかどうかが大きく問われたものでしたが、安倍首相は選挙期間中、憲法改正には全く触れず、アベノミクスを中心とした経済政策が論点だとしていました。そして、「この道を。力強く、前へ」と訴え、自公合わせて69議席を獲得しました。非改選を合わせると145議席で、これに改憲に前向きなおおさか維新の会、日本のこころを大切にする党などを含めると、3分の2以上の議席となり、憲法改正の発議の条件が整うこととなりました。この結果を受けて、安倍首相は「アベノミクスをしっかりと加速せよということだ。国民の期待に応えていきたい。」と述べました。

 では、果たしてアベノミクスは日本の経済を良くしてきたのでしょうか。この道を歩んで行けば、景気は回復していくのでしょうか。

 これは残念ながら否と言わざるを得ないでしょう。

 そもそも景気がよいとは、需要が旺盛で供給の拡大を導いていく状態を言います。つまり、モノを作ったらそれがしっかりと売れるし、欲しいと思った分だけモノがあるという状態です。現代の日本経済はデフレですが、これは供給に比べて需要が少ないということを意味します。簡単に言えば、モノを作ってもそれを買おうとする人が少ないために、モノの値段が下がってしまうということです。したがって、この需要をいかに拡大するかということが課題になります。

 ところで、一口に需要と言っても、大きくは海外の需要(輸出)と国内の需要があります。国内の需要はさらに3つにわけることができ、企業の需要(投資)と政府の需要(政府支出)と個人の需要(個人消費)があります。このうち個人消費は日本では6割程度を占めており、経済の動向を大きく握っていると言えます。したがって、ここをいかに拡大させるかが景気回復のカギとなります。

 こうした観点からアベノミクスを見てみましょう。アベノミクスは、「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「民間投資を喚起する成長戦略」という三本柱から成り立っています。大胆な金融緩和は、日本銀行が市中金融機関が保有している国債を購入し、マネタリーベースを増やすことがその中心となります。その結果、企業側は銀行からの貸し出しを受けて投資や生産を行い利益を拡大させる、それが労働者の賃金に反映されて、個人消費の拡大につながると考えられています。機動的な財政政策は、政府支出を増やそうというもので、これにより雇用を拡大し、個人消費の拡大を狙っています。民間投資を喚起する成長戦略とは、有力な産業を税制面などで優遇し、利益を拡大させて、それが労働者の賃金に反映されるようにしようというものです。いずれも間接的な形で、個人消費を拡大させようとするものだと言えるでしょう。

 しかし、そもそも個人消費が落ち込んでいるのですから、いくら資金を銀行に集めたところで、企業が生産活動を拡大していくはずはありません。売れる見込みがなければ事業を広げていかないということです。この結果、銀行としては貸したいけれども、借りてくれる企業がないという状態を招くこととなります。大胆な金融緩和は円安につながり、一部の輸出大企業が大きな利益を上げることとなりましたが、それが労働者の賃金向上に直接につながるわけではありません。現に財務省が発表した2016年1〜3月の法人企業統計によると、内部留保は3月末時点で366兆円となり、安倍政権発足時の2012年12月に比べて34%も増えたのに対して、同期の従業員への給料は28兆円で、政権発足時と比べて3%減少しています。

 つまり一部の富裕層は大きく儲けているのに対して、一般の労働者はそのまま、あるいは生活が苦しくなっているということであり、経済的な格差がひらいているということです。

 とりわけ貧困層の拡大が深刻な状態になっています。2014年に厚生労働省が発表した「国民生活基礎調査」によれば、日本の相対的貧困率(可処分所得が中央値の半分未満の人の割合)は過去最悪の16.1%となり、およそ6人に1人が貧困状態であることがわかりました。さらに子育て世帯の貧困率は16.3%で、これも過去最悪となっています。このような貧困率の増加に比例するかのように、子どもの虐待件数も右肩上がりで増大しており、2014年度は前年度比20.5%増加の88931件で過去最大となりました。

 このように見てくると、アベノミクスは決して日本経済を良くしてきたわけではなく、格差を拡大しているのであり、貧困で悩む親が経済的な余裕のなさから子育てにおいて虐待を行ってしまうのではないかと推定されます。つまり、アベノミクスによる経済格差が教育上の問題を生んでいるということです。

 それにも関わらず、今回の参院選では自民党が圧勝し、今後もアベノミクスが力強く推し進められることとなります。こうした中で、さらなる経済格差が生まれ、それに伴って、教育上の問題もさらに浮上してくることと思われます。

 このアベノミクスのように、現代の日本では、その是非をしっかりと問うていかなければならない問題が山積みになっています。こうした中で、教育の立場からは何ができるのでしょうか。

 例えば、虐待の問題に関わっては、子育てに悩む親の相談にのる、あるいは子育ての仕方を教えるということはできるでしょう。実際にそうした取り組みが「親学」として行われています。これは、親とは何か、親に求められることは何かなど、親として学ぶべき大切なことを伝えるものだとされています。

親学推進協会のHP
http://www.oyagaku.org/

 ここでは「親が変われば子は変わる」と言われており、それは確かにその通りなのですが、現在の経済的状況をそのままで「親が変われ」と言われても難しいでしょう。そもそもその貧困状況を何とかしなければなりません。社会が変わってこそ親が変わるのであり、そして子どもも変わるということになるでしょう。したがって、社会のあり方そのものを変えるためにどうするのか、教育に携わる者は何ができるのかを問わなければなりません。
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2016年09月12日

掲載予告:ルソーの教育論の歴史的意義を問う(全13回)

 2016年7月、参議院選挙が行われ、自公合わせて69議席を獲得しました。安倍首相は「アベノミクスをしっかりと加速せよということだ。国民の期待に応えていきたい。」と述べました。しかし、アベノミクスにより、一部の富裕層は大きく儲けているのに対して、一般の労働者はそのまま、あるいは生活が苦しくなっているのであり、経済的な格差がひらいてきています。とりわけ貧困層の拡大が深刻な状態になっています。このような貧困率の増加に比例するかのように、子どもの虐待件数も右肩上がりで増大しています。

 今後もアベノミクスが力強く推し進められるならば、さらなる経済格差が生まれ、それに伴って、教育上の問題もさらに浮上してくることと思われます。

 歴史を振り返ってみると、社会的な格差が大きく開く現状に対して強烈な問題意識を抱き、社会全体のあり方を踏まえて教育が担うべき役割を考察した人物がいます。それがジャン・ジャック・ルソー(1712-1778)です。

 本稿では、その是非をしっかりと問うていかなければならない問題が山積みになっている現代日本において、教育の立場からは何ができるのかを明らかにすべく、ルソーの教育論を概観し、その歴史的意義をすくいとっていきたいと思います。

 以下、目次(予定)です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

序論
(1)アベノミクスにより貧困層が拡大している
(2)ルソーの教育論の歴史的意義とは何か

本論
1.ルソーの教育目的論
(3)どんな環境でも生きていけるようにするのが教育だと説いた
(4)人間は互いに創り合っているということから職業教育の必要性を説いた
(5)一般意志で社会が統括されるために教育が必要だと説いた

2.ルソーの教育方法論
(6)体験・経験をとおして学ぶことを主張した
(7)学習には子どもが必要性を感じることが重要だと主張した
(8)発問の重要性を指摘した

3.ルソーの教師論
(9)相手に安心感を与えることが重要である
(10)思春期の子どもに共感できるような教師としての生き方が求められる
(11)思春期の子どもに対しては教師の言行一致が求められることを説いた

結論
(12)教育の過程において共通の土台となる部分を指摘した
(13)選挙民の育成こそが求められている
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2016年09月11日

夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う(5/5)

(5)難問を片付けようとする意志にこそ学ぶべきである

 本稿は、漱石の未完の大作『明暗』に焦点を当てて、複数の問題系が複雑に絡み合う構造をもった物語世界を漱石がどのように片付けようとしていたのか検討することを通じて、漱石の思想的な到達点について考察することを目的としたものでした。ここで、これまで論じてきた内容を簡単に振り返っておくことにしましょう。

 まず、『明暗』の物語世界が、愛の問題系と金の問題系とが密接に絡み合う形で展開させられていることを確認しました。次いで、そのうちの愛の問題系だけを取り上げてみても、〈津田-清子-関〉という三角関係に〈お延-津田-清子〉という三角関係が重なってくるという重層的な構造をなしていること、さらに重要なこととして、これらの三角形が、経済的な力のより強い上層の世界と経済的な力のより弱い下層の世界に挟まれる形で配置されていることを明らかにしました。上層の世界と下層の世界に挟まれた津田とお延は、お互いに相手を真に愛するというよりは、上層の世界の人々に対する「手前」あるいは「体面」から、仲のよい夫婦に見せかけようとしているにすぎません。こうした夫婦のあり方が、上層の世界からは、身の程を知れ、分をわきまえろ、という角度で批判され、下層の世界からは、腰がぐらついて度胸が坐っていない、と批判されているのでした。

 以上のことを踏まえて、結末に向けての展開の推測を試みました。端的には、津田は「他人本位」的なあり方を改めきれないまま破滅してしまう可能性が高いこと、清子によって津田の「他人本位」的なあり方が暴かれ、お延が自分の直覚の誤りを認めざるを得なくなるであろうことを確認しました。その上で、結論的に、『明暗』の物語世界で複雑に絡み合った諸々の問題を片付け、金力・権力にまつわる諸々のしがらみから人間的な愛を解放する展望を指し示すためには、「絶対に愛されてみたい」「誰からも愛されたい」というお延(=明)が、「せめて人に嫌われてでも見よう」という小林(=暗)と何らかの形で結びつくほかないだろう、と指摘したのでした。

 論理的には以上のように推測できるのですが、『明暗』の結末において、漱石が小林とお延の関係についてどこまで書くつもりであったか、具体的に知る術はありません。しかし、お延が小林に対して「駈落をなさるのなら、いっそ二人でなすったらいいでしょう」と問いかけ、小林がお延に対して「僕だって朝鮮三界まで駈落のお供をしてくれるような、実のある女があれば、こんな変な人間にならないで、すんだかも知れませんよ」と答える、というやり取りを重要な伏線とみなすならば、お延が小林とともに朝鮮へ駆け落ちするという選択をする可能性すらあったのではないかと思われます。津田が朝鮮に向う小林に餞別として贈った10円紙幣3枚が、もともとはお延が岡本から受け取った金の一部であることも、そのような結末に向けた伏線であるということもできるのではないでしょうか(送別会に出かける津田に、お延は「小林さんによろしくってお延が云ってたと忘れずに伝えて下さい」という念押しまでしていたのです!)。

 お延と小林が朝鮮に駆け落ちするとまでいうと、いささか突拍子もない説だと思われるかもしれませんので、もう少し根拠を示しておくことにしましょう。

 まず指摘することができるのは、お延が自分の直覚――津田を愛の対象と定めた直覚――についての誤りを認めていく過程で、小林への評価が劇的に変化する必然性がある、ということです。お延は小林の師である藤井について、「仕事ができなくって、ただ理窟を弄んでいる人、そういう人に世間はどんな用があるだろう。そういう人が物質上相当の報酬を得ないで困るのは当然ではないか」と考えていますが、これは貧乏人一般に対するお延の評価を示すものであり、小林についても同じような評価を抱いていたものと思われます。しかし、お延は、清子による津田批判の衝撃を受けとめる過程で、小林こそ「仕事」のできる人間であり、津田こそ「ただ理窟を弄んでいる」人間であること、それなのに津田が「報酬」を得る一方で小林が「報酬」を得られていないのだ、ということを理解させられる可能性があります。

 このことに関わって決定的に重要なのが、津田によって設けられた小林の送別会でのやりとりです。ここで、小林は「いったい今の僕にゃ、仏蘭西料理だから旨いの、英吉利料理だから不味いのって、そんな通をふり廻す余裕なんかまるでないんだ。ただ口へ入るから旨いだけの事なんだ」と述べ、「それじゃなぜ旨いんだか、理由が解らなくなるじゃないか」と突っ込む津田に対して「ただ飢じいから旨いのさ。その他に理窟も糸瓜もあるもんかね」と答えています。かつて津田は、病院で出会った友人の関と、「性と愛」について「むずかしい議論」をたたかわせました。そこでは、おそらく、女性は「性」の対象であればよいと主張した関に対して、清子に夢中になっていた津田が「愛」を積極的に擁護したことでしょう。この「むずかしい議論」という表現は、小林の津田批判に通じます。津田は、なぜ清子が好きなのか、なぜお延が好きなのか、あれこれ「理窟を弄んでいる」だけで、結局のところ清子もお延も愛することができていないのです。これに対して小林は、事実上、人を愛する気持ちに理屈はいらない、ただ好きだと思う気持ちはあればそれで充分だと主張しているのです。これは、お延をまともに愛することができない津田に対して、小林にはそれができるのだ、ということを示唆するものとも読めます。

 「他人をいやがらせるために生きている」という小林ですが、一方で「いかに人間が下賤であろうとも、またいかに無教育であろうとも、時としてその人の口から、涙がこぼれるほどありがたい、そうして少しも取り繕わない、至純至精の感情が、泉のように流れ出して来る」とも語っています。かつて、「人間はいくら変な着物を着て人から笑われても、生きている方がいいものなんですよ」という小林に対して、お延は「生きてて人に笑われるくらいなら、いっそ死んでしまった方が好いと思います」と答えましたが、実際に「人に笑われる」境遇に陥ってしまったお延に対して、小林が普段の皮肉な態度を捨て、「至純至精の感情」を発揮することは大いに考えられることです。

 そもそも、小林が他者に対してやたらに攻撃的な態度に出るのは、自己の存在を他者に認めさせたいからにほかなりません。世の中がなく人間がない、という小林ですが、彼はそのような状況に置かれていることが淋しくてたまらず、苦しくてたまらないのです。彼の攻撃的な態度は、愛の渇望の屈折した表現にほかならず、時折その背後から実に率直な形で淋しさが顔を出します。小林の態度が突然に感慨を帯びて来たり、また突然に涙を流したりするのはそのためです(*)。お延が小林との関わりを通じて劇的な変化を遂げていく可能性があるように、逆に、小林もまた、お延との関わりを通じて劇的な変化を遂げていく可能性があります。「僕だって朝鮮三界まで駈落のお供をしてくれるような、実のある女があれば、こんな変な人間にならないで、すんだかも知れませんよ」という小林の発言は、そのことを暗示するものだといえるでしょう。

 以上のようなことを踏まえるならば、津田に幻滅したお延が新たな愛の対象として小林を選ぶということも大いにありうる、と納得していただけるのではないでしょうか。そもそも、お延と小林が対決する場面の直前で、叔父の岡本に「悪口や」と評されるお延が、津田と「軽口の吐き競」ができずに物足りなさを感じていることが描かれているのも非常に示唆的です。お延と小林の対決の場面は、まさに「軽口の吐き競」のようなものとして描かれているからです。さらにいえば、「則天去私」の態度で『明暗』を書いていると語った漱石によって「則天去私」的作品として挙げられたジェーン・オースティンの『高慢と偏見』とゴールドスミスの『ウェークフィールドの牧師』が、いずれも、女性から見て愛の対象に値すると思われた男が実は取るに足りない存在で、逆に不愉快な存在に思われた男こそ愛の対象に値する存在だった、という話の筋で共通していることも、有力な傍証となるかもしれません。

 仮に、お延と小林が朝鮮に駆け落ちするとすれば、それは何よりもまず姦通による社会からの追放という意味合いをもたざるをえないものでしょう。しかし、家父長制のもとで支配・管理の対象とされた女性と、貧乏な文筆家であり下層階級との連帯意識をもつ社会主義者が結びつくということは、客観的にいって、現存の社会秩序の根本的な転覆につながる可能性を生み出しかねないものにほかなりません。そこには何かしら前向きな印象を与えるものがあります。大正デモクラシーの時代における漱石晩年の社会批判には、相当にラディカルな要素が含まれていたといえるでしょう。

 『明暗』の世界は、確かに諸々の問題が絡みあう複雑な構造をもっており、物語世界がそう簡単に片づいてしまうことはなさそうに思われます。しかし、漱石が、金力・権力のしがらみから人間を解放するにはどうすればよいのか、という難問を何とかして片付けようという意志を強烈な意志をもちつづけていたことを忘れてはなりません。我々は、どんな結末をもってきても『明暗』の世界は完結しようがない、などともっともらしい理屈を弄ぶのではなく、漱石が挑み続けた難問の解決に向けてどのような結末がありうるか、その物語世界の構造から真摯に問うていくべきなのです。金力・権力にまつわる諸々のしがらみが個々人の自由な発展を阻害するという状況は、漱石の死から100年を経た現代においても、未だに打開されていません。我々は、『明暗』の結末を考察することを通じて、漱石の思想的到達点を明らかにしつつ、それを将来のよりよい社会の建設へと活かしていかなければならないのです。

(*)ここには、漱石自身の悲惨な養子体験やロンドン留学の体験――自己の存在が社会に認められない不安から絶対の愛を求める――が反映されているとみることもできるであろう。真実と愛を希求し、金力・権力を容赦なく批判する小林こそ、『明暗』のなかで最も漱石的な人物であり、漱石が最も思い入れを込めて描いた人物なのではないかとも思われるのである。

(了)
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2016年09月10日

夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う(4/5)

(4)金力・権力のしがらみから愛を解放する展望

 前回は、『明暗』の物語世界がどのような構造をもっているのか、少し掘り下げて考えてみました。端的にいえば、愛の問題系と金の問題系が絡み合う構造ということになるのですが、愛の問題系だけを取り上げてみても〈津田-清子-関〉という三角関係に〈お延-津田-清子〉という三角関係が重なってくるという重層的な構造をなしており、さらにそれらの三角形が、経済的な力のより強い上層の世界と経済的な力のより弱い下層の世界に挟まれる形で配置されている、ということになるのでした。上層の世界と下層の世界に挟まれた津田とお延は、お互いに相手を真に愛するというよりは、上層の世界の人々に対する「手前」あるいは「体面」から、仲のよい夫婦に見せかけようとしているにすぎません。こうした夫婦のあり方が、上層の世界からは、身の程を知れ、分をわきまえろ、という角度で批判され、下層の世界からは、腰がぐらついて度胸が坐っていない、と批判されているのでした。

 今回は、いよいよ、こうした構造をもった物語世界を、漱石がどのように片付けようとしていたのか検討していくことにしましょう。

 この『明暗』で、片付けられるべき問題として設定されているのは、金力・権力にまつわる諸々のしがらみから人間的な愛を解放できるか否か、人と人との関係が金によって左右されてしまう状況をどのようにすれば打破できるのか、ということにほかなりません。このことを踏まえるならば、ついに書かれなかった結末に向けての展開について、いくつかのポイントを指摘することができます。

 第一に、吉川夫人の「お延の教育」が、吉川夫人の思惑通りに成功し、お延が奥さんらしい奥さんに育て上げられて大団円、などという結末だけは絶対にありえない、ということです。漱石が金力・権力の横暴に激しい憤りを燃やしていたことからすれば、金力・権力を思いのままに操って他人を玩具のように動かして面白がる吉川夫人は、厳しく断罪されることになるだろう、と推測するほうが自然です。

 第二に、有力者のご機嫌をとることを優先し、何事にも優柔不断で煮え切らない津田がどうなるのか、という問題です。津田は、漱石が学習院での講演「私の個人主義」で熱烈に主張した「自己本位」の対極、すなわち「他人本位」を体現するような人物として造形されているといえます。ここから、2つの可能性が導かれます。ひとつの可能性は、「他人本位」な津田が何らかの出来事をきっかけにして決定的に改心して「自己本位」な人間に生まれ変わる、ということです。もう少し具体的にいえば、妻であるお延を、純粋に1人の人間として、社会的なしがらみとは無関係に愛するようになる、という結末です。そのためには、吉川夫人への従属的な関係は精算されなければなりませんし、他者依存的な経済状態についても何らかの解決策が見出されなければならないでしょう(*)。もうひとつの可能性は、津田が「他人本位」なあり方を改められないまま破滅してしまう、ということです。ハッキリどちらとは断言できませんが、この作品中の最重要人物というべき小林が、津田に一朝事があったとしても自分(小林)のように腹を据えた人物に早変わりすることなどできないだろう、と述べている(第158回)ことからすれば、津田は「他人本位」を改められないままに自滅してしまう可能性が高いのではないかと考えられます。

 第三に、「自分のこうと思い込んだ人を飽くまで愛する事によって、その人に飽くまで自分を愛させなければやまない」というお延の「最後の決心」の単純な成功あるいは失敗という結末も考えにくい、ということです。お延の「最後の決心」は、本心から津田を愛するが故に出てきたものではなく、上層の世界に視線を向けつつ、悧巧な女性(妻)として認めてもらいたいという虚栄心から出てきたものにすぎないからです。漱石の思想からすれば、上層の世界における評価を気にするという「最後の決心」の前提条件そのものが崩される必要があるでしょう。

 以上のポイントを踏まえつつ、結末に向けた展開について、もう少しだけ具体的に考えてみることにしましょう。

 『明暗』は、津田がかつての恋人・清子に再会し、彼女が突如として自分のもとを去ったのはなぜなのか、探り出そうとするところで中断されています。ただちに問題になるのは、清子が津田を捨てたのはなぜなのか、ということです。結論からいえば、それは、津田が吉川夫人のいいなりになっているにすぎないことを見抜き、そこに頼りなさを感じて幻滅したからでしょう。清子は、再会した津田の行動について、「待伏せ」「貴方はそういう事をなさる方」と評しています。ここからは、自分の強烈な意志で現実世界の課題に正面からぶつかっていくことをせず、もっともらしい理屈を口にしつつ下らない技巧を弄する男だ、という津田への評価がうかがえるのです。津田は、自分の意志で(清子への熱い思いを抑えきれずに)清子のもとを訪ねたわけではなく、吉川夫人にそそのかされてやってきたにすぎませんし、清子との会見の口実をつくるために、吉川夫人から見舞いの果物籃を託された、などと都合のいいウソをついています。「する事はみんな自分の力でし、言う事はことごとく自分の力で言った」と考える津田ですが、結局のところ吉川夫人のいいなりになっているに過ぎないのだという事実を、清子から厳しく突き付けられることになるでしょう。津田のこうした「他人本位」的な行動の欺瞞を鋭く暴くためにこそ、清子という人物が登場させられているのだ、ともいえるでしょう。

清子によって津田の「他人本位」的な欺瞞が暴かれるならば、お延の津田に対する態度も決定的に改められざるをえません。お延と津田が京都で初めて出会ったとき、津田はお延のもってきた自分の父宛ての手紙をその場で開封しました(第79回)。お延は、津田を果断な人間、決断力・行動力に富む人間だと思い、そこにひかれたわけです。しかし、清子による津田批判は、津田が全くそのような人間ではなく、むしろ正反対の優柔不断な人間であったことを暴くものにほかなりません。お延が清子による津田批判に接するならば、自身が津田を見誤ったのだということを最終的に認めざるをえない状況に追いこまれてしまいます。このことは同時に、津田が自分の愛の対象に値しない存在であったことを認めざるを得なくなることをも意味しています。

 「体面」の維持という目標に縛られ、他人からの軽蔑を極端に恐れるお延にとって、自分の直覚の誤りを認めることは、津田の愛をめぐって清子を片付けるよりも勇気のいることでしょう。そうしたお延の痛切な自己批判を手助けすることができる位置にいるのは、客観的に見て小林以外にはありません。そもそも、『明暗』の物語世界のなかで、小林がお延の前に登場し、津田の過去の秘密をほのめかしたのは、彼女の「最後の決心」の直後でした。この局面での小林の登場には、たんに物語展開上の緊張感を高める効果だけでなく、『明暗』の主題に関わる重要な意味があると見るべきです。人に厭がられることをしなければ自分の存在を他人に認めさせることができない、という小林の登場によって、「自分のこうと思い込んだ人を飽くまで愛する事によって、その人に飽くまで自分を愛させなければやまない」というお延の「最後の決心」が意味をなさない世界が存在することが示されているのです。とはいえ、「絶対に愛されてみたい」というお延の強い意志そのものは、積極的に肯定されるべき要素ではあります。問題なのは、「絶対に愛されてみたい」という意志が、上層の世界のみを見つめる狭い視野のなかで、虚栄心に絡めとられてしまっていることです。「絶対に愛されてみたい」というお延の強烈な意志は、下層の世界をも捉えるような広い視野のなかで、鍛え直される過程が必要になってくるものと思われます。そうした過程は、お延が小林と対決することなしには生じ得ないでしょう。

 結論的にいえば、『明暗』の物語世界で複雑に絡み合った諸々の問題を片付け、金力・権力にまつわる諸々のしがらみから人間的な愛を解放する展望を指し示すためには、強い意志をもったお延と、あらゆる社会的なしがらみから自由である小林とが、何らかの形で結びつくことがどうしても欠かせない、ということになります。「絶対の愛」を求めて自らの運命を積極的にきり開いていこうというお延の「最後の決心」は、女性を管理・支配の対象とする家父長制の秩序の枠内では実現できないものであり、必然的にそれを突き崩す可能性を秘めたものにほかなりません。これを真に成就させようとするならば、何ものにもとらわれずに現存の社会秩序を批判することができる小林の思想を、お延なりのやり方で受け止めることが必要になってくるのです。「絶対に愛されてみたい」「誰からも愛されたい」というお延(=明)は、「せめて人に嫌われてでも見よう」という小林(=暗)と対決させられることによってこそ、「否定の否定」的に成長を遂げていくことができると思われるのです。

(*)ひょっとすると、津田がマルクスの『資本論』とされる「経済学の独逸書」を読んでいた様子が描かれていたのは、こうした結末に向けた布石なのかもしれない。『資本論』では、貨幣の物神性――人と人との関係のなかから生まれてきた貨幣が、逆に人間と人間との関係を支配するようになること――の問題が解かれているからである。
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2016年09月09日

夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う(3/5)

(3)上層、中層、下層という三重構造をなす世界

 前回は、『明暗』のあらすじを少し詳しくみた上で、愛の問題系と金の問題系とが複雑に絡み合う形で物語世界が展開していることを確認しました。津田は真実にお延を愛しているというわけではなく、経済的な有力者の歓心を買うためにお延を大切にしているかのように偽っているにすぎない、という点にこそ、『明暗』の複雑な構造を解いていくための鍵があるといえるのではないか、ということでした。

 今回は、物語世界の構造について、その立体性ということに着目して、もう少し掘り下げて考えてみることにしましょう。

 『明暗』は、何よりもまず、津田とお延の夫婦関係はどうなるのか、清子が津田を去った理由は何なのか、再会した津田と清子はどうなるのか、愛することで愛させるというお延の「最後の決心」は報われるのか、といった愛の問題系を軸に展開しているということができるのですが、この愛の問題系だけをとりあげてみても、従来の漱石作品にはない複雑さがみられます。三角関係の問題を中心におく、ということ自体は従来の漱石作品と同じなのですが、ここでは1人の女性をめぐって2人の男性を配した従来型の〈津田-清子-関〉という三角関係に加えてもうひとつ、1人の男性をめぐって2人の女性を配した新しい型の〈お延-津田-清子〉という三角関係が存在しているのです。つまり、物語世界の中心にいる津田・お延の夫婦のそれぞれが、それぞれを起点とする三角関係の問題を抱えるという重層的な構造をもっているわけです。

 重要なのは、こうした2つの三角関係が重なり合うという愛の問題系に、金の問題系が密接に絡みあってくることです。このことは、『明暗』の物語世界がそもそも、経済的な力を規準として、下層、中層、上層という三重の構造をなしていることに端的に現われています。すなわち、津田とお延の夫婦を真ん中において、金力と権力によって他人を意のままに動かそうとする上層の世界と、貧困のためにあらゆる人間的なつながりから疎外されてしまった下層の世界とが広がっているのです。上層の世界は、放漫で他人をからかうことが好きな吉川夫人によって代表され、下層の世界は、食い詰めて朝鮮に渡ろうとしている小林によって代表されています。

 津田とお延の夫婦関係は、かなり不安定な経済的基盤の上に成り立っており、お延の派手好きによる贅沢もあって、上層の世界の有力者に依存しなければ立ち行かないものになっています。まさに、このことこそが、夫婦の愛の問題に深刻な影を投げかけているのです。

 津田は、お延の叔父の岡本と親友で、父の友人でもある吉川の会社に勤めています。津田は、お延を育てた岡本家の機嫌をとるため、お延の虚栄心――あくまでも津田に可愛がられているように見せようとする――から周囲に生じる誤解をあえてそのままにしています。吉川が岡本と兄弟同様に親しい間柄であることから、自分の将来はお延を大事にすればするほど確かになると考えているのです。津田は真実にお延を愛しているというわけではなく、経済的な有力者の歓心を買うためにお延を大切にしているかのように偽っているにすぎないわけです。

 一方のお延は、かつて自分の直覚に絶対の自信をもっていました。彼女はその直覚によって津田を愛の対象として選んだのですが、今ではその直覚の誤りに薄々感づき始めています。また、夫の過去に何かしらの秘密があることを感じて悩んでいます。このような状況の下で、お延は「自分のこうと思い込んだ人を飽くまで愛する事によって、その人に飽くまで自分を愛させなければやまない」という「最後の決心」をします(第78回)。しかし、それは純粋に津田を愛するからというよりも、自分の「体面」を気にしたからにすぎません。お延にとっては、津田という男性が愛の対象に値するかどうかということよりも、夫に愛される(そして、夫を意のままにする)賢い女性として上層の世界の人々から認めてもらいたい、という虚栄心を満たすことが第一義的な課題になってしまっているのです。

このように、津田・お延の夫婦関係は、虚偽と虚飾にとらわれ、利害得失の打算に満ちた関係というほかありません。この夫婦は互いに相手を支配しようとし、決して完全に心が打ち解けることがありません。漱石は、こうした津田・お延の関係を「愛の戦争」と表現しています(第150回)。

 津田とお延の夫婦関係がこのようなものになってしまったのは、先ほども指摘した通り、この夫婦の経済的基盤が不安定で(津田の収入の割に、お延が派手好きで贅沢であることもあって)、吉川や岡本ら上層世界の人々の好意と施しに依存しなければ成り立たないものになっているからにほかなりません。しかし、津田とお延は、こうした社会関係のなかに存在させられていることに対して無自覚であり、金力・権力の面でより上位に立つ者からの好意と施しを当然のように受け取っています。

 津田は、自らの存在が徹底して他者依存的であり、とりわけ吉川夫人の顔色をうかがってばかりいるにもかかわらず、あくまでも自己の意志にしたがって生きていると思い込んでいます。一方、お延は、自らの体面を維持することに汲々とする結果、「絶対に愛されたい」という強い決意を実現するため一心不乱に突き進もうとします。上位の者から見れば、お延は金力と権力がつくりだす秩序の安定を乱しかねない危険な存在です。岡本の財産や岡本と吉川の親しい関係なども考慮した上で津田の結婚相手として選ばれたのだということをわきまえて、夫(津田)に好きな女がいくらでもあるうちで自分が最も大切にされているという状態に満足するべきだ、というのが、上層の世界(とりわけ吉川夫人)からのお延への要求なのです。上層の世界の人間からみれば、津田がお延の虚栄心に振り回されていることは、許しがたいことにほかなりません。露骨にいえば、津田とお延は、施しを与えてやっているにもかかわらず感謝の意を快く示すことのない不愉快な存在なのです。このことが津田夫婦とお秀との間で衝突を引き起こし、吉川夫人による「お延の教育」(第142回)の宣言を導いたのでした。

 しかし、津田とお延は上層の世界の人間から批判されるだけではありません。津田やお延などよりもずっと金力・権力に縁遠い下層の世界の者からも、また違った視点で批判されるのです。

 津田の友人・小林は、津田の叔父・藤井の下で、売れない雑誌の編集などに携わっていましたが、ついに食い詰めて、朝鮮へと「都落ち」しようとしています。小林は、吉川夫人とは逆に、津田とお延の姿を下から照らし出し、その不安を暴き出します。社会主義への共感も隠そうとしない彼の不気味な言動は、津田とお延の存在が他者依存的であり、社会的なしがらみに縛られているがゆえに、虚偽と虚飾に満ちていることを鋭く突くのです。「僕から見ると、君の腰は始終ぐらついてるよ。度胸が坐ってないよ。厭なものをどこまでも避けたがって、自分の好きなものをむやみに追かけたがってるよ」(第157回)という小林の津田に対する批判は決定的です。

 ここで考えてみなければならないのは、小林にこのような鋭い批判が可能なのはなぜなのか、ということです。そのヒントは、津田の外套を受け取るために津田の入院中に津田の家を訪ねた小林とお延との対決の場面(第81〜88回)にあります。ここで小林は、「僕には細君がないばかりじゃないんです。何にもないんです。親も友達もないんです。つまり世の中がないんですね。もっと広く云えば人間がないんだとも云われるでしょうが」と述べ、他人に自分の存在を認めさせるために「仕方がないからせめて人に嫌われてでも見ようと思う」のだと語っています。これは、「誰からでも愛されたい、また誰からでも愛されるように仕向けて行きたい」と考えるお延にとって、まるで別世界に生まれた人の心理状態でした。社会全体から徹底的に無視されるという小林の境遇は、絶望的なものというほかありません。しかし、金も地位もなく「人間がない」ということは、人間社会のあらゆるしがらみから完全に自由であるということでもあります。いわば、『吾輩は猫である』の猫的な視点から、人間社会の諸関係を自由に批判できるのです。小林の境遇を、体面の維持という目標にがんじがらめに縛られたお延の境遇と対比するならば、一切のしがらみからの解放という、絶望的な孤独が一方でもっている積極的な側面が大きく浮かび上がってくるともいえるでしょう。漱石は小林に、天の目的に動かされることこそ僕の本望だ、と語らせていますが、このことは、社会の最下層に近いところにいる小林の視点こそが、実は人間社会を超越的な視点で眺める天からの視点(アダム・スミス流にいえば「公平な観察者」の視点)に最も近いのだということを示唆するものにほかなりません。

 小林に関わってもうひとつ注目しておかなければならないのは、津田が設けた送別会の場面で、津田から餞別として受け取った10円紙幣3枚(お延が岡本から「賠償金」として小切手の一部)を、自分より貧乏な青年画家に示して「さあ取りたまえ。要るだけ取りたまえ」と語りかけたことです(第155回)。結局、貧乏画家は1枚だけを受け取ります。「余裕は水のようなものさ。高い方から低い方へは流れるが、下から上へは逆行しないよ」と語っていた小林は、「珍らしく余裕が下から上へ流れた」といいます。このように、金をことさらにぞんざいに扱ってみせる小林の振舞いは、金を施してやるんだから頭を下げろ、という上層の世界の人々の振舞いとは対極にあるものとして注目に値します。金の流れを純粋に金の流れとしてのみ、人間の感情とは無縁の「余裕」なるものの物理的運動であるかのように捉えることで、人と人との権力的な関係にまつわる優越感や劣等感を可能なかぎり排除してしまおうとしているわけです。金の問題系が愛の問題系に覆いかぶさっている、もっといえば、金をめぐる感情の動きが真実の愛の可能性を閉ざしてしまっている、という『明暗』の物語世界が抱える根本的な問題を解決する道は、こうした小林の存在によってこそ示唆されているということができるでしょう。
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2016年09月08日

夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う(2/5)

(2)愛の問題系と金の問題系という2つの軸

 本稿は、漱石の未完の大作『明暗』に焦点を当てて、複数の問題系が複雑に絡み合う構造をもった物語世界を漱石がどのように片付けようとしていたのか検討することを通じて、漱石の思想的な到達点について考察することを目的としたものです。

 今回は、『明暗』の物語世界が、どのような問題系を軸として展開されているのか、確認しておくことにしましょう。そのためにも、まずは『明暗』のあらすじを少し詳しくみておくことにします。

 会社員の津田由雄(30歳)は、持病の痔の手術のために入院しなければならなくなり、入院費の工面に頭を悩ませます。京都の父からの毎月の仕送りが、盆暮の賞与で幾分か返済するという約束を履行しなかったばかりに、ストップされようとしていたからです。津田は、上司・吉川(父の友人でもあります)の仲立ちでお延(23歳)と結婚して半年になります。実は、津田にはかつて、これまた吉川夫人に紹介された清子という恋人がいたのですが、清子は突如として津田のもとを去り、津田の友人・関と結婚してしまったのでした。津田はこのことをお延に隠しています。吉川夫人を介して会社を休む都合をつけた津田は、入院の前日、叔父・藤井の家を訪ねます。そこでは、津田の旧友・小林(藤井の下で雑誌の編集などをやっています)の妹の結婚話がまとめられようとしました。結婚の問題に絡んで、津田は叔母から「始終御馳走はないかないかって、きょろきょろそこいらを見廻してる人」「いろいろ選り好みをしたあげく、お嫁さんを貰った後でも、まだ選り好みをして落ちつかずにいる人」と評されてしまいます。藤井宅を後にした津田と小林は、酒場で飲みなおします。小林は、朝鮮に渡ってそこの新聞社に雇われることになったことを伝え、津田の外套を貰い受ける約束を取り付けます。

 津田が入院した日、お延は叔父の岡本から誘われていた芝居見物に行きます。そこでは、岡本夫婦の娘(お延の従姉妹)・継子のお見合いの席が設けられていました。お見合い相手の三好は、岡本の友人で津田の会社の上司でもある吉川夫婦に連れられてきます。吉川夫人を苦手とするお延は、お見合いの会食の後、夫人と上手く渡り合えなかったことに苦い思いを抱いて家に帰ります。翌日、岡本宅を訪問したお延は、岡本夫婦に、継子のたっての願いでお婿さんの目利きをしてもらおうと思ったのだ、と明かされます。実際、かつてのお延は、自分の直覚に絶対の自信をもっており、その直覚で津田を愛の対象として選んだのでしたが、今ではその直覚の誤りに薄々感づき始めています。にもかかわらず、岡本に直覚の鋭さを冗談半分にからかいつづけられて、お延は思わず涙ぐんでしまいます。岡本は、泣かせてしまった「賠償金」といってお延に小切手を渡します。あくまでも自分の直覚の誤りを認めたくないお延は、「自分のこうと思い込んだ人を飽くまで愛する事によって、その人に飽くまで自分を愛させなければやまない」という「最後の決心」をします。

 翌朝、お延のもとに、小林が津田の外套を受け取りにやってきます。下女のお時が入院中の津田に確認している間、お延は座敷で小林と対座します。「僕は人に厭がられるために生きているんです」という小林は、誰からでも愛されたいと願うお延にとって、まるで別世界の人間でした。小林から、津田の過去に何かしらの秘密があることをほのめかされ、疑惑で胸をいっぱいにしたお延は、入院中の津田のもとへ向います。一方、津田のもとには、津田の妹のお秀が訪れていました。父からの仕送りの途絶という事情を知るお秀は、津田が必要とする金を持参してきたのですが、それを手渡すに際して、何としても津田に頭を下げさせようとします。一方の津田は、何としても頭を下げたくありません。2人のやり取りが険悪さを増していくなかで、派手好きのお延が津田に散財させているのだとにらむお秀は、兄さんは嫂さんを大事にしていながら他にも大事にしている人がある、だから嫂さんを怖がるのだ、といいます。その瞬間、お延が登場します。お秀への怒りの反動からか、津田はいつになくお延と溶け合います。それを喜ぶお延は、必要な金は私が拵えたから心配には及ばない、といって岡本から受け取った小切手を出し、お秀の金を断ろうとします。お秀は怒りを表し、津田とお延について、他人の親切を素直に受けとることのできない人間だと冷たく評して、その場を去ります。津田とお延は、京都の津田の父との関係がこれ以上悪化しないよう、吉川夫人に間に入ってもらおうと相談します。

 翌日の午後、入院中の津田を小林が訪ねます。小林は、その日の午前中にお秀が藤井宅を訪ねたこと、さらにお秀はその前に吉川宅を訪ねており、吉川夫人が間もなく津田のもとを訪れる予定であることを知らせます。一方、その日の昼食後、銭湯でゆっくりと過ごしたお延は、留守中にお秀が訪ねてきたことをお時から聞かされて驚きます。病院に行く予定を変更してお秀を訪問したお延は、お秀との間で愛についての議論を闘わすことになります。「好きな女が世の中にいくらでもあるうちで、あなたが一番好かれている方が、嫂さんにとってもかえって満足じゃありませんか」というお秀に対して、お延は「あたしはどうしても絶対に愛されてみたいの」といってお秀をあきれさせます。ちょうどその頃、吉川夫人が津田のもとを訪れます。吉川夫人は、今回のお秀と津田夫婦の衝突の根底には、津田がお延のことをそれほど大事だと思っていないにもかかわらず、吉川や岡本との関係上、いかにも大事にしているように見せようとしていることがある、と指摘します。さらに、そこには津田の清子への未練が影響しているのだと指摘し、清子が流産してある温泉場で湯治していることを告げ、旅費は出してあげるからその温泉場を訪ねて清子と話をしてきなさい、とそそのかすのです。その上で吉川夫人は、お延を奥さんらしい奥さんに育て上げる「お延の教育」計画を口にします。吉川夫人が帰った後、お延が病院に現われます。お延は、津田が吉川夫人の来訪を隠そうとしたことなどから、津田が何かしらの隠し事をしているのではないかとの疑いを深め、激しく詰め寄ります。しかし、津田は何とかやり過ごし「お前の体面に対して、大丈夫だという証書を入れる」という妥協を提案します。

 退院した津田は、小林との送別会に臨みます。その席で小林は、「僕から見ると、君の腰は始終ぐらついてるよ。度胸が坐ってないよ。厭なものをどこまでも避けたがって、自分の好きなものをむやみに追かけたがってるよ」と津田の弱点を鋭く指摘します。津田は、餞別として小林に30円(お延が岡本からもらった金の一部)を渡しますが、小林はそのうちの10円を自分より貧乏な青年画家・原に譲ってしまいます。翌日、津田は清子のいる温泉場へと向います。宿に到着した夜、浴場から部屋までの道に迷ってしまった津田は、思いがけず清子に再会しますが、清子は無言のまま背を向けます。翌日、津田は正式に清子に会見を申し込み、清子の部屋で対座します。清子は、前夜の津田について「待伏せ」「貴方はそういう事をなさる方」と評します。

 以上、『明暗』第1回から第188回までの大きな流れを辿ってみました。結論的にいえば、『明暗』において提示されている諸々の問題は、大きく2つの系列、すなわち、愛の問題系と金の問題系とに収斂させることができるでしょう。津田とお延の夫婦関係はどうなるのか、清子が津田を去った理由は何なのか、再会した津田と清子はどうなるのか、愛することで愛させるというお延の「最後の決心」は報われるのか、といった愛の問題系が第一に存在します。しかし、物語世界は、こうした愛の問題系だけが軸になって展開していくわけではありません。津田の入院費用の捻出をめぐる金策問題をきっかけにして、金の問題系という軸が設定され、岡本からお延への「賠償金」、お秀による津田の入院費の援助の申し出、吉川夫人による湯治費用の援助で津田夫婦のところへ金が入ってくる一方で、津田夫婦は、食い詰めて朝鮮にわたる小林に餞別を渡さなければならなくなる、という目まぐるしい金の動きが生じます。津田とお延の夫婦関係が、かなり不安定な(他者に依存せざるを得ない)経済的基盤の上に成り立っていることが描かれているのです。

 愛の問題と金の問題というのは、これまでの漱石作品においても一貫してとりあげられてきたテーマだといえます。例えば、『明暗』の前々作にあたる『こころ』の「先生」は、叔父に財産をごまかされた経験を語った上で「私は金に対して人類を疑ったけれども、愛に対しては、まだ人類を疑わなかったのです」(「先生と遺書」第12章)と述べていました。『こころ』の先生は、叔父とのいざこざから金に対して人類を疑うようになり、さらに自分自身が親友を裏切ったという痛苦の経験を通じて、愛に対しても人類を疑わなければならなくなった結果、自殺に追い込まれてしまったのです。金と愛というのが漱石にとっての2大テーマにほかならなかったことが、「先生」のこの発言に象徴的に示されているといえるでしょう。しかし、『こころ』においては、金の問題がまず語られ、次いで愛の問題が語られるという形で2つのテーマが並列されており、2つのテーマが有機的に絡みあって深められる、ということはありませんでした。

 これに対して、『明暗』においては、最初から、愛の問題系は金の問題系と直接的に重なり合うものとして設定されています。このことを端的に示しているのが、吉川夫人の「あなたは良人や岡本の手前があるので……表向延子さんを大事にするような風をなさるのね、内側はそれほどでなくっても」(第136回)という発言です。また、小林が「岡本の財産を調べないで、君が結婚するものか」という意味をにおわせる態度をとっている(第117回)のも見逃せません。要するに、津田は真実にお延を愛しているというわけではなく、経済的な有力者の歓心を買うためにお延を大切にしているかのように偽っているにすぎない、ということなのです。まさにこの点にこそ、『明暗』の複雑な構造を解いていくための鍵があるといえるでしょう。
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 ・2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章
 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
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 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
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 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
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 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
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 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
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 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
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 ・マインドフルネスを認識論的に説く
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 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
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 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
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 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
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 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
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 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮